2006年05月23日

06.5.18 横田拓也さん 東京連続集会(8)友愛会館にて

『横田拓也 家族会事務局次長 訪米報告』

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みなさま、こんばんは。横田拓也でございます。一番近い日程で、訪韓で、哲也が行ったんで、私哲也じゃないかという話じゃないかという方がいるかもしれませんが、アメリカに行った方の人なんで、お間違えないようお願いします。(会場笑い)

さきほど、多くの方が話しているので、重複するところはカットしてお話ししたいと思います。

日本時間で、24日〜30日の行程で訪米団を組みましてアメリカに行って参りました。
家族会、救う会、議連の先生方、内閣府、外務省そして在米の日本大使館の方、本当に政府一丸、国一丸となって今回は、訪米をすることができて、その姿勢や意気込みが伝わる形で多くの方々とお会いすることができたということでございまして、私達が気持的にも、肉体的にも倒れることがなく訪米を終えることができたのは、皆様方の心からお支えがあってですね、無事に帰国をすることができて、それも訪韓に結びついたと私達は理解をしております。

母の方から、初日にステーブ・チャボット下院議員の方とお会いしまして、いつもどおり−−私達も何度もお会いしている方なんですが−−この拉致問題の深刻的状況、何も解決されていないんだというお話を申し上げて、その方は公聴会にも後日出られる方なんですが、事前にお話を申し上げたわけでございます。

報道でみなさんがご存じないこと等のほうが、みなさんが興味があると思うので、その点をお話ししようと思うんですが。
実はチャボット議員の部屋の中で、姉が、北朝鮮から提示された、哀しそうな顔をした、大きな写真と、私達が幼少の頃の−−父が写真を撮って、4人で手をつないで山口だと思うんですが、歩いている写真、ご記憶あると思うんですが、あの写真を私達が見せたときに、チャボット議員が『あなたはどっちの弟なんだ』と聞かれて、正直私わからなくて、『わかりません』という話を申し上げて、(会場笑い)母が『こちらが拓也です』と、助けの一言を入れてくれたおかげでですね、委員も『なるほど』ということで、なんなくその場は収まったと言うことでございます。

そのあとも、会見が終わった後、部屋の廊下でですね、本当に多くのカメラ・報道の方がいらしゃって、実にご関心が高いと言うことが彼らをもってわかりましたし、議員は、私達の心を、本当に全部受け止めてくださって、『拉致問題、絶対許さないんだ、アメリカとしても、これからも、追求していくんだ』と私達に声をかけてくださったことは、とても大きな成果だったというふうに思っています。

そして、翌日には、国防総省とか国家安全保障会議に行くわけですが、先ほど母が若干ちょっとニュアンスが違うようないい方をしていたんですが、始めからイングランド副長官がお迎えになると言うことではなくてですね、当初はローレンス国防副次官と、ヒル部長という方がですね、私達が事前に知らされていたお会いする予定の方だったわけなんです。そこで、国防総省のビル、正面玄関に行ったときに、すでに、国防副次官が、ご本人が直接私達をお迎えになってくださっている状況でありまして、国防総省、テロの後の時で、とてもセキュリティが厳しいわけなんですが、ノーパスノーチェク、で、私達が部屋の中に入ることができて、こう話しているときに、後からイングランド副長官が、私達の部屋には行ってくださって、先ほどの飯塚副代表がおっしゃっていたように、まぁ、ちょっとサプライズ的なお話をされて、とても、国防というとなかなか厳しい顔をされた方なのかなという感じがあるんですが、母によると『母の父に似ている』、何かそんな風な話もしていましたけれど(会場笑い)、そういうすごく身近なものを感じたと母は当日言っていましたが、とても優しい顔で、目が本当に柔和な方で、私は『この方が本当に副長官なのかな』とというくらいの優しい顔つきの方でありました。

そして最後には記念写真とか、先ほど公聴会にお届けくださった写真をですね、わざわざ私達に届けてくださって、おそらく公聴会前に、『がんばれよ』と、勇気を付けてくださったんだと思いまして、一言一言違うメッセージというものは何も声は聞こえないんですが、本当に私達の心に響く大きなメッセージであったというふうに思います。

国家安全保障会議に行ったときもですね、実は、去年の10月に、半年前に増元さんと私と島田副会長とですねアメリカに行く際にですね、当時の上級アジア部長、マイケル・グリーンさんにお会いしたわけなんですが、今その方、おやめになって、今後任でワイルダーさんという方が上級部長を務めていらっしゃいまして、その下にアジア部長のビクター・チャーさんという人がいらっしゃいます。

私達は、本来そのお二人に会うという予定で行ったわけなんですが、行ってみると、『レコビッツ人権特使もいますよ』ですとか、クラウチ国家完全保障会議の次席補佐官もお部屋に来てくださっていてですね、とても心強いというか、予定外で、しかも、それより上位、高位の方が、いつも私達のお会いする機会に同席してくださると言うことで、本当に今回の訪米というものは、私達のこの気持ち、ムーブメントみたいなものにですね、本当に同調・同感される形で、この問題、何とか解決しようじゃないかという気持ちが響いていたというような形です。

クラウチさんが私達に言って行ってくれた言葉の中で、後ほど、西岡先生とか島田先生のほうが、若干の捕捉をしてくださると思うのですが、アメリカというのは、ご存じの通り、核問題、安全保障の問題で北朝鮮と対峙して、そして六カ国協議でこの問題を真剣に討議するわけなんですが、その時に、『あれは六者協議は六者協議の問題なんだと、あともしくは犯罪行為・××兵器・・たとえば麻薬の問題とか、人身売買の問題とか、偽ドルの問題、こういったものは、・・・許せない問題であって、安全保障の問題、核の問題を叩くときに、私達の人権の問題、拉致の問題を譲らない、ここはは原則として譲らないと言うことを、あなた方に約束する』と、私達に<約束する>という言葉を使ってくださって、アメリカの真剣な強い気持ちというのがですね、私達にに伝わったとても良い機会、これはご本人個人の言葉ではなくて、おそらく大統領の言葉でもあったでしょうし、国の考え方だったと思うので、その時はまだ大統領と本当に会えるかどうかと言うのは定かではなかった時期だったのですが、とてもアメリカの意気込み、本気度合いというのが、私達に響いたわけでございます。

翌日は27日の公聴会、これが、事前に私達が公式的に伝えられていた一番のメインの行事であった訳なんですが、母と島田先生がお話しする機会と言うことで、個人的には母と今回、同じ部屋に一週間宿泊をしました。やはり父が今回体調が崩れることを懸念して、父は日本にいて哲也が体調のケアをして、私が一緒に行くことで一番近くにいて何とかが起こらないようにと言うことで、一緒の部屋で同行同席したわけなんですが、まぁ、その母がこうは見えても、なかなか緊張し〜でして『公聴会、明日本当のどうしよう』いうことで、もう本当に。うろうろはしていないんですが、たぶん気持ちはうろうろ、うろうろしていているような感じで緊張している訳なんですね。で、『どうしよう、とどうしよう』と言うんですが、一番この中でも本番には強いと言うことで(笑い)、皆様もご覧になったとおり、きっちり伝えることができて、(拍手)

委員長が二人いるんですが、スミス委員長が公聴会が終わった後にある記者のインタビューに答えたところによると、『二十数年間の議員生活の中で、一番感動した公聴会の証言だった。』ということもお話しされているとおり、とても日本国民のみなさんも報道を見てご覧になって感じていらっしゃるように、アメリカの方にも、多くの方がこの事実と人の大切なものを理解をすることができた良い機会であったし、それが世界に発信できたし、それが記録に残ったということは、おおきな意味があったわけです。

その時点ですでに、アメリカで私達に同行してくださった記者の方は、『もう大統領と会うんでしょう』と『裏とれてるんでしょう』と全員質問でくるんですけれども、私達はそうはいってもなかなかわからないですし、前日のイングランド副長官が、直接的言葉もなくはなかったような気もするんですが、『アメリカの最高の関心を持っていますよ』といういい方をなさっていたので、大統領はお忙しい立場の方なので、本当に会えないかもしれませんから、あまりぬか喜びしている立場でも私達はありませんし、そんな人間ではありませんから、会えないかもしれないという前提で、『そんなことは知りませんよ、聞いてません』ということで報道記者の方にはお伝えしていたんですが、ただまぁ、前日の27日夕方、5時50分ぐらいだったと思うんですが、日本大使館の方から、電話をホテルの部屋に頂きまして『決まりました』ということが正式に入って、そうすると、公聴会がやっと終わって肩の荷が下りた、力が抜けた母にですね、第二波の緊張の波がきまして、『どうしよう、どうしよう』ということで、公聴会前のうろうろぶりが更にはやくなってうろうろしているかたちでですね、緊張しまくっていたということが、当日の部屋の中の状況でした。

まぁ、母は先ほど言ったように本番に強いと言うこともあったんですが、私自身もたまたま、今回あの部屋に一緒にしてもらったのは、母と私と言うことだったんですが、緊張しなかった大きな理由というのは、それは、家族会で今回一緒に行った方々、今日お見えになった方もいますけれど、今回ご一緒できなかった有本さんとか、もしくはこれなかった家族会の方々、特定失踪者の方々、いろんな人々の全ての期待を背負っている、その自信と自負があるので、自分が完全に自分自身でない、超越しているような気分になってもう緊張しない(会社にいる方が緊張してるかもしれませんが、これは冗談ですけれども)それくらい普通の気持ちで会うことができたし、あとやっぱりみなさん方に支えられていて、きっとこれをテレビなり、あとでカメラなりでお知りになるだろうということが、本当に勇気を後ろから支えられて押されていると言う気持ちがあって、まぁ母はたぶん当日緊張しなかったと思うんですけれども、とてもフランクな気持ち、状態で、大統領にお会いすることができたと思っています。

当日は実は、私達の家族会と、ハンミちゃんたちと、さきほど西岡先生がお話しされてたキムソンミンさんが大統領執務室の中にご一緒させてもらったんですが、その私達が入る前にアゼルバイジャン大統領がいたわけです。私達が控え室で待っていると、あちらのアメリカのエネルギー庁長官がですね、いらっしゃったり、加藤良三大使が、『緊張しないで楽しむような気持ちでいなさい』とか言って私達にリラックスの言葉を投げかけてくださるような配慮をしてくださり、それでやっとスタッフの女性の方が『今日はビジーですが、順番ですからどうぞ』と言う形で通してくださって、そう言う状況から、母が冒頭、最初に『お忙しい中お時間を割いていただきありがとうございます。』というお礼のを申し上げたところですね、先ほど飯塚副代表がお話ししましたように、『人の尊厳とか、自由とか、そういうものを話せないほど、自分は忙しくないんだ』という言葉を言ってくださったときに、私はこの辛い活動の中で一番嬉しかったし、これほど人間的な瞬間はなかったと思います。

これは、ホワイトハウスのホームページで私達が会った時の写真が今でも掲載されていると思うんですが、会った瞬間の握手を母がしている写真ですけれども、あの時も、8年前、10年前、署名活動、ビラを配っているときに、これは誰が悪いと言うことより、事実として申し上げると、どなたもご関心がなかった、振り向いてくださらなかったあの頃と比較した時に、大統領執務室で私達が、握手ができているということの大きな違いの感動と、大統領とお会いしたときに、『そんな時間はないほど、自分は忙しくないんだ』ということを私達に配慮、もしかしたらあれは本当の気持ちだったと思うんですが、言葉として投げかけてくださったことはとても嬉しかったし、本当にこれは大きなメッセージになったし、北朝鮮が早く悔い改めてほしいなということを思いました。(拍手)

今回母と一緒に部屋にいた時にですね、確かに行く前から体調はすぐれていなくて、周りからも私達家族からも、『今回見送った方がいいんではないか』と言う声もあったんですが、シーファー大使の感触ですとか、今回の訪米が大きく前進できた成果というのは、実はみなさんご存じのように安倍官房長官の、本当に心強い、力強いお支えがあったためで、それが事前に私達も何となく聞こえていたので、それでまぁ母に無理を言って一緒に行った訳なんですね。

部屋にいるとですね、今回右肩が痛いということで、体中がこわばって、さきほど言ったように二回も緊張があったわけですが、本当に母は私達の前でも弱音を吐くことはないんですが、寝返りを打つときの、本人は寝ているんでしょうけれど、寝ながら『痛い痛い』と言いながら寝返りをうっていましたから、本当に家族会の立場では来てほしかったけれども、個人の家族、息子としては、『本当になんでこんなところに連れてきてしまったんだろうな』という辛い気持ちも重なりながら早く両親他、そしてここにいる家族、特定失踪者の家族も含めて、そして一番苦しんでいるのは被害者本人達が、みんなが、早く楽しく、楽になって、笑いあってみんなに報告できる機会が来ればいいなということを、横にベットにいる母を見ながら思ったと言うのが実際でございます。

今回の大統領にお会いすることができたというのは、本当に皆様方のお力添えの、継続的なお力添えの賜、結果だと思ってまして、これをもっと大きなムーブメントに変えていかなければいけないですし、・・・に結びつけて、本当に国際的な輪を主張していかなければ行けないと思っています。

アメリカの多くの方々が言っていたのは、『人権というものは、とても力強いものであり、普遍的なものである』というのはその通りでございまして、この点は韓国がですね、今・・なっているかというと、みなさんもご存じでしょうが、拉致されている被害者の規模から考えても、人間として何をしなければならないのかというのを自分たち一人一人が国境、国民、政治、イデオロギーを超えてですね、親から教えられたことを、自分たちが、何をしなければいけないのかということを彼らも考えて実行して行かなくていけないし、今回私達が大統領とお会いしたときに加藤良三大使が政府を代表する形で、私達をエスコートしてくださったわけですけれど、韓国側には大使も公使もだれもいなかったということは、何を意味しているのかということをですね、もう少し、日本国民の皆様方も、韓国国民の皆様方も、世界国民の世論の皆様方も、注視していく必要があるのではないかなと言う風に思います。

今のがだいたいの行程なんですが、その行程の中で26日だったと思うんですが、実は加藤良三大使の大使公邸で夕食会の機会がございまして、その夕食会の前にレセプションというのがあって、大使公邸に行く前に国家安全保障会議で、先ほどのワイルダー上級部長とかビクター・チャー部長とか、実はレセプションにいらっしゃったんですね。私達はそんな方がまさかいらっしゃるとは思わないので、『どうもどうもありがとうございます』なんて言っていたら、何処かで見たような方がいらっしゃったので日本人の方かな、どなたかなと思っていたら先ほどあった偉い人が歩るかれているんですね。

びっくりして『先ほどありがとうございました』なんて言っていましたら、もっと驚いたのは、後ろ姿でどっかでみたなと思っていたら、だれかなと思っていたら、六者協議のクリストファー・ヒルさんがいてですね、かなり背が高い方なんですが、その方がいて、『六者協議どうですか』など通訳を介して話していたんですが、その時にヒルさんがいうには、この前民間で六者協議みたいなものが日本で開催されて金桂寛と会わずに帰ってしまったということ、ニュースでご記憶新しいと思うんですけれども、あのこと聞いてみたんですね。まぁ、ヒルさんが言うには、『金桂寛は私と写真を撮ることには興味があったようではあるけれども、私はそう言うことはいやなんで帰りました』と言ってまして、完全に北朝鮮側の意向というか、だましの手口というのを見切っている、見透かしているというのが本人から聞いた非公式な場でのことばでして、これはアメリカの心強いものというのをいろんな行間行間で私達に教えてくださったものは大きかったなというふうに思っています。

たぶん、ここにも一部あるんですが、母とクリストファー・ヒルさんが写っている写真というのは、後ほど救う会のほうから、ホームページなり、皆様方に配信されるのかもしれませんが、とても大きな前進ではあったんですが、さきほど増元事務局長がおっしゃったとおり、大統領に会えたことは大きな成果ですが、短期的なことだと思うんです。やはり会えても一人として被害者は帰って来ていないと言う部分では北朝鮮側の不誠実な態度というのは、そのままであるし、全然前進していない。未解決であり、彼らの言うような解決済みと言うような次元では全くないということです。
ですから、大統領にお会いしたことがイベント的でよかったねと言うことで−−<浮かれている>と言葉は使ってはいけないかもしれませんが−−私達誤解してはいけないのは、浮かれている場合ではなくて、これをもっと違うムーブメントに変えて、北朝鮮に対してこの拉致問題を解決するための矢を向けていく必要があると私は思いまして、引き続き皆様のご支援をお願いいたします。

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。


06.5.18 増元照明さん 東京連続集会(7)友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長 訪米報告』

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私は22日から一応訪米しました。
それはなぜかと言うと、実は昨年の7月のフリーダムハウス主催の北朝鮮人権会議がワシントンで開かれて、そのときにお出でいただいた浅野さんと言う方が大沢昭一さんの孝司さんの従兄弟に当たる方ですが、ワシントン在住でもちろん前々から拉致問題には非常に関心があったし、今日の・・・・・・(聞き取れず)という思いがありましたけども。
とにかくワシントンの、拉致被害者家族がワシントンに来た時もサポートする組織を作りたいと、その思いで昨年の秋に作り上げたと報告していました。

昨年の秋にもホワイトハウスの前で集会はやったんですけども、まだ本当に小さい組織でこれから広げていかなければならない。
広げるまでには私は解決すると思っているんですが、でもそういった方たちがアメリカにいるというのは非常に心強いですし、その方たちが今回の朝鮮自由週間と言う、これはさっきご存知のスザンヌ・ショルティーさんと言う北朝鮮自由連合と言う組織の理事長ですが、この方たちの、ノースコリア・フリーダム・ウイークという、一環として最初の22日に日本人、それから韓国系アメリカ人、脱北者 そこで集会をすると言う事でしたので、行かして頂きました。

そこには大沢昭一さんと奥さんと、それから森本美沙さん。
これは山本美保さんの双子の妹さんですが、も、お出でになって訴えらておりました。
市川健一さんもそこにいて、健一さんには修一さんへの思いを読んで頂きましたが、何分にもホワイトハウス前の芝生でやっている小さな集会ですから、日本のメディアがだいぶ来ていただいてはいたんですが。
まだまだこれから大きな集会になるにはちょっと厳しいかなと言う思いもしておりました。
でもそういう集会から少しずつでも広がっていければ良いと思っております。

更に「アブダクション」という映画が22日、それから23日の昼にボストンで行われるという事を聞きまして、そこに私達も行った方が良いだろうということで22日の集会を終えたその足で、30年ぶりにボストンへ行って。
でも余り変わってなかった気がするんですけどね。
良い町です。
そこに行きまして、それで2回ありまして2回とも200人強ですか。
合計500人くらいの人たちが集まってくれました。
3割くらいは日本人、日系の人がいたんですが、アメリカの人たちも結構観てくれています。
あちこちのそういう映画祭で上映されていますので、延べ2000人以上は見てくれています。

更に29日にはカナダのトロントで850人くらい収容できる映画館でやったと言いましたので、そのときソールドアウトしていたと聞きましたので、カナダでもそういう一般の方たちへ拉致と言う訴えが広まって行けば、きっと大きな力になるとは思っておりますけども。
そういった事も含めて、感謝していきたいと思っておりますけども。
残念ながら、このアブダクションは今年中に日本で公開されると言う事は、ちょっと難しいのではないかと思っています。
今度来月なんですけど、限定で今度関係者を集めて上映会を開きたいと言う意向があるようですけども、一般公開するにはまだ多少乗り越えなければならない壁があるようです。

そして24日にワシントンに帰ってきて、長旅の皆さんと合流しました。
アメリカの飛行機と言うのはすぐ遅れる。
ユナイテッド、ボストン8時で9時45分につけば十分間に合うと思ったんですが、それが何か天候のせいなのか8時の奴がすでに3時間遅れていて、それじゃ間に合わないと思って。
朝早く起きたもんですから、飛込みで7時の奴だったら定時で飛ぶからと言って7時から一応乗ったんです。
どうにか間に合って乗ったんです。
でも飛行機の中で2時間くらい待たされまして、何故待たされるのか全然良く分からない。
天候のせいだと言うふうには言ってるんですけど、でもそういうのしょっちゅうですから、アメリカは。
1時間2時間遅れは当たり前ですので、もし時間通り行きたいのだったら列車をつかってください。
でもだいぶ時間がかかりますけども。

どうにか一緒の時間には着いて合流が出来ました。
日本から先ほど言ったように、あの時は政務官二人まだお出でになっていませんでしたけど、外務省それから調整室それから・・・と我々とそして合流させて頂きました。
今回日本大使館の皆さんも早紀江さんの体調を一番目においていましたので、私たち結構アメリカに行ったときはハードスケジュールだったんですけど、2003年は本当にハードスケジュールでした。
けれども私たち行く度に多少スケジュールを入れて頂いてこなしてはいたんですが、今回はもう体調がまず第一だと。
公聴会までとにかく体調を考えて緩やかなスケジュールにしようのがあって、だいぶ考えて頂きましたけど、それでも先ほど言った国防総省、今回は国務省には行きませんでしたね。
NSC(国家安全保障会議)そして公聴会、最後には大統領というメインイベントが、今までに無い重い、これがあったんですが。

それはそれで大統領に会えたのは最終目標と言うか、今回の最終目標は大統領に会うために早紀江さんに無理をして頂いたという事もありますので、それが実現出来て非常に良かったと思っています。
多分大統領にお会い出来ると言うのは先ほど副代表が仰ったようにシーファーさんが半分以上は確信していたんですが、実は昨年の11月に拓也君と私と島田先生がアメリカに行ったときに、当時のNSCの代表のマイケル・グリーンという上級部長に、もう辞められたようですが、その方にもそういう打診はしたんです。
是非大統領にお会い出来る機会は無いだろうか?と言う事は言っておりました。

そのときに大統領の訪日前で、もし日本に来られる時だったらという事だったんですが、結局実現しなかったですね。
でもおそらくシーファー大使が今年の3月、横田めぐみさんの拉致現場に行ったという事は、向こうのアメリカ政府、ブッシュの意向も多少あったのかな?と私は思っているんです。
で、シーファー大使と会って4月の公聴会が行われる時に会う段取りが出来たからと私は思っています。
確信して会えるだろうと思って確信して行ったんですが。
それでもいろいろな安倍さんやそれから平沼さんたちも外務省も、それから日本大使館も皆さんが一緒になってアメリカ政府に掛け合って最後の最後まで秘密にしながら実現できたというのが現実です。

で、公聴会です。
公聴会、これは27日、下院国際関係委員会アジア太平洋小委員会というのがあります。
これはジム・リーチと言うちょっと白髪の声の小さい方なんです。
写真が前もってたんですけど今はちょっと手持ちが無いんでこの委員会の委員長が
もうひとつ国際人権小委員会と言うのがありまして、これはスミスさんと言う委員長なんですが、格からするとジム・リーチさんの方が上なんですが、この二つの委員会、人権とそれからアジア太平洋の中の問題をやるというので、この二つの委員会が共催でやられたようです。
委員長が二人いらっしゃるんですね。

「北朝鮮:人権最新状況と国際拉致」公聴会と言う名前が付いていたようで、早紀江さんの最初の証言の原稿はこれだけの内容だったんです。(原稿の書かれた紙を掲げる)
これをちょっと読み合わせしたら5分では読み切れない。
とても5分では読みきれないということで、この早紀江さんの口調と言うのがあるじゃないですか?
ゆったりと相手に説得するような。
それを早口で言っても何にもならないので、縮めようと言う事でこの半分くらいの量になったんです。
それをまた、これが最終稿。(別の原稿が書かれた紙を掲げる)
これくらいにまとめて5分くらいでまとめてやったのが、寝ないでやった西岡さんとさっき言ったスザンヌさんと、当然拓也君も一緒にやるし、英語の事ですから当然島田先生も。
島田先生酒飲んでましたか?いましたか?(島田氏より「いませんでしたね」の声、会場内小さな笑い声)

島田先生、なにか公聴会前で緊張して自分の義務でということを私に仰っていましたが、私はそれを余り信じていないです。
島田先生酒飲んで・・・(聞き取れず)良いと思ってたんです。(笑い声)
で、本当に西岡さん、大変だったと思います。
いろいろな準備で、特に大統領の面会もそうですが、公聴会も訴えをどうしようかと非常に苦労されたと思います。
通訳のスザンナさんにもお願いしたり、それから山本君にもお願いしたりして、いろいろとその調整もやられたようですね。
皆さんもテレビで御覧になっているように、早紀江さんの口調と言うか訴えるように、私たちは後ろから見ていたんですが、正面を後で見るとやはり写真で見ていても、あれだけで訴える。
言葉が通じなくても訴えられました。

この小委員会に出てきた女性の名前を私ちょっと忘れましたけどその方も泣いておられました。
その女性の方が公聴会で一番最初に話をしたレフコウィッツに対して、「あなた今何をやっているのか?」って、凄い詰問口調なんですよ。
「今この拉致問題にしてどれ位動いている?実働どれくらいなの?一週間どれくらい動いているの?」
殆どたじたじでレフコウィッツが、そして「日本に言った事があるんですか?中国に行ったことがあるんですか?」とまで言って、結局日本にも中国にも来てないのでこいつは、答えられなかったと私は記憶しています。
それ程厳しく追及する女性議員が、早紀江さんの言葉に目頭を熱く涙をされるわけですよね。
それだけ凄い、私たち傍で聞いていてもやはり感動する場面でした。
まずこれがあってやはり世界に訴えられたのではないか?と思っています。

私は28日に帰って来たので、ブッシュ大統領との面会直前に私は・・・(聞き取れず)ものですから。
ただ朝方だいぶ緊張されていたようですが、拓也くんが話してくれると思います。
28日に私はそのまま帰って来ました。
帰って来る時かなぁ?帰って来る時、日本政府の安倍官房長官とそれから小泉総理の談話が載っておりましてね。

これを聞いて安倍長官は、こう仰ってるんですね。
「10年が経過したけれどもいまだに救出する事が出来ないということは、大変私にも重く響いたわけでありまして、我々もしっかりとこれを私たちの責任としてこの問題の解決をしていかないとならないと。
めぐみさんたちをしっかりと取り戻す為、最善の努力をしていきたいと改めて思いました」
っていうのが官房長官のお話です。
28日金曜日10時7分から25分の間。

そして18日午後6時29分から5分間、ぶら下がりインタビューで、
「これはブッシュ大統領が会ってくれれば、米国が拉致問題に重要な関心を寄せているという現れですからね。
世界的な関心ごとになりますね。
拉致と言うのは許す事の出来ない人権侵害であり、これは日本も米国と協力し、そして世界も関心を持って欲しいと。
今後北朝鮮に対して、やはり誠意ある対応を示さなければいかんなぁという、そういう圧力になってくると思いますね。
それを期待しています」
これが小泉さんの言葉です。

非常にガッカリしたというか他人事みたいで残念なんですが、早紀江さんに無理をしていただいてアメリカに行って頂くのも、日本政府にもっとしっかりやって頂かなければならない。
特に小泉さんブッシュに会えばいいはずなのに、そういう思いはあるんですが、もっと当事国の総理としてもっとコメントのしようがあるだろうと私は思うんですけど。
これが非常にガッカリしまして、ちょっと疲れがどっと出てしまいました。
これが私のアメリカの訪米報告です。(拍手)
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