2006年06月30日

06.6.28 川人博弁護士 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(1)衆議院第2議員会館にて

『川人弁護士による裁判報告』

★司会 二瓶弁護士

それではですね。
今日は早めに(裁判が)終わりましたのでこれからですね。
本日の裁判の報告集会を行います。
最初にたくさんの方に傍聴いただきまして、ありがとうございました。
また傍聴できなかった方がおられると思うんですけど、その方についてはこれから今日あったことについてご報告を致します。
一番最初に今日、荒木さんにですね。
尋問をしました川人弁護士の方からお願いします。

★川人弁護士

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どうもこんにちは、川人です。
ちょっと座って話をしたいと思います。
ちょっとすみません、傍聴で中に入れなかった方、ちょっと手を挙げていただけますか?
ありがとうございます。
それでは傍聴された方、少しダブるかもしれませんがご了解ください。

今日はですね。
この裁判が始まってから、初めての証人尋問が行われました。
荒木さんが証人として証言台に立ちました。
時間が約30分という制約がございましたので、原告代理人からの主尋問が約30分という制約がございました物で、非常に重大な問題を30分で証言すると言うのは中々大変なんですけども、荒木さんの方で非常に的確にですね。
分かりやすく裁判長に証言をして頂いた。
その様に思っています。

荒木さんに証言をしていただいたポイントは、大きく分けて二つございます。
ひとつはですね。
この裁判の中で大きな争点になっているのは、国側は政府の認定した被害者であろうと、そうでない政府が認定していない方であろうとですね。
差別はしていないと。
同じようにですね、救出活動に取り組んでいると、こういう趣旨の事をこの裁判では言ってるわけです。

私どもはそうでは無いということで、明確にですね。
政府が認定した被害者の方とそうで無い方の間にはですね。
取り扱いの違いがあるということを主張しているわけですが、その点について最も詳しい荒木さんに事情を説明をしていただきました。

具体的には政府が認定していない被害者の方々についてはですね。
今までも公式にはですね。
何ら北朝鮮にどなたについて聞いたという事についてはですね。
公式には話してないわけです。
唯一例外は過去、藤田(進)さんと加瀬(テル子)さんについて、写真が出てきたときに若干話が出た事はあるんですが、それ以外はですね。
現在に至るまで公式的に、例えば古川さんについては「こうこうこういうふうに北朝鮮に問いただした」とですね。
その様な説明は一切無いわけであります。

更にはですね。
抽象的には30数名について、北朝鮮に問い合わせをしたというふうに言ってるわけですけども、荒木さんの証言の中でもですね。
これらについてもですね。
あくまで安否の確認と言いますか、行方不明の確認という趣旨で日本政府は北朝鮮に聞いているに過ぎないと。
つまり30数名という人については名前もハッキリしないし、且つ安否の確認という事で聞いているに過ぎない。

日本政府が認定した人については帰国をしてもらうという事で、交渉しているわけでありますから、そういう点でも明らかに言い方も含めて違うんだと。
その辺の事を・・・(聞き取れず)の外務省の担当課長と荒木さんとの間のですね。
荒木さんなどとの会談の模様を証言して頂きました。

そしてそれ以外にですね。
当然の事ですけども日本政府は今まで政府認定者以外についてはですね。
パンフレットを作った事も無いしHPに名前を載せた事も無いですし、国連に働きかけた事も無いわけです。
つまり救出活動と呼べるような事は何もしていないわけですが、そういった点についても荒木さんの方から証言を頂きました。
これがまず大きく第一点の尋問でございます。

で、第二点はですね。
荒木さんがソウルに、竹下(珠路)さんと一緒に2002年の12月6日に行きまして、安明進さんと古川了子さんの事について話を聞いた。
その時の模様についてお話をしていただきました。
その時に安明進さんが書いたですね。
絵、ソウルの915病院の図面があるんですけども、それを裁判所に提出しておりまして安明進さんがですね。
かつて古川了子さんを目撃したということについてのですね。
証言の具体的な内容をですね。
荒木さんの方からお話を頂いたということでございます。

そして政府が横田めぐみさんに関しましてはですね。
安明進さんが1997年の2月に目撃したと、安さんが横田さんを目撃したということですね。
1997年の2月には証言をしたわけです。
その3ヵ月後には日本政府は横田さんを認定したわけですね。
そういった経過からも、安さんの証言を重要な根拠にして政府が横田さんの被害者認定をしたわけですから、そういう比較から言ってもですね。
古川さんについて政府が認定しないのはおかしいじゃないか?と、筋が通らないじゃないか?と、そういうことについてご証言を頂きました。

つまり日本政府としてですね。
これだけ明確な安明進さんの証言がありですね。
尚且つ古川さんも失踪経過を含め、非常に疑わしいところがたくさんあるわけです。
そういった点から考えまして、政府が当然認定すべきだと言うお話いただきました。

あと、荒木さんが最後に裁判官の方に言われたのは、この問題についてはですね。
是非裁判所がきちっと判断をしてもらいたいと、司法が役割を果たしてもらいたいという事をお話いただきました。
政府の担当の部署の方はそれぞれ努力をされているけれども、国家が国として拉致問題についてどのようにやって来たのか?という点については様々な疑問もあるわけで、裁判所で初めてく言う形で争われているわけでして、司法の場できちっと役割を果たして頂きたいという趣旨のお話を、証言をしていただきました。

荒木さんの証言が約30分、今私が概略を申し上げました内容で行われましたが、その後国側から反対尋問が行われました。
ただし、反対尋問は約5分くらいでございましたけども、ありました。
この内容はですね。
要は、今年の2月28日に政府はいろいろ説明したじゃないか?と、外務省は荒木さんにご説明したじゃないか?と、そういう趣旨の尋問をしたわけですけども、内容的には先ほどお話した内容の繰り返しでもありまして、いずれにしても大きなですね。
新たな事実なり新たな尋問があったわけではございません。

それから裁判官の方からはですね。
若干一点だけ質問がありまして、これが質問の趣旨がいまひとつ分からないんですが、要は所謂特定失踪者についてのご家族の方、ですね。
奥さんとか子供さんとかそういう方々が、拉致をされている方にはどのくらいいますか?と、そういう趣旨の質問がありました。
これは質問の趣旨がイマイチ分かりませんが、おそらくですね。
推測するには、要は政府がですね。
拉致被害者として認定した場合にはどなたに通知をしたりですね。
する必要があるかと、そういう事に関連した尋問ではなかったか?というふうに思います。

証人尋問に関しましてはですね。
従いまして全て40分くらいで終了いたしました。
今後の進行に関しましてはですね。
裁判所の方から進行協議期日と申しますが、裁判をどういう進行をするか協議をしたいと言う期日を7月に設けたいと言う事で、7月の18日の午後4時に進行の協議期日が入りました。
これは一応訴訟の形としては非公開となっておりまして、双方の代理人のみが出廷して今後の訴訟の進行について協議する事になります。

私ども原告側からはですね。
法廷でもですね。
是非安明進さんの証言を聞いてもらいたい。
更に原告本人竹下さんの証言も聞いてもらいたい。
あるいは増元さんの証言も聞いて頂きたいと言う事を今日改めて申し上げました。

今後ですね。
18日に証人尋問をどうするか?という事を含めて、あるいは訴訟全体についてどのように進めるかという事が、話し合われることになっております。
以上でございます。
どうもありがとうございました。

★司会 二瓶弁護士

あの、ちょっと付け加えますと、進行協議という事で7月18日に入ったんですけども、それより裁判官からですね。
状況を見たなかで、こちらからはですね。
証人を誰と誰を採用されたいと強く要請したわけですけども、それについては若干気になるような事を言ったんですね。
という事は今後新証言も、これ以上証人尋問しないでと言う事も含めてですね。
その辺も大変気になると、決して、そういうこともありうると。
それをいかに撥ね付けていくかということがですね。
これからの一番の・・・(聞き取れず)ということで、私の感じとしましては次回の進行協議が極めて重要であると言うふうに感じました。

後引き続きましてですね。
今日大変落ち着いて分かりやすく証言して頂きました、調査会の荒木さんの話。
証言についての感想をお願いします。

★古川了子さん第6回行政訴訟&報告会 テキスト一覧表

06.6.28 東京地裁&衆議院第二議員会館にて

※証人尋問要旨 東京地裁606号法廷にて

1 古川了子さん第6回行政訴訟〜〜荒木和博氏の証人尋問要旨〜〜 レポートその1
http://piron326.seesaa.net/article/19971867.html

2 古川了子さん第6回行政訴訟〜〜荒木和博氏の証人尋問要旨〜〜 レポートその2
http://piron326.seesaa.net/article/19972018.html


※報告会テキスト 衆議院第二議員会館にて

3 『川人弁護士による裁判報告』
http://piron326.seesaa.net/article/20076771.html

4 『荒木和博氏のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20106363.html

5 『竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20106449.html

6 『飯塚繁雄さんのお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20170086.html

7 『森本美沙さん(特定失踪者・山本美保さんの妹)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20218659.html

8 『岡田和典 特定失踪者問題調査会理事のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20218775.html

9 『藤野義昭 法律家の会共同代表のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20218836.html

10 『木村晋介 法律家の会共同代表のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20218915.html

11 『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20255208.html

12 『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20255272.html

13 『特定失踪者・宮本直樹さんのお兄さん・お母さんのお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20255358.html

14 『特定失踪者・寺島佐津子さんのお母さんのお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20255428.html

15 『高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20255494.html

16 『内田三津夫さん(寺越昭二さんの三男)のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/20342315.html

※調査会記者会見より 衆議院第ニ議員会館にて

17 『荒木和博氏〜〜調査会記者会見より』
http://piron326.seesaa.net/article/20342364.html
posted by ぴろん at 22:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

崔成龍氏を笑える日本人はいるのか?・・・金英男さん親子の再会劇を見て その3

かつて寺越武志さんの生存が明らかになったとき、安易に北朝鮮へ両親が息子に会いに行く事の危険性を察知していた日本人って一体何人いるのですか?
それが今回の金英男さん親子の再会劇に伴う、崔成龍氏に対する批判の声に関しての率直な私の思いです。

親子の情を引き裂く権利など誰にもありません。
28年も離れ離れの息子が生きていると知って、万難を排して一目会いたいと思う母の心に水を差すなど誰にも出来ない事なのです。
韓国人における肉親同士の結びつきは、日本人の考える以上に強い物があると聞いています。
それに韓国は儒教の影響が強い国。
年長者のいう事に対して目下の者は良くも悪くも絶対服従ですから、崔成龍氏も何はともあれ、年老いた母の意思を尊重し、まずは親子の再会をなりふり構わず最優先しようと思ったとして、韓国人的に考えて一体どこに問題があると言えるのでしょうか?

北朝鮮の影響下での再会が後々禍根を残す事を、彼はどこまで知っていたのか?
それは私にも分かりません。
しかし、ともかくも北朝鮮の誘いに乗って親子の対面を果たすとなれば、北朝鮮のお気に召すような言葉ばかりを並べ立てる必要はある。
つまり日本にとって聞き捨てならない言葉、横田夫妻や日本国民の神経を逆撫でするような言葉ばかりが崔成龍氏の口から出てくるのは当然の事だと思います。
だが彼の発する言葉の矛先はあくまでも北朝鮮に向いているのであり、その言葉を日本がどう受け止めるか?などは二の次の問題ではなかったか?
けれど日本の世論は彼の刺激的な発言に反発し、激しい批判の声が続出しました。

私は昨年秋の東京連続集会で、崔祐英さんと共に救う会主催の集会に参加し、何の問題も無く登壇してお話をする崔成龍氏を間近に拝見しています。
例えその集会での崔成龍氏の態度が心と裏腹の表向きの演技だとしても、たった半年で手のひらを返したように救う会批判、崔祐英さん批判に及ぶ彼の心の変遷がどうしても納得できないのですね。
そこにはきっと彼なりの思惑なり考えなりがあるのではないか?
だから、私は崔成龍氏の物言いについて、ときに感情的と感じるほどの強い批判の声が出ることに、どうしても違和感を感じてしまうのです。
怒りに駆られて視野を狭める前に、彼が北朝鮮に対して急におもねるようになった理由を、こちらも冷静に考える事が何よりも大事ではなかったか?と私は思うのですけれど。

かつての日本も今の韓国を笑えないほど、政府も国民も体たらくでありました。
たまたま9・17があり金正日自ら日本人拉致を認めた事で、日本人は韓国の方々よりもほんの少し先に目覚めただけに過ぎない。
かつて日本が通ってきた道を韓国も後追いをして通ってきただけなのです。
それに韓国よりは多少マシとは言え、日本の対北朝鮮の態度はまだまだ生温いのも現実。
そんなに偉そうに日本も韓国に対して威張れた物ではないでしょう。

それと金英男さん崔桂月さん親子には少し酷な言い方かもしれないが、人間身を持って体験し、転んで怪我をして痛みを感じないと分からないこともあるということなのかな?という思いで、私は今回の再会劇の成り行きを見ています。
そうであれば再び崔成龍氏との情報交換を含め、日本と韓国の共闘の余地はあるのではありませんかね?
なによりも今回の金英男さんの問題を、たった一回の再会劇で終わらせない為にも、韓国側も拉致問題の本質について深く学んでもらう必要はある。
そこのところ、一足先に目覚めた日本の側にも果たせる役割という物はあるのではありませんか?
韓国が目覚めてくれれば、日本人拉致被害者救出運動にとってもプラスになることは間違いが無いのだから。

そういう意味でも日本の側が嫌韓感情に溺れている場合では無いと私は思っています。
本気で被害者を救うのならば、私たちは常に冷静にそして強かであるべきだと思います。

・・・・・・・・・・
参考リンク

★朝鮮日報より
「会見は北の政治ショーに過ぎない」
posted by ぴろん at 13:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私たちが想像しておくべきこと・・・金英男さん親子の再会劇を見て その2

「福留貴美子さん拉致事件を考える集い」より
荒木和博氏の講演から一部抜粋
http://piron326.seesaa.net/article/19617425.html

だから拉致被害者が何となくイメージとして、無理矢理つれて行かれて、何とか日本に帰りたいと思ってですね。
ただじっとしていると言うふうに思うイメージを思い描いていると、後でおそらくそれと現実のギャップがですね。
相当違った物が見えてくると。
その時に我々騙されたとか言う事をですね。
なってしまうと、これは拙いです。

そうじゃなくて、ああいう国の中にいるんですから、当然そういうことをさせられたと言う事はあるわけで。
それが例え半分くらい本気で彼らがやっていたとしても、それをですね。
最終的に我々は全て悪事を働いていたと言うような見方をする事は出来ないであろうと、言うふうに思うわけでありまして、その点をどうかご理解を頂きたいと思います。
福留さんの事件はまさに、そういう事件のひとつの象徴であります。

※太字は管理人による

荒木氏のいう「そういうこと」とは当然、「北朝鮮の利を適えるための工作活動全般」を指すのは改めて指摘するまでもない事です。
今回の金英男さんと崔桂月さん親子の再会劇を見て、真っ先に私が思ったのはこのこと。
少し自分の思うところを以下に書き綴ってみようと思います。

金英男さんは明らかに北朝鮮の工作活動に従事させられている人です。
将軍様マンセーのカルト国家で生き延びる為に、彼は自分の心を殺して自分の人生を翻弄した憎い敵、金正日のために忠誠を尽くさねばならないのです。
こんな悲劇が他のどんな世界にあるというのでしょうか?

この非情な現実が、どれだけ英男さんの心を苦しめたか?
平和な国で自由な生活を貪っている自分には、彼の苦悩を想像する事は到底出来ません。
顔色ひとつ変えず涙を流す事さえ許されない状況で、淡々と母との対面を済ませ、見え透いた嘘だらけのシナリオに沿った記者会見に臨む英男さんの姿に、今も息を潜めるようにして生きている日本人拉致被害者の姿を重ね合わせてしまいます。

金英男さんの心中を思うとき、彼の発する偽りの言葉一つにいちいち過剰に反応しても仕方が無いと私は思う。
いくら北朝鮮で心を殺して生きてきたとは言え、28年ぶりの母との再会に心を揺さぶられない人などいるでしょうか?
ましてや彼はよど号グループのように自らの意思で北に渡った人ではないのです。
ある日突然無理矢理に北朝鮮に拉致され、誰も頼る人も助けてくれる人もいない中で、必死にこの28年生き延びてきた人なのです。
大事な事は、本来金英男さんが持つであろう人間らしい心を奪い、自由を奪い、彼を生きた屍に仕立て上げた北朝鮮の本質そのものに怒りを向ける事だと思う。

北朝鮮に拉致された何百人もの日本人も、おそらく金英男さんと同様に、生きるために自分の心を殺しているはずです。
自分の心を殺し過ぎて頭がおかしくなってしまった人がいるかもしれません。
あるいは自分の心を殺す事を拒み続けて命を奪われた被害者だっているかもしれません。
望まない相手と強制的に結婚させられたり、子供を産む事を強要された人だっているかもしれない。
偽ドル作り、麻薬作り、核兵器やミサイルなどの製作現場に組み込まれている被害者もいるかもしれません。

平和ボケ日本人の想像力では到底及ばないようなありとあらゆる無理難題を甘受し、涙を流す事さえも封印して彼らは今も生きている事を思うと、私はなんとも言いようの無い重苦しいまでの不快感を覚えるのです。
北朝鮮で生きると言うことは、どんなに理屈の通らない不条理な指示であっても粛々と従わねばならない、という事。
将軍様の意思に逆らうえば命の無くなる国で生き延びるとはどういうことなのか?
今回の茶番劇の向こう側に見える北朝鮮という国の持つ病理を、私たちはしっかりと直視しなければならないのでは無いでしょうか?

今現在帰国を果たしている5人の被害者は、おそらく拉致被害者の中でも比較的恵まれた環境にいた人たちではないか?と私は思っています。
おそらく、彼ら以上に過酷で残酷な環境に置かれた被害者が相当数いるものと私は思う。
北朝鮮が日本への「一時帰国」を認めるに当たっては、当然向こうも日本からの反発が一番少ないと思われるモデルケースを選抜した、と考えるのが妥当では無いでしょうか?
被害者奪還というパンドラの箱を開けたとき、そこには私たちが直視するには余りにもむごすぎる現実が、おそらくあるはずなのです。
それを我が事として受けとめて、帰国を果たした被害者のフォローも含めて、ありとあらゆる現実に私たちは対処する準備は果たして出来ているのでしょうか?

今回の茶番劇に怒りを持つのは、日本人として当然の感情です。
でもその怒りを向ける先を決して間違えてはいけない。
昨日のエントリーにも書きましたが、敵はあくまでも金正日体制そのものなのです。
彼のハリボテのご威光とやらを守るがために、たったそれだけのために、多くの罪も無い人間の人生が翻弄されている。
その不条理こそに、私たちの怒りの矛先は向かうべきだと私は思います。

明らかに北朝鮮は病んでいます。
将軍様に逆らえば命のなくなる国。
自分の心を殺し、生きた屍にならねば生き延びられない国。
それが北朝鮮という国の本質なのです。

この国から全ての拉致被害者を取り返すために、私たちは戦わねばならない。
この異常な国家から被害者を取り返さなければならない。
そのために私たちに求められる覚悟とは何なのか?
今回の金英男さん親子の再会劇を見て、ただ怒りに震えているだけでなく嫌韓感情におぼれているだけでなく、もっと真剣に深刻に深いリアリティを持って、北朝鮮の現実をまずは直視するべきではないでしょうか?
posted by ぴろん at 12:27| Comment(0) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

敵を見失わない冷静さと強かさを・・・金英男さん親子の再会劇を見て

余りにも想定どおりの茶番劇でしたね。
こんな小手先の三文芝居で今更日本の世論は揺るがないと思いましたが、こちらも予想通り、今のところ日本の世論は比較的冷静にこの事態の推移を受けとめているように思います。

それにしても、なんと言いますか。
どうせ芝居を打つならもうちょっと頭の良いやり方はないんでしょうかね?
よほどの大馬鹿でもなければ、あの猿芝居が日本の世論に通じるかどうかくらい、判断は付きそうなものだと思いますが。

ま、結局の所、コジツケであろうと真っ赤な嘘であろうと、北朝鮮の偉大なる将軍様の意向に添うシナリオであればなんでもかんでも有りなのでしょう。
北朝鮮の繰り出す嘘などどれもこれもそのレベル。
金英男さんの記者会見も、日本の世論の懐柔策というよりはですね。
如何に金正日将軍様へ向けて忠誠を誓うか?どう言い繕えば将軍様のお気に召すか?と考えて、恥も外聞も無くある事ない事口先からありったけのでまかせを並べ立てている・・・と私には見えましたが。

あの記者会見をするために、金英男さんは一体どのくらいリハーサルをしたのでしょう?
彼を監督する監視人たちは、どれ位知恵を絞って将軍様受けをするシナリオを練り上げたのでしょうか?
彼らの眼中には横田夫妻への気配りなど、そもそも初めから存在しないのです。
横田夫妻の怒りや悲しみは私にも十分想像が出来ますが、世論の側が目の前に繰り広げられる現象だけに囚われて、頭に血を上らせると物事の全体像を見失いかねないような気がします。
彼らの中にあるのは、ただただ将軍様のご機嫌を損ねたく無いと言う、新興宗教張りの媚びた忠誠心だけなのではないでしょうかね?
ですから、彼らの発する安っぽい台詞にいちいち過剰反応するのも馬鹿馬鹿しいと、私なぞは思ってしまうのですが。

余りの低レベルな対応にあきれ果てると共に、こういう茶番が大手を振って通用してしまうという、北朝鮮社会が抱える病理の深さに改めて言いようの無い強い不快感を感じています。
この再会劇を韓国世論がどう受けとめてどう反応するかはもう少し様子を見なければなりませんが、いずれにしても日本は今後も断固たる姿勢で、「拉致被害者を全員返せ!」の声を上げ続けなければなりません。

が、ネット上を一回りすると怒りや苛立ちの余り、崔桂月さんと金英男さん親子、あるいは拉北者家族会代表の崔成龍氏に対する風当たりは相変わらず強いようですね。
その気持ちも分かりますが、彼らに対して苛立ってもどうにもならないのも拉致問題の現実であろうかと思います。
私個人としても例えば崔成龍氏の一連の言動には心に引っかかる物があります。
が、彼の言動をあげつらって「だから半島人は駄目だ」とか、「日韓連帯など時間の無駄」などと嫌韓感情をあらわにし、ひとつ駄目なら全部駄目とばかりに韓国をバッサリ切るのも、本気で拉致問題を解決する上では賢明な判断なのかな?と私は思う。

日韓連帯と言っても何も仲良しこよしでべったり張り付くように連帯する必要は無いし、そんな形での連帯など韓国の国情を考えたらハナからできっこないのは周知の事実。
それでも韓国のNGO関係者を通して入手できる情報その他、拉致問題解決のために日本が韓国を利用できる所もあるわけです。
だから、ここで怒りの余りに韓国を切って捨て、日本単独路線を追求するのは賢明だとは私には思えない。

私たちの怒りはあくまでも諸悪の根源、金正日に向けるべきではないでしょうか?
そのために手を取り合えるところは、例え韓国の関係者であっても強かに手を取り合って、良い意味でこちらも利用すれば良いと思っています。
それくらいの気迫なり計算なりが日本の側にもなければ、すべての拉致被害者を取り戻すことなど到底出来るはずも無いとは思いませんか?

・・・・・・・・・・・
過去参考エントリー

★金英男さんご家族の訪朝・再会の報を受けて
http://piron326.seesaa.net/article/19022915.html
posted by ぴろん at 00:10| Comment(0) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月29日

速報 古川了子さん第6回行政訴訟報告会より 家族の声

昨日東京地裁で行われた古川了子さんの拉致認定を求める第6回行政訴訟の報告会より、家族の声を速報いたします。
遅々として進まぬ裁判への思い、あるいは拉致被害者を救う気があるのかどうか中々見えない政府の姿勢に対する不満など、家族の悲痛な声にどうか耳傾けて欲しいと思います。

会場のマイク音声が悪く、やや聞き取り難い所もありますが悪しからずご了承ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「古川了子さん拉致認定を求める第6回行政訴訟報告会」より

06.6.28 衆議院第二議員会館にて

★竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)



★森本美沙さん(特定失踪者・山本美保さんの妹)



★生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)



★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)



★内田美津男さん(寺越昭二さんの三男)

posted by ぴろん at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月28日

古川了子さん第6回行政訴訟〜〜荒木和博氏の証人尋問要旨〜〜 レポートその2

★川人弁護士
国連への働きかけをするとき、政府認定被害者には外務省の職員が同行しています。
未認定被害者の同行はありましたか?

★荒木氏
ありません。

★川人弁護士
交通費は出ているのでしょうか?

★荒木氏
政府が被害者を招聘した場合は出ていると聞いています。

★川人弁護士
未認定被害者に交通費、遠方からの場合は宿泊費もですが、それは出ているのでしょうか?

★荒木氏
ありません。

★川人弁護士
安明進さんの「北朝鮮拉致工作員」は読んだ事がありますか?

★荒木氏
あります。

★川人弁護士
1991年8月に、915病院で日本人女性に会った事があると書いてありますが、これは9月17日の訪朝前のことですか?

★荒木氏
以前です。

★川人弁護士
千葉の古川さんの事だと分かっていましたか?

★荒木氏
分かっていません。

★川人弁護士
915病院で安さんが会った女性が古川さんだと分かった経緯を教えてください。

★荒木氏
古川さんのご家族がフジテレビに連絡を取り、信友ディレクターが安さんに写真を見せて確認をしました。
その時点で名前までは知りません。

★川人弁護士
写真を安さんに見せたのは、9.17以前ですか?

★荒木氏
はい。

★川人弁護士
2002年12月6日、安明進さんに会うためにソウルに行ったのは誰と誰ですか?

★荒木氏
古川さんのお姉さんと、信友ディレクターと私です。

★川人弁護士
その目的はなんですか?

★荒木氏
安さんに直接会って、確認をするためです。

★川人弁護士
安さんに古川さんの写真を見せたのですか?

★荒木氏
アルバムを持参しまして、その写真を見てもらいました。

★川人弁護士
古川了子さんと、915病院の女性は似ているのですか?

★荒木氏
はい。
私と竹下さんがホテルの部屋で待っていました。
安さんが部屋に入ってきて、驚いていたのが印象に残っています。
お姉さんの竹下さんが女性の顔と良く似ていると証言をしました。

★川人弁護士
安さんは横田めぐみさんを見たと証言していますか?

★荒木氏
はい。

★川人弁護士
それはいつ頃ですか?

★荒木氏
H9年2月3日、衆議院議員・・・・(書き取れず)の1〜3日後だったと記憶しています。

★川人弁護士
横田めぐみさんの拉致認定はH9年5月1日、安さんの証言より3ヶ月後ですね?

★荒木氏
はい。

★川人弁護士
影響はあると思いますか?

★荒木氏
そう思います。

★川人弁護士
安さんがはっきり見たと証言したのは他に誰がいますか?

★荒木氏
市川修一さんです。

★川人弁護士
認定されていますか?

★荒木氏
はい。

★川人弁護士
安さんが目撃しているのは他に、増元さん、蓮池さん、田中実さん、加藤久美子さん。
彼らについて、その後拉致でなかったと言う事実は判明していますか?

★荒木氏
していません。

★川人弁護士
古川さんの拉致認定を求める根拠はなんですか?

★荒木氏
拉致以外の可能性が考え難い事。
安さんの目撃証言、この二つです。

★川人弁護士
安さんはこの裁判を傍聴した事はありますか?

★荒木氏
あります。

★川人弁護士
安さんに証人として出廷してもらう事は可能でしょうか?

★荒木氏
可能です。

★川人弁護士
最後にこれだけは言っておきたい事を述べてください。

★荒木氏
今日は後ろの傍聴席に家族がたくさん来ています。
もう何人もの方が亡くなっています。
この問題の解決を政府にだけ任せてはおけない。
もちろん担当の人は一生懸命やっています。
しかし、行政が進めるには司法の判断が必要なのです。

★川人弁護士
司法の判断というのは判決の事ですか?

★荒木氏
そうです。

・・・・引き続き被告側証人尋問・・・

★被告・国側代理人
H18年2月28日、日朝協議で1000番代リストを提出したと言う説明はありましたか?

★荒木氏
言葉として1000番代リストを入れたと、言う言葉は私は聞いていません。

★被告・国側代理人
家族の要望があれば必要な説明はするという説明はありましたか?

★荒木氏
ありました。

★被告・国側代理人
在京の1000番代リストの家族には調査会を通して伝えると言う話は聞いていますか?

★荒木氏
はい。

★被告・国側代理人
それはどのように伝えましたか?

★荒木氏
調査会ニュースというメールニュースで伝えています。

・・・原告側より補足の質問・・・

★原告側代理人
特定失踪者、460人。
その後も人数は増えているのですか?

★荒木氏
はい、そうです。

・・・裁判官より質問・・・

★裁判官
田口八重子さんの通知は飯塚繁雄さんに行っている。
ご本人とどういう関係の人に通知が行くのですか?

★荒木氏
家族の中で両親・きょうだいなど、一番近い人に通知すると認識しています。

★裁判官
被害者の中で、奥さん・子供がいない人はどのくらいいますか?

★荒木氏
正確に数えた事はありませんが、3分の2くらいはいると思います。

・・・証人尋問は以上で終了・・・

この後、次回の予定を決める。
原告側弁護士より、安明進さん・原告の竹下珠路さん・増元照明さんの3名の証人尋問を裁判所に強く要請して、本日の法廷は終了。

古川了子さん第6回行政訴訟〜〜荒木和博氏の証人尋問要旨〜〜 レポートその1

6月28日、東京地裁で開催されてた古川了子さん拉致認定を求める第6回行政訴訟を傍聴してきました。
本日の裁判では調査会の荒木和博代表が証人として、法廷で証人尋問をしましたので、その内容をこれからご紹介したいと思います。

ただし、皆さまご存知のように法廷内は録音は録れませんので、今回のテキストは手書きのメモによる発言起こしとなります。
プロの速記者のように完全に発言の内容を追いかける事は出来ませんでしたが、尋問の7割くらいは発言内容を拾えたと思います。
言葉尻や細かい表現が微妙に違うと思いますが、だいたいこういう感じのやり取りがあった、というざっくりとしたレポートということでお読み頂ければと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
06.6.28 東京地裁 606号法廷にて

※証人の荒木氏入廷、宣誓の後、裁判長から2〜3注意事項の説明があり、証人尋問開始。

・・・原告側証人尋問・・・

★原告側代理人 川人弁護士
甲27号は荒木さんの陳述書ですか?

★荒木氏
はい。

★川人弁護士
署名捺印は間違いありませんか?

★荒木氏
間違いありません。

★川人弁護士
平成14年、特定失踪者問題調査会の代表になられたそうですが、現在も荒木さんが特定失踪者問題調査会の代表である事は間違いありませんか?

★荒木氏
はい、間違いありません。

★川人弁護士
調査会の目的を説明してください。

★荒木氏
主に政府が認定していない拉致被害者についての真相究明と政府認定を求めるのが目的でございます。

★川人弁護士
調査会が活動する理由はなんでしょうか?

★荒木氏
私が朝鮮問題の専門家である事。
また、政府の動きだけでは被害者を救う事が出来ないと考えたからでございます。

★川人弁護士
甲○○(=調査会作成のポスターの事)、たくさんの写真が載っていますが、これは調査会で作ったものですか?

★荒木氏
はいそうです。

★川人弁護士
他にもいるのでしょうか?

★荒木氏
非公開で200人くらいいます。

★川人弁護士
全部で何人くらいいるのでしょうか?

★荒木氏
合計460人になります。

★川人弁護士
460人の中に1000番リストの人はいますか?

★荒木氏
はい、います。

★川人弁護士
1000番台リストとは何でしょうか?

★荒木氏
様々な状況を調査した結果、拉致の可能性が高い人を1000番台リストと言います。

★川人弁護士
1000番台リストは何人いるのでしょうか?

★荒木氏
34人います。

★川人弁護士
古川了子さんもその一人ですか?

★荒木氏
はい。

★川人弁護士
救う会にも認定はされていますか?

★荒木氏
はい、されています。

★川人弁護士
政府は16人を認定していますが、古川了子さんとでは扱いは同じですか?違いますか?

★荒木氏
違います。

★川人弁護士
甲第12号、これは政府が飯塚繁雄さん宛に出した通知書です。
田口八重子さんを拉致被害者認定したという通知ですが、政府認定以外の人に通知はあるのでしょうか?

★荒木氏
一切ありません。

★川人弁護士
政府が作ったパンフ等に認定被害者以外の名前が宣伝・広報された事はあるのでしょうか?

★荒木氏
ありません。

★川人弁護士
写真が一人増えていますが、これは誰でしょうか?

★荒木氏
田中実さんです。

★川人弁護士
田中さんは、この裁判開始後の認定でしょうか?

★荒木氏
そうです。

★川人弁護士
2月28日、外務省の担当課長と会った事はありますか?

★荒木氏
はい、あります。

★川人弁護士
その担当課長の名前は何という名前ですか?

★荒木氏
イトウナオキさんです。(漢字表記不明)

★川人弁護士
他に誰か同席した人はいますか?

★荒木氏
調査会からは真鍋さんと杉野さんが同席しました。

★川人弁護士
その面会は、外務省から言って来たのですか?それとも調査会から要望したのですか?

★荒木氏
調査会から要望をしました。

★川人弁護士
認定・非認定についてどう話していましたか?

★荒木氏
(証言、書き取れず)

★川人弁護士
政府認定は生存を前提に帰還を求める。
非認定は安否確認を求める、ということでしょうか?

★荒木氏
そうです。

★川人弁護士
マスコミ報道では日朝交渉で日本側からは30数名の安否確認を求めたと出ていますが、具体的に誰の安否を確認したのか説明は受けていますか?

★荒木氏
具体的な説明はありません。

★川人弁護士
誰について安否確認をしたのか、分からないという事ですか?

★荒木氏
はい。

★川人弁護士
日朝協議についての説明はありましたか?

★荒木氏
ありません。

★川人弁護士
話が少し戻りますが、2回目の総理の訪朝以後、何か説明はありましたか?

★荒木氏
特別なケース以外ありません。
北朝鮮から写真が出た藤田進さん・加瀬テル子さんについては、こちらから求めて説明を受けた事はあります。

★川人弁護士
古川了子さんに関して、古川さんの名前を出して安否確認の説明はありましたか?

★荒木氏
公式な説明はありません。

・・・レポートその2へ続く・・・

ABDUCTION〜拉致〜 横田めぐみストーリーを観て来ました

85分の上映時間の間に、よくもこれだけ簡潔に分かりやすく拉致問題の本質について迫れた物だ、と言うのが率直な感想です。
お疲れの家族に代わって、この映画を何とか一般上映して欲しい。
イデオロギーだの主義主張だのといった理屈を超えて、見る者の心を揺さぶる作品であったと思います。

印象に残ったシーンはたくさんありますが、9・17以前の多くの日本人がまだ拉致に無関心だった頃の街頭活動の場面が心に残りました。
声を枯らして訴えても誰も振り向かず、チラシも受け取ってもらえず、署名板を叩いて、「こんなの駄目!」と吐き捨てるような言葉を投げつけて通り過ぎるひとりの老婦人・・・

私はこの老婦人を笑えません。
だって、私もこの老夫人同様に、長い事この問題の存在を見逃しつづけ、無関心のままでのうのうと平和を貪って過ごして来たのだから。

家族揃って小川宏ショーに出て、めぐみさんの情報を求める若き早紀江さんの訴えの様子。
両親の後ろにちょこんと座る拓也さん哲也さん兄弟の、余りにも幼い表情。
横田家がどれだけ長い時間苦しみ続けてきたのかを、これほど雄弁に語る映像も無いでしょう。

そして家族会を立ち上げた時の、当時の記者会見での家族会の面々の顔があまりにも若いのです。
無常の年月が彼らの人生の上をどれほど残酷に過ぎ去っているかが、どんな言葉よりも映像の力が雄弁に訴えかけてくる。

その雄弁な言葉たちは、そのまま自分への矢印となって胸に突き刺さるのです。
家族がこれだけ苦しんでいる間、では私は一体何をしていたのか?と。

私を含めて多くの日本人は何十年もの長きに亘ってこの問題に無関心でありました。
映像を見ながら、本当に情けなく腹立たしい思いに駆られました。
家族の苦しみを放置してきた自分が情けなくて悔しくて、涙は後から後から溢れて止まりませんでした。

なぜ?こんなに多くの人が拉致されているのに、家族は苦しんでいるのに、政府は腰を上げないのでしょう?
毅然とした態度を取れないのでしょうか?
国民はいつまでぼんやりと他人事のように無関心のままでいるのでしょうか?

これ以上拉致に無関心である事は、人間として卑怯なことではないんでしょうか?
一刻も早い問題の解決を、被害者の帰国を心から願ってやみません。
posted by ぴろん at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月26日

06.6.3 高沢皓司氏メッセージ紹介他 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(10)藤沢産業センターにて

『参加議員の紹介、高沢皓司氏からのメッセージ紹介、閉会の辞』

★司会 高橋氏

本日は神奈川の議員が自治体から駆けつけてくださいましたので、ご紹介をさせて頂きます。
藤沢市議会議員・三野由美子先生。(立ち上がって会場に会釈、拍手)
ありがとうございました。

本日この集会にですね。
この福留貴美子さんの問題を初めて取り上げられた、こちらに「宿命」という本がありますけども、この本を書かれたジャーナリストの高沢皓司さんからメッセージを頂きましたので、紹介をさせて頂きます。

★高沢皓司氏からのメッセージ(代読:高橋氏)

本日の福留貴美子さんの拉致問題の集会について、こうしてお集まりくださいました皆様に心からの激励を送りたいと思いますと同時に、本日の集会を実行まで努力をしてくださった様々な方々、横田滋さん・横田早紀江さん・荒木先生・救う会神奈川の方々はじめ、皆様に御挨拶申し上げたいと思います。
と言いますのも、もう何年も前、限られた条件の中でジグソーパズルの駒を捜すようにして、この条件に合致する人間がどこかに必ずいるはずだと。
それだけを信じて四国の山中を捜しさ迷い歩いていた頃から考えますと、まさに隔世の感があり、本日の集会を実現してくださった方々には感謝の言葉も無いくらいありがたい事だと思っております。

★司会 高橋氏

このようにメッセージを頂きました。
高沢さん、どうもありがとうございました。(拍手)
続きまして事務局よりお知らせ、並びに閉会の言葉と致します。

★川添友幸 神奈川救う会会長 閉会の辞

本日は長時間、講演ありがとうございました。
福留さん中心にした集会、是非、私も良かったと思います。
今後も拉致の問題続くと思いますけど、宜しくご協力できればと思っております。
次回のお話なんですが、今回も講演いただきました増元さんに来月の7月の8日にこちらの方で講演を行おうと思っています。
増元さんと寺越昭男さん、内田美津夫さん、特定失踪者問題調査会から真鍋さんに来ていただこうと思っております。
あとですね。
北朝鮮難民救援基金さんの方にお願いして、脱北者の方にですね。
今交渉をしております。

ちょっとまた、昨年の7月こちらでやったときには頭巾みたいのをかぶって確かやったと思うんですが、また今回もそんな形になるんじゃないか?
まだ身の危険を感じている方、という話を伺っていますので。
講演会を行おうと思っておりますので、7月の8日、こちらではなくて上方のラウンジ、6階のラウンジの方になると思いますのでですね。
またご参加できればと思っております。
今日、長時間本当にありがとうございました。(拍手)

それでいつものお願いなんですが、ボランティアでやっておりますので、もしお心のある方いましたらカンパ箱がありますので、そちらの方のご協力お願いします。
本当に今回ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・
posted by ぴろん at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.6.3 パネルディスカッションその3 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(9)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その3』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次は野村さんにお話をして頂こうと思ったのですが、今日ですね。
兵庫から特定失踪者調査会の理事である岡田和典さんが来られましたので、ちょっと一言だけ御挨拶をしていただこうと思います。(拍手)

★岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

Img_1683.jpg

こんにちは。
えっとですね。
今日は野村さんもお見えでございますので、ちょっとだけお話をさせて頂きたい。
飛び入りで恐縮でございます。

野村さんのお書きになった本の中にも書いてある事なんですけども、私は神戸市です。
それも灘区というところで、今出ておりますSAPOIを御覧になった方はですね。
灘区周辺でですね。
拉致に関係する物が余りにも多いというような地図入りの、袋綴じじゃないんですけども(笑い声)、一番最初のページに出ています。

あれは恵谷さんと一緒にずっと回ったんですけどもね。
実は有本恵子さん。
当時ですね。
通っておりました学校がですね。
神戸市立の外国語大学なんですね。
ここから200メートルほど山側の方に行きましたところにですね。
神戸にはもう一人の拉致認定者がおりましてですね。
田中実さん。
養護学校がこの200メートルほどしか大学と離れていないんですね。

その上へ持ってきてですね。
有本恵子さんがですね。
通っておりました神戸外国語大学、有本さんは一部・二部の二部の方ですね。
所謂、我々の年代で申しますと夜間と申しましてですね。
夜の方に行ってたわけですね。
当然ですね。
当時の所謂ローテーション、シフトを見ておりますと、大学の先生方というのはですね。
一部担当と二部担当とに分かれていたようでございます。
これも私も少しばかり調べました。

その二部の担当のですね。
国際法というところにですね。
現在、金正日著作研究会連絡協議会の代表世話人、これが二人、鎌倉孝夫ですかね。
これと一緒に代表世話人をしている家正治ですね。
これがですね。
当時の二部の担当の教授なんですね。
教授ではなかったまだ当時は、京都大学を出てすぐに神戸外大の講師か何かになるんですが、まだ当時は教授じゃないですね。

この家先生でございますですね。
極めて怪しげな有本さんとの接触をしているわけですね。
まだ有本さんの事が、それ程世間に流布されていない。
それでも有本さんご両親ですね。
非常に積極的に様々な集会に出られてですね。
お訴えをされていたんですね。

そこにですね。
いきなり名刺持って来られた方がおるんですね。
その集会に参加されていた方が名刺持って来られてですね。
そんな方たくさんおられますから、一つ一つ覚えていないんですね。
ただお父さんがですね。
非常に珍しい名前だったから、覚えておられたんですね。

それから神戸市の外語大学なんかで、私も一緒にいろいろ活動をしまして、所謂同窓会。
そういう組織が動いてくれましてですね。
有本さんは2回3回ほど、神戸外大で講演等を、そういう集会等も行っておられます。
で、有本さんが拉致認定されてですね。
小泉訪朝があってですね。
有本さんの事がいよいよ明白になったと。

ですから訪朝後半年、一年も経ってなかったくらいだったと思うんですけど、今度突然にですね。
有本さんの家に手紙が届くんです。
で、これも有本さんのお母さんですね。
そういう手紙、全国からたくさん参りますので、特別覚えていないわけですね。

たまたま私がですね。
この家先生というのはいかがな人なんだ?と、言うような事でいろいろと、それなりにうろうろうろうろしておりましたらですね。
その集会の折に、有本さんご両親がたまたま揃っておりましてですね。
そこでこの家教授の話をしたわけですね。
お母さんからそういう話があったんですけどね。
「その人だったらこの前手紙が来たよ」とそこで初めて話が出るわけですね。

でそこで、今度はお父さんがですね。
「それ、覚えとるで」と。
「そんな変った名前の人はそんな多くは無いから、昔集会来とって名詞出したの覚えとる」
こういう話なんですね。
野村先生、中々の人物ですよね?この家先生という方は。

★野村旗守氏

ええ、謎の人物ですよね。

★岡田和典氏

でねぇ。
そんな方がわざわざ、どっちかと言えば拉致問題なんて話にですね。
世間で言ったら、我々は当たり前の大事な運動をしているつもりなんですけども、この拉致問題が明らかになる前はですね。
どちらかといえば、ああいうところに集まる人というのは真ん中というよりちょっと右じゃないかと。(笑い声)
世間では思われているような集会でございますよね?

★増元照明氏

よく反動勢力と言われて・・・(笑い声)

★岡田和典氏

そういう所に、チュチェ思想を信奉する先生が何しに来たんか?と、こう言う話にもなってくるわけですね。
今日おそらくですね。
こういう非常に福留さんという、よど号のグループにとってはですね。
一番アキレス腱といいますかですね。
触れられたくないということ、こういう会を川添さんが勇気を持ってやってこうしておられるわけで、間違い無しにこの中に、まぁ数人とは言いませんけどもね。
よど号の今の、今のですね。
支援するグループは多々あるわけです。(「ほう」という声)

間違い無しにこの中に来ておられますね。
皆さんも一人ずつ顔を覚えられているかも分かりません。(笑い声)
電車に乗るときなんかはですね。
絶対にプラットホームの前には立たないでくださいよ?(笑い声)
後ろからポンと押されたら終わりですのでね。
我々は何年もそういう事に注意しながら活動を続けております。
川添さんも全く同じ立場の人間でございます。

非常に中でも、私でも神戸で中々福留さんの集会よう開きません。
それ程非常に今日は貴重な集まりでございます。
ただ、余りにも先ほどから申し上げておりますように、極めて狭い空間の灘区の、本当に何百メートルというところに神戸に二人いる。
田中実さんそして有本恵子さんがお互い同じ空気、同じ匂いを吸っておった場所で生活しておられた方がおられる。
この事実ですね。

それと有本さんにですね。
なんかよう分からん人がですね。
極めて不思議な形で、接近していると言う点ですね。
何か日本の拉致事件というのはですね。
辛光洙が何もかも全員やったみたいな言われ方を最近、報道等も含めてですね。
警察発表でもございますけどね。
そんな事はありえないわけでございましてですね。

この中にもそういう過去に協力をした方がおられるか分からんですけど、間違いなしにですね。
日本人の協力者がいなければですね。
これだけの人間がですね。
北朝鮮に拉致されていたのは、ありえないわけでございます。

飛び入りで貴重な時間申し訳ございませんでしたが、そういう事を一言、神戸からのご報告という事で失礼致します。(拍手)

★司会 川添氏

岡田さん、ありがとうございました。
すみません、野村先生ちょっと宜しくお願い致します。

★野村旗守氏

私ですね。
本来、拉致問題門外漢でありまして専門家ではありませんので、ちょっと最後ですので一般的なお話をしたいなと思います。

前ですね。
あるインタビューで田原総一郎さんと喋った時があって、「いや、ここ10年くらいで本当に日本は変ったよな」という話になって、自分が89年に「朝まで生テレビ」あの番組を始めたころに、ディスカッション番組ですから朝まで激論するですね。
その当時としては画期的なスタイルの番組。
朝まで生で見ている番組を始めた時、あの右の論客を探そうと思ってですね。
探そうとしたんだけど誰もいないと。
という事は、右と左で激論を戦わせなければいけないので右の論客を探すんだけど、右の論客が誰もいないって言うんですよね。

ところが10年経ったら誰も彼もが右だ右だという事になって(笑い声)左の事喋ってる奴はあいつまだあんな事を言ってるのか?と、馬鹿な奴だと生きてる化石みたいな野郎だという事ですね。
馬鹿にされているという傾向はあるけれども、でも10年前にそれこそね。
国家体制がどうとかいわゆる国際主義がどうとか言う事を、テレビがまともに喋ろうとしたら「あいつテレビであんな事を言ってるよ」と。
「もうちょっとアカデミズムの世界では相手に出来ないよな」というような、そういう風潮だったと思うんですよ。
10年、15年位前までは少なくともですね。
それがもうガラッと変ったと。

ガラッと変った中にはこの北朝鮮問題というのは非常に大きな要因だと思うんですけども、だた世の中のそういう空気。
要するに拉致をしやすい空気というものが、この日本の中の70年代80年代非常にあったと。
これですね。
これ拉致というのは北朝鮮の最初の首謀者は金日成であり金正日でありというような、それは分かっているけれども、それを助けたのは誰か?って言えば、金日成・金正日体制を支えた北朝鮮国民であり、それを支えていた日本の朝鮮総連と言う組織であり、その朝鮮総連という組織を生かしていた日本という社会。

別に同罪とは言いませんけども、かなりですね。
かなり日本側もムードで幇助していたという事は言えると思うんですよね。
日本のその片仮名で書くサヨクのムードが北朝鮮の拉致を幇助していた。
それがああいうよど号の事件を生み、あるいはよど号の妻たちというグループを作ったりしたわけで、そういったムードの犠牲になって例えば有本恵子さんが拉致された、福留さんが拉致されたというような事件が頻発して起こっちゃったんじゃ無いかな?と思うんですけども。

結局チュチェ研の目的はなんだったのか?と。
先ほど荒木さんも言われましたけど、あの中でチュチェ研の目的は何だったか?という事を考えていくと、私最大の目的は日本でそういうムードを作る事だったんだろうと。
北朝鮮のシンパをたくさん作っていて、例えば北朝鮮シンパとならずとも雰囲気的にでもですね。
例えばいざ事が起こった時、じゃあ韓国と北朝鮮がケンカした時に北朝鮮の方に味方してやろうと思うような。
普段は別に朝鮮問題なんかどうでも良いかもしれないけれど、いざ事が起こったらどっちかと言えば北朝鮮の方が良いよねと北朝鮮の方が正しいよねと、そういうようなムードを作る。
そういった空気を作る目的が第一の目的だった、チュチェ研の第一の目的だったのではないかな?と私はうっすらと考えているんですけども。
これ、正しいかどうか分かりませんが。

そういったムードを作るという非常に漠然とした仕事をしていたもんだから、これまで捜査の対象にもならないでですね。
なんと言いますか、何十年もこのチュチェ研という組織、いまだに相当数の勢力、独断で熱心に活動しているかどうかは別として相当数の勢力がいるようですが、そのムード作りにある時期まではある程度成功していた、言う事があったと思うんですが。
それが先ほどの田原総一郎さんじゃないけれども、10年間で本当にガラッと変っちゃったと。
10年前は右の論客なんか誰もいなかったと。
で、テレビに出てくれといったらとんでもないと誰も出てくれなかったと、そういう状況のなかで、ところが10年経ったら誰も彼もみんな右だということで、アメリカが正しいという事になってですね。
これもちょっと問題だなぁと私思わなくもないんですけど、そういったムードが出来た。
要するにチュチェ研の野望は途中で費えたわけですよね?

北朝鮮シンパを、あるいは社会主義をマルクス主義を、というようなチュチェ研の野望は費えたわけだけれども、いまだにこの拉致問題が全く、解決の兆しは見えましたけれども、兆しだけでその先進展しないというところ。
じゃあ何が、日本から北朝鮮を擁護しようというムード・空気は消えたにも拘らず、いまだに何が邪魔をしているのか?という事を考えていきますと、これはひとつムードとは裏腹にですね。
非常にムードと対照をなすような、非常に生臭いと言うか現実的なというか。
はっきり言ってムードとは対照的な裏腹の現実的なものと、現実的な裏づけという事でひとつ実益というか、利益・利権と言われるようなですね。
北朝鮮を利すると自分達が得をするという、例えば日本の政界にもいるし財界にもいるし、あるいはあらゆる分野に北朝鮮を利する事によって自分が得をすると。
それはごくごく私的な利益かもしれないけれども、とにかく得をするという事で国益を無視して私益に走る人たちがいるのが問題ではないかな?という事をまとめてみたのが、荒木先生に手伝って頂いた「北朝鮮利権の真相」という本なんですけども。

そういった中で例えば北朝鮮とですね。
国交を結ぶと、日本の側にとって何のメリットがあるのか?
国にとってはメリットは無いけれども、そこに北朝鮮と日本が国交を結ぶと何が起こるか?というと、これ日本と韓国の場合を考えてみれば分かるんですけども、日韓条約ですね。
日韓基本条約と言うのが結ばれた後に、当時のお金で5億ドルの経済協力という支援が行われました。
これ日本から韓国に一方的に流れるお金だけれども、これこのミソはですね。
キャッシュでお金払われるんじゃなくて、なんと言いますか、事業と建設というような形。
要するに日本の会社にお金が落ちるんですね。
日本の会社にお金が落ちる。
日本の建設会社は大挙して韓国に乗り込んでいって、その当時高速道路を作ったりとか地下鉄を作ったりとか、韓国のために随分と物を作ってあげたんですよね。
それによって韓国経済がぐっと成長したわけです。

それによって北朝鮮もやっぱり同じ事をやろうとする。
当時一番儲けたと言われているのは伊藤忠という商社ですけども、伊藤忠の瀬島龍三、政商と言われる男ですね。
非常にそういった政治的なビジネスに食い込むのが上手いと、元々・・・(司会より、残り時間の指示あり)
すみませんちょっと注意が入ってしまったので。(笑い声)

★司会 川添氏

すみません、会場が5時までしか借りて無いもので(笑い声)本当に申し訳ない。
また野村さんちょっとお呼びしてですね。
じっくりしたいと思います。
それでは最後に斉藤さん。
是非、今の思いをですね。
短くお願いして、なるべくお話して貰いたいと思います。
宜しくお願いします。

★斉藤文代さん

私は金正日に申し上げたいんです。
あなたは心があった人間であるならば、拉致した家族を全員返しなさい。
そうすればあなたの心も軽くなると言う事じゃないでしょうか?
全員返しなさいと申し上げたいです。(拍手)

★司会 川添氏

パネルディスカッション、どうもありがとうございました。
次が、今日始まる前にですね。
増元さんをお話もしていたんですが、岡田さんからも指摘があったんですが、福留さんを中心にした集会と言うのは全国でこれが初めてということだそうです。
今後も福留問題についてはですね。
私自身、よど号問題にかけておりますので、うちの会、神奈川の会では全国協議会とあるいは調査会と協力してやっていきたいと思っておりますので、今後もご協力の程を宜しくお願い致します。(拍手)
パネルディスカッションはこれで終わりにします。
posted by ぴろん at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.6.3 パネルディスカッションその2 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(8)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸救う会神奈川会長

次に斉藤さんの方にちょっとお話をいろいろまたお伺いしたいと思います。
2月にですね。
私も警視庁に同行したんですが、よど号グループに対して監禁罪で刑事告発をしましたが、告発した事に対して心境はどうでしたか?どんな感じだったか?というのと。

実は今月の13日にですね。
八尾恵さんの長女が帰ってきます。
長女が帰ってきた後はですね。
どうもよど号の本丸、所謂松木さん・石岡さんを拉致した実行犯、もしくはそれに近い支援者の人間が帰ってくるのではないか?という情報が我々入って来ております。
拉致実行犯の帰国が迫ってますが、その辺に関してどのように思われているのか?と、この2点ちょっとよろしくお願いします。

★斉藤文代さん

告発の件はですね。
前々から私は弟を拉致されたことに関しまして許せないと言う気持ちでいましたので、いつかこういう機会がありましたらば絶対に、よど号犯の拉致した人たちを許す事はできないので、前々から考えていた事ですのでそれが出来て良かったなと思っております。
それからこれからよど号犯の妻たちが帰ってくる予定になっておりますけども、私が申し上げたいのは、

「なぜ帰ってくるんですか?好きであなたは北朝鮮に行ったんじゃないんですか?」

と言いたいです。
帰って来るんであれば、日本の拉致した家族を全部連れて帰って来なさいと言いたいですね。
それでもし日本に住みたいのであれば、日本でちゃんとするべき事をしてから(日本に)住む人間になって欲しいと、私はその様に思っております。
本当に許せないんです。
こんなに我慢しているのに、自分達だけ都合の良い時に行ったり来たりするということは、許せないと思っております。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしましたらですね。
皆様方に最後に一言ずつですね。
会場の皆さん、もしくは会場によど号グループの関係者が来られているかもしれませんので(笑い声)、一言お話して頂ければですね。
伝わってくれるかもしれませんのでね。
ひとつよろしくお願いします。
じゃあ、増元さんから。

★増元照明氏

よど号の事件というのは丁度1970年ですから、私が高校一年だと思いますね。
るみ子が高校三年生で、高校から帰ったら福岡空港にずっと飛行機が止まってまして、それをずっとNHKが追いかけて、金浦まで行ってそれで平壌に行ってしまったんですけども。
あの事件が後々自分にとってこんな大きな問題として関わってくるなんて、あの時全く思ってなかったですね。
画面の向こうの中、夢物語のような感じで「彼らは彼らの思想で行ったんだからしょうがないわ」と、それくらいしか思ってなかったのに、彼らが主体的になって家族会の有本さんや松木さんやそして石岡さんたちを拉致していくのに非常に関わっていた事について、私は家族会結成してビックリしました。

で、この方たちの存在が、私は結局ですね。
1970年に平壌に入って金日成や金正日が日本人を何というか、オルグしていけば使いやすいな?と思わせたんじゃないかと。
荒木さんたちはその前からずっとやってるというように言ってましたけど、それまでは必要に応じて拉致していた人たちだとは思うんです。
それから金正日が1970年代後半に拉致を頻繁にあちこちでしていったのは、自分達の国でオルグして工作員化すれば、もしくは日本人は本当に従順な勤勉な人間だから使えるなと思わせたのがよど号だと私は思ってましてね。
その70年のよど号が向こうに行った事件が、その後の日本から私の姉やそれからめぐみちゃんやそして多くの日本人を連れて行った可能性も否定できないなと思っております。

その点で、高校のときにただテレビの画面で見ていた事件が自分の人生に、本当に大きく関わって来ると言うふうになっていきますと、人生という物は不可思議な物であるし、予想もできない物を感じてしまいますね。
運命と言えば運命なんでしょうけども、ただあの時にもっとよど号問題を真剣に考えておけば良かったかな?とちょっと反省しております。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
今増元さんが、私も実は同じくちょっと感じてしまったのは、私ずっとこの藤沢に住んでいまして小学校の高学年の時でしょうかね?
スイミングスクールに通ってまして隣が交番だったわけですね。
で、ポスターが貼ってありまして、リ・ウネのポスターでしたかね金賢姫に拉致された、この人知りませんか?と。
何気なく通りかかってうちの母親に「この人なんなんだ?」といったら、母親がなにか「北朝鮮に連れて行かれちゃった人なんだ」と言われてまして、もう15年くらい前の話ですが、良く考えればわずか15年後にですね。
この女性の方を助ける事ですね。
こういうふうに活動しているなんて夢にも思いませんでしたし、この間、飯塚耕一郎さんにこの話をしたら、「それは高田さんの本じゃありませんけど宿命だったんじゃないですか?」と言われてちょっと何か納得して・・・
今増元さんの話を聞いてそんな事も自分でイメージしてしまいました。

それでは次にですね、荒木先生。
ちょっと一言よろしくお願いします。

★荒木和博氏

Img_1672.jpg

先ほど野村さんのお話を聞いててですね。
ちょっと思ったんですが、一体そのチュチェ研というのは元々なんだったんだろうな?ということをちょっと気にかかったんですね。
というのは北朝鮮の基本的な対日工作というのは、昔は韓国に直接入り難かったので日本を経由して工作活動をやると浸透するという事が、それが一番のメインでありまして。
北朝鮮の国家目標というのは言うまでもなく武力統一ということで、南朝鮮からアメリカを追い出してそして傀儡政権を打倒して統一をすると、言うのが目的だったのでですね。
日本の中での事というのはあくまでも2次的なものだったと思うんですね。
それがなんでこんなに長い間組織が続いているのか?と。
単に北朝鮮からのですね。
影響だけで果たしてこれだけ続くんだろうか?という事をちょっとふと今思いました。
北朝鮮の工作のですね。
系統からしてもちょっと異質な感じが今ふとですね。
しましたんで、改めてこれについては考えてみる必要があるのかな?という気がしました。

それからですね。
お母さんの話がいろいろ出てましたが、先ほど増元さんが増元さんのお母さんも信子さんということだったと、私の女房も信子でございまして(笑い声)、これもなんかの宿命なのかな?と私思いましたけど。(笑い声)

この家族という事についてなんですけど、政府がですね。
ご家族の意向を尊重してという事をしょっちゅう使うんですけども、これかなり曲者でありまして、どうもそのまま鵜呑みには出来ない。
というのはですね。
これ逆に裏返しにしますと、家族がもう良いよと言ったらそれでおしまいに出来るという事でもあるんですね。

一番良い証拠は寺越武志さんです。
誰がどう見たって拉致されたという事以外に考えられない。
彼は向こうにいて、そして失踪したときの状況とかですね。
それから考えればこれだけで拉致だと十分分かるんですが、政府は認定をしません。
認定をしない理由は何か?というとあのお母ちゃんがですね。
拉致だと認めないからという事を言われていたんですね。

かつてですね。
平沢勝栄さんが拉致議連の事務局長をやってたときだったかな?
何かあの、福留さんの話が出てですね。
で、その聞いたらば、それ何かお母ちゃんが認めないからというような事を言ってですね。
そりゃあいくらなんでもないでしょうと、そんなの認められるわけ無いじゃないですか?と。
いや本人も認めないと、そりゃ本人が認めるわけ無いと。

という、いろいろすったもんだした挙句にですね。
いや、まぁ、じゃあお母さんが認めるんで有れば、警察の方も考えるという事を聞いたもんでですね。
お母さんに相談した事もあったんですが、結果的にはやっぱり認めるわけにはいかないという事でした。
お母さんも直接話すときには拉致だということは言ってるわけで、それを認めないというのはいったいどう言う意味があるのか?と。
そういう時にだけ、家族というのをですね。
隠れ蓑に使っているのではないだろうか?と。

9.17の後で北朝鮮側は、蓮池さんたちからはですね。
横田さんの情報だけ出させたと。
他の人たちについては全く知らないと言いながら、横田めぐみさんの情報だけはですね。
べらべら喋らせたと。
そしてあの時何をやろうとしたか?というと、お父さんお母さんを平壌に呼んでですね。
そして終わりにしようとしたわけです。

あの時もし、お父さんも相当ですね。
揺れたわけですけども、ご家族が北朝鮮に行ってしまって納得してしまえばですね。
まぁ家族が納得したんだから良いんじゃないですか?というふうになっていた可能性がある。
家族という物をそういうふうに使っていた可能性があります。

そして一方でですね。
政府の人間が逆に言う時は、国益の観点から行くと拉致被害者の事だけで日朝国交正常化が止まって良いんだろうか?と。
これは槙田(邦彦)元アジア大洋州局長の「10人くらいの事で日朝交渉止まっても良いのか?」という事を言いましたが、そこに本音が非常に表れているわけでございまして、ここはしっかりですね。
問題の本質を考えなければいけないと。

私は常にこの拉致問題というのは安全保障の問題であり、ある意味で戦争であると言っているのはですね。
ここにちょっともうひとつ重要な意味がありまして、ご家族が可哀想だ・本人が可哀想だという事でやっている救出運動であれば北朝鮮が暴発して、今もちょっとごちゃごちゃやってますけども、ミサイル撃つぞと。
ミサイル打ち込むぞという事を、例えば言った時にですね。
彼らにそんな度胸はないと思いますが、もしそういうような事を見せた時に日本の中でどういう判断が下るか?と。

いや確かにそれは拉致された人も可哀想だしご家族も可哀想だと。
しかしその事と、その人たちを助ける為にまた何十人だか何百人だか例えば犠牲者が出てしまったら、それは釣り合わないでしょうと。
だからこれは大人しくしていた方が良いでしょうというふうにですね。
なるんですね。
実際彼らがおそらく世論誘導をやろうとすると、そういう事をやろうとすると思います。

しかし問題はそうではなくて、もし彼らのそういう脅しに屈すればまた次の事をやられる。
あるいは北朝鮮だけでなくてですね。
他の国からもそういう事をやられるかもしれない。
言う事なんであって、それがまさに私がこの問題は安全保障の問題であって、家族の意向というのは2次的な問題だと、いうふうに言ってる事の最大の理由でございます。

もちろんそれはご家族の意向は最大限尊重して貰わなければいけないわけなんですが、そうは言ったって我々古川(了子)さんの訴訟でですね。
政府認定者とそれ以外の人たちとを差別するなというふうに言ってはいるわけですけども、そうは言ったって拉致の可能性のある人という意味ではですね。
我々のリストだけで460人いるわけで、それ以外にも警察に我々のと重なってますが、問い合わせは900くらい人以上いる。
そして問い合わせをして来ない方も相当いるわけで、この人たち全部に家族会と同じように説明するなんて物理的に不可能なんですね。

もちろん特定失踪者のご家族も、もちろん拉致の可能性が高いというふうに思っていられる方でもですね。
やっぱりその一面、ひょっとして日本の国の中でですね。
何かの理由でいてくれないか?という気持ちは皆さん共通であって、我々もそうであってそれで見つかってくれればそれで良いと思ってやっているわけでございます。

そうするとその間を埋める物は何か?と言うと、もしその、例えば説明の仕方とかそういう物がですね。
政府拉致認定者と違っていたとしても、じゃあ実際に北朝鮮の中に誰がいるんだ?どこにいるんだ?という事に付いてはですね。
全く見えないところでも何でも良いからともかく一生懸命探しているという事が分かれば、それはそれでですね。
ある程度は仕方が無いと言うふうになるわけで、問題はそこをしていないという事にある。

増元さんが前にもよく言われますけども、その家族会が出来る前までですね。
我々が見えないところで政府がやっててくれるんだろうというふうに思っていたらば実は何もしていなくて、言う問題がですね。
これがやはり問題の本質であって、国家の意思というものはそういうものでは無い。
安全保障上やっぱり守るためには、ただ食う物を抑えるということは絶対出来ないわけでありまして、こちらから戦っていかなければいけない。

相手側の情報を得てですね。
そして実際にどうやって取り返すのか?具体的な手を打っていくと、言う事の努力をしていかなければいけないという意味でございまして、この福留さんの問題というのはある意味でそういうもののひとつのバロメーターにはなるのでは無いだろうか?と。
これからまた先ですね。
場合によってはよど号グループとか、あるいは場合によったらその警察とか国家機関の方からもですね。
いや実は福留さんはああだったんだこうだったんだと、拉致ではないと言うような情報を流してくる可能性だってあります。

しかしそういう時にですね。
そこで踏みとどまって、ともかくこの人は帰って来て貰わなきゃいけないんだというふうにですね。
やはり国民の意思が結束できるか?と言うのが極めて重要でございますので、このお忙しい中お出で頂いた皆さんには、ぜひともそこをご理解頂きたいというふうに思います。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月25日

06.6.3 パネルディスカッションその1 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(7)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その1』

「福留貴美子さん拉致事件とよど号拉致事件」

★司会 

川添友幸 救う会神奈川会長

★パネリスト

野村旗守氏(ジャーナリスト)
荒木和博 特定失踪者問題調査会代表
斉藤文代さん
増元照明 家族会事務局長
岡田和典 特定失踪者問題調査会理事

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★司会 川添友幸氏

Img_1667.jpg

後半なんですがパネルディスカッション、今年の1月のよど号の集会のときにもパネルディスカッションやったんですが、今回もやりたいと思います。
よろしくお願い致します。
私が司会でちょっといろいろ質問をしていきますので、それでお答えをしていくような形で皆様お答え頂きたいと思います。

今日ですね。
急遽なんですが、拉致被害者家族会の事務局長である増元照明さんが今日来ていただきました。(拍手)
それではまず増元さんに早速なんですが、お伺いしたい事があって伺います。
増元さん自身、先ほど荒木先生が福留さんのお母さんと面識があったとお話をされましたが、増元さん自身お会いになられた事があるかな?と。
その時のエピソードのような事があれば教えて頂きたいと言うことと。

この福留さんの拉致事件に関してですね。
警察は拉致では無いというような事を言われましたが、それに関して拉致被害者家族としてどう思うか、と言うところを2点伺えればと思います。
よろしくお願い致します。

★増元照明氏

Img_1670.jpg

あの、増元です。
何か勝手が違うので。(小さな笑い声)

先ほど荒木さんが仰っていたように確か多分荒木さんと同じ時に会ったんじゃないかと思うんです。
西村眞悟さんと一緒に会ったんですよね?
福留貴美子さんのお母さん、信子さんと仰るんですが、うちの母も信子と言う名前で全く字が一緒なんです。
その時は印象深いんですけれども、四国の片田舎から2000年だったと思うんですが出てこられて。
私たちも出て来られると言うのは全く知らずに横田ご夫妻と私と、たまたま西村先生と会うという事で永田町のあそこは赤坂見附だと思いましたけど、その事務所に行ったときに福留貴美子さん(のお母さん)がおられた。

それは荒木先生がアテンドして頂いたと私は記憶しておりますが、福留貴美子さんも拉致被害者であると言う思いが非常に強くて。
当時私たちは北朝鮮に拉致された可能性のある、というか殆ど間違いの無い寺越さんとかも一緒にやろうとしていましたし、当然よど号の松木さんとか石岡さんなどとも呼びかけはしておりました。
そして福留さんにも呼びかけを致しまして、で来られたんだと思います。
本当に体が弱ってられた中でも出てこられて、そして田舎の人間ですからそんなにお喋りになるような事は無いんですけど、必死の思いで貴美子さんを助けたいと言うその気持ちは非常に強く伝わった事を覚えています。

そして北朝鮮、福留さんは拉致では無いと言う警察の見解でしたね?
荒木さんが仰ったとおりのことでしょう。
とにかく北朝鮮に行って、どのような理由であれ北朝鮮に行って帰りたいと言うふうに思っても、帰れない状況になるならということです。
川添君が書いた福留貴美子さんのプロフィールに関してもそうですけど、モンゴルに行きたいと言う人が何故北朝鮮に行ったのか?という、全く不明ですから。
その辺は全く騙されていったのは間違いないと思います。

当初モンゴルに連れて行くという一緒に行くと言う予定で、どこかで・・・(聞き取れず)された。
そこでチュチェ思想の下に教え込まれた。
そしてよど号の妻となったと言う事でしょうけども、日本に帰ってきた事があって友達のところには行ってるわけですね?
実家には帰らなかったんですけども友達のところには行っている。
この辺をずっと監視体制の下で見ていた朝鮮総連もしくは、こちらの旗守さんが仰っていた日本の支援組織の人たちにばれたんですね。

で、無理矢理また連れて行かれたんですが、警察がいくら言っても日本で彼女が行動するためには、行動するには必ず監視されていたと言うのは、その一点を持って間違いが無いでしょう。
監視対象だと言う事は結局は無理矢理やらされていたというのは私たちの一般的に考える認識です。
ですから警察のその認識が自分達のおそらく捜査が今まで生温かった事を認めたくないという、案外官僚というのはそうなんです。
自分達の間違いを認めませんから。

田中均さんもずっと外務省の今までの拉致問題に対する対応を絶対に謝罪しませんでしたから。
悪くないと思ってるんですね、その官僚体制が、自分達が続けてきた事は。
ですからそういう何か悪い慣習というのかな?
あるのではないでしょうか?

私たちは自然に考えて無理矢理日本での監視対象であったと言う事は、まだ向こうの思想に染まっていないと言う、それでもう一回連れ戻された。
それで向こうで死亡とされているんですけども、私は多分内紛か何かあったんだろうと思っています。
高沢さんの「宿命」の中でもあまりにも不自然です。
岡本武と福留貴美子さんの死というのは余りにも不自然ですので、これは内紛があって処分されたのか?
それとも生きている事を隠なければならない何か事情があったのか?
とにかくよど号とは離されたと思いますね。

更に言わせて頂けば、田宮が死亡したというのも非常に不自然です。
高沢さんに田宮さんは「有本さんたちの返還を必ず成し遂げる」と言う風に約束されて、その数年後、一年後か二年後くらいに突然死亡していますので、何らかの画策をしてそれが発覚して処分されたのではないか?というふうに私は考えています。

あとチュチェ研の事を旗守さんが仰っていましたけど、チュチェ思想を作った張本人の黄先生が今韓国に亡命していますから。
黄長ヨプ(ヨプ=火へんに華)。
で彼に会って聞いたんですけども自分が作ったものですから、チュチェ思想は絶対に悪くは無い。
ただそれを使う人たちが悪いんだと言うふうには彼は言っておられた。
チュチェ思想は絶対に間違いの無い共産主義体制を支える北朝鮮では絶対的な思想であると、本当にパラダイスを作るための思想であると。 
あれを使う人が悪いからああいう国になってしまったというふうに伺いましたので、その辺ではまだ主体研究というのに反省の無い残念な老人だなと私は思っております。
以上です。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
次ですが、荒木先生に何点かお伺いしたい点があります。
今の荒木先生の、あと増元さんの話にもあったんですが、北朝鮮側が福留さんが死亡したと言う事をちょっと言われてまして、私自身もよど号を支援していた方から福留さんの遺骨があるとかお墓があるみたいな話を以前伺った事があるんですが、その辺のあたりというのはどうなんでしょうか?というのがまず一点。

次に先生、「しおかぜ」でですね。
何か福留さんの関係の放送とかそういうことはされたのかな?と、ちょっとお伺いできればと思います。
その2点、よろしくお願い致します。

★荒木和博氏

はい、え〜とですね。
今川添さんが言ったようなことと具体的には変らないんですが、遺骨があるというような話を先ほど申しましたように、話があったというのは聞いています。
だから必要があればそれを出して来れば良いわけですけども、出して来れないというのは、やはり出して来れない理由があるのでは無いだろうかな?と考えざるを得ない。

松木薫さんの物にしても、もし本人が亡くなっておられるのであれば、北朝鮮でですね。
遺骨が出せないわけは無いわけでありまして、遺骨を出してしまえばですね。
それで納得せざるを得ないわけですが、わざわざ偽の遺骨を出してくると言う事事態に、そういう意味があるのだというふうに思うべきだろうと思います。

私、大学の授業でも良く学生には言うんですが、基本的には北朝鮮がする発表というのはですね。
最初からこれは全部嘘だと思って聞いた方が良いと。
その上で、なんでこの人たちはこういう嘘をつくんだろうか?というふうに考えると、だいたい向こうの言いたい事というのが以外に正直に出てきております。
ですからその偽の遺骨を出すと言うのはですね。
やはりその裏の意味がどういうことか?という事を考えていけば良いのではないだろうか?というふうに思います。

それから「しおかぜ」の中では、福留さんに関してはご家族からの声と言うのはお母さんがいなくなってしまって出せませんので、今全部の名前とそれから失踪時期のデータ読み上げの中で福留さんの事が一緒に入って毎回流れております。
今、ご案内の通り妨害電波が流れていますので中々聴き取り難いですが、今月中に周波数とか時間を変えてまた流しますので、また向こうが追っかけてくると思いますが、とりあえずまた聴こえるようにはなると思います。
以上です。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
そうしますと次、野村先生にちょっと何点かお伺いしたい点があるのですが。
チュチェ研とよど号グループの妻以外の連携というか関係というか、妻たちの話では伺ったんですが、連携みたいな物。
例えば福留さんがこちらに戻られた時に監視されたという話があったんですが、その辺の監視体制はどうだったのか?という事がまず一点。

次にやはりよど号のご家族の問題を考えるのに社会党とかですね。
あの辺の責任といった物が出てくるのではと思いますので、チュチェ思想とかチュチェ研と関係のある社会党の国会議員とかの事をもしご存知であれば教えて頂きたいと思います。
その2点、よろしくお願い致します。

★野村旗守氏

チュチェ研に関しましては主にですね。
入り込んでいってるのはアカデミズムの分野だと思いますね。
先ほど言った労働者組織の他にアカデミズムの世界、特に大学教授あるいはそうそうたる法曹界のメンバーであるとか、そういったところのなんて言いますか。
非常に知的な人たちがなぜか知らないけれど、こういうわけの分かったような分からないような、学問なのか思想なのか良く分からない、それとも単なる根性論なのか良く分からないような思想に、なぜか日本のですね。
それこそ頭脳のトップに当たるような人たちが、なぜか先ほどの佐久川政一会長じゃないですけれども、そういったような人々がなぜか訳の分かったような分からないような、本当にこんな物が実現できるのか出来ないのか、所謂観念論というような思想にハマってしまうという、これ非常に面白い現象だなと思って。

今日は朝鮮総連とチュチェ研という関連を話してくれといわれて来て、先ほど言ったようにチュチェ研と朝鮮総連というのはそれぞれ役割が違う物ですからあまり接点は無いんですね。
というのはチュチェ研というのは北朝鮮に協力できる日本人を探す為のプールのような場所、これがチュチェ研であって。
朝鮮総連って言うのは北朝鮮の対日・対南活動、非公然活動に役立ちそうな人間をピックアップするプールのような役割をしている組織という事で、それぞれ在日の中からピックアップする組織、それから日本人の中からピックアップする組織という事で、それぞれ役割が違うのでこれ余り接点は無いんですけども。

それでも接点という事で言っていけばですね。
これ資金的にどうもこのチュチェ研を支援している資金というのは、どうも在日の中のある富豪、在日の中の資産家から資金が出ているようです。
というのは先ほど言ったチュチェ研総帥の尾上健一ですけれども、非常に潤沢な資金を持っておりまして、その白峰社という出版社を経営している他に、チュチェ研メンバーですね。
チュチェ研メンバー、だいたい40代から50代が主ですけども、この40代50代はチュチェ研のメンバー同士が結婚しているわけですが、それぞれ子供を作っていてその子供たちが通う保育園を経営し、更に池袋でスナックを経営していたりしまして。

それでこの尾上健一が住んでいるのが練馬区の光が丘のとあるマンションなんですけども、このマンション。
マンションのの名前今ちょっとすぐに思い出せないですけども、マンションの9階のワンフロアを全部使っているというような、大したお金持ちではあるんですね。
これが例えば白峰社の売り上げの中からそれだけの潤沢な資金が出てくるか?という事を考えていくと、とてもそれは考えられないわけであって、これはどこからかお金が出ているに違いないということが言われております。

と同時にこの日本におけるチュチェ研グループですけども、これがですね。
殆ど東京の豊島区の池袋あたりに固まってます。
先ほど言ったチュチェ研グループの例えば金日成主義研究会とか、あるいは自主の会であるとか、あるいは朝鮮女性と連帯をする会とか、そういったようなですね。
思想的なグループが池袋に固まっていて私がこのグループを、この白峰社も池袋にあるんですけど、これを一つ一つ訪ね歩いた事が実は前にあって、最初電話でアポを入れようとしたんですけどどこも相手にしてくれなかったもんですから、一軒一軒を、3つくらいの事務所がひとつのマンションに固まっていたのでそんなに難しい事じゃなかったんですけれども。

池袋のですね。
3ヵ所くらいかな?
マンションをアポなしで飛び込みで取材していって、コンコンとドアを叩いて尋ねて行ったことがありました。
それがもう2年か3年位前ですかね?
行ったんですけども、朝鮮総連の連中にいわせると「あのチュチェ研の連中は絶対におかしい」と。
「目付きが尋常では無い」と。
良く朝鮮総連怖いと日本人の方々大体思っていて、実際怖いところがあるんですけども、その朝鮮総連の連中が評して「あのチュチェ研の連中は絶対おかしいですよ、あれ。目付きが違いますよ、我々と」(笑い声)言うふうにいうくらいですから。

確かにですね。
あの絶対おかしいと私も思いました。
ドアをノックして出てきたときのその表情から何から、もうこちらを見る目から朝鮮総連なんかよりよっぽど怪しいと私思ったんですけども。
あの人たちが出てきてそれこそ詰問調でですね。
「何しに来たんだ、お前。一切答えられない」ということで、ガチャンとドアを荒々しく閉めると。

そういった事を3ヶ所4ヶ所と繰り返されまして、顔つきからしてどうしても健全な通常の、健常な人間の顔とは思えないですよね。
まるでオウムの信者のような、確かに新興宗教のような。
確かに朝鮮総連の人たちはそんな顔をしていません。
日本の中で非常に憎まれていますけども、そういうような顔はしていないですけども、宗教の信者のような顔はしていないけれども、あのチュチェ研の人たちの顔つきというのは非常に宗教がかった、ちょっと一種独特の顔つきですので、この人たちは余りお友達にならないように(笑い声)、余りお友達にならない方が良いんじゃないかと、私ちょっと一言アドバイスをさせて頂きます。

なんか質問の答えになったかどうか分からないですけど、(司会より「国会議員」の声)あ、国会議員ですか?
国会議員は、それこそ労組出身の例えば国会議員で言うと、チュチェ研に属している属していないという話になると難しいんですけども、一番言われているのがですね。
チュチェ研と社会党、特に結んでいたのではないか?と、黙される人物が、ここは講演会だから放送しちゃって、放送しないで下さいね。(笑い声)

あの○○○というですね。
元社会党の議員がいましたけど、もうあの人落選しましたよね?
○○○というのが、そのチュチェ研と社会党を結んでいた重要人物ではないか?という事で黙されておりまして、公安の中でもごく少数はそういうふうに疑っていた人たちもいたようですけども、実際捜査の手が伸びるということはなかったですね。
私が聞いている話に間違いがなければ、○○を特に個人的にマークしたという事は無いんですけども、これ例えば金丸訪朝の時とか、日朝交渉が重要な場面に差し掛かるとこの○○が裏でちょこちょこといろいろ画策していたというような話が漏れ伝わってきておりまして。
もう少しこの○○と朝鮮総連あるいはチュチェ研といったような物に対しての解明も進んで良いのではないかと思っております。
そんな事お前がやれといわれるかもしれませんけども、私もちょこちょこやってますので。
皆さんも機会があったら是非調べてください。

★司会 川添氏

確か○○は行方不明になってるんじゃないですか?
所在不明になっているという話を噂で・・・

★野村旗守氏

いや、僕はそれ聞いてはいません。

★司会 川添氏

何かそんな話を噂で聞いていると思いますけど。(会場より「最近また活動している」の声)
動いている?
ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※文中、野村氏の意向に配慮して人物名を伏字でご紹介しております。
悪しからずご了承ください。
posted by ぴろん at 11:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

06.6.3 大沢茂樹さん 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(6)藤沢産業センターにて

『大沢茂樹さん(特定失踪者・大沢孝司さんの兄) 特定失踪者家族の紹介と訴え』

★大沢茂樹さん

ただ今ご紹介にあずかりました、私、特定失踪者・大沢孝司のすぐ上の兄で、大沢茂樹と申します。
本日は福留貴美子さんの拉致事件を考える会に参加させて頂きまして、本当にありがとうございます。
今日は私の他に3家族の特定失踪者の家族も見えておりますので、この機会に簡単にご紹介をさせて頂きたいと思いますので、ちょっと前の方へ出て来て下さい。(特定失踪者のご家族が登壇する)

Img_1660.jpg
(写真左より、寺島佐津子さんのご両親、高野美幸さん、大沢茂樹さん)

こちらにおられるご夫婦は昭和54年8月の10日、鎌倉市で花火大会があり、その銀行の親睦旅行を兼ねて花火大会に参加した後、戸塚駅でバスに乗り帰宅途中忽然として行方不明になった寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。

★寺島さんのお母様

よろしくお願いします。(ご両親がお二人揃って会釈をされる、会場より拍手)

氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19
身長 体重
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


★大沢茂樹さん

私の隣にいる方は昭和51年7月の30日神津島で、大学の友人と遊びに行き、神津島の民宿で忽然と姿を消した高野さんの妹さんでございます。

★高野美幸さん

いつもお世話になっております。
神津島から行方不明になりました高野清文の妹、美幸になります。
藤沢の方は良くお話をさせて頂いていますので、今回はちょっとご挨拶だけという事でありますが、今日は私いつも母の作品をお持ちしておりますけれども、調査会の方で「しおかぜ」という短波放送をしておりまして、最近ですね。
北朝鮮側から妨害電波が入っておりまして、非常に放送の状況が大変な状況なっております。
6月の中旬より対策をとりまして放送の方を再開・再編成と言う事で放送をしていくことになっております。
そのしおかぜの方の支援を致しますサポーターグッズ、タオルとかストラップ・リストバンドなどを販売しておりますので、W杯も近い折、娘さん息子さんに紛れてそういうグッズを使って頂いても良いかと思います。
ご協力の方をよろしくお願い致します。(拍手)

氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会より引用
http://chosa-kai.jp/index.html


★大沢茂樹さん

どうもありがとうございます。
もうお一方、昭和47年東京の渋谷区でクリーニング店に行くと行って出たまま、行方が分からなくなった生島孝子さんのご親戚のコイト(漢字表記不明)さんも見えておりますが、ちょっと席を立って後ろへ・・・(その場で立ち上がり会釈)
よろしくお願い致します。(拍手)
以上3名のご家族が本日の勉強会に参加させて頂きますので、よろしくお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)

生島孝子さん(脱北者による目撃証言あり)
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
当時年齢 31歳
当時身分 港区役所麻布支所交換手
失踪現場 東京都渋谷区

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html




簡単に御挨拶をさせて頂きます。
私の弟は昭和49年の2月の24日、新潟県の佐渡島で曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の拉致現場から、距離にして7〜8キロしか離れていない、天然記念物トキの保護センターのある新穂村と言うところで北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。
曽我さんたちの約2年半前の事件であります。
事件当日丁度日曜日で、一人で隣町の金井町と言う所に遊びに行きその帰り、単身で佐渡に渡っておりましたので夕飯を外食し、帰宅途中知人宅のタバコ屋に立ち寄り、そこまでは足取りがつかめておりますが、そのタバコ屋から一切消息が分からなくなっております。

事件当時、佐渡の両津警察さんの方から、大掛かりな捜索をしていただきましたが結局分からず、また失踪する理由も分かりませんでした。
私の家族は拉致の疑いが排除できず、約4年半前新潟県警の方に再調査を依頼致し、再調査をしていただいたところ「拉致の疑い間違いない」と言う新潟県警の異例中の異例の見解を頂く事ができました。

私の弟は今月の21日になりますと誕生日で満60歳で還暦を迎えます。
今から拉致されて32年になりますが、残りの人生の3分の1、何が何でもこの日本に戻し自由な国に過ごしてやりたいと思っております。
また私どもの親は、母親は弟が失踪してからその心労が元で昭和63年に他界いたしましたが、今年95歳になる父親はまだ健在でございます。
せめて父親が元気なうちに弟の再会を果たしてやりたく、私もこのような機会があれば出席させて頂き、このようにお訴えをさせて頂いております。
今の日本政府の拉致の取り組み状況は北朝鮮が悪いのか、日本政府の方が悪いのか分かりませんが、今硬直状態となっております。

先ほど松木薫さんのお姉さん、また荒木先生の方からもお話しがありましたが、横田めぐみさんまた松木薫さんの遺骨、また有本恵子さん等の診断と全て捏造であり、ばれました。
ところが北朝鮮は拉致はすでに解決済みと居直り、話し合いをする姿勢もありません。
このままでは拉致被害者は全て皆殺しになると思います。
私はこの拉致問題を一刻も早く解決するには、小泉さんから経済制裁の発動を一日も早く発動していただき、圧力で解決していかなければあの国とは話し合いでは解決できないものと思っております。

それには今の日本政府は皆様方の世論の後押しがなければ何もやってくれません。
どうかこの拉致問題が一刻も早くまた一日も早く解決するには、更なる皆様方の日本政府に対する圧力が必要と思っております。
更なるご支援とご協力をお願いし、甚だ簡単ではございますが私の挨拶とさせて頂きます。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)

大沢孝司さん(佐渡の曽我さん母子失踪地のすぐ傍で失踪)
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

※失踪者の情報は特定失踪者問題調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html
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06.6.3 斉藤文代さん 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(5)藤沢産業センターにて

『斉藤文代さん(松木薫さんの姉)の訴え』

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〜〜よど号グループに思うこと〜〜

皆様、今日は本当にありがとうございます。
松木薫の姉の斉藤文代です。
いつもこうしてお話を聞いて頂いて、本当に私いつも思うんですけれども、早くこのお話を聞いて頂かなくても皆様が喜んで頂ける、まぁ顔ですね。
私も見たいし私も見せたいし、早く解決しないかといつもいつも願っておりますけれども、中々これは難しい問題で全然私たちも前進致しませんけども、やる事だけは全部やらなければいけないという気持ちで、私も一生懸命やっております。

私の弟は8つ下で1980年に北朝鮮の方に、先ほど話されたよど号の妻たちによって拉致をされて連れて行かれました。
もう本当にもう少しで帰ってくると言う。
本当に私の父も今度こそは自分の息子と一緒に住めると、長い長い願いがあったんですけれども、本当にお酒もですね。
父はうちの弟と一緒に飲み交わしたいと言う事を常日頃聞いておりました。

ですから「学校を卒業したら俺は薫と一緒に飲みたいから、お前もたまには付き合ってくれよな」って言うような事は良く私も聞いておりましたので、本当にそれをさせて上げられない。
可哀想だなと思って、薫がいなくなりましてからは、私も少々は飲めますので父が寂しい顔をしているときには「お父ちゃん、今日は一杯飲もうか」と言って、私は女ですけれども弟の代わりは出来ませんけれど、父と一緒に飲むとですね。
とても喜んで私といろいろ話をして中々それを終わろうとしませんので、母から「女の子なんだから」と言う事で「やめなさい」と言われる事もありました。

私は時々しか帰りませんので、家の方にですね。
父と飲める事を楽しみにしておりましたけども、ただただ残念な事には父は私の耳には一切薫の事は話してくれませんでした。
やっぱり話をすれば父も辛いんでしょうし、私もこういう人間ですから考えが道がどこかに逸れる場合もあるんじゃないかと父は思って、いろんな事で父は私に苦しい思いを話してくれなかったと思います。
今になって思えば父は本当に私たちに苦労をかけまいと思って、自分ひとりで苦しい思いをして、そして平成2年に亡くなりましたけど、拉致問題と言うのは拉致された家族じゃないと本当に言い表せない苦しみと言うのがあるんですね。

今度父が亡くなりまして、今度は残された母がまた気の弱い人間ですので、今度は私に全部これが降りかかってどうしたら良いんだろうと、母はまた随分苦しんだと思います。
それで普通でしたらばまだ、今現在84歳ですから元気でなければいけないんですけども、やはりいろんな事を考えてますので、痴呆に入るのが本当に早かったと私思います。
ですから私に対してお話をするときにでも、ときどきあれ?っていう様な、全然関係の無いような言葉をいう時があるんです。
何でこんな事を言うんだろうな?って、そういう言い方はお母さんの言い方にハマらないな?と思いながらも、私も案外無頓着な物で気が付かない所があるもんですから、それが段々段々酷くなっていたのに気がつかないで、私も気が付いてあげればよかったんですけども。

本当に苦しんで苦しんで私が気が付いた時には本当にもう、母と私が会話がじっくり出来るような正常な状態でお話が出来るような所でなかったもんですから、今思えば本当に可哀想な事をしてしまったと思いまして、今病院の方に入院しておりますけども、精一杯私は出来る事をして上げなければと思って今病院の方で。
前はですね。
昔は薫の事をお話しませんでしたけど、今は薫の事も黙っているよりいろいろお話してあげた方が良いと思って、いろんなお話をしながら母に希望を持たせなければいけないという気持ちがありますので、もうすぐしたら帰ってくるとか話をいろいろとっかえましていろんな会話をしておりますが。

私が一番本当に今現在正直に望んでいますのは、母もそんなに長くはこの世にいられないんじゃないか?と言うことも思っておりますので、何としてでもやはりこの問題を解決しなければと思いまして、私も力不足で何もこう得意な物もありませんし、いつもいつも考えてどうしたらいいんだろう?どうしたらいいんだろう?と、いつも考えておりまして、この間ですね。
ここの救う会、神奈川の救う会の川添さんから、「ノルウェーの方に行くんだけれども斉藤さん行って見ませんか?」と言うお話がありまして、急遽でしたが私が何か出来れば行って私が何かやりたいと言う気持ちもあったものですから参加させて頂きました。

それでノルウェーの方で斎賀大使と話をさせて頂きまして、国際会議ですからスケジュールはキッチリと詰まっておるんで、私が出てお話をするという事はそれは到底時間的にも出来ませんでしたので、斎賀大使が朝早く時間を取ってくださいましてお話しする事は出来たんですね。
それで拉致問題のお話を私はずっと経過をお話しまして、「拉致された家族・特定失踪者・私たちの家族、もうみんな本当に苦しんでおります」と。
「高齢化しておりますので、なんとしてでも皆さん全員家族に会わせてあげたいと言う気持ちで私はノルウェーまでお願いに参りました」と。
それでノルウェーの力、欧州の方からですね。
声を広げて頂いて、北朝鮮と言う国を理解して頂いて、早く何らかの解決の道がひとつでもですね。
前進をするようにお願いをしたいと私申しましたらば、国際会議の場で斎賀大使は自分の持ち時間を割きまして、拉致問題に対してたくさんお話をしてくださいました。

私は英語は分かりませんけども、日本から来られた外務省の方が「今こういうようなお話をしております」と、送ってくださいましたので、今こういうお話をしているんだなって事で。
本当に私はそれを聞いていまして、あぁ長い間ずいぶんお話してくださったなと思いました。
「今度は人権の方に話が変ります」とかって言われたので時計の方を見てみましたら、20分くらいは、だいたい持ち時間は30分くらいでしたが、20分くらいは拉致問題に対してお話をしてくださいました。

その時は私は本当に来てよかったと、私は他の方に、いろんな国の方が来ていらっしゃいましたので、本当に拉致と言う事は人権問題でもありますし、早く解決しなければいけない問題です。
本当に日本の場合は長すぎるんですね。
この問題がですね。
だからもう斎賀大使とお話をしていましても、私の母だけでなくて、いろんなお母さんたちの顔が拉致家族のお母さんたちの顔が浮かんできます。
本当にこのお母さんは、このお母さんはと言うたびに、私は胸が詰まりまして。
でもそれを言わなければ本当に皆さんがそれを分かってくださらなければいけないことなので、私も本当に苦しい事ですけども斎賀大使に「なんとしてでも助けてください」と、早く解決する事を私は本当に願っておりますし。

私もこういう体型ですけどもいろんな病気がありますので、私も母と同様に同じように床に付くようになってはいけませんので元気なうちになんとしてでも解決して、家族がですね。
みんなタラップから降りてくる事を、一回目のタラップからは私たちの家族は降りてきませんでしたけども、2回目は絶対に全員が降りてきて、皆がよかったねと、本当にこれまで一生懸命やって良かったねといえる日が来るまで、皆で頑張ろうねっていつもいつも励ましあっております。
だからそれが実現するまではなんとしてでも皆様方にこういうお力を借りて、本当に一日でも早く北にいる皆が日の丸の旗を掲げた飛行機を待っている。
皆を助けると言う気持ちで、私も一生懸命やらせていただいております。

本当に私の家族も骨とか持たされました。
2度もですね。
でもその骨も他人の物と言う事で、ますます私は薫を救ってあげたいと言う気持ちで頑張っておりますので、どうか皆様方もこれからも温かく私たちの家族を、全員の家族を支援して頂いて見守って頂いて、一日でも早く全員が帰国できまして、皆で笑って良かった良かったといえる日が一日でも早く来ますように、どうぞ皆様これからも力を貸してください。
よろしくお願い致します。(拍手)
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2006年06月23日

速報 佐藤勝巳会長 東京連続集会19より

昨日、友愛会館で開催された東京連続集会19より、佐藤勝巳救う会会長による、北朝鮮情勢についての講演の模様を速報します。

1時間にわたる長丁場ですが是非お聴きください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東京連続集会19 06.6.22 友愛会館にて

佐藤勝巳 救う会会長

「拉致問題と最近の朝鮮半島情勢」

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※↓こちらのサイトで、この集会のレポートを読む事が出来ます。
集会の模様を一刻も早くお知りになりたい方は是非お尋ねください。<(_ _)>

★hikaru's 脳天気blog様
http://yaplog.jp/usadan79/
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2006年06月21日

06.6.3 荒木和博氏 福留貴美子さん拉致事件を考える集い(4)藤沢産業センターにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表 講演』

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〜〜福留貴美子さん拉致事件の本質〜〜

ご紹介を頂きました荒木でございます。
今日はお忙しい中こんなにたくさんの皆さんお集まり頂きまして、本当にありがとうございます。

今、野村さんの話を聞いていてですね。
映画の話が出ましたんで、ふと思い出したんですが、私も実はその北朝鮮の映画を一回見に行った事がございます。
ずいぶん昔ですが、学生時代だったかな?渋谷にですね。
北朝鮮の映画を上映する映画館と言うのがあったんです。
確か、入場無料だったか千円くらい取ったか忘れちゃいましたけど、見に行きまして、観客私一人でした。(笑い声)
やってた映画はですね。
今でも覚えているんですが、「高圧線」と言う映画で、要は電気の技師がですね。
朝鮮戦争のときに米軍の爆撃から高圧線を守るためにですね。
その活動について描いた映画でございまして、これ、中々良く出来てですね。
正直言って私泣いてしまったという(笑い声)感動的な映画でありました。
で、私には幸いにしてその後お声はかからなかったんですけども、まぁそういうふうにして声の掛かった方はおそらくいたんだろうなと。

それからもうひとつ、これはまだ私が民社党の本部に勤めていたころですが、私の通勤経路がですね。
丁度歌舞伎町が通勤経路になっていまして、で、あるときですね。
もうだから20年位前かな?
仕事が比較的早く終わってですね。
ふらふらっと歌舞伎町の中を歩いていましたならば、こういう名前の看板がありまして、(後ろのホワイトボードに平仮名で「まだん」と板書する)これ韓国語がお分かりの方ならご存知と思いますが、広場と言う意味の韓国語です。
当時は今みたいな韓流ブームでも何でもなかったものですのでね。
こんな看板なんか殆ど見た事がなかったので、ふらふらっと入っていきました。
スナックでございました。

カウンターで飲みながらですね。
話をしてて、何でそうなったのか?今になるとよく思い出せないんですけども、マスターがですね。
おもむろに名刺を出してきました。
その名刺になんて書いてあったかと申しますと、(ホワイトボードに「統一革命党日本代表」と板書)「統一革命党日本代表」というこれは北朝鮮の工作機関ですが、この文章が突然出てきたもんですでね。
おそらく一体なんで入ったか?と言う話になって、韓国のこととかやっているという話をしたからじゃないか?と思うんですが、さすがに私もビックリしましてですね。
しかしまぁ、相手がそれを出して来たんだから、こっちも名乗らないわけにはいかないと思って、「いや俺は民社党本部の人間だ」という事を言って(笑い声)申しました。

そしたらそこに、これは名刺を出したのはマスターなんですけども、ママさんがいましてですね。
その人がいろいろ良くしてくれまして、それから数回行ったんですが、後で聞いたらこのママさんが、マスターは余りたいした問題じゃなくて、この人が大物の工作員と言うかエージェントだったという事が後に分かりました。
で、ふと今から考えてみるともしですね。
あの時、酒の中に薬でも入れられたらですね。(笑い声)
それでおしまいですね。
私だから、仕事終わって一人でふらっと帰ったわけであって、職場の同僚ももちろん分からないと。
で、家族ももちろん知らないと、いう所でですね。
入った飲み屋でそこで飲まされて、後はどこかへ行っちゃったという事であればですね。
誰も気が付かない事である。

その後私もですね。
性懲りもなく何回もその店へ行ったもんでですね。
そうすると今度はもし例えばそこの店に行ったという事が分かったとすると、今度はいやあいつはおそらく北朝鮮の事が好きになって自分で行ったんじゃないか?というふうにですね。
なってしまった可能性も、これも当然ある、と言う事でございます。

で、この名刺なんか出したのはたいした事無いんですが、そこのママさんがやはり大物でですね。
大物だっただけに結構ちゃんとした人でですね。
その後、もう亡くなったと聞いていますけども、いろいろとお付き合いと言うわけじゃないですけど、店には行ったりしたという事がございました。

で、今日は焦点となっていますのは福留貴美子さんの事で、先ほど川添さんのお話の中に、警察がどういうふうに認識をしているか?と言うことについてのお話がありました。
これはですね。
この中にもおそらく神奈川県警の方なんかおられるのかな?
まぁ警察の認識としては、さっき川添さんが言ったように自分で行ったと。
そして逃げられたのに逃げなかったと、いう事でこれは拉致だと認めていないという事、ですね。

この2月の日朝の実務者協議のときに、福留さんの名前を出していると言うのは、これは実は警察に相談しないで外務省がやった話です。
だから外務省はですね。
警察からの追求を避けるために三十数名と言う言い方をしています。
実際は1000番台リスト34名に、小住さんと福留さんを入れて36名なんですが、これを三十数名というようにぼかしているのは、この福留貴美子さんとそれから警察が死んだと言うことにしている山本美保さんの二人が入っているから、と言う事でございます。

この福留さんの事件と言うのは、非常にある意味でいうと象徴的な事件でありまして、一体拉致の本質は何か?と言う事を考える上でですね。
それは非常に重要な事件です。
と言いますのは、拉致と言うとやはりですね。
海岸を歩いていたらば無理矢理捕まえられて、そして袋に詰め込まれて船に乗せられたと、いう事でですね。
連れて行かれたというふうに思われるイメージが非常に強いと。
しかし、実際にはですね。
そういうケースはそれほど多くはない、と思います。

今日は家族会の増元事務局長がお見えですけども、増元るみ子さんなんかの場合はですね。
やはり市川さんとデートに行ってる時にやられたと言う事で、その可能性が一番近い人ですけども、しかしその増元さん・市川さんのケースでも市川さんは電電公社の社員でしたが、電電公社とか電話の関係者でいなくなってる方が多い事を考えますとね。
その場で行き当たりばったりではなかった可能性と言うのも存在をする。

一番可能性として高いのは横田めぐみさんですとか、おそらく横田さんの場合でも全くたまたま出会いがしらと言うのではなくて、若い女性を連れてくるという指示があって待ち構えていて網に引っかかったと言う事は最低限あるんでしょうが、そこから段々段々ですね。
グレーゾーンに向かっていくんですね。

一番のグレーゾーンと言うのはやはり自分で北朝鮮が好きになって入ったと。
しかし戻れなくなったと、いうことです。
これはある意味ではよど号の妻たちでもそうです。
よど号の妻たちでも彼女たちは大部分は北朝鮮にですね。
もちろん自分の意思では行ってますけど、まさか向こうでよど号グループと結婚させられるとは想像していない。
で、行ってみたら無理矢理くっつけられたと。

これもいろんな話があるんですが、どうもですね。
相当無茶な事をされた・相当酷い事をされたらしいと言う話も私聞いております。
そういう中でも他に選択がなくなって結婚をしたと。
で、しかし結果的にはですね。
本人たちがその気になったから、あれは拉致ではないということなんですが、彼女たちだってもし向こうに行ってからですね。
「こんなはずじゃなかった」と「私たち帰る」と言ったら間違いなく拉致になります。

福留さんはやはりそこに近いグレーゾーン、だと思いますね。
自分の意思で北朝鮮に入った事は、まぁ間違いが無い。
そういった意味では有本恵子さんとか、松木さん、石岡さんなんかと同じケースになります。
しかし、そこでず〜っと暮らす事になるとはおそらく思っていなかった、いう事でですね。
拉致と言うのはそこまで全部ひっくるめないと、いけない。

そうすると更に言えばですね。
この自分の意思で入ってそして出られなくなった拉致と言うのはですね。
もうほとんど境界線の無いくらいの先には、今度は帰国運動があるんですね。
帰国運動で、確かにそれは自分達で決めて北朝鮮に行ったと。
しかし、すぐにですね。
帰国運動の時は1年か2年したらば里帰りできると思って行ったらば、全く出られなくなってしまったと、いうようなことがある。
これは殆ど境目が無いに近いぐらいの状態でその向こう側にはこれがある。
ず〜っと、これグレーゾーンなんです。

この間に更に今はほとんど問題になっていませんが、在日朝鮮人の拉致被害者と言うのがやはりいます。
このケースもですね。
やはり、例えば工作船なんかを使って不法に出国したと言う可能性はある。
しかし本人たちは戻ってくるつもりだったのが戻れなくなったとかですね。
そういうケースが相当ある。

だから拉致と言うのはですね。
バシッとですね。
ここでもうこれは拉致です、これは違いますというふうに割り切れる物ではなくて、凄くですね。
非常に複雑だと、いうことです。
それを是非考えておいて頂きたい。

それから福留さんのケースでやはり日本に戻って来たと、これが警察が拉致を認定しないひとつの大きな理由なんですが、これは先ほど川添さんが言ったように、子供たちを残して来ているという事でですね。
無茶な事は出来ないと。
尚且つ、例えば警察に駆け込んだところでですね。
警察がその時相手にしてくれたかどうか?と言う事も疑わしい、と言うことであります。

レバノン人の拉致被害者ですね。
彼女たちも、北朝鮮の当局はベオグラードに出す時に、「お前たち、もし逃げ込んだってレバノンの大使館にだって俺たちの仲間はいるんだぞ」と言うような事を言っていたと、言う事でですね。
当然「警察にだって仲間はいるんだ」とか言ってたでしょうし、そうするとそこでですね。
勇気を出してそういうことが出来るか?と。
ひとつ間違えたらば、自分の命が無いかもしれないと、言う事があったということでありまして、これも重要な問題として、考えておかなければいけないわけです。

向こうに行ったというのは、基本的には向こうが何か使おうと思ってるわけですから、当然何かしらの工作活動に従事している可能性は十分あります。
だって例えばですね。
今帰っている蓮池薫さんなんかにしたって、全然喋らないですよね?
喋らないどころか彼が出してくる情報の中には、どう考えてもですね。
何らかの目的を持って出しているとしか考えられない情報が決して少なくは無い、わけであります。

こういう事が彼の耳に入ると彼は相当敏感になるんだそうですけども、この間金英男さんのご家族が行って会ったときも、金英男さんのご家族は今まで聞いていた事だけだったと非常に失望されたと言う事だそうですが、実際おそらくそうなんだろうと言うふうに思います。
今でも例えば地村さんなんかは毎日のように柏崎に電話して指示を仰いでいるという話であって、蓮池薫がコントロールタワーをやっているだろうと言う事は、もうみんな公然の秘密みたいな物でありまして、誰も言わない。
ある意味で言うと子供たちが帰ってきたら喋るんじゃないか?と思っていた私たち自身の期待も裏切られて、そして子供たちが帰ってきたら尚の事喋らなくなってしまったと、言うのが残念ながらその事実であろうと言うふうに思います。

かといってじゃあ、彼らをですね。
全面的に非難できるか?と、今喋ってくれない事については私は様々な思いがありますけども、しかしですね。
彼らが喋らないのは、ただ単に北朝鮮に対して忠誠心を持っているから喋らないと、いうことではやはり無いと思います。
ある意味で言うとドメスティック・バイオレンスみたいなものでですね。
恐怖感からは絶対に抜けられないと。

彼らのところに書いた手紙では、私は「戦ってくれなければ絶対にその恐怖感からは逃げられませんよ」と言う事を書いたりしたことがあるんですが、そういう事を書いたら何か脅迫状が来たとか言う事をですね。
言われてしまっていますので、まぁ相当嫌われているんでしょうけども、しかし現実問題としてはやはり彼らの恐怖をですね。
つかさどっているあの体制が潰れない限りは、どうやってもですね。
彼らがその恐怖感から逃げる事はできません。
だからそういう意味では、彼らが今やってることについて、100%の非難は出来ないと。
もちろん喋ってもらわなければいけませんし、もっと無理をしてでも喋らせなきゃいけないと私は思いますが、そういうことはある。

だから拉致被害者が何となくイメージとして、無理矢理つれて行かれて、何とか日本に帰りたいと思ってですね。
ただじっとしていると言うふうに思うイメージを思い描いていると、後でおそらくそれと現実のギャップがですね。
相当違った物が見えてくると。
その時に我々騙されたとか言う事をですね。
なってしまうと、これは拙いです。

そうじゃなくて、ああいう国の中にいるんですから、当然そういうことをさせられたと言う事はあるわけで。
それが例え半分くらい本気で彼らがやっていたとしても、それをですね。
最終的に我々は全て悪事を働いていたと言うような見方をする事は出来ないであろうと、言うふうに思うわけでありまして、その点をどうかご理解を頂きたいと思います。
福留さんの事件はまさに、そういう事件のひとつの象徴であります。

で、特に彼女の場合はですね。
私も救う会の事務局長をやっていた時代から彼女の事には関わっておりまして、高沢皓司さんと一緒に高知に行ってですね。
お母さんご存命のうちに2度お会いした事があります。
あのお母さんはですね。
前に日比谷の全国集会に一回来ていただいた事がありますが、本当に見かけは田舎のおばあちゃんですけども、物凄い記憶力の良い人で、凄い頭の良い人だなぁと、私よりよっぽど良く物を覚えている人でありました。

お母さんの言った事で非常に印象に残っているのは、あの時よど号グループの関係者が何とかしてその孫をですね。
貴美子さんの娘さんたちの事で結びつきを持って、そして福留貴美子さんの死亡届を出させようとしていたと。
その時に、お母さんが言ってたのは「私が骨で、そして貴美子は肉なんだ」と「そして孫たちは皮である」と。
「皮と骨は直接繋がらないで必ず間に肉がなければいけないので、貴美子の事が分からないのであれば、それは分かるまでやらなければ、そこで妥協すると言う事はできない」と言う事を言っておられました。

そういうお母さんですから、かなりしっかりしていたという事もあり、相手側もですね。
相手側と言うかよど号グループの関係者、この中にも誰かしらいるんでしょうけども、相当神経を使ってました。
ひとつ前に言われてびっくりしたのは、ご存命のときにですね。
福留さんのお母さんが一回ですね。
何か目の病気で隣町の病院に数日間入院した事がある。
数日で帰ってくるんで近所の誰にも言わなかったと。

で、郵便局にだけ「手紙をちょっと止めて置いてください」とか何とか言ってたらしいんですが、そして帰ってきてからしばらくしてからですね。
北朝鮮のよど号グループから、その病院気付でですね。
お母さん宛に手紙が届いたという話をしてました。
ですからどこでどういう事をしているのか?と言うのをですね。
チェックしている人間がいるんだなぁということが分かったわけで、あんな本当に田舎なんですけども、そこでもそういう事をやっていたという事であります。
だからこそ、そういう一応ネットワークがあるから、そう簡単に帰国したからと言ってそこでパッと逃げ出せるということでは無いと言う事をご理解を頂きたいと思います。

政府が認定しています11件16人というのはですね。
これ結局、我々も古川了子さんの訴訟で認定の基準の問題なんかをやってるんですが、要はですね。
認定の基準なんか何も無いんです。
たまたまマスコミが騒いだとかですね。
それから工作員が捕まって自白したとか、そういう事でやってるだけで、それ以外の物は無いと。
そこに一生懸命ですね。
屁理屈を付けて、認定の基準はこうだとかああだというような事を言うから、返って話がおかしくなる。

所謂その警察の捜査のやり方でですね。
そして認定できる人間なんてそんなにおそらくいないだろうと、言うふうに思います。
しかし問題は、じゃあ警察の判断で認定できる人間がいないから、じゃあみんなそのままで良いのか?と。
あいつは自分の意思で行ったんだよと言うことだけでですね。
済ましてしまえるのか?と。

非常に不謹慎ながら、私は時々例えで使うんですけども、「踊る大走査線」でですね。
青島刑事が公安の刑事だったとしてですね。
人がいなくなる失踪事件を追っかけると。
で、「いやあの人は拉致されたことに間違いがありませんよ」と言ったらですね。
所長と副所長と課長がですね。
「いや青島君、あの人は自分でいなくなったんだからね。拉致じゃないから、自分でいなくなったよ」と言う風にして終わりにしてしまうと言うようなパターンがあるのではないだろうか?と。

ですから最終的には田中実さんの事件とか、原敕晁さんの事件とかもそうですが、ああいって身寄りの無い人を狙ったケースについては、ご家族が名乗り出る事も何も無いわけなので、結局全ての人たちを返してくるためにはやはり今の体制を変えてしまってですね。
そしてみんな自由に出て来れる様にすると言う所に持っていく以外に方法は無いと。
これは他の北朝鮮の人権問題の解決なんかも結局そこに辿り着いてしまうんで、そこに行くしかないわけですが、そこを警察的に刑事事件として捉えるということであれば、逆に上手く行かないであろうと言うのが私の考え方でございます。

先ほど野村さんが言われたチュチェ研の動きとか、そういう事はですね。
これは全部止めるなんて事は絶対出来ません。
どんな国だって、自分の国が生き残る為に工作活動っていうのは必ずやります。
アメリカだってもちろん日本に対してやってますし、イギリスだってやってると。
中国も韓国ももちろん皆やってるわけでありまして、それは同盟国・友好国とか関係ありません。
生きるためには当然そういうことはしなければいけないわけでありまして、日本だってですね。
極めてお粗末ではありますけども、やって無い事は無いわけであります。

戦前はかなりですね。
それこそ満鉄の調査部とかあんなのを含めて考えれば、膨大な情報機関を持ってやってきたわけで、これは国家として生き残る為に当然です。
ですからどういう世界になろうと、そういう物をですね。
全部なくす事はできないんで、ですからそれはカウンター・インテリジェンスでですね。
抑える努力をしながら、そしてこちらからも送り込んでですね。
そして情報を取ると。

場合によったら、アメリカほど荒っぽい事をやらなくてもですね。
政権の転覆を図るような事くらいまで、やんないとですね。
攻撃は最大の防御と言うやつで、専守防衛でいくらやったってこの国を守る事なんか絶対に出来るはずなんか無い、と言うことであります。

そういう意味で福留さんの事件を我々本気になって取り返すことが出来るかどうか?と言う事が、ある意味で言うとこの拉致問題での認識をですね。
どういうふうにしていくのか?と言う重要な問題に絡んでくると言う事でございまして、どうかその点をですね。
ご理解を頂きたいと思うわけでございます。

もちろんそれだけは言っておきますが、かつてですね。
金子だったかな?
誰かが日本との電話の中で、「福留さんのお骨は実は今私の横にあるのよ」と言うような話を言ったと言う事を、私聞いたことがございます。
それが本当であればそのお骨を持って来れるはずですよね?
それでもちろんそれを鑑定することも出来る。
いまだにそれは出てきていないと。
と言う事はこれは間違いない事実だと言うことでありまして、松木さんの骨だってもし本当に亡くなっているのであれば、当然その遺骨が出てくるわけですが、わざわざ2回も偽物を掴ませてくるという事がどう言う意味が在るのか?と言う事は皆さんお分かりだろうというふうに思います。

まぁ以上ですね。
私申し上げましたが、拉致問題の解決と言うのはやはり幅広く見ていただく必要があるという事で、ご理解を頂きたいと言う事でございます。
ありがとうございました。(拍手)
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★家族会・救う会訪米報告 東京集会18 テキスト一覧表

06.5.18 友愛会館にて

1 『横田滋 家族会代表 訪韓報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18143771.html

2 『横田早紀江さん 訪韓報告を受けての感想』
http://piron326.seesaa.net/article/18143878.html

3 『増元照明 家族会事務局長 訪韓報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18143954.html

4 『西岡力 救う会副会長 訪韓報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18144185.html

5 『横田早紀江さん 訪米報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18211249.html

6 『飯塚繁雄 家族会副代表 訪米報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18211423.html

7 『増元照明 家族会事務局長 訪米報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18269387.html

8 『横田拓也 家族会事務局次長 訪米報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18269925.html

9 『島田洋一 救う会副会長 訪米報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18307282.html

10 『西岡力 救う会副会長 訪米報告』
http://piron326.seesaa.net/article/18366142.html

11 『有本弘明さん(有本恵子さんの父)の訴え』
http://piron326.seesaa.net/article/18366202.html

12 『有本嘉代子さん(有本恵子さんの母)の訴え』
http://piron326.seesaa.net/article/18366283.html

13 『本間勝さん(田口八重子さんの兄)の訴え』
http://piron326.seesaa.net/article/18366345.html
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★自由北韓放送の現状と日本委員会設立について 東京連続集会17 テキスト一覧表

06.4.23 友愛会館にて

1 『横田滋さんのお話』
http://piron326.seesaa.net/article/16565616.html

2 『横田早紀江さんのお話』
http://piron326.seesaa.net/article/16566143.html

3 『西岡力 救う会副会長のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/16607161.html

4 『金聖民(キム・ソンミン) 自由北朝鮮放送代表のお話 その1 通訳:西岡力氏』
http://piron326.seesaa.net/article/16765962.html

5 『佐藤勝巳 救う会会長のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/16818303.html

6 『海老原智治 救う会タイ連絡員の報告』
http://piron326.seesaa.net/article/16921972.html

7 『金聖民 自由北朝鮮放送代表のお話 その2 通訳:西岡力氏』
http://piron326.seesaa.net/article/16922085.html

8 『質疑応答 通訳:西岡力氏』
http://piron326.seesaa.net/article/16922182.html

9 『金聖民 自由北朝鮮放送代表のお話 その3 通訳:西岡力氏』
http://piron326.seesaa.net/article/16922388.html
posted by ぴろん at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月20日

06.5.28 横田早紀江さん 茨城県民集会 水戸市民会館にて

【2006年5月28日、茨城県民集会 水戸市民会館にて】

 ◆横田早紀江さんの訴え

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みなさんこんにちは。今日は本当にこうしてたくさんの方がお集まりくださいましてありがとうございます。

私たちは、10年ほど前になりますが、安明進さんが(一部不明)めぐみが北朝鮮で生きているということをはじめて知らされて、本当に20年間何にもわからなかった、子供の消息が、突然北朝鮮というところにいるということがわかったんです。

それから「あぁ、めぐみちゃん、生きていたんだ」と思って二、三年のうちに会えるんだと思ったことが、こんなに長くかかって、そして全国のみなさん方のたくさんの署名を頂きまして、初めのうちは、だれもチラシすら受け取ってくださらなくて、『そんなことって本当ですか?』てこうやって(手を振る様子を示して)通り過ぎる方がほとんどでしたけれども、そんな中から、今は500万名以上の署名を官邸に提出することができましたし、そして皆様のお一人、お一人の暖かい浄財を、家族会の活動のために、全国津々浦々からが、お一人お一人が心を込めて「がんばってください」と家族会の方に振り込んでいただいたおかげで、今回のような訪米、訪韓、以前に行きましたジュネーブの国連への要請とか、前にも二度ワシントンに行きましたけれど、そのようなたいへんな数の費用とか宿泊料とかは、私達普通の庶民ですから、本当にそのようなことできるわけないんですが、本当に皆様方の暖かいお心の中で支えられて、今日まで、こんなに大きなところまで動いて来ることができましたことを、本当に心から感謝いたします。(大きな拍手)

私は平凡で普通の主婦でしかない、このような人の前でお話しすることなど苦手で、逃げることしかなかったようなものが、こんな本当に大変な人生を歩むことになったことすら不思議なんですが、今回、三度目の訪米なんですが、その中で米国の議会の公聴会の証言ということで、日本の家族から、横田早紀江さんということで、初めてそのような場で証言をさせていただく機会を与えていただきました。

本当にどんなことになるのかと思っておりましたけれど、西岡先生とか、島田先生とか、荒木先生とか本当にたくさんの方がこの10年間、・・・以後、どんなに心を砕いて一つ一つ小さく計画を立ててくださり、知恵を働かせてくださり、私たちにできないようなことをこうして実現させていただいたことを、心から感謝しています。

公聴会に行く前の日には、国防総省というところに参りまして、そちらのほうで、みなさまよくご存知のラムズフェルド長官がちょうどイラクにいらしてそこにこられないということがわかりまた時にして、イングランド副長官という方、さっと来てくださって、ローレンス副次官とか、よくテレビで記者会見をなさっているヒルさんという方がいらっしゃいますね・・・そういういろんな方が来てくだしましてそして私達の話をお一人お一人が一生懸命聞いてくださいました。

いつも、アメリカでは感じますが、これはその時だけと思えないほど、お一人お一人のお気持ちがですね、<私達が遠いところをおして訴えに来たんだ>ということを本当にしっかり受け止めてくださって、「本当にこれは大変な問題なんだ。許せないんだ。絶対にアメリカはこの拉致問題を見捨てることはありません。必ず拉致問題のことをきちっと表に出して、忘れませんよ』という強いお言葉をいただきまして、本当に有り難く思いました。


いよいよ27日の公聴会の時間が参りまして本当にドキドキしていましたけれども、それも非常に長い文章を書いていましたので、全部言いたいと思って。『そんなに無理です、ひとり5分しかないんですよ』と言われて、先生方も徹夜のように直してくださって、通訳のスーザンさんという方が、それを訳してくださって、二人で掛け合いをしながら何度も練習をいたしまして、そしてその日の望みました。

本当にスーザンさんは前のときの訪米のときも通訳をしてくださった方で、このとてもよく拉致のことをご存知で、ただ表現する、読むというだけではなくて、通訳すると言うだけじゃなくて、本当に、私がめぐみが船に乗せられて「お母さん助けて!お母さん、助けて! 」と呼びながら壁をかきむしって、爪がはがれそうになって血だらけでしたと言う話をしたときにも、女性でいらっしゃいますから、私の気持ちと同じように、「ヘルプ、マザー!、マザー!、セイブ、マザー!」と本当に上手に、感動的に話していただいて、とてもよいことだったと思っています。

委員長だったスミスさんとか、リーチさんという方も私達が持っていったブルーバッチをすぐにつけてくださいまして、そして壇上に座ってくださって、真剣に聞いて考えてくださって、そして「キムヘギョンさんという子供と会うことはできないですか?会う気持ちがありますか?」という質問をなさって、私達は会いたい気持ちは、本当に今すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたい思っていますけれども、そのようなことに、いろんな謀略を仕掛けてくるのが北朝鮮であると言うことがよくわかっていますから、そのことのためにめぐみをはじめ多くの方々が・・・ですよということで、今も言っているような結末になってしまって拉致問題が本当にこれで終わりになるということを考えたときに、非常に恐ろしい決断だと思いますから、私達は絶対にどうなっているということがはっきりと証明されるまでは、絶対にヘギョンちゃんに会うことはしないと、一生懸命にこらえてすごしてまいりました。

そして28日いよいよ公聴会の時にそれが終わりまして、その夕方にホテルに帰ってきました時に、「明日ブッシュさんとお会いできますよ」という連絡が入りました。もしかしたら会えるのかなと思っていたんですが、「本当にそんなことあるんですか」と言ったら「ホントですよ」ということで、拓也と言う息子がおりますが、一緒に行ってくれましたけれど、その子とお母さんと二人がブッシュさんに会えますよ、ということで、前に中国でハンミちゃんというかわいい女の子が、(親御さんが引きずり出されたことを覚えていらっしゃると思いますが、)そのご一家が、ハンミちゃんと一緒に3人で私達の前にいらっしゃいました。もうひとりの名前をちょっと忘れましたが(キム・ソンミンさんのこと)北朝鮮の放送のほうをやっている方とがいらして、そこでブッシュさんとお会いすることができました。

『本当にこんなにお忙しい時間をとっていただいて、私たちのためにお会いいただいてありがとうございます。』とまずまず握手する手を出しました。ブッシュさんは「私は人権という問題と自由と命という問題に関しては忙しくて会えないという、そんなことはない」とはっきり、「どんなことがあっても時間を作って会います」という表現で、・・・私達に話してくださったときには、本当に前に小泉さんにお会いしたときに、みなさん遠いところから、福井とか鹿児島とか、たくさんのところから年を取った方々がわざわざ面会にあいにきたときも、「11:50〜12:00までです」ということで、「こんなに短い時間で何が話せるのかしら」、「どうしてこんな時間を決めたのかしら」とみんなで不思議がっていたんですが、そう言うことが思い出されたんです。心があればどんなことでも聞いてあげましょう、私達の国の問題だと、特にそういう思いが募るのが本当だと思いました。
こないだのブッシュさん時なんか、すぐに感じ取れました。

そして座って、質問をしました。本当にどうにもならないんだと、ものすごい忍耐と苦しさと悲しさと絶望が付きまといますけれども、私達はたくさんの苦しんでいる人たちを娘を含めて全部取り戻すためにこうやってがんばってきました。だからどうか、これからもしっかりやってくださいと申し上げたら、「そのとおりだ」

はっきりと、みんなの前で、北朝鮮に向かってメッセージを出されまして、「北朝鮮の国に言いたいのは、このお母さんは何にもほしいものはないんだ。娘を元に戻して、抱きしめたいだけなんだ。この親子を抱きしめさせるべきなんだ。」ということをはっきりとおっしゃってくださいましたし、そして≪北朝鮮が、世界から尊敬される国になりたいんならば、本当に拉致問題を解決するべきだし、このようなことを犯罪として指導していると言うことは許せない≫ということをはっkりとみんなの前でおっしゃってくださいました。

拓也は(皆様ご覧になっているかと思いますが)めぐみの白いブラウスを着た哀しい写真を北朝鮮からだされてきたのをちょっとパネルの大きさにして、、4人で写した萩の楽しそうな写真と二枚を持っていきまして、『これが北朝鮮から出された写真なんです。姉はこんな悲しい顔をしたことがないんです。』といって息子が言いましたら、ブッシュさんはよく見ていらしたのでしょうか、「ふんふん」とおっしゃってすぐそれを受け取られて、そして『この子は、体としてはこの部屋にいないんだけれども、この子の心を私達と一緒にここにおきましょう。』とそう言う言葉で言って自分の横のテーブルの上に置いてくださいました。

さっきの女の子(ハンミちゃん)の泣き叫んでいる写真も持ってきてらっしゃいましたので、「それもだしなさい」ということで、「一緒にここにみんな並べておきましょう。みんなで写してもらいましょう」ということで、きちっとそう言う態度で示してくださったことは私達にとっては本当に嬉しくてたまらないことでした。

どうして、もっと日本の国民が、こんなにたくさんの人たちが闇の中にかき消されたまま、親子が離され、親族兄弟が引き裂かれて、何故自分がここに来たかもわからない、しかも袋に入れられて、船底に詰められて、40時間も日本海の海を漂いながら、そして30年間もの間、監禁されたような状態で、何かひとことでも反発すれば、銃殺されてしまうかもしれない、何か言えば、それこそ強制収容所に送られてしまうかもしれない、・・のような生活をしなければならない、絶対に苦しくても帰るまで頑張らなくてはならない、何があってもと思って、めぐみも今、増元るみこさんも、有本恵子さんも、田口八重子さんも、市川修一さんも、松木薫さんも、みんな死亡と言われた人たちは、「あ〜曽我さん帰っちゃった。蓮池さんも何で帰れたんだろう。私たちは何で帰れないんだろう?」どんな思いであの飛行機を見ていたんだろうと思います。悔しかったと思います。「どうして?」と思って、「毎日毎日明日は必ず来てくれる」そのことだけを願ってみなさんの助けを待っているんだと思います。

日本の国家するべき事です。
家族がこんなに何十年も、動き回ることはないはずなんです!
誰がなってもそんなことではいけないんです。
「私がこの国を背負っていきますから、私を当選させてください」と言った方がしっかりとそれをやらなければならないのです。(拍手で一部聞き取れず)・・・

(拍手で一部聞き取れず)・・・私達は国民を守ってくださいと委ねたんです。その方々が今、一体今をしているんでしょうか?
毎日毎日、いろんな本当に考えられないような、お金、汚職とかとか言うことのために、こんなに立派な人たちが、こんなことばっかりして「お許しください」と頭を下げなければならないんだろうかと本当に悲しくなります。

大切なことは真心が清くなければ、絶対にいけないんです。
何にもいらないから、一生懸命生み出された命を、自分で守って国家が守ってよい人たちを育てていく。そうしたところに、本当に素晴らしい国が、暖かい国ができると私は思っています。(大きな拍手)

(拍手で一部聞き取れず)・・・本当に、神様は、大事なお仕事を、こんな最終的年齢になって、させてくださっているなーということを感謝しています。

どうかこれからも宜しくお願いいたします。(大きな拍手)

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このエントリーのテキストは金木犀様の手によるものです。
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