2006年07月30日

06.7.15 佐藤勝巳氏 「北朝鮮からすべての拉致被害者を奪還する国民大行進」より 砂防会館にて

第一部 集会 基調講演より

『佐藤勝巳救う会会長による基調講演』
            (7月15日 砂防会館にて)

ご紹介いただきました佐藤でございます。
基調報告などと言う退任を仰せつかって大変恐縮しております。15分ということですから、今私が、こういう事が大切ではないかなと言うことを中心に話をさせて頂きます。

一つは、ご存じのように北朝鮮が7発のミサイルを発射をいたしました。
このミサイルの発射に伴っていろいろなことが展開されておりますが、拉致救出という意味では大枠としては、大変好ましい方向に向かっているいうふうに思います。

いまその根拠を述べさせていただきます。
昨日は北朝鮮問題については、私などより先輩のくわきり先生との対談をしました。


それは、今回のミサイル発射によって金正日政権の最後の始まりが、始まったということです。
たぶんこの次ぎに金正日がやることは、2つ想定される。

一つは≪テポドンUをもう一回もう一回発射をする≫、もうひとつは≪核実験を地下でやる≫ この2つのいずれかである。

金正日の個性からして、どちらが可能性が高いかというと、地下の核実験の可能性がたぶん高いだろうと二人の意見は一致を見ました。


さて今回の7発のミサイルの発射はどういう目的があったんだろうと、大きな国家として、あるいは政権として命令をかけるような行動をする場合は、必ず対外的と対内的の2つの要因があります。

今テレビなどで、私は、ほとんど、桜チャンネルに申し訳ないんですがあんまりテレビなど見ていない人間なんで余りわからないんですけれども、たまにスイッチなどを入れると、対外的議論が非常に多いです。たとえば、米朝の二国間協議を狙って、北朝鮮はミサイルを打ち上げたんだと。その部分は余り間違っていないと思うんですが、国内的な要因はなにかという事についての言及はわりに少ないと思います。

私とくわきり理事長との間で意見の一致を見たことは、対内的要因は、金正日は、北朝鮮の国民から、大きく見放され、権威が失墜をいたしている。このままで行くと政権の維持はかなり難しいという判断があったと。これはこの二人の対談は、PRさせていただくと、次の現代コリアの巻頭の対談として載ります。

根拠は細かくあげられています。何故国民から金正日政権が信頼を失ったのか?
一つは昨年十月、国連の世界食糧計画からの援助=米野支援を断ったと。その他NGOの支援を全部断ったんです。

そして配給制度を実施する。実施して二ヶ月で破綻してしまいました。米の値段は以前に比べてものすごく高くなる。ドルとウォンの関係から申しますと、1ドル、今北朝鮮のウォンで3000ウォンと言われていますが、ここ1〜2ヶ月で、4000、5000というふうにウォンの価値が下がっていっている。
つまり国民の給料、3000ウォンぐらいですから、(北朝鮮国民の月収が)一ドル以下というような状況が、あちこちに起きてきているという状態です。

こんなやつと一緒にいて、この国大丈夫かなというような考え方が、政治上層部の諸君にも生まれつつある。

で、落ちた権威をあげるために、先軍政治を執っていますから軍の権威を同時にあげる必要があるというのが、ミサイル発射の北朝鮮国内的要因であるとうのが二人の分析の結果でありました。

ですから国内的に見て、国民の支持を急速に失いつつある。
ああいうようなことをやらなければ、政権の維持は難しくなってきているということです。

では、我々日本人、あるいは北朝鮮以外の国から今の行為を見た場合、本当に権威などあがるのか?北朝鮮を取り巻く国際環境というのは、改善されるのかというと、ご案内の通りアメリカは「二国間協議、そんなことは論外」と。六者にでなさいと六者に出てきたら、まぁ、ヒルが二国間であってやっても良いよ ということです。

中国が今回の事件にどういう役割を果たしているかということですが、また、いろんな見方があるようですが、私の知る限り、中国は終始一貫してミサイル発射に反対をしてきたという信頼すべき情報を何度か複数から入手しております。

従って、中国の強力なプレッシャーをを無視して打ち上げた。
で、国連の制裁決議に伴い説得に入った。「NO」です。六者協議に出て行かないということで
中国のメンツは次々と潰れていっております。中国のメンツが潰れると言うことは、米中の交渉に於いてアメリカの相対的地位が高くなり、中国の地位が低くなっていくと言うことです。

今回の事件で最もダメージを受けたのが、韓国の盧武鉉政権です。あれは、客観的に見れば、北朝鮮がミサイルを作るのに一生懸命な時に、宥和政策で応援してきたというばかげたことであると言うことが、世界中に明らかになったと言うことです。

中国の問題に戻りますと、中国の今回の一連の動きで、金正日政権にほとんど影響力がないんだと言うことがわかったと言うことです。少なくとも今の時点で。中国が本気で影響力を発揮しようとするなら、重油を北朝鮮に売っているバルブを閉めれば良いんです。現に過去三日間閉めた事がありますから。いつ閉めたかと言いますと、六者協議に出てくる出てこないとごねたときに、中国側はバルブを閉めたんです。で、ようやく六者協議に北が参加をするという時です。

ですから・・・と油絶の権利は中国が、握ってていることは間違いないんです。
重油の輸送管のバルブを閉めることによってオーバーに言えば、北朝鮮は一週間も持たないというような、力関係。それをやった場合に政権が崩壊したら、難民が中国東北に殺到してくる。二年後に北京五輪を控えている中国にとって、北朝鮮の難民化はかなり強力な力関係まず存在いたしております。
かなり強力な力を持っているという力関係が、まず存在しております。
従って中国が気に入らないから、バルブを閉めると言うようなわけには、北京側の国益から判断してもそうは簡単な問題ではないと言うことなんです。

そう言う関連の中で、今国連に於いてどうするのかと、制裁をかけるのか、かけないのかと。
朝日新聞なんかをみていますと、安倍さんが、国連憲章7条という高いハードルをあげたことで、孤立を深めているというような趣旨の見出しを書いておりましたけれど、私はバカも休み休み言えと。日本の国連大使、並びに外務省が国連憲章7条をある国に、最初から制裁に決議をしたことは国連では全くないんです。

明らかに高いハードルをあげて、中国やソ連(ロシアのこと)拒否権行使をけん制して、どこかで落としどころを付ける、この次ぎに北が、ミサイルを発射する、あるいは今私が言ったような、地下核実験をやったときには、国連加盟国が全部制裁に反対できないような、状態を今から敷いておくという作戦であったというふうに見ております。ほぼそれは間違いないと思います。

そういう短期的なことではなく、もう少し長期的な対北朝鮮政策を視野に入れた、日本外交が今国連の舞台に於いて展開されているという第二次世界大戦後、我が国が初めて国際舞台に於いて主導権を持って北朝鮮に対する制裁発動を提案をしたという事は、これは画期的なこととして評価してよろしいことだと思います。

それからもうひとつ、5日に発射されたその日に、持ち回り閣議でマンギョンの入港を始めとする7項目の制裁案を即日発動したということも、これは、第二次世界大戦後、我が国がかつて行うことができなかった、我が国の安全が脅かされる、拉致の問題が解決をしないという理由をもって制裁を発動というのは、初めてのことでございます。

おそらく今回のことは、たぶん安倍さんが主導権をもってやったと思いますが、今回の処置を、中国が、韓国が、その他アジアの諸国がみた場合に、日本の外交というのは、今までと質的に違う動きを示しだしてきておる。教科書がどうの、靖国がどうのとかいうことを、気安く言っておったら、いや、言うことができないような政府になるのではないか、それは、圧倒的な国民が支持をしている、北朝鮮に制裁賛成、これ90%に近いんです、世論調査です。こんなことも我が国の戦後の政治で初めてのことです。90%を超えていることもある。このことが、これからの、日本のアジア外交に対して、我が国の安全保障に対して、今回の一連の処置が、いわば画期的だと言っても(いい)。(当たり前のことを当たり前にやっただけのことなんですが、)こういうことが、今進行しつつある。

この次もし、我々の予想通り地下で核実験をやったならば、これはもう、消滅の運命を辿るしかない。そう言う意味では拉致の問題は大きな意味で大変有利に進んでいると言うことです。

ただし、拉致された日本人が北朝鮮のどこにいるのかと言うことを、我が国の政府は本当に掌握しているのかどうか、していなければ、救出のしようがないんです。北に混乱が起きたと。拉致された人たち、それがどこにいるか全くわからなければ、アメリカのレインジャー部隊にお願いすることもできない。いる場所がわかんないんですから。それは困る。それに対して速やかな措置を、手だてを、こうずるべきである。

当面の拉致救出の緊急の課題は、それだろうと言う風に思っております。
与えられた時間が参りましたので、以上、私の問題提起をさせていただきました。
ご静聴ありがとうございました。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

2006年07月29日

06.7.14 西岡力氏 東京連続集会20(2)友愛会館にて

『西岡力 副会長のお話 その1』

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西岡でございます。(拍手)
先週ですね。
3日間韓国に行って来まして、金英男さんの記者会見について韓国がどういう反応を示しているのか?という事を直接聞いて来ました。
また日韓の救出団体が対立している。
あるいは拉致問題で日韓が対立していると一部報道があったんですが、その辺についてもいろいろと話を聞いてきました。

先週の火曜日の10時にソウルで記者会見がありました。
産経新聞が報道をしていましたが、韓国には拉致被害者家族会が3つあるんですが、そのうち2つが会見を合同でしました。
崔祐英さんたちの家族会と、それから朝鮮戦争中の家族の李美一さんたちの家族会です。
私もそこに同席をしていました。

そこで二つの事が主張されたんですが、一点目は金英男さんの記者会見についての韓国の家族会の見解です。
真実が反映されていない会見である。
真実が反映されていない会見に対して韓国政府がこれは真実で無いと言っていない。
韓国政府の姿勢が大変問題である。
真実が反映しない会見が何回も繰り返されても拉致問題解決には繋がらない。
再会出来たこと事態については良かった事だと思うが、嘘を言わされているという事で拉致問題解決にとってはこれ以上の進展が見られなくなってしまった。
韓国政府がこれに対して何故反論しないのか?と。
金英男さんが可哀想だと。
韓国政府だけでも金英男さんが嘘を言わされているんだと言わなければ、彼が嘘を言わされているという事を分かってくれる人が世界中にいなくなってしまう。
韓国政府が言わないので私たちが会見をしました、と言うふうに言っていました。

そして二つめはですね。
実は今回の離散家族の再会の中に朝鮮戦争中の拉致被害者の名簿が当初入っていたんですね。
奥さんが朝鮮戦争中の家族会の会員で夫を待っていたんですが、夫と会えるというふうに北朝鮮側から通報が来たと。
ところが、そして会う準備をしていたら、出発の1週間前くらいになってこれは事務上のミスだったと。
同姓同名だけれども、男性がいたんだけれども、その男性の妻というのは申請した人間とは違うと。
いうふうに北朝鮮から通報が来たと。
いうことで、それに対して韓国政府が北朝鮮から行政上のミスだったと行って当事者の妻に繋いだだけだったので、朝鮮戦争中の被害者家族会は政府に抗議をして北朝鮮にもっと厳しく言えと。
北朝鮮は拉致被害者と気付いてなくて名簿に入れたのが、後で分かって拙いと思って中止したに違いないと。
もしもそうでないのならば、北朝鮮が言ってる通り朝鮮戦争中の拉致されたと言う人と同性同名の人が、離散家族にいるという事を証明しろと、言う記者会見だったわけです。

そしてもう一点目、韓国の大手のメディアは一切書いて無いんですが、左派のインターネットの新聞とそれから一部の左派系の国会議員の人がインターネットのニュースなどで、日本の救う会やそれを支える運動が極右反動勢力であって、それと連帯してはならないという事を言っていたんですが、それに対して韓国の二つの家族会は、今までも連帯して来たしこれからも連帯していきますと。
人道そして人権という観点では日本の運動と全く一致してやっていくことは出来ますと、いう話がありました。
まずその事をご報告しておきます。

そしてもうひとつですね。
韓国の当時の新聞を金英男さんが記者会見をしたときの新聞をちょっと調べてみまして、どういう見出しだったのか?
日本でも一部報道はされていますけども、これは記者会見の次の日の朝鮮日報です。
一番自由民主主義の立場に立っている一番部数が多い、韓国でも一番のクオリティペーパーですが、これはですね。
「金英男さん拉致では無い、嘘」と書いてあります。(笑い声)
かぎカッコつきで拉致ではないと書いてあって、その後嘘と書いてあります。
見出しで嘘と書いてある。
そしてその論説ではですね。
「北の企画ドラマ、母子対面」(笑い声)
企画ドラマ、これが朝鮮日報です。

同じ朝鮮日報でこれは解説ですけども、「北の工作員も拉致だと認めたのに・・・」(笑い声)
それで「北の政府は何故嘘を言っているのか?」と言って、解説記事が書いてあります。
そこには97年に安全企画部が金さんが拉致されたと確認した、と。
北は同じ時期に高校生5人を拉致した、と。
小さな船で寝ていたら、なんて納得できない、と。(笑い声)
63年に拉致された日本人も漂流して北に入ったと主張していた。
寺越事件まで紹介して解説を書いています。
それから韓国の、これも朝鮮日報ですけど、韓国の家族会のコメントとして「北の政治的なショーに過ぎない」と韓国の家族は言っている。

それからこれは東亜日報ですが、「海水浴場で拉致、南に侵入したスパイの陳述と違う」と。
それから東亜日報の社説は「28年ぶりの母子対面、涙の海を作ったのは北の拉致犯罪である」
責任は北朝鮮にある。

次は中央日報は専門家、「徹底した脚本に従った会見である」
脚本どおりの会見である。

それからですね、一番左派系の新聞でハンギョレ新聞と言うのが有るんですが、このハンギョレ新聞も一面でですね。
「金英男、拉致疑惑を否認」というふうに事実関係だけを書きまして、しかし中の記事では「突発入国、当事者の証言、他の証人が無いので真実が漂流」
真実が漂流している。(笑い声)
ボートが漂流しているんじゃない、真実が漂流している。
ハンギョレ新聞でも真実が漂流という見出しをつけたんです。

言う事でして、つまり北朝鮮は韓国の世論にめぐみさんはもう死んでいるんだと。
ところが日本の拉致運動いろんな政治的な動機を持っていて、意図的に北朝鮮を圧迫しているんだと印象付けようと今回の記者会見を企画したと思われるのですが、しかし韓国の左派新聞までが真実は漂流と言わざるを得ないくらい説得力を持たなかったと。
朝鮮日報は嘘と書いている。
一番左側のハンギョレ新聞も真実は漂流と書いている。
言う事で彼らの工作は失敗したと言えると思います。

北朝鮮の工作は、後で安明進さんに解説してもらった方が良いと思いますが、北朝鮮の工作が侮りがたいと思われるのは人間に対する工作をする。
人に対する工作は大変優れています。
ある特定の人間に対して接近してそういう人間を自分の側に(引き寄せるために)、弱みを握ったりあるいは喜ぶ物をやったり、それが情報だったり名誉だったりお金だったりいろんな事をしますけど、そういう事をやるのは上手いんです。
日本の自民党の政治家の人たちにそれをやられた人たちがたくさんいるという事は、自民党以外の政治家の人たちももちろんそうですが、ここで何回も議論してきたとおりですが。

実は金英男さんの家族と我々がソウルで会ったときには、北朝鮮に行きましょうなんて話は一言も出ませんでした。
ところが東京にいらっしゃった時には何回も横田さんに一緒に行きましょうと言った。
そしてその時に崔桂月さんは息子と孫に会いに行きましょうと言った。
その時点でまだ北朝鮮は金英男さん拉致を認めていなかった。
それなのにあの80歳のおばあさんが行けば息子に会えると横田さんに喋っている。
それは我々が5月にソウルに行って彼女たちが東京にいらっしゃるその間に、何かがあったんです。
韓国政府がその間にあの家族の所に話をして、会えるかもしれないという話をしたんです。

その事を実は金英子さんが日本のテレビの中で話している。
会えるかもしれないといわれて、国民大集会で経済制裁をしようと一緒にこぶしを振り上げたらば、拙いと。
いう事に、端的に言えばなったんだと思います。
北朝鮮が一番嫌っている(麻生)外務大臣と会ったら困ると。
安倍さんの事は会っても、私よく分かりませんが、突然キャンセルして外務大臣には会わなくなったと。
言う事ももちろん、家族会同士のいろんな争いも小さな物としてあるんですが、本筋とすると韓国政府がそういう事を言ったんです。
韓国政府がそういう事を言ったというのはどういうことか?というと、北朝鮮から会わせてやると通報が来たという事です。

北朝鮮と韓国政府を通して、韓国政府を通して崔桂月さんに話があったと。
あのおばあさんは会いたいんだと。
ならば会いたいということで会わせて、日韓の連帯を崩せば良いと。
そういう事は大変上手いんです。

そして記者会見をしたという事です。
後で安明進さんに聞きますけど、あそこで会見場を仕切っていたのは三号庁舎だと。
三号庁舎の人がですね。
さっき増元さんも言いましたけど、シナリオを書いたわけです。
めぐみが死んだという事を韓国人に納得させるような会見にしろという事だと思うんですが、それをお母さんたちを横に座らせて会見したと。
そこまではもう大成功ですよね?

韓国の記者たちも事前に刺激するような質問はするなといわれていて、会見をして何かを喋らせる事が優先ですからそのことのみ。
事前に質問を出して会見が出来たんです。
そして生放送で世界に発信できる。
夫にめぐみさんは死んだと言わせるって機会まで作ったんです。
そこまでは大したもんだったんです。

しかし失敗したのは何か?というと、つまり調子に乗りすぎたんですね。
上手くいっていて、そしてここまでは上手く行ったと。
韓国政府も味方にして、家族も味方にして出した。
しかし、世論というものが分からないんです。
韓国にも世論がある。
ところが分からないんです。

だから私が一番酷いと思ったのは、もちろん小さな船に乗ってって言ったところもおかしかったんですけども、その後着いた後にですね。
北朝鮮に着いた後、最初は緊張していたけど北朝鮮の人は優しくて、そして北朝鮮は大学教育が無料だと。
故郷に帰ってもうちは貧乏なので北朝鮮で教育を受けて行こうと思って残る事にして28年経ちましたと。(笑い声)
と言う事を、原稿があったわけです。
その原稿を母親の前で息子に読ませる。
お母さんを捨てました、と言う原稿を母親を横にして、28年ぶりに会えて泣いて喜んだ母親の前で読ませる。
言う事をやるわけですね。

つまりお母さんの愛情よりも、党の愛情の方が上だと言わなくちゃいけないわけです。
金正日の愛情の方が上だと言わなくてはいけない、と言う社会の常識を韓国の世論がどう思うか?と思えないんです。
家族を横においておけば家族がその記者会見に同席したんだから反論できない。
そこまでは良く考えているんです。
しかし、世論が分からない。

それは小泉訪朝の時もそうだったと思います。
平壌宣言までサインさせる所までは緻密にやられていましたよね?
しかし家族会が記者会見をして、普通の鉄工所のお父さんとか、銀行員を辞めたお父さんとか、市場でマグロ買ってる競のお兄さんとかが(笑い声)、日本では話をしたらば国民はそれを信じるんだという事が分からないんです。
総理がサインしている方が上なんです。
北朝鮮では。
トップがサインするんですから。
それが分からない。

今回も、つまり韓国の人たちはめぐみさんが死んだかどうか分からないわけです。
我々がめぐみさんが生きていると言う根拠について、韓国に宣伝出来ていません。
遺骨についてはネイチャーと言う雑誌が報道したと、韓国の新聞は大きく書いてるわけですね。
どちらか分からないという雰囲気です。
しかし、今回の会見が全く説得力を持たなかったのは、金英男さんが北朝鮮へ行くプロセスが全く、韓国の左派新聞でも真実は漂流と書かざるを得ないくらい説得力が無かった。
それで失敗をした。
そういうことです。

その会見を見て感じたことについて安明進さんが来ていますので、その話をしてもらって、ミサイルの話は私後でしたいと思います。

2006年07月28日

06.7.14 増元照明氏 東京連続集会20(1)友愛会館にて

『増元照明 家族会事務局長のお話』

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こんばんは。(会場より「こんばんは」の声)
先週でしたか藤沢の集会で記者会見のことでは多少お話をさせて頂きましたが、とにかく茶番見てて辛かったと言うか馬鹿馬鹿しかったというか腹立たしかったと言うか、それが印象です。
代表御夫妻もその時仰っていましたけども、ある程度の予想出来た回答でした。
しかしいくら言い訳するにもあの言い訳はちょっと酷過ぎますね。
はっきり言って世界中の誰も信じないと思うんですが、でもそれをしゃあしゃあと言ってる北朝鮮の工作機関、三号庁舎でしょうね。
人材がいないということがこれでハッキリしたんですが、これ以降三号庁舎がこれに関わってくるともっと無茶苦茶になってしまうような。
ただ嘘を重ねていくと必ずほころびが出てくるという事で、その点ではどんどんやって貰えば良いんでしょうか?

ただ先ほど言ったようにそれを垂れ流しされると見ている家族が非常に腹立たしくなったり、特にヘギョンちゃんに嘘を言わせてる姿を、いつも早紀江さんが仰っていたんですが、辛いんです。
その姿をさせるために2ヶ月か3ヶ月か訓練させられて、そして北の言うように喋らなければならない状況というヘギョンちゃんを見るのは嫌なんです、と仰ってたので是非そのあたりの事を報道の方はしっかりと考えて頂きたいと思います。

毎日毎日、朝から晩まで彼らの嘘を垂れ流されると辛いです。
更にもう一つ言っていきますと日本の国民の中にも、信じはしないと思いますけども。
ただめぐみさんの死亡に関して報道で、「やっぱり死んでしまったんではないか?」と思う人が出てくる。
集中してこの拉致問題の考えをずっと理論しながら研究している人は、そんなに多くはないと思うんです。
ただテレビをつけてワイドショーを見て報道を見て考えている人たちが多いので、それを毎日のようにめぐみさんは死んだという報道だと、その中で段々と「やっぱり死んでしまったのではないかな?」と、そういう思いを抱く方たちが出てくる可能性があるので、あまりあの、本当でしたらもう、これ以上彼らの事をただ単に垂れ流すのは止めて頂きたいと思います。(「そうだ、そうだ」の声)

更に日本の記者に対する会見もされました。
これは金剛山での酷い会見が余りにも韓国内でも日本国内でも酷い報道がなされたから、やはりもう一回やっておかなければならないという思いでやったんでしょうが、行かれた記者の方が殆ど拉致の問題に対して今まで真剣に取り組んでいなかった方たちなんでしょう。
ただ向こうの用意された物を見せられて何ら反論もしていないのか。
その反論したと言うのが全然聞こえて来ないんですが。

例えば火葬場に連れて行かれたけども建物の内部には入れなかった、と。
「何故入れないのか?」くらいは言っても良いんじゃないでしょうか?
「何で入れないんだ、ちゃんと火葬場見せろ」と言っても良いんじゃないですか?
で、あの建物なんですけどいろいろと皆さん仰っているように煙突が無いとか、あの建物自体がですね。
松木薫さんの遺骨を納骨していた建物と全く同じ、というふうに斉藤文代さんから電話がありました。
平壌にひとつしか無いんでしょうけども、納骨堂と火葬場が一緒になっているのに余りにも小さい華奢な建物だったと私は思ってますので。

まず行った人が中を見せろと言って欲しかったですね。
それで彼らがどういうふうに対処するのか?
更に金英男氏の会見についても何ら追求したのかどうか?僕たちのところには入って来ていない。
ただ今回、実際北朝鮮が許可したのは日本の社会部の記者、新聞社の余り拉致の問題に詳しく無い人たちであろうと。
その中で記者会見が行われたのは非常に残念ですし、無理矢理な・・・(聞き取れず)もいるようですけども考えて頂きたいと私は思っています。

更に今度ヘギョンちゃんがああいうところに置かれてしまったので、今後ヘギョンちゃんの待遇、ちょっと心配はしているんですけども、我々としては日本に取り戻したいと思っているんです。
ただ金英男氏の家族も出て来ましたので、非常に難しい立場になってしまったなと言う感想を持っています。

更にテポドンです。
テポドンが7月5日、私は新潟の港に行きました。
新潟の港で万景号が入って来るのを抗議する集会に参加する為に新潟の港にいまして、7時くらいに電話で起されてテポドンの発射という事を言われました。
その時に不謹慎ですが、第一番目に思ったのは「やったぁ!」という、これで日本政府が全く制裁をしなければ、私たちの国はおかしくなるというか、国民が絶対に許さないだろうと思って制裁を課すというふうに思って喜んだと言うのが第一印象です。
正直な気持ちです。

日本の国土に落ちたわけでも無いし日本海に落ちたんですが、それでも制裁をするだろうという確信を持っておりました。
安倍官房長官でありますし。
案の定その日のうちに制裁がかかり、そして万景峰号の入港はなされませんでした。
早朝8時に港に行って「万景どうなってるんですか?」って聞いたら、沖の方で待機という状態であると。
夕方まではおそらく入らないでしょうと聞いたんで、それでその日のうちに制裁が決まるかどうか分からないけれど、夕方まで入らないんじゃないですか?という事で、夕方まであそこで待っているわけにはいかなかったので東京に帰ってきましたが。
東京に帰る車中の中で、制裁の発動が決定されたと言う。
しばらく1年近くは新潟に通わなくて済むなぁと。

半年と言っても半年過ぎたら冬に向かいますから、冬の日本海は万景峰号で航行するには非常に厳しい状況なんですね。
李英和さんでしたかね?確か。
万景を作って贈る時に、金日成があの万景峰号の設計に多少文句というか、もうちょっと大きくしろと天井を高くしろといって、多分・・・・・・(聞き取れず)たんでしょうけども、で非常にバランスが良くない。
だから凄い揺れるんですね。
あれで行った方はこの中にいられるかどうか分かりませんが、非常に揺れが激しくて在日の方もあれで行くのは大変だなと李さんも言ってらっしゃいました。

あれで行くよりは飛行機で行った方が全然良いんです。
料金も安いですし、楽ですし、平壌に直接入れますし、時間も短い。
ですからあれが止まった事を一番喜んでいるのは在日の方たちだと私は思っています。
あの船が止まったことによって、あの船で行かなくて済むんですから。
それは彼らにとって非常に良い事だと思っています。
他のある程度安くて済むという事ですのでそれはそれで良いんですが、万景峰号を止めたと言う事一点だけは評価しております。

しかし、さっきも言いましたけど何故拉致を冠につけなかったか?
つまり拉致問題の解決の為にも、というふうに言って頂きたかったし、1998年のテポドンの時も私はそう思ったんですが、我々はあの時も経済制裁の発動という事をずっと訴えてました。
確か1998年か97年、経済制裁の発動をして拉致問題をしてくださいとずっと訴えたんです。
それがテポドンが領空内を通って初めて日本政府は一応制裁をかけたんですね。
万景号は止めませんでしたけども、公務員の渡航禁止それからチャータ便の渡航禁止。
日本にいる北朝鮮の国会議員にはあんまりやってないんです。
厳しい制裁ではなくて軽い制裁をやってるんです。
でもそれでも制裁をかけたんです。

さらに1999年でしたかね。
テポドン2号、99年、もう一度撃とうとしたんです。
もう一度撃とうとしたときに、あの時の誰でしたかね?
誰が官房長官でしたかちょっと忘れましたが人・物・金を止めると言ったんです。(隣で西岡氏が「高村さん」の声)
高村さんというのは拉致はテロだと言った人ですが、人・物・金を止めると言ったんです。
あの時は日本独自で制裁をかけられる今の改正外為法とそれから特定船舶入港禁止法は無かったんです。
常に日本政府が言っていたのは単独で制裁はかけられないとずっと言ってたんです。
その最中です。
1999年、人・物・金を止めると言ったんですから。
え?と私思ったんですね。

全く実害の無いテポドンの上空通過で人・物・金を止めるとまで言えるのであれば、拉致被害者、あの時には政府認定は8件10人です。
8件10人の拉致被害者を政府が認定しているにも関わらず、それに対しては全く制裁をしようという姿勢が見えなかった。
ですから私は非常に腹が立って2000年の外務省前の座り込み、自民党の外交部会前の座り込みでもその事を申し上げました。
政治家の方たちも官僚の方たちも何か分かりませんけど、結局自分達が築こうとした信頼に対して裏切られて面子潰されたから制裁をかけるのか?という思いで、もっと実害のあるはっきりと制裁をかけて頂きたいとずっと言ってました。

2002年、9.17拉致問題が顕著化して、はっきり言って拉致問題解決のためには私たちは圧力が必要だと思っていたんですが、それ以降北朝鮮の不誠実な対応に対しても何ら制裁をかけようとしていなかったのに、テポドン一つ撃ったと同時に制裁をかけるという。
安倍さんだからかけられたという、それまで全然かけようとしないで、テポドン一つでかけるというのはちょっと私たちにとっては残念な気持ちです。
日本政府は拉致問題を最優先課題にするとずっと私たちに言い続けてました。
それが結局は最優先課題ではなかったと言う事をあの一点で私たちに教えて頂きました。
じゃ、今まで何を優先課題としてやってきたのか?
私たちはちょっと残念な気持ちが非常に強いです。
ただ、ただただって先ほどから言ってますけど、かけた事は解決に向かって繋がっていくだろうと思いますし、半年間の万景峰号、これが拉致問題も視野に入れてというふうに官房長官が訂正されましたので、日本国内では拉致問題の解決が無い限りはこの制裁を解除する事は無いだろうというふうに期待しています。

更に国連安保理での制裁決議の日は最初は威勢が良かったのに、さすがに中国・ロシアが中々拒否権を行使するかもしれないという状況の中ではちょっと難しくなるのかもしれません。
でも制裁決議は一応上程しても決議できるかどうかではなくて、どの国があのテロ国家の支援国家になるのか。
それを世界中に知らしめて頂きたい。
どの国があのテロ国家に支援しているのか?
あのテロ国家支援国として今存在するのかという事を国連の場でちゃんと知らしめて頂きたい。

更に申し上げれば、国連の機能が今まったく生きてないから拉致問題の解決も出来ませんし、中東の問題だって解決できないんではないですか。
話し合いで問題が解決するのであれば国連が主体になってこの拉致問題も取り組んでいかなければならないし、中東の問題にも取り組んでいかなければならないのに、全く機能していないというのは国連の存在意義さえ私たちに問題として考えさせられる状況になってくると思います。
今後安保理の決議がどうなるか?
私たちには不透明ですけが、もう国連だけ頼りにする時代ではないのかも知れない。
もし頼りにするとすれば国連の機能を変えるような声を私たちは上げていかなければならないと思います。
そのために私たちはあそこに2割の負担をしているんですから、国連が本当に全うに世界の平和を維持できるようなそういう機関に変えていかなければ金出さないよと言うくらいの声を上げていかなければならないと思います。(拍手)
これ拉致問題だけでないです。
このままでは国連の本当に存在意義がなくなると言う事をもっと強く国連に対して言って頂きたいと思います。
大島(国連大使)さんには。

今後日本が必ず制裁を解いて解除しないと思いますが、今後金融制裁、アメリカの金融制裁です。
これに付随するような形で日本国内にある貿易会社の資金凍結とか、北朝鮮の資金を凍結するとかそのくらいの事はやって頂かなければならないと思っています。
今アメリカの金融制裁が如何に効いているかというと、それは金正日政権を維持する人たち・金正日の回りにいる人たちの資金を凍結し、彼らに不自由を味わわせるからです。
今日本は万景号で彼らにメロンを食べさせる事はしなくなりましたが、もっと日本にある資金凍結進めていかなければならないと思います。
それが今後、彼らの核開発に使うお金が無いわけですからそれを止めることにもなりますし、ミサイルの開発にも非常に不便をもたらす事になると思いますので、平和のためにもそれはやるべきだと思っています。
そこで北朝鮮が拉致問題を解決しなければならないという状況まで、そして核とミサイルを放棄しなければならないという状況まで行かなければ本当の問題の解決までならないでしょう。

1997年私たちが家族会を結成しましてから、西岡さんも前からずっとそうでしょうけども、朝鮮総連や北朝鮮からずっと脅しの言葉をかけられております。
その脅しの言葉に私たちは一回も屈した事は無いんですが、向こうはあまり手を出さなかったと思います。
荒木さん、調査会の代表が良く仰っていますが、何回も何回も経験するとあのような脅しは「こんにちは」「こんばんは」、そういうのと全く同義語だと。(笑い声)
あんまり言われすぎるとその様に聞こえると。
我々もそういう感覚でいちいち北がどういう反応をしたかというのを、どういう言葉で言ってきたのかというのを、あんまり気にしないほうが良いと思います。

日本は毅然として自分達のやれる事を進めていけば、後は中国と韓国がどれだけ臣下であろうと、要は日本が独自の制裁政策・対北朝鮮政策を国民に納得するようにちゃんとやっていただければ、私はそれで文句はありません。
今後とも安倍官房長官に期待しながら話を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。(拍手)

★金英男さん記者会見等を検証する 東京連続集会20 テキスト一覧表

06.7.14 友愛会館にて

1 『増元照明 家族会事務局長のお話』
http://piron326.seesaa.net/article/21554573.html

2 『西岡力 救う会副会長のお話 その1』
http://piron326.seesaa.net/article/21591872.html

3 『安明進さんの証言 その1』
http://piron326.seesaa.net/article/21758653.html

4 『安明進さんの証言 その2』
http://piron326.seesaa.net/article/21851045.html

6 『横田滋 家族会代表のお話 その1』
http://piron326.seesaa.net/article/21916258.html

7 『横田早紀江さんのお話』
http://piron326.seesaa.net/article/21967565.html

8 『西岡力 救う会副会長のお話 その2』
http://piron326.seesaa.net/article/22057439.html

9 『横田滋 家族会代表のお話 その2』
http://piron326.seesaa.net/article/22084934.html
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2006年07月26日

06.7.12 横田早紀江さん2 八重山集会より

「日本最南端から拉致被害者家族を応援する市民のつどい」 06.7.12 石垣市民会館大ホールにて

『横田早紀江さんの訴え その2』

長男が(アメリカに)一緒に行ってくれましたので、めぐみが北朝鮮に連れて行かれて半年目ぐらいに写された写真だと思いますが、三枚の写真が出てきた中の一枚の、白いブラウスを着ている悲しげな写真を(それを持っていきました。)

あの寄居中学校の帰りに着ていたものと同じような白のブラウスの悲しげな写真を出してきました。骨も一緒に出てきました。けれども私はその骨を見たときは、「絶対にこれはめぐみの骨ではありません、めぐみのものとは思っておりません」とはっきりと藪中さんや斉木さんの前で申しました。「このような写真を出してきたんですよ」と三枚の写真を並べられました。後の二枚は大人になった、私達が想像もしていなかったような、めぐみの初めて見る大人の写真でしたけれども、あの白いブラウスの写真は本当に悲しい顔をしておりました。

もう、何とも言えない、悲しい目をして私達をじっと見ていました。「お母さん、私はどうしたらいいの?助けて、って言えないんだよ。でも生きてるんだよ。」と言う思いでじっと私を見ていました。本当に私は悲しくてたまりませんでした。あの、骨の白い骨壺に対しては、全然感じなかったものが、あの白いブラウスの写真を見たとき、本当に思わずあの写真を手にとって「あ〜、めぐみちゃん どんなに探したかわからなかったのに、こんなところにいたのね!」と思わず涙があふれて止まりませんでした。

二人の弟たちも滅多に泣かない子ですが、声を出して泣きました。
ほんとーになんと残酷なことを、冷酷なことをする国だと思いました。
そしてその後、その骨は日本の科学的な鑑定の結果、やはり思っていたとおり、偽の骨が、二人の他人の骨が入っておりました。

それでも北朝鮮側は、「日本はいい加減なことを言っている。そんなこと言うなら、あの骨壺を返せ、そして拉致問題はこれで終結したんだ。みんな死んだんだ」ということで、今回また考えてもいなかった、あのチョルジュンさんといわれる方、めぐみの夫だとされる方が、外務省の方の前に表れたあの人が、あの時に、政府が「貴方の毛根と血液を差し出してください」と頼んだときにも、「私は特殊機関の者であり、顔を出すわけに行かないので、一切渡すことはできません」と断り続けていたのに、どういう訳か、北朝鮮は今回、めぐみの夫とされる人が、韓国の高校生を5人拉致した中のひとりである、金英男(キム・ヨンナム)と言う名前の、その方が夫である、それがチョルジュンさんだったんですけれども。その人を堂々と、出せないと言っていた人を、完全に世界に見えるように、差し出してきました。

そしてきっと私はその方が出てくるときに、「もう私の妻は死んだんです。私がその骨を持って大事にしていたんです。だから本当に死んだんです。だからこんなに元気な孫が、あなた方の孫がここにいるんですよ。」ということをきっと言うだろうと思っていたら、本当にその通り、間違いなくぴったりのことを証言をしております。

そのようにして、「おじいちゃん、おばあちゃん、私に会いたければ、北朝鮮に来てください。」とウンギョンちゃんと又名前が変わりましたけれども、(以前はヘギョンさんが)言っておりました。

あの当時も(2002年)小さかったまだ15歳の、ヘギョンちゃんの時に泣きながら、フジテレビが放映した中に、「おじいちゃん、おばあちゃん、私に会いに来てください」と言っていた姿を皆様も覚えてくださっていると思います。本当にどんなに揺れ動いたかわからない、すぐにでも抱きしめたい思いでいっぱいでしたけれども、そのようにして又向こうに行ったときに、あちらのラインの中に入ってしまった者と、あの北朝鮮のラインからこちらの自由な世界にいる者とでは、発する言葉が全然違うと言うことを、私達は勉強していました。

金英男さんが出てきたときに、お母さんやお姉さんにも申し上げました。「会いに行かれるのは親心として当然ですけれども、本当にどうしても返してもらいたいと思われるのであれば、ここの膝に、貴方の膝に金英男さんを抱きしめてください。あの北朝鮮のラインから外に出して抱きしめてあげましょう。私達もヘギョンちゃんや、めぐみを取り戻したいと活動しているんです」と言うことを申し上げましたけれども、やはり韓国と日本では拉致問題についての考え方も違うので、やはりまた向こうに会いに行かれました。

そのような中で、今のような状況に動いてきているわけです。けれども本当に先ほど砂川さんのお話にもありましたとおり、もうあの頃から、大韓航空機縛は事件から、そのことさえも北朝鮮は「我が国がやったことではない」と言い続けております。

拉致は認めましたが、「7名の人は全員死亡」、後の二人は、曽我さんのお母さんを含めて「見たことも入ってきたこともない」と言い続けて、「これで拉致問題は終わりだ」と言っています。

みなさま考えてみてください。何にも悪いことをしていない大切な子供が元気いっぱい帰ってきてときに、はっと捕まえられて、あの国に監禁されて、向こうの思想を埋め込まれて、向こうのために、工作員養成のためにこき使われて、今、三十年間もあちらで助けを求めているんです。

今も何処かで「助けて!」と言っている声が聞こえています。けれども、北朝鮮はそのようなことをして、もう、気が狂うようになる、気が狂ったかもしれない。。。めぐみは鬱病になったと言われていますが、本当にそうならないのがおかしいぐらいのことです。

そのような中で、「はい、死にました」「はい、拉致問題は終わりです」と言われて、みなさまは「あ、そうですか」、「残念でした」とおっしゃるでしょうか?

こんな馬鹿なことをされて、そのようなことを言われて引くことができるでしょうか?こんな大事な問題をこのままにして、日本の国は世界に笑われるのではないでしょうか?

さきほどもお話がありましたが、アメリカならば、たったひとりの自分の国の大切な者が連れ去られたら、空母を出してでも取り返すぐらいの力を持っています。

本当に日本中が怒って、外務省が怒って、国会議員全部が怒って、小泉総理が怒って(ほしかったんです。)骨が出てきたときに、偽だったとわかったときに、「何と言うことなんだ!」と怒っていただきたかったんです。誰も怒らなかったんです。「遺憾でありました。」とおっしゃっただけでした。

ご自分のお子様がそうであっても、「遺憾でした」とおっしゃるんでしょうか?

気が狂うような思いで私達は何十年間、本当に、一生懸命皆様に助けられて、ここまで来ました。、
そして北朝鮮のいろんな事が明らかにされ、拉致だけでなく、不審船が入ってきたり、そして万景峰号というあの大きな船が、いつも新潟港に入港して、向こうの国会議員といわれる人が、行ったり来たり、堂々とできて、向こうの秘密、こちらの秘密をいろいろ持って帰って、情報をつないでいるような、「そのような船をを止めてください」と、私達は垂れ幕を持って、蓮池さんのお母さんやお父さんと一緒に、もっと前から、万景峰号の前に立って、「子供達を返してください!この船に乗せて返してください。」と何度言ってきたかわかりません。それでもどういう訳か、あの船はなかなか止めて頂くことができませんでした。

「法律がないから、できないんです」ということでしたので、若い議員の方が、一生懸命頑張って、考えに考えて、計画を立ててくださり、ようやく船を止める法律を作ってくださいました。「今ならば、すぐに止められる、だから止めてください!」と言っても、なかなかそのことが実行されないで、発動がなされませんでした。

こーんなに悲しいことが、次から次から、起きていても、どこまで我慢をしなければならないのでしょうか?もしみなさまの大切なお子様やご兄弟が、このような状態にあったら、どうなさるでしょうか?本当にこの日本の国は、どうしてしまったんだろうと思うほど、悲しい思いでいっぱいです。

私達は新潟時代に、毎日、毎日、毎日、泣いて、泣いて、泣いて、絶叫して、畳をかきむしって「もーう、死にたい、早く死にたい」「こーんな哀しいことをひっさげて人生を歩みたくない」と、どれだけ思ったかしれません。どれだけ涙を流したかわかりません。

だんだん年が言ってきましたので、涙が枯れ果てたというか、何か体中の水分が全部抜けてカラカラになったような想いの毎日なんですけれども、今ようやく、大きく国際的に、この北朝鮮に対する人権問題ということが大きく問われているようになってきましたが、(それでも)なかなか、全部の国々が心を一つにして取り組むことができなくて、残念なんですけれども。

いろんなものが突然飛んできたり、恐ろしいことを平然と「これでもか?これでもか?」と北朝鮮はやっておりますけれども、本当にこのようなことを許していて良いのでしょうか?

私は別に戦争をしたいとも、あちらに国を責めてめちゃくちゃにしたいとか、そんなことを考えてはいないのです。本当にあの北朝鮮という国が、あの指導者の方が、ちょっと心を入れ替えて、拉致をした人たちを、「大変なことをやったけれども、これは本当に申し訳なかった」と、みんな待ち望んでいる、年老いた家族の元に、戻してほしいとお願いしているだけなんです。

そしてそのことで、本当にみんなが、国家が全部が、心を合わせて、「よい交流をしましょう」と、本当に「心からの暖かい交流をしましょう」と言うことになってほしいと、いつも願っております。

このような難しい問題を、どのようにするか、これ以上政治的なことは私達はわかりませんが、アメリカが一生懸命に拉致問題に対しては「必ず最後まで、核の問題と一緒に、声を表に出してやっていきましょう」と約束をしてくださいましたし。

本当にあの時に、ブッシュさんが、めぐみの写真を持っていった息子が、あの白いブラウスのめぐみの写真を見せた時、「私の姉は、本当に朗らかな明るい姉でした。いつも、歌っていました。けれども、こんなに悲しい顔をして写されてきたんです。」と言ったときに、ブッシュさんは、悲しそうな顔をなさって「この子の体はここにないけれども、この子の心をここに一緒に置きましょう」と言ってくださって、自分の横のテーブルにこうして(写真を)立てかけてくださったんです。

そして「本当にこのことは勇気のいる、大変な仕事だけれども、忍耐もいるけれども、お母さん、がんばってね」と最後に私にしっかりと言ってくださいました。

本当に日本の国の、全部の人たち、国民、家族、被害者家族、全国民、警察の方、外務省のお一人お一人、国会議員のお一人お一人−−あれだけたくさんの国会議員の人たちが、ぎっしりとあれだけいつも座っていらっしゃるんですから、あれだけの人たちが、心を合わせて声をだせば、ものすごい大きな声になるはずなんです。怒れば、その声が向こうに届くんです。何も言わなければ、「あぁ、何も怒っていないんだな」と向こうに伝わるだけなんです。

本当に大切なことに対して怒る心を忘れてしまった日本という国が、本当に私は悲しくて仕方がありません。

でもこうして全国のたくさんの支援の方々が私達に力を貸してくださり、いろーんな方々が、いろーんな知恵を出しあってくださって、国民大集会、署名活動、カンパをお願いしたり、みなさまに助けられて、遠い外国まで(行く)費用をだす事ができて、皆様のおかげで、こうして長い時間動いてくることができたことを、本当にありがたく思っています。

けれども、この拉致問題がはっきりと解決しないと言うことは、これは、日本の国にとって大変な問題だと私は思っています。

こーんなに大切な命を奪われている国が、何にもできないということが世界に知れ渡ることは、世界は日本をどう見るのでしょうか?
命がけで、みんなが命がけで、大切な国民を、若者を、取り返そうと、心を込めて団結したときに、初めて、「あぁ、日本という国は、さすがにすごいんだな」ということが、世界に発信されるんではないかと思っているんです。

私達は本当に、小さな、小さな一庶民でしかありません。難しいことは何にもわかりません。
けれども、大事な大事な、<命の問題>、<心の問題>というのを父や母から教わってきました。昔の日本は、みんな父や母が厳しくそのことを教えてきました。本当に「悪に対してだけは、絶対に負けてはいけない。口を、言葉を出して行動で示しなさい」といつも言われてきました。そのような想いがあって、私達は何もできないんですが、一生懸命にこうして動かせていただいてきました。

そして、今一番大切な時に来ておりますので、どうか皆様方の本当の真心を私達と共に合わせてください。この拉致問題、たくさんの被害者がいます。特定失踪者は、480名に近い方が、特定失踪者調査会の方に調査を申し込んでいらっしゃいます。中でも、100名に近い方は、必ず北朝鮮に拉致をされた方だと言われています。こちらの方でも、私達は余り知らなかったのですけれども、二名か三名の方が拉致をされているんではないかと、言われています。

本当に闇の中で埋没してしまって、助けを求めている。どんなに悲しい、暗い、悲しい、人生でしょうか?、あのような無味乾燥なところで、毎晩、毎晩、お月様を見ながら、「どうして助けてくれないんですか」と叫び続けている子供達、溺れ続けている子供達。
溺れている人を見たら、誰だって、すぐに飛び込むんじゃないでしょうか?ロープを持って、投げ出してあげるんじゃないでしょうか?
もうアップアップとして、ほんとうに水がここまで来て、「早くしないと死んでしまいます!」と言っている人たちをしらんぷりをして、あちらに向いて逃げていくのでしょうか?

必ず私達は、日本人は、心を一つにして、今、この拉致問題を、少しの危険はあっても、「命がけで助けてあげましょう、みんなの大切な国民なのですから」ということができ、それが現されたときに、日本の国は、本当に、素晴らしいことに変わっていくのではないかなーと、私は思っています。

恐ろしい親殺し、子殺し、何とも言えない曖昧な、曖昧模糊とした、何を目標にして良いかわからないような、ただ、「勉強しなさい、勉強しなさい」と。何のために勉強するのかわからない。素晴らしい大学だけ出ればいい。優秀な会社に入れば、もうそれでいいというような事だけではなくて、どーんな地位にあっても、大切な魂を、しっかりと人の命を大事にしなければならない。絶対に命を奪ってはいけないと言うそういった大事なことが、真心の中にしっかりと植え付けられた子供達が、育っていくことが、どんな地位にあっても、
それが(命を大切にすると言うことが)発揮されていく大事な問題ではないかと思わせられております。

どうかみなさま、本当に私達を応援してください。

拉致被害者の、苦しんでいる人たちを、一刻も早く、この自由な日本の国の中に取り戻して、本当に自由な空気を吸わせてあげてほしいと願っております。

どうか宜しくご支援くださいますように、お願いいたします。
ありがとうございました。

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06.7.12 横田早紀江さん1 八重山集会より

「日本最南端から拉致被害者家族を応援する市民のつどい」 06.7.12 石垣市民会館大ホールにて

『横田早紀江さんの訴え その1』

石垣のみなさん、こんばんは。
今日は本当にひどい風の中をこのようにたくさん、遅い時間にお集まりいただきまして、私達の被害者、また拉致問題のためにお話を聞きに来てくださいまして本当にありがとうございます。

今日の会を開いてくださいますために砂川さんはじめブルーリボンの会のみなさま、多くの方々が、いろいろな準備をしてくださいまして、日にちをのばしてもらったり、いろんなご迷惑をおかけしましたけれど、本当にこのように沢山のかたがこの場に集まっていただきまして本当にありがたく思っております。

今日はほんとうに、素晴らしい歌を聞かせていただいて、本当に心の底から、いろーんなことが思われて、あの美しいお月様がこちらで出てきましたときは、本当にお月様をいつもみながら私達も泣いておりまして、何年も何年も、めぐみのことを思いながら、「あの子もこのお月様見てるのかなー?どこにいるのかなー?」「ただもう生きていてほしいなー」、と言う思いで、何度、庭に出ては泣いたかわからないのですが、やはり曾我さん、蓮池さんたち、お帰りになった方もおっしゃっていましたけれども、「本当に何度もお月様をみながら毎日誰かが助けに来てくれるんじゃないかと待っていたんです」ということをおっしゃっていました。

蓮池さんご夫妻は、「待っても、待っても日本から誰も助けに来てくれなかった。三年間一生懸命我慢して助けに来てくれると思い続けていたのに、誰も来てくれなかったので、私達は諦めるしかないんだと、北朝鮮人として生きていくしかないんだと、思って、そして諦めてそのような生活を180度思いを変えて、過ごしてきたんです。」とおっしゃていました。

曾我ひとみさんは、「最後まであきらめないで、必ず日本に帰れると思って、思って、思ってきたんです」とおっしゃっていました。

みんなそれぞれ、どんな本当に悲しみの中に、理不尽な、な〜にも悪いことをしていない、こんなに平和な日本の国の町々から、海岸から、いろんなところから、あっという間に袋を被せられて、あっという間に、船の乗せられて、暗い夜に船に乗せられて、ボートに乗せられて、そして工作艇に乗りかえさせられて、そして大きな母船まで運ばれて、北朝鮮に運ばれていったということを、みんな同じ事をお話しされていることを聞くたびに、本当に本当に恐ろしいことが、この日本の国の中で(起こっていたのだと思うのです。)

私達は何にもわからないで、平和な国になって、戦争を放棄して、「良かった、良かった」と物質にも恵まれ、自由に発言でき、なんでもおいしいものを頂き、なんでも好きなものを着られ、本当に自由に、素晴らしい人生になったと喜んでいたのに、その大切な平和の中で、(そう)思っていた大切な平和の中で、これだけの多くの日本の若者たちが、皆様のお子様と同じように本当に、お母さんのお腹の中に神様がくださった、大切な大切な小さな命が芽生えて、そしてそれが、本当に一生懸命喜びの中で大きくなって、10ヶ月たってようやく生まれてきて、「あー良かった」と、一生懸命に育てて、「あー、三歳になった」、「一年生になった」、「10歳になった」、「あー、13歳になった」、「二十歳になった」と、みんなが喜んで親は、喜んでいる最中に、また子供達はそれぞれに大きな夢を持って「この日本の国でこれからどんなことをしようかな」「どんなお役に立つような人間になろうかな」とか、いろいろに純真な思いで育っていただけの、ただそれだけの平和な子供達が、いったい何の罪があるのでしょうか?

私は、この事件が二十年間わからないで、新潟のあの海岸を泣きながら何度も探し回りました。
「めぐみちゃん、どこに行ったの?どうしたの?どこにいるの?」
まさか、あの土の中に埋められたんではないだろうか、まさか、あの海に放り投げられて、お魚に食べられてしまったのだろうかとか、もう本当に、黒い雲のように恐ろしいことが頭の中を駆けめぐって、気が狂うような、新潟時代を過ごしてきました。

一体この子はあんなに元気で歌っていたのに、あんなに家の中で大きな声で笑って、みんなを笑わせていたのに、ぱっとあの学校の帰りに、家のすぐそばの曲がり角のところで消えてしまって、まるで煙のように、パット消えて、何にもわからない、何十年探しても。

新潟県警がもう、かつてないような、大捜索で、あらゆるところを探し回ってくださっても、何一つわからない。こんな不思議なことが何故あるんだろうと思い続けてきました。お友達と三人で帰ってきましたその角のところで、捜査をする犬がきまして、ここでにおいが消えていました。「きっとめぐみさんはここまで歩いてきたにちがいありません」と言われていました。

その角のところで、いつもいつも、普通に帰ってくる角、もうすぐのところが家なんですが、どうしてこんなにわからないんだろうと、ここで何があったんだろうと、いつも思っていました。そして煙のように消えたことが不思議で不思議で、一体どういう事なんだろうと考えていましたが、曾我ひとみさんが帰国をなさって、(曾我ひとみさんはめぐみが連れて行かれて一年ぐらい後に北朝鮮に連れて行かれたんですが)その時にすぐに早いうちに、めぐみがひとりで住んでいる招待所と言うところにひとみさんが、連れて行かれて「今日からあなたはこの子と一緒にここで勉強することになりましたから、この子と暮らしなさい」と連れてこられたそうです。

初めて、自分とほとんど年が同じ年頃の(四つ五つは違うんですが)女の子同士があったわけで(す。)めぐみは本当に不審船(工作船)の船底にに閉じこめられて、「お母さん、助けて! お母さん、助けて!」と絶叫しながらあの暗い日本海を、40時間もかけて、もう泣き叫んで、疲れ果てて、どーんな怖い思いで連れて行かれたかわかりませんが、そのようなことを聞きます時に、本当に恐ろしかったと思います。悲しかったと思います。何故自分がこんなところにいるのかもわからないで、気が狂うような毎日だったと思います。

たったひとりで招待所で朝鮮語や物理や、数学や、いろんなものを、朝鮮史とか朝鮮語とか教えられていたと思いますが、そこにひょっこりと曽我さんが現れたことで、どんなに嬉しかったことでしょう。
あー私と同じようなお友達がきた と思ったと思うんです。それで「<こんにちは>と優しく声をかけてくれたんですよ」 とひとみさんは言ってました。そしてこれから一緒にここに住むようになったということで「よかったね」ということで名前を言い合って、そしてお茶を飲んだりしながら。

「夜寝るときに、お布団を敷いているときに、めぐみちゃんが聞いたんですよ」(ケガをしていたのかどうか知りませんが)ひとみさんの足を見て、めぐみが「<ひとみさん、その足どうしたの>、と聞いてくれたんですよ、こんなに優しく聞いてくれたのは、もう本当に初めてだったので、もう嬉しくて思わず私は本当のことを言いました。私は佐渡に住んでいて、そして佐渡で、お母さんと一緒に、夜、お買い物に出たときに突然後ろから3〜4人の男の人に追いかけてこられて、あっという間に植え込みに連れ込まれて、そしてぐるぐる巻にされて、猿ぐつわをはめられて、あっという間に袋を被せられて、船に乗せられて連れてこられたんです」と言ったらしいんです。

「けれども私のお母さんは一緒に来たのに、そのお母さんはここにいないのよ。どこに行ったのかわからないのよ。」とめぐみに話してくださったそうです。そうしたらめぐみも「あーそうだったの。私も、実はバトミントンの練習の帰りに、お友達三人と一緒に帰ってきたときに、角のところまで歩いてきたときに男性に捕まえられて北朝鮮に連れてこられたんですよ、と言ってくれました。」と初めて話してくださいました。

「あーそれで、あの角で消えたのは、そういうことだったのか」とわかりました。
そして、本当に、北朝鮮に連れて行かれたことが現実だとはわかっていましたけれども、いろいろと細々と知らないことが次から次からと出てくるようになりました。

私達は、一人ではめぐみを捜し出すことはできませんので、家族会のたくさんの方達と、有本恵子さんや、この方は先ほど砂川先生がお話なさったように、ヨーロッパ経由であちらの方に騙されて連れて行かれたんですけれども、海岸から連れて行かれた蓮池さんや地村さん、そして曽我さん、そして富山から連れて行かれそうになって、ぐるぐる巻きにされて、もう連れて行かれそうになって海岸に置いておかれた時に、犬がワン!ワーン!と吠えてきたので連れて行こうとしていた人たちは、ぱーっと逃げて、そして、もうおばQのようにくるまれたたままでその男の人は転がるようにそのままで民家まで転がって、助けを求めて、助けていただいた。それは未遂事件ですけれども、その方は、全然表には出ませんが、そういうことは確かにあるんです。

そう言うことが、次から次からと、こんなに平和な日本の国で行われ続けてきたと言うことが、今わかりました。そして私達は、あまりにも北朝鮮という恐ろしい国のことを知らなすぎました。私達も全然知りませんでした。朝鮮と言っても本当にそんなことまでする国とは思っておりませんでした。だけれども、今の指導者の国家犯罪としての指令のために「拉致をしてきなさい」ということで、たくさんの人を連れて行ったんです。そしてそれは私達の日本だけではなく、ジェンキンスさんがお帰りになって「告白」と言う本を書かれてっそしてその本の中で、レバノンやその他の国(タイ・シンガポール・マカオ・香港・イタリアなど)全部で12カ国から若い人たちが拉致をされ、そして親はみんな悲しんで待っているわけです。そのようなことがだんだんと明らかにされてきました。

私達は今年の3月に一度(那覇に)伺いましたけれども、今日、二度目の沖縄ですが、全国を回って、もう10年になります。全国をこうして訴えてきまして、全国みんな、ほとんどの県がよくわかってくださり、そして救う会もたくさんの会ができました。私達はそのことだけでなくアメリカにも二度行きました。向こうのアーミテージさんはじめ多くの高官の方々、上院議員、下院議員の方に拉致問題を訴え、スイスのジュネーブのほうまで行き、国連の(国連人権委員会)にまで行って、訴え、本当に一生懸命に助けを求めてきましたけれども、日本の政治、日本の動きというのは非常に私達にとっては冷たいものでありました。本当にどうしてこんなに本気になって動いてくださらないんだろうと、みーんな家族のものは悲しくて仕方がありませんでした。

けれども、このたび、初めてアメリカの議会の公聴会に出させていただき、拉致被害者の家族として証言をさせていただく機会を与えられました。本当に普通の主婦でしかない私など、そんなところにとっても出られるものではないのですが、もうただ一心で、この問題を一生懸命話させていただき、まさかお会いできると思わなかったブッシュさんにお会いさせていただき、非常に緊張してカチカチになっていたのですけれども、ブッシュ大統領は非常に明るい方で、「こんな大切な人権の、命と自由と言うことについては、私はどんな時間でも割いて話しをすることができる」と言う形ではっきりとおっしゃっていただき、「このお母さんは、もう何にもいらないんだ、だた娘を返してほしいだけなんだ。娘を抱きしめてやりたいだけなんです。」ということもはっきりとおっしゃってくださいました。「北朝鮮が世界に尊敬される国になりたいのならば、拉致をした人を、すべて返すべきだ」ということまで、はっきりとおっしゃってくださいました。

・・・その2に続く・・・

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06.7.8 川添友幸会長閉会の辞 第14回藤沢集会(12)藤沢産業センターにて

『川添友幸 救う会神奈川会長 閉会の辞』

さっきのてんびん座の件ですが、1月に私どものよど号の集会に来られまして、是非協力して頂きたいという事で、私が台本を預かりましてですね。
横田さんの方にお見せして修正・手直しをして頂きまして、うちの会も全面協力という形でですね。
5月に上演会を横浜の方で行いました。
報道等でもご存知だと思いますが、いろいろ嫌がらせだとか脅迫などを少し受けましてですね。
私たちの方も警備に入ったりする状況だったんですが、実は何も無かったと言う事でですね。
是非また見たいと言う声がてんびん座の方にかなり来たそうで、再度上演会をやる事になったということです。
今日チラシを一緒に入れたんですが、8月の16、17日にですね。
鎌倉芸術館の方で再度、アンコール公演ということをなさると言う事なので、私たちの方もこういう事で訴えて頂くのは重要だと思っていますので、お暇な方、お盆の時期なので人が集まるかどうか心配しておりますので、お時間のある方是非御参加して頂ければと思っておりますので。
団長の森さん来られるはずだったんですが、ちょっとお姿が見えませんので私の方が代わりに御紹介を致します。

それと次回以降の講演なんですが、10月の7日にここの会場で講演会を予定しております。
講師の方もチラシに書いてありますが、横田拓也さんに来て頂くということで了解して頂きました。
10月にどういう状況になるかまだ分かりませんし、安倍さんになるかもしれませんね、10月ですから。(笑い声)
そういうこともあるんである意味ちょっと総裁選挙も見据えてということでですね。
その辺の集会にしたいと思っていますんで、また宜しくお願いします。
本日長い間、2時から3時間以上だったんですが長時間の講演ありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・
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06.7.8 パネルディスカッションその2 第14回藤沢集会(11)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その2』

★司会 川添友幸 救う会神奈川会長

私の方から皆様にフリーに聞いてみようかなと思うんですが、まず真鍋さんにちょっとお聞きしたいことが有るんですが。
特定失踪者のお話はいろいろ伺ったんですが、手嶋龍一さんの「ウルトラ・ダラー」でしたっけ?
私もあれを読んで目からうろこだったんですが、あの手嶋さんは(9・11同時多発)テロの時にNHKのワシントン支局で(テレビに)出られた方で。
北朝鮮でしょうね?偽札の話をずっと本に出されましたが。
あの本に関しては失踪者の事がちょっと出てくるので、調査会ではどういうふうにお考えか?を宜しくお願いします。

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

Img_1861.jpg

先ほども申し上げましたけども、「ウルトラ・ダラー」はですね。
いわゆる日本の失踪者の話からスタートしています。
それも偽札を作るだけの技術を持った職工さんが、東京湾から謎の失踪をしたと言う所から小説のスタートになっています。
中身はですね。
何人かの日本人の拉致被害者が、北朝鮮で偽札作りをされていったという展開になっています。

この本に書かれている情報と我々が持っている情報を比較いたしましたら、部分的に一致しております。
部分的に一致と言う事は、私たちが持っていない失踪者情報をその本に盛り込まれています。
その盛り込まれているのはフィクションではなくて事実を盛り込まれています。
だから、まだ私たちにお届出の無いですね。
偽札作りに従事できるであろう技術を持っていらっしゃる方が失踪していると言う事でございますから、注目している小説である事は間違いのないという事であります。

ちょっと補足しますとですね。
何故東京湾で職工さんが失踪しているか?ということですね。
偽札を作れる職工さんがという事ですが、ポイントは千葉大学です。
千葉大学はですね。
当時から印刷工学科と言うのは日本でもっとも優れた学科でした。
そこを卒業された方が失踪をされています。
その方の持っている知識・能力・理論はおそらくは、おそらくはですよ?
私の想像では偽札作りの大きなポイントになっただろうと思っています。

ちなみに偽札作りはいくつかの段階があります。
北朝鮮の偽札作りは、初期の段階からは今は本物よりも精巧な偽ドルを作っているわけですが、そのもっともターニングポイントになる、要するに独自で北朝鮮で偽札が作れるようになってからパッタリと日本人の職工さんの失踪が消えています。
要するに初期の段階ではやはりいろんな情報なり技術なりをですね。
身につけなければいけないからそういう日本人を必要としたんではないだろうか?と推測をしています。

蛇足ながら、何故北朝鮮は本物以上に精巧に偽札を作ったか?というのをお分かりでしょうか?
それは自分達が作ったものが偽札か偽札で無いか、分からなくなったら困るからです。
さっきロシアの方に決済で偽ドルを入れたと言う話をされていましたね。
だからまたそれが戻ってきた時に、これが偽札かどうかチェック出来るようにする為です。
どういうふうに精巧かと言いますと、拡大しますとですね。
1本の線が本物は滲むんです。
滲んで線が曖昧になるんです。
ところが北朝鮮の作った偽ドルは拡大しても拡大しても1本の線です。

それくらい凄い技術を持って、偽札作らないで本物作れよと(小さな笑い声)、ねぇ?
まともな国だったらそれだけの技術があるんだから「俺の所でドルを作らせてくれよ」とやりゃあ良いもんですけども、変な人がトップにいると変な事しかやらないということでございます。
ちょっと雑談でした。

★川添氏

ありがとうございました。
増元さん、お聞きしたいんですが。
今日次回の10月の講演会のチラシを配った中に北朝鮮自由週間のポスターを、4月にアメリカに行かれたときのあれのポスターをチラシの中に引用させてもらったんですが。
アメリカに行かれたとき北朝鮮自由週間のいろんな集会に参加されましたよね?
その辺の話で何か印象に残っている事があったら、そういうものがあればちょっとお話いただければと。
横田さんがブッシュ大統領と会ったと言う話はかなり出ているんですが、他の部分で訪米した時の話を何かあればお話していただければと思います。

★増元照明 家族会事務局長

Img_1854.jpg

昨年の4月にまずフリーダムハウスと言う所が主催して「ジェノサイド展」というのを開いたんですけれども。
これはアメリカの北朝鮮人権法に基づいて、そこから資金が出ているんだと思うんですけど。
ですから大きな大会になっておりました。
そこで丸一日朝から晩まで各部の国会議員やら脱北者の話が朝から晩までやっておりましたし、アメリカのブラウンバックとか強硬派の人たちが集まって北朝鮮の問題をやっていました。
その一角で拉致問題もやったんですが、アメリカの国内では脱北者問題、それと北朝鮮の国内での人権抑圧それに関しては非常に理解を示しているし、大きな運動になって行きつつあったとは思います。
ただワシントンに10万とも言われる韓国系アメリカ人の、そこが主体になって一般の方たちまで中々巻き込めていなかった。
それがキリスト教原理主義者の人たちと一緒になって、アメリカで北朝鮮人権問題を一緒にやっていたのが非常に印象的でした。

そういうキリスト教関係の人たちがやっぱり人権と言う問題で捉えて強くやっているんですけども、彼らが一番強くやっているのは中国にもっとしっかりしろと言う事を言ってるんです。
ですから昨年の4月も中国大使館前でデモンストレーションでプラカード持ってぐるぐるぐるぐる回ってやったんですけども、その前年にやったときは、前年の12月呼ばれてたんですけどその時初めてじゃないかと思うんですけど、全世界で同日同時刻ですから。
日本が一番先、12月8日の午前11時だったかな?
中国大使館前に私たちも行ったんですけど、それを全世界でやろうという運動があってアメリカでもやったそうです。
中国大使館前の小さい芝生、目の前に芝生があるんですけどね。
最初はアメリカの警察も全然警戒していなかったので、中国大使館の目の前の芝生でやってたんですね。
それ以降そこに柵を作られまして、ちょっと距離の開いたところからやらざるを得なくなったんですね。
それだけ中国が気にしていると言う事はあると思っています。

今年の4月の28日、何とか広場ってそこで集会をやったとき、私はその時帰国していたんですけど後から話を聞いたら今回の公聴会、それに対して韓国の大使館にキリスト教原理主義者の理事長が協力を求めたそうですね。
何でも良いから韓国の大使に「ちょっと来てください、そこで北朝鮮の人権問題に関して一緒にやりましょうよ」と、何回も何回も言ったんですけどもうんともすんとも言わなかったそうですね。
あの公聴会にも李美一さんとか、それから他の脱北者とかもいたんですが、結局日本サイドは救う会の方でちゃんと翻訳をする方を見つけお願いをして、それに対して綿密に事前に協議しながらあの10分間にまとめたんですけども。
向こうはまとめる方がいなかったので、各個々が勝手にしゃべって、通訳を入れて一人10分の所を10分だらだらと喋ってしまって、相手に対してまとめていないもんですから向こうの委員もうんざりした顔をしていたんですがね。

その通訳は結局アメリカの国務省の人間がやってたんです。
韓国の大使館はそこに一切関知してないんですね。
よっぽど北朝鮮に今刺激してはいけない。
だから韓国の大使館員は画面に出るのも駄目だという事で、公聴会にも来られてなかった。
その事実を踏まえて28日の集会が終わってみんなして手分けして中国大使館に抗議する人、韓国大使館に抗議する人と分かれて抗議しに行ったそうです。
今、中国・韓国、これが北朝鮮に非常に融和的な姿勢を示している事、これがアメリカの内部でも問題になっているというのは私にはちょっと印象的でした。

今回安保理でロシアと中国が棄権するか拒否権使うかと言ってますけども、これ中国が拒否権使ってたら、ロシアが拒否権使ったら、あの国2ヶ国これから世界から白い目で見られる。
そういう状況に追い込んで行かなければならないのではないかと更に思っております。

★川添氏

ありがとうございました。
昨年は確か日本も同時刻、中国大使館にやりましたよね?(増元さん「昨年、一昨年です」の声)
昨年は僕も行きまして、丁度反日デモの影響でですね。
物凄い数の警官隊がいましてですね。
大使館の前まで入れてもらえないで、入れる入れないで警察の方と押し問答をしたのを記憶で覚えています。
我々よりもマスコミや警察の方が数が多かったもんで、最後ちょっと抗議文を読んで確か帰って来たと記憶してますが。
中国に関してはこれからオリンピックとかいろんな場がありますんで、何とか拉致問題も含めてですね。
北朝鮮の問題で協力してもらうのは難しいかもしれませんが、貰うようなことを運動をしていきたいなと私も思っています。

次に寺越さんと内田さん、ちょっと一緒にお聞きしたいんですが、寺越武志さん。
北朝鮮にいらっしゃいますよね?
武志さんの近況、今の状況のお話ですとかね。
あるいは友枝さんがちょこちょこ行ってると言う話を私も聞くんですが、その辺の話で何か御存知の事があればお答えして頂ければと思います。

★内田美津夫さん(寺越昭二さん三男)

私たち4年前に初めて金正日が拉致を認めた後に、私たちの父親の真相究明を政府にお願いしたんです。
そこで4年前私たちは拉致だから拉致認定をして欲しいと、これも同時に要求しました。
その後、友枝さんと会いまして「私たちはこうして拉致問題を一生懸命救う会とやりますから一緒にどうですか?」と話をしました。
そこで友枝さんは「私は息子が可愛いから一緒にやれない」という事で、「進む道は違うけどもお互い頑張りましょう」と、こういうことで4年前に別れて。

その後一応直接友枝さんと話はしていないので、聞いたり見たりした話を一つさせて頂くと。
やはり今まで友枝さん、飛行機で中国経緯北朝鮮と言う形で行ってたんですが、前回は荷物が多くなったからということで新潟から万景で行きました。
本当に向こうの方で今の生活を維持しようとした時には、向こうからの配給だけではとてもじゃないが生きていけない。
武志の子供が嫁を取ったり孫が出来たりしたもんですから、どんどんどんどん持っていくものが増えると。
そういう事で、前回は万景で行きました。
荷物が多くなったと言う事で。

それともう一つ聞いた話では、今武志が一番心配をしているのは友枝さんが年老いて北朝鮮に来れなくなる事が一番心配だということです。
北朝鮮からのこちらへのメッセージは部屋が8つもあって、お母さんが行った時には焼肉を焼いたりお母さんの誕生日をしてあげたりと、そういう食べ物がわんさと出てくるようなメッセージばかりが出てくるんですけれども、武志はこの後北朝鮮でもし生きていこうとしたら援助が物凄く必要なんです。
それが途絶える事が一番心配していると、そういう事を聞いております。

★寺越昭男さん(寺越昭二さん長男)

付け加えて、やっぱり北朝鮮からもたらされる話ちゅうのは、何一つ私らには確認出来ないんですね。
武志が立派にやっている。
お母さんが行った時だけそこにいるんかも分からない。
再び帰ったら、どういうところに住んでいるかも分からない。
本当に北朝鮮のやっている事ちゅうのはもう何一つ分からない事ばっかりなんですね。

友枝さんが行った時に北朝鮮で何か運動会みたいなことがあって、武志が職場の(平壌市)総同盟副委員長と言う事で商品を渡しているようなビデオを持って来たりもしていますけども、これも私らから言わせればやっぱり何か作られているなと言う気もするし。
そんな事を考えるとやっぱり、一日も早いことやっぱり武志を自由にさせて、自由に行き来できるようにさしてやらないかんがな、と思いますけども。

★司会 川添氏

どうもありがとうございました。
そうしましたらですね、会場の皆様に一言ずつ何かアピールとかメッセージとかあればお願いしたいと思います。
寺越さんからちょっと宜しくお願いします。

★寺越昭男さん

私らの訴えいうのは拉致問題解決するためにはやっぱり国民も世論と言うのが最大の力になると思うんで、これだけはやっぱりどうしてもお願いしたいなというふうに思います。
日本の政府ちゅうのはやっぱり役人根性と言うんか、その時は「頑張ります、頑張ります」って言うけども、実際にどこまでやってくれるか?というのは本当に不安な点がある。
正直な事やっぱり国民が政府を動かすと言う、これまでの結果を見てくると本当にやっぱり国民の皆様の応援と言うのが私らにとっては一番心強いんで、また今後とも宜しくお願いしたいと思います。

★内田美津夫さん

今北朝鮮はミサイルなどを撃って脅しをかけてきていますけども、本当に皆さん、脅しに屈しないで私たちと一緒にこの拉致問題の声を上げ続けていって欲しいと思っております。
それと私個人的な思いなんですけども、やっぱり次の総理には安倍さん、必ずなって欲しいと思っております。
安倍さんが最高権力者になった時にはやはり誰にも遠慮する事無く、自分が北朝鮮に対して思っている事をやってくれると思っております。
これが拉致問題早く解決する道だと思っております。
もし安倍さんが(総裁選に)立ったとしたなら、私たちと一緒に後押しして頂きたいなと私は思っております。
どうも今日はありがとうございました。

★増元照明氏

今安倍さんの話が出ましたので、昨日政治家関係の人たちと一緒に食事をしたんですけども、その時に「今、噂が流れている」と。
まことしやかな噂ほどあまり信じない方が良いんですが、前回小泉さんがブッシュさんと会った時に「私は経済制裁をしなかったけども、安倍君になったら必ずするからその時は協力してくださいね」ということを話した、という事なんですね。
それが中国経由で北朝鮮に入って「それじゃたまらんという事でミサイルを撃ったんではないか?」というふうに今、まことしやかに永田町の中で流れているそうです。
そういうことも有るようですが、安倍さんになったらもっと厳しい姿勢は示してくれると思います。

1ヶ月ほど2ヶ月ほど前でしたかね?
福田さんが急追していると言っておられましたけども、私と多分蓮池透さんは福田さんに睨まれておりますので、やばいな、と思ってたんですけども。
永田町の論理というのは私たちとは全然違ってどうなるか分からない。
自分達の利益のためだけに考えている人たちが大勢いらっしゃるので、日本の国のことなんか殆ど考えていない人たちが大勢いらっしゃるので、福田さんになる確率もあるのかな?ということもあったんですが。
福田さんになったら拉致問題はもうアウトだなと思っておりましたが、福田さんもだいぶ意欲をなくしているみたいで良かったなと思っています。

ただ、私はいつも言ってるんですけども、福田さんには直接言いました。
2001年金正男ですよね。
彼が来た時に外務省のおばさん、田中真紀子さんか。
田中真紀子さんが足をバタつかせて「早く返しなさい、ミサイルが飛んでくるじゃない」と言われてたそうですが、それを受けて官房長官、おそらく小泉さんも了承して返したようです。

でもあの時に官房長官は国民に向かって「誰だか分かりませんけれども」と言ってるんです。
その後訂正していません。
「誰だか分かりませんけど、とにかく不法入国者として返した」と、しかも飛行機のファーストクラスで、出てきたシンガポールではなくて北京に、審議官級の外務省の職員を6人つけて返してる訳ですよ。
誰が聞いても嘘だろうと思うんですけれども、あの時は官房長官として「誰だか分からない」と仰って返されました。
国民に嘘をついたまま、私は総理になってはいけないとずっと思っています。

確かに場面場面で国民に対して欺く必要はあるのかもしれませんけども。
でもある一定時期経ったら国民にその時何故その嘘をついたのか?説明をしなければならないと思ってますし、これから総理になる人が嘘をついたまま総理になってはいけないと思っていますので。
絶対にこのまま福田さんが(総理に)なるようになったら、私はネット上で流したりテレビでがんがんがんがん言おうと思ったんですけども、でも私はそう思っています。
ですからこのまま福田さんになることだけは避けていって頂きたいと思いますし、安倍さんになって頂きたいとも思っておりますが、今あんまり僕たちが贔屓して引き倒しをしてしまっては困るので静かに見守っていきたい。
ただ今日本はまともになりつつあるので、まともな総理を選んで頂けるのではないか?と思っています。
この拉致問題も必ず解決しなければならないという、そういう方たちが本当にある地位に就いて頂くとどんどんどんどんと好転していくでしょうし、金正日政権とも対峙して頂けるのではないかと思っています。

金正日が今一番困っているのは安倍さんが総理になる事だと、これは佐藤勝巳会長が北朝鮮サイドの言葉として聞いていると。
だから安倍さんが総理にならないと、そう言う工作を一杯仕掛けていると。
週刊現代もそうですけどね。
安倍さんがいろいろと裏の画策をしているような事を週刊現代は書いているようですが、必ず、さっきの秘書官から電話がかかってきまして、「ああいう事はありませんから」と。
必ず発売される前に彼らはどういうのが出るのか分かりますので、その時点で電話が来まして「あんな事ありませんから、私中国へ行ってません」
もしかしたら行ってるのかもしれませんが、でもそういう事ですね。

私たちは安倍さんを信じてますので、安倍さんがそういうパイプを使って拉致問題を解決しようとしていると、私たちはもしそれが真実だとするとそう捉えていますので、何ら一点の疑問も持っておりません。
私たちは安倍さんになって頂きたいと思いますが、ただあんまりそんなに私たちが言わない方が良いだろうなとは思っております。
まともな国にしていくために国民の皆さんが、最終的には声を上げて頂く事が必要になってくる場面も出てくるかもしれませんので、その時には宜しくお願い致します。

★真鍋貞樹氏

増元さんは政治家は嘘をついちゃならないという発言をされましたが、私は嘘つきは政治家の始まりだと思っています。(笑い声)
政治家の方もいらっしゃるんですけども。
また私も実は何年か前、似たような職業をやってましたのでそう思っております。

だから私も安倍さんについては非常に信頼を置いているんですけども、ただ政治の世界はそんなに甘くないという事です。
嘘もつかなければいけないし、芝居もしなきゃいけないし。
その中でこの問題をどう解決していくか?という厳しい実際の現実の政治家の世界でですね。
どろどろした部分をですね。
潜り抜けていかなければ安倍さんとても、そんなに簡単に物事進められていく状況ではないわけですから、そういう安倍さんにしろ誰にしろ、そういう政治的リーダーをどう国民がですね。
バックアップするか?サポートするか?という事がとても大切だと思っております。

それで最後に私の方からお願いですが、「しおかぜ」の事でございます。
「しおかぜ」というのは、日本はミサイル撃つわけにはいかないですから、せめて電波くらい打とうじゃないかという形で始めております。
狙いは二つございます。

ひとつは増元さんとかですね。
寺越さん・内田さんもそうでしたけど自らの肉声で、るみ子さんなり武志さんなりにメッセージを伝えて頂きたいという形でやってます。
特定失踪者のご家族にもですね。
大澤さんもそうですし高野さんもそうなんですけども、自らの肉声で北朝鮮にいる拉致された人に向かって声を届けて、まずは励ましたいと。
絶対に忘れていないんだというメッセージをですね。
お送りしたいと言う事が一つ。

もう一つの狙いはですね。
大きな事を言うようですけども、東ドイツが崩壊した時のプロセスにおいて、北朝鮮よりはるかに開放的だった東ドイツでさえ非常に崩壊のプロセスは難しかったわけですけども、その時一番重要だったのは情報なんです。
ラジオ放送を通じた情報を国民が知ることによって、「どこに行けば西ドイツにいけるよ」と、「オーストリアに逃げる事が出来るよ」と、「今東ドイツの政権は崩れそうになってるよ」というような情報をですね。
東ドイツの国民の皆様はラジオ放送を通じて知り得た訳です。

だからあの北朝鮮を見たときに本当に閉鎖空間です。
東ドイツ以上に囲まれた社会の中にやはり自由な風・民主主義の大切さ・人権の大切さという物をどうやって伝えるか?という事になると、今効果的なのはですね。
手法の一つとしてラジオがあるんじゃないかと思っています。
金正日体制を如何に揺るがしていくか?と。
そして先ほども触れましたように、如何に普通の国に転換させていくか?というための一つの方法論として、そんなに大げさな事を言える程たいした事はやっていませんが、一つとしてですね。
取り組んでいきたいというふうには思っています。

今我々の「しおかぜ」に対しては北朝鮮からは妨害電波が出ております。
妨害電波を回避するために新しく別のチャンネルで始めましたら、そこにも(妨害電波が)かかっております。
いたちごっこの状態ですけども、向こうがそう出るならこっちもそう出るということで、どんどんチャンネルを変えていきますし、今チャンネルを公表していますけども、ちょっと公表を差し控えてやってみようかなというふうにも思っています。
いろいろな方法論を私どもなりに学びながら進めて行っておりますのでですね。
是非皆様方の御支援を是非「しおかぜ」の方にもお願いをして、私のお願いとさせて頂きます。
どうもありがとうございました。(拍手)

★司会 川添氏

ありがとうございました。
これでパネルディスカッションを終了いたしますんで、もう少しで終わりますんでもう少々お待ちください。
posted by ぴろん at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

06.7.8 パネルディスカッションその1 第14回藤沢集会(10)藤沢産業センターにて

『パネルディスカッション その1』

★司会進行 川添友幸救う会神奈川会長

1月の時もパネルディスカッションという形をやったと思うんですが、今回もやりたいと思って企画してみました。
やり方として私の言った事に対してですね、御家族の方お答えして頂くという感じを考えています。

まず一点目なんですが、皆様に最初お聞きしたいなと思っているのは今日の講演の中でも話が出ていたと思うんですが、ミサイル発射に関する政府の経済制裁発動に関してどういうふうに思われているか?と。
我々も経済制裁という事をずっと言って来たんですが、限定的な制裁発動になりました。
それに関してどういうふうに思われているか?という事をこちらの順で、寺越さんの方から。

★寺越昭男さん(寺越昭二さんの長男)

Img_1851.jpg

私、水曜日でしたかね、あの日。
仕事に出て丁度雨が降って仕事が無くなったんですよ。
仕事に行く途中車で「発射をした」と、「北朝鮮がミサイルを上げた」という事をラジオで聴きまして、「あれ、いよいよ上げたかなぁ」というふうに聴きまして。
仕事場へ行ったら今日は雨で休みだったと言う事もありましてそのまま帰って来たんですけど、帰って来たらすぐマスコミから取材がありまして、「こういう事でどうですか?」という事で聞かされたんですけども。

やっぱり経済制裁という事を良く考えてみると、拉致問題を解決する為に2法案。
特定船舶の入港禁止法案とそれから改正外為法と言う物が私は作られたように記憶しているんですけども、それがまさかミサイルを上げた事によって経済制裁が発動されると言う事は、本当に第一声が嬉しいと言うことよりも「なんで?」という方がやっぱり強かったですね。
マスコミには「有りがたいけれども、逆に言うと拉致問題の解決の為に発動して頂きたかった」というふうに私はコメントしたんですけども。
丁度コメントした後に増元さんのテレビが流れまして、私と同じ事を話していてやっぱり皆さん同じ事を考えておるな、というふうに思いましたけども。

★内田美津夫さん(寺越昭二さん三男)

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私は本当にミサイル発射のすぐ後に素早い決定をしてくれたと。
私たちはこの拉致問題解決のためには、政府の方に経済制裁を発動して欲しいと以前からずっとお願いしてきたし訴えてきました。
形はどうであれミサイル発射のすぐ後、こういう言う形をとって毅然とした態度を取ってくれたという事は、本当に評価をしております。
今年警察庁長官の漆間長官が「今年は拉致問題解決について勝負の年だ」と、そういう発言もありますので形はどうであれ北朝鮮を追い詰めると、そういう第一歩になったということで、私は本当に嬉しく思っています。

★増元照明 家族会事務局長

先ほども言いましたけども、ミサイルを撃った時に「やったぁ!」と、これはちょっと不謹慎なのかもしれませんけども、これで制裁を課すだろうと。
これで課さなければまともな国じゃないと思っておりましたので、制裁を課したという事はようやく日本もまともな国になりつつあるのかな?という実感です。
だから評価はしています。

ただ先ほど言ったように拉致問題の解決の為に制裁を継続すると言う事を更に付け加えて頂きたかった。
そうでなければミサイル問題が解決したら、また制裁の解除をするのか?という事になりますので、それだけは付けて頂きたかったというふうには思っています。
昨日一応「拉致問題の事も懸案しながら制裁の発動をする」と官房長官も言葉で言われたので、それはそれでいいのかな?

あとは小泉さんが辞めてから時期総理になられる方に必ず半年ではなくて、その時点で拉致問題が解決していなければ継続して頂きたいと思っております。
この半年の間には解決して欲しいとも思ってもおります。

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

経済制裁が効果があるとか無いとかの議論がありますけれども、まず最初に日本の国家としてあるいは国民としてですね。
やはりこういったミサイルを発射するとか拉致するとか絶対に許さないと言うですね。
怒りの意味を示すと言う意味は非常に重要だと思います。
政治的な宣言としてですね。
非常に意味があると思います。

じゃあ二つ目、経済制裁が効果有らしめるためには何が必要か?という事ですが、現実に考えて日本だけの経済制裁は正門は閉めたけれども裏口と言いますかね。
後門、後ろの門は開けっ放しとそういう状況ですから。
現実的には中国とかあるいはロシアからですね。
いろんな人・物・金と言うのは実際に動いてるわけです。
それもアンダーグランドのレベルでですね。
そういったところまで止めない限りには実態面では厳しいものがあると思ってます。

その裏の世界はですね。
実は日本と北朝鮮の間にも現にあるわけですね。
表の経済交流だけでない部分、これ簡単に言えば麻薬とかあるいは偽札とかですね。
それから第三国経由とかいろんな物があるんですけれど、そこまでどうやって国際社会がアンダーグランドな物は許さないとか言う事をやれるかどうか?にかかっていると思います。

そのためには先ほど増元さんが言っておられましたけど、結局中国がどう出るか?によってこの効果の程は変わってくると思います。
ただ最初に申し上げましたように効果の有る無しに関わらず、そういう政治声明を出したという事に非常に重要な意味が有ると思っています。

★司会 川添氏

ありがとうございます。
じゃ次2点目をお聞きしたいと思うんですが、さっき(脱北者の)Aさんとの話に出ました北朝鮮人権法。
先の国会で成立しました。
北朝鮮人権法に関して救う会・家族会・調査会も含めてですね。
草案の作成に協力されたと言う経緯があったんですが、この法案が、さっき私も外交カードを言う言い方をしましたが、これに関してどういう評価をされるか。
同じようにじゃあ増元さんから、すみません真鍋さんからお願いします。

★真鍋貞樹氏

北朝鮮人権法の法文を見ますとですね。
先ほど申し上げました経済制裁と脱北者保護と言うのが大きな柱になってますけども、これは表向きそういうふうになっているという事をお話しておきたいと思います。

というのは、アメリカの人権法は何を持って最大の意図としているか?という事ですが、これは明確に北朝鮮の民主化です。
金正日体制が今のままである限り、ミサイルや拉致や偽札などは終わらないと。
いかにどのようにして北朝鮮と言う国家をごくごく普通の国に転換させて行く事ができるのか?というのが隠された意図であると言う事です。

日本側の北朝鮮人権法と言うのはそういった意図が全く見えていないようですけれども、少なくとも我々が考えなければいけない物は、今の金正日体制では絶対に駄目だと言う事です。
どんな事があってもあの体制を残す限りいろいろな問題は残るわけです。
要するに東アジアの平和の為には日本の安全の為には、北朝鮮の国家体制を変えない限りには終わらないんです。
そのためにこの人権と言うカードを使ってやっていくという文脈の中で、この法律の意味を考えていかなきゃいけないと思っています。
ただ単純に脱北者が気の毒だとか、拉致被害者が気の毒だとか、そういうレベルの話で終わらせてはいけないというふうに思っています。

じゃあ、そのためには相当の覚悟が必要です。
残念ながらそこまでの覚悟が日本政府にあるのか?
政治家にあるのか?
そして我々国民の中にあるのか?というふうに問い直すと非常に私としては不安な所がありますけども、そういった狙いを持ってですね。
この法律を考えていかなければならないという事を、是非お訴えをさせて頂きたいと思っています。

★増元照明氏

昨年か今年の初めくらいからずっとその6団体、調査会・救う会、それから守る会、それから難民救援基金の代表者が集まって日本国内で北朝鮮人権法と言うのを是非作って貰おうではないか。
その内容に関して私たちも協議し、そして提言をしてきました。
昨年ですよね?
民主党が人権法案を提出しています。
その一番目にはやはり脱北者問題です。
脱北者の問題をメインで捉えて拉致問題にはさほど大きな物は含まれていませんでした。

今年になって自民党が提出した北朝鮮人権法は、拉致問題を強く取り上げ制裁の発動まで義務付けるというところまで言っているんです。
でも脱北者問題には言及されなかったので、中々歩み寄れなかったんですけども。
会期末近くになってどうしても国会会期内で成立して頂かなければ北に対する圧力にならないという事で、両方の対策本部に面会しまして「是非今国会会期内に成立させてください」と、いう事をお願いしましたら両方とも歩み寄るような姿勢を取ったんですけども。

北朝鮮人権法に対して反対する人はまず殆どいないだろうと、両方の党とも。
与党もそれから民主党とも。
ただ拉致の文言の部分で非常に揉めていたんですけどね。
ですからまずその辺でも合意は出来るだろうと言う事で、一応話はしていました。
ですから今北朝鮮人権法に対して多少異議を唱える方の中に、「審議もしないで会期末にばたばたと決めて、これでは良くない」と言う方たちもいるようですけど、この国会の中で決められたと言う事は北に対する大きな圧力になるということを私たちは考えておりましたので。
ばたばたとは言えお互い審議はしておりましたので、そんな反対者はいないですから、だから議長採決と言う形にしていただいて最後の会期末で決定をしていただいたわけです。

ただ、中身に関しては我々も満足はしていません。
それはなぜかと言うと拉致のこと、制裁の発動に関しては北朝鮮が誠意ある姿勢を示していない、それからそういうふうに判断された場合と書いてありますが、じゃあ誰が判断するんだ?と。
小泉さんが判断するんでしょうけど、今までだって小泉さんが北朝鮮の不誠実な態度に余り反応して来なかったんですから、結局今までと同じじゃないか?と。
私は気持ちではいるんですけど、でも出来ると言う事が北に対する大きな圧力になる。
それがいい事だと思って私はお願いをしておりました。

自民党が一番だらしないと言うか、自民党の中で問題になったのは脱北者と言う、脱北者をどういうふうに定義するのか?
更に脱北者を今中国が中朝国境で捕捉して強制送還してましたよね?
脱北者と言うこれを保護すると言う事は中国の行為に対して非難する事であって、内政干渉になるんではないか?という、非常に中国にまた弱腰な日本の汚点を見せてるわけですよ。
だから自民党としては脱北者問題はあまり入れたく無いと言う、それでも民主党はこの脱北者問題を入れて初めて人権と言うことではないか?
という事でしのぎを削ってお互いに納得できる線で今やられたんだと思いますが。
ただ定義自体は脱北者の定義は元在日の方に定義するとか、それから犯罪者が入ってきたりすると困るからどこで歯止めをかけるんだとか、いろいろまだ問題はあると思いますが、今後いろいろまた精査していけばそれで良いと私は思っています。

拉致被害者の支援法でも3年後に見直すと言うふうになっていますので、これは法というのはまず最初に出来て、それからどんどん現実に即して改正していけば良いことであって、まず北朝鮮の人権法と言う事で、人権と言う言葉で北朝鮮を攻めるのにまず成立をさせ、そして圧力をかけていく。
これが必要だろうと言うふうに私は思っておりましたので、今回は人権法まだいろいろと多々問題はありますけども、成立したことには感謝したいと思います。

★内田美津夫さん

この人権法について私は、間違った事を言ったら駄目なので大きい意味合いについては言えないんですけども、私たち寺越家の事を例に挙げて言いますと、親子の母が子を思う気持ち・子供が母を思う気持ちを悪用して行ったり来たり、今もなお北朝鮮に行ったり来たりしている状態。
また私の父親は男5人・女6人の11人きょうだいなんですね。
そのうちの父親・弟の外雄・更に今武志の父親、太左衛門が北朝鮮でもう90近いがかな?
まぁ、死んでしまうかも分からん。
5人の兄弟の内、なんも縁もゆかりも無い北朝鮮に、あの酷い北朝鮮にもう少ししたら骨を埋めることになるかもしれない。
そうなる前に何とか今人質状態みたいにおる太左衛門をこっちにやっぱり取り返さなならん。
こういう問題を一日も早く解決する為には、いろいろ今までに外為法とかいろいろ法律成立させて頂いたんですけども、この拉致問題という人権、寺越のこの問題を考える時やはり解決には人権法、人権と言う方法で北朝鮮に圧力をかけるという意味で、本当に良い法律が成立したと思っております。

★寺越昭男さん

私も弟と同じ意見で、武志の父親だけでなくて亡くなったうちの親父にもやっぱり人権はあるわけで、もしあればやはり遺骨を返して頂いて初めて寺越事件の解決に近づくと言うふうに考えていますので。
(遺骨が)無ければ無いで、無い説明をやはり北朝鮮側にさせなきゃいけないし。
もし親父が安明進さんの証言の言うとおり殺されたとしたら、やっぱり北朝鮮側は私らに謝罪してもらわないと私ら気が済まないし、日本の政府も同じだと思うんですけど、国民を殺されて黙っているのか?ということなんですね。
人権法とはちょっとずれるかも知れんけども、人権と言うと死んだ人にも人権はあるわけで、ひょっとしたら拉致被害者の方にも何人か北朝鮮の中で亡くなった方が、多分何人か出てくるかもしれないし。
そういう人たちの人権もやっぱり考えていかなければならないと思います。

★司会 川添氏

質問のお答え、ありがとうございました。

・・・「パネルディスカッション その2」に続く・・・
posted by ぴろん at 22:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

速報 特定失踪者家族の訴え 06.7.23 川口集会より

〜〜拉致問題を考える川口市民のつどい〜〜川口リリア・11階会議室にて

この集会では川口で失踪された特定失踪者の御家族がそれぞれ救出と支援を求めるお訴えをなされました。
その生の声を音声ファイルで速報いたしますので、是非お聴きになってください。
尚、特定失踪者の個別情報は全て特定失踪者問題調査会HPより引用しておりますので、御参照下さいますようお願い致します。

特定失踪者問題調査会HP
http://chosa-kai.jp/index.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)

Img_1965.jpg



★井上克美さん兄

Img_1971.jpg

(写真左・克美さんの兄、右は母のイトノさん)



氏名 井上 克美
失踪年月日 昭和46(1971)年12月29日
ふりがな いのうえ かつよし
生年月日 昭和25(1950)年6月8日
性別 男 当時の年齢 21
身長 体重
公開 第4次公開
当時の身分 電気工事店勤務
特徴
失踪場所 埼玉県川口市
失踪状況 失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時〜1時)、すし屋で食事をした後友人と別れた。当時泥酔状態。夜帰宅しなかったので翌30日前実家にtelがあり両親も知った。妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思いtelしたとのこと。運転免許の更新もなし。連絡も一切なし。長男が生まれる直前だった。

★鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さん兄)

Img_1974.jpg



氏名 鈴木 賢
失踪年月日 昭和47(1972)年5月28日
ふりがな すずき まさる
生年月日 昭和24(1949)年1月12日
性別 男 当時の年齢 23
身長 170センチ 体重
公開 第3次公開
当時の身分 会社員
特徴 中肉。
失踪場所 埼玉県三芳町の自宅を出て
失踪状況 会社のレクリエーションに行くため朝6時に家を出て以来行方不明。レクリエーションには行っていない。職場、大学時代の友人も心当たりなし。

★大平一男さん(特定失踪者・藤田進さん従兄弟)

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氏名 藤田 進
失踪年月日 昭和51(1976)年2月7日
ふりがな ふじた すすむ
生年月日 昭和31(1946)年6月16日
性別 男 当時の年齢 19
身長 体重
公開 第5次公開
当時の身分 東京学芸大学教育学部1年生
特徴 家ではあまりしゃべらないタイプ、ギターがうまかった。
失踪場所 埼玉県川口市の自宅
失踪状況 失踪当日6:30〜7:00頃以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。脱北者が北朝鮮から持ちだした写真が、鑑定の結果、藤田進さんである可能性が極めて高いことが判明。平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

★新木博さん(特定失踪者・新木章さん弟)

Img_1986.jpg

(写真左・姉の横山木三子さん、右・新木博さん)



氏名 新木 章
失踪年月日 昭和52(1977)年5月21日
ふりがな あらき あきら
生年月日 昭和22(1947)年10月16日
性別 男 当時の年齢 29
身長 体重
公開 第1次公開
当時の身分 銀行員(事務系、コンピュータを使う仕事)
特徴 中肉中背、眼鏡使用。
失踪場所 埼玉県川口市
失踪状況 「買い物に行く。午後6時か7時には帰る」と川口市の自宅を出たまま失踪。家を出たときは財布しか持っていない。免許証、クレジットカードが入っていたが、更新がされていないし、カードは使っていない。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

★佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さん母)

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氏名 佐々木 悦子
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
ふりがな ささき えつこ
生年月日 昭和38(1963)年12月6日
性別 女 当時の年齢 27
身長 162センチ 体重 52キロ
公開 第1次公開
当時の身分 埼玉銀行パート
特徴 左目の下に泣きぼくろあり、両手共ふっくらとしているが指先が細い。
失踪場所 埼玉県浦和市
失踪状況 「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

集会では御家族の登壇はありませんでしたが、川口からの特定失踪者という事でご紹介のあった2名の情報を下記に御紹介します。
情報はどちらも特定失踪者問題調査会HPより引用させて頂いております。

http://chosa-kai.jp/index.html

★氏名 石井 久宏
失踪年月日 昭和49(1974)年5月1日か2日
ふりがな いしい ひさひろ
生年月日 昭和19(1944)年9月29日
性別 男 当時の年齢 29
身長 体重
公開 第13次公開
当時の身分 化粧品、雑貨販売店経営
特徴
失踪場所 埼玉県川口市の店舗兼自宅から
失踪状況 化粧品店を経営しており、多額の借金を抱えてしまっていた。父親などが金を用意して経営を立て直す方向で話をすすめ、母親も店の経営を手伝っていた。本人の努力しだいで十分解決方法もある状態であったが、突然100万以上の経営資金を持ったまま自家用車ごと行方不明となった。当時、遊び方が派手になっており、マージャンやバーなどで、複数の朝鮮系?の方と一緒に居るところを従妹が目撃している(言葉からそう思ったとのこと)。店の隣もパチンコ屋だった。

★氏名 長谷山 洋
失踪年月日 平成6(1994)年8月頃
ふりがな はせやま ひろし
生年月日 昭和45(1970)年1月16日
性別 男 当時の年齢 24
身長 175センチ 体重 70キロ
公開 第10次公開
当時の身分 無職(退職直後)
特徴 胸にペンダント形の大きなヤケドの跡がある。
失踪場所 埼玉県川口市付近
失踪状況 失踪の約1週間前、戸田市の会社に就職。川口市のアパートを引き払い、会社が借り上げた寮に移ったが、その会社を1週間ほどで辞め、寮も引き払った。その夜川口市内の弟の家で食事をし、翌朝、友人が川口市内を歩く本人を目撃したのを最後に失踪。失踪後、静岡県伊東市に住民票を移していることが分かり、そこ場所へ行ってみたが、転出先の住所の番地は存在しなかった。
posted by ぴろん at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月22日

06.7.8 大澤茂樹さん 第14回藤沢集会(9)藤沢産業センターにて

『大澤茂樹さん(特定失踪者・大澤孝司さんの兄)の訴え』

Img_1848.jpg

皆さんこんにちは。
ただ今紹介にあずかりました、私新潟県の佐渡島で拉致された疑いが濃厚な特定失踪者・大澤孝司の兄の大澤茂樹と申します。
宜しくお願い致します。
本日私のほかに、先ほど調査会の真鍋先生の方から簡単にご紹介がありましたが、ここで改めて私の他にですね。
あと二家族の特定失踪者の家族が本日来場いたしておりますので、簡単に御紹介させて頂きます。

まず昭和51年7月30日、東京都の神津島で失踪いたしました高野清文さんの妹さんの美幸さんがそちらに見えていますので、宜しくお願い致します。(拍手)
それとももうお一方、そちらにですね。
昭和54年の8月の10日でしたよね?
鎌倉市で花火大会があって、銀行の親睦会で花火大会に参加し、その後戸塚駅から自宅に帰る途中失踪いたしました、寺島佐津子さんのお父さんとお母さんがお見えになっています。
どうぞ宜しくお願いします。(拍手)

私は生まれは新潟県で、何でお前がこんな所にいるんだ?と疑問に思われる方がおられると思いますので。
私ども兄弟は3人兄弟でして一番上の兄は新潟県の、昨年の10月に合併して新潟市になったんですが、巻町というところにおります。
それで私は次男で今現在横浜市に在住している関係上、神奈川の救う会の皆様方の御支援を頂きまして、私このようにして救出活動に運動させて頂いている関係で本日もここに参っております。
どうか宜しくお願い致します。(拍手)

折角のチャンスですので前回1月の時も私お訴えをさせて頂きましたが、若干重複するかもしれませんが私の弟の失踪した時の状況を簡単に御紹介させて頂きたいと思っています。
私の弟は昭和49年の2月の24日に新潟県の佐渡島で、曽我ミヨシさん・ひとみさん親子が拉致された真野町という所から若干ちょっと離れているんですけれど、トキの保護センターのある新穂村というところで北朝鮮に拉致された疑いが濃厚となっております。

失踪時の身分は27歳の独り者で、新潟県庁の出先機関であります佐渡の農地事務所に勤務する県庁の職員でございました。
曽我さんたちが拉致される約2年半前の事件であります。
その時は独身で寮生活をしておりました。
それから今年で33年経ちますが先月の21日に、弟も60歳の誕生日を迎え還暦となりました。
27歳から60歳まで消息が分からず人生の良い所はもう終わりましたが、残りの人生は何が何でもこの自由な平和な日本に連れ戻してですね。
生活をさせてやりたく、私もこういうふうにして皆様方にお訴えをさせて頂いております。

今まで日本政府の拉致の取り組み状態は硬直化し全然進展しておりませんが、ここに来てテポドン、あるいは先ほど増元先生からいろいろとご紹介がありましたが、ミサイルの問題で急変しております。
この急変が、安全保障問題が最優先となり拉致問題が置き去りになるんでは無いかと私は危惧いたしております。
どうか皆さん、置き去りにならないように。
それには更なる皆様方の御支援と御協力が必要でございますので、どうか拉致問題が完全に解決するまでどうか皆様方のご支援ご協力を宜しくお願い致します。

簡単ではございますが私の訴えとさせて頂きます。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※文中に紹介のあった特定失踪者の個別情報は下記の通り

情報は全て特定失踪者問題調査会のHPより引用 
http://chosa-kai.jp/index.html

★氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

★氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19
身長 体重
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

★氏名 大沢 孝司
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
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2006年07月21日

06.7.8 増元照明氏2 第14回藤沢集会(8)藤沢産業センターにて

『増元照明 家族会事務局長の講演 その2』



6者協議の中の枠組みで今やられていますけど、前々から私言ってますけど6者協議なんてちょっと茶番に私見えてしょうがないんですよね。
だいたいですよ。
北朝鮮という世界最貧国一国のために、ロシア・中国・日本・アメリカ、韓国は世界10位の経済国ですよね?
経済大国と軍事大国ですよ。
5者がかかって世界最貧国の北朝鮮に翻弄されているようなそんな会議、アホじゃないかと私は思っているんですね。
その5ヶ国が全て固まって北朝鮮にもっと強い圧力をかければ済む問題なのに、何かしらそれをしないというのはこれは中国の関与だと私は思います。

中国がどうしても北朝鮮という国、あの体制のままもう少し延ばしておきたい。
2008年の北京オリンピックまでどうしても延ばしておきたいと言うその気持ちがあるから、あそこが混乱しちゃうと脱北者が確かに中国の方にどんどん流れる可能性があるんですよね。
だから方やオリンピックやって、方や混乱していたらちょっと中国政府としてもまずいと言う気持ちがあるんではないかと思います。
2008年まではそっとしておきたい。
生かさず殺さずのまま、と言うのがあるんだと思います。
北朝鮮は北朝鮮で2008年まで生きいていれば、ブッシュ政権が終わりますから、次の民主党政権になればまたどうにか誤魔化せるんじゃないかと、そこまでじっとして居たかったんですが昨年の金融制裁でそれも出来なくなってテポドンを撃ったということじゃないかと思いますけどね。

今私たちは北朝鮮を追い詰め始めています。
私たちもアメリカの常に主導の下でやられているのは非常に残念でありますけど、それは何はともあれそういう追い詰められている状況は確かと思っています。
制裁の発動を私たちはずっと求めて万景峰号の入港反対にもずっと参加をしておりましたけども、中々それを実行してくれなかった政府がテポドンという、実害は無いですよね?今のところね。
その実害の無いテポドンで制裁の発動をしていただいたのは非常にありがたいんですが、もっと強く拉致問題を意識して制裁の発動をして頂きたかったですね。

本当に100人以上の拉致被害者がいるし、多くの日本人が北朝鮮という国に迷惑を被っているこの状況の中に、これを頭に制裁の発動をしていただきたかったのは事実です。
それ程でもやはり、日本の政府の中にはこの拉致問題最優先課題といいながら、結局はそこまでに強い意識ではなかったんだという思いが私にはあります。
テポドンというのはやはりアメリカにとっても脅威ですし、日本にとっては当然脅威なんですが、でも皆さん10年ちょっと前からすでにノドンという日本を全て射程圏におくミサイルがすでに150〜200、すでに発射の状況になっているわけですよ。

それに対して日本は何ら防御の迎撃ミサイルも配備しない、もう十数年ですよね?
放置してきたわけでしょう?
ここでテポドン2でなぜこんなに今更のように騒ぐのか?私はちょっと分からないんですけど、日本の安全保障ということでしたらね。
十数年前にテポドンを配置した時点で制裁の発動をすべきでしたし、もっと専守防衛というのであればイージス艦のような物をもっとその、迎撃ミサイルですよね。
ミサイル防衛網とかそういう物をもっとまともに考えて配備して行かなければならなかったのに、それをやってこなかった日本政府は非常に今ちょっと責任が重いと思いますよ。

政府自体ではなくておそらく社会党とか共産党とかの人たちがそれを阻止してきたんでしょうけども、でも専守防衛であるならば、本当に撃たれてから被害を被ってからやるんではなくて、被害を被らないようにしなければならないのに、それにも全く頭が行かなかったと言うか、北朝鮮という国が本当にまだまともな集団だと思ってたんだと思います。
ましてや与党の中にも親北の人たちは結構いらっしゃいましたい、与党の幹事長の野中さんなんてのは親北の最先端で力がありましたからね。
ですから我々のこの拉致問題に対しても非常に悪い方向に行っていたんですが、その野中さんが政界を去り、そしてアメリカはブッシュ政権が出来上がって北朝鮮に圧力をかけ、で、今の状況になっているんだと思います。

テポドンに関して1998年、これ前に撃ったわけですよね。
1998年って、これもW杯の開催年なんです。
だからW杯の年にこの北朝鮮問題というのは4年に一回必ず起きて、W杯の年って言うのは北朝鮮と連動しているんじゃないか?と思ってしまいますが。(クスクス笑い)
金正日がよっぽどサッカー好きでW杯の世界中がお祭り騒ぎのときに、自分達の存在をアピールするために何かをしようと思うのか、たまたまそうなのか分かりませんが。
とにかくW杯の年にそれだけのいろんな事が起こったんです。

で、98年、日本は一応制裁をかけてます。
今回の万景峰号を止めるとか、そういうのはやってませんけどもチャーター便ですよね。
その運行停止。
それから北朝鮮の公務員ってのは、国会議員とか公務員その人たちの入国禁止。
そういう軽い制裁はかけています。
その翌年にテポドンの、あの時1号でしたけど次テポドン2号を撃つと構えを見せたら、今度は人・物・金を止めると公言していました。

あの時、でも、日本は単独の経済制裁法案を持っていなかったんです。
それでも人・物・金を止めると言ったんです。
だからどうやってやるつもりだったのか?分かりませんけども、そう言ってたんです。
だから私たちは出来るだろうと思って、2000年のあの時から経済制裁の発動をしなさいよと。
テポドンで日本の上空を飛んで太平洋に落ちて全く実害のなかった。
それで制裁の発動を出来るのであればこの拉致の問題で出来るでしょう。
意思を示しなさいよと言ってはいたんですけど。
だからずっと私たちは2000年前後、1999年ごろから制裁の発動を求めていました。

それは今効果の有る無し言われる方がいらっしゃいます。
1990年代後半は、おそらく制裁の発動をすればもっと効果があったと思いますが、今は貿易も余りやってませんし。
ただ、アメリカも貿易はやって無いです、北朝鮮とは。
それでも金融制裁は効いたんです。
ですから今日本は3分の1の貿易額とは言え、日本が本気になれば制裁は効くと思います。
それは万景を止めること自体もそうなんですが、これは在日の朝鮮人の方たちからちょくちょく家族会の方に秘密裏に連絡が来まして、「あの万景を止めるのは凄い効くんだよ」という話を何回も聞いておりますので、万景号を止める事も一つ大きな制裁というか、向こうに対する大きなインパクトを与えるとは思っております。

それよりも世界第一のアメリカ、経済大国のアメリカが金融制裁をして第二位の日本が経済制裁したら、それは途端にあの国はどうしようもなくなりますよ。
今マカオの銀行に25億円くらいの資金があってそれが凍結されてそれが困ってるんです。
今度アメリカはテポドン発射を受けて、香港にある銀行にも制裁を課す事まで考えている。
それに追随をして日本がそこに同じようにやっていけば、世界中の銀行が日本とアメリカ、経済大国一位二位の国がストップするような、そういう関係になりましたら北朝鮮との取引は全部出来なくなりますから。
そうなると北朝鮮は現金で決済するしかありませんけれど、でも現金で決済するとどれが本物かどれが偽物か分からないような(笑い声)ドルを使われますので、危なくて、ですからその貿易も出来ないですよね。
実際これは佐藤会長が言ってたんですけども、ロシアが物をやって代金を貰ったら1割に偽ドルが入っていたということですので、とてもじゃないけど危なくてそれは出来ない事だと思います。

そうなりますとミサイルの部品も調達出来なくなりますね。
更に軍の消耗品と呼ばれる車の部品がありまして、これが全部買えなくなりますよね。
今まで軍の車とか、軍備65%全て日本の製品であるというのは分かってます。
今までトラックとか軍の車、これに部品の注文があったのが日産と日野です。
先ほど固有名詞は忘れてと言ってましたけど、日産と日野という自動車メーカーが、多分中国から注文を受けて迂回して向こうに持って行くのが、万景峰号で持って行ったのもあります。

ですからこれが止められるという事は、北の軍備が大部治まるという事、小さくなってしまうという事です。
ミサイルも作れなくなってしまう。
更に核開発も出来なくなる。
万景峰号で核の融合剤とかそういった物も送られてましたから、それも出来なくなる。
まして核を作るにはお金が要りますから、銀行決済が出来なかったり現金決済が出来なかったりするとそれも出来なくなりますから、今後核の開発に関しても非常に支障を来たすでしょう。
もっと早くやっておけば核を持たせる事も無かったんですが、ここに来て核弾頭を持っているか持っていないか?
核弾頭が出来るかどうか?
それもいまだにちょっと不透明な所がありますけど、大半の人たちがまだ核弾頭までは出来ないだろうという事を仰っています。

で、昨日7月7日、イギリスは今日未明が7月7日ですかね。
朝方からずっと見ていましたら1年前に7月7日、同時テロを被ったイギリスのロンドンの市民がテレビで言ってました。
「自分達が普通どおりの生活をし普通どおりの仕事をしているところを見せる事が、テロに対する私たちの姿勢なんだ」と。
テロに対し私たちは怯まないというその姿勢を見せる事が、テロの抑止になる。
私たちはそういうロンドン魂というか、そういう事を市民の方が言っておられました。

今日本の中で、テポドンがミサイルが飛んで来たらどうするんだ?というふうに言う方たちも出てくるでしょう、おそらく。
でもそのミサイルの実験もしくは飛んでくることに対して恐れを見せた段階で、私たちの国は崩壊していくという事です。
これからもおそらくどういう事であれ恫喝はしてくるでしょうけども、そこで私たちは毅然と普通の生活をして、そして北のミサイルには怯えていないと絶対に怯えないという姿勢を見せなければ、どんどんどんどんつけ込まれてしまいます。
今後おそらく、ここで屈したら私たちの国はもう、今後日本という国はどんどんどんどん崩壊していく方向に行くと思います。
今金正日の政権の崩壊を目の前にしながら日本が崩壊するわけには行きませんので、私たちは、皆さんにも是非そのことだけは考えて頂きたいと思います。
これは拉致被害者を救出するだけではなくて、日本という国の有り方の問題として問われていると思っております。

今は万景峰号を止める制裁だけに留まっておりますけども、半年というふうに言われておりますが、先日安倍官房長官の秘書官という方から電話がありまして、「一応半年間という区切りはつけましたけど、それは拉致の問題が解決しなければ、その時点で延長も当然視野に入れております」というふうに仰って頂きました。
更に昨日「経済制裁の発動、これに対してはテポドン発射に対する抗議もあるけれど、拉致その他いろいろな問題を懸案して発動したんだ」という事をハッキリと仰って頂きましたので、今後拉致問題を政府として忘れる事はありませんし、国民の皆さんにも忘れて頂きたくないんです。

ミサイルの問題で拉致の問題が小さくなる事が、一番私たち怖いです。
「ミサイルを撃たなかったから良かったじゃない。これで北朝鮮と仲良くしなければいけないのね」とならない事を、拉致の問題がまだ解決していないと言う事を皆さんには必ず分かっていて頂きたい。
被害者が返って来ない限りはこの拉致問題は終わらないということを、分かって頂きたいと思っています。
そこまで私たちは戦うのを止めませんし、金正日との戦いを止めようとは思っておりません。

今、韓国がですね。
今日新聞を見たら、韓国の盧武鉉大統領の支持母体である「盧武鉉を愛する人々の集い」というそこのHPに、「北韓ミサイルの発射を歓迎する」と題した支持論で、「ミサイル発射は正当防衛だ」と。
更に「日本の独島侵犯に対する自己防衛だ」と言っているようですが、韓国の盧武鉉政権はもうアウトです。
民団の方がいらっしゃるので非常にあれなんですけど、米国の韓国系アメリカ人もアウトだと言っておられます。
日本の民団の方にも、おそらく盧武鉉政権のやり方は非常に腹立たしく見えておられると思います。
韓国の中にもそういった保守系の方たち、大勢心ある方たちは盧武鉉さんを批判的ですし、ようやく新聞も、新聞は朝鮮日報は前から戦っていたんですけど、今中央日報・東亜日報と盧武鉉政権に非常に追求を強めています。

更に拉致問題でも「金英男さんの会見、あれを認めるのか?」と言って、非常に強い攻撃をかけ始めています。
ですから来年の大統領選挙まで持つかどうか?
それがちょっとまだ分かりませんけど、まぁ持つかもしれませんけど、でも韓国もそうやって国民世論が、韓国の国民世論がそうやって厳しくなっていけば、その時こそ日韓連携が私は出来て北朝鮮と対峙できると私は思っています。
韓国の国民の人たちにも是非立ち上がって頂きたいと思っております。

私たちは最後まで戦い続けますし、日本の皆さんにも忘れないで頂きたいですし、一緒に戦って頂きたいと思いますので宜しくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)
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2006年07月20日

06.7.8 増元照明氏1 第14回藤沢集会(7)藤沢産業センターにて

『増元照明 家族会事務局長の講演 その1』

Img_1841.jpg



こんにちは。
増元るみ子の弟の、増元照明です。
ちょっとW杯で疲れておりますので。(笑い声)
この頃私、増元るみ子の弟とあえて言うようにしているんですけども、皆さん方は分からないというか、忘れたのか、それとも誤解が多いのか、どうもお兄さんと言われる事が多いもんですから、(笑い声)常に最初に弟と言う事を言わせて頂いております。

この2週間ですね。
非常に忙しく大変でした。
W杯でもあったんですけど、W杯というのも非常に私面白いと思っているんですけども、2002年の日韓W杯のときに金正日は拉致を認めて、この日本人拉致というのが大きく報道されるようになりました。
これはもちろん、今イ団長が仰ったように2001年の同時多発テロ、更にブッシュ政権になって大きな圧力が北朝鮮にかかるようになって1年、ようやく1年、結果じわじわと効いて来た、金正日が拉致を求めざるを得ない状況になってきた。
今年もW杯があった。
その最中に今度はテポドンを撃ってきましたので、これで世界中が大きな圧力をかけるようになりつつあります。
ですから私は今年で解決できるのではないか?と非常に期待しております。

前々から、昨年の9月からですね。
ブッシュ政権が金融制裁をかけておりましたので、これがだいぶ効いていると言うのが昨年末から私たちも伺っておりましたので、だから今年の初めから私たち家族会は今年が勝負だろうと。
今年出来なければ後何年かかるか分からないから、とにかく集中して動こうと言う事で今半年間過ぎてきたんですけども、半年が過ぎても小泉さんが中々真剣に拉致問題を考えて頂けなかったので進みませんでしたが、ようやくここに来て北朝鮮が馬鹿な事をやったお陰もあるんですけれども、制裁の発動をしていただきました。

2週間ちょっと忙しかったので、皆さんに何があったかという事を、この2週間の出来事でちょっと話をしたいと思います。
先月の27日にまず『アブダクション』という、これ日本で限定上映されたんですが、家族会主催でやらさせて頂きました。
限定上映ですので大半の方が御覧になってないと思いますけども、今日本での上映に向けて配給会社との交渉に入っているそうです。
ですから上手く行けば秋には御覧になっていただけると思いますが、ドキュメンタリー映画が果たして日本で流行るのかな?とちょっと思っているんですね。
御覧になった方は感動されたと言う方が多かったですけれども、ドキュメンタリー映画ですしね。
お金を払ってあれを観る人がいるのかな?とちょっと思っております。

更に私が非常に個人的な生活をその映画の中に入っておりまして、油断したんですね。
取材が来た時に。
当時アメリカの映画会社というか、アメリカのメディアなんですけど、アメリカの60分番組でこの拉致問題を取り上げたいと言うことでしたので、米国で放映されるならまぁいいかなと思って多少油断した部分もありまして。
言わないでも良い事をついつい言ってしまって、今年の1月にその映画が出来上がったのを観たらこんな事まで言ってたのか?と、ちょっと自分で恥ずかしくなりまして。
あの映画が日本で上映されるのをちょっと私としては恥ずかしいんですけども、これが拉致問題の解決につながればと思います。
もし、あの映画が流行ってしまったら、また町を歩けなくなるなと思っております。(笑い声)

その翌日28日29日、金英男さんの家族が面会されました。
殆ど私たちはああいう事になるんだろうなと思ったんですが、しかし「救助」というのは馬鹿馬鹿しくて誰も信用しないような、非常に詳細に言ってるんですね。
ケンカして、そして海岸で泣いていてまた戻ると苛められるから、と。
友達をゴロツキ呼ばわりしていますからね。(笑い声)
あれはとんでもないと私は思っていますが。
で、そこでボートがあって、艪が無かったけどそこに船底に板があったから、ちょっと沖に出たらついつい疲れて眠ってしまった・・・アホかと思った。(笑い声)
誰も信じる人がいないんでしょうけども、そういう話を作るしかなかった。
北朝鮮もそこまで切羽詰ってるんでしょうが、もうちょっとマシなストーリーを考えられないのかな?と、よっぽど人材がいなくなったのかな?と私思っています。

私でしたら、そうですね。
私でしたらストーリーを作るときに、もう北に対するシンパシーを持っていたから、当然北に行くつもりで韓国国内の工作関係のアンダーグランドに潜ってる人たちに話をつけて、あそこでおち合ってそして北に行ったんだと、僕だったらそういうストーリーを作るんですけど。
そちらの方がまだ納得できますよね?
そしたら拉致問題ではなくて、自分の意思で行った親北の人間だということに。
韓国国内での世論作りにはなると思うんですけど、そこまで考える余裕が無かったのか?
それともやっぱりそのストーリーを作った人が金正日に異常な反感を持っているのか?
後者を私は期待したいんですが、誰も信じなかった。

日本の方たちも当然あの場面を見て誰も信じる方はいないと思いますが、あの中で私一番頭に来たのは、金英男さんの会見がありましたよね?
一番頭に来たのは人権という言葉を使っているんですよね?
人権の無い国で人権を言うのは馬鹿らしいとは思いますけど、ただそれがその自分が言った横田めぐみさんの骨はその通りなんだ、それを疑うのは私に対する人権蹂躙だと言うですね。(笑い声)
アホか?と私言いたいですけど、何が人権蹂躙だと。

なぜ人権を使ったのか?というと、今世界中が北朝鮮の人権という問題で責め始めているんですね。
昨年はアメリカで人権法案が、国連の総会では人権非難決議が、そして日本はまた今年になって人権法と言うのが成立を始めました。
人権というのに非常に弱いし、世界中から人権という言葉で責められたら立場が無くなる。
だから自分を常に被害者にしなければいけないから、人権問題でも自分が被害者なんだと言う事を強調したかったのではないか?と思いますが、それでも彼の北朝鮮の言葉で人権という言葉を使ったときにはちょっと一番腹が立ちました。

まぁ言わされているのでしょうがないとは思うんですけど、面会の時に涙を見せなかった金英男さん。
それで時計もぶらぶらして、だいぶ北朝鮮は日本の報道を気にしているのはまず間違いが無いんですよ。
涙を流さないというふうに言ったら別れのときには涙を見せて、更に昨日も一昨日も涙を見せて、28年ぶりにお母さんと会って涙を見せない人がですよ?
日本に対する記者会見で娘さんがお母さんの事で泣いているといって涙を見せますかね?
私はちょっとそれは疑問に思っております。
だから涙を見せないのがおかしいと言ったら、今度は涙を見せろと言われたんでしょう。(笑い声)
だから帰り際に一応涙を流したと。

北朝鮮の言う事は全て私、金英男さんの会見、昨日の会見もそうですが、金剛山での会見も全て嘘だと私は思っております。
だからめぐみさんの娘さん、ウンギョンちゃんと言ってますが私はヘギョンだって良いじゃんと思ってるんですね。
別にどっちが本名か誰も分からないんですから。
最初は金英男はヘギョンちゃんと言ってヘギョンちゃんで報道して、今度ウンギョンちゃんと言ってウンギョンちゃんで報道の方たちはウンギョンちゃんと言い始めてますけども、誰も立証できないですし。
今までヘギョンちゃんで言ってますし、私はヘギョンちゃんで通そうと思っています。
この問題が解決して本当の本名が分かった時に改名すれば良いですし、日本に来たら日本名をつけて日本名を呼べば良いことですから、それまで私はヘギョンちゃんと呼ぼうと思っています。

そのヘギョンちゃんが金日成総合大学に入学したというのも、北朝鮮が言ってる事ですから。
おそらく今は金英男氏は工作員としては多分上級の方になっているでしょうけども、あくまでも拉致被害者ですから。
そしてめぐみさんは日本人拉致被害者ですから。
拉致被害者同士の子供が金日成総合大学に果たして入学できるか?
私は難しいと思います。
あれは抗日パルチザンからずっと一緒に戦ってきた信頼出来る軍の幹部とか党の幹部とか、そういう方たちの子息が主に入っている優秀な身分区の学校なんです。
そこに被害者の娘さんが入れるかどうか?

今確かにヘギョンちゃんは、めぐみさんの娘としてクローズアップされているから特別に入れているのかもしれませんけども、これも北朝鮮が発表しているわけで誰も検証できませんから。
金日成総合大学のコンピューター科にいると言ってるだけですから、これが事実かどうか分かりません。
そのうちにイギリスの公使か誰かに、突然金日成総合大学に行ってちょっと確認してみてくれと頼んでも良いんではと思うんです。
ドイツの人もいますし。

確認してもまた嘘が分かるだけなんでしょうけども、とにかく話は作られたストーリーだと思っていますので、それを見ている横田さんたちが僕は辛いと思うんですよね。
私たちは本当に腹が立ってしょうがないんですが、早紀江さんが「頭が煮えくり返り、腹が煮えくり返り」って、あれ本当だと思いますよ?
私たちが見ていても本当に煮えくり返るんですよ。

ただ、代表が非常に素直な方ですので、本当にあの話を半分信じるんですね?常に。
北朝鮮言ってることとか、遺骨の時も「そうかもしれない」と。
早紀江さんもそうなんですけど、僕たちは絶対にあれはめぐみさんの遺骨では無いと言ってたんですけど、代表は「いやそうかもしれない、とにかく調べて貰おう」というふうに仰る。
どうもまだ、北朝鮮の謀略というものに対して抵抗力が無い部分がありまして、ちょっともう少しやっぱりあれですね。
経験を積まないといけないのかなぁ?と。
日本銀行に勤めておられたので非常に素直なんですよ。
私たちのように民間に勤めてひねくれて(笑い声)、私たち本当にひねくれておりますので、あんな国の発表なんかは絶対に信用しておりませんし、これからも信用するつもりはありません。

で、そうですね、先週あたりに週刊朝日でめぐみさんの生存情報が出てきました。
これも西側の公使あたりから出ているんではないか?と日本政府関係者には言っているということを言っておられましたけど、あの取材源ですけど、めぐみさんがロイヤルファミリーの教師になる。
これは文春ですね?
今週号の文春でしたか、この取材源と西岡さんたちが聞いているめぐみさんがロイヤルファミリーの日本語教師になったという、これ違うんですよ。
だから二つ違うソースから同じ話が出ているということですね。
更に西岡さんはもう一つ別のルートからも、こういう話を聞いている。
という事ですので、おそらく間違いなくロイヤルファミリーの日本語教育をやっているんだろうと思います。
94年に死亡と言われておりますけど、彼らが94年にめぐみさんをおそらくある程度隔離し始めて、ロイヤルファミリーの教師とするために教育をしなおして、95年6年あたりから教師を始めたんではないか?と推測しています。

金英男はそのロイヤルファミリーの日本語教師の娘さんのお父さんだから、今優遇されているという事ですね。
でも、再婚されたあの女性。
あの人が党の人民何とか、副部長の何とかとか、誰も立証できないので分かりませんけどもね。
十幾つも違う若い奥さんですからね。
ちょっと理解が出来ないです。
まぁ再婚はしているのはそうなんでしょうけども、そのお父さんの地位とかお母さんの地位が果たしてそうなのか?は誰も立証できませんので、ちょっと私は疑ってかかっています。

それともうひとつ、ストーリーとしてラブトーリーになっていますが、北朝鮮ではラブストーリーは有り得ません。
ジェンキンスさんと曽我さんも最初突然一緒にさせられたという、同じ所で暮らすように命じられたという。
おそらくその時から夫婦になるのは義務付けられたと私は思っています。
日本でもそうですが、顔を見た事も無い男女が見合い結婚で生活していくうちに愛情が芽生えた事は有り得るとは思います。
でも恋愛結婚というのはまず有り得ませんし、住む家だって与えられないと(生活)できませんので、おそらく離婚も簡単に出来ないはずなんです。
ですからちょっとあのラブストーリー仕立ては、私は嫌な気がしました。
そのラブストーリーでめぐみさんを愛していたと称する金英男さんがああいう場でああいう発言をされているので、もっと嫌な気分になったんですけども、これは北朝鮮の内部で言われていることでしょうから、しょうがないと思います。

それと7月5日のテポドンですね。
7時くらいまで私ちょっと前日深酒をしておりまして、6時くらいに電話があったみたいなんですが全然起きられなくて、7時くらいに電話があって、それでようやく3発くらい撃ったというのを聞きました。
その時に私、正直な気持ち、「やったぁ!」と思いました。(笑い声)
本当に正直な気持ち。
テレビの中では余り言いませんけども、正直な話「やったぁ!」と。
これでようやく経済制裁に踏み切るだろうと思ってましたから。
ここで経済制裁を課さなければ、もう日本は駄目になるだろうというくらいの衝撃でした。

でもどこに撃ったんだろう?とテレビずっとつけていたら、日本海にどんどんどんどん撃ってるし今現在も撃ってるという話を聞いて「何でそんなに何発も撃つんだろうか?」とちょっと不思議ではありました。
当然、私新潟に行っていたもんですから万景峰号の入る日に行ったんですけど。
万景峰号が入ろうとしているその日に撃ったわけでしょう?
7月5日というのは金英男さんの日本人の記者団に対する会見をさせる日でもあるんですよね?
そういう複雑な事情の日にまたよく撃ったなぁ、というのもひとつ感想でした。

良く考えたら7月4日はですね。
アメリカでは独立記念日に撃ったと言うのが正解じゃないかと思います。
常に北朝鮮はアメリカを見ていますから。
日本は見ていません。
アメリカを見てアメリカと交渉してアメリカと仲良く国交が出来れば、日本はそれについてくるだろうと思っているから、だから日本は無視してもアメリカとの交渉をしたがるという事です。

ただブッシュ政権は本当に今早紀江さんに会った、それに姜哲煥さんにも昨年会ってるんですけども、金正日を嫌いみたいでブッシュさん。
単純な方なんです、小泉さんと同じように。(笑い声)
だから嫌いなものは嫌いというんで、だから北朝鮮を悪魔とずっと北朝鮮を言ってますけど、ですから絶対に妥協する事は無いですし、今後も米朝二国間協議に私は応じるとは思っておりません。
北朝鮮がどういうダダをこねようとアメリカは相手にしないでしょう。

・・・その2に続く・・・
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2006年07月19日

06.7.8 イ・ダルブ民団湘南中部支部団長 第14回藤沢集(6)藤沢産業センターにて

『イ・ダルブ 民団・湘南中部支部団長の挨拶』

皆さんこんにちは。
湘南中部支部のイ・ダルブと言います。
今日はですね。
いまのですね、Aさんの話を聞いていて本当に涙があふれる気持ちです。
私たちがですね。
近年このような環境になったのも、やはり一つのきっかけがあって今日があったと思っています。

私は湘南地区の韓国の民団と言う所で団長をしているんですけども、歴史がわかると言うことではなくて、また政治の事がよく分かるということではなくて、ただちょっと人材が不足しているんで私がたまたま団長になっちゃったということなんですけども。
実はですね。
皆さんご存知のように総連と民団とのですね。
共同宣言というものが5月17日に宣言されたんですけども、これにつきましてはですね。
昨日正式に民団としては、この共同宣言はやはり一緒には出来ないということで正式にこれは破棄されました。(拍手)

我々も先ほどのAさんと同じで、私も日本で生まれて日本で育った韓国人であるんですけども、ずっと遡って私の子供の頃ですね。
今私54歳なんですけども、それこそ40年位前の話でやはり今のAさんのような、とにかく北は地上の楽園なんだよと。
で、韓国は地獄みたいな所なんだよみたいなね(笑い声)、そんなふうに聞いて来たんですよ。
それはあのその頃は朴政権、暗殺されちゃった朴大統領とかですね。
かなり強力な事を推し進めていまして、その反面北というのはベールに包まれちゃっているので、とにかく北は楽園なんだよと。
そんなふうにしてず〜っと来ました。

私は生まれて育ったのは東京の浅草というところでですね。
浅草もやはり韓国籍、朝鮮籍の方々が物凄く多いんですよ。
いわゆる部落と言う所がありましてね。
そういう所で育ってるんで、どこそこの誰さんがちょっといなくなっちゃったみたいだよ?と、どうしちゃったんだろうな?というのを、私子供の頃に良く聞いていました。

それはそれとして、後は私が今ここで政治的なこととかそういう事ではなくて、別なふうな私的なコメント・考えなんですけど、私はここの藤沢ライオンズクラブと言う奉仕団体、ライオンズクラブに入っていまして先週ですね。
アメリカのボストンでですね。
国際的な大会があってそこに参加したんですよ。

その帰りにですね。
ニューヨークに寄りましてグランドゼロという、皆さんご存知の通りニューヨーク同時多発テロでね。
ビルが二つ、でっかいビルが一瞬にして無くなっちゃったという、あそこの跡地を見学に行ったんですよ。
その時にですね。
私はモヤモヤしている物があったんですけども、例えばその同時多発テロが無かったら今こういうような催しがあったのかどうか?という、私凄い疑問なんですよ。

その後にですね。
アメリカの大統領が北を名指しで、あれは悪の枢軸だというような事を言い始めてからね。
その北朝鮮と言う事は凄く注目されるようになったかと思うんですよ。
で、そのような事が契機になったかどうか?私には分かりません。
私的なコメントだけです。
私的な考えだけなんで。

ですから、私はこの拉致と言うのは、そのころから少しずつ生まれてきたんじゃないのかな?と思っています。
私は9・11が無かったら、この集会は多分無いのかな?と。
時の流れに埋もれちゃって本当に何も無くなっちゃうんじゃないか?と。

だから私は今韓国人という立場を離れてですね。
思う事は、とにかく最後の最後の最後の一人まで、日本に取り戻して。
これは韓国人も朝鮮人も向こうに、北にいるんですよ。
ですからその人たちの最後の最後の一人まで、やっぱり返って来ないといけないんですよ。

それが今私たちここの場にいる人たちのですね。
役目だと思っています。
ですから皆さんも決して忘れないで、一人残らず取り戻せるように考えて頂きたいと思います。
何かちょっとすみません、挨拶にならない挨拶で。(拍手)
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2006年07月18日

06.7.8 脱北者Aさん 第14回藤沢集会(5)藤沢産業センターにて

『脱北者Aさんの証言 (聞き手:川添友幸氏)』

※Aさんの安全のために登壇者の横に警備の人がつき、壇上と会場の間に衝立を立てジャンパーを頭からかぶった形で証言を開始。

・・・・・・・・・・

★聞き手 川添友幸救う会神奈川会長

救う会の川添です。
以前ですね、昨年やはり脱北者の方をお呼びした時に、サングラスをかけてやってもらったと記憶しているんですが、その方より今回は非常に身の危険があるという方だそうなので、我々も身の安全のために申し訳ないんですがこういう形で講演をやらせて頂きますのを、申し訳なく思っているところです。
講演の形式なんですが、私が質問してそれにAさんが答えていただく形になると思います。
宜しくお願いします。

じゃあ、Aさん宜しくお願いします。
まず帰還事業で北朝鮮へお帰りになったと言う話ですが、脱北した経緯をちょっと教えて頂ければと思います。

★脱北者Aさん

脱北の経緯ですか?
まずはですね。
今の政権に対しての、まぁ、なんて言いますか不満ですかね。

★川添氏

具体的にどんな不満ですか?

★Aさん

やはりですね。
自分が北に行ってその間、今度こそは今度こそはと言う調子で我慢していたんですが、今の政権は目の前が見えない。
目の先が見えない、そういうのがあって自分にも家族がいるんで。
自分が帰国して騙されたとかそういう事は言いませんけど、その先、生活するにも目の先が見えない。
そう言うのがありましたね。

★川添氏

なるほど。
それで中国経由ですか?

★Aさん

そうです。

★川添氏

良くうちの会にも来られる難民基金の野口さん、あの方が中国へ行かれて、かなり中国の当局も取締りが厳しいと聞いていますが、その辺は何か・・・・(聞き取れず)されそうになったこととか有りますか?

★Aさん

それは何回もありましたね。

★川添氏

具体的にどんな感じでしょうかね?

★Aさん

例えばですね。
皆さんご存知の通り、中国公安局というのは北朝鮮の安全部、あるいは保衛部と皆つながりがあるわけです。
だから例えば脱北者が中国のあるところへいると。
それを近所の住民が中国の公安局なりに知らせると、賞金が出るわけですね。
賞金目当てに通報をする。
そこで捕まれば、我々はなんと言いますかね。
送還されるんですけども、我々の場合、北朝鮮で言えば我々は帰国者ですから、そういう立場で凄く弱い立場です。
我々の場合はもう送還されたら、まぁ60〜70%の割合で命が無い。

★川添氏

所謂公開処刑、昨年公開処刑の映像が出ましたが、公開処刑になってしまうと?

★Aさん

そうですね。
北で公開と言うよりも未公開でやるのが多いんで、その辺はもう命を懸けて。
自分もそうですし、今命からがら成功した方たちも、脱北するに当たって半分は命を投げ捨てて死ぬのを覚悟で、成功率は何%になるか分かりませんけども、まぁそういう感じです。

★川添氏

出来る範囲でいいんですけど、お仲間の方で捕まってしまった方とかいらっしゃいましたか?

★Aさん

いや、話は聞くんですけども、自分の場合はそういうなんていうか。
自分が脱北すると言うのを知っているのは家族だけです。
それは秘密にしてやりましたので。

★川添氏

中国にはどれ位おられたんですか?

★Aさん

約8ヶ月くらいですね。

★川添氏

日本に来られたのはいつ位でしょうか?

★Aさん

今年で4年目になります。

★川添氏

最初、生まれたのは日本ですよね?

★Aさん

はい、そうです。

★川添氏

何年ぶりに日本に戻られた事になるんですか?そうすると。

★Aさん

約30年ですね。

★川添氏

やはり変わられましたか?周りなんかは?

★Aさん

だいぶ違いますね。
最初は戸惑いましたね。

★川添氏

日本で今回、北朝鮮人権法という法律が国会で先日成立しましたよね?
今回拉致問題で経済制裁を促していくことと同時に、脱北者の支援という事も柱になっておりますが、その辺というのはどうお考えになりますかね?

★Aさん

そうですね。
我々にとってはそれは本当にありがたい事なんですけども、一言で言いますとそういう支援活動を政治の一環として、要するに何かの宣伝としてやって欲しくない、と言うのが自分の思いです。

★川添氏

人権と政治は一緒にして欲しくない?

★Aさん

やはりそうですね。
あくまで。

★川添氏

ちょっと話が最初に戻るんですが、金日成、今の金正日政権に対して、我々は頭で知っているのは文句言う事は出来ないという事ですが、まぁこの場ですと、どういうふうにあの政権に対して思われますか?

★Aさん

そうですね。
自分もやっぱりそこに関しては、こういう所ではっきりコメントはしたくないんですけども、今の政権がですね。
まぁ、なんていいますか、自分が良い思いがあれば自分が今現在ここにいないと思うんですが、自分が脱北して日本でここで生活している事が、今の政権をどう思うか?と言えば、皆さんお分かりだと思いますが。

★川添氏

4年前脱北されて日本に来られたという事で、拉致問題が4年前というとちょうど騒がれた頃ですよね?
あの時、こういう報道を見てどう感じられましたか?

★Aさん

向こうではですね。
自分に不利な事は一切報道しないわけです。
だから我々もですね。
噂でそういうようなのを耳にした事はあるんですけど、ハッキリした内容は日本に来て分かったんです。

★川添氏

今噂という話がありましたけど、噂の話で具体的にどんなふうに拉致の話を聞きましたか?

★Aさん

まずはですね。
飛行機の爆破事件です。

★川添氏

大韓航空機爆破事件ですね?

★Aさん

はい、あれです。
あれは北では韓国のでっち上げだと、言うような感じで報道しているわけです。
ところがある人に「あれは俺たちの方がやったんだぞ」くらいの調子で聞いた事もあるし。
それで拉致任務の一環だと思うんですけど、自分が何を聞いたかというと、要するに平壌のあるところに行くと地下室があって、そこには例えば日本なら日本、香港なら香港の町がある。
それで要するに工作員の訓練の一環で、日本語村があって、その日本語を教える人は日本人だと。
自分は最初そういう話を聞いて、要するに習慣ですか。
日本語を教えたり日本の習慣とかそういうのを教えたりするのは、朝鮮総連の方から送られているそういう人かな?と思ったんですけども、日本に来て拉致被害者だと。

★川添氏

そうですね、帰国された蓮池さんたちもそういう事をやらされていたという話を聞いていますし。
次回ちょっとお呼びしようかと思っているんですが、田口八重子さんも金賢姫の指導役だったと言う話も出ていますしね。
非常に北の生活というのは、厳しかったと思うんです。
ちょっと北の時の生活の話をしたいんですが、私なんかうろ覚えですけど配給制度とか、そういうイメージがあるんですけど、その辺は脱北される直前までどういう状況だったですかね?

★Aさん

自分の場合はですね。
1985年度あたりまでは日本からある程度仕送りもあり、生活を保ってたんですけど、その以降に日本から仕送りが無くなってから大変な目にあったんです。
自分は1989年だったと、それから90年にかけてですね。
実際自分が経験した事で日本から仕送りが無くなって、家にある冷蔵庫・カラーテレビ全部売って、しまいにはマットレスまで売ったんですけど、それで使用人の生活をしていたんですけど、それも尽きて。

なんていいますか、その当時中国の方で北朝鮮で材木を売ってですね。
食料を・・・(聞き取れず)
その食料というのが食料じゃないんです。
肥料です。
それも鳥の餌。
聞くところによると、肥料の中でも鳥の餌というのは一番酷いらしいですね。
で、そういうものを、それを我々一般市民は闇市場で買う。
1988年、9年あたりですね。
本当に食うことに困って。

自分には息子が二人いるんです。
息子を連れて自殺しようと思った事があるんです。
ただ、自分としては父親として育ち盛りの子供に、今言ったように鳥の餌です。
そんな肥料を腹いっぱい食べさせる。
俺は父親なんだと。
で、自分を責めて責めて。

北では、例えば自分が自殺するじゃないですか?
その影響というのは必ず子供に行くんです。

★川添氏

具体的にどういう影響なんですか?

★Aさん

例えば向こうで自殺って言うと、反逆罪、罪に問われるんですね。
そうするとそれを自分の息子がどんなに頭が良くて、例えば普通に行けば大学に入れるのを、要するになんていうのか、昔の日本で戦争時代に戦争行かなかったら非国民て言われますよね。
そんな感じなんですよ。

だから例えば自分が自殺する。
それは出来ないです。
親として自分が死ぬんであれば子供のことまで責任を持たなくちゃいけない。
今後の事を。
だからある瞬間自殺しようと、その瞬間自分も・・・(聞き取れず)考えたんです。
どうにか耐えて来たんですけど。

その瞬間思ったんです。
あの瞬間、あの国の制度がどうにかなるんじゃないか?と思った自分が馬鹿だった。
それが脱北の理由、きっかけの一つですね。

★川添氏

話が飛んで恐縮なんですが、帰国事業というのを私もちょっと萩原遼さんの本なんかを読んだんですが、素晴らしい国という話で、行かれたときのその辺の経緯の話を。
行った後、騙されたという心境になったと読んだ事があるんですが、同じような心境でしたか?
その辺を教えて頂ければ。

★Aさん

それはそうですね。
自分も日本で生まれて育って、日本で総連系の朝鮮学校に通ってましたんで、その教育を受けていました。
要するに皆が平等だと。
社会主義国家だと。
生活水準も高い。
地上の楽園。
という事を、つまり聞かされたというより、頭の中に叩き込まれたんです。
込まれていたんですね、我々。

それで向こうに行って最初に見たものが、清津というところなんですけど、その時、なにか北で5大都市のひとつだという事を聞いていました。
その5大都市の一つの中に、牛車が走ってたわけです。
我々はいくらちょっと昔でも東京で生まれて育って、牛なんてのは動物園とかああいう所で見るだけで、市内のど真ん中に牛車という物を生まれて初めて見たんですね。
で、あれはなんだ?と。
自然動物園か?と。(笑い声)
ビックリしましたね。

★川添氏

清津は清らかな津と書くところですよね?
横田めぐみさんが確か連れて行かれて最初に、軍港でしたよね?
確か港町で。

★Aさん

そうです。
帰国船が着くのが清津ですね。

★川添氏

本で読んだ事が私もありますけど、実際に話を聞くと腹立たしいですね。

★Aさん

やはりあれですね。
その当時の総連の宣伝というか、教育っていうか、あれはあんまり度が過ぎたです。
余りにも、我々は子供の時分、子供なんてのは白い紙と同じなんです。
赤に染めれば赤になる。
黒に染めれば黒になる。
そういう子供たちに、北というのは生活水準も高くて、こうなんだと。
それは行ってみて現実に全然違うんで、そしたら我々みたいな向こうで言う帰国者、そういう方たちがそういう現実を見て、その場で気が狂ったと。
生活の中で、今で言ううつ病だということです。
そういう病気にかかった人は大勢います。

★川添氏

非常に初めてこういう話を聞くと、考えさせられる感じが私も今している限りです。
そろそろ時間なんですが、会場の皆様に何か思っている事で何か話したい事があればと思うんですが。

★Aさん

こんな姿かたちで申し訳ないんですけども、これからもこういう我々みたいな脱北者。
我々脱北者って言うのも北の政治、皆さんもご存知のように今、北というのは本当に常識じゃ考えられない事をやっていますね。
ミサイルを撃ったり、拉致をしてみたり。
そういう制度というかそう言うのが嫌で、北から見れば我々は罪人ですけども、そこを抜け出してきた我々なんですけども、やっぱり日本を離れてもう何十年、やっぱり日本に来てもいろいろ慣れない。
生活上そういういろいろありますけど、まぁ、あの、皆さんの御支援をいただく・・・

★川添氏

日本政府の先ほどお話したんですが、北朝鮮人権法という法律を作りまして、先月です。
今回国会の会期を延長しないということなんで駆け込み的にですね。
法律が可決されまして、殆ど、自民・公明・民主の、社共は反対、社共はたいした数じゃありませんけど、圧倒的な多数で賛成になりましてですね。
人権と政治は分けないとという話を頂いたんですが、一つ北朝鮮に対するカードになると思いますんで、そういう意味でもちょっとこの問題を関心を持ってですね。
私たちもこの神奈川の会でやっていきたいと思いますので、今後ともちょっと宜しくお願い致します。
今日はちょっとこんな形で本当に申し訳ございませんがこんな感じにしたいと思いますので、ありがとうございました。(拍手)

★Aさん

ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・
脱北者のお名前は、御本人の身の安全を考慮し匿名とさせていただきます。
悪しからず御了承ください。
posted by ぴろん at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月17日

06.7.8 真鍋貞樹氏 第14回藤沢集会(4)藤沢産業センターにて

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演』

Img_1836.jpg

司会がいなくなっちゃいましたので私の方で勝手に進めさせて頂きます。
特定失踪者問題調査会専務理事をしております真鍋でございます。
今日は多くの方にお集まりいただきまして、本当にありがとうございました。
今話題のテポドンとかですね。
金英男さんのお話は家族会の皆さんがいらっしゃいますのでそちらにお譲りして、私の方からは神奈川のですね。
特定失踪者の問題についてコメントを20分少々でお話をさせて頂きたいと思います。

私ども特定失踪者問題調査会では、全部で460件の失踪者の方の調査をご家族から依頼を受けております。
で、神奈川の実態なんですけれども、現在神奈川に特定失踪者のご家族がお住まいになっているケースは13件ございます。
後ろに高野美幸さん、お兄さん(=特定失踪者・高野清文さん)が神津島で失踪された方の妹さんも来ておられます。
ついでながらあそこで支援のグッズも販売しておりますので、是非お買い求めいただければ大変助かります。
それから大澤さんも先ほどお見えになってたんですが、大澤さん(=特定失踪者・大澤孝司さん)のお兄さんもやはり神奈川県にお住まいになって、あといらっしゃいますかね?
寺島佐津子さんのお父さんとお母さんがお見えになってらっしゃいます。
他には今日はいらっしゃいませんか?
後でご紹介があると思いますけど、460件の内13人の失踪者のご家族が神奈川県に住んでいます。

神奈川県での失踪事件、失踪した場所がとにかく神奈川と言うのが9件ございます。
全国的に見てもですね。
神奈川というのはそういう意味で失踪件数は実は少ない県でございます。
お隣の東京は人口が多い事もありまして、ご家族が50件も50人もいらっしゃいますし、失踪件数も50件という多い中で、神奈川は少ないんですけども非常に気になる点が神奈川にはありますので、これをちょっとお話をさせて頂いて。
実はもしこれ失踪に関わる情報を皆さんお持ちであればですね。
ぜひ私どもにお寄せ頂きたいという趣旨でお話をさせて頂きたいと思います。

ひとつはですね。
偽札騒動が大きくなったときにですね。
本が出ましたけど、「ウルトラ・ダラー」という本がございます。
手嶋龍一さんが、ワシントン支局長ですね、NHKの。
ワシントン支局長だった手嶋龍一さんが書かれた「ウルトラ・ダラー」という、読まれた方いらっしゃいますか?
あ、はい、ごく一部ですね。
あの小説としては余り面白くないんですけど、拉致問題を考える上では非常に重要な本ですから是非お買い求め頂きたいと、ご一読頂きたいと。

というのは偽札作りに日本人の拉致被害者が関わっているかもしれないという事で、書かれた小説でございます。
手嶋さんと私、ちょっとお話を以前させて頂いた時に、またあちこちの講演でもお話されていますが、あの「ウルトラ・ダラー」というのは小説の形を借りた事実です、と言うふうに言っておられます。
要するに小説と言う形でフィクションの物を描いているように見せてますけど、中身は全て事実ですよと言うお話です。
という事で要するに、偽札を作れるだけの技術を持った日本人の方の失踪と言うのはたくさんあるんです、実は。
そういうケースを元に小説に書かれていったわけでございますが、それで何が神奈川と関わるか?という点をお話しさせて頂きます。

あの本にですね。
読まれた方はお気づきになっているかも知れませんけども、1行だけ大切な文章がございます。
たった1行だけ。
それはですね。
1970年ごろ東京湾に北朝鮮の工作船が入ってきた、という1行の件がございます。
読み飛ばしそうな短い物なんですけど、ここがとっても重要でございます。
で、この点について手島さんにこれは事実ですか?というお話をさせて頂きましたら、非常に高度なレベルの情報筋から頂いた情報であるから真実である事は間違いが無い、と言うふうに言っておられました。

要するにここからすぐそこです。
三浦半島の沖、浦賀水道沖にですね。
北朝鮮の工作船と言っても貨物船のことですね。
万景峰号も何世代か亘っているんですけども、実際に横浜港とか千葉港に入港した事もありますし、万景峰号じゃなくて普通の貨物船だったらしばしば入っております。
しばしば北朝鮮の船が東京湾に入ってきてるわけですけど、この中の船がですね。
不思議と浦賀水道沖で停泊するんです、何日か。
何をしているんだろうという事で、ここらへん船が多いですからね。
泊まっていても全然誰も不思議に思わないんですが、なぜかここで停泊をするわけです。
で、夜な夜な悪さをするという事でございます。
その悪さと言うのは何か?というと、「ウルトラ・ダラー」で書かれているのは1970年ごろ、東京湾周辺で偽札を作るだけの技術を持った印刷工の人たちを連れ去る、そういうものに船が使われたという事でございます。

だから神奈川県におきましてもですね。
当然その影響は受けただろうと言うふうに、これは推測ですけども考えられるんですね。
その推測を裏付ける為のちょっといくつかお話させて頂きたいと思いますけど、ひとつは今日はお見えになってないと思いますけど、八尾恵さんですね。
神奈川で言えば八尾恵さんの横須賀での夢美波(ゆめみは)というですね。
スナックの話を皆さん御存知ですよね?
よど号の、いらっしゃいますよね?
今日はお見えになってないようですけども、よど号の妻だった八尾恵さんがですね。
横須賀の、あれは何通りだったですかね?
川添さん、何通りでしたかね?いないか?

有名な繁華街の所に夢美波という、夢を見る波と書きますが、そういうスナックを経営された事があります。
1年か2年くらいですね。
それは何故経営されたかと言う事は、当然自衛隊の関係者がそこへ呑みに来るわけです。
それからもしかすると米軍の関係者も呑みに来るかもしれない。
要するにその場所を通じて米軍情報なり日本の軍事情報を、中の自衛官あるいは軍人と接触する事によって得ようという趣旨であそこの夢見波を作られたと、これは私が言ってるんじゃなくて八尾恵さん自身が本の中でこういう証言をしている。
ですから1970年ごろの北朝鮮のそういう船の構造。
そしてそこを通る横須賀ですね。
横須賀で、これは事実としてよど号の妻の八尾恵さんがそういう活動を横須賀でやっていた、ということですね。

それから3番目ですけど、1991年3月にですね。
若人あきら事件と言うのがあるのを御存知でいらっしゃいますか?
これはもうテレビや雑誌で有名な話ですけども、タレントの若人あきらさん、今は我修院(がしゅういん)、何でしたっけ?(=我修院達也)
我修院という名前に変わってタレント活動をされていますが、彼が1991年にですね。
これは彼の言葉から言う事なんですが、

「熱海の和田浜海岸で釣りをしていたところ、何者かに船に連れ去られました。
その何者かは分からないんだけども、その船で『私は有名なタレントだからこんな事をすると大騒ぎになるぞ』と連れ込まれた船で騒いだところ、それがきっかけかどうか分からないけれど小田原の駅で開放された。」

という事件がございます。
御存知でいらっしゃいますか?
結局これは本人はですね。
記憶喪失であるということで、和田浜で釣りをしていて小田原で見つかったと言う事しか本人は言わないんですけど、その後の彼の行動と言うのは、名前は変えるわ、夜になると自分のマンションの明かりは全部こうこうと照らして、異常な行動をとり始められたと。

これが後日ですね。
段々明らかになってきたんですけど、北朝鮮によって何らかの理由で遭遇したらしいんですね。
遭遇して、上陸なり工作なりの活動のとき遭遇してしまったから連れて行かざるを得なかった。
その結果、本人が若人あきらだと言ってるんで、朝鮮総連の本部に確かめた所確かに若人あきらだということが分かったので、これはまぁ大騒ぎになってもなんだろうと言う事で小田原駅で開放させたと。
しかし開放する時には必ず言い含めるわけですね。
「黙っとけよ」と。
「余計な事を言うんじゃ無いよ」と。
「お前はいつも24時間見張ってるんだよ」と。
「何か言ったらおまえ自身の命、家族の命は無いよ」と言われたら皆さんどういう事になりますか?
という事件が、若人あきら事件と言うのが1991年小田原で発生しております。
これは私の推測ですけども、本人の弁では熱海の和田浜という所になってますけど、そうでは無いと言うふうに思います。
和田浜にしておけというふうに言われたと思いますので、別の場所だった可能性が高いと思っています。
それが神奈川での非常に顕著な事件です。

続いて特定失踪者の方のですね。
特異な事件をですね。
全部を申し上げると時間が無いので、いくつか申し上げますけども、一番顕著な事件は河嶋功一さんです。

氏名 河嶋 功一
失踪年月日 昭和57(1982)年3月22日
ふりがな かわしま こういち
生年月日 昭和33(1968)年5月5日
性別 男 当時の年齢 24
身長 168センチ 体重 58〜60キロ
公開 第2次公開
当時の身分 大学卒業直後
特徴 野球のピッチャーをしていたので、右腕が掌半分くらい左腕より長い。怪我で左手中指が縫合し、少し内側に曲がっている。膝上よりふくらはぎにかけてケロイド状の火傷跡あり。少しうつむき加減につま先に力を掛けて早足で歩く。
失踪場所 神奈川県横浜市金沢区洲崎
失踪状況 関東学院大学機械工学科を卒業したばかりで、浜松に就職も決まっていた。当日は父親たちが車で下宿へ荷物を取りに行く。父親は荷物とともに車で、本人は汽車で浜松に帰ることにした。功一さんは「先に浜松に帰っている」と、午前9時半頃下宿を出た。父親は50〜60m先の角を曲がるところまで見送った。父が「交通渋滞で帰りが遅れる」と浜松の実家に電話したが、功一さんは未だ帰っていなかった。荷物を下ろし夜遅く横浜に引き返すが、本人はいなかった。当時小雨で傘一本、電車賃・本人の小遣い程度しか持っていない。

※特定失踪者の情報は調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html


関東学院大学の学生で卒業して郷里の浜松に就職の為に帰る引越しの最中に失踪というですね。
大変不思議な失踪事件なんですけども、これは我々の言う1000番リストとさせて頂いている理由は二つございます。
ひとつはこれは検証不可能なんですけど北朝鮮の国内で目撃したと言う情報がございます。
これは検証不能です。

ふたつめはですね。
失踪する前に突然中学校の同級生にですね。
本人から電話があったんです。
その内容が「これから北朝鮮に行く」という。
だから電話を受けた同級生は何の事か分からなかったそうです。
で「何しに行くんだ?」と言っても何も答えない。
「どうして、いつ行くんだ?」と言っても何も答えない。
とにかくその一言だけ言って電話が切られたと言う不思議な事がありまして、これは静岡県警の方でもですね。
裏を取っていただいて、こうしたことがあったのは事実だということから、河嶋功一さんは拉致されたという事に間違いは無いと考えて、その現場は神奈川県の金沢文庫でございます。

非常にこの事件が顕著なのと、あともうひとつだけ申し上げますけども、神奈川での失踪事件の不思議な所はですね。
陸上自衛隊と某有名自動車メーカー、○○なんですけども。(笑い声)
ちょっと固有名詞は無かった事にしてください。
不思議とですね、不思議なんです。
北海道とか沖縄とかから出稼ぎに来られて○○の座間工場に季節工で入られて、その方はその前に陸上自衛隊の任期制の2年か3年の陸上自衛隊の横須賀基地で訓練を受けて。
あるいはその逆、最初に陸上自衛隊で2〜3年訓練を受けてその後○○工場に季節工で入られて働いて、というパターンがあるんですけども、その方々が複数同じように失踪しています。

自動車メーカー別失踪者の数という事でセレクトしたことあるんですけども、実は○○だけなんです。
不思議と。
それも神奈川の○○ですね。
○○というのは車を作るだけじゃなくて、軍事用のロケットも作りますね。
ミサイルも作る企業ですからその関係があるどうかが、これから調査の目標です。
本当に不思議です。
ホンダやトヨタ、いろんな自動車メーカーがありますけども、失踪者はいません。
全部○○で、神奈川です。

これが非常に不思議な所でございますが、そのうちの一人で沖縄県出身の仲里次弘(なかざとつぐひろ)さんという方がいらっしゃいます。

氏名 仲里 次弘
失踪年月日 昭和52(1977)年5月
ふりがな なかざと つぐひろ
生年月日 昭和25(1950)年11月15日
性別 男 当時の年齢 26
身長 161〜2センチ 体重
公開 第12次公開
当時の身分 自動車会社季節工終了後
特徴
失踪場所 不明
失踪状況 "陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。2002年8月に男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。""""ちゅうさん""""と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。

※特定失踪者の情報は調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

この方は1977年に○○にお勤めになっていて、それである日突然失踪と言う事件ですけども。
この方を御家族一生懸命探しておられたのが、私どもが(調査会を)設立する3年前以前の話で、拉致問題が大きくなったもんだから御家族がですね。
警視庁に相談に行ったそうです。
うちの兄が失踪しているけれども、という事で相談を警視庁にした後に突然電話がかかってきたそうです。
御家族の元にですね。
その内容は、「ツギヒロさん」、この「ツグヒロさん」でなくて「ツギヒロさん」と言ったところがポイントです。
「ツギヒロさんは北朝鮮に拉致されていますよ。幸せに暮らしていますよ」という電話があってそれっきり。

いたずら電話にしてはですね。
どうして御家族の電話(番号)が分かるのか?
また御家族が警視庁に相談に行ったと言う事が分かるのか?
そのタイミングが絶妙なタイミングで(電話が)かかると。
そういうような不思議な事がありました。
状況からしてですね。
これ以上の事は分からないんですけども、いろんな神奈川でのポイント、横須賀の今まで申し上げたような事件からしてもですね。
この仲里次弘さんのですね。
事件はまだまだ解明しなければいけない事がたくさんありますが、とても怪しい事件となります。

といった事がですね。
神奈川での失踪事件の主たるポイントでございます。
もしこの中でですね。
こういった関連で何かお気づきの事がありましたら、どんな小さなことでも結構ですから仰って頂ければと思います。

後3分少々でまとめさせて頂きたいと思います。
経済制裁はお任せするとして、その他のお話をしたいと思います。
そのひとつは北朝鮮人権法が成立いたしましたですね。
これは二つのポイントがございます。
ひとつは経済制裁もきちんと書かれたということです。
という事はもうお分かりだと思います。

大きなポイントは脱北者の保護です。
この点につきまして、実はですね。
私たち拉致問題に関わる人たちからも実は「おかしいんじゃないか?」と。
「なんで日本人を助ければ良いのに、脱北者をここまで支援しなくちゃいけないんだ?」という声が実際あります。
それはそうかなのもしれませんけど、と言うお話をここでしておきたいと思うんですね。

それは特定失踪者の問題を解決する為にも脱北者の保護はとても大切だと言う事です。
もちろん脱北者の方々の人権その物も大切ですけど、我々にとっては脱北者の方々からもたらされる、日本人がいたかもしれないという情報はとっても大切なんです。
第一、安明進さんがスタートでしょう?この拉致問題のスタートは。
彼が脱北してめぐみちゃんを見たというところから始まったわけですから、この脱北者の方々からもたらされる様々な情報を我々は解析して積み重ねて、この方は拉致だとかというような作業を日夜やっているわけですから、この特定失踪者の問題を解決する為にとっても重要な事でございますから、その点を是非御理解頂きたいという事でございます。

それから特定失踪者の問題に限らずですね。
この拉致の問題というのは、様々な北朝鮮に関わる人権問題の中の大きな問題ですよ?拉致問題。
じゃあ、北朝鮮の人権問題何があるかと言うと、言うまでも無いことですけれど強制収容所ですね。
在日の方も帰国された方もそうですし、「日本の方が飯が上手いな」と「日本に帰りたいな」と一言言っただけで強制収容所行きですね。
そのまんま、命をおしまいになられた方と言う事を、本当に許して良いのか?というのを考えなきゃいけない。

それから今中々大きな問題になっていませんけども、北朝鮮に帰国された在日の人の配偶者、殆どは女性、殆どは奥さんですね。
その方々の問題というのも殆ど話題にもならなくなりました。
今日の司会をやっている高橋君はその人たちの人権を守るための「守る会」のメンバーでやってるわけですけども、そういう人たちの人権もやっぱりあわせて考えていかなければいけない、というふうに思っています。

それから今家族会・救う会で取り組んでいますけど、全世界12ヶ国にわたる拉致被害者の事もやはり考えていかなければいけない。

それから以外に、以外と言うか、これがとっても難しい問題なんですけども、在日朝鮮人の方の拉致被害者の問題がある。
これは非常に難しいです。
たくさんあるんです。
石高健二さんが非常に詳細に調べられた結果がありますけど、これは民団も全く助けません。
朝鮮総連なんか絶対に助けません。
だって朝鮮総連の犯罪ですからね。
我々救う会がそこまで手を出せるか?というとそれも中々難しい。

しかしですね。
この中に、この特定失踪者の中に(調査会のポスターの写真を示しながら)在日朝鮮人の方、何人かいらっしゃいます。
少ないんですけどもね。
何人かはいらっしゃる。
それはもう御家族とも我々いろいろ話をしまして公開に踏み切っていますが、非常に片隅に追いやられた問題でありますけども、そういった問題も我々としてはやはり視野に入れて、トータルで北朝鮮の人権問題というのを考えていかなきゃいけないというふうに思っております。

最後にですね。
テポドンの事に触れて閉めたいと思いますけど、要するに北朝鮮と言うのは外交手法と言うのは「ゆすり・たかり外交」ですよね。
米寄こせ、金寄こせ、物寄こせ。
それから核兵器開発、「恫喝外交」ですね。
今度のミサイルってのは「瀬戸際外交」とも呼ばれるし、「恫喝外交」とも言われるし。
あとは拉致の本質って言うのは、これは彼らの外交にとっては「人質外交」ですよね。
要するに日本のヤクザさんもかなわない様な、そういうゆすりたかりの恫喝を繰り返すところに対して、我々がどう立ち向かう?という非常に厄介な話ですね。

皆さんのお隣にヤクザさんが住んでいてですね。
町が気に入らないからと言ってバンバン撃ってですね。
「金寄こせ、飯寄こせ」というような人が、隣人にいるようなものなんですね。
その時に皆さん町内会でどうするか?という、やはりそこはお金寄こせと(言われて)どんどんお金をやっていたらどんどん付け上がるし、恫喝に負けていたらこの問題ずっと終わらないでヤクザさん、ヤクザさんに失礼な話ですけどね。
ヤクザよりももっと酷いんですけれども、それをどうやっていくか?という問題だと思うんです。
その時大切な事は横田早紀江さんがしょっちゅう言っているように、やはり毅然としたですね。
国家として国民として毅然とした態度と行動を取り続けるという事だと思います。

恫喝に負けない。
テポドンに負けない。
そういうような気概を持ってやっていく事が大切だろうと思っておりますので、また皆さんと共にですね。
この問題の解決に取り組んでいきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・
※文中某自動車メーカーの固有名詞は真鍋氏の意向を配慮して伏字にしてあります。
悪しからず御了承ください。
posted by ぴろん at 02:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月16日

靖国神社 みたままつりへ

昨日15日、靖国神社のみたままつりに行ってきました。
人ごみの苦手な私は祭礼のある日に靖国へ行った事はありません。
私にとって靖国は特攻の叔父の魂に逢いに行く所であり、周囲が余り賑やかだと落ち着いて叔父の供養をする事が出来ないので、なるべくそういう行事のある日は外す事にしていると言うのがその理由です。

そういう私が今回みたままつりに行く事にしたのは、母が今年永代献灯をしたからです。
特攻の叔父が国民学校2年生だった母の書いたハガキを胸に抱いて沖縄へ出撃してから61年。
叔父の戦死時7歳の少女だった母も今年68歳になりました。
まだまだ元気ですけれど、いつ何時何が起こってもおかしくない歳になりつつあるので、永代献灯という形で未来永劫叔父さんの供養をしてもらえるならそうしたい、と言い出し手続きをとったのです。
折角献灯をしたのなら、それを見に行こうか、ということで夕方から家族揃って靖国神社へ行って参りました。

夕方4時に家を出るはずが、何だかんだと雑用に追われ出掛ける時間は6時までずれ込み、結局靖国に着いたのは7時を少し回っておりました。
みたままつり期間中の昇殿参拝は午後8時まで、ということだったのでまずは真っ直ぐ参集殿を目指しました。
ところがちょうどこの時間は奉納の神輿、阿波踊り、青森ねぶたが参道に繰り出していて、人出が物凄い!
故郷の賑やかな祭りをみる英霊たちの気持ちはどんなふうなんだろう?うちの叔父さんもこの祭りをどこかで見物しているのかな?などと感傷に浸っているとついつい涙が滲んでしまいます。
でも、ぼんやりと祭りに見とれていると参拝の時間がなくなってしまうので、感傷に浸るのは一瞬の事として横において、とにかくも朝の満員電車のような人ごみを掻き分け掻き分け、ようやく参集殿まで辿り着いたときは7時半になっておりましたが、最終7時50分の最後の昇殿参拝に滑り込みで間に合いました。
昇殿参拝に間に合わなかったら、何をしに靖国へ行ったんだか分かりませんからまずはホッと一安心をしました。

いつもの昇殿参拝ですと、本殿向かって右側の渡り廊下でお祓いを受け昇殿するのですが、この日は個人団体を問わず昇殿参拝の希望者が多いので、手水を済ませるとそのまま本殿前の拝殿内に進み、そこでお祓いを受けます。
丁度その時間、拝殿前では神輿が宮入をしていて外はまさしくお祭り騒ぎ。
お祓いを受ける時の祝詞の声も全く聞こえない有様でして、あぁ、やっぱり人出の多い時に参拝に来ると落ち着かないなぁ、と内心思っておりました。
でも夜日が落ちてから、ライトアップされる中で参拝するのは初めてだったので、そういう意味ではいつもと違う厳かな本殿の景色を見られて、それはそれで良かったかな?とも思いました。

お祓いを受けた後、本殿左側の渡り廊下から本殿へと昇殿致しました。
電球のわずかな明かりだけの本殿内もいつもとは違ってなにやら荘厳な雰囲気でありました。
で、私はここでちょっと不思議な体験をしました。
ニ礼二拍一礼の拝礼を済ませ、しばらく黙祷をしていると頭の中をひとつの言葉が不意によぎったのです。

「護りたい者がいるから、命を懸けられるんだよ」 

100%死ぬと分かっている決死の特攻を、勝てない事は分かりきっている戦いに命を懸けて出撃していく叔父の決意はどこから来たのか?というのは、護られた側の私にとっては自分の存在理由にも関わる大命題です。
その命題に、この言葉がひとつの答えをくれたような気がしました。
そう、護りたい者がいるから人は命を懸けて戦える。
護りたい者がいるから人は限りなく強くなれてもしまうのだ、と。

理屈として、人の心とはそういうものなのだろう、というのは頭のどこかでは分かっています。
でも理屈として理解するのと、心の底から心情として理解するのとは違う。
それがあの一瞬、心のどこかに引っかかっていた物がストンと落ちたような気がしました。
あの言葉はなんだったのでしょうか?
自分の深層心理の声だったのか?それとも叔父の魂が私の心に呼びかけてくれたのか?
それは分かりません。
でもその言葉がよぎった瞬間、涙があふれました。
そしてとても温かな気持ちになれたのも事実なのです。

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(↑小型の献灯の数々)

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(↑小野田寛郎さんの懸ぼんぼり)

参拝を済ませると、まずはとにかく母の献灯を探す事にしました。
母の献灯は小型の小さい方。
これは神門内の境内に所狭しと掲揚されています。
これだけ膨大な数の中からたった一個を探すのは気が遠くなりそうだ、と思いつつもともかく片っ端から献灯の名前を確かめて歩く事にしました。
幸いにも、探し始めて5分ほどで、参集殿のすぐ脇に母の献灯を見つけました。
拝殿からも比較的近く、ここなら本殿の叔父さんからも良く見えるはずと家族で喜び、記念の写真も撮りました。

献灯の申し込みをするとき、実は大小どちらの献灯を申し込むか、母は大いに迷ったのです。
大の永代献灯は20万円、小は5万円。
見栄を張るわけじゃありませんが、我が家の経済状況から20万と言うお金が出せないわけではありません。
でも献灯のために20万を出すのは、我が家的に勇気のいる金額であることも正直な話です。
でも大事な事は叔父さんを供養してあげたいという気持ちなのだから、自分の身の丈で良いんじゃないか?
献灯が大きかろうと小さかろうと、どっちだって叔父さんはきっと喜んでくれるよと話をし、結局は小さい方を申す込む事で納得したのですが。
ただ、母は申し込んだ献灯が余りに貧相だったら叔父さんが可哀想だな、とひどく気にしていたらしいのです。
で、実際に靖国へ行って現物をみて、ずらりと壮観に並んだ献灯の数々を見て、これなら良いと本人も納得をしたらしいです。

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(↑奉納阿波踊りの連の人たち)

参拝と献灯の確認をした後、再び参道に戻って祭りの賑わいを楽しみました。
阿波踊りの連の人たちが最後の踊り納めをしており、一般の人も飛び入りで踊りの輪に加わってそれは賑やかでありました。
この日の東京はひどく蒸し暑く風もなく、参道の両脇は屋台のお好み焼きやたこ焼きの店がずらりと並び、その鉄板の熱が通りにまであふれており、更に人いきれで息が苦しくなるくらいの暑さでした。

浴衣がけの参拝客も多く、日本的な風情が見直されているのは嬉しくも思いますが、ただ着物の着方を間違えて、前の合わせ方を左前にしている人が何人もいたのは、正直いかがな物か?と思いましたね。
私は着物関係の仕事をしているので、仕事柄どうしてもそういう所は気にかかるし、目に付いてしまう方なのです。
左前に着物を着るのは死人の経帷子の着方ですから、あれはとても拙いですね。
私は着付けも出来ますので浴衣の左前を直すくらいは訳は無いんですが、そのためには一度帯を全部解かねばなりませんので、現実問題公衆の面前で直してあげる事は出来ませんしね。
みたままつりで浴衣を左前に着ていた8名の紳士・淑女のみなさん、どうか以後はお気をつけの程を・・・<(_ _)>
着物のあわせ方は右前が基本です。
右前・・・前を合わせたとき、右手がすっと懐に入るように合わせるのが正しい合わせ方ですから、この夏お祭りや花火大会で浴衣を着る方は、くれぐれもお間違いの無いように・・・(笑)

一通り祭りの喧騒を楽しみつつ、苦手な人ごみに揉まれて疲労困憊しながらも、心は晴れやかに帰宅の途につきました。
posted by ぴろん at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月15日

06.7.8 内田美津夫さん 第14回藤沢集会(3)藤沢産業センターにて

『内田美津夫さん(寺越昭二さんの三男)の講演』

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皆さんこんにちは。
今話をしたのが私の兄でありまして、私三男で内田美津夫と言います。
18の時に養子に行きまして、寺越から内田に変りまして、そんな事で宜しくお願いします。
じゃ、失礼してちょっと座らせて頂いて。

兄の説明にもありましたように、私の父親は陸から200メートルくらい沖に出たところで北朝鮮に拉致されました。
それはみんな良くご存知だと思うんですけど、今回韓国の拉致被害者の金英男さんの話が出てから私たちのところへ取材がどっと来まして。
それは何でか?というたら、拉致されたのに救助されたと本人が言っている。
これは寺越事件と同じケースだから、という事で多くのマスコミの方に取り上げて頂きました。

だけど私は救助したと言わされているこの件は私と金英男さんと2点だけでは無いんです。
もう一点知っているんです。
それは新潟の蓮池薫さんのお兄さんが「奪還」という本を出しまして、その本の中にも蓮池さん書いております。

・・・内田さんが「奪還」より一部朗読開始・・・・・・

「薫から聞いた話で北朝鮮という国をもっとも良く現していると思ったのが、彼らが日本に帰国する前、少し前の出来事です。
お前たちがこの国に来た理由を考えろ。
薫さんが祐木子を誘ってモーターボートに乗って海に出た。
途中でエンジンが故障してストップしてしまいどんどん沖に流されていった。
二人とも不安が募ってどうしようといっていた所に北朝鮮の船が通りかかり助けてくれた・・・というストーリーを考えて話をしたそうです。

北朝鮮にしてみれば、作った話を強制的に覚え込ませるよりも本人が考えた話を喋らせた方が説得力があると思ったのでしょう。
しかし、それにしても余りにもおかしな話です。
私は呆れて、「お前それ本当かよ、そんな話だれも信じるわけ無いだろう」と言ってしまいました。
石川県の寺越昭二さん・外雄さん・武志さんたちも消息に関しては漁船が故障し、漂流して海に投げ出された所を北朝鮮の船に助けられたという、おそらく真実では無い話が伝えられています。
「それと殆ど同じじゃないか」と思いました。」

・・・朗読終了・・・・・・・

北朝鮮は拉致被害者を出してきた時には、北朝鮮の国に来たストーリーを考えます。
拉致をしてきたというストーリーではなくて、作り話の救助されたというそういう話を必ず作ってきます。
これは金さんの証言の以前に出た本なので、私はまたかと。
本人が出て来たときには「北朝鮮が救助した、本当に北朝鮮という国は良い国や」
そういう事をアピールする為の作り話、ああまたかとそういうことを感じました。

私たちの父親の拉致事件という物は拉致を目的にした拉致事件、偶然に起こった拉致事件。
本当に後者の方の偶然に起こった拉致事件だと皆さんは考えております。
それはなぜかというとやはり岩場で地形が入り組んだ、船で進入しようとしたときに船を隠せる。
そういう場所で起こったんです。
他の拉致被害者の方々、殆ど多くは砂浜の海岸というところが多いと聞いております。
砂浜ですと人が良く通るから人がおるから拉致をすると。
岩場という所は人があんまり通らないから進入目的で入ると。
そういう事でうちの父親たちは、まず間違いなく偶然に進入した所出くわして拉致をされたんだと思います。

しかしこの救助された、拉致ではない救助されたとそう言う話が今でもまかり通り、私らの話は今から25年ほど前なんですけど、そのストーリーがいまだにまかり通ると言うのはやはり私たちが私の所は、日本の国がですね。
北朝鮮に対して24年間も音信不通のままにしておいたのは拉致監禁であると。
この件は絶対に本人が何と言おうとも状況を調べて間違いなく拉致だと、はっきり言わないから北朝鮮も頭に乗って、頭に乗ってかこのストーリーが使えると、そういう思いでいつまで経ってもこういう事を言ってくるんじゃないかと思います。
責任とまではいわないんですけど、やはり日本の政府もこの寺越事件を拉致と認定しない所に悪い所があると思っております。

私たちのその後の推移と言うか、それは寺越友枝さんが従兄弟の武志に会いに今回で36回目。
昨日、北朝鮮に行きました。
ミサイルが飛んで来ようが何しようが、息子に会いたいだけだからと会いに行きました、昨日。
そういう36回も訪朝したんですけども、その間には武志の父親である太左衛門というんですけども、北朝鮮に渡り今も暮らしています。
向こうにおって救助されたと良い暮らしをしていると、そういう事を言わされて、「お父さん、息子である私がいい暮らししているから、親孝行させてください」と、親子の情を北朝鮮は上手く使ってですね。
北朝鮮は呼び寄せるんです。

私そういう寺越事件の推移を見ていると心配してくるのは、韓国の金英男さんのお母さん。
やはり年老いて今病弱でね。
年老いて、なかなか会いに行こうとしても会いに行けない状態。
そうすると英男さんは必ず北朝鮮の命令か何か、それでね。
「お母さん、こういう広い家が当たってこういう良い生活をしています。最後の親孝行をさせてください」と母親を今度北朝鮮へ引っ張る。
こういう流れになる事を心配しているわけです。

また福井県の地村さんの娘さんを、まだ北朝鮮に残っている時に縁談話があると、そういうことを流したのが友枝さんなんです。
そのことによって被害者である保志さんたちを揺さぶると。
北に残っている子供が心配で北に帰りたいと、そういう揺さぶりをかけたのが友枝さんなんですけれども。
ヘギョンちゃん、もう18歳になりますかね。
もう本当に1年2年したら、そのことにヘギョンちゃんの結婚話、そういう事でまた揺さぶりをかけてくる事はまず間違いがない事だと思います。
お母さんが北朝鮮に親子の情を悪用されて、行きたいとかそういう事で揺さぶられたり。

私たち家族会の代表の横田さんご夫妻は、ある意味では私たちと同じ立場なんです。
ひとつの事件、身内で拉致と救助という事を言って、いろんな苦しみとか葛藤があって言うに言われん気持ちがあります。
本当の身内でないですけどもめぐみさんと旦那さん結婚されて、韓国のその家族の方々と身内になったと思います。
片方では救助されたと。
めぐみさんは間違いなく拉致であると。
本当にこれからも今までたくさんいろんな事で心を北朝鮮に揺さぶられて、これからもやはりいろんな事がこれまで以上に苦しい胸の内になってくると思います。
そういう事を考えますと、まずやはりこの拉致問題、早く解決しなければ手遅れになると思います。
今、キム・ヘギョンちゃん向こうで結婚する、子供が出来た、結婚男性の方の人は北朝鮮の人間や。
またたくさん問題が増えて出るに出られないになって来ると思います。

ここは本当に日本の政府には毅然とした態度を持って、本当に今回圧力をすぐかけてくれたのは本当に良かったと思います。
拉致問題を一日も早く解決しようとする姿勢、このためには本当に早い制裁をかけてくれて良かったと思っております。
私たちはこの寺越事件が分かってから25年経って、この北朝鮮のやり方と言うのを本当に良く分かってきております。
その分、金英男さんたちのこれからと言うのも手に取るように分かります。
だから一日も早くこの拉致問題を解決して頂きたいと、政府には本当に心から願っております。

皆さんもこの私たちの心情を本当にご理解はしていただいて、これからも力強い応援を宜しくお願いしたいと思っております。
今日はどうも本当にありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

速報 安明進氏 東京連続集会20より

06年7月14日友愛会館で開催された東京連続集会より、安明進氏の証言をお届けします。
元工作員としての視点から、先日の金英男さんの会見の矛盾や北朝鮮側の意図についての貴重なお話を速報します。
全40分のファイルは長丁場ですが、是非お聴きください。
安さんの証言の模様は追ってテキストにしてご紹介の予定です。

・・・・・・・・・・・・・・・・
「金英男さん記者会見等を検証する」東京連続集会20

06.7.14 友愛会館にて

安明進氏の証言

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ファイル1


ファイル2
posted by ぴろん at 03:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月13日

06.7.8 寺越昭男さん 第14回藤沢集会(2)藤沢産業センターにて

『寺越昭男さん(寺越昭二さん長男)の講演』

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どうも皆さん、こんにちは。
今日石川の方から来ました、寺越といいます。

簡単に寺越事件という物を説明させて頂きたいと思います。
昭和38年、1963年、能登半島福浦港の沖合い400メートル、本当にわずか海岸から200メートルくらいのところからですね。
私の父・昭二と叔父・外雄、そして従兄弟・武志が3人一緒に漁をしていて北朝鮮に拉致された。

日本の政府は今だに拉致を言う事を認めていません。
というのは、今北朝鮮にいる従兄弟の武志が「拉致では無い」「と言っているから。
それでお母さんも北朝鮮に行く度に「拉致では無い」と、そういうふうに言っているから拉致とは認められないという現状なんですね。
で、あの、座らせて頂きます。(昭男さん椅子に座る)

今日は人権ということなので、寺越事件が今まで人権問題という事で、私たちは今までは北朝鮮で生きていた叔父・外雄さん、武志の事を心配し、いろいろ考えて声を上げないで2002年まで来たわけなんですけども、金正日が拉致を認め、丁度2002年の2月に私の母親が亡くなりました。
このままでは寺越事件というものは拉致ではなく救助で終わってしまう。
そういう心配というか危惧というかをしまして、政府に対して事件の真相(究明)、そして遺骨の返還、拉致の認定という事で、2002年の10月ですね。
声を上げる事にしたんですけども。

ひとつ言える事はまず、うちの父親が果たして本当に北朝鮮で亡くなったのか?ということなんですね。
安明進さんが1997年だったと思いますけども、証言をして頂きまして、横田めぐみさんの事などもひっくるめて寺越事件という物も証言して頂きまして、父が拉致されたときに武志をかばって工作員に射殺されて海に沈められたという証言をしてくれたんですね。
その時に私らも声を上げれば良かったんですけども、声をまだ上げるという気持ちにはなれなかった。
というのは、やっぱり上げてもどうにもならないという、そういう思いもありましたし。

それからやっぱり武志・外雄さん、外雄さんはその時点では亡くなっていたんですね。
外雄さんは平成の6年ですか、病気で亡くなったという事を知らされまして。
で、私たちが声を上げるという事に対して、友枝さんはやっぱり反対しました。
圧力もかかりましたね。

しかし寺越問題・事件というのを解決するというのはやはり私たちが声を上げるしかない。
でないと、殺されたかも分からん父親という者の人権というものも踏みにじられるんでないかと。
北朝鮮で亡くなった叔父さんも同じく、踏みにじられると。
叔父さんの家族もいるんですね。
亡くなった私の母親、そして私たち兄弟の人権という物もおそらく踏みにじられると思うんですよ。

うまく話が出来ないんですけど、本当に救助されたんなら私はそれで納得すると思うし、本当に真実というのを知りたい。
そう言うのが第一のひとつで、父親の遺骨、もし本当にあれば返して頂きたい。
多分無いとは思ってるんです。
横田めぐみさんと同じですね。
生きている人の遺骨は返せない。
無い人の遺骨も返せない。

今まで4年間、もう3年半ですか。
経ちますけども北朝鮮は、父の遺骨に関しては家族が反対している。
それからどこかの団体も反対している。
そういう回答しか返って来ていないんですね。
家族が反対するというのは、私たちが反対しているんじゃなくて、従兄弟の武志が反対せざるを得ないということなんじゃないかと思います。

なぜならば、やっぱり無い遺骨を返すことは出来ないから反対するんですよ。
しかし、私たちその遺骨の返還を求める事によって寺越事件の真相にも近づけると思っています。
遺骨が本当にあれば、父親が北朝鮮で生きていたという事が証明できるだろうし、救助という事も考えられるかもしれない。
しかし本当に遺骨が北朝鮮にあっても、私たちは救助という事は絶対に認める事は出来ない。
なぜならば、やっぱり本当に救助したんならなんで24年間も連絡をさせてくれなかったのか?
救助した人間をすぐに返さないとなればやっぱりそれは・・・(聞き取れず)と同じだと思うんですね。
そういうことで、これからも(遺骨の)返還・真相究明そして拉致認定と、求めて戦っていきたいと思うんですけども。

最後に、先日の金英男さんの会見を聞いていて、丁度私の思ったとおりになったなというふうに思ってますね。
金英男さんのお姉さんとお母さんが来日したときに、私お姉さんと少し話をする事が出来たんです。
2〜3分だったと思いますけども、寺越事件というものがあって、そして北朝鮮にお母さんが会いに行ってますと。
で、会いに行ったばっかりに拉致を救助にすり替えられたと、いうふうに話をしておきました。
私は会いに行かないほうが良いですよという事を言いたかったんですけども、話が時間が無くてそこまで出来なくて何だったんですけども。
やっぱり北朝鮮において、面会したり会いに行ったりするという事は、結局北朝鮮の思う壺に、どうにもならないという事なんですね。

私は寺越事件の解決ということについて考えているんですけども、寺越事件の解決というのは、ひとつはやっぱり今北朝鮮で43年間生きてきて、子供が出来て孫が出来て、日本に帰りたくても帰れないという武志の事をどうにかしてやりたい。
どうにかしたいと言うのは、自由に本当に日本に行ったり来たりするような環境にしてやりたいということなんですね。
今のまんまではおそらく日本に自由に来る事は出来ないでしょう。

それをするにはどうすれば良いか?という事を考えた場合に、日本の政府がきちんと拉致を認定して、北朝鮮に対して武志の自由とか人権の保障を求めるべきだと思うんですね。
そうしないと寺越事件の解決にはならないと思うし、それから私の父親の事も叔父・外雄の事もやっぱり解決の道筋になっていかないということで、今までは拉致の認定という物は後からついてくるもんやと考えていましたけど、そうではなくて日本の政府がきちんと拉致認定をしていただく。

これは寺越事件だけでなくて、その他の特定失踪者、調査会で今上げられている1000番台の方、もしくは400人を超える特定失踪者。
私はもう間違っていてもいいから政府は認定をしていくべきだと考えています。
ただしこれは家族、特定失踪者の家族に了解を得てですね。
ひょっとしたら間違っているかもしれない。
しかし北朝鮮に対して、やはり拉致問題を解決する為にはそういう方法も有り得るという事で。

で、何で認定しなければならないかというと、北朝鮮側は今でも拉致は解決済みだと言ってますね。
しかし全然拉致の問題は進行していないという事です。
日本の政府がやっぱり解決済みだという北朝鮮の言いなりにならないように、幕引きをさせないためにやっぱり拉致認定をもう少ししていかなければならないのかな、と考えています。
話があっち行ったりこっち行ったり、あんまり話は得意でないもんですから分かり難いかも分かりませんけども、今の私の気持ちとしてはそう思っています。

今後とも本当に拉致問題解決のために、国民の皆様の協力という物を宜しくお願いしたいと思います。
今ミサイル問題で拉致問題を含めて人権問題と言うのが、声を抑えようとする意図もあったんじゃないかな?という気持ちもします。
やっぱりそうではなくて政府に対しては、拉致問題・人権問題に絡んでやっぱりこれからも北朝鮮に圧力をかけていって頂きたいと思っています。
どうかよろしく、ご協力をまた宜しくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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