2006年07月04日

06.6.28 高野美幸さん 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(13)衆議院第2議員会館にて

『高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)のお話』

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1976年に伊豆七島の神津島からいなくなりました、高野清文の妹・高野美幸と申します。
私からこの左に、(向かって)右の方にいらっしゃる方たちというのはまだ1000番台にも入っていない、拉致かどうか非常に不安を感じながら日々過ごしている者なんです。
警察や日本政府に拉致かどうか調べてもらっているか?という事も、調査会を通してもですね。
伝わってこない。
非常にどうなっているのか?五里霧中の状態の者たちでございます。

そして今日私が傍聴させて頂きまして感じた事は、「あれ?これ今なんでこれやってるの?」という事です。
とりあえず家族がどうなっているか知りたい、早く帰って来て貰いたい。
両親、待っている家族、本人が元気なうちに一刻でも早く自由の身にさせてあげたいと思っているのに、「ここでなんで日本の政府と争っているの?」
すんごい疑問でした。
そしてもう肩に力入っちゃって、ボールペン握りながら聞いていました。

こうやって待っている家族、まず拉致かどうかを分からなくて失踪しているケースは、まずそれさえも分からないから、それを調べて欲しいわけです。
拉致が解決しないと、その先にもいけないんです。
そういう失踪者の家族の気持ちをもう少し、もう少し本気で考えて欲しいと思います。
以上、感想でした。(拍手)

氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
ふりがな たかの きよふみ
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
性別 男 当時の年齢 19
身長 172センチ 体重
公開 第2次公開
当時の身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪場所 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

※特定失踪者の情報は調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html


06.6.28 特定失踪者・寺島佐津子さんのお母さん 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(12)衆議院第2議員会館にて

『特定失踪者・寺島佐津子さんのお母さんのお話』

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(昭和)54年8月に横浜でいなくなった寺島佐津子の母でございます。
今日はじめてこういう場に出させて頂きました。
宜しくお願い致します。(拍手)

氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
ふりがな てらしま さつこ
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
性別 女 当時の年齢 19
身長 体重
公開 第12次公開
当時の身分 銀行員
特徴
失踪場所 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、夜10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

※特定失踪者の情報は調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

06.6.28 特定失踪者・宮本直樹さんのご家族 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(11)衆議院第2議員会館にて

『特定失踪者・宮本直樹さんのお兄さん・お母さんのお話』

★高野美幸さん

特定失踪者・高野清文の妹の高野美幸でございます。
ここからは1000番台で無い家族になりますので、先に宮本さんのご家族の方からご紹介していきたいと思います。

★宮本直樹さんのお兄さん

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2002年の3月に失踪というか、行方が分からなくなりました宮本直樹の兄のツヨシ(漢字表記不明)と申します。
隣は母のハルミ(漢字表記不明)と申します。

今日の裁判を見て思ったこと、それと私なりに一言申したい事がありますので、お伝えしたいと思います。
まず今日の裁判を見て、何故?こんなにのんびりと人の命が関わっている事なのに、何故?こんなにも人の気持ちが分からない国なのかな?という事を、凄く強く感じました。

また私の弟もですね。
いなくなった当時は、やはり素人ですので警察に頼るしか無いんですね。
そうすると犬でもいなくなったような、もう大人なんだからという形で、凄く母も高齢ですけど尋ねて行っても本当にあしらわれるような感じで、事件にならないと動いてくれない。
要は死なないと動いてくれない。
そういった国というのは一体なんなんだろう?というのを、本当に常日頃思っています。
以上です。

★宮本直樹さんのお母さん

本当に宜しくお願いします。
どうもありがとうございます。(拍手)

氏名 宮本 直樹
失踪年月日 平成14(2002)年3月3日
ふりがな みやもと なおき
生年月日 昭和52(1977)年11月9日
性別 男 当時の年齢 25
身長 178センチ 体重 66〜8キロ
公開 第3次公開
当時の身分 フリーター(主に清掃業務)
特徴 筋肉質、がっしりした体格 靴のサイズ27.5センチ 鼻の下から唇にかけて手術痕あり、視力は要コンタクト。
失踪場所 東京都荒川区
失踪状況 午後3時30分頃、「今夜は夕飯はいらない」と行って自宅を出ていった。いつもと全く変わらなかった。5日朝、新門司港の海上保安庁より電話で「3月3日19時10分発のフェリー船室に荷物だけ残し、本人が見あたらない」との連絡。荷物には免許証、財布、眼鏡、コンタクトレンズなど身の回りのもの一切があった。東京湾フェリー乗り場から乗ったと思われるが、降りた形跡なし。同フェリーは朝5時に新門司港(福岡)着。時々1人旅に出かけることはあったが、心配かけるようなことはなかった。

※特定失踪者の情報は調査会のHPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html

06.6.28 佐々木アイ子さん 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(10)衆議院第2議員会館にて

『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)のお話』

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皆様こんにちは。
いつもお世話様になっております、私は特定失踪者問題調査会でお世話になっている佐々木悦子の母、佐々木アイ子と申します。
宜しくお願いします。

昨夜、めぐみさんの映画を観まして、本当に皆様が何十年も一生懸命やっている姿を見まして、うちの場合は今15年になります。
皆さんの一生懸命やっている姿を見て、私も娘悦子が帰るまでは日本の土を踏むまでは、私も頑張って頑張り続けたいと思います。
皆さんご支援宜しくお願いします。(拍手)

氏名 佐々木 悦子
失踪年月日 平成3(1991)年4月22日
ふりがな ささき えつこ
生年月日 昭和38(1963)年12月6日
性別 女 当時の年齢 27
身長 162センチ 体重 52キロ
公開 第1次公開
当時の身分 埼玉銀行パート
特徴 左目の下に泣きぼくろあり、両手共ふっくらとしているが指先が細い。
失踪場所 埼玉県浦和市
失踪状況 「仕事へ行く」と言って埼玉県浦和市の家を出たまま失踪。当日は休みをとっていた。平成16年1月29日、埼玉県警に告発状提出。

※特定失踪者の情報は調査会のHPより
http://chosa-kai.jp/index.html

06.6.28 生島馨子さん 古川了子さん第6回行政訴訟報告会(9)衆議院第2議員会館にて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)のお話』

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特定失踪者・生島孝子の姉、生島馨子でございます。
今司会の方から本当に一言と仰られて、あれ困ったな。
私はたくさん言いたいことが有るんです。(笑い声)

まずどうして認定が必要か?ということ。
主権侵害者の人権問題だと言う事は総論として偉い先生方また専門家にお任せするとして、家族としてどうして認定が必要だと思っているか?と言いますと、皆さん「家族が歳をとるんだ」「もう先が長くない」と仰るんですけど、うちはいなくなってから今年で35年です。
それで竹下さん、大澤さんも35年近くになろうとしています。
そうしますと、そこから35年経っているんですね。
うちの妹は今年の6月14日で65歳になりました。
大澤(孝司)さんも6月21日で60歳になっています。
拉致された者自身が、もう日本にあってもそろそろ病を得るような年齢になっているんです。

それで認定を得ていないと、万が一向こうで病気でもして死んでしまった時に、日本政府の認定していない人間を「この人死にました」って返してくれるわけがないんです。
拉致認定が無いと、北朝鮮に拉致されたということを証明する担保するものが何も無いわけですよね?
拉致認定されたから取り返してもらえるとは思いませんよ?
でも家族としては何かひとつ政府に担保してもらいたいと思うんですよね。
しかも35年も経って、もう本人が死ぬんじゃないか?死ぬんじゃないか?と心配をしていますから、そういう観点からも拉致認定は是非必要だと、私自身は考えています。

それともう一点。
この裁判が始まって一年ですよね?
その間、傘と弁当は自前でっていう、一生懸命調べてくださった弁護士の先生方、それから調査会の方々、それからみんなの期待を一身に背負って竹下さんには非常に申し訳ないです。
この先も大変だと思いますが、宜しくお願いします。

それでですね。
折角こういうふうな裁判を一年経ってやっているのに、いろいろ今までもそうだったんですけど、一般の人はこの状況を良く知らないわけですよね。
認定者と認定者じゃない人が差をつけられているという言い方はちょっと僻みっぽいかもしれないけれど、扱いに違いが有るんだよ、という事を知ってないんじゃないか?と思う事が多々あるんですよね。
例えば日比谷の壇上から、「今年中に全員取り返します」
それからいろいろな集会で「今年中に何とかしましょう」
今年中は別としても、皆さん「全員を取り返すまでは私たちは支持します」と言うんですよ。

ところが拉致被害者の全員って誰と誰か?って言うコンセンサスが全然無いんですよね?
国と家族とそれから国民との間に、そこのところは全然うやむやになっているわけですよね?
ですから政府は拉致被害者を全員取り返すって言ったって、認定者だけと思っているかもしれない。
それから支援してくださる市民団体の方、「私たち最後のあなたの家族が帰ってくるまで」って言うから、そういう意味で全員だと思っているかもしれない。
そういうコンセンサスの無いところで議論されているというか、支持して頂いている中に不安を感じるんですね。
もちろんみんな国民の方の支持が無いと、この認定もいかないと思いますよね。

でももうちょっとこういうふうに認定で苦しんでいるんだという事を、ご自分のたとえば大沢さん山本さん竹下さんのように、ご自分のご家族を支援する団体がありますよね?
そういう会の人たちにももっとしっかりそこを認識して頂いて、運動して頂けたら。
そういう会の無い私が言うのは僭越ですけれど、そういう会を持っていらっしゃる幸せな方たちは、そこのところをもうちょっと声を大きくして叫んで言ってもいい時期じゃないか?
一年前と違いますから、そこらへんを考えて頂きたいと思います。

長くなってごめんなさい。
宜しくお願い致します。(拍手)

氏名 生島 孝子
失踪年月日 昭和47(1972)年11月1日
ふりがな いくしま たかこ
生年月日 昭和16(1941)年6月14日
性別 女 当時の年齢 31
身長 体重
公開 第1次公開
当時の身分 港区役所麻布支所交換手
特徴
失踪場所 東京都渋谷区
失踪状況 当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていた。衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

※特定失踪者の情報は調査会HPより引用
http://chosa-kai.jp/index.html
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