2006年07月16日

靖国神社 みたままつりへ

昨日15日、靖国神社のみたままつりに行ってきました。
人ごみの苦手な私は祭礼のある日に靖国へ行った事はありません。
私にとって靖国は特攻の叔父の魂に逢いに行く所であり、周囲が余り賑やかだと落ち着いて叔父の供養をする事が出来ないので、なるべくそういう行事のある日は外す事にしていると言うのがその理由です。

そういう私が今回みたままつりに行く事にしたのは、母が今年永代献灯をしたからです。
特攻の叔父が国民学校2年生だった母の書いたハガキを胸に抱いて沖縄へ出撃してから61年。
叔父の戦死時7歳の少女だった母も今年68歳になりました。
まだまだ元気ですけれど、いつ何時何が起こってもおかしくない歳になりつつあるので、永代献灯という形で未来永劫叔父さんの供養をしてもらえるならそうしたい、と言い出し手続きをとったのです。
折角献灯をしたのなら、それを見に行こうか、ということで夕方から家族揃って靖国神社へ行って参りました。

夕方4時に家を出るはずが、何だかんだと雑用に追われ出掛ける時間は6時までずれ込み、結局靖国に着いたのは7時を少し回っておりました。
みたままつり期間中の昇殿参拝は午後8時まで、ということだったのでまずは真っ直ぐ参集殿を目指しました。
ところがちょうどこの時間は奉納の神輿、阿波踊り、青森ねぶたが参道に繰り出していて、人出が物凄い!
故郷の賑やかな祭りをみる英霊たちの気持ちはどんなふうなんだろう?うちの叔父さんもこの祭りをどこかで見物しているのかな?などと感傷に浸っているとついつい涙が滲んでしまいます。
でも、ぼんやりと祭りに見とれていると参拝の時間がなくなってしまうので、感傷に浸るのは一瞬の事として横において、とにかくも朝の満員電車のような人ごみを掻き分け掻き分け、ようやく参集殿まで辿り着いたときは7時半になっておりましたが、最終7時50分の最後の昇殿参拝に滑り込みで間に合いました。
昇殿参拝に間に合わなかったら、何をしに靖国へ行ったんだか分かりませんからまずはホッと一安心をしました。

いつもの昇殿参拝ですと、本殿向かって右側の渡り廊下でお祓いを受け昇殿するのですが、この日は個人団体を問わず昇殿参拝の希望者が多いので、手水を済ませるとそのまま本殿前の拝殿内に進み、そこでお祓いを受けます。
丁度その時間、拝殿前では神輿が宮入をしていて外はまさしくお祭り騒ぎ。
お祓いを受ける時の祝詞の声も全く聞こえない有様でして、あぁ、やっぱり人出の多い時に参拝に来ると落ち着かないなぁ、と内心思っておりました。
でも夜日が落ちてから、ライトアップされる中で参拝するのは初めてだったので、そういう意味ではいつもと違う厳かな本殿の景色を見られて、それはそれで良かったかな?とも思いました。

お祓いを受けた後、本殿左側の渡り廊下から本殿へと昇殿致しました。
電球のわずかな明かりだけの本殿内もいつもとは違ってなにやら荘厳な雰囲気でありました。
で、私はここでちょっと不思議な体験をしました。
ニ礼二拍一礼の拝礼を済ませ、しばらく黙祷をしていると頭の中をひとつの言葉が不意によぎったのです。

「護りたい者がいるから、命を懸けられるんだよ」 

100%死ぬと分かっている決死の特攻を、勝てない事は分かりきっている戦いに命を懸けて出撃していく叔父の決意はどこから来たのか?というのは、護られた側の私にとっては自分の存在理由にも関わる大命題です。
その命題に、この言葉がひとつの答えをくれたような気がしました。
そう、護りたい者がいるから人は命を懸けて戦える。
護りたい者がいるから人は限りなく強くなれてもしまうのだ、と。

理屈として、人の心とはそういうものなのだろう、というのは頭のどこかでは分かっています。
でも理屈として理解するのと、心の底から心情として理解するのとは違う。
それがあの一瞬、心のどこかに引っかかっていた物がストンと落ちたような気がしました。
あの言葉はなんだったのでしょうか?
自分の深層心理の声だったのか?それとも叔父の魂が私の心に呼びかけてくれたのか?
それは分かりません。
でもその言葉がよぎった瞬間、涙があふれました。
そしてとても温かな気持ちになれたのも事実なのです。

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(↑小型の献灯の数々)

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(↑小野田寛郎さんの懸ぼんぼり)

参拝を済ませると、まずはとにかく母の献灯を探す事にしました。
母の献灯は小型の小さい方。
これは神門内の境内に所狭しと掲揚されています。
これだけ膨大な数の中からたった一個を探すのは気が遠くなりそうだ、と思いつつもともかく片っ端から献灯の名前を確かめて歩く事にしました。
幸いにも、探し始めて5分ほどで、参集殿のすぐ脇に母の献灯を見つけました。
拝殿からも比較的近く、ここなら本殿の叔父さんからも良く見えるはずと家族で喜び、記念の写真も撮りました。

献灯の申し込みをするとき、実は大小どちらの献灯を申し込むか、母は大いに迷ったのです。
大の永代献灯は20万円、小は5万円。
見栄を張るわけじゃありませんが、我が家の経済状況から20万と言うお金が出せないわけではありません。
でも献灯のために20万を出すのは、我が家的に勇気のいる金額であることも正直な話です。
でも大事な事は叔父さんを供養してあげたいという気持ちなのだから、自分の身の丈で良いんじゃないか?
献灯が大きかろうと小さかろうと、どっちだって叔父さんはきっと喜んでくれるよと話をし、結局は小さい方を申す込む事で納得したのですが。
ただ、母は申し込んだ献灯が余りに貧相だったら叔父さんが可哀想だな、とひどく気にしていたらしいのです。
で、実際に靖国へ行って現物をみて、ずらりと壮観に並んだ献灯の数々を見て、これなら良いと本人も納得をしたらしいです。

Img_1944.jpg

(↑奉納阿波踊りの連の人たち)

参拝と献灯の確認をした後、再び参道に戻って祭りの賑わいを楽しみました。
阿波踊りの連の人たちが最後の踊り納めをしており、一般の人も飛び入りで踊りの輪に加わってそれは賑やかでありました。
この日の東京はひどく蒸し暑く風もなく、参道の両脇は屋台のお好み焼きやたこ焼きの店がずらりと並び、その鉄板の熱が通りにまであふれており、更に人いきれで息が苦しくなるくらいの暑さでした。

浴衣がけの参拝客も多く、日本的な風情が見直されているのは嬉しくも思いますが、ただ着物の着方を間違えて、前の合わせ方を左前にしている人が何人もいたのは、正直いかがな物か?と思いましたね。
私は着物関係の仕事をしているので、仕事柄どうしてもそういう所は気にかかるし、目に付いてしまう方なのです。
左前に着物を着るのは死人の経帷子の着方ですから、あれはとても拙いですね。
私は着付けも出来ますので浴衣の左前を直すくらいは訳は無いんですが、そのためには一度帯を全部解かねばなりませんので、現実問題公衆の面前で直してあげる事は出来ませんしね。
みたままつりで浴衣を左前に着ていた8名の紳士・淑女のみなさん、どうか以後はお気をつけの程を・・・<(_ _)>
着物のあわせ方は右前が基本です。
右前・・・前を合わせたとき、右手がすっと懐に入るように合わせるのが正しい合わせ方ですから、この夏お祭りや花火大会で浴衣を着る方は、くれぐれもお間違いの無いように・・・(笑)

一通り祭りの喧騒を楽しみつつ、苦手な人ごみに揉まれて疲労困憊しながらも、心は晴れやかに帰宅の途につきました。


posted by ぴろん at 12:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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