2006年07月18日

06.7.8 脱北者Aさん 第14回藤沢集会(5)藤沢産業センターにて

『脱北者Aさんの証言 (聞き手:川添友幸氏)』

※Aさんの安全のために登壇者の横に警備の人がつき、壇上と会場の間に衝立を立てジャンパーを頭からかぶった形で証言を開始。

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★聞き手 川添友幸救う会神奈川会長

救う会の川添です。
以前ですね、昨年やはり脱北者の方をお呼びした時に、サングラスをかけてやってもらったと記憶しているんですが、その方より今回は非常に身の危険があるという方だそうなので、我々も身の安全のために申し訳ないんですがこういう形で講演をやらせて頂きますのを、申し訳なく思っているところです。
講演の形式なんですが、私が質問してそれにAさんが答えていただく形になると思います。
宜しくお願いします。

じゃあ、Aさん宜しくお願いします。
まず帰還事業で北朝鮮へお帰りになったと言う話ですが、脱北した経緯をちょっと教えて頂ければと思います。

★脱北者Aさん

脱北の経緯ですか?
まずはですね。
今の政権に対しての、まぁ、なんて言いますか不満ですかね。

★川添氏

具体的にどんな不満ですか?

★Aさん

やはりですね。
自分が北に行ってその間、今度こそは今度こそはと言う調子で我慢していたんですが、今の政権は目の前が見えない。
目の先が見えない、そういうのがあって自分にも家族がいるんで。
自分が帰国して騙されたとかそういう事は言いませんけど、その先、生活するにも目の先が見えない。
そう言うのがありましたね。

★川添氏

なるほど。
それで中国経由ですか?

★Aさん

そうです。

★川添氏

良くうちの会にも来られる難民基金の野口さん、あの方が中国へ行かれて、かなり中国の当局も取締りが厳しいと聞いていますが、その辺は何か・・・・(聞き取れず)されそうになったこととか有りますか?

★Aさん

それは何回もありましたね。

★川添氏

具体的にどんな感じでしょうかね?

★Aさん

例えばですね。
皆さんご存知の通り、中国公安局というのは北朝鮮の安全部、あるいは保衛部と皆つながりがあるわけです。
だから例えば脱北者が中国のあるところへいると。
それを近所の住民が中国の公安局なりに知らせると、賞金が出るわけですね。
賞金目当てに通報をする。
そこで捕まれば、我々はなんと言いますかね。
送還されるんですけども、我々の場合、北朝鮮で言えば我々は帰国者ですから、そういう立場で凄く弱い立場です。
我々の場合はもう送還されたら、まぁ60〜70%の割合で命が無い。

★川添氏

所謂公開処刑、昨年公開処刑の映像が出ましたが、公開処刑になってしまうと?

★Aさん

そうですね。
北で公開と言うよりも未公開でやるのが多いんで、その辺はもう命を懸けて。
自分もそうですし、今命からがら成功した方たちも、脱北するに当たって半分は命を投げ捨てて死ぬのを覚悟で、成功率は何%になるか分かりませんけども、まぁそういう感じです。

★川添氏

出来る範囲でいいんですけど、お仲間の方で捕まってしまった方とかいらっしゃいましたか?

★Aさん

いや、話は聞くんですけども、自分の場合はそういうなんていうか。
自分が脱北すると言うのを知っているのは家族だけです。
それは秘密にしてやりましたので。

★川添氏

中国にはどれ位おられたんですか?

★Aさん

約8ヶ月くらいですね。

★川添氏

日本に来られたのはいつ位でしょうか?

★Aさん

今年で4年目になります。

★川添氏

最初、生まれたのは日本ですよね?

★Aさん

はい、そうです。

★川添氏

何年ぶりに日本に戻られた事になるんですか?そうすると。

★Aさん

約30年ですね。

★川添氏

やはり変わられましたか?周りなんかは?

★Aさん

だいぶ違いますね。
最初は戸惑いましたね。

★川添氏

日本で今回、北朝鮮人権法という法律が国会で先日成立しましたよね?
今回拉致問題で経済制裁を促していくことと同時に、脱北者の支援という事も柱になっておりますが、その辺というのはどうお考えになりますかね?

★Aさん

そうですね。
我々にとってはそれは本当にありがたい事なんですけども、一言で言いますとそういう支援活動を政治の一環として、要するに何かの宣伝としてやって欲しくない、と言うのが自分の思いです。

★川添氏

人権と政治は一緒にして欲しくない?

★Aさん

やはりそうですね。
あくまで。

★川添氏

ちょっと話が最初に戻るんですが、金日成、今の金正日政権に対して、我々は頭で知っているのは文句言う事は出来ないという事ですが、まぁこの場ですと、どういうふうにあの政権に対して思われますか?

★Aさん

そうですね。
自分もやっぱりそこに関しては、こういう所ではっきりコメントはしたくないんですけども、今の政権がですね。
まぁ、なんていいますか、自分が良い思いがあれば自分が今現在ここにいないと思うんですが、自分が脱北して日本でここで生活している事が、今の政権をどう思うか?と言えば、皆さんお分かりだと思いますが。

★川添氏

4年前脱北されて日本に来られたという事で、拉致問題が4年前というとちょうど騒がれた頃ですよね?
あの時、こういう報道を見てどう感じられましたか?

★Aさん

向こうではですね。
自分に不利な事は一切報道しないわけです。
だから我々もですね。
噂でそういうようなのを耳にした事はあるんですけど、ハッキリした内容は日本に来て分かったんです。

★川添氏

今噂という話がありましたけど、噂の話で具体的にどんなふうに拉致の話を聞きましたか?

★Aさん

まずはですね。
飛行機の爆破事件です。

★川添氏

大韓航空機爆破事件ですね?

★Aさん

はい、あれです。
あれは北では韓国のでっち上げだと、言うような感じで報道しているわけです。
ところがある人に「あれは俺たちの方がやったんだぞ」くらいの調子で聞いた事もあるし。
それで拉致任務の一環だと思うんですけど、自分が何を聞いたかというと、要するに平壌のあるところに行くと地下室があって、そこには例えば日本なら日本、香港なら香港の町がある。
それで要するに工作員の訓練の一環で、日本語村があって、その日本語を教える人は日本人だと。
自分は最初そういう話を聞いて、要するに習慣ですか。
日本語を教えたり日本の習慣とかそういうのを教えたりするのは、朝鮮総連の方から送られているそういう人かな?と思ったんですけども、日本に来て拉致被害者だと。

★川添氏

そうですね、帰国された蓮池さんたちもそういう事をやらされていたという話を聞いていますし。
次回ちょっとお呼びしようかと思っているんですが、田口八重子さんも金賢姫の指導役だったと言う話も出ていますしね。
非常に北の生活というのは、厳しかったと思うんです。
ちょっと北の時の生活の話をしたいんですが、私なんかうろ覚えですけど配給制度とか、そういうイメージがあるんですけど、その辺は脱北される直前までどういう状況だったですかね?

★Aさん

自分の場合はですね。
1985年度あたりまでは日本からある程度仕送りもあり、生活を保ってたんですけど、その以降に日本から仕送りが無くなってから大変な目にあったんです。
自分は1989年だったと、それから90年にかけてですね。
実際自分が経験した事で日本から仕送りが無くなって、家にある冷蔵庫・カラーテレビ全部売って、しまいにはマットレスまで売ったんですけど、それで使用人の生活をしていたんですけど、それも尽きて。

なんていいますか、その当時中国の方で北朝鮮で材木を売ってですね。
食料を・・・(聞き取れず)
その食料というのが食料じゃないんです。
肥料です。
それも鳥の餌。
聞くところによると、肥料の中でも鳥の餌というのは一番酷いらしいですね。
で、そういうものを、それを我々一般市民は闇市場で買う。
1988年、9年あたりですね。
本当に食うことに困って。

自分には息子が二人いるんです。
息子を連れて自殺しようと思った事があるんです。
ただ、自分としては父親として育ち盛りの子供に、今言ったように鳥の餌です。
そんな肥料を腹いっぱい食べさせる。
俺は父親なんだと。
で、自分を責めて責めて。

北では、例えば自分が自殺するじゃないですか?
その影響というのは必ず子供に行くんです。

★川添氏

具体的にどういう影響なんですか?

★Aさん

例えば向こうで自殺って言うと、反逆罪、罪に問われるんですね。
そうするとそれを自分の息子がどんなに頭が良くて、例えば普通に行けば大学に入れるのを、要するになんていうのか、昔の日本で戦争時代に戦争行かなかったら非国民て言われますよね。
そんな感じなんですよ。

だから例えば自分が自殺する。
それは出来ないです。
親として自分が死ぬんであれば子供のことまで責任を持たなくちゃいけない。
今後の事を。
だからある瞬間自殺しようと、その瞬間自分も・・・(聞き取れず)考えたんです。
どうにか耐えて来たんですけど。

その瞬間思ったんです。
あの瞬間、あの国の制度がどうにかなるんじゃないか?と思った自分が馬鹿だった。
それが脱北の理由、きっかけの一つですね。

★川添氏

話が飛んで恐縮なんですが、帰国事業というのを私もちょっと萩原遼さんの本なんかを読んだんですが、素晴らしい国という話で、行かれたときのその辺の経緯の話を。
行った後、騙されたという心境になったと読んだ事があるんですが、同じような心境でしたか?
その辺を教えて頂ければ。

★Aさん

それはそうですね。
自分も日本で生まれて育って、日本で総連系の朝鮮学校に通ってましたんで、その教育を受けていました。
要するに皆が平等だと。
社会主義国家だと。
生活水準も高い。
地上の楽園。
という事を、つまり聞かされたというより、頭の中に叩き込まれたんです。
込まれていたんですね、我々。

それで向こうに行って最初に見たものが、清津というところなんですけど、その時、なにか北で5大都市のひとつだという事を聞いていました。
その5大都市の一つの中に、牛車が走ってたわけです。
我々はいくらちょっと昔でも東京で生まれて育って、牛なんてのは動物園とかああいう所で見るだけで、市内のど真ん中に牛車という物を生まれて初めて見たんですね。
で、あれはなんだ?と。
自然動物園か?と。(笑い声)
ビックリしましたね。

★川添氏

清津は清らかな津と書くところですよね?
横田めぐみさんが確か連れて行かれて最初に、軍港でしたよね?
確か港町で。

★Aさん

そうです。
帰国船が着くのが清津ですね。

★川添氏

本で読んだ事が私もありますけど、実際に話を聞くと腹立たしいですね。

★Aさん

やはりあれですね。
その当時の総連の宣伝というか、教育っていうか、あれはあんまり度が過ぎたです。
余りにも、我々は子供の時分、子供なんてのは白い紙と同じなんです。
赤に染めれば赤になる。
黒に染めれば黒になる。
そういう子供たちに、北というのは生活水準も高くて、こうなんだと。
それは行ってみて現実に全然違うんで、そしたら我々みたいな向こうで言う帰国者、そういう方たちがそういう現実を見て、その場で気が狂ったと。
生活の中で、今で言ううつ病だということです。
そういう病気にかかった人は大勢います。

★川添氏

非常に初めてこういう話を聞くと、考えさせられる感じが私も今している限りです。
そろそろ時間なんですが、会場の皆様に何か思っている事で何か話したい事があればと思うんですが。

★Aさん

こんな姿かたちで申し訳ないんですけども、これからもこういう我々みたいな脱北者。
我々脱北者って言うのも北の政治、皆さんもご存知のように今、北というのは本当に常識じゃ考えられない事をやっていますね。
ミサイルを撃ったり、拉致をしてみたり。
そういう制度というかそう言うのが嫌で、北から見れば我々は罪人ですけども、そこを抜け出してきた我々なんですけども、やっぱり日本を離れてもう何十年、やっぱり日本に来てもいろいろ慣れない。
生活上そういういろいろありますけど、まぁ、あの、皆さんの御支援をいただく・・・

★川添氏

日本政府の先ほどお話したんですが、北朝鮮人権法という法律を作りまして、先月です。
今回国会の会期を延長しないということなんで駆け込み的にですね。
法律が可決されまして、殆ど、自民・公明・民主の、社共は反対、社共はたいした数じゃありませんけど、圧倒的な多数で賛成になりましてですね。
人権と政治は分けないとという話を頂いたんですが、一つ北朝鮮に対するカードになると思いますんで、そういう意味でもちょっとこの問題を関心を持ってですね。
私たちもこの神奈川の会でやっていきたいと思いますので、今後ともちょっと宜しくお願い致します。
今日はちょっとこんな形で本当に申し訳ございませんがこんな感じにしたいと思いますので、ありがとうございました。(拍手)

★Aさん

ありがとうございました。(拍手)

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脱北者のお名前は、御本人の身の安全を考慮し匿名とさせていただきます。
悪しからず御了承ください。


posted by ぴろん at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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