2006年08月01日

06.7.14 安明進氏1 東京連続集会(3)友愛会館にて

『安明進さんの証言 その1(通訳:西岡力氏)』

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まずお話申し上げる前に、私はちょっと日本の地理がまだ良く分かっていないので、(道に)迷ってしまって遅くなってしまった事を謝罪申し上げます。(笑い声と拍手)

今回の記者会見はですね。
韓国よりも日本で大々的に放映されました。
今回の記者会見を見てですね。
今回の会見は韓国人拉致被害を認めて韓国との関係改善を図ろうという会見ではなくて、日本を大変意識した会見だと思いました。

まず離散家族の再会の行事の中で金英男さんと家族の再会がなされたんですが、金英男さんは一般の離散家族とは別に特別に個室を二つ与えられて、そこで家族と面会をさせられたわけです。
その再会の場面を見てますとですね。
今の彼の所属はどこかもちろん分かりませんし、北朝鮮の赤十字の人間が何人かいたかもしれませんが、私の見覚えのある、昔私を教えた朝鮮労働党直属政治学校。
それが92年に金正日政治軍事大学と烽火大学に分かれたんですが、金正日政治軍事大学側にいた、私の事を叱った教官までもがそこにいました。

これを見ながらですね。
金正日は余りにも露骨だと。
私や先輩たち、政治軍事大学出身の者は韓国に何人もいるのに、その人間たちが見れば分かるにも拘らずその教官たちが堂々と出してくるんだなぁ、と。
それは韓国政府は自分達の味方だと安心しているからじゃないか?という考えも浮かびました。
そして金英男さんは統一事業で働いていると言ったんですが、韓国ではじゃあ統一事業って何なんだろう?と思う。
北朝鮮で言う統一事業というのは韓国を赤化統一する、金日成・金正日の独裁下で統一するという統一事業です。
確実に韓国を赤化統一する事が統一事業だと言う事は韓国の専門家たちはみんな知っている事です。
そして韓国で北の統一事業というのは赤化統一事業なんだという事を言える人たちは、実は今大きな声を出す事が出来ない状況にいます。

実は金英男氏については私はちょっと分かってなかったんですが、あの金英男さんは何回も政治軍事大学で私は会っていました。
しかし当時、北朝鮮の言葉遣いを完全にマスターしていたので、韓国からの拉致被害者だと思っていなかったんです。
教官ではなくて、教官を助ける補助員のような職員のような仕事をしていた。
崔正男(チェ・ジョンナム)と言う私の先輩の工作員の証言によって金英男さんが実は韓国人拉致被害者なんだと言う事が明らかになったんですが、それ以外にも何人かの先輩たちがいるんですが、先輩たちは今口をつぐんでいます。
多分その証言をした崔正男と言う先輩の工作員もただ高校生の時の写真を見ただけではなくて、北朝鮮にいるときに金英男さんと個人的に親しくなって韓国人拉致被害者だと分かって、そして韓国に入って捕まって証言したんじゃないかと私は思います。

実は金英男さんは我々学生に南のビデオを、つまりテレビ等のビデオを見せる技術者の役割をしていたんですが、当時我々は南のビデオを見るとですね。
性に関する描写があるとそこはカットされる。
あるいは南のニュースを見るときもですね。
南北関係に関する微妙な問題が出てくるとそこはカットされて次の場面が出てくる。
それを何でこれカットするんだ?と言って、担当者の金英男さんに学生たちが「もっと見せろ、何があるんだ」と言うとですね。
彼が「私は何があったか知りません、ただ命令どおり上に言われたとおりにやってるだけです」と答えた場面を生々しく記憶しています。

今回の金英男さんの記者会見はもちろん強制的にさせられたものだと私は信じていますけれども、強制的にさせられたにしても彼は嘘をついたと言う事で、彼なりの少しは責任があると言う事で、もしかして私がこれから言った事が向こうに知れたら彼は処分をされるかもしれませんけど、いくつかエピソードを紹介したいと思います。

ビデオの授業が終わって休み時間になったらですね。
実は「休み時間にしないで、もっと面白いビデオを見せてくれ」と言うと彼は教材では無い、面白い場面の入ったビデオを見せてくれる。
それから授業が終わった後ですね。
何かを覚えなくちゃいけないと何回も同じ場面を見せられるわけですけどそれはつまらないので、担当の教官に、実は今は地下の以南化環境館という韓国人化教育の施設の中の・・・(聞き取れず)ですけど、その時には韓国のお金を貰って買い物とかをするわけですね。

担当の教官に韓国のお金を渡すとちょっと自由にして貰えると。
教官たちが何かそれで買うみたいなんです。
で、教官たちをどこかにやって、そして面白いビデオを見ていた。
その時に金英男さんは実は我々を助けてくれた。

実は今回何枚か写真が出てきたんですがその中の一枚、ヘギョンさんを抱いて写っている。
白頭山で金日成が生まれたと言うのは嘘ですけど。
そこの前で撮った写真で金英男さんが着ている服は、あれは私は大変見覚えのある服なんです。
あれは韓国製の作業服ですけれども、中で作業をしている教官たちやその助手たち、金英男さんもあれを着ていたと、以南化環境館の中で。
だから見覚えのあるもので、韓国製だから北朝鮮のものに比べて良い物だから、これは自分でも良い物を着ていると自慢をするためにソウルでも着ていたのかなぁと感じる。

それからですね。
子供を抱いている金英男さんの写真の中で背広を着ている写真を見ると、実は以南化環境館の中に背広屋があってそこで売ってた既製服です。
ポケットが(背広の)横(=脇)に入っている(=付いている)と言う意味ですね?
そういう昔韓国で作られた既製服です。
写真の中で妙高山だとか白頭山だとか平壌市内の写真は外部の人間が多いですし、もしかしたら韓国代表団などと偶然に行き当たるかもしれないのでサングラスをかける。
彼らは自由に外に出ることなど出来ないのです。
たまに外に出る事が出来たときに記念写真を撮っただけだと思います。

今回の記者会見を見てですね。
この記者会見の前に何日間かあるいは何ヶ月間か練習をさせられて、それで原稿をすらすら彼は読めるようになって出て来たんだなと思いました。
今回お母さんに上げた写真の中に、息子が後ろにいて傍に座って息子と遊んでいる写真、それから家族が熱帯系の植物がいるところで写している写真、それからヘギョン(さん)がやっぱり熱帯系の植物の前で撮った写真。
そこの所に写っている植物と言うのは一般的な北朝鮮の人間が接触できるような植物ではなくて、招待所の中でしか見ることの出来ないような植物の前で撮られた写真です。
今年の夏に、ですから自分のお母さんに会う直前に撮って渡したと思われる写真です。

その様な植物と言うのは政治軍事大学などには無い物で、自分達がいたところよりもっと良いところの環境の招待所に入れられていたんだなぁと。
家族ごと。
そこで家族ごと再会の為の練習をさせられていたんだなぁと思ったんです。
そして今回ですね。
拉致と言わないで漂流して助けられたんだと言ったと、それは三号庁舎の人間でもいくらなんでもこんな嘘が通用するとは思っていません。
しかしそれでも我々の口から拉致と言う事は出来ないと考えて、こういう事を言い出したんじゃないか。

・・・証言その2に続く・・・


守る会・関東支部学習会(講師:川島高峰先生)に参加して

さる7月29日土曜日、都内で開催された北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会(略称:守る会)主催の関東支部学習会へお誘いを受けて参加をしてきました。
講師は明治大学助教授で近代民衆思想史の専門家で在日の帰還事業についての研究をなさっている川島高峰(たかね)先生でいらっしゃいます。
今回の学習会は、情報公開法に基づき外務省情報公開室を通じて公開を求めた文書を資料とし、在日帰還事業の実態に関しての報告会で、密度の濃い大変貴重なお話でありました。
膨大な資料(しかも殆どの資料に「極秘」の文字がある!)を元にしての貴重なお話を簡潔にまとめるのは私の文章力ではかなり難しいと言うより全く不可能なので、お話を伺っての率直な印象などを私個人の感想として2〜3ご紹介したいと思います。

まず、基本的な事として、日本側はかなり早い段階から(1962年には)北朝鮮の内情をかなり把握していたと言う点です。
ただ、それでもこの帰還事業を止められなかったのは行政側の面子の問題がある、と言う指摘が心に残りました。
公共事業が中々止められないのと同じ事で、帰還事業を続けることそのものに様々な思惑や利権が発生しているというお話はひときわ心に沁みました。
「帰還事業は『人道』の問題である」という金看板がある以上、日赤もそして国際赤十字も面子の問題があって帰還事業その物を止める手立てを行使できない、というお話は性質の悪いブラックジョークとしか思えませんでした。
『人道』と言う美名の下に行政を行使する側にとっては帰還事業は書面上のこと・手続き上のことであっても、現実に帰還するのは生身の人間なんですから。

在韓国大使から外務省への極秘情報として開示された文書(昭和41、42年)でも、すでに豆満江を渡って脱北する人が情報もすでに入手していた事が分かりますし、国内統制のために出身成分の調査が行われている事も把握していることが分かります。
北朝鮮がすでに普通の国でない事は日本政府も重々承知していながら帰還事業を止められず、ずるずるといたずらに帰国者を送り出す構造が維持されてしまったというのは、本当に洒落にも何にもなりません。
その後の帰国者たちが歩んだ悲劇の道を思うと、冷戦の力学の谷間に一体どれだけの人生が突き落とされ、想像を絶する辛酸を舐めたのか?と思うと、彼らの発する叫び・痛みに、私はかけるべき慰めの言葉が見つかりません。

学習会の最後に川島先生が、これらの資料を元に私が本を一冊書くとしたらタイトルは「集団拉致から個別拉致へ」と仰ったのもとても印象深いものがありました。
帰還事業も拉致問題も、根っこは同じ。
北朝鮮の問題を認識していながら帰還事業を止められない構造は、そのまま数多くの拉致事件を見逃す構造につながるものと思います。
冷戦のつばぜり合いの中で、北朝鮮の独裁体制を黙認してきた国際情勢の谷間に落とされた無辜の人たちの人生をいかにして救うのか?
北朝鮮と言う国と対峙する事の重みを、今更ながら改めて深刻に受け止めています。

中国・ソ連・韓国、そしてアメリカ、日本。
冷戦の時代というのは、自国の体制を維持するために敵を必要とした時代、とも言えるのだと思います。
各国の思惑や国益などの利害関係が複雑に絡み合い、その絶妙なまでのつばぜり合いの中で強かに生き延びてきた北朝鮮。
今の北朝鮮がどうしようもない国だと言う事はおそらく誰もが分かっているのに、国と国とのパワーバランスの関係上、その存在を無くせないと考える国が依然として存在する現在。
いったいどうすれば、この北朝鮮と言う北東アジアの鬼っ子のような国から、拉致被害者を取り戻せるのか?
彼の国を普通の国にして、あらゆる人権問題を解決出来ると言うのか?
余りにも問題の山が大きすぎて、正直私は途方にくれてしまいます。

それと話は少し本筋から逸れますが、おそらく現在のこの北東アジアの国家力学というのは、戦前も現在もそんなに大差は無いんじゃないでしょうか?と言う印象を持ちました。
中国があって、ロシアがあって、日本があって・・・太平洋の向こう側にはアメリカが対峙する。
ヨーロッパの冷戦構造は破壊されましたが、北東アジアの冷戦は現在もしぶとく継続中です。
現実のドンパチが無いだけでお互いにらみ合いの戦争状態にあるのは、自明の事。
各国が自国の安全保障を担保するために、朝鮮半島を如何にするのか?
思惑と思惑が交差し、それゆえににっちもさっちも行かない北東アジア情勢。
「朝鮮半島は日本列島の脇腹に突きつけられた短刀のようなものである」と言うのは過去の歴史問題を調べていると必ず出てくる言葉ですが、この論理は戦前も今もそう大差は無いのではないんでしょうかねぇ・・・?

日本の先人たちはこの地域の持つ複雑な難局をいかにして乗り越えようとしたのか?
「歴史の教訓に学ぶ・過去の教訓に学ぶ」と私たちは金科玉条のように言葉にしますが、言葉だけの上滑りではなく、もっともっとリアルに真剣に、日本と北朝鮮だけでなく関係各国を含む北東アジアの情勢を視野に入れて物事を考えるべきではないか?とそんな事も思いました。
右であれ左であれ、この情勢の中拉致被害者を救うあるいは北朝鮮の人権問題を考えるというシビアな現実を前にして、机上の空論ではないもっとリアルな現実的思考を重ねる必要もあるのでは?とも思っています。

いずれにせよ、拉致とは違う観点から北朝鮮の実情を考えてみたいと思って参加した学習会でしたが、考えれば考えるほど拉致を含めた北朝鮮問題と言うのは底なし沼の様相を露呈してくるようで、正直私レベルの人間はどうすれば良いのか分かりません。
それが学習会に参加しての、私の率直な思いです。
posted by ぴろん at 11:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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