2006年09月16日

06.9.10 前上なみゑさん(特定失踪者・前上昌輝さんの母) 大阪集会(9)エルおおさかにて

『前上なみゑさん(特定失踪者・前上昌輝さんの母)の訴え』

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前上昌輝の母です。ありがとうございます。
ちょっとひとこと言わせていただきます。今日は大勢のみなさんにご支援を頂き、ありがとうございます。
家族会及び、特定失踪者の会のみなさまには、いつもいつもお世話になっています。ありがとうございます。
(関係者のほうに向かって頭をさげながら)

さきほど娘が説明させていただきましたとおり、息子は(失踪から)もはや29年の月日がたってしまいした。私は、二年前から、体調を崩しまして、入退院を繰り返して、皆様と共に活動をすることもままならず、心苦しい日々を送っております。

皆様方のご厚情にすがりまして、ひたすら1日も早く解決の日が来てくれますことを、ただ祈るばかりでございます。

こうして大勢の皆様のお力を借りなかったら、なんにも解決しないと思います。
どーーぞ、これからも、みなさん、どーーぞ、応援して、救ってやってください。
お願い申し上げます。

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06.9.10 前上典子さん(特定失踪者・前上昌輝さんの姉) 大阪集会(8)エルおおさかにて

『前上典子さん(特定失踪者・前上昌輝さんの姉)の訴え』

★三宅さん
賀上大助さんさんと秋田さんは今日、朝早く、徳島のほうからこちらのほうにおこしになりました。
では、次の前上さんは、京都からさきほど、おこしになりました。
病身を押してお母さんと、おねいさんの前上 典子さんお二人が話をされます。

★前上 昌輝さんのお姉様 前上 典子さん

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(写真左がお姉さまの前上典子さん、右がお母様のなみゑさん)



私の弟昌輝は1977年 北海道富良野市、当時牧場で3ヶ月ほどアルバイトをしておりました。そのあと、一年受験を失敗して浪人していたんですけれど、もう一度受験をするということで、「京都に帰る」と連絡をして、北海道の旭川に荷物を預けて、三日間ほど荷物を預けて、旅行したいということで、当時の手荷物預かり所に荷物を預けて、その中に現金11万円、それからほとんどの荷物、カメラとか・・。だから小さいバックに身の回りのものだけを持って、そのあたりを、たぶん小さな旅行でもするつもりで、手荷物預かり所に預けたんだと思います。

「三日間」という言葉をその預かり所の方に言い残して、そのまま行方がわからなくなりました。

一ヶ月後、手荷物預かり所の人から連絡を受けて、北海道にすぐ飛んだのですけれど、その時点で一ヶ月たっていて、警察とか、いろいろお願いはして探し回ったのですが、やはり私たちの場合も、<単なる行方不明>、<失踪>ということで何の調査もしていただけなくて現在に至っている状態です。

あの、上手く話せませんので、少し用意したものを読ませていただきます。

弟が不明になり、29年、とても長い年月でした。でも、小泉総理の訪朝以後の4年間は、その中でも最も長く感じられます。解決への扉が開かれたかと思われたのもたのもつかの間。長い膠着が続いています。

認定された方の救出もままならず、≪特定失踪者≫と呼ばれる私たちの家族は、交渉の場にすら(名前が)のぼらないような現状です。

私たちは、小泉首相の訪朝以後、弟の拉致を信じる同窓生達のお力を仮り、認定を求めて、何万人もの方の署名を頂き、当時の安陪官房副長官にお渡ししたこともあります。

でも認定は絶対的な証拠を重ねた上でなされるもので、とても困難なものだと知りました。
二年前には、調査会の方達のお力添えで、≪刑事告発≫というかたちで、京都府警の再捜査も受けております。

しかし長い年月のたった今、期待された証拠もなく成果もなく今に至っております。

特定失踪者と認定された方々との間には、とても大きな壁があるとさえ思えます。
でも、実際、みなさまもご存じのように、拉致は認定された方々だけの問題ではありません。認定された方の何倍もの人間が、事実、拉致されていると聞かされています。

私たち特定失踪者を持つ家族は、確かな証拠がない故に、より強い不安の中におかれているのです。拉致された最後のひとりまで帰国して初めて、私たちに真実がわかるのです。

みなさまに、この思いをご理解いただき、温かいご支援をお願いしたいと思います。
本日はほんとうにありがとうございました。

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1000番台リスト

氏   名: 前上 昌輝
失踪年月日: 昭和52(1977)年10月22日
ふりがな :まえがみ まさてる
生年月日 :昭和32(1957)年7月16日
性   別: 男 当時の年齢 20
身   長: 173センチ 体重
公   開: 第1次公開

当時の身分: 無職 直前まで北海道富良野の牧場で働く。

特   徴: 筋肉質の体格。大けがのため左目がやや小さい。
失踪 場所: 北海道旭川駅

失踪 状況: 北海道富良野の牧場を退職し、京都の実家に「お世話になった人たちに会って、京都に帰る」と連絡していたが、以来消息を絶つ。後に旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けていたことが分かる。同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。以来手がかりは全くない。平成16年9月28日、京都府警に告発状提出。

※特定失踪者の情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

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06.9.10 賀上文代さん(特定失踪者・賀上大介さんの母) 大阪集会(7)エルおおさかにて

『賀上文代さん(特定失踪者・賀上大介さんの母)の訴え』

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こんにちは。この大阪から23才の時に失踪いたしました、賀上大助の母親でございます(声が震えている)
息子大助は2001年、平成13年ですけれども、12月22日、大阪にある松下電器産業の社員寮の部屋を夜の10時18分に出たのを最後に、行方がわからなくなっています。肩掛け鞄に携帯電話と財布だけを持って外出で その日に帰ってくるつもりで出たものと思われます。その後の足取りは全くなく、携帯電話も、預金も使われてはおりません。

本人は人と争うような子ではなく、穏やかーな性格の子です。家族思いで、お盆や正月の集まりには必ず参加しておりました。そして、その年の暮れには、帰省することを電話で伝えてきておりました。

そんな息子がいなくなると言うことは、どーうしても考えられず、事故、事件に巻き込まれたのではとの思いで、十三(じゅうそう=地名)で、ビラ配りをしたり、テレビに出て呼びかけたりと、情報収集に努めて参りましたけれども、本人につながる情報は得られませんでした。

息子はお酒も飲みませんしたばこも吸いません、すごく用心深い子でしたので、夜にひとりで出歩く子ではありませんでした。その子がカードキーの記録からで夜の10時18分に出かけたと言うのがわかったとき、誰か顔見知りの人に呼び出されたのではと思い、警察の方に事件として扱ってもらえるようにお願いにあがりました。
でも、息子のように、急にいなくなったというだけでは、事件としては扱ってもらえませんでした。何か自分たちで、証拠となるものを見つけなければ、事件としては扱ってもらえませんでした。

今警察の初動捜査がすごく問題視されていますが、その時に、警察が本腰を入れて捜査をしてくださっていたら、ひょっとして、息子につながる糸口が見つかったのではないかと悔やまれて仕方がありません。

息子のいなくなったその日というのは、北朝鮮の工作船が撃沈されたその日であります。
私の頭の中では、拉致というのは随分昔のことのように思っておりましたが、こうして工作船が行き来している現在、今あっても不思議ではないと思います。

息子が北朝鮮にいるかどうか私にはわかりません。
調べたくても、国交のない国ですので、どうすることもできないんです。

現在、民間団体である特定失踪者問題調査会のほうで調査していただいています。調査会の方では、調査だけでなく、政府へのに働きかけ、それからラジオの短波放送を使った北朝鮮方面への呼びかけなど、いろんな面で、あらゆる方法で働きかけをしてくださっています。

みなさまお仕事を持ちながらのボランティアですほんとうに有り難く、頭が下がる思いで一杯です。

本来なら、こういうことは政府の機関がすべき事だと思うのですが、今少し、動きが感じられません。すごく残念です。

こうして支援してくださる方がおいでで、今日こうして息子のことを話せる機会を与えてくださて、ありがとうございます。息子のことを話すことでひとりでも多くに息子のことを知ってもらい情報を得ること。そして、息子を一生懸命捜しているというメッセージを送ること、それが私にできる精一杯のことです。

今北朝鮮の情勢はすごく深刻な状況です。そんな中、拉致された人たちは、救出されることを信じて必死で頑張って生きていると思います。

ひとりの人間の力というのは、すごく弱いものです。でも力をあわせれば、政府をも、世界をも、動かせる大きな力になると思います。
どうかみなさま、拉致された人々がこの日本の地を踏むことができきますよう、力をあわせて共に闘っていただきたいと思います。

どうか一緒にメッセージを送ってください。
宜しくお願いいたします。

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名前  賀上 大助
失踪年月日: 平成13(2001)年12月22日
ふり がな: かがみ だいすけ

生年 月日: 昭和53(1978)年8月17日
性   別: 男 当時の年齢 23
身   長: 169センチ 体重 64キロ
公   開: 第3次公開
当時の身分: 会社員
特   徴: 左目下に小さいほくろ、近眼、本来は左利き、筆記と箸は右。虫垂炎の手術跡、音楽好きでピアノが弾ける。

失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮

失踪状況: 22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。
午後9時に電子メールを出している。
午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。夜出歩くタイプではない。眼鏡、携帯充電器が残されている。財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している

※情報は特定失踪者問題調査会HPより
http://chosa-kai.jp/index.html

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06.9.10 福山晴海さん(特定失踪者・福山ちあきさんの母) 大阪集会(6)エルおおさかにて

『福山晴海さん(特定失踪者・福山ちあきさんの母)の訴え』

★三宅さん
続きまして、お嬢さんの福山ちあきさんが失踪されています、母親の福山晴海さんから訴えをしていただきたいと思います。

★福山ちあきさんのお母様 晴海さん

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ただ今ご紹介いただきました福山ちあきの母で、福山はるみと申します。うちの娘が失踪してもう15年になります。当時子供向けアトラクションショーのアルバイトをしていまして、その前日には代役でしたが、主役の座を射止めたと言うことで、とっても喜んで、「お母さん、ビデオとってみんなで見ようね」そう言って「言ってきます」と出かけた子が、その後地下鉄動物園前の駅で、友達と「また明日ね」と、にこにこ笑って手を振って、そのまま姿を消しました。
絶対家出する状況でもない、・・・でもない。それをいくら訴えても、わかっていただけない。必死に、日本全国走り回りました。
テレビに出させていただくたびに、似てる子がいると言えば、北海道から、沖縄まで、恥ずかしい話、借金をしてまでも娘を捜しに全国を走り回りました。でもいまだ娘は帰ってきていません。

娘の無事を思うならば、今としては矛盾しているかもしれませんが、「拉致であって欲しい」、「拉致ならば命があるだろう。」「しかし、国内だったらもう、悲しい姿になっているんじゃないか。」

テレビ等で、悲しい事件がでるたびに、性別、年齢、血液が違うたびにほっと胸をなで下ろす。そんな自分に自己嫌悪を感じながらも。「人の子なら良いのか?自分の子だけ助かったらいいのか?」と、そういう自分に恥ずかしさを覚えながらも。

ほんとうに1日として子供のことを忘れることなく、必死で頑張っております。諸先生方のお力をお借りて、ひとりではできません。こうして集まってくださった皆様方の温かい気持ち、お心と、協力の下で今後とも頑張っていきたいと思います。今後ともどうぞ宜しくお願いします。

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氏   名 福山 ちあき
失踪年月日: 平成3(1991)年11月3日
ふり がな: ふくやま ちあき
生年 月日: 昭和48(1973)年9月16日
性   別: 女 当時の年齢 18
身   長: 156センチ 体重 45〜6キロ
公   開: 第1次公開
当時の身分: 高校3年生

特   徴:右の目の上のまぶたの上に子供の時ベッドから落ちたときの傷がかすかにある。前歯は2本少し大きい。
失踪場所 大阪市

失踪状況 アルバイト先から帰宅途中、大阪市営地下鉄動物園前駅で友人と別れ、それ以後行方不明。就職も決まっていた。生活道具は一切そのまま 。

参照 特定失踪者問題調査会HP
http://chosa-kai.jp/index.html

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06.9.10 秋田正一郎さん(特定失踪者・秋田美輪さんの父) 大阪集会(5)エルおおさかにて 

『秋田正一郎さん(特定失踪者・秋田美輪さんの父)の訴え』

★司会
続きまして本日の集会のテーマでもあります、関西の拉致被害の現状について、長年関西で活躍されてきました、三宅博先生に報告をしていただきたいと思います。先生は特定失踪者問題調査会の理事として関西のご家族のみなさんの相談相手になってきました。それでは、三宅先生お願いいたします。(拍手)

★三宅さん
ご紹介を頂きました特定失踪者問題調査会の理事の三宅でございます。
プログラムと順番を変えまして、まず壇上にいらっしゃいます特定失踪者のご家族ほうからお話をしていただきたいと思います。そえぞれ、だいたい5分程度で自己紹介 失踪者との関係 失踪時の状況、現在のお気持ち、家族としての訴え、こういったものをお話しいただきます。

まずはですね、お嬢さんの秋田美輪さんが失踪している、お父様の秋田正一郎さんからお話をしていただきたいと思います。 (拍手)

★秋田美輪さんのお父様、正一郎さん

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みなさんこんにちは、私、徳島からやってまいりました。私の娘秋田美輪は、その当時兵庫県にいたんですが、神戸松蔭女子大学4回生、その当時、1985年昭和60年12月4日に、その校門付近、(これ六甲にあるんですがね)校門付近から忽然と姿を消しました。翌る日ハンドバックと靴が、兵庫県の城之崎のまだ向こうにある、竹野町、弁天浜海岸から発見された。

その中から出てきた急行券、私はこれから、決して娘は死亡してるんじゃない、自殺でないという理由を三つだけあげて申し上げておきたいと思います。

その中から発見された急行券が、12月4日、大阪駅発行の150キロまで通用する急行券だったんです。
それは、だいたい福知山の先ぐらいまでしかいけない 城之崎にも行けない、竹野町までもいけないような切符なんです。その急行券には、又(当時国鉄の経営だったんですが)はさみが全然入っていない。改札口で入れるはさみもなければ、検札で入れる丸いはさみもない、そう言う急行券でした。

それからそのこと、色々捜索したんですがみつからない。それで各駅その他目撃者を捜して、警察の方も、消防の方も写真を片手に、一週間探してくれたんですが、目撃者が全然出てこない。いくら夜とは言ってもですね、そんな馬鹿なことはちょっと考えられない。

それともう一つは、それからに二〜三日後に、学校で、大学で発表するつもりで本人が書いていたレポート、それが大学の自分のロッカーから見つかった。

しかも(それでもの意)、新聞その他、警察でも自殺未遂ではないかという、そう言う疑惑で、単なる行方不明と言うことで片付けられました。

そういう今の三つの理由から、私は、単なる行方不明とは思えないと。犯罪性があるんじゃないかということで、警察にも再捜査を頼んだほどですが、今のところ、まだそう言う状況で、現在に至っている。再調査を頼んで、受け容れてくれたのは3年前です。そう言う状況でございます。

ですから、私は特定失踪者、その中で1000番リストに入れられております。調査会のおかげでやっておりますが、必ずこれはもう、拉致疑惑者として260人(460人)のみなさんと同じように認定されて、しかも、「今年中に」と、荒木さんが言われたように、帰ってきて欲しいです。荒木さんは、先ほど≪責任をとる≫とまでおっしゃった。その熱意に答えてわたしらも、必死になって闘わなきゃいかんと思っています。宜しくお願いします。

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1000番台リスト

氏   名: 秋田 美輪
失踪年月日: 昭和60(1985)年12月4日
ふり がな : あきた みわ

生年 月日 : 昭和39(1964)年1月29日
性   別 : 女 当時の年齢 21
身 長: 155センチ 体重 43キロ
公 開: 第1次公開

当時の身分: 神戸松陰女子大学文学部国文科4回生
特 徴: 両眼とも眼鏡をかけて1.2
失踪 場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

失踪 状況:大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。翌日朝8時15分兵庫県警城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。

参照 特定失踪者問題調査会HP
http://chosa-kai.jp/index.html

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06.9.10 西村眞悟氏 大阪集会(4)エルおおさかにて

『西村眞悟 衆議院議員の講演』



皆様、暑い中、誠にご苦労様でございます。
この大阪の地、我々の大阪の地で拉致被害者救出のための集会を開けると言う事は、我々にとって非常に心強い事であります。

今、荒木和博さんが皆様にご報告されたとおりです。
客観的な情勢は極めて我が方に有利に展開しつつあるんです。
その中で奇妙な事が起こっている。
その中で政界の関心は急速に拉致問題から、去っていっております。
8月から9月にかけて自民党総裁選挙が行われる。
総理大臣はどこにおるのか?と思えば日本にいない。
現在、まさに政治の空白が我が国に存在すると言う事でございます。
その中で、この空白の中で我々は何をすべきか?という事。
これがこの集会を開催し、そして皆さんと共に考える本日の課題であります。

さて、本日は拉致被害者家族会の皆様と共に特定失踪者のご家族の方もこの場におられます。
この姿が我々の政治に向かう時にどうしても忘れてはならない問題点なんです。
すなわち、1年以上前、JRの車両が脱線転覆致しました。
あの時に被害者数が初め分からなかった。
時間の経過と共にどんどん被害者の数が増えていった。
しかし、我が国の行政機関、警察・消防は救助に向かった。
救助に向かう時に第一に確認しなければならないのは、今何人その中に閉じ込められておるのかでございましょう?

拉致被害者救出も同じなんです。
我が国の行政機関が救助に向かわねばならない。
その時に何人被害者がいるのか?を確認しなければならない。
しかし、その事を今やっていないという事なのであります。

4年前、極論を言うならば4年前金正日が拉致を認めた。
犯人が白状をした。
犯人が白状をしたその白状の内容は、5名は平壌に集めておるので会っていってくれ。
彼らはこの平壌を素晴らしい場所だと、お父さん・お母さんこっちに来てくれというメッセージを送って来た。
そして8名は死亡したと、白状した者が言ったと。
白状した者が言った事をそのまま鵜呑みにして、それで問題を拡大しようとはしない。
何人が車両の中に閉じ込められておるのか?
何人が北朝鮮と言うあの収容所列島の中に閉じ込められているのか?と言う事も、我々の政府が全力を挙げて調べようとしていないわけであります。

そこで拉致被害者救出の議員連盟でございますが、この議員連盟は4年前の小泉さんの訪朝前に結成されました。
それ以前の議員連盟はハッキリ言って潰しました。
なぜなら、会長が北朝鮮から亡命して横田めぐみさんの情報をくれた元工作員に対して、「亡命者の証言は信頼できない」というふうに発言するに至ったからであります。
この現在ある拉致議連の歴代拉致議連の会長は閣僚にピックアップされております。
私は拉致議連の会長が、閣僚・内閣の一員になった以上問題が進展しなければならないと、そして二人が閣僚になった。
三人目が出たらば、それは総理大臣がやらなければならないんだと、総理大臣にならねばならないんだと公言しておりました。

拉致議連の会長が、総理大臣になりそうだという事ではございません。
拉致議連の役員、私と同じ第一次拉致議連で事務局長代理をしておりました安倍晋三さんが、総理大臣になりそうだと。
しからば私の予言、拉致議連の会長という予言でしたけれども、拉致議連の役員が今度はいよいよ総理大臣になる、いう事になってきた。
客観的には大きな大きな一つのチャンスであります。
先ほどそのチャンスの中で関心が薄れて行くと言う事を申し上げた。
従って我々は頑張らねばならないと思うわけであります。

現状を象徴する一つの現象として万景峰号の入港禁止という事を申し上げましょう。
あの時に入港禁止を決定した、これは高く評価します。
高く評価したけども、接岸させたんです。
そして在日の子弟が修学旅行か何かで数百人、北朝鮮に見物に行っておった彼らを岸壁に着いた万景峰号から日本の陸地に上げた。
これは今、政府が制裁と言うものは何たるものか?ということを認識していない一つの証拠なんです。

万景峰号を接岸させない。
日本に入港させないと日本国政府が決めた以上、断じて接岸させてはならんのです。
彼らは一旦平壌に引き上げてもらわねばならない。
そして平壌から在日の彼らの子供たちが北朝鮮から日本にいる両親に対し、
「平壌は北朝鮮は素晴らしい地上の楽園です。お父さん・お母さん、日本のようなけったいな国にいるよりは、我が祖国に共に帰って来て下さい。」
このようにコメントさせたら良かったんです。(拍手)
これが出来ないということは制裁の何たるかを日本政府が分かっていないという事であります。

ただ万景峰号接岸禁止の、接岸させて子供たちだけを帰した訳でありますが、物資を揚げなかった効果はてきめんに現れておる。
覚せい剤の価格が暴騰しています。
皆さん、こういう事なんです。
やってみれば分かるんです。
警察の方はご存知だと思いますが、覚せい剤の値段が上がっておると言う事は何を意味しておるのか?

我々が小さい時、記憶が生まれるか生まれないかの境目の時、ヒロポン中毒の患者の犯行が、奇妙奇天烈な犯行が相次ぎました。
もうじき日本そういうことが大阪でも起こるかも分かりません。
覚せい剤中毒の者が覚せい剤が切れた中で精神的な錯乱状態になって、突拍子も無い犯罪を起すということです。
万景峰号が接岸してなかった、ということがこれほどの効果があるという事を、我々はもうじき知ることになるでしょう。
経済制裁をやれば効果があるんです。

さて現状のご報告を一応概観したことで、拉致問題の本質という物を改めて述べてみたいと存じます。
荒木和博さんが言ったように拉致問題は戦争である。
これは戦争状態です。
戦争といえば国家が宣戦布告して正規軍が動いてくるというふうに我々は思い込んでおります。
これは19世紀から20世紀全般までの戦争形態である。

現在、戦争で無いと思えば戦争である。
戦争であると思えば戦争では無い。
適切な日本語後がございません。
other than war、 other than war、これが現在の戦争なんだと。
従って、明らかに拉致問題は現在の戦争であります。
従って拉致問題の最終目的は金正日の降伏、これしかない。
戦争なんです。

それを前提にして外務省に「北朝鮮の地図は外務省にあるのか?」と質問しました。
外務省答えて曰く、「北朝鮮の地図を外務省は持っておりません」
これでどうして救出できるのか?と。
自衛隊が持っている、持っていないと言う事は私には答えませんでした。
ただ、我が日本で国会議員にもその訓練内容を見せない部隊が存在致します。

その部隊長に聞きました。
実は訓練内容を見ました。
そして質問をしました。
「北朝鮮のあのポイント、あのポイント、あのポイントにいる日本人を、命令があれば救出できるか?」
隊長は答えて曰く、
「我々にはその命令を実行する能力がございます。ただ、政治がその命令を我々に出すかどうか?これが問題です。その命令があればやります。」
これが我が国の自衛隊の一つの部隊の答えでありました。

さて、物の本質が戦争であるとするならば、我々のやるべき事はなんでしょうか?
現在の政治は空白状態であります。
我々の歴史を振り返るのではありません。
平成8年の暮れ、荒木和博さんたちが発行している現代コリア、横田めぐみさんの被害の状況らしき記事が出ている。
平成9年明けてすぐ荒木和博さんが、我々は同じ民社党の出身なんです。
で、「実は13歳の女の子らしい。拉致されたままだ。なんだ?」という事になる。
この質問を始めた。

国会の日程など二日前じゃないと分からないんです。
いつ質問が出来るか分からない。
従って議員が持っている権限、内閣に対して質問趣意書を提出するという事で、直ちにそれを内閣に質さねばならないと言うふうに動きました。
その時の状況は多くの人たちが、今拉致議連に参加している党派を含む全党派が心にはともかく、全く無関心を装ったのであります。
そういう中で有本さん、また家族の皆さん。
「娘を返せ、息子を返せ」という運動を続けておられたのであります。

その時にコメ50万トンを出す。
また25万トンを出す。
10万トンを出す。
政府の動きを止める為に、「コメを出すなとは言わない。しかし私の娘は返って来ていない。息子は返って来ていないんだ。」と。
自民党の前で、外務省の前で、寒い中座り込むこの拉致被害者の決して若いとはいえないご家族・ご両親を前にして、「国内で吼えておっても、拉致被害者は返らないんだ」と言うふうに言い放ってコメを出した与党幹部、これが存在した。
皆さん、国内で吼えておってもという吼えておると言う言葉は人間に使う言葉ではないんです。
しかしそれをまさに使った、これがその時の状況です。
しかしその人間に使う言葉を投げ掛けられる事無く、命の使う言葉を投げ掛けられている中で、拉致被害者家族と心ある運動が続いていく。

平壌、9月17日、総理大臣訪朝。
それに対して金正日は「拉致問題に触れなければ日本からは金を出せない」という判断に至ったと。
これはまさに、政治が無関心な中で国民が重大な関心と救出の熱意を示した賜物であります。
我々が今やるべき事はその事を思い返す事。
そしてその地点に立ってまた運動を組み立てる事でありましょう。

拉致問題がこの国民運動として盛り上がる前、今から思えばそのきっかけになったのではないのだろうか?と思う、東京フォーラムでの集会がございました。
5000人が座れる東京フォーラムでやろうという事になった時、西岡さんが私に言いました。
「今まで1000名を越える集会を経験したことが無い。5000名、出来るだろうか?来てくれるだろうか?」
その時に我々は言いました。
「50名来てくれたら良いじゃない。5000名の中に50名来てくれても良い。しかしこれは国民の運動なんだ。5000名座れる所でやろう。」
と言うふうに、我々は顔を見合わせながら決断していきました。
結果は2万5千が集まって頂きました。

さて、我々は既に拉致被害者救出運動を続けてきて、そして金正日を白状させたという実績を持っているわけであります。
この実績を元にこれから進まねばなりません。

最後に、平壌共同宣言とは何か? 
この平壌共同宣言をこのまま置いておいて良いのか?という問題意識だけは持っておきましょう。
なぜなら、無名の運動のときと違い、今や内閣総理大臣と金正日の取り交わした約束文書が存在するからであります。
この約束文書こそ、欺瞞の文書であります。
平壌共同宣言を遵守するという小泉総理のこの発言は、61年前の8月8日に日ソ不可侵条約が有効である事を前提にして、ソビエトの仲介によって日本とアメリカが和平を結べるのではないか?と錯覚しておったと。
この茶番劇のような事態と全く同じ事態であります。

平壌共同宣言は4つの約束からなっております。
第一の約束は万難を排して日朝は国交を回復すべきである。
正常化すべきである。
そのために来月から、十数日後の来月から日朝国交正常化交渉を始めよう。
これが第一の約束。

第二の約束は、我が国が悪い事をして申し訳ないです。
従って国交が正常化したときに、我が国は莫大なお金を金正日さんにお渡し致します。
これが第二の約束。

第三の約束は、日本国民の安全に関わる事態に関しては、日朝は国交が無いと言う不正常な時代に起こった事である。
従って二度と再びこのような事態を起こしてはならない。
これは何を意味しておるんですか?
これは拉致問題というものが、日朝の国交の無いという異常な事態で起こったものでありますと。
今後は、将来は拉致は起こりません、と言う約束に過ぎない。

第四は、核の開発は致しません。
ミサイルは飛ばしませんという約束です。
この第四の約束は全て反故にされております。

第三の約束、日本国民の安全に関する約束は守られておるんですか?
この約束はそもそも何の約束ですか?
この約束は拉致問題、金正日が白状した拉致問題というものは既に過去のものとして終わったと。
金正日さんは将来は拉致をしませんよと約束したに過ぎないんです。

そして先ほど言いましたように、5名が平壌に集まっている。
それに会っていってくれといって会った。
8名は死亡だといわれて、愕然としながらもその上で署名した文書です。
この約束こそは、拉致問題は終わったという金正日の言っている事を受け入れた条項なんです。
金正日が約束した事は全て破っている。
我々だけが、総理大臣だけが約束した事を守らねばならないと言っている。

つまり日本人を拉致して、数百名拉致して返さない。
抹殺しようとしている。
北朝鮮の土に返そうとしているこの独裁者に対して、我々の税金が1兆円以上支払われなければならないという約束が、新しい政権に引き継がれてはならない。(拍手)
そのように申し上げて、私の報告を終わらせて頂きたいと思います。
暑い中来てくださった皆さん、これから頑張りましょう。(拍手)
posted by ぴろん at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(大阪集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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