2006年10月30日

06.10.8 飯塚繁雄さん 町田シンポジウム(8)町田市民ホールにて

北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」
06.10.8 町田市民ホールにて

第二部 家族のトークリレー

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『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え』

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皆様、こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
いつもながらこの問題に深いご理解とご支援を頂きまして本当にありがとうございます。
本日はまた、このシンポジウムに本当に真剣な心で参画をして頂いて、この雰囲気がひしひしと私の胸に刺さって来ております。

こうしている間もですね。
今早紀江さんの仰ったように、向こうにいる被害者は今か今かと助けを待っているわけですね。
従いまして私たちはいつも日本人はあなたたちを決して見捨てていないと、もちろん家族もそうです。
ですからこういった雰囲気が何かの形で待っている被害者の方たちに伝われば良いなと、いつもそう思っています。
多分いろいろな情報がある中で、短波放送「しおかぜ」もそうですけども、いろんな口伝えとかそういう形で日本は今こうやっている、こういう動きをしていると入っているはと思うんですけど。
やはりそれがまず今の時点で、彼ら被害者の方々に心を強く持っていただく一つの方法・きっかけであると思います。
ですから私たち、こういうあらゆる機会を捉えて「もう少しだ、もうちょっと頑張ってくれ」という気持ちを込めていつも活動をして参りました。

この問題に関しては皆様のおかげでようやくここまで来たって言う感があります。
これは今まで余りにも長い間何もしなかった政府の責任ではありますけども、皆さんの世論のおかげで政府をやっとここまで動かした、いう事だと思います。
今回の安倍総理の誕生もそうですし、それから安倍総理におかれましては、この問題を常日頃日本の重要課題として捉え、あるいは自分の総理としての責任として絶対に解決するんだという、そういう意気込みが全くぶれておりません。

従いまして組閣が終った3日後に私たち直接面会していただきまして、今までこんな事は無かったんですが、非常に総理のこの問題に対する解決するための意気込みというのを感じさせられました。
この対策本部を作ったということ、先ほども言っておりましたけど、これも早いです。
それから私たちが常に望んでおった拉致問題を専門に、24時間考える組織を作ってくださいと。
そこにきちっとした大臣を入れてくださいという話もして参りました。
それも実現しました。
従って、今回この問題に対する取り組みの最高レベルの組織になったと言う事は私たち喜ばしい気持ちで、私も感想を言ったんですが「今日はさわやかな気持ちで官邸に入れました」と言ったんですけども。
まさにそういう取り組みに対する構えとしては最高の組織になったわけです。

しかも更に総理の気持ちがまたそれに乗っておりまして、9.17以降、要するに帰国者が帰ってきて飛行機のタラップの下で家族が抱き合う姿は今でも脳裏に残っていて、それを早く横田夫妻・めぐみちゃんに逢わせてやりたい。
これを声を詰まらせてですね、涙を流して仰ったんですね。
ですからそういう形を作る、その気持ちが嘘でない純粋な思いであるということを非常に感じました。
これならば私たちは安倍総理に、この安倍さんの本部長となる対策本部については絶大な期待を持ち、見守って行きたいというふうに考えています。

贅沢言えば、「これだけの組織だから私たちはもう家にじっとしていて、すべて政府にお任せしますからお願いします」となるんですけども。
救う会の佐藤会長からも「これだけの組織があるからもう政府に任せられるんじゃないか?」と、「救う会はもう解散しようか」と言う話もあったんですけど、「それはちょっと」と。
「やはり皆さんの力で世論が高まり、政府としてもそれを裏付ける体制が出来て来たんだから、もっともっと国民の皆さんに訴え続けて頂きたい」ということで話がありましたけども。
全くその場では、今度こそという気がしました。
時期がいつになるか分かりませんけども、今嵐が吹き荒れています。
その嵐がいつ収まって解決するのか?と言うのは、そんなに遠くないと言うふうに私は気持ちを持っております。

うちの妹もですね。
あんまり情報としては無いんですけども、ちょうどめぐみさんが金英男さんと一緒になる同じ時期に、韓国人と結婚するんでは無いか?という、信憑性としてはちょっと余りないと思いますけどそういう情報も入っています。
余り長い間、向こうにいるんですからね。
そういう場面があっても仕方が無いと思うんですけども、例え韓国人と結婚しても元気でさえいてくれれば良い。
その挙句の果てにはちゃんと日本に帰国して子供たちに会わせて上げたいと、それにつながれば良いというふうに感じました。

それと先ほどちょっと出ました日本人被害者に傷がつくのでは無いか?と言うそういった話の中でも、私たちこの運動の中で経済制裁を訴える中で、これをやると被害者が不利になるのではないか?と、傷を付けられるのではないか?という心配もあります。
ですけれども、そのくらいのリスクをですね。
きちっと覚悟して捉えて踏まえて戦わなければ、これ日本人、何百人と言う日本人が向こうに拉致されているわけですから、永久にその人たちは帰って来られない。
私たちがこういったハッキリとした態度で北に言う、あるいは政府にお願いをする。
この気持ちを絶対に崩さなければ、例えちょっとした事故があったとしてもこの解決に結びつけるために頑張るしかないんですね。
そういった思いは私たち家族と共に、まだまだたくさんいる拉致された家族の方たちの思いも多分同じだと思います。

私たちは先ほど言ったように家でじっとしているわけに行かない。
体の続く限りこの問題に取り組み、金正日と戦っていかなければならない。
その為には先ほどから出ていますように、今回の政府の救出に対する態度、これを後押し・支援をしていかなければならないということも考えております。
従って、こういった救出作戦なり組織なり安倍総理なりの足を引っ張る人は許せません。
ですからそういう考えの下に 皆さんに更にこの安倍政権を応援していただく。
この問題を早期に解決していただくべく是非声を上げていただき、私たちへの相変わらずの支援、それから国家として当然な形に早くしてもらうという大きな目標・目的もあるわけですから、是非今後短い間にですね。
この問題を解決し皆さんと共に喜び合いたいと思いますし、当然ながら被害者が帰ってくれば何百人の家族がその喜びの思いに浸れると思います。

従いまして、私たち家族会としてもまだまだ計画があります。
例えば今年の年末には国際大集会を東京で予定していますし、それから年末には被害者家族全員の写真展なども計画をしております。
そういったことも含めて全国に歩いてですね。
皆様の協力をお願いしてまいりますので、是非町田の皆さんも今後とも今まで以上にこの問題を理解していただき、是非ご支援をお願いしたく思います。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)

・・・集会終了・・・
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2006年10月28日

06.10.8 横田早紀江さん 町田シンポジウム(7)町田市民ホールにて

北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」
06.10.8 町田市民ホールにて

第二部 家族のトークリレー

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『横田早紀江さんの訴え』

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皆様こんばんは。(「こんばんは」の声、拍手)
心から本当にお世話になりまして、またご支援頂いて心から感謝いたします。

先ほどの荒木先生、佐藤先生、松原先生ほか増元さんのお話をお聞きしていて、本当にこれは大変な問題で命に関わっている問題ですから、強硬な態度で救出をする場合にやはり本当にある程度覚悟をしなければならない。
それは前に誰か中西先生でしたか、そういう本を書いているのを見ましたときに、本当に拉致被害者と言うのを救出るっていうのをする場合、戦争が起きるような場合もある程度それは悪いものをやっつけると言う意味で覚悟しなければならないというのを、ずいぶん前にお読み致しましたけれども。

私たちはめぐみの名前と写真を一番最初に披露したときに、新聞や本に出すとき、その時非常に悩みました。
そのときからすでに、こういう声を出した時に抹殺されてしまうのではないかという事で、うちでも3対1で非常に悩み続けた短い時間を思い出しますが、やはりある程度覚悟をしていないと本当に悪と言うものと戦う事は出来ないのではないかと、私は本当に初めから悲しい決断をしております。

それで思いがけなく4月に訪米をさせていただき、そして公聴会でも初めて拉致の家族会の一人として話をさせていただく事ができましたし、翌日思いがけずこれもブッシュ大統領とお話をさせていただきました。
その時私は、本当にどうにもならない悪と言うものはこの世にはあって、その悪と戦うために私たちは命を削って一生懸命に救出するために、たくさんの日本の大切な命を救出するために、皆さんの支援の中で頑張ってまいりました。
長い間戦っておりますと言いました。
そしてめぐみの事も話し、めぐみの写真も見せましたときに、本当にブッシュさんはその通りだと、本当にそうだと悲痛な顔をなさって「祈りましょう、頑張ろう」と言って握手をしてくださったんですが。

本当にこのように大変な人間がこの世の中にいるんだという事ですね。
そのためにどれだけ多くの人が苦しまなければならない、悲しまなければならない。
それは北朝鮮の金正日だけではなくて、いろんな国々にやはりそういう悪の思いを持った人が、その思いをだんだん広めていく事によって周りもまた悪に染まっていき、そしてたくさんの罪の無い人がいろんな国で殺されてしまいます。
本当にそのようなものと戦うと言う事は、本当に命がけでなければ出来ないんだなと、私は本当に思わずにはいられないんです。

皆、80歳90歳くらいしか生きられない人生だし、私ももう70歳になりました。
61歳でこの事の活動を始めましてから早10年近くなりますが、あっという間に過ぎていく人生の中で今置かれている中で、自分がその死の時までどれだけ一生懸命心を尽くして来たのは何だったのか?
遣り残すことなく本当に心から子供を愛し子供を助けようという思いで最期を迎える事が出来たのか?ということだけが今残された私の人生の歩みだと思っています。
どういうふうになっていくのか?
難しい政治の話は本当に私たちにはどうして良いのか分かりませんけど、先ほども仰いました。
柔らかい方向、硬い方向、本当に両方使い分けてやっていくしか無いのではないかと思います。

私はいつも思います。
金正日と言う人に本当に話し合って、あなたの子供だってやはり悲しいんじゃないですか?どういう心を持っているんですか?と言う事を本当に話し合って、そして拉致をした事を認めているんだから、本当の事を言ってみんなをすぐに親の元に返しなさい。
そしたら友好関係が信頼関係が日朝の間に生まれるのではないですか?
そしてあなた方も国民の方々も、日本も日本の国民も皆が平和に温かい思いで思いあって、友好関係を持って過ごしていく事が一番いいんじゃないですか?っていうことを、どうしたら伝えられるんだろう?と言う事をいつも思っています。

私たちには力がありません。
本当にただの一介の庶民でしかありませんけども、この事が浮上して私たちは子供のために何が出来るのか?
私たちが経験した悲しみ苦しみ。
そしてそれでも私たちはまだこの自由なこの日本の中で、なんでも頂けてなんでも着る物もあり、言論の自由もあり自由に幸せに暮らさせて頂いております。
連れて行かれた人たちまた北朝鮮に住んでいる多くの人たちは、本当に地獄のような監視の中で、なんで私がこんな目に遭わなければならないんだろう?と、助けて!早く来て!と今も泣き叫んでいるに違いない。
子供たちを思うだけで、本当に命が縮むような思いであります。

まだ倒れる事は出来ません。
帰ってくるまで、頑張るしかないと思っておりますので、どうかこれからも皆さん方本当にお一人お一人のお父様お母様として、ご自分の子供たちを思う。
これからこの子供たちや孫たちが住んでいくこの日本の国が、こんな大切な大事な事を本当に延び延びにして、まだこれ以上放棄して、解決が出来ないままで。
私たちの子供たちがどんな日本に住んでいく事になるのか?と言う事を本当に考えてくださって、心を一つにしてマスコミの方に特にお願いを致します。

先ほど増元さんが言ってらしたように、田中真紀子さんのこの間の国会討論も見ましたけど、どうしてあんなに次元の低いところでしか話が出来ないのか?
本当に日本国民として、悲しく思いました。(拍手)
もっともっと大事な事が、田中真紀子さんも日本の国の人です。
お子さんもいらっしゃる方です。
安倍さんも日本の国の方であり国民であります。
上に立った方を本当に心から応援して、そこはちょっと違うんじゃないでしょうか?と優しく言って、そしてそうだな、そうだなと安倍さんが分かるように、皆もマスコミの方もそのような思いで温かい思いで、この国を良くして行こうという思いで、皆がひとつになって応援しながら良い国を作り上げていくのが私たちの今の使命だと思っております。

どうかこれからもよろしくご支援ください。(拍手)
よろしくお願いいたします。(拍手)
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2006年10月27日

06.10.8 横田滋さん 町田シンポジウム(6)町田市民ホールにて

北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」
06.10.8 町田市民ホールにて

第二部 家族のトークリレー

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『横田滋 家族会代表の訴え』

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皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
めぐみの父、横田滋でございます。(拍手)

昨年の7月の18日に同じこのホールで集会が開かれましたんですが、その時私は、そのときから見れば前年、平成16年の11月に第3回日朝実務者協議でめぐみの骨が提供されて、それが12月8日に偽物だと分かったとお話をしたんですが、それ以降拉致問題っていうのは全く進展しておりません。
その後北朝鮮は骨を返せとか鑑定は別の物だとか言っておりますが、日本が説明すると言えばそれを聞き入れてもいません。

昨年以降の動きといいますと、今年の2月に日朝の平行協議と言うのが行われました。
平行協議と言うのは、拉致だけでなくて核の問題とかそれから保障の問題も話し合うわけです。
拉致と言うだけでは向こうは追及されるだけでメリットがありませんので、平行的に協議をする。
しかし、拉致問題が解決しなければ補償問題が先に来るという事は無いということは明らかに伝えてあります。

そして北朝鮮側は生きている人とその家族はすべて返した、残りの人は死んでいるかそれから入国していないと、すでに拉致は解決済みだという事を言っております。
それでその時の会合が終りましたときには政府から報告を受けましたんですが、結局何も進展が無かったと言う事。
それから次回いつ開かれるかと言う事も、何も決まっていないという事でした。

その時に日本の代表だった梅田参事官の話ですと、3つの感想を述べられまして、一つは北朝鮮側は日本の世論を非常に気にしているという事です。
そしてその一例としまして、ちょうどその直前に新潟市でめぐみの写真展を開きました。
その事が話題に上がって、新潟は拉致の問題の関心が強いところですが、「写真展を開いたけど2000人の人しか来なかったんだそうですね」と、向こうの代表が言ったそうです。

それに対して梅田代表が、「私が行ったときも満員だった。誰がそんないい加減な報告をしたのかもしれないけど、実際は2万5千人来たんだ」という事で、その時もらったパンフレットなどを渡したそうですが。
新潟のデパートで開いている写真展の人数までチェックしていると言う事は、先ほどの荒木さんの話じゃないですけど、今日の人数だってもし本当に十分の一にして、参加者が100人位だったら正直に報告するでしょうけど、多く集まっても多少割引してでも報告するかもしれませんけど。
まぁ本当に入りなんかもチェックしているという事です。

それから2番目には拉致の国際化を非常に恐れているという事です。
昔は韓国と日本しか拉致問題と言う事は北朝鮮の拉致と言うのは話題になっていません。
レバノンなんかは以前ありましたですが、解決しておりました。
ところが最近では東南アジア・ヨーロッパ等を含めて12ヶ国の人が拉致されているという事が判明して、その為に我々のところにも、日本に来られたタイ国の代表であるとかイギリスの代表とかそういう方とお目にかかって話をすることもありましたし。
それから後から早紀江が話すと思いますが、アメリカでの公聴会とか、サミットで拉致を取り上げるようになったとか、ASEANの会議でも拉致の問題が取り上げられると、国際的に非常に関心が高まって圧力が強くなって来ております。
この2月の段階では訪米と言うのは決まっておりませんでしたが、そういった事は非常に気にしてるようですが、圧力はいっそう高まってきております。

それから3番目には経済制裁、この段階では日本は経済制裁しておりませんけど、アメリカの経済制裁によって向こうは非常に窮乏しているという事で、更に日本も現在万景峰号を止めた後に金融制裁もしておりますから、北朝鮮側は何らかの対抗手段をしなければならなくなってくると思います。
それが3つがそうだったわけです。

それで日本の世論という事になりますと安倍内閣が誕生しまして、それから従来から家族会・救う会がお願いしておりました拉致の対策本部を設けて、首相自らがこの対策本部長に就任されています。
政府にはいろんな対策本部があるそうですが、首相が本部長を務めていると言うのは非常に数少ないそうです。
それから中山前参与も拉致問題についての要職に就いて頂いて、・・・(聞き取れず)首相補佐官に任命されましたし。
それから麻生外務大臣とか鈴木官房副長官とか拉致問題に熱心な方が再任されると、最強の布陣になりまして今回こそ拉致の解決と言う事が期待されております。

それから新しい動きとしましては、今年の春にめぐみの夫のキム・チョルジュンさんが、1977年1978年に韓国の海岸から拉致された5人の高校生の内の一人ではないか?と言う事が判明しまして、それぞれのお母さん・姉さんとかの提供を受けた血液・口の粘膜等から、キム・ヘギョンさんとの親族関係があるかどうかという鑑定をしましたんですが。
それで金英男さんのお母さんからの物が、キム・ヘギョンさんと肉親関係があるという事が非常に高い確立で判明しました。
99%というくらいですから、ほぼ間違いないわけです。
それを同じ結果を、韓国のソウル大学でもやりましたんですが、こちらでも同じような結果が出ております。

それで私たちは・・・・(聞き取れず)英男さんのお母さんとお姉さんに会いました。
韓国の新聞の一面に拉致問題が出ることは全然無かったそうですけど、そんな事から一面に英男さんがめぐみの夫であると分かった事が一面に取り上げられて。
それから我々が訪韓しましたときにはマスコミが非常にたくさんの方が取材に来られまして、そしてお母さんと対面したときなんかは300人の方が取材に来られました。
ですから韓国の方なんかはもうちょっと我々とタイアップしてくれれば、もっと韓国の拉致問題が盛り上がるだろうにとちょっと残念な事もありましたけど。
やはり野党のハンナラ等の朴代表なんかは、拉致された国民を救うという事は政府の責任だという事で、強く迫ってますが、しかし統一相なんかは我々と会う必要は無いなんて言っていますから、国の中で違いがあります。

そして姉さんには北朝鮮に行ってしまえば、やはり本当の事は言えないと言ったんですが、最終的にはお母さんと姉さんの方で判断してくださいと話しましたら、お母さんが非常に体が弱っている関係もありまして、ぜひ生きている内に一目会いたいんだという事で行ったわけです。
しかし行った結果はやはり拉致では無いということ、救助されたんだと言う事。
それで姉さんの方も分かってはいますけど、弟の言う事を信じるしかないと言ってましたんですが。
そういった事が新しいところで出ていますが。
しかし、めぐみのことでは別居したという事で余りハッキリした、死亡したと韓国政府は言ってますけど、本人の口からはそんなに断定した話は出て来ませんでしたし、それから火葬したと言う火葬場も本人が説明したより後に建設されたと言われておりますし、とても信じることは出来ません。

拉致被害者は生きていると言う前提で政府も同じですが、これからも救出運動を続けていきますが、先ほど荒木さんが仰いましたようにやはり世論の力というのが最大の後押しになりますので、ぜひ関心を持って見守ってくださいますようお願いいたします。
どうもありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(町田集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月26日

06.10.7 森木エリ子・劇団てんびん座代表 第15回藤沢集会(12)藤沢産業センターにて

『森木エリ子 劇団てんびん座代表の挨拶』

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皆さんこんにちは。(拍手)
ただいまご紹介を頂きました、私、鎌倉の劇団てんびん座の代表の森木と申します。

去年の8月ですか。
まだこの事件が解決していないと言うのをいつも繰り返し繰り返し新聞で読んでいたんですけれども、また秋になって冬になって今年も暮れてしまう、と思ったときに何して良いんだろう?
その時新聞を読んで一喜一憂して、全く関係ない私はメッセンジャーにもなれないという思いがして、とってもジレンマに陥っていたんですね。
でも皆それぞれのやり方で表現が出来るんじゃないか?
例えば歌が歌える人は歌を歌えばいいし、井戸端会議でも良いんじゃないか?
このことに関心を寄せ続ける事が大事なんだなぁと思ったので、私が出来る事はなんだろう?と思ったらお芝居しかなかったのでお芝居をやりました。

その時にたくさんの方が観にいらしてくださったんですけど、とっても嬉しかった事はアンケートに「私の出来る事はなんでしょう?」と書いてあるんですね。
あぁこれなんだなっていうふうに思いまして、そのまんま8月の公演、再演しました。
突然でいろんな条件も違っていてとっても大変だったんですけれども、本当にそれこそそのときは劇団員一同で、何もかも投げ捨てて一生懸命やったんですけれども。
そのときはお盆で、しかも急に6倍の広さの劇場しか借りられなかったので大変に苦しい経営となりましたが、やはりいらしてくださった方々がたくさんいらっしゃってね。
こんな事を仰いましたね。
後からメールとか手紙で一杯来るんですけれども。

「初めね、私は拉致の事は知っていると思いました。
ニュースなんかで見て嫌だった。
私だって苦労してるのよ。
夫と辛い思いをしたり、子供はグレちゃったり、明日の事を考えたり、立身出世や家を建てる事を考えたり、私は私なりに必死になって今日まで一生懸命生きて来て、なんでここで人の苦しみまで知らなければならないんですか?
私はざっと知っているから、それは大変ですね、と思ってます。
でもこれ以上知るのは辛い」というような事で、「知りたくないのよ。どうして勧めるの?」

と言う言葉を公演前にもだいぶ聞いたんですね。
特に今度の公演はロビーでやりましたので、そのロビーが広かったので、いろんな展示販売が出来ますので、そこで地域授産所の展示販売をしました。
私たちはいつもそうやって障害を持った方々が、そこで何か作ったものの売ったりする場所を提供してね。
やって頂いているんですけども、そのお母さん方が喜んでロビーで展示販売をしてくださったにも関わらず、お芝居にはタッチしたくないと仰るんですよ。

その言葉に驚いて、人間ってこういうもんだなって。
いつもね、うちの子供は障害を持っていてこんなに辛い思いをしている。
それをこの場でね、ロビーを貸してくださってありがとう。
別に売り上げの幾らを下さいって言うんじゃない。
一切無しで貸してくださってありがとう、てんびん座さん感謝しますと言って下さっているにも拘らず、いざ自分がこういう問題にタッチする事は嫌なんです。
皆自分の身に降りかかった事を助けてもらえればありがとうであって、人の身に降りかかった事はちょっと辛いって、私本当にその時しみじみ感じて、あぁ中々世の中進まないんだなって実感しました。

そして例えばこの席にですね。
いろんな拉致の被害者の家族の方々が大勢集まって、新聞に例えば大きく報道されれば人々はもっと集まります。
何倍も何十倍も集まりますね。
横田早紀江ご夫妻が参りますとか、そうすると新聞社の方々も来るんですよ。
それで、大きな集会になるわけです。
それがひっそりとコマーシャルするだけだとこのくらいの人数しか集まらないわけですね。

そうやって人の意識が遠のくと、また新聞社の方でも取材する方でも、あぁこれだけ人の意識が遠のいているならば取材しなくてもいいかなって。
視聴率下がるんだったらばという事で、内容で取材するんじゃなくて、視聴率とかみんなの関心度で新聞記者たちが動きます。
だから私たちはちょっとの事でもきっかけを作って、今皆これだけ関心を持っているんだという事をアピールするしかない、と思うんです。
そうするとまた、総理大臣も放っておけないと思って立ち上がりますね。

安倍総理、絶賛されていたようですけど、ちょっと私個人的には不安なものがありまして絶賛しきれないんですけれども、これはその後の問題という事で期待するしかないと思います。
あの安倍総理のね。
それこそ穴をひっぱたいてですね。
するようになるには、まず新聞記者がばんばん騒がなくちゃならないし、新聞記者がばんばん騒ぐには私たちがもっとこのことに関心を持って一人ひとりの出来る形で声を上げるしかない、と思います。
以上です。(拍手)

・・・集会終了・・・
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06.10.7 特定失踪者家族の訴え 第15回藤沢集会(11)藤沢産業センターにて

『特定失踪者家族の訴え』

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★大澤茂樹さん(特定失踪者・大澤孝司さんの兄)

みなさん、こんにちはです。
私、北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な特定失踪者・大澤孝司の兄で、大澤茂樹と申します。
本日私のほかに二家族の、特定失踪者の家族が参加されております。
この中に初めて集会に参加される方も多いと思いますので、簡単に紹介させていただきます。

皆様方から向かって左側のご家族は、昭和51年、お兄さんが電気通信大学2年生のとき神津島に寮生の仲間と遊びに行き、そのまま神津島から失踪した高野清文さんの妹さんの高野美幸でございます。

★高野美幸さん(特定失踪者・高野清文さんの妹)

ただいまご紹介がありました、高野清文の妹の美幸でございます。
今日はご足労ありがとうございます。
今ですね、いろんな方向で拉致が解決の方向を見せているように思います。
ただ、安倍さんが総理になったという事でここで安心してしまうのではなくて、これから本当の解決に向けて私もやっとスタートラインに立った所だと思っています。
皆さんに、言い方悪いですけども穴を叩いていただいて、本当の解決に向けてこれから更にお力をお貸しいただきたいと思っています。

まだ、兄は拉致かどうか分かりません。
分からない人がたくさん居過ぎます。
早く解決する事で拉致かどうかハッキリします。
それをご協力をお願いしたいと思っております。
よろしくお願いします。(拍手)

★大澤茂樹さん

私の隣にいるお二方は、昭和54年、銀行の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、その帰り同僚と別れて最寄のバス停まで来られて、そのバス停から自宅へ戻る間に行方不明となりました寺島佐津子さんのお父さんとお母さんでございます。

★寺島ロクロウさん(漢字表記不明、特定失踪者・寺島佐津子さんの父)

私、戸塚の寺島ロクロウです。
こちらは家内です。
この事件は私たちにおいては本当に悲しい事件です。
一日も早い解決を願っております。
皆様のこれからの一層のご支援をお願いいたします。(拍手)

★大澤茂樹さん

ありがとうございます。
私の弟は、昭和49年1974年の2月の24日に新潟県の佐渡島で、曽我ひとみさん親子が拉致された真野町の現場から7〜8キロしか離れていない、トキの保護センターのある新穂村と言うところで、日曜日で寄宿舎の食堂が休みという事で行きつけの飲食店に夕飯を食べに行き、その帰りに突然と失踪した北朝鮮に拉致された疑いが濃厚な失踪者となっております。

今日本政府の拉致の取り組み状況は、先日7月の5日北朝鮮が挑発的に弾道ミサイルを5発も6発も発射して以来何の拉致問題の進展はございませんが、今北朝鮮の核問題を世界中の国々が核の実験と核武装を断固阻止しようと包囲網を作りますと、我が日本政府はこの拉致問題を解決するいいチャンスじゃないかと思っています。
ありとあらゆる手段を用い、一刻も早く解決して頂きたいと思っています。
安倍新政権が誕生され、先ほど飯塚副代表の方からもご説明がありましたが、首相自ら委員長となる拉致問題対策本部が発足され、私は拉致問題の解決を大きく期待しております。

先ほどまた、副代表のお話を聞いて更に私は安心を致しました。
安倍さんならきっと私ども特定失踪者を含め、すべての拉致被害者を解決していただけるものと私は確信致しております。
それには更なる皆様方のお力で、日本政府に応援して頂かなければならないと思っています。
それをお願いし、私の訴えとさせて頂きます。
どうもよろしくお願いします。
ありがとうございました。(拍手)

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※文中に紹介のあった特定失踪者の個別情報は下記の通り

情報は全て特定失踪者問題調査会のHPより引用 
http://chosa-kai.jp/index.html

★氏名 高野 清文
失踪年月日 昭和51(1976)年7月30日
生年月日 昭和31(1956)年10月31日
当時年齢 19
当時身分 電気通信大学2年生
特徴 中肉、丸顔鼻低い、口は大きい、眉濃い。
失踪現場 東京都神津島村の民宿から
失踪状況 大学寮の仲間と神津島へ行き行方不明に。前日に山へ行くと言っていたため、神津島村の天上山を捜索するが発見できず。同月12日に隣の新島でも若い女性が行方不明になっている。

★氏名 寺島 佐津子
失踪年月日 昭和54(1979)年8月10日
生年月日 昭和35(1960)年7月26日
当時年齢 19
身長 体重
当時身分 銀行員
失踪現場 神奈川県横浜市戸塚区
失踪状況 失踪当日、勤務先の支店の親睦会で鎌倉の花火大会に行き、10時に現地解散。同僚と鎌倉駅で別れ、戸塚駅からバスで帰宅途中に行方不明。翌日、自宅近くの草むらからセカンドバッグが見つかる。警察犬の捜査でもここまで来たのは間違いない。

★氏名 大沢 孝司
失踪年月日 昭和49(1974)年2月24日
生年月日 昭和21(1946)年6月21日
当時年齢 27歳
当時身分 新潟県佐渡農地事務所勤務
失踪現場 新潟県佐渡郡新穂村
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。当時事務所には50〜60人が勤務、うち15〜20人程度が本土から単身赴任で来ていた。失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我さんと違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。元同僚の話では「失踪の2〜3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。北朝鮮製と思われるマッチが漁の前あたりに落ちていたという。平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。
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2006年10月25日

06.10.7 飯塚繁雄さん2 第15回藤沢集会(10)藤沢産業センターにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え その2』



ああいった公聴会で拉致の話をするというのは多分初めてと思いますし、これは正式に下院の記録として残り、アメリカの政治の中にもちょこっと入ってくるという確約もあるようですけど、何よりもブッシュ大統領がですね。
会っていただけると言う情報が実はさっき言ったイングランドさんという副長官が漏らしたんですよ。
私びっくりしたんですけども、「あ、言っちゃった」と「ちょっと今日は黙っていて欲しい」という事でですね。
堪えていたんですが、これはもう確定だなということで準備に取り掛かりまして、私たち全員は会えなかったんですけども。

ブッシュ大統領に置かれましては忙しい中我々一般の市民に、日本のしかも外国の市民と直接お話が出来るという事に非常に感激しておりましたし。
それから「お忙しいのに」と言う言葉に対して「私はこの人権の問題を論議する時間が無いほど忙しくは無い」と。
と言う事は、これ名言だと思っているんですけど、この人権問題というのはまず第一番に最優先するんだという事の意識の現われだと思うんですね。
そういうことから今までの対応も非常にてきぱきやって頂きまして、その後のブッシュさんの話でも「私は最近に無く感動をした対面をした」と言うふうな評価もしておりましたけども。
やっぱり我々被害者家族の訴え、本当の気持ち、家族としての気持ちを訴えたという事に対しては、非常にアメリカのトップまで動かすと言う、こういう結果にもなったわけですよね。

これは単に会ったからと言って解決するじゃないんですけど、アメリカ政府、アメリカのトップがそういう思いでいるということを全世界にメッセージを出したという事ですね。
更には北朝鮮に対してアメリカとしてもこの問題は、こんな問題はあってはならないと言う事の強いメッセージを与えたと思うんです。
そういう意味では非常に、いろんな人のおかげでこれが実現したんですけども、活動の経過の途中の成果としてはあったというふうに私たちは感じております。

折角ですからね。
早紀江さんが大統領に出したお話、これは実際の言葉で自分の言葉でしゃべったんですけど、これを文章にしたものを急いで読んでみます。

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大統領閣下

私の娘・横田めぐみは今から29年前、1977年11月に13歳で中学校からの下校途中に北朝鮮に拉致されました。
めぐみが行方不明になってから、どうしていなくなったのか分からない。
長い長い20年間の苦悩の日々を過ごして参りました。
めぐみが北朝鮮の工作員によって拉致されたと言う情報が入ったのは1997年の事でした。
亡命工作員の証言によりますと、娘は工作船の暗い船底に閉じ込められ、「お母さん助けて!お母さん助けて!」と壁を掻きむしって絶叫し続けて暗い海を運ばれたと言います。

同封しました物は1年半前、偽遺骨と一緒に日本政府に提供された拉致直後のめぐみの写真です。
めぐみは歌の好きな明るい少女でした。
この寂しそうな顔を見て、私は思わず写真をなでながら「めぐみちゃん、こんな所にいたの?どれほど不安だったでしょう。まだ助けて上げられなくてごめんなさい」と話しました。
めぐみたちはまだ元気であちらにいるのです。
子供たちの失われた月日は取り戻せませんが、世界各国から拉致されたすべての被害者たちを助け出し、これからの人生を自由の地で過ごさせてやりたいのです。
酷い人権侵害に苦しんでいる北朝鮮の人々も助けなければなりません。

大統領閣下と米国国民の皆様のお力添えを心からお願い致します。

・・・・・・・・・・

と言う内容のお話を大統領に直接したわけです。
今日はちょっとめぐみちゃんの写真はここには無いんですが、あ、これのあれですよね。
この写真。(後ろのホワイトボードに掲げた写真を見る)

たまたま私たち一緒にアメリカに行った家族のメッセージも写真と英語のメッセージで出しまして、大統領が一枚一枚全部読んでくれたそうです。
市川さん、これは増元るみ子さんですね。
そしてこれは市川修一さん。
それから、そうか、5人しか行きませんでしたのでもちろん私の方も出しましたけども、非常にそういう意味では日本とちょっと違うなと残念ながら思う場面が多いんですね。

それはそれとしてですね。
ようやくこの問題に対する流れと言いますか、非常に去年あたりは嵐の前の静けさと言ってじっと何も情報も入らず何も活動せず来ましたけども、今が嵐の最中だと私たちは認識しています。
例えば日本の総理大臣がトップになって、この問題片付けるというハッキリした意気込みを形に出来ましたし。
それから世界の人たちについても非常にあちらこちらにおいて、この拉致問題を訴えながらこれは世界の問題として人権問題として、解決しなきゃいけない問題ですよというアピールを相当して参りました。
そういう意味では余り時間が多分かからなくて解決の目処がつくのではないか?と私は楽観的な見方をしていますけども。

なにせキチガイ国家ですから、どうなろうと構わないというそういう乱暴な処置をする国なんですね。
例えば一番ハッキリしているのは自国の国民なんかどうなっても良いと、平壌だけしっかりしていれば良いんだという考えとか。
今金融制裁含めて経済制裁、たくさんの制裁を受けて相当苦しんでいる事は確かです。
そうなっていても構わずわがまま言い放題やり放題。
核の実験については、当然これはアメリカと一騎打ちというか1対1で話をするべくカードをどんどん切って来ているんじゃないかと思うんですけど。
こういった問題と拉致の問題とどうやって上手く平行して進めていけるのかな?と言う心配はあるんですけどね。

もちろん核問題についても日本としては相当な脅威でありますから、そういう意味では徹底した北朝鮮のこういった事を止めさせるメッセージ、努力をしていかなければなりませんし。
また逆に拉致問題についてもこれが片付けばあなたたちは支援が貰えるんだと、言うような事もいつかはチャンスを見て言わなきゃいけないし。
ましてや今北にいる日本人を傷をつけたら承知をしないぞと言う事も言わなきゃなりませんし。
逆に日本人を大事にすればそれだけの報酬はあるということもですね。
どこかのラインの中に入れて伝えていかなきゃなりません。

安倍総理、制裁制裁と言う事の一本やりについては他からの意見も少し出てますけども、今はそれをする、北に怒りを示す。
あるいは非人道的な事をやっていれば制裁するのが当たり前、これはどこの国でもそうですけども、そういうようなことも含めて制裁はするとハッキリと言っています。
ましてやこの核実験なんかすればですね。
これは日本だけではなくて各国から相当な非難を受けると思いますし、日本は隣の国ですから一番怒らなくてはいけない筈ですよね?
そういう面ではかなりの強い制裁があるんではないかと思います。

ですから私たちはそれを見守るしかないんですが、家族会の今年の方針としても更なる制裁をという事で世論の盛り上げを図っていこうと。
それからもう一つが先ほどから話に出ています国際世論にどうやって訴えていくか?
更に訴えて行こう、こういう動きがあります。

それからいろんな法的な措置がここのところどんどん進んでおりますけども、そういった北朝鮮に対する適正化の問題でそういった法律が出来る。
そういったこともきちんと援護していきたいと、いうような形で今後も活動としては余り変わりは無いと思いますけども、このアピール活動は今後も続けて行きたいと思います。

しかしながらですね。
非常に申し訳ないんですけど、横田夫妻がですね。
非常に疲れているんですね。
もう気の毒なくらい疲れているんですよ。
ただ、こういう場所で「私は疲れています」と言えないじゃないですか?

ホッと終った後ね。
私たちいつも仲間ですから話をするんですけども、「手が上がらない、肩が痛い、歩けない」というような話もしているし、当然ながら皆さんも感じていると思いますけど、もう73歳と70歳ですからね。
全国津々浦々飛び回るのは、もう段階としては良いのではないかと。
後は私たち若い、私も若いったって私も68ですけど、他の人たちが手分けをして全国を回る。
あるいはアメリカへ行く、ヨーロッパへ行く。
そういった事を担っていこうと言うふうに覚悟はしていますけども。

とにかく長過ぎますよね、この問題の解決の期間というのは。
ですから長いから長いからいろんな問題がちょこちょこちょこちょこ出て来るんですよね。
だけど私たちの願いはあくまでも一つ、家族を帰して欲しいと早く、それだけですから。
あまり問題を複雑化したり情勢分析をしたり経済的な勉強をしたりと言うのは、当然私たち一般の国民・市民ですから出来ませんが。
ただ願いは早く返して欲しいと、これだけですね。
そういう気持ちを安倍さんは良く理解していただいて、多分この間は涙を流したと思いますけども。

私たちこれから皆さんと共に戦いながら期待しながらまた頑張って行きたいと思いますので、またご支援のほどよろしくお願いします。
どうもありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

06.10.7 飯塚繁雄さん1 第15回藤沢集会(9)藤沢産業センターにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え その1』

Img_2178.jpg



どうも、皆さんこんにちは。
今、司会の方からご案内のあったように私も被害者家族の一人として、八重子のこの最後の写真、これを最後にもう29年も顔を見ていないんですね。
もちろんこの子供が1歳だったとき連れて行かれたんですけども、その耕一郎はですね。
未だに母と呼べない、田口八重子さんって言ってるんですよ。
非常にそういう事を聞くと私も胸が詰まってしまうんですけども、これはもう仕方が無い事実で、抱かれた事もない叱られた事もない抱っこされた事もない、記憶のない人をね。
そうだそうだと言ってお母さんとは呼べないと、そういうことでは非常に気の毒なんですけども。
もう成人になりましたし一緒になってこの問題に対して取り組み、挑戦するんだと言う強い意思の元に今必死にやってますけども、非常にこれは悲劇ですね。

他の家族の方皆そうですけども、一番人生の大事なときに北に連れて行かれてしまったと。
これはもう取り返しのつかないことで帰って来てもですね。
日本にいたときのすべてが取り戻せるか?と。
いわゆるその、向こうに20何年いれば感化される部分も知らず知らずあると思いますし、そういった心のケアだとか、それから経済的な援助だとか、そういった生活を含めてですね。
これからも大変、先に苦労が待っていますという事なんですけども。
私たち、こういう境遇の人たちが集まった家族連絡会というのがありますが、これは全くその家族を拉致された本当にかわいそうな家族なんですね。
こんなに皆さんの前に出て、皆さんの理解を高め支援を頂き活動をしなきゃいけないのかと言う事にも考えとしてはなるんですけども。

先日安倍総理が決まりまして、組閣を始めてそれが決定して3日後にすぐですね。
私たち家族会・救う会の役員の人たちと会いたいと、今までなかった事柄が突然出て来まして私たちもびっくりしたんですけども。
そういう中で安倍さん、以前官房長官時代からこの拉致については物凄い強い態度で行動して参りましたし、それの続きと言っては何ですけども、総理になってからもそれは全然ぶれてないと。
ハッキリと日本人拉致問題は自分の責任において解決させるんだという意識が、ありありと見えてますね。

とにかく、総理になってもやる事が早いんです。
この対策本部を作ると言う事自体も前々から考えていて、自分が総理になったら即それを設置するという事で、我々に対して説明がありました。
対策本部長に総理大臣がなると言うのはかつてない事なんですね。
ですからそれだけにこの拉致の問題というのは、非常に日本の重要課題として、最も基本的な人権の問題として政府としては責任を持って取り組まなければいけないとそういう強い気持ちが、今回の表れだと言うふうに私は感じております。

対策本部の組織図を早速もらったんですけども、もちろん総理大臣が対策本部長。
それで官房長官は官房長官という役割の中に拉致問題対策をやれという、直結した指示を持っています。
それからこの下に事務局長というのがあるんですけど、これは総理大臣補佐官、いわゆる前の中山参与です。
この人は24時間拉致の問題専門に仕事をすると、24時間てちょっとオーバーですけども、専門にこの仕事をすると。
この事務局長の横と下にですね。
それぞれ幹事会と言うのがありまして、これは関係省庁全部の大臣ならびに局長クラスが入って幹事会を開いて拉致問題に対する取り組みも考えていくと言うそういう幹事会です。

今、これが出来る前は「拉致問題特命チーム」と言うふうになっていましたけども、それと同じなんですがもっともっと力をきちっと固めて行きたいと。
その下に更に分科会がある。
それから事務局長の下に次長といいますか、内閣副官房長官補が当たるということです。
それから更には今情報の問題がたくさん出ていますけども、情報担当次長として内閣情報官をここに当てる。
で、その下に今私たちがお世話になっています連絡調整室と言うのがあるわけですけど、多分ここが窓口になって我々とタイアップしながらいろんな情報交換なりあるいは報告なりをしていくと。

で、更にですね。
情報室というのがありまして、これは今まで情報が錯乱していてですね、何が正しいのか?どれが信憑性があるのか?と言うのが分からない。
要するに各省庁単独でやってますから、これを一本にまとめて警察庁も含めてですね、当然。
この本部として情報をハッキリと掴んでいくと。
もっともそれによってどう活動するか?どう動いていくかを決めたいという事ですね。

後は制作企画室と言うのがあって、例えば日本の政治の中にこの問題をどうやって組み込ませて、皆さんと協力しながら解決していくのか?と、言うような事でですね。
錚々たるメンバーなんですよ。
私初めてああいったテーブルに着きましたけども、総理大臣を初め塩崎官房長官、それから各担当の副大臣、それから外務省の面々、それと中山補佐官含めてですね。
この問題に対する直結したメンバーをずらりと並べて私たちと話が出来たんですけど。

ですから先ほど誰だか仰ったようにこの問題を片付けると言う形は、要するに組織は出来たと。
しかしながらその組織は今までに無いような最高レベルのね、組織だと言うふうに私は感動しました。
私もちょっと発言の中でいつも官邸に行くときは、不安な気持ちとか不信な気持ちとかでどうも冴えなかった状態で入って来たんですけど、今日は爽やかな気持ちでここへ来る事が出来ましたと、いうふうに言ったんですけども。
まずその面会の場と言うのは本当に今までに無い確たるものだという事で、私たちも自信を持ちました。

だとすると完全にやってくれる総理大臣以下、対策本部があれば私たちあんまり動かなくても良いんじゃないか?と。
すべて任せ切ってですね。
家で待っていれば良いのではないか?という話もありました。
半分冗談かもしれませんけども、それだけ期待できる組織である事は言えますね。
総理の方からは、いやそれはちょっとという事で、やっぱり皆さん救う会の人たちも含めて世の皆さんにこの問題を一緒になって戦って行こうという事を、出来ればアピールして頂きたいという話がありました。

その後ちょっと感動した場面がありまして、4年前の9・17の日。
5人の方が帰ってきてタラップから降りて、留守家族と抱き合ったシーンが未だに頭から離れない。
早く早紀江さんがめぐみちゃんを抱きしめて迎え出るという事を夢見ていると言うか、実現させたいと。
その時に私も初めて見たんですけども、声が詰まって涙を流したんですね。
総理大臣のああいう姿を見たのは初めてなんですけども、それだけに形も心もやる気満々と言う感じですかね。
もちろん発言もそうですけども気持ちもそうだと、言うふうに強く感動しました。
そういったことで皆さんに報告がてら、詳しい人員はですね。
後ほど発表があると思いますけども、とにかく今までに無い強力な組織でこの拉致問題を取り組んでいくんだという事で、ご報告をしたいと思います。

今日は国際連帯というテーマと聞いていますけど、皆さんにまだご報告はしなかったかと思うんですが、私も4月の25日から1週間、訪米しましてワシントンへ行きました。
その時皆さんすでにご存知のように、横田早紀江さんと一緒です。
行く前まではブッシュ大統領とまさか会えるとは思ってなかったんですね、もしかしたら、と言う程度で。
向こうへ行って日が経つにつれて、そういうブッシュさんと会えるという情報がちょろちょろちょろちょろ漏れてくるんですね。

実は私アメリカの国防総省、ペンタゴンて言いますけどそこのそのときにいたトップと、イングランド副長官と会いまして、家族会、その時参加された家族と話をしてですね。
こんな偉い人と普段会えて話も出来ないんですけど、非常に身近でですね。
目を見てしっかりと話を聞いてくれて、しかもこんな拉致なんて絶対に許せないと言う気持ちでですね。
対応をして頂きました。

この日ですね。
ペンタゴンにいるすべての高官をすべての行事を中止させて全部集まれと。
ですから太平洋総司令官とかね。
それからちょっと忘れましたけど肩書きが物凄い、ずらっとした人たちが座っていまして、私たちの話を熱心に聞いてくれました。
そういう場面とですね。

メインは横田早紀江さんがアメリカの下院でですね。
正式に公聴会という事でこの拉致問題を訴える、これが一つの大きな目的で行ってきました。
このときはまだブッシュさんに会えると決まっていませんでしたけど、この公聴会に訴える文書の内容をですね。
夜中の1時2時まで詰めて、ああいう場面ですからきっちりと時間内に終らなければいけないと、言う事も含めてですね。
何回も練習したり文を直したりしてやっていました。

それを当日ですね。
通訳、向こうの弁護士のスーザン・小森さんという人がいるんですけども、この弁護士さんが通訳して頂きまして本当に感動、私英語は良く分からないんですけど、単に直訳じゃなくてこれを早紀江さんの気持ちまでも通訳して言葉に表したと言う、そういう何か感動した場面がありましたし。
それだけに委員の人たちも非常に熱心に聞いていて、頷いていたという場面があります。

・・・その2に続く・・・
posted by ぴろん at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.10.8 パネルディスカッション3 町田シンポジウム(3)町田市民ホールにて

北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」    
06.10.8 町田市民ホールにて

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『パネルディスカッション その3』



◆ 荒木和博氏

今日はまさにこのところを更に詰めてまいりたいと思います。のちほどまたお話しいただきますが、増元さんお願いします。

◆ 増元照明 家族会事務局長 

こんばんは、増元照明です。
一陸曹が元空将と同席するのが恐縮だと言われますと、私、ここにいて良いのかとちょっと考えてしまいますが、空将と、衆議院議員と大学教授ということになるんで、私は何も言えないんですけれど、今、家族の気持ちとして、ほとんどの家族会の人が思っていると思いますが、今解決に向かっているというその実感を感じております。

残念ながら、アメリカの圧力によってですけれども、最初の小泉総理の訪朝も、アメリカが9.11以降、テロ国家とテロ支援国家に対する厳しい姿勢をみせて、そしてアフガンを攻撃しました。そして、イラク、イラン。北朝鮮を悪の枢軸として名指しして、北朝鮮に『そんなに悪い事をしたら、いつでもいくよ』と言う姿勢をみせたからこそ、北朝鮮が脅えて、日本との友好関係を結ぼうとしたというのが現状だというふうに私たちは認識しています。

あのときも、アメリカの圧力で、拉致問題の扉が開きましたけれども、今回も昨年からのアメリカの金融制裁、すべてアメリカ主導であるというのは非常に残念ですが、それでも、また金正日を追い詰めつつある状況、ここで拉致問題が全面解決しないのであれば、また10年かかるんだろうなという思いで、私はいます。

それにアメリカの強い姿勢に呼応するように、日本でも阿部総理が誕生し、これに準ずるように、厳しい姿勢をとることは、まず間違いないと思います。
安倍総理の今回の内閣、所々不満があります。安倍総理がやることを、今文句を言うわけにはいきませんので、絶対に支持していくという立場で行きますので、松原先生には申し訳ないですが、民主党には応援を出来ない立場ということを申し上げておきました。

先週鹿児島でですね、1700人ほどの集会がありました。その時に、西村眞悟幹事長=拉致議連の幹事長、地元選出の国会議員がこられましたので、後の二人は自民党と無所属と、民主党の方が三人こられたんですが、どうも、おかしいですね。阿部総裁が、出来るときからそうなんですが、マスコミがネガティブキャンペーンをやっているように、非常に感じているんです。

安倍さんが余り右よりな考え方を持っているので、安倍さんが総理総裁になったら、日本は右に行くとか言い始めている人が、マスコミの中にもいらっしゃいますし、どうも安倍さんを総理にしたくないというような、北朝鮮と同じ考えなんですけれども、そう言う方たちが、ネガティブキャンペーンをやっているような気がしておりました。

そこで、先週、その民主党の方もそうおっしゃるんですが、安倍さんがまず総理になったら、『まず安倍さんが言うべきは教育問題ではないだろうと。拉致問題をまず解決すると言うべきではないか』と言って攻撃されたんです。

それは、更に拉致の被害者を救出すると言う集会だったんですけれども、そこに又、集団的自衛権ということを持ち出して、どうも安倍さんを右翼的考えの強い持ち主だということを、そういうことを国民のみなさんに植え付けようとする姿勢が見えたので、すかさず私が『とにかく今の現体制の中で、総理が対策本部長になって、内閣官房長官が拉致問題対策副本部長になり、更に中山恭子元参与が事務局長としている、この組織を即座に作ったということが、拉致問題に対する総理の強い姿勢の表れではないでしょうか?』と申し上げたんですね。

それこそが安倍体制の拉致問題に対する取り組みであり、更に、教育を最初に言われましたけれど、拉致問題の下記血のためには、日本の国民が変わらなければならないし、日本の国というものがもう少し変わらなければならないと言う思いを、我々家族も持っていますし、総理は当然昔からそう思っていたでしょうから、それを同じ同時期にやらなければならないと思って、教育を大事な問題として、まずあげられたんだと私は思っています。

それにしても、マスコミには、今やはり、安倍さんの歴史認識とか言っていろいろ色々責めていますけれども、果たしてまだ、安倍さんが総理になって一ヶ月も経っていません。小泉さんの時も、そうでしたけれど、歴代内閣、一ヶ月や二ヶ月、そういうネガティブな責めるような姿勢、マスコミはならないんですが、静観して、なにをやるんだろうと見るんですが、直ぐ攻撃態勢に突入したような感じの報道をしております。

あまりにも偏った槍お方ではないかと私は思っています。
そのへん、メディアの方々はご自分でもう一度最初から反省してください。

今日の産経抄に書かれてあったんですけが、今の国会で論じられていること、北朝鮮が核保有宣言をした、核実験をすると言うこの時期に、今を国会で話されているのか?一体国会で何を一番先に話さなければならないのかという批判をされておりました。

昨日は、田中真紀子さんが−−まぁ、あの方はちょっと無謀な方だと思います。拉致問題で安倍総理に論戦をいどむなどということは、そう言う無謀なことを考える自体、私には信じられないんですが−−歴史認識問題、そう言った問題をやるよりも、今北朝鮮が核を持つと言う本当に重要なときに、国会議員はもっと緊張感を持っていて良いんじゃないかと、私も思います。

ただ、一般の国民の方は、そんなに怖がらなくて良いと思います。
これは、荒木さんからいわれるんですけれども、8年前テポドンが撃たれたとき、経済制裁とか、そういったことをしたら、『ワシントンとソウルと東京を火の海にする』と言ってすぐに脅しをかけてきました。

私たちはもうだいぶ北朝鮮のそういう脅しには慣れてきましたが、荒木さんがおっしゃいますが、北朝鮮がこういう脅しをするときには、『日本のみなさん、こんにちは、私たちも一生懸命やってます』 ぐらいの気持ちで聞いていた方が良いでしょうとおっしゃてくれるので、だいぶ私たちも慣れてきました。
今日本の国民のみなさんも、北朝鮮が核の実験をするといってそんなに大騒ぎする人たちはいらっしゃいません。

ただ、国会議員だけはきっちりと核が実験されたときにどうするのかと国会でまず話していただかなければ、国民はどうすればいいのかということになりますので、必ずそれは、やっていただかなくてはならないのに、安倍さんの歴史認識問題をやってみたり、訳のわからない拉致問題のしくみとか、そんなことやってる暇はないと私は思っているんです。

この時期北朝鮮が核実験をやったら、確実に崩壊の道に行くでしょう。もうすでに、日本の中で法体制をこれから作って、そして自衛隊を動かすなどと言うのは、なかなか難しくなる。超法規的というのか、先ほど佐藤空将がおっしゃったんですが、法人保護と言う目的、名目は何でも良いんですけれど、だせるということです。ただ飛行機が向こうに行って帰ってこれないから空中給油機だけは買わなければないのではないかと私はおもいます。

更に、もう一つ、私たちが一番心配なのは、北朝鮮にいるであろう私たちの家族のことです。ですから総理とお会いしたときも申し上げたんですけれども、まず日本の国家予算を使って、短波放送で北朝鮮に脅しをかけていくというか、まず拉致被害者の安全確保を呼びかけて欲しい。

これは、アメリカが、アフガン戦争の時にやったことらしいのですが、アフガンに入っていた、キリスト教布教者を、アフガン戦争で攻めていくときに、アフガンの国民に対して、『アフガンに入っているアメリカ国民を必ず守りなさい。そうすれば褒賞金も与えるし、のちのち、保護もする。』そう言う放送をバンバンバンバン流していたらしいんですね。結果、キリスト教布教者たちを管理する人がその放送を聞いていて、その人達をしっかりと守っていたという事実がありました。

これと同じように、私たちの国も、北朝鮮の国民に対して−−まぁ金正日はどうしようもないでしょうけれど−−、国民に対して、そう言うメッセージを、どんどん、どんどん送ってくださというふうに申し上げました。そうすることが私たちの家族を守る大きな力になるでしょうし、そのために、しおかぜを国営でやっても良いし、NHKの短波放送をつかってもいいじゃないかということを申し上げておきました。
とにかく崩壊のシナリオがどんどんどんどん進んでいくときに、法改正したり、その後に救出と言うことでは、もうちょっと間に合わないと思いますので、同時進行していくような姿勢でやっていただきたいと思っております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

※町田シンポジウムの録音・テキスト化に関しては主催者の許可を頂いております。
posted by ぴろん at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(町田集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.10.8 パネルディスカッション2 町田シンポジウム(2)町田市民ホールにて

北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」    
06.10.8 町田市民ホールにて

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『パネルディスカッション その2』



◆ 荒木和博氏

ありがとうございます
続いて佐藤先生お願いいたします。

◆ 佐藤守元空将

ご紹介いただきました。
佐藤でございます。私はもともと戦闘機乗りでございまして、防衛大学校卒業後34年間ずっと戦闘機乗り一筋でございまして、今日この会場に来まして、ふっと数年前のことを思いだしたんでありますが、最後沖縄でございまして、いろいろどんぱちがあったところで、お役御免になりまして、無事生き抜いて復員してきたんですありますが、その後荒木さんや、櫻井よし子さんたちから、引っ張り出されてこの拉致の全国集会、第一回目が日比谷でございまして、その時に私もこの壇上に上がれと(言われ)なぜか私の前に<軍事ジャーナリスト>と言うタイトルが付けてございまして、櫻井さんから笑われたんですけれども。熱気あふれるお話を聞いていまして、粛然たる気になったのであります。

ご承知のように陸海空自衛隊、それぞれそれなりに祖国防衛と主権確保のために働いているわけでございまして、特に航空自衛隊は24時間ですね、全国28箇所のレーダーサイトで見張っておりまして、私が現役の頃には、特に極東、・・・北海道半分をとられる恐れがあるという80年代の緊張した時代に、このときに死にものぐるいで防空作戦、訓練をやってきたわけですから、それを続けてきた私、戦闘機乗りが、急に民間人になりましてね、日比谷公会堂の壇上にあがって拉致の問題に対処したときに、『一体防衛というのは何なんだろう』と、非常なジレンマを感じたのであります。

本来国民のたったひとりでも、ああいう狂った国に拉致されると言うことがあったら、軍隊を派遣して取り戻す。相手の首領を(松原先生が言ったように)とっつかまえて処刑するというのが、国家の本来の機能であるにもかかわらず、全く放置。だから日本は法治国家であると私は言っているんでありますが(小さい笑い)。

その場で、私はお詫びを申し上げました。戦闘機に乗って、一生懸命やっている上の空の間にですね、足下から、漁船、あるいは工作船で、我が守るべきみなさんが、北朝鮮にさらわれてですね、13才のめぐみさんなんか30年も帰ってこれない。何という国家だろうということで、きわめて慚愧に堪えなかったことを、今思いだしたのでございます。

その時私は、これは、やはり世論でございますから、地道に来た第一回目の全国集会ではございましたけれど、これを契機にひとりひとりが力を合わせてと言うことではなく、かけ算で、幾何級数的に、この国民のみなさんにバックアップして貰うようにしなければならないと言うことを、言ったことを覚えております。
効果があったかどうか知りませんが、非常に爆発的になった。そして今私が気にしているのは、5周年記念、とか7周年記念などという問題ではなくて、速やかにこの問題を解決しなければならない。
私の予測では、今年が一つの、基準点になると思っていたわけであります。

今松原先生がおっしゃったとおり、戦後の総決算をするにふさわしい方が、(総理に)なられました。(安倍総理のこと)今北京に行っている、明日は韓国ですか、大変大きな節目を迎えているのであります。

私は、最初にお断りすべきでありましたが、常々、ヘルメットをかぶって、酸素マスクをつけて、両手両足は曹達装置につけてですね、隙を見てスイッチを押したり離したりして、精神分裂的な状況で三次元の世界を飛んできた者でございますから、大変言葉遣いが荒うございまして、不適切用語がどんどん、飛ばすという悪い癖がございますので、もしこのお話の中で出た場合はですね、(NHKの方はおられないと思いますが)どうぞお許しをいただきたいと思います。

さて、この問題にからみましてから私は荒木さんや、いろんな方々と交流をして、今年の春頃にですね、一等陸曹殿(荒木さんのこと)から命ぜられまして、「軍事的救出作戦を立案せよ」ということで、荒木さんの戦略研究会で一案を提示したことがあります。

大変熱心な人たちが集まっておりまして「なんだ結論は出来ないのか?」「自衛隊はなんだ」と言う話からですね「何がポイントなんだ」ということがその場で大変問題になりました。大変熱気が収まらなくて、二次会に、荒木さんのポケットマネーで飲み屋にはいって、それでも継続してですね、侃々諤々のはなしになりました。軍事評論家の惠谷君なんか、口角泡を飛ばすようなことであったんですが、「これは、まだいける。日本人も捨てたものではない」と、大変失礼ですが、その時思ったのであります。

その時の資料をたまたま持ってきておりますから、全く私個人の見解でですね、荒木さんの研究会で言ったことで、ちょっと筋を述べてみたいと思います。あと十分ぐらいですが。

それはですね、こんど、金正日が7月5日のミサイルは失敗したので、最後の切り札として核実験をやると宣戦しました。世界中、アメリカは怒っておりますが、国連も、何となく前向きに制裁を別として動き始めている。

これをやったらどうなるかと言うことでありますが、つまり核実験というのはどういう事かと言いますと、
作った爆弾のテストであります。これが爆発するのかどうか、起爆装置から爆発がうまくいくかどうかを、
大気中ではありませんから、地下でやる。その穴を掘っているということですが、これは24時間態勢でアメリカの人工衛星が監視しております。で、問題は、核が爆発に成功した次は、7月5日に失敗したテポドン、(ノドンは飛ぶことが証明されておるようでありますが)テポドンに積み込んで、始めて兵器=ウェポンになるのであります。今の段階はロケットはロケット、弾頭の部分は実験の段階ということであります。

情報によると、かなりでかい爆弾、つまり爆発装置でございますから、これをミサイルの先端部分に積むのは、大変難しいと言われています。多分そうでしょう。昔、広島・長崎がやられたのは、B29のお腹を改造して、やっと一発積みこめたような状態でありますから、それほどひどくはないですけれども、これを爆発させる。爆発させたら、次は飛ぶことが確証を持ったミサイルに積み込んで、やっと一つの脅威になる、ウェポンになると言う段階でございます。

これをアメリカが許すかどうかと言うことでございます。
本来ならば、一番側にいる日本が許しちゃいけないんですけれども、<みんな、アメリカさん>と言うことですから、アメリカが許すかという問題です。これは、全く個人的想像でありますが、湾岸戦争の時に私は三沢基地勤務でしたが、半年、10ヶ月前に、『アメリカはやる』と。『確実にやる』ということを確証を持っておりました。

1月17日に朝部下を集めた会議の最中に、副官がメモを差し出して「始まりました」と言いました。「今日やるぞ」と言ったんですが、たまたま賭ていれば、大もうけしていたんでありますが、賭ける前のことですから大変残念だったんですが。、1月17日に湾岸戦争は始まりました。

この予兆というのは、軍事的なセンスでみておると大変よくわかるのであります。
その当時三沢では、輸送機がですね、(この上も良く飛んでおります。私も多摩丘陵のほうに避難してきておりますから、頭の上を良く飛びますが)C○○であるとか、C17であるとか、チャーターされたジャンボであるとかですね、いろんなものが、出入りしているんですが、早朝から飛んできます。これが、、パパットいなくなるんですね。

輸送機の動きが止まるんですね。そしてどんと始まるんですね。私は既に一民間人でありますから、おそらく、沖縄の嘉手納も三沢も、かなりの状況で、緊張しているんじゃないかと思います。

理由は簡単です。もし金正日の核実験を許してしまえば次はイランです。これをずるずると許してしまえばイランは確実に意思を持ってやります。

アメリカの政策の中心は(釈迦に説法ですが)中近東でございます。
極東なんて、どうでも言いと言えば、語弊がありますが、中近東でこの火種を消さなければならない。
この問題をアメリカはどうするか?本来ならば、先制攻撃ですが、それをやるかやらないかは、今作戦計画ができあがっているところでしょう。

そこで、もしやったらどうするか。これは非常な問題であります。そこで、もしやったら、どうなるかというところが、実はこの前のその荒木さんの研究会でやったことですが、前段の自衛隊独自で行動して、救出をできるかという問題では、最大の弱点が、目標でございまして。つまり拉致されたみなさん方を目標として。すくなくとも目標がどこにどのような形でいるか、この情報がとれない。この人たちを救出作戦を発動したときに何処に終結させるか?そしてそれが、映画に良く出てくるような、絶妙のタイミングで我々のヘリや艦艇が駆け付けたときに、さっと逆拉致された形で、収容して帰ってくる。

ここがポイントですが、結論は『自衛隊独自の作戦行動はできない』ここで大変紛糾いたしまして『なら自衛隊なんかやめてしまえ』てな声がいっぱい出たんでありますが、では何が可能性があるかと言いますと『日米共同作戦』ということです。一部の保守系の物書きのみなさんには、アメリカと一緒になってやることに対して、きわめて不快感を示します方が散見されますが、アメリカの力には残念ながら、叶いません。60年前は、四年間、アメリカと四つに組んで、負けはしましたが、徹底的にいじめた経験がありますけれども、今や日本人にはそのような<どしょ骨>はありません。朝青龍に投げ飛ばされているというのが実体でございます。

そこで、アメリカを利用すればいいということであります。

つまり私がその時に書いたのは、米軍の作戦も目的がある。北の核施設破壊と金正日爆殺、つまり排除、こういう作戦計画があるので、これに動きが出たときに、我が陸海空自衛隊は『拉致被害者救出』という目的でこれに合同行動を行う。これが唯一である。

ただし最大の弱点は、韓国内の基地を使えない。海上自衛隊は洋上に基地を作れるが、航空自衛隊の場合は、よほどのことがない限り戦闘行動をした戦闘機は、F15以外はかえってこれなくなる。

でも8年前にテポドン1が飛んだときに、私は内々にパイロットに対して、必要なところを攻撃するかと言うことを聞いたところ、全員が『片道で行く』と言ったんです。そこのところを私は期待しておりますので、後問題は、国民のみなさんがこれを支援してくださること。そしてできたら松原先生が国会で、『自衛隊は何をしているんだ。拉致被害者を救出する作戦はどうなっているんだ、防衛庁長官!』という火を付けてくだされば、大変ありがたいのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

※町田シンポジウムの録音・テキスト化に関しては主催者の許可を頂いております。
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2006年10月23日

06.10.7 山田文明氏2 第15回藤沢集会(8)藤沢産業センターにて

『山田文明 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表の講演 その2』



更にそこに加えましてですね。
少なくない人々がそれ以上の課題を抱えている。
それは北で、大変な目に遭って来ているという事です。
想像出来ないような目に遭って来ています。
また、中国へ出てからもいろんな目に遭って来ているという事です。

それは何度も売られたと言う経験のある方もあれば、「自分が売られたのは自分の両親が逃げるお金欲しさに自分を売ったんだ」というふうな思い込みをしてですね。
家族に対する激しい恨みの心を持ったままの人たちもいるのです。
現実にそうなんです。
で、親御さんはですね。
自分の子供を助けてやれなかったと言う罪の意識を持っています。

そして、いろんな拷問を受けた人も少なくありません。
その拷問の恐怖がときに甦るんです。
そして極端なうつ状態になります。
向こうではいろんな事を言う、言った事が罪に問われたりいろんな事になりますね?
ですから物凄く神経を使うんですね。
日本に来てですね。
思っている事をどんどん言っても構わないという、この事さえ理解してもらうのに1年くらいかかったりするんですよ。
ですから日本に入られてから、一応安定した精神状態で日本社会での生き方について安心感を持ってもらう。
これに数ヶ月から1年かかるという事ですね。
どんな目にこれまで遭って来られたかによって個人差があったりしますけれどね。

その間においてはですね。
予想外の事が起こったりします。
考えられない行動をされたりする場合もある。
しかし、1年ほど経てばですね。
日本の中での暮らしと言うものが理解でき、少なくとも自分が突然理由も無く捕らえられるとかですね。
収容所に放り込まれるとか、そんな事は無いんだと言う安心感を持ってこられます。
そうするとずいぶん落ち着いてこられる。
ですからそういう期間をですね。
考えてあげて欲しいと言う事なんですね。

もう日本に来てですね。
非常に一生懸命仕事をして自立されている方も多数あります。
若い人たちの場合ですと、本当に性格も素直な良い子が少なくありません。
一生懸命頑張ってくれます。
ですから日本に受け入れて、決してそれがですね。
日本の社会のお荷物になるとか、そんな見方をする必要は全く無いと私はこれまでの経験から考えています。
最初のケアがいる。

特に日本に到着されるまでのときは、やはり多くの大変な経験の中でそこから逃れてしっかり生きていくんだと、その為にはどんな事でもする。
その途中命がけで来たんだと言う決意があります。
その時にその決意の時にしっかりまず日本語に取り組んでもらい、職業に就くという練習をしていただくと言ますか、そういう機会が必要だと。

韓国の制度を悪く言うつもりは全くありませんが、韓国は非常に手厚く脱北者を保護しています。
国内に入った場合、3年間は簡単に言えば働かなくても生活できる状況を作ってくれます。
住宅も用意してくれます。
そうすると3年経った後、みんな自立をして仕事をしてくれるのか?と言うと上手くいってないのです。
それはやはり3年間、安心しきっちゃう。
仕事をしなくても暮らせる状況が続いちゃうという事ですね。
そして職業経験の無い人がそういう状況になるために、3年経ってから仕事をしろ言われても、定着出来ないですよ、仕事にね、入れない。

だから、もっと仕組みは考える必要がある。
私は日本でそういう手厚さはいらない。
むしろ最初の期間だけ支えてあげる。
そして仕事がどういうものかを経験していただく場所をたくさん作って欲しい。
これは企業にお願いするしかないと思います。

その時、雇ってですね。
全部そこで仕事をしてもらうと言う考えじゃなくして、1週間で辞めちゃうかもしれない。
それでいいんだというつもりです。
会社に役立つ仕事をして貰えないです。
そこを耐えて欲しいと思っているんですね。
ですからむしろ、補助するのはご本人じゃなくて雇ってくれた企業に給与保障をして欲しいと思っています。

そして日本での会社の仕事はこんなふうなんだと言うのを1週間で辞めてもいいから、いろんな所でとりあえず経験してみる。
そんな中から職業経験というものを少しでも持ってもらう。
職業意識をしっかり持ってもらって本当に勤めるところを、健康になれば気持ちも安定すれば勤めていって貰うという事ですね。
そういう仕組みがあればですね、良いのではないか?
例えば、そんな事を考えております。

現在、その他の方では日本から北に行った在日のコリアンの方の娘さんが一人、それから娘さんとそのお兄さん、兄妹ですね。
兄と妹さん、この二組が今直接私どもの関係で助けて欲しいんだ、日本に行きたいんだと言う連絡が来てます。
日本国籍者でもないし、元日本に住んでいた人でもない。
そのご家族だという事で、どう出来るか?
政府にも今お願いをしているところです。

だた、この事例で私たち初めて経験したと言える事がある。
それはこの二組のご親族です。
お兄さんと妹さんのご親族は、「ともかく日本に来れるようにしてやって欲しい。日本に来れば私たちが全部後はやります、親族で」
こういう、これは当たり前だと思われるかもしれませんが、そんな事例は無いのです。

もう一人のお嬢さん、娘さんについて連絡を取っているのはおじさんに当たる方ですが、当初少し戸惑われました。
何とかしてやりたい、いう事でありましたが親族ともいろいろ相談したけれども皆いろんな事情がある。
すぐに皆意見はまとまらないというような事でありました。
しかしその後また経過が来て電話を頂きました。
「自分たちの方で引き取る。そして自分たちの方でも相談して、住む所やいろんなことも準備できた。日本人のあなたがこういう問題でやってくれるなら、私たちもやります」
と言って下さいました。
それに加えてですね。
「他に4〜5人なら自分たちの方で引き受けて、住む所も用意出来るようになりましたから」
こんな事まで言って下さった。
私たち初めてなんですね、こういう経験はね。

これまでの多くは、「あなたのご親族と言う方が北から出て来ていらっしゃるが?」と連絡をしてもですね。
多くの場合は北に行くときにね。
「あれだけ反対したのに勝手に行ったじゃないか。そりゃ北に行って苦労したかもしれないが、日本で残った自分たちも大変な苦労をしてようやく今まで来ているんだ」と。
「今になって助けてくれ言われたって、そんなことは出来ない」言うふうな事や、日本人妻でもですね。
そのご親族は、こういう経験がありました。
電話をすればね。
「そういう親族がいる事を夫にも言っていない。二度とそんな電話してくれるな」
つまりもういない事にされているんですよ。
そういう場合が多い。

また実際に特に在日コリアンの方の生活を私どもの関係で見てますと、この長期不況の中でですね。
経済的には大変上手く行かなかった方々が多いし、また高齢にもなられています。
そんな関係でですね。
支援したくても出来ないという方も多い。
ですから親族だけの力に頼る事も出来ない、と考えております。
そんな中でこの8月に出会ったご親族の対応は本当に勇気付けられるものであったし、こういう方々がもっと増えてくればですね。
もっともっと脱北者に対する対応も変えられるなと思っております。

今後、脱北者の方々が、まだまだいろいろ出てくると思います。
その方々を日本の関係者であるならば、少なくとも日本国籍者であったりですね。
あるいは日本で定住している人・永住している人の親族であるならば、日本は救うよというくらいの姿勢を日本政府・日本社会は示して良いのではないか?
そして中国へ脱出すれば、そこで新たにまた被害を受けることなく救って貰えるんだという状況が北の中に伝わればですね。
いろんな良い効果も出てくるだろう、そういう希望が北の中に伝わる事が大事だと思ってます。

北の中にですね。
中国に出れば、後は何とか世界のいろんな国が助けてくれると言う、この事実をどんどん伝える事が大事だと私は思っているんです。
孤立はしていないんだという事です。
北の人々もこれまでの話にありましたように、金正日政権の被害者である事は間違いない。
あの政権を支持しているなんてとんでもない、そんな事はもう今では無いです。
ですからその人たちに孤立していない、その事を伝える事、これが大事だろうと思っています。

北の核問題もありますけど、その中での今日の産経新聞にこんな事が出ていました。
北の方の内容のいろんな所からの情報として伝えられる話ですね。
「北の住民の一部では密かに『早く米国との戦争になればいい』との声が高まっている。米国が北朝鮮を開放すると言う意味だ」
もう戦争になってもいいと。
こんないつまで生きていられるかという状況が続くよりも、早く戦争になっても構わないと。
それは決して日本を恨んでや韓国を恨んでや反米からではありません。
この状態を逃れたいということなんですね。
そういう人々に世界から孤立していないと言う事実を縷々伝える。
これは必ず北の中でいろんな変化を生み出すだろうと思っております。

私たちの方は今後出来るだけ早い時期に、再び朝鮮総連を訴える裁判を起こすつもりでおります。
これは9万3千人、帰国事業で北に送っていた、このときの言葉が「地上の楽園」なんです。
本当にそう言ったんですよ?
徹底的にそういう教育をまたしたんです。
・・・(聞き取れず)を見せたり、いろんなものを見せたりね。
北に帰る人たちに何の準備も要らないと、裸で行ったら良いんだと、全部準備されているんだからというね。
そういう説明をしてたんですよ。
これはね、明らかに虚偽の宣伝であってね、虚偽の説明で人生を誤らせた。
これはもう犯罪だという事ですよ。
この点を裁判でですね。
法的にも判断してもらおうと考えております。

かつて一度やりました、私たち。
キム・ヘイルさんという脱北者で、ただこの人が脱北したのが早過ぎたといいますか、1964年に脱北してたんですね。
で、時効でですね。
最高裁まで行きましたけど、時効だけで終った。
内容の判断をしなかった。
今回は最近脱北して来た日本人妻やその他の人何人かを考えて準備しております。
親族がまだ北にいる人たちなんですよ?
私はそれを心配しているんですが、その人たちがね。
ある日本人妻の方がこう言いました。

日本に来て少し、もう2〜3年経つんですよ。
それでも対北の関係で何の進展も無い。
自分の知っている日本人妻やそういう人たちもいるんです。
自分だけひとり助かっているわけには行かない。
自分の子供たちもまだいるけれど、自分は黙っているわけには行かない。

そういうふうに言ってくれました。
そういう、北に残った人たちのためにやるんだという、そういう脱北者や日本人妻の人たちが徐々に出て来ています。
そういう人たちの力で裁判を起こして行きたい。
朝鮮総連の犯罪性をハッキリさせてやる。
同時にそうであるならば、その人たちが日本に来るための対応をするのも、一つの被害者救済として法的にも成り立つのではないのか?という事であります。

そんな形で北に対する人権上の運動が広がっていく事が、大きなやがては流れを作り出すものだと考えております。
そういう点で皆さんも脱北者の人たちに対するご理解を持っていただきたいと思います。
どうかよろしくお願いします。(拍手)
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2006年10月21日

06.10.7 山田文明氏1 第15回藤沢集会(7)藤沢産業センターにて

『山田文明 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表の講演 その1』

Img_2171.jpg 

 

どうも、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会というものをいろんなメンバーとやっております、山田文明と申します。
よろしくお願い致します。
救う会の皆様のこういう集まりで、私どもの事も話をさせていただく時間をいただけた事を何より嬉しく思っております。
今日は限られた時間の中ですので、この夏にあった問題を中心にちょっと説明を話をさせていただきながら、その点について皆さんのご理解を得たいと思います。

私ども、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、この名前は元々本来は1959年12月から始まりました日本政府がいう帰還事業、向こうを国とは認めておりませんので帰還事業という言い方になったわけですが。
北朝鮮へ帰るということを希望した在日コリアンの人々、その人たちが北朝鮮に帰っていく。
それを国交の無い国でありますから赤十字社の事業として推進した。
その事によって9万3千人ほどの方が向こうへ渡って行かれた。

その中に、在日コリアンの人と結婚されていた日本国籍者もですね。
大体4600人ほどが子供さんたちを含めて一緒に渡って行ったわけであります。
その中の1300人ほどが日本人妻という立場であったわけでございます。
この帰国事業で北に行った人たちの状況はですね。
とんでもない状況にあるという事をそのご家族から聞き、これは少ししっかり調べてですね。
考えなきゃならんのじゃないか?という事で始まったのが私たちの会でありました。

その後1998年ごろからですね。
脱北と言う問題がクローズアップされました。
その中に帰国者が含まれてきたという事ですね。
そしてその人たちが、つまり中国へ逃げたその後ですね。
何とか救われたいという事で、日本の親族に連絡があったりいろいろする。
その過程で私たちの会にも「実はこんな連絡が来たんだがどうしたらいいんだ?」と相談もあった。
そんな事から脱北者と言う立場の人と関わりを持つようになり、現在かなりの時間・労力をそちらに取られていくというか、取られていると言う言い方はおかしいですが、この問題に関わっているのが実情でございます。

前置きはそれくらいにしまして、この夏、実は二人の日本人妻であった人、あったというか日本人妻ですね。
もう80に近づいたお二人の方が、一人は自分の北朝鮮で生まれた娘さんをお連れになり、もう一人は北朝鮮で生まれたお孫さんを連れて中国まで出てきたと、言う状態の連絡を受ける事になったのです。
そういう状態を把握した。
それでどうするかという事になりまして、少しいろいろ時間がかかりました。
途中、こういう場合はですね。
善意でその人を助けてあげて日本に行けるようにお手伝いをしようという人が少ない。
中国へ出てからですね。
そこで巡り合う人たちの中に現在はかなりいろいろな形のブローカー、お金目的でですね。
関与しようとそれをやろうという人たちがたくさんいるわけです。

ブローカーがすべて悪いとは言いません。
危険を冒しながらもですね。
一生懸命匿い、保護されるまで対応してくれる。
それは事実そうであります。
ですから、これをブローカーはすべて悪いとは決して言えない。
そういう人たちがいなければ救わない人がたくさんいるわけですから。

しかし悪質なブローカーにかかると実際には保護されるのではなく、女性だと売られていってしまうという事例は数限りなくあるというわけです。
そういう事例は、PRで恐縮ですがこの中で証言してもらった人、自分も姉さんも妹もみんな一緒に売られていった。
幸い奇跡的に後で合流して、韓国のキリスト教団との連携もあって韓国まで無事に到着出来た人たち、その人たちの信じられない話などが出ております。
こちらにお任せいたしまして、そういうブローカーとのつながりを何とかつけながらですね。
その場合一定の費用もかかるわけです。
確かに匿ってもらうにはお金もいる。
本人たちはお金がありませんから、そうするとどうしようかという事になり、いろんな工夫をしていくわけです。
そしていろんな経過を経て安全なところで保護していただくと、そして日本に入国されるのを待つという事になります。

安全なところに保護されると言うのが、いくつかの場合がございます。
ひとつは日本の領事館・大使館に保護されると言うところまでいくという事ですね。
かつてはそれが非常に困難、出来なかった、そういう対応が無かったときは、ベトナムを経由したりしながら遠いですとタイまで、あるいはモンゴルまでというようなルートを経ながらですね、第3国まで出る。
そこで初めて日本の領事館・大使館に、日本の関係者であるからというようなことで対応をしてもらっていたわけですね。
いろんな事があったわけであります。

この度の日本人妻とお二人の娘さんお孫さんは今安全な所にいます。
中国がどんな対応をしてくれるかによって、後どれくらいで日本に入って来られるかどうか分かりませんが、ひとまずは安全、と言うところまで来た。
で、この人たちが日本に着いたとき、どうなるか?ということなんですが、日本に到着するまでは政府の関係の方がきちっと届けてくださるんですね。
日本に着いたら空港で、この、どう言いますかね。
空港に出迎えに行きまして、そしてこちらでお預かりするという事になるわけですね。
その約束をまずしておかないといけません。
日本での身元引受人になりますということで、そういう事になります。

そして空港で出会いまして、それからどうするか?と言うのが後は全く私的な問題になるわけなんですね。
空港で出会ってどうするか?と。
今夜どこへ泊まってもらおうか?これから食事何を食べるんか?全部これから始めるという事です。
その時泊まってもらう準備がそれまでに出来ていなければ、ともかくどこかホテルをとってですね。
そこに入ってもらう、そして出来るだけ早くもう少し経費の安く済む所を探すという事になります。
そしてアパートを借りて、その場合当然いろいろな費用が要るわけですけどね。
それは何とかみんなで思案して入ってもらう。

そしてそれから日本に入ってからの在留の資格をどうするか?と言う問題が出て参ります。
とりあえずは臨時のですね、これは密入国ではありません。
きちんと日本政府が認めて入っているわけですが、在留資格がハッキリしない。
そこの手続きをし始めます。
そしてひとまず、そういった手続きが何とかなればですね。
まずしなければならないのは日本語の勉強なんですね。
特に若い人たちにとっては日本語無しには日本での今後の生活は考えられないです。
いかに早く日本語を頑張って勉強していただくか。

それから大体ほとんどの場合が健康を害されている場合が多いんです。
検査を受けていただき、可能な治療ならするという事になります。
今回お出でになる(方の)場合、お一人はまだお元気なんですが、もう一人は体をちょっと壊されていると言う事。
お元気な日本人妻も、これまでの連絡では日本語をだいぶ忘れていらっしゃると言う事なので、日本語の勉強をこれからしていただく事になるかどうか。
まぁお歳によってどうするか、考えなければならないわけですけどね。

お嬢さん、娘さんが40代くらいで、長年の栄養不良から失明状態だという連絡であります。
それは中国に入られたときから、そちらを聞いておりますけども。
じゃ、日本で治療が出来るかどうか?
大体失明と言うのはいったんダメになると回復が難しいですね。
そうすると目が見えないとすれば、今後どうして行っていただくかですね。
まだ若いですから、目が見えなくても何とか生きていけるそういう準備をどうしたら良いかですね。
これもこれまで私ども経験した事の無い形であります。

そういうふうにしてから、今度は何とか自立してもらいたいという事を考えますので、高齢の方やご病気の方は生活保護を頂くしかありません。
地域へ行きまして市の方と相談をいたしまして、実はこういう人なんだという事でですね。
説得し切るしかないんですね。
ともかく出来るだけ自立を早くしてもらうから、その間しばらくだけでも生活保護で支えて欲しいという相談をする。
そんな事から始まっていきます。

で、仕事をしていただく。
これはもう、若い人・元気な人ならそれは必要であります。
ところがここで問題が生じますのは、例えば20代30代40代、まだ仕事が出来る年代であり健康な方であるとしても、北朝鮮でですね。
職業経験が余り無いのであります。
それをご理解いただきたいです。

なぜなら北の多くの職場は崩壊しております。
工場は原料もないし、エネルギーも無い、電気も来てませんから稼動していないところがほとんどなんです。
だから仕事をしていないんです。
それでも出勤するんですよ?
出勤しないと罰せられるんです、捕まったりするんですよ。
出勤して職務と関係の無い事をやるんですね。
ですから決められた時間、きちっと仕事をするとそういう習慣がないわけであります。

それと更にはですね。
仕事をしたら給料をもらえる、これは当前の事ですよね?
北にも給料はあるんです。
だけど北朝鮮の給料は生活できる金額ではありません。
極めてわずかです。
なぜなら向こうは配給によって食料は確保すると言う前提の制度ですね。 
そんな給料なんてホンのわずかですよ。
それも現在はほとんど支給されないとかいう現状が続いているわけですね。
仕事をしたら給料がもらえて、給料をもらったらそれで暮らせるんだと言う意識が無いわけです。
知らない、そういう事を。

そういう状況の中でね。
日本のように労働密度の厳しい職場にパッと入って、体力的に耐えて仕事が出来るか?といったら出来ないんです。
職場へ行っていろいろ失敗したりはじかれたり、当然しますね?
叱られます。
もの凄いショックを受けるんですね。
こんな事を言われたと、差別されていると、北朝鮮から来たから差別されるようになったと。
そうじゃないんです。
説明しなければなりません。
日本人だって失敗して職場で叱られたりしながら仕事を覚えていくんだと、それに耐えてもらわなきゃならない。
あなたが特別差別されているんじゃないんですよ、という事を理解してもらわなきゃならない。
そういう時期が必要なんですね。

・・・その2に続く・・・
posted by ぴろん at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.10.8 パネルディスカッション1 町田シンポジウム(1)町田市民ホールにて

北朝鮮による拉致問題シンポジウム「救出してみせる!」
06.10.8 町田市民ホールにて

第一部 パネルディスカッション

★パネリスト
 ・荒木和博 特定失踪者問題調査会代表
 ・松原仁 民主党衆議院議員
 ・佐藤守 軍事ジャーナリスト
 ・増元照明 家族会事務局長

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『パネルディスカッション その1』

Img_2197.jpg



◆コーディネター荒木和博氏 

今日はみなさまお忙しい中しかも、連休の真ん中の所、これだけ沢山のかたにおいで頂きまして、本当にありがとうございます。本来でしたら午後の集会で、もう少し時間がとれるんですが、今日は夜しか会場がございませんで、短時間のうちに終わらせなければなりません。できるだけ効率的にやってまいりたいということで、今日は、拉致被害者をどうやって救出するかいうところに絞ってパネルディスカッションを行いたいというふうに思います。

まぁこのあいだも、テレビ等々で出ておりましたが、横田ご夫妻、お母さんの体調のことがでておりました。横田代表も先年来入院されたりしておりまして、家族会のみなさん、特に横田さんご夫妻大変大きくなっていまして、なんとか軽減していくと言うことになっておりますが、今回、「何とかして取り戻す」というタイトルになっていますとおり、この集会が横田さん夫妻が町田に来て訴えられる最後の集会にしたいと是非考えていただいて、どうやったら取り戻せるかと言うことを、真剣に一緒に考えていただければと思います。

8時15分までのシンポジウムと言うことでございますが、私が最初にちょっとだけ、基調講演をいたします。今日お集まりの他のパネルのみなさん、お顔はみなさんもうご存じのかたばかりだと思いますが、実際に、これまで具体的に現場で評論ではなく闘ってきた方々ばかりでございます。

私自身も、この拉致問題を年内いっぱいで、解決をする。今年いっぱいでに解決をする。それが出来なければ、責任をとりますということを繰り返し繰り返し申しております。ここあと3ヶ月と言うところでございますけれど、情勢は、事態は、決して我々に不利ではない。

あのミサイルの7月5日の発射によって、北朝鮮はますます周りから孤立をしてまいりました。国際的圧力が強まっている。今回核実験をやるということを言ったことで、で、今回実際に核実験をやれば、更にそれが全く逃げ場のないところに追い込まれていくだろうと言う風に思います。一方日本では安倍政権ができまして、安倍さん自身が、それ=拉致問題を中心にされることで、或意味で(それが)首相になられたひとつの原因でもある。

これ、拉致対策本部を作ったり、担当の大臣を任命したりと先頭に立ってやってきてくださっています。さまざまな状況は、私たちにとって良い方向に動いているんですが、問題は、これを実際に結実させる事が出来るのかということです。
安陪内閣になったから大丈夫だろうと言う風に思っていたら、これは絶対にうまくいきません。
自由民主党の中も、様々な方々が安倍さんの支持にまわりました。これは逆に言うと、安倍さん自信が、ちょっと風向きが変われば、ご自分の思っていることが出来なくなると言うことでございます。

その意味では今日おいでの松原議員を先頭にいたしまして、民主党が或意味で自民党と建設的な緊張関係を持っていただいて、自民党のだめなところは、「とんでもない話だ」と言って突っぱねる。そして協力するところは協力するということでやっていただくことが、本当の意味での国全体の力につながっていくということだろうと思います。

去る6月に北朝鮮人権法という法律が成立しました。
これは民主党が案を作りまして、そしてその後自民党が案を作る。最終的には自民党と民主党がすりあわせをやって、こないだの通常国会の最後の日でまとめることが出来たという法律でございます。このような形を是非とっていただいて、先頭に立って、まさに拉致特の理事として、松原議員には活躍して頂きたいと思いますし、それが実を結ぶことを期待をしております。

また、私自身が「この問題は安全保障の問題だ」ということを常々申し上げております。この問題は、個別の事件ではありません。ひとりひとりの、横田めぐみさんが拉致をされた、あるいは、田口八重子さんが拉致をされた、増元るみ子さんが拉致をされたという、個別の事件ではなくて、これは、総体として北朝鮮から日本に対する戦争でございます。

この戦争を我々は勝たなければいけません。これが戦争であると言うことを我々がちゃんと認識して、そしてそれに正面からそれに向き合ったときに、この日本の国力を持ってして、北朝鮮ごときに負けるわけがない。そこに何とかして、我々自信の意識を持っていかなければならない。ということで今日は佐藤空将においでいただきました。

私は、予備役の予備一等陸曹で、旧軍で言えば軍曹でございまして、佐藤将軍は、昔風に言えば、空軍中将ございまして、本来であれば、こうやって横に坐ってお話をすることが出来るわけはないんですが、今日は特別に一緒に坐っていただきまして、お話をしていただくということです。

そして、まぁ、今日増元さんは、家族会の事務局長として先頭にたって、身を粉にして、活躍をしています。
すでに、二年前に、家族会の活動に専従をされている。ともかくおねいさんを取り戻すまで、そして拉致被害者をすべて取り戻すまでは、自分は絶対にこれをやり抜くという覚悟で、やっておられるわけでございます。

私どもに必要なことは、今最初にいったように、すべての条件は、我々にとってプラスの方向にきております。ただし、プラスが来るときは必ずマイナスがやってきます。そこで我々が躊躇していたら、できない。増元さんが先頭に立って、活動しているように、今必要なのものは、絶対に取り戻すという決意と気合いでございます。

今日は短い時間ではございますけれども、そういうことをお話ししていければと思っております。

以上で私の基調講演は5分で終了いたしました。
このお三方、一人で一時間でも二時間でもほっとけば話す方でありますが、まさか、基調講演よりも長い時間しゃべるということはないであろうと思います。その辺ご十分理解いただきまして、出来るだけたくさんの回数やり取りをしたいと思っております。
という難しいところで、まず松原議員から、お願いします。


◆ 松原仁民主党衆議院議員

こんばんは、ただ今ご紹介いただきました、松原仁でございます。荒木さんから、あらあら、お話があったとおりでありまして、政党は民主党に属していますけれども、今回の安倍内閣が安倍さんの前任だった内閣に比べて遥かに早く、期待をいたしております。それは、今荒木さんがおっしゃったように、今日の安倍さんが、日本の総理大臣になる、その大きな原動力になったのは、彼が拉致問題に毅然たる態度をとってきた、このことが高く評価されたんだと思っています。ここことが高く評価されたんだろうというふうに思っております。

私たちは、従来から、この何年かの間、「なぜ拉致の対策室が作れないのか?」予算委員会でも、しばしば他の委員会でも訴えてきたわけですが、安倍さんになっ、即座に拉致対策室もつくられた。そしてさまざまな北朝鮮に対する効果的施策の模索が行われ、また実行が行われている。そういった意味において、安倍さんの内閣で拉致の問題が解決ができなければ、これは他の内閣ではできないというふうに、それくらいに私は思っております。

しかし自民党というのは大変に幅の広い政党でありますから、中には「そこまで、北朝鮮をやるなよ」というふうに言うような反対勢力も存在しているわけであります。私はその時には、民主党が、或意味では、そういった自民党の中において、拉致の問題の解決に、竿を差すような勢力に対して、安倍さんに対して「もっと頑張らなければ、我々は、安倍さん、貴方に対して、もうちょっとがんばれよ、という叱声をあたえますよ。」という事を言いながら、更に拉致の問題に対して安倍さんが動くように私は民主党の中で頑張っていきたいと思っております。

しかしながら、実際に
どのようにして、この問題を解決するのか?
どのようにして、横田めぐみさんを取り返すのか?
どのようにして、他の拉致被害者を取り返すのか?
どのようにして、更に特定失踪者と呼ばれる私たちが少なくとも日本の国家として認定していない拉致被害者を取り戻すのか

これが大きな課題であります。

結論を言えば、こういった問題の解決というのは、誘拐された人たちを取り返すだけでは、当然不十分である。
誘拐した人間をとっつかまえて処罰をしなければ、こういった案件は解決したと言えないのは当たり前であります。
そのためには、誘拐した当事者は、金正日その人でありますから、彼をつかまえないかぎり、私は本質的に拉致問題の解決はできないと、このように思っております。

また、誰が拉致されたか、実際北朝鮮のこの体勢が或意味で崩壊しないかぎり、私は明らかにならない(と考える)。チャウセスクのルーマニアにおいてもそうでありました。従って、最終的なところ、最終的もなにも、拉致問題の解決は、この金正日体制の体制をいかにして崩壊させるかというところ、本音の部分、本質的には、それを目指していかなければならないだろうと思っております。

当面、民主党としては、前回も拉致対策本部を開催いたしましたけれど、いわゆる特定失踪者を政府認定の拉致被害者にどんどんと繰り入れていくということを強く国会の中に於いて、これを要望していこうと。

もちろん安倍さんにしても、その後ろの何人かは明らかに、特定失踪者、これは拉致被害者に間違いないと思っている人はいるわけでありますから、彼自身も、民主党から、そう言った声が大きく上がることは、彼の決断にとってもマイナスにならないというふうに思っております。

今、すでにお話があったように、北朝鮮が核を使うというような話がある。彼等は更に国際的に孤立し、少なくとも、六カ国協議において北朝鮮の肩を持ってきた中国にしても、韓国にしても、もはや北朝鮮をかばえない状況になってきている。
私は、このチャンスに乗じて、我々日本が特に外国の世界に於いて、北朝鮮に対する包囲網を作り、そしてアメリカとの連携を強くして効果的施策をとり、最終的には、どうやってこのレジュームを変えていくのかということを、(これは・・ですが)政府部内で考えていただき、解決に向かって努力するように、そのためには、私たちはまさに、政党を超えて応援していきたいと思っております。

以上です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

※町田シンポジウムの録音・テキスト化に関しては主催者の許可を頂いております。
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★「救出してみせる!」〜〜町田シンポジウム テキスト一覧表

06.10.8 町田市民ホールにて

第一部 パネルディスカッション

1 荒木和博氏・松原仁氏の基調講演
http://piron326.seesaa.net/article/25895843.html

2 佐藤守氏の基調講演
http://piron326.seesaa.net/article/26064978.html

3 増元照明氏の基調講演
http://piron326.seesaa.net/article/26065122.html

4 意見交換1
http://piron326.seesaa.net/article/32647986.html

5 意見交換2
http://piron326.seesaa.net/article/32648155.html

第二部 家族のトークリレー

6 横田滋 家族会代表の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/26286846.html

7 横田早紀江さんの訴え
http://piron326.seesaa.net/article/26328456.html

8 飯塚繁雄 家族会副代表の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/26462858.html
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2006年10月20日

速報 核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)

今回の集会では一人一人がまとまった時間講演をするのではなく、フリートークのような形で北朝鮮情勢について語り合う、という形式を取りました。
どなたのお話もカット出来ないくらい内容の濃い物でしたので、家族のコメント以外、質疑応答まで全文を音声ファイルでご紹介します。
長くなりますが、一般のマスコミ報道などでは聞けない貴重な話の数々ですので、ぜひお聞きください。
よろしくお願いいたします。

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核実験の暴挙・どうする救出運動 緊急集会(東京連続集会22)
06・10・19 友愛会館にて

Img_2262.jpg

登壇者
 恵谷治氏 (ジャーナリスト)
 西岡力氏 (救う会副会長)
 安明進氏 (北朝鮮元工作員)

★ファイル1 恵谷氏・西岡氏



★ファイル2 恵谷氏・西岡氏



★ファイル3 恵谷氏・西岡氏



★ファイル4 安明進氏・恵谷氏



★ファイル5 恵谷氏・西岡氏



★ファイル6 安明進氏・恵谷氏・西岡氏・質疑応答〜閉会の辞まで

posted by ぴろん at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月19日

06.10.7 杉野正治氏2 第15回藤沢集会(5)藤沢産業センターにて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その2』

後もう一つ特徴的なのは、これは神奈川県内には見当たらないんですけども、出身の学校、これは非常に不思議な事なんですけど、失踪者の出身校と言うのを調べてみますと同じ学校出身の人と言うのがかなりあるわけなんですね。
450人くらいの中で、およそ300近くのサンプルがあるんですけれども、その中で中学校・高校で同じ学校出身の方というのは実は10組おられます。

後もう一つは大学なんですけども、関西の某有名私立大学、名前出ている事もありますからご存知の方もいらっしゃると思いますけど、そこだけなぜか9名いなくなっている。
非常に特徴的なところ、結果というのが出ています。

あるいは失踪の状況といいますか、言うところでまた特徴的なものがいくつか。
例えば車に乗って出かけてそのまま失踪したというケースがあります。
この中にはですね、車ごといなくなっている人が何人かいる。
事故を起こしたんじゃないだろうか?あるいはどこか、いわゆる蒸発と言うんですかね。
自分たちで家出しちゃったんじゃないか?というのも、他人が見れば考えられるんですけども自ら失踪するとは考えられない。
大捜索をしても車はおろか事故の形跡すら、車の破片もない、いうケースがこれいくつかあるわけです。

あるいはですね。
車を残しての失踪もあるんですけれど、こちらの方はまた逆に変な残り方なんです。
皆さんご存知かもしれませんけれども、福井県の小浜で拉致をされた地村さんご夫妻。
展望台に地村さんの軽トラックが放置されていたわけなんです。
なんですが、鍵を車の運転席のところに引っ掛けてあった。
そういう残り方なんですね。
地村保志さんというのは非常に几帳面な方で、そういった乱暴な止め方をする人では決して無い。
しかも拉致されるんですから、わざわざご丁寧に鍵を引っ掛けておくなんてのも変な話なんです。

そういうことまで考えるとこれはひょっとすると地村さんは、あの展望台で工作員に拉致をされたと本人は仰っておられるようですけども、どうも違うところで拉致をされたんではないだろうか?
拉致をした後に、後か前か分かりませんけども、誰かがあそこに車を置いて偽装工作をしたのではないだろうか?と言うのも十分考えられる。

同じ不審な車の残り方と言うことからすると、例えば非常に車を運転するときはカーステレオをガンガンにかける人なのに、車が発見されたときはカーステレオはボリュームが最小にしぼってある。
本人は外でお酒を買う人じゃないのに、缶ビールの買い物のレシートが残っている。
あるいは水戸でいなくなった人なんですけどこの人は、今警察では車の移動を途中で撮影が出来る。
それの記録なんかを見ると、一晩のうちに千葉県の房総半島の方までずっと下ってきて、また戻ってきて、茨城県内で車が発見される。
本人がどうしてそういう移動をしたのか?全く分からない。
そういうような非常に不審な事件があるわけでございます。

あるいは失踪するときにですね。
いい仕事が見つかったというふうに言い残していなくなった人。

あるいはフェリーを利用した方と言うのがかなりたくさんいらっしゃるんですね。
フェリー乗ったのに降りて来ないとか。
これが拉致だとして考えると、乗った事は乗った。
しかし、落ちたと見せかけるために、あるいは途中で車のトランクか何かに入れて、とそういった事も考えられる事です。

こういったようにですね。
今日はマッピングリストという、こういった事をしていると言う紹介になるんですけども、こういったことを改めて私ども明らかにして近く発表させていただこうと思うんですけども、いずれにしましてもこうやって分かるようにですね。
日本人拉致というのは、非常にこの職業ですとかね。
失踪の形態なんかを見ますと、ただその辺を歩いている人を海岸べりを歩いている人を、工作員が袋詰めにして持っていくと言うだけではない。
おそらくどういう人を拉致をするか?どういう人が必要なのか?いう事を非常に周到に考えて拉致をしていった。

おそらく、これは一番やりやすいのは本人をその気にさせる。
北朝鮮はいい国だ、北朝鮮にひと月くらい行って見ないか?
その気にさせておいて持っていく、と言うのがおそらく拉致をする方からすれば一番楽なんでしょう。
あるいは騙して海岸べりまで連れて行く。
ちょっと旅行に行かないか?
原敕晁さんなんかがそうですね。
そこからは強制です。
中には最初から強制と言うのもあるかもしれませんけども、犯罪者の心理とすれば非常にリスクが高くて少ないんじゃないか?というふうに思っています。
こういった事を中心に私どもは現在も調査を進めております。

しかしながら、残念な事にこれだけでは非常に限界があるわけでございます。
真相究明というのは確かに大事な事なんですが、我々の自己否定になるんですけど、真相究明をしてから政府認定を得てそして北朝鮮に返せと言う。
この順番でやっていると一体何年かかるか分からない。
真相究明をして救出ということではこの問題と言うのは、こう言っちゃなんですけど永遠に解決しない。
逆に言うと救出を先にして、それから真相究明でも良い訳です。

そういった意味においてはこの安倍政権、拉致被害者の救出。
これは言い換えればあの政権を如何にして崩していくか?言う事以外有り得ないと思います。
この集会3ヶ月に一回開かれておりますけども、必ず人権と言う事を冠にして活動をされています。
北朝鮮にとって拉致問題はもちろん重要な人権侵害であります。
であると共にですね。
自国民を蹂躙し、飯を食わせずに、そして迫害をし強制収容所にぶち込む。
この人権問題で我々は攻めていくという事は非常に重要な事であるという事です。

今日はその問題については先ほど宋さんが仰いましたし、この後山田先生からもお話があると思いますけど、この間の通常国会で北朝鮮人権法というのが通過致しました。
これは拉致問題について真相究明をしていくいう事に、脱北者の保護と言う事も書いてあります。
これについては異論のある人もいるんですけど、人権問題で攻めると、北朝鮮を攻めると言う事は非常にこれ重要な事なんです。
北朝鮮にとって非常に怖い事であります。

かわいそうだから助けてあげる。
基本はそうなんですけども、人権問題というのはこれは国際的なルールでありますから、国際的な連携、12ヶ国で拉致被害者がいるということ。
拉致の事だけではなくて、拉致は人権問題で北朝鮮を崩壊に追いやる言う事が、別の意味で拉致問題の解決につながる、いう事を是非皆様もご理解を頂きたいと思います。
以上で私の話を終らせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月18日

06.10.7 杉野正治氏1 第15回藤沢集会(4)藤沢産業センターにて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その1』

Img_2163.jpg

皆さん、こんにちは。(「こんにちは」の声)
今ご紹介を頂きました調査会の杉野でございます。

先ほど来お話にも出ておりますけども、安倍内閣と言うのが先日誕生をしました。
安倍総理自らが拉致対策本部長になりまして、この問題を解決すると言う強い決意を見せられたわけですけども、一言で印象を申し上げればこれでやっとスタート地点に立ったのかな?と。
やっと道具が揃いました。
これからどうやって拉致被害者を取り戻すのか?
まずは拉致被害者、どういった方が拉致をされたのか?

私ども調査会が出来まして、年が明ければもう4年になるわけですけれども、私どものところに今460名の方から自分の家族も拉致をされたのではないだろうか?と、今日も会場の中に御家族が数名いらしておりますけども、460名の方。
警察にはその倍、900名くらいの方が同じようにご相談をされています、と言うふうに伺っています。
この方たちの中であるいはこの方たち以外で、一体どんな人が拉致をされて日本人の拉致被害者一体どれくらいいるんだろうと言う事が、実はまだ分かっていないわけです。
私ども調査会と自分たちで言っておりまして自分たちで調べているんですけども、私たち自身も実は良く分かっていない。
少なくとも100名以上と言う規模で日本人が拉致されているんじゃないか?いうふうには考えておるんですけども、じゃあ一体どこまでなのか?

日本の政府はですね。
これまでは小泉政権の時代、私どもも再三申し上げて来たんですけども、一体日本人の拉致被害者はどれくらいの規模いるのか?どこにいるんだ?と、これを調べて欲しいというふうに申し上げてきました。
しかしながらおそらく分からない事も多いんだろうと思います。
結局それに対する答えと言うのは、未だ明確にはなっておりません。
一体何人拉致されたのか?分からない。

しかしながら今回安倍内閣ですね。
拉致対策本部と言うのが出来ました。
日本には警察を初めとして公安調査庁、それから海上保安庁、自衛隊の中にも情報機関というのはあります。
こういった各情報機関の情報を統合してですね。
日本の国として失踪者にこういう情報があるというのを一括して調べていただいて、一体どのくらいの規模日本人が拉致されているのか?
いう事をまず明確にしていただきたい、いうふうに思っております。

これはこれまで言ってきた真相究明と言う事なんですけども、真相が分かっただけでは実は何もなりません。
取り返さなければいけないんです。
どうやって取り返すか?ということをこれから、これはもう長い時間をかけるべき事ではありません。
今市川さんも斉藤さんも仰いましたように、親御さん、もうかなりご高齢の方がいらっしゃいます。
特定失踪者のご家族でもこの3年半、4年近くの間にずいぶんたくさんの方が亡くなられています。
それを聞くたびに私ども、この問題一刻の猶予も許せないと思って活動を続けているわけでございます。

そこでですね。
本日は私ども調査会、先ほど申しましたように平成15年の初めに設立をいたしまして、これは皆さん私もいろいろな所で話もしておりますしこの集会でも申し上げたかと思いますけども、当初小泉訪朝9・17のとき北朝鮮が拉致を認めました。
その中で曽我ひとみさん、佐渡で失踪されました曽我ひとみさんの親子。
この方は全く日本の政府も警察もみんな拉致だと思ってなかったんですね。
この方たちが実は拉致をされていた、いう事実が明るみになったことから私どものところにご相談がたくさん来ているわけでございます。

その当時かなりのたくさんの方が100名以上の方がご相談を持ちかけられたんですけど、私どもとしてはそれを整理しなきゃいけない。
パソコンなんか使ってデータベースを作っていたんですけど、非常に奇妙な偏り・塊と言いますか、例えば職業ですとか例えば失踪した年代というように奇妙な塊があるという事に感付いたというか、誰でも分かるんですけど。
という事でこういったものを整理して参りました。

最初の頃はこういったものをいろいろ発表しておったんですけども、真相の究明と言う原点に改めて立ち返ってやらせていただきたいと言うこともあって、この9月からですね。
マッピングリストと言う名前で、これは名前適当なんですけどもマッピング、つまり地図を作る意味なんですけど。
例えばここにいらっしゃる市川さんもそうなんですけども、1978年アベックで失踪された。
こういう方っていうのは、アベックで失踪と言うのは実はおられるわけなんですね。

そういった特徴、あるいは後ろの方に私どもの作ったポスターが貼ってある、休憩時間にでもご覧になられたら良いかと思いますけども、例えば1960年代後半、就職の決まった高校3年生が立て続けにいなくなっている。
これは何か意味があるのではないだろうか?
あるいは1991年平成3年、若い女性が立て続けにいなくなる。
こういったものを私どもとしては分類してそしてご提示をしていきたい、というのがマッピングリストと言うのを発表させていただいております。

まだ途中なんですけどこれは今年中にでもまとめてご発表させていただきたいんですけど、例えばですね。
今日は時間の関係で余り詳しくは申し上げらませんけども、例えば年代。
先ほども申し上げましたように1960年代後半、男子高校生が立て続けにいなくなる。
あるいは1970年代中盤から後半にかけて、男子大学生がいなくなる。
今日は高野(清文)さんの妹さんがいらっしゃってますけど、皆さんお聞きになったかもしれませんけども、埼玉の川口でいなくなった藤田進さん、大学生でした。
その直後ですね。
同じ年の直後、高野清文さん、これは電通大の学生さんだったんですけども場所としては外れるんですけども、神津島でいらっしゃらなくなっている、いうような事。

あるいはアベックという事で言えば、1970年代を中心に立て続けにいなくなっている。
ちょっとざっと数えただけですけども、これはご夫妻あるいはきょうだいということも含めれば、この1970年代に11組のアベックが、これは拉致被害者、蓮池さん・地村さんそれから市川さん・増元さんを含めてですけど、そういった非常に特徴があると。
これは年代からいうと、古くから全部が全部拉致されたとは言えないかもしれないんですけど、1950年前後から私どもに来ているリストの中には2000年後まで来ています。

これが拉致だとすると横田めぐみちゃんの名前が出てきた、あれは日本で拉致問題が浮上したその後も、拉致をしていたかもしれない。
我々はまさかそんな最近までやってないだろうと思ったんですが、安明進氏にその事を話したら「そんな事を考えない方が良い、北朝鮮は何があってもやる、必要であれば」と言うふうに申しております。
と言う事からするとかなりの長いスパン、非常に恒常的にレギュラーなサイクルとして、北朝鮮は拉致をやっていたのであろうと言うふうに考えています。

あるいは失踪者の場所という、地域的なものという見方のマッピングも作成しています。
先ほども話が出ました埼玉県の川口市、今日お出でになっています飯塚さんの妹さんの田口八重子さんも、ご実家は川口市であります。
この川口ではかなりたくさんの人の失踪がある。
それぞれ非常に拉致をした可能性が高いと思われる方が何人もいらっしゃる。
それから兵庫県の神戸も、神戸の中でも非常に偏った地域で失踪者がかなりいる。
田中実さんと言う政府認定の拉致被害者がいますけども、この方もその地域の中にいらっしゃる、という事でございます。

それからもう一つ特徴的な事は職業、職業的な特徴が非常にあるわけです。
例えば私どものリスト機械的に見ただけですけど、特に多いのは看護婦さん。
なぜか看護婦さんが多い。
それを含めて医療関係者が非常に多いです。
大体400名の中でおよそ20名の方が看護婦さん、医療関係者の方々である、という事であります。
中には医師の方あるいは薬剤師の方、あるいは医学書の翻訳をやっていた方、という人も含めますとおよそ20名。

それともう一つ印刷関係者が非常に多い。
これはですね、年代が限られていまして1970年・昭和45年を中心として、大体前後3年間というふうに考えていただいて良いと思いますが、そういった方がおよそ10名います。
印刷関係者と言うと、皆さんピンと来られるかもしれませんけども、もしかすると北朝鮮が作っている偽ドル、偽札というものの技術のために、もしかしたら拉致されたのではないだろうか。
中には非常に高度な知識を持っておられる、つまり日本でお札を作るようなところに就職される方というのも含まれております。

あるいはですね。
電電公社の職員の方、市川修一さんも電電公社の職員でございました。
こういう方も6名の方がおられます。
あるいは電話交換士とか電話に関連した方です。

あるいは女性の方ですね。
先ほど看護婦さんと言うのが出てきましたけど、美容師・理容師、あるいはパーマに行くと言ったままいなくなった。
いう方が、これまた非常に多い。
あるいは洋裁だとか和裁、編み物教室へ行く途中だったとか。
あるいは和裁の先生のところから商品を届けに行く途中いなくなった、言う方が非常に多い。

あるいは自衛隊員。
この神奈川県にも自衛隊の基地・施設と言うのがあります。
特に横須賀には陸海、武山の方にもございます。
こういったところに勤務していた、なぜかこれは元自衛官、自衛官を退官した人の失踪が非常に多い。
ご存知の方もいらっしゃると、これは川添会長の方が非常に詳しいんですけど、よど号の妻である八尾恵さん。
この人はあそこでカフェバーを開いて、そしてお客に米軍の関係者、自衛隊員という人が来ていたんですね。
そういう所から情報を取り、あるいはリクルートしようと言う事をしていたと言われています。
そういったものと関係があるのではないか、と言った事が考えられます。

で、これは神奈川県の特徴なんですけど、元自衛隊員で退官をしてその後自動車工場の季節工に再就職して、そのままいなくなっちゃったと言う人も数人おられます。
神奈川の自動車工場いくつかあるんですけど、日産自動車ですね。
あるいはその他いろいろあるんですけど、自動車教習所、建設に携わっていた人。

・・・その2に続く・・・
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2006年10月17日

06.10.7 宋允復氏 第15回藤沢集会(3)藤沢産業センターにて

『宋允復 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会事務局次長の講演』

Img_2160.jpg

どうも、何回かこちらにはお邪魔させて頂いたんですけど。
今日本当にさわやかな秋の日で、モンゴルに関してお話ししようと思ったとき最初に思いつきましたのは、もちろん8月7日でしたから日差しが強くて夏日でしたが、風のさわやかさが印象的で今の藤沢の気候のような感じだったんですけど。
東京を出発するときは東京はジメッとしたうっとおしい季節だったんですけど、モンゴルに着いたらカラッとさわやかに過ごして、それだけで行って良かった。

と申しますのも、ちょうどモンゴルは今年建国800年なんですね。
チンギス・ハーンから800年。
夏と言うのは向こうは一番の観光シーズンで航空チケットが高いものですから、そんなに4日間も・・・(聞き取れず)とぐずぐず言ってましたら、今ここにいらっしゃる山田代表に叱られてしまいまして、何を言っているんだと。
私どもの代表が山田なんですけど、せっかく日本の先生方もご苦労してモンゴルと言う国で開催にこぎつけた物ですから必ず行ってくださいということで行きました。

で、この国際議員連盟の総会ですけど、今年で3回目ですね。
最初にソウルでやって前回が昨年東京でやりまして、今年モンゴルと。
もちろん拉致問題で盛り上がれますし、韓国でも北朝鮮にさらわれていった人々が数百人がいますし、それ以上に朝鮮戦争時そのまま抑留されたままの人が万単位でいるわけですから、分かるんですけど。

モンゴルと言う地でやりますのはかなりやり難いと言いますか、やはり隣国の問題がありますから。
ご存知のようにモンゴルと言うのは地政学的に中国やソ連に挟まれて、特に中国に最近は経済的にも依存している歩合が非常に大きいんです。
現地行きましても食料品や野菜やら果物がほとんど中国からの輸入で賄っている状況で、膨張している中国の動きと言うのはいつも気にならざるを得ない様な状況です。
当初、非常に難色を示していたようなんですね。

なんですが、昨年末にブッシュ大統領がモンゴルを訪問して、そのときにどうも、大統領からは言及は無かったんですが、実務者レベルで話をしている中で北朝鮮からの難民と言いますか逃亡者ですね。
それに対する配慮をお願いしたいと言う言及があったようですし、その後も民間、議員外交レベルであってもそのような働きかけがあって、モンゴルの方も重い腰を上げて開催にこぎつけたという所です。

簡単に、私の話は5分なんですよね、余り長い話になっても。(笑い声)
参加したのは主に40名ほどだったんですけども、議員とNGOのメンバーで、もっぱら日本からと韓国から。
特に日本からのNGOのメンバーの参加が多かったです。
それ以外の国で見ますと、イギリスから一人。
あとアフリカから3人か4人。
来てくださった方に聞きますと、アンゴラとかあと2カ国なんですけどね。

「いや、私たちも良く知らないんですよね」と北朝鮮の事を余りご存じないような方が多い。 
どういうきっかけ出来てくださったのか分からない。
きっといろいろ熱心な説得で来て頂いたのでしょう。
主力はもっぱら韓国とモンゴルの方ですよね。

一番やっぱり感じましたのはモンゴルと言うのは元々社会主義圏ですよね?
1940年代にソ連の進駐によって社会主義国として建国されたと言いますか近代化が始まって、ソ連の崩壊に伴って1990年代くらいに自由化して、今は一生懸命経済建設に励んでいる状態です。
だからそういう国ですから、もちろん強制収容所とか密告社会とか言論の自由が無いとか、良くご存知。
議員さんたちに言わせると、北朝鮮については私たちの過去であるし韓国というのは自分たちの未来だと。
今、モンゴルでは韓国の経済的進出が非常に多くて、モンゴルも何とか手近な手本として韓国の力を借りて経済をもっと発展させたいと願っておりますが、そんなお世辞も言ったりしてですね。
韓国から来た議員も喜んでいたんですけど。

それにしてもどうも話を伺っていると、北朝鮮の人権状況についてディティールについてご存知ではないんですね。
マスコミ等での報道についてもお伺いしても、北朝鮮について報じられると言う事はまずほとんど無い。
自分たちの過去であると言いつつ全然関心もないし、モンゴルの議員さんたちが仰る事はこういう事なんです。
もちろん日本が主権を侵害されて自国民がさらわれていると。
だから一生懸命北朝鮮に対して圧力を加えて一生懸命叩くと言うのは分かるけども、犯罪者を叩く場合、犯罪者を徹底的に処罰すると言う方法もあるし、一生懸命矯正していく教育していくと言う方法もあるんだと。
私たちモンゴルとしては、犯罪者に一生懸命いろんなチャンスを与えて教育して更生させたいと、こういう事を言っております。

それを聞いて分かってないなと思いますね。
全然分かってない。
過去何十年日本は基本的に北朝鮮に柔らかくて、言ってみれば北朝鮮に非常に甘くて甘やかしすぎて、今ちょっと厳しく叱らないとどうしようもならないと言う段階に来ていて。
しかも何十年と言う流れを全然ご存じなくて、今一生懸命圧力を加えようとしているその断面だけを見てそう仰っているんですね。
その場にいらした日本の議員の先生方韓国の先生方、特に反論とか仰りにはならないです。

会議でいろいろやり取りがあった中で、モンゴルとして特徴的だと思ったのは今モンゴルでは労働者が足りないと言えば足りないと。
だから脱北者ですね。
北朝鮮から逃れて来た人たちを一定数労働力として受け入れていく事は可能である。

元々日本や韓国がモンゴルで会議をやろうとした動機と言うのも、モンゴルと言うのは北朝鮮から逃れてくるところの一つのルートになっていますので、なんとかシェルターですね。
避難所をモンゴルに作って安定的に脱北者の確保をしたいと言う事だったんですけど、それについても内々には、個人とかいろいろあるんですけどこういう人たちを活用する事を考えてはどうか?と。
モンゴル側から提案もあったです。

実は私今回の8月の会議の前に、今年の1月の段階ですけども、モンゴルに韓国の関係者と行っております。
行った目的と言うのは今申し上げた避難所、シェルターの確保なんですね。
そのために向こうの現役の大臣とも会いまして、モンゴル政府内で北朝鮮政策といいますか、各政策に携わっている実務者たちとも話し合いました。

これちょっと5分しかないのにこぼれ話です。
今モンゴル政府で中枢に携わっている人の多くの人たちが、実は北朝鮮に留学経験のある人たちなんですね。
モンゴルと北朝鮮はかつて友好国でありまして、金日成が生きていた時代、1980年代の半ばですけども首脳会談をやった。
モンゴルと金日成が首脳会談をやりまして、そのときにモンゴルの方で北朝鮮におねだりをしたようです。
そのおねだりの内容と言うのは北朝鮮に化学繊維を作る工場があるんですね。
石炭から繊維を作る、ビナロンというんですが、工場がありまして。

モンゴルも燃料はもっぱら石炭ですから、石炭を活用して繊維が作れるならそういう工場を持ちたいと金日成に持ちかけて、金日成が「よし、じゃあ工場を作ってやる」と。
作った後、それをオペレーションする人材が必要だろうと。
それを私たちが北朝鮮で育ててあげるからモンゴルから人を送って来なさいと。
いうことでモンゴルでそこそこのエリートたちが選抜されまして、その人たちが人数は10人くらいだったらしいですけど北朝鮮に派遣されて・・・(聞き取れず)と言う工場です。
そこで7年くらい教育を受けまして戻ってきた。

実はその人たちが北朝鮮関係で行政の中枢にいて、携わっているんです。
その人たちと話した事なんですが、彼らは北朝鮮の国家でどれだけ酷い事が行われているかと言う事はよく承知をしていると。
北朝鮮から生き延びるためにモンゴルを目指している人たちが大勢いることも承知っていると。
私たちは北朝鮮に留学しているときに大変お世話になったと。
当時80年代後半から90年代前半ですけど、すでに北朝鮮は食糧事情が厳しくて一般の人たちは肉なんて食べることが出来なかった。
だが、私たち肉食の国から来た留学生という事で、毎日のように肉魚が振舞われて、それがしばらく経って北朝鮮の一般の人たちにはとても考えられない待遇だと言う事を知ったと。
もちろんモンゴルの水準からしてもそれほど恵まれているものではなかったけれども、北朝鮮の当時の生活水準からすればはるかに恵まれた待遇をしてもらった事は感謝していると。
北朝鮮の人たちがどれほど素朴で懸命に生きているかが良く分かった。

そういう人たちが生き延びるために今一生懸命逃げて来ている。
それは私たちも彼らを守ってあげたいと思うし、それはモンゴルの国益にもなるだろう。
将来あの体制が何らかの形で変化を迎えたとき倒れたときに、そうして私たちが守って逃してあげた人たちが、こうやってモンゴルにお世話になったんだと言う事を思い起こして、私たちの国のためになる事をやってくれるだろうから、私たちは彼らを守りたいと思いますと。
ただ、困るのはそれが余り表に出る事は大変困るんだと。
中国を刺激するのは今モンゴルの国力からして、なるべくなら避けたい。
だからこのような避難所を提供すると言う動きについても、マスコミには一切漏らさないで欲しいし、なるべく外部には流さないで内部で内々に静かな形で出来るようにして欲しい。
それが向こうの要望だったですね。

ところが8月に議員が以降の成果で国際会議をやるとなりますと、そういうのも全部外に出てしまいまして、やっぱり議員さんも対外的にアピールすると言うのも仕事の一つですので、表に出てしまう。
私もこうやって今気にせずしゃべっているわけですけど。
ここにいる市川さんとご一緒させていただきましたし、ノルウェーでは斉藤さんとご一緒させていただいたんですけども、やっぱりまだ知られていないと言う事なんですね。
知られていない。
議員になってああいう場に出てくるような人であればある程度の概念的な知識は持っていたとしても、日本のこういう一定の関心を持っている皆さんが平均的に持っているような知識までは持っていないです。
まだまだ国際的規模ということでは仕事をたくさんしなければいけないなぁと言う事を、感じて帰って来ました。

そういう事でやれる仕事は結構多いと思うんです。
インターネットもありますし、モンゴルから留学に来ている学生も多いですしね。
そういう小さな国だからと言って意外と力が無いわけではなくて、意外とそういう人たちがちょこちょこやってくれているような事が後々効いて来ると言う事はたくさんあると思うので、皆様も手近なところできっかけ捕らえてですね。
こういう事をちょこちょこしていただいてきっかけを作っていただいて。
小さな働きかけと思うかもしれないけれど、後々、日本に留学に来るような人たちへでも良いです。
政府中枢の仕事をする人たちも一杯いるわけですから、そういうことで皆さんのご活躍を祈念しております。
よろしくお願いします。(拍手)


※休憩時間前に宋允復氏より、訂正の話

すみません、肝心な話が漏れてしまいまして、貴重な時間をちょっと頂きたいんですけど。
今杉野さんの話にもありましたけども、モンゴルの会議でも感じましたのは、日本の議員の先生方の意外な力強さと言いますか、人権外交というのを正面切ってですね。
押していくと言う力強い姿勢を感じたんですね。

これまでの日本と言うのは国際社会でのイメージと言いますと、おしとやかと言いますか、あんまり仰々しく表立ってこうだとかいうことは、ことさら事明けはせずに後ろでいろいろ調整役をやったりですね。
お金を回したりですね。
何とか上手くまわしていくと言うような、気配りというか心配りでやってきたと思うんですけど。

この国際会議では拉致問題ももとよりですけど、人民をあれだけ虐待している政権はもう許されないんだということで、特に民主党からご参加だった松原仁先生。
テレビ等で皆さんご存知だと思うんですけど、あの方が早く金正日体制打倒についてどう調整を取るか?と言う事をペーパーにもお書きになりましたし会議でも発言されましたし、そういうご発言も結構ありました。

それに関して結構ですね。
与党自民党からご参加された、例えば葉梨康弘と言う議員がいます。
若手の方で、これまで拉致問題で自民党の事務方を結構なさって実務をなさっている方なんですけど、その方はもうちょっと実務的に北朝鮮にどういうことがやれるか詰めていくべきだと。

韓国の議員さんは野党であると言うこともあって、金正日を国際裁判所に引き出そう!とか言って、スローガン的なエィエィオゥで盛んに意気を上げておられたんですけども、それに対してかえって自民党の葉梨議員は距離を取られる様な感じで、あとで何でですか?と聞きましたら、「ここで一緒になってエィエィオゥやったら、韓国の議員が後で帰ってね。日本の議員とつるんで紳士的にそういう事をやったとつるし上げられて、立場がますます悪くなるかもしれないから、ここでは距離を取って見せたんですよ」なんて仰るわけですよね。(笑い声)
さすがに違うな、と思って(笑い声)感心していたんです。

そういうことでここの議員、必ずしもああいう場で国際会議と言ったところで別に報じられる事もないし、有権者に知られることも無いわけですから、彼らにすればそれほど票になる事でもないんですよね。
それでもそういう見えない所で結構汗をかいていらっしゃる議員がいるので、皆さんもよく承知を頂いて応援していただければと思います。

この国際議連もそもそもは民主党の中川正春議員ですか?
あと渡辺周さんなどが中心となって何とか立ち上げて、3回目になってようやく与党の自民党からも正式に参加していただけるようになって、結構長い間汗をかいて頂きました。
そういう意味で皆さんの応援もよろしくお願いしたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)
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2006年10月16日

06.10.7 市川龍子さん 第15回藤沢集会(2)藤沢産業センターにて

『市川龍子さん(市川修一さんの義姉)の訴え』

Img_2153.jpg



皆様こんにちは。
昨年も来させていただきました。
母校が藤沢に有りますので足を伸ばした事はないんですけども、藤沢と聞くとやっぱり懐かしく思っています。

昨年もお話させていただきましたが、1978年の8月12日に、曽我ひとみさんと同じ日です。
同じ日に弟が拉致されたと言う事は、日本列島に如何に北朝鮮の工作員がたくさん入り込んでいたか?と言う事なんです。
同じ日の同じ時刻まで行きませんけども、やはり夕暮れですので本当に北朝鮮はもうけしからんと言うのが私の腹の底に一杯にあるんですけども、何とかしてですね。
この悪の悪の悪逆の限りを尽くす北朝鮮、悪徳政治ですか?
これを断固として阻止しなければ北朝鮮にいる一般民衆が本当に浮かばれないと思うんですよ。

何とか北朝鮮の民衆を救って上げなければならないんだと、その為に弟たちは犠牲になっているんだ。
だから日本国民よ、何をしているんだと、今立ち上がってくれ!と弟は叫んでいるんじゃないかと私は思っているんですよ。(拍手)
一丸となって私たち拉致被害者家族だけの問題ではありません。
本当に真剣に考えていったら日本国国家が、それこそ国家侵害を受けているそういう問題ですので、本当皆さん一生懸命模索しながらとにかく真剣になっていただいて、この問題を解決していただきたいと思うんです。

私はこの前ですね。
10月1日に鹿児島の方で第一回の鹿児島県民総会を開いたんです。
せいぜい1400名くらいしか入らない会場なんですが、もうびっくりしました。
メディアが私に言いました。
「龍子さん、今までに無い鹿児島一の集会だよ」
2000名集まってくださいました。
ぞろぞろ、ぞろぞろとですね。
本当に満場の会場を見ましたときに涙が出て仕方がありませんでした。
本当に皆さんのおかげでですね。
世論の喚起を高めていただいてようやくここまで来たという感がします。

そこでですね、いつもはですね。
私はいつも政治家をくさしたりですね。
メディアを叱ったりですね。
そういう事ばっかりいつも言っているんですよ。
で、帰るたびに主人に怒られるんですよ。
「お父さん、腹が立たないの?」って。
「腹は立つけど、今は味方にして行かなきゃいけない時なんだよ」
分かってるんですけど、今までいっつも私はそういう事ばかり言ってきました。
もう、今日は言わないと思うんですけど。(笑い声)

私はですね。
各国の関心がミサイル発射で北朝鮮に集まっております。
その中でですね、拉致問題の解決に向けて国際社会の働きかけをいっそう強めるためにですね。
8月7日にモンゴルで開かれました「北朝鮮難民と人権に関する国会議員連盟」と言うのがありまして、その総会に家族会を代表して参加させて頂きました。
脱北者や難民問題ですね。
拉致を含む北朝鮮の人権問題について各国の国会議員や、非政府組織、いわゆるNGOですね。
が協議して、共同宣言が採択されたんですけど、参加国はアジアとか北欧・アフリカと約30ヶ国です。

拉致問題は人権蹂躙だ、拉致が如何に残酷なものかと言う事をお話させていただきまして、いろいろお話させていただく中で、モンゴルの国会議員・各国の国会議員が「金正日を国際裁判に出せ!」と言ったりですね。
そういう言葉も出て来たんですけども、モンゴルの人たちはですね。
本当は心の中ではですね。
北朝鮮に対しては不満が一杯あるんだって。
だけど一応友好国であるために、中々それを表に出せないと言う事を仰いまして、この拉致問題についてもいろいろお願いしてきましたけれども、情報収集には協力していくが表面的には中々出来ないという事を仰いました。
でも、必ずモンゴルの国会議員の先生たちも私たちの声に賛成してくださいました。

モンゴルではですね。
北のいつもの常套手段で脅かされて本当に困っているんだって。
北朝鮮の大使館を閉めるぞ、とかですね。
なんか脅しをかけてくるそうなんです、モンゴル政府に対しても。
この2月にはですね。
闇ルートで物凄いお金が暴露されて警察に捕まったそうなんです。
だから本当に悪逆の限りを尽くす北朝鮮なんですよ。
もう一度再認識してください。
本当に友好国であるモンゴルにさえも、こういう悪い事をしているんだという事を仰いました。

で、私はモンゴルの北朝鮮の大使館前まで行ったんです。
白い建物でした。
その周りはですね、鉄柵が巻いてありました。
草はぼうぼうでしたけども、そこをカメラマンの方と「大使館を見ながら行くところを撮るからね」と言われてですね。
歩いていくんですが、向こうから変な人が軍人みたいなのがいるんですね。
だからカメラマンが「龍子さんストップするよ、ストップするよ」とカメラをぐっと下に下げてですね。
「龍子さん普通に歩きなさい」と言われてですね。

私は最初行きたくなかったんですよ。
拉致されたら困ると思って(笑い声)、行きたくないと言ったんですけども、行ってくれって仰いましたので行ったんです。
本当は写真撮影も出来ないと言われていたんですけど、ちょうど休みだったもんですから軍人もそんなにたくさんはいなかったです。
私は空に翻っている北朝鮮の旗をですね。
引きずり落としたいなと思って、市川さんが反対に捕まっちゃうよと言われてですね。
本当にその端を引きずり落としたいくらいの心境で憎らしげにですね。
北朝鮮の大使館を憎らしく見て帰って来ました。

どうしようもないんですけど、私たちはとにかく政府に委ねるしかないんですけど、北朝鮮は本当にですね。
人の命を虫けらのようにしか扱わない金正日の独裁政権なんです。
人口はわずか2300万人の国なんですよ?
その中で20万30万人と言う北朝鮮の国民が強制収容所に入れられて、また自国民にも食料は全然配給しないでですね。
300万人以上の餓死者が出ていると言う状況なんです。

本当にですね。
人道支援人道支援と仰るけども、本当の人道支援はどこにあるのか?と言う事をまたみんなで考えていかなければ、いくらお米を、金を、いろんなものを送ったとしても上層部の方で、もう後は一般民衆の方には行ってないということをね。
再確認していって頂きたいと思うんです。

本当に金正日の行った拉致は、被害者本人はもちろんですけども、その家族または周辺の人々にまでですね。
本当に不幸をもたらしました。
今世界12カ国に拉致をされている人がいると言う事を聞きまして、本当に許しがたいこの金正日なんです。
私は八つ裂きにしたいくらいなんです。
またこういう過激な事を言うと実は主人は来ていませんけども、怒られるんですけども、本当に八つ裂きにしたいくらいなんです。
絶対に許してはならないと思います。

皆さん、いろいろなテレビでご承知だと思います。
愛娘を奪われた深い悲しみや精も根も尽き果てんばかりに、娘の帰りを待ち続ける横田さんご夫妻とか有本さんご夫妻。
また病床で待ち続ける松木薫さんのお母さん。
田口八重子さんのお兄さん。
それから我が子との再会を果たせずに逝ってしまったるみ子ちゃんのお父さんですね。
お父さんの分もと思って一生懸命病と闘いながらるみ子ちゃんのお母さんも頑張っていらっしゃいます。

そして私の母、修一の母、私の母もなんですけども、もう90を過ぎたんです。
家族会発足から9年です。
私も声を枯らして叫んで叫んで叫んで参りました。
いろいろ悔しさとか歯がゆさとか述べて来ましたけど、今回ですね。
母が、北朝鮮に向ける短波放送「しおかぜ」と言うのをご存知でしょうか?
あの短波放送に主人が前回乗せたんです。
で、今度は「お母さん、乗せてみないね?修ちゃんに呼びかけてみないね?」と言ったら「うん」って言ってくれたんです。
初めて母が原稿を書いてくれましたので、それを読まさせて頂きたいんです。

・・・・・・・・・・

修一、お母さんですよ。
修一、修一と叫び続けて丸28年が過ぎました。
お母さん、生きていくのも大変な毎日です。
人には涙は見せなかったけど、独りになると涙は滝のように流れ、修一の使っていた物は見る勇気も無く一人で泣き続けましたよ。

北朝鮮の元工作員だった方と会い、修一の事をいろいろお話してくださいました。
修一が北朝鮮で生きていてくれた事を聞き、お母さんはもう嬉しくて嬉しくて。
それから毎年毎年、今ではもう着られそうもないかもしれないけど、修一の洋服を出して思い出しながら虫干ししていますよ。

お母さんは北朝鮮の38度線の鉄柵の前まで行って、大声で修一の名を何度も何度も呼びましたよ。
お父さんもお母さんも90を過ぎましたが、元気な姿で修一を迎えてやりましょうとお父さんと励ましあって生きていますよ。
修一もるみ子さんを励まし、二人揃って会える日を楽しみにしていなさいね。
修一たちに会える日を一日千秋の思いで待っています。

今度安倍さんが首相になられました。
拉致問題に一生懸命に取り組んでくださっています。
必ず解決してくださる方です。
だから修一、体を大切に大切にしてくださいね。

修一とお母さんの心は必ず通じ合っています。
必ず会える日が来ます。
一日も早く会いたいね。
お母さん、どんな事になってでも待っていますからね。

るみ子さんと二人揃って、必ず生きて生きて生き抜くんですよ。
機会があったらまた短波放送に乗せてもらいます。
我が家の柿や栗の実もたくさん生りましたよ。

・・・・・・・・・・・

っていう、今日杉野さんに託したいと思います。
また母の生の声を乗せて頂いて、必ず修一に届くと思ってたくさんこれからも乗せて行きたいと思ってます。
すみません、泣いたり怒ったりで。

それで昨日何かこの藤沢では大変な、バケツをひっくり返したような雨と聞きました。
ところが反対に鹿児島はそれはそれは綺麗な満月でした。
そこでまた、この前ここで短歌を披露させて頂いたんですが、その時母がお月様を見ていました。

 満月を見上げる母の寂しげに 安らぐその日待ちに待ちたり

と言う短歌を作りました。(拍手)
安倍総理の誕生でようやく被害者、拉致被害者家族もですが、本当に一条の光が差し込んで来たように思います。
世論の喚起を高めてくださった本当に皆さんのおかげです。
本当に心からお礼を言いたいと思います。
でもまだ帰って来ていませんので、後もう一歩ですので、皆さんお力添え頂きたいと思ってます。

年老いていく母たちがたくさんおります。
その母に一刻も早く子供たちを抱かせてやってください。
ご協力よろしくお願い致します。
ありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 16:28| Comment(0) | TrackBack(1) | 集会テキスト(藤沢集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月15日

06.10.7 斉藤文代さん 第15回藤沢集会(1)藤沢産業センターにて

『斉藤文代さん(松木薫さんの姉)の訴え』

Img_2148.jpg



皆様、こんにちは。
お世話になります。
藤沢の方には本当に何度か呼んで頂き感謝しております。
皆様の前でお話をさせていただけるという事は、本当にありがたい事だと思います。

私の弟も1980年に拉致されまして、今年の6月の13日で53歳になりました。
本当に年月が経つのが早いです。
私たち家族もみんないろんな小さい頃からの思い出があり姉弟仲良く暮らしてきて、こういう問題、拉致と言う事が起こるとは想像もつかなかったんですけど。
本当にいなくなってからは家庭もみんなバラバラの様な状態になり、親も本当に苦しんで弟の事をずいぶん探し回って、いろんなあの手この手でみんなでやったんですけども、弟は1988年に北朝鮮にいるという事が石岡さんの手紙で分かりまして。
父は余り私たち子供には言ったらいけないという事で伏せていたので、私も知らなかったんです、最初の頃は。

父は一生懸命になって時間のある限り手を尽くしたんですけれど、私に父は平成2年にもう亡くなりました。
母のベッドの横に手をこう、差し伸べるようにして亡くなっていました。
やはり母に後をお願いするよという意味だったんだと思いますけども、私の母はとても父を頼りにずっとついて来た、家庭の事だけしか出来ないようなおとなしい母でしたので、父が亡くなったという事に関してはショックが大きかったんだと思います。

現在85歳で病院の方に入院しておりますけども、本当でしたらまだ元気でいてくれてもおかしくない歳なんですけども、痴呆の方が早くなりまして、どうしても薫を探したい一心で乗り物を見ると乗って海の方に行っちゃうんですね。
遠いところでも近いところでも海の方に、ず〜っと一日中そこに座って眺めているような状態で。
私もそれを探すのに本当に苦労した事があるんです。
それで一度は名札をさせたこともあるんですけど、それは取ってしまうんですね。

それでどうしたらいいもんだろうかと自分でも思って、サンダルが、気に入ったサンダルがありますので、そのサンダルに電話番号を書いてですね。
履かせたら、そのサンダルはいつも気に入って履いて歩いているもんですから、お電話いただくんです。
お母さんがここにいますよとかって、近いときには私が迎えに行くんですけれど、遠いところになるとバスで3つも4つも、酷いときにはもっと先まで主人と迎えに行って。
海でじ〜っと向こうを見ているもんだから、「帰るよ」というと「あんたたちは帰っていいよ」と言うんですよね。
だからどうしても自分のそばに薫がいないという事が納得出来ないわけですね。

だから家で寝込んでしまうのも早かったもんですから、足は丈夫でしたんですけども夜中も何度も何度も家から出て歩くもんですから、どうしてもこれは私たちも寝不足になりますので、病院に入れなきゃという事で主人と話をして病院に入れたんですけれど。
結局病院の中でも弟を探して歩くような状況なんですね。
結局は事故に遭うとかそういうことになってはいけないからということで、下半身は動けないような状況になりまして結局は車椅子になりました。

だから車椅子に乗って座っているときに姿を見たときは、本当にかわいそうだなと思いましたけれど、元気で薫が帰ってくるのを待つしかないと。
それでも亡くなるよりは元気で薫が帰ってくるのを待っていてもらうしかないと思って、そこで自分には言い聞かせをしながら母の看病をずっとして参りました。

でも母も辛いんでしょうね。
ずっとベッドで寝ていても弟の事ばっかりなもんですから、26歳で歳が止まってしまっているもんですから、若いときの弟の姿しかないものですから、私に何かを注文するときでも「ご飯は炊いてあるからおかずはお肉をたくさん食べさせてやってね」とか、もう53歳になっているという事すら分からない状態で今も病院の方にいます。

でも今回は私たちがいろいろとやって頂いた安倍さんが総理になられました。
本当に私は心強いと思って、これでもう薫、また家族皆さんですね。
家族会皆さん、特定失踪者の家族皆さんが帰って来られるということを、本当に私は待ちに待った新しい総理だなと思っております。
やはりここまで来るのには私の事はそんなたいした努力じゃないですけども、父や母のやってきた事は精神的な苦しみ・年月を過ごして来ておりますので、いろんな事が母の頭の中にも回っていると思います。

ですから母にも、「今度はね」って。
いつも大平総理で頭が止まってるんですよ、昔のままでね。
それで私に「ちょっと手紙を書きたいから郵便局はあるのかね?」っていうから、「すぐ傍にあるよ」というと、「じゃあちょっとペンを貸して頂戴」と手紙を書くから、「じゃあ誰に出すの?」というと「大平総理に出す」って言うんですよね。
だから私も、「あぁそうね」って言ってペンを預けるんですけど。

この間安倍総理が誕生したときに私が母に「お母さん」って。
「今度はね、今まで私たち支えてくれたね、安倍さんがね、総理になったんだよ」って。
「だからね、今度はお母さんね、良い事あると思うから絶対に病気しないでね、頑張ってしっかりご飯も食べなきゃ駄目よ」って言ったら、「はい」って言って今一生懸命食事もしてくれます。

今のところ熱も出さないで、何とか頑張ってくれておりますけど、やはり母は会いたくて会いたくてしょうがないもんですから、いつもいつも私が写真をそばにおいておくと、写真を見て写真に子供のように語り掛けるんですね。
「薫、もう帰っておいで、帰っておいで」って言うんですよね。
だから本当に私はそれを見ていると辛いんですけれども、でもやっぱり母がそれを待ちに待って頑張るという気持ちがあるんだったら、私も一生懸命頑張らなくちゃいけないと。 

今、私の松木の場合は二度も骨を渡されて参りましたので、私は大きなショックを受けました。
北朝鮮のやることですから、それは嘘だということは分かっているんですけれども、二回とも他人の骨でしたから本当に信用のならない北の国だなと言う事で、私も自分なりにああいう国には嘘つきが多いんだから自分が頑張らなくちゃいけないということで、自分に出来る事は何かないかな?と、いろいろ毎日考えながら皆さんと一緒に活動させていただいたりしております。

また、今回今年はノルウェーの方に国際会議がありましたので、私でお役に立つかどうか分からないですけど、何としてでも皆さんと私たちの家族、拉致家族が一日でも早く帰ってこられるようにお願いをしたいからということで、ここの救う会の会長の川添さんと一緒にノルウェーの方に行かせて頂きました。
私は私なりに、お話も私は向こうの言葉は分かりませんけども、ジェスチャーでやるしかないと言う覚悟で行きましたけど、私の周りにはいろんな日本から来られた方がおりまして本当に助けていただきました。
パンフレットを配るにしても何にしても、皆様方が通訳をして下さったりして、私は本当に恵まれているなと思いました。

斎賀大使は私もお会いしたのは初めてでしたので、斎賀大使の持ち時間は30分だったんですね。
私は斎賀大使がお話をされる前に何としてでもお会いしたいと思ってお話したいと思って、打ち合わせしていただいてお会い出来るようになりまして。
私は壇上に立ってお話をするのは、スケジュールが決まっておりますので出来ないと思いますけど、拉致被害者は何としても私たちには時間が有りませんし、家族が本当に時間がないのでなんとしても助けていただきたいんです。
ですからそれを何とかお話していただけないでしょうか?という事を言いまして、私の母も毎日毎日書いているものをちょっと持って参りましたと言って斎賀大使に見せまして、「薫に会いたい、会いたい」って書いてあるんですね。
それをみせて、どこの親御さんでもみんな同じ気持ちでいらっしゃるから、どうか助けていただきたいんですと。

アメリカの方からも声を上げて世界が一つになって拉致問題を解決していただきたいと言う気持ちで私は参りましたので、何としてでも時間をとってお話していただきたいと思いますという事で、お願いしましたら「はい、分かりました」といってくださったので私は会場の方から見守って、斎賀大使がお話をされるときに私がじっと聞いておりましたら、何とありがたいことにですね。
30分の持ち時間で本当は人権のお話をされるはずだったのに、20分お話をしてくれました、拉致のお話をですね。
私は言葉が分かりませんから日本から来られた団長の方が、「今から斎賀大使がお話しをされます」とかメモを書いて送ってくれるんです。
「今終りました」とかですね。
(時計を)見たらちょうど20分くらいお話をしてくださったんですね、拉致問題に関して。

本当に私はありがたいなぁ、遠いところへ行って、こんなにして来た甲斐があったと思ってですね。
私は何も出来ないけれど、拉致と言う事が世界の方に分かっていただいて、これは本当に許せない事であると言う事を分かっていただきたいという一心でしたので。
本当に私も、そういう場に行くと言う事は何か胸がどきどきどきどきして怖かったんですが、勇気を持って斎賀大使と会ってお話をして良かったなと思いました。

横田早紀江さんは私たちよりうんと年上なのに、お体もそんなに丈夫でないのに、めぐみちゃんの事を思ってあちこちずいぶん回られて、本当に私は頭が上がりません。
13歳で親子の(間を)引き裂かれて悲しい思いをして、本当に戦ってこられて、市川さんの所も同じですね。
市川さんのところもみんな悲しい思いをしてこの年月を過ぎてきましたので、今回は何としてでもですね。
安倍総理のですね。
私、タラップから家族がみんな降りてくるのを待っているんですね。
最初に5人が帰ってきたときには私は本当に喜んで、今度は私たちの番だからと言う気持ちでお帰りなさいと言う気持ちで私は迎えました。

ですから今回は日本人の家族がこんなにいたんですよ、北朝鮮にと。
飛行機一台に乗れなかったんですよ、というくらいのそういう私は嬉しい話を期待して、待っていたいと願っております。
それが私の母親に対する親孝行だとも思っております。
母もやっぱり会うまでは死ねないと思っていると思います。
去年も2回血を吐いて、上からも下から下血も致しまして、病院から病院へ搬送されてもう助かりませんと言われたのをですね。
乗り越えてくれたんです。

ですからやはり私がここで頑張らないと母に申し訳ないなと思いまして、皆様の前でご協力を願うのも、最後の最後にみんなと笑っていただきたいと言う気持ちで、喜んでいただきたいと言う気持ちで私いつも来ております。
ですからこれからも皆様方のお力を借りて、あとは政府が一生懸命やっていただかなければいけないと思いますので、どうかこれからもよろしくお願いしたいと思います。

本当にこういう場でお話させていただけると言う事は、私たちの家族は一日でも早く帰って来られると言うことですので、なんとしてでも私は時間がないから、家族みんな時間がないから助けていただきたく思って、皆さんの前でお話させていただきました。
ありがとうございます。
これからもよろしくお願い致します。(拍手)
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