2006年10月02日

06.9.18 荒木和博氏1 南越谷集会(8)南越谷サンシティにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

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今日は天気のお悪い中、多数の皆さんにお集まり頂きましてありがとうございました。
私、特定失踪者問題調査会の代表をしております荒木でございます。
今日は本当はうちの専務理事の真鍋が来ることになっておりましたんですが、ちょっと変えられない用事が出来てしまいまして、私がピンチヒッターで参りました。
ちょっと期待をされていた方には申し訳ないんですが、お許しいただきたいというふうに思います。

今日、これから画面を使いましてお話させて頂きますが、その前に今佐藤さんのお話の中で極めて重要な意味がございます。
というのは、我々どうしてもこの拉致問題という事で見るときにですね。
日本人の拉致のことばかりどうしても目が行ってしまう、と言うことでございまして、そうするとこの方々を取り返すということだけに視点が集中するんですけど、実はこのことだけに視点を集中させることが逆にですね。
問題の解決にとって決してプラスばかりではない、ということもあるんですね。

この先ほど佐藤さん仰ったように拉致問題の一番の根源と、それから北朝鮮の人権問題の根源はどちらも全く同じでございます。
私の話の結論にもなりますが、この問題の解決というのは北朝鮮の体制を変えてしまう以外にですね。
いかなる解決の方法もありません。
途中でですね。
金正日がごめんなさいと言って拉致被害者を皆返してくるということは絶対に有り得ないことでございまして、我々はその点は覚悟していかなければいけない。

私自身も北朝鮮の人権問題というのは最初からやっていたわけでもございません。
拉致問題で横田めぐみさんのご両親と一緒に動くようになり、やがて家族会が出来て、そして一緒にですね。
家族会の方々と救う会の活動をやるようになり、そういう中で韓国の拉致被害者のご家族の皆さんと一緒にやることになってですね。
実は救う会の最初の署名用紙というのは「北朝鮮に拉致された日本人を救出しよう」と言うような事になっておりました。
これが韓国の被害者の方々と一緒にやるようになって、「北朝鮮に拉致された人々を救出しよう」ということになり、その署名用紙の中に、韓国人の拉致の事が書かれるようになりました。
私自身、それをやっていく中で今度はですね。
北朝鮮の人権問題というのを、やはりこの深刻さと言うものを考えるようになって参りました。

ここにおいでの皆さん、それぞれに拉致問題に関心があってお出でだと思いますが、機会がありましたら北朝鮮から脱北した方々、姜哲煥さんですとかそういう方々がですね。
一体北朝鮮でどういう酷い目に遭って来たか?ということを、ぜひ一度本をお読みいただければというふうに思います。
必ずそうするとですね。
こういう体制だから拉致が起きるんだということがお分かりになる、というふうに思います。
私もそういうことでやって参りまして、本当にやるにつけですね。
今年も9月になってしまいましたけども、毎年冬が近づきますとまたこの冬が過ぎる頃までにはですね。
子供たちが何人も死んでいくんだろうなという思いをせざるを得ないわけでございまして、そういうことも含めて全ての拉致の解決が必要であろうというふうに思う次第でございます。

これからちょっと画面の方を見ながらご説明をさせて頂きます。
この拉致問題を考える上で是非とも一番ご理解いただきたいと私が常々言っている事なんですけど、これはですね。
救出運動と言うのは被害者の方々とかそれからご家族の方ですね。
皆さんが可哀想だからやるんではない、と言うことでございます。
これはあくまで自分とかですね。
それから自分の家族を守る事につながるものなんだ、ということでございます。

これ、どういう意味か?
今拉致をされている方々を助ける事が出来なかったらば次はここにおられる、今日は特定失踪者のご家族・拉致被害者のご家族の皆さんがいらっしゃいますが、全くそうではないと思っている方でもその後家族が拉致をされる可能性がある、という事でございます。
もともと拉致被害者の方々と言うのは誰一人としてですね。
自分がまさか北朝鮮に拉致されるなんてことを思っていた方は一人もいないわけでございまして、そういう方々が拉致をされている。
ですからその対象になる可能性はどこにでもある、という事でございます。

それから拉致以外の別の主権侵害ということがですね。
これ北朝鮮以外の国によって行われるかもしれない。
ひとつの例としてはこの間のロシアの漁船に対する銃撃なんかがございましたが、日本が何もしないという事であればですね。
周りの国と言うのは当然、じゃあもっと踏み込んで何かしても良いだろうと、いうふうになってくると。
これは竹島の問題もそうですし、あるいは尖閣の問題もそうですし、みな同じです。
ほったらかしても何もしない国だと思われてしまえば、その次にまた別のことをされるということ、でございます。

被害者とか家族が可哀想だからという思いだけ、これは私自身もここから入ってますので、これ自体を否定するわけではないんですが、これだったらどうなるか?
すると、北朝鮮が例えば日本にミサイルを発射するぞと、同じことは今でもずっと言っていますが例えばこうやってですね。
何月何日にミサイルを発射するぞというふうに例えば言ったとした時に、こういうふうになるだろう。

被害者とか家族の人たちも可哀想だと。
可哀想だけども、しかしそれを助けようとしてもっと被害が出たら困るじゃないか?と。
そうするとどうなるか?
じゃあちょっと拉致のことを言うのは止めておこうと、もうちょっと控えておこうという話になる。
で、そうするとどうなるか?というと、恫喝すれば効果があるんだなと北朝鮮は学習するわけです。
そうするともっとですね。
じゃあミサイルを撃つのを止めさせようと思うんだったらばこれこれこういう事をしろと。
例えば今であれば経済制裁を解除しろとか、そういうふうに言ってくる。

経済制裁を早く解除すれば話し合いに乗ってやるぞというふうに言われた場合に、日本の中で当然ですね。
これ拉致問題の解決のためにも話し合いに乗っかった方が良いんじゃないか?と、その為には経済制裁一度止めても良いんじゃないか?という声が出てくる可能性があります。
そうなると北朝鮮はどうなるか?というと、日本が良い事をやってくれたと。
だからこっちも誠意を見せよう、ということには絶対になりません。
どうなるか?というと日本はミサイルを撃つと言ったらこれだけ譲歩したと、じゃあ次何かあったらもう一回言ってやろうと、もっときつい事を言おうと。
そうするともっと譲歩するに違いないというふうに思ってくるわけでございまして、結局問題は進行化していくと言う事なんですね。

これひとつ、拉致の中の例でございますけど、原敕晁さんの拉致事件というのがございました。
昭和58年の6月ですね。
ちょうど田口八重子さんと同じ頃になりますが、原さんは大阪市内の中華料理店の店員でした。
58年の6月に騙されて宮崎県の青島の海岸に連れて行かれまして、そしてその工作員、辛光洙と言う工作員が原さんに成り代わって、全く他人なんですが原敕晁としてスパイ活動を続けて参りました。
そして昭和63年にこの辛光洙は韓国に入国して逮捕されます。
で、原さんを拉致したという事を自供します。

平成14年ですね。
14年になって小泉訪朝で初めて北朝鮮は原さん拉致を認めると。
これまでは韓国であれだけ証言しているにもかかわらず、原さんの拉致と言うのは一切認めませんでした。
翌15年に中華料理店の店主らを原さんの拉致の実行犯として、大阪の吉田府議あるいは八尾の三宅市議がですね、告発をする。
そして18年、今年になってから中華料理店とか大阪朝鮮総連の関係施設を家宅捜索しました。
しかし、今もですね。
猶原さん拉致に関する犯人は一人も逮捕されていません。
それからもちろん、原さんは帰って来ていない。
北朝鮮は死んだと言っています。

実はこの原さんの事件だけではなくて、いまだにですね。
一人として拉致事件の加害者として罪を問われた、略取誘拐で何年間と言う罪を問われた人間というのは一人もいません。
政府認定16人いますけども、その誰についても事件は立件されていない。
つまり、拉致と言うのは過去の事件ではなくて現在と未来にかかわる事件であるという事です。
全く誰も捕まっていないという事は北朝鮮に対してどういうメッセージになるか?と。
ああ、日本という国は拉致をやっても誰も捕まらないんだと、安心して出来るんだというふうになるわけです。
安心して出来るという事になるとどうなるかと言うと、またやるという事に当然つながって参ります。

2週間くらい前だったと思いますけどフジテレビの報道でですね。
スイスで拉致じゃないか?というような動きのですね。
ちょうどたまたまテレビのスタッフが調べていたらば、スイスの大使館でパーティーやるんで来ないか?と言うふうに誘われたと。
自分たち行かなかったけれども、その後誘った相手を尾行して行ったらば、途中で田舎の駅でですね。
車に東洋系の女性、おそらく中国人だと思いますが、女性とですね。
そして西洋人の男性を乗せてそして北朝鮮の大使館に入って行ったと。
後でここでパーティーがあるんだと聞いたんだけどもと言ったら、誰も入って来ていないと。
そんな事は無いと、いうふうに答えられたという報道がございました。
ご覧になった方もおられるかもしれませんが、あれが拉致であるというふうに断言は出来ないんですけども、最初ですね。
このテレビのスタッフから電話を受けまして、実はこういうことがあったんですと、いうふうに向こうが聞いてきたときはですね。
どうも局の中で話をしたけれども、何か半信半疑だったそうであります。

私はですね。
話を聞いて、ああ連れて行かれなくて良かったですね、と言うふうに申し上げたんですが、どういう形か分かりませんがやはり人間を連れて行こうとしたんであろうと。
本人たちがあるいはひょっとしたら留学などとして行ったのかも知れませんが、いずれにしても少なくとも正しい方法ではなく人を連れて行こうとしたんではないだろうか?
あるいは連れて行こうとしたんではなくても、中で協力者を作ろうとしたんではないか?という事で、基本的にはやってる事は全く変わりません。
だからこれから先も拉致をやる可能性は十分にある。
そのときに今まで政府が認定している人の犯人を捕まえていないということ事態がですね。
北朝鮮に対して大変誤ったメッセージを与えるという事になる、ということであります。

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この写真は富山県の黒部川の河口でですね。
発見された水中スクーター、今から6年前ほど前に発見されたものであります
平成11年から12年の間に埋められたものなんですが、全長160センチで重量78キロ。
写真の左上に取っ手みたいな物がありますが、ここに捕まって工作員が移動するために使うものです。
見つかった場所はこういう場所なんですが、もちろん夜は本当に人通りが無い所なんですけど、非常に開けた場所です。
左下のこの写真の砂地のあたりに埋めてあったものが、雨で砂がだんだん露出していって見つかったという事で、これは本当につい最近こういうことが行われていた、いうことになります。

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それから今のはつい最近ですが、これはすでに40年以上前、能代事件と言う公安関係者の中では有名な事件がございます。
秋田県の能代の海岸に2回に亘って工作員の死体ですとか、あるいはこういうゴムボートとか装備が打ち上げられたという事件です。
その装備はこういうピストルですとか、あるいは上陸したときに一般の民間人を装う背広ですとか、様々なものが打ち上げられておりました。
これはたまたま失敗したからこういうふうになっているわけであって、大部分の侵入は成功しますから。
つまりこういうですね。
ピストルを持ってごく普通の民間人の格好をした人が日本国内を平気な顔をして歩いていると、これは「いた」ではありません。
歩いて「いる」と言う事であります。

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日本の海岸と韓国の海岸ですね。
こうやって比べてみると分かるんですが、韓国の海岸と言うのはこうずっとですね。
鉄の柵が巡らされています。
下の写真の左のですね。
端の方にちょっと小屋のような物が見えますが、これは韓国軍の警備歩哨です。
夜になりますとここにですね。
実弾をこめた銃を持った兵隊が立って、そして警戒をすると。
海は船がパトロールをすると。
そういうところでも平気で北朝鮮の工作員と言うのは入ってくるわけです。
今は韓国の政府がめちゃくちゃですからこんな事をしなくても入って来られますが、おそらくそれでも入ってはいるだろうと思います。

で、これと日本の海岸とを比べてみれば、一目瞭然なんですが日本の海岸と言うのは全くですね。
警備をしていない。
鉄の柵も無ければ、自衛隊員が警備をしているわけでもありません。
ちなみに今、陸上自衛隊のですね。
隊員と言うのは約16万くらいですから、これを例えば張り付けて休みも何も関係なく守らせようとして、どれくらいの範囲を守れるか?と言うと、全部投入して青森県くらいが精一杯と言う事だそうです。
全く出来ないということであります。

先ほどお話をされました、大澤さんがいなくなった佐渡と言うのはですね。
形を思い出していただければ分かるように、面積の割りに非常に海岸線が長い。
しかも人口が少ない所でして、船の上陸とかですね。
進入と言うのはきわめて簡単な場所だというふうに思います。

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これは皆様も本屋さんで手に入りますので、立ち読みでも結構ですから一度ご覧頂いたら良いと思うんですが、「我が朝鮮総連の罪と罰」と言う本がございまして、これ韓光熙(ハン・ガンヒ)、ハンは韓国の韓に光にヒは朴正熙の熙ですが、と言う元朝鮮総連の財政局の副局長ですね。
この人が一人で設定した進入ポイントです。
全国を回りまして海岸で、こういうところなら入りやすい、ここだったらば入っていく方が目印になる。
それから待っている方は見つかり難いという場所を探した場所が、鹿児島から北海道まで38ヶ所、載っかっております。

で、大澤さんのいなくなった佐渡も2ヶ所か3ヶ所確かあったと思いますが、これだけの場所を一人で設定したと言う事であります。
あくまで一人です、一人。
こんなことをやったのは一人だけではありません。
何十人もの人がやっているわけですから、何百ヶ所もですね。
おそらく太平洋側も含めて進入するポイントがあったのであろうと、あったというか、あるのであろうというふうに思います。
ここから自由に出入りして、そして時には人を連れ出しあるいは拉致して行き、または弾薬を持ち込んだり武器を持ち込んだりとかですね。
あるいは日本の機密情報を持ち出したりとか言う事をやっていたという事であります。

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これはもうご覧になった方もおられると思いますが、今から5年前の九州南西沖の工作船事件で沈没した北朝鮮の工作船でございます。
この船はですね。
船の事に詳しい方は見て頂ければすぐにお分かりと思いますが、非常に切り立ったV字型の船首をしております。
これは漁船の形とは全然違うんでありまして、ともかく如何にスピードを出せるか?ということだけを考えて作った船です。
で、この船で40ノットくらいのスピードが出ます。
この船の後ろが開きまして、そこからこの右側の工作小船というふうに言いますが、ちょっと一見するとポンポン船のように見える小さな船が出てきます。
この船は何でもない船みたいに見えますが、実は50ノットくらいのスピードが出る非常に高性能の船でございまして、これで海岸近くまで行ってからこの下のゴムボートですとか、あるいは先ほどの水中スクーターで上陸をするというふうになっています。

今の船にはですね。
対空機関銃とかあるいは地対空ミサイルとか、そういうですね。
様々な武器が積んでございます。
あの時はこの船はですね。
元々海上保安庁の船か銃撃は受けてもちろん破損はしているんですが、それで沈んだわけではありません。
そのまま逃げられれば逃げられたかも知れませんし、あるいはもっと反撃出来たかもしれませんが、船底に穴を開けてですね。
そして沈んでいったという事でございます。
我々は日本という国は平和だと思っておりますが、この平和な日本に自分で死ぬ事を覚悟して、そして非常に重武装の武器を持ってですね。
入ってくる人間がいるんだという事だけは、我々は覚えておく必要があります。

で、今お話したのは海岸線のお話です。
しかし、埼玉は言うまでも無く海がございません。
海が無ければ大丈夫じゃないか?と言うふうに考える方もおられるかもしれませんが、そう思うとですね。
なんで川口であんなにたくさん人がいなくなっているんだ?ということが、理屈が分からなくなる訳でございます。
問題は海岸だけが危ない、と言うことではないという事なんですね。
イメージとしてはこの拉致と言うのは、海岸で待ち伏せされてそして袋に詰められて連れて行かれると言う事があります。
しかしこれは完全な思い込みです。
田口八重子さんだって全然海でやられているわけでも何でもない。

連れ出されている場所は皆さん当然海ですが、しかしそこに行くまでの実際の拉致というのは、誰を拉致するか?ということを時間を掛けて調べて、そして騙して連れて行くと言う事の方が多い、と思われます。
全く海岸で待ち伏せされてというのが無いとは言えないと思いますけども、実際にはそれほど多くは無い。
先ほどの原敕晁さんの事件だって連れて行かれたのは青島海岸ですが、実際の拉致の舞台は大阪市内ということになるんです。

内陸での拉致をするためには当然・・・(聞き取れず)スパイとか協力者が必ず必要になります。
しかし先ほど言いましたように、誰一人として罪に問われた人というのはいません。
これまで拉致の実行犯として逮捕された事があるのは、久米裕さんの拉致。
久米さんと言うのは東京三鷹市(役所)のガードマンですけども、この人の拉致における東京のサラ金業者の李という男ですが、これだけです。
しかしこの李と言うのは結局ですね。
起訴されませんでした。
警察はしたかったようですけども検察が言う事を聞かなくて、結局不起訴処分で終ってしまって今でもこの人物はですね。
東京の今は現西東京市で普通の市民として、一回も罪を問われたことなく暮らしております。

・・・その2に続く・・・


posted by ぴろん at 20:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(南越谷集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

06.9.18 佐藤悟志さん(RENK) 南越谷集会(7)南越谷サンシティにて

『佐藤悟志さん(RENK)の講演』

★司会 古藤勝次 埼玉救う会副代表

それではですね。
次にRENKの佐藤さんからお話を伺いたいと思います。
私どもはですね。
北朝鮮に拉致された日本人を救出するのが目的で、RENKとは目的が違います。

ただ、最近ですね。
私どもも北朝鮮のあの現体制が今のままで果たして拉致、あるいは特定失踪者の方を全員奪還出来るんだろうか?
やっぱり拉致問題を解決する為には、あの政権を何とかしないと何ともならないのではないか?と、そういう思いが非常に沸いて来てます。

そういう意味でですね。
北朝鮮の民主化と現政権の打倒ということを目的としているRENKの人のお話はですね。
ぜひ興味を持って伺いたいと、そういうふうに思っています。
佐藤さん、よろしくお願いします。

★佐藤悟志さん

(拍手)
どうもはじめまして、佐藤悟志です。
今日は古藤さんの紹介でRENKと言う事だったんですけども、RENKと言いましても要するに北朝鮮の民主化という一点で寄り集まっています団体でありまして、それ以上細かい意思統一があるわけじゃないので、中では左翼の人からネオコン的な私のような人物まで幅広く寄り集まっている団体で各人それぞれに活躍しているという形ですので、一応今日はRENKの会員と言うことで話をさせて頂きますけども、私がRENKの代表的な人物と言うわけではございませんが、RENKの会員の一例と言うことで話を聞いていただければ有難いと思います。

本日は東部の会結成と言うことで、これから頑張って頂きたい、ともに頑張っていきたいと思っていますけど。
ご存じない方もいると思うので一応RENKの簡単な紹介をしておきますと、テレビ等にも出演している李英和という関西大学の教授をしている人物が代表をやっておりまして、そのもとに私たちが集まっているわけですけども。
李英和が90年代の最初の頃に北朝鮮へ留学しまして、それで北朝鮮の現状を見るにつけて、これでは拙いのではないか?という事で、北朝鮮の民主化というようなことを掲げて。
それまでいろいろ政治活動をしていたんですけど、その仲間を集めてRENKを結成して大々的に北朝鮮の問題について活動をしたのが最初が93年だったんです。

今は拉致問題等で雰囲気は変わっているんですけども、当時は本当に今と全然違う感じでありまして、李英和が仲間を集めて北朝鮮の現状について告発したりと言う集会をやろうとしたんですけども、朝鮮総連の大部隊が襲って来ましてですね。
集会もデモも、完全に潰されてしまうっていうんですか?
要するにこういう集会をやっているところに団体がわぁっと入り込んでめちゃめちゃにして追い出すっていうんですか?
それで警察も一応来ているんですけど何も役に立たないっていうか、今でも多少そういう所があると思うんですけど、朝鮮総連というかそっちの方には手を出し難いというか、規制し難いという状況がありましてですね。
本当にやりたい放題のことをやってきまして、パレードも予定していたんですが、そういうものも全く出来なくなってしまって、参加者も老若男女が怪我を負わされてしまうということがあってですね。
と言う中でRENKの結成を行ったんですけども、そのころから比べると今の雰囲気と言うのは本当に変わって来たんですけど、初めはそういう感じだったと。

その後、小川晴久先生がやっている、「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が結成されて、それが94年に集会をやったんですけども、神田だったかな?
そこにも朝鮮総連の大部隊が襲ってきましてめちゃめちゃにされるということが当時ありまして、そういう中で、特にそれでも彼らがやられたのは一応在日という事で、内情についていろいろ詳しかったりしたので、そういうそういう奴にしゃべられるのは非常に厄介と言うか困るというか、生意気という事で潰されてしまったんですけど。

そのときにRENKが、やられたままではいかんということで刑事告発をして、それを受けて警察の方で初めてですね。
朝鮮総連の方にガサ入れが行われましてですね。
結局たいした処罰はされなかったんですけど、向こうの総連の幹部の方は。
ただそのときに総連本部の名簿がいろいろ警察の手に入ってきて、朝鮮総連がびびりましてそれ以降余りやって来ない、と言う状態になりましたけど。

そういう厳しい中で、当時万景峰号の入港等に関しても抗議船を出して抗議したりと、90年代の最初の頃ですけどね。
RENK的には挑戦的なことをやってきたのではないか。
こんな感じでやってきたんですけども、その中で結局組織的には、「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」と言うことになっていますけど、結果的には北朝鮮の民主化が必要なんではないか?と。
食料を送るという人道的なこともチラッとやったことはあったんですけど、結局それはほとんど意味がないというか、ほとんど北朝鮮に届かないで途中で全部抜かれてしまうということがありまして、結論的に北朝鮮現体制を解体しなければならないんじゃないか?という事で最近は、そういう主張と言うか宣伝活動を中心にやるようになって来ています。

で、そのような襲撃されているという経験を通じて僕なんかが感じたことですけど、やっぱり僕らまだ日本だから生きていられるんですね。
これがそれこそ北朝鮮だったりすれば全然生きていられないというか、例えば僕らが総連に襲撃されたりありましたけど、北朝鮮で朝鮮人の人たちが、あるいは日本から拉致された拉致被害者の人たちが、こうむっている暴力と言うのはそれの数千倍というか、数万倍と言うか、想像を絶するような酷い重圧と言うか暴力が北朝鮮の現体制によって加えられているということを、多少なりとも自分の体で想像する事が出来るようになったということで、襲撃されたことも結構いい経験になったのではないか?と、いうようなことも私的には考えています。

ただ北朝鮮を民主化するといった場合、どうしたらいいのか?ということ。
いろいろ意見もあるでしょうし選択肢等もあるでしょうけど、私の個人的な意見としては、まず圧力が必要であると。
北朝鮮問題の場合には、これは北朝鮮問題ではあるけども、実は中国問題でもあるわけですよね。
北朝鮮と言うのは実は北朝鮮だけで成立しているのではなくて、そもそも朝鮮戦争のときに中国がそれこそ何百万と言う軍隊を押し立ててきて韓国軍、米韓連合軍を押し返してですね。
北朝鮮をこしらえ上げたというか、北朝鮮の縄張りを守ることによって北朝鮮と言うのが成立したわけですし、それ以降も北朝鮮に対し中国は食料なりエネルギーなりを援助し、尚且つ中朝友好協力相互援助協約というのがありまして、要するに軍事同盟ですよね。
北朝鮮がアメリカなどに攻撃されたときは、中国軍が行って守るんだというような軍事同盟を中国と結んでいることによって、北朝鮮と言うのは結構ああいう無茶なことをしまくる、ということが実は可能になっているわけですね。

私としては北朝鮮の関係する問題ですけども、結局後ろで糸を引いている中国に対して、これときちんと対決していかなければいけないんじゃないか?
そのためには、それこそ憲法改正とかあるいは核武装とか、そんなことも考えなければいけないかな?というのはちょっと最近考えています。
そういう大問題的な問題を考えていく必要はあると思うんですけど、ただ、今特定失踪者の家族のお話を聞いていて思うんですけど、じゃあ何のために北朝鮮を民主化したり拉致問題を僕らは取り組むのか?
どうしたらいいのか?何が必要なのか?ということを考えたときに、やっぱり正義が必要だと思いますよね。

先ほどのご家族の話にもありましたけども、彼らは別にお金が無かったとか、仕事が無かったとか、って言うことでいなくなったと言う訳ではなくて、普通に暮らしていたわけですよね?
で、普通に暮らしている人間が何の罪も無く何の理由も無いのに、家族を奪い去られて攫われてしまう。
というような現実があるときに、私たちはじゃあ普通に生活していくために何が必要なのか?
やっぱり正義と言うかむやみに攫われない、むやみに勝手な暴力に晒されない、ということがまず第一にこの国においても確立されなければならないんじゃないか?
それは先ほど話に出てきた飲酒運転の話もそうですし、あるいは広島の木下あいりちゃんの事件がありましたよね?
あの事件なんかを見ても、そしたら拉致問題を鑑みるにつけても、僕らはまず正義と言うものを実現しなければならないんじゃないか?
その正義も当たり前に生活している普通の人々を守るための正義、と言うことが大事なんじゃないか?と。

RENKの立場からもう一点言っておくと、北朝鮮に住んでいる人々も私たちと同じように生活があり、家族があるわけです。
しかし彼らはまさに、正義の反対の不正義の存在によって普通の生活を奪われて、北朝鮮において普通というか、まともな人というか、優しい人、他人に対して思いやりのある人から先に死んでいくというか、順番に死んでいく。
と言う現実があります。

脱北者の人たちが90年代後半の飢餓の状況についてお話されていたんですけども、まず最初にお年寄りの方から死んでいったと。
彼らは食料が無くなった時に、自分よりも若い人たちを守って、例えば子供たちとかね。
そういう子たちを生存させていくために自ら食料を絶って年寄りたちが死んでいったんだと、そのように伺いました。
しかしそのような努力もむなしく北朝鮮では子供たちも次々死んでいく。
あるいは食糧不足から病気になり、あるいは寒さに耐え切れずに手足が腐っていって手足が無くなっていく中で死んでいくというような、厳しい状況におかれています。

これと拉致問題の元凶と言うのは実は全く同じなんですね。
北朝鮮に存在している不正義の塊と言うか、最悪の不正義であるところの金正日体制、これの存在によって彼らもそして私たちも苦しめられている。
従って結論的に言えると思うんですけども、拉致問題の取り組みも含めて北朝鮮の金正日体制との戦いは日本のためだけでなく、朝鮮とかひいてはアジアの解放のためにも正義の戦いであるということは言えると思います。
私が言えるのは今日、これくらいです。
どうも長々とありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・
06.11.12
佐藤氏ご本人の校正を経て、本文の一部の修正・加筆等を行いました。
posted by ぴろん at 20:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(南越谷集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

北朝鮮人権問題啓発週間 早速電突しました

言いだしっぺの自分が何もしないのでは洒落にならないので、早速地元の市役所に問い合わせの電話を入れました。

啓発活動の担当が分からないのであちこち電話を回された結果、つながったのがうちの場合は社会福祉課でした。
担当者のお話では、北朝鮮人権問題啓発週間に関しては法律が制定されていることは承知している事。
そして、これに関して各自治体でもふさわしい啓発活動をするように、と言う通知は9月12日付で市役所の元にも来ているのだそうです。
ただ、具体的にどんな活動をすべきか?については、法務省が決めて下に連絡を落としてくるとの事で、現在ではその連絡待ちという状態との事。

担当の人の話しぶりでは、上からの指示の範囲を超えて自主的に何かをする、という感触は率直に言ってありませんでした。
市民の一人としてこの問題に強い関心を持っている事をお話し、市役所としてもこの機会に啓発活動を後押しして市民への周知に協力を、とお願いしたことで一歩進んで積極的に動いてもらえる感触はあったと感じました。
啓発活動の後押し電話作戦は、行政を動かすという意味で効果はあると感じます。
ぜひ、皆様方の協力をお願いいたします。<(_ _)>


余談ですが、担当者のお話では、調査会のポスターは過去に上部組織から自治体に1枚程度は配布されたことがあるらしいです。
でも一自治体に1枚のポスターでは余りにも宣伝効果は薄い・・・涙
そこで一歩強く踏み込んで、この機会に調査会のポスターを市の予算で購入して市内の各施設に貼り出すことを検討してもらえないか?とお願いしたところ、即答は出来ないが検討の余地はあるという感触は得ました。

市役所の担当者とお話して感じたのは、お役人は徹底して『待ち』の姿勢なんだな、ということ。
調査会のポスターにしても、「調査会の方から市役所の方へポスター掲示のお願い等はあるんでしょうか?」と聞かれて、思わず卒倒しそうになりました。
そんなもん、普通に考えて一民間団体の調査会が全国自治体にお願いできる余力があるわけ無いじゃん!
で、そこはこちらも少し強く出て、市の方から調査会に問い合わせれば、いくらでもポスターを入手することは可能ですと申し上げて、調査会の連絡先を教えて差し上げました。(^^ゞ

もうしばらくしてから、法務省から上意下達とやらの連絡があった後、市としてどういう啓発活動をするのか?
もう一度再確認の電話を入れようと思っています。
世論の裾野を盛り上げるため、微力ながら実力行使をしたいと改めて思った次第です。

北朝鮮人権問題啓発週間に向けての自治体の尻叩き作戦は、意外と効果があるかもしれません。
法律の効果は、やはりお役人にとって絶大なんですね。
ぜひ皆様のご協力をお願いいたします。
posted by ぴろん at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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