2006年11月11日

06.10.15 飯塚繁雄さん1 那珂市集会(3)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『飯塚繁雄 家族会副代表の講演 その1』

那珂市の皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声)
日頃からこの拉致問題につきまして、深いご理解とご支援を頂きまして本当にありがとうございます。

先ほど荒木先生の方からもお話があったように、この問題の一番力になるパワーと言うのは国民の皆さんの世論です。
それだと私も信じております。
当時、1997年に家族会が結成されて、そのときはまだ私は入っていなかったんですけども、いろいろ皆さんに訴えるべく署名活動なりあるいは議員会館なり国会の前なり、訴える機会はかなりあったんですけど、その頃は本当に冷たい白い眼で見られていまして、「なんだあいつらは?」と言うような感じでしたね。
もちろん国会議員の先生もあるいは・・・(聞き取れず)方もそういう感じでいたという事を聞いています。

それが、失った家族を思う残された家族の大きな力と言うか地道な努力によって、更にそれを助けるべく全国のボランティアの方々のおかげでようやくここまで来たという感じでございます。
ましてこの所、今年になってからですね。
特に安倍官房長官になってから、この問題を絶対に風化させてはいけないという強い意思の下に素早い対応を出して来ておりました。
そういう事では私も今までにない絶好のチャンスだというふうに私も感じていますけども、私たち被害者家族だけでは何も出来ません。
北との交渉・対応は政府が進めるしかないわけですから、私たちは政府にもお願いし、あるいは先ほど言ったようにパワーをより強くするために全国に飛び回り、皆さんにこの問題を解決するをご興味を頂きにお願いに参って来ております。

私も埼玉県の上尾と言うところに住んでいるんですけど、茨城はもう4回目でしたかね。
皆さんに訴え続けております。
最近特に横田めぐみさんの話題がほとんどを占めている状況の中で、まだまだ同じような目に遭った被害者の方がおります。
そういう中ご存知の通りですけど、私の妹・田口八重子をはじめとして、まだまだ認定者とそれ以外の特定失踪者の方がたくさんいるはずです。
そういう意味ではもっともっといろんな家族の人の話を聞いていただき、更なるご支援をいただきたいというふうに思うわけですけど。

ちょこっと若干、私の妹の話をしますと田口八重子、まぁ訳あって母子家庭を営んでおりまして、1歳の男の子と2歳半の女の子が当時いたんですけども、22歳のときに東京の池袋から失踪をしたわけです。
先ほど話がありましたように拉致被害者と言うのは何も海辺の海岸だけでは無い。
東京のど真ん中からでもそうやってさらわれてしまう。
これはですね、やはり北朝鮮が何かの工作・何かの企画をするためにそれを決行するために、足らないものは物だけでなく人をも連れて来い、言う工作だと思うんですけども。

例えば後でお話が出てくると思いますけども、私の妹につきましては、例の大韓航空機の爆破事件の金賢姫。
これを日本人化して日本人にして、日本の責任であの事件が起こったんだと言うふうな企みであったようですね。
それからこれも荒木先生の方からまとめております拉致被害者の人のマッピングと言いますか、どういう人たちが連れて行かれているか?と言う話の中で、私が今言ったような大韓航空機の事件の攻撃のために連れて行くと。
私の妹は結婚の経験もあり子供を生んだ経験もあり、あるいは女の人としてのファッションなり情報なり嗜好品なりなんかの全てそういった条件の持ち主だったという事が、たまたま白羽の矢を立てられたという事なんですけども。
その他、いわゆる偽ドル偽札つくりの印刷工、あるいはそれに関係する機械工、それから看護婦さんとかそれから銀行マン、それからIT技術に関する技能を持った人たち。
こういった人に狙いをつけて拉致して行ったというのがある程度分かっております。
そういう中で私の妹については、それこそ人口1億2千万分の1として白羽の矢が立ってしまったんですけども。

当時私たちは妹が失踪したときになんでいなくなったのか?と言うのが、全く分かりませんでした。
2〜3日経てば帰ってくるだろうという事で、高をくくっていたわけですけども、何せ1歳と2歳の子供ですから放っておくわけにも行かない。
当時ベビーホテルと言うのに預けてあったんですが、そこへも置く訳にはいかないという事で我々きょうだいで子供を引き取ったわけですけども。
1週間経てば帰ってくるだろう、あるいは1ヶ月経てば帰ってくるだろうというような気持ちでいたんですけども、全然その情報がない。
例えば交通事故でしたらすぐ情報が入るでしょうし、何か犯罪に巻き込まれたとしてもそんなに時間がかからないうちにハッキリするでしょうし。

という事で情報も何もない中で、とりあえず子供だけは面倒を見て育てていかなければいけないという事で、当然常識でいってもまず子供だということで家族で話し合って、私が長男の耕一郎、私の2番目の妹が姉の、本名はあえて言えないんですけども、それを引き取ってずっと育ててきた。
育てるのはこれは並大抵のことでは無いんですけども、私も子供3人おりましたしもう一人来て4人と言う中で生活があの頃苦しいあの中で、女房もパートを辞めてまた子育てと言う中で何とか過ごして来たんですけども。

耕一郎については絶対にこの事は内緒だよという事を貫き通して来ました。
これは赤ちゃんのときは分かりませんけど、物心つくについて自分が養子だとか、後でわかったんですけども恐れ多くも北朝鮮に拉致されてしまったと、そういう物凄い大きなショックにさらされたらどうなるだろう?と言う私の心配がありまして、私の子供たちにもこの事は耕一郎が20歳になるまでは絶対に内緒にしておくんだと、しゃべってはならないぞと言ったんですね。
ただ子供たちは、たった一言「分かった」と言うだけで、それが20年も約束を守ってくれた。
これが一つの私もホッとした面ですけども、そういう事で無我夢中で育てて来ましたね。

これが妹の行方についてハッキリと分かったのは、先ほどからお話に出ているように大韓航空機の犯人の金賢姫が自殺に失敗して生き残ったという事で、自白・自供をしてくれたわけですね。
証言してくれたわけです。
言ってみれば、金賢姫が死んでしまったら未だに私の妹はどこいいるか分からない、いう事になるわけですけども。
それにしても物凄い事件に巻き込まれているんだなぁと実感がひしひしと迫ってまいりまして、当初はそんな大それた事になるはずがないとか、あるいはそういった事にはなりたくないとか、そういう気分的に拒否をしましたけども。
警察の調査、先に言いましたけど金賢姫の証言によってこれが徐々にハッキリして行った訳ですね。

金賢姫の先生は日本人女性で、リ・ウネと言う女性でした。
20ヶ月の間、一緒に過ごして来たという事ですべて彼女の事を知っていましてね。
それを彼女の出版した「忘れられない女(ひと)」という単行本に出てますけども、その中の概要については過去の調査と全く違わない。
その通りだという話を頂いてます。

捜査の段階で90年から91年ごろなんですけども、日本の警察あるいは政府が本人と面会していろんな調査をしたわけですが、日本人女性と言うだけで誰か分からない。
10枚の写真を持って行きましてですね。
金賢姫の前に並べて、「この中におりますか?」と言ったら、懐かしそうな顔をして「この人です」とハッキリと指差したのがうちの妹だった。

そのときは名前は実はさっき言ったようにリ・ウネと通していたので、これは工作用の専門的な名前なんですね。
ですから誰も知らない。
工作関係に携わった人でなければ誰も分からない名前でして、しかしながら金正日は「リ・ウネなんがいない、だけど田口八重子は拉致をした」というふうに言ってるんですよね。
全くこれが切り離された関係を維持していくためにそう言っているんでしょうけども、だったらなぜ田口八重子を拉致したんだ?という事にもなるんですけど、後の真相究明で多分分かると思う。

そういう中で私たちは更にびっくりしまして、そんな大それた事件に巻き込まれてこれからどうしよう?と慌てふためいたわけですけども、その発表があってから公開しましてからマスコミの皆さんも騒ぎ立てまして、もちろん私の家あるいはきょうだいの家にすべて夜討ち朝駆けで取材に参りましてですね。
いわゆる大韓航空機の犯人と言うそういう見方で記事を書いていたようです。
要するに興味本位ですね。

私が言うのは、私たちの妹はこんな大それた事をするような人ではないし被害者なんですから、という事をしきりに訴えてはいたんですが、やはり記事の内容を見ると大韓航空機を爆破した犯人の一味と言うようなイメージで書かれている。
非常にそれに苦しみまして、これとの戦いもあったわけです。
しかも、先ほど言いました耕一郎に分かっては困るということで、相当苦労はしましたですね。
その当時私のお袋も、要するに八重子の母親も生きていたわけですけども、それから2〜3年経って「八重子がまだ帰ってこない、いつ帰って来るんだ?」というふうに、細々と言いながら亡くなってしまったと言う経過もありますけども。
これはある程度寿命だから仕方がないなと思う反面、自分が腹を痛めた子がまさか北朝鮮にいて苦しい思いに遭っているとは私は言いませんでしたが、特に。
「その内帰ってくるよ」と言う慰めの中で逝ってしまったんですが。

そういう状況の中で私たちは非常に苦しみながら時を待っているわけなんですけども、結局どう助けていいか?
私たちには出来ないんですね。
警察に届けたんですが、住所が池袋ですから豊島警察署に届けたんですが、届け人の所轄の警察署に行ってくれという事で上尾警察に行きまして「実はこういうことで私の妹が行方不明です」と出したんですけど、「はい、分かりました」ってそれで終わりなんですね。
決して積極的には調べてくれない。
逆に、1年経ち2年経ち、1年ごとに「何か情報はありませんか?」と警察の方から聞きに来るんですね。
これじゃとてもじゃないけど分からないなという事では、半分諦めの状況でもあったんですけど。

何しろ倅の耕一郎に対しては非常にかわいそうな子だと思いながらも、絶対にこれを内緒にすると言う徹底した私たち家族の思いで、やっと29歳になったんですけども。
言ってみれば29年も帰って来ていないんですね、子供の元へ。
だからそういう事を考えると、ちょうど本人は人生の一番大事な22から今帰ってくれば50です。
この人生の大事な部分を北に束縛されてしまっていると。
未だに帰って来ない。
これは取り返しがつかないことなんですけども、今となっては早く取り返してそれを何とかかんとかして挽回させて上げたいなと、言うふうに思うわけですけども。
中々それも遅々として進まないと言うのが状況でございます。

向こうにいるときにですね。
帰って来た(地村)富貴恵さんとかですね。
あるいは蓮池さんなんかにも聞きますけども、田口八重子さんは一生懸命頑張っている。
何を頑張っているのか?と言うと、北朝鮮の指導部があるいは指導員が言う事に対して、いわゆる優等生になろうと。
少しでも信頼される者になろうと言うところで頑張っていると言うんですね。
そうすればいつか帰って来られる。

招待所にいる賄いのおばさん兼監視員の人が言うには、「私は日本人でここに連れて来られた人を何人も見ている。その中でワイワイ騒いだり金正日の悪い事を言ったり非難したりする人は山に行ってしまう」
山って言うのはね。
多分収容所と言う意味だと思うんですけども、「だからあなたは苦しいけれども今ここに来たらすぐに帰れない。だから頑張りなさい」という事を言われて富貴恵さんと一緒に頑張ったらしいですね。
だから邪険にもされない粗末にもされないという事につながるんでしょうけども、そういった事を思うにつけ本当にかわいそうだなと、全くこれは悲劇だなと言うふうに思うんですけどね。

いわゆるこの状況は86年の7月まで1年ぐらい、めぐみさんと一緒に過ごしたという事実が情報がハッキリしていますけども。
ちょうどめぐみさんが金英男と結婚させられるために、その3号招待所を出て行ったと同時に八重子も出て行ったんですね。
その時の噂ですけども、八重子も誰かと結婚するんではないか?というような話が来ているんですね。
誰と結婚するかは分かりませんけども、向こうで結婚するとすれば北朝鮮人とは結婚しないと言うのはこれは決まっていますし、韓国人の拉致被害者か誰かかな?というようには憶測はしますけども、それは事実としては全く信憑性の無い話なので、そういう事をしながらでもですね。
生き長らえていて、いつか帰りを待っていていられると言う事を私は望んでいます。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このテキストの音声ファイルはこちらにございます。
ご参照ください。


posted by ぴろん at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(那珂市集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

06.10.15 荒木和博氏2 那珂市集会(2)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2』

で、これらの事は今日本で実は十分に出来る事です。
不思議なことですがこの国の中で拉致被害者の救出という話になったときに、自衛隊を使うとかそういう物理的な力を使って取り返すという事について、ほとんど誰もやっていませんでした。
常に話し合いでとかいう事でやって来た。

皆さん、「話し合い」と言うのはとってもきれいな言葉です。
話し合いで解決しよう、日本では何かとあれば必ずそう言います。
今回の制裁などについてももっと話し合いをいう事を口に出す。
それは結構です。
話し合いに応じる相手であれば話し合いをすればいい。
あるいは北朝鮮が「どうしても話し合いをしたいんだ」というふうに言って来たらば、そのときは応じるかどうかを考えればいい。
しかしこちらからいくら話し合い、話し合いと言ったって相手が応じる気がなければどうしようもありません。

大阪の池田小学校に刃物を持って入って来た宅間と言う男、あの男を前にして「話し合いをしよう」と言える勇気のある方はそういうふうにしたら良い。
相手が刃物を振りかざしてきてあるいは突き刺してきて、それでも私は話し合いをしたい、いうふうにいえる方はそういうふうにすれば良い。
しかし、もしそういうふうにしたとしても、ご自分が死ぬのは勝手ですがその後に後ろにいる子供たちがまた殺されていく。

この拉致と言うのは一種の戦争です。
個別の事件ではありません
私たちは戦争の中にいるんです。
この国は我々平和だと思って来ました。
確かにそれはそうです。
街中を夜の11時12時に女性が一人で歩いていても危なくないかもしれない。

しかしそういう事と言うのは本人が多少注意していればどうにかなるんです。
何の罪もない人が日本国内から外国の国家目的に従って連れて行かれる。
そのことに対して無力であったという事の方がよほど恐ろしいです。
これは個人が努力したってそう簡単に変えられる事ではない。
しかも更に始末の悪いことには日本政府はこのことについてず〜っと隠し続けて来ました。

横田めぐみさんの事件が昭和52年の11月15日に起きた。
それから間もなくしてこの国のトップはこの事件について知っていたそうです。
横田めぐみが拉致をされたという事は当時、日本海にいた工作船の無線とか、そういう物から分かっていた。
しかし、その問題は伏せられてしまいました。

私たちがこの失踪者の調査で全国各地、沖縄から北海道まで参ります。
あちこちで聞きますが、警察のOBの方とかいろんな関係者の方から、
「あの事件は拉致だという事はほとんど分かっていたんだ。そういうふうに言ったんだけど上に上げたらみんな潰されてしまった」
いう話と言うのは、非常に多いんです。

皆さんもし例えば、すぐ近くまで台風がやって来ている。
天気予報で「明日も晴れますよ、明日もいい天気ですよ」と言われていたところに突然台風がやって来たらどうなるか?
日本は台風がたくさん来るところです。
そういう自然災害が多いところですけれど、台風であれば天気予報で大体いつごろ来るか?そういう事は分かる。
分かれば皆それに対して備えをするんです。
何にも言わないんです。
何も言わない状態で突然台風が来たら大変な事になります。
それと同じ事がこの拉致事件でずっと起きて来たんです。

政府が認定している16人、皆さんがお持ちの政府が作ったパンフレットがございます。
そこに16人の顔写真が入っていて、後ろの方にどういう状況かと言うのが書かれておりますが、この16人をどうやって政府が認定をしたのか?
半分はマスコミが最初に報道した。
そして田口八重子さんなどは工作員が捕まって、そして自供した事によって分かりました。
曽我ひとみさんに至っては北朝鮮が先に出している。

日本の政府が国民の誰も知らないときに「これは拉致ですよ、北朝鮮という国が拉致をしようとしているんですよ」というふうに言ったケースと言うのは実はただの一つもないんです。
皆工作員が自供したり、マスコミが書いてしまったり、そういう事でもう仕方が無いから拉致認定と言うのをやって来た。
いうのが、この国の現状です。

日本政府が初めて拉致を認めたのは昭和63年の3月、この茨城県出身の当時国家公安委員長の梶山静六さんが、国会答弁の中でした事が最初でございました。
それによって初めて拉致と、これはおそらく答弁をした方も相当の覚悟をした答弁だったんでしょうけども、しかし残念ながらその後が続かなかった。
「拉致の疑いが濃い」とまで言ったにも関らず、それでは「その人たちを救うためにはどうするか?」と言うところまでは、この国は残念ながら動きませんでした。
そしてその状態がずっと続いてしまったわけでございます。

現在の安倍政権もその流れの中にあります。
だから安倍さんご自身は確かに拉致問題を解決したいと思っている。
それは間違いがない。
私も安倍さんとは何度も話をしておりますし、それは感じております。
しかし、あの政権の中にはそれを支える者の中には、これまで拉致事件を隠蔽し続けてきた力と言うものが間違いなく働いているんです。
だから任せて置いてはダメなんです。
安倍政権になったというチャンスを利用して、そしてそれを物にするのは我々の力でやるしか方法がない、という事でございます。

で、これをやっていくためにはまず誰がどこにいるかという事を調べていくという事もしていかなければいけない。
それも警察では出来ません。
基本的には軍隊がやる役割であって、自衛隊がやるべき役割でございます。
そして見つかった人について何とかしてアクセスをして、もし例えば中国にでも逃がせるのであれば逃がす。
あるいは東海岸でも回収できるものであれば何とか回収をする。
そしてそういう人たちについて北朝鮮側に返せという事を制裁と共に強く申し入れると共に、北朝鮮の今の体制を倒していくという事をすること以外に、取り返す方法と言うのは無いんです。

今、北朝鮮の政権と言うのは日本人の拉致だけをやっているわけではありません。
韓国人の拉致被害者と言うのは、今韓国政府が認定しているだけで500人近くの数になります。
それ以外に10ヶ国以上の国から拉致をしている。
韓国の場合はそれだけではなくて、50年以上前の朝鮮戦争のときに捕虜にした人たちをまた未だに炭鉱に入れて働かせている。
そして北朝鮮の一般の人たちも世界で最悪の人権状況の中で苦しんでいます。
また・・・(聞き取れず)の方が何人も行っておりますけど、北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、そしてその日本人妻をはじめとする日本人の家族なども北朝鮮の中で、あの酷い北朝鮮の中で最悪の状況で暮らしてしているわけでございます。
一言でも文句を言えば収容所に送られたり殺されたりしてしまう、いう状況です。
それをまとめて解決しなければ問題と言うのは全部・・・(聞き取れず)訳がない。

しかも拉致被害者の中には我々自身が気がついていない方もおられます。
今の政府認定者の中で、お手元の資料を見てお分かりになると思いますが、田中実さん・原敕晁さんそして久米豊さん。
この3人の拉致と言うのはすべて身寄りのない人を狙った拉致です。
身寄りのない人を狙った拉致が成功していれば、ご家族が声を上げることがありません。
つまり我々自身も、拉致と言うのは基本的にはご家族からお届けのあった人についての調査を中心としてやっていますから、全く誰も知らない拉致まで調べる事はとても出来ない。
しかし間違いなくその中で拉致をされている人がいるんです。

それから日本国籍を持っていない在日朝鮮人の拉致被害者と言うのもかなりの数います。
そういう方々は中々我々のところに来ない。
我々のリストに二人在日朝鮮人の方おられますけど、大部分の方はおそらく泣き寝入りをしているのであろうと思います。
そういう人たちも我々はすべて救う義務があるという事でございます。
そこまでしていかなければいけない。
そこまでする為にはどうしなければいけないのか?
あの今の金正日の体制をひっくり返すしか方法は無い、そういう事でございます。

今の金正日の体制は大変 曲がり角に差し掛かっています。
今、私自身が元々朝鮮半島の研究者ですが、4年前の5人を返して来た時と比べても全くリーダーシップが無くなったに等しいという状況です。
もう少し力を加えれば倒すことが出来る。
別に爆弾なんかを落とす必要は全くありません。
北朝鮮の中にもっともっと情報を入れて、そして今、金正日と最後まで手を結んでいるのか?
それともここで手を切って、北朝鮮の民主化とそして国民の安全、そして世界の平和のために立ち上がるのか?
どっちにするのか?と言う情報、そして宣伝活動を続けていけば自然とあの国は内部から倒れていきます。
そういうふうにしていかなければいけない。

私どもがやっております短波放送は一日朝夕30分ずつ1時間、毎日流れておりますけども、この中でも同様の事をずっと言い続けております。

「拉致被害者を返しなさい、そして我々自身も北朝鮮の民主化のために一生懸命努力をします、向かう道は同じです、一緒に立ち上がりましょう。
もし皆さんが拉致被害者を取り返すためにご協力をしてくれれば、我々は絶対にそれを忘れません。
しかし、もし皆さんが拉致被害者を取り返すことを邪魔するんであれば、私たちはそれも絶対に忘れません」

半ば脅迫みたいなものなんですが、しょちゅう北朝鮮からは脅迫みたいなことを言われていますから、たまに私が一言くらい脅迫しても別に罰は当たらないだろう、という事でやっているわけでございます。
そういうふうにしていくことで北朝鮮の体制を揺るがして、今もう周りから北朝鮮の事を何とか助けたいと思っている中国や韓国でさえ、それが出来なくなっている状況であります。
今このチャンスを絶対に逃してはいけないというふうに思っているわけでございまして、それを何とか我々としてはやっていく。

そして更に今丁度国会とかそういう所でですね。
私どもの放送についてNHKの施設を使って放送をさせてくれそうな雰囲気になって来ております。
総務省の次官がそういう事を検討するという事までわざわざ記者会見で言ってくれておりますので、我々としては何とかこれをFMを使ってやれる事はしていきたい。
この、どこだったか忘れましたが茨城県内に国際放送の送信施設があるんだそうです。
我々の放送は別の国から100kwで出していますが、その茨城の施設は500キロまで使える施設があるそうで、それを使って出せば現在北朝鮮で出している妨害電波も跳ね除けてですね。
一般の人たちに聴かせる事ができる

去年の初めにテレビ朝日の報道ステーションで流れましたのでご覧になった方もおられるかも知れませんが、平壌でも私どもの放送が聴こえたという事が確認されております。
そしてまたそれと別の情報で平壌でキム・ガクセイ(?)が聴いていて、北朝鮮の当局が問題視して何とかしろと言う通達まで出したとか言う話まで聞こえてきている次第でございまして、必ず拉致被害者の誰かは聴いていてくれると言うふうに思っております。
これを我々としてはともかくどんどんやっていく。

更にそれと併せまして韓国の北朝鮮の境のすぐ近くから風船でですね、ビラを飛ばすという作業もこれからしていくつもりです。
本当は今月中にやりたかったんですがちょっと間に合わなくなりそうなので、11月からですね。
我々のビラを北朝鮮に送っていくという事をやって、ともかく少しでも北朝鮮の中に情報を入れて、そしてあの体制をひっくり返して、あの北朝鮮に住んでいる2000万の人がそれぞれの立場で拉致被害者の人が自分の祖国に帰り、あるいは北朝鮮の人たちは中国に逃げている人たちは北朝鮮に戻ってきて安心して暮らせるようにしていくと。
あるいは在日朝鮮人の帰国者の人たちは戻りたいと言う意思があれば自由に日本に戻って来れるようにする。
そういう状況を何とかして作らなければいけない、いうふうに私どもは思っております。
これこそが解決でございます。

何度も言いますけども、あの北朝鮮の体制の間にいくら話し合いをしたって絶対に解決をしません。
もし例えば北朝鮮が援助したら拉致被害者を返してくれる。
一時的にはそれで評判は高まるかもしれません。
しかし現実にはその援助をもって、北朝鮮の金日体制は延命をしてしまう。
延命をすれば他の拉致被害者は更に苦しみを続ける。
他の一般の北朝鮮の人たちの中には、またこの冬を越せずにまた死んでいく人が増える。
それを許してはいけない。
我々としては、この千載一遇のチャンスに何とかして問題のすべてを解決していかなければいけないと言うふうに思います。
私自身、本年一杯でこの拉致問題を解決するという事を昨年来言い続けております。
それが実現しなければ自分なりの責任の取り方をするというふうにも申している次第でございますが、まさにその為の絶好のときに来たというふうに思うわけでございます。

皆さん、この日本と言う国は、もちろんこの那珂町もそうでございますけども、今住んでいる1億2千万の私たちだけのものではございません。
言うまでもなく国がこうやって豊かで安心して暮らせるようになるためには、何千年も何万年も前から私たちの祖先がこの国を作ってきて下さったわけでございます。
それがあり、あるいは戦争で命を落とし、あるいは災害で命を落とし、そういうふうにしていった人たちがいたから今日の日本があるのです。
そして私たちが死んだ後にはまた次の世代がこの地で生まれて、この日本を引き継いでいくわけでございます。
その過去と未来の日本人の数から比べれば、1億2千万と言うのはほんのわずかな数でしかありません。

私たちがやるべき事は何か?
私たちはその過去の我々の先輩たちと、そして後輩の中継ぎをするだけでございます。
私たちはこれまでこの国を作ってくださった先輩たちに恥ずかしい国にする事は出来ないし、そしてまた恥ずかしい国を次の世代に渡すことも出来ません。
私たちが何らかの犠牲を払うことがなければ、それは我々の時代を貶めるものになってしまうものだと言うふうに思います。
過去の私たちの先輩とそしてこれから生まれてくる世代も、今選挙権も何もありません。
ですから昔の人たちがどう思っていたとしてもそれを今言葉にすることは出来ない。
これから生まれてくる後輩たちも、もちろんそれを言う事は出来ません。
ですから私たちは過去と未来の言葉を聞き取って、そしてそれを私たちがやるべき事としてやっていかなければいけないと思います。

人一人の命はもちろん大切でございます。
しかし、あの中越地震の時に、岩の間に挟まれた自動車の中から子供を助け出したレスキュー隊の人たちは、一つ間違えれば自分たちが二次災害で亡くなっていたわけであります。
もし本当にただ命が大切なだけであれば、見ず知らずの子供なんか放ったらかしておけば良い。
自分が死ぬかもしれない。
自分にも子供はいるわけです。
放ったらかしておけば良い。
知らん顔をしていても別にいいじゃないですか。
生きているかどうかも別に保証も何もなかったわけであります。
しかし、あそこに行ったレスキュー隊の人たちはあの子を助け出した。
自分の命が亡くなる事も覚悟して。

やはりそういうものではないかと思います。
そういうふうにしてやって来たことの積み重ねが今日の日本。
ですから私たちも今拉致をされている方々、それが皆さんが帰って来てこの地を踏む。
それ自身が我々のためでもあり、そして次の世代のためでもあり、また過去の私たちの先輩に対して胸を張って「こんなにやりました」と言うふうに言える事だろうと思います。

バッターボックスに立っているのは皆さん自身、安倍総理ではありません。
皆さんの声がこれまでこの拉致問題を動かして参りました。
あと少しです。
絶対にあと少しで問題の解決に行きます。
最後までご協力をお願い致しまして、私の話を終らせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・
このテキストの音声ファイルはこちらにございます。
ご参照ください。
posted by ぴろん at 00:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(那珂市集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月08日

06.10.15 荒木和博氏1 那珂市集会(1)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

ご紹介頂きました荒木でございます。
本日は大変お忙しい中、また天気もいいお休みの日に多数の皆様お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

今副議長のお話にもありましたけども、情勢は大変緊迫を致しております。
この北朝鮮に対する制裁が国連で決議をされてそして実行される。
そしてまた日本では安倍政権がスタートいたしまして、そしてこの拉致問題についても特段の取り組みをしていくという事を、総理自ら言われているわけでございます。
北朝鮮はいよいよ逃げ場の無いところに追い詰められておりまして、この状況は野球でいえば9回の裏ツーアウト三塁で一打サヨナラという手前まで来ている状況だと思います。

ただ、ここで皆さんにご理解いただきたい事は、このツーアウト三塁で後ヒットが一本出ればサヨナラ勝ちというときに、バッターボックスに立っているのは誰か?
それは安倍晋三では有りません。
ここにお出での皆さん、もちろん私も含めてでございますが、ここにお出での皆さんがバッターボックスに立っているのであって、安倍政権が出来た事、あるいは北朝鮮がミサイルを撃ったりあるいは核実験の真似事をやって追い詰められているという状況は、あくまで三塁までランナーが進んだというだけの事に過ぎないわけですね。
安倍さんに任せておけば後は大丈夫だといって、自分たちが観客席にいて応援団の立場になったらばこの問題は解決を致しません。

逆に言いますと、拉致問題をこれまで進めて来たものは何よりもここに皆さんがお出でいただいたように、拉致問題を解決しようと言う国民の声があったからこそ前に進んで来た事であって、それを成就させるためにもやはり国民の声と力が必要でございます。
そして皆さんご自身がそれぞれ市民の皆さんであると思います。
普通の人である皆さんがどうしてバッターボックスに立っているのか?
あるいは立たなければいけないのか?という事をこれからお話しようと思います。

皆さん、拉致事件というと海岸でですね。
歩いていたら突然襲われて袋に入れられて工作船に乗せられて連れて行かれる、というイメージが大変多いだろうと思います。
・・・(聞き取れず)ですとかそういう所でそういうような事をやっています。
しかし実際は拉致を行われている場所と言うのは別に海岸線ではありません。
運び出すときは当然海岸線ですけども、実際に拉致事件が行われているのは内陸でもあり、あるいは太平洋側でもある。
我々が怪しいと思っている事件の中には伊豆七島の神津島で起きている事件もございます。
茨城でも私どもの特定失踪者問題調査会が持っております拉致の可能性のある失踪者のリスト、県内でいなくなっている方が何人もおられます。

拉致事件というのは北朝鮮から工作員が突然やってきて、そして待ち伏せをして連れて行くという事件ではありません。
拉致をしようというふうに決めたらば、決めた人を時間をかけて調査をしてどういう仕事をやっているか?
あるいはどういう学校に通っているか?どういう家庭環境か?どういう行動パターンか?という事を調べて何らかの形で騙してどこかに連れて行って、そしてそこからは無理やりに連れて行く、言うパターンでございます。

例えばこの那珂町の中だって、拉致と言うのは簡単に出来ます。
この町の中で普通に住んでいる方であればお互いに顔も分かっているでしょうからそういう事はし難いと思いますが、例えば何かのお仕事で面識のある業者くらいの人間関係の方、つまり直接ですね。
ご家族にこんな業者がいるんだよとお話をしなくても面識はある。
街中で会えば挨拶はする。
そういう方にたまたまどこかで会った。
本当はたまたまではないんですが、たまたまどこかで会った。
「ちょうど良い所で会いました。ちょっと仕事の話があるんでそこに事務所があるので来てくれませんか?」言うふうに言って、「分かりました、じゃあ20分くらいなら」という事でそこから建物に入ったとする。
この建物もそうですが、入ってドアを閉めてしまえば後は密室です。
そこで当身を食らわせて気絶をさせて、そして袋かあるいは段ボール箱のような物に入れて、荷物を偽装してワゴン車に乗っけてしまえば後は何をやっても分かりません。

茨城県内にもひょっとしたらあるかもしれませんが、千葉の房総の南の方に行けばそういうののですね。
監禁場所に使ったのではないか?と思われるような場所がございます。
そこまで車を飛ばしてそこに隠しておいて、そして工作船が来たとき、あるいは北朝鮮の貨物船に何らかの方法を使って乗せて北朝鮮に連れて行く、いうことは簡単でございます。
この茨城の県警でも例えばですね、まさか北朝鮮の拉致があるなんて事は思っていない。
ですからそういう事に対する警戒は全くやっていません。
日本海側の県警ならばまだそれでもいくらかは警戒はしていますが、そういう所だって平気でやってくる。
いわんやこちらの太平洋側であれば遥かにやりやすい。
ですから県内からだって失踪した方で拉致をされている方というのは当然いる可能性はある、という事でございます。

私ども特定失踪者問題調査会と申しますのは日本政府が認定をしていない、今日本政府が拉致だと認定していますのは、今日お出での飯塚繁雄さんの妹さんである田口八重子さんを初めとする16人の方々ですが、それ以外の拉致の可能性のある被害者について調べてそして救出を目指すのが私ども特定失踪者問題調査会のやっていることでございます。
で、このリストの中でですね。
我々今460人、公開非公開の方を合わせて可能性がある、可能性が高いじゃなくて可能性があるというふうにいっている方が460人くらい。
そのうち260人は公開しておられまして、お配りを頂いております「しおかぜ」と書いたチラシに小さい写真がたくさん載っかていると思いますが、その方も公開をしている方々でございます。
一番古い方は昭和23年、一番新しい方は一昨年まで、失踪者で拉致の可能性が存在するという事を言い続けているわけでございます。

この方々の大部分は北朝鮮とは何の関係もありません。
私であれば北朝鮮の悪口を言って歩いていますから、例えば私がいなくなればそれは「あんなふうに言っていたんだからやっぱりやられたんだろう」というふうに思ったかもしれない。
しかし田口八重子さんを含めまして失踪した方々と言うのは、ほとんどが北朝鮮と何の関係も無い方々でございます。
であればいなくなったときに、誰も拉致をされたという事は疑いません。
そうするとどうなるか?

例えば横田めぐみさんが拉致をされたのは昭和52年の11月の15日。
若い方はまだお生まれになっていない方もおられるかもしれませんが、その当時成人をされていた方でも、今から例えば警察がたずねてきて昭和52年の11月15日に何していましたか?と聞かれて思い出せる人はおられるでしょうか?
あの時は朝ちょっと頭が痛くて少し遅く起きてきて会社に遅刻して、そしてでも昼間くらいになったら治ったので夜は一杯やって外でカラオケ歌って帰って来たと、言うような事が話せるような方であればそれだけで飯が食える。
そんな人はまずほとんどいないわけです。

ところが一番最初いなくなったときに、ご家族は警察に大抵届けます。
届けても警察で受けるのは生活安全課が受けます。
生活安全課の人というのは警察の中でも、生活安全課と拉致問題を担当する公安とは余り仲が良くない。
ですから情報が横へはいきません。
ひょっとしたら公安の人が見たら「この事件は怪しい」と思うような事件でも警察署の中で止まってしまう。
そして警察には年間10万人も行方不明という事でお届けがありますが、これを全部調べていく事はとても出来ない。

例えば遺体が出てきたとか、あるいはよほど事件性が伺える。
横田めぐみさんの事件のように中学校1年生の女の子がいう事であればそれは調べますけども、大抵の場合はもう大人ですからほとんど調べる事は無い。
家出人の捜索願だけを書いてそしてそれを出しておしまいです。
その状態で何年も何年も時間が経つんです。
10年20年と経って、それからもう一回ひょっとしたらこの事件は拉致だったかもしれないと思って調べようと思っても、その時には証拠も何も残っていません。

ご家族はどうか?
拉致された方がいなくなる、失踪していなくなる。
一体なんでいなくなったか分からない。
ご自分の意思で何か嫌な事があっていなくなったのか?あるいは事件に巻き込まれたのか?
生きているのか死んでいるのかも分かりません。
いくら、一生懸命ご家族は探すわけです。
友達のところにですね電話をかけまくって、そしてちょっとでも似た人を見かけたという話があったらそこまですっ飛んで行って、そして聞いて回る。
それでも分からない。
そういう苦しさと言うのは、本当に我々自身でもとても想像が出来ません。

これは酷い言い方ですが亡くなっているなら諦めるしかない。
ご自分のお葬式を出して、そしてご自分の心の中に思い出をとって置く以外にもう仕方が無い。
そういうふうにして気持ちを片付けていくわけでございますけど、失踪と言うのはそれが出来ません。
生きているか死んでいるか分からない。
その状態で生き地獄の中でご家族は苦しみを何十年も続けなければなりません。
次第にその方について家族の中でも話をしなくなります。
段々に、その方の話をすればお母さんが泣き出してしまうとか、ご家族の中で気まずい思いをする。
できるだけ話題から避けようと言うふうにしてしまう。
そうすると次第にその頃の記憶を片隅に追いやってしまうと出て来なくなる。

我々のリストの中の古い方であれば、いったい何年にいなくなったのかも分からないという方がおられます。
当然いなくなったときにご家族は捜しているんですが、辛さの余りその事をですね。
思い出さないようにしているうちにだんだん記憶がなくなっていく。
そしてご両親が亡くなっていったりすればますます事態が分からない、いう事になってしまうわけでございます。
ところが今この国の中には、そういう中で拉致をされた人が誰かという事を捜す機関と言うのがありません。

皆さん、先ほどのお話の中にこの4年前の今日が拉致拉致被害者が帰って来た日だという事を○○(聞き取れず)さんが仰っていました。
この5人が帰って来た日、私は羽田空港におりまして、あのタラップを降りてくる5人を下から迎えておりました。
そしてそこに日本政府が拉致だと言っていなかった曽我ひとみさんが入っている。
降りて来た訳であります。

皆さん覚えていらっしゃいますか?
あのときに、曽我ひとみさんは24年間日本政府が拉致だという事を気がついていませんでした。
気がついていなかった事に対して「申し訳ありませんでした」と言った人がただの一人もおりません。
新潟県警は曽我ひとみさんについては拉致では無いと認識していました。
それは日本政府も基本的に同じです。

曽我さんの場合は、大変失礼な言い方なんですが、昨年お亡くなりになったお父さんが当時若干アル中の気があって、近所ではですね。
「あそこの家はおそらく親父に愛想をつかして、親子で逃げ出したんだろう」というふうに言っていたそうです。
お父さんからすればとんでもない濡れ衣だったわけですけれども、そういうふうに思われ続けて24年間、全く分からないままで来てしまった。
そして24年ぶりに北朝鮮が先に言った事で分かったんです。
北朝鮮が何も言わなければ未だに曽我ひとみさんはただの失踪者です。

そして曽我ひとみさんが拉致だと分かったときに「申し訳ありませんでした」といって、例えば警察庁長官が辞表を書いたか?
国家公安委員長が謝罪をしたか?
誰も何もこの国の中でしていないんです。

実は大変お恥ずかしい話ですけども、私自身がそれに気がついたのは、それからふた月後のことでした。
帰って来たときのドタバタで、その事を全く頭に思い浮かびませんでした。
帰ってきてから2ヶ月経った4年前の12月18日に、5人が初めて故郷に帰ってから新潟市で一同に会しました。
当時私は救う会事務局長をやっていましたが、その時に私の書いた本で「拉致救出運動の2000日」という本が出ましたので、その本を5人の方々に配りました。
で、配っている最中にふと気がついた。
2000日間の記録ですから分厚い本なんですが、曽我ひとみさんという名前が出てくるのはその一番最後の方だけなんです。
本当にちょっとの部分だけ、それまでは何も書いていない。

あっと気がついて、曽我さんにお詫びをしました。
「私自身が救う会の事務局長という立場でやっておきながら、曽我ひとみさんの拉致に気がつくことが出来ませんでした。申し訳ありませんでした」というふうに言ったんですが、その時にハッと気がついたのは今言いましたようにこの国のお役所の中でそれに対して誰一人としてお詫びをした人も責任を取った人もいない。
という事でございます。

誰一人お詫びをしていないという事はどういう事か?
この国の中に拉致をされた人が誰なんだ?という事を捜すための機関が存在していないという事です。
そういう機関があるいはそういう役職を持った人が存在しているのであれば、その人は当然責任を問われるはずです。
あるいは人から言われなくても自分で「申し訳ありませんでした」という事を言って辞表を書くらいの事はするはずであります。
ところがそれが無かった。

それは今でも基本的には同じです。
皆さんや皆さんのご家族、お子さんですとかあるいはお友達ですとか、そういう方々が拉致をされていなくなったと。
それを捜す人というのは捜す機関というのは、今現在この国には無いと思った方がいい。
見つからなくても誰も責任を取ろうとしない、言うふうに思った方が良いと思います。

更に酷いのは去年の6月に参議院の内閣委員会で、拉致問題の質問に当時の細田官房長官がこういうふうに答えている。
「どうやって拉致被害者が救いを待っているときに助けるんですか?具体的にどうやって政府は助けるんですか?」
その質問に対して細田官房長官はこういうふうに答えました。
「相手も国家ですから、そこにいる限りその国の権限が及ぶ。ですから私たちとしては話し合いをして、そして北朝鮮が分かりましたと『この人たちは実は我々が拉致しておりました』と『すみません』と言って返すまで話し合いを続けるんです」
いう言い方をしている。
本当であればこの答弁ひとつで内閣が吹っ飛んでもおかしくないような答弁です。

この答弁と言うのはどういう事を意味しているのか?
「日本国政府は絶対に拉致被害者は助けない」と宣言しているのに等しい。
話し合いで帰ってくるような国であれば、元々拉致などするはずがない。
そういう常識を完全に超えた国だから、全く何の関係もない中学校1年生の女の子を海の向こうまで拉致をしていくわけでございます。
それなのに話し合いをするしか出来ないという事は、取り返さないという事と同じです。
国家は国民の生命・財産を守る義務があります。
その義務を果たしませんよというふうに言っているわけでありまして、この状態であればこれから先、拉致された人は帰って参りません。

今拉致の救出はどういうふうにこの国の政府はやっているか?
警察が捜査をします。
そして警察がこれは拉致間違いないというふうに言ったもの、それについて内閣の責任で認定というのをします。
田口八重子さんもそうやって認定をされました。
そして認定をした人について日本政府は「生存を前提として返しなさい」と北朝鮮側に言う。
そして北朝鮮が「分かりました」と言ったら帰ってくる。
そういう順番になります。

ところがさっき言ったように事件がもう何十年も前の事件が多いわけです。
その事件を調べようと思っても証拠が出て来ない。
ですから100件拉致があったとしても、その中で警察がこれは拉致間違いないと言える事件というのは本当に数件くらいです。
そしてその数件について警察が内閣に渡して「これは拉致ですよ、認定してください」と言ったとしても、今度は政府の方がまた拉致被害者の数を増やしたら、北朝鮮が話し合いに乗ってこないという事で中々認定をしようとしない。
そしてそれでも認定を何とか例えば半分したとして、その人について「これは拉致被害者だと返しなさい」というふうに言ったとしても、そこに圧力がかかっていなければ北朝鮮が返すわけがありません。
という事で今のやり方でやっていたら大部分の拉致被害者は北朝鮮で亡くなっていく、いう事でございます。

いわんやご家族、ご両親はもうすでにご高齢の方が非常に多いんです。
家族会の方々の中でもご両親で一番お若いのは横田さんご夫妻、それでももう70歳を超えています。
私どもの特定失踪者のご家族では90歳とかもう100歳近い方もおられます。
現在私ども短波放送を北朝鮮に向けて流しておりますが、その短波放送の中で一人、東京で昭和40年ごろにいなくなった方で井上征子(せいこ)さんと言う方がおられるんですが、そのお母さんが広島県と島根県の境の山の中に住んでおられました。
娘に何とかして自分の声を伝えたいという事で、今年の2月に大阪まで出て来て下さいまして、そこでこの「しおかぜ」の北朝鮮向けのメッセージの収録を致しました。
で、この電波は今でも北朝鮮に流れておりますが、お母さんは残念ながら5月に具合を悪くされて他界されてしまいました。

私たち調査会が出来ましてからもう4年くらいになりますが、私が直接お会いした方でももう何人もの方がお亡くなりになっている。
北朝鮮にいる拉致被害者の中にも高齢の方は、どうなっているか分からない。
あるいは田口八重子さん、横田めぐみさん、政府認定の方々はほとんど無事だと、特に若い方については私は大丈夫だと思いますけど、しかし今日ご無事であられてもそれは明日の無事を保障するものでは無い。
だから何とかして取り返さなければいけないんです。
話し合いをして相手が分かりました返しますと言うまで粘り強くやりますなどという言葉で、誤魔化せる問題では無いんです。

それでは一体どういうふうにしなければいけないか?いう事でございますけども、まずどこに誰がいるのか?と言う事を調べていかなければいけません。
そして今北朝鮮の中は相当な混乱をしています。
政権が崩壊をしていく直前まで来ている。
体制が潰れたときに、そのときはある意味でいうと救出のまたとないチャンスですが、もう一つ間違えば大変なピンチになる。
その救出をするときに拉致被害者が証拠隠滅のために消されてしまうと言う可能性も存在しているわけです。
そのときには行って助けていかなければなりません。
誰がそれをやるか?

それは誤解を恐れずに言いますけど、自衛隊が行くしか方法が無いんです。
体制が崩壊したときというのは、クーデターとかそういう状況になっている可能性がある。
助けに行ってもどこから弾が飛んでくるか分からない。
民間の船舶ですとか飛行機が行ったって無事に取り返せると言う保証は無い。
その時に場合によったら犠牲を覚悟しても取り返しに行ける集団というのは自衛隊しかありません。
それを使って取り返しに行く。

そして可能であればそれ以前でも拉致被害者の方々と何とかして連絡をつけて、そしてご本人が多少の危険を犯しても逃げ出したい日本に帰りたい、いう意向が明確になれば何とか例えば東海岸に出てもらって、そこで海上自衛隊の潜水艦と陸上自衛隊の特殊部隊を使って救出をする。
いう事も含めてやっていかなければいけない。
国家の責任と言うのはそういうものです。
ひょっとしたらそれによって一人の拉致被害者を救うために何人かの犠牲者が出るかもしれません。
しかしそれでも拉致被害者を助けるんだという意思を示したときに、初めて今この国の安全が確保される。

この国の海岸線の長さというのはアメリカの半分もあるんだそうです。
物凄く長くて、そして入り組んだ海岸線です。
北朝鮮の工作船はどんなに少なく見積もっても月に一回は、日本のどこかにこの数十年の間入って来ております。
止める事は絶対に出来ません。
今陸上自衛隊が約16万ほどいますけども、この部隊をですね。
全部一ヶ所に集めて海岸線を警備したとしてどれくらい守れるのか分かりますか?
せいぜい青森県一県くらいだそうです。
日本全部なんて絶対に守れない。
・・・(聞き取れず)もちろん警察でもとてもそんなこと出来るはずもない。

つまり、この国はですね。
入ってくるのは極めて自由なんです。
そして何をやっても余り警戒をしていない。
スパイがいても捕まえたってスパイをやっているという事では罪にならない。
そういう国です。

だから、そういう国が守るためには、我々自身を守るためにはどうしなければいけないか?
すでに拉致をされた人たちはどんな手段を使っても取り返す。
そしてそういう事をやった国、主権侵害をやった国に対してはどういう酷い目に遭うかという事を分からせる。
こういうふうにしなければまた必ずやって来ます。
北朝鮮が拉致を辞めたという証拠は何もありません。
これからだって必要があれば北朝鮮は拉致をします。
世界中でやっているし韓国でもやっている。
韓国人の拉致の、今韓国政府が認定している一番新しい被害者と言うのは西暦2000年の1月です。

我々のリストでその可能性のある人は2年前までいますが、これは拉致であるとは断言できませんけど、しかし最近でもやっている可能性は存在する。
我々が拉致被害者を放っておけば、また次の拉致被害者が出る。
その拉致被害者になるのは皆さんご自身かもしれないし、そのご家族かもしれないという事です。

拉致被害者の救出運動と言うのは、田口八重子さんがかわいそうだからやるのではありません。
飯塚繁雄さんがかわいそうだからやるのでもありません。
私たち自身が、我々自身が、ここにお出での皆さんご自身が、ご自分とご家族と周りの方々の安全を守るためにはそうしなければいけない。
そういう問題だという事を、ぜひともご理解を頂きたいと思うわけでございます。

私自身、確かに一番最初のスタートは横田めぐみさんの事件が明らかになって、ご両親が活動する。
それに私どももやはりその経緯から言ってお手伝いをしなければいけない。
何とかご両親のためになりたいという思いがそのスタートの所でございました。
しかしやはりやっているうちにそうではない、というふうに実感したんです。
これはもう誰かのためにやる話では無い。
自分たち自身が安全な国を次の世代に渡すためにやらなければいけない事である、いうふうに思った次第でございます。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・
このテキストの音声ファイルはこちらにございます。
ご参照ください。
posted by ぴろん at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(那珂市集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

06.11.1 質疑応答 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(5)東京弁護士会館にて

『質疑応答』

★質問者1

朝日新聞の○○です。
結局その和解というのはですね。
つまりこの裁判は古川了子さんの政府としての拉致認定を訴訟なわけですね?
和解をするのはその判断が出ないと、認定を求める事に対して認定をせよと言うか認定の必要がないと言うか、とにかくそういう棄却するか認めるという判決を出さない。
出さない和解になるわけですが、どういうふうな形の和解がですね。
原告側としては望ましいという事になるのか?ということなんですが?

★川人弁護士

ですので一貫してですね。
裁判当初からこの裁判の論点になっているですが、政府の認定被害者とですね。
そうでない人々の間に歴然とした差別があると。
この事が一番の問題だったわけですね、この裁判を提訴する際の。
ですので、政府が認定した被害者の救出のためにこの間、いろいろ努力をしているというふうに思いますが、やはり認定していない人との間では明確な差別があってですね。
こういうものをどよのように是正するか?というのがこの裁判の出発点であると思います。
そういう観点から我々のこの裁判で獲得するものが出てくると思いますし、和解と言うものが成立するとすればですね。
今言ったような観点から見て得るものがいくらかでも大きいという場合にはですね。
一般論としてはありうると考えています。

★質問者1

要するに政府が認定していない人についても、政府が認定されている拉致被害者と同様に扱う事が何らかの形で示されればとか、例えばそういう事ですか?

★川人弁護士

ハッキリしている事は古川さんだけはこういうふうにします、とかですね。
そういう事がこの裁判のもともとの目的ではないわけですね。
ですので、古川さんを含めてですね。
被害者の救出の運動に、あるいは被害者の家族の方々に対する政府の対応の仕方を含めてですね。
これまでと違った明確な前進があるという事が、和解が成立するとすればですね。
そういう条件が整うという事が前提になると思います
例えばそういう事が整わないのであればそれは当然和解というのは難しいと、こういう話になってきます。

★質問者1

安倍政権は拉致問題対策本部と言うのを政府官邸の方に設けたり、専任の大臣を置いたり補佐官を置いたりというような対応をしているので、現政権ならそういう可能性があるのかな?と言う印象もあるわけですけども。

★川人弁護士

正直言ってそれは今度の期日に・・・(聞き取れず)が何を言うか現時点ではまだ想定できませんので何とも言えません。
えっとすみません、調査会の方で安倍政権になってから何か新しい動きでも?(周囲の人に尋ねる、会場より小さな笑い声)

★質問者1

ここでこうして欲しいと出すという事が、政府としても新しい対応に影響してくる可能性があるんじゃないか?と。
だから聞いているんです。

★川人弁護士

はい分かりました。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

あのですね、ちょうど今聞いていただいた事を言いたいと思うんですけど(笑い声)、安倍政権が発足する前から、今特定失踪者ご家族それぞれがお集め頂いた署名とかですね。
それから調査会が作った署名簿等が結構こちらにございます。
新しい政権が出来たらそれを提出して政府に対して要請をしたいと、いうことをですね。
重ねて調整室を通してお願いをして参りました。
しかし、今に至るも政府からはですね。
一切、何時ごろ出来そうだとかいつやるとか、誰が出てくるとかいう話はありません。
我々としては何度もそれをお願いしていますけども、それは無い、という事であります。

家族会の人たちに対しては政権が発足した直後に官房長官そして総理大臣まで来てですね。
会って決意を表明しているにも拘らず特定失踪者、つまり拉致の可能性がある、しかし政府が認定していない人たちに対しては一切ですね。
以前からお願いをしているにも拘らず、一切何も、こうしますという事も無いというのは、果たして本気でやる気があるんだろうか?という事について、正直申し上げましてかなり疑問を感じているところでございます。
もし、何らかでもやる気があるんであるというのであれば、もう少し別の対応があって然るべきでは無いか?というふうに思っておりますので、今の状況であれば体制が作られようが何をしようが、それが本当の意味での拉致問題の完全解決につながるものではない、とすら、私は思っております。

で、政府は古川さんの裁判も今日傍聴していただいた方は分かると思いますけど、あれだけの証言が出ればですね。
通常であればやはり拉致だと認定するのが当然だと思った方が多いと思いますけど、それをしない。
しない理由と言うのはやはりですね。
もし違っていたらば責任を取らされるという事であろうと思います。

それはそれで結構ですが、ここで強調しておきたいのは、もし認定をしないで置いた人が曽我さんのように拉致だという事が後に分かったとした場合に、その責任を当然問われて然るべきである。
そして日にちは経っておりますので、もし例えばその間にですね。
命を落とすような人があれば、その責任と言うのはですね。
単に辞表を書いたくらいでは終らないという事は、当然政府の担当者には認識をしていただかなければいけない。
そのあたりに対する疑問をですね。
政府の方でちゃんと我々に納得がいくようにして頂かなければなければいけないのではなかろうか?という事を我々としては常に考えています。

今川人弁護士の方でも仰ったようにですね。
この問題と言うのは古川さんの一人の問題をやるという事ではなくて、古川さんに代表になっていただいてそしてですね。
未認定の拉致被害者すべての問題をやるという事ですので、それに対して我々なりそしてご家族なりが納得がいくと。
そして将来拉致被害者の方が帰って来たときに、あのときの政府の対応は正しかったんだというふうに納得してくれるものでなくては、それは認められるものではないというふうに思っております。

ちなみにもう一言、この事とはちょっと別のことになりますが、「しおかぜ」の件につきましても、今日までの時点で政府から一切何の返事もありません。
何をしてくれるという返事も聞いておりません。
大臣の答弁ですとかあるいは次官の記者会見とか言葉だけは出ておりますけども、それが今のところ現実にはなっていない、いう事でございまして本当にやる気があるのかどうかについて私としては疑問を感じております。

ちなみにもう一言言っておきますと、先日発表いたしました日高信夫さんにつきまして告発を来週月曜日11時に行います。
これはもちろん今までと同じように被疑者不詳の告発という事になりますが、この件に対しても含めましてすべての事を政府として動かしていただきたい。
改めて6日の午後行われます記者会見のときに、それもその間これから数日ありますが、一体政府がどのように対応するのか?という事を確認した上で、私どもの意思表示をしていきたい。
その線で、もちろんこれは我々調査会としての立場でございますので、実際の裁判の手続き上の問題とかそういうのは法律家の会にお任せをしてごさいますので、我々はあくまでもそれに従うつもりでございますので、一応今の時点での意思表示という意味では以上のことでございます。

★質問者2 西村幸祐氏(ジャーナリスト)

川人弁護士と荒木さんにお聞きしたいんですが、そもそもなぜ和解を勧告してきたのか?という、これについてはどういう事になるのか?ご意見を。

★川人弁護士

裁判官が判決を書きたくないんだと思います。
端的に言えば。
つまりですね、判決で拉致被害者として認定することについても、あるいはそうでないという結論を出すにしても、どちらについても裁判所としては非常に躊躇するという事だと思います。
それが端的に裁判所としての和解勧告の大きな意味合いだと思います。
今までもそういう雰囲気の言動はあったわけですけど、今日は・・・・・・・(聞き取れず)

★荒木和博氏

私も全く同じです。

★質問者3

すみません、先ほど川人弁護士のお話でですね。
荒木さんも言われたんですけど、古川さん一人の話では無いとは言われたんですが、古川さんの事が拉致認定と言うふうに裁判の判決文に書かれる事は一つの象徴であって、やはりそういうふうに書かれる事がやはり他の人たちへの影響も大きいんじゃないかと、そういうふうな見方も当然あると思うんですけれども、そこに拘るんでしょうか?拘らないんでしょうか?

★川人弁護士

それはですね、今後出てくる最終的な成立するかもしれない和解内容によるんだと思いますが、いま仰ったのはその通りなんです。
だから裁判提訴したわけです。

★荒木和博氏

私の方から言えば、ともかくこの裁判の目的と言うのは未認定の拉致被害者をすべて救い出すという事のための裁判で、もちろんその中に古川了子さんが入っているわけですね。
ですからそれに向かって何が一番選択肢として一番いいか?という基準で今後の結論が出るだろうと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

一言申し上げます。
最初から日本の政府が交渉するときに拉致被害者を救出するという事を目的としてやっていればですね。
もうちょっと違った結果が今までに出ていたのではないか?
交渉するときに日朝国交正常化というものを置いてですね。
やったがために、拉致被害者を70年代後半から80年代前半とか、そういうふうに縮小するような結果となったのではないか?と思います。
それが70年代から更に80年代のですね。
拉致をして場所としておかしくなくて、そして北朝鮮と日本側が納得するところだけについてやったという事だと思います。

工作機関で働いた者の個人的な意見としてはそれは何か政治家たちがですね。
この手で作業したような作り出したようなものであるような感じがしています。
実際にはもう60年代には北朝鮮の工作員はどんどん日本に入っていたわけですし、寺越さんなどの場合は60年代に起きた明らかな拉致であるにも拘らず、日本政府が拉致とは認めていない。
なんでそういうふうに主張するのか?と思います。
非常にそういうふうにして来た事の責任が重いので明らかに出来ないという事では無いかと思いますが、被害者の方の立場に立てばもう少し別の対応があるのでは無かろうか?と思います。

今日本の方々が知っている北朝鮮・金正日体制の犯罪行為は、100分の1、あるいは万分の1くらいにしかならないのではないかと思います。
これは遠からず金正日政権が崩壊すれば大部分が明らかになる事だろうと思います。

★質問者3

すみません、安さんにもう一つお聞きしたいんですけども、脱北者のお立場で日本の裁判所でこういうふうに証言されたということはやはり脱北者の証言、この重みという事に対しても非常に大きな意味を持つ事になると思うんですけど、それに関するご感想を一言いただけませんか?

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

今回はですね。
私自身は脱北者と言う立場を忘れて、ともかく可能な限り当時の記憶を取り戻そうとして努力をいたしました。
私自身はともかく古川了子さんに間違いないと思っていますが、出来るだけ一生懸命記憶を取り戻すという事が、その方に対する人間的な最大限の道義だろうというふうに思っています。

★川人弁護士

大体よろしいでしょうか?

今から4年半前くらいになるかと思うんですけど、いわゆる八尾恵証言ですね。
裁判が行われたんですね。
・・・・(聞き取れず)と思うんですが、そこで彼女が自ら法廷と言う場でですね。
自らの拉致への関与を含めてですね、証言をしたという事がやはりその後の、日本の拉致被害者救出運動に非常に大きな転機となったと。

裁判所で、公的にも明確に認めたという事が非常に大きなその後の救出運動の前進になり、それが多分ですね。
2002年9月以降の様々な進展につながったと思っておりますが、今日の安明進さんの証言が今後の日本の拉致被害者の救出、特に政府が認定していない人々の被害者の救出運動の大きな一つになるという事を我々としては期待したいと思っていますし、今日の証人尋問含めてですね。
今日の証言を通じて我々の目標は大きく前進をしていると、そのように考えています。

今後ですね、裁判自体は様々な展開がありうるわけですけど、是非関係者の皆さんの一層のご協力を訴えたいと思います。
今日はどうもお疲れ様でした。

★荒木和博氏

ありがとうございました。

・・・報告会終了・・・

2006年11月04日

06.11.1 川人博弁護士 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(4)東京弁護士会館にて

『川人博主任弁護士による補足と今後の裁判の進行についての説明』

Img_2394.jpg

★川人弁護士

ちょっと補足しますとですね。
今日は反対尋問といいまして、被告の国側の質問はですね。
一切ありませんでした。
一切ありませんでした。
安明進さんに対しても質問をしませんでしたし、竹下さんに対しても質問をしませんでした。
従って、主尋問がほとんどでした。

それで裁判官の方がですね。
安明進さんに若干の質問をしたんですけども、特にですね。
裁判官からの質問の中で、安明進さんが良く覚えている理由についてですね。
つまり一度北朝鮮でお会いしたわけですが、その事について良く覚えている理由について説明して欲しいと、こういう裁判官からの質問があったんですが、それに対して安明進さんが工作員として訓練され、ある意味では生きるか死ぬかですね。
命をかけて訓練していると、その中で敵と味方を区別すると、そういう訓練を積んでいるので人間と会ったときにですね。
どういう人だったかという記憶ですね。
そういう点については大変自信を持っていると、そういう趣旨の証言をされまして、裁判官も納得をしたような顔をしておりました。

良く聞かれるんですよね。
一度だけお会いしただけでそこまで分かるのか?とそういう趣旨の疑問も出たりする。
質問に対して今申したような証言を安さんの方でされております。

いずれにしても日本の裁判所でですね。
この問題についてこういう形で古川さんの裁判が進行して初めなわけですけど、安さんが裁判所で証言したのは初めてでございます。
国会では一度委員会で話をされたんですけど、日本の司法の場で、裁判所の場で証言をですね。
そしてこれはきちんと反対尋問権も保障されたところで、あるいは裁判官質問も保障されたところで、公開の法廷で証言が行われてそれが公的な文書として、ずっと裁判の調書として記録として残ります。
そういう意味では大変ですね。
ある意味では歴史的な証言の内容だったと。
今日の証言というのはそういう意味でも大変画期的な意味を持っている、そのように私どもは考えております。

ここまででですね。
ご質問がありましたら、今後の進行の問題については後で説明しますが、とりあえず今までのところでご質問がありましたら受けますが、よろしいでしょうか?

そうしましたら最後に今後の問題なんですけども、裁判官の方からですね。
証拠調べは基本的には終了したと裁判所の方では考えていると。
厳密に言いますとですね、あとは証人申請している人で増元さんですね。
家族の会の事務局長をしている増元さんの証人尋問がされていないんですけど、裁判所としては基本的な証人尋問は終了したと考えているという事を言った上でですね。
裁判所としては和解を勧告したいということで、和解の場を持ちたいとこういう提案をしました。
で、次回の期日は11月の14日火曜日の午前10時で、解期日ですので原則非公開という事になりますが、11月14日の午前10時からそういう場が持たれます。

これ、一般の裁判の場合はですね。
証拠調べが終った段階で裁判所が和解勧告をする事は良くあるんですが、今日法廷が終ってからいくつかのマスメディアの方からですね。
「和解っていうのはこの場合どういう事があるんでしょうか?」と、こういう趣旨の質問を受けました。

それでですね、基本的に原告及び弁護団の考え方を申し上げておきますが、我々弁護団はですね。
当事者である竹下さんを初め、ご家族の方とこれまでも訴訟の進め方についてはなるたけ協議をしてきました。
それでですね、裁判所からこういう形で提案があるという可能性は有りますので、これについても多少議論はしてきました。
いずれにしても裁判所から和解協議の場の案があったらその場には乗ってですね。
それで話し合い・協議をするという立場でございます。
従って次回の期日もですね、そういう場で臨みたい、そういう姿勢で臨みたい。

この裁判自体がですね。
拉致の被害者の救出運動をどう前進させるのか?という事で被害者救出運動にプラスになるようにと考えて、この裁判が提訴されました。
これはご家族も古川さんの問題だけじゃなく、全体として政府に認定されていない方々の救出のためにどのようにこの裁判を活用できるのか?という事も含めて今回の裁判の闘争も続けて来たわけです。

従いまして、裁判所からの和解の勧告に対してもですね。
我々としては拉致の被害者の救出運動をどう進めるか。
本件の場合は政府が認定している以外の被害者について救出のためにどのようにですね。
運動を前進させる事ができるかと、こういう観点から和解の協議には臨むという事になると思います。

裁判所とは今後、今度の期日に向けてですね。
事前に何らかの連絡があるかもしれませんし、当日また話し合いという事になるかもしれませんが、いろんな場合を想定しながらですね。
今言った基本的な考え方に立って進めたいと思います。

繰り返しになりますけど、古川了子さんご自身の救出の問題と共にですね。
政府認定されていない方の救出をどのように前進させるのかと、こういう観点からこの問題を考えていく必要がある。
これが原告及び弁護団の考え方で、調査会の方もそういう考え方で、現在のところはここまで我々の基本的な姿勢としてご理解いただきたい。

では、ご質問等ございましたら、今の事も含めて。

06.11.1 竹下珠路さん 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(3)東京弁護士会館にて

『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の挨拶』

★川人弁護士

どうもありがとうございました。
ご質問は後で若干時間を取ります。
竹下さんの方から、今日法廷で出ました尋ね人のこれは朝日新聞のコピーで、ちょっと報道の方へ。

★真鍋貞樹氏

お持ちで無い方いますか?(証拠として提出された尋ね人の新聞コピーを配る)

★川人弁護士

竹下さんの方から、裁判所で証言した感想を含めて。
今配ってもらっているのを含めて、初めに当時の状況などをお話していただいて、証言の感想など。

Img_2396.jpg

★竹下珠路さん(古川了子さんの姉)

母が、古川了子が1973年の7月7日にいなくなってから、その年の秋に11月の4日だったと思いますけど、テレビ番組の蒸発と言う・・・・・・・・(聞き取れず)ました。
そしてその時に当時の番組担当だったテレビ局の方が分かりまして、・・・・(聞き取れず)に伺ったときにはだいたい画面に流れれば何か情報が来るものだけど、古川さんの場合は何も無いので特に際立った出演者でしたという事を覚えていてくださいました。

Img_2401.jpg

それからこれはこういうふうに黄色くなってしまった新聞なんですけども、1986年5月1日、朝日新聞の尋ね人欄です。
当時母はずっと別の新聞を母の家では読んでいたんですけど、私とか姉の家では何人か朝日新聞を取っていたので、東京におります姉が勧めて、朝日新聞に尋ね人欄というのがあるから出してみたらどうか?と母に言って、母が一番了子らしいという写真を添えてここに載せたという事を当時も聞いております。
そしてこの写真が安明進さんにお渡しした最初の写真のはずなんです。
了子の最初の写真で私たち家族も、今ですから手元にございませんが、ニコニコ笑っている写真で一番私たちも妹らしいなと思う写真でした。

そしてこの写真と、恥ずかしいんですけど私が自分で忘れてしまうものですからこんなノートを、何冊目かになっているんですが、信友さんからご連絡を頂いたときの事を書いている。
信友さんから電話を頂いて、私は初めて母が手紙を差し上げた事・写真を送った事を初めて知ったんです。
同じ家に住んでおりましたけど、その事を母は何も言わなかったもんですから。
そして10月に信友さんから電話を頂いて、信友さんがすぐ家に来て安さんにお目にかかったときの話をして頂いて、それからようやく私は安さんから北朝鮮であったというお話をしていただいたんですけども。

もしかしたら1枚だけでは分からないし、それからすぐに市原警察署と言う最寄の警察署なんですが行ったときに「その頃では(拉致は)無いですよ」と。
「横田さんたちは昭和53年とかでちょっと早すぎるし、東京湾の方では千葉の方では(拉致は)無いですよ」という事だったのですが、もう一度次の写真と安さんにお目にかかれたらどこでも行きますからと、信友さんにその時お願いしてお別れしました。

そしてその次の年の3月の末に安さんの本が出版されまして、すぐに買って読んで信友さんから来た話と全く同じ事が安さんの著書に書かれていた事を確認しました。

そんな話を今日は二瓶弁護士の方からいなくなった時の当時から、二瓶弁護士が私が答えやすいように答えやすいようにと質問をしていただきまして。
実は珍しく私も緊張してまして、夕べは余り眠れなくて緊張していたんですが、終った途端に閉廷した途端にどっと汗が出て来まして、・・・・・・・・・・・・(聞き取れず)してましたけど。

安さんの今日の証言と私の証言と、それから先だっての荒木さんの証言とで、古川了子が拉致以外には考えられない事が裁判所の方にも分かっていただけたのでは無いかな?と思っております。
安さんにもお忙しいお体のところを裁判のために駆けつけてくださったり、皆様にも駆けつけていただいて本当にありがとうございました。

06.11.1 安明進氏 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(2)東京弁護士会館にて

『安明進氏のお話』

★川人弁護士

どうしましょうか?
この甲29号証について、お持ちで無い方も多いと思いますが、もうちょっと詳しく・・・・・

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

マスコミの方でお持ちでない方いますか?よろしいですか?
(証拠文書のコピーを会場に配る)

★川人弁護士

安さんの方で、日本語を急速にマスターされまして、今日は法廷ですので通訳で行われましたけど、場合によったら時々通訳で。
今日法廷で話をしていただいた内容をもう一度話していただくのも恐縮なんですが、一番初めて古川了子さんを1991年に北朝鮮で目撃したときの模様について今日詳しく証言をしてもらったんですけども、もう一度ここでその話をしていただきたいと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

Img_2400.jpg

ちょっと簡単にご説明しようと思って描いたのでお恥ずかしいんですが、1991年の7月ないし8月だったと思いますが、古川了子さんを見たところを簡単に説明しようと思って描いたものです。
1997年に本を書いたときには45日間頭を一生懸命していたもので、そこまでちょっと手が回りませんでした。
それとお姉さんにお会いして今日はそこらへんの記憶を、本に書いたものではなく自分の記憶を全部辿ってお話をするようにしました。

その了子さんと思われる人はですね。
自分も医者とか看護婦さんから日本人がいるという話は聞いていましたけど、直接会った人が了子さんであってしかもその時自分も非常に拙かったものですから了子さんであると自信を持って言えます。
この915病院は私以外にも拉致された日本人が入院するところだという話は出ていると思います。

私が聞いた看護婦ですね。
北朝鮮のこの915病院の看護婦が了子さんと思われる女性に嫉妬していなければ、つまり例えば化粧品をいじると怒るとかですね。
そういう事の情報がもっと少なかっただろうと思います。

写真を見たときにですね。
やはりこの人だろうというふうに思ったんですが、やはり一番決定的だったのは2002年の冬にお姉さんにお会いしたときですね。
顔の下半分の部分がともかくそっくりだったと。
それでもう間違いないと思ったということです。
その時はですね。
お姉さんがたくさん昔の写真を持ってきたと記憶をしていますけども、その写真よりもお姉さんの方が似ていたというふうに感じました。

今も古川了子さんは私が本を書いたり文章を書いたり、あるいはこうやって裁判に出ている事をご存知のはずだと思います。
日本政府が認定するかどうか分かりませんけど、私はやはり自分が見た人としてこの古川了子さんをですね。
全力を尽くしたいというふうに思います。

Img_2404.jpg

ここに書いてあるのは915病院です。
外部には病院だと言っていますが、連絡所として知られています。
この二つは学生が入院する学生病棟です。(図面左端の四角い建物を指差す)
ここは古川了子さんが入院した病棟です。(図面右側の四角い建物を指差す)
日本で出た本で、衛星写真でこの病院について上からハッキリと写っているのがあります。
その写真でもこの二つの病棟とそれから古川さんがいた病棟、そして本部の病棟、総合病棟のようなですね。
それが全部写っています。

元々外出はしてはいけない事になっているんですが、そこを外出しようとしたときに古川了子さんに見られてしまったので非常に緊張した状態で。
もし古川さんが完全な工作員教育を受けた工作員であれば帽子を被ってそして顔を隠していたわけですが、それをしていなかったから顔を覚えていたという事で、大変幸運だったと思います。

自分が夕食が終ってから、ここは鉄条網になっているわけですがここを乗り越えて出て行こうとしてですね。
この、なんていうか、獣道みたいなところですか?
そこを行ったときに古川了子さんが後ろから見えたので、古川了子さんはこっちへ(=古川さんのいた病棟の方角)行ったわけですけども、その後をついていったわけです。

もし戻って非常ベルみたいのを押してですね。
そして鉄条網の方から逃げていこうとしたという話になれば、これは自分自身が危険な状態になりますので、そして追いかけていって、ちょっとちょっとと言う形で声を掛けて止めたわけです。
自分がそこで古川さんと向き合って「私は学生で、報告しないでくれ」というふうにお願いをしました。
その時の印象はですね。
顔が非常に青白くてやっぱり患者だという印象を受けました。
翌日看護婦さんに聞いたらば胃が悪くて長い間入院しているという事を言っていました。

そこでもししゃべれらたらどうか?と思ったんですけど、結局結果的には自分自身を守ってくれたという事でですね。
言わないでくれたおかげで自分が助かったという、ありがたいという気持ちもあります。
それよりも一番大事な事は日本人拉致被害者を助けるために努力をする事が、人間としての道理であるというふうに私は思っています。
可能な限り日本人拉致被害者を救出しようという事で自分なりに努力をしてまいります。

2006年11月03日

06.11.1 斉藤弁護士・二瓶弁護士 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(1)東京弁護士会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟報告会(第8回)
06.11.1 東京弁護士会館にて

『斉藤・二瓶両弁護士による裁判報告』

★川人博弁護士

それでは始めたいと思います。
古川さんの拉致被害者の認定請求訴訟の報告会をします。
進行を行います弁護士の川人と申します。

まずですね、今日の内容について、大体皆さん法廷の中には入れたんでしょうか?
入れていない?
そうすると今日法廷の中に入れなかった方が多いと思いますので初めに法廷の内容について、今日証人尋問を担当した斉藤弁護士と二瓶弁護士の方からそれぞれお話・報告をしたいと思います。
それで、併せて証人台に立った安明進さんと竹下さんの方から挨拶をしていただきたいと思います。
じゃあまず、今日の法廷の内容の方から。
斉藤さん。

Img_2398.jpg

(写真左は二瓶弁護士、右が斉藤弁護士)

★斉藤健兒弁護士

弁護士の斉藤です。
安明進さんの証言の担当をしました。
安さんは今朝9時半でしたか?
ソウルの飛行場を発って今日の証言のために駆けつけてくれました。

Img_2404.jpg

証言の中心は皆様のお手元にもあると思いますが、安さんが当時古川了子さんと思われる女性と遭遇した現場の略図、これは2002年12月の6日にソウルで竹下さんと荒木さんとそれから安さんとが初めて目撃情報の確認を行ったんですが、その時安さんが手書きでですね。
こういった地図を描いて説明した。
この図面をそのまま使いまして、その時どういう状況で会ったのか?というのをひとつひとつ証言してもらいました。
安さんは非情に韓国から中々来るのは大変な状況ですが、本当に貴重な証言を頂いてありがとうございます。
以上です。

★二瓶弁護士

原告の竹下さんの尋問を担当した弁護士の二瓶です。
法廷でお聞きになった方は大体流れがお分かりになったと思うんですけども、大体かいつまんで言いますと了子さんが失踪したときの状況ですね。
をまずは聞きまして、その後は了子さんが失踪した後の状況など。
これについては尋ね人で全国紙の朝日新聞に出したと。
あるいは当時蒸発コーナーだったんですけどご両親がテレビに出演して訴えをしたと。
しかし、全く情報は一切無い。
通常でしたら国内で起こった事件であれば、似たような人を見たとかですね。
それらしいものがあってもおかしくないが、そういうことも全く無い、いうことですね。

Img_2401.jpg

しかしながら古川さんの話は、了子さんは事故か事件に巻き込まれたと家族は思ってきたんですけども、その後ですね。
安明進さんが横田めぐみさんの事件でフジテレビに出て、それで証言をしていたと。
それを聞いてお母さんが「もしかしたら自分の娘も拉致されたのではないか?」というふうに初めてそのテレビを見て思ったんですね。
そして写真を添えて失踪したときの状況を書いて、それをテレビの担当者の方に手紙を出しましたですね。
そしてその手紙を出した事によって初めてですね。
重要な情報が浮かび上がった。
それはディレクターの方がわざわざ古川さんの家まで行って、「安さんに写真を見せたところ、自分が平壌の病院で見た女性と非常によく似ているということを証言した」という、そういう情報です。

それを安さんに対してですね。
1枚の写真を見せたのではなくて他に20人くらいの別人の写真を見せている。
そういう中から1枚の写真を取り出して「これは自分が平壌の病院で見た女性の写真だ」、こういう事なんです。
かなりそういう意味ではですね。
信憑性の高い情報だと当然考えられますし、その事によって是非安さんに直接会いたいとディレクターにお願いした。
そしてソウルでお会いしたとこういう流れになります。

そこで安さんに会ったところ、本当に瓜二つだったということで、お姉さんが了子さんときょうだい、まさに事実きょうだいなんですけどもきょうだいくらいに似ていた、本当に良く似ていると。
その話を・・・・(聞き取れず)いう事を・・・・(聞き取れず)。
いうふうなことでその経過については安さんも証言しているし、私どももそれを補充する形でですね。
証言をしました。

そういう形で一日も早くですね。
これだけ明白な事をですね。
日本政府は認定をしてですね。
そして早期救出に向かってですね。
是非早く働きかけをして欲しいという事を最後に強くお願いして来たわけですけども、大変分かりやすくですね。
皆さん聞いていてこの事件の本質を、あるいは家族の思いがどれくらいのものであるかと言うのをよく理解してもらえただろうというふうに思います。
以上です。

★古川了子さん第8回行政訴訟報告会 テキスト一覧表

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟(第8回)
06.11.1 東京地裁606号法廷にて

1 安明進氏の証人尋問要旨
http://piron326.seesaa.net/article/26588973.html

2 竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の証人尋問要旨
http://piron326.seesaa.net/article/26618514.html

・・・・・・・・・・

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟報告会(第8回)
06.11.1 東京弁護士会館にて

3 斉藤・二瓶両弁護士による裁判報告
http://piron326.seesaa.net/article/26691722.html

4 安明進氏のお話
http://piron326.seesaa.net/article/26732377.html

5 竹下珠路さん(古川了子さんの姉)の挨拶
http://piron326.seesaa.net/article/26764026.html

6 川人博主任弁護士による補足と今後の裁判の進行についての説明
http://piron326.seesaa.net/article/26764264.html

7 質疑応答
http://piron326.seesaa.net/article/26873152.html
posted by ぴろん at 10:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

06.11.1 竹下珠路さん(古川了子さんの実姉) 古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟より 証人尋問要旨

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟(第8回)
06.11.1 東京地裁606号法廷にて

『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の証人尋問要旨』

★原告側 二瓶弁護士

(陳述書を示しながら)了子さんは11歳、年の離れた妹ですね。

★竹下珠路さん

そうです。

★二瓶弁護士

了子さんは千葉県立千葉商業高校を卒業し、三井造船の・・・(了子さんの学歴・職歴などの経歴を読み上げる、書き取れず)
このときの年齢は18歳ですよね。

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

了子さんが失踪したのはいつですか?

★竹下さん

1973年7月の七夕です。

★二瓶弁護士

卒業して仕事を始めた年ですね。

★竹下さん

そうです。
7月7日は土曜日で会社は休みでした。
美容院へ行って、その後は母と浴衣を買いに行く約束でした。

★二瓶弁護士

美容院へは連絡を入れていたのですか?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

予約が当日変更になった?

★竹下さん

7日の当日昼ごろ美容師さんから母のところへ、予約がキャンセルになった事と美容院のあと買い物の約束をしていたので、その都合も悪くなったからと母に伝えて欲しいと伝言の電話が入りました。
美容師さんはいつもと変わらず明るい声だと言っていました。

★二瓶弁護士

どこから美容院へ電話が入ったのですか?

★竹下さん

千葉駅にいると答えたそうです。

★二瓶弁護士

その話はお母さんから聞いたのですか?

★竹下さん

はい、そうです。

★二瓶弁護士

美容師さんからも直接聞きましたか?

★竹下さん

私も美容師さんから直接話は聞いています。

★二瓶弁護士

7月9日に捜索願を出していますね?

★竹下さん

家出をする理由が考えられないのです。
それまで無断で外泊をした事はないし、悩みも心当たりが無い。
失踪する前日に支給されたボーナスも全額机の中にありましたし、着替えも持ち出していない。
預金も持ち出していません。
事故か事件に巻き込まれたと家族は思いました。

★二瓶弁護士

その後の状況はどうでしたか?

★竹下さん

全く消息がありませんでした。

★二瓶弁護士

その年の11月にテレビのワイドショーに出たことはありますか?

★竹下さん

はい、あります。

★二瓶弁護士

情報は何か得られましたか?

★竹下さん

一切ありません。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

これは母が朝日新聞の尋ね人に出した、古川了子を捜しているという写真入の記事です。(写真参照)

Img_2401.jpg

★二瓶弁護士

それで情報は寄せられましたか?

★竹下さん

情報は一切寄せられませんでした。

★二瓶弁護士

もしかすると北朝鮮による拉致ではないか?と思うきっかけはなんですか?

★竹下さん

19○○年(数字を書き取れず)の3月に元北朝鮮工作員と言うテレビ番組を見て、母がテレビ局に連絡を取ったのがきっかけです。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

このテレビ番組を見て母が担当者に送った手紙です。
まだ母の手紙が残っていたので、FAXで私の自宅に送信してもらいました。

★二瓶弁護士

(質問を書き取れず)

★竹下さん

ノブトモナオコさんというプロデューサーから手紙に対する返事が来ました。
電話を貰って古川了子さんについて重大なお話があるので、お宅にお邪魔したいというお話がありました。

★二瓶弁護士

このノートはなんでしょうか?

★竹下さん

私の備忘録です。

★二瓶弁護士

このノートのここに貼り付けてあるこの名刺はその時にノブトモさんから貰ったものですね?

★竹下さん

そうです。
家に来たときに受け取りました。

★二瓶弁護士

ノブトモさんとはどんな話をしたのでしょうか?

★竹下さん

安明進さんに会った事、妹を含めた20枚の写真を見せたところ古川さんの写真を一枚だけ取り上げて、915病院で会ったと証言をした、と言う話です。

★二瓶弁護士

了子さんが失踪後、初めての情報ですね?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

2002年の小泉訪朝の時北朝鮮は拉致を認めましたが、その報道に接してどう思いましたか?

★竹下さん

拉致はやっぱりあった。
曽我ひとみさんのように今まで知られていない被害者が出た事で、妹も北朝鮮にいると思いました。

★二瓶弁護士

安明進さんにソウルで会いましたか?

★竹下さん

会いました。
ノブトモさんが手配をしてくれました。

★二瓶弁護士

その時、了子さんのアルバムを安明進さんに見てもらいましたか?
安さんはその時何を言いましたか?

★竹下さん

どの女性よりもお姉さんが(安さんの目撃した)女性にそっくりですと言いました。

★二瓶弁護士

安明進さんの話を聞いて妹であると確信を深めましたか?

★竹下さん

そうです。

★二瓶弁護士

安さんの話を聞いてどう思いましたか?

★竹下さん

妹は北朝鮮で生きていると思いました。
ようやく消息をつかめたと思ってホッとしました。

★二瓶弁護士

帰国後どんな動きをしましたか?

★竹下さん

千葉県警に要請・告発をしました。
人権擁護委員会、日弁連にも申し入れをしました。

★二瓶弁護士

日弁連に人権救済の申し立てをしたのですね?

★竹下さん

妹の拉致を認め、外務省などへ救出への要望書を提出していただきました。

★二瓶弁護士

特定失踪者問題調査会の1000番台リストに古川了子さんは上げられていますか?

★竹下さん

はい。

★二瓶弁護士

1000番台リストとは何でしょうか?

★竹下さん

拉致の疑いの濃い人たちが1000番台リストに上げられていると理解しています。

★二瓶弁護士

救う会でも拉致被害者認定されていますか?

★竹下さん

はい。

★二瓶弁護士

政府が認定している被害者と扱いは同じでしょうか?

★竹下さん

違います。
日朝交渉の成果などは特定失踪者家族へは、政府から声を掛けてもらって報告などを聞いた事はありません。

★二瓶弁護士

被害者家族として呼び出されて説明を受けた事はありますか?

★竹下さん

ありません。

★二瓶弁護士

最後になりますが、裁判所に対して言いたい事があったら仰ってください。

★竹下さん

(やや声を詰まらせながら)妹は拉致をされてから33年も過ぎてしまいまして、母も90歳になりました。
母が生きているうちに会わせてやりたいのです。
拉致被害者として認定し、救出活動に向けて行動して欲しいです。
一日も早く認定して欲しいと切に願っています。

※原告側質問終了、被告側から質問なし、裁判官からも質問なし。
証人尋問を終了

2006年11月01日

06.11.1 安明進氏 古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟より 証人尋問要旨

特定失踪者・古川了子さんの拉致認定を求める第8回の行政訴訟は、今回安明進氏と実姉の竹下珠路さんの証人尋問が行われました。
法廷内でどのようなやり取りがあったかを、これからご紹介させていただきます。
尚、ご存知のように法廷内は録音禁止のため、手元のメモによる発言起こしとなります。
拾えたのは発言の7〜8割程度で、言葉尻などに多少の違いがあることなどはあらかじめご理解いただき、おおよそこういう内容のやり取りがあったというレポートとしてお読みいただければと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟(第8回)
06.11.1 東京地裁606号法廷にて

『安明進氏の証人尋問要旨』

★原告側 斉藤健兒弁護士

(証拠の文書を示しながら)この二つの文書の署名は安明進さんの物ですか?

★安明進氏(裁判所の用意した通訳を通じての発言、以下同じ)

そうです。

★斉藤弁護士

陳述書の証人の経歴では1987〜1993年、金正日政治軍事大学でスパイ養成教育を受けたとありますが、その通りですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

朝鮮労働党直属軍事政治大学と言うのが正式名称でしょうか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

1994年4月に大韓民国へ亡命したのですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

古川了子さんを目撃したという事で端的にお聞きします。
いつ目撃したのでしょうか?

★安明進氏

1991年のある夜だったと思います。

★斉藤弁護士

月はいつだったか分かりますか?

★安明進氏

7月か8月だったと思います。

★斉藤弁護士

場所はどこですか?

★安明進氏

行政上、場所は秘密とされている915病院です。

★斉藤弁護士

時刻は何時ごろだったでしょうか?

★安明進氏

夕食後6時から6時半くらいです。

★斉藤弁護士

915病院の正式名称は朝鮮労働党・・・・(書き取れず)ですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

一般の病院との違いはなんでしょうか?

★安明進氏

公開されていないので、一般人は入れません。
入れるのはスパイ活動をしている人か、拉致された人です。

★斉藤弁護士

安さんはどうして915病院に行ったのですか?

★安明進氏

学校の訓練中に怪我をしてその治療のために入りました。

★斉藤弁護士

時期は覚えていますか?

★安明進氏

夏の7月か8月頃だったと思います。

★斉藤弁護士

陳述書だと8月となっていますが?

★安明進氏

ハッキリは覚えていません。
7月か8月頃だったと思います。

★斉藤弁護士

ソウルで古川了子さんのお姉さんの竹下珠路さんと会った事はありますか?

★安明進氏

はい、会いました。

★斉藤弁護士

それはいつ頃ですか?

★安明進氏

2002年の年末です。

★斉藤弁護士

当時救う会事務局長だった荒木さんも一緒でしたか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

(証拠文書を示す・写真参照)地図のようなものに日本語とハングルが書かれていますが覚えていますか?

Img_2403.jpg

Img_2404.jpg

★安明進氏

覚えています。

★斉藤弁護士

竹下珠路さんと会ったときに目撃の状況を説明するために書いたものですか?

★安明進氏

そうです。
字が汚くてすみません。

★斉藤弁護士

地図のところに鉄条網のような××が書かれていますが、こういった図面を描いたのはあなたですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

地図の内容について説明してください。

★安明進氏

病院の説明です。
私のいた病院、私が行こうとしていた学校、古川さんがいた病棟と学校へ行く道を描きました。

★斉藤弁護士

ここはどういう人が入院する病院ですか?

★安明進氏

学生だけが入院できる病院です。

★斉藤弁護士

目撃した女性はどの病棟にいたのですか?

★安明進氏

ちょうどこの向い側の病棟です。

★斉藤弁護士

間に200メートルと書いてありますが荒木さんが書いたのですか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

この黒い点が二つあるのですが、ここに立って言葉を交わしました。
右側が古川さんで左が私です。

★斉藤弁護士

この現場に出かけていった理由はなんですか?

★安明進氏

入院中で腕が固定されていたので・・・・・・・・・・(書き取れず)
通信機器や乱数票を取りに学校へ行こうとしました。

★斉藤弁護士

図面で行くと学校はどちらの方向になりますか?

★安明進氏

この図面で行くと真上、北側にあります。

★斉藤弁護士

女性とはどんな出会い方をしたのでしょうか?

★安明進氏

私が食事を終え、患者服から軍服に着替え、患者服を着ていた古川了子さんとここら辺で会いました。

★斉藤弁護士

ここら辺というのは?

★安明進氏

学校へ行こうと・・・(書き取れず)散歩用の道です。
私は交差した所を上に歩いていくとき、二つの道が交差するところです。

★斉藤弁護士

大学へ行くために鉄条網を越えようとしていたのですか?

★安明進氏

私の行く道を進むと鉄条網が出てくるので、飛び越えていこうとしていました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

ちょっと悩みました。
その人が告げ口をしないかと思いました。
その人をその人が入院している病棟に追いかけて行きました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

その女性は(自分からは)特に何も話していません。
私の方から告げ口をしないでくれと言いました。
女性は笑顔で頷いていました。

★斉藤弁護士

(質問を書き取れず)

★安明進氏

当初は歩きながら声を掛けていました。
頼みごとをしたときは立ち止まって話をしました。

★斉藤弁護士

女性とは何か話をしましたか?

★安明進氏

私から相手に・・・・(書き取れず)私の話を理解してくれたようです。
そういう状況を良く知っていたようで、理解してくれました。

★斉藤弁護士

女性の年齢はどれくらいでしたか?

★安明進氏

確かな事は分かりませんが、20代後半から30代くらい、私より少し年上ではないかと思いました。

★斉藤弁護士

身長はどのくらいでしょうか?

★安明進氏

女性ですからヒールを履いていたので、160〜160弱くらいだと思います。

★斉藤弁護士

ほかにどんな会話をしましたか?

★安明進氏

頼み事をする前に声を掛け、工作員ですか?と聞きました。

★斉藤弁護士

その質問に女性は答えましたか?

★安明進氏

うなづいていました。
でも実際は工作員ではなかった。

★斉藤弁護士

話をしていたのはどのくらいの時間でしょうか?

★安明進氏

当時、緊張していたので長く感じましたが、会話の中身を考えると5分くらいだと思います。

★斉藤弁護士

二人の距離はどれくらいでしょうか?

★安明進氏

すぐ近く、2〜3メートルくらいです。

★斉藤弁護士

病院では顔に覆いをすることが義務付けられていたようですが、その時女性は覆いをしていましたか?

★安明進氏

人が多いところでは覆いを被りますが、散歩のときは被りません。
その女性は被っていなくて、覆いを手に持っていました。

★斉藤弁護士

その後、学校へは行きましたか?

★安明進氏

その女性を信じたいと思い学校へは行きました。

★斉藤弁護士

その女性が日本人と知ったのはいつですか?

★安明進氏

会った当日は知りませんでしたが、次の日看護婦さんから聞いて知りました。
女性の特徴を話して看護婦さんに知っているか?と聞くと、看護婦は「あの日本人が」と言いました。
私の方から工作員か?と聞いたら、そうではなく日本人だと言いました。

★斉藤弁護士

拉致された人か?と聞きましたか?

★安明進氏

私の方から質問したのではなく、看護婦さんの方から「拉致されたのでしょうね」と言いました。

★斉藤弁護士

他に看護婦さんから聞いた女性の特徴などは?

★安明進氏

看護婦さんは女性に良くないイメージを持っているようでした。
食事を偏食する、胃の病気が重い、神経質、長期入院しているという話をしました。

★斉藤弁護士

2002年、竹下珠路さんと会ったとき、同じ話をしましたか?

★安明進氏

そうです。

★斉藤弁護士

竹下さんは古川さんの写真を持ってきましたか?

★安明進氏

持って来ました。

★斉藤弁護士

それを見てどう思いましたか?

★安明進氏

写真を見る前に、ホテルに入ってくるお姉さんを見て頬の下の方が似ていてきょうだいではないか?と思いました。
写真を見て間違いないと思いました。
その女性が古川了子さんであると自信を持って言いました。

★斉藤弁護士

証言をしてからだいぶ時間がたちますが、古川さんについてどう思いますか?

★安明進氏

私は古川了子さんのお姉さんと古川さんの写真を見て、その女性は古川了子さんであると自信を持って言えます。
私が証言してから長期間経ち、まだ政府に認定されていません。
彼女が将来帰国した場合、事件が明るみになった場合、私は道義を尽くしていないという良心の呵責を感じます。

★斉藤弁護士

最後に裁判官に対して言いたい事があったら話してください。

★安明進氏

私は政府と裁判所にお願いしたい。
古川了子さんを認定して欲しい。
私の責任であると思う。
早く救出して欲しいと思う。

※原告側質問終了、被告側からの質問は無し。
裁判官からの質問に移る。

★関口裁判官

裁判官の関口といいます。
古川さんを良く覚えている一番の理由は何だと思いますか?

★安明進氏

私は7年間学校と病院で生活しました。
そこは1000人しかいないところで、そこでは相手を見て(瞬時に)敵か味方か見分けなければならない。
だから人の記憶については自信があります。

※安明進氏の証人尋問は以上で終了。引き続き竹下珠路さんの証人尋問へと続く。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。