2006年11月04日

06.11.1 川人博弁護士 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(4)東京弁護士会館にて

『川人博主任弁護士による補足と今後の裁判の進行についての説明』

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★川人弁護士

ちょっと補足しますとですね。
今日は反対尋問といいまして、被告の国側の質問はですね。
一切ありませんでした。
一切ありませんでした。
安明進さんに対しても質問をしませんでしたし、竹下さんに対しても質問をしませんでした。
従って、主尋問がほとんどでした。

それで裁判官の方がですね。
安明進さんに若干の質問をしたんですけども、特にですね。
裁判官からの質問の中で、安明進さんが良く覚えている理由についてですね。
つまり一度北朝鮮でお会いしたわけですが、その事について良く覚えている理由について説明して欲しいと、こういう裁判官からの質問があったんですが、それに対して安明進さんが工作員として訓練され、ある意味では生きるか死ぬかですね。
命をかけて訓練していると、その中で敵と味方を区別すると、そういう訓練を積んでいるので人間と会ったときにですね。
どういう人だったかという記憶ですね。
そういう点については大変自信を持っていると、そういう趣旨の証言をされまして、裁判官も納得をしたような顔をしておりました。

良く聞かれるんですよね。
一度だけお会いしただけでそこまで分かるのか?とそういう趣旨の疑問も出たりする。
質問に対して今申したような証言を安さんの方でされております。

いずれにしても日本の裁判所でですね。
この問題についてこういう形で古川さんの裁判が進行して初めなわけですけど、安さんが裁判所で証言したのは初めてでございます。
国会では一度委員会で話をされたんですけど、日本の司法の場で、裁判所の場で証言をですね。
そしてこれはきちんと反対尋問権も保障されたところで、あるいは裁判官質問も保障されたところで、公開の法廷で証言が行われてそれが公的な文書として、ずっと裁判の調書として記録として残ります。
そういう意味では大変ですね。
ある意味では歴史的な証言の内容だったと。
今日の証言というのはそういう意味でも大変画期的な意味を持っている、そのように私どもは考えております。

ここまででですね。
ご質問がありましたら、今後の進行の問題については後で説明しますが、とりあえず今までのところでご質問がありましたら受けますが、よろしいでしょうか?

そうしましたら最後に今後の問題なんですけども、裁判官の方からですね。
証拠調べは基本的には終了したと裁判所の方では考えていると。
厳密に言いますとですね、あとは証人申請している人で増元さんですね。
家族の会の事務局長をしている増元さんの証人尋問がされていないんですけど、裁判所としては基本的な証人尋問は終了したと考えているという事を言った上でですね。
裁判所としては和解を勧告したいということで、和解の場を持ちたいとこういう提案をしました。
で、次回の期日は11月の14日火曜日の午前10時で、解期日ですので原則非公開という事になりますが、11月14日の午前10時からそういう場が持たれます。

これ、一般の裁判の場合はですね。
証拠調べが終った段階で裁判所が和解勧告をする事は良くあるんですが、今日法廷が終ってからいくつかのマスメディアの方からですね。
「和解っていうのはこの場合どういう事があるんでしょうか?」と、こういう趣旨の質問を受けました。

それでですね、基本的に原告及び弁護団の考え方を申し上げておきますが、我々弁護団はですね。
当事者である竹下さんを初め、ご家族の方とこれまでも訴訟の進め方についてはなるたけ協議をしてきました。
それでですね、裁判所からこういう形で提案があるという可能性は有りますので、これについても多少議論はしてきました。
いずれにしても裁判所から和解協議の場の案があったらその場には乗ってですね。
それで話し合い・協議をするという立場でございます。
従って次回の期日もですね、そういう場で臨みたい、そういう姿勢で臨みたい。

この裁判自体がですね。
拉致の被害者の救出運動をどう前進させるのか?という事で被害者救出運動にプラスになるようにと考えて、この裁判が提訴されました。
これはご家族も古川さんの問題だけじゃなく、全体として政府に認定されていない方々の救出のためにどのようにこの裁判を活用できるのか?という事も含めて今回の裁判の闘争も続けて来たわけです。

従いまして、裁判所からの和解の勧告に対してもですね。
我々としては拉致の被害者の救出運動をどう進めるか。
本件の場合は政府が認定している以外の被害者について救出のためにどのようにですね。
運動を前進させる事ができるかと、こういう観点から和解の協議には臨むという事になると思います。

裁判所とは今後、今度の期日に向けてですね。
事前に何らかの連絡があるかもしれませんし、当日また話し合いという事になるかもしれませんが、いろんな場合を想定しながらですね。
今言った基本的な考え方に立って進めたいと思います。

繰り返しになりますけど、古川了子さんご自身の救出の問題と共にですね。
政府認定されていない方の救出をどのように前進させるのかと、こういう観点からこの問題を考えていく必要がある。
これが原告及び弁護団の考え方で、調査会の方もそういう考え方で、現在のところはここまで我々の基本的な姿勢としてご理解いただきたい。

では、ご質問等ございましたら、今の事も含めて。


06.11.1 竹下珠路さん 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(3)東京弁護士会館にて

『竹下珠路さん(古川了子さんの実姉)の挨拶』

★川人弁護士

どうもありがとうございました。
ご質問は後で若干時間を取ります。
竹下さんの方から、今日法廷で出ました尋ね人のこれは朝日新聞のコピーで、ちょっと報道の方へ。

★真鍋貞樹氏

お持ちで無い方いますか?(証拠として提出された尋ね人の新聞コピーを配る)

★川人弁護士

竹下さんの方から、裁判所で証言した感想を含めて。
今配ってもらっているのを含めて、初めに当時の状況などをお話していただいて、証言の感想など。

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★竹下珠路さん(古川了子さんの姉)

母が、古川了子が1973年の7月7日にいなくなってから、その年の秋に11月の4日だったと思いますけど、テレビ番組の蒸発と言う・・・・・・・・(聞き取れず)ました。
そしてその時に当時の番組担当だったテレビ局の方が分かりまして、・・・・(聞き取れず)に伺ったときにはだいたい画面に流れれば何か情報が来るものだけど、古川さんの場合は何も無いので特に際立った出演者でしたという事を覚えていてくださいました。

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それからこれはこういうふうに黄色くなってしまった新聞なんですけども、1986年5月1日、朝日新聞の尋ね人欄です。
当時母はずっと別の新聞を母の家では読んでいたんですけど、私とか姉の家では何人か朝日新聞を取っていたので、東京におります姉が勧めて、朝日新聞に尋ね人欄というのがあるから出してみたらどうか?と母に言って、母が一番了子らしいという写真を添えてここに載せたという事を当時も聞いております。
そしてこの写真が安明進さんにお渡しした最初の写真のはずなんです。
了子の最初の写真で私たち家族も、今ですから手元にございませんが、ニコニコ笑っている写真で一番私たちも妹らしいなと思う写真でした。

そしてこの写真と、恥ずかしいんですけど私が自分で忘れてしまうものですからこんなノートを、何冊目かになっているんですが、信友さんからご連絡を頂いたときの事を書いている。
信友さんから電話を頂いて、私は初めて母が手紙を差し上げた事・写真を送った事を初めて知ったんです。
同じ家に住んでおりましたけど、その事を母は何も言わなかったもんですから。
そして10月に信友さんから電話を頂いて、信友さんがすぐ家に来て安さんにお目にかかったときの話をして頂いて、それからようやく私は安さんから北朝鮮であったというお話をしていただいたんですけども。

もしかしたら1枚だけでは分からないし、それからすぐに市原警察署と言う最寄の警察署なんですが行ったときに「その頃では(拉致は)無いですよ」と。
「横田さんたちは昭和53年とかでちょっと早すぎるし、東京湾の方では千葉の方では(拉致は)無いですよ」という事だったのですが、もう一度次の写真と安さんにお目にかかれたらどこでも行きますからと、信友さんにその時お願いしてお別れしました。

そしてその次の年の3月の末に安さんの本が出版されまして、すぐに買って読んで信友さんから来た話と全く同じ事が安さんの著書に書かれていた事を確認しました。

そんな話を今日は二瓶弁護士の方からいなくなった時の当時から、二瓶弁護士が私が答えやすいように答えやすいようにと質問をしていただきまして。
実は珍しく私も緊張してまして、夕べは余り眠れなくて緊張していたんですが、終った途端に閉廷した途端にどっと汗が出て来まして、・・・・・・・・・・・・(聞き取れず)してましたけど。

安さんの今日の証言と私の証言と、それから先だっての荒木さんの証言とで、古川了子が拉致以外には考えられない事が裁判所の方にも分かっていただけたのでは無いかな?と思っております。
安さんにもお忙しいお体のところを裁判のために駆けつけてくださったり、皆様にも駆けつけていただいて本当にありがとうございました。

06.11.1 安明進氏 古川了子さん第8回行政訴訟報告会(2)東京弁護士会館にて

『安明進氏のお話』

★川人弁護士

どうしましょうか?
この甲29号証について、お持ちで無い方も多いと思いますが、もうちょっと詳しく・・・・・

★真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

マスコミの方でお持ちでない方いますか?よろしいですか?
(証拠文書のコピーを会場に配る)

★川人弁護士

安さんの方で、日本語を急速にマスターされまして、今日は法廷ですので通訳で行われましたけど、場合によったら時々通訳で。
今日法廷で話をしていただいた内容をもう一度話していただくのも恐縮なんですが、一番初めて古川了子さんを1991年に北朝鮮で目撃したときの模様について今日詳しく証言をしてもらったんですけども、もう一度ここでその話をしていただきたいと思います。

★安明進氏(通訳:荒木和博氏)

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ちょっと簡単にご説明しようと思って描いたのでお恥ずかしいんですが、1991年の7月ないし8月だったと思いますが、古川了子さんを見たところを簡単に説明しようと思って描いたものです。
1997年に本を書いたときには45日間頭を一生懸命していたもので、そこまでちょっと手が回りませんでした。
それとお姉さんにお会いして今日はそこらへんの記憶を、本に書いたものではなく自分の記憶を全部辿ってお話をするようにしました。

その了子さんと思われる人はですね。
自分も医者とか看護婦さんから日本人がいるという話は聞いていましたけど、直接会った人が了子さんであってしかもその時自分も非常に拙かったものですから了子さんであると自信を持って言えます。
この915病院は私以外にも拉致された日本人が入院するところだという話は出ていると思います。

私が聞いた看護婦ですね。
北朝鮮のこの915病院の看護婦が了子さんと思われる女性に嫉妬していなければ、つまり例えば化粧品をいじると怒るとかですね。
そういう事の情報がもっと少なかっただろうと思います。

写真を見たときにですね。
やはりこの人だろうというふうに思ったんですが、やはり一番決定的だったのは2002年の冬にお姉さんにお会いしたときですね。
顔の下半分の部分がともかくそっくりだったと。
それでもう間違いないと思ったということです。
その時はですね。
お姉さんがたくさん昔の写真を持ってきたと記憶をしていますけども、その写真よりもお姉さんの方が似ていたというふうに感じました。

今も古川了子さんは私が本を書いたり文章を書いたり、あるいはこうやって裁判に出ている事をご存知のはずだと思います。
日本政府が認定するかどうか分かりませんけど、私はやはり自分が見た人としてこの古川了子さんをですね。
全力を尽くしたいというふうに思います。

Img_2404.jpg

ここに書いてあるのは915病院です。
外部には病院だと言っていますが、連絡所として知られています。
この二つは学生が入院する学生病棟です。(図面左端の四角い建物を指差す)
ここは古川了子さんが入院した病棟です。(図面右側の四角い建物を指差す)
日本で出た本で、衛星写真でこの病院について上からハッキリと写っているのがあります。
その写真でもこの二つの病棟とそれから古川さんがいた病棟、そして本部の病棟、総合病棟のようなですね。
それが全部写っています。

元々外出はしてはいけない事になっているんですが、そこを外出しようとしたときに古川了子さんに見られてしまったので非常に緊張した状態で。
もし古川さんが完全な工作員教育を受けた工作員であれば帽子を被ってそして顔を隠していたわけですが、それをしていなかったから顔を覚えていたという事で、大変幸運だったと思います。

自分が夕食が終ってから、ここは鉄条網になっているわけですがここを乗り越えて出て行こうとしてですね。
この、なんていうか、獣道みたいなところですか?
そこを行ったときに古川了子さんが後ろから見えたので、古川了子さんはこっちへ(=古川さんのいた病棟の方角)行ったわけですけども、その後をついていったわけです。

もし戻って非常ベルみたいのを押してですね。
そして鉄条網の方から逃げていこうとしたという話になれば、これは自分自身が危険な状態になりますので、そして追いかけていって、ちょっとちょっとと言う形で声を掛けて止めたわけです。
自分がそこで古川さんと向き合って「私は学生で、報告しないでくれ」というふうにお願いをしました。
その時の印象はですね。
顔が非常に青白くてやっぱり患者だという印象を受けました。
翌日看護婦さんに聞いたらば胃が悪くて長い間入院しているという事を言っていました。

そこでもししゃべれらたらどうか?と思ったんですけど、結局結果的には自分自身を守ってくれたという事でですね。
言わないでくれたおかげで自分が助かったという、ありがたいという気持ちもあります。
それよりも一番大事な事は日本人拉致被害者を助けるために努力をする事が、人間としての道理であるというふうに私は思っています。
可能な限り日本人拉致被害者を救出しようという事で自分なりに努力をしてまいります。
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