2006年11月08日

06.10.15 荒木和博氏1 那珂市集会(1)那珂市総合センターにて

北朝鮮拉致被害者救出!那珂市集会
06.10.15 那珂市総合センター・らぽーる にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

ご紹介頂きました荒木でございます。
本日は大変お忙しい中、また天気もいいお休みの日に多数の皆様お集まりいただきまして、本当にありがとうございます。

今副議長のお話にもありましたけども、情勢は大変緊迫を致しております。
この北朝鮮に対する制裁が国連で決議をされてそして実行される。
そしてまた日本では安倍政権がスタートいたしまして、そしてこの拉致問題についても特段の取り組みをしていくという事を、総理自ら言われているわけでございます。
北朝鮮はいよいよ逃げ場の無いところに追い詰められておりまして、この状況は野球でいえば9回の裏ツーアウト三塁で一打サヨナラという手前まで来ている状況だと思います。

ただ、ここで皆さんにご理解いただきたい事は、このツーアウト三塁で後ヒットが一本出ればサヨナラ勝ちというときに、バッターボックスに立っているのは誰か?
それは安倍晋三では有りません。
ここにお出での皆さん、もちろん私も含めてでございますが、ここにお出での皆さんがバッターボックスに立っているのであって、安倍政権が出来た事、あるいは北朝鮮がミサイルを撃ったりあるいは核実験の真似事をやって追い詰められているという状況は、あくまで三塁までランナーが進んだというだけの事に過ぎないわけですね。
安倍さんに任せておけば後は大丈夫だといって、自分たちが観客席にいて応援団の立場になったらばこの問題は解決を致しません。

逆に言いますと、拉致問題をこれまで進めて来たものは何よりもここに皆さんがお出でいただいたように、拉致問題を解決しようと言う国民の声があったからこそ前に進んで来た事であって、それを成就させるためにもやはり国民の声と力が必要でございます。
そして皆さんご自身がそれぞれ市民の皆さんであると思います。
普通の人である皆さんがどうしてバッターボックスに立っているのか?
あるいは立たなければいけないのか?という事をこれからお話しようと思います。

皆さん、拉致事件というと海岸でですね。
歩いていたら突然襲われて袋に入れられて工作船に乗せられて連れて行かれる、というイメージが大変多いだろうと思います。
・・・(聞き取れず)ですとかそういう所でそういうような事をやっています。
しかし実際は拉致を行われている場所と言うのは別に海岸線ではありません。
運び出すときは当然海岸線ですけども、実際に拉致事件が行われているのは内陸でもあり、あるいは太平洋側でもある。
我々が怪しいと思っている事件の中には伊豆七島の神津島で起きている事件もございます。
茨城でも私どもの特定失踪者問題調査会が持っております拉致の可能性のある失踪者のリスト、県内でいなくなっている方が何人もおられます。

拉致事件というのは北朝鮮から工作員が突然やってきて、そして待ち伏せをして連れて行くという事件ではありません。
拉致をしようというふうに決めたらば、決めた人を時間をかけて調査をしてどういう仕事をやっているか?
あるいはどういう学校に通っているか?どういう家庭環境か?どういう行動パターンか?という事を調べて何らかの形で騙してどこかに連れて行って、そしてそこからは無理やりに連れて行く、言うパターンでございます。

例えばこの那珂町の中だって、拉致と言うのは簡単に出来ます。
この町の中で普通に住んでいる方であればお互いに顔も分かっているでしょうからそういう事はし難いと思いますが、例えば何かのお仕事で面識のある業者くらいの人間関係の方、つまり直接ですね。
ご家族にこんな業者がいるんだよとお話をしなくても面識はある。
街中で会えば挨拶はする。
そういう方にたまたまどこかで会った。
本当はたまたまではないんですが、たまたまどこかで会った。
「ちょうど良い所で会いました。ちょっと仕事の話があるんでそこに事務所があるので来てくれませんか?」言うふうに言って、「分かりました、じゃあ20分くらいなら」という事でそこから建物に入ったとする。
この建物もそうですが、入ってドアを閉めてしまえば後は密室です。
そこで当身を食らわせて気絶をさせて、そして袋かあるいは段ボール箱のような物に入れて、荷物を偽装してワゴン車に乗っけてしまえば後は何をやっても分かりません。

茨城県内にもひょっとしたらあるかもしれませんが、千葉の房総の南の方に行けばそういうののですね。
監禁場所に使ったのではないか?と思われるような場所がございます。
そこまで車を飛ばしてそこに隠しておいて、そして工作船が来たとき、あるいは北朝鮮の貨物船に何らかの方法を使って乗せて北朝鮮に連れて行く、いうことは簡単でございます。
この茨城の県警でも例えばですね、まさか北朝鮮の拉致があるなんて事は思っていない。
ですからそういう事に対する警戒は全くやっていません。
日本海側の県警ならばまだそれでもいくらかは警戒はしていますが、そういう所だって平気でやってくる。
いわんやこちらの太平洋側であれば遥かにやりやすい。
ですから県内からだって失踪した方で拉致をされている方というのは当然いる可能性はある、という事でございます。

私ども特定失踪者問題調査会と申しますのは日本政府が認定をしていない、今日本政府が拉致だと認定していますのは、今日お出での飯塚繁雄さんの妹さんである田口八重子さんを初めとする16人の方々ですが、それ以外の拉致の可能性のある被害者について調べてそして救出を目指すのが私ども特定失踪者問題調査会のやっていることでございます。
で、このリストの中でですね。
我々今460人、公開非公開の方を合わせて可能性がある、可能性が高いじゃなくて可能性があるというふうにいっている方が460人くらい。
そのうち260人は公開しておられまして、お配りを頂いております「しおかぜ」と書いたチラシに小さい写真がたくさん載っかていると思いますが、その方も公開をしている方々でございます。
一番古い方は昭和23年、一番新しい方は一昨年まで、失踪者で拉致の可能性が存在するという事を言い続けているわけでございます。

この方々の大部分は北朝鮮とは何の関係もありません。
私であれば北朝鮮の悪口を言って歩いていますから、例えば私がいなくなればそれは「あんなふうに言っていたんだからやっぱりやられたんだろう」というふうに思ったかもしれない。
しかし田口八重子さんを含めまして失踪した方々と言うのは、ほとんどが北朝鮮と何の関係も無い方々でございます。
であればいなくなったときに、誰も拉致をされたという事は疑いません。
そうするとどうなるか?

例えば横田めぐみさんが拉致をされたのは昭和52年の11月の15日。
若い方はまだお生まれになっていない方もおられるかもしれませんが、その当時成人をされていた方でも、今から例えば警察がたずねてきて昭和52年の11月15日に何していましたか?と聞かれて思い出せる人はおられるでしょうか?
あの時は朝ちょっと頭が痛くて少し遅く起きてきて会社に遅刻して、そしてでも昼間くらいになったら治ったので夜は一杯やって外でカラオケ歌って帰って来たと、言うような事が話せるような方であればそれだけで飯が食える。
そんな人はまずほとんどいないわけです。

ところが一番最初いなくなったときに、ご家族は警察に大抵届けます。
届けても警察で受けるのは生活安全課が受けます。
生活安全課の人というのは警察の中でも、生活安全課と拉致問題を担当する公安とは余り仲が良くない。
ですから情報が横へはいきません。
ひょっとしたら公安の人が見たら「この事件は怪しい」と思うような事件でも警察署の中で止まってしまう。
そして警察には年間10万人も行方不明という事でお届けがありますが、これを全部調べていく事はとても出来ない。

例えば遺体が出てきたとか、あるいはよほど事件性が伺える。
横田めぐみさんの事件のように中学校1年生の女の子がいう事であればそれは調べますけども、大抵の場合はもう大人ですからほとんど調べる事は無い。
家出人の捜索願だけを書いてそしてそれを出しておしまいです。
その状態で何年も何年も時間が経つんです。
10年20年と経って、それからもう一回ひょっとしたらこの事件は拉致だったかもしれないと思って調べようと思っても、その時には証拠も何も残っていません。

ご家族はどうか?
拉致された方がいなくなる、失踪していなくなる。
一体なんでいなくなったか分からない。
ご自分の意思で何か嫌な事があっていなくなったのか?あるいは事件に巻き込まれたのか?
生きているのか死んでいるのかも分かりません。
いくら、一生懸命ご家族は探すわけです。
友達のところにですね電話をかけまくって、そしてちょっとでも似た人を見かけたという話があったらそこまですっ飛んで行って、そして聞いて回る。
それでも分からない。
そういう苦しさと言うのは、本当に我々自身でもとても想像が出来ません。

これは酷い言い方ですが亡くなっているなら諦めるしかない。
ご自分のお葬式を出して、そしてご自分の心の中に思い出をとって置く以外にもう仕方が無い。
そういうふうにして気持ちを片付けていくわけでございますけど、失踪と言うのはそれが出来ません。
生きているか死んでいるか分からない。
その状態で生き地獄の中でご家族は苦しみを何十年も続けなければなりません。
次第にその方について家族の中でも話をしなくなります。
段々に、その方の話をすればお母さんが泣き出してしまうとか、ご家族の中で気まずい思いをする。
できるだけ話題から避けようと言うふうにしてしまう。
そうすると次第にその頃の記憶を片隅に追いやってしまうと出て来なくなる。

我々のリストの中の古い方であれば、いったい何年にいなくなったのかも分からないという方がおられます。
当然いなくなったときにご家族は捜しているんですが、辛さの余りその事をですね。
思い出さないようにしているうちにだんだん記憶がなくなっていく。
そしてご両親が亡くなっていったりすればますます事態が分からない、いう事になってしまうわけでございます。
ところが今この国の中には、そういう中で拉致をされた人が誰かという事を捜す機関と言うのがありません。

皆さん、先ほどのお話の中にこの4年前の今日が拉致拉致被害者が帰って来た日だという事を○○(聞き取れず)さんが仰っていました。
この5人が帰って来た日、私は羽田空港におりまして、あのタラップを降りてくる5人を下から迎えておりました。
そしてそこに日本政府が拉致だと言っていなかった曽我ひとみさんが入っている。
降りて来た訳であります。

皆さん覚えていらっしゃいますか?
あのときに、曽我ひとみさんは24年間日本政府が拉致だという事を気がついていませんでした。
気がついていなかった事に対して「申し訳ありませんでした」と言った人がただの一人もおりません。
新潟県警は曽我ひとみさんについては拉致では無いと認識していました。
それは日本政府も基本的に同じです。

曽我さんの場合は、大変失礼な言い方なんですが、昨年お亡くなりになったお父さんが当時若干アル中の気があって、近所ではですね。
「あそこの家はおそらく親父に愛想をつかして、親子で逃げ出したんだろう」というふうに言っていたそうです。
お父さんからすればとんでもない濡れ衣だったわけですけれども、そういうふうに思われ続けて24年間、全く分からないままで来てしまった。
そして24年ぶりに北朝鮮が先に言った事で分かったんです。
北朝鮮が何も言わなければ未だに曽我ひとみさんはただの失踪者です。

そして曽我ひとみさんが拉致だと分かったときに「申し訳ありませんでした」といって、例えば警察庁長官が辞表を書いたか?
国家公安委員長が謝罪をしたか?
誰も何もこの国の中でしていないんです。

実は大変お恥ずかしい話ですけども、私自身がそれに気がついたのは、それからふた月後のことでした。
帰って来たときのドタバタで、その事を全く頭に思い浮かびませんでした。
帰ってきてから2ヶ月経った4年前の12月18日に、5人が初めて故郷に帰ってから新潟市で一同に会しました。
当時私は救う会事務局長をやっていましたが、その時に私の書いた本で「拉致救出運動の2000日」という本が出ましたので、その本を5人の方々に配りました。
で、配っている最中にふと気がついた。
2000日間の記録ですから分厚い本なんですが、曽我ひとみさんという名前が出てくるのはその一番最後の方だけなんです。
本当にちょっとの部分だけ、それまでは何も書いていない。

あっと気がついて、曽我さんにお詫びをしました。
「私自身が救う会の事務局長という立場でやっておきながら、曽我ひとみさんの拉致に気がつくことが出来ませんでした。申し訳ありませんでした」というふうに言ったんですが、その時にハッと気がついたのは今言いましたようにこの国のお役所の中でそれに対して誰一人としてお詫びをした人も責任を取った人もいない。
という事でございます。

誰一人お詫びをしていないという事はどういう事か?
この国の中に拉致をされた人が誰なんだ?という事を捜すための機関が存在していないという事です。
そういう機関があるいはそういう役職を持った人が存在しているのであれば、その人は当然責任を問われるはずです。
あるいは人から言われなくても自分で「申し訳ありませんでした」という事を言って辞表を書くらいの事はするはずであります。
ところがそれが無かった。

それは今でも基本的には同じです。
皆さんや皆さんのご家族、お子さんですとかあるいはお友達ですとか、そういう方々が拉致をされていなくなったと。
それを捜す人というのは捜す機関というのは、今現在この国には無いと思った方がいい。
見つからなくても誰も責任を取ろうとしない、言うふうに思った方が良いと思います。

更に酷いのは去年の6月に参議院の内閣委員会で、拉致問題の質問に当時の細田官房長官がこういうふうに答えている。
「どうやって拉致被害者が救いを待っているときに助けるんですか?具体的にどうやって政府は助けるんですか?」
その質問に対して細田官房長官はこういうふうに答えました。
「相手も国家ですから、そこにいる限りその国の権限が及ぶ。ですから私たちとしては話し合いをして、そして北朝鮮が分かりましたと『この人たちは実は我々が拉致しておりました』と『すみません』と言って返すまで話し合いを続けるんです」
いう言い方をしている。
本当であればこの答弁ひとつで内閣が吹っ飛んでもおかしくないような答弁です。

この答弁と言うのはどういう事を意味しているのか?
「日本国政府は絶対に拉致被害者は助けない」と宣言しているのに等しい。
話し合いで帰ってくるような国であれば、元々拉致などするはずがない。
そういう常識を完全に超えた国だから、全く何の関係もない中学校1年生の女の子を海の向こうまで拉致をしていくわけでございます。
それなのに話し合いをするしか出来ないという事は、取り返さないという事と同じです。
国家は国民の生命・財産を守る義務があります。
その義務を果たしませんよというふうに言っているわけでありまして、この状態であればこれから先、拉致された人は帰って参りません。

今拉致の救出はどういうふうにこの国の政府はやっているか?
警察が捜査をします。
そして警察がこれは拉致間違いないというふうに言ったもの、それについて内閣の責任で認定というのをします。
田口八重子さんもそうやって認定をされました。
そして認定をした人について日本政府は「生存を前提として返しなさい」と北朝鮮側に言う。
そして北朝鮮が「分かりました」と言ったら帰ってくる。
そういう順番になります。

ところがさっき言ったように事件がもう何十年も前の事件が多いわけです。
その事件を調べようと思っても証拠が出て来ない。
ですから100件拉致があったとしても、その中で警察がこれは拉致間違いないと言える事件というのは本当に数件くらいです。
そしてその数件について警察が内閣に渡して「これは拉致ですよ、認定してください」と言ったとしても、今度は政府の方がまた拉致被害者の数を増やしたら、北朝鮮が話し合いに乗ってこないという事で中々認定をしようとしない。
そしてそれでも認定を何とか例えば半分したとして、その人について「これは拉致被害者だと返しなさい」というふうに言ったとしても、そこに圧力がかかっていなければ北朝鮮が返すわけがありません。
という事で今のやり方でやっていたら大部分の拉致被害者は北朝鮮で亡くなっていく、いう事でございます。

いわんやご家族、ご両親はもうすでにご高齢の方が非常に多いんです。
家族会の方々の中でもご両親で一番お若いのは横田さんご夫妻、それでももう70歳を超えています。
私どもの特定失踪者のご家族では90歳とかもう100歳近い方もおられます。
現在私ども短波放送を北朝鮮に向けて流しておりますが、その短波放送の中で一人、東京で昭和40年ごろにいなくなった方で井上征子(せいこ)さんと言う方がおられるんですが、そのお母さんが広島県と島根県の境の山の中に住んでおられました。
娘に何とかして自分の声を伝えたいという事で、今年の2月に大阪まで出て来て下さいまして、そこでこの「しおかぜ」の北朝鮮向けのメッセージの収録を致しました。
で、この電波は今でも北朝鮮に流れておりますが、お母さんは残念ながら5月に具合を悪くされて他界されてしまいました。

私たち調査会が出来ましてからもう4年くらいになりますが、私が直接お会いした方でももう何人もの方がお亡くなりになっている。
北朝鮮にいる拉致被害者の中にも高齢の方は、どうなっているか分からない。
あるいは田口八重子さん、横田めぐみさん、政府認定の方々はほとんど無事だと、特に若い方については私は大丈夫だと思いますけど、しかし今日ご無事であられてもそれは明日の無事を保障するものでは無い。
だから何とかして取り返さなければいけないんです。
話し合いをして相手が分かりました返しますと言うまで粘り強くやりますなどという言葉で、誤魔化せる問題では無いんです。

それでは一体どういうふうにしなければいけないか?いう事でございますけども、まずどこに誰がいるのか?と言う事を調べていかなければいけません。
そして今北朝鮮の中は相当な混乱をしています。
政権が崩壊をしていく直前まで来ている。
体制が潰れたときに、そのときはある意味でいうと救出のまたとないチャンスですが、もう一つ間違えば大変なピンチになる。
その救出をするときに拉致被害者が証拠隠滅のために消されてしまうと言う可能性も存在しているわけです。
そのときには行って助けていかなければなりません。
誰がそれをやるか?

それは誤解を恐れずに言いますけど、自衛隊が行くしか方法が無いんです。
体制が崩壊したときというのは、クーデターとかそういう状況になっている可能性がある。
助けに行ってもどこから弾が飛んでくるか分からない。
民間の船舶ですとか飛行機が行ったって無事に取り返せると言う保証は無い。
その時に場合によったら犠牲を覚悟しても取り返しに行ける集団というのは自衛隊しかありません。
それを使って取り返しに行く。

そして可能であればそれ以前でも拉致被害者の方々と何とかして連絡をつけて、そしてご本人が多少の危険を犯しても逃げ出したい日本に帰りたい、いう意向が明確になれば何とか例えば東海岸に出てもらって、そこで海上自衛隊の潜水艦と陸上自衛隊の特殊部隊を使って救出をする。
いう事も含めてやっていかなければいけない。
国家の責任と言うのはそういうものです。
ひょっとしたらそれによって一人の拉致被害者を救うために何人かの犠牲者が出るかもしれません。
しかしそれでも拉致被害者を助けるんだという意思を示したときに、初めて今この国の安全が確保される。

この国の海岸線の長さというのはアメリカの半分もあるんだそうです。
物凄く長くて、そして入り組んだ海岸線です。
北朝鮮の工作船はどんなに少なく見積もっても月に一回は、日本のどこかにこの数十年の間入って来ております。
止める事は絶対に出来ません。
今陸上自衛隊が約16万ほどいますけども、この部隊をですね。
全部一ヶ所に集めて海岸線を警備したとしてどれくらい守れるのか分かりますか?
せいぜい青森県一県くらいだそうです。
日本全部なんて絶対に守れない。
・・・(聞き取れず)もちろん警察でもとてもそんなこと出来るはずもない。

つまり、この国はですね。
入ってくるのは極めて自由なんです。
そして何をやっても余り警戒をしていない。
スパイがいても捕まえたってスパイをやっているという事では罪にならない。
そういう国です。

だから、そういう国が守るためには、我々自身を守るためにはどうしなければいけないか?
すでに拉致をされた人たちはどんな手段を使っても取り返す。
そしてそういう事をやった国、主権侵害をやった国に対してはどういう酷い目に遭うかという事を分からせる。
こういうふうにしなければまた必ずやって来ます。
北朝鮮が拉致を辞めたという証拠は何もありません。
これからだって必要があれば北朝鮮は拉致をします。
世界中でやっているし韓国でもやっている。
韓国人の拉致の、今韓国政府が認定している一番新しい被害者と言うのは西暦2000年の1月です。

我々のリストでその可能性のある人は2年前までいますが、これは拉致であるとは断言できませんけど、しかし最近でもやっている可能性は存在する。
我々が拉致被害者を放っておけば、また次の拉致被害者が出る。
その拉致被害者になるのは皆さんご自身かもしれないし、そのご家族かもしれないという事です。

拉致被害者の救出運動と言うのは、田口八重子さんがかわいそうだからやるのではありません。
飯塚繁雄さんがかわいそうだからやるのでもありません。
私たち自身が、我々自身が、ここにお出での皆さんご自身が、ご自分とご家族と周りの方々の安全を守るためにはそうしなければいけない。
そういう問題だという事を、ぜひともご理解を頂きたいと思うわけでございます。

私自身、確かに一番最初のスタートは横田めぐみさんの事件が明らかになって、ご両親が活動する。
それに私どももやはりその経緯から言ってお手伝いをしなければいけない。
何とかご両親のためになりたいという思いがそのスタートの所でございました。
しかしやはりやっているうちにそうではない、というふうに実感したんです。
これはもう誰かのためにやる話では無い。
自分たち自身が安全な国を次の世代に渡すためにやらなければいけない事である、いうふうに思った次第でございます。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・
このテキストの音声ファイルはこちらにございます。
ご参照ください。


posted by ぴろん at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(那珂市集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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