2007年02月28日

07.2.12 杉野正治氏2 南越谷集会(3)南越谷サンシティにて

第二回埼玉県東部の会 講演会
〜今年中に拉致被害者全員を救出へ〜
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その2』



実はこの奇妙な共通点と言いますか、これは我々調査会が出来た年ですか。
平成15年今から4年前、調査会が出来て半年くらいのときに実は発表した事があるんですけども、当時は中々特定失踪者と言うのが注目をされていませんで、中々マスコミの方も食いつきが良くなかったんですけども、今年になりましてこういったものを発表しましたところ、少しずつ取り上げて下さっておられる。
捜査機関の方も、警察の方もかなり注目をして来ています。
いうことでございます。

こうした事は我々のみならずですね。
今言いました捜査機関でも当然やられていなければ、もしかしたらやっているかもしれませんが、我々は良く分かっておりません、どこまでやっておられるか?は。
という事でございます。
ただしこれは国内だけ、我々が出来うることの範囲内でございまして、我々国内だけの調査だけでは今後拉致問題の全容解明というのは当然出来ないわけです。

当然これから救出という事をすでに考えなければいけない時期に入っていると思います。
そうした事を考えた場合にですね。
我々北朝鮮からの情報収集という事を考えなければいけません。
皆さんご存知の方も多いかと思いますけれども、私ども「しおかぜ」と言う短波放送をやっています。
これは一昨年の11月から始めまして1年数ヶ月になりました。
この短波放送、実は北朝鮮から一番いいのは拉致被害者から直接の連絡が我々のところにあるのが一番いいわけですけども、現在のところそれはありません。
しかしながら北朝鮮内部で声は聴こえる。
聴いている人がいる、と言うところまでは我々把握は出来ております。

北朝鮮向けのラジオと言うのは我々だけでは無くてアメリカもやっておりますし韓国もやっておりますし、いろんな所でやっております。
それを聴いてくれると非常にありがたいと思っておりまして我々は今やっているわけですけども、情報という事から言いますと我々は中々今まで北朝鮮からの情報と言うのは受け取ることができない。
あるとすれば向こうの何とか放送のいい加減な放送をせいぜい見るしかない。

いう事なんですけども、しかしこの情報と言うのを我々が把握して、そして拉致被害者を救出するとするとき、例えば北朝鮮内部で何か異変があったときに我々が手を突っ込んで乗り込んで、誰がどこにいるか?と言うのを把握して、そして救出をしなければいけないわけでございます。
そうした場合にやっぱり情報と言うのは重要になってくる。
我々この「しおかぜ」、短波放送のラジオなんですけどそれを中心としてですね。
一応「しおかぜ」プロジェクトと名付けましていろんな情報を収集して、そして出来れば最終的には北朝鮮のどこに拉致被害者がいて、そしてどうやって救い出すか?
いう事をすでに考えなければいけないという事で作業を始めております。

その中の一つでですね。
ひとつはこの「しおかぜ」の役割はこちらからも情報を入れる。
ベルリンの壁が崩れたときも、最大の大きかったのはやはり西側の情報がどんどん入ってきた。
これによって東欧内部が緩んできたという事がございます。
そういう事を我々もやっていかなければいけない。
出来ればですね、個人的なんですけどガセ情報の一つでも流しましてですね。
金正日をちょっとうろたえさせたいという思いもあるんですが、そういったことで情報の流入、それから情報をどうやって入れるのか?いう事を一つはやっていく。

もう一つは、先ほど野口さんの話にもありましたように脱北者がどんどんどんどん流出している。
そこからの情報も我々取って行きたい、と思っております。
韓国内にたくさんの脱北者がおられる。
あるいは報道にもありますけど、タイにもたくさんに脱北者が今おられる。
1000人くらいと言うお話で、やはりタイ国境にもたくさんの脱北者が押し寄せて来ている。
こういったところから情報を取れないだろうか?という事で今我々はアプローチをしております。
中には日本にも行きたいと仰っている方も数人おられるそうで、そういった方にもアプローチして行こうという事で今作業を進めておる所でございます。

かなり雑駁な話ではあるんですけど、我々が今やらなければなりたいこと、これはもう救出に向けてどうやっていくか?という事でございます。
先ほど6ヶ国協議という事がありましたけど、野口さんからも韓国はそういう情勢だと。
アメリカですけど、アメリカの状況はですね。
頼りにしたいところは無いではあるんですれけど、アメリカもブッシュ政権非常にぐらついておりまして、一つはイラクに非常に集中をしなければいけない。
この間、兵力の増派ということもありましたけど、それをやっている片方でアメリカが北朝鮮を例えば軍事的にオペレーションをかけるという事は中々期待は出来ない、という事だと思います。

しかもこの拉致問題という事に関して言えばですね。
我々日本がかなり主導的になってやって行かなければならない。
国際的に圧力をかけるという事は当然ございます。
この間国連の高等弁務官のアマルディさんと言う方とお話をいたしました。
「国連として何とか北朝鮮に手を突っ込んでもらえないものだろうか?」と言うような質問がその場であったわけなんですけども、やっぱり国連と言うのはですね。
安全保障理事会で制裁決議が出れば別なんですけど、それ以外ですね。
国連が手を突っ込んでやるという事は、北朝鮮と言うのも一つの国とみなされているわけですから、その国の中に手を突っ込んであれをしろこれをしろという事は出来ない、という事になるようです。

拉致問題という事で言えば、なおさら「そりゃ北朝鮮はいかん」と、非難決議はすると思うんですけどだから何かをやるという事は中々出来ない。
国際的な信用を失うだけなんですけど、北朝鮮と言うのは元々国際的な信用と言うのはございません。
「あんた信用できないよ」と言われたからと言って中々それに従うと言う国ではございません。
そういう事を考えるとやはりこの拉致問題と言うのは日本人が、特に日本人の拉致被害者を救出するためには日本人が何とか頑張って取り戻すという事を考えるべきであります。

拉致被害者は現在12ヶ国に亘っていると言われておりますけども、その中で一番力がありそして救出が出来る国というのはやはり日本を置いて他に無いという事です。
これは日本だけではなくて、そういった国々をリードする役割を我々は果たさなければならない、と言うふうに思います。
冒頭ご挨拶で日本の国家と言うお話がありましたけど、やはりわれわれ日本と言う国、それが出来る国なんであります、能力としては。
しかしながら長いこと我々は同胞を、同じ日本人を拉致されてきた。

「それは国の責任だ」という事は間違いないんですけど、その時に国と言うのはただ日本政府と言うだけではありません。
我々日本国民全員という事であります。
拉致をされたのは我々日本人全員の責任でございます。
であれば、これを取り戻すのも我々国民一人ひとりの力であると思います。
何とか今年早いうちにこの問題を解決する。
その解決の一つ、というか最大の部分はあの独裁政権、金正日の独裁政権を倒すことにあると私は思います。

そうでなければ、我々は民主主義国家であります。
我々一人ひとりの力を合わせれば、たった一人がすべてを決めてそしてすべてを命令して、そして自国民を殺してしまうようなそういう国に我々負けるわけにはいかないんです。
是非ともそういう事を心に刻んで、まだこれからも頑張っていきたいと思いますので、ご協力をよろしくお願いします。(拍手)
posted by ぴろん at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(南越谷集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

07.2.12 杉野正治氏1 南越谷集会(2)南越谷サンシティにて

第二回埼玉県東部の会 講演会
〜今年中に拉致被害者全員を救出へ〜
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その1』

Img_2599.jpg



皆さん、こんにちは。
調査会の杉野でございます。
今日はお招きを頂きまして大変ありがたく思っております。

今、古藤さんからもお話がございましたように拉致問題。
この問題、いわゆる家族会が出来てから10年経つわけですけども、全くまだ問題は解決していない。
私ども調査会ができたのが今からちょうど4年前でございます。
4年もこの問題をやっているとは私も思わなかったわけですけども、やはりそれだけ根が深い問題である、という事であろうと思います。
今日は私ども調査会の活動についてご説明をしていただきたい、という事でございますので、現在我々がどういう事をしているか?という事を話しながら、この拉致問題についてお話をしていきたいなと言うふうに考えています。

冒頭、ちょっとお話にもありましたけれども丁度6カ国協議が行なわれて、今日で終るような事を発表したようですけども、基本的には核問題について話し合う。
日本国政府もその中に何とか拉致問題を議題として、議題と言いますかテーブルに持ち出したいということは仰っておりますけども、これは枠組みとしては中々難しい問題である事はこれ間違いがありません。
拉致問題と言うのは基本的にはやはり北朝鮮と日本の問題である、と言うのが他の4ヶ国の認識であります。
じゃあ、日本と北朝鮮で協議が出来るか?中々出来ない。
いろんな所でキャッチボールを6ヶ国でやっているわけですけども、日本が投げる球を北朝鮮はキャッチしないわけですね。
ですからこの場で何かが出来ると拉致問題について何かが出来ると、中々期待は出来ないわけであります。

しかしながら、拉致問題だけを考えるとそうなんでありますけども、北朝鮮を攻め込んで行くにはやはり国際的な、やはり皆で力を合わせて追い込んでいくしかない。
その時一番有効な手立ては人権の問題なんですね。
北朝鮮の人権問題、拉致問題は当然のことです。
こちらの自国民を虐待している。
あるいは日本からの帰国者は、これはかなり昔から差別をされ、そして中には収容所送りにされている。
その強制収容所の実態というのも重要な問題であるわけであります。
こういった問題で北朝鮮を追い込んでいく。

人権の問題というのは、ある意味では世界共通の問題でありますし、しかも6ヶ国協議の議長国である中国も野口さんからお話がありましたように、非常に面映いと言うかこれで突かれると中国としてもあまり大きい顔は出来ない、いう事なんです。
そういう事で我々もいろいろな民間機関、難民救援基金や守る会あるいはRENK、そういったところと力を合わせながら、この問題を解決していきたいと言うふうに思っています。

我々の活動という事なんですけど、現在一つは昨年の秋からですね。
私どもマッピングリストと言うものを逐次公表を致しております。
毎月一回ずつ、一つか二つずつなんですけど、このマッピングリストと言うのはですね。
マップと言って地図と言う意味なんですけど、実は私どものところに今特定失踪者と呼ばれるリスト、460名の方がいらっしゃる、失踪者がいらっしゃるんです。
今日もご家族の方見えられているんですけども、この人たち、我々出来た当初からですね。
データを作っていくわけですけれども、明らかに共通点と言うのが出てくる、出て来たわけなんです。

私どもがこれまで発表した項目を簡単に申し上げますと、まず第一番目は目撃証言があった人。
これはかなり最近になってからなんですけど、北朝鮮の中で目撃証言のあった方と言うのを並べています。
それから朝鮮半島での失踪者、これは韓国なんですけども見つかったわけです。
それから医療関係、特に女性の方で看護婦さんでいなくなっている方が、かなりたくさんおられるという事でございます。
これ医療関係全部あわせますと、これ20名近くの方が460人の中でいなくなっている。

それから電話関係者、これはいわゆる電電公社の社員だったりとか、あるいは今生島(特定失踪者・生島孝子さんの姉)さんおられますけど、電話交換手をされていた方。
そういった方々が非常にたくさんいなくなっている。
それからアベック、それからご夫婦での失踪者。
これはなぜか1970年代に前半と後半に固まってポンポンと非常に奇妙ないなくなり方をされている、いう事でございます。
後半と言われますと、今帰っていられる蓮池さん・地村さん、それから鹿児島の市川さん・増元さんといったような方々ですけども、特定失踪者の中にもこの時期に非常にたくさんの方がいなくなられている、いうことでございます。

それから印刷関係者、これは最近でもちょっと話題になりましたけども、1970年を中心とした前後に印刷工あるいは印刷技術あるいは印刷の原版を作るのに重要な技術を持っている方、これがいなくなっています。
地域とするとこれは東京の東部から千葉にかけて、という事でございます。
それからこれは一緒くたなんですけど、原子力発電・核兵器・ミサイル開発、これは当然北朝鮮をミサイルあるいは核という事を見越して、というふうにしていたわけですけども、こういう方がたくさんいなくなっている。

中にはですね。
かなりご年配の方ならご存知かもしれませんけど、かつてはココム規制品というのが、対共産国主義国に輸出してはいけない品物と言うのがございまして、こういうのを作っていた日本でもかなり最高の技術を持っていた方がいなくなっている。
テポドンが飛んできて日本列島を越えて太平洋に落っこちた、という事がございましたけど、あの時はその失踪者の同僚の方が、「あれはあいつの技術でミサイルが飛んで来たんだよ」と言うふうに友達が言っていた、同僚が言っていた、いう事でございます。
そのくらい高度な技術を持った方がいなくなっている、いうことです。

それから失踪前後に不審な電話があったというような方が、これも非常に頻繁に見られるいう事でございます。
これはどういう事か?我々も中々図りかねるわけですけども、ひょっとすると拉致をした方が家族がどういうふうに感じているのか?探るために電話をして来たと。
あるいは、無言電話と言うのがあるんですけど、攫われる前に本人が「最後に一回だけ電話してもいい」と言われた。
それで無言だけど電話をして来た、という事かもしれません。
これは色々考えられるわけですけども、失踪直後に不振な電話がある。
これは割りと年数が下ってからもですね。
電話が本人、あるいは本人を知っている者から電話がかかってきたとしか思えない、と言うような電話が頻繁にあるということでございます。

それから後は年代的にですね。
例えば1980年代中盤あるいは90年代の初めに若い女性がいなくなっている、いうことがございます。
今日お出でになっております佐々木さんのお母さんでいらっしゃいますけども、佐々木悦子さんもこれに該当する方でございます。
それから学歴なんですけどもこれが非常に奇妙で、同じ中学校と高校だけに限定しますと14件の方が同じ中学・高校の出身でございます。
ここは埼玉ですから申し上げますけども、田口八重子さんと川口のご自宅からいなくなった新木章さん、この方同じ高校を卒業されています。
在籍は別だったんですけど後で同じ高校になっちゃったと言うパターンなんですけど、実はこういう同じケースが全国でも14件ある。
これは中学・高校だけでも。

サンプル数で言うと実は460件全部がお届けされているわけではありませんので、分かっているだけ300件。
300数件なんですけども、この中で14件が同じ中学高校を卒業という事で、これ統計的に見ても非常におかしな話でございまして非常に注目をしている。
大学の話、これはちょっとマスコミにも出てますけど、関西のある有名な私立大学ですね。
ここからはなぜか在学中に失踪した方を含めて8名の方がいなくなっている、というような奇妙な事が起きています。

こういったマッピングリスト、実はまだ完成していませんで逐次発表しておりますけども、例えば今日お手元に資料がありますけども消えた川口の7人。
あるいはさっき佐々木さんの話、あるいは新木章さんの話も出ましたけど、この地域的な問題ですね。
埼玉県の川口市、たくさんの人がいなくなっている。
我々がいわゆる1000番台としている方のこの中には、藤田進さん・佐々木悦子さん・新木章さん。
非常にですね、怪しいケースがこの川口には集中している。

あるいは西の方に行きますと神戸ですとかね。
そういった非常にこれも偶然とは思えないような失踪が相次いでいるという事でございます。
これはこれからも徐々にまた増やしていきまして、現時点ではまだ載っていませんけど近くHP上でも公開いたしますので、是非これご覧になっていただきたい。

・・・その2に続く・・・
posted by ぴろん at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(南越谷集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月25日

07.2.12 野口孝行氏 南越谷集会(1)南越谷サンシティにて

第二回埼玉県東部の会 講演会
〜今年中に拉致被害者全員を救出へ〜
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

『野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金)の講演』

Img_2597.jpg



こんにちは。
北朝鮮難民救援基金の野口と申します。
本日は、こういう席にお招きいただきましてどうもありがとうございます。

私たちの団体は、脱北者を支援している団体という事で、日本とですね。
韓国にももちろん私たちみたいに支援している人たちはたくさんいます。
私自身3年前の12月ですか。
北朝鮮から逃げてきた帰国者の人を助けているというですね。
作戦をしている間に中国で捕まって、8ヶ月拘束をされたんですが、韓国にもですね。
もちろんそういう方たちがいます。
で、実際そういう方が中国で捕まった場合、どういう仕打ちを受けるか?と言うのをですね。
そしてまた、韓国と言う国はどういう対応を取るのか?というのをちょっと私の場合と、完全に同じ条件では無いので多少状況は変わってくるんですが、違いみたいなものをちょっとお話したいと思っております。

皆さんですね。
記憶にある方もいらっしゃるかと思うんですが、今から4年前ですね。
ですから、2003年の1月に煙台ボートピープル事件というのがありました。
その時はですね。
漁船を2隻ですね。
これを使って日本と韓国に1隻ずつ脱北者を中国から脱出させるという作戦がありまして、それで1月の18日に決行させる。
船を出航させる予定だったんですが、その未明に一網打尽にされてしまって約80名くらいの脱北者の人が拘束されて、その計画に関わっていた現地の主に朝鮮族の人たちと、あと首謀者とされた韓国人が拘束されるという事件がありました。

でですね。
これ首謀者という方が崔永勲(チェ・ヨンフン)さんと言うんですが、裁判を受けまして5年と言う刑を言い渡されました。
その後ですね、3年11ヶ月の服役を経まして、去年の11月にですね。
中国から韓国に帰って来たと、そういう流れがありました。
それでですね。
私は実は彼が拘束される2週間前に中国の煙台で会っていまして、「こういう計画がある」という事を実は聞かされていまして、「日本に1隻のボートが行くから」と。
もしか行って、日本の領海に入って海上保安庁等々に連絡をして、「受け入れをお願いします」と言うような事を僕らの方に知らされていて、それで実際に煙台で僕が会って、捕まったと。

今回韓国に帰って来たときに私が韓国に会いに行ったんですね、今年の1月、2〜3週間くらい前です。
で、色々話を聞いていくうちにこれは私のケースと凄い桁違いだな、という事で凄く驚きまして、まずですね。
彼が捕まって、もちろん韓国の領事が来るわけですね、彼に会いに。
そのカンショウ(?)に来たときに、領事の方が言うには「あなたは中国の法律を破ってしまったんだからしょうがない」と。
「これから裁判に行ってどういう結果が出るか分からないが、ここでずっと仕事もしないで寝起き出来るんだから」と、「ゆっくり休みなさい」と、「私も代われるものなら代わりたい」と、「私も忙しくて休めるものなら休みたいよ」と、そんなような言い方をしたらしいですね。

方や、私が捕まったときもすぐに領事館から人間が来まして、その時はですね。
「野口さん、心配しないでいいから」と、「日本の政府も一生懸命中国の政府と掛け合って、なるべく早く釈放されるようにこちらも動くから、大変だと思いますけど何か欲しいものがあったら今伝えて欲しいし、何か不都合があったら今言ってください」
まぁ、こういう感じでした。

それですね。
それから3年11ヶ月の間、彼は拘束されるんですが、出所になる2ヶ月くらい前から約1ヶ月の間ですね。
囚人たちが6人か7人か8人、寄って集って殴る蹴るの拷問を加えたっていうんですね。
それだけではなく、彼はキリスト教徒だったのでちょっとお祈りをする部屋が欲しいという事で、それは言ったらそれは認められて小さな部屋をあてがわれたらしいんですが、そこでお祈りをしていると後ろ、背後からですね。
その囚人の人たちが何人か来て、彼を羽交い絞めにして殴る蹴るをすると。

場合によっては彼を羽交い絞めにしてある時は、注射を持った医務官みたいのが来て注射を何回かされたと、いうこともあったようです。
その注射をするとですね。
とにかく意識が朦朧として記憶が無くなる感じがあったそうなんですね。
実際それが何だったのか?と言うのは実は分からないんですけど、彼が言うには実際韓国に帰ってきて、頭の調子もおかしくなったし、そういう暴行があった2ヵ月後に釈放になったという事を考えると、もしかしたらですね。
中国の政府が帰国が決まっている彼に対して、もうこいつ廃人にしちゃおうと。

廃人にすればですね。
実際どういう事があったのか?とかですね、どんな酷い事が現場で起こったのか?とか、そういう事をもしかしたらですね。
口封じしちゃおうとそういうような可能性も、深読みすればですね、あったのかな?というふうにも思いました。
私の場合は、刑務所ではなくて未決囚が収容されている監守所だったので、拷問みたいなものもありませんでしたし、そういった注射みたいなものもされる事はありませんでした。

その後、彼はですね。
去年の11月に帰ってくるんですが、最初に私のケースで言えば成田空港に着いたときには取材の方たちが来て、その後記者会見みたいなことを成田空港でして、そのまま帰ってきました。
その後は外務省の邦人保護課の方に呼ばれて、その時の状況ですね。
「どういう拷問をされましたか?」とかですね。
いろんなその、「体は大丈夫ですか?」とか、そういった事を聞かれるわけですよ。

方やその崔さんの場合なんですが、彼は空港に降り立って税関と言うか出口ですね。
ゲートを出ると搭乗口の迎えの人たちがいるところに出る前に韓国の警察が待っていまして、いきなり3年11ヶ月もそれこそ脱北者の人を助けようと思って一生懸命やっていた人にも関わらずですね。
「あなたには詐欺の罪がある、詐欺の容疑がある」と言ってですね。
「現行犯で逮捕する」と言って手錠かけられて連れて行かれそうになったと言う事なんですね。

それはどういう事か?というと、彼は脱北者を助けながら中国で事業をしていて、それは建設機器の部品の商社みたいな事をやっていて、どうやらいくらかお金を借りていたらしいんですよ、その事業のために。
それが確か200万くらいだったと思うんですが、借りていてもちろんそれは返すはずだったんですが、3年11ヶ月の間返せるわけ無いですよね?捕まってしまったんですから。
それを盾にですね。
「あなたは返すはずだったお金をこの間返していない」という事でですね、「これは詐欺だ」ということで逮捕されそうになったと言うんですね。
実際その逮捕状を良く見てみると、罪状なんかも身に覚えの無い事が含まれていたり、生年月日なんかもいい加減だったりしたらしいです。

そうするとですね。
中国の方も拷問をかけてですね、彼を破壊しようとしたと。
もうひとつ自分の国である韓国に帰って来てですね。
あたかも彼が空港を出て記者に何か話そうとするのをですね。
阻止するような感じで口封じするような感じでですね。
降り立った瞬間に彼に手錠をかけてそのまま留置をしようとするという、そういうですね。
耳を疑ってしまうような事件が実際去年の11月ですか。
起こっているという事ですね。

彼は結局その後おそらくそのストレス、せっかく帰ってきて家族にも対面する前に手錠をかけられたと言うストレスだったと思うんですが、ちょっと頭がその当時おかしくなっちゃったような状況で。
たまたまその留置場に入れられる前にそこに迎えに来た国会議員の方がいて、「私が彼の身柄をちゃんと保証するから今日は返してあげなさい」と「国会議員として保障するから」と、帰る事が出来たんですが。
手錠を外されて家に帰ってもですね。
やっぱりPTSDというか凄く情緒が不安定になって、もちろん家族に会えるのは嬉しいんですけど、夜パッと起きて奥さんの顔を見るとそれが自分をリンチした囚人と同じに見えたり、時によっては奥さんとか子供が監守の人たちに見えるという事で、結構最初の1ヶ月くらいはですね。
家族に暴力を振るうという事があったらしいです。

実際に病院に行くとですね。
統合失調症なのではないか?と言う診断を下されまして、これで家族もですね。
これまで支援して来た人たちも、これで大変だなという事になったんですが、落ち着いてみてですね。
何軒かの精神科医をたずねて行ったところ、あれは急激なストレスが加えられたことによる一時的な錯乱状態だったという事で、統合失調症というのは誤診だったらしいんですね。
それで今、徐々にですね。
そういった状況から脱して精神的にも安定してきていると言う状況らしいです。

ただですね。
これだけ本当に韓国と日本の間でも、人道支援家と言う人の目を通してみてもこれだけ大きな差があると。
もちろん彼がやった事は僕がやったことよりも規模が大きいですが、それでもですね。
これだけの大きな差があって、逆に言えば彼のやったことと言うのは本当に自分の民族を助けると言う、韓国の人たちが常々言っていることをやったにも関わらず、そういったとんでもない仕打ちを受けるという事をですね。
今回、本当にまざまざと見た思いでした。

実際ですね。
本当に韓国の人たちは太陽政策とか私たちの民族とか色々言うんですが、そういった事は今に始まったことではなくてですね。
実際に私もまだ東南アジアとかで、動いていたときに脱北者の人をですね。
あれはカンボジアのプノンペンだったんですが、子供6人をですね。
プノンペンの韓国の大使館に「保護してください」と連れて行ったときにですね。
凄く嫌な顔をされまして、「今回今日は彼らを受け取りますが、次にまたそういう事をしたらですね。私たちはあなたたちをこの大使館に入れる事は出来ない」と韓国人の参事官が言ったりするんですね。
本当に不思議な国だなというふうに、その時に思ったんですが。

この後萩原先生の方からおそらく詳しい話があるかと思うんですが、1月に韓国に行って「実際今年の大統領選どうなるんでしょうか?」という事を何人かの人に聞きましたが、おそらく今のウリ党で野党でハンナラ党がありますけど、ハンナラ党が仮に政権を取っても状況はあまり変わらないでしょう、と言う意見が大半でした。
もちろん今の盧武鉉政権を批判するために、ハンナラ党としては今の太陽政策は間違っているとかですね。
そういった発言をする人たちも多いんですが、基本的には無関心だって言うんですね。
自国の拉致問題に対しても無関心だし、脱北者の問題に関しても無関心だと。
選挙に勝つための材料としてウリ党の今の政策を批判する事はあるけど、結局どちらが勝とうとも基本的には無関心だし、あまり大きな変化を期待してはいけないと言われました。
そうなるとですね。
やっぱり脱北者、人権・人道の問題にしろ拉致の問題にしろ、韓国に頼る事は無駄だというか、頼れないのかな?と言う思いを本当に強くしました。

最後なんですが、今の実はお話した話がですね。
おそらく2月の25日、もしくは次の週だと思うんですがこの崔永勲さんという韓国の人道活動家の方とですね。
話とかですね。
韓国の今の状況とか含めた話が報道特集で放送されると思いますので、宜しければご覧になっていただいて韓国の状況をご覧になっていただけたらと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)
posted by ぴろん at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 集会テキスト(南越谷集会) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

★第二回埼玉県東部の会(南越谷集会)講演会テキスト一覧表

第二回埼玉県東部の会講演会
〜今年中に拉致被害者全員を救出へ〜
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

1 野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金)の講演
http://piron326.seesaa.net/article/34622522.html

2 杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その1
http://piron326.seesaa.net/article/34830821.html

3 杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演 その2
http://piron326.seesaa.net/article/34923137.html

4 特定失踪者家族の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/35010414.html

5 萩原遼氏(ジャーナリスト・北朝鮮研究家)の講演 その1
http://piron326.seesaa.net/article/35124490.html

6 萩原遼氏(ジャーナリスト・北朝鮮研究家)の講演 その2
http://piron326.seesaa.net/article/35408148.html

7 萩原遼氏(ジャーナリスト・北朝鮮研究家)の講演 その3
http://piron326.seesaa.net/article/35408318.html

8 質疑応答
http://piron326.seesaa.net/article/35408516.html
posted by ぴろん at 10:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月23日

07.2.11 質疑応答 和光市集会(8)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『質疑応答』

★質問者1

荒木先生にお尋ねします。
6カ国協議で日本だけ蚊帳の外にいるような感じで、ちょっと不安なところがあるんですけど。
その中で核の問題が国際的に6カ国協議で重要なのは分かりますけども、問題は北朝鮮の金正日体制なので、金融制裁等でっですね。
かなり疲弊しているという事は聞くんですが、瓦解するという事。
それを国民の皆さんが一番期待しているんじゃないか?と思うんですが、そこらへんですね。
要するに力の行使しなくても、そういう方法と言うか、具体的に計画があるあろうとは思うんですけど、これだけの制裁があっていろんな角度で締め付ける中で、それの見通しと言うか、具体的にどんなものか分かりましたら、一つお願いします。

★回答 荒木和博氏

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私はですね。
十数年前から北朝鮮はすぐに倒れると言うふうに言ってまいりまして、94年に金日成が死んだ時にはですね。
周りにいる連中に向かいまして、1年以内で政権が崩壊するのに10万円かけると、10年以内に100万円かけてやると言ったんですが、幸いにして誰もかけに乗ってくれなかったので今日の私が保証されている、という事でございます。

その頃94年と言うのは第一次の核危機の時だったんですが、アメリカはジュネーブ合意と言う極めていい加減な合意をやりましてですね。
問題の先送りをしました。
あの時要は、アメリカはクリントンですけどクリントン政権にどういう意思があったか?と言いますと、2〜3年すれば金正日の体制潰れてしまうだろうと、だから今話をややこしくしなくてもですね。
問題が解決すると言うふうに思ったんですが、実は解決をしなかったいう事でございまして、結論はですね。
いつ潰れるのだろうというふうにするのではなくて、どうやって潰れるか?という事でですね。
どうやって潰せるんだろう?と考えていく事が必要であろうと。

で、この核の問題について言いますと、アメリカと中国はですね。
北朝鮮が核を持つことまでは認める可能性があります。
どうしてか?と言いますと、これは自分が核を持っていますから核の抑止力と言う意味ではですね。
アメリカも中国も幾ら北朝鮮が核を持っても何の関係もない、という事であります。
アメリカも中国にとっても怖いのは、特にアメリカにとっては北朝鮮が核兵器を作ってそれを外国に売ってしまう。
アメリカに敵対している国に売り飛ばすという事が一番怖いわけでありまして、そこはさすがに許せないであろうと。

それからこれはアメリカ・中国でも共通でしょうが、どちらにとっても怖いのは、北朝鮮をネタにして日本が核兵器を持ってしまうと、これがやはり一番怖い。
だからチラッとそんな匂いがあったらですね。
ライス国務長官が飛んできて「いや、アメリカ全部守りますから」という事を言って行ったと、そういう事がありましたが、そういうことであろうというふうに思います。

ですからこれ一つにはですね。
アメリカ・中国に圧力をかけさせるには、ちゃんとやらなかったら日本も持つしかないでしょうと。
こんなもの、あんた方は持っているからいいけれど、わが国は持っていない。
アメリカとの関係はそりゃ同盟関係だけど日英同盟だって昔はそれは戦争をしたんですから、いつどうなるか分からない。
やはり自分で持つしかないですねと、こういうふうに言えば、これは大変なこっちゃという事でですね。
北朝鮮に対する圧力がもう少しはかけるようになるであろうと思います。

金正日の体制事態は、仰るとおり金融制裁等々でかなり締め上げられていることは間違いないです。
この間山拓さんが行ったのもですね。
ともかく制裁を解除させる方向に向けてやりたい。
ところが今まで手をつけていた政治家はですね。
皆もう引退したりしてしまっていて、あまり使える人がいない。
で、しょうがないんで女か何かで吊り上げられる人を使った、いう事であろうと言うふうに思います。

しかし、今山拓さんに声を掛けなければいけないほど北朝鮮はもう手が無いという状態でありまして、ですからもうちょっと頑張ればですね。
さらに干上がっていくであろうと。
そしてそこに必要な、こちらからどういうアクションを起こすか?ですけど、爆弾とか撃ち込む必要とかはありませんで、如何に北朝鮮に向かって情報戦を仕掛けられるか?
このまま行くとあなた、まぁ幹部の人たちに向けてですね。
金正日と一緒に沈没して行きますよと、本当に最後までいていいんですか?と。
今立ち上がってくれたらですね。
あなた民族の英雄ですよ、世界中が喜びますよと、日本もアメリカもですね。
皆が歓迎しますよと、どっちを取るんですか?という事をやっていくと、いう事が必要だと思います。

私どもの「しおかぜ」の中でも朝鮮語の放送の中でやはりですね。
北朝鮮の幹部に対してはともかく皆さんが拉致問題に対して一生懸命協力してくれれば、我々は絶対にそれを忘れる事はありませんと。
もし、協力できるのに協力しなかったら私らはそれも絶対に忘れませんよと、言うような事を言っているわけですが、この3月からですね。
我々前から言っているんですが、お話が出ているんですけど北朝鮮にビラを送るというのをですね。
開始します。

北朝鮮にですね。
3万単位のビラを送って、その中に拉致被害者の情報を出してください。
出してくれたら金銭的な保証もするということをですね、やっていく。
これ我々と一緒にやっている韓国のNGOの方々もそうなんですけども、今も金正日の体制に幹部の人たちはくっついてちゃ駄目だと、そんな事をしていたら大変なことになりますよと、揺さぶりをかけていくということをやります。
韓国の方々はこの風船にビラを乗っけてというプロジェクトを2年間くらいやっていまして、今まで北朝鮮から14回抗議が来ている。
止めさせろという抗議が来ているそうで、それだけ効果があるというふうに我々知りまして、日本からもそれをやる。
韓国のNGOの方々からは日本もこういう事をやっているのか?という事で、北にとっては非常に大きな圧力になるであろうというふうに言ってくれておりますので、そういう事をやってまいります。

それ以外にも出来る事があれば何でもぶち込んでいきたいというふうに思っておりまして、そういう情報戦によってあの体制を潰していくと。
それが出来る一歩手前まで来ているのではないか?と。
これをやりながら例えば北朝鮮から誰か拉致被害者が脱出してくれるとか、あるいは重要な情報が出てくるという事になれば、日本政府はさらに姿勢を強行にせざるを得なくなる。
それが結果的にあの体制を倒して問題を解決していくことになろうという事でございまして、そのような事をやっていくと。

さらにここに来ている皆さんには是非お願いですが、そういう動きをぜひとも支援をしていただきたいという事でございます。
北朝鮮に対して食糧支援をしようというふうな声があったらば、そんなことはとんでもない話だと、そんな事をしたら逆にあの独裁政権が長生きをして北朝鮮の一般の人たちがいつまで苦しむだけだと、そういう事をですね。
そして日本政府が強硬な態度を取ったときに、やはりマスコミとかいろんな所でですね。
それに対し批判もあると思います。
私は批判はあっても良いとは思うんですが、そういうときに「いや、政府は頑張れ!」と「このままやっていいんだ」と言う支援がやはり世論があるという事が一番大事だと思いますので、そういう事をぜひともバックアップをしていただきたいと思います。
以上です。
ありがとうございます。(拍手)

★質問者2

荒木先生にお尋ねいたします。
今、核の問題が出たんですが、チャンネル桜という放送がございます。
そこの番組を見ておりまして、岡崎研究所が、中国の方の色々な政策を決めるような方々を共同研究しているような番組で、核の問題がちょっと出たときにですね。
日本が核を持てば、日本には非常に危険であるという事を非常に強く強調し、付け足しのようにアジア全体に危険なことですと言うように言っておりましたが、要するに国連憲章の中に敵国条項と言うのがありますよね?
敵国条項を主要5カ国は、国連にも図らずに自国に危険な事が起きたら、すぐ攻撃する事が許されると言うような意味合いの条項で敵国条項がありますが。
拉致の問題とちょっと離れますが、荒木先生の色々情報が豊かな中でどのようにそのことについてお考えか?
私はその言葉に、中国の側のちょっと引っかかりを感じていますので、お願いします。

★回答 荒木和博氏

コンパクトにお答えしますとね。
まぁ好きなようにやればいいじゃないか?というのが、正直なところでございます。
敵国条項があろうが中国が何を言おうが好きなようにやればいいのであって、やりたいようにやればいいじゃないか。
危険な国と言うのであれば、中国の方が日本よりはるかに危険でございまして、もっと危険なやくざの親分がチンピラにですね。
お前は悪いと言われる筋合いは無いということでございまして、我々は最初の国連憲章に基づいてですね。
ちゃんと責任も果たしているしたくさんのお金も払っている。
まともに金も払っていないのに安保理の常任理事国になっている中国に、余計な事を言われる筋合いは無いという事である。

さらに言うならば、日本はこの戦争負けてしまったわけですけども、最大の悪かったのはですね。
アメリカと戦争をやって負けてしまったおかげで、結局中国大陸はほとんど共産化されてしまったと。
これは私は日本の最大の戦争責任だと思いますので、その戦争責任を何とかして、まさに国連の精神に則った世界を作るために、中国や共産党は一番悪いと私は考えています。
拉致の問題でもこの中国と言うのは必ずどこかに引っかかって来る事でございまして、あの体制は最終的にはどうにかしなければならない。

朝鮮半島の問題はですね。
私元々朝鮮半島の専門家ですから、いわゆる朝鮮屋でございまして、あんまり朝鮮半島の問題たいしたこと無いと言うとですね。
自分も何かたいしたこと無い人間みたいに見えるので、我々朝鮮屋はどうしてもですね。
朝鮮半島って大変なものだ、金正日の恐るべき能力があるとか何とか言うんですが、たいした事はございません。
本当の問題はその向こうにある中国の方がもっと問題でありまして、朝鮮半島の問題はある意味で言うと練習問題みたいなものだと言うふうに思っております。

ですからともかくですね。
この問題は相手がどう言おうとも本気にしないでですね。
我々が思った事をやればいいと。
向こうも本当はそう思っています。
どうせ日本はやりたいようにやるに決まっていると思ってますけども、止められるところまではそういうふうに言おうとしているだけの話で、本気で日本がそれに従うとは思っていませんので、やはりこちらはやりたいだけの事をやればいいのでは無いかと思っています。(拍手)

・・・主催者より閉会の挨拶があって、集会は終了・・・

2007年02月21日

07.2.11 飯塚繁雄さん 和光市集会(7)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の訴え』

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皆さんこんにちは。
普段からこの問題に対しまして非常な関心を持ち、深いご理解とご支援、ありがとうございます。
私も集会に来るたびに皆様の強い大きな力を感じ取って帰っていくわけですけども、また明日への頑張りの糧になるという事で、皆さんのこういった雰囲気ありがたく頂戴しています。

今まさに拉致問題に関してはこう着状態と言う話がありますけど、嵐が吹き荒れて来るぞという非常な今までに無い大きなある意味ではチャンス。
ある意味では問題がどういう方向に転がっていくか、どういう方向に行くかわからないところに来ていると、言う状態でございます。
このところ6者協議の様子も見ておりますと、相変わらず北のキム・ケガンですか?
あのふてぶてしい顔が良く出るんですけども、ああいう顔をされているという事は、私たちにとっては非常に怒りを、逆に我々の弱みを感じている逆の効果を出しているんじゃないか?と思うわけですけども、この6者協議の中で相変わらず日本としては、先ほどお話にありましたように拉致問題をきちっと解決させなければいかなる援助もしないと、いうこのハッキリした態度。
これを我が政府、安倍総理含めて強く出てくれております。
これがあるうちは私は期待したいと思います。

怖いのは、核の問題だけで核の停止を条件に支援が決まってしまっては、この後日朝協議いくらやろうと解決の方向に行きません。
従って日本は核の決議をする中にも、今言った拉致問題も日本の重要な問題だという事をはっきりと強く申して、その他の国に対しても、日本はそういう態度を崩さないと言う強いメッセージを出していただきたいと思います。
安倍内閣については非常にこのところいろいろごたごたの足を引っ張る動きが一杯出ていますけど、少なくとも総理大臣として国家の重要課題であるこの拉致問題の対策本部を置いてやろうと、いう事についてはこれ誰も反対する理由は無いわけですよね。

今自民党の中でもあるいは民主党・社民党等も含めてですね。
こういった国家の人権問題、拉致があっていいという人はいないはずなんです。
なぜここにベクトルを合わせて日本全体が怒りの態度・怒りの声を発しないのか?という私たちは衝撃に一般の市民として感じています。
ですから私たちは少なくとも安倍政権が頑張っている間は、絶大な支援をしていきたいし、またその足を引っ張る人についてはきちっと意見を申し上げていきたいと、そういう気持ちでおります。

とにかく北側と言うのはですね。
すべて悪事を働いて犯罪国家であるわけです、何事においても。
それに対して、支援をやるからお願いだから止めてくださいというような形の雰囲気になってはまずいと。
あくまでも例えば支援がなくても、その悪事を撤回しなければとんだ事になるぞという脅かしを受けてですね。
やっぱり彼の国にも強い態度で出ないと、またこの問題もおかしな方向に行くという恐れがあるという事を近々感じております。

時間がありませんので、私たち家族会としてもですね。
先輩諸兄の皆さんのご意見・指導を受けながら、安倍政権要するに対策本部という中の活動をこれからもずっと見つめていきたい、注目もしていきたい。
あるいは・・・・(聞き取れず)もし、一体となった形でこの問題が是非進むように、今年こそはとまた私言いますけども、何かの動きとして良い方向の動きとして出てくるのではないか?と言う期待を込めております。

それにしても一番に総力として力になるのは、先ほども言いましたように皆様の世論です。
世論がこの問題について固まっている限り、政府も安倍政権も安倍総理もそれを大きな力として頑張れるというふうに、当の総理も言ってましたし私たちもそう感じております。
従って私たち家族会も全国津々浦々相当回りましたけども、力の限り皆さんに訴えましてですね。
本当に心はひとつだと言う期待の下に、皆さんの更なるご支援をお願いして参っていきたいと思います。
今日は本当に長く時間を借りましたけども、皆様の熱心なお顔を感じまして、またこれからの私たちの力となっていくと思います。

それから各自治体の皆さんも相当細かいところまで気を使っていただいて、こういった活動をご支援していただける姿も最近良く見受けられます。
この四市についてもそういう形では大変ありがたく思っております。
また皆さんと共に、共に戦いましょう。
今日はどうもありがとうございました。(拍手)

07.2.11 鈴木智さん 和光市集会(6)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

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こんにちは、はじめまして。
私、「拉致問題を考える川口の会」の鈴木と申します。
現在拉致問題は暗礁に乗り上げ、解決の道のりは困難を極める状況にあります。
いかなる状況にありましても、北朝鮮に拉致された日本人を救出しよう。
この言葉に私どもは大変胸を打ち、お力添え・ご支援をいただきますことに、本日お休みの中をご来場いただきました会場の皆様、このような催しをご準備いただきました四市協議会の皆様に、この場をお借りしまして心より厚く厚く御礼申し上げます。

川口の会の立ち上げにつきましては、拉致被害者・田口八重子さんが17歳まで住んでいた地元町内会からの発信でございまして、田口八重子さんの家族と当初より支持・支援をいただきました行政とによりまして、「田口八重子さんを救う市民の会」として発足し、その後本籍・住居・勤め先等、川口市と大変関わりの深い特定失踪者家族が加わりまして、家族・市民・行政とが三位一体となった会の特徴から「拉致問題を考える川口の会」として活動を行ない、現在に至っております。

一方私の弟は、特定失踪者でございまして、先ほど国際的な視点からお話をいただきました日頃拉致事件の全貌の解明、失踪者の拉致疑惑の有無、さらに拉致被害者の救出活動を支援されている特定失踪者問題調査会の荒木代表のところに、私の弟の場合も届出をしまして調査を依頼してまいりました。
ここにパンフレットの中には埼玉県の特定失踪者と言う事がうたってございますが、全国で失踪者のいわゆる調査対象になっている人は460名と言われております。
その中の15人が埼玉県の特定失踪者なんです。
そのうちの6人が、川口に何らかの関わりがある特定失踪者だという事が言えると思います。

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それでは、すみません。
皆様から向かって一番左側が今のお話にございました田口八重子さんですので、この場では割愛させていただきます。
二番目、井上克美さん、21歳です。
(昭和)46年12月の29日、川口でお勤めになった会社の忘年会の以降、友達と別れてそれ以降、行方不明という事でございます。
それから鈴木賢、24歳、昭和47年5月28日、会社に就職した春のレクリェーションという事で奥多摩に行くという事でもって、当時の自宅でございました三芳町藤久保の家を出て以降、何の音信・音沙汰もございません。

それから藤田進さん、19歳、昭和51年2月7日の失踪でございます。
東京学芸大学の一年生でございまして、新宿にガードマンのアルバイトに行くと言って川口の自宅を出たまま、行方不明です。
藤田さんにつきましては皆様も、いろんな観点からあるいはいろんな報道から内容はご存知と思うんですけど、脱北者から写真をもたらされて、日本で持って専門家が鑑定したところ、9分9厘間違いないということで日朝会議等で北朝鮮の方に問い合わせをしたが入国はしていないとか、あるいはその後の状態については現在の段階では全く不明でございます。

次は新木章さん、29歳でございます。
昭和52年5月21日の失踪でございます。
川口市の自宅から外出したまま行方不明という事でございます。
それと次が佐々木悦子さん。
佐々木悦子さんの場合は平成3年なんですね、失踪したのが。
4月22日、彼女の場合は実家は川口なんですけど、浦和に住まいを移しまして結婚した関係で。
会社に行くと言って家を出たまま行方不明という事です。
それと石井久宏さん、29歳です。
石井さんは49年5月1日、100万円以上の経営資金を持ったまま、自家用車ごと失踪・行方不明ということでございます。
ありがとうございました。

今、このように紹介をさせていただきましたけども、皆それぞれ失踪の動機と言うのは全く分かりません。
ハッキリしているのは忽然と消えたと言う事実のみでございます。
先ほど来、お話を伺ってますけども、私も心境の一つとしましては、卑劣極まりない北の金正日には、何の関わりもない何のいわれも無い日本人を一方的に略奪し、拉致そのものが発覚し謝罪しても尚、国の存亡、自らの命の存命のために帰そうとしない。
こんな事があっていいのでしょうか?

私も日々頭をよぎる事は、北から騙され続け、試され、脅かされ続けて尚、日本は被害国にも拘らず、話し合い・交渉の窓口さえ一方的に閉じてしまうと。
こんな事が今の世の中に、北朝鮮の持っている戦術・戦法しかありえないんじゃないか?というふうに思っています。
空しさ・悔しさ、この気持ちをどこにぶつけたらいいんでしょうか?
私は拉致被害者救出の道を、あるいは救出の火を消さないこと。
赤々と救出の炎を燃やし続けていきたいと思います。
どうぞこれからもご支援のほど、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)

2007年02月20日

07.2.11 本間勝さん 和光市集会(5)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)の訴え』

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皆様こんにちは。
今日は拉致被害者救出のために大勢来ていただきまして、本当にありがとうございます。
こういう集会に参加していただく事が拉致被害者救出の支援なんです。
ありがとうございます。
こういう事が長く続かないように、一日も早く八重子が日本に帰って来られるように皆様のご支援、よろしくお願いいたします。

八重子はですね。
昭和30年生まれです。
とても親父に可愛がられていました。
その親父も10年後の昭和41年に他界しましたけども、その後ですね。
母が平成の4年に亡くなりました。
その亡くなる前にですね、八重子の拉致された実態が金賢姫によって判明致しました。
その時は母は「親父が、父ちゃんが先に亡くなっちゃって良かったね」と。
「一番可愛がっていた娘が拉致されて北朝鮮にいて帰れない状況が分かったら、物凄く怒ったであろうし、当然悲しむであろうし、そういった思いをさせないだけでも良かったね」と、そういう事を言っているんです。

本当にこの拉致問題は我々家族にとって、私の家族はきょうだい7人いるんですが、一番下の八重子、これがですね。
1歳と3歳の子供を日本において拉致をされた。
母親を拉致していったんですね。
当時なんでこんな状況になったのか?という事を言いますと、旦那とですね。
もう離婚状態になって、女手一つで子供を養っていかなくてはいけない。
そういった状況で池袋の飲み屋と言われていますけども、キャバレーに夜勤めておったわけですね。
その時に北朝鮮の工作員に狙われて、韓国のオリンピックの妨害に大韓航空機の爆破と言うそういう事件に巻き込まれていったわけなんです。

だから八重子は、北朝鮮は大韓航空機の爆破を認めてはおりません。
金賢姫の存在も認めておりません。
非常に、生還する条件としては厳しいんですね。
私たちは覚悟をしています。
最後に出て来たって、生きて帰ってくればいいんです。
命があって、自分の娘や息子、それと巡り合わせてやりたい。

その間の子供を大きくするのに、うちの一番上の兄貴が非常に苦労しました。
家族会が97年に発足されても私たちは名乗りを上げられませんでした。
というのは、1歳の耕一郎が思春期、大事な時期を迎え、それが母親の実態を知るとどうなるんだろう?
精神的に落ち込んだり、ぐれたり、そういう事を非常に我々きょうだいは、ましてや一番上の兄貴は怖かったんです。
それで97年当時は、家族会で皆が頑張っているテレビのメディアなんかでも見て、僕たちが表面に出られないのは本当に悪いな、そう思って見ておりました。

2002年の小泉訪朝になるときに、もしかしたら八重子が帰ってくるかもしれない。
その時に帰ってきてから「我々が八重子の家族なんだ、兄貴なんだ」そんな事で顔を出せません。
それでその時にやっと耕一郎も成人して、もう大丈夫だろうという事から我々八重子の家族は顔を出せたんです。
本当に一緒に戦ってくれている家族には申し訳なかった。
だがしかし、八重子の問題がハッキリしてきたからこそ、こういう拉致被害者と言う問題が広く認知され、もしかしたら私の娘もきょうだいも、という広がりが出て、拉致被害者・特定失踪者と言われる未帰還者の人たち。
400とも500名とも言われておりますが、もっと水面下ではいると思いますけども、そういった人たちの救出につながっていったんだと思います。

拉致の救出は生半ではありません。
やった本人は金正日なんです。
あの人が2002年に小泉さんに、拉致してきたのは一部特定機関の人が妄動に駆られてやったんだと。
その責任者は処罰しましたと、とんでもない話なんです。
処罰されるべきは金正日なんです。
その人がその人の反対する体制というのはあり得ないんです。
反対すれば政治収容所送りで山奥に送り込まれて、その家族も一連となって処分または出されない状態に幽閉されている。
そういった現状なんです。

だから今の金正日そのものが倒れない限りは、この問題は根本からは解決できないと思っています。
だってどういうふうに救出すればいいのか?
救出の道はその道しかないんです。
日朝国交が回復して、我々が自由往来が出来るんだなんて言っていますけど、その前に大きくその責任者ををどう扱うか?
そういった問題につながってくるから金正日は怖くてこの問題を、拉致問題は解決済みだと逃げ回っているんです。
それを打開しなければ絶対に拉致問題は解決しません。
これからもよろしく支援をお願いします。(拍手)

2007年02月19日

07.2.11 荒木和博氏2 和光市集会(4)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2』



私ども、今北朝鮮に向けまして「しおかぜ」と言う短波放送を流しています。
これは日本語・英語・中国語・朝鮮語を流しておりまして、日本語・英語・朝鮮語はニュースあるいは解説のようなものを入れております。
その中で朝鮮語の時間に今北朝鮮から脱北した人でこれはペンネームなんですけど、ヘドクと言う名前で時事解説をしてくださっている方がおられます。
その方のその解説の中で1月に流したもので、こういうのがございます。
これは1994年に今の金正日の父親、金日成が死んでですね。
その後3年間の喪に服した。
この意味はいったいどういう事があるのか?という時事で、解説をしたものなんですけどその中でですね。
こういうような言葉があります。

金日成の死亡、哀悼の3年の喪をした1994年から97年の期間は北朝鮮で数百万が餓死した最も残酷な時期でした。
この期間中平壌市と黄海道、黄海道というのは平壌の近くのですね。
道というのは日本で言うと県に当りますが、の一部を除いた地域、咸興(ハムフン)・清津など全国各地の駅前と市場と道端では毎日のように数十数百人ずつ飢え死にしました。
・・・(聞き取れず)駅・沙里院(サリウォン)駅をはじめとした重要な駅では、毎朝待合室と駅前周辺で飢え死にした人の死体を積み出すのが日課でした。
北朝鮮建国以後50年、初めて発生した残酷で悲劇的な国家最高の非常事態でした。
しかし当時金正日国防委員長は、毎日数百数千人が飢え死にすることよりも、父・金日成の死体を永久保存することにのみ国家のすべての力量を集中しました。
そして飢え死にしていく人民に食糧を供給するのではなく、金日成のために涙を流して悲しめと強要しました。

この当時北朝鮮の飢餓状態はですね。
最悪の状態だというふうに私どもも何度となく聞きます。
人の肉を食べたなんて話はざらにあった時代です。
しかしあのときに、そんな飢餓はですね。
全く起きなくて済んだんです。
この解説の中でこういう言葉があります。

金日成の死体をレーニンや毛沢東のように処理するためにロシアから技術者を呼んできて、錦繍山(クムッサン)記念宮殿を豪華絢爛に整備しました。
この錦繍山(クムッサン)記念宮殿では、実際に金日成の死体、あれは実際は蝋人形じゃないか?と言われているんですが、それを安置した場所です。
で、全国各地でとうもろこし何粒かが無い為に数十週百人ずつ死んでいく中で、金日成主席の死体を永久保存するのにかかった金だけでも8億9千万ドルになりました。
1995年当時、国際市場価格でとうもろこし1トンの価格が146ドルでした。
従って8億9千万ドルと言えば、我が人民が2年間腹一杯食べることが出来るとうもろこし600万トンを買う事ができたのです。
ですから金正日は死んだ父親金日成ひとりの死体を処理するために、300万人を超える人々を殺したことになります。

自分の父親の個人崇拝、この自分の父親も実際金正日が殺したのも同じようなものなんですが、その父親の権威を自分のものにするために父親を祀ったと。
そしてそれに使った金をですね。
もし人民に振り分ければ一人の餓死者も出さずに済んだ、言う現状を全く気にしないでやったのが金正日と言う人であります。
だから拉致でも何でも簡単に出来るんです。
平気な事ができる。
拉致した人間をですね、工作員として使うなんてことも平気な顔をして出来るわけです。
それがすべて、あの政治犯収容所ですとか、様々な北朝鮮の人権問題に関わってきている。
この問題もやはり我々が解決しなければいけない問題だと思います。

毎年冬が来ると、私はですね。
やはりこれ、拉致の事をやっているわけですけども、また北朝鮮の寒いところで子供たちが死んでいくんだろうなと、いう思いをせざるを得ない。
一昨日までソウルに行っていまして、一昨日木曜までソウルに行っていまして、向こうで聞いた話だったんですが、今北朝鮮と韓国でですね。
子供の身長と言うのが同じ歳で15センチ違うんだそうです。
前、10センチくらいと言うのは聞いた事があるんですが、今15センチくらいになってしまっている。

その今先ほど読み上げました95年あるいは97年くらいを中心としてのですね。
大飢餓の中で死んでいった半分くらいはですね。
10歳未満の子供だったそうです。
残った子供たちの中でも学校にまともに通えたのは3分の1くらいしかいなかった。
当然体格も小さい、健康状態も悪い。
ですから知能障害とかそういう事も起きているはずです。
やがて北朝鮮がまともな国になったとしてもこの先半世紀くらいの間、それによるショックがですね。
その後遺症がずっとあの北朝鮮を苦しめることになる、いうことでございまして、そういう問題を今あの地域が抱えているわけです。
これを我々は解決しなければいけない。

その時、これは日本だけの問題では無いですね。
世界中に協力を求めてやる問題です。
世界中に協力を求めてやるにはどうするべきか?いうことですが、やはり我々は拉致被害者を抱えているんだと。
多数の拉致被害者を持って、北朝鮮の人権問題は如何に深刻か、日本人が一番良く分かっている。
だから我々は先頭に立って北朝鮮の問題を解決するんだと、どうか協力してください。
これがやはり我々のあるべき姿であろうと思います。
そしてこの問題を解決できるのも、我々しかいない、言うふうに思っています。

韓国で何人もの方々から聞きました。
北朝鮮の民主化運動、あるいは人権問題をやっている方々はですね。
一様に日本に対する非常に強い期待を持っています。
日本は揺るがない。
アメリカはどうも何か下手したらば手を打ってしまう可能性がある。
金正日と手を打ってしまう可能性があるけど、日本は揺るがない。
何とか日本に頑張ってもらいたい。
そういう思いを何人もの人からも私は聞いてまいりました。
日本が頑張らなければ、今北朝鮮で苦しんでいる人を救うことは出来ない。
それはもちろん、その中に当然拉致被害者がいるわけでございます。

我々はそういう中でこれからどういうふうにしていかなければいけないのか?いう事でございますが、その主権の問題から行けば、これはですね。
日本国として正面から取り組んで取り戻すと言うふうにしていかなければならないわけでございます。
当然そこには自衛隊の活動が必要になってくるわけでございまして、私もその為に予備自衛官になっているわけであります。
自衛官の宣誓、我々予備自衛官ですから予備自衛官としての宣誓書は別にありますが、一応防衛召集とかを受ければ本職と同じ事になるわけで、その場合はですね。
「事に臨んでは危険を顧みず」いう宣誓がございます。

「事に臨んでは危険を顧みず」というのは、当然軍人ですから「戦死することは覚悟せよ」と言う意味であります。
幸いにして今まで日本は戦争に関わっていませんから、この自衛隊が出来て以来いわゆる戦死者と言うのはいませんが、しかし例えばこの間の(東武)東上線の踏み切りでですね。
人を助けようとして重体になっているおまわりさんをはじめとして、警察官であれ消防士であれ、その仕事で命を落としていく事になる人と言うのは当然出るわけでございます。

新潟の中越地震のときに、長岡でですね。
落っこちてきた岩に挟まれて、そしてお母さんとお嬢さんは亡くなってしまったと。
一人だけ男の子を助けたということを、今でも覚えていらっしゃる方がおられると思います。
あの時ですね。
もし命が一番大切なら何も助けに行く必要なんか無いんですね。
助けに行った救助隊の人だって二次災害で死んでしまう可能性だって十分あったわけです。
その救助隊の人に残っているのが男の子一人だったんです。

救助隊が数人に一気に岩盤が崩れて何人も死んでしまったとする。
そしたら1と数人とだったらどっちが大事か?といったら、数人の方が大事だという事になるでしょう。
そしてその人たちには当然ご家族がいたわけでございます。
しかし、助けに行ったんです。
なぜ助けに行くか?
そこにいたらですね、助けざるを得ないではないか?というやむにやまれぬ思い。
これはもちろん職業的な使命感という事になるでしょうが、そういう事になる。
もちろん自衛官だってその場に行けば当然そういう事になるわけでございまして、これはですね。
数が多いとか少ないとかの問題では無いんです。

そしてですね、もしですね。
そういう事をやっても取り返すことが出来ないとなったならば、また次にはここにおられる皆さんやそのご家族か分かりませんが、何をされるか分かりません。
日本と言う国は何をやっても大丈夫なんだと、こんな国、何をやったって何も起こりはしないいうふうに思ったら、平気な顔をしてですね。
これは別に北朝鮮に限らず周りの国からやられていくわけでありまして、この海岸線の長い、領海まで入れれば物凄く広い地域を持った日本と言う国が何とか生きていくためにはですね。
やはり日本に変な手を出したらば、いったい何をされるか分からない、いうふうにですね。
拉致をしたりしたらば、最後の最後まで取り返しに行く。
そしてそのツケをですね、どれだけ払わされるかわからないと思わせなければ、これから先も拉致は続いていくだろうと言うふうに思います。
こういう事を我々正面からやっていかなければいけない。

そしてそれをやっていくためには何が必要か?と言うと、国民に対して政府は実は拉致問題と言うのは「これこれこういうような問題でした」と、「少なくとも政府が知っているのはここまでです」という事をですね。
もっとハッキリと言わければいけません。
今日本政府が明らかにしている拉致問題と言うのはですね、本当の氷山の一角です。
とんでもない事を今でも日本政府は知っていて、間違いなく隠しています。

昨日まで米子に行っていたわけですが、松本京子さんの事件について2000年の12月に、この埼玉出身の金子善次郎衆議院議員が質問趣意書を出してくれました。
この質問趣意書に対して政府の答弁はですね。
「松本京子さんについて拉致を思わせるものはなかった、疑わせるものはなかった」と言うふうに言っております。
最近になってから「いや実はもっと前から分かっていたんだ」みたいな話を警察がしたり、言っている事が二転三転転がってきている。
挙句の果てに私が聞いた話では、今一切所轄の米子署ではこの問題等についての質問には答えない。
全部東京の警察署に聞いてくれという話になっている、いう話でございまして、要はそこにどんな矛盾があったかと言うのが明らかにされるいう事が怖いんであろうと思います。

横田めぐみさんの事件だって、あの事件が起きた昭和52年の11月15日から遠くない時期に、この事件はすでにですね、明らかになっていたと聞いています。
そしてその後安明進さんが亡命をして90年代の半ばまでには、新潟までは分かっていませんけど、日本海側のどこかの県で1970年代の後半に中学校1年生の女の子がバドミントンの帰りに拉致をされた、と言う情報は韓国の国家安全企画部から日本の警察に届いている。
しかし、それを調べなかったのか?あるいは調べたけれど隠していたのか?分かりませんが、いずれにしても飛んでもない不手際をやって、そしてこれが明らかになったのが今から10年前の2月3日。
西村慎吾衆議院議員の国会での質問によるものだ、という事です。
それ以外にも非常にたくさんの事を今この国の政府は隠しています。
最初、ほんのちょっとの嘘をつくとですね。
その嘘を塗り固めるためにまた次の嘘をつかなければいけなくなる。
何十年も経っている。

小泉さんと言う人は、元々外交に全然関心がない人です。
で、拉致問題のことで何か進めれば業績になるというふうに思ったんでしょう。
そしてそれまであまり知らなかった。
で、やってみたらパンドラの箱をちょっと開けちゃった。
でパッと見てですね、これは拙い。
元々俺がやった話じゃない、ということであわてて蓋を閉めた。
しかしもう蓋は閉め切れなかった、と言うのが今の状況だと思います。

隠している事が今全部出てくればですね。
やがて大変なことになると私は思っています。
拉致問題の本質が分かったときに、私は日本の現代史と言うものが書き換えを迫られると言うふうに思っておりまして、それほどこの問題は重い問題です。
そしてはっきり言えば、この問題ですね。
絶対にハッピーエンドと言うのはありません。

皆さん、拉致被害者が皆帰ってきてですね。
あぁ良かったですね、って言ってですね。
皆で大喜びをしておしまい、なんていう事には絶対になりません。
それは覚悟していただくしかない。
それは増元るみ子さんが帰ってくる、あるいは田口八重子さんが帰ってくる。
そういう意味での個別のハッピーエンドはあるかもしれません。
全体から言えばもっととんでもない事が山ほど出て来てしまう。
もう見なければ良かったと思うようなことに、我々はおそらく直面しなければいけないんだろうというふうに思います。

しかしもし我々がここで、そこから目をそらして次の世代に送ってしまったら、一種のキャリーオーバーでありまして、また荷物を多くして次の世代に渡してしまうことになります。
そんな事は絶対にさせてはならない。
我々が、今ここにいる皆さん我々の世代で、この問題を何とかしてですね。
解決をしてしまわなければいけない、いうふうに思うんです。
そして今日、丁度建国記念の日ですけども、この国が出来る前からですけども、物凄い数の我々の祖先がこの国を作ってくださいました。

だからこそ今ここに我々が集まって来られるわけですし、この日本と言う国でですね。
誇りを持って住む事ができる。
そしてこの国に新しい命が産まれて、そして我々の後を引き継いでいくわけであります。
我々の世代と言うのはあくまでも中継ぎの世代でしかない。
中継ぎを立派にやってこそ、我々は生きていた価値を全うする事ができるのではなかろうか?いうふうに思うわけでございます。
ですからこの問題にですね、やはり正面から何とか向き合って欲しいと思います。

マスコミに出てくるような情報、特にですね。
一番怖いのは、この中にNHKの人はいないと思いますが、NHKのニュースなんかでですね。
特ダネとして流れる情報は、私はほとんどそういう情報操作であるというふうに思っています。
そしてそれ以外の社の人たちも、これに対してですね。
正面から切って戦おうと言う人は、残念ながらあまりいない。
一生懸命拉致問題をやってくれている記者の人たちたくさんいるんですけども、しかしそれだけではですね。
問題は解決しない。
ある意味で言うと自分も返り血を浴びるつもりでやっていくしか方法が無い、いうふうに確信をしている次第でございます。

日本はなんだかんだ言ったって世界で第二位の経済大国でございます。
アジアの中心です。
日本の国家主権の問題はもちろんとして、人権の問題でも日本がこのアジアの事はやるしかないんです。
アメリカはアジアの国ではない。
都合が悪くなればいつか出て行きます。
我々ここから逃げていく事は出来ないんです。

中国に人権の問題、言えるはずが無い。
中国へいくらですね。
拉致問題であなたのところ、中国人の人が拉致されていると言ったところで、中国政府はですね。
あの法輪功とか、ああいう人たちに対する弾圧とか、チベットとかあるいはウイグルに対する弾圧なんか見ていただければ分かるように、人権なんて事は何とも思っていない。
そういう国であります。
そこに人権問題を任せることは出来ないんです。

我々がやるしかないんです。
そして我々にはその力がある。
間違いなくあるわけでありまして、我々はその力を行使していかなければいけないんだと言うふうに思います。
動けば必ず反発も起きます。
しかし、その反発を恐れていたら物事は前に進みません。

私自身、昨年の12月までにこの問題を解決するという事を何度も何度も言ってまいりました。
解決できませんでした。
責任は必ず取らなければいけないというふうに思っております。
それはこの問題が解決した後か、あるいはする過程でか分かりませんけど、それなりの責任の取り方を私はしていくつもりでおります。
一刻も早い解決、そしてまたその後重い荷物を我々背負わなければいけませんけども、そこに向かって我々進んでいくしかないであろうというふうに思う次第でございます。

そうは言いながらそういうふうにやってやっていますと、増元さんのご結婚とか良い話もございますので、そういう事もあると期待をしながら前に進んでまいりたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)

2007年02月18日

07.2.11 荒木和博氏1 和光市集会(3)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

〜〜拉致と最近の北朝鮮半島情勢〜〜

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ご紹介をいただきました荒木でございます。
本日は連休の中日、皆さんお忙しいそれぞれ御用があるにも関わらず、多数の皆様方お出でいただきまして本当にありがとうございます。
講師の一人として心より御礼を申し上げます。

今増元さんも、それから司会の○○さんも安倍政権に非常にですね。
何とか頑張ってもらいたいと期待を述べられます。
私も期待を持っているという面では一緒なんですが、必ずしも今の状況で良いとは思っておりません。
ですからそういう意味では厳しいことも申し上げておりますし、今日も実はこれからそういう事についても申し上げるつもりです。

大体そういうふうに言うとですね。
あいつは意見が違うじゃないか?家族会と違うんじゃないか?救う会と違うんじゃないか?とか、いろんな事を言われるんですが、こういうのはですね。
いろんな違いをぶつけ合いながらやりながら物事は前に進んでいくのでありまして、今皆が皆同じふうな意見を持つ必要は無い。
決まったらそこに向かって進めばいいんですが、そこにはいろんな意見がある。
こういうふうに思っております。
意見が一つにするのは、増元さんの事は大変おめでたいという事くらいは、これは皆一致した話でございまして、これは皆でお祝いすべきことですが、それ以外ですね。
いろいろある。

特に特定失踪者問題調査会と言うのは、あちらからもこちらからも恨まれる団体でございまして、何か全然危険も何ないんですが、何かあったとしてもですね。
恨まれる相手が多すぎて、いったい誰から恨まれているのか分からない、いう状況でございます。
その一つを申し上げます。
去年の暮れに週刊現代で「私は蓮池薫さんに拉致をされかかった」と言う記事が出ていたのをご覧になった方もおられるかと思います。
今出ています一番新しい週刊現代、明日また次の号が出ますが、今出ている週刊現代とそれから月刊誌の諸君に私はこのことについて書いてあります。

結論から申し上げますが、あの話は私は7割から8割は本当だというふうに思っております。
間違いなく蓮池さんは拉致をされている帰ってくる5年前までに、日本に工作目的で入って来ております。
何らかの工作活動をやっています。
そしておそらく他の拉致された方々、何十人か分かりませんけども、少なくともやっぱり何十人とかあるいは少なくとも十何人とか、それくらいの単位の拉致被害者も日本の中に入ってきて工作活動をしていたであろうという事が推測されます。

あの週刊現代の証言をした横井さんと言う小学校の先生ですが、この方と私、先月の末に東京で会いました。
で、会って話を聞いていてですね。
やはりいろんな事が矛盾がなく感じられる。
もちろん本人の写真を撮ったわけでも無いし、あるいは音をテープレコーダーで録音したわけでもなんでもない。
いう事でですね、証拠が無いんです。
で、蓮池さんは否定をしている。

ついでに言えば、政府の拉致問題の内閣府のですね。
連絡調整室長も、これにわざわざ「そんなことは有り得ない」と声明まで出しています。
私はこれは嘘だというふうに思っています。
ただし、そのことについてこれは言うんですが、その前に是非ご理解いただきたいのは、もしそれが蓮池さんが日本に戻ってきて工作活動に関与していたとしても、それは彼を非難するという事には少なくとも直接は結びつかない、いう事であります。

今日ここに田口八重子さんのお兄さんお二人、飯塚さんと本間さんがお見えでございますけど、田口八重子さんの事件が明らかになったときに、この事件に対するマスコミの見方がどうだったか?
田口八重子さんは拉致をされた被害者です。
それにも拘らず、大韓航空機事件の共犯者のような目で見られたと。
これは飯塚さんからも前にお聞きしたことでありますけども、そうであったと。
「何で被害者であるはずの妹が犯罪者のように取り扱われなければいけないのか?」いう事を思ったという事でありますが、まったくその通りでございまして、それは向こうで拉致をされてから生きていくためにどうしてもやらなければいけなかったことである。
そのいう事を聞かなければ自分の命、場合によって例えば向こうで結婚していれば、その家族の命まで危なくなっていた可能性がある。
そういう中で行なわれた、一種の緊急避難のようなものであると思います。

ですから蓮池さんが日本に戻ってきていたとしても、当然ご家族は皆北朝鮮に戻っている。
これは別に日本人の拉致被害者だけではなくて、北朝鮮の工作員でさえ必ず結婚させて、独身のときに出すという事はまずあり得ません。
必ず結婚させて家族を残させて出していく、いう事でありまして、それは二重三重に逃げられないように足かせをはめているわけであります。
ですから、私はそれは仕方がないことである。
一番悪いのは拉致をしていった人間を自分の国の工作目的、しかも自分の拉致をしていった人間の祖国に対する、ある意味で裏切り行為となるような事に使っている、と言うような事をやっている北朝鮮の体制が悪い。
そしてその次に悪いのはその人たちを助け出す事が出来なかった日本のこの国家にある、いうことでございます。

お兄さんの蓮池透さんの書いた本の中に、蓮池薫さんに対して日本の警察、新潟県警と警察庁でしたか。
が、事情聴取をする。
で、聞いた話の中に「どうもあなた、日本に戻って来ていたでしょう?」と言う話が書いてある。
で、「何をとんでもないことを言っているんだ、あんたがた取り返しに来てくれたのか?」いうふうに言ってですね。
蓮池薫さんは激高したという事を書いてあるんですが、皆さん今ですね。
拉致された帰ってきている5人の方々は、どういう扱いだかお分かりになります?
今増元さんをはじめとする家族会の方でもですね。
全くすぐに簡単にですね、会う事は出来ないです。

いわんやマスコミの人たちは報道規制がありまして、例えば曽我さんであれば佐渡市役所の支援室とかそういうところを必ず通さなければいけない。
直接取材に行くと言うことをですね、許すことはしていないです。
で、そういう状態でしかも何かあれば大騒ぎで、あの人たちからすぐに内閣室の方に連絡があって、「こういう事があった」と言われるわけです。
警察というのはあくまで行政官庁ですから、そういうふうに言われてですね。
上から、例えば首相官邸からですね。
「お前ら警察のやり方、何かおかしいんじゃないか?」というふうに言われればこれは非常に困るわけで、お役人がそんな事をですね、簡単に言うか?
絶対に言うわけが有りません。
警察の人にも私確認をしました。
そんな事言うはずがない。
じゃなんで?あれもちろん嘘では無いですよ?そういうふうに言った。
そういうふうに言い方をしたんでしょう。

なぜそういう言い方をしたのか?
警察は掴んでいたんでしょう。
私が聞いている話でもあの週刊現代に載った横井さんという人以外に、複数の目撃者がいます。
「蓮池薫に極めてよく似た人を見た」と言う言い方をしている。
あの横井さんはその後、ずっと分からなかったんですね。
で5年前の10月に彼ら本人が、羽田空港のタラップから降りてくるところを見て「あ、彼だ」というふうに気がついたと言っていました。

全く同じ事を言っていたのが安明進です。
安明進はやはり北朝鮮の政治軍事大学でやはり彼を見ています。
ただ、大学生のときの蓮池さんの顔つきとそして帰って来たときの顔つき、全然違いました。
安明進が見ていたのは、北朝鮮にいるときの今の顔つきに似ていたときの蓮池薫であったわけですね。
ですから本人は「この人ではないか?」という事は思っていたそうです。
実際それを警察には言ったそうですが、蓮池さんのご家族にはそこまではっきりとは言っていなかったと。
その安明進がやはりタラップを降りてくる姿を見て、「あ、間違いない、あの人だ」と言ったと。
全く同じ事を感じた人が他にも複数いた言う話で、私は他にも聞いています。

彼らは残念ながらいまだにほとんど核心に迫る話はしてくれません。
これは帰って来たときに言っていた話は、なにか横田めぐみさんの話だけです。
そのあとなぜかポツリポツリと出てくるわけですけども、我々が聞こえるのはほとんど情報操作では無いか?と思われるような内容のものだけです。

去年、今年ですか。
今年に入って1月の11日か何かに、蓮池さんに対して、蓮池さんが拉致をされたときに二人の指導員から、「これはお前は実は女の方を祐木子さんの方を連れて来ようとしたんだけど、お前も一緒にいたからついでに連れて来たんだ」というような事を言われたというような情報が流れておりました。
この話がいったいどこから流れたのか?
本人たちはマスコミにはしゃべりません。
そしてこの話をじゃあ、誰か聞いていたのか?
横から聞いていた人間がいるわけがない。
その指導員が自白したわけでもない。
蓮池薫がしゃべったとしか思えないわけです。

で、だとするとこれはどういう事か?
嘘です。
1970年代と言うのは、特定失踪者でアベックないし夫婦で拉致された人が、ほとんどここに集中しています。
後80年代に一人、60年代に一人くらいです。
ほとんどが全部70年代に集中する。
絶対偶然でも何でも有りません。
あの当時二人で連れてくれば、安定した状態で自分たちの北朝鮮の命令に従うだろうという意図があったから、そういう事を北朝鮮はやってきている。
だからついでにやったという事は有り得ないです。

しかも女性一人を連れてこようと思ったときにもう一人連れてくる。
連れてくるときに例えば、どういうやり方をしたのか分かりませんが、袋にでも突っ込んで連れて来たのだとすれば、その袋予備の袋を一つ持って来てですね。
要員も一人分余計に連れてくるという事をやります。
そんな事は絶対に有り得ないことでありまして、つまりこれはですね。
要は、蓮池さんが工作活動をやったという事を打ち消すための情報操作だとしか思えない。
その情報操作を誰がやっているか?と言うと決してですね、彼らだけではない。
もちろん彼らだって、しゃべれないわけです。
北朝鮮から電話がかかってくる。
指示を仰いでですね、その範囲でしか基本的には動けない。
もしその指示に従えば自分たちの命が危なくなるかもしれないし、自分たちの家族まで危なくなるかもしれない。

ただしかし、それだけでは無いんです。
間違いなくこの国の政府が情報操作をやってます。
今までずっとこの何年間も見てきて、国家権力と言うものがこんなに恐ろしいものかという事を、本当に肌身にしみて感じました。
拉致問題と言うのはこんなに小さい問題なんだと。
こんなにわずかな人数でやっているんだと。
そして家族の問題にどんどんどんどん小さくしてしまう。
この人たちだけが帰ればこれで話は進展したんだと、言うふうにしてしまおう。
そういう動きをですね。
これは別に何も安倍さんになったからと言うわけではありません。
もう何十年も前からずっと続けてきた、という事でございます。

ですからこの問題の根は深い、という事であります。
安倍さんになったから問題が解決するなんてものではない。
この問題は本当の意味ですべてが分かって解決するには、内閣の二つや三つは絶対にすっ飛びます。
そして場合によったら総理大臣とか担当している大臣の数人は、政治生命どころか物理的生命まで失うことを覚悟していただかなければいけない。
それくらい大きな問題です。

今6者協議をやっているわけですが、6者協議で今増元さんが言われたように孤立という事が出てきます。
日本は孤立しています。
当たり前です。
拉致問題を言っているのは日本だけ。
もっとたくさん拉致をされている韓国は何も言わない。
もう北朝鮮の言いなりになっている。

アメリカや中国にとってはみれば拉致問題と言うのは全くのよそ事です。
他人の話です。
協力するはずがない。
アメリカは日本との同盟関係が有ります。
今日本と関係を悪くすれば自分たちにとってマイナスになる。
そしてまたアメリカと言う国は人権と言うものは前に出てくると、そんなものはどうでも良いと正面から切って言える国ではありません。
だからやはり協力はします。

中国はやはり今でも日本の経済協力が必要です。
日本からの金が無くなってしまったら、日本との関係が悪くなって日本の企業が例えば撤退でもしてという事になったら、一発で今の政権はすっ飛んでしまう。
絶対にそんなことは出来ない。
だから口だけは協力をするような事を言ったりします。

しかし、あくまでもこの問題と言うのは日本の問題です。
皆さん、例えばこの場所にアメリカ人のお母さんでもやってきて、「実はうちの息子はキューバに拉致をされたんです、助けてください」と言われたら、どう思うでしょう?
そりゃ同盟国です。
「可哀想だな、何とかしてあげたいな」言うふうには思うわけですけども、「じゃあ例えば皆でキューバの大使館に手紙を書きましょうね」それくらいの事は出来たとしても、「まぁやっぱり助けるのはアメリカ政府でしょう」という事になる。
この問題も全くひっくり返せば同じことでありまして、日本が正面からこれに向かっていって取り返す以外に方法は無い。

じゃあいったい6者協議は何のために続けるのか?
これは北朝鮮を圧迫して追い詰めるためです。
日本が孤立をしている。
幾ら孤立をしたって大丈夫です。
日本が頑張っている限り、絶対話は前に進みません。
もしどうしても嫌だと言うならばですね。
日本は6者協議から離脱をしてしまえばいい。
そんな事は絶対にアメリカも中国もさせられるはずがないです。
日本はそれだけの力を持っているわけでありまして、それを行使しなければいけない。

おそらくこの6者協議、結局どういうふうになるのか良く分かりません。
ほったらかしておけば、もし日本がですね。
もししょうがないと妥協してしまえば、アメリカとしても今手打ちをしていますから、要は適当に核の話をごまかして、そしてですね、終わりにしようということにしてしまう可能性がある。
あるいはそこまで行かなくても、さらに引き伸ばしていこうと言うふうにする可能性があります。

北朝鮮は北朝鮮で内部にいろんな爆弾を抱えてしまっていますので、それが出来なくなるかもしれませんけど、おとなしくしていればアメリカと中国で手打ちをしてしまう可能性はあります。
北朝鮮のキム・ケガンと言う代表はですね。
最近何かやたらニコニコとした顔をしていますけども、おそらく裏にそういうものがあるんだろうと思っています。

しかし、日本はいう事を聞かないで、さらに制裁を強めればそんな事は言っていられなくなるわけでありまして、そういうふうにしていく中で北朝鮮がいざどこかに逃げようとしても、6者協議が続いていれば逃げる場所が無くなっていく。
アメリカも中国もその枠の中に入っていればですね。
絶対にそこから逃げる事は出来ない、という事になるわけで、我々は如何に6者協議を使うか?という事にすべてはかかっていると言うふうに思います。

かつて私の自衛隊の友人が言った言葉なんですけども、これまでずっと「日米安保条約で日本はアメリカの戦争に巻き込まれる」と言う言い方をされて来たんです。
「しかし、拉致問題は違う。拉致問題は日本の戦争である。日本の戦争に日米条約でアメリカを引き込むんだ」と、いう事を言っていましたが、まさにそういう時期が来ている。
我々がいったい何をしたいのか?という事をハッキリさせて、そしてそこに向けてアメリカも中国も引きずり回して行く。
その時期だろうと、私は思っているわけでございます。

先ほど申しましたように、この拉致問題というのは主権の問題、日朝二国間で最終的には解決する根本的な問題である事が一つ。
しかし、もう一つ忘れてはいけないのは人権問題としての拉致問題と言うのがあるという事であります。
これは日本人の拉致だけでは片付かないんですね。
日本人の拉致ならば、例えば場合によったらば日本がですね。
自衛隊の特殊部隊などを入れてそして圧力をかけて取り返すと。
あるいは中国へですね。
拉致被害者を脱出させて外務省が保護する、という事は出来ますけども、人権問題としての拉致という事になるとこれでは解決は出来ません。

北朝鮮に関わる問題を包括的に解決をしていくしかない。
どういう事があるか?
同じ拉致問題といっても日本人だけではなくて、韓国人とかあるいは他の国々の人たちの拉致被害者を取り返さなければいけない。
そして北朝鮮に帰国していった帰国者及びその日本人妻たち、日本人の家族、すでに日本にはそういう人の家族が100人以上の人たちが戻っていますが、そういう人たちの人権の問題も保障して上げなければいけない。
また北朝鮮を逃れて脱出している数十万の脱北者の問題。
そして北朝鮮の人口の100人に一人を入れている政治犯収容所の問題。
こういう問題をすべて解決して行かなければいけないのだと思います。

・・・その2に続く・・・

2007年02月16日

07.2.11 増元照明さん2 和光市集会(2)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『増元照明さんの訴え その2』



それほど危機感を持っていました。
2000年、1999年、野中さんが幹事長だった当時から日朝国交正常化を優先させるのではないか?
そして日朝国交正常化をするんでは無いか?と言う危機感を常に持ちながら、僕たちは恐怖に慄いていました。
当時北朝鮮はあらゆる国と国交正常化をなしていたんです。
ヨーロッパのEUではフランス以外の国と当時国交正常化をなしています。
その時にメディアの論調は何を言っていたか?

「隣国である日本が北朝鮮と国交正常化をしないで、各国が国交正常化をしてる趨勢の中で本当にそれでいいのか?」と言う流れを作ろうとしたんです。
「日本が孤立している、日本の孤立化を進めていいのか?」と。
「世界が北朝鮮との国交正常化を進めているときに、日本だけが北朝鮮と国交正常化をしないで孤立化していていいのか?」とメディア全部やりました。

産経はたぶんそれはやってないと思いますが、朝日・毎日、私たちはその論調を聞いていて、
「何を言っているんだ! 私たちの家族はまだ取り戻していない、帰って来ていない状況で孤立していいんじゃないですか?国交正常化は出来ないでしょう。」
と言う思いでいたんですが、メディアの方はやはり国交正常化を優先。
政府の方針でもあったかもしれませんがその流れを作ろうとしました。
それでも大きく国交正常化に動かなかったのは、やはり日本の国民の皆さんが「何かおかしい」という、そういう思いを抱いていたから、政府も積極的に正常化に踏み込めなかったと思っています。

2002年9月17日、小泉総理が訪朝されました。
あの訪朝時、田中均さんが1年かけてあの小泉訪朝を画策したと言われますが、あの訪朝時のあの映像、私も映像の中で何回も何回も見たんですが、小泉さんと当時安倍官房副長官が二人で並んで金正日を待つ場面が見えるんですが。
その直前に5人生存8人死亡を言い渡されたお二人ですが、安倍さんは目の周りが真っ赤になっているんです。
で、後ほど聞いたんですけれども、あの日8人死亡とされた、確認はされていませんでしたが衝撃的な報告に、横田のお父さんお母さん、そして有本のお父さんお母さんの顔が浮かんで、やはりどうしても涙を流さざるを得なかったと仰っていました。
それが表情にも現れています。

小泉総理は硬い表情ではありましたけど、じっと前を見据えていました。
金正日が入って来たときに、私はこれは、多分私だからそう感じるのかもしれませんが、小泉総理の頬がちょっと緩んでいるように見えます。
金正日が目の前に現れてそして首脳会談が実現し、平壌宣言のサイン、そして国交正常化への道が開かれたという思いが、多分小泉さんの頭の中によぎったのでは無いでしょうか?
本当に私、まぁ穿った見方かも知れませんが、もし機会があればもう一回ご覧になってください。
頬が緩んだんです。
それを見て私は小泉元総理と安倍現総理の思い入れが、やはり違うんだというのを改めて感じております。

今安倍総理は、昨年の官房長官になられてからですが国内での現行法、朝鮮総連の施設に対する厳しい法の厳格化、さらに商工人の不正な輸出に対し厳しい法の適用を行い、それが元で朝鮮総連が動けなくなってきておりますが、その流れを厳しくしていき、さらにミサイル発射で万景峰号を止めました。
その万景峰号、最初はミサイル発射で制裁を科すと仰いましたが、すぐに翌日拉致の進展が無いことも理由に入れていただきました。
核実験がなされたときは、拉致の問題も含めてさらなる経済制裁の強化をなされました。
このスピードが非常に早いもので、びっくりするぐらいの早さです。

ずっと経済制裁の発動を訴えて来ましたけど、中々政府としては対話と言う、対話対話というその言葉で圧力をかけてきませんでしたが、ミサイル発射と同時に経済制裁を科した。
そして核実験やったという情報の元にすぐ制裁を発した。
これは安倍さんが官房長官であったがゆえに出来たことだと、私たちは思っています。
今現在は先ほど言ったように、対策本部の本部長として北朝鮮に対して毅然と私たちの家族を、拉致問題の進展を北朝鮮に強くメッセージを送っています。

メディアはこう着状態と言うふうに言ってる方もいらっしゃいますし、山拓さんなんかもこう着状態、このこう着状態をどうにかしなければならないと言って訪朝されましたけども。
一昨年から続く一連の流れ、これは北朝鮮に対して日本政府が初めて、戦後60年初めて制裁と言う厳しい道を示し、強く拉致問題の解決を北朝鮮にメッセージとして送っている状態です。
昨年の日朝協議のときに北朝鮮が何を一番気にしているか?
それは日本人の日本国内の拉致問題に対する関心の高さ、それを気にしている。
後拉致と言うものを国際的な広がりを気にしていると我々は聞いています。
それほど北朝鮮はこの拉致の問題を考えざるを得ない状況になってきているという事。
それは日本政府が毅然と拉致の問題を北朝鮮に突きつけているから。

ですから今回の6者協議の中でも、アメリカと、米朝が多少緩い関係になりつつある中で、日本政府は独自にこの拉致問題の進展が無い限り、核の問題で進展があったとしても経済支援は出来ないと事前にはっきりと言っています。
それは北朝鮮にも強いメッセージになりますし、他の5ヶ国にも日本を除く5ヶ国に対し強いメッセージになります。
6者協議自体、私たちはあまり評価をしておりません。
それは中国が主導でやっていて、そして北朝鮮の崩壊を望んでいない中国が時間稼ぎの元にのらりくらりとやっているようでは、拉致の問題いつまで経っても解決しないと言うふうに思っていますが。
この日本政府の立場として、拉致の問題で進展が無ければ一切の経済支援は出来ないともう明言されていますから、中国がホスト国としてあの6者協議を成功させるためには、どうしても日本の金が必要なんです。

中国は北朝鮮に対してそんなに多くの金をつぎ込むつもりはありません。
あの辺は適当に生かさず殺さずでいればいいとある程度考えています。
ただ東北省と言うところがあります。
そこの経済的な遅れを取り戻すためには、どうしても日本の企業の融資が必要ですから、日本のいう事を聞かねばならないですし、もし北朝鮮がインフラ整備されてそちらの方の貿易が強く大きくなれば、改革開放路線になればそれは東北四省のある程度経済的な上向きはあるので、ですから北朝鮮のインフラはやらなければいけない。
それに関しては日本の金を当てにしているのは、まず私は間違いないと思っています。

韓国は世界10位といえどもあまりお金を出せるような今状況では無いので、北朝鮮を丸抱えできないでしょう。
あの北朝鮮を立ち直らせるためには日本から出るといわれている1兆4千億円強の、金丸さんが約束してきたお金を皆が当てにしている。
ですから日本政府は今それを出来ないと言うふうに、拉致の解決がなければ出来ないというふうに言えば、あの6者協議の中で一番困るのは中国です。
中国を動かすためにも、今の日本政府の毅然とした姿勢は大変私たちにとってはありがたいですし、それをもっと早くにやるべきだったと私は思っているんですけど、安倍政権になってそれを貫いてくれています。

今日本政府は北朝鮮に対して攻撃を仕掛けています。
確実に金正日を追い詰めるために、経済制裁でそして拉致の問題で攻撃を仕掛けています。
それをこう着状態と捕らえる事自体がメディアの間違いであり、そして山拓さんの間違いであろうと思います。
山拓さんは今の内閣、非常に若い内閣ですから、彼は非常に馬鹿にしているところがあるんでしょうけど、安倍さんの思いを全く知らずに日本政府との連携も取らずに、ただこう着状態と言うメディアの誤った情報の元に自分が行けば、自分が行ってまた2〜3人取り戻せると考えておられるでしょうが、日本政府は今2〜3人の拉致被害者の救出ではなくて特定失踪者も含めたすべての拉致被害者の救出するために、今の現在の対北朝鮮政策をやっています。

その流れを知らない人たちがうろちょろする事は北朝鮮を利することになる。
だから私たちは山拓さんの訪朝に関しては反対なんです。
あの方が何をやったか?
2004年、大連であのソン・イルホに非常な喚起の声を上げさせるほどの何かの約束をさせたんですよ。
そういう方が、その後何が起こったか?
小泉再訪朝があって、結局取り戻したのは5人の家族だけです。
100人以上の拉致被害者がいるにも拘らず、その一人の拉致被害者に関する情報さえ全く取る事が出来ずに、そして再調査の約束をしたと言って威張って帰って来ましたが、その再調査の結果が偽の遺骨であり、偽の死亡情報であった。
このことに関して何も小泉さんは責任を取っておられません。
そして辞められていかれましたが、このような相手に利用されるような議員外交と言うものを今まで日本政府はやってきたから、そして山拓さんも実際それをやってきたから、私たちは山拓さんが行かれる事を非常に危ういと考えています。

今の日本政府のこの姿勢、我々はこれからもずっと安倍総理のやり方を支持し、そして北朝鮮に対して毅然と拉致の問題の進展なくして一切の経済支援はしないという、経済協力は出来ないという日本の政府のこの発言を支持しています。
佐々江局長もいろいろと頑張っておられるでしょうが、日本サイドから北朝鮮にお願いして日朝二国間協議をするというような状況を我々は望んでいません。
それは昨年からの日朝交渉の再開に関してもそうですが、私たちは早くはやっていただきたい。
しかし、それを日本政府から要請するという形になるとあの北朝鮮、必ず自分たちを利するような話し合いにしか持って行きません。
ですから日本政府としては強いメッセージを送って経済制裁をし、圧力をかけながら北朝鮮の譲歩を待たなければならない。

アメリカが金融制裁をかけても北朝鮮は6者協議に戻ってきたではないですか?
北朝鮮が非常に困ったから、米朝会議をして欲しい、金融制裁を解除して欲しいから6者協議に戻ってきたではないですか?
今度は日本の単独制裁の毅然とした姿勢で、日本の制裁を解除させるために、彼らが話をしなければならないと思わせなければなりません。
これは今アメリカが金融制裁をやっているときに、さらに強化をしていかなければならないと私は思っています。

今年おそらくこのまま行けば金正日政権は本当に危ういところまで行くと私は考えていますので、今年が勝負だと思っています。
これを逃したら、また後2年3年、そうすると日本で待つ家族が次々倒れていってしまいます。
横田さんご夫妻もだいぶあちこちを回られて、体があちこち痛い思いをされておりますので、今横田夫妻には極力休んでもらいたいと思っております。
ここに来ておられる飯塚副代表もすでに、いつの間にかもうすぐ、もう一個で70になるというお話ですので、だいぶお疲れだと思います。
私はまだ50代ですので、その分皆さんよりは健康でありますので、ちょっと1月に倒れてしまいましたけどそれでもまだ皆さんよりは体力を持っておりますので、出来れば私が動きたいと思っております。

でも北朝鮮、先ほど言ったように日本の世論の沈静化、それを一番望んでいます。
ですから皆さんが絶対にこの拉致被害者の事を忘れない。
拉致被害者を救出するまで経済支援なんか絶対に出来ないんだという強い思いを持っていただく事が、私たちの家族を早期に救出する大きな力になると思っています。
こういう集会にも本当に日曜の昼下がり、これだけの大勢の方に来ていただき、感謝申し上げます。

そしてこれから是非ブルーリボン運動にもご協力ください。
日本人の8割がもしブルーリボン、もしくはブルーのストラップを付けて、北朝鮮に対して無言のメッセージを送っていただきたいんです。
日本人は絶対に最後の最後まで拉致被害者を救出する。
そこまで一歩も引かないという日本人の意思を金正日に見せ付けてください。
皆さん一人ひとりが無言の意思を見せ付けることによって、北朝鮮が日本人拉致被害者を返す日がさらに早くなると思っておりますので、是非ご協力をお願いいたします。
今日は本当にありがとうございました。(拍手)

2007年02月15日

07.2.11 増元照明さん1 和光市集会(1)和光市民文化センターにて

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

『増元照明さんの訴え その1』

〜〜拉致から29年 家族の思い〜〜

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みなさんこんにちは。
ただ今ご紹介をいただきました、家族会事務局長の増元です。
非常にプライベートな事ですが、お騒がせしております。
最初、このところ暗い話と言うかあまりいい話が無いもので、フライデーの親しい記者に「是非掲載させていただきたい」といわれまして、それじゃしょうがないかなと思ったんですが、まさか新聞があんなに反応するとは思ってなかったんですね。
新聞・テレビがあんなに反応されるとは思っていなくて、ちょっと今町を歩けない状況に陥っています。
申し訳ありませんでした。

今とにかく、ご紹介いただきましたように、私たちは今年こそはと言う非常に強い思いを持って動いております。
昨年の1月警察の漆間長官が「今年は拉致の勝負の年である」というふうに1月の年頭の挨拶で言われました。
その言葉を受けて我々も期待はしていたんですが、結局前半は小泉総理の下、経済制裁を科す時期を中々逸してしまいまして、北朝鮮のミサイル発射まで日本独自の経済制裁を出すことが出来ませんでした。
ただ、一昨年から行なわれているアメリカの製剤制裁、これに北朝鮮が異常な反応を示してだいぶ政権が揺らいでいるという話を聞いておりましたので、ここで日本が単独で経済制裁をすれば、もっと北朝鮮の体制が揺らいで、そして私たちの家族を取り戻す時期が早まると思っていますので、昨年は多少期待していたんですけれど、結局何も起こらずにここまで来てしまいました。

でも今年は安倍さんが昨年の9月総理になられて、すぐ対策本部を立ち上げられました。
そしてご自身が本部長になり、官房長官は拉致問題担当兼任大臣となり、そして対策本部の副部長。
そして中山恭子さん、非常に外交官として有能な人でしたけども、彼女の事を北朝鮮サイドはなんと言ったか?
私たちはこれは救う会の佐藤会長から聞いたんですが、「日本にもまだあんな外交のプロがいたのか?」と非常に北朝鮮サイドから評価された女性であります。
あんな完璧に、ジェンキンスさんのことに関してもそうですが、完璧に完膚なきまでにやられてしまったというふうに北朝鮮サイド側は中山恭子さんを評価し、そしてその年の9月に結局辞任に追い込んだというか、どこから来たのか分かりませんが。
とにかく北朝鮮からの評価があったゆえに中山恭子さんの参与の立場から、日本政府は離さざるを得ない何らかがあったのではないか?と私は思っています。

それは飯島秘書官と朝鮮総連の責任副議長の間からも考えられます。
強いパイプの下に朝鮮総連からそのような話が行ったのかもしれない。
私は中山さんの辞任というのは非常に不可解な辞任でありますし、いまだに納得しておりません。
でも中山さんご自身がこの事を多く語らないので、私たちは想像するしかないんですが、その方が首相補佐官として拉致問題担当そして対策本部事務局長になられて、今本気で北朝鮮にいる私たちの家族を取り戻そうとしているその姿勢は評価しておりますし、この組織がもっと固まればさらにスピードアップされるのではないかと言う思いをしております。

私の姉、るみ子は1978年昭和53年に拉致されました。
当時は本当に何も分からない状況、何がなんだか分からない状況で、一緒に暮らしていた家族のしかも中心になっていた姉がいなくなったものですから、家族は狼狽しそして悲嘆に暮れたんです。
私もすぐ上の姉でしたので、本当に愛してそして可愛がってくれたので、その姉がいなくなったことが自分の中でまだ納得できず、一年くらいはぼ〜っとした暮らしをしておりました。
人間と言うのはなぜ真面目に暮らして、そして本当に明るく暮らしていた姉がそのような事件に巻き込まれるのか?
突然にいなくなるような事になってしまったのか、自分の中で納得できないし、咀嚼できない。

そういう状況がずっと続いて苦しい思いをしてきておりましたが、それが1年半後の阿部さんと言う産経新聞の若い記者の地道な取材により、北朝鮮による拉致の可能性が高いという事を言われました。
しかし、そのときでも半信半疑ではあります。
当然北朝鮮がなぜ、私の姉は全く北朝鮮を批判しているわけでもなく、北朝鮮サイドにとっても何の利益にもならない事務員でしたから、そんな人間をなぜ拉致するのか?
全く理由が分からずに半信半疑でありましたが、1年半、全く状況が分からずどこにいるのか分からないよりも、北朝鮮に拉致されていると言う情報があるだけでも、家族にとってはまだいいんです。

これは本当に矛盾した形なんですけども、北朝鮮が拉致しているのであれば、むやみには殺さないだろうし、そして生きていれば必ず会えるというその思いで、いくらかの光明を見出した。
そういう思いを強くしながら徐々に徐々に半信半疑であった北朝鮮による拉致を、自分の中で北朝鮮に姉はいるんだという思いに変えていった。
それが決定的になったのはやはり1987年の大韓航空機爆破事件で、88年に金賢姫が証言したリ・ウネの存在でしょう。
あのときにアベック3組の女性。
奥土祐木子さん、浜本富貴恵さん、増元るみ子、この3人の中の誰かでは無いか?ということで、一斉にメディアが騒ぎ始めました。
あのときに確実に北朝鮮は私たちの家族を拉致しているという確信を得ました。

で、その時何を思ったか?
やはりそういう北朝鮮と言う国ですから、私たちの姉の存在を日本で騒げば騒ぐほど、北朝鮮は当時拉致はでっち上げだと拉致などしていないというふうにずっと言い続けていたので、ですからこちらが騒げば姉の身に危険が起きるという非常に怖い思いで、1週間くらいを騒動の中におりました。
早く沈静化して欲しい。
その思いで1週間を暮らしました。
その時すでに私は北朝鮮に拉致されているんだというふうに思っておりました。

ただ、その姉を救出するためにどう動けばいいのか?全く分からず、あまり騒がない方がいいという話もされておりました。
騒いだら向こうで殺される可能性もあると感じておりましたので、きっと日本政府の救出の手をじっと待つ状況が続きました。
それもまた10年経って、1997年横田めぐみさんの拉致が明らかになって、初めて家族会が結成されるまで私は19年間、姉の事は一日たりとも忘れておりません。
ただ、一日の中で仕事をしながら自分の生活もしながらやっておりましたので、姉の事を忘れる瞬間もありました。
ただ、一日も忘れた事はありません。
どこかで姉の事を必ず思い出してしまいました。
そうすると心の底から笑う事が出来なくなっている自分に気付きます。

19年間、結局自分が積極的に姉を救出しようというその動きを出来なかった、して来なかった事が、ずっと自分の負い目になって。
19年間の空白、私たちがずっと我慢をして来た19年間が、全く無駄だったという事が家族会を結成して分かりましたので、それ以降は私たちが出来る限りの事はやっていかなければならないと思っております。
19年間の負い目、姉を救出したときにはおそらく私は姉に謝らなければならないと思っています。
19年間もっと早く動いていれば、もっと早くに救出できたかもしれない。
でも動けなかった、動かなかった自分を姉に対して謝らなければならないというふうに思っています。

1997年家族会が結成以降、政府にいろいろ働きかけましたけれども、結局日本政府は何もしていなかったし積極的に拉致被害者を救出しようとする姿勢は見えなかったのが、私たちに徐々に怒りを増幅させる結果になりました。
1988年に参議院の予算委員会の中で、当時の梶山静六国家公安委員長が、北朝鮮と言う固有名詞を出して、そして拉致の疑いが濃厚であるといった6件9人、当時は6件9人です。
を、はっきりと明言したにも拘らず、メディアはその後追いをせず、政府も彼らを救出するために何の動きもしていなかった。

1990年に金丸さんが訪朝されました。
そして日朝国交正常化のための日朝交渉がはじまりましたが、その日朝交渉の中でさえ9人の名前を北朝鮮にぶつけていません。
4回目くらいの交渉の中で、ようやく埼玉県警がリ・ウネは田口八重子さんだと公表をし、そしてその時初めて拉致被害者リ・ウネ、田口八重子さんを知らないか?と北朝鮮にぶつけた。
これが日本政府だったんです。

6件9人は認めています。
6件9人は認めておりながらも、一回目の交渉から6件9人の名前を相手にぶつけることも無く、国交正常化の話をずっとし始めていたんです。
そしておそらく私は埼玉県警の勇気ある判断だと思いますが、外務省にも報告をするときにも田口八重子さんと言う名前を単独で出した、公表した。
これは外務省が先行する日朝国交正常化の流れをどこかで止めたいという、警察の思いがあったのでは無いか?と思っています。

その当時外務省が、埼玉県警の捜査に対し何を思っていたか?
日朝交渉に当たって非常に障害になると思っていた外務官僚が大勢居たという事を、私は後々聞いています。
外務官僚、すなわち国外にいる邦人を守るべき外務官僚が、日本から拉致された日本人を全く守ろうとするときに、国交正常化を優先しようとしたという事。
こういう流れが私たちにとって、本当に28年も結局は家族を取り戻せない状況が続いているわけです。

今埼玉でも上映されているかもう終ったか分かりませんが、「めぐみ 引き裂かれた家族の30年」という映画が上映されて、ご覧になっている方もいらっしゃると思いますが、私が森総理のときに土下座をしたのはあの官邸で土下座をしたんですが。
森総理のときにも日朝の国交正常化を優先し、国交正常化をなそうとした流れがありました。
当時平沢勝栄さんが、確か旧(拉致)議連の事務局長か何かだったと思いますが、平沢勝栄さんの肝入りで中川秀直、時の官房長官が家族会に会うという話があって、そして官邸に家族会が赴きます。
その時に森さんがたまたまその場所の近くを通りかかって家族に会うという設定になりますから、それでも総理が会っていただけるのでお会いしましょうという事で全国から集まったんです。

集まって、前日に佐藤会長の方から現状報告を受けたんですが、どうも森内閣のうちに森内閣のうちに森さんは、アメリカで、ニューヨークで開かれたんですかね。
北朝鮮のパク・エイナム(?)と思いますが、彼と密かに会って、そして日朝国交正常化の流れを作って、さらに森総理自身が北朝鮮・平壌に飛んで金正日と会って、日ソ共同宣言方式で日朝の国交正常化の流れを打ち上げると。
その前に家族会と会って、会ったというアリバイを作って、そして出口論が当時は多かったんです。
国交正常化をしてから北朝鮮に拉致された人たちを解放してもらえばいいじゃないか?
国交正常化をしてから彼らを捜せばいいじゃないか?
人が自由に出入りできるんだから、そうすれば彼らを取り戻すことが出来るという出口論を、共産党や社民党を中心に流れていました。
で、森さんもその方向で動いているという事を、我々はこれは本当のことか分かりませんでしたが、佐藤会長からはそう言われました。

ですから、私たちと会うのはアリバイ。
結局、会って家族の気持ちを聞いた。
でも上で平壌に飛んで国交正常化を成し得ようとした流れを聞いて、私たちはこれは絶対に止めなければならない。
もし、家族を取り戻す前に国交正常化なんて事をやられたら、私たちの家族の命はもう彼らの手によってすべて抹殺される可能性のほうが高いと思っておりました。

それは当然です。
彼らの存在が日本との国交正常化のための餌になろうとすると、国交正常化をして日本から多額の金が流れていけば彼らはいる必要が無いですし、北朝鮮はテロ国家としてアメリカのリストに乗っていますが、それを解除されたい。
アメリカのテロ支援国リストの中に入っている北朝鮮の名前を排除したいという思いでずっと言っていましたので、北朝鮮が日本人拉致を認めるという事は、テロ国家であるという事を証明するわけですから、それだけは出来ない。
ですから国交正常化さえしてしまえば、人質のような日本人拉致被害者の存在はいらないという事になります。
ですから彼らをおそらく抹殺する動きになっていたと思います。

実際帰って来られた5人の方に聞いた事があるんです。
「あなた達が帰ってくる前に国交正常化なされていたらどうなっていましたか?」と言ったら、「自分たちはお山に行ったでしょう」と言うふうに5人ともそうやって答えられております。
それほど北朝鮮の国内の状況と言うのは厳しいものであり、それを全く分かっていない日本の政治家や日本のマスメディアの方たちが、国交正常化優先と言う流れを作ってしまっていた。
だからあの時は非常に危機感を私は持って、とにかく森総理の言質を取らなければならない。
国交正常化より拉致被害者の救出を優先させなければならない。
その言質を取らなければならないと思って、カメラの方列の中で何らかの衝撃的な行動を取らないといけないというのが、前の晩に集まった家族の合意事項だったんです。

ただ、皆さんやはり両親の世代とか、浜本さんはご兄弟ですがそれでもだいぶ高齢の方で、どうしてもお偉いさんの前に出ると「よろしくお願いします」と言うふうになるんですね。
心の中では怒っているんですけども、やはりあの世代は礼儀正しい方ですから、どうしても「よろしくお願いします」となるんです。
あの方たちにそのような事をさせるわけには行かない。
結局話し合いの中で、一番若い増元さん何かやってくれないか?という話になりまして、私もどうしようか?と思ったんですが。

一応総理と会う前にはカメラがば〜っと並ぶんです。
でも最初の冒頭の挨拶だけでカメラを全部引っ込めて、そして話をするんですが、カメラのいる中で何をやればいいのか?
机を叩いて森総理に強く抗議をするのを出すのか?
それともやはり究極のお願いである土下座の姿勢でお願いをするか?
この二者を選んで最後の最後まで悩みましたが、結局私も普通の一般市民な者ですから、そんなに総理を批判するわけにはいかない。
土下座の方を選びました。

でも必死の思いでした。
家族の命がかかっているそのときでしたから、私自身も非常にカメラの前で官邸で土下座をするなんて自分でも出来るのかな?と思いながら、その場に行ったんですが結構すんなり出来ました。
びっくりしました、自分でも。
ただ、言っている事は緊張のあまり今でもハッキリと何を言ったか覚えていないんですが、映画を観ているとそんなに明確な言葉ではなかったと思います。

・・・その2に続く・・・

★北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会(和光市集会) テキスト一覧表

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

1 増元照明さんの訴え その1
http://piron326.seesaa.net/article/33773302.html

2 増元照明さんの訴え その2
http://piron326.seesaa.net/article/33821781.html

3 荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1
http://piron326.seesaa.net/article/33993336.html

4 荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2
http://piron326.seesaa.net/article/34151031.html

5 本間勝さん(田口八重子さんの兄)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/34210882.html

6 鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/34302700.html

7 飯塚繁雄 家族会副代表の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/34348617.html

8 質疑応答
http://piron326.seesaa.net/article/34470416.html
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2007年02月13日

速報 萩原遼氏 南越谷集会より

第二回埼玉県東部の会 講演会
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

★萩原遼氏(ジャーナリスト・北朝鮮研究家)

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速報 杉野正治氏 南越谷集会より

第二回埼玉県東部の会 講演会
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

★杉野正治氏(特定失踪者問題調査会)

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速報 野口孝行氏 南越谷集会より

第二回埼玉県東部の会 講演会
07.2.12 南越谷サンシティ2F 視聴覚室にて

★野口孝行氏(北朝鮮難民救援基金)

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2007年02月12日

速報 荒木和博氏 和光市集会より

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

★荒木和博氏の講演 『拉致と最近の北朝鮮半島情勢』

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速報 増元照明氏 和光市集会より

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための4市協議会・講演会
07.2.11 和光市民文化センター・サンアゼリア小ホールにて

★増元照明さんの訴え 『拉致から29年 家族の思い』

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2007年02月10日

06.12.14 横田早紀江さん 拉致問題を考える国民の集いより 日比谷公会堂にて

拉致問題を考える国民の集い
06.12.14 日比谷公会堂にて 

『横田早紀江さんの訴え』



皆さま、こんにちは。
今日はお寒い中をこんなにたくさんの方がお集まりいただいて、ありがとうございます。
もうほとんど主人の方が事細かに拉致の経過を話してくれましたので、特に無いんですけれども。
本当に今日、このように政府主催で拉致問題を取り上げていただいて、人権問題として皆さんに聞いていただくような、こんなに大きな会を催していただいた事を思いますと、本当に10年。
約10年と言う活動を続けてまいりました。
本当に何も分からなかった頃からです。

先ほど主人が申しましたように、20年間と言うものは、全く何の情報も無ければ電話もかかってこない。
何も分からない。
どんなに警察が大捜索をしても、めぐみの事は何一つ分からない。
どうしてこんなに鮮やかに一人の人が、すぐ近くの街角で煙のように消えてしまうんだろう?という事が、非常に私は不思議でどうしたんだろう?と。
本当に苦しくて苦しくて、もう毎日畳を掻きまして大声を上げて絶叫するように泣いておりましたので、隣のおばちゃまがいつも心配して「大丈夫だから、大丈夫だから」と言って、きれいな水仙とか紫陽花の花とか、一生懸命慰めに持ってきてくださった事がありました。

そして活動を始めるに当たり家族会が結成された後、今日もお見えになっている多くの方と本当に心を一つにして協議しながらお互い信じあいながら、今日までやってきました。
そして背後には、先ほども主人が話していましたように救う会と言う会が結成されて、今日もお見えになっています佐藤会長はじめ、西岡先生や前は一緒にしてくれておられた荒木先生や、今もたくさんの全国の救う会の方々が。
私たち本当に庶民、何も分からないただ普通の、単純な普通の母親でしかありません。
父親でしかありません。

非常に難しいこの問題を良くご存知の先生方が、いろんなふうに計画をしてくださり、北朝鮮外交というのは難しいですし、そして私たちが政府に「このようにしてください、このようにしてください」とお願いするにしても、個人では難しくてとてもそのようなところへ出て行くわけにもいきません。
けれども家族会を一つの輪にして、救う会の多くの方々が本当にここまで、もう10年かかっているんです。
この長い間、どれだけご本を書いて発表してくださったり、そして今度はアメリカへ行って訴えよう、今度はジュネーブの国連へ行って訴えよう、今度は韓国の皆さん家族会の皆さんと一緒に会を開いて力を合わせよう、韓国の政府の人にも訴えよう。
いろんな事を隅々計画してくださって、今日まで支えてくださったんです。
本当に私はいつもこのたくさんの方々に、温かい支援の輪と言うものを心から感謝しております。

そしてめぐみの事が分かりますまでの私たち自身は、本当に日本の中での事件だと思っておりましたので、いつもいつも話していて同じことばかりお話しているんですけども、新潟県内でも市内でもいろんな事件がありました。
一番最初にいなくなって一週間、とっても苦しい時間のときに、焼却炉の中から女性の焼死体が出てきました。
「あぁ、これはめぐみちゃんかも知れない」と、すぐに連絡がありまして、ましてや「めぐみちゃんは今日腕時計をして出ていますか?」という質問があって、すぐに机の中を捜してみましたら、バドミントンの強化選手に選ばれたりもして練習量も激しいものですから、「ちょっとしばらく置いていくわ」と確か言っていたなぁと思って引き出しを開けましたら、案の定腕時計がありましたので、「うちのはあります」と言いましたら、「それでは違うかもしれない」と言うことで。

「よく調べてみます」という事で調べていただきました結果、たまたまそれは60歳代の女の方のご遺体であって、違った腕時計が発見されたので、「めぐみちゃんのものではなかった、良かったね」という事で、本当に体が全身がこんなに震えるのか?と思うほど、止まらないんですね。
震えが恐ろしくて悲しさと恐ろしさで。
歯もガタガタガタガタ、どこに行っても震えっぱなしと言う悲しい時間を過ごしておりました。

そして日本海がすぐ近かったもんですから、日本海のちょっと沖に漁船の網にちょっと小さめの女の人の頭蓋骨が引っかかって上がってきました。
「あぁ、これはひょっとしてめぐみさんかもしれない」「誰かにやられて捨てられたのかもしれない」とまた警察から連絡があって、それで前任地の広島の歯科医にすぐカルテを取り寄せてくださいと言われて、それで電話をかけて「こういう事ですので大急ぎでカルテをください」といって、向かいました。
すぐに速達でカルテを送ってくださいました。
それを警察に届けるのに自転車に乗って、本当に足がこんなにもガタガタガタガタ震えて、ペダルが踏めないんです。
怖くて、もう恐ろしくて。
赤信号なのにもう何にも分からないで、皆に大きな声で怒鳴られながら、「わぁ目障りだなぁ、何を言っているんだろう?」と思ったら平気で赤信号を渡っているような、そんな状態で警察へ届けました。

大井埠頭からも若い女の人の遺体が上がってきましたが、そんなのを見て、もう耐え切れないほどの悲しい中を、私たちは通ってきました。
雪が降っても、何とかあの子が雪が降るまでに何とか見つかって欲しいといつも願っていたんですけど、大きなボタン雪が降ってきてもめぐみちゃんの行方は全く分かりませんでした。
電話が鳴るたびに「ひょっとしたらめぐみかもしれない」と飛んで出るようにいつもしていたんですけど、いつも違うんですけど、あの子の声はあれっきり今も30年経っても聞く事が出来ません。

そんな中でこうして救う会が全国の皆様方の温かいご支援を頂いて、そしてたくさんの500万名を越えるような署名を頂き、そしてたくさんの活動資金をこのような会のために、またアメリカへ行ったりジュネーブへ行ったりするいろんなことのために必要な経費のために使ってくださいと。
本当にたくさんの方が小学生の子供たちまで、バスに乗っていると「横田さんのおばちゃん、僕のお小遣いだけど使ってください」といって50円を渡してくれたり、「今日今回は何も買わないから使ってね」といって500円をすぐ手渡してくれたり、そして多くの方がいつも今でも家族会にそうしたたくさんのカンパを送っていただいております。
そのおかげさまでこうしてたくさんの活動を、本当に安心してさせてくることが出来たんです。

そして私たちは講演会もたくさん頼まれて、あちこちでこういう話をしていますけども、家の中は本当に異常な状態にありまして事務所のようになってしまいまして、あらゆる書類とか本とか手紙の山とか凄いものが山積にのようになっておりますが。
頂くものに対しては必ずすぐにどんなに金額の多い少ないに関わらず、全部家族会に入れさせていただいて、そして必ず領収証を書いて判子を押して、本当に遅くまで私たちは大体1時2時頃まで事務的な仕事をしながら、皆さんの本当にありがたいお心に応えて、そうやって伝えてまいりました。

そして私たちは一緒に活動してます中で、いつもこれもお話しするんですけども、署名活動をいろんな県で展開しておりました。
今は亡くなられてしまわれて悲しみは今も忘れないんですけど、増元さんのお父様。
元気なお父さんでした。
九州男児で本当に大きな声で明るい声で、「いやぁ、横田さん元気だったぁ?」と言って出迎えてくださったお父様と一緒に、るみ子さんの写真やめぐみの写真を大きくして、そして街角に立って「署名をお願いしま〜す」と何度も何度もお願いしていたんですけども、本当に初めの頃と言うのは今のような関心度は無くて、拉致疑惑と言うような形でしたから、ほとんどの方がさぁ〜っと素通りなさるんです。
チラシを出しても全然、手を振って受け取ってくださらない時期が多くありました。

そして「どうか一人でもいいから書いてくださいと、娘を助けてください、るみ子を助けてあげてください、めぐみを助けてください」と、私たちは必死で大きな声で叫んでました。
るみ子さんのお父さんが言われたその時の言葉を私はいつでも胸の中にしまって、この事が本当に大きな根源なのでは無いか?といつも講演会で話させていただいております。
るみ子さんのお父さんはあまりにも通り過ぎる人が多いので、仰っていました。
「本当にこんなに大変な大事件が日本の中でたくさん起きているのに、この24年間と言う長い年月、一体日本の政府は何をしていたんだ」と涙を流して叫んだんです。

私はその時横におりましたので、その時の言葉を忘れる事が出来ないんです。
そしてあのときに、るみ子さんのお父さんに本当にるみ子さんを会わせて上げたいな、と思いました。
私もめぐみに会いたい。
皆がそれぞれの家族に会いたいと思っています。
けれどもるみ子さんの姿はあのタラップからは現れなかったんです。
めぐみもそうです。
たくさんの、有本恵子さんも、皆そうして街角に立って頑張ってこられたんですけども、タラップから降りてこられたのは、本当にあれだけの方だったんです。

そしてその時に、今今日も来てらっしゃいますけどるみ子さんの弟さんは帰ってこられた方に、お父さんがご病気で入院をされていて非常に重体でありましたので、「何でもいいから北朝鮮でるみ子に会わなかったか?るみ子がどんなふうにしていたか?どんな些細なことでも良いから教えてください」と「父に話してやりたいんです」と、一生懸命に回られたんですけども、あの時はまだ帰られたばかりで非常に緊張感もおありだったのか、「見たこともありません、知りません」と「全然知りません」」という事で、もう本当にがっかりなさって、照明さんは大急ぎでお父様のところに鹿児島に帰られました。
そして病床にあってもう酸素マスクをなさっていて、もう非常にあの頃の元気なお姿は無くて、本当にやせてしまわれたお父様が、酸素マスクをしている姿をビデオに録って、この度の映画にも出ていてくださいますけども。
お父さんはそれでもその中で、一生懸命に仰っていました。

「俺は日本を信じる、だからお前も日本を信じろ」と、照明さんに仰ったんです。
「日本を信じる、だから日本を信じろ」
これはどういう意味なんでしょうか?
外務省を信じろという意味でしょうか?
総理大臣を信じろという意味でしょうか?
警察を信じろという意味なんでしょうか?

これはもっと深い意味があると思うんです。
日本の全部の父親・母親がこのようなことになったとき、自分はいったいどうするか?という事では無いでしょうか?
みんなの心を信じて、日本中の人が力を合わせて心を合わせて、このような悪魔のような残酷なことになっている者たちを、絶対に助けようと思う気持ちになることだと、その事を国民全部を信じて頑張りなさいと、言い残されたんだと私は思っているんです。
私はあのときに叫んでいた街角でのお父さんの声と、そして照明さんに残された最期の言葉がいつも私は頭の中にこびりついて離れないんです。

そして今までどんなにふうに・・・(聞き取れず)されてきたか?という事。
10年間の間、いろんな事がありました。
私たちは何も知らない、本当に平凡な庶民でしかありませんから、政府を信じ警察を信じ外務省を信じ、テレビとか新聞に出ることくらいでしか、国民の皆さんもそうですけども、理解する事は出来ませんけども。
私たちはどんなに小さなことでも子供たちの命を助けるためになることなら、どんな事でもしてくださるだろうと信じてきました。

そして金正日の息子であるという金正男さんという、息子さんがこちらに不法入国された事があったけれども、あのときはもう「これで子供たちが帰れるんじゃないか?」と本当に家族は皆思ったんです。
「絶対にこれで政府はこの人をカードにして、こんな大切な人を返すんだから、拉致をした人を全部返しなさい」ときっと取引をしてくれる。
「これで帰れるよね」と本当に喜んでいたんです。
けれどもその時の外務大臣(=田中真紀子:当時)と言う方は、「早く返しなさい返しなさい」と、北に送ってしまわれたという事を聞きました。
そして外務省の方々が、今は外務省の方々もたくさん来ていらっしゃって、こんな事をお聞きになるのは非常に不快だと思いますけど、現実にあったと思って私は申し上げますが、6人もの上の方々が・・・・(聞き取れず)で金正男と言う人を飛行機に乗せて送還してしまったと。
どこに連れて行ったかは、ちょっと私覚えていませんけども、そういう事がありました。

それでも家族の方はまだ一縷の希望を持っていました。
外務省だから、日本の外務省だから、絶対にこんな事を蔑ろにするはずが無い。
私たちには言えないでしょう。
国民には知らせられなくても、この人たちを助けるためにこんな大事なカードを向こうに送るならば、飛行機の中で6人もの人が付いて行ったのなら、必ず中で一生懸命にどういうふうにしているか?という事を、計画してくださっているよねと。
このまんまでは絶対に置かれないでしょうと希望を持って頑張っていたんです。
けれども、あの事はそのまんまで消えてしまいました。

いろんな事がありました。
本当に私たちはいつもこういうふうな分からないことが状況が時々あっても、いつも今でもどうしてだったのか?という事が何も知らされません。
国民にも家族にも知らせていただく事が出来ません。
こんなに大事に私たちが、大事な大事な子供たちを取り返すために、どんなに本当に命がけで戦っているのか?という事を分かっていてくださるんだろうか?と思いました。
そして昔から、もっと、私たちの子供が連れて行かれる前から拉致が行われていましたけれども、その時々でも、あの時こうしていれば次のこの人は拉致をされることは無かったんじゃないか?という事も、たくさん出てきております。
そしてその事はあの時もう少しすれば良かったと、終るようなことではいけないと思うんです。

私はいつも思います。
今日、私はここで家族代表として、救出のために皆様方に娘たちを助けてくださいとお願いをしておりますけども、この拉致と言う問題は、誰の身に起きたか分からない。
本当に恐ろしい大事件なんです。
日本の平和な国の中で、誰も信じもしない様な事が、30年間も待たなければならないほどの大変な問題が、長い長い間起き続けている。
そしてその子供たちは、向こうで今も、今日も、昨日も明日も、お月様を見ながらいつ助けに来てくれるの?と、早く来てと、助けを求めているんです。

蓮池さんや曽我ひとみさんも帰って来られて仰っていました。
誰かがきっと助けに来てくれる。
そう信じて待って待っていたけれども、誰も来てくれなかった。
だから私たちはもうこの国の人たちになって、北朝鮮人になって生きていくしかないと諦めて、180度心を入れ替えて住んで来たんですと、蓮池さんご夫妻は仰っていました。
ひとみさんは、私は必ず誰かが助けに来てくれると思って待っていましたと。

それぞれに思いは違いますけども、どんなに本当に残酷なこの悲しい悲惨な思いを心に持って、あちらに生きている人たちが今もいるかと思うと、ひょっとして今日ここに来て私たちの話を聞いてくださっている皆様方のどなたかが、どなたかの大事なご子息またお嬢様、またご家族の誰かがこのようになっていたかもしれません。
今日その方が誰かがここで、私たちがこちらから聞いて「助けてください」と訴えられていたかもしれない。
このような大変な問題なんです。

拉致問題だけでなく核まで持つようになったあの国が、麻薬や偽ドルや不審船・テポドンミサイル、ありとあらゆる悪行を本当にやり続けて、そして多くの強制収容所では罪も無い人が今も、私たちの子供たちもどこにいるか分からないんですから、そんな所にいるかもしれません。
どこにいるか、私たちは嫌な事は思わないことにしているから、生きていると思って頑張っているだけのことで本当の事は分かりません。
その中で何の罪も無いのに物凄い虐待を受けながら労役をさせられて、叫びを求めて、早く助けてくださいと嘆いている北朝鮮の国民が一杯いるという事も、私たちは知らなければなりません。

そしてそのような強制収容所から、必死の思いで、9歳から親たちとそこに入れられて、非常に悲惨な恐ろしい状況を見続けてきた青年が一人、青年になってから上手く逃げて、今韓国で北朝鮮の人権問題を一生懸命に取り上げておられますが、その方と一緒に私たちは一度このような講演会をさせていただいたことがあります。
姜哲煥さんという本当に素晴らしい青年ですけども、本当にこのような残酷な事があるという事。
あの国で僕たちが経験した事はこんなことだったという事を、今こんなに平和な日本の国の皆様方に話したって信じていただけないと思います。
けれどもこれは現実であり真実でありますと、仰っていました。

このような事を世界中の人に知ってもらいたい。
まだ私たちのおじいさんとかもそこに放り込まれたままで、今も助けを求めている人が一杯いる。
それがどんなに苦しい生活か?
もう、言うに言えないほどのことなんだと仰っていました。
涙をその方は流しながら、だから私は逃げて、この事を世界中の人に訴えなければいけないと思って逃げてきたのですと、仰ってました。

そして本当に死に至る苦しさって言う意味では、ドイツのガス室でたくさんの方が虐殺されましたけども、そのような方の方がまだ北朝鮮でのあの強制収容所での死を味わう過程と言う意味では、どれほど良いと言うか楽だと言うか、へんな言い方だけどと仰っていましたけど、まだ楽だったかと思いますと。
ガス室は一瞬にして命が絶たれますが、あそこにいる間はもう生きていたくないほど苦しくて、死んだような状態であっても働かされるし、殴られるし、冷たい氷の上に放り出されるし、赤ちゃんを産んでもすぐにその赤ちゃんはビニール袋に入れられて、氷の上に捨てられてしまう。
そしてそのお母さんもすぐに働け働けと言われるような、こんな恐ろしいところが現実にあるんだという事を本にも書いていらっしゃいますし、本当に多くの人間として知らなければならない大事なことだと思うのです。

私たちは拉致問題だけでなく、こんなに悪魔のような事を平然とやり続けている。
たくさんの人たちを苦しめ続けているその国が核を持ったという事は、どういう事が起きるんでしょうか?
これはもう日本の問題だけではありません。
近い韓国、またどこまでも飛んでいくか分からないものを作り続けていたとき、時間稼ぎをする事はもう出来ません。
必ずそこに制裁を加えてでも、戦争をするわけにはいきませんから、制裁をかけて物資を止めお金を止めて、もうどうにも何も出来ないようにするしかないんで、私たちは制裁をお願いしているんです。

皆が幸せになって欲しいと思っているんです。
あちらの国の方々もそんなところから皆出していただいて、本当に自由を得ていただきたいと思っているんです。
めぐみたちも早く、有本さんもるみ子さんもたくさんの、たくさんや市川修一さんも皆元気で。
田口八重子さんも本当に皆があそこのタラップから元気で降りて帰って、この自由の今の、こんなに裕福になった日本の国の中の本当に自由を味わわせてあげたいと思っているんです。
どうか全部が元気で、もっともっと多くの特定失踪者の分からない、名前さえも分からない・知らないでここにつれてこられて、私はいったいなんだろう?と嘆いている人もいると思います。
そういう人たちも一緒に皆元気で帰ってくることが出来るように、私たちは一生懸命に頑張っています。

どこまで体が持つか分かりませんけども、本当に多くの方々のご支援をおかげさまで今日までやってくる事が出来ました事を感謝しまして、そして日本中が一人一人があらゆる人が、国が、政府が、警察が、そして国会議員が、あらゆるすべての人が父親として母親として、こんなことはいけないんだと。
何とかしようと団結していただきたいと願っております。
本当に今日はありがとうございました。(拍手)

06.12.2 質疑応答2 第19回日本再生フォーラム講演会(5)JACK大宮ビル5階にて

第19回 日本再生フォーラム講演会
06.12.2 JACK大宮ビル5階にて

『質疑応答その2 回答者:三浦小太郎氏』

★質問5

質問をそのまま読ませていただきます。
北朝鮮への対応力を一歩でも強めるために有効な方策はなんでしょうか?
中国は北朝鮮への援助を行なっており、6ヶ国協議でもリーダーシップを取りうると思われています。
日本では朝鮮総連が援助を行なっています。
総連への運動で具体的な取り組み方法はどうなっているんでしょうか?と言うご質問です。

★回答 三浦小太郎氏

最初に言うとですね。
総連と言うのはもう、さっき皆様の努力には大変敬意を表しましたけどね。
日本にあること事態がおかしいんですよ。
だからこれは本当にですね。
特権を与えるという事以前に解散させなければいけないんですね。
私は本当はそう思っています。
在日のためにもならない。

ただ、それはそれとしまして、まず最初に朝鮮に対する対応力、どういうふうにしたら影響力を与えられるか?
どういうふうにすれば?
後は中国の事をお尋ねでしたね?そうですね?
私は中国に対してはですね。
私はずっと北京オリンピックボイコットと言うのは大きな問題だと思っていたんです。
実を言うと。
しかし、これは時機を逸したかな?と。
日本だけボイコットしただけではあまり大きな力にはならないですね。

私は中国は損得で動く国ですから本当はですね。
経済制裁とは言いませんけど、ODAその他の経済交流を中国に対して日本が、これ以上北朝鮮を支援する限りは縮小するという方向を出せば、結構中国は損得で動くので敏感な反応をするんじゃないか?と。
靖国神社とかそんなの全然関係ないです。
中国が日本に求めているものはお金といろんな技術交流ですよね?
これを北朝鮮をあなたが支持するなら止めて行きますよ。

あるいは北朝鮮に対して中国が拉致問題解決しろと、6カ国協議で中国はこの事はやはり問題にするぞという事を言わなければ、日本の側に立たなければ日本は中国に対するODAその他、経済交流に対してやはり国民が納得しないから縮小せざるを得ないという事を言えば、きっと動く。
しかし、これが今の自民党はまず言えないです。
それが言えるようになるかならないかが、私は正直言うと、ちょっと言いすぎですが安倍内閣の一つの試金石だと。
私はこれが中国に対して、日本が経済的に、北朝鮮に対する経済制裁も大事なんですけど、わたしは日本が中国に対して経済的に攻めの態度を取れるかどうか?が物凄く大きい。
この問題を動かすために。

本当に実利の国ですからね?中国の場合。
あそこは共産党はあるけども共産主義なんてかけらも無いですから。
完璧な資本主義、日本以上の絶対資本主義の国ですから、お金が流れ込むか流れ込まないかが非常に影響を与えるんじゃないか?と。
そして中国が動くことによって、北は決定的な打撃を受けるはずですから、今回の核実験のダブルパンチとしてはですね。
中国が北への支援を止めさせて行くことと言うのは、日本政府が要求して行けるかどうか?
それが凄く大きいんじゃないか?と。

それについてはですね。
ちょっと私自身何回か抗議に行ったことがあるんですけど、やっぱり朝鮮総連は拉致に加担していたという。
この事実をそろそろ国会で追及するくらいの事をしなくてはいけないんじゃないか?と。
課税の事を頑張られて、皆さん大変立派な事をしていると思いますけどもね。
税金かけるなんてそんな当たり前のことでですね。
これまで役所が税金取らなかったことの方がよほど異常でありましてですね。
私は朝鮮総連が拉致に加担した、もしくは多くの犯罪に加担しているという噂は、すでにいくつかの捜査で判明しているわけですから、その事を場合によっては国会で喚問するような事はですね。
国際テロ行為ですから、あってもいいんではないか?と僕なりには考えています。

★質問6

とても個人的なこととちょっと断りがありますけど、姜哲煥さんの妹さんがどうされているか?
ご存知だったら教えて欲しいと言う質問があるんですが。

★回答 三浦小太郎氏

え〜と、北にいる妹さん。
ちょっとすみません、あまり詳しく知らないもんですから、あまりプライバシーのことでいい加減な事を言うとまずいですから、ちょっとそれは良く分からないので、よく知っている人がいますので、懇親会に出て私に言ってください。
後でその人に連絡とって教えます。

★質問7

ありがとうございます。
それでは最後の質問になりますけども、拉致解決への参考として具体的な提言をお願いしたいという事です。

★回答 三浦小太郎氏

そうですね、これは僕自身正直言って、あまり良い提言が出せないんですよ。
こんな人間がこういう場に来て良いのか?と悩みながら来ましたけど、ただ、僕の理想論だけを言いますとね。
この経済制裁を拉致でやっているという事、日本がね。
核でやってるんじゃなくて拉致で経済制裁をしているんだと言う国家意思を、私はまだ十分示せてないような気がする。
これは明確に出さないと駄目だ。

そうでなければ、全然人に迷惑をかけない人なら良いんですけど、核でなくて拉致でやっていると言う国家意思をですね。
あの、安倍総理は口にしたとは言っていますよ?
言ってますけどね、これは明確に、ある意味では国連の場でも6カ国協議の場でも、ありとあらゆるところで外務省そして日本政府が文書の形で、拉致解決までは経済制裁は解かないという事をまず出さないと駄目。

そして二番目。
日朝平壌宣言、あれを直ちに破棄しないと。
この二個は絶対に必要です。

そして、これはちょっと乱暴すぎるんですどね。
今のまんまの6カ国協議だったら、日本は自らこのままここから出て行きますよと言う意思を、北にばっかり言わせないで、本当は持ってもいいんです。
ただ、それはちょっと今の日本の国力では難しいと思うから、日本が国家意思を示す事が一番大切です。

そのために二つある事は、拉致での経済制裁だという事を明文化して世界に出す。
二番目は日朝平壌宣言、あれは北の裏切りによってもはや無効になりましたという事を明確に言う事。
裏切りという事は無いな、北の条約違反によって無効になりました。
元々あれを結ぶ事が諸悪の根源だったと思うんですけど、そんな事を今更言ってもしょうがないから、具体的な提言は正直言って僕出来ない人間だから、まずそうやって日本が国家意思を示す事が大事ではないか?と。

そして、そうですね。
これは私の口からはちょっと言い難い事の一つなんですけれども、日本の拉致議連もいいんですけど、やはり内閣が以上のことを宣言として出し、実行する。
さらには国連の安保理その他にですね。
核だけではなくて、拉致と国家テロという事で、特に大韓航空機事件。
彼らが国家テロを行っているという事をですね。
これは安保理その他、ありとあらゆるところでですね。
宣言していく。
そして日本の国家意思を示すことですよね。

日本は戦後憲法9条という事で、武器は持たないと言う、まぁ持っていますけど、人を攻撃する武器は持たないという事でやってきた。
それはそれで一つの生き方なんです。
でもそういう国は、言論と情報収集は武器を持っている国の10倍頑張らないと駄目なんです。
武器は持たない、口はしゃべらない、スパイがいても捕まえない、自分から情報を集めない。
これではどうにもならない。

じゃあ、ある脱北者の人が僕に言った言葉を紹介して僕の話を終わりにしますけど、こういう拉致関係の小さな集まりでその人に来てもらったんですよ。
その人は「6カ国協議やったって日朝協議やったって駄目に決まっている。金正日はそれで返すような人間じゃないんだから」
その人が言ったのは、「日本も安明進みたいな工作員をたくさん作って、向こうに送り込んで情報を取ってこなければ絶対に出来ない」
あるいは「労働党の子供か何か2〜3人拉致してきたら、取り返すかもしれない。」
それはめちゃくちゃな言い方ですけどね。

つまり日本がですね。
今のまんまの交渉で取り戻すんじゃなくて、そういった様々なですね。
それこそ暴力には暴力をでは無いけれど、相手が力しか信じない国だという事を考えて作戦を立てていくしかないだろうと思います。
これで良いですか?

★司会

どうもありがとうございました。

★三浦小太郎氏

今日はどうもありがとうございました。(拍手)
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