2007年05月31日

07.5.25 真鍋貞樹氏1 戦略情報研究所講演会(4)UIゼンセン会館2階会議室にて

戦略情報研究所講演会 講師:荒木和博氏・真鍋貞樹氏
07.5.25 UIゼンセン会館2階会議室にて

テーマ 拉致問題解決に何が必要か、何が足りないのか
          -----基本的枠組みの提言-----

『真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事の講演 その1』

 〜〜拉致問題解決への立法・行政組織の限界とその克服〜〜

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私の方から申し上げることは、今、荒木が言いましたとおり、日本政府の持っている基本姿勢がですね、外国に頼む、そして北朝鮮に対しては、交渉するという範疇を越えていない点についてどう、我々が考えるかという事だと思うんです。

お手元に、「拉致問題解決の立法行政組織の限界とその克服」と言う形で、資料をお配りしていますので、その課題についてですね、私なりの考え方をお話しさせていただきたいと思います。

最初に結論的な事を申し上げますと、明らかに日本の立法・行政には、この難しい困難な拉致問題を解決するためには、明らかな限界性をもっています。限界があるからこそ、帰ってきていないんですね。
この限界を超えていくためにはどうするべきか?すなわち、問題解決に不可欠なものは一体何だろうということをまず考えて、不可欠なるものを、出来ないままにしておくのか、やらないままにしておくのか?それでは、全くの解決は出来ない。
従って、この今できていない、やらなければいけないけど、やっていない拉致問題の解決に不可欠なものを我々は考えて、新たなものを作っていくような・・

荒木の方から申し上げましたが、この拉致問題の根本的な解決は、金正日独裁政権が変換しない限り全ての拉致被害者を救出することは不可能であると言うことだと思います。
「部分的な解決」、「部分的な救出」というのは、当然あり得るし、あったんですね。5人の拉致被害者は帰ってきたようなことがありますが。

しかし、我々が知らない拉致被害者、誰も知らない拉致被害者をどう救出するのかと言うことに考えが及べば、現在の、金正日独裁政権が継続する限り、この期待を満足する・・ないと思っております。すなわち、拉致問題は、金正日政権が転換しない限り全面的な解決はないと言うことだと思うんです。

このことは、おそらく日本の国民は意識のレベルではですね、みんな「そうだな」と思っているんだと思うんです。ある程度合意はされていると思うんですけれども。
意識の上では、合意があったとしても、それをどう政策レベル、戦略レベルまでいくんだ、また政府が何をすべきなのかということを求めていくときに、これはなくなっていくと言うことなんですね。

拉致被害者が可哀想だから、拉致被害者のご家族があまりにも気の毒だから、可哀想だから政府、何とかしてくださいというレベルから、問題、出て行かない、残念ながら。そう思います。そう言いう構造が出来ているわけです。

一方では、金正日独裁体制の転換がなければ拉致問題は解決しないと思いつつも、実際の行動になると、それを言わない、言えない、あえて、避ける というようなことがあるんではないかと言うふうに思っております。

意識のレベルでのはおおかた、この金正日独裁政権の転換が必要だという合意があったとしても、それが、政策、戦略になっていかないということですね。

これは日本のみならず、世界の国ももしかしたら同じではないかと思っています。
北朝鮮問題で当事国は、六カ国協議ということで、北朝鮮を除く五カ国ですが、その五カ国の中で、明確に、核兵器も含めて、拉致も含めて、強制収容所問題も含めて、脱北問題を含めて、あらゆる北朝鮮における犯罪行為の解決のためには、金正日独裁体制を変換させねばならないというふうに明言した国は、かつて、アメリカしかないんですね。

アメリカで、北朝鮮人権法ができてきたプロセスという中には、明らかに、北朝鮮の「レジュームチェンジ」、「レジュームトランスフォーメーション」ということばが使われてあの法律が出来てきたんです。しかし、残念ながら、今アメリカの議会の中で、アメリカのブッシュ政権の中で、北朝鮮対策・政策の中で、「レジュームチェンジ」という言葉は、完全に消えています。
それは何故かというと、それは、想像すると、中国の関係、ロシアは・・、韓国は太陽政策とおうような状況が続いている限り、アメリカとしても、当事国、関係国がそう言う状況であったならば、アメリカだけが、「レジュームチェンジ」「レジュームトランスフォーメーション」と言うような形というような形で行くというようなことに対して、「どうなんだ」ということが生まれてきたのと言うことに他ならないのではないかと・・ではないかと・・

国連のレベルでは、もっともっとこういう意識というのはない。
国連で、北朝鮮の人権問題について非難決議はするけれども、その根源は、北朝鮮の金正日独裁政権にあって、それを直さない限り、北朝鮮の人権問題は解決しないんだというよなメッセージ、国連のレベルで一回も出てきたことはない。もし、そういった事をご存じだったらちょっと教えていただきたい。私の知る限り、そういったメッセージなり、メッセージを出したとしても、具体的にどうするのかという戦略、戦術が議論がされた記憶はない。

そう言う状況の下ですから、国際的にも、国内的にも、そう言う状況なので、じゃぁ、何も出来ないのかと言うことになっていくわけですけれども、最初にお話ししたように、いや、これはやらなければいけないんですね、解決しなければいけないんですね。じゃぁ、何を考えなければいけないのかということになります。

2番目に改めて「日本の立法・行政の限界性」について、おさらいをしてみたいと思います。

日本の国会で北朝鮮の金正日政権の転換を前提にした戦略というものを議論された経過というのはがあるでしょうか?また国会レベルで、そう言う政策をつくろうとした経過があるでしょうか?

「拉致被害者支援法」というのがありますし、「北朝鮮人権法」というのもありますし、あるいは「経済制裁関連法」がありますけれど、その政策というものは、それらをやらなくてはならなくなった根本的原因である“金正日独裁政権を転換させる”というような戦略ベースから生まれてきたものではないですね。

立法レベルではですね、そうした体制転換を前提とした議論そのものも発想そのものもない。

それは北朝鮮に限らず戦後の日本の国会の議論を改めて考えてみますと、トータリー体力が非常に非常に強かった頃の議論を見てみますと、日本が自ら東側、中共産側に対してどうこれを体制を転換させるなんていう議論なんてありゃせんのですね。

ベトナムをどうするとか、二つの中国をどうするのかとか、二つの朝鮮をどうするのかと言ったような、いわゆる西側の一員として、そういった共産国の体制を、どういうふうに我々日本が、インセンティブを与えて、民主的な国にしていくか、体制転換をしていくかとかいう議論はおそらくなかたっと思うんです。ありますか?(笑い)そういう状況です。

立法レベルでそうなんですから、行政レベルでそんなこと考えるはずがないわけです。

行政レベルで、法制度上、北朝鮮を体制転換させなければならない、法律を作らなければならないというのは想定外です。想定外です。

そんなことを、世界中で考えられる組織というのは、考えられるのはCIAとか、イギリスの諜報機関とかそう言う話になるのでしょうけれども、少なくとも彼等は考えているんです。思考するわけです。実行するかしないのかは、その時その時の政治家の決断、と言うことになるわけですけれども、世界情勢に依存するわけですけれども。少なくとも、そういった発想とか研究というものは、当然のごとくするわけです。

しかし、日本の情報機関での伝統的な問題というのは、立法措置がそう言う状況ですから、行政レベルでそういった体制転換の戦略なんてしないわけですね。

で、日本の情報機関の伝統的な問題というのは、ここ(配付資料)にでていますけれど、バカではけしてなくて、優秀な人たちが集まっているわけですから、ここに書いてあるように、知識= knowledge(ナレッジ)というものは、どんどんどんどんいろんな情報を集めて、知識だけはどんどん集めています。
けしてバカでないからいろんな世界情勢を集めています。
警察庁の公安部の外事課なんていうのは、世界中のそういう公安情報を集めて、知識として持っているんですね。

しかし、このinfomation(インフォメーション)レベルになると、それがどんどんどんどん怪しくなるんですね。情報というレベルでは、一番簡単なのは、知識の交換がないんですね。
警察と公安調査庁は全くないです。海上保安庁と知識の交換はないです。場合によっては、内閣府、総理大臣ですら各部局が持っている知識を伝達することもなかったと言うことが、かつてありましたね、たくさん。

そういう状態が一部改善されたとは言っても、まだまだその状況は続いているわけですね。
従って、それを更に高度な intelligence(インテリジェンス)のレベル=戦略レベルになると、もうほとんど何も存在しないわけです。
だからこそ、安全保障会議みたいなものを、小池ゆり子さんが一生懸命やられるようになっているわけですが、それだって、今会議をしているだけであって、そこで知識を集め情報を交換し、戦略レベルのことをやっていくという状況にはなっていないようですね。
これは日本の戦後の情報機関の特筆すべき状況だと思っております。
これは、従来から、何ら変わっていない問題点ではないかと思っております。
その背景にですね、これは日本の行政組織の、一般的問題なんですけれども、縦割り組織だとか 縄張り意識だとか、伝令主義だとか、いったような行政組織の典型的な問題がこの背景にあるんですね。

それから、日本の行政組織の中で一番顕著なものは、“民間の排除”です。
民間の知識なり情報などを行政の中に生かすということに、非常に消極的です。全ての官僚組織の中で消化する。官僚組織の中だけで知識を回していく。情報の交換すらも、ままならない。情報の交換そのものもも、官僚組織の中でやる。そう言うことを官僚主義と言うんですけれども。それが非常に強い。

大統領制と内閣制との違いもあると思いますが、アメリカの場合の特徴というのは、何か問題があったらば、すぐに民間の専門家を調査の責任者に当てて、専門的に調査させて、物事を明らかにしていくのそういうことが非常に強い。

北朝鮮の問題に関連すれば、偽札の問題なんか正にそうですね。私今、名前思い出せないんですが、マカオのBDA(バンク・デルタ・アジア)の問題を明らかにしたのは、若いお兄ちゃんです。
それは民間から、突如、そう言う任務を当てられたわけです。そしてその彼は、今そこからはずれているわけですね。そういうふうに、その道、その道に優れた民間の知識人をそういうプロジェクトごとに、行政の内部の戦略・政策レベル作成する中にどんどん取り込んでいって、進めていくという感覚が日本の行政機構の中にほとんどない。

ぜめて審議会とかですね、協議会とかですね、そういったところに、まぁ、いわば格付けに、大学の偉い教授なんかを呼んでですね、そこで懇談会なんかを開いてですね、行政の官僚が作ったプランにお墨付きを付けるといったような意味でそういうものをやっていくというのはたくさんある。そんなのは、インテリジェンスレベルでは、全然関係ないですね。もっともっと民間の様々な知識を行政組織が集めて分析し情報にしてっていき、それを更に戦略レベルで物事をおこしていくと行った発想というのはほとんどないわけであります。

・・・その2に続く・・・

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この講演会のテキスト化及び音声のネット上への公開については、調査会代表の荒木氏の了解を頂いております。

このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

07.5.25 講演会の資料 戦略情報研究所講演会(3)UIゼンセン会館2階会議室にて

戦略情報研究所講演会 講師:荒木和博氏・真鍋貞樹氏
07.5.25 UIゼンセン会館2階会議室にて

テーマ 拉致問題解決に何が必要か、何が足りないのか
          -----基本的枠組みの提言-----

『真鍋貞樹 調査会専務理事講演の資料』


拉致問題解決への立法・行政組織の限界とその克服   2007.5.25
                                   真鍋貞樹

1.拉致問題解決への根源的な課題
   ・拉致問題は、金正日政権が転換しない限り、全面的な解決はない。
     =>意識のベースでは、おおかたの「合意」が存在
   ・日本も関係国も、金正日独裁体制の転換に関する戦略を持ち合わせていない。
     =>戦略ベースでは、内外ともに「合意」が存在しない

2.立法・行政組織による拉致問題解決の限界
  ・立法レベルでの、体制転換を前提とした対北朝鮮戦略が存在しない。
 立法レベルで、戦後、他国の体制転換についてコミットした経過泣ない。
  ・行政組織レベルでは、法制度上、北朝鮮の体制転換の戦略は 「想定外」であ、る。
  日本の情報機関の伝統的な問題
  knowledge  知識(蓄積されるもの)の蓄積はあり
  infomation   情報(相互に伝達されるもの)の拡大が不十分
  intelligence  戦略(動きを伴ぅもの)の決定がなし
  縦割り組織、縄張り意識、前例主義、民間の排除 (官僚主義)、情報独占

3.立法・行政組織レベルの限界を超え、拉致問題解決のために想定すべきものとは何か
  (1)立法機能において、拉致問題解決に不可欠なもの
   ・立法機関の責務として、北朝鮮人権法、被害者支援法、各経済制裁法の個別的な
    政策を、トータルな戦略をベースにした法体系を整備する事が不可欠である。
   ・立法機関ならではの、調査機関を設置していくことが不可欠である。
     ※ 現行の国会の拉致問題対策特別委員会は、官僚や関係者からの聴取と、現地
       視察で終っている。民間に調査委員を委嘱し、実質的な実態調査昨日を
       持たせることが不可欠である。(実態は、衆議院調査室が報告書を書いて終わり)

  (2)行政組織の、情報収集能力と救出能力の実効性を高めるために不可欠なもの
      内閣機能  ・・・NSCによる戦略の企画・立案が不可欠
                拉致対策本部情報室の格上げ、機能強化が不可欠
      警察庁    ・・・FBIのような、横断的組織が不可欠
      外務省    ・・・海外情報収集機能の拡大が不可欠
      公安調査庁 ・・・国内外の情報収集と分析を行なう情報相的組織に転換が不可欠
      防衛省    ・・・北朝鮮での有事における邦人保護体制の構築は不可欠

4.まとめ 
  果たして、上記のような、拉致問題の解決に「不可欠なるもの」が、日本の国会・行政機構、
  あるいは法制度、法文化で可能か?何よりも『間に合うのか』?
  (1)結論は見えているが、「不可欠なるもの」の実現を目指した世論や運動が「不可欠」
  (2)国民と政府が「協働」することが「不可欠」である。民間排除はマイナスである。
  (3)民間でできるものは何かを考え、実行する事が「不可欠」
      情報収集・・・北朝鮮からの情報の収集
      体制転換・・・北朝鮮への情報の注入、脱北者支援、亡命政権支援
              「自国の体制転換は、自国民が行う」のが鉄則

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この講演会のテキスト化及び音声のネット上への公開については、調査会代表の荒木氏の了解を頂いております。

2007年05月30日

07.5.25 荒木和博氏2 戦略情報研究所講演会(2)UIゼンセン会館2階会議室にて

戦略情報研究所講演会 講師:荒木和博氏・真鍋貞樹氏
07.5.25 UIゼンセン会館2階会議室にて

テーマ 拉致問題解決に何が必要か、何が足りないのか
          -----基本的枠組みの提言-----

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その2』

〜〜安全保障面から見た拉致問題解決のための提案〜〜



それから、この第3国に出られない場合のことですが、これは自衛隊を使うしか方法がございません。
私、今月出ています6月号の月刊正論に書いてございますが、ともかくですね。
拉致被害者救出に自衛隊を使うのは当然のことである、いうふうに考えます。
これは、そういう事のために軍隊と言うのは存在するわけでございまして、国際貢献もあるいは災害派遣もそれは大事かも知れませんが、軍隊としての本来業務としては一番の本来業務ではない。
軍の本来の仕事は国民の生命と財産を守ることであるという事でございまして、そのための、これはあまり具体的に話できる部分と出来ない部分とがあるんですが、それを進めていく。

それが話ができる部分で言えば、北朝鮮の体制がひっくり返ったときにですね。
その時にこれは邦人保護という事で行かなければいけないわけでありまして、相手がどうなっているのか分からないところに行くのはですね。
そういう何かあっても対応できる組織が行かざるを得ないわけで、これもやはり自衛隊という事になるだろうと思います。
これは今後、拉致議連なんかとも連絡を取りまして具体的にですね。
今まで・・・(聞き取れず)など何人かが声を上げているだけなんですが、それを何とか世論化してそして実現に持って行きたいというふうに思っております。

そして国際活動、様々な人権活動と言う意味では、この国内外のNGOとですね。
連携して金正日体制その物を圧迫していくという事が当然必要であろうと言うふうに思います。

それから国連の人権委員会に強制的失踪に関する作業部会というのがありまして、ここにかつて私も救う会の事務局長であったとき増元さんと一緒に参りまして、ジュネーブですが、この届けをして来た事がございます。
実際にはそれほど効力と言うものは無いんですが、国際的なアピールという意味はございまして、今後1000番代リストの方、それから0番代リストの公開の方、非公開の方でも希望する方があればもちろん構わないんですが、ご家族の了解を取った上でですね。
届けを出していきたいというふうに思っています。

それから政府への対応ですが、これは私どもは基本的にですね。
建設的な緊張関係という事で、決して何でも反対ではなくて是々非々の立場でいくという事も今後も維持をして参りたいと思っております。

それから国会への問いかけですが、拉致議連とも提携的な連携を強めていきますが、特に具体的にですね。
協力してくださいという事では仕方が無いので、こういう質問をしてもらいたい。
あるいはこういう質問書を出してもらいたいという事をやっていく予定にしております。
早ければ今月中にも一本ですね。
質問趣意書を西村幹事長の方から提出をしていただくつもりです。

後、法律制定・法改正、これは詳しい事は・・・(聞き取れず)もらえば分かると思いますが、具体的にですね。
法律的で今不備な部分がたくさんあるということで、現在の拉致被害者支援法の改正。
それから北朝鮮人権法の改正ですね。
そして拉致情報を得るために司法取引を認めると。
現在日本では司法取引が認められておりませんが、拉致の実行犯がかなりの数まだ日本国内にいるわけでありまして、この人たちから情報を取るために司法取引が出来るように刑事訴訟法の改正も薦めなければならない。
いう事等々を働きかけてまいりたいと思っております。

それから北朝鮮の権力層の一部でですね。
金正日側で無い人たち、との連携も模索していきたい。
この間ネットなどでご覧になった方もおられるかと思いますが、金平一という金正日の異母兄弟が、堂々とポーランドのマスコミに出ておりまして、息子と娘も一緒にですね。
ポーランドの大学と大学院に通っているそうですが、出ておりました。

この人が顔を表すのは、私が覚えている限りでは金日成が死んだ94年の7月以降に一回だけですね。
マスコミの前で、どこかの大使だった時に大使館の前に出てきて外国のマスコミの前に顔を表した事が一回だけありまして、その時は確か「金正日はしばらく後継しないと思う」というような事を言ったと記憶しているんですが、それ以降また全く消息が消えておりました。
今回こういうふうに出たというのはどういう意味があるのかというのは、今ひとつ分かりませんが、少なくともこの人が一つのキーマンである事は間違いないので、可能であれば直接一度ポーランドまで行って大使館を叩いてみたいと。
中々会ってくれるとは思いませんけど、物は試しですのでやってみようかなというふうに思っております。

これは例のバルーンのイ・ミンボクさんと会いましたときに言っていたんですが、現在の脱北者の人たちはですね。
やはり非常に苦労して来ている。
北朝鮮の中で生きていくためにこれは非情に苦労せざるを得ない。
生きていくためには人も騙さなければいけない、いう事でですね。
ともかく韓国に入ってきた脱北者でも、要は人に感謝するとかそういう気持ちが無いんです。
これは自分自身も脱北者だからそういう面があると言いながら彼は言っておりましたけど、結局ですね。
人が何かしてくれても、これはおそらく自分の得になるからやっているんだろうというふうに、つい思ってしまう。
という事で、そのまま率直にありがとうというふうに中々言えない。
だからそういう事で言うとですね。
結局何だかんだ言っても今北朝鮮でちゃんと飯を食えている人間、こういう人たちをですね。
体制が変わってもある程度使っていかざるを得ませんという事を彼は言っておりました。

これは現実的な問題としてそうだと思います。
そこにいる人を全とっかえするという事が政治的に不可能な以上、少なくともよりマシな人間をですね。
と手を組むという事は現実問題としてせざるを得ないのではないか?
もちろん最終的にそういう人たちをどういうふうに裁くか?というのは北朝鮮の人たちの問題でございまして、我々がやる事じゃないんですが、いずれにしてもですね。
我々はそういう事も視野に入れて行なう必要があるんであろうという事でございます。
そこすべてをやはり動かして行く事が必要という事であって、これはもう決断を持ってするしかない。
そんな事をしたらこういうトラブルがある、そういうトラブルがあると言う事がというふうに思う人がいると思うんですが、細かいトラブルで止まっていたら大きなトラブルを解消する事は出来ません。

こういう事を言うと誤解を生むかもしれないんですが、私はですね。
日本人が拉致されていることについて、いまひとつ正直にいいましてですね。
北朝鮮に対してあまり怒らないんです。
どうしてかと言うとですね。
怒りと言うより、やられたことの恥ずかしさと言うか、これだけの大国で国際的地位もあって経済力もあるこの国がですね。
あの北朝鮮ごときに拉致被害者を何十年もですね。
拉致を続けられて来たという事が、それ自体非常に恥ずかしいことで相手に怒る以前、自分の恥としか考えようが無い。

ただし、北朝鮮の子供たちがですね。
飢えとか寒さの中で死んでいくという事に対しては、私はやっぱり正直言って怒りを覚えざるを得ない事でございます。
もし仮に拉致をしていてですね。
拉致被害者を、外国人を拉致してくる。
そしてそれによって自分の国の国民を助けようという事であれば、これはもちろん我々認められるわけじゃないですよ?
認められるわけでは無いんですけど、そういう考え方もあるだろうという事は言えます。
しかしあの国は、外国人は拉致してくる。
核兵器は作る。
そしてその上で自分の国の国民は殺していくという事でございます。

金日成の遺体が祀られている錦繍山(クムスサン)宮殿、これをですね。
元々金日成の執務していた建物ですが、これをいわば記念宮殿という事で直すためにですね。
使った金と言うのは、とうもろこしを買えば3年間北朝鮮の国民が食べていけるだけの金を使って、一人の死体を祀るだけの物を作った。
その為に膨大な数の人が死んでいったわけでありまして、このような体制をですね。
これは、我々は絶対に許す事は出来ない、いうふうに確信をしております。

それをやっていく事がすなわち日本人の拉致被害者を救出することでありますし、そしてこれを日本がですね。
先頭に立ってやっていく。
アメリカに任せるんではなくて日本が先頭に立ってやっていくという事が、それから先日本が外国から被害を受けたりしないという事につながってくるのだと言うふうに思います。
日本と言う国は主権を侵害したら何をしてくるか分からない。
いう事があるからこそ外国からのそういう攻撃を受けなくて済むわけでありまして、我々はやはりそういう意味でですね。
こういうものに対しては戦っていくという姿勢を持っていかなければいけないだろうと思います。

残念ながら日本政府の基本的な姿勢と言うものは、外国に対して頼むという事とそして北朝鮮に対しては話し合いをしていくという事の根本的なところが変わっていないわけでございまして、この姿勢はやはり変えていかなければいけないいうふうに思います。
そんな事が今のこの国でできるのか?と言うふうに思われる方、多いと思います。
しかしそれは決して出来ないことではない。
我々自身がこの国の力を極めて過小評価しているというふうに私は思います。
この国の力を持ってすればですね。
それくらいの事は簡単に出来るわけでございまして、要は決断の問題であります。

安倍さんは今までの歴代の中では、一番拉致問題に対して一生懸命やってくださっている方だという事は、我々も間違いなくそうだというように思っているんですが、まだ今のところそこの決断には残念ながら至っているとは思えない。
何とか話し合いで、あるいはアメリカの協力を得てというところがですね。
私に取りましてはやはり極めて不満でございます。
そこを乗り越えていただかなければいけません。

ただこの問題と言うのは、この間くじで6億円近くのくじが当たりましたが、あれのようにキャリーオーバーが何年もの間ず〜っと嘘とごまかしが積み重なって来てしまっている。
この国の国家権力にそういうものが沁み込んでしまっているわけで、これを叩き壊してしまわなければ問題は解決を致しません。
それをやってもらわなければいけない。
やるためにはおそらくとんでもない事が起きると思います。
安倍さん自身が失脚する事を覚悟してもらわなければいけないですし、場合によったらば物理的な生命を失うことも覚悟してもらわなければいけない。

しかし、政治家と言うものはそういうものでありまして、この間の愛知での警察のSATの方が亡くなったり、あるいは消防士の方がですね。
消火活動の中で殉職する方もいる。
今のところはそういう人は出ていませんけど、戦争になれば自衛官だって当然戦死していくわけでございまして、政治家も当然その中でですね。
死ぬ事を覚悟してやってもらわなければ意味が無いわけでございます。
ですからそれをみんなで覚悟してもらわなければいけないですし、政治家にその覚悟をさせるためには国民にそれだけの覚悟がやはりなければいけない、言うふうに思います。

拉致問題がこれから明らかになってくればですね。
今我々が想像もしていなかったような事が、どんどんどんどん我々の目の前に迫ってまいります。
それを本当に我々が受け止める事ができるか?
これは我々自身に腹があるかどうか?にすべてかかっています。
見なければ良かったと、知らない顔をして歳をとって死んでいけば、この国は平和でいい国だと豊かでいい国だという事で終っていたかもしれない。
そうしないために我々はですね。
そういう事をしてしまえば次の世代にツケを回す事になるわけでございまして、そうしないで行かなければいけないだろうというふうに私は思っている次第でございます。

私はどちらかと言うと総論的なものですが、また真鍋の方からもいろいろお話がございますので、とりあえず一旦私の話を終らせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

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この講演会のテキスト化及び音声のネット上への公開については、調査会代表の荒木氏の了解を頂いております。

2007年05月29日

07.5.25 荒木和博氏1 戦略情報研究所講演会(1)UIゼンセン会館2階会議室にて

戦略情報研究所講演会 講師:荒木和博氏・真鍋貞樹氏
07.5.25 UIゼンセン会館2階会議室にて

テーマ 拉致問題解決に何が必要か、何が足りないのか
          -----基本的枠組みの提言-----

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表の講演 その1』

〜〜安全保障面から見た拉致問題解決のための提案〜〜

Img_3001.jpg



それでは始めさせていただきたいと思います。
今日は大変お足元の悪い中、皆さまお出でいただきましてありがとうございます。
本当に遠方からも含めまして・・・(聞き取れず)いただいておりまして感謝を申し上げます。
今日はご案内の通り、株式会社Net Liveのご協力を頂きまして、スタートから約1時間ですね。
私と真鍋が約30分ずつ話をする予定にしておりますが、その間はインターネットで全国・世界中に中継をされると、生で流していただくと。
その後このフロアの皆さんと私どもでやり取りをしていく意見交換を含めまして、質疑をさせていただきたいと思っております。
ここは特に9時までにすべてを片付け終わらなければいけませんので、8時半に時間厳守で終了したいと思いますのでたくさんお話しになりたい方もいるかと思いますが、ご了承いただきたいと思います。

今日お話いたしますのは、どうやってこれから拉致を解決していくのか?という事でございまして、去る21日の月曜日に私ども特定失踪者問題調査会の理事会を行ないまして、そこでお配りをしております当面の基本方針(※1)と言うものを作りました。
要は基本的にはこれに議論が集約されていますのでこれを中心にという事になるんですが、私もそれぞれの専門分野と言うか、そういうふうにお話をしてそして皆さんのご意見を頂いていきたいというふうに思っております。

※1 調査会の基本方針については下記を参照のこと
http://chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news070523.TXT

それでは早速ですね。
まず前半、私の方からお話を始めさせていただきたいと思います。
まず私の方はこの当面の基本方針のご説明をさせていただきたいというふうに思います。

冒頭書いてあることですが、拉致問題の解決とは何か?
それはすべての拉致被害者を救出する。
これはまぁここにお出での皆さんも基本的には変わりは無い事ではあろうというふうには思いますが、これをやっていくためにはですね。
どこまで助けなければいけないか?と申しますと、現在私ども特定失踪者問題調査会が持っていますリストが約460名。
そして、政府の認定がいわゆる警察暫定の、この間の高姉弟の認定を含めまして9人。
そしてそれ以外の警察が持っている拉致の可能性が高いリスト、これは公開されていませんが数十人と言われています。

そしてまた警察の方にご家族から拉致じゃないか?とお届けがある方、これは調査会リストと当然重複していると思いますが、1000人くらいの方がおられると聞いておりまして、もちろん我々のリストも警察のリストもそうでない方も入ってない方もおられると思いますが、相当の数の方がおられるのは間違いない。
尚且つ、我々の持っているリストでも警察のリストでも入っていない、つまり全く身寄りのない人に狙いをつけて拉致をしたケース。
それから家族がですね。
いろんな事情があるんですが、回りを憚ったりとかいろんな事がありましてどこにも届出をしていないケース。
そういうのがございます。
こういう場合は誰も知らない。
今ここにいる我々だけではなくてですね。
1億2千5百万の日本国民誰もこの人が拉致をされたという事を知らない人が、相当数いるだろうと考えられます。

我々はそのすべてを助ける義務が国民として存在する、言うふうに思うわけでございます。
これを実現するためには、どうしなければいけないか?と言うと北朝鮮の体制がですね。
突然「今まで悪い事を致しました。これからはもう二度と致しません。そして今いる拉致被害者みんな返します」というふうに突然改心して、そして返してくれるんであればそれで実現するわけですが、そんな事はまず考えられないことでございます。

そうするとどうしなければならないかと言いますとまず我々自身、あるいはご家族もそうですし、日本の政府機関もそうですが、ともかく直接北朝鮮に入って全部細かくですね。
それこそ強制収容所にまで含めて入っていって、拉致をされている人はいないか?という事をですね。
調べに行かなければ行けない。
これが出来なければいけない事です。
それから同時にそこにいる人が私は拉致です、拉致されたんですという事をですね。
自分から名乗り出られるような環境を作らなければいけないという事でございます。

言うまでもなく寺越武志さんは拉致をされている方であるにも拘らず、少なくても公的な場では一言も自分が拉致をされたと言う事は言えないわけです。
それどころか北朝鮮によって人命救助をされて、そして大変幸せに暮らしているという事を本人が言わざるを得ないというのが残念な現状で、この現状を変えてしまわなければどうしようもないわけです。

もう一言いえば今帰国している5人の方々も、ひょっとしたらこの中継を見ているかもしれませんが、彼ら自身も私どもが見る限り十分な事を喋っているとはとても思えない。
それは別に彼らがですね。
悪意を持ってそうだという事では無いだろうと思います。
喋れないような状況を北朝鮮側が作っていると言う事でございまして、これを彼らが喋れるようにするためにはその恐怖の根源である北朝鮮の体制が変わらなければいけない。
このすべてを実現するためには体制を変えざるを得ませんし、そしてそれはどういう事かと言うと日本人の拉致の問題だけを単独で解決する事は有り得ないという事でございます。

日本人拉致が解決するという事は、韓国人をはじめとする他国の拉致被害者も救出されなければいけないですし、そして在日朝鮮人の帰国者がですね。
また自由に日本に戻ってきたり、あるいは少なくとも北朝鮮の中で差別的な待遇を受けないで済むというふうにならなければいけない。
これはさらに言えば、北朝鮮の2千万の国民が人権を保障されて暮らせるようにならなければいけない、いう事でございます。

そしてこの問題自体は国家主権の侵害と言う側面、これは二国間の一種の戦争ですが、その側面とそして普遍的な人権問題と言う二つの側面がありまして、これを両方ですね。
片方だけをやっても仕方が無い。
両方を平行してやらなければいけない、いうことであります。

尚且つ私どもがもっと切迫して考えなければいけない事は、時間が無いという事でございまして、ご家族は高齢の方が非常に多いわけでございまして、すでに私が直接会った方でも何人も亡くなっております。
ご家族だけではなくて、やはり早い時期に拉致されたと思われる方は、拉致被害者自身が高齢の方も相当おられる。
ですから時間が無い。
今日生きていたとしても、横田めぐみさんなどを含めてですが、今日生きていたとしてもそれが明日生きている事を保障するわけではありませんでして、被害者の救出のためには可能な手段をすべて使わなければいけないという事でございます。

その意味で今回ですね。
我々目的の最大限の再確認という事で、この目的の中に金正日体制の転換という事を入れました。
拉致被害者の救出を訴える団体が他国の体制転換を目的にするという事が良いかどうかという事については、ご意見もあろうかと思います。
しかしこれをやらなければ問題は解決しないという事でですね。
私どもはこれをあえて我々の活動の目標にするというふうにしたわけでございまして、具体的にもそこの事が・・・(聞き取れず)に出てまいります。

我々は元々調査機関としてスタート致しました。
調査活動はこれからも続けてまいります。
それは当然のことでそれが我々の一応基本ですがそれに加えまして、今回は新たにこの問題を国民のひとりでも多くの方に理解をしていただくために、今まで調査会独自の集会と言うのは一度もやったことが無いんですが、今回初めてある程度の規模のですね。
ちょっとどれくらいの規模になるか分かりませんが、少なくとも数百人規模の集会をやろうというふうに考えまして、これを12月の北朝鮮人権週間で「しおかぜの集い」と称して、初めて行なうことにしました。

ここには多分我々だけではなくて、特定失踪者のご家族の中から実行委員にもなっていただいてですね。
一緒にこの会をやっていき、そしてそれを通して一人でも多くの方にこの未認定の拉致被害者の問題と言うのをアピールをしてまいりたいというふうに思っております。
ただ、後でも出てくるんですが、我々自身はいわゆる大衆運動団体ではございませんので、こういう事ばっかりやっている事は出来ません。
地方によってはそういうものを開催してくれと言う希望があれば、その都度考えていくという事で取りあえずはこの東京での集会を一回成功にもって行きたいと考えております。

それから情報収集についてですが、これは今のところ私たち自身が中国・韓国あるいはタイとかには入りますけども、北朝鮮の中には今のところ残念ながら今のところ直接入る事ができないいうことで、これは個別にですね。
他のNGO、日本国内であれば難民救援基金とか、あるいは守る会の方とかのご協力も頂きまして、そして脱北者の方々、マスコミの方々と連携をしてやっていくということでございます。
同時にすでに130人あまりと言われておりますが、日本国内にいる脱北帰国者の方が来られておりますので、こういう方々にもですね。
拉致被害者の情報と言うのはあまり持っていないと思いますが、北朝鮮の一般的な情勢を含めて我々の可能な事を含めてですね。
やってまいりたいと思っているところです。

それから「しおかぜ」はすでにこの3月から日本国内からの送信が開始されまして、丁度電波状態が春から夏にかけて良くなっておりますので、大変よく聴こえている。
妨害電波は断続的に出しておりますが、ソウルの辺りでは妨害電波の方が全く聴こえないという状況ですので、かなり聴こえているのでは無いだろうか?と言うように思っております。
これをさらにやっていくために、今後我々も特別の事態に当たっては非常事態の対応の放送が出来るようにですね。
この準備も進めてまいりたいと思っております。

それからバルーンプロジェクト、いろいろなところで報道してくださっていますが、これは風船にビラをつけて飛ばすものですけども、それも我々だけじゃなくて難民救援基金それから守る会の方々と一緒にやっていこうという事でですね。
日本と韓国のNGOが連帯して活動できるようにしていきたい。
という事で、あるいは韓国の中では韓国のキリスト人権協会のですね。
李民復(イ・ミンボク)さんが大変苦労してやられているんですが、政府からの圧力もいろいろあるという事で、可能であれば我々がですね。
逆に独自に船舶を借りてそして風船をですね。
北の方に飛ばすという事も出来ないだろうか?

それから逆に東海岸の方でですね。
ロシアから北朝鮮に向けて寒流が流れておりますので、この寒流に乗せてペットボトルの中にビラを入れて送るというような事も出来ないだろうか?という事も検討しております。

それから直接の救出という問題ですが、これは一つは一番可能性が高いのは中国国境に拉致被害者を出して、そしてその人をですね。
外務省と連携を取って保護するということでございます。
これは外務省の関係者ともそういう時になったという打ち合わせはいろいろしているんですけれど、何とか実現をさせたい。
このためにはやはり現地にですね。
信頼できるエージェント及び活動拠点を何とか作っていかなければいけない、というふうに考えております。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この講演会のテキスト化及び音声のネット上への公開については、調査会代表の荒木氏の了解を頂いております。

2007年05月27日

速報 戦略情報研究所講演会 講師:荒木和博氏・真鍋貞樹氏

戦略情報研究所講演会 講師:荒木和博氏・真鍋貞樹氏
07.5.25 UIゼンセン会館2階会議室にて

テーマ 拉致問題解決に何が必要か、何が足りないのか
          -----基本的枠組みの提言-----

Img_3012.jpg

★荒木和博(調査会代表・戦略情報研究所代表)
「安全保障面から見た拉致問題解決のための提案」

Img_3001.jpg



★真鍋貞樹(調査会専務理事・戦略情報研究所専務)
「拉致問題解決への行政・立法機構の障害とその克服のための提案」

Img_3011.jpg



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この講演会は(株)Net Liveのご協力で、インターネットでの生中継が行なわれました。
そこで、調査会の荒木代表にこの講演会のテキスト化及び音声ファイルのネット上への公開をお願いしたところ、快く了解をしていただきました。
当日、会場にいけなかった方、ネット中継を見逃した方。
まずは音声ファイルによる速報をお聴きになってくださいませ。
テキストは出来上がり次第Blog上にアップしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

尚、講演会の中で調査会の運営は自転車操業ならぬ一輪車操業であり、是非皆様からのカンパをお願いしたい旨、荒木代表からお話がありました。
調査会カンパの振込先を下記にご紹介しますので、是非そちらの方のご協力もお願いできればと思います。

★カンパの振込先
郵便振替口座 00160-9-583587 特定失踪者問題調査会

カンパについては以下の2種類があります。
寄付いただくご趣旨によって、以下のようにご協力お願いします。

1.調査会の活動に対するカンパ
  〈特定失踪者問題調査会の活動に使わせていただきます〉
  ●直接のカンパ【(調査会への)カンパ】
  ●調査会が販売する物品の購入
    ・ポスター【ポスター第○版○枚(希望)】
    ・ネックストラップ【ネックストラップ○本(希望)】
    ・「しおかぜ」カンパつきハンドストラップ【カンパつきハンドストラップ○本(希望)】
  ●「しおかぜ」受信報告書によるカンパ
    ・ 郵便振替用紙を使ったカンパ(¥1000以上)で、通信欄に受信データ(日時、周波数、受信状態などの記載されたものに限ってお礼の文書(ベリカード)を送付する。【受信報告書】

2.家族支援基金へのカンパ
  〈特定失踪者のご家族の活動に限定して使わせていただきます〉
  ●【「家族支援基金」へのカンパ】
posted by ぴろん at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

07.4.26 質疑応答2 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(5)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『質疑応答 その2』



★質問者6

竹下さんにもう一度お聞きしたいんですが。
先ほど質問したときに川人弁護士に直接答えていたたいたんですが、誰のお名前において表明書を出すかと。
実質的には室長や官房長官の了解の上でこの表明書出していると説明は受けてはいますけど、竹下さんご自身としてはそこらあたりのこだわりと言うかですね。
本当は安倍総理なら安倍総理の名前で出るのが一番ベターだったなとか、その思いはお持ちでしょうか?

★回答 竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)

素人の私どもには詳しい事はよく分かりませんけども、ただ私としてはこの裁判を起こした時には、担当室室長を相手にして裁判を起こしたのではなく、国を相手にして裁判を起こしたという、そこだったなぁという思いがございます。
しかし、相手の方々の国側もいろんなご事情その他から、それもやむを得ないのかな。
実質的な責任者であるし、先ほど川人弁護士からも言っていただいたように「総理も官房長官も了解した上での内容です」という事も口頭で仰いましたので、そういう事ならという事で納得したという事です。

★回答 荒木和博特定失踪者問題調査会代表

去年、2回官房長官ともですね。
竹下さんお会いをされているわけですが、最初特定失踪者ご家族の代表みたいな形でお会いをされてから、それからひと月ちょっと経ってからですか。
お会いを頂いたのと、それから松本京子さんの拉致認定と言うときにお会いをされているという事で、それはそれまでは無かった事ですからね。
そういった中で一つの前進の一例で、そういう中でこういう形になってきたという流れは言えるだろうとは思います。

★質問者7

今日は総理と官房長官の意向の下というのは、先方から言って来た事ですか?

★回答 川人博弁護士

確認しました、念のため。
向こうから言ってきました。
安倍内閣総理大臣及び塩崎官房長官のご意向の下にやっていますと言いました。
裁判官の皆さんも一緒でした。

★回答 二瓶弁護士

それは河合さんと言う方が表明するわけですよね。
それについて総理大臣とか官房長官が後日、それは知らないとか承知していないということで困るんじゃないか?と言う事が当然ありましたね。
我々としては安倍総理大臣に代わってと、そういう内容のもので欲しいという事で話をしたんだけども、行政の河合室長がですね。
そこは難しいというふうな事がありまして、結局は最終的にはですね。
裁判官が立ち会ったところで非公式ではありますけども、総理大臣及び官房長官の了解の下に表明しているんだという事をみんなの前で表明したと、いう事を公開の法廷の前に裁判所の中でやった、という事です。
本来であれば公式の場で表明してやるのが最も理想的なんですけども、その辺は実質的には了解したと。
そういう形であればやむを得ないんじゃないかということで落ち着いたと、こういう経過です。

★回答 川人博弁護士

この事だけで一回か二回かかりました。
率直に言いますと。
表明者を誰にするか?と。
当然安倍内閣総理大臣が名前を書くべきだというように申し上げました。
ですからそういう交渉の成果を踏まえて今のようなことになったと。

後は司法手続き上の問題で言いますと、河内さんは国の代理人として口頭弁論で仰っているんですね。
あそこの中で国の指定代理人という事になるんですけど、ですからそういう意味では室長であると同時にですね。
この訴訟において国側代理人として裁判所の中でこの表明をしたと事はありますので、そういう意味ではですね。
我々としては、勝手に将来ですね。
室長が言った話だという事にならないような意味で、いろいろ・・・(聞き取れず)にもですね。
・・・(聞き取れず)というか縛りと言うかは出来たと思います。★

★質問者8

法廷の場で総理や官房長官が了解しているという事をいう事に対して、抵抗はあったんですか?

★回答 川人博弁護士

抵抗はあったんです。

★質問者8

それはやっぱり理由としては向こうはどういう事を言ったんですか?

★回答 川人博弁護士

一貫して理由じゃないです。
答えが一緒なんです。
前例が無い。

★質問者8

前例が無い?

★回答 荒木和博調査会代表

ですからこれは希望として言えば、この裁判の事は一応これで終るわけですけど、重ねて総理大臣がどこかの場でこれは十分我々も分かっていると、この通りやるんだという事をですね。
宣言していただきたい。
総理や官房長官であればどちらでもいいんですけどですけど、それをやっぱり明確に別の場で言っていただきたいというふうには思います。

★回答 二瓶弁護士

記者の方が記者会見で質問した時に、今・・・(聞き取れず)ですからね。
知らなかったとは言えないわけですからそういう事になりましたから、いずれにしても政治の場でやる。
こういう事ですね。

それともう一つ先ほど出ていた・・・(聞き取れず)に拉致認定の判断理由の問題なんだけども、国は明快にしないのは変わってないんですね。
先ほども言った争点になった本件証拠調べも踏まえてと、これを入れる入れないで問題になりまして、安明進と言う方を調べたわけですね。
その名前も具体体に入れて欲しいという内容を申しましたけども、他も調べているという事もありましてですね。
結局は法律的には本件訴訟の証拠調べの中のひとつなのは明確なのでそれ以上の追及は出来ませんでしたけども、私どもがここで重要だと思ったのはですね。
目撃証人を調べたという事なんですね。
目撃証言があるかないかというのは、やっぱり私どもが拉致認定の重要なファクターであるというふうに思っています。

それを法廷できちっと調べたという事は私どもは大変大きな成果だと。
古川さんは残念ながら認定と言うところまでは裁判上では認めさせる事は出来ませんでしたけども、なんら松本京子さんや他の人たちと何ら変わりないというところまで、私どもは十分にそこまで到達したとこういうふうに理解します。
従って裁判では拉致の可能性を排除できない人々の人たちの問題もありまして、こういう結果に終りましたけども、内容的にはやっぱり認定を実質上勝ち取ってもおかしくないと、いうところまで我々はやはり追い詰めたと思っていますので、これからの運動の中でね。
内閣に拉致を認めさせていきたいと思います。
間違いないわけですから。

結果的に我々の推定ですけども、警察がある程度認定を認めれば・・・(聞き取れず)も認定になるように受け止めているところもありまして、内部がどういうふうになっているか分かりませんけども、言ってみれば今までのいろんなケースでどういう扱いをされていれば認定をされているのか?という事を積み重ねるしかないわけですよね。
そういう意味では古川さんは十分に積み重なっているわけであるというふうな認識で我々は進めていきたい。
こういうふうに思っています。

★質問者9

荒木さんはかねてから、拉致認定と言う政府のシステム自体がおかしいんだと。
こういうふうなシステム自体に疑問を呈されてきて、このシステムを変えない限り救出と言う目的には向かわないんじゃないかと、いうようなお考えを表明されてきたんですけど、そのお考えには変わりは無いんでしょうか?
これを通じて変わったところはありますか?

★回答 荒木和博調査会代表

え〜とですね。
ですから今のシステム自体が、警察が捜査をして、そしてここにあるような確認をされた場合は認定をすると、政府は認定をする。
そして外交交渉でというその流れでやっておりまして、この流れはもちろんこの流れで、そして認定に足る人はもっと積極的に認定をしてもらわなければいけない。

それとまた別にですね。
しかし、そうやったって認定できないような人がたくさんいるわけですから、これは別途にしてすべて救出を前提としてその作業を進めるしかないという事で、これは平行してやっていくという事で理解をして良いんじゃないかと思っています。
これを今のやり方を止めてしまってという事ではなく、これはこれで進めながらそこに入らない人がいるという事を前提にですね。
救出の作業を進めるという事だろうと思います。

他に。

★質問者10

この件と関係あるようで、今日の事情なので質問してしまいたいと思うんですが、渡辺秀子さんと高姉弟の事件で木下陽子容疑者、逮捕状が取られ出まました。
しかし国外に住んでいると言われています。
協力者の女性も国内にいるといわれながらも時効があるとかですね。
そういうような事で言われています。
これは結局国外にいて逮捕できない状況がまた続くのかな?と私なんか今回も思うんですけど、告発状を何十枚も調査会出していますよね?
そういう人たちの拉致の解明にも関わってくると思うんですけど、今日もそういった経過についてどうご覧になっているかと言うのを荒木さんからお伺いしたいと思います。

★回答 荒木和博調査会代表

今日の逮捕状のことですか?
この問題で国内で略取誘拐が行なわれた時点からの時効の計算があるのか?
それとも今も拉致被害者が向こうにいるからという事で時効が成立しないと、日本国内に例えば容疑者がいたとしてもですね。
時効が成立しないか?という、ちょっと法律的な事は弁護士の先生方からお話いただいた方がいいと思うんですが、いずれにしてももし例えばこれが日本国内にいても、拉致が行われた時点から例え時効がですね。
時効の計算が始まるんだという事であってもですね。
もし、だから罪を問えないという事であれば、それはまさにそのまま拉致をした犯人を野放しにするという事になるだろうと思います。

ですからそれは当然許されないことでありまして、当局の方としてまずはっきりですね。
それはそういう状態で時効が成立するのかどうなのか?という事について明確な判断を明らかにしていただきたい。
もし時効が成立しないんであればもちろんそのような事でですね。
今この渡辺さんの事件に関わって出てきている人も当然その状況でですね。
取調べをしていただきたい。
今は何か時効が成立するという事が流れていますけども、そうでは無いんだという事を明らかにしてもらいたいし、もし時効が成立するという事であれば、成立をしてそして犯人が日本国内にいても罪が問えないと。
そして被害者はですね、まだ北朝鮮にいると。
言う状況はこれは当然考えてもおかしい状況ですので、そこの穴をどういうふうに埋めるか?という事をですね。
それは明らかにしてもらわなければいけないと思います。

いずれにしても拉致をした人間、拉致に加担してそしてそれをですね。
しゃべることも無く今でも日本の国内にいる人間がたくさんいるわけですから、いくら国際指名手配して逮捕状を出したところでですね。
それだけでは何の意味もなさない。
いう事ですので、やはり我々としては日本国内にいる容疑者をですね。
警察は積極的に捕まえて取調べをして事件を明らかにしてもらいたいと思いますので、この点についてはこれも何らかの形で明らかにしていきたいというふうに思っています。
国会の質問等を使うのが一番早いと思いますが。

★回答 川人博弁護士

ですからこの逮捕状の被疑事実は誘拐だけなんですか?
殺人も?

★質問者10

誘拐ですね。
子供さん二人の国外移送略取に関わる部分だけです。

★回答 荒木和博調査会代表

あと宜しいですか?
それじゃ、これで会見を終了致します。
どうもありがとうございました。

・・・報告会終了・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

2007年05月23日

07.4.26 質疑応答1 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(4)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『質疑応答 その1』



★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

Img_2927.jpg

以上でございます。
あと一つ、ちょっと事務的と言うか、表明書の中の五項の事なんですが、『認定被害者及びその御家族にFAX等で提供しているものと同じ情報を、特定失踪者問題調査会にも伝達することとする。』と言うふうになっております。
これはどういう意味か?と言いますと、ご家族に送っているのはですね。
特定失踪者のご家族全部に送るというのはちょっと難しいという事がありまして、私どもが月一回郵送でお送りしていますニュースの中にその内容のエッセンスを入れてお送りしていると。
毎回4ページしかございませんので全部入れる事は出来ないんですが、その中で重要なものをですね。
ピックアップしてニュースの中に入れてお知らせをしているという事の意味でございます。

それじゃあ、ご質問等ある方はお願い致します。

★質問者1

川人先生か荒木先生にお聞きしたいんですが、この訴訟を通じて拉致認定をされる人と拉致認定されない人は何が違うのか?と言う、それは何か明確になったものは?

★回答 川人博弁護士

訴訟上は、国側はそこの所は公式的に明らかにしないままで現在に至っています。
従いまして国側からですね。
ご質問にあります拉致の認定の基準についてはですね。
公式的な説明は訴訟の場でも和解協議の場でもありませんでした。
この点については私どもとしては今後とも、明確な説明を認定と併せて要求していきたいと思います。
後実質的な問題については荒木さんの方に。

あのですね、私どもの方としましては国側がですね。
一切、そういう意味ではフリーハンドで自分たちが調べて自分たちの規準で判断するんだからと、一種のフリーハンドと言いますか、そういう形で行なっている実態に対してですね。
そうではなく本件は訴訟の場でですね。
証拠を踏まえて判断するようにと、いう事で裁判所に求めたわけです。
あるいは国側に政策の転換を迫ったわけです。

今回一項でちょっとお読みいただければ分かりますが、古川了子さんについてですね。
本件訴訟での証拠調べをも踏まえてという事で条項が入っておりますが、実はこれだけの事自体が実は論争点になりました。
つまり政府側はですね。
裁判所での証拠調べの結果とかをですね。
拉致被害者の認定のための資料にするという事について、大変抵抗があったわけですね。
ですから本件での裁判所での証拠調べが行なわれて、安明進氏が証言した内容とかを含めてですね。
そういうのを拉致被害者認定の資料にするというのについては大変抵抗していたわけですね。
自分たちは一生懸命やっているんだから任せろ、と言う話です。

我々はそれにあたり納得出来ないと言うか、不信感があるからこういう裁判をしたわけでございまして、そういう点では今回訴訟の証拠調べの結果、そこでの内容も含めて今後拉致被害者としての認定を考えていくという事を、入れさせたという点では良かったと考えています。
ただし、先ほど言いましたようにご質問との関係で言いますと現時点で政府側からは、または松本京子さんは認めてなぜ古川了子さんは認められないのか?ですね。
こういったことについての説明は一切ございません。
公式的には何も無い、と言うのが実情でございます。

★回答 荒木和博調査会代表

結局そこの所は、国側はハッキリしたものは出せないんだろうと思います。
後もう一つはこちらの立場からすると、あまり認定のことにこだわり過ぎてしまうと、認定は出来ないけれど拉致されている人は相当数いるという事を前提とするとですね。
あまりここだけに滅茶苦茶こだわってしまうと、逆にそこで壁が出来てしまうという事もありまして、もちろん必要な認定は進めてもらうようにやっているんですが、そうじゃない人がいるという前提に立って言うとですね。
改めて確認したという事には意味があると。

他に如何ですか?

★質問者2

現在同時に渡辺秀子さんの子供二人、北朝鮮による拉致の疑いで現在警視庁の捜査が進んでおりますが、それは国籍条項が拉致被害者支援法にあって、そこの改定も調査会求めていらっしゃいますが、こういう表明書もそうですし、渡辺秀子さんの妹さん鳥海冏子(けいこ)さんに対する説明もそうでしたけれども、認定は出来ないんだけど実質上同じ扱いにするんだから良いじゃないか?といいような言い方がこの裁判でも渡辺秀子さんでも出て来ているんですね。
それをこちら側が認めるという事になるのもどうなのかな?と言う気がするんですけど。

★回答 川人博弁護士

そこは非常に私どもも一貫して議論してきた所ですね。
ですから私どもとしては、先ほど荒木さん仰いましたように拉致認定だけの事にこだわり過ぎないと言う意味でございましてですね。
当然ながら拉致の認定をされるかどうかはご家族にとっては具体的に非常に大きな問題ですから、そういう意味では拉致の被害者の認定の数を増やすという事と、そして拉致の認定をされていない人々についても政府は救出の責任を負うんだという事ですね。
この両方を今後とも引き続き追求をしていかなければいけないと。
ですからどちらかだけにこだわりすぎるのは良くないと、こういう趣旨であると理解していただきたいです。

★回答 荒木和博調査会代表

その基準の話も含めて出来るだけ文章にしたくないと、いう事が当然政府の方にありますので、こちらとしては今回はこういう表明書が出たわけですけども、それ以外のさまざまな方法を使ってですね。
しっかりと確約を、ということはしていかなければいけない。

★質問者2

そういう意味では表明書と言う紙に書かせてしかも室長に読み上げさせて、そこで拉致(認定家族)と同じ情報を伝達するとかですね。
一斉に説明を行なうとか、誠意を持って相談に乗るとかですね。
その辺は紙に書かせたことは大きいという事になりそうですね?

★回答 川人博弁護士

そうですね。
これ2年前の訴訟を始めるときはですね。
本当にもう、何といいますか、ご家族の方々けんもほろろの対応をずっと続けられていたわけですね。
ですからこの2年間の間もちろんこの訴訟だけでなく、様々な社会の活動の支援の結果、特定失踪者の方々に対する政府の対応は変わって来たというように思いますが、この訴訟が果たした役割も客観的には大きかったと思います。

★質問者3

第一項の古川さんのところで、「北朝鮮当局による拉致行為はあったと確認された場合には」と。
これは何をどこまでを含むのか?と言う、例えば脱北者の証言でありますとか。
それだけじゃ駄目なのか?何であれば確認するのか?
その辺というのは含みは何かありますか?

★回答 川人博弁護士

一貫して政府はそこを逃げているわけでございます、現時点では。
ですから古川さんの場合は何が足らなくて認めないのか?松本京子さんは何が足りて認めるのか?という事はですね。
説明を逃げている、という事でございます。

従いまして、言ってみれば総合判断というような事ですよね。
抽象的に言うならですね。
ですが総合判断と言っても具体的な物の積み重ねで総合判断になるわけですので、我々としてはもっとそれを明確にしなさいと、何が古川さんについて足りないのか明確にしなさいと言ったんですが、それについてはとにかく公式的には明らかにしないという事でした。

我々としては成果としては先ほどいいました裁判での証拠調べの結果もですね。
判断材料に入れなければいけないんだという事で、認めさせたという点では良かったと思うんですが、そこから先は今回の訴訟では進めなかった、という事でございます。

★質問者3

少しこの表現であってもやはり受け入れに足ると言いますか、調査会の評価としてはそんなに。

★回答 川人博弁護士

二項目以下が、やはり大きかったと思います。

★質問者3

第二項以下?

★回答 川人博弁護士

やはり一項についてはですね。
ご本人が申しましたように、認定されていないわけですから、そういう意味では訴訟の目的は達成していないわけです。
ですから一項に関してはですね。
それは我々は認定して当たり前だと思います。
あれだけ明確に証言を裁判の場でされているわけですから、そういう意味では一項に関しては非常に不十分な中でですね。
ある意味では何とかこの範囲で合意したと。
合意したとは表明したという事。
そういう意味では古川さん自体の被害者認定は出来なかったけれども、やはり他の方々の事を含めた全体の家族に対する姿勢が変わったと。
あるいは変えることを表明したという事が、本件を終了させた一番の大きな原因だとこのようにご理解いただければと思います。

★質問者3

そのいわゆる拉致の可能性の排除できない方は存在する。
それを含めた拉致認定されていない他の方々って言う、対する対応。

★回答 川人博弁護士

対する対応、そこが一番大きくて、あとは先ほど言いましたように、古川了子さんでは無いんですが実際に訴訟を起こしてから別の方々が認定されたわけですね。
やっぱり訴訟としては代表訴訟、チャンピオン訴訟でございますので、実際には二人認められたという事はですね。
古川了子さん自体には認められませんでしたが、そういった面も事実上評価したという事です。

★質問者4

この表明書は名前は内閣府の代表者では無いのですが、この点はどうでしょう?

★回答 荒木和博調査会代表

我々としましてはですね。
責任ある立場、責任ある立場と言うのは別に河内さんが責任無い立場と言うわけじゃないんですが、責任あるという事はこの表明書のペーパーの3枚目のところに、本件訴訟を踏まえて以降ですね。
・・・という責任を有する内閣官房拉致問題対策本部総合調整室長・・・と言うのがついた上で、これを被告側の指定代理人として表明するという事で、本来であればこの名前は我々としては内閣総理大臣・拉致対策本部長安倍晋三と言うふうにしてもらいたかったという事は正直言ってございます。
ですからそれについては残念ながら取れなかったんですけども、指定代理人と言うことで被告側が了解をしたという事は、それに代わるものであると。

それから先ほど申しましたように、今日の2時15分の法廷が始まる前に、非公開の席ではありますけどこれについては総理・官房長官の意を受けてという事のですね。
表明があったという事で、それに代わるものであるというふうに理解したという事です。
ただし、正直言ってなんでわざわざこの表明を非公開の席でしなければいけなかったのか?
いまだに私も分かりませんで、これについては今度は国会の場等でですね。
直接総理・官房長官にこの件についてちゃんと理解してやってくれるんでしょうね?という事は確認を取ろうと言うふうには思っております。
そうすれば一応、完結した形になるのでは?と。
以上です。

★質問者5

竹下さんにですね。
先ほど川人先生からチャンピオン訴訟という言い方がありましたが、古川了子さんの拉致認定だけという事ではなくて、特定失踪者全体のための訴訟であるという事の、それでこういう表明書が政府から出てきて和解に至ったという事についてはご感想を言えたらですね。

★回答 竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)

一言で言いますのは中々難しいとは思いますけど、妹とそれから同じような(目撃)証人がいらっしゃるという方たちが、特定失踪者の仲間の中にまだまだたくさんおられる。
そこの中で、もしかすると、終わりに近づいたときに弁護士の先生方からですね。
古川了子の認定がなされなければ嫌だよ、和解をしないでいいんだよ、という事も言って頂いたんですよ。

しかしそれよりも多くの特定失踪者の、私の妹と立場を同じくする人たちの問題が前進して欲しいという願いの方が妹一人の認定がするよりも、やはり優先されることじゃないかな?と思いましたから良かったという事と。
それからこの表明書の一行目にあります「本件訴訟での証拠調べをも踏まえて」と言うことも私は特にお願いして、是非これは必ず入れて頂きたいと思いまして実現したことですので、私の意向と言うものを弁護士の先生方が十分に協議いただいていると理解しておりますので。
前に進んだのだと、2年前よりも数歩前に進めたんだという事で納得したという事です。

・・・その2に続く・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

2007年05月20日

07.4.26 竹下珠路さん 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(3)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『竹下珠路さん(原告、特定失踪者・古川了子さんの姉)の挨拶』

Img_2917.jpg



皆さん、今日はありがとうございます。
古川了子の拉致認定を求める行政訴訟は、2年前の4月13日に提訴いたしまして、2年余りの歳月を得た後、今日ようやく和解と言う形に至りました。
長かったというのか、短かったというのか。
本当に弁護士の先生方、支援の皆さんに付いての無我夢中の2年間だったと思っています。

この裁判を通して残念というのか、ちょっと心残りなのは妹が拉致被害者認定にいたらなかったと言う点で、今弁護士の先生から説明していただきましたが、ここはひとつ残念なこととして残りますけど。
とにかく裁判所で安明進さんをはじめ荒木先生が証人をしていただきましたし、それからこの2年間で特定失踪者に対する政府とか社会の認識がずいぶん大きく変わってきたなと期待、感じております。
進展したかどうかという事とは別に、変わってきたなと思っておりますし、今回の表明書の案を何度かいろいろ練っていただいた中にも国側の誠意と真相解明への努力と言うこの約束が、多くの特定失踪者家族たちの立場を同じくする家族にも良い成果をもたらすことを期待しまして、私と致しましてはこの和解案を受け入れることに決めました。

裁判を支援してくださった全国の皆さん。
そして暑い夏、寒い冬にも傍聴席に駆けつけてくださいましたご支援の皆さん。
冬の最中に裁判所の前でビラ配りに協力していただいた皆さん。
そしてお忙しい中、証人台に立っていただいた安明進さん、調査会の荒木代表。
そして特定失踪者の家族の皆さん。
そして何より何よりも、たくさんの時間と労力をこの裁判のために割いていただきまして進めていただいた弁護士の先生方の皆様方に、この場をお借りしまして心からお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

今年の夏で91歳になります母は、暮れからちょっと体調を崩しておりましたが今は病院で元気になりまして「了子が帰るまでは頑張りましょう」とつい2〜3日前にも話をして、リハビリに励んでおります。

先だっての日曜日の日比谷での大集会にも、安倍総理とそれから塩崎官房長官がご登壇いただいたと伺いました。
私はちょっと他に所用でどうしても伺えなかったのですが、その安倍総理の下で一日も早い拉致問題の解決がなされますように、今後とも皆様方のご理解とご協力、そしてご努力をよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

2007年05月19日

07.4.26 川人博主任弁護士 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(2)衆議院第二議員会館

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『川人博 主任弁護士による裁判報告』

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★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

それでは時間になりましたので、古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟に関する記者会見を行ないたいと思います。
まず初めに経過に付きまして、主任弁護士であります川人博さんからお願いします。

★川人博 主任弁護士

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弁護士の川人でございます。
この訴訟の主任代理人を努めていましたので、私の方からまず経過のご報告をしたいと思います。

本件の訴訟を提訴をしましたのは約2年前でございます。
一昨年4月の13日に提訴いたしました。
その時の記者会見でも申し上げたと思うんですが、本件につきましては直接的には古川さんの拉致被害者の認定を求める訴訟でありますが、実質的にはですね。
政府が認定していない人々の被害者救済のための訴訟である。
そのように位置づけて、原告本人にもそういう気持ちでこの訴訟の提訴を致しました。

この2年間ですね。
現在の裁判は大体約2年間がひとつの目安になっているわけですけども、当初ずいぶん詳しい私どもの主張に対して、国側は、ただこれは裁判に馴染まないという事で逃げ続けていました。
で、証拠調べも一切必要ないという事で国側は対応をしてきました。
実質的な審理に入る事をとにかく避けたいという事で、国側は対応をして来たわけです。
そして門前払いの判決を求めたわけです。
すなわちこれは訴訟には馴染まないということで、門前払いの判決を国側は求めた。

こうしたやり取りの中で私どもはですね。
絶対に実態的な審理に入るべきだという事を繰り返し主張してですね。
荒木さんの証人尋問がまず実現し、その後ご存知のように安明進さんの証人尋問が実現する。
そして竹下さん、原告本人の尋問も実現しました。

このように証拠調べについても裁判所でですね。
時間を取って行なうことが出来まして、それでその後どういう方向でこの訴訟を集結していくか?言う段階になりまして、裁判所の方から双方に対して話し合いによる訴訟の終了、いわゆる訴訟での和解の勧告が出されました。
被告側の強い意向もありまして、あるいは裁判所の意向もありまして、非公式の協議がその後続きまして、途中経過についてその都度詳しく報告が出来なかったわけですが、裁判官はですね。

要は本件に関しては裁判所としては原告・被告共ですね。
同じベクトルの方向にあると。
つまり拉致被害者救出と言う点では原告・被告とも一致しているというように裁判所としては理解していると。
従ってそういう観点から判決と言う形じゃなくですね。
合意による和解による終了と言う方向を追求したいと、そういう裁判官からの説明が繰り返しございました。

ちょっと余談になりますが、私がですね。
和解の協議に入る前にですね。
記者の方のご質問を受けてですね。
裁判官は判決を書きたくないのでは無いだろうか?と言う趣旨の発言をしたかと思うんですが、裁判官は痛くその事を気にしておりまして、それを多分新聞紙上かネットかどこかで見たんでしょうが、その後もですね。
裁判所としては判決を書きたくないという事では無いんだと。
この事件が原告も同じ方向を見ているのだから、その方向で何とか合意による終了と和解が出来ないだろうか?と、そういう事で追求するんだと。
そういう説明が裁判長から繰り返し繰り返し。

問題は内容の問題なんですけども、大きくは二つの事がずっと問題になっていたわけですけども、ひとつは古川了子さんの拉致被害者の認定自体の問題。
二つ目にはですね。
政府の認定している方以外の人々、拉致被害者の可能性がある人々ですね。
これらの政府認定者以外の人々に対する扱いですね。
政府の対応のあり方と言う問題がもう一つの論点だった。

私どもの方としては要求は、一番目の問題は当然拉致被害者として速やかに認定することであります。
この点につきましては残念ながら現時点で国側としてはですね。
古川さんについて政府が認定に踏み切るという事が、最後までその点での回答には至りませんでした。
他方ですね。
二番目の問題につきましては、実質この訴訟をやっているこの2年間の間に徐々に徐々に対応が変化してきました。
変化して来たというのは、前向きに変化して来ました。

訴訟当初の段階ではですね。
およそ特定失踪者、拉致被害者の可能性がある人々に対する扱いがですね。
他の一般市民と同じ扱いだったわけですね。
例えばご家族に対する説明も何もしないし、政府としてはですね。
政府の広報にもそういう事については一切触れないし。
つまり政府は15人程度は認定していたわけですが、15人以外の人については、全くですね。
ご家族に対する対応、あるいは様々な広報一つとってもですね。
極めて不十分なもの、・・・(聞き取れず)に等しい内容だったわけです。

この点に関しては訴訟の中で、あるいは様々な活動の中でこの2年間、徐々に徐々に改善されてきました。
そうした徐々に徐々に改善されてきた内容にですね。
集大成するといいますか、現時点できちっとすでに実行している問題も含めてですね。
国側が文書で表明するという事を、和解協議の中で回答して来たわけであります。
それが後で申します、表明書に繁栄されるわけです。

私どもとしましてはですね。
一番目の問題の、つまり古川了子さんの拉致被害者としての認定と言う事がですね。
実現しない限りは一切合意による終了を拒否するという選択肢もあったわけですが、裁判所からもですね。
同じ方向を向いているという事で、その方向で努力してもらいたいという事と、今申しました二番目の問題について政府がこの二年間ずいぶん対応を変えて来てですね。
前向きになって来たという

さらに古川了子さんでは無いんですけども、この訴訟の間にですね。
相次ぎですね。
拉致被害者の認定者を増やしてきたと。
すなわち結局2002年の段階以降ですね。
この訴訟が始まるまでの数年間の間は、一人として認定被害者は増えなかったわけですね。

一切増やして来なかった訳ですけども、これがこの訴訟を起こして約2週間後に田中実さんの認定を行なったと。
さらにご存知のように昨年には松本京子さんの認定も行い、先日は事実上ですが高さんのご姉弟の認定も行ったという事で、古川了子さんの認定自体については政府はまだ決断していないわけですけど、そういった特定失踪者の方々。
例えば認定していない人々に対する認定をですね。
この数年間で過去に比べればですね。
前向きに対応して来たということも、評価する材料でありました。

こういった点を総合的に原告ご本人、あるいは特定失踪者問題調査会、我々弁護団、その他支援の方々の様々なご支援のですね。
状況も考慮して議論をした結果、本日ですね。
実質的な和解での終了ですね。
政府側の表明書の表明という事での訴訟の終了という事に至ったわけでございます。

以上が経過で具体的にですね。
私と荒木さんの連名でですね。
お配りいたしましたのが、訴訟の和解に当たっての評価でございます。
今申し上げた内容です。
それで後で原告ご本人のコメントは直接竹下さんにお話いただきます。

それから先ほど配っていただきましたのが、表明書でですね。
これは本日法廷に入られた方は見ていらっしゃったと思いますが、現在の実務の政府内の責任者ですね。
河内(かわち)さんとお読みするようですけど、河内さんが国の代理人としましてですね。
そして実務責任者として裁判所で表明するという事で、この表明書の内容を裁判所の裁判官の前でですね。
表明をしたと言うふうに至りました。

そしてこれをですね。
裁判所の正式の書類、証書と言いますが、証書と言うのは証書の証に書類の書ですが、裁判所の公正証書の中にですね、この表明書を添付すると。
裁判外の書類じゃなくて、裁判所の書類と一体として添付するという事で、訴訟上の扱いにする事になりましてですね。
私どもとしては内閣の実務上の責任者がですね。
口頭弁論の席で表明したという事を受けまして、本件の訴えはですね。
取り下げるという事で手続きをした次第でございます。

さらに重要な事を一点付け加えますと、本日口頭弁論が始まる前にですね。
事実上の打ち合わせの席の中で、私どもとしてはこの表明の内容はですね。
当然ですね、内閣総理大臣あるいは官房長官含めて、内閣の責任者の了解の下に行なっているのか?と言うことについて問いましたが、この点については要は安倍内閣総理大臣及び塩崎官房長官の意向に基づいて行っているという事は明言をしていました。
従って本日ですね。
出廷したのは指定代理人の担当の人である河内さんでありましたけども、本来は現在の安倍内閣の方針として表明したものだと、このように理解をしております。

この表明書の内容はですね。
一項目は古川了子さんの扱いですね。
本日は先ほど言いましたように認定と言うところまでは至らなかったわけですが、姿勢としてですね。
今回裁判所で明らかにした証拠も含めて、認定のためにですね。
我々から見ましたら最大限努力するという立場を明確にしたと言うのを優先で一点評価は出来ると。

二項以下はですね。
あるいは皆様方お読みになって頂いて、当たり前のことではないか?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは2年前の段階ではこれらの事がすべて実現していなかったわけですね。
そういう意味では一つ一つをですね。
2年間の中で徐々に変革をして来て、今回具体的な文書で約束させたと言う点では、大きな変化であり成果であると思っております。

二項というのは、これはすなわち政府の認定以外にも被害者の可能性があるんだという事を公式的に明確にさせるという事ですね。
それから三項は、要はご家族から問い合わせがあった場合は誠意をもって対応するって、これ当たり前のことなんですが、今まではですね。
政府認定者以外は一切一般市民と同じですから、不誠意極まりない態度であるわけですね。
そういう事はしないと、誠意を持って家族に対して対応すると。

さらに日朝協議などが行なわれた場合にですね。
三項ですけども、認定被害者のご家族には説明をするんですが、それ以外の人には何の説明もなかったですね。
いう事で、そうじゃなくですね。
きちっと協議が行なわれたら、認定被害者以外の家族に対しても政府説明を行なうという事。
あるいはそれらの活動をしている特定失踪者問題調査会に、きちっとそれらの報告文書も送るとか、いう事も念のために五項で確認されています。

さらに、私どもがですね。
特に広報の段階で、例えば国連の場とか、様々な外交交渉の場でですね。
政府の認定被害者の事だけを言うのでは駄目だと、繰り返し強調した点なんですが、それについても国連の場含めてですね。
政府の認定する人たち以外の人についてもですね。
きちっと広報していくと、対外的に認知されるように努力するという点について六項・七項で、確認をしたと。
現時点では事実上これらは実践されて来ていますが、文書できちんと確認をしたという事です。

そして八項についても、今現在ですね。
内閣がこれらの問題について事実上取り組んでいることと、将来またいつですね。
ある意味では被害者が切り捨てられるかも分からないという問題の危惧と言うのは、それぞれ存在するわけです。

従って私どもとしては現時点でですね。
政府が行なっていることについて文書できちっと約束させてですね。
それを今後共ですね。
内閣が代わってもあるいは担当者が代わってもですね。
きちっと継続させるという意味において文書で明確にさせたという事がひとつの明確な前進と、そのように受け止めました。
以上申しましたような経過と理由でですね。
私どもとしては本日の表明書を受け入れて訴訟を取り下げたという次第です。

ちなみにコメントにも書きましたけども、この表明書の内容が実行されない場合はですね。
法律的には私どもはいつでも政府を改めて訴えて訴訟をする事ができます。
ですから例えばですね。
古川了子さんの場合についても、一項できちっと全力を挙げて安否の確認に努力をすると、そのように約束をしているのにそれをしなかったというふうな事になればですね。
当然約束は不履行でいつでもまた拉致被害者の認定を求める訴訟を我々はする事が出来ます。
そういう権利を放棄していることでは全然ございません。

ですから今後ですね。
この表明している内容を実行させることを期待し、させたいと思いますが、もし不順な状態が続くようであればですね。
再び司法の場でも、また提訴するという事も考えざるを得ないと、そういう事は相手方にも申し上げていることでございます。

私の方から以上経過説明いたします。
次に竹下さんの方からそれじゃコメントを読み上げてもらう形でも良いので、ちょっとお願いして。

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この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

07.4.26 資料の紹介 古川了子さん第9回行政訴訟報告会(1)衆議院第二議員会館にて

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

『本件訴訟に関する資料の紹介』

※この報告会のテキストを紹介するに当たり、会場内で配られた資料をまずはご紹介します。 
尚、このエントリーのテキストは、『[調査会NEWS 502](19.4.26)古川訴訟和解で終了・木下陽子の逮捕状』より引用させていただきました
http://chosa-kai.jp/cyosakainews/kongetunews/news070426.TXT

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★資料1 政府より示された「表明書」

           表明書

                 平成19年4月26日

                  内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室室長 
                  内閣府拉致被害者等支援担当室室長
                                          河内 隆

 関係省庁・関係機関と協議した結果、関係省庁・関係機関が連携して、以下の施策の実施に努めることとしたことを表明する。

1 古川了子さんについて、本件訴訟での証拠調べをも踏まえて、関係省庁・関係機関において全力を挙げて、その安否の確認に最大限努力し、その結果、北朝鮮当局による拉致行為があったと確認された場合には、速やかに「北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律」(以下「拉致被害者支援法」という。)に定める「被害者」として認定することとする。

2 拉致被害者支援法に定める被害者と認定された人(以下「認定被害者」という。)以外にも、北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在しているとの認識に基づき、引き続き拉致容疑事案の真相究明に努め、すべての拉致被害者の北朝鮮からの速やかな帰国を実現することをはじめとした拉致問題の解決に向け、全力で取り組んでいくこととする。

3 内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室を窓口として、拉致の可能性を排除できない人の御家族等からの問い合わせ、相談に誠意を持って応じるものとする。

4 今後行われる日朝政府間協議において拉致の可能性を排除できない人の問題が一扱われた場合、その御家族からの要望があれば、関係家族の代表等に対し、外務省からその概要等について説明を行うこととする。

5 拉致問題をめぐる二国間、多国間外交上の動きについて、現在、内閣官房拉致問題対策本部事務局総合調整室より認定被害者及びその御家族にFAX等で提供しているものと同じ情報を、特定失踪者問題調査会にも伝達することとする。

6 認定被害者以外にも北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識の下、引き続き、国連の場等を活用して、関係各国に対し、拉致問題の解決に向けた協力を求めていくこととする。

7 拉致問題に関する政府広報において、認定被害者以外にも北朝鮮当局による拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識の下、すべての拉致被害者の速やかな帰国を実現すべく全力で取り組んでいることが対外的に認知されるように努める。

8 今後、内閣官房拉致問題対策本部事務局において国内、海外向けの広報資料を作成する場合には、政府が拉致の可能性を排除できない人が存在するとの認識を有していること、政府がこのような事案の真相究明を含む拉致問題の解決に努めていることを説明することとする。

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★資料2 原告・特定失踪者・古川了子さんの実姉、竹下珠路さんのコメント

             古川了子の拉致認定を求める行政訴訟の和解にあたって

                                      原告 竹下珠路(古川了子の実姉) 
 
 妹古川了子の拉致認定を求める行政訴訟は、平成17年4月13日の提訴以来、2年余りの歳月を経て今日ようやく和解に至りました。

 長かったというか、短かったというか無我夢中の2年間でした。

 この裁判を通して妹が拉致被害者認定に至らなかったことは残念ですが、それよりも、この2年間で特定失踪者に対する政府と社会の認識が大きく進展し、国側の誠意と真相解明への努力の約束が多くの特定失踪者家族にもよい成果をもたらすことを期待して、この和解案を受けることに決めました。

 裁判を支援してくださった全国の皆さん、暑い夏も寒い冬も傍聴に駆けつけていただいた皆さん、冬のさなかにビラ配りにご協力いただいた皆さん、毎回取材をしていただいたマスコミの皆さん、同じ立場の仲間として支えてくださった特定失踪者家族の皆さん、お忙しい中証人に立っていただいた安明進さん、調査会の荒木代表、そして何よりたくさんの時間と労力をかけてこの裁判を進めてくださった弁護士の先生方に、この場をお借りして心よりお礼申し上げます。

 今年の夏で91歳になる母も暮れから少し体調を崩しましたが、いまは元気になり「了子が帰るまでは頑張りましょう」とリハビリに励んでいます。

 日本中の期待を集める安倍総理の下で、一日も早い拉致問題の解決がなされますよう、今後とも皆様のご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

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★資料3 弁護団、調査会のコメント

            古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟の和解にあたって

                                   原告ら代理人(主任弁護士) 川人博
                                   特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

 2年間にわたって続いてきた古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟は本日の法廷で原告と被告国側の和解が成立し、裁判が終了した。 

 本件は単に古川さんの拉致認定にとどまらず、特定失踪者の代表としてご家族にご協力いただき古川さんを取り上げた、いわゆる「チャンピオン訴訟」と言われるものである。結果的には古川さんの拉致認定まで至らなかったが、訴訟提起後、田中実さん、松本京子さんの認定が実現し、高敬美さん、剛さん姉弟も事実上の認定に至った。また、訴訟を行っている2年間に、特定失踪者に対する人々の認識は相当進展し、政府も認定者以外の拉致被害者、拉致疑惑に配慮するようになってきた点は大きな変化である。もちろん、まだまだ救出・真相究明への取り組みは緒に就いたばかりであり、満足できるものではないが、この訴訟が果たした役割は極めて大きかったといえる。今後政府には表明書に記載された対応を誠実に実行することを期待するとともに、立法府・行政府で積極的な決断をしていくことを切に望むものである。

 仮に、今後この表明書の内容が実行されない場合は再度訴訟を起こし、あらためて政府の姿勢を糺していくことになる。

 今回裁判所が和解を勧めた最大の理由は、「政府も民間も、そして家族も、向っている方向は同じ」というものだった。私たちもその意を酌み、合意の道を探った結果が今回の和解に至ったものである。あらためて政府側の誠意ある対応を求めるとともに、この間本件訴訟にご協力いただいた皆様に心より御礼申しあげる次第である。
                                                     以上
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この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。

★第9回古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟報告会 テキスト一覧表

古川了子さんの拉致認定を求める第9回行政訴訟報告会
07.4.26 衆議院第二議員会館にて

1 本件訴訟に関する資料の紹介
http://piron326.seesaa.net/article/42242780.html

2 川人博 主任弁護士による裁判報告
http://piron326.seesaa.net/article/42243351.html

3 竹下珠路さん(原告、特定失踪者・古川了子さんの姉)の挨拶
http://piron326.seesaa.net/article/42301038.html

4 質疑応答1
http://piron326.seesaa.net/article/42675647.html

5 質疑応答2
http://piron326.seesaa.net/article/43039519.html

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この報告会の録音・写真撮影・ネット公開については、調査会の荒木代表の同意をいただいております。
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2007年05月18日

07.4.10 質疑応答 東京連続集会27(11)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『質疑応答』

★質問者1

この間ですね。
警察の情報なんですが、在日韓国人(=高姉弟の事)の人が拉致されていると言うような状況がありますよね?
西岡さん、その件についてはどう考えているんですか?

★質問者2

すみません、○○と申します。
4月22日の国民大集会はなるべく多くのメディア、全世界から呼んでいただけるような方法を考えていただくと、これが凄いチャンスだと思いますので、ルーマニアの方と韓国・タイの拉致の被害者のご家族がお出でになると聞いておりますので、是非より多くの外国メディアですね。
それを呼んでいただけるように、働きかけをお願いしたいなと思います。(拍手)

★西岡力氏

先ほどのご質問についてですけど、後者の外国のメディアの人に4月22日に来てもらえないか?という事ですけども、実はルーマニアのですね。
最初にこの事を書いた記者がガブリエルさんの同行取材をしたいと、今そんな話がありまして、来てもらえれば良いなと思って、何か協力できることがあればと思っています。

それから韓国は東京に特派員がいますし、実はこの東京集会で6者協議の事を取り上げたときの事はですね。
朝鮮日報と言う韓国の一番最大手の新聞が記事にしまして、この集会が記事になったりしていますので、この次のことも案内はいつも出しているんですけども、来てくれるんじゃないか?と期待しています。

タイの方はちょっとどうすれば良いんでしょうね?
タイのマスコミは日本にいるんでしょうか?(笑い声)
いないんですか?(笑い声)

★海老原智治氏

タイの方では、この前の12月の国際会議にも私の方から「同行してくれないか?」という事を彼らに話したんですけども、これまで先ほど申し上げました家族がテレビを見たという、そのテレビ局ですね。
これがタイ国で一番拉致問題を扱っておりまして、2005年の国民大集会には同行してくれたわけですけど、今後はアノーチャ拉致について明確な情報の進展が得られるのでなければ、招聘側が経費を持ってくるんじゃなければ行けないと言っておりまして(笑い声)、そのような状況にあります。

★西岡力氏

後、高さんたちの件については私ちょっとルーマニアに行っていましたので、最近の情報をあまり見ていないんですけど、それ以前からこの話は雑誌に出たりしているのは知っていますが、渡辺さん、お母さんについては殺されたという話はあるんですね。
工作員が日本に上陸してきて身分を騙すために偽装結婚をして、必要なくなったから殺してしまったという事ですから、これは大変な主権侵害で酷い人権侵害なわけですね。
工作員と結婚したというケースは小住健三さんのケースも、小住健三さんに成りすました朴と言うのが日本人女性と結婚していたわけですよね。

そういう事がありますので、拉致という事だけがじゃあ北朝鮮による主権侵害なのか?
殺人はしても認定されなくて、拉致だけが認定される。
その場合子供の国籍は何か?と言うのが議論になっているんですけど、お母さんが日本人が、北朝鮮の工作活動の一環で殺されたか連れて行かれたかしていることについて、大問題にならなかったと言う、今までならなかったという事自体重大な問題だと思うんですね。

寺越さんの事件についても中々政府は認定をしないわけですけども、認定と言うのは立件して告発して裁判を起こすよりずっと低いですよね?
裁判所の、なんかは必要ないわけですよね。
総理大臣が決めればいいんですから、だから拉致という事の定義をですね。
法律を変えれば良いのか、「拉致等」とすれば良いのか。
「工作活動の中で日本の主権が侵されて日本人の人権が侵されている事案」と、それが「拉致等」と考えるべきじゃないかと。

それについては主権が侵されているわけですから、殺人なら良いのか?と言う話は絶対に無いわけで。 
寺越昭二さんは殺されたという疑いはあるわけですね。
殺されたという事が証明されたら逆に認定されないのか?
変なことになってしまうわけですね。
拉致される途中で殺されたらそうならないのか?という事になるわけで、やっぱり非合法の工作活動が長い間ですね。
そして広い領域で行なわれていて、それが主権侵害・人権侵害があったぞと言う観点からですね。
もう一度それを見直さなくちゃいけない。

そしてもう一つ今回のことで意外なのは、あの問題になっている会社は朝鮮総連の今でも幹部である人が経営している会社であるという事ですね。
日本政府は今その幹部の人に対して、再入国許可を出さないという事で北朝鮮との自由往来を停止している制裁の対象になっている人でありますけども、その人が実際にじゃあ拉致あるいは殺人あるいは工作に関係していたのか?と。
今までは北朝鮮の人間が上陸してきて、一部の一本釣りされた・・・(聞き取れず)の在日朝鮮人を使って拉致をしたという事までは分かっていたんですが、朝鮮総連の組織全体としてですね。
あるいはその実態にある学習組と言う非公然組織を北朝鮮の、日本における工作活動非合法活動の関係と言うものが明らかになりつつあると。

そういう点では大変重大な事件であって、多分これは安倍政権になって今の体勢だからこそ踏み込んだ部分では無いか?と思いますけども、大変注目をして尚且つ国会などでですね。
拉致だけを取り上げていて良いのか?と言う観点からもですね。
北朝鮮が一体どれくらい日本の中で非合法な活動をしてきて今もしているのか?と。
それに対してなんで対応出来ていないのか?と議論していただかなくちゃいけないんじゃないかなと私は思います。

・・・集会終了・・・

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月16日

07.4.10 横田早紀江さん 東京連続集会27(10)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

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本当に今日はご苦労様でございます。
本当に長い長い年月なんですけども、今日もタイの皆様の話やルーマニアの話を聞きまして、本当に金正日そのものの、本当にこの人の悪政のために全ての多くの人たちがどんなにか苦しい人生を終えていかなければならないのか?と言うような事に尽きるので。
私たちはアメリカのブッシュさんにも一生懸命お話をして来たんですけども、外交問題と・・・(聞き取れず)はいろいろと難しい問題がそれぞれの中にあって、すんなりとは行かないのかな?と言う思いで、本当に残念な思いをしておりますけども。

北朝鮮の本当にこのどうにもならないこの悪いものに対して、どんな事があっても世界中が一つになって言い続けないと、解決しない。
やっと動きが取れないところまでみんなで言い続けて、そしてあなたと喧嘩したいと思っているんじゃないと。
本当はみんな仲良く暮らしたいんだよという事を言いながら、メッセージをしっかりと全部の国々が、せめて5者と言うのは大事で一丸となってやっていくために、本当にさっき本間さんも仰ったようにせっかく首相がいらっしゃるんですから中国からその方にハッキリと、政府の安倍さんなり上の方がしっかりと本気になって思いを伝えていただきたいと思っています。
これしか、あの人が何とかならない限りはどうにもならないんですね。
こうやってやって来ても、どんなに頑張ってきても頑張ってきても、こういう事に尽きると私は本当に思っていますので、これからはどうなっていくのか分かりませんけども、最後まで頑張らなければと思っております。

それから、アメリカのナショナル・ジオグラフィー・ソサエティというところの社長さん、アブダクションという映画の試写会をしたときに、そちらの方からブッシュ大統領の方にそのDVDを送ってくださったらしいですね
そしてブッシュ大統領がブッシュと言うサイン入りで、そこの今の会社のところに「私のローラ夫人と一緒にしっかりとこれを観ました」というお返事が来まして、私は前にお会いした時の事をもう一度思い出して書いてくださったというお話で、それのコピーが早速入りました。

そういうふうにいろんな所で働いてくださっている方がたくさんいらっしゃいますし、さっき主人が申しましたようにポールさんのこともありますし映画もそうですけども、いろんな方がめぐみを、あの子は13歳という事でどうしても名前がめぐみめぐみという形で捉えてものですから、どうしてもめぐみという個人とお受け取りになるかもしれない人が、私は気がかりでいつも思うんですけど、必ずこれはめぐみだけの事ではなくて本当にいつも講演でも言っていますけど、全部の被害者。
めぐみと言う名前に一緒にくっついた全部の苦しんでる人たちという事ですので、その点だけはよろしくお願いいたします。(拍手)

★横田滋さん

それから映画がDVDになるという話は、アメリカのカーベィさんからFAXで頂いたんですけど、日本では6月1日からDVDが発売される事が決定になりました。

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

07.4.10 本間勝さん 東京連続集会27(9)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『本間勝さんのお話』

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今日はタイから海老原先生、遠いところご苦労様でした。
本当にアノーチャさんの環境を、今兄貴も言われたとおりですね。
うちの八重子と本当に同じような年代、境遇。
ただ違うのは八重子は3歳と1歳の子供を残して連れて行かれた。
悲惨な結果になっているわけです。
これが大きな違いですね。

それで大韓航空機爆破というものは、ソウルオリンピックの妨害のために北朝鮮が仕掛けた大きなテロですね。
で、今度恩家宝首相が中国から来日されますけども、この機会を捉まえてね。
是非、北京オリンピックを成功させたいのならば、北東アジアからこの悲惨な拉致問題を是非解決させて、その時真に平和な祭典にさせてくれと、首相じゃないかと。
そういう言葉をね。
是非安倍さんが恩家宝さんに発していただきたいと思います。

そうすればね。
北朝鮮もこの拉致問題を解決させなければ、とても世界の祭典の仲間入りには出て行く顔が無いんだという事をね。
本当に思わしてやりたいと思います。
以上です。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

07.4.10 横田滋さん 東京連続集会27(8)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『横田滋さんのお話』

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今の問題に特に家族会が発言はありませんので。
最近の我々の動きと言いますと、体調が悪くて講演会を余りやっていませんけど、1日の日に新潟県の上越市に行ってきました。
上越市の一番大きな文化会館、定員1500人のところに1800人の方が来られて、第二会場を作ってやりましたんですけど、非常に盛況と言いますか。

それから青学会館で、今度ポール・ストーキーさんのコンサートが5月の18日・19の二日間行なわれます。
そしてこの19日の分については「めぐみさんコンサート」と銘打って、二日間の収益金をめぐみ基金と言う、これはどんな形にするか誰が管理するとか何に使うかとか決まっていないんですけど、そんなふうに振り込んでくださるという事です。
そしてこの曲は日本人でもエイベックスのクミコさんと言う人がカバー曲を歌いたいという事で、それは了解を取ったという事ですが、こういうようなポスターが出来まして。
そして今はこういうチケットは、チケットぴあとローソンとイープラスと言うところが扱っているそうですが、このケースですと新星堂と言うレコード店も店舗が協力してくださっているという事です。

それから今日は、後で平田さんの方から話があると思いますけど、前から日本政府は制裁法で万景号が来るのを止めていますけど、延長するという事が新聞に出ていましたんですが今日の閣議で決定しましたので、青学会館での記者会見の後で囲みがありまして、その席で我々も意見を発表しております。
それから明後日には諸君と言う文藝春秋の雑誌に、櫻井(よしこ)さんが「家族会の10年」という事で、対談をすることになっております。
以上です。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月15日

07.4.10 西岡力氏・海老原智治氏 東京連続集会27(7)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『西岡力氏・海老原智治氏の講演』



★西岡力氏

お二人の話で特に無いんですけど、二つだけ補足をしたいと思います。
タイの何人かの疑惑があると今飯塚さん話してくれたんですが、報道されている件で週刊文春がかなり詳しくやってくれたんですが、タイ人の女性たちが平壌にあるカラオケ店で働いていたということですね。
藤本さんと言う金正日の料理人が勤めていた寿司屋の同じところにあるカラオケ店で、日本の銀座からのママも女性もいるという話でして、その人たちは全員帰国しているんです。
ですから、ただし平壌で働くといわれてなくて、東京で働くといわれていたらしいので、騙されて連れて行かれてお客があまりいなくてお金が動かなくて怒っていたと、そういう事はあったようですが。

アノーチャさんが拉致された後80年代の話なので、同じタイ人という事でアノーチャさんの事を知らないか?と、そういう観点からタイ政府も関心を持っていて、実は海老原さんと私とは去年藤本さんと会いまして、その話を聞いたんですけども、藤本さんからも全員帰国しているという事を確認をしました。
藤本さんもそれ以外のタイ人、アノーチャさんの事は知らないという事でした。
それ以上そこから情報が進んではいないという事で、海老原さんはその帰った人たちが今どこに住んでいるか?捜して、そのうち何人かの人に接触して、藤本さんからではなくて直接その帰った人に会って、本当に平壌でアノーチャさんにあった事はないか?噂を聞いた事はなかったか?とそういう調査をされています。
そういう段階ですね。

それからもう一つの事は国連の対北朝鮮人権非難決議の件ですが、今飯塚副代表の方から少しお話があったんですけども、タイの外務省に行きました時にですね。
向こうから、「タイ政府は国連安保理事会の対北朝鮮制裁決議には忠実に従って出来る事はやっています」という話があったんですね。
タイは今安保理の常任理事国でも非常任理事国でもないんですけど、安保理事会で決まりますと国連の加盟国はそれに従う義務があるんですけども。

そこで私の方からは、それは大変良いことでありがたいことだと思うけれど、去年ですね。
国連の総会で北朝鮮人権非難決議と言うのが採択されたと。
丁度飯塚さんと島田さんと増元さんと一緒に我々ニューヨークに行った時に、その審議が国連の中でされていまして、日本側が北朝鮮の拉致問題を取り上げると北朝鮮側が強制連行800万人、200万人虐殺、20万人セックス・スレイブと言う話を総会の場でやっていましてですね。
そして日本側が反論権を行使して、人数が多すぎると、日本は謝っているとかって言っている。

もう少し事実に踏み込んで反論して欲しいと話をしていたんですが、そういう事についてタイ政府は実は去年その決議に賛成しなかったんです。
その決議の中には日本の外務省が外交努力をしまして、元々はヨーロッパのEUが出して来た決議で、北朝鮮内部の人権問題。
政治犯収容所の問題ですとか、信教の自由の問題ですとか、あるいは脱北者に対する問題だとかがメインだったんですけど、そこに「北朝鮮が外国人に対して行なっている人権侵害も入れるべきだ」というもので、諸外国に対する拉致問題もその中にきちんと入っているんですね。

それについてタイ政府は賛成しないで棄権した。
「タイ政府は拉致問題を認識して日本と協力して対応すると言っているけど、国連総会の場で拉致が書いてある問題について棄権するのは如何なものでしょうか?」と、「来年は是非賛成してくれませんか?」みたいな話を私がしたんです。
もう少し直接的ではなくてソフトな言い方で。
そうしたらば向こうが言ったのは、「タイ政府は国連の場で国の名前が出ている決議、国を名指しした決議には原則的に棄権する事にしているんだ」と。
「これは北朝鮮の人権状況が悪くないとタイ政府が認識しているという意味ではないんだ」と。
「国連の場で一国の内政問題について、名指しで何かすること事態に反対なんだ」と、言う外交方針を説明したんですね。

自国に人権問題を抱えている国と言うのは、いつ国連が自国の名前を出した決議をしてくるか分からないという事があってですね。
そういう反応を一般論としてする事があるんですね。
それに対して私らでは、「それはだから一般的な非難決議で北朝鮮の内政の事を言うならそれはそうかもしれないけれど、これはタイ国の主権が侵されてタイ人の人権が侵されているんだから、タイの一般的な外交方針とは別にこのケースについては、タイとして自国民を守るという観点から賛成すべきじゃないでしょうか?」と言う話をもう一回したんです。
そしたら、「担当部署と検討します」という外交官らしい答えが返って来ましたけど。(笑い声)

担当のシントン(?)さんと言う人は東京の在タイ大使館で公使をされていたので、「私は佐渡まで行ってジェンキンスさんに会いました」と。
「この問題は酷い」と。
「大体13歳の少女を連れて行くのは許されることでは無いでしょう」という話をしていらっしゃって、日本人拉致についても大変関心の高い方ではありました。
ただ、タイ政府の方針がそうだったという事で、飯塚さんはちょっと忘れられたという、前の日に在タイ日本大使館の公使の方が夕食をご馳走してくださった時に、その話題がちょっと出たものですから、そういう事になったという事でした。
私からは以上です。

では、海老原さんにこの後を。

★海老原智治氏

若干補足させてください。
タイ政府の拉致問題に対する姿勢という事はあまりお話をしないですけども、タイ政府は一貫して今まで正式に「拉致被害者」と言う言葉を使った事はありません。
「行方不明者」という事を公式に言っております。
これは革命以後の政権になってもこの件についてはきっちりと継続されています。
これは担当者が常に言っておりますのは、「これはタイと北朝鮮の二国間問題である」と。
ですから「二国間交渉の枠組みで対話で問題を解決したい」

その一方で「拉致問題一般の情報と言う意味では、日本に蓄積されている情報は多い。
それを是非提供いただきたいし、我々が提供出来るものは日本に提供したい。
しかしそれは日本と共同戦線を組んで統一的に当たっていくという事ではなくて、あくまでも対話、北朝鮮との二国間関係の間で交渉して行きたい。」
そのようなスタンスが一貫しております。

そのような中で去る7月にクーデター前の前外相が北朝鮮の亡くなった外相にですね。
地域フォーラムの後に二国間会談を行ないまして、アノーチャの問題に関するタイと北朝鮮の二国間作業部会を設置しようと提案を具体的に行ないました。
タイ側は第一回の会談で平壌に行く準備は出来ている。
ただ北朝鮮の返事待ちだという事で提案をしまして、これを拉致問題に関して日本以外の国が、具体的な提案を北朝鮮に行なった国と言うのはほとんど、まぁレバノンがいますが、無い事だと思っていまして画期的であったわけですけども、それがのらりくらりと回答を引き延ばすうちにタイではクーデターとなりまして、今現在まで北からどうするか?と言う回答は得られていない。

それから拉致被害者ですけど、アノーチャ以外の拉致被害者ですけどももう一件気になる案件がありまして、7月31日に韓国において、初めてタイの偽のパスポートを使った北朝鮮工作員が拘束されたと。
これはニューヨークタイムスをはじめ、かなり大きく記事になっております。
これがどういう案件でなったか?と言うと、その時には拘束されたときにはタイ人に偽装したわけでは無いんですけども、逮捕された後に分かったのはかつてタイにも入国していたと。
原子力発電所の写真・米軍基地の写真を撮って、それをバンコクの北朝鮮大使館に持って行っては送っていたと。
名前はマノウ・スギンというタイ人の男性の名前を使ったと分かっております。

私の方でもちょっとこの案件を追っておりまして、マノウとは実在した男性で亡くなっているのは分かっています。
(西岡氏より「実在したんですか?成りすましという事ですか?」の声)
マノウとは何者なのか?
拉致されたのか?
それとも知らないうちに身分を使われてしまったのか?
それとも協力した人なのか?
そういうのも、まだ分かっておりません。

そのような形で北朝鮮の不正規な活動によってタイの国民および国家の安全が脅かされているという事例、これは先ほどの8人のタイ人女性が騙された案件も、これは「東京に連れて行く」といわれてどういう経路を辿ったのかと言うと、・・・(聞き取れず)に連れて行かれた。
飛行機を乗り換えてモスクワに連れて行かれた。
モスクワから平壌に来られた。
そんなに乗り継いたのは何故かと言うのは、足取りを消すためらしいですね。

工作員を疑われる人間が日本人を名乗って騙して連れて行った。
平壌にいた間も、・・・(聞き取れず)に連絡は出来たと。
しかしそれは完全に日本にいることを偽って日本に行くという会社の名前で日本に手紙を書かせれば、日本から平壌に転送して受け取って、もちろん内容も検閲されるわけですけど。
そのようなことで、これは返しましたから拉致ではなかったですけども、そのような北朝鮮の不正規な活動で、国民の安全・国家の安全が脅かされた事例としてアノーチャの案件、この8人の案件、それから7月31日の案件。
これ一セットにしまして、私の方では早速今回統一的にあたるという事。
また私の方でも出来る事はしたいと、・・・(聞き取れず)しているところでございます。
私の方は以上でございます。

★西岡力氏

今の話と一つだけ関連してですけど、ルーマニア政府がドイナさんの問題についてどう対応しているか?と言う事を先ほど報告するのを忘れましたけど、もう一度いいますけども。
ルーマニア政府はジェンキンスさんの本が出た数ヵ月後に、北朝鮮にそういう人物がいるのかどうか?情報を求める事を外交ルートでやった。
そして去年の12月の国際会議のレセプションで、在東京のルーマニア大使ご本人がレセプションに出て来てくださいまして、私ちょっと話をしたんですけども、しかし「ドイナと言う名前はありふれた名前なので苗字が分からないからまだ特定出来ていないんだ」と。
「我々はジェンキンスさんにも会って情報を貰ったんだ」と大使が言っていたんですね。

ですから、「そういう人がいるかどうか調べてくれと言う事で、拉致と断定して返してくれと言っている段階では無い」という事を言って、タイ政府と大体似ているかなぁと。
そして今回ガブリエルさんに会って分かったんですが、ガブリエルさんのところにルーマニア政府は全く接触をしていないと。
怒っているんですよ、ガブリエルさん。
このようにマスコミは報道して日本はですね。
実は我々が行った時に、在ルーマニア日本国大使本人が4時間かけて一緒に行ってくれまして、それで事情聴取をする時にいてくれたんですけども、「日本は大使も来てくれて家族会も救う会も来てくれているのに、ルーマニア政府はまだ私のところに接触が無い」と言っていました。

次の日にルーマニアの次官に会った時に、「ルーマニアとしてはまだ被害者の身元を確認出来ていない」と。
「その作業をしている段階である」と。
「その作業として北朝鮮から本当にドイナと言う女性がいたのかどうか?を情報提供を求めてるが返事が来ない」と言う言い方をしていました。
その点ではタイ政府は、アノーチャさんの家族が名乗り出た直後に、辞められたクーデター前の外務大臣が面会をしてくださり、総理大臣も国会でですね。
あれは記者会見でしたかね?
大使と会った時ですね。
この問題を政府として取り上げると直後に言及したりしているんですね。

タイ政府の取り組み、タイは対外的には認定したとは言いませんけど、家族にも会ってそして現場の郡長さんはタイ政府として認定したんだと言ってましたよね?
という事ですけども、認定した後北朝鮮に対して行方不明者と言う単語を使って、話し合いで何とかしてもらおうとしていると。
2000年の頃の河野外務大臣を思い出すような(笑い声)、姿勢だなぁと思って飯塚さんと私で、「大体日本でもそんな事をやったんですけど上手く行かなかったんです」と、「やっぱり圧力をかけなければ駄目だと思います」と、言う話をしたんですけども。
タイのシントン(?)さんと言う方は、アノーチャと言う女性が北朝鮮に拉致された疑いがあって、今行方不明になっていると。
この問題が解決されな限り北朝鮮とタイの関係は正常とは言えませんと。
そういう点では我々も一定の圧力はかけているんですという言い方をしていました。

日本人拉致被害については2ヶ国ともけしからんと言うふうに言っているんですね。
ルーマニアの政府も日本人拉致については大変同情すると、けしからんと、雄弁に話されていましたから、事情をずいぶん日本の外務省も説明しているんだなという事は分かったんですが、逆に自国民についてはどうするのか?と言う事の姿勢でまだちょっと大変弱くて、実はルーマニアもタイも北朝鮮と今国交があるわけです。
通常ならば自国民が拉致されていることが本当に分かったら、断交するという事があっても良いくらいの重大なことだと思うんですけども、そういう事まで話は行っていない。
そういう事のようですけども。

ただ、タイでもルーマニアでもマスコミが一定程度報道し始めていますし、タイは今イ人が入っている協会が講演会をやる。
半分以上、バンコクでやったのは聞いているのはタイ人で、全部彼に通訳していただいたんですけど、そういう点でタイの人たちも自分たちの問題としてこの問題を考え始めていると、いう点で少し状況は変わって来て。
今度はガブリエルさんに来てもらって、タイの活動なども聞いてもらってもう少し勉強したいなと思っていまして、ルーマニアでも海老原さんみたいな人が出てくれば良いなと思って、ルーマニアの日本人から電話が来ていて、「通訳したいとか拉致はけしからん」と言っている人がいたみたいで、その人と連絡を取って、ルーマニアの中で何か活動が出来ないかな?と今思っているところです。

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月14日

07.4.10 飯塚繁雄さん 東京連続集会27(6)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『飯塚繁雄さんのタイ訪問報告』

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皆さん、こんばんは。
いつもお世話になっております。

今説明があったように、私と西岡先生と3月の20日から24日まで、タイへ行って参りました。
もちろん目的は拉致被害者がいるタイ国、並びにその家族の方と連携をとりながら、北に対して国際的な包囲網をがっちり固めていこうという気持ちでおりまして、早く被害者を救出したいという目的でございます。
今海老原先生から事細かく説明がありましたので、私の方からはそこに無い話を若干かいつまんでご報告します。

このアノーチャさんの実家、スカムさんの家はですね。
大体チェンマイ市内から28キロと言っていましたね。
非常な田舎でしてね。
写真にもありましたように、いわゆる高床式の住宅なんですね。
風通しが良くて、上の部屋は窓を開ければ光が入ってくる。
風も入る。
そういう事で昔からそういう知恵を集めた住宅でした。

そこではスカムさんはもちろん、甥っ子のバンジョイさん、それからその奥さんたちにも会いまして、私たちが来るという事で地元のマスコミ・日本のマスコミもいましたけども、相当数来ましてですね。
回りはびっくりしていたという状況なんですが、先ほどもちょっと説明ありましたように、スカムさん非常に気の毒でこの短期間に衰えてしまってですね。
私よりも9歳若いんですけど、頭真っ白、それから耳が聞こえない。
それから足もですね、その高床式の階段を上がるのがやっとだと。
2〜3日前までは全然降りて来られなかったという話も聞いていますけども、結局そういう状況の中で、お父さんも平成5年亡くなりましたし、早く妹が帰ってくることを望んでいると非常に毎日毎日のように思っていると。

私たちが行ったときにですね。
「わざわざ遠く日本から家まで訪問していただいて本当にありがとう」と、涙を流しながら言っておりましたけども、「これによって私も体が弱っているけれども非常に勇気付けられた」と、「元気付けられた」という事で非常に感動しておられました。
やはりその中でも「これからも皆さんと共に、一緒になって家族が帰ってくるまで戦っていきたい」と、気持ちだけはしっかりして強いものを感じております。

それとアノーチャさんが残していったポータブルラジオと言うのがありまして、写真が小さくて見えないんですけども、このラジオをですね。
お父さんがいつも身近において、「アノーチャ、早く帰ってきて欲しい」という念願を込めながら、いつも傍に置いていたと、いう事を聞かされました。
それからアノーチャさんが買ってきたいろんなお土産とか写真とかですね。
部屋においてありまして、いつもそれを眺めながら毎日毎日帰国を待ち焦がれていたという状況を聞いております。

丁度このデータを見ますとですね。
話は変わりますけど、うちの田口八重子の状況とかなり似ているんですね。
拉致された年代も1978年、年齢も22。
うちは22、アノーチャさんは23ですけど、そういった事ですとか、それから働きに出ていた状況とかですね。
非常にそういった面ではアノーチャさん非常に若い時からきれいで、22歳の時の写真もきれいで、そういった関係でも狙われていたかな?と言うそんなことも思いました。
4月22日に先ほども仰いました「国民大集会にも来てください」というようにお願いもしてきましたし、当然ながらスカムさんは無理なので甥っ子のバンジョイさんが来てくれることになりまして、2回目ですけどもさらに皆さんと一緒にこういった活動を是非していきたいという強い意思でございます。

たまたまさっきも出ましたけど、青パパイヤのサラダですね。
さすがに私と西岡先生、食べられなかったです。(笑い声)
一口頂いたんですけどね。
何か異様な味がしまして、酸っぱいのか何か、ちょっと、もちろんそういうお国柄の食事ですからそれなりに好きな人もいると思うんですけども、わざわざ私たちが来るというんで、前の晩作って出してくれたんですね。
「是非食べてください」と。
「これはアノーチャがいつも帰ってくるたび作ってあげているんだ」と。
ちょっと食べたんですけど、残念ながら本当に一口だけで終りました。(笑い声)

アノーチャさんの家族の話は先ほど詳しくしましたので、午後からですね。
チェンマイの県庁に行きまして、チェンマイの副知事に面会しました。
知事は何かいなかったらしいんですけども、話したところ、県庁と言うのはあくまでも内政・内務の関係だけで、外務との関係は一切分からないし、何も出来ないと。
「地元のアノーチャさんの身辺状況をつぶさに調べて政府に報告します」と、「外務省に報告しています」というような事だけだったんですね。

我々がわざわざチェンマイまで来たという事については、非常に日本の活動も更なる理解が深まったし、出来れば何かお役に立ちたいというそういう気持ちはありましたけど、具体的にはあまり活動の中では入り込む感じがしませんでした。
もちろん状況はすでに調べちゃたわけですね。
ですから後は「何か変わった情報があればそれにしてはきちんと報告したい」という事でした。

夕方6時半からタイと日本の友好フォーラムという組織がありまして、先ほど先生が仰ったような支援者の団体もあるんですけど、そこで講演という事で、そこにはバンジョイさん、海老原先生、それからタマサート大学のワリントンさん、女性の先生ですけども来てくださって、それで私と西岡先生が若干お話をしたと。
海老原先生に全部段取りから通訳から何から全部やっていただいて、本当に大変だなぁと言う感じはしたんですけども。
もちろん来てくださった方々は話をいろいろ聞いて、特に拉致が国際的になってきた事を西岡さんの話を感銘を受けて聞いておりましたけど、さらに日本での拉致の実態ですとか、あるいは拉致の解決のための実態ですとか、そういったものを非常にその状況は理解できたという事を言っていましたし、タイ国としましてもですね。
そういったある程度追いつくように私たちも出来ることは何でもしますと、言うような参加者の話もありました。

後は先ほどの出身地の郡長さん、名前ちょっと忘れましたけども、その人が若干お話しまして、その人がアノーチャさんの拉致に関する状況を調べて特定まで持って行った人で、非常にはっきりとその内容が整っておりまして、日本にも行ったんですよね?(西岡氏「はい、そうですね」の声)
日本の集会でも挨拶をしましたけど、そういったときにもいつも参加をして頂いているようです。

それからその前ですがバンコクに移動しまして、行った夜は日本大使館の藤原公使の招待で夕食会を開いたんですが、そこには小山一等書記官、それから先ほどのワリントン先生と海老原先生含めて懇談を致しました。
懇談の内容は忘れました。(笑い声)
要するに、こういう一切含めてですね。
国際的にこういった問題がクローズアップされていく中で、とにかく捨てておけない問題だという事で認識を深めていただいたという事になると思います。

その後23日にタイの外務省に行きまして、先ほどちょっとお話がありましたように、タイ政府の拉致問題の担当者と言うのがおりまして、それぞれ面会しましたけども、その中でシン・トンウン(?)日本部長さんが面会されまして、特にその日本部長の話によりますと日本とのこの問題に関する情報交換はしょっちゅうしてますと。
それからどういう取り組みをしているのか?
あるいはタイとしてもどういうふうにしていかなければならないか?と言うことを考えています。
一貫してこの問題が明確になってからそれぞれ対応しているところですと、言う話がありました。
先ほど話したクーデターが起こって無政府状態のはずですけども、政府が変わっても北の大使館を通じて交渉を続けていくと。

これはタイと北朝鮮は国交があるわけですね。
外務省から大使館を通じてそういった話は持ち込める。
しかしながら、我々の感想としてはですね。
一応話は聞くようなんですけども、全くコメントは無いと。
この問題の共同作業部会を作ろうという事を、提案・要求しても北はこの話をただ持ち帰っていくだけで何の返答もないという事で、タイの外務省としては北との交渉は非常に難しいと。
明日、明後日に解決するような簡単な問題では無いという事を理解と言うか、認識しているようです。

それから私もおや?と思ったのは、タイに7名の拉致疑惑者がいると言う話をしましてね。
これは明確では無いんですけどもそういった人たちもいてですね。
その情報も取りたいんですけど中々取れないと。
何人かの関係者に連絡すると、「協力したくない」と言う返事が返ってくるようなんですね。
ですからそれらを考えてもまだまだ北の拉致に関する被害者と言うか、たくさん出てくると予測されるんですね。

丁度アノーチャさんが拉致されたのは北朝鮮とタイが国交を結んだ後なんですね。
国交を結んでもそんなこと関係なくその国の人を拉致して連れ去る。
いう事が一つ言えるのと、それからもう一つ30周年に再度申し入れたけど返答が無い。
だから国交があっても北朝鮮は正常な状態ではない、というのがタイ政府の外務省がハッキリと認識しているようです。
そういう中でさらにこの問題の追及については、強く解決に結びつくような事柄を要求していくという強い態度は示しておりました。

何か4月に首相が日本に来たんですね。
ちょっと私うっかりしましたけど、その時にもタイ国としての役割をきちっと果たすべく、日本の政府・外務省と協力してやっていきたいと。
タイとしては取りあえずアノーチャ問題について、引き続きやるという強い意思を示していたようです。

それから話はちょっと変わりますが、国連の安保理事会、これは前回北朝鮮非難決議については、いわゆる1718決議ですけど可決されましたけども、タイ国としてはですね。
いろいろ伝統がありましてね。
特定の国を名指す議案については棄権をする。
反対をしないという事よりはいいんでしょうけれども、賛成はしないんですね。
棄権をするという事をハッキリと言っていますが、これの背景とか考え方とか良く聞きませんでしたけども、そういう態度を貫いているようです。

それから午後はですね。
バンコクでのタイ日友好フォーラム、これも拉致問題の講演会を開催しまして、約60名くらいの方が参加されましたけども、主に西岡先生の拉致問題の国際化という事について詳しく説明をし、みんなで手を組んでこの問題を何とか解決して行こうと言うそういった話でしたけども。
ナロンさんですね。
このフォーラムの副会長さんもお見えになっていて、そこでもやはりこの問題については放ってはおけないと。
強い態度で臨んでいくという態度でお話も伺っています。

日本人の方が多かったんですけども、在タイ日本人ですね。
その他、若い方もいまして、こういった拉致問題に対する理解を深めたと。
日本とかあるいは他国の北による拉致の実態だとか、その辺の解決への取り組みだとか、いう事が良く分かったと。
私たちもやれる事があれば努力を惜しまないつもりですというような話も聞いております。

その後は私たちの泊まっているホテルで現地の報道陣と記者会見をしまして、今回の訪問についての目的あるいは成果を思い、今後の方針等を聞かれましたけど。
要するに一人でもそういった被害者を抱えている国としては、もっともっと怒って欲しいというような事も含めながら、ともかくさっきも出ました北に対する拉致に関する件での強い包囲網を作っていくんだと、言う事をちょっとお話しておきましたけど。
もちろんそういった目的で行っておりますので、そういったお話でコメントをしておきました。

後は余談ですけど、バンコクって言うのは気温が39度なんですね。
我々成田を出た時は17度だった。
20度以上も気温の差があってですね。
ちょっと急に行くとまいりますね。
ですからさっきのワリントン先生の日傘を借りまして、それで西岡先生と町を歩いて。
そうしないととってもじゃないけどね、歩けないというか、慣れないせいもあるんですけども。

そういう状態の中で皆さんいろいろ活動していただいて、特に今回海老原先生につきましてはピンからキリまで全部お世話になりまして、本当に助かりましたしお礼申し上げたいと思います。
私の方からは以上です。
ありがとうございました。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月10日

07.4.10 海老原智治氏3 東京連続集会27(5)友愛会館にて

タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その3』



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ジェンキンスさんの本の中の記述から、それから証言から北朝鮮でのアノーチャさんの情報をまとめますと、概略次のような事になっております。
1978年にマカオで失踪します。
拉致です。
その同じ年に78年に23歳から24歳の時、元米兵のラリー・アブシャーと結婚をします。
その2年後、1980年には平壌市内の立石里(リプソクリ)ある家に住む。
この立石里にある家と言うのが曽我さん・ジェンキンスさんが住んでいたのと同じ区域でして、ジェンキンスさんの家とは50メートルと離れていない近いところだったという事です。

しかしその3年後1983年には夫のラリー・アブシャーが家で死去してしまいます。
その為にアノーチャは独身に戻るわけですけれども、1984年、今度は北朝鮮の中で転居をします。
立石里にある新しい4世帯用の住宅と言うのが出来まして、アパートですね。
下に2部屋、2階に2部屋。
1階の2部屋にはやはり米兵のパリッシュさんの一家と、ドレスノクさんの一家が住んでいる。
2階の2部屋にはアノーチャさんと曽我さん・ジェンキンスさんが住んでいる。
アノーチャは一人だったのでそこには指導員が同居していたと。

そのような状況にあったわけですけども、1989年にはどこかへ転居することになってしまった。
これはどこに行ったのかはジェンキンスさんは分からないと言っております。
聞くことも出来ない。
この数ヶ月前に、北朝鮮当局によって在北朝鮮のドイツ人と結婚させられることになっていたという事です。
この1989年に転居しまして、転居した後に一度ばったり、ジェンキンスさん・曽我さんが同じ年に平壌市内の外貨ショップでアノーチャさん一度だけ会っているというんですけど、それが最後の出会いであったという事です。

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これが北朝鮮からジェンキンスさん・曽我さんが持ち帰りましたアノーチャさんの写真です。
この左の小さく写っている女性、この後ろの女性がアノーチャさんであるという事で、この女性についてはタイ国内の人物鑑定において、重要な根拠となった写真でして、これをタイ当局の政府。
具体的にはアノーチャさんの出身地の郡を統括している郡役所と言うのがありまして、郡役所の方が家族・友人・関係者と言う方にこの写真を見せて証言を取ったんですけど、ことごとく「これはアノーチャに間違いない」と言う証言が取れたと言います。
人物鑑定の大きな決め手になった写真でございます。

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このような事がありまして、2005年12月にはジェンキンスさん・曽我さんと東京で面談致しました時の写真がこれですね。

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同じ年麻生外相とも、他の国の拉致被害者家族の皆さんと共に、家族会と共に面会しています。

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これはタイ国内での活動の様子なんですけれども、私どもタイ国内でもこのタイ人拉致というものをタイ社会に発信したいと考えまして各地でこの活動を行なっております。
まだ微々たるものでして、またタイ社会の関心も低いものですから、困難も多いのですけど、これは私の方の勤務大学で学生向けの講演会を開催した時の写真です。

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また市民集会と言う事も開催しております。
これは初めてチェンマイで開催した時の市民集会の写真です。

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2006年2月には、タイの首相に直接私どもから救出の嘆願書を手渡す事をしました。
当時の首相と言うのは、今はもう首相では無いですけどタクシン首相と言う方で、これは報道でご存知の方もいるかと思いますけど2006年9月にはタイでクーデターが発生しました。
それで政権転覆したわけですけども、そのクーデターで追われた首相がこのタクシン氏でして、実はアノーチャの出身郡と同じところの出身者なんですね。
そのようなことから家族としても首相に頼めば、クーデター前は首相は物凄い権限を持っておりまして、首相に頼めば何か進展があるのでは無いか?と期待も持っていたんですが、具体的なアクションが起こる前に首相はクーデターで追われるという事になってしまいました。

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これはつい先日です。
西岡副会長、飯塚副代表がいらっしゃった時のスカムさんとの面会の写真です。
これ、この時にですね。
アノーチャさんの実家の方である料理を準備してもてなしました。
それと言いますのはこの左手にある青パパイヤのサラダ、これはアノーチャさんの好物であったと。
それのために家族の方ではアノーチャが帰ったとしたら、まずこれを真っ先に食べて貰いたい。
そういう料理なんだと、それを準備して飯塚副代表の方に振舞ったわけです。
味の方は、分かりません。
西岡副会長の方で後で。

そのときにですね。
これまであまりスカムさんも、このスカムさんがお父さんも亡くなっているので家族を代表する形で、アノーチャの拉致問題に対処してきたんですけど、かなり強い発言をするようになってまいりました。
これはこの前のテレビの画面から撮った映像ですけど、「アノーチャ早く帰ってきて欲しい。こんな政府は間違っている。北朝鮮は間違っている。」
実際話した時はもっと長い論調でありまして、「こんな事をやる指導者・国、これが正しい国なのか?そんなものが存在して良いのであろうか?」
かなり強い口調で思いを表現したわけです。

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で、このちょっと髪がですね。
すみません、前の写真と比べますと髪がですね。
このように真っ白になっているんですけども、2006年の写真を見ますとまだ真っ黒い髪をしているんですね。
染めていたわけではありませんで、これですね。
こんな、若々しいというかまだ、それが1年後には真っ白になっていまして、実は2006年の8月に急に血液の感染症になってしまいまして、突然危篤と言う事になってしまいました。

意識不明になりまして、私もその日に飛んで行って病院に行きましたら、医者の方が「どうなるかは今日・明日が山だ。もちろん50%50%で分からない」という状況でありまして、それが幸い回復しまして、このように歩けるようになったんですけども、実は今耳が聞こえません。
話せば自分の言いたい事は言えるんですけど、こちらのいう事は分からないので、今回の飯塚副代表の話も息子のバンジョイさんがですね。
私がタイ語で通訳した事を一生懸命紙に書いて、書くと父に見せて、それを読んだスカムさんがそれで急いで返事を言うと、そのようなわけだったんでありますけども。
家族もこのような健康、この問題長引かせてはいけない。
そういう思いを私も支援者として強く思います。

これちょっと映像が・・・(聞き取れず)なってますけどすみません。
それから私どもの活動なんですが家族と共に社会的働きかけの一環としまして、政府の方にも願い出る事を繰り返しております。
前のスライドでは写真ありませんでしたけども、クーデター前の外相に面会を申し出まして、外相の方からも強い言葉でこの問題を重視すると言われました。

しかしその外相も2006年の9月のクーデターで首相ともども政権を追われまして、私どもの心配の一つはそのような政治の混乱の中で拉致問題の対策がどのように取り扱っていくのか?
内政に手一杯になっている中で問題が消し去られてしまうのか?
またこれまでに北朝鮮がタイ政府に対して積み上げた事柄、これが引き継がれるんであろろうか?

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この辺非常に不安だったんですけども、2006年の12月に外相に会いましたときにも、「クーデターの後も政府の姿勢には全く変わりは無い」という事が明言されました。
それはマスコミにも外相が同じ言葉を伝えております。
さらに外相の方からこの問題は「私のスケジュールに組み込んでいく」という強い言葉がありまして、「政策変更は無い。アノーチャの問題にもタイ政府は一貫して取り組んでいく。」
そのような事が改めて革命後の現暫定政権からも表明されたわけです。

私どもの方ではそのようにタイ政府への働きかけ、タイ社会への発信、それから家族の支援、そういう事を支援活動として行なっています。
その中でも私どもで重視しておりますのは、この出版活動がございます。
これですね。
これのちょっと前置きをいたしますと、タイにおいて拉致問題を語るのに非常に困難な点、いろいろあるんですけども、ひとつはですね。
北朝鮮と言っても分からない。
韓国と一緒なんです。

そのような中で「北朝鮮に拉致される」と言いますというと、はなはだしい場合は「あの韓国でしょ?ああいうところに行くんだったらいいんじゃない、帰ってこないのよ、アハハ」とそんな印象が非常に多い。
これは実は北朝鮮と言うのはどういう国なのか?
そこで行なわれている人権侵害の実情、これを体系立ててタイ社会に問わない限りは、この問題は十分に理解されないだろう。
そのような思いを強く持っております。

そうしますと個別の拉致問題と言う事を発信しますのと同時に北朝鮮の人権状況、これを体系立ててきちんとタイ社会に問う。
これが極めて重要な救援活動のための要素となってくると考えております。
その為に一つはこのジェンキンスさんの本、これの版権を取得いたしまして、タイ語で出す準備を行なっております。

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それからこちらは、この本は英語の本なんですけど、脱北者の面接集です。
脱北者の人が北朝鮮内でどんなに酷い人権侵害を遭ってきたのか?また目にしてきたのか?
これは強制収容所みたいなものも含めまして、そういう著書なんですけど、私の方で版権取得しまして、つい1月にですね。
翻訳が終了しました。
これも7月くらいにはタイ社会に問いたいものと考えております。

脱北について若干申し上げますと、タイは今現在脱北者がおそらく中国を別とすれば、もっとも発生している国の一つであろうと思います。
私どもが把握している情報では、昨年1年間でタイ当局に拘束された脱北者が約1000名。
今年1月から4月までの数値が昨年度の1月から4月のペースをはるかに上回るペースになっている。
今年においてはおそらく1・5倍から2倍くらいの脱北者が入っている可能性があります。

これの人権侵害、拉致は外国人に対する人権侵害ですけども、脱北は自国民に対する人権侵害の結果として発生していると考えましたなら、北朝鮮による人権侵害と言うのは、タイには脱北で非常に関わりが深いわけですけども、そういったことも含めてタイ社会には何も認識されない。
脱北者と言っても何で来ているんだろう?
それで終わりです。

また報道の傾向を見ましても、日本のマスコミの方とは全く違いまして、非常に個別の一つ一つの事件を気にするだけで、その背景を掘り下げるという事も全くありませんので、そういった事も含めて北朝鮮で何が起こっているのか?
これを体系立ててタイ社会に問うという事、これを私どもの支援団体の大きな使命であると考えております。

スライドはここまでです。
私どもの支援団体、まだまだ人も少なくて、また活動も非常に限られているんですけども、家族と非常に密接な関係を保ちながら、草の根レベルですけどもかなり動きを出しております。
今後とも日本国内の皆様を含めましてご支援をいただければと考えております。
また今回明らかになりましたルーマニアの家族、この4月22日にはタイの家族もこちらに参りまして、タイの家族もルーマニアの家族と会うこと。
そして連携する事を非常に期待する事をしたいと言明しておりますので、タイとルーマニア、タイと韓国と言った連携も今後進められればと考えております。
私の方、長くなりましたがここまでとさせていただきます。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月09日

07.4.10 海老原智治氏2 東京連続集会27(4)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その2』



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これはアノーチャさんが卒業しましたノーンセ寺小学校の現在の様子です。
これはやはりノーンセ寺小学校ですけれども、古い校舎が残っています。
30年くらい前からあるという話で、アノーチャさんもここで学んだのかどうか。
ノーンセ寺と言うのは名前の通り、お寺に併設されています。
タイの学校と言うのは日本の寺子屋と同じでして、由来がお寺に発祥があるわけですけど、今現在もお寺の境内に隣接しているというケースが非常に多くてですね。
名前もなんとか寺学校と言うんですけども、ここも同じようなケースでして、そこの本堂がこのようになっているわけです。
ここは家族のいつも行くお寺であって、馴染みのお寺であったという事です。

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これはアノーチャさんの家がある集落の中の様子です。
これは典型的な北タイの集落の様子でしてずいぶん静かな町なんです。
これも同じ町並みです。

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ここまではアノーチャさんがチェンマイにいたときのだったわけですけど、続きましてバンコクに出稼ぎに出た時の事をお話します。
前後して恐縮ですけど、19歳くらいまではこのように実家で家業の手伝いをしていたわけですけども、その後心機一転してバンコクに出稼ぎに行くことにしたという事です。
理由は何なのかあまり家族は言わないんですけど、その頃のその集落の一般的な考えとして、ちょっと家計が苦しい人はバンコクへ出稼ぎに行くのが非常にその辺では一般的だったから、アノーチャもそのような次元の一人だったというような言い方を家族はしています。

それが1973年から78年の間、19歳から24歳までであったわけです。
アノーチャさんの出稼ぎの経緯、村の女性2〜3人とバンコクへ出稼ぎに行くということにしたと。
行く前はどこで働くかも何も決めずにとにかくバンコクに出て、あちらに出た後に仕事を見つけたと言っております。
しかしそれで運よくあちらで仕事が見つかったんですけれども、実家の方には仕事は何で職場はどこだという事はついぞ言わなかったという事を家族は言っております。

その後、我々が当たったところ、風俗関係の仕事をしていたという事が分かっております。
家族の方はそういう事は口幅ったいのでそんな言い方をしたんでは無いかと思います。
それで年に2〜3回は実家に帰って来たといいます。
そうしますとたくさんお土産を持ってきて、家族や親戚や近所に分けていったという事です。
そのお土産には当時タイでは最高級デパートであった大丸デパート、これは日本の大丸の支店ですけれども、そこの袋を抱えて持ってくることが度々あったということです。

非常に父親に愛情を持っておりまして、実家に帰るたびに父親とは非常に親しくいろんな話をしていたと。
このときアノーチャさんはもう母親を亡くしておりまして、母親は非常に幼い頃亡くなっているので、記憶にもほとんど無いらしいですね。
そのような為に肉親として親として残されているのはお父さんだけだという事なので、非常にお父さんと親密な関係にあるようです。
バンコクでどんな暮らしをしているのかと言うのも、お父さんとは非常に詳しくいろいろ話をしていたらしいんですけど、そういった内容は他のきょうだいですとか親戚には話さなかったという事を言っております。

その中で非常に大きなお金をアノーチャさんはバンコクで稼いでいたようです。
家族にとっても稼ぎ頭であった。
この時期サンカンペーンで実家の月収がタイバーツで500〜600バーツでしかなかった。
これを日本の金銭価値に直してもちょっと今のレートにしても何とも言い難いんですけれども、そのような収入であったのが、アノーチャさんが毎月実家にバンコクから仕送りした額が、一回に1000から2000バーツであった。
家族みんなで実家が働いても一ヶ月に500〜600バーツなのに、アノーチャ一人が毎月1000〜2000。
倍から4倍の金をもって来たということです。
非常に大金を送ってきましたから、生活上頼りにされていたんだろうという事が分かります。
また非常に大きな大金を送ってきた事がありまして、1977年には1万1千バーツ、2万4千バーツ、そういう記録が残っております。

この当時タイの公務員の初任給が3000バーツですとか、その程度であった時代ですから、それを上回るこのような大きなお金をアノーチャはバンコクで稼いでは実家に送ってきていたわけであります。
非常に家族思いだったと思います。
それからには1977年、22歳には名前をブアパーと言う名前からアノーチャと言う名前に替えたと言っております。
ここまでがアノーチャさんのバンコク時代の主な事象ですね。

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写真をご覧ください。
これがバンコク時代のアノーチャの写真です。
1977年ごろ、21歳。
これはパスポートを作るために撮った写真であるという事です。
おそらくマカオに出稼ぎに行く事が決まった後に撮影したのだろうと思われます。

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アノーチャさんがバンコクでかつて住んでいたという場所の現在の様子です。
今現在はこんな状態で工事現場みたいになって何もないんですけど、以前はここにですね。
アノーチャさんは風俗関係に従事していたということで、この界隈はかつてその職業に従事する女性がもっぱら住む長屋のような借家があって、そこに50人から60人の女性が細い道に住んでいたという事です。
その借家そのものは取り壊されてしまって残っておりません。

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続きまして、アノーチャさんの最後の帰郷。
1978年の月は不明ですけど、年の頭の頃であったという事です。
そこで家族3〜4人と食事をする中でお兄さんのお嫁さん、兄嫁に次のように話したといいます。
「私はバンコクに出稼ぎに行っている間に、これまで3回外国に仕事に行っている。今度バンコクに戻ったらマカオに行く予定になっている。これが外国で仕事をする最後でこれが終ればもう行かない。その後はずっとバンコクで仕事をしながら時々また実家に来るから行き来をするから、だからお姉さん、それまでは父の面倒をよろしく頼みます。」
こういう事をお兄さんのお嫁さんに託したんだそうです。
そういう話をしてバンコクに戻ったアノーチャですけども、それから連絡がなく、今現在まで全く連絡が無いという事になっております。

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これが失踪先のマカオで1978年に撮影されたと思われます写真です。
22歳ごろだろうという事です。
そのようにして1978年の5月ないし7月に拉致をされてしまったわけです。
拉致の経緯についてはまた別途お話をしますが、それを家族が知ったのは次のような経緯であるという事です
もちろん拉致されたという事は知らないわけですけども、いなくなったという事自体は78年に知っていたという事です。
それがですね、次のような事情です。

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マカオに同行した友人から実家に手紙が届いたと。
その手紙にはこのように書いてある。
「お父さんとスカムさん、私と話すためにバンコクに来てください。」
大事な話があるというわけです。
その為に出て行きましたら、バンコクでこういう話をした。
「私とアノーチャはマカオに仕事に行った。1978年5月21日にアノーチャはマカオで姿が見えなくなった。失踪するこの日、アノーチャは友人と昼飯を食べに行った。その友人に『もし私が2〜3時間姿が見えなくなったら警察に届けてくれ』というちょっと謎めいた話をして、その日本当に帰って来なかった」という話です。

この友人がアノーチャの家族に続けたところでは、「その時私はアノーチャが本当に失踪したとは思わなかったので、マカオで警察にも届けなかったし、実家にも知らせなかった。」
ちょっとどこかに行って帰ってくるだけだろうと思っていただけだったんですね。
「しかし6ヶ月今経ってしまって本当に行方が分からなくなったと思われるので、今こうして私が実家にお話しすることにししたんだ」と。
要するに概略このような話があったわけです。
これをもちまして実家の方でもアノーチャがマカオでいなくなったという事を、1978年11月、分かったわけです。

しかし、分かったのはこれだけでして、どうしていなくなったのか?どこへ行ってしまったのか?何一つ分からず、それがようやくまた情報が得られたのは2005年、テレビのニュースで初めて分かったという事になったわけです。
それからですね。
バンコクでの話に行った時にこういう話を聞かされたと。
「アノーチャがいなくなったときと同じ時間に香港人も二人いなくなっている。一人は香港の宝石店のオーナーの娘で、もう一人はおそらくその従業員のようだ。」
何でそんな事が分かったのかと言うと、「マカオではその3人の行方不明者の尋ね人の張り紙が今町中に出ているんだよ」と、そんな事を聞かされたという事です

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それ以来全く78年以来情報がなかったものが、2005年になりましてテレビニュースで突然、また消息に触れることになったわけですけども、きっかけになった重要な本がこれです。
ジェンキンスさんがですね。
ジェンキンスさんの本はそのようにタイ人拉致の、まさにこの本から始まったというくらいの重要文献という事で、私の方では是非この本をタイ社会に問いたいという事で、本の版権を取得しましてすでにタイ語の翻訳を終えたところです。
現在出版のために準備にかかっております。
この7月くらいにはタイ国内で頒布できるのではないかという状況になっております。

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ジェンキンスさんの方からアノーチャの拉致の経緯と言うものが詳細に証言されております。
これは本の方には詳しくないんですけど、2005年の12月にですね。
アノーチャの家族と私の方で東京の国民大集会に参加した折に、ジェンキンスさんに面接の機会を救う会・家族会の方でアレンジして頂きまして、その中でジェンキンスさんから語られたアノーチャの拉致の経緯は次のようなものです。

マカオのアノーチャの店、これはマッサージ店、ここに2〜3人の男が数度訪れて「一緒に外に写真を撮りに行かないか?」と何度も頼まれたと。
アノーチャはどうも乗り気がしなかったようなんですけども、店のオーナーが、これはポルトガル人。
アノーチャに「お前、一緒に行けよ」と命令したわけです。
ボスが言うんでしょうがないんでアノーチャは行くことになるんですが、日中町を歩いて海岸で写真を撮っているうちに夕方になった。
浜辺に来たところで突然アノーチャを縛って猿ぐつわをはめた。
注射を打って、外から見えないような長い草が繁っているところにとりあえず寝かされたと。
その状態にした後犯人たちは、一旦車でどこかに去っていきまして、数時間経ったらまた戻ってきた。

戻ってきた犯人はアノーチャを担ぎ上げてですね、歩いて運んでいったと。
丘のようなところを越えていって農村の近くを通ったわけですけども、その時には「もし少しでも声を出したら、打ちのめしてお前を失神させるからな、絶対声を出すなよ。」
まぁそういう脅し文句を言ったと。
そしてマカオで船に乗せられます。
そうしましたら船の上に二人のアジア系の女性がいた。
2〜3日船の上にいまして北朝鮮に到着した。

アノーチャは船が北朝鮮のどこに着いたかは分からなかった。
そのまま平壌の招待所に連れてていかれて、ある日当局が招待所にいる人を庭に集めて一人ひとりを選抜したと。
「アノーチャ、お前はここの部署に行け」という事を言われまして、そこがジェンキンスさんのいる部署と言うのか、居住区域だったわけです。
このような事がジェンキンスさんの方からお話の中で分かってきました。

・・・その3に続く・・・

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月08日

07.4.10 海老原智治氏1 東京連続集会27(3)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その1』

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タイから参りました海老原と申します。
タイの方で、「北朝鮮に拉致された人々を救援する会・チェンマイ」という支援団体を立ち上げまして主宰しています。
救う会の方ではタイの連絡調査員という事で・・・(聞き取れず)いただいております。
今日はタイ人拉致、今現在判明しておりますのはアノーチャ・パンジョイさん1名ですけども、それにつきましてアノーチャさんの生い立ちを写真等を含めまして紹介いたしまして、それからタイ人拉致が判明した経緯、それから最近のタイにおける拉致に関する動きに関しまして約1時間ほどお話させていただこうと思います。

タイ人拉致被害者、今申し上げましたけども、判明しておりますのが1名です。
タイ人の女性、北部タイのチェンマイの出身でアノーチャ・パンジョイさん。
1954年4月12日生まれですので、今現在52歳になります。
4月になりましたらば53歳になります。

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1978年ですね。
5月の21日または7月2日に、出稼ぎ先のマカオから拉致されたことが明らかになっております。
この拉致が明らかになった経緯を若干振り返りますと、次のようなことです。
西岡先生からもお話ありましたジェンキンスさんの証言。
ジェンキンスさんと曽我さんが1980年から1989年まで9年間、平壌郊外に住んでいたときに、そこで米兵のラリー・アブシャーさんの妻として1980年にやって来たタイ人女性、それがアノーチャ・パンジョイさんである、という事です。

約9年間に亘って曽我さん・ジェンキンスさんと非常に親密な交際を続けて、89年に、ちょっと前後しますけども、最初の夫が米兵のラリー・アブシャーさんですけど、結婚後2〜3年で亡くなります。
ずっと独身時代を続けた後、1989年にドイツ人と結婚するという事になって、このドイツ人と言うのは北朝鮮に在住するドイツ人、名前も分からないという事ですけども、結婚することになってそのために北朝鮮当局によってどこかに転居させられた。
それがジェンキンスさん・曽我さんとの別れだったという事です。

それを曽我さん・ジェンキンスさんが2005年の5月に救う会・家族会の面接によって証言しまして、北朝鮮から持ち帰った写真もある。
それを示したわけです。
それがですね、2005年の10月にジェンキンスさんの「告白」と言う本が出まして、ベストセラーになったんですけども、そこに非常に詳細にアノーチャとの交際が記されていたわけです。
それが大きなニュースになりましたために、これがテレビのニュースになりまして2005年の10月の末に、タイのテレビで「アノーチャと言う女性について拉致されたのでは無いか?」と言う報道がタイで大きくなされました。
テレビがこれを取り上げた、そして写真も取り上げられました。

それを偶然アノーチャの家族がそのテレビ番組を見ておりまして、「これは私の家のアノーチャに違いない」ということでテレビ局に名乗りでまして、それがきっかけとなって身元が判明したという事になります。
従いまして2005年の11月に身元が判明致しまして、それから今までですから身元が判明してから1年半という事になっております。

私の方の活動を若干申し上げますと2005年の11月に、アノーチャさんの身元確認のために西岡副会長と増元事務局長がチェンマイの方でアノーチャの家族に面接をするという事をしまして、その際に私の方でお目にかかりまして「タイの方で何かお手伝いできる事はないか?」と申し出たことで、私がこの問題に関与し始めたきっかけとなっております。
その直後に支援団体を立ち上げまして現在に至っているわけです。

それではこれがこれまでのタイ人拉致被害者アノーチャのごく大雑把な経緯なんですけど、ちょっと写真を見ていただきながらアノーチャと言う人の半生を説明させていただこうと思います。
これはアノーチャさんの実家の写真です。

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今実家にいますのは実兄のスカムさんと言う方です。
スカムさんの写真写っていませんけど、ご両親はすでに亡くなっておりまして、特にお父さんは2005年にアノーチャの拉致が判明するわずか4ヶ月か5ヶ月前に94歳で亡くなっております。
今実家を守っていますのは長兄のスカムさんで、この方は2年前の国民集会にも参加しております。
このような木造の家で典型的な北タイの農村のごく一般的な家庭という感じです。

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アノーチャの個人情報ですけれども整理いたします。
姓がパンジョイさん、で名前がアノーチャ。
なぜかアノーチャと言う名前を改名しておりまして、これは元々はブアパーと言う名前であったという事です。
これは拉致の1年前、1977年にアノーチャに改名しております。
ニックネームはイット。
生年月日が1954年7月12日。
ずっとチェンマイに生まれてからずっといたわけなんですけど、その後バンコクに出稼ぎに出てまいりました。

失踪年月日が1978年の5月21日または7月2日、23歳の時。
この日取りですけれども、ちょっとまだ情報が錯綜しております。
確定しておりません。
これは失踪地マカオに同行した友人がおりまして、私どもも直接電話で何度か話をして直接聞いているんですけども、そこで言うのは5月21日だというんですね。
その人たちが言うには、アノーチャのビザが5月の30日で切れる予定であった。
ビザだかパスポートだかちょっと忘れてしまいましたが、だけどアノーチャは「もう延長しないよ、タイに戻るから」と言っていたので21日で間違いないといっているんですけど、マカオ当局の情報では新聞の方にですね。
二人のマカオ人女性と失踪したタイ人女性がいるという事が大きく報道されていまして、7月2日と言われていましてこの齟齬がちょっと情報を取っているんですけど、まだ分かっていません。

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アノーチャさんの家族構成、このようになっております。
両親がおりまして、お父さんソンさん、1911年生まれの方で2005年に先ほど申し上げましたけども、アノーチャさんの件がニュースになるものの数ヶ月前にですね。
94歳で亡くなっております。
この件、今実家を守っておりますスカムさんが言いますと、まさにですね。
「あと数ヶ月で娘の消息を伝えられたのに本当に残念だ」と繰り返し繰り返しスカムさん言っておられます。

お母さんのノイさん、この方はかなり早くに亡くなっておりまして、あまりアノーチャさんにはお母さんの印象というのはほとんど無いだろうという話です。
長子、3番、お姉さんがいます、ブンユアンさん。
この方は早くに亡くなっておられます。
で、第2子、4番目スカムさんですけど、これがアノーチャさんのお兄さん。
アノーチャさんは、ブユンアン、スカム、アノーチャの3人兄妹の末っ子であるという事です。
6、7、8はスカムさんの奥さん、それから息子さんになります。

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これがその家族の写真です。
一番左が甥のバンジョンさん。
その隣がスカム・パンジョイさん、アノーチャさんのお兄さんになります。
私を挟みましてスカムさんの奥さんのトーンさん。
これがスカムさんの孫ですね。
アノーチャさんとは面識のない、かなり下の世代になります。

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アノーチャさんがどんな人であったのか?
私ども何度も何度も尋ねているんですけども、家族あるいは友人と言う人が口を揃えて言うのは、次のようなことです。
非常に優しくて親切気のある人である。
それから友人が多い、社交的で友人が多い。
様々な物事に関心がある、知りたがりである。
度胸があって人を恐れない。
それから化粧をしたりして身なりを綺麗にするのを大事にする人。
移動や旅行が好きである。
このようなことが伝えられております。
そんな性格背景もあって失踪地・マカオに出稼ぎに行ったのでは無いか?と思われます。

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ではアノーチャさんが拉致されるまでの半生をちょっと詳しく見てみることに致します。
1954年にチェンマイ県のサンカンペーン郡のファイサーイ村と言うところで出生致しました。
出生時の名前はブアパーと言う名前だそうです。
1961年に同じ村にあります、ノーンセ寺小学校に入学いたしました。
1964年にここを卒業と言うのか修了していると。
これは小学校4年生なんですけど、当時タイでは小学校4年生までが義務教育でして、それをして卒業という事では無いんですけど、当時金銭的に豊かでなかった方は4年生修了で教育は終ったという方が多数いまして、義務教育修了という事でみなしております。

アノーチャさんもそのような経緯だったんですけど、それが終りましてすぐにもう10歳の頃からですね。
家業の手伝いに入りました。
初期のころは実家が農家であったために農業の手伝い、これは田んぼを作ったり果物を作ったりそれから葉タバコを作ったりという事を家がやっておりまして、その手伝いをわずか10歳の頃から行っていたという事です。
その後タバコ工場の雇われ人としまして、北部タイの各地の工場に行ったと。
これも極めて幼い頃でして、わずか10代の12〜3歳くらいの頃からそんな事をやっていました。
しかしタバコ工場の労働と言うのは非常にきつい労働でして、それは幼い女性には辛いという事でもうそういうのは辞めようと言う事で、家業の手伝いに専念してまた家に戻ってきたという事です。

そのようなことで家業の手伝いを中心に仕事をしていたんですけども、チェンマイ市内の職業技術学校に若干通いまして、美容ですね。
美容師になろうと思って美容を習ったと。
そんな事をした後には、今度は実家にいながら様々な農業関係の物品の販売を行なうこともあったと聞いています。

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これが小学生ごろのアノーチャさんの写真です。
それからこれが実業学校で美容を習っていた頃の写真だというのですが、すみません。
どれが、写真自体がきれいに出来ていないのですみません。

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これが先ほどの実家の写真に戻りました。
これは実家の家ですけども、この家につきましては甥のバンジョンさんがこのような事を言っています。
「1978年にアノーチャがいなくなってから、家は何度も建て直している」と。
しかし祖父、祖父と言うのはバンジョンさんの祖父ですからアノーチャの父、それからアノーチャの兄はそのたびに、「アノーチャが帰ってきてどこに帰って来たか分からなくならないように同じ形で直そう」という事で階段の形ですとか階段の前ちょっとベンチのようなところがあったりするんですが、それをまったく同じ形で直し続けてきたという事です。

・・・その2に続く・・・

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。
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