2007年05月06日

07.4.10 西岡力氏 東京連続集会27(2)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『西岡力救う会副会長のルーマニア訪問報告』

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今の話とマスコミの報道で大体お分かりと思いますけど、後でお話があると思いますが私たちはジェンキンスさんの本が出る半年くらい前に曽我さんに会ってですね。
日本の政府を通じてそれぞれの国の政府に情報提供をしたんですけれど、中々政府がたくさんいる失踪者から該当者を見つけ出すという作業は難しくてですね。
中々家族に辿り着けなかったんですが、タイではテレビの力で、ルーマニアではインターネットの力で、そして家族の人たちが諦めていなくて捜し続けていたという事があって、離れたところにある情報が結びついて家族が名乗り出ることになったという事を目の当たりにしました。

ルーマニアの場合は、一昨年の10月にジェンキンスさんの本が出まして、その直後にルーマニアの新聞が「ルーマニア人の被害者がいると本に書いてある」と言う記事を書いたんです。
しかしその記事を、ブカレストから4時間くらいの田舎に住んでいるガブリエルさんは気付かなくて、分からなかったんですね。
その記者はその記事を書いた後ですね。
いろいろ情報収集をしていたと。
我々は我々でルーマニア政府に情報を外務省を通じてお話していただいて、日本政府もそういう情報提供をしていたという事だったんですが、実はそのルーマニアの新聞記者が救う会のHPを見ていてですね。
救う会にメールを書いたというんですが、我々はそれに気がつかなくてですね。
返事が出せなかったと。

こちらは政府ルートで捜そうとしていたんですけども、向こうは個人的にしていて、それを我々が気がつかなかったという事もあってですね。
向こうも捜していてこちらも捜していたんだけども、気付かなかったと。
ガブリエルさんは新聞の紙は見なかったようですけども、仕事でコンピューターの修理をやっている方で、去年になってですね。
いろいろとネットをやっていたら、どうもルーマニア人の被害者がいるようだという事がだんだん分かってきて、それで自分ひとりでいろいろ情報を集めていらっしゃったようですけども。

一方ルーマニア人の新聞記者は、イギリスのドキュメンタリー監督が北朝鮮に入って、ドレスノクさんと言う人のインタビューをしていると言うのをネットで知って、イギリスのテレビドキュメンタリー監督に電話を直接かけたりして「情報をくれ」と。
「ルーマニア人に関することだけでいいんだ」と言ったけども、「いや我々もその映画が公表されるまでは取材の事を外に出せないんだ」と言われて、情報をもらえないでいたと。
そしたらですね。
今年の3月にそのイギリスの監督が作ったドキュメンタリー映画がアメリカのテレビで放映された。
それを家族のガブリエルさんがインターネットで、アメリカのテレビ局のサイトに入ってそれを見たんですね。

それで自分のお姉さんの名前と同じ名前の、ある程度ネットで情報を集めていましたから同じ名前だと思ってたわけですけども、その息子が、北朝鮮で生まれた息子の名前が自分と同じ名前だと。
ガブリエルと言う同じ名前で、尚且つその写真がフィルムに映ったもんですから、それがお姉さんの顔に似ているということで、これは間違いないんじゃないか?と思って、そこでルーマニアの記者の記事を過去に遡って辿りついていましたから、ルーマニアの記者に話をしたと。
ただルーマニアの記者の方もイギリスのフィルムを作っているという話は聞いていたから、それで確認をしてみてこれで間違いないと思って、家族が名乗り出たという記事を今年の3月に書いています。

ですから北朝鮮はですね。
多分イギリスの映画監督を北に入れてドレスノクさんのインタビューを取らせたのは、ジェンキンスさんが嘘を言っていると。
ジェンキンスさんが日本に来て、北朝鮮がタイ人を拉致しているとかルーマニア人を拉致しているとか酷い目に遭ったとか言っていると。
そんな事はないんだと。
脱走米兵は待遇を良くしていて、脱走兵が主体思想を信奉しているんだという事を言わせるために取材させたんですね。
ドレスノク氏はそういう事を言っているんです。
北朝鮮としてはジェンキンスさんの情報を否定しようとして取材させていて、それによってフィルムが出来てアメリカで放送されたと。

ところがそれをルーマニアで見ている。
ルーマニアでは放映されていないんだけど、そしてその一部に写った甥の写真を見て間違いないとなって、ルーマニアで新聞記事が出て。
それを我々はルーマニアで新聞記事が出たのを分からなかったんですけど、そしたらワシントンにあるですね。
自由アジア放送と言う、これはアメリカ政府がお金を出してやっている北朝鮮向けの短波放送なんですね。
外の情報を北朝鮮の中に入れるという放送局が、ルーマニアの新聞がそれを書いたのを情報を入手して、ラジオ放送でそれを流して、そのラジオ放送でやったものをまたネットで出るわけですね。

それを見て韓国の韓国日報と朝鮮日報が韓国語で報道して、それが韓国日報と朝鮮日報は日本語のサイトがありますから、それが日本語のサイトを見ていた人が分かって日本でも報道されて、その時私は丁度タイにいて、海老原君と一緒にいたんですけど、私のところに電話がかかってきて、そしてもう一回東京の社会部の私の知り合いの記者に「調べてよ」と言って電話したりしている間にどんどん話が進んで、日本のジャーナリストではNHKが一番最初にガブリエルさんのところへ行って、その後テレビ朝日が行って、朝日新聞が行ってインタビューを取って。

そこでその後、そこで多分朝日新聞だと思うんですけど、朝日新聞の記者の人からブカレストから救う会に電話がかかってきて、「ガブリエルさんが来週家族会と救う会の人が来るといっているんですけど、いつ来るんですか?」と言われて。
まだ連絡先も分かっていなくて行くことも決めてなかったんですけども、多分私たちがバンコクで記者会見をしたときに、「それが本当ならいかなくちゃならないと思います」とかと言ったら、それが報道されたのが、向こうはネットを見ていますから来てくれると思ってしまったみたいで、それ出来てくれるというふうに言われたと電話がかかってきたりして、それで我々は行くようになったという事で、情報がですね。

だからルーマニアと佐渡にある情報が、ルーマニアと佐渡が直結しないでロンドンがあったりワシントンがあったりしてですね。
韓国があったりしながら飛んで結局結びついて、調べてみたらば名前もドイナと言う名前で、家族もお父さんは軍人ということで、そして78年に拉致された。
大体アノーチャさんも78年、同じ年で。

それから後今回ですね。
ジェンキンスさんの本に書いてないことで我々確認しようと思ったのは、島田さんとですけども、去年の12月に東京で国際会議をやりまして、その為にジェンキンスさんに話を聞きに行ったんですね。
「ドイナさんについてもっと詳しく教えてください」と言って教えてもらった情報は、ドイナさんのお父さんが軍隊を辞めるきっかけについて教えてくれたんですね。
「軍隊の中であるパーティーが開かれて、そして軍の自分の上司の将軍との間でちょっとトラブルが起きて、それで軍を辞めさせられた」という話だったんです。

それで私もこの事が頭にあったもんですから、今回お母さんと弟さんに会って「お父さんが軍隊を辞めたいきさつを聞かせて欲しい」と言ったら、1958年に、ずいぶん早く辞めているんですね。
「軍隊の中でお父さんの意見と上司の意見が合わなくて辞めさせられた」と。
その後運転手をやったり、いろんな職業を転々としたと。
軍関係の職業には就いてないんですね。

トラブルがあって辞めさせられたというのと、意見の違いでというのは主観的な物の言い方の違いで、実態としては同じ事を言っていると思いまして、その事は本にも書いてないわけですから、事前に準備することができない情報も一致しまして、間違いないなという事ですね。
ジェンキンスさんと曽我さんが、ドイナさんのいろいろ写している写真を見て、ジェンキンスさんが「これは間違いない」と言っていることがありまして、間違いないと思ってるわけです。

後すみません、話がちょっと前後しましたけど、拉致された経緯。
イタリアに行って結婚して離婚して絵の勉強をしていたところ、香港で個展を開かせてやるとか。
私がジェンキンスさんから聞いたのは、「日本で絵の勉強をさせてやる」とか言われて騙されて北朝鮮に連れて行かれたというんですけども。
現場で聞いてきたのは、「イタリア人と恋愛をして美術学校の1年生の時に結婚をしてイタリアに行って、そこで絵の勉強を続けていて離婚をして、そして絵の勉強を続けていた時ある日本人を名乗る男性が近づいてきて、日本で画廊を持たせてやる」と言ったんです。
お母さんに「大変これはいい話だ」と言って、「うちの経済的な問題は全部解決する」と言って喜んで電話をして来たと。
そのいきさつも一致するわけです。

という事で、間違いないだろうというふうに思いまして、アノーチャさんのときもそうだったんですけど、間違いなければ一番心配なのは向こうでどういう暮らしをしているのだろうという事だと思いまして、行く前に曽我さんに電話をしてドイナさんの思い出を教えてくださいといったらば、「大変手先が器用な人だ」と。
「料理が上手くて、ミシンを買ってきて生地を買ってきて自分で型紙を作って服を作っていた」と。
「ロールキャベツとイタリア風サラダとピザの作り方を私は習ったんだ」と。
「それから生地からワンピースを作ってもらった」と。
「曽我さんと曽我さんの娘二人全部に作ってくれた」と。

いう話を聞いてその話をそこでしましたら、お母さんが涙が出てくるんですね。
どういう暮らしをしていたかと言うのが分かると思い出してしまうんですね。
そしたらガブリエルさんが「いや実はそのロールキャベツはうちのお母さんの得意な料理なんだ」と。
そして「うちの母もミシンで裁縫が上手いんだよ」と。
「それはうちの母から習ったんですよ」というふうに弟さんが言って、そしたらお母さんは、急に思い出を話してくださいといったら、「良い子で話を良く聞いてくれて、実は17歳年下のガブリエルが生まれた時、妊娠して歳が離れているから恥ずかしい」と思っていたら、ドイナが「お母さんそんなに恥ずかしがる必要は無い」と。
「可愛い子が生まれてくるから産みなさい」と。

「そして生まれてきた子に名前を実は娘のドイナがガブリエルとつけたんだ」と。
「私が裁縫の仕事をしていたり料理の仕事をしていたりすると、美術学校の勉強で忙しいにも拘らず、朝早く起きていつも手伝ってくれた」とか、わぁ〜と思い出を我々の前で話すわけですよね。
ここでもそれぞれの家族に思い出を語っていただきましたけど、それと同じで親は自分の子供の事をずっと覚えていているんだな、と。
そして一番やっぱり残酷なのは、どうなったか分からないでず〜っといると言うのは、文化とか体制とか関係なく本当に家族を苦しめていることなんだなと、拉致と言うのは本当に酷いことだなと実感して帰ってまいりました。

「ジェンキンスさんに会えるでしょうか?」と言う話をしましたものですから、「22日に国民大集会をします」と。
「そこに来てくださるのならば、是非我々の方で招待をしたい」と話をしまして、是非ガブリエルさんはという事で来てくださるということになりました。
以上です。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。


2007年05月05日

07.4.10 増元照明さん 東京連続集会27(1)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27
07.4.10 友愛会館にて

『増元照明さんのルーマニア訪問報告』

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皆さんこんばんは。
急遽飛び入りなんですけど、昨日ルーマニアのブカレストから帰って来ました。
西岡さんと二人で、ルーマニアの拉致被害者のドイナさんのご家族が判明と言うか名乗りを上げられたので、その家族の確認と、そしてもしその家族が間違いなければ、今月22日に行なわれる国民大集会に招聘するために二人で行ってきました。
4月4日から9日まで行ってきました。

とにかく4月の4日到着して4月の5日にドイナさんのご家族にお会いしました。
ブカレストから車で西へ大体3時間半くらいの町で、クラヨーヴァと言うところですけどそこにお住まいらしい。
そこにはドイナさんのお母さんとそれから17歳下の弟さんが来て頂きました。
本来なら二つ違いの弟さんもドイツから見えられる予定だったんですが、バスで移動中に渋滞か何かに巻き込まれて10時間ほど遅れてしまったので、会見の時間には間に合わなかった。
弟さんにお会いしたかったと私は思っています。

お会いした時に西岡さんから、日本で曽我ひとみさんに伺ったドイナさんの性格なり日常の話を、ドイナさんのご家族にしていただきました。
やはり曽我さんから聞いていたロールキャベツと言う言葉。
ロールキャベツと言うのはルーマニアで有名な料理の一つで日本のロールキャベツとちょっと違って、非常に煮込んであって酒のつまみには最高と私は思いますが、本当に日本のロールキャベツの概念とは違う。
本当に別のロールキャベツ。
だから曽我ひとみさんがロールキャベツと言う言葉をおそらく頭の中に浮かべて、ドイナさんと言うとロールキャベツと言う言葉が出たと思うくらい得意な料理ではなかったかと思います。

さらに洋服ですね。
型紙を作ってそれから洋服を作って、曽我さんと娘さんたちにも作ってくれたという話をさせていただいたんですけど、お母さんが裁縫が非常に得意で、おそらくお母さんから作り方をドイナさんが学んでいたのではないかと思いますが、そういった話を聞いているとお母さんがやはり涙ぐまれるわけですね。

ジェンキンスさんの本の中ではすでに亡くなったという話にはなっているんですが、それでも30年間聞いていなかった娘の一番新しい情報と言うか、それが聞けただけでも嬉しいというかそれだけで感激をされて、その話を持ってきた私たちに感謝をされていました。
残念ながら亡くなっているという事なので我々も喜んで話をするような雰囲気では無かったんですが、お母さんが非常に感激されて「私はこれで死んでもいい」と仰って。

私は「ドイナさんの家族がまだ向こうに残っていますので、彼らを取り戻すためにも元気でいてください」と申し上げましたけど、77歳と言う年齢で膝をだいぶ悪くされていまして杖を突いて歩いておられるようです。
今は療養中という事で息子さんたちとは一緒に暮らしていないようですけども、面会のために特別に出てこられて会っていただいたと言っております。
それだけ私たちの事を情報と共に、ドイナさんの話を聞きたいという思いが非常に強かったんだろうと思います。

その情報なんですけども、この話がまず最初にルーマニアで話されたのは平成17年10月13日付、・・・(聞き取れず)オブ・トゥディ紙の、ルーマニアではシェアの結構ある、2番目とか言っていました。
の新聞紙上で書かれたものです。
それはその担当記者がジェンキンスさんの本を見て、そしてルーマニア人拉致と言う事項を見まして、そしてそれを初めてルーマニアで報道したもので、それに対しもし被害者のご家族が見ていたら何かの連絡が来るだろうという思いで書かれたようです。
さらにその記者はいろいろな北朝鮮の拉致問題に関する事をインターネットで調べて、イギリスの北朝鮮に行った映画の関係者にも電話をしたそうですども、その映画に関しては事前に見る事は出来なかった。
非常にこのルーマニア人拉致に関して強い興味をもたれて書いておられたようですね。

その記事に反応したのがルーマニア人拉致被害者ドイナさんの弟さんなんですけれども、それが今年の3月になって、あれは何なんですか?
その件については後で西岡さんに詳しく言っていただきましょう。
とにかくインターネットと言うツールを使って世界中からいろんな情報を収集して、それを分析する能力があれば何でも分かるんだなと言う思いでちょっとびっくりしましたけど。
本当にブカレストから3時間半と言う片田舎ですけが、ネット環境がいいのかちょっと私にはあまり良い様には思えなかったんですが、そこでドイナさんの弟さんはIT関係の仕事をなされていて、パソコンの販売と修理をなさると言っていましたけど、それだけにパソコンには非常に強い知識をお持ちのようで世界中の情報を集めておられました。

我々二人のことも、大使館の書記官が私たち二人の事を説明しようとした時にも、すでに事前にその情報を得ておられておって私たち二人のことも書記官よりも非常に詳しい情報を持っておられて、それだけ拉致問題に関しても私のるみ子という姉の名前までも知っておりましたし、ドイナさんの事を集めるのに拉致問題を非常に研究されていたようです。
その弟さん16歳離れておりましたのでお姉さんに関する知識には多少の薄さはありましたけど、ただ姉を思う気持ちは非常に強かったようです。
弟さんのガブリエルさんの名前をつけるのもお姉さんのドイナさんが直接、ドイナさん自身がガブリエルと言う名前をつけたとお母さんから伺いました。
ですからそれだけドイナさんにとっても可愛い弟さんだったでしょうし、自分の名前をつけたお姉さんに対しても非常に愛情を持ったと感じました。

本当に思うんですけど、ドイナさん。
ルーマニアと言うのは皆さん大体、ちょっとチャウシェスクと言う名前が出てくると思うんです。
独裁政権という事でしたが、その独裁政権の中からようやくイタリアの人と結婚されて国を出られて自由な世界の中で生きてきたドイナさんが、再び北朝鮮の工作員によってさらに劣悪な独裁国家に連れ去られたんですけど、ドイナさんの非情な運命と言う事を思いますと、非常に悲しいというか可哀想というか以上に何と言うか、えもいわれぬ癒されることの無い非情さを感じます。

その劣悪な独裁政権の中で、病気になられて亡くなられたという事を考えますと、金正日政権の非道さを本当に痛感しますし、お母さんと弟さんを目の当たりにして本当に非情に同情と言うか、我々自身も実際拉致被害者でもありますし、さらに・・・(聞き取れず)として同情を申し上げたんですが、思っております。
ただ、曽我さんやジェンキンスさんは亡くなったという事ですが、それも亡くなった事にしろと言われた可能性もありますし、そればっかりは全ての真相がハッキリしない限りは、私は真実は分からないと思っています。
北朝鮮関係に関しては今表に出ている情報とか、真相と言うのはほとんどまず疑ってかかって、そして最終的な真相はやはり全ての拉致被害者が明らかになり帰ってきて、全ての真相が明らかになる時だと思っています。

4月6日にはルーマニアの外務次官、ミハイ・ギョルギウという外務次官、まだお若いんですけど1967年生まれです。
その方はチャウシェスク政権の時に捕まって、民主化運動のリーダーとして活動されてきた方のようです。
ですから人権と言う観点から非常に思いを持ったというふうに思っておりました。
その思いを、私たちも人権問題に関しても人権と言う観点から攻めてお話しました。
ただ、ルーマニア政権も混乱している状態です。
大統領と首相が仲が非常に悪くて連立を解消するかどうかと言う厳しい状況の中におられます。
外務大臣が更迭されたばかりで新しい外務大臣を任命するという状況で、それを新しい大統領が認めるか認めないかで揉めている状況で、外務省自体もバタバタバタバタしていたようです。

ただ外務次官はそのまま留任するのではないか?と言う話でしたのでお会いしました。
私たちお会いしたんですけども、ルーマニア人拉致被害者に関しては外務省としてはまだ特定していないという事を仰っています。
テレビで名乗り上げたご家族に関してはまだ確認もされていないですし、ドイナさんの弟さんにもまだアプローチをしていないという事を政府として申し上げましたし、そしてドイナさんの弟さん、ガブリエルさん自身もそう仰っていましたので、まだほとんとそこまで行っていないのが現状です。

私たちは先ほど言ったように人権の運動家ですから、北朝鮮と言うもっと酷い独裁政権の国で苦しんでいるドイナさんの家族を助けるという気持ちでやっていきたいと強いメッセージは送ったんですが、反応としてはいまひとつ、すぐに動いて救出に向かうとかすぐに動いて事態を打開するというような段階には来ていないように感じられました。
ただルーマニアの国民全体が今ルーマニア政府に対して非常に不信感を持っていて、国民自体もルーマニアの政府が動いていないという、何に関しても拉致問題もそうですけど、いろんな政治の動きの中に非常に鈍いというそういう感覚を味わいました。

ここで、・・・(聞き取れず)という新聞なんですけども、ここに我々の訪問とそれから面会の記事が出ております。
こういった記事でルーマニアの中でも拉致問題と言うのがどんどん浸透させてもらいたいと思いますし、一応ルーマニアはEU諸国の方に最近入ったようですので、まずEUに対しての働きかけもしていただきたいと思っています。
フランス人イタリア人拉致と言う、今は非常任理事国と理事国として安全保障理事会で発言権もあるイタリアとフランス人の拉致被害者が大きく報道されるようになれば、2カ国がやはり北朝鮮に対して厳しい制裁を、拘束力を持つ国連安全保障理事会での制裁強化につながると私は思っていますので、この私たちの訪問、そしてルーマニア人拉致被害者の名前が特定されたことによってヨーロッパでの北朝鮮による拉致被害、外国人拉致の認知度が高まり、そしてフランス政府・イタリア政府・EU諸国が動いてもらえる事を期待しております。
以上です。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

★タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27 テキスト一覧表

タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27
07.4.10 友愛会館にて

1 増元照明さんのルーマニア訪問報告
http://piron326.seesaa.net/article/40854575.html

2 西岡力救う会副会長のルーマニア訪問報告
http://piron326.seesaa.net/article/40948405.html

3 海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その1
http://piron326.seesaa.net/article/41174683.html

4 海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その2
http://piron326.seesaa.net/article/41281700.html

5 海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その3
http://piron326.seesaa.net/article/41370280.html

6 飯塚繁雄さんのタイ訪問報告
http://piron326.seesaa.net/article/41734994.html

7 西岡力氏・海老原智治氏の講演
http://piron326.seesaa.net/article/41879372.html

8 横田滋さんのお話
http://piron326.seesaa.net/article/41969582.html

9 本間勝さんのお話
http://piron326.seesaa.net/article/41969775.html

10 横田早紀江さんのお話
http://piron326.seesaa.net/article/41969973.html

11 質疑応答
http://piron326.seesaa.net/article/42123632.html
posted by ぴろん at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母の涙

特攻の大叔父の62回目の命日に合わせて、昨日靖国参拝をして参りました。
昨日のBlogにも紹介したように、今回は拉致問題の支援活動で知り合えたお仲間を誘い、私と私の母を含めると総勢14名の大所帯での一日となりました。

参加者には靖国境内内の大村益次郎像の下に集合してください、とお願いしました。
言いだしっぺの主催者が遅刻をしては話にならないので、30分ほど早めに行って参加者のお出でをお待ちしました。
事前の約束どおり、次々とお誘いしたお仲間が集まって来てくれる光景に、まずは胸が熱くなりました。
連休の最中、それぞれに忙しい時間を割いて集まっていただける。
それだけでも靖国の社におわす大叔父の御霊はさぞかし喜んでくれたことでしょう。
何しろ明るく朗らかでどこに行ってもすぐに仲の良い友達を作る名人だった大叔父は、賑やかなことのたいそう好きなひとでもありました。
昨日の団体様ご一行の参拝を一番喜んだのは、私でも母でもなく、特攻の大叔父その人であろうと思っております。

私がこの参拝で参加者の皆さんに一番見てもらいたかったもの。
それは一番の近親者である母の涙でした。
戦後62年の年月を経て、大叔父の戦死時7歳の少女もすでに老年の域に入っております。
まだまだ元気ではありますが、体の衰えはやはり隠せない。
しかし、その母が靖国に参り、叔父の魂に触れた瞬間、一瞬にして7歳の少女に逆戻りしてしまう姿を理屈抜きで見てもらいたかったのです。

この参拝に合わせ、大叔父の人となりを知ってもらうために、事前に私はたくさんの資料を準備しました。
神雷桜の前で、遊就館の桜花の模型の前で、私は大叔父の生涯や家族としての思いなどを拙い言葉で語りました。
でも、そんなものは家族の心情を伝える力の1%にも満たない。
それよりも何よりも生前の大叔父を知る母が、神雷桜の幹に抱きついて号泣する姿をとにかく見て欲しかった。
それを見て何かを感じて欲しかった。
そして感じた何かを、それぞれの参加者が今後の糧にしてくだされば、それが何よりもの大叔父の供養になる。
私はそう考えたのです。

実際、靖国の神門をくぐると同時に神雷桜に駆け寄り、桜の太い幹に抱きつくようにしていきなり号泣を始めた母の姿を見て、びっくりした参加者もいらっしゃいました。
参拝後の懇談会の席で、私が参加者に感想を聞いて回った時も、あの母の姿に驚いたと仰ってくださる方は少なくありませんでした。

遺族の感情を言葉で語る事はいくらでも出来ます。
でも言葉以上に語るべき何かは、やはり生身の遺族の姿を見て感じてもらうのが一番良い。
それが今回大勢のお仲間にお声かけをさせていただいた一番の理由でした。
そしてその思い通り、それぞれの心に遺族の思いは通じてくれたものと私は信じております。

短い生涯を特攻と言う形で閉じた大叔父。
その叔父さんが大好きだったという母は、叔父さんの話になるといつも涙ぐんでしまう。
ゆかりの場所を訪ねれば、一瞬のうちに7歳の少女に戻ってしまう。

特攻は出撃したが最後、いつどこでどんなふうに死んだのか?誰にも分からないのが普通です。
だから多くの遺族は、本当に自分の息子や兄弟が特攻で死んだのかどうかが、はっきりと認識できない場合がほとんどであろうと思います。
もしやどこかで生きているのでは?という淡い期待を捨てきれず、長年苦しむ方も少なくなかったことでしょう。

しかし、うちの大叔父の場合は、桜花といういわゆる人間爆弾での特攻だったため、特攻の瞬間を目撃した生き証人がいるわけです。
叔父の搭乗した桜花を牽引して沖縄へと飛んだ母機の一式陸攻は、奇跡的に鹿屋基地への生還を果たし、その乗組員だった人が大叔父の最期を千葉の生家に伝え、さらに大叔父の出撃の様子を手記と言う形で後世に伝え残してくれました。

否が応でも大叔父の死を家族は受け入れなくてはならない。
でも大叔父の特攻の瞬間の目撃者が生還し、その方が戦後を生き延びてくださったおかげで、私たち遺族は大叔父の特攻の詳細を敵方への戦果まで含めて知ることが出来る。
これもまさしく稀有な事例である事は間違いのない事実なのです。

威張るわけではありませんが特攻隊員の遺族である事は、それ自体がすでに稀有な存在でもあります。
それに加えて、大叔父の出撃から特攻の瞬間、戦果まですべて辿れる我が家のようなケースは本当に稀であるとも思います。
その立場にいる私たち遺族に課せられた使命とは何なのか?
そういう自分の立ち位置と言うものを考えた時、私は特攻の大叔父について語りつがねばならないと思いました。
例えどんなに拙い言葉でも、一人でも多くの方へ、大叔父の短い生涯の意味を伝えねばいけない。
それをしなければ、命をかけて7歳の姪っ子を護るために沖縄の海に命を散らした大叔父の魂に申し訳が立たない。
そんなふうに私は感じているのです。

62回目の大叔父の命日に靖国神社へ一緒に参拝しませんか?と呼びかけたのも、ひとりでも多くの方に遺族の思いを知ってもらいたかったから。
その遺族の思いを言葉以上に雄弁に語るのは、母の涙に他ならない、と私は思うのです。

昨日の経験が参加してくださった皆様の心の中で、どのように受け止められてどのように昇華されていくのかは私には分かりません。
けれど、母が号泣する姿には強烈なインパクトがあった事だけは、間違いの無いことだろうと思っております。
後は昨日感じた事を、それぞれの今後に活かしていただければ良い。
そして亡き大叔父の思いを、参加してくれた皆さんがそれぞれの言葉で周囲の人に伝えてくれたらば、それが何よりも大叔父の魂を引き継ぎ、次の世代に伝える力となるであろうと私は信じております。

靖国におわす私の特攻の大叔父さん。
昨日の参拝はいかがでしたでしょうか?
あなたの魂に会うために、全くの赤の他人である人々が大勢集い、あなたの魂に向けて静かに頭を垂れてくださいました。
あなたが残しおきたいと願った心をひとりでも多くの方に伝えるべく微力ながら奮闘した私ですが、昨日の参拝の様子を見て大叔父さんは喜んでくれたでしょうか?

特攻の大叔父さん、石渡正義、享年21歳。
沖縄本島西方の伊江島近海にて、昭和20年5月4日午前8時55分、その若い命を散らす。
あなたが命をかけて護った石渡家の一人、当時7歳の姪っ子である母は今年69歳となり、おかげさまで叔父さんの歳の三倍以上も元気で生きたことになります。
それもこれも、あなたが命をかけて護ってくださったおかげ。
あなたの家族を思う命がけの愛に応えて、これからも日々を過ごしていくであろう母と共に、私も自分の生を全うします。
いつか三途の川を渡ってあなたに会うときに、恥ずかしくない自分でありたいと日々願いながら・・・
posted by ぴろん at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

62回目の5月4日

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当Blogをご愛読くださっている方にはすでにご存知のことと思いますが、今日5月4日は、特攻の大叔父の62回目の命日です。
今年、私は大叔父の命日に合わせて靖国神社へ参拝する事を思いつきました。
拉致問題の支援活動で知り合った方に、もし宜しければご一緒しませんか?とお声かけをしたところ、連休中にも関わらず13名の希望者が集まりました。
これには正直、言いだしっぺの私の方がびっくりです。

今年の5月4日もさっぱりと晴れたいい空模様となりました。
世の中はゴールデンウィークの真っ最中。
行楽、帰省、あるいは農家であれば田植え作業など、それぞれに楽しく忙しい時間をお過ごしのことであろうと思います。
でも62年前の今日、決死の特攻で沖縄の海に若い命を散らした人が現実にいた。
その事に思いを馳せてくださる方は、今の時代どれくらいいらっしゃるのでしょうか?

大叔父の搭乗する桜花を牽引した母機の一式陸攻は、62年前の今日午前6時5分、鹿児島県の鹿屋基地を離陸。
午前8時25分には「では、往きます」の言葉を残し、特攻機桜花に乗り組みました。
そして8時55分、沖縄本島西方の伊江島付近でアメリカの掃海艇「ゲーエティ」に向けて発進するも、敵の対空砲火を受けて「ゲーエティ」の左舷後方20メートル手前で墜落爆破。
桜花の破片と搭乗員の肉片が飛び散って、「ゲーエティ」の乗組員3名が負傷したそうです。

20メートルも離れたところから大叔父の肉体の一部が飛び散って、乗組員を負傷させたという。
一体どれほど物凄い爆破の光景がそこにはあったのか?
敵兵に負傷をさせたという大叔父の肉体の一部とは一体どこなのだろう?

大叔父は母機の一式陸攻の乗組員に最期の別れを告げる時、笑みさえ浮かべていたという。
しかし、その境地に至るまで、どれほどの葛藤が彼の中にあったのか?
その事を深く考えてくださる方は、今の時代どれほどいるというのだろう?

ある人は特攻は犬死であり洗脳であるという。
またある人は特攻隊員は英雄であり、勇壮に華々しく死んだという。

直接の遺族である私には、そのどちらの言い分にも微妙な違和感を感じています。
大叔父はあくまでも一人の人間、故郷を思い家族を思うごくごく普通の人間であったはずです。
ごく普通の若者に過ぎない大叔父が、決死の特攻に至るまでには、凡人には及びもつかぬ葛藤の日々があったはず。
それを乗り越えるには、どれほどの苦悩があったのか?
それを分かった上で、世の人々は特攻について語ってくれているのでしょうか?

物事には常に表と裏があり、光と影がある。
それを忘れて、自分のイデオロギーにとって都合の良い部分だけを引っ張り出して、特攻による死を自己主張の種にはして欲しくない。
まずはゆがみの無い目でありのままの特攻隊員の苦悩の日々を思って欲しい、と私は思う。

まだ歳若い大叔父が、最後にはそういう悟りの境地にまで辿り着けてしまった事が、私にはとてつもなく切なく悲しい。
今の私に言えるのはただその一言のみです。

大叔父の命がこの世から消えた午前8時55分。
自宅の庭に出て沖縄の方に向かって私は合掌し、黙祷をささげました。
そして今年も頭の上に広がった青い青い空に大叔父への思いを馳せました。

今日はこれから母を連れて靖国神社へ、特攻の大叔父に会いに行きます。
大叔父が命をかけて護った可愛い7歳の姪っ子も、今年69歳になりました。
年月の経過とともにだいぶ古くなってしまった姪っ子ですが、それでも命をかけて護った肉親が靖国に会いに来てくれれば、大叔父もさぞかし喜ぶことでしょう。

叔父さん、これからあなたの魂のいる靖国に可愛い姪っ子が参ります。
姪っ子の未来につながる私も同行します。
賑やかなことの好きだった大叔父さんに是非会いたいと、今年は13名もの友人・知人が同行してくれることになっています。
だから叔父さん、今日も楽しくお話を致しましょう。
靖国の社でしばしお待ちくださいませ。
posted by ぴろん at 09:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

07.4.22 シュプレヒコール〜閉会 国民大集会(25)日比谷公会堂にて

「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

『シュプレヒコール(発声:西岡力氏)〜閉会』

★司会 櫻井よしこさん

再び週刊新潮に書いている櫻井ですが、(会場笑い)私の背後に北朝鮮なんぞおりません。
私の同僚の背後にもいないと考えております。でも日本には本当に変なメディアがたくさんあります。
そう言うメディアに対しては、購読を止めることが一番の正解です。(拍手)
さて時間がほんの2〜3分あります。

西岡さんにシュプレヒコールをリードしていただきたいと思います。
宜しくお願いします。みなさんご起立をお願いします。

★西岡力さん 

四つの垂れ幕が下がっています。あの四つの垂れ幕が、今日のスローガンであります。
私が向こう側から読みますので、最後の所、
       『救出しよう』
       『返せ!』
       『許すな!』
       『救出せよ!』
のところを、力の限り、平壌にも届くように、北京にも届くように宜しくお願いします。
・・・・・
それでは行きます。

 ◆制裁の強化、国際連携で、全ての拉致被害者を救出しよう!
    救出しよう! 救出しよう! 救出しよう!

 ◆金正日政権は全ての拉致被害者をすぐに返せ!
        返せ! 返せ! 返せ!

 ◆国際社会はテロ国家北朝鮮を許すな!
        許すな! 許すな! 許すな!

 ◆日本政府は全ての拉致被害者を1日も早く救出せよ!
    救出せよ! 救出せよ! 救出せよ!


ありがとうございました。

★司会 櫻井よしこさん 

どうも皆さんありがとうございました。
このシュプレヒコールをもって、拉致問題を必ず今年中に解決するという決意を持って、今日の大会を終了したいと思います。
どうも皆様方ご参加ありがとうございました。
韓国の方もありがとうございました。ブルガリアの方もありがとうございました。
タイの方もありがとうございました。
国会議員の皆さん、地方議員の皆さん、会場の皆さん本当にありがとうございました。
どうぞ階段などお気をつけてお帰りください。
どうも本当にありがとうございました。

・・・集会終了・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。
※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

2007年05月01日

07.4.22 佐藤勝巳救う会会長 国民大集会(24)日比谷公会堂にて

「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

『佐藤勝巳 救う会会長による閉会の辞』

★司会 櫻井よしこさん

さてこの人なしには、救う会もありえません。
閉会の辞を佐藤お願いします。

★佐藤勝巳 救う会会長

Img_2907.jpg

ご紹介いただきました佐藤勝巳でございます。
主催社を代表して閉会の挨拶をさせていただきます。
お聞き及びのように、安倍内閣総理大臣、並びに官房長官のご出席を頂きまして、つまりどういう事かと言いますと、民間三団体の主催に、政府の最高責任者のご出席を頂いたと言うことは、この運動にとっては、本日の集会はやはり画期的な事であったというふうに思っております。

しかし、画期的ではあったんですが、政府の最高責任者が『拉致を断固としてやりますよ』と言うご発言を頂くのに、10年を歳月を要しました。この10年という歳月が我が国にとって何を意味するかと言うことです。短かったか長かったのかです。運動をやってきた私の実感から言えば、ここまでダメになった国が、よく10年で持ち直すことができた。

有本嘉代子さんのお母さんは、『日本は素晴らしい国ですよ』というお話をされましたけれど、しかし、素晴らしいという側面と、同時に自国の国民が、暴力によって拉致されていることが、内閣の責任者が出てくるのに10年を費やしたと言うこと、これは、素晴らしいということと同時に、少し長すぎはしなかったかと言うことです。(拍手)

それから、運動、この10年の中の一番の困難は、家族会、救う会、議連などが作られて最初の5年間は、非常に辛い戦いの連続でした。いや、簡単に言うと、家族会の皆さん、まぁ横田夫妻を始めとして、街頭に立とうが、集会をやろうが、集まってくる人たち、関心を向けてくれる人たちは、本当にごく少数の人たちだった。

その5年間をやっぱり、頑張り抜いた。先ほど、有本嘉代子さんが、最初は、誰のところにいっても相手にしてもらえなかった。この相手にしてくれなかった、政府もそうなんですが、国民もそうでしたよね。

これからの新しい運動に繋げていくか?

これは、幹事会にもかけていませんが、私個人は次のように考えております。
本日をもって救出運動の質の転換を計る必要があるのではないか?(拍手)
家族の皆さんを救出運動の前面に立ててきた。そうすると、家族の訴えですから、ものすごい説得力があります。迫力があります。そして、多くの国民が『あの人達は気の毒だよね』ということで運動が進められてきた側面が非常に強かったというふうに感じております。

しかし、ご案内のように、さきほど家族会の増元事務局長から報告がありましたとおり、横田ご夫妻について言えば、その他の家族の皆さんについても、まぁあまり言葉は良くありませんが、この10年間で、ボロボロになりましたよね、体が。そうしなければ、自らの同胞が拉致された運動が発展しないという水準にいまだ、留まっているのだと思います。

そこをどういうふうに脱却していくのか?
これからが本当の正念場だというふうに思っております。(拍手)

一言だけ触れさせていただきますが、金正日政権は必死です。
この拉致の運動を潰すためにあらゆる手を尽くしてきております。
時間がありませんから具体的な事に触れる余裕はございませんけど、向こうは、この拉致の運動を潰してしまえば、国交正常化が出来る、日本から金を取ることが出来る。するする、どういうことか?家族会、救う会を分裂させることです。一貫して、その工作はずーーと続いてきました。我々はそれに対して、皆さん方、国民の目とは全く見えないところで、激しい戦いをこの10年、繰り返して参りました。

そして、今私が申し上げたとおり、運動の質的転換を図らなければならない。
それは被害者家族に依拠するのではなく我々国民の一人一人の力によって、一志(? はっきり聞き取れず)訴え、奪還をしていくという方向に持っていくことが、被害者に対する、僅かではあるけども、報いではないかというふうに私は考えています。(拍手)

そこで、今計画をされているのが、6月15日、和歌山県に於いて、救う会和歌山主催、和歌山県並びに和歌山の拉致議連の共催ということで、集会を計画いたしております。それに、全国協議会、家族会が支援団体、そして、政府の方にも今お願いしているんですが、拉致対策本部、外務省、法務省等々の関係行政機関も支援団体として参加をしていただく。そうすると、北朝鮮人権法に記されているように、国が、地方自治体が、国民が救出運動をやっていく、そのモデルケースとして今、密かに準備をいたしているところです。(拍手)

ご参加の皆さん方に置きましても、特に救う会の皆さん方に置きましても、是非とも、今のような形で、全国で集会を企画していただければ、我々東京の方は、全力を挙げて応援に入りますし、我々は一層中心になって、大国民運動を推進をしていきたい。そうすることが、拉致の奪還につながります。

安倍さんが総理大臣になって、直ぐ翌日かなにかに私達、家族会、救う会の幹部と会う機会があって、その時に私は安倍さんに今まで、救う会、家族会は、政府が前面に立って救出をしなさいと、その署名が全国で560万、『もうこれで安倍さんが対策本部長になったんだから、救う会は解散して良いですね』と言う話を安倍さんにしたんです。そうしたら、安倍さんが私の発言中、終わらないうちに、『いやいや、いやいや、そんなことをされては困る、今後ともしっかりと政府を支えて欲しい』と言う話をされておりましたけれど、これは、一人政府が前面にたてば解決をするといったそんな甘いものではないです。

向こうは、金正日政権は必死ですから、これから、いろいおいろいろ手を変え品を買え、攻撃をしてきます。
先ほど有本嘉代子さんが怒りを込めて、『一体週刊誌はなんだ』と言って特定(匿名と聞こえるが、特定の意と解釈)の名前を挙げて、怒りを表明されていましたけれども、あの背後に全く北のひもがないのかどうかと言うことであります。(拍手)

私たちは、その意味で高度な警戒心を持って、政府とは一緒に運動はやりますけれど、相対的独立性をもって、大国民運動に発展させていきたいと考えております。

変わず、今後ともご支援をお願いします。
本日はありがとうございました。(拍手)

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※このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。
※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

07.4.22 松原仁拉致議連事務局長代理 国民大集会(23)日比谷公会堂にて

「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

『松原仁 拉致議連事務局長代理による大会宣言朗読』

★司会 櫻井よしこさん

拉致議連事務局長代理、松原仁さん、大会宣言をお願いしたいと思います。(拍手)

★松原仁 拉致議連事務局長代理

Img_2905.jpg

ただ今ご紹介いただきました松原仁でございます。
今日この日比谷公会堂にお集まりの皆様の総意を結集して、我々は鉄のような(? 聞き取れず)強い意思を持って北朝鮮から全ての拉致された人たちを奪還する、その想いを込めて、大会決議案を朗読させてもらいます。

決議案

◆国民大集会決議

 拉致被害者救出運動を始めて10年がたった。いまだに多くの被害者を助けら
れないでいる。その口惜しさと怒りをかみしめながら、ことしもまた、私たちは
国民大集会を開いた。

 しかし、制裁と国際連携による圧力という二つの柱を掲げた私たちの運動はこ
の1年、大きな成果を挙げた。

 政府は総理を本部長とする拉致問題対策本部を設置し、全被害者の安全確保と
即時帰還、真相究明、実行犯引き渡しを強く求めている。国会は北朝鮮人権法を
制定し、全国各地の自治体と地方議会も各地の救う会とともに写真展や集会開催
などに積極的に動いている。

 今日の大会に、韓国、タイに加えて初めてルーマニアからも拉致家族が参加す
るなど国際連携も広まった。日本の厳格な法執行と単独制裁、米国の金融制裁、
国連安保理の制裁は効果を上げてきた。

 窮地に追い込まれた金正日政権は、核問題で対米融和姿勢を見せる一方、「拉
致は解決済み」という開き直りをつづけ口汚く日本を非難している。米国はマカ
オの銀行の犯罪資金を全額北朝鮮に渡すなど原則に反する譲歩をした。日本国内
でも「バスに乗り遅れる」などとして、拉致進展なしの北朝鮮支援を求める暴論
が一部から出た。

 まさに拉致問題は正念場だ。すべての被害者を取り戻すまで日本は圧力を強化
しつづけるという毅然たる国家意思が強く求められている。

 私たちは次の点を強く求める。
1.金正日政権はすべての拉致被害者を返せ。
2.日本政府は、すべての被害者が返ってくるまで、北朝鮮への制裁を強化し続
け、一切の支援をするな。
3.米国政府は北朝鮮テロ支援国指定解除を行わず、犯罪資金への金融制裁を強
化せよ。韓国盧武鉉政権、中国の共産党政権は、拉致というテロへの加担を意味
する金正日政権への支援を中止せよ。

2007年4月22日
「拉致被害者全員の即時返還を求める国民大集会」参加者一同

以上であります。宜しくお願いします。(拍手)

★司会 櫻井よしこさん
 
皆さんの盛大な拍手でこの決議案は了承されたものとみなします。(拍手)
ありがとうございます。

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※このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。
※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

07.4.22 櫻井よしこさん 国民大集会(22)日比谷公会堂にて

「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

『櫻井よしこさんのコメント』

★司会 櫻井よしこさん

ありがとうございました。
毎週、週刊新潮にコラムを書いている櫻井でございます。(拍手と笑い)
週刊現代にも時々、登場しております。

有本さんのお母様がおっしゃいました。この拉致問題の解決は、有本恵子さん、そして、めぐみさん、一人一人の問題ではないのだと。
日本国民が、この国家主権を侵された場合どう対応するのか?
日本は果たして国家なのか?私たちが住んでいるこの社会は、果たして国家たり得るのかということを、この拉致問題を通して考える。もし、答えが“ノー”ということであるならば、この国を本当にまったき国家にしていかなければならない。(拍手)

そういう意識でこの拉致問題にそれぞれの立場で取り組むことが、拉致問題を1日も早く解決していくことにつながるんだということを、有本さんのお母さん、早紀江さん、横田早紀江さんがおっしゃってくださったと思います。

私たちは戦後60年あまり、優しい国家であってきましたけれども、優しさだけが全てではない。本当の強さを持った優しさでなければ、それは、“いくじなし”ということになります。(拍手)

先程来、たびたび言っております。
私たちは是非この拉致問題を解決しなければいけない。
日本人のためにも、韓国人のためにも、タイの人のためにも、世界中の人のためにも。
日本が本当に国家として、この問題に強いリーダーシップを発揮するならば、中国などに負けるものではないんです。(拍手)
あの北朝鮮の暴挙の裏に中国の支持がある。金正日が生き残っているのは、中国の支持があるからこそだということを、再びここに、肝に銘じたいと思います。

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※このエントリーのテキストはmomoedakeさんの手によるものです。
※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

07.4.22 横田早紀江さん 国民大集会(21)日比谷公会堂にて

「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

『家族会の訴え3 横田早紀江さん』

Img_2903.jpg



★横田早紀江さん

皆さん、こんにちは。
本当に長い長い時間、このように私たちを支えてくださいまして、安倍総理にまでようやく私たちの気持ちが。
安心して、総理を信頼してお任せできるという方が就任してくださっ田中で、拉致問題が動き出していると思います。

本当に今、有本恵子さんのお母さんが仰ったことに尽きるので、非常に難しい政治家の方の個人個人の問題と言うのは見えないので、私たち分かりませんけども。
本当に人の命を横において自分たちの私利私欲、権力を自分のものにしようと言うそういうふうなことからそういうすうな事になって、子供たちの命がだんだん向こうに追いやられてきたのでは無いか?とそういう思いはいろんな所で感じていましたので、今までは悲しいことだなと思っておりました。

けども今こうして10年の活動でいろんな事がありましたけども、議連の先生をはじめ救う会の皆様方や多くの国民の方々の温かいご支援を頂きながら、具体的な本気である具体性というもの。
私たちが何か言葉だけで言って動かなければ何も動かなかったんです。
みんな動いて、これじゃいけないんじゃないか?こうじゃないか?という事を突きつけながら一日一日を大事に本気で動いてきたこと。
刹那刹那を大事にして、言葉に出して皆さんに訴えて、そして政府に訴え政府の皆様「そうだ」と思う方が就いてくださったという形になって来て。

めぐみの事だけを考えても20年間何も分からなかった。
本当に芥子粒ほども姿も何も消息も分からない20年間と言うものがあったのに、やはり皆さんと一緒に、国民と一緒にみんな日本中が怒って動いてきた中で、こんなに明らかにめぐみの事が出て来たわけです。
(北朝鮮は)生きていないと言っていますけど、私たちは生きていると思いますが(拍手)、めぐみが結婚した時の結婚式の写真だとか、それから孫のキム・ウンギョンちゃんの1歳の誕生日の写真だとか。
私たちが本当に考えてもみたことのないような、あのような写真が、成人しためぐみの姿が、非常に厳しい顔をしていますので私たちとしては、朗らかで明るいめぐみの感じとは全く違った顔をしているなと思いますけども。
あんなふうに大きくなっていたんだと。
そしてあんなに大きな子供が、この悲劇の中にあっても元気に育っていたんだという不思議な命の過程を考えさせられることでありますけども、本当に私たちは皆様に感謝しています。

たくさんの方の温かい、物心両面の温かいご支援の中でこうやって今日まで頑張ってくることが出来ました。
本当に具体的な本気、刹那刹那の大切な本気、重要性という事を、一人ひとりが、「自分の子供がこうなったら気が狂っているんじゃないかと思う」って、いろんな外国の高官たちが仰っていましたけど。
それほど私たちは気が狂いそうな、一生懸命考えたら気が狂いそうな、死んでしまった方が良いと思うほど、悲しいことなんです。

けれども何とかして子供たちを、あの状況の悪い中から取り戻して自由にさせてあげている姿をちょっとでも見たい。
一回でも会って話したいと思うだけで一生懸命頑張っておりますので、どうかこれからもご支援いただきますよう、そして本当にたくさんの議連の先生方や救う会やたくさんの方々。
そして他にもたくさん、今日は外国からも多くの方が見えましたけど、こんなところまでも明らかにされてきたという事。

私は神様を信じていますので、神様にとって何一つ隠された所はない。
必ずすべてが明らかにされるという言葉があります。
見えるところの物も、見えない人の心の中もすべてが表に明らかにされる時が来ると私は信じていますので、どうか私たち一人ひとりが、先ほどの西村先生のお言葉のようにせっかく頂いた人間の皮の中にある知恵をたぎらせて、正義の血をたぎらせて、一生懸命に最終目的まで頑張りたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

★増元照明さん

ありがとうございます。
今朝行なわれました家族会のすべてのメンバー、今の安倍政権の対北政策に全員支持を出しております。
今後週刊誌等々で家族会の名を語った方が安倍批判をした場合は、その新聞社は謝罪をしていただかないとならない事になるかもしれませんので、もう一度言います。(拍手)
家族会は全面支持で、安倍政権の対北政策を支持しています。
自民党の皆さん、民主党の皆さん、公明党の皆さん。
家族会はその立場にいる事を、全議員に伝えていただきたいと思っております。(拍手)
今後ともよろしくお願いします。(拍手)
ありがとうございます。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。

07.4.22 有本嘉代子さん 国民大集会(20)日比谷公会堂にて

「拉致被害者全員の即時帰国を求める国民大集会」
07・4・22 日比谷公会堂にて

『家族会の訴え2 有本嘉代子さん』

Img_2893.jpg



★有本嘉代子さん

皆さんこんにちは。(「こんにちは」の声、拍手)
ご紹介いただきました有本恵子の母でございます。
本当にたくさんおいでくださいまして、ありがとうございます。

1988年に北海道の石岡さんのところへ北朝鮮から手紙が参りまして、私どもの娘と今ここにいらっしゃった斉藤さんの弟さんの松木薫さんとその石岡さんの弟が「故会って今北朝鮮で力を合わせて暮らしております」と言う内容でした。
その事によって1988年その時点から私たちはこの問題に取り組んでまいりました。
それで代議員にいろいろとコンタクトを取ったんですけども、どこもつながらなくて、今お見えになってました安倍総理のお父さんの安倍晋太郎さんの事務所だけがコンタクトが取れまして、「とにかくそれだったら手紙を持って一度来られますか?」という事でお伺いしたのがこの運動の始まりです。

その時に今もいらっしゃる飯塚さんと言う秘書の方が、警察庁・外務省と付いて回ってくださったんですけども、「国内のことなら何とかなるんですけれども外国のことですから」という事で警察は駄目でした。
外務省も「国交が無いですから」という一言で、その場は終りました。
その事によっていろいろ運動を始めたんですけども、その家族会が出来るまでの9年間と言うものは、どこも取り合って頂けませんでした。

だから本当に、私どもも政治家の方は存じ上げておりませんし、どうしたらいいか分からないまま無我夢中で一番最初に、皆様ご存知かと思いますけど、北朝鮮と非常に太いパイプを持っている社会党へ行けば良いよと石岡さんのお母さんが仰いましたので、即行ったのですけれども何の返事もなく終りました。
だからとにかくどうしたらいいか分からないまま9年間は、本当にいろんな所に参りました。
弁護士会にも行きました。
外務省も何度も訪ねました。
政治家の方も接触したんですけれども、中々私たちが思うような動きは取れませんでした。

そしてやっと横田めぐみさんの事が、今ここにいらっしゃる西村眞悟先生が国会の場で明らかにしてくださいまして、初めて横田さんが出て来られまして、そこへ皆家族が寄りまして家族会言うのが1997年の3月25日に発足いたしました。
これで運動はだいぶ盛り上がったんですけど、まだマスコミも政治家の方々も、もう一つしっかりとは対応はしてくださりませんでした。
でも外務省だけは、私どもがいくら個人で行きましてもね。
中々「ちょっとでも上の方にお目にかかりたいんですけど」と言いましても「私で辛抱してください」と課長止まりでした。
でも家族会が出来ました時に、局長さんが出て来られました。
それには驚きました。
やはり数の力ってたいしたもんだなとその時につくづく思いまして、それからず〜っと運動を続けてまいりましたけども、やはりマスコミも政治家の方々もこれに関してはなるべくなら、ほとんど報道の方もなさらないし、政治家の方もこれを避けて通るような感じでした。

それから1992年の9月に第一回の交渉に金丸さんと田辺さんが行かれましたけど、皆さんご存知の通りのあのような状態でした。
その時に私どもは金丸さんが行かれるという事を聞きましたので、私どもも地元から出ていらっしゃる石井一さんと言う方にお願いに上がりまして、「行かれるんであればこういう問題があるという事を北朝鮮にきちっと提出してください」とお願いしたんですけれども、返って来られたお返事を聞きますとどうもこれは話してないなという様子でした。
だからその時には主人が申しますのには、「本当に冷水を頭から浴びたような感じがした。これでは娘を救う事は出来ないなという事を思った」いう事を、今も言っております。

それでも2002年9月17日、(小泉)総理が行かれて初めて北朝鮮も拉致であることを認めましたので、国民の皆さんが知っていただく所になったんですけども、それでも先ほど西村先生が仰ったように国内に敵がたくさんいたんです。
国内の政治家の方々が、どういうわけかこの問題にはきちっと取り組んで下さらなかったんですね。

だから本当にこれはどうしたものか?と思いながら現在まで至りましたけども、やっと私たちの念願の安倍総理が誕生なさいました。
その時点で私どもは、手紙を持って上がりました時は今の安倍晋三先生にはお目にかかってないんですけども、その時点で秘書でいらしたいう事は後でお聞きしました。
その時から拉致の様子をずっと見てこられたと思うんですね。
だからその都度にいろんな方が交渉に入られた時に、どんな交渉をしているかなという事も多分ご存知だったんだろうと思います。
だから今総理になられてこの事を第一番に取り上げてくださったんだろうと思います。
その頃からこの拉致の問題はどうしたら良いんだろうな、という事をずっと考えてくださっていたんだろうと私は思っております。

でも皆様ご存知の通り、この間から渡辺秀子さんと言う方が拉致されて、拉致されたと言うよりその方は殺されたんじゃないか?と、後はお子さん二人は北朝鮮に連れて行かれているんじゃないか?という事を、新聞紙上に出ております。
これが本当に毎日のように1週間から10日ほどかけて、毎日新聞紙上に載りましたしテレビでも放映されました。
これは私たち家族会立ち上げまして間もなく、週刊誌には載ったんです、ちょろっと。
だけどそれは一回で終りました。
だから如何にその頃のやはり政治の圧力がかかって、こういう事は取り上げないという事になっていたんじゃないかな?と思います。

だから本当に長い間かかって、本当に長い事って、短い方でも20年やそこらあるんですね。
横田めぐみさんでも30年ですね。
私どもで24年です。
だから本当にもっと古い方も特定失踪者の方にはいると思うんですね。
だからそんなに載っている渡辺さんも、ご主人が北朝鮮の工作員であって、その組織が東京にあったそうですね。
そのひとつの会社が工作員のアジトみたいになっていたんですね。
そういう事ですから、その時点で30人くらい北朝鮮に連れて入っているという事を聞いておりましたのでね。
東京の方からも特定失踪者の方がかなりいらっしゃるんです。

本当に私どもも無我夢中で10年間を過ごしましたし、家族会を結成しましてからも本当に中々前に進みませんでした。
私いつも思うんですけどね。
これに関わってきた国会議員の方々はね。
自分がどういう事をして来たか?皆さんの前ではっきり言っていただきたいです。(大きな拍手)
本当に皆さんも良くお分かりになりますし、私たちは選挙権を持っております。
その時に投票するといってもマスコミの言っていることしか分からないんです。
そのことによってきちっとした政治家が表に出られなくて、本当にどうでもいいような方がかなり出ているところもあるんです。(拍手)

非常におかしな形になっておりますけども、私がいつも危惧しておりますのは、せっかく待望の総理が出て来られましたのに、どういうわけなのか?マスコミが足を引っ張るようなことばっかり言っているんですね。(大きな拍手)
どこに原因があるのか分かりません。
そこに手をを入れて足を引っ張るのか?私には見当もつきませんが、本当に週刊現代とか新潮とか、本当に最たるものです。(拍手)
週刊誌は売らんかなだろうと思いますけども、日本人なれば恥を知らなければなりませんよ。
この拉致問題は大変な問題なんですから。(拍手)
私本当にそう思います。

日本人が、私一番感激しましたのは、2002年9月以降初めて実施されました国民大集会を、有楽町の国際フォーラムでしましたときに、緞帳が上がりましたらね。
あそこ6000人ほど入るところに1万人がつめかけてくださったんです。(拍手)
その時に本当に胸が詰まって、あの時に挨拶してくださいと言われても私は出来なかったと思います。
涙がひとりでにこぼれてきました。
本当に日本人って素晴らしいと思いました。(拍手)

多くの若者たちが犠牲になって北朝鮮に連れて行かれておりますけども、この若者たちによって拉致されたことによって、日本の国民の皆様方が元来の日本人に戻ったよと言う気持ちがしております。(拍手)
私はいつも思っていますけど、日本人って素晴らしい民族だと思っています。
本当にこんな国は他にないと思っております。(拍手)
本当に皆さんが一つになって、これは横田めぐみさんとか有本恵子というような個人個人の問題じゃないんです。
日本の国に土足で上がってきて子供たちを連れて行ったんですから、本当に国として許されることではないと思っております。(大きな拍手)
私たちの気持ちは子供を助けてやりたいという気持ちもありますけど、日本がもっとしっかりしていただきたい。
日本が元来の日本に戻っていただきたいという、そういう気持ちが一杯です。(拍手)

総理が第一番に教育の問題を取り上げてくださいました。
この拉致問題も取り上げてくださいました。
だからこの教育を変えて憲法を変えて、日本の国として恥ずかしくない憲法を作って、教育もきちっとして、本当に元来の日本に戻って下さったら私は素晴らしいと思っています。(拍手)
私たちはこの長い間、運動を続けてまいりましたけど、この事によって本当に日本人の素晴らしさも分かりました。
だけど何しろ歳を取りますので体がいう事を聞きません。
足が弱くなったり本当に方々が悪くなるというのを身をもって感じるようになりましたけど、気持ちだけは負けないという気持ちを持っておりますので、何とか最後まで皆さんと、国民の皆さんと私たちと政府がひとつになって北朝鮮に勝っていかないとこの問題解決しないと思っております。

今、特定失踪者の方も来て来られておりますけども、本当に初めは何も分からなかったと思います。
国内から突然いなくなって、まさか北朝鮮に連れて行かれているなんて皆さん思いじゃなかったと思います。
でも2002年の9月17日に北朝鮮も認めたことによって、初めて私のところもそうじゃないかな?と言って出てこられたと思います。
だから思っていますその方と、私たち運動をした者とは同じ思いなんです。
全部が帰ってこないとこれは解決しません
だから今全国の方がたくさん来ています。
この人たちを含め全員が帰らないと拉致問題は解決しないとそのように思っていますので、どうか最後まで皆さんのお力をお貸しください。
よろしくお願いいたします。(拍手)
ありがとうございました。(大きな拍手)

★増元照明さん

ありがとうございました。
普段はこれほどまで激高される事はないんですが、明弘さんが乗り移ったメリハリのあるしゃべりで(笑い声)丁度良かったかなと思いますが。
両親世代で一番メインで活動されている最高齢が有本嘉代子さんです。
次は両親世代で一番最年少の早紀江さんにお話をしていただきたいと思いますので(笑い声)、よろしくお願いします。(拍手)

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※この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。
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