2007年05月04日

62回目の5月4日

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当Blogをご愛読くださっている方にはすでにご存知のことと思いますが、今日5月4日は、特攻の大叔父の62回目の命日です。
今年、私は大叔父の命日に合わせて靖国神社へ参拝する事を思いつきました。
拉致問題の支援活動で知り合った方に、もし宜しければご一緒しませんか?とお声かけをしたところ、連休中にも関わらず13名の希望者が集まりました。
これには正直、言いだしっぺの私の方がびっくりです。

今年の5月4日もさっぱりと晴れたいい空模様となりました。
世の中はゴールデンウィークの真っ最中。
行楽、帰省、あるいは農家であれば田植え作業など、それぞれに楽しく忙しい時間をお過ごしのことであろうと思います。
でも62年前の今日、決死の特攻で沖縄の海に若い命を散らした人が現実にいた。
その事に思いを馳せてくださる方は、今の時代どれくらいいらっしゃるのでしょうか?

大叔父の搭乗する桜花を牽引した母機の一式陸攻は、62年前の今日午前6時5分、鹿児島県の鹿屋基地を離陸。
午前8時25分には「では、往きます」の言葉を残し、特攻機桜花に乗り組みました。
そして8時55分、沖縄本島西方の伊江島付近でアメリカの掃海艇「ゲーエティ」に向けて発進するも、敵の対空砲火を受けて「ゲーエティ」の左舷後方20メートル手前で墜落爆破。
桜花の破片と搭乗員の肉片が飛び散って、「ゲーエティ」の乗組員3名が負傷したそうです。

20メートルも離れたところから大叔父の肉体の一部が飛び散って、乗組員を負傷させたという。
一体どれほど物凄い爆破の光景がそこにはあったのか?
敵兵に負傷をさせたという大叔父の肉体の一部とは一体どこなのだろう?

大叔父は母機の一式陸攻の乗組員に最期の別れを告げる時、笑みさえ浮かべていたという。
しかし、その境地に至るまで、どれほどの葛藤が彼の中にあったのか?
その事を深く考えてくださる方は、今の時代どれほどいるというのだろう?

ある人は特攻は犬死であり洗脳であるという。
またある人は特攻隊員は英雄であり、勇壮に華々しく死んだという。

直接の遺族である私には、そのどちらの言い分にも微妙な違和感を感じています。
大叔父はあくまでも一人の人間、故郷を思い家族を思うごくごく普通の人間であったはずです。
ごく普通の若者に過ぎない大叔父が、決死の特攻に至るまでには、凡人には及びもつかぬ葛藤の日々があったはず。
それを乗り越えるには、どれほどの苦悩があったのか?
それを分かった上で、世の人々は特攻について語ってくれているのでしょうか?

物事には常に表と裏があり、光と影がある。
それを忘れて、自分のイデオロギーにとって都合の良い部分だけを引っ張り出して、特攻による死を自己主張の種にはして欲しくない。
まずはゆがみの無い目でありのままの特攻隊員の苦悩の日々を思って欲しい、と私は思う。

まだ歳若い大叔父が、最後にはそういう悟りの境地にまで辿り着けてしまった事が、私にはとてつもなく切なく悲しい。
今の私に言えるのはただその一言のみです。

大叔父の命がこの世から消えた午前8時55分。
自宅の庭に出て沖縄の方に向かって私は合掌し、黙祷をささげました。
そして今年も頭の上に広がった青い青い空に大叔父への思いを馳せました。

今日はこれから母を連れて靖国神社へ、特攻の大叔父に会いに行きます。
大叔父が命をかけて護った可愛い7歳の姪っ子も、今年69歳になりました。
年月の経過とともにだいぶ古くなってしまった姪っ子ですが、それでも命をかけて護った肉親が靖国に会いに来てくれれば、大叔父もさぞかし喜ぶことでしょう。

叔父さん、これからあなたの魂のいる靖国に可愛い姪っ子が参ります。
姪っ子の未来につながる私も同行します。
賑やかなことの好きだった大叔父さんに是非会いたいと、今年は13名もの友人・知人が同行してくれることになっています。
だから叔父さん、今日も楽しくお話を致しましょう。
靖国の社でしばしお待ちくださいませ。


posted by ぴろん at 09:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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