2007年05月05日

07.4.10 増元照明さん 東京連続集会27(1)友愛会館にて

「タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27
07.4.10 友愛会館にて

『増元照明さんのルーマニア訪問報告』

Img_5023.jpg



皆さんこんばんは。
急遽飛び入りなんですけど、昨日ルーマニアのブカレストから帰って来ました。
西岡さんと二人で、ルーマニアの拉致被害者のドイナさんのご家族が判明と言うか名乗りを上げられたので、その家族の確認と、そしてもしその家族が間違いなければ、今月22日に行なわれる国民大集会に招聘するために二人で行ってきました。
4月4日から9日まで行ってきました。

とにかく4月の4日到着して4月の5日にドイナさんのご家族にお会いしました。
ブカレストから車で西へ大体3時間半くらいの町で、クラヨーヴァと言うところですけどそこにお住まいらしい。
そこにはドイナさんのお母さんとそれから17歳下の弟さんが来て頂きました。
本来なら二つ違いの弟さんもドイツから見えられる予定だったんですが、バスで移動中に渋滞か何かに巻き込まれて10時間ほど遅れてしまったので、会見の時間には間に合わなかった。
弟さんにお会いしたかったと私は思っています。

お会いした時に西岡さんから、日本で曽我ひとみさんに伺ったドイナさんの性格なり日常の話を、ドイナさんのご家族にしていただきました。
やはり曽我さんから聞いていたロールキャベツと言う言葉。
ロールキャベツと言うのはルーマニアで有名な料理の一つで日本のロールキャベツとちょっと違って、非常に煮込んであって酒のつまみには最高と私は思いますが、本当に日本のロールキャベツの概念とは違う。
本当に別のロールキャベツ。
だから曽我ひとみさんがロールキャベツと言う言葉をおそらく頭の中に浮かべて、ドイナさんと言うとロールキャベツと言う言葉が出たと思うくらい得意な料理ではなかったかと思います。

さらに洋服ですね。
型紙を作ってそれから洋服を作って、曽我さんと娘さんたちにも作ってくれたという話をさせていただいたんですけど、お母さんが裁縫が非常に得意で、おそらくお母さんから作り方をドイナさんが学んでいたのではないかと思いますが、そういった話を聞いているとお母さんがやはり涙ぐまれるわけですね。

ジェンキンスさんの本の中ではすでに亡くなったという話にはなっているんですが、それでも30年間聞いていなかった娘の一番新しい情報と言うか、それが聞けただけでも嬉しいというかそれだけで感激をされて、その話を持ってきた私たちに感謝をされていました。
残念ながら亡くなっているという事なので我々も喜んで話をするような雰囲気では無かったんですが、お母さんが非常に感激されて「私はこれで死んでもいい」と仰って。

私は「ドイナさんの家族がまだ向こうに残っていますので、彼らを取り戻すためにも元気でいてください」と申し上げましたけど、77歳と言う年齢で膝をだいぶ悪くされていまして杖を突いて歩いておられるようです。
今は療養中という事で息子さんたちとは一緒に暮らしていないようですけども、面会のために特別に出てこられて会っていただいたと言っております。
それだけ私たちの事を情報と共に、ドイナさんの話を聞きたいという思いが非常に強かったんだろうと思います。

その情報なんですけども、この話がまず最初にルーマニアで話されたのは平成17年10月13日付、・・・(聞き取れず)オブ・トゥディ紙の、ルーマニアではシェアの結構ある、2番目とか言っていました。
の新聞紙上で書かれたものです。
それはその担当記者がジェンキンスさんの本を見て、そしてルーマニア人拉致と言う事項を見まして、そしてそれを初めてルーマニアで報道したもので、それに対しもし被害者のご家族が見ていたら何かの連絡が来るだろうという思いで書かれたようです。
さらにその記者はいろいろな北朝鮮の拉致問題に関する事をインターネットで調べて、イギリスの北朝鮮に行った映画の関係者にも電話をしたそうですども、その映画に関しては事前に見る事は出来なかった。
非常にこのルーマニア人拉致に関して強い興味をもたれて書いておられたようですね。

その記事に反応したのがルーマニア人拉致被害者ドイナさんの弟さんなんですけれども、それが今年の3月になって、あれは何なんですか?
その件については後で西岡さんに詳しく言っていただきましょう。
とにかくインターネットと言うツールを使って世界中からいろんな情報を収集して、それを分析する能力があれば何でも分かるんだなと言う思いでちょっとびっくりしましたけど。
本当にブカレストから3時間半と言う片田舎ですけが、ネット環境がいいのかちょっと私にはあまり良い様には思えなかったんですが、そこでドイナさんの弟さんはIT関係の仕事をなされていて、パソコンの販売と修理をなさると言っていましたけど、それだけにパソコンには非常に強い知識をお持ちのようで世界中の情報を集めておられました。

我々二人のことも、大使館の書記官が私たち二人の事を説明しようとした時にも、すでに事前にその情報を得ておられておって私たち二人のことも書記官よりも非常に詳しい情報を持っておられて、それだけ拉致問題に関しても私のるみ子という姉の名前までも知っておりましたし、ドイナさんの事を集めるのに拉致問題を非常に研究されていたようです。
その弟さん16歳離れておりましたのでお姉さんに関する知識には多少の薄さはありましたけど、ただ姉を思う気持ちは非常に強かったようです。
弟さんのガブリエルさんの名前をつけるのもお姉さんのドイナさんが直接、ドイナさん自身がガブリエルと言う名前をつけたとお母さんから伺いました。
ですからそれだけドイナさんにとっても可愛い弟さんだったでしょうし、自分の名前をつけたお姉さんに対しても非常に愛情を持ったと感じました。

本当に思うんですけど、ドイナさん。
ルーマニアと言うのは皆さん大体、ちょっとチャウシェスクと言う名前が出てくると思うんです。
独裁政権という事でしたが、その独裁政権の中からようやくイタリアの人と結婚されて国を出られて自由な世界の中で生きてきたドイナさんが、再び北朝鮮の工作員によってさらに劣悪な独裁国家に連れ去られたんですけど、ドイナさんの非情な運命と言う事を思いますと、非常に悲しいというか可哀想というか以上に何と言うか、えもいわれぬ癒されることの無い非情さを感じます。

その劣悪な独裁政権の中で、病気になられて亡くなられたという事を考えますと、金正日政権の非道さを本当に痛感しますし、お母さんと弟さんを目の当たりにして本当に非情に同情と言うか、我々自身も実際拉致被害者でもありますし、さらに・・・(聞き取れず)として同情を申し上げたんですが、思っております。
ただ、曽我さんやジェンキンスさんは亡くなったという事ですが、それも亡くなった事にしろと言われた可能性もありますし、そればっかりは全ての真相がハッキリしない限りは、私は真実は分からないと思っています。
北朝鮮関係に関しては今表に出ている情報とか、真相と言うのはほとんどまず疑ってかかって、そして最終的な真相はやはり全ての拉致被害者が明らかになり帰ってきて、全ての真相が明らかになる時だと思っています。

4月6日にはルーマニアの外務次官、ミハイ・ギョルギウという外務次官、まだお若いんですけど1967年生まれです。
その方はチャウシェスク政権の時に捕まって、民主化運動のリーダーとして活動されてきた方のようです。
ですから人権と言う観点から非常に思いを持ったというふうに思っておりました。
その思いを、私たちも人権問題に関しても人権と言う観点から攻めてお話しました。
ただ、ルーマニア政権も混乱している状態です。
大統領と首相が仲が非常に悪くて連立を解消するかどうかと言う厳しい状況の中におられます。
外務大臣が更迭されたばかりで新しい外務大臣を任命するという状況で、それを新しい大統領が認めるか認めないかで揉めている状況で、外務省自体もバタバタバタバタしていたようです。

ただ外務次官はそのまま留任するのではないか?と言う話でしたのでお会いしました。
私たちお会いしたんですけども、ルーマニア人拉致被害者に関しては外務省としてはまだ特定していないという事を仰っています。
テレビで名乗り上げたご家族に関してはまだ確認もされていないですし、ドイナさんの弟さんにもまだアプローチをしていないという事を政府として申し上げましたし、そしてドイナさんの弟さん、ガブリエルさん自身もそう仰っていましたので、まだほとんとそこまで行っていないのが現状です。

私たちは先ほど言ったように人権の運動家ですから、北朝鮮と言うもっと酷い独裁政権の国で苦しんでいるドイナさんの家族を助けるという気持ちでやっていきたいと強いメッセージは送ったんですが、反応としてはいまひとつ、すぐに動いて救出に向かうとかすぐに動いて事態を打開するというような段階には来ていないように感じられました。
ただルーマニアの国民全体が今ルーマニア政府に対して非常に不信感を持っていて、国民自体もルーマニアの政府が動いていないという、何に関しても拉致問題もそうですけど、いろんな政治の動きの中に非常に鈍いというそういう感覚を味わいました。

ここで、・・・(聞き取れず)という新聞なんですけども、ここに我々の訪問とそれから面会の記事が出ております。
こういった記事でルーマニアの中でも拉致問題と言うのがどんどん浸透させてもらいたいと思いますし、一応ルーマニアはEU諸国の方に最近入ったようですので、まずEUに対しての働きかけもしていただきたいと思っています。
フランス人イタリア人拉致と言う、今は非常任理事国と理事国として安全保障理事会で発言権もあるイタリアとフランス人の拉致被害者が大きく報道されるようになれば、2カ国がやはり北朝鮮に対して厳しい制裁を、拘束力を持つ国連安全保障理事会での制裁強化につながると私は思っていますので、この私たちの訪問、そしてルーマニア人拉致被害者の名前が特定されたことによってヨーロッパでの北朝鮮による拉致被害、外国人拉致の認知度が高まり、そしてフランス政府・イタリア政府・EU諸国が動いてもらえる事を期待しております。
以上です。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。


★タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27 テキスト一覧表

タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27
07.4.10 友愛会館にて

1 増元照明さんのルーマニア訪問報告
http://piron326.seesaa.net/article/40854575.html

2 西岡力救う会副会長のルーマニア訪問報告
http://piron326.seesaa.net/article/40948405.html

3 海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その1
http://piron326.seesaa.net/article/41174683.html

4 海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その2
http://piron326.seesaa.net/article/41281700.html

5 海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その3
http://piron326.seesaa.net/article/41370280.html

6 飯塚繁雄さんのタイ訪問報告
http://piron326.seesaa.net/article/41734994.html

7 西岡力氏・海老原智治氏の講演
http://piron326.seesaa.net/article/41879372.html

8 横田滋さんのお話
http://piron326.seesaa.net/article/41969582.html

9 本間勝さんのお話
http://piron326.seesaa.net/article/41969775.html

10 横田早紀江さんのお話
http://piron326.seesaa.net/article/41969973.html

11 質疑応答
http://piron326.seesaa.net/article/42123632.html
posted by ぴろん at 16:51| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母の涙

特攻の大叔父の62回目の命日に合わせて、昨日靖国参拝をして参りました。
昨日のBlogにも紹介したように、今回は拉致問題の支援活動で知り合えたお仲間を誘い、私と私の母を含めると総勢14名の大所帯での一日となりました。

参加者には靖国境内内の大村益次郎像の下に集合してください、とお願いしました。
言いだしっぺの主催者が遅刻をしては話にならないので、30分ほど早めに行って参加者のお出でをお待ちしました。
事前の約束どおり、次々とお誘いしたお仲間が集まって来てくれる光景に、まずは胸が熱くなりました。
連休の最中、それぞれに忙しい時間を割いて集まっていただける。
それだけでも靖国の社におわす大叔父の御霊はさぞかし喜んでくれたことでしょう。
何しろ明るく朗らかでどこに行ってもすぐに仲の良い友達を作る名人だった大叔父は、賑やかなことのたいそう好きなひとでもありました。
昨日の団体様ご一行の参拝を一番喜んだのは、私でも母でもなく、特攻の大叔父その人であろうと思っております。

私がこの参拝で参加者の皆さんに一番見てもらいたかったもの。
それは一番の近親者である母の涙でした。
戦後62年の年月を経て、大叔父の戦死時7歳の少女もすでに老年の域に入っております。
まだまだ元気ではありますが、体の衰えはやはり隠せない。
しかし、その母が靖国に参り、叔父の魂に触れた瞬間、一瞬にして7歳の少女に逆戻りしてしまう姿を理屈抜きで見てもらいたかったのです。

この参拝に合わせ、大叔父の人となりを知ってもらうために、事前に私はたくさんの資料を準備しました。
神雷桜の前で、遊就館の桜花の模型の前で、私は大叔父の生涯や家族としての思いなどを拙い言葉で語りました。
でも、そんなものは家族の心情を伝える力の1%にも満たない。
それよりも何よりも生前の大叔父を知る母が、神雷桜の幹に抱きついて号泣する姿をとにかく見て欲しかった。
それを見て何かを感じて欲しかった。
そして感じた何かを、それぞれの参加者が今後の糧にしてくだされば、それが何よりもの大叔父の供養になる。
私はそう考えたのです。

実際、靖国の神門をくぐると同時に神雷桜に駆け寄り、桜の太い幹に抱きつくようにしていきなり号泣を始めた母の姿を見て、びっくりした参加者もいらっしゃいました。
参拝後の懇談会の席で、私が参加者に感想を聞いて回った時も、あの母の姿に驚いたと仰ってくださる方は少なくありませんでした。

遺族の感情を言葉で語る事はいくらでも出来ます。
でも言葉以上に語るべき何かは、やはり生身の遺族の姿を見て感じてもらうのが一番良い。
それが今回大勢のお仲間にお声かけをさせていただいた一番の理由でした。
そしてその思い通り、それぞれの心に遺族の思いは通じてくれたものと私は信じております。

短い生涯を特攻と言う形で閉じた大叔父。
その叔父さんが大好きだったという母は、叔父さんの話になるといつも涙ぐんでしまう。
ゆかりの場所を訪ねれば、一瞬のうちに7歳の少女に戻ってしまう。

特攻は出撃したが最後、いつどこでどんなふうに死んだのか?誰にも分からないのが普通です。
だから多くの遺族は、本当に自分の息子や兄弟が特攻で死んだのかどうかが、はっきりと認識できない場合がほとんどであろうと思います。
もしやどこかで生きているのでは?という淡い期待を捨てきれず、長年苦しむ方も少なくなかったことでしょう。

しかし、うちの大叔父の場合は、桜花といういわゆる人間爆弾での特攻だったため、特攻の瞬間を目撃した生き証人がいるわけです。
叔父の搭乗した桜花を牽引して沖縄へと飛んだ母機の一式陸攻は、奇跡的に鹿屋基地への生還を果たし、その乗組員だった人が大叔父の最期を千葉の生家に伝え、さらに大叔父の出撃の様子を手記と言う形で後世に伝え残してくれました。

否が応でも大叔父の死を家族は受け入れなくてはならない。
でも大叔父の特攻の瞬間の目撃者が生還し、その方が戦後を生き延びてくださったおかげで、私たち遺族は大叔父の特攻の詳細を敵方への戦果まで含めて知ることが出来る。
これもまさしく稀有な事例である事は間違いのない事実なのです。

威張るわけではありませんが特攻隊員の遺族である事は、それ自体がすでに稀有な存在でもあります。
それに加えて、大叔父の出撃から特攻の瞬間、戦果まですべて辿れる我が家のようなケースは本当に稀であるとも思います。
その立場にいる私たち遺族に課せられた使命とは何なのか?
そういう自分の立ち位置と言うものを考えた時、私は特攻の大叔父について語りつがねばならないと思いました。
例えどんなに拙い言葉でも、一人でも多くの方へ、大叔父の短い生涯の意味を伝えねばいけない。
それをしなければ、命をかけて7歳の姪っ子を護るために沖縄の海に命を散らした大叔父の魂に申し訳が立たない。
そんなふうに私は感じているのです。

62回目の大叔父の命日に靖国神社へ一緒に参拝しませんか?と呼びかけたのも、ひとりでも多くの方に遺族の思いを知ってもらいたかったから。
その遺族の思いを言葉以上に雄弁に語るのは、母の涙に他ならない、と私は思うのです。

昨日の経験が参加してくださった皆様の心の中で、どのように受け止められてどのように昇華されていくのかは私には分かりません。
けれど、母が号泣する姿には強烈なインパクトがあった事だけは、間違いの無いことだろうと思っております。
後は昨日感じた事を、それぞれの今後に活かしていただければ良い。
そして亡き大叔父の思いを、参加してくれた皆さんがそれぞれの言葉で周囲の人に伝えてくれたらば、それが何よりも大叔父の魂を引き継ぎ、次の世代に伝える力となるであろうと私は信じております。

靖国におわす私の特攻の大叔父さん。
昨日の参拝はいかがでしたでしょうか?
あなたの魂に会うために、全くの赤の他人である人々が大勢集い、あなたの魂に向けて静かに頭を垂れてくださいました。
あなたが残しおきたいと願った心をひとりでも多くの方に伝えるべく微力ながら奮闘した私ですが、昨日の参拝の様子を見て大叔父さんは喜んでくれたでしょうか?

特攻の大叔父さん、石渡正義、享年21歳。
沖縄本島西方の伊江島近海にて、昭和20年5月4日午前8時55分、その若い命を散らす。
あなたが命をかけて護った石渡家の一人、当時7歳の姪っ子である母は今年69歳となり、おかげさまで叔父さんの歳の三倍以上も元気で生きたことになります。
それもこれも、あなたが命をかけて護ってくださったおかげ。
あなたの家族を思う命がけの愛に応えて、これからも日々を過ごしていくであろう母と共に、私も自分の生を全うします。
いつか三途の川を渡ってあなたに会うときに、恥ずかしくない自分でありたいと日々願いながら・・・
posted by ぴろん at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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