2007年05月10日

07.4.10 海老原智治氏3 東京連続集会27(5)友愛会館にて

タイ人拉致被害者アノーチャーさんを救うぞ!東京連続集会27」
07.4.10 友愛会館にて

『海老原智治氏 タイ人拉致被害者アノーチャさん救出運動報告 その3』



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ジェンキンスさんの本の中の記述から、それから証言から北朝鮮でのアノーチャさんの情報をまとめますと、概略次のような事になっております。
1978年にマカオで失踪します。
拉致です。
その同じ年に78年に23歳から24歳の時、元米兵のラリー・アブシャーと結婚をします。
その2年後、1980年には平壌市内の立石里(リプソクリ)ある家に住む。
この立石里にある家と言うのが曽我さん・ジェンキンスさんが住んでいたのと同じ区域でして、ジェンキンスさんの家とは50メートルと離れていない近いところだったという事です。

しかしその3年後1983年には夫のラリー・アブシャーが家で死去してしまいます。
その為にアノーチャは独身に戻るわけですけれども、1984年、今度は北朝鮮の中で転居をします。
立石里にある新しい4世帯用の住宅と言うのが出来まして、アパートですね。
下に2部屋、2階に2部屋。
1階の2部屋にはやはり米兵のパリッシュさんの一家と、ドレスノクさんの一家が住んでいる。
2階の2部屋にはアノーチャさんと曽我さん・ジェンキンスさんが住んでいる。
アノーチャは一人だったのでそこには指導員が同居していたと。

そのような状況にあったわけですけども、1989年にはどこかへ転居することになってしまった。
これはどこに行ったのかはジェンキンスさんは分からないと言っております。
聞くことも出来ない。
この数ヶ月前に、北朝鮮当局によって在北朝鮮のドイツ人と結婚させられることになっていたという事です。
この1989年に転居しまして、転居した後に一度ばったり、ジェンキンスさん・曽我さんが同じ年に平壌市内の外貨ショップでアノーチャさん一度だけ会っているというんですけど、それが最後の出会いであったという事です。

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これが北朝鮮からジェンキンスさん・曽我さんが持ち帰りましたアノーチャさんの写真です。
この左の小さく写っている女性、この後ろの女性がアノーチャさんであるという事で、この女性についてはタイ国内の人物鑑定において、重要な根拠となった写真でして、これをタイ当局の政府。
具体的にはアノーチャさんの出身地の郡を統括している郡役所と言うのがありまして、郡役所の方が家族・友人・関係者と言う方にこの写真を見せて証言を取ったんですけど、ことごとく「これはアノーチャに間違いない」と言う証言が取れたと言います。
人物鑑定の大きな決め手になった写真でございます。

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このような事がありまして、2005年12月にはジェンキンスさん・曽我さんと東京で面談致しました時の写真がこれですね。

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同じ年麻生外相とも、他の国の拉致被害者家族の皆さんと共に、家族会と共に面会しています。

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これはタイ国内での活動の様子なんですけれども、私どもタイ国内でもこのタイ人拉致というものをタイ社会に発信したいと考えまして各地でこの活動を行なっております。
まだ微々たるものでして、またタイ社会の関心も低いものですから、困難も多いのですけど、これは私の方の勤務大学で学生向けの講演会を開催した時の写真です。

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また市民集会と言う事も開催しております。
これは初めてチェンマイで開催した時の市民集会の写真です。

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2006年2月には、タイの首相に直接私どもから救出の嘆願書を手渡す事をしました。
当時の首相と言うのは、今はもう首相では無いですけどタクシン首相と言う方で、これは報道でご存知の方もいるかと思いますけど2006年9月にはタイでクーデターが発生しました。
それで政権転覆したわけですけども、そのクーデターで追われた首相がこのタクシン氏でして、実はアノーチャの出身郡と同じところの出身者なんですね。
そのようなことから家族としても首相に頼めば、クーデター前は首相は物凄い権限を持っておりまして、首相に頼めば何か進展があるのでは無いか?と期待も持っていたんですが、具体的なアクションが起こる前に首相はクーデターで追われるという事になってしまいました。

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これはつい先日です。
西岡副会長、飯塚副代表がいらっしゃった時のスカムさんとの面会の写真です。
これ、この時にですね。
アノーチャさんの実家の方である料理を準備してもてなしました。
それと言いますのはこの左手にある青パパイヤのサラダ、これはアノーチャさんの好物であったと。
それのために家族の方ではアノーチャが帰ったとしたら、まずこれを真っ先に食べて貰いたい。
そういう料理なんだと、それを準備して飯塚副代表の方に振舞ったわけです。
味の方は、分かりません。
西岡副会長の方で後で。

そのときにですね。
これまであまりスカムさんも、このスカムさんがお父さんも亡くなっているので家族を代表する形で、アノーチャの拉致問題に対処してきたんですけど、かなり強い発言をするようになってまいりました。
これはこの前のテレビの画面から撮った映像ですけど、「アノーチャ早く帰ってきて欲しい。こんな政府は間違っている。北朝鮮は間違っている。」
実際話した時はもっと長い論調でありまして、「こんな事をやる指導者・国、これが正しい国なのか?そんなものが存在して良いのであろうか?」
かなり強い口調で思いを表現したわけです。

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で、このちょっと髪がですね。
すみません、前の写真と比べますと髪がですね。
このように真っ白になっているんですけども、2006年の写真を見ますとまだ真っ黒い髪をしているんですね。
染めていたわけではありませんで、これですね。
こんな、若々しいというかまだ、それが1年後には真っ白になっていまして、実は2006年の8月に急に血液の感染症になってしまいまして、突然危篤と言う事になってしまいました。

意識不明になりまして、私もその日に飛んで行って病院に行きましたら、医者の方が「どうなるかは今日・明日が山だ。もちろん50%50%で分からない」という状況でありまして、それが幸い回復しまして、このように歩けるようになったんですけども、実は今耳が聞こえません。
話せば自分の言いたい事は言えるんですけど、こちらのいう事は分からないので、今回の飯塚副代表の話も息子のバンジョイさんがですね。
私がタイ語で通訳した事を一生懸命紙に書いて、書くと父に見せて、それを読んだスカムさんがそれで急いで返事を言うと、そのようなわけだったんでありますけども。
家族もこのような健康、この問題長引かせてはいけない。
そういう思いを私も支援者として強く思います。

これちょっと映像が・・・(聞き取れず)なってますけどすみません。
それから私どもの活動なんですが家族と共に社会的働きかけの一環としまして、政府の方にも願い出る事を繰り返しております。
前のスライドでは写真ありませんでしたけども、クーデター前の外相に面会を申し出まして、外相の方からも強い言葉でこの問題を重視すると言われました。

しかしその外相も2006年の9月のクーデターで首相ともども政権を追われまして、私どもの心配の一つはそのような政治の混乱の中で拉致問題の対策がどのように取り扱っていくのか?
内政に手一杯になっている中で問題が消し去られてしまうのか?
またこれまでに北朝鮮がタイ政府に対して積み上げた事柄、これが引き継がれるんであろろうか?

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この辺非常に不安だったんですけども、2006年の12月に外相に会いましたときにも、「クーデターの後も政府の姿勢には全く変わりは無い」という事が明言されました。
それはマスコミにも外相が同じ言葉を伝えております。
さらに外相の方からこの問題は「私のスケジュールに組み込んでいく」という強い言葉がありまして、「政策変更は無い。アノーチャの問題にもタイ政府は一貫して取り組んでいく。」
そのような事が改めて革命後の現暫定政権からも表明されたわけです。

私どもの方ではそのようにタイ政府への働きかけ、タイ社会への発信、それから家族の支援、そういう事を支援活動として行なっています。
その中でも私どもで重視しておりますのは、この出版活動がございます。
これですね。
これのちょっと前置きをいたしますと、タイにおいて拉致問題を語るのに非常に困難な点、いろいろあるんですけども、ひとつはですね。
北朝鮮と言っても分からない。
韓国と一緒なんです。

そのような中で「北朝鮮に拉致される」と言いますというと、はなはだしい場合は「あの韓国でしょ?ああいうところに行くんだったらいいんじゃない、帰ってこないのよ、アハハ」とそんな印象が非常に多い。
これは実は北朝鮮と言うのはどういう国なのか?
そこで行なわれている人権侵害の実情、これを体系立ててタイ社会に問わない限りは、この問題は十分に理解されないだろう。
そのような思いを強く持っております。

そうしますと個別の拉致問題と言う事を発信しますのと同時に北朝鮮の人権状況、これを体系立ててきちんとタイ社会に問う。
これが極めて重要な救援活動のための要素となってくると考えております。
その為に一つはこのジェンキンスさんの本、これの版権を取得いたしまして、タイ語で出す準備を行なっております。

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それからこちらは、この本は英語の本なんですけど、脱北者の面接集です。
脱北者の人が北朝鮮内でどんなに酷い人権侵害を遭ってきたのか?また目にしてきたのか?
これは強制収容所みたいなものも含めまして、そういう著書なんですけど、私の方で版権取得しまして、つい1月にですね。
翻訳が終了しました。
これも7月くらいにはタイ社会に問いたいものと考えております。

脱北について若干申し上げますと、タイは今現在脱北者がおそらく中国を別とすれば、もっとも発生している国の一つであろうと思います。
私どもが把握している情報では、昨年1年間でタイ当局に拘束された脱北者が約1000名。
今年1月から4月までの数値が昨年度の1月から4月のペースをはるかに上回るペースになっている。
今年においてはおそらく1・5倍から2倍くらいの脱北者が入っている可能性があります。

これの人権侵害、拉致は外国人に対する人権侵害ですけども、脱北は自国民に対する人権侵害の結果として発生していると考えましたなら、北朝鮮による人権侵害と言うのは、タイには脱北で非常に関わりが深いわけですけども、そういったことも含めてタイ社会には何も認識されない。
脱北者と言っても何で来ているんだろう?
それで終わりです。

また報道の傾向を見ましても、日本のマスコミの方とは全く違いまして、非常に個別の一つ一つの事件を気にするだけで、その背景を掘り下げるという事も全くありませんので、そういった事も含めて北朝鮮で何が起こっているのか?
これを体系立ててタイ社会に問うという事、これを私どもの支援団体の大きな使命であると考えております。

スライドはここまでです。
私どもの支援団体、まだまだ人も少なくて、また活動も非常に限られているんですけども、家族と非常に密接な関係を保ちながら、草の根レベルですけどもかなり動きを出しております。
今後とも日本国内の皆様を含めましてご支援をいただければと考えております。
また今回明らかになりましたルーマニアの家族、この4月22日にはタイの家族もこちらに参りまして、タイの家族もルーマニアの家族と会うこと。
そして連携する事を非常に期待する事をしたいと言明しておりますので、タイとルーマニア、タイと韓国と言った連携も今後進められればと考えております。
私の方、長くなりましたがここまでとさせていただきます。(拍手)

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この集会の録音・写真撮影・ネット公開に関しては主催者の同意を頂いております。


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