2007年07月16日

平成19年、みたままつり

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昨日、今年も家族揃って靖国神社のみたままつりに行ってきました。
折悪しく台風4号が関東地方をかすめ、天気予報は最悪。
しかし予想よりも台風の通過が早く、夕方には天候が回復して来たので思い切って出掛けてまいりました。

母は数日前よりこのみたままつりの参拝をとても楽しみにしておりました。
台風が接近中で交通機関などがどうなるか分からない中、今年の参拝をどうするか思案を始めた時でも、「どうしても靖国に行く、叔父ちゃんに逢いに行く」と言って涙ぐむのです。
「特攻の叔父さんが命をかけて護ってくれた自分が行かなければ、叔父さんが寂しがるから」と言って聞きません。
そこまで言うなら、どんな事をしても行きましょうと、今年もみたままつり参拝を決行いたしました。

15日夕方5時前には家を出て、6時ごろには靖国に到着。
台風による悪天候が災いしたのか、去年のみたままつりに比べて人出は少ないように感じました。
吹き返しの風が境内を吹き抜け時折小雨も舞い、傘を持つのが余計な荷物という厄介な状況の中、それでも私は人ごみが苦手なので、その点だけはありがたいと思ったり。

まずは昇殿参拝をすべく、参集殿を目指します。
去年は自宅を出る時間が遅れ、昇殿参拝は最終ぎりぎりに滑り込みで間に合ったのですが、今年は早く家を出た分余裕がありました。
係りの方の案内に従い、手水を済ませてまずは拝殿へ。
ここでお祓いを済ませた後、渡り廊下を辿って本殿へと進みます。

小雨の舞う本殿の風景もしっとりと落ち着いてそれはそれは荘厳な眺めでした。
空模様が晴れであれ雨であれ、ここにはそんな世情とは関係なく何かが漂う空気がある。
心を静かに落ち着けて本殿に昇殿を致しました。

祝詞を上げていただき、二礼二拍手一礼の参拝を済ませ、しばし黙祷を捧げます。
聞えるのは参道から聞える祭囃子と、風に揺れる木々のざわざわと言う葉摺れの音のみ。
本殿には静かな沈黙の時が流れるのみでした。
去年はこの黙祷の時、「愛する者がいるから命をかけられるんだよ」という大叔父の声が私には聞こえたのです。
けれども今日は私の予想通りに何の声も聞こえる事はありませんでした。

最近私が靖国を訪ねても、もう大叔父の声が聞こえる事はないのです。
けれど声が聞こえなくても、靖国はやはり何かを感じる場所ではある。
今日昇殿参拝をして改めて思いました。
大叔父は私に対して具体的な言葉で進むべき道を示す事は多分この先無いのだろうな、と。
その代わり言葉にならない熱い思い、伝えるべき思い、といったものを感じる瞬間はあったのです。
「どうすれば愛する者を護れるのか?をそろそろ自分の頭で考えて自分なりの行動をしろ、お前なりの努力をしろ」と。

本殿を下がってお神酒を頂いた後、私は本殿に向かって深々と頭を下げました。
「大叔父さんの熱い思いに必ず私なりに応えて見せます、だからどうか温かく見守ってください」と、心の中でつぶやきました。

母は参拝の間も涙ぐんでおりました。
叔父さんの事は忘れないよと。
元気で幸せに暮らす事が叔父さんへの恩返しだから、頑張るよと。

後に残る者の幸福を願うからこそ、大叔父は自分の命を投げ出したのです。
その思いに応えずして、大叔父の恩に報いる事は出来ません。
そしてその幸福と言うのは必ずしも私個人だけのものではないはずでしょう。
自分を取り巻く家族が、地域が、そして国が幸福にならなければ靖国の御霊はとてもとても静かに休んではいられないはず。
そんなことも考えた静かな今年の靖国参拝でありました。

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小雨舞う中、永代献灯の提灯を探して歩きました。
今年の母の献灯は何と木組みの一番上。
これなら大柄な叔父さんにも見やすくて宜しかろう、と家族で喜び、記念の写真を今年も撮りました。
その後は神輿の宮入や盆踊りなど、御霊をお慰めする様々な催しを見学。
台風の被害を避けるべく、今年は仙台七夕の飾りが外してあったり、休業している出店があったりでちょっと寂しげなみたままつりであったかもしれません。

でも、多分昨日の人出が少ない分今日16日の最終日は混むんじゃないのかな?(笑)
それはそれで仕方の無いこと。
台風の影響があったにしては人出はそこそこありました。
賑やかな祭りの様子を見て本殿の奥で英霊もさぞかし喜んでくれたことと思います。

悪天候を反映してか、今年はさすがに浴衣がけの参拝客は少なかったですね。
それでもいましたよ、左前に浴衣を着ている紳士淑女の皆様が・・・(笑)
どうしても職業柄、そういうところには目が行ってしまうのです。
本日の左前=死に装束着付けで祭りをそぞろ歩いていた方は、男性1名・女性6名の計7名。
浴衣がけの方が少ない割りに遭遇率は高かったんじゃないかしら?

お願いです。
着物は日本の民族衣装、日本の大事な伝統文化なのです。
自分の国の民族衣装すら満足に着られないというのは、基本的教養として如何なものか?と思いますよ。
この季節、探せば浴衣の一日着付け教室などと言うのもありますし、着付けの出来る方からきちんと習うなりして、浴衣くらいちゃんと着こなして欲しい、と願う私。

着付けがいい加減だから、襟元が崩れ、すそが乱れ、帯が緩み、腰周りの始末がぐちゃぐちゃと言う方が、本当に多くて参ります。
もう、片っ端から着付けを直して差し上げたい!という衝動に駆られるのを、必死で押さえて過ごすこちらの身にもなって欲しいなぁ・・・(笑)
きちんと襟元を合わせ裾をきちんと決めて帯をしっかりと結べば、多少乱暴に動いても着物と言うのは本来そんなに着崩れしないし、動きやすいモノなんですから♪

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最後に大叔父さんの命の桜である神雷桜について。
台風の雨にずぶぬれになった桜は、今日は献灯と掛け雪洞の陰に隠れてすっかりと目立たない存在でありました。
でも、我が家の面々にとってはこの桜に逢わずして靖国に来た意味が無い。
雪洞の下をくぐり抜け、神雷桜の幹に手を触れてまいりました。
台風の雨をたっぷり吸って湿った桜の幹は、なんだか少し寒そうにも見えました。

雨の靖国を尋ねたのは実はこれが初めての事。
当たり前の話ですが、靖国だって世情と同じように晴れの日もあれば雨の日もある。
でも私たち家族にとって、大叔父の魂の宿る神雷桜が雨に濡れて祭りの喧騒の影でひっそりと立ち尽くしている風景には、何ともいえない寂しさや悲しさを感じるのです。
明日は天候が回復するそうなので、早くからりと幹が乾いて、気持ちよく一日を過ごして欲しい。
沖縄の海に木っ端微塵と散った大叔父さんは遺骨のひとかけらも家族の元には帰って来ていない。
叔父さんと魂の触れ合いが出来るのは、ここ靖国でしかないのですから。
そういう思い入れを持つ遺族にとって濡れ鼠の桜の木は、そのまま大叔父さんがずぶ濡れて立ち尽くしているのに等しい風景なのです。

神雷桜を去るとき、母はポツリとつぶやきました。
「桜も元気で長生きしてね、これは叔父さんの命の木なんだから」

名残を惜しみつつ、靖国を後にしたときは午後の9時を回っておりました。
さすがにこの時間になると少ない人出もさらに少なめになる。
出来れば一晩くらい靖国に泊り込んで大叔父の魂を慰めたいところですが、そういうわけにも行きますまい。
再びの参拝を約束して、私たちは帰途につきました。
大叔父さんの魂がただただ安らかである事だけを祈り、命がけの愛に応える事を改めて約束して、九段の坂を下りて地下鉄を目指し、平成19年のみたままつり参拝を無事に終えた私たち家族でありました。
posted by ぴろん at 09:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月12日

安明進氏逮捕に思うところを少々

私は古川裁判で安明進氏が証言をする様子をこの目で直に傍聴をしました。
(安明進氏の裁判での発言要旨→http://piron326.seesaa.net/article/26588973.html

その後の記者会見で、彼は拉致問題解決のため証人として証人席に立った思いを下記のように熱く語っています。
(安明進氏の記者会見での発言テキスト→http://piron326.seesaa.net/article/26732377.html
(安明進氏の記者会見での質疑応答テキスト→http://piron326.seesaa.net/article/26873152.html

安明進氏の拉致問題解決に寄せる思いに嘘は無いと、私は思います。
表に顔と名前と経歴を出し、金正日と戦うというそのこと事態が、どんなに強い覚悟が必要であったか?
そのリスクを犯しても彼はめぐみさんの生存を証言し、それが現在に至る救出運動の原点となりました。
少なくとも支援者を自認する方であれば、彼の勇気ある行動に感謝の念を忘れてはならないでしょう。

そして彼が生活に困窮し、あるいは韓国国内での安明進氏の置かれた立場を思うとき、それを的確にサポートできなかった私たち支援者の手抜かりに関して、まず自己批判があってしかるべきでは無いか?と感じます。

今度の事件が真実なのか陰謀なのか?
現時点では私にはまだ判断がつきません。
しかし、いずれにせよこれを好機とばかりに支援活動の弱体化を狙って、マスコミの巧みな世論操作はすでに始まっています。
当然北朝鮮も救出活動を潰すべく、あの手この手の揺さぶりをかけてくるでしょう。

こういう事態に直面して最優先すべき事はなんなのか?
救う会執行部にいろいろ問題がある事は私も承知しています。
しかし、今は救出活動自体が存亡の危機に立たされている、と見るのがまずは正しい現状認識ではないのか?と私は思う。

北朝鮮との戦いは情報戦の戦いです。
この戦いに勝利するために今こそ、支援者たるものが最優先すべきことに今は力を注ぐべきでしょう。
安明進氏の事件を利用して執行部批判に躍起になっている方も散見されます。
そのお気持ちも分からなくはありませんが、今執行部批判をして支援の輪を乱す事は、この支援活動を潰したくてたまらない敵の思惑に塩を送る事態となりはしないか?と私は憂慮します。

被害者救出を本当に実現するために、今なすべき事は何なのか?と冷静に順序立て出来る強かさと戦略が私たち支援者に突きつけられている、と言うのがこの事件に直面した私たち支援者の取るべき立ち位置ではないかと考えます。

世の中は今、参議院選挙に突入。
いつも思うことですが政治のレベルも、マスコミのレベルも、所詮はそれを支える国民のレベルにつりあったものしか手に入らない、という事。
全うな政治が欲しい、全うなマスコミが欲しいと思うなら、私たち国民の側ももっともっと意識を高め、政治に対してもマスコミに対してもきちんとした批判の出来る良識と判断力を持ちたいもの。
目先の瑣末なことに囚われて、内輪もめに及ぶなど論外だと私は思いますけれど。

支援者として、一人の国民として今成すべき事は何なのか?
広い視野を持ち戦略を持ってまずはそれを真剣に考えるべきかと思います。
安明進さんの事件と参議院選挙の公示に触れて、思う事はそれだけです。
posted by ぴろん at 10:22| Comment(6) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月08日

「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観てきました

多忙のため時間を作る事が出来ず、公開から長いこと間を置いた今日ようやく「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観に行く事ができました。
今日はその感想などを少し綴ってみたいと思います。

特攻で戦死した大叔父を身内に持つ私には、映画の内容は特段珍しいものがあるわけではありません。
この程度の事実は、私も個人的に調べてすでに承知のことでありますし。
そして毎度のことながら、この手の作品を見るたびに「映画は所詮は作り物で、本物はこんな程度じゃないんだろうな・・・」という冷めた感覚が体の中に湧いてしまう私なのです。

けれど、この作品を見ておや?と思ったところもあります。
それは出撃していく特攻隊員が「靖国で逢おう」という台詞を口にしていること。
これ、日本の戦争もの映画では特筆すべきことのように私には感じました。
靖国の問題はいつの日からか当たらず障らずという空気が出来てしまい、戦争はいけないことで平和は大事なことといった単純思考がまかり通っていたのが昨今までの世情と言えるでしょうか。

それを素直に、「靖国で逢おう」と言わせたこの作品。
靖国に祀られることが戦争で死んでいく者にとって、そして残される者にとってどれほどの拠り所であったか?を語らずして、あの時代の空気を表現する事は出来ないでしょう。
その意味で私はこの作品を素直に評価したいと感じております。

それから特攻のシーンがリアルに表現されていたところは、観ていてやはり胸の詰まる思いがしました。
知覧は陸軍の特攻基地。
映画の中で特攻隊員は「隼」に乗って出撃しますが、私の大叔父は人間爆弾・桜花と呼ばれたロケット型の特攻機による出撃。
それと私の特攻の大叔父は海軍の所属で鹿屋基地からの出撃なので、この作品の特攻シーンがそのままそっくり当てはまるというわけではありません。

しかし、圧倒的な兵力の差、特に飛行機の性能の差は如何ともし難かったのがあの時代の戦争の実情。
特攻は外道の統率などと改めて言うまでも無く、命をかけて出撃に臨むためのその愛機が、どうにもお粗末な代物であることを、彼らはどう自分に納得させて出撃に臨んだのか?
それは私の特攻の大叔父の出撃にも重なること。
当時わずか19歳だった大叔父の苦悩を思うとき、決死の出撃に臨む特攻隊員の決意の程は、平和ボケした私などにはとても計り知れぬこと、と改めて重過ぎる事実を突きつけられたような気がします。

敵の激しい迎撃をくぐり抜け、見事敵艦の撃沈に成功した特攻機は特攻作戦全体からみればわずかな数でしかありません。
空しく海に散った多くの特攻隊員の無念を思うと、どうにも複雑でやりきれない思いに囚われる私。
私の特攻の大叔父も、雄雄しく出撃はしたものの敵艦への体当たりは叶わず、目標の船の20メートル手前で機首に被弾、海面に激突大破したと様々な記録を調べてその実情を知りました。
その瞬間、大叔父の胸に去来したであろう無念を思うと、私はどうにもやりきれない思いがするのです。
特攻を志願し死の覚悟を決めたのなら、せめて本懐を遂げさせてやりたかった。
そんな思いが、私の心の中には歴然としてありますので。

映画の中で、沖縄を目指して開聞岳の横を特攻機の編隊が静かに飛んでいくシーンは、作り物とはいえ思わず胸の痛みを覚えずにはいられませんでした。
鹿児島県の南端にそびえる開聞岳は別名薩摩富士とも呼ばれ、多くの特攻機が本土との最期の別れを惜しんだ山。
私の特攻の大叔父もこの山の姿をその目に焼き付けて、故郷への名残を惜しんだに違いないのです。
特攻に関わる者にとって開聞岳はひとしお思い入れのある山。
いつか私もその山の姿を自分の目に焼き付けて、特攻の大叔父の最期を偲びたいと思っております。

自分の愛する家族を国を護るため、計り知れない死の恐怖を乗り越えて出撃していった特攻隊員たち。
そして彼らを軍神と崇め、見送った当時の国民たち。
戦争はいけないことと言うのは容易い。
けれど、愛する者を護るために若い命を散らした彼らの心に嘘偽りはあるでしょうか?
極限状態に追い込まれれば追い込まれるほど、最後に残るのは純粋な愛情ではないのか?と。

特攻は犬死だ、と言う人がいます。
でも、それは余りにも単純に過ぎる物の言い方ではないかと思う。
特攻隊員は、愛する家族のために命を散らした。
その彼らの犠牲を単なる犬死にするか否かは、護られた側の私たちが、護ってもらったこの命をどう生きるか?にかかっているのではないでしょうか?

決死の覚悟で特攻に臨むなどとは、とてもとても正気の沙汰で挑めることではない。
しかし、彼らは文句一つ言わず、粛々とその命を愛する者を護るために捧げたのです。
生きたくても生きる事が許されなかった特攻隊員たち。
彼らの死を無駄にしてはならぬと思うのであれば、今この平和の時代を生きる私たちが、護られたこの命を決して粗末にしてはならぬと思う。
そして彼らが示したように、私たちも愛する者のために時に命をかける覚悟を持たねばならぬ、とも思う。

覚悟を忘れた日本人は、いつしか己のことしか考えないような、浅はかで醜い人間に成り果ててはいないか?
自分の命も他人の命も粗末にする、軽薄な人間に成り下がってはいないか?
自分の命の価値を知っているからこそ、その命を捨てた代償として得るものの大きさを、特攻隊員は肌身で知っていたのでしょう。
だからこそ、彼らは愛する家族のため、死の恐怖を超えて出撃に臨めたのだと私は信じます。

映画の中で出撃に臨む部隊の隊長が、自分の隊の部下に向かって「靖国神社では拝殿前の右側二本目の桜の下で逢おう」と語りかける場面が出てきます。
その姿はまるで私の特攻の大叔父さんそのもののように見えました。
桜花隊の皆さんも、神門右二番目の桜の木の下、と再会の場を約束して出撃に臨んだのですものね。
靖国さんも、あの頃は毎日のように数え切れないほどの多くの英霊が集っていたのです。
きちんと再会の場所を決めておかねば、迷子になって戦友に逢うことが出来なくなる。
その切ない思いが、どうにも胸を締め付けます。

特攻の大叔父さん。
あなたは靖国でこの国の有様をどんな思いで見ていらっしゃるのか?
私の生き方は、あなたが命をかけて護ったに相応しいものでしょうか?
いつか私が天寿を全うし三途の川を渡ってあなたに逢う時、あなたの犠牲に相応しい自分でありたいと願っています。
日本は今決して心穏やかな国とは言えませんが、大叔父さんの御心に背く事の無い様に、自分に出来る精一杯をして、いつかあなたにお逢いしたいといつも心に誓う私なのです。
posted by ぴろん at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 与太話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

07.5.30 増元俊子さん 東京連続集会28(10)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『増元俊子さん(増元照明さんの妻)のお話』

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増元照明の妻の俊子です。みなさん、こんばんは。
基本的なことも、私は家族会に入ったばかりで、私が申し上げられることはないので、ご勘弁いただきまして一言だけ申し上げたいと思います。
夫とそれから、斉藤文代さんとお二人、それから島田先生とご一緒に、アメリカに訴えに、それからアメリカの確認をとりに一週間以上訪米があって、その報告と言うことですので、そのことに関しまして一言だけ申し上げさせていただきます。

斉藤さんにも夫にも、母親がおります。
アメリカに行って訴えている子供を案じている母親がおります。
その母は、娘や息子を北朝鮮に奪われて、それで、夫にも、戦い半ばにして夫にも先立たれて、ひとりで、子供たち、アメリカで闘っている子供たちを案じながら静かに、今日を明日に繋いで、何時になるかわからない戦いを、静かに続けている母親がいます。

こないだ、母の日のイベントとしまして、救う会鹿児島の姉のるみ子さんと修一さんの同級生の方々が、わざわざ自宅を訪問してくださいまして、母の日のカーネーション、花束とそれとプレゼントを持ってきてくださいましたけれども、同級生の方々が、『本当はるみ子さんや、修一さんが実際にお母さんにお渡しできればいいけれど、今年も自分たちが持ってこざるを得ないことが非常に残念で、来年は是非とも、るみこさんや、修一さんが実際にお花を届けることが出来ると良いですね』と言いながら、ご本もくださいました。

そういう、此処にいらっしゃる横田めぐみさんのお父様、お母様も、大変体力的にお疲れが出ていらっしゃいますけれども、頑張って闘っている夫にも、母親がおります。母の哀しみを早く解放させてあげてそれで、なすすべもなく、北朝鮮の閉ざされた国の中で、救出してくれるのを待っている被害者の皆さんを本当に1日も早く返して差し上げたいと思いますので、どうぞみなさんのお力をお貸しください。宜しくお願いします。

・・・集会終了・・・

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07.5.30 本間勝さん 東京連続集会28(9)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『本間勝さん(田口八重子さんの兄)のお話』

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今横田さんが言われましたけど、我々拉致被害者の関係者は本当に体力的にどんどん弱って来てですね。
本当に時間との勝負、という事になって来ています。
ですから本当に金正日体制を倒すと言うのを、その方針でこの先ですね。
どうしたらいいか?
それをもう真剣に考えて、出来る事は前倒しで多少無理があってもやっちゃうと。
そういう事は西岡先生も言われましたように、北朝鮮は経済的には貧窮している国です。
経済制裁が一番効くわけですよね。

我々は軍事力は行使できませんけども、経済的力は持っています。
経済では戦えます。
朝鮮総連の在日から北朝鮮に流れるお金を止める。
これだけでも相当な経済制裁になると聞いております。(拍手)
そういった事をびしびしやってですね。
追い込んでいくしかないと思います。

それと拉致問題の認定でいろいろ今特定失踪者問題で警察関係で掘り起しが進んで、どんどん拉致犯人を追い詰めておりますけども、拉致の認定で言わせてもらえば寺越事件の拉致認定と言うのはまだ通っておりません。
これによってですね。
拉致はもう明らかになったんだと、状況判断からしてね。
日本の近海で漁船をぶつけられて、それを北朝鮮が助けてなんで北朝鮮まで持っていくんだ?と。
そんな事は絶対に考えられないわけですよね。
そんな屁理屈が今まで通って来ている。
そういった事を打破するためにも寺越事件を拉致事件として早く認定して、それで今寺越さんの武志さんのお母さんが北朝鮮に利用されているのを、あの人だけはなぜか不思議に50何回それ以上行っているかもわかりませんけど、往来してお金を持って行ったり、または北朝鮮の宣伝工作に使われたり。

それで我々の被害者・特定失踪者の問題を早く解決してやってもらいたい。
国としても特定失踪者問題の方では「しおかぜ」の北朝鮮向けの放送をやっておりますけども、国としても国営放送でそういった問題に取り組もうとしております。
そういった攻めは続いております。
だから総連のお金が日本から渡らないような、それだけでも出来ることなんです。
それを早く国がやってもらってですね。
北朝鮮をどんどん追い詰めてもらいたい。
土俵に乗ろうとしない現状なんですよね。

これを打破するためには戦っていくしかない。
それなんです。
皆さんも我々を支援していただいて、そういった声をですね。
出していただきたいと思います。
宜しくお願いいたします。(拍手)

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07.5.30 横田早紀江さん 東京連続集会28(8)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『横田早紀江さんのお話』

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ご苦労様でございます。今、先生方のお話にありましたように、本当に私達は、本当に何にもわからない市民で、知識も何にもないものが、ここまで専門的な、支援の方々、国民の方々の力が結集されて、本当に、ようやくここまで、アメリカの姿勢とか、韓国はなかなか・・ですけれども、北朝鮮も非常に追い詰められたようなところまでくることが出来た現状が、いまやっとなってきたと言うことで、私達は、本当に・・のみなさんについて、一生懸命頑張ってきたということしかないんですが、本当に有り難い事だと思っています。

今は主人が話しましたように−−読売新聞さん、今日いらしているかどうかわからないんですけれど−−私達も朝新聞を見てびっくりしてですね、『何を書いたの、これ?』と言ってびっくりしたんですけれども−−本当に、こういうような、北朝鮮が追い詰められている状況で、ちょうど主人も体調が良くないし−−代表を退任するというのも、読売さんが書いちゃったんですが−−更にびっくりしたんですけれども−−今そう言うような状況の中で、ちょっと体力的に私達二人も弱っているというのは確かなんで、このような記事が載ると言うことは、やはりここにつけ込んで、やはり、ヘギョンちゃんという、私達が会いたくてしょうがない人を出してきて、何とかして、ここでそういう状況を作っていこうじゃないかという、どこか、そう、北朝鮮側から働きかけがあったのか、中国が、それを知ったのか、それを私達は、本当に何も聞いていませんし、政府もそのことは全く聞いていないとおっしゃってますし、全くびっくり仰天している状況なんですが、そう言う中で、こういうことが、いろんな事で起きてくるのではないかということを、非常に懸念しておりまして・・・。

私達は、めぐみたちが、本当にどうなっているのか、今どこにどうしているのか、本当にどうしているのか、情報がないことが、非常に、家族会は、みんな苦しくて、本当に切なくて 何でも良いからわかってほしい、知らせて欲しいという思いでいますので、まず、拉致の被害者の子供たちの状況がどうなのか?そして偽の骨が・・・ここにも書いてありますように、中国が鑑定しても良いということまで書いてありますが、そんなことを持っていけば、どんな風にごまかされるかわからないと、私達は、恐怖感を感じていますし・・・。

色々なことに、本当に取り込まれないように・・拉致被害者が今どうなのか、はっきりとした、具体的な状況を誠実に出してこなければ、解決に至らないんだということを、日本政府が、しっかりと主張していただきたいと思っています。
宜しくお願いします。

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07.5.30 横田滋さん 東京連続集会28(7)友愛会館にて

アメリカはどう動くか 東京連続集会28
07.5.30 友愛会館にて

『横田滋さんのお話』

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今のところ、六者協議の動きが全くありません。それは、先ほど島田先生が話されたように、バンコデルアジアのお金が要するに資金回復しないと言うことで、ヒルが、何回も今月中に解決するだろうとか、後数週間で解決すると言ってきたわけですが、それが全て予想が外れて、狼少年が、『狼だ』と言っているのと同じで、だんだん信用をなくしていってきたと思います。

日本側としては今は、『我慢にも限度があるので、もっと制裁しろ』というような外務大臣の発言にもありますように、いわゆる制裁を一層強化するということが、解決の手段ではないのではないかと思います。

それから、最近特に変わったことがありませんけど、先日の新聞に、中国から打診があって・・日中関係者が明らかにしたということで、特定失踪者のニュースをだすとか、それからキム・ヘギョンンさんを金日成総合大学から、北京大学の方に移す。そして我々が会いにいけるようにするとかいうような言う事が出ていましたが、それも、一社だけで、他の新聞にはどこにも出なかったですし、我々に対する取材もありません。又、政府からもそんなような話は、打診みたいなものも全くもありません。どういうところから出たのかはわかりませんが今のところ、我々にとっては関係のないような話じゃないかと思っています。

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2007年07月07日

特定失踪者・古川了子さん失踪 あの日から34年目の七夕様

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今日7月7日は、今から34年前千葉県千葉市内で失踪した特定失踪者・古川了子さんの失踪日です。

千葉県在住の私にとって、古川さんは一番身近に感じる失踪者。
彼女の失踪地・千葉市の千葉駅周辺は、私にも土地勘のある場所。
それだけに、古川了子さんの事件は他人事とは思えず、私個人としても特に関心を持って追いかけて来ました。

ご存知のように古川さんのお母様とお姉さまは、了子さんの拉致認定を求めて国を相手に裁判を起こしました。
そのほとんどを追いかけて傍聴を続けた私が、今一番言いたい事は特定失踪者家族の置かれている余りにも苦しいその環境です。

拉致問題の解決と言った場合、例えばこの板に集う多くの心ある支援者は、特定失踪者を含めてまだ名前も分からない被害者を救い出すまで、と言い切る事は出来るでしょう。
しかし、拉致問題にそれ程関心の無い一般大衆はそこまで言い切るほどの知識なり覚悟なりを持っていると言えるかどうか?

今、拉致問題の存在を知らない日本人はまずいないでしょう。
めぐみさんをはじめ政府認定被害者の事はある程度周知されているかもしれません。
しかし、特定失踪者となると「なにそれ?」と言うレベルの人が残念ながらまだまだ多数派ではないでしょうか?

特定失踪者のご家族の多くは公の場で発言する機会がほとんどありません。
また、本当に拉致かどうかが曖昧なため、世論に対して強くものをいえないという弱みもあります。
勢い、特定失踪者の訴えはどうしても弱々しいものにならざるを得ない・・・
失踪した家族の救出を願う気持ちに違いは無いはずなのに、政府認定被害者と特定失踪者との間には、埋めきれないほどの大きな溝がある。
それが現実かと思います。

古川裁判を追いかける過程で、私は原告の古川さんのお姉さま・竹下珠路さんの苦悩を肌身に感じてきました。
妹の救出は待ったなしなのに、のらりくらりと裁判は一向に進まない。
国の態度も曖昧模糊として、誠意の欠片も見られない。
単なる支援者に過ぎない私でさえイライラと裁判の行方を見守ったのです。
当事者であるお姉さまの苦悩は如何ほどのものであったか?
お姉さまの心のうちの苦悩は端の者には計り知れない、と感じています。

先日裁判は、国側が拉致問題解決に向けての「表明書 ※1」を出すことで和解が成立、原告は提訴を取り下げる事態となりました。
しかし、その表明書なるものの内容は、拉致問題に取り組む人であれば余りにも当たり前に過ぎる内容です。
この当たり前の言葉を国から引き出すために費やした時間は2年間。
2年の月日をかけても、了子さんの拉致認定は認められませんでした。
お姉さまやお母様の心中は如何ばかりであった事か。

安明進さんの目撃証言と言う強い裏づけがあるにも関わらず認定を取る事が出来ず、苦渋の選択で和解を受諾したお姉さま。
裁判後の会見で苦悩の表情で言葉をつなぐお姉さまの表情をみて、私は慰めの言葉も励ましの言葉も見つかりませんでした。
そしてその時、これから何としてでもこの古川さんの件を含めて特定失踪者の厳しい状況を世論に知らせ、最後の一人を救い出すという確固たる国民意思を作り上げねばならぬ、と強い決心を致しました。

古川さんのお母様・浪子さんは、御歳90を越えているそうです。
ただひたすら娘・了子さんの救出を願い、失踪から43年目の今日この瞬間も必死の思いで命をつないでいらっしゃるはず。
古川家の皆さんが、七夕の笹飾りを囲んで空を見上げ楽しい団欒のひと時を過ごす。
そんな当たり前の日常を一刻も早く取り返すために、私たちは自分に出来る精一杯の支援をすべきかと思います。
最後の一人を救い出すまで、この問題を決して忘れてはいけない。
そういう強い国民世論を構築するために、私たちは身近な人へ拉致問題への正しい知識と関心を広める努力を致したいものだと思います。

※1 表明書の全文はこちらから→ http://piron326.seesaa.net/article/42242780.html
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※参考 拙Blog 話の花束より

第9回古川了子さんの拉致認定を求める行政訴訟報告会 テキスト一覧表
http://piron326.seesaa.net/article/42242460.html

※調査会HPより 

古川了子さんの情報
http://chosa-kai.jp/index.html

氏名 古川 了子 失踪年月日 昭和48(1973)年7月7日
ふりがな ふるかわ のりこ 生年月日 昭和30(1955)年1月1日
性別 女 当時の年齢 18
身長 157センチ位 体重
公開 第1次公開
当時の身分 三井造船社員
特徴 中学時代水泳部、高校では卓球部部長。書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。文字を書くのは左右同じに使える。
失踪場所 千葉県
失踪状況 午前中に美容院へ行き、午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。朝早く家を出て、美容院に「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができた。母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。母親は美容院からの電話で、友達にでも会うことになったのだろうと気にしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。7月に初めて貰ったボーナスは手付かず、預金通帳も置いたまま。持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。元北朝鮮工作員安明進氏が、「'91年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
posted by ぴろん at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月01日

桜花特攻隊員練成の地、神ノ池基地跡へ行く

Img_3171.jpg

昨日、私は母を連れて茨城県鹿嶋市にある、桜花特攻部隊の訓練基地でもあった神ノ池基地跡を訪ねて参りました。
過去のエントリーでも紹介したように、昭和19年10月、海軍は特攻のための専門部隊「七二一海軍航空隊」通称「神雷部隊」を結成し、翌11月より現茨城県鹿嶋市にあった神ノ池基地で訓練を行う事となりました。
千葉と茨城はお隣の県にも関わらず、交通手段の不便さなどを考えると今までは行きたくても躊躇する日々であったのですが、特攻の大叔父が自分の命をかけて護った当時7歳の姪っこである私の母も今年69歳。
こんな事を書くと縁起でもありませんが、いつ何時何が起こっても不思議ではなくなりつつある歳となっております。
母が元気で足腰立つうちに、思い立ったが吉日とばかりに、叔父の気配の残る土地を片っ端から訪ねてようとしている私たち母子なのですね。

神ノ池基地跡は、現在住友金属鹿島製鉄所の私有地。
しかし神ノ池基地の歴史的経緯に配慮し、敷地の一部を公園として一般に開放し、そこには慰霊碑と桜花のレプリカが展示された、掩体壕(えんたいごう)が無料で見学できるようになっています。

Img_3158.jpg

ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、神ノ池基地における桜花の投下訓練はたったの一回。
それであらゆる攻撃に対応できる「練度A」判定を貰い、彼らは鹿児島県の鹿屋基地へと進出していきました。
叔父の足跡を訪ねるたびに思うこと。
人一人の命を爆弾に乗せて特攻させるという作戦自体も無謀だけれど、その為の訓練もたったの一回こっきりだったという事実を前に、所詮は今の感覚でしか物を考えられない戦後生まれの私には、「余りにも無謀で過酷な状況」の一言しか思い浮かびません。

しかし国家存亡の危機に際し、彼ら特攻志願者は己の命を捨てても国を家族を護りたいと、心底切実に願ったのでありましょう。
それなくして自ら命を散らす特攻作戦などに参加できるものなのかどうか?
特攻は犬死と仰る方もいますけれど、しかし今自分の命を捨てる事が、特攻に臨む事が、自分の愛する家族を護るためにどれ程役に立つか?を分かっていたからこそ、つまり自分の命の価値を知っていたからこそ特攻隊員は誇りを持って出撃に臨んだような気もしています。
でなければ、普通に考えてとても正気の沙汰とは思えない特攻作戦にその身を投じることなど出来るのか?
5月4日の第7次桜花出撃に際し、特攻の大叔父は笑顔で母機の一式陸攻の搭乗員に別れを告げて桜花に乗り込んだと、母機の搭乗員であり桜花の発射ボタンを操作し、戦後を生き抜いた戦友のA氏の手記にもありました。

しかし如何に戦中の過酷な状況にあるとはいえ、人一人が特攻に臨むに当たって笑顔で出撃していくというその境地に至るまでは、人知れず涙を流し恐怖心に駆られ心の揺れる瞬間を何度も通過したに違いないと考えます。
その恐怖心を乗り越えさせたものは何なのか?
それはやはりどう考えても、家族への愛に他ならぬと思う。
それなくして、どうして十死十生の100%の決死の特攻に、そんなに簡単に人は臨めるものなのか?と思っています。

神ノ池基地跡地に立つ桜花の慰霊碑を前に、「叔父さん、やっと逢いに来たよ」と言って私の母は号泣いたしました。
慰霊碑に花と線香を供え、周囲の雑草を抜きゴミを拾い、叔父の魂をしばし慰めました。
特攻作戦は死んで逝く者にも護られて生き残る者にも、過酷なまでの試練を与える。
その心の痛みと共に母の人生はありました。
立派な叔父さんの志に泥を塗ることの無いようにと、叔父さんの心を受け継いで生きる事が、母のその後の人生を支える大きな柱の一つとなりました。

神ノ池基地跡の頭の上に広がる空、そして公園を渡る風。
この地には、当時わずか19歳の青年が、かつて自らの命を真剣に桜花の投下訓練にかけた時間が確かにありました。
街の姿は現在大きく変わってしまっても、叔父がこの地で短い生涯の一部分を過ごしたことに変わりは無い。
もしや叔父の匂いが多少なりとも残ってやしないか?と、母と二人大きく深呼吸などしてみました。
叔父が歩いたかもしれない公園の地を踏みしめ、叔父の気配を追い求めもしました。

特攻の大叔父さん。
どう逆立ちしても私はあなたの壮絶な決意の足元にも及びません。
あなたの命がけの愛に護られ今命をつなぐ者の一人として、精一杯の生を全うしたいと思います。
いつか三途の川を渡ってあなたに逢う時、恥ずかしくない自分でありたいと思う。
そんな事を改めて感じた、神ノ池基地跡を尋ねる母と私の小さな旅でありました。
posted by ぴろん at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする