
昨日、今年も家族揃って靖国神社のみたままつりに行ってきました。
折悪しく台風4号が関東地方をかすめ、天気予報は最悪。
しかし予想よりも台風の通過が早く、夕方には天候が回復して来たので思い切って出掛けてまいりました。
母は数日前よりこのみたままつりの参拝をとても楽しみにしておりました。
台風が接近中で交通機関などがどうなるか分からない中、今年の参拝をどうするか思案を始めた時でも、「どうしても靖国に行く、叔父ちゃんに逢いに行く」と言って涙ぐむのです。
「特攻の叔父さんが命をかけて護ってくれた自分が行かなければ、叔父さんが寂しがるから」と言って聞きません。
そこまで言うなら、どんな事をしても行きましょうと、今年もみたままつり参拝を決行いたしました。
15日夕方5時前には家を出て、6時ごろには靖国に到着。
台風による悪天候が災いしたのか、去年のみたままつりに比べて人出は少ないように感じました。
吹き返しの風が境内を吹き抜け時折小雨も舞い、傘を持つのが余計な荷物という厄介な状況の中、それでも私は人ごみが苦手なので、その点だけはありがたいと思ったり。
まずは昇殿参拝をすべく、参集殿を目指します。
去年は自宅を出る時間が遅れ、昇殿参拝は最終ぎりぎりに滑り込みで間に合ったのですが、今年は早く家を出た分余裕がありました。
係りの方の案内に従い、手水を済ませてまずは拝殿へ。
ここでお祓いを済ませた後、渡り廊下を辿って本殿へと進みます。
小雨の舞う本殿の風景もしっとりと落ち着いてそれはそれは荘厳な眺めでした。
空模様が晴れであれ雨であれ、ここにはそんな世情とは関係なく何かが漂う空気がある。
心を静かに落ち着けて本殿に昇殿を致しました。
祝詞を上げていただき、二礼二拍手一礼の参拝を済ませ、しばし黙祷を捧げます。
聞えるのは参道から聞える祭囃子と、風に揺れる木々のざわざわと言う葉摺れの音のみ。
本殿には静かな沈黙の時が流れるのみでした。
去年はこの黙祷の時、「愛する者がいるから命をかけられるんだよ」という大叔父の声が私には聞こえたのです。
けれども今日は私の予想通りに何の声も聞こえる事はありませんでした。
最近私が靖国を訪ねても、もう大叔父の声が聞こえる事はないのです。
けれど声が聞こえなくても、靖国はやはり何かを感じる場所ではある。
今日昇殿参拝をして改めて思いました。
大叔父は私に対して具体的な言葉で進むべき道を示す事は多分この先無いのだろうな、と。
その代わり言葉にならない熱い思い、伝えるべき思い、といったものを感じる瞬間はあったのです。
「どうすれば愛する者を護れるのか?をそろそろ自分の頭で考えて自分なりの行動をしろ、お前なりの努力をしろ」と。
本殿を下がってお神酒を頂いた後、私は本殿に向かって深々と頭を下げました。
「大叔父さんの熱い思いに必ず私なりに応えて見せます、だからどうか温かく見守ってください」と、心の中でつぶやきました。
母は参拝の間も涙ぐんでおりました。
叔父さんの事は忘れないよと。
元気で幸せに暮らす事が叔父さんへの恩返しだから、頑張るよと。
後に残る者の幸福を願うからこそ、大叔父は自分の命を投げ出したのです。
その思いに応えずして、大叔父の恩に報いる事は出来ません。
そしてその幸福と言うのは必ずしも私個人だけのものではないはずでしょう。
自分を取り巻く家族が、地域が、そして国が幸福にならなければ靖国の御霊はとてもとても静かに休んではいられないはず。
そんなことも考えた静かな今年の靖国参拝でありました。


小雨舞う中、永代献灯の提灯を探して歩きました。
今年の母の献灯は何と木組みの一番上。
これなら大柄な叔父さんにも見やすくて宜しかろう、と家族で喜び、記念の写真を今年も撮りました。
その後は神輿の宮入や盆踊りなど、御霊をお慰めする様々な催しを見学。
台風の被害を避けるべく、今年は仙台七夕の飾りが外してあったり、休業している出店があったりでちょっと寂しげなみたままつりであったかもしれません。
でも、多分昨日の人出が少ない分今日16日の最終日は混むんじゃないのかな?(笑)
それはそれで仕方の無いこと。
台風の影響があったにしては人出はそこそこありました。
賑やかな祭りの様子を見て本殿の奥で英霊もさぞかし喜んでくれたことと思います。
悪天候を反映してか、今年はさすがに浴衣がけの参拝客は少なかったですね。
それでもいましたよ、左前に浴衣を着ている紳士淑女の皆様が・・・(笑)
どうしても職業柄、そういうところには目が行ってしまうのです。
本日の左前=死に装束着付けで祭りをそぞろ歩いていた方は、男性1名・女性6名の計7名。
浴衣がけの方が少ない割りに遭遇率は高かったんじゃないかしら?
お願いです。
着物は日本の民族衣装、日本の大事な伝統文化なのです。
自分の国の民族衣装すら満足に着られないというのは、基本的教養として如何なものか?と思いますよ。
この季節、探せば浴衣の一日着付け教室などと言うのもありますし、着付けの出来る方からきちんと習うなりして、浴衣くらいちゃんと着こなして欲しい、と願う私。
着付けがいい加減だから、襟元が崩れ、すそが乱れ、帯が緩み、腰周りの始末がぐちゃぐちゃと言う方が、本当に多くて参ります。
もう、片っ端から着付けを直して差し上げたい!という衝動に駆られるのを、必死で押さえて過ごすこちらの身にもなって欲しいなぁ・・・(笑)
きちんと襟元を合わせ裾をきちんと決めて帯をしっかりと結べば、多少乱暴に動いても着物と言うのは本来そんなに着崩れしないし、動きやすいモノなんですから♪

最後に大叔父さんの命の桜である神雷桜について。
台風の雨にずぶぬれになった桜は、今日は献灯と掛け雪洞の陰に隠れてすっかりと目立たない存在でありました。
でも、我が家の面々にとってはこの桜に逢わずして靖国に来た意味が無い。
雪洞の下をくぐり抜け、神雷桜の幹に手を触れてまいりました。
台風の雨をたっぷり吸って湿った桜の幹は、なんだか少し寒そうにも見えました。
雨の靖国を尋ねたのは実はこれが初めての事。
当たり前の話ですが、靖国だって世情と同じように晴れの日もあれば雨の日もある。
でも私たち家族にとって、大叔父の魂の宿る神雷桜が雨に濡れて祭りの喧騒の影でひっそりと立ち尽くしている風景には、何ともいえない寂しさや悲しさを感じるのです。
明日は天候が回復するそうなので、早くからりと幹が乾いて、気持ちよく一日を過ごして欲しい。
沖縄の海に木っ端微塵と散った大叔父さんは遺骨のひとかけらも家族の元には帰って来ていない。
叔父さんと魂の触れ合いが出来るのは、ここ靖国でしかないのですから。
そういう思い入れを持つ遺族にとって濡れ鼠の桜の木は、そのまま大叔父さんがずぶ濡れて立ち尽くしているのに等しい風景なのです。
神雷桜を去るとき、母はポツリとつぶやきました。
「桜も元気で長生きしてね、これは叔父さんの命の木なんだから」
名残を惜しみつつ、靖国を後にしたときは午後の9時を回っておりました。
さすがにこの時間になると少ない人出もさらに少なめになる。
出来れば一晩くらい靖国に泊り込んで大叔父の魂を慰めたいところですが、そういうわけにも行きますまい。
再びの参拝を約束して、私たちは帰途につきました。
大叔父さんの魂がただただ安らかである事だけを祈り、命がけの愛に応える事を改めて約束して、九段の坂を下りて地下鉄を目指し、平成19年のみたままつり参拝を無事に終えた私たち家族でありました。