2007年11月29日

07.10.20 佐藤勝巳氏 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『佐藤勝巳 救う会全国協議会会長の講演』

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皆さんこんばんは。
紹介を頂きました佐藤でございます。

ただ今中山補佐官の方からお話がありましたように、政府は昨年の安倍内閣成立以来、組織を作って救出に立ち向かったわけです。
実はそこに至るまでには、私たち救う会の側から申しますと、9年の歴史がございました。
拉致と言うのは、これは政府が全責任を持って救出をすべきことである。
政府が全面的に北朝鮮と戦うべきである。
その署名が五百数十万集まって、そして政府が拉致対策本部を立ち上げたと言う経緯がございます。

そこでこれからの戦いにも関連してくることですが、日本人が拉致をされているという事が分かっているにも関わらず、何ゆえに9年もかかったのだろう?
いや、もっと言えば、30年も40年も何故解決を出来ないでいるんだろう?
言う問題が、私の中にはず〜っと残っております。
 
湾岸戦争が起きたとき、サダム・フセインは自国にいる外国人を全員収容しました。
その収容した時に飛行機が収容所の上を飛ぶわけです。
中にいる外国人は日本人を除いては全員窓に顔を出して、自国の軍が飛行機が助けに来てくれたと、皆そう思って救出を叫んだそうです。
日本人のみが収容所の片隅に毛布を被って、サダム・フセインが爆撃したと言って震えておった。
これが現実です。

私この話を聞いたときに、我が国の政府とあるいは国家と国民の関係。
拉致をされた時、政府が助けに来てくれるとは、国民が思っていない。
政府の方も全力を上げて救出に行くという姿勢は皆無だったわけです。
この国家と国民の関係を見たときに、この国は駄目だと。
多分、潰れるだろう。
というふうに思うと同時に、それは即同時に、北朝鮮に拉致をされている人たちに対する我が国の政府の、あるいは我が国社会全体の反応の現れである。
解決できないと言うのは、そういう事なんです。
つまり国家の体を基本的になしていないんでは無いか?
言う、大変な私にとっては重い、且つ辛い思い出が湾岸戦争のときにございます。

それ以来、兎にも角にも政府が悪いんだとか政治家が悪いんだなんていくら言ってみたって、拉致なんて全然解決しませんし、世の中何も変わりません。
思った人たちが行動すべきである。
気がついた人たちが行動を起こすことである。(拍手)
それ以外に、拉致の救出もなければ世の中をちょっとでも良くする方法などは存在していないと言うのが、この10年間の救う会の私の総括です。

一生懸命で心ある人たち、全国で大体40くらいの救う会があって、もちろん今日主催している埼玉救う会もその中心メンバーのひとつな訳ですが、そういう人たちが毎月のように街頭に立って署名をする、ビラを撒く。
と言うような事を繰り返し繰り返し行ってきた結果が、拉致対策本部が出来て中山さんのような優秀な人をですね。
迎え入れる事が出来たと。
これは私、闘いの成果だと思っております。(拍手)

しかし、外野にいるこの私からですね。
この1年の拉致対策本部の動きを見ていると、図体はでかくなったけど小回りが利かない。
政府って言うのはやっぱりですね。
大変なんですね、見ていると。
予算が無いとか、手続きがどうとかこうとか、大変な作業をきちきちと。
しかしですね。
どんな組織でも問題や軋みを抱えております。

私は拉致が救出できるか出来ないか。
主にね。
主に出来るか出来ないかは、政府について言うならば3人にかかっている。
福田さんと、町村官房長官、これは拉致担当の大臣です。
そして今お話をされた中山さん。
この3人の目の色が変わってきたときに、多分拉致は解決されるだろう。

どんな組織でもそうです。
指導者の目の色が変わったとき、全部の組織に人々に、本気でやるんだな、と必ず行き渡ります。
指導者がやると言う気概を示せない時に、運動や政策が成功するなどという事はまず私は無いと思っております。(拍手)
そういう点で、まずこの御三人の方々が、断固として拉致を取り返すとき、アメリカと北朝鮮が何となく今馴れ合って、変な事をほざいておりますけどね。
この場合、日本の拉致を脇において米朝の国交正常化、そんな事は絶対に日本が承知しませんよと言う(拍手)明確な態度表明を、私は内閣総理大臣をはじめ全閣僚がカウンターパートナーに示すべきだと思っております。

それから私本人も皆さん方も、アメリカ人に知り合いがおられましたら「拉致の解決は我が国にとって最大の国益である」「最重要課題である」「これを同盟国アメリカが無視して動くというのであれば、我が方にも考えがありますよ」という事を明確に伝えるべきです。(拍手)
そして尚、我々は今日開かれたこのような集会を、今次に熊本で予定をしております。
愛媛で予定を致しております。
岩手で予定を致しております。
と言うふうに次々と我々国民の決意を政府に対して金正日に対して、アメリカに対して中国に対して、示していく。
そこを示さないまま、アメリカや外国にいくら物を言ったって絶対に誰も聞く耳を持ちません。
そういう意味では拉致の解決は私たち国民の双肩にかかっているというふうに、私たち救う会は理解を致しております。

埼玉は来年ですね。
つまり自治体、埼玉県、救う会、そして政府は拉致対策本部、外務省、総務省、法務省との支援体制をとって、今一度この埼玉でもって大集会を是非とも開いて頂きたい。
思っております。
そういうふうに我々が靴底を減らして一人一人を説得をして、拉致を解決しなかったらこの国は大変なことになりますよという事を、全埼玉県民に訴え続けることによって集会を成功させ、それを全世界に発信して行く事が私たちが拉致を解決していく基本だと考えております。

全国協議会は総力を挙げて各地域の救う会の戦いにご協力をさせて頂きます。
今後とも宜しくご協力のほどお願い致します。
どうもありがとうございました。(拍手)

2007年11月28日

07.10.20 中山恭子氏 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『中山恭子 参議院議員・内閣補佐官の講演』

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★司会

続きまして、ご講演のほうに入りたいと思います。参議院議員拉致問題担当首相補佐官でいらっしゃいます中山恭子様にお願いします。(拍手)−−中山さん壇上へ−−
ご講演に入る前に、ご講師のご紹介をさせていただきます。
2002年、今から5年前、5人の被害者の帰還時、いわば用意された一時帰国というストーリーから、政府の責任で北朝鮮には返さない。子供ら、家族の日本帰国を北朝鮮に求めると。また、曾我ひとみさんの御家族の日本への帰国に際しても、中心的な役割をお果たしになり、御家族の立場に立って、政府高官として、家族会や帰国した被害者の方々から絶大な信頼を得ていらっしゃいます。
それでは、本日、「拉致被害者全員の救出を目指して」と題しましてご講演をお願いしたいと思います。

★中山恭子さん

みなさまこんばんは、(会場からこんばんは の声)
ご紹介いただきました中山でございます。
今日土曜日、本当に貴重な時間帯でございますのに、このようにたくさんの皆様がお集まりいただきまして、ご参加いただきまして本当にありがとうございました。

埼玉県、今もご紹介ありましたが、政府が認定できていますのは、田口八重子さんでございますが、それ以外にも多くの姿を消した方々が、埼玉県にはいらっしゃいます。

また今日はこのような形で、救う会埼玉、鈴木代表を初め、救う会埼玉のみなさまがこの会を主催してくださいました。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。また、埼玉県が共催に入ってくれました。今日本には『拉致問題、その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律』というのが現在出来ておりまして、この中で、地方公共団体も、拉致問題に関して多くのみなさまにこのような形で知ってもらうとか、そう言った努力をすると言うことが書かれております。その一環として今回、埼玉県が共催してくれることになりました。上田知事はじめ関係者のみなさまに私どもから心から感謝申し上げます。

このような形で、拉致問題について、県と救う会=民間のみなさま、そして政府が一緒になって会合をひらくということは、これまでに、和歌山県、山口県で行われておりまして、今回埼玉県でこのような会合を開ける、三度目の開催でございます。これからも、このようなかたちで、日本全国、全ての日本の人々にこの拉致問題についての理解を深めていただくように今動いているところでございます。

また埼玉県では県だけでなくて、議連の皆様が非常に活発に動いて頂いておりまして、その議連のみなさま、県の吉田議長(県会議長)、それから今日お話しいただきました議連の深井会長様はじめ関係者のみなさまに対しても感謝申し上げます。

また、埼玉県では、それぞれの市、そして市議会のみなさまも拉致問題、拉致された被害者を取り戻そうと、署名活動をしていただいたり、各種支援を頂いております。多くの皆様にご支援頂き、御協力を頂いていることに、心から感謝しながら、今、仕事をしているところでございます。

2002年、この問題に私自信が関わりましたのは、5年前2002年の9月からでございました。
2002年の10月15日に5人の被害者が日本に戻りました。唯、これも、北朝鮮が5人を解放する、帰国させようとした動きではございませんでした。『日本に一週間か10日ほど、まぁ出張してこい』と言ったような形で、5人は、日本の土を踏むことが出来ました。

日本の中にもいろんな意見がございます。政府の中にもいろんな意見がございますし、ございました。
ただ、この問題=拉致された、そして日本人が他の国=北朝鮮の中で全ての自由を奪われて、幽閉された状態におかれているということであれば、それは被害者や家族だけの問題ではない。あたり前のことだと思いました。

日本という国が、まず日本政府がですね、自分の仕事として被害者を取り戻すということ、自分の政府の中にしっかりと組織を作り、担当者を決め、費用を使ってでもですね、取り戻すことを政府がするのが、これがもう当然のことであって(拍手)政府の基本的な役割だと考えております。考えましたし、今も当然のこととしてそのように思っております。

そのようなことから、5人たまたまといってもいいような形で日本の土を踏んだ5人の被害者を犯人の手にもう一度戻すことはあってはならないと、言う思いで、政府の中でそのような主張をしました。(拍手)

おかげさまで、安倍官房副長官、『そのようにする』という決断をしてくださいましたし、その時のその時の官房長官が、現在の福田総理でございました。福田総理も、『わかったそうしよう』ということで、丁度帰国してから9日目の夜、夕方ですね、10月の24日に日本政府が、この5人を日本に留める。返さない。それは5人の意志というのは当時わかっていたわけですが、日本に留まりたいということを、蓮池さん地村さん、ひとみさんからも、私宛に電話が入っておりました。『日本に残りたいんだけれど』という。でもそれは、5人が残りたいからと言って、政府としてしょうがなく残すという、そう言う形は取ってはいけないと考えました。

ですから、日本政府が出した政府の方針は、<5人の意志に関わらず、帰りたいと言おうと、日本に留まりたいと言おうと、それだけではなくて、日本政府の責任で5人を日本に留める。そして、この家族は、日本政府が責任をもって取り戻す>という方針を、その時に出すことが出来ました。この時が、ある意味では政府の中での考え方の、曲がり角であっただろうとと思っています。

今は、当然のことでございますが、拉致問題、当たり前ですね。
こないだ・・今、イランで一人拘束されています。このイランで拘束されている方も、何としても無事に取り戻したい。日本政府の中に対策本部が出来て、今、イランや関係するところに交渉しています。

海外で日本人が被害にあったら、日本の国は、それを放置している国ではない。必ず日本政府は、被害にあった人が一人であっても、子供であっても、必ず日本人は、日本政府が護るんだ、そのことが、今の日本の政府の中では、既に徹底していると考えています。
従って、なんと本来であれば、もう随分昔に、日本政府の中にこういった被害にあっている人を救出するための、しっかりした対策本部ができているべきであったと思っていますが、戦後の日本の、30年前あたりの日本の環境を考えてみますと、そう言ったことが、相手が北朝鮮であったということが、ある意味ではタブーな時期だったんだろうかなどと思っています。

いずれにしましても、政府が中心となって、政府自らが−−当然のことなんですけれども−−この問題を担当し、どうやったら取り戻す事が出来るかを真剣に考えて、動く、そう言った部所が必要だと思っておりました。

昨年の秋、安陪内閣が成立いたしましたとき、昨年9月26日に、安倍総理が内閣を作りまして、その三日後の9月29日に政府の中に、拉致問題対策本部を設置することが出来ました。めぐみさんが拉致されて、なんと29年たってやっと日本の政府の中に拉致問題対策本部が、設置されたという状況だと言うことでございます。

日本の社会というのは、私自身は、温かい社会だと信じておりまして、災害が起きたら、台風に襲われてそこに被害が出たら、また地震が起きてそこに被害が出たら、政府は直ちに対策本部を作り、そして各市町村、県が救いの手をさしのべ、社会の多くの人々が救いの手をさしのべる、そう言う社会であると信じています。

唯、本当に残念なことに、この北朝鮮による日本人拉致問題は、めぐみさんが拉致されて29年たってやっと政府が拉致問題対策本部を設置し、真剣に取り組み始めたと言う状況だということでございます。

現在いろんな形で、政府として取り戻すための、救出の為の動きをしておりますが・・先ほど、その前にですね、先ほどDVD、これも政府が作りました。今年の春に作ったものですから、福田総理ではなくて、安倍総理が映像の中にたくさん出てくる映像ですが、ある程度は全体のことがおわかりいただけると思いますので、まぁ今日いらしているみなさんは、拉致問題に対して深い理解をお持ちの方でいらっしゃいますので、あのDVDを見る必要もなかったかもしれませんが、あのDVDを全国、そしてアメリカ、中国、韓国はじめ、世界中の8カ国、9カ国にむけて作っておりまして、アラブの方々に向けても作っておりまして、世界中にDVDを配って理解を深めてもらおうとしているところでございます。

今申し上げたかったのは、DVDの話ではなくて、あの中で、おわかり頂けたかと思うのですが『何故日本人を拉致したんだろうか?』いろんな、いろんな理由があるようです。技術者が欲しかったということもあったかもしれません。曾我ひとみさんの場合は、きっと連れて行ってジェンキンスさんと結婚させるための候補として連れて行ったのかもしれません。

唯、田口八重子さんを初め、多くの人々というのは『北朝鮮の工作員に日本人化工作をするために連れて行かれた』そういう人々が連れて行かれたと考えています。そのためには、典型的な日本的な家庭で、日本的なしつけをしっかりと受けた、身につけたそういう若者が必要だったということだとみています。

ですから被害にあったこの若者たちというのは、日本的なしつけをしっかり受けて、典型的な日本の家庭が荒らされている。そして周りの友達の中でも、みんなから信頼されている、そして共通しているのが、責任感の強い、そう言う若者たちが連れ去られている。日本の大切な家庭から大切な若者たちが連れて去られている。そう言うテーマだと見ていただいて良いと思います。行き当たりばったりではなくですね、連れて行ったのであろうと考えて、尚更に早く取り戻したいという気持ちが出てくるわけでございます。

2002年の10月15日に5人が戻りまして、この子供たちや家族を取り戻すのに1年9ヶ月かかりました。
2004年の7月に曽我さん一家をジャカルタで再会させて連れ戻すことが出来ました。直ぐそこにいるというのがはっきりわかっているのに1年9ヶ月かかってしまいました。

その後、他の被害者の方々の帰国ということを交渉し、いろんな言い方でやっておりましたが、2004年の11月、横田めぐみさんのお骨が戻ってきた。これが他人の複数の方のお骨だというのがわかり、あまりにもひどいやり方だということで、その年の12月日本政府は北朝鮮に対しては『人道支援を当面凍結する』という方針を出しました。
この後次の年、2005年の1月に、北朝鮮は『拉致問題は解決済み』という方針を出し、今もその方針が貫かれているという状況でございます。
従って、2005年の1月から、北朝鮮といろいろな場で、いろんなルートで交渉している中で、『解決済み』という大方針が出ているものでありますから、北朝鮮の担当者も、北朝鮮全体がなかなか違う動きを出すことが出来ないまま、その状態が今も続いていると言うことでございます。

拉致問題に関しては、北朝鮮側が(そう言ういい方をして良いかどうかは別ですが)北朝鮮側が、非常に強い、日本対して強い立場を持っている。今のまま解決済みで知らないとシラをきりとおせば、北朝鮮側としてはなにも困ることはない。そう言う状況にありますので、北朝鮮を何とか動かして、解決済みという方針ではない、違う方針に変わっていくように持っていかなければならないと考えています。

北朝鮮側に強い立場があるということで日本としては、制裁処置を科しました。
それほどに強い影響をでているかどうか、いまのところはっきりはしませんけれど、それでも日本として出来ることとして、制裁処置を科しているところでございます。

この拉致問題をどうやって解決していくか、いろんな形があろうかと思いますが、いずれにいたしましても、私どもは、被害者を救出すると言うことに、今集中しています。従って混乱が起きて、救出できるかと言われると、なかなかそれは難しいと思っております。

今の人々(現在の北朝鮮政権の人々)は拉致した被害者がどこにいて、どのようになっているかというのを知っているはずだという、私たちはそういう前提で、北朝鮮に対して、連れて行った日本人を全て帰すようにと言う強い
要求をしています。

混乱状態になる前に、取り戻さなければいけないと考えています。従って今混乱状態が来ることを望んでいません。救出したい、何しろ日本に戻したい、そこに集中して今北朝鮮と対峙しているところでございます。

そのあたりのことも、ぜひご理解」頂きたいと思います。
いろんなかたちの取り返し方というのはあると思いますが、現段階では、今の政権から救出するという事が、まずやらなければならないことであろうと、いろんな作業をしているところでございます。

今、福田政権に変わりましたが、福田総理ご自身、『ご自分の政権の間に救出したい』とはっきりとおっしゃっていますし、私たちも対策本部を中心にして、必ず救出する、一人残さず救出するというために一生懸命真剣にこの問題に取り組んでいるところでございます。

残念ながら、まだ今のところ、5人以外はですね−−5人そのものも、北朝鮮が返してきたわけではないのですから−−この今北朝鮮に留まっている人々を、幽閉されている−−私は人質と読んでいますけれど−−人質を解放させるために、あらゆる手段を使って解放させようとしていると。

今非常に大切な時期になってきていると思っています。担当者も私も含めて本当に真剣でございます。どうぞ、みなさまそのことをご理解いただきまして、先ほどから飯塚さんはじめ多くの方から話が出ていますとおり、日本の力の非常に大きな部分というのは本当に、『皆様の声』でございます。

皆様が、今のような形で、全ての人を救出するのだという政府の方針を支持してくださると言うことが、そのような形で、政策をとる、しっかり政策をとっていくと言うことに繋がりますし、又それが、北朝鮮に対して『いい加減な形で動いたら、日本は、日本人全体が許さないんだよ』ということを伝えるそう言う意味にもなります。

そう言った意味で、国、地方公共団体、更には国民の全ての人々が、この拉致問題に関心を持ち、同僚、同胞、日本人が拉致されたら、日本は必ず救出するんだという、そう言う国であるためにも、一体となって北朝鮮に対して強く要求していかなければならない。今正にその要求を突きつけて、なんとか動かそうとやっている最中でございます。

なかなか成果が出ていませんので、実際に新たな被害者が帰国するということになっておりませんので、私自身非常にいつも重い気持ちで仕事をしておりますが、必ず取り戻すまで頑張る、そのように決意、覚悟しておりますので、どうぞ、みなさま御協力、ご支援くださいますように宜しくお願いいたします。(拍手) ありがとうございます。(拍手)
今日もお集まりくださいましてありがとうございます。(拍手)
この会を催してくださいました担当者の皆様に、関係者の皆様に心から感謝申し上げます。(拍手) ありがとうございます。(拍手)

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このエントリーのテキストは、blue-jewelさんの手によるものです。

2007年11月27日

07.10.20 生島馨子さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え』

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★鈴木智さん

本日、東京都の特定失踪者でございます生島さんが見えておりますので、一言ご紹介します。

★生島馨子さん

特定失踪者・生島孝子の姉でございます。
私のところは県外の東京都で妹はいなくなりました。
本日は主催者の方々そして会場にお見えの皆様方のご好意により、この場でご挨拶させていただける事を感謝しております。
ありがとうございます。
妹のために中々活動が出来ないんですが、埼玉の方も是非一緒に心に留めてよろしくお願いしたいと思います。(拍手)

★鈴木智さん

北朝鮮に拉致された拉致被害者の身の安全と救出について皆様方の大きな声をいただきたく、さらにご支援をお願いしまして、私どもの特定失踪者のご家族の紹介を終わらせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)

07.10.20 江原さん 第回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホール

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『江原さん(特定失踪者・江原信明さんの父)の訴え』

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皆さんこんばんは。
いつもお世話になっております。
江原信明も1988年に、「大宮の方まで買い物に出る」と出たまま行方不明になって現在です。
どうか今後ともよろしくお願いします(拍手)

07.10.20 佐々木アイ子さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え』

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★鈴木智さん

続きまして、佐々木悦子さんのお母さん。

★佐々木アイ子さん

皆様、こんばんは。
いつもご支援いただいてありがとうございます。
私、特定失踪者でお世話になっております、佐々木悦子の母です。
これからも皆さん、よろしくお願いします。

★鈴木智さん

川口の特定失踪者にもう一人いるんですけど、石井久宏さん。
49年5月に、自宅でもって化粧品店を開業しておりました。
その経営資金を持ったまま、自家用車ごと行方不明となり、現在まで何の音沙汰もありません。
もちろん車、免許証等の更新もなされておりません。

続きまして、白岡から見えました江原信明さんのお父さんです。

2007年11月26日

07.10.20 新木博さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて


『新木博さん(特定失踪者・新木章さんの弟)の訴え』


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★鈴木智さん

続きまして新木章さんの弟さんです。

★新木さん

こんばんは。
私は新木章の弟の新木博と申します。
隣にいるのがうちの姉で「(ご本人の声で)横山木三子です。よろしくお願い致します」
本日は拉致問題に関心のある多くの方々にお集まりいただきまして、本当にありがとうございます。
とても心強く思っております。

私の兄は29歳の時です。
昭和52年5月の21日の土曜日だったんですけども、いつものように「買い物に行く」と言って川口栄町の家を出ましてから今日まで31年間、全く便りもなく何の安否に関わる情報とかですね。
そういうのもなく過ぎてしまいました。
こんな事で、私どもは一日も早く安否に関わる確実な情報を得まして、一日も早く日本に戻れる事を願いつつ活動をしてまいりますので、ご支援・ご協力のほどをこれからもよろしくお願いします。(拍手)

07.10.20 大平一男さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)の訴え

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こんばんは。
私、藤田進の従兄弟の大平と申します。
皆様にはいつもご支援をいただきまして、ありがとうございます。

藤田が北朝鮮にいると分かったのは3年前、脱北者からの1枚の写真からでした。
本日おられる特定失踪者問題調査会の方から力を頂き、北朝鮮にいるという事が判明致しました。
写真が出てから3年ですけども、拉致されてからは31年を経過しております。

取り戻すのに大変長い時間がかかっておりますが、北朝鮮は日本からの制裁が効いていると感じています。
日本からの食糧支援や、日本からの機械製品及び外貨、その辺が必要になっていると思います。
韓国の大統領が訪問した際も、日本の総理の対話の姿勢を評価し期待していると言っているのは、北朝鮮が日本を意識して話す機会を伺っているのではないか?というふうに解釈しています。

今後共ですね。
皆さんの支援を頂きながら、声を大にして、この事件はまだまだ終わっていないんだという事を発信していきたいと思っています。
よろしくお願い致します。(拍手)

07.10.20 鈴木智さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

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引き続きまして、私、鈴木賢の兄でございますが、昭和47年5月に大学を卒業し就職したその年の、会社のレクリエーションという事で奥多摩に向かいました。
朝6時に三芳町藤久保の家を出まして、現在まで何の消息もございません。
もちろん、奥多摩の現地集合にも行っておりません。
あるいは会社の上司・同僚も誰も見ていない、会っていない、と言う状況でございます。
もちろん免許証等の更新も行われておりません。

続きまして藤田進さんの従兄弟さんの大平さんを紹介します。

07.10.20 井上イトノさん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)の訴え』



★杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事

今日は特定失踪者のご家族が見えられております。
代表いたしまして、鈴木賢さんのお兄さんでございます鈴木智さんにお出でいただいておりますので、ご紹介をしていただきたいと思います。(拍手)

★鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)

本日ご来場いただきました皆さま方の日頃の拉致問題の解決・拉致被害者救出に対しましては、多大なご支援・ご協力をいただきましてありがとうございます。
私思いますのに、特定失踪者の家族でございますが、特定失踪者が皆が皆北朝鮮に拉致されたとは思っておりません。
しかしながら、数人か数十人か数百人か北朝鮮に拉致され、政府認定者と同じように、あるいはそれ以上に光の当たらぬところで日本からの救出を待ち続けている事は、間違いのないことだと思っております。

従いまして、我々ただ今「拉致問題を考える川口の会」としまして、拉致被害者・田口八重子さんのご家族と私ども特定失踪者の家族、さらに私どもをご支援くださる多くの市民の皆様と、さらに川口の自治体を長とする自治体の皆様のご支援・ご協力をいただきまして、日頃拉致問題解決のための署名活動を定期的に行なっているところでございます。

それでは本日は川口の会の関係の特定失踪者ご家族と、さらに白岡からみえましたご家族、さらに東京都から見えました家族を含めまして、7家族9人のご紹介をしたいと思います。
こちらにパネルがございますので、大変見辛いかと思いますけども、このパネルの向かって左から順を追って紹介をさせていただきたいと思います。

それと皆様にお渡ししましたチラシがございますので、そのチラシをですね。
後ほどで結構ですからひとつご覧いただきまして、何か情報なり、引っかかりなり、あるいは風の便りなりございましたら、それなりの対応を図っていただきたいと思います。
例えば警察に連絡するとか、あるいは私どもの「拉致問題を考える川口の会」、あるいは本日の主催母体でございます救う会埼玉の連絡先がございますので、そちらの方に情報をお寄せいただければありがたいと思っております。

はじめに井上克美さんのお母さんが見えていますので。

★井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)

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皆さんこんばんは。
私は井上克美の母です。
うちの息子は昭和46年の12月の29日、突然いなくなってしまいました。
何の便りもございません、それっきり以後。
で、ここにいるのが克美の息子なんですけども、この子は親の顔を知りません。
お父さんがいなくなってから生まれた子供です。
どうぞよろしくお願いします。(拍手)

私は今前橋に住んでおりますけど、息子は川口にいて拉致されました。
それで、前橋の方でもおかげさまで皆さんが一丸となって、署名運動もこの間の6〜7日の土日曜日、県庁前での収穫祭を兼ねて署名運動をさせていただきました。
本当にありがたくおもいます。
でも私は川口の方には中々出て来られないものですから、川口の方の皆さんには本当にいつもいつもお世話になっております。
ありがとうございます。
どうぞ埼玉の皆さん、よろしくお願いいたします。
どうぞ皆さん、よろしくお願いします。

07.10.20 杉野正治氏 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演』

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★ただ今テキスト準備中につき、しばらくお待ちください。

2007年11月24日

北鎌倉 建長寺・正統院 神雷戦士の碑を尋ねて

昨日、私は母を連れて北鎌倉にある建長寺・正統院という小さなお寺を訪ねてまいりました。
ここには海軍神雷部隊の顕彰碑があると聞き、縁の者としては一度は行かねばなるまいと、前々から考えていたところ。
今年も大分押し詰まりましたが、ここでようやく時間の都合がつきましたので、千葉から鎌倉まではるばる日帰り旅行を決行した、と言う次第です。

自宅から鎌倉までは総武・横須賀線直通の快速電車を使えば、乗り換え無しでおよそ1時間半で辿り着けます。
一度電車に乗ってしまえば訳は無いのですが、そこまで腰を上げるのが意外と億劫。
近場にあるゆえに「いつでも行けるさ」という安心感と、片道1時間半・往復で3時間も電車に乗るとなると、いくら近場とはいえ丸一日潰れてしまうという億劫さ。
余程思い切らないと、中々腰が上がらないのが、悲しいけれど人間の性なのです。
しかし、私の母も寄る年波には勝てず、体の衰えは日々隠しようがありません。
その内その内と先延ばしにしている内に、行きたくても本当に動けない体の状態になっても後で心残りが生まれます。
ならば思い立ったが吉日とばかり、今年は共に茨城県にある土浦の特攻記念館に神ノ池基地跡と、神雷部隊縁の場所を訪ね歩いてまいりました。
そして年の最後に、近場で残った最後の縁の場所、建長寺・正統院を訪ねてきたというわけです。

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東北・北海道では11月としては記録的な降雪量を記録したと言う寒波がまだ関東上空にも残り、朝方は吹き寄せる北風が冷たく、格好よりは温かさを優先とばかりに、完全防備のスタイルで親子共々家を出発しました。
が、寒かったのは自宅から電車に乗るまでのわずかな時間だけ。
電車内は当然暖房が効いているので寒さは感じませんし、北鎌倉駅に着いたら写真の通り、抜けるような青い空に暖かな日差し、風もぴたりと止んで寒さなど微塵も感じませんでした。
母曰く、「これもきっと特攻の叔父さんのお陰。わざわざ千葉から身内が訪ねてくるのに、寒くては可哀想だと気を使ってくれたのだろう」と。

祝日という事もあり、鎌倉にはたくさんの観光客がそぞろ歩いておりました。
その人並みに混じって、まずは目的地の建長寺を目指します。
鎌倉に行ったことのある方ならご存知でしょうが、建長寺は駅からは徒歩15分ほどと少し離れた場所にあります。
歩く以外に交通手段がなく、それもついつい出かけるのを億劫にしてしまう理由の一つ。
ともかくも足早な他の観光客の方をどんどん先に行かせ、私たちは母の体力に合わせて、時間をかけてゆっくりゆっくりとお寺を目指しました。

建長寺は北鎌倉でも最大級のお寺の一つ。
その奥の塔中(たっちゅう)寺院の一つに正統院があり、その正統院自体は本当に小さな小さなお寺です。
ここは基本的に一般の観光客の立ち入りお断りのお寺ですが、私は事前に正統院へ電話を入れて、「神雷部隊の顕彰碑に参拝するのであればどうぞご自由にお入りください」との了解を取りました。
山門前の竹の仕切りを開けて正統院の墓地へと進み、その一角にある神雷戦士の碑の前へ進み出ました。
そこには、切り立った山の斜面を掘り抜いて、その中に大きなステンレス製の芳名板が据えられた立派な顕彰碑がありました。

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まずは持参した花を供え手を合わせて拝んだ後、特攻の大叔父の名前を探しました。
当たり前ですが、大叔父の名前もきちんと漏れなく、その顕彰碑に刻まれておりました。
その名前を見つけると、母はすぐに号泣をしてします。
大叔父の名前を手でさすり、長い間億劫にして放っておいて寂しい思いをさせた事を詫びました。

特攻の大叔父は、沖縄の海で木っ端微塵に果て、いまだ骨のひとかけらも戻ってきてはいない。
叔父さんの魂に触れるには、こうした記念の場所を訪ね歩くより他ないのです。
母が顕彰碑に寄り添っている間、私は持参した線香に火を点し、母と共に改めて顕彰碑に供えました。
中々その場を去りがたく、線香が点っている間はここにいようということで、およそ30分ほど碑の前で大叔父とお話を致しました。

人気のない正統院の墓地は静かで陽だまりに包まれた、穏やかな場所です。
顕彰碑の脇にある、案内板の説明を読むと、この碑を作ったのは神雷部隊生き残りの戦友会の方で、この碑が最初に作られたのは戦後20周年を記念した昭和40年のこと、と知りました。
そして戦後49周年の年、平成5年に改修を加えたことも記してありました。

戦後49年の年、と言う数字には思い当たる節があります。
神雷部隊戦友会は戦後50年の節目の年に、会員の高齢化を理由に解散しています。
会の解散を翌年に控えて、最後の務めとして亡き戦友の顕彰碑を自分たちの力で整え、それを心の区切りとしたのでは無いでしょうか?
十死零生の特攻部隊に生きた、彼ら神雷部隊の生き残りの人たちの心に去来するものが何なのか?
私には到底理解の他でしかありません。
でも、先に逝った戦友達に向けて、自分たちが元気な間に出来る限りの供養をしておこうという強い志を、私はこの戦後49周年の年に碑の改修を行ったと言う一文に感じました。
それは遺族としてはとても有難い事であり、同時に生き残りの彼らが生涯背負わざるを得なかったであろう業の重さを、推測するに十分の物でもあるとも感じました。

建長寺は由緒正しき歴史あるお寺さんです。
ここにどういう由来で神雷戦士の碑が立つことになったのか、その理由は私には良く分かりません。
関係者の中に、どなたかお寺さんとご縁のあった方でもいらしたのか?
いずれにせよ、これだけ立派なお寺の一角に顕彰碑が作られ、日々供養をして頂いていると思うと、何か心休まるものを感じます。

人はいずれ歳を取り、肉体は滅びて消えていく。
でも、日本の歴史の一ページに、確かに神雷部隊という特攻専門部隊は存在したのであり、そこで命を散らした多くの若者がいたのは事実なのです。
生き延びた神雷部隊の戦友会の方々が、戦後その重い荷物を背負って生きたのも、確かな事実なのです。
その事実の重みを、こうした顕彰碑の中に感じ取って欲しい。
そして後世に長く伝えて欲しい。
 
そんな事を思いつつ、冬の短い日が傾きだして少し風に冷たさを増した正統院の墓地を後にしました。
その後、建長寺名物のけんちん汁でお腹を満たし、少しばかり北鎌倉をそぞろ歩いて町並みの風情を楽しんだ後、夕暮れ迫る頃には帰宅の徒につきました。
千葉からの遠出で歩きっぱなしの疲れる旅であったにも関わらず、帰宅後それ程の疲れが残らなかったのは、ようやく特攻の大叔父さんの縁の場所を訪ねてきた、と言う安堵感が先に立った証しでしょうか?

鎌倉の青い空のように、帰宅後の私たち母子の心も快晴。
沖縄の海に沈む叔父さんの魂に、私たち肉親の思いは無事届いたでしょうか?
そんな事を思う、北鎌倉建長寺までの日帰りの旅でありました。
posted by ぴろん at 10:31| Comment(4) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月22日

成果と効果は違うでしょ?

★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2007.11.20)大きな成果−訪米団総括報告
http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1418&catid=43

気が滅入りそうなので、全文引用は遠慮します。
タイトルのみ紹介、全文を読みたい方はリンク先へ・・・

アメリカによる北朝鮮のテロ指定国解除は、誰が見ても規定路線であり、解除は時間の問題と言われます。
テロ指定国解除が行われることにより、拉致問題の解決に悪しき影響が及ぶであろう事は否めない。

と言う大前提がある中で、この度の訪米を「大きな成果」と自画自賛してしまう救う会の認識には違和感を感じますね、正直なところ。
無論、テロ指定国解除撤回を求め、アメリカの関係各位を訪問し日本の拉致問題解決への理解と協力を求めた今回の訪米が、全く何の意義もなかった、などと不遜な事を言うつもりはありません。
でも、だからといってテロ指定国解除を完全阻止できないと言うシビアな現実がある以上、今度の訪米を「大きな成果」と自画自賛してしまうのも如何なものか?と。

拉致被害者救出運動にとって「大きな成果」と表現していいのは、「被害者の奪還」であると、個人的には考えます。

「被害者の奪還」を果たすためには「世論の喚起」が必要。
「被害者の奪還」を果たすためには「国際世論の盛り上げ」も確かに必要。 

でも、いくら訪米をしてアメリカの良心に「拉致被害者の奪還」への理解と協力を訴えたとしても、結果として被害者が帰って来たわけではない。
今回の訪米は「拉致被害者の奪還」という私たちの大願を果たすための過程から見れば、どんなに過大評価したとしてもせいぜい「一定の効果があった」と見るのが妥当ではないのかな?

小泉訪朝から丸5年。
あれから私たちはまだ一人の被害者も救えていない。
安否情報さえも手にしていない。
そんな中で、結果としてテロ指定国解除を食い止めることも出来なかったこの度の訪米を「大きな成果」と呼ぶことに、私は強い違和感を感じます。

自分たちの置かれている立場・状況について、正しい現状認識が出来なくて、どうして効果的な救出活動が出来るのだろう?
被害者奪還と言う目的に一歩でも近づくために、必要な事は何なのか?
この5年間、一人も救えていない私たちが、「大きな成果」をあげたと口にすることはある種の驕りではないのかな?と感じてしまいます。
自画自賛をするのなら、それは被害者奪還を果たしてからたっぷりとすれば良い。
被害者奪還を現実のものにするには、今は救出活動の置かれた余りにも厳しいこの状況を、真っ直ぐに見つめる視点が必要なのでは無いか?と思う。 
posted by ぴろん at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月20日

07.10.20 飯塚繁雄さん・耕一郎さんのメッセージ 第5回埼玉県民の集いより

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『飯塚繁雄さん、飯塚耕一郎さんからのメッセージ』

★飯塚繁雄さんのメッセージ

お兄ちゃん早く助けて!!妹田口八重子は北朝鮮に拉致されて29年も心の底からそう叫び続けているでしょう。
私もその届かぬ叫びを感じつつ、毎日が居たたまれない気持ちです。
他の拉致被害者家族の人達も同じ気持ちでいるでしょう。
日本にいる私たち家族は、どうしたらよいのか、どうしたら助けだせるのか、その手立はありません。
ひたすらに世論に訴えつづけ、そして日本政府に頼るしかないのです。
北朝鮮による容赦ない人材の略奪は、多くの被害者とその家族を悲しませ、苦しませ、悲劇のどん底に突き落としてしまったのです。
こんな事がこの地球上に当たり前いのように、存在していても良いのですか。
私たちは全国民と共に、北朝鮮に向け大きな怒りをぶつけ、日本人拉致被害者を全員取り返すまで戦います。
そして日本国政府は、重要課題として位置づけ、際社会と協力し、政府の責任で被害者を取り返すことを強く要望します。
タラップの下で家族が抱き合う姿を、是非正夢に!

飯塚繁雄


★飯塚耕一郎さんのメッセージ

『北朝鮮による拉致問題を考える第5回埼玉県民の集い』参加者各位様

家族会 田口八重子の長男であります 飯塚耕一郎です。
平素より拉致問題に御注視、御協力、御指導頂きまして誠に有難うございます。
また本日はお忙しい処、本集会に御参加頂き、誠に有難うございます。

さて、今年も2ヶ月ほどとなりましたが、私個人として昨今の状況から推察するに年末年始を田口八重子さんと過ごす事は厳しいと考えております。
この理由は6カ国協議の核無力化を中心とした協議進行、また、12月の韓国大統領選などのターニングポイント以外、現在の硬直状態に変化を与える要素が見当たらないと判断しているためです。また、一部では米国のテロ支援国家指定解除と拉致問題解決は切り離す報道がなされています。

私は最近“何故、帰ってくれないのだろう。何故、普通に母親と暮らすことができないのだろう。”と時折、煩悶してしまうことがあります。常々言っていますが、ただ普通の家族がある生活がしたい、ただ母親に逢いたいだけなのにどうしてこんなにも困難なのだろうと考えています。近頃は自分へのあまりの不甲斐なさなどで虚無感に駆られることはしばしばあります。

しかし、悲観的な事実だけというわけでもありません。
現日本政府は、福田政権が変わっても拉致問題対策本部の人員シフトは変わらず、また10月9日に経済制裁継続と言う判断を下しております。また先日町村官房長官にお会いした際には、「各メディアが6カ国協議で日本だけ浮いてしまうことを懸念する報道をがあるが私はそれで構わないと考える。」とお聞きしており、日本政府として拉致被害者を帰さないと許さないぞという強い姿勢は変わっておりません。

この継続性について、私はやはり世論が現体制の根幹にあり、拉致被害者の奪還を絶対にやらなければならないという皆様の声が届いているからこそだと感じています。
この問題を解決に導くのはやはり皆様の声であると改めて痛感しています。
いつも御願いばかりで申し訳御座いませんが、私共と一緒に日本政府へ、北朝鮮へ、世界へとうか声を上げ続けて下さい。集会へ御参加頂いたり、御署名へ御協力頂いたり、政府官邸へメールや電話などでできることで結構でございます。皆様の一人一人のお声がこの問題を解決するための“根っこ”となります。
また、特にこの問題の理解があまり高くない若年者へこの問題を伝えて頂ければ幸いでございます。

各位様におかれましては季節柄体調を崩しやすい時期ですので皆様お体をご自愛下さい。

平成19年10月20日
飯塚耕一郎

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
飯塚繁雄さん、飯塚耕一郎さんのメッセージ紹介については、集会主催者・救う会埼玉の同意を頂いております。

2007年11月18日

07.11.17 特定失踪者家族の声 古川了子さんを救出する千葉集会in市原より

古川了子さんを救出する千葉集会in市原
07.11.17 市原市辰巳公民館にて

★小川マサコさん(特定失踪者・遠山常子さんの姉)の訴え

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氏名 遠山 常子
失踪年月日 昭和49(1974)年07月11日
ふりがな とおやま つねこ
生年月日 昭和32(1957)年6月22日
性別 女 当時の年齢 17
身長 体重
公開 第22次公開
当時の身分 県立高校学生(夜間部)、千葉市内のスーパー・マーケット勤務
特徴
失踪場所 千葉市内
失踪状況 遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、峰島英雄さんの兄妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。峰島英雄さんが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と兄妹に言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。峰島英雄さんの車(赤いマークU)も未発見。失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

※情報は特定失踪者問題調査会より
http://chosa-kai.jp/index.html


★竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)の訴え

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posted by ぴろん at 12:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

焦りと苛立ちと無力感を、それでも乗り越えていく

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昨日、千葉県市原市で開催された「古川了子さんを救出する千葉集会in市原」に参加してきました。
最寄のJR八幡宿駅に降り立ち、会場の辰巳公民館までのバスを探して駅をうろうろしていたら、講師として参加される調査会の真鍋専務理事とバッタリ遭遇。
真鍋氏のご好意で会場までの出迎えの車にちゃっかり便乗させていただきました・・・♪

会場までの道中、真鍋氏といろいろなお話をさせていただきました。
正直、真鍋さんもお疲れ気味で疲労の色は隠せない。
でも、今ここで活動を辞めたら特定失踪者と言う存在をフォローする組織も団体もなくなる、という気持ちが何とか活動を維持させている、と言った印象を強く持ちました。

講演会のお話の中でも真鍋氏は仰いましたが、テロ国家指定解除を巡って、アメリカは腰砕けになったのでも日本を裏切ったのでもなく、自国の利益を優先しただけ。
建前は拉致問題は重要だと言いつつも本音では、アメリカは最初から拉致問題を真剣に考えてはいない、といった趣旨のお話をしてくださいました。

それは確かにそうでしょう。
武力行使と言う選択肢は取れない以上、北朝鮮さえ大人しくなれば米中融和路線が出てくるのは当たり前。
それが彼らの『国益』に適う事なのだから。

じゃあ、日本の国益ってなんなのでしょうね?
自国民の命を救う事が何よりの国益ではないのでしょうかね?
でも、古川了子さんをはじめ、特定失踪者の問題は一向に進まず、政府は歯牙にもかけない冷たい扱いを今も続けています。

マスコミでは何かと言えば『拉致問題の進展』と言う言葉が闊歩する。
『進展』とは何でしょう?
政府認定被害者の問題に何らかの答えが出ればそれが進展なのでしょうか?
特定失踪者の問題はやはり切り捨てになる、という事でしょうか?
そういう現実が目の前に突きつけられたとき、日本の世論は一体どこまで「全員を帰せ」と粘れるのか?

結局は私の結論はそこに向かう。
アメリカ頼みも結構、でも一番肝心なのは日本の世論でしょう、と。
日本の国益とは何なのか?
日本が体を張ってでも守るべきものは何なのか?
そこが曖昧な限り、「全ての被害者を一人残らず返せ」と言う世論がどこまで頑張れるのか?と言うあたりには一抹の不安も付きまとう。

昨日の集会で古川了子さんのお姉さまの竹下珠路さんは、特定失踪者の問題が切り捨てられてしまうのではないか?という事を、大変恐れていました。

振り返れば古川裁判が和解したのが今年の4月。
あれから早くも半年が過ぎてしまいました。
でもこの半年間、何か目に見える進展があったか?と言うとそれは正直心もとない。
昨日の集会の会場には古川了子さんのお母様も、高齢の体をおして車椅子で参加されていました。
その年老いたお姿を拝見し、これ以上呑気に時間はかけられないと言う思いも新たにしました。
丸々2年間も裁判に時間を費やし、目撃者の安明進氏の証言まで取ったのに、裁判は和解で結審したその後も、内閣府の動きは相変わらずのらりくらりでは、「あの裁判は何だったのか?」と当事者でなくても感じてしまう。
焦燥感と無力感で、やりきれない気持ちになります。
まして、ご高齢のお母様の心中は如何に?と思うと、車椅子で駆けつけたお母様のお姿が、見ているだけで痛々しくてなりませんでした。

会場への道中、調査会の真鍋氏はこんな話もしてくださいました。
調査会に一度は調査を申し込んだご家族の中には、「もうここで調査の依頼を取り下げたい」という申し出もあるのだそうです。
余りにも長い年月が過ぎ、家族も疲れ果て、救出を諦めてここで一区切りを付けたい、という意向を申し出る方が何人かいらっしゃるのだそうです。

それを受けて、調査会としてもその申し出を引き止めることは出来ない、と真鍋氏は仰っていました。
でも家族が動かなければ、この問題はなかなか盛り上がらないんですよね、というジレンマもお話くださいました。

家族が頑張るにも限界はある。
それはテレビに映る横田夫妻のお姿を見ても一目瞭然でしょう。
家族の気持ちが切れてしまったら、拉致問題はそれで終わりなのでしょうか?
同胞を救うことも出来ず、米朝の思惑に日本は飲み込まれたまま、ずるずると金だけを搾られ、自己の主張も出来ない情け無い国に成り下るしかないのでしょうか?

私たちは一人の人間として、日本人の一人として、成すべき事があると思います。
同胞の苦難を見捨て、他国の思惑の中に沈没して、それで真の平和国家と言えるのでしょうか?
16日の戦略研の講演会で講師の家村和幸氏も仰っていましたが、私たちが守るべきは精神の自由である、と。
精神の自由を失った国が、果たして本当の意味での平和国家と言えるのか?と思います。

どんなにささやかな事でもそれぞれの人がそれぞれに出来る事を致しましょう。
最後の一人を救い出すまで、私たちは自ら諦めて白旗を振るわけには行かないのですから。
posted by ぴろん at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月10日

07.10.20 飯塚耕一郎さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.20 埼玉会館小ホールにて

『飯塚耕一郎さんの挨拶』

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みなさん、こんばんは。
田口八重子の長男であります、飯塚耕一郎でございます。
本日はお忙しい中お集まりいただきまして誠にありがとうございます。

本日はいつもの集会と違って特別に、私の親父及び私からの皆さんへの手紙と言うのを出させていただきました。
封筒のほうに入っているピンクの紙がそうなんですけど、そちらに記載させていただいている内容と若干被る部分があるんですけども、私個人と致しましては、今年はまだ2ヶ月近くありますけども、ちょっと残念な1年になりそうだと。
正直後悔というか、慙愧の念に耐えない1年になってしまうと僕は思っております。

と言うのは、今年の年始から始まった対北の強硬路線というのは、どうしてもアメリカの動きで崩されてしまって、日本としてもどうしていいか、どう対北政策をとって良いか分からなくなっている中、安倍さんが退任されて福田さんに代わったというのが、私の所感ではあります。

私も含めて家族会というのは何でもありません。
ただ単に普通にある一般人なんですけど、やはり政局と言うのは我々は注視せざるを得ません。
なぜなら、私に関してはまだ一度も見たこともない母を取り戻すための答えと言うか、解決策がそこに現れているからです。
やはりこういう集会等で、私はどうしてもそういう政治的なお話をさせて頂くというのはとてもおこがましいと思いますし、また専門家でもないので穿った見方をしていると思われるのも正直嫌なので、そういう事はこれまで申し上げませんでしたけども、今回に限ってちょっと言わせていただきたいと思います。

私特に昨今、ここ近日中のお話なんですけども、やはり福田さんになってからの対話路線と言うのは、特にメディアの方で大きく囚われているような印象を受けます。
対話路線と言うのはこれまでの歴史を鑑みても、北朝鮮に対して対話路線を取って、いい答えが出た事がありますか?(拍手)
それは皆さんが本当に分かっているとおりだと思います。
ですので、アメリカに釣られて「日本としてバスに乗り遅れてしまうから一緒に対話路線に乗りましょう」という6カ国協議及びアメリカの姿勢と言うのは正直疑問がありますし、それに乗ったところで日本としては何のメリットもないと思います。

まだ現在調整中でありますし、私家族会の役員でもないのでこういう事を申し上げるのも何かと思うんですけども、来月あたりにまた家族会が訪米します。
その目的としましては、アメリカの議会の方に家族としての訴えを新たにして来ると言う事になっています。
まだ現段階では調整中ですので確定的なものではありません。
ただ、やはり今のアメリカのやり方と言うか、6カ国協議の流れと言うのは、どうしても融和路線になってしまっているので、そこはどうしても阻止しなければならないと。
それを阻止できるのはやはり当事者である日本ですと。

日本が動くために何が必要か?と言うと、この間新聞にもありました。
福田さんは妙案が無いから中々手を出せないと。
ただ、日本の国内世論が余りにも強いから対話路線には行かないんだよと。
これはまさに僕はその通りだと思っています。
その世論の強さと言うのは皆さんの一人一人の声だと思っています。
皆さん一人一人が署名いただくこと、官邸の方にメールを出していただけること、官邸の方にお電話していただけること。
こういう事が一つずつ重なって世論の強さになっているんです。

とても今日はちょっと過激な事を申し上げましたけども、逆に申し上げれば過激な事の裏返しというのは、私はどうしても今年1年何も出来なかった上手く行かなかったと言う、後悔の念から来ています。
これをメディアの方針と言われて、また何か怪しい事を言ったというような事を言われても仕方が無いかもしれませんけども、それくらい強くて残念な気持ちと言うのは今年に関しては一杯です。

ただ訪米然り、今後の政府のアプローチ然りですけども、皆さんのお声が無い限り私たちと言うのは動けません。
私たちは本当にか弱い人間です。
ですのでこれまで通り、また従来より力強く、皆さんのご声援及び政府へのメッセージと言うのを伝えていただきたいと思います。

また特に私から申し上げたい事は、特に若い世代の方、20代30代もしくは10代でもなんですけど、その方々に対して、拉致問題というのは名前だけ知っているような形で、実際どういう事件だったのか?と言うのはあまり知らないと言うのは正直私印象としては受けます。
ですのでご自宅に帰るなり機会があった時に、特に若い方々にこういう問題があった、本当にドラスティックで残酷な事実があるんだよと伝えていただければ幸いかと思います。

すみません、今日はちょっと変な話になってしまいましたけどありがとうございます。(拍手)

2007年11月09日

靖国神社へ

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昨日所要で九段下まで出ましたので、少し早めに家を出て、待ち合わせの時間前に靖国神社へ参拝をしてきました。
過日の日記にも紹介したように、この度遊就館に特攻の大叔父の遺影を奉納する手続きが終了した事を報告するためです。

九段下の駅に着いたのが丁度3時半頃。
陽はすっかり西に傾き、境内は夕闇迫って薄暗くなり始めておりました。
人影もまばらな境内を進み、今日は時間の関係で拝殿前だけの参拝で、ごく簡単に特攻の大叔父の御霊に、写真奉納の件について報告を致しました。

最近は靖国に詣でても滅多に感情をかき乱されることも無かった私ですが、この日はあふれる涙を抑えるのに苦労しました。
写真を納める目処が立ち、靖国がある限り大叔父の遺影は未来永劫伝えられるのだと言う喜びと安堵感とで、私の心のあり方もいつもと少し違っていた模様。

戦後60年以上も経って、今更奉納もへったくれもないのかもしれません。
本当に遅ればせではあるのですが、これで長年心のどこかにつかえていたものが取れたというか、ホッとしたと言うか。
大叔父を直接に知る母の世代ももうすぐ70代に突入する歳となった今だからこそ、出来る供養をしておかねばあの世に逝った時叔父さんに会わせる顔が無い。
その意味でも、この度写真奉納の手続きが無事に済んだ事は本当に心安らぐ出来事であると思っております。

今度靖国をお尋ねの折、遊就館に行かれたら、是非特攻の大叔父の顔を探してやってくださいませんか?
名前は「石渡正義」享年21歳、海軍神雷部隊の一員として沖縄戦で桜花による特攻死・・・とおそらくそういった内容表示と共に小さな写真が掲示されることになるはずです。

特攻機・桜花の戦死者は55名。
そのうちの一人が私の特攻の大叔父・正義叔父さんその人です。
愛する祖国を家族を守るために、若い命を桜花によって散らした若者がいた事を、どうか一人でも多くの方の心に刻んでいただき、彼が「残しおきたし」と願った心をひとりでも多くの方に受け継いで頂けたらと考えております。
posted by ぴろん at 10:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月08日

07.10.20 飯塚繁雄さん 第5回埼玉県民の集い 埼玉会館小ホールにて

北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い
07.10.19 埼玉会館小ホールにて

『飯塚繁雄 家族会副代表の挨拶』

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皆さんこんばんは。
ただ今、・・・(聞き取れず)にもありましたように私、田口八重子の兄の飯塚です。
日頃皆様には、この問題について非常に深い理解とご協力をいただきまして、本当にありがとうございます。

こういった雰囲気が全国的に広まり、いまや国民の多くの方々が、この拉致問題に対して早く解決して欲しいと言う願いが沸きあがっております。
今日もこの会場の雰囲気がまさにそれでございますけども、私たち愛しい、しかもかけがえのない家族をあの北朝鮮に拉致されてからもうすでに30年。
1〜2年の差はありますけども、この長い間、全く消息もなく、もちろん帰国も出来なく、非常に私たちは無念といらだたしさと、後は北朝鮮に対する怒りと、こういった気持ちが混同して、本当にどうしていいか分からないと言う心境になる事もあります。

当の北にいる被害者が一番大変でしょうけども、今は「もうすぐ日本に帰れるから、取り返すから、もうちょっと頑張ってください」と「それまで元気でいてください」というふうに心の中で叫び、あるいは夜の星に願う。
こういう事しか今出来ない状態ですけども。
一方政府の方々、議連の要するに国会議員の先生方、さらには地方自治体の県会市会、あるいは町の中のいろんなボランティアの方のご協力がありまして、もうこの問題は政府としても後に引けないんだと。
このような重大な問題になっているはずです。

しかしながら、相手がいることですけども、ご承知の通り北朝鮮と言うのはまともな国ではない。
言ってみれば暴力団みたいな国ですから、これらと交渉してこの問題が単なる交渉で片付くのか?という心配がありますし、今まで何十年間こういったやわな交渉で、日本が相当な皆さんの税金を使って北朝鮮を支援してきた経過がありますが、これからは絶対にそんな事はさせないと。
ここで怒らなかったら、また元に戻ってしまうという事になると思います。

今回の6カ国協議の流れの中で、拉致問題と言うのは絶対にいけないと、日本にとしては重要問題と、総括的に解決しないと日朝正常化はありえない。
こういうように全くぶれない態度であたっております。
しかも国際社会の関係各国からもいろいろご支援を頂いておりますけども、やはりなんといっても当事国の日本が、自らの国民を取り返すんだという強い意思を示していただき、具体的な活動・行動、あるいは交渉、それに当たっていただきたいなと思っています。(拍手)

交渉と言うのはもちろん話し合いですけど、やはり何か後ろに力を持っていないと交渉にはならないと思います。
その力と言うのは一つは皆さんの世論、世論の大きさ・強さ、あるいは日本全体がこの問題について怒っていると言うこういった力。
もう一つは今までなんとなくごまかせて来た北朝鮮への支援を取りやめる制裁。
これは今までやっていなかったんですが、今度これを各法案を含めて制裁をしたという事は、本当に日本がこの問題を重要視して、北に対して要求を突きつけているというその流れでございます。

私たち家族会もその意味では北に対しては強く当たって欲しいと。
よくバスに乗り遅れるとか孤立するとかっていう話がありますけども、孤立しても乗り遅れてもいいんです。(拍手)
日本はやるんだと、・・・(拍手で聞き取れず)と言う意思があれば、全くそういう事は無いと思います。
今回、安倍さん、残念ながら辞任しましたけども、今回の福田総理におかれましてもこの問題を絶対に自分の手で解決するといってくれましたし、私たちは安倍さんに代わってこの問題をきちっと受け止めて、最重点課題として取り組んでいただきたいなと言うふうに思いますし、これからもその辺は訴えていきたいと思います。

少なくとも北朝鮮との交渉の中で拉致を取引の材料にだけはさせたくないと。
例えば拉致問題について、北朝鮮にいる日本人を再調査しますとか、再調査するから人道支援として米を何十万トンか寄越せというような話がチラッと出ていましたけど、とんでもないと。
まず、北朝鮮による拉致と言うのは全く国家的な犯罪であって、人道と考えればそれは確かに水害とかで苦しんでいる人はいます。
それと全く次元が違うわけですよね?
ですから日本人の拉致が片付けばそういった支援も出せると言うようなことも条件付けて、北朝鮮を説得すると言うことも一つだと思います。

我々は素人でそういった難しい話は分かりませんが、とにかく政府にお願いするしかないんですね。
皆さんと共に、皆さんのお力を借りながらお願いしていくという事に徹して、今年もあとわずかですけども、今後の方針としては私たち家族は全国民に更なるこの問題に対する喚起をお願いして、その力をバックに政府が動きやすいように、という事で活動してまいります。
もちろん、国際社会にも訴えてまいります。
そういった事を今後も出来る限り続けていこうというふうな方針でやっていきます。

今後とも皆さんのこういった怒りをですね。
是非示していただいて、具体的には首相官邸にメール、あるいはFAX、あるいはハガキ・手紙・電話、何でも結構ですからどんどんどんどん怒りの声を、あるいは支援の声を上げていただいて、本当に日本が一枚岩になってこの問題を解決すると言う態度をさらに強くしていただきたいなと言うお願いでございます。

あまり私たち時間がありません。
一刻も早い解決を願って老体に鞭を打ってですね。
頑張りますので、相変わらずのご支援をよろしくお願いします。
本日は、今日もありがとうございました。(拍手)

★北朝鮮による拉致問題を考える第5回埼玉県民の集い テキスト一覧表

★北朝鮮による拉致問題を考える 第5回埼玉県民の集い テキスト一覧表
07.10.19 埼玉会館小ホールにて

1 飯塚繁雄 家族会副代表の挨拶
http://piron326.seesaa.net/article/65262990.html

2 飯塚耕一郎さんの挨拶
http://piron326.seesaa.net/article/65635432.html

3 飯塚繁雄さん・飯塚耕一郎さんのメッセージ
http://piron326.seesaa.net/article/67910653.html

4 杉野正治 特定失踪者問題調査会常務理事の講演
http://piron326.seesaa.net/article/69340981.html

5 井上イトノさん(特定失踪者・井上克美さんの母)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/69341938.html

6 鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/69342988.html

7 大平一男さん(特定失踪者・藤田進さんの従兄弟)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/69344018.html

8 新木博さん(特定失踪者・新木章さんの弟)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/69345054.html

9 佐々木アイ子さん(特定失踪者・佐々木悦子さんの母)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/69663504.html

10 江原さん(特定失踪者・江原信明さんの父)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/69664160.html

11 生島馨子さん(特定失踪者・生島孝子さんの姉)の訴え
http://piron326.seesaa.net/article/69664815.html

12 中山恭子 参議院議員・内閣補佐官の講演
http://piron326.seesaa.net/article/69786702.html

13 佐藤勝巳 救う会全国協議会会長の講演
http://piron326.seesaa.net/article/70001345.html
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2007年11月05日

07.9.17 鈴木智さん 渋谷街頭活動より

07・9・17 渋谷街頭活動
渋谷ハチ公前広場にて

『鈴木智さん(特定失踪者・鈴木賢さんの兄)の訴え』

Img_5313.jpg



御通行中の皆様、日頃拉致被害者救出につきましては、大変なるご協力・ご支援をいただきましてありがとうございます。
私は「拉致問題を考える川口の会」の特定失踪者の家族でございます。
現在政府認定の拉致被害者は17名。
その他自殺・家出の動機のない、いわゆる失踪者、全国で特定失踪者問題調査会に届出をしている人が460名。
このうち34名の方は、北朝鮮による拉致の疑いが非常に濃厚と言われております。
私は埼玉県でも13名中、6名の特定失踪者がおります、川口の会の鈴木でございます。

私思いますのに、全部が全部、特定失踪者が拉致被害者だとは思っておりません。
がしかし、数名か数十名か数百人か分かりませんけども、北朝鮮に拉致被害者と同じように、それ以上に光を当てられることも無く、暗闇の過酷な暗黒の世界で命を永らえている特定失踪者がいる事は、間違いないことだと思っております。

現在私どもは川口の会として継続的な署名活動を行なっております。
この川口の会の発足につきましては、拉致被害者・田口八重子さんの本籍地、でございます。
さらにこの会の立ち上げにつきましては、田口八重子さんが住んでいた地元町内会からの発信でございまして、これらを川口の家族会の皆様、さらに川口の地域町内会の支援をいただきまして、さらに特定失踪者の家族が加わりまして現在、定例的な川口における署名活動・チラシ配布・集会等におきますアピールをさせていただいております。

私思いますのに北朝鮮の卑劣極まりない金正日の危険な日本国民の、全く何の関わりもない日本人を一方的に略奪し、帰国できない日本人を見殺しにしようとしております。
現在拉致された北朝鮮における拉致被害者はもとより、特定失踪者におきましても、私はこれらの何名か何十名か何百名かは分かりませんけども、拉致されているであろうと言う拉致被害者を救出するためには、皆様の心ある救出活動は不可欠でございます。
どうぞ皆様、お一人でも多くの皆様に救出活動にご参加いただきたくよろしくお願いを申し上げます。

先日、昨日ですけども、永田町の星陵会館におきまして、北朝鮮の金正日のテロ政権を糾弾すると言う集会がございました。
この席で私は今でも脳裏に残っておりますのは、元アメリカの国務省・北朝鮮問題の専門家、チャック・ダウンズの一言でございます。
「日本の国はもっともっと強く抗議しなさい。抗議すべきです。」
チャック・ダウンズさんの言葉は、「今大事な事は日本は国民の命を第一にする事を、国内はもとより国外に向けても強力に発信することである」と、いう言葉でございました。
まさにこの方の言葉は今の状況下に全く適合しているのでは無いでしょうか?

私も北朝鮮による拉致被害者の帰国まで救出まで、一人残らず救出できるところまで、私たちも一人残らずの救出を考え、人の命を考えて、これからも救出運動に邁進していきたいと思います。
どうぞよろしくご支援ください。
ありがとうございました。
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