2008年05月21日

08.5.14 荒木和博氏 調査会主催緊急集会より UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『荒木和博 特定失踪者問題調査会代表 質問に対する回答・まとめ』



★司会 真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

それでは今までご意見・ご質問等を頂いたのを含めて、総括的に荒木の方からコメントをお願いします。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

どうもいろいろありがとうございました。
小林さん、私について来て下さると言ってくれたんですが、私について来てロクなことになった人はいませんので、(笑い声)来てこない方がいいと思います。(笑い声)
うちの女房もあまり幸せにはなっていないと思いますので、見てないかな?(笑い声)

そういう事としまして、あの〜、今たくさんの人の(意見や質問を)バラバラにメモを取ったのでバラバラに答えますが、情報収集に関して言いますと今の日本政府はですね。
ほとんど情報収集のやり方をしていません。
今言った官房機密費みたいなものもですね、ふんだんに使うという事も全く出来ない状態です。
やりたいと思っている人はたくさんいます。
でも、出来ないです。
その点は我々の方が、場合によったらたくさんやっている可能性がある。

本当に皆さんからカンパを頂いてる方たくさんおられるんで申し訳ないと思うんですが、それでもですね。
情報収集のときはですね。
相当な無駄金を使わなくちゃいけない、です、正直言いまして。
それを使っているお陰で、先ほど後1年2年と山本さん言って頂きましたけど、1年2年どころか夏まで持つか?とかですね。
そういう状態を繰り返し繰り返し、これで後ひと月くらいは持つとかですね。
そんなような状態ですけど、それでも使うべきものは使わないといけないと思ってやってます。

だからこれはもちろんどうにかするんですが、今の日本政府の状況だと基本的に情報収集は、「こういう情報があるかもしれない」というと、「じゃあその情報を得るためにいくらかかるのか?」と。
「そのお金を出せば本当に情報が出てくるんだろうな」という裏付けがなければ情報が取れない。
こんな事をやっていたら情報収集なんて出来るはずも無いので、これもだから結局政治の決断と言うところに行ってしまう。
役所の機能から言えば、そんなの無理です。
そこまで役所に対してそれだけのものを付与していれば出来る。
だけど、そこまで行っていないから、非常に難しい。
ただそれも全て、「そこまでしろ」と言う世論を作っていかなければならない。

それから小林さんの言われた「北朝鮮の自由化・民主化をどうすればいいのか?」という問題なんですが、これはつまりは、金正日の体制変換、もう体制を変えてしまうという事になります。
そのためにどうするか?
その一環として、やはり我々がやっているのはビラを送ったり、電波を送るという事でございまして、「しおかぜ」の電波のですね。
本当に1分1分が私は弾丸を撃っているつもりでございます。
その弾が如何に効果的に当たるのか?いう事をやっているわけでございまして、他の方法があればもちろん他の方法も使いまして、北朝鮮の中に我々の側の情報を入れていくか?という事しかありませんので、これは韓国とかアメリカのNGOの方々と一緒にやるわけですけど、そういう事をやってですね。
変えていくという事をやっていくと。

今それが効き目がだんだん出ているときだと思います。
風船、バルーンプロジェクト、来週参りますけどもあれのですね。
韓国のNGOの代表、イ・ミンボク代表の話によりますと、これまで数年やっているんですが、北朝鮮からもう十数回「もう止めさせろ」と言う声が来ているという事で、それだけ効果が上がっている証拠ですので、そういう事をやるということで、それが向こうを崩していくことになると思います。

後、中野学校の話はこれも私もよく、どれくらいか分かりませんが前に安明進の話では、金正日政治軍事大学を作った時に中野学校の出身者がいたと。
朝鮮出身の人でそういう出身の人がいたかどうか、いまひとつ分かりませんけど、場合によったら日本人が残ってやったという可能性だって無いじゃない。
向こうで金策(キム・チェク)と書く昔のパルチザンがいますけど、この人は一説によると、日本軍の残地諜者だったのではないか?という話がございます。
金策工業大学とか名前が残っていますし、革命烈士陵にいるんですけど、この人が実は日本軍の人間だったんじゃないか?という説があるくらいで、そこのところ非常に複雑になっているんだと思います。

それから55年の産経のスクープのときにですね。
なんで警鐘が鳴らせなかったのか?と言う、これはですね。
いまだに謎といえば謎なんですが、私は滅多に警察の弁護はしないんですが、たまに弁護をして言いますとですね。
あの時、一番最初の昭和52年の久米さん、あの事件は警察は犯人を捕まえているわけですから、これで立件したいと思っていたんですね。
やったんだけども、検察が言う事を聞かなかった。
検察と言うのはともかく起訴したからにはですね。
絶対に有罪にすると、そうしないと点数が落ちていくわけで、こういう拉致みたいな事件でですね。
本人が法廷で証言を引っくり返したらもうやっていけないというふうな事があってですね。
結局だからそのときは警察は一生懸命やったでしょうけども、それを取り上げなかったと。
下手をするとやって、終盤二階に上げて梯子を外されるようなことになるわけで、相当慎重にならざるを得るを得ない。

それからこの時期だとまだ朝鮮総連が強硬に強かった時期ですから、ちょっとでもですね。
マスコミが北朝鮮の悪口、特にこういう工作活動のことを言えば、大騒ぎをして押しかけてきた。
これはやはり、なんでそれで戦えなかったのか?と言ってしまえば簡単なんですけども、その当時の朝鮮総連のやったことと言えばですね。
今と全く性質が違いますので、それがやはりブレーキになってしまったと、そういうようなことがあったんだろうと思います。
しかし、それで一回押さえてしまったら、その次のものも押さえるべきだろう、ということの繰り返しだったんでしょう。
それ以前もやはり分かっていた人は分かっていたんでしょうけども、結局それが続いてしまったという事でございます。

あと運動の分裂の話についてなんですけども、今皆さんのご意見をいろいろお聞きしていて思った事がございます。
私たち特定失踪者問題調査会を作るときにですね。
この特定失踪者リストを発表する時にずいぶん注目を受けました。
そうすれば「当然違う人も入っているよ」と、「違う人が入っていれば、それはもう他の人も皆疑われることになる」
で、「しかも、あなた方もそれによって信用を失う」という事をずいぶんいろいろ言われました。
これは別に悪意という事じゃなくて、心配してくださって言われたわけですが、警察は今でももし違っていればですね。
北朝鮮から反撃を食らうという事が、物凄く慎重になっている理由でした。

実際我々今までやっていて、25人くらいだったかな?
公開・非公開、合わせて日本国内で見つかったという方がございます。
その中の一人が石川千佳子さんと言う殺人事件の被害者でございまして、この事を今でも北朝鮮は言っております。
訪朝した日本人に対しても「こういう人がいたじゃないか」と言っているわけで、それはもちろん事実はそういう事だったのでこれは仕方が無いことです。

でも、我々が調査会を作った時にはそういう事を言われる事を覚悟しなければ、この問題絶対前に動かすことが出来ないという確信があったからでございます。
本当に最初発表していた時、1月10日の第一次発表、2月10日の二次発表ですね。
50人、44人だったかな?
発表した時は本当に一体この先どこまで行くんだろう?と、もう本当にですね。
底なし沼に足を突っ込んだような思いでした。
しかしそれをやっていくことで事態は動いたわけでございまして、やはりそのリスクをですね。
誰かが背負わなければいけない。

これはですから運動自体にもそうでございまして、そういうふうに言えば運動が分裂しているのではないか?と見られるというふうに、もちろん心配な方もおられるわけですが、我々はだからあえてですね。
この特定失踪者の方で見つかった方々についても、非公開の方でも見つかったら必ず発表しています。
非公開の方が見つかったと発表する必要は実は全く無いんです。
でも必ず見つかればですね。
詳しい事はもちろん発表できませんけども、「一人このあたりで見つかりました」と発表する事は、この中にはそういう人もいるんだと理解してもらうためにはそうせざるを得ない。
それを続けていればですね。
だんだん理解は進んで来ると言う事でございます。

だから運動の分裂と言う問題もやはりですね。
最終的な目標に向かって違っているものは違っているとお互いに、もちろんこれは我々に対する批判も含めてですけども、言って頂かなければいけないんじゃないか?
我々も言わなければいけないんじゃないか?
そしてそれをずっとやっていればですね。
「こんな意見もあるんだ、あんな意見もあるんだ」ということで、見ている方もそれなりの取捨選択が出来るようになりますし、あるいは我々も思い込みでやっていたものをですね。
軌道修正が出来る、という事でお互いにこれは効果が上がってくる。
私と真鍋なんかはこの間の日比谷の集会でも言いましたけど、30年間ずっと喧嘩し続けていまして、こういう極めて重要な集会でですね。
ほとんど怒鳴りあいをしていたこともありまして、そういう事なんですが、お互いにそういうもんだと思っていればですね。
別にそれを言われたからといって何という事も無い。

そもそも我が国はですね。
60年ほど前に、陸軍と海軍が大喧嘩をしながらアメリカ相手に戦った国ですから。
世界中でですね、何といっても陸軍が航空母艦と潜水艦を作った国はなんと言っても日本しかない。
それでもアメリカ相手に戦えるわけでして、そんなにですね。
我々さっき言いましたように、「取り返さないほうが良い」なんて意見の違いはないわけなんです。
一応皆温度差はあるにしても、「やっぱり拉致被害者を助けなければいけない」と言う事に関しては、国民的なコンセンサスが出来ている上で、意見の違いを怖がる必要な無い、と言うふうに思っております。

私もこういうふうに言ったからには、これから先も自分の言い方に責任を持ちながら、あるいは批判を受けながらですね。
何とかして参りたいと言うふうに思っている次第でございます。
本当に私もやっていて試行錯誤です。
うちの役員、皆そうなんですけども、やり方がこれが違ったあれが違ったという事でですね。
直していってやるわけで、少なくともそのためのチェック機能が働くかどうか?という事に私はあるのではないだろうか?と。
それがあればこの国の力と言うのは、本当に物凄い力があるわけでございます。
その力を発揮出来る。
発揮できれば北朝鮮の体制を変えて拉致被害者を取り返すことなど、差して難しい事でもありませんし、そしてこの地域においてこの日本が、責任ある国家としてやっていくのは難しい事ではないと思います。
要は政治の決断であり、その決断を動かすための世論であるというふうに思っている次第でございまして、ともかく我々石にかじりついてもこれを実現するという事でやってまいります。

本当に今日お忙しい中、こんなにたくさんお集まりいただきまして、真に議論をしていただきました事をお礼申し上げますと共に、これから先も是非忌憚の無いご意見をお寄せいただきたいという事をお願い致しまして、最後のまとめとさせて頂きます。
ありがとうございました。(拍手)

2008年05月20日

08.5.14 木村洋二さん 調査会主催緊急集会 UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『木村洋二さん(特定失踪者・木村かほるさんの弟 関西大学教授)の声』

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★司会:真鍋さん

木村かをるさんの弟さんの木村先生、わざわざ遠いところからお越しいただいていますので、初めてのかたも多いと思いますので、ひとことお願いします。

★木村洋二さん

木村かおるの兄ではなく弟でございます。(真鍋さんから、「失礼しました」)
今むこうで、もし息をしているとすると、70ぐらいにになります。
私自身は小学校5年だったときにいなくなったものですから、ずっと諦めていてあまりよくわからないんですけど、実際自分が若干全共闘世代で学生運動にコミットしていたりしたこともありますので、三分の一ぐらい本人は、−−ちょうど1960年ぐらいでしたから−−運動の渦中に、周辺にいたのではないかという疑念がありまして、特定失踪者問題調査会も、救う会も、もしかしたら、よど号乗っ取って自分も赤軍の中で、一生懸命拉致していたんではないかという思いが左の方にあります。
みなさんのいろんな大変な、活動をちょっと遠くから応援させていただいてきたような次第です。

あと、一、二分よろしいですか?(真鍋さんから「どうぞ」)
僕は、拉致された日本人というのは−−まぁ、うちの姉もたぶん最後はそういう直接的に連れて行かれたと考えていますけれど−−その後のめぐみちゃんを代表にして、一人一人の被害者だけではなくて、日本人の心が拉致されたんだと。
めぐみちゃんのことを誰も思わず、そして家族の皆さんのことを我々も忘れてきたと言うのは、結局、

我々の人としての心、日本人としての心、隣人として暮らしている仲間への心を実は拉致されて失ってきた。

そのことを美智子皇后も、ああいうことばで話されたんじゃないかと思うんです。

ちなみにある時ラーメン屋で朝日新聞を読んでましたら−−もう名前のも忘れてしまいましたが−−「哲学者」と書いてありました。女性でした。
『拉致されたご家族には、<本当に申し訳ない、大変でしたね>と声をかけたい。でもそれは、隣のおうちが交通事故で大変な状態になったのと同じような感情しか私は感じない』 と。
これこそが、一番大切なところをさらわれてしまったと。

ある歌に、二、三年前に読んで何か不思議な力を感じたんですけれど。、

灯火を消せば、暗闇深く祖国ありて 御母のごとく泣きいいたまひし
(ひを)       (くに)  (おんはは)
         浜田 到 さん(判明)の歌がありまして。

我々も実は政府に訴え、政府に抗議し、『国が崩壊しているんだ』と。
実は我々の国は、かっこだけなのかと。

そういう意味で、当事者なんですけれども、ちょっと第三者的な視点を一言述べさせていただたいと思うんですが。
何よりも『家族を取り返す』、それが原点ですね。それともうひとつ、『国を立て直す』という事が荒木さんの非常に大きなビジョンと言いますか、原理、筋目だと思うんですね。
それともうひとつ、できればですね、『未来を展望して、隣国との関係を再構築する』。その時に妥協と隠蔽と・・それによってやるのか、それとも原理原則、お互いの信頼、互いになるほどと言って尊敬できるような関係で次の50年、100年を展望するような展開に導くのか。

この3つの要素がどうも壊れた状態にあるということと、私達の家族を取り返す、それから、未来をしっかり展望して、できれば流血の少ない、核もテロも、細菌兵器も爆発しないような対応も、やはり政府=為政者としてはある程度考えるのがやはり論理的だと。
唯、その場合に、家族の立場ですね、それから日本の失われた我々の背骨と心とを、これをどう次の世代に向かって繋いでいくのか。

いつも、荒木さんのメールを時々拝見しながらですね、『本当のことを言っている男は日本中でこの人だけだ』 と感じながらですね、隅っこで何もせずにいるような状態で、今日はとても自分がことばを発せられる場ではないのですけれども、ご指名がありましたので、一言お話しさせていただきました。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

08.5.14 小林七郎さん 調査会主催緊急集会 UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『小林七郎さん(特定失踪者・小林栄さんの弟)の声』

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★司会 真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

小林栄さんのご家族、小林さん、一言ご挨拶をお願いします。

★小林七郎さん(特定失踪者・小林栄さんの弟)

私何点か質問があるんですけど、宜しいですか?(真鍋氏「どうぞ、どうぞ」の声)
実はこの、目標と言うところでですね。
大きな目標だと思うんですが、北朝鮮のですね。
自由化と民主化と言うのはこれは大きな問題だと思います。
具体的に先生はどのようにですね。
先ほど有耶無耶ですけど私もそれなりに理解したつもりなんですけど、具体的に教えていただければと思います。

それから先ほど竹下さんの意見にもあったんですけど、私はこんなに特定失踪者が多くなった理由と言うのは、やはり産経新聞が昭和53年ですか?
例のアベックが3組いなくなったという事で55年にすっぱ抜きましたですね。
その時点でですね。
国の方が、それ以前にも先ほど先生が仰ったように、大方知っていたわけです、はっきりですね。
その時点で我々国民にですね。
それなりの警鐘を鳴らすとか、そういう事をしていただければですね。
リストの方たち、確か私数えたんですが、ちょっと忘れたんですが百十何名かはリストに載る事は無かったんじゃないか?と思います。

それと先ほど竹下さんが過去の事は拘らないと言ったんですが、流しましょうと仰ったんですが、あれは私は流しちゃダメだと思います。
(竹下さんより「違います」の身振り、真鍋氏より「そういう意味じゃない」の声)あ?そうですか?じゃあ私ちょっと語弊がありまして申し訳ございません。
私は問題はあそこにあると思います。
圧力がいまだに尾を引いているわけです。
組織としてですね。
あの組織を壊さない限りは、私はこの問題は絶対に解決できないと思います。

そういうわけで、この国会議員さんですか?
私もまだ拉致問題にそんなに詳しいわけじゃないんですけど、本当に情けなくなるようなコメントがあるわけです。
名前出して申し訳ないんですけど、拉致に関するかなりの国会議員なんですが、他人事のような。
直接話を聞いたわけじゃないんですけど、コメントとして聞いたんですけど「世論が」ということで。
私は政治家が主体だと思います。
拉致問題を、ここに先生のあれもありますけど、政治の決断だと思いますね。

先ほど来、ちょっとあちこちしてますけど、私は一人の政治家の方が、拉致問題を追及してくれる方がきちっとしたですね。
物を持って、絶対に解決するんだという形でやらなければですね。
出来ない問題ではないと思います。
ちょっとごちゃごちゃしてしまいまして、こういうところで話をするのがありませんので、大変失礼なところがありましたんですが、要は政治の問題だと思います。
先生が本当に一生懸命やってくれると言うのは、本当に後姿で分かります。
そんなことで我々は先生についていきますから、(拍手)拉致問題をやっているのは先生ですよね?

私は先ほど来、お金のことも聞きましたんですけど、これは政府がやるべき事を先生がやっているわけです。
特定失踪者問題調査会がやってくれているわけですよね。
ですから私個人の考えはですね。
国からお金貰っていいと思います。
先生は蹴っ飛ばしました。
それこそ男だと思いますけど、そう思います。
いろいろ言いましたんですけど、またちょっと後で頭を整理しましてですね。
質問させて頂きたいと思いますが、我々は先生を頼りにしておりますので、どうかよろしくお願いします。

★真鍋氏

ありがとうございます。
私、ついていきたくないんです。(笑い声)

08.5.14 竹下珠路さん 調査会主催緊急集会 UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)の声』

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★司会 真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

今日はせっかくですから、特定失踪者のご家族も先ほどご紹介したようにお見えですので、一言ずつご発言をいただければと思います。
竹下さん、ご夫妻でいらしてますので、代表して竹下さん。

★竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)

竹下でございます。
いつもありがとうございます。
私は今日、急に出掛けてくることになったので、母をもう5時の時点でご飯をこれこれ食べて、お湯も自分では出せないのでちゃんとお薬飲んでね、すぐにご飯も食べてねと言い置いて、家の鍵をかけて出てきました。
その母も待っているところで今日お話を伺って腑に落ちたところがいくつかございます。

それはまずは私どもが妹のことを訴え始めて「拉致はテロだ」という、9.11から来た「テロ」と言う言葉の強さが、ちょっと私は個人的にはうちの妹たちを救出することに、この長〜い年月。
うちの妹は33年になります、この7月7日で。
その長い年月が「テロ」と言ってしまうには私はちょっと馴染めないな〜と長い間思ってきた事に対して、荒木さんが話してくださったことでまず一つ納得したというか、私がちょっと馴染めないなと思っていた事がここだな、と思ったことでした。

それから今までいろいろな活動の中で、過去、荒木さんの言葉でもたくさんありましたけど、過去の警察がどうだったか?過去の政治家がどう押さえ込んできたか? 
いろいろ上げ連ねても私は、過去の事を非難してもその時の事を誰が責任を取るのか?といっても、今始まらないのでは?
始まらないといってはちょっと語弊があるかも知れませんが、これから進展に向けて私達は動いていきたいので、それだけを言っていてはダメだと思っていた事が、今日はっきりと荒木さんの言葉でも「政府の責任として国民を取り返す」
それが大事なんだという事を訴えていくと言う事が、私は今日本当にずしんと響きましたことの二つ目です。

政府を批判するのではなく、政府に求めていく。
これは私が3年前に皆様の応援で行政訴訟を起こしました時にも、政府を相手に行政訴訟を起こしましたが、取り込まれてはいけない。
だから安倍総理になった時に私も何とか道が開けるかと思いました。
しかし救う会の皆さんがそこで安倍総理と作戦的にいくと、素人の考えですが、取り込まれてしまったのではないか?政府側に。
そこから少し方向が違ってきたのではなかろうか?と。
私達は家族として、この運動として、政府に取り込まれるのではなく、先ほど荒木さんが仰ってくださったように政府は政府でなければ出来ないことをきちんとし、民間は民間でなければ出来ないことをきちんとし、調査会は調査会として、そして家族は家族でなければ出来ないことをきちんとし、その事が今とても重要ではないのか?と大きく腑に落ちた、と言うところです。

私も今年の方針として、今まで千葉の支援の方々と一緒に知人とも一緒に集会と言う形でしてきましたが、これから私は毎月、妹の最後の消息地でありますJRの千葉駅の駅頭で、先月も立ちましたが今週も土曜日に立ちますが、街頭活動を行っていく決意をしまして、具体的に日程も決めております。
そういうコツコツとした草の根活動、千葉の皆さんがわざわざ寄ってきて「知ってますよ、頑張りましょう」といってくださる方もいますし、高校生の人たちが「あぁ、そうなんだ、ここでそんな事があったんだ」と言ってくれる人たちもいます。
そのコツコツとした草の根活動と自分に位置づけて、地域の皆さん、支援してくださる方々と一緒にしていこうと思っていますので、本当に意見にもなりませんが、腑に落ちたという事でここで発表させて頂きたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)

2008年05月19日

08.5.14 増元照明さん 調査会主催緊急集会より UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『増元照明さん』

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★司会 真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

今日は家族会の方から増元さん、それから特定失踪者のご家族で竹下さん、小林さん、それから今日は木村かほるさんの弟さんもわざわざお越しいただいていますので、順次ご発言いただけますか?
増元さんいいですか?
では、増元ご夫妻からいいですか?

★増元照明さん

いつもお世話になっております。
今月末に報告する予定ですけど、一応報告だけはしておきますけども、私は政府側の人間ではないので、政府側の言い訳を皆さんに知っておいた上で話した方がいいと思いますけど。
昨日政府側から今回の富山の集会において、荒木さんを呼ばない理由は何だ?と聞いたんです。
そうしたら政府としては呼ばないというのではありません。
そんな皆さんの意思があるとかそんな事はありません。
ただ、政府主催・共催、政府がお金を出しているところで金正日政権打倒、これは私たちもご家族もそのようにお思いでしょうけども、それを声に出していってしまうと、その集会自体が金正日政権打倒集会になってしまうと、政府方針が変わったのか?とどこからか突っ込まれるので、そういった場合に政府として答弁のしようが無い。
という事で今なるべくご遠慮願わなければならないのかな?と言うような話をしておりました。

で、私も調査会の常務理事ですから、じゃあ私も行きませんよ、と言ったんですけど、「いやいや家族の意見は」というふうにおっしゃったんですね。
だから現在家族が政府批判をすることに対しても日本政府は少し、日本政府はどうか分かりませんけども、批判が出ているようですので、今後どうなるのかちょっと分かりません。

それから質問なんですけども、緩やかなネットワークという事ですが、この・・・(聞き取れず)の話があったり、緩やかなというのはあたらないですよね?
私は運動の分裂だけは避けなければいけないと思っていますし、家族会の分裂も避けなければいけないと思うから蓮池透さんのあのような意見に対しても厳しく断じていかなければと、でもそれも・・・(聞き取れず)し過ぎたかな?とちょっと思っていますけども。
でもどうやって緩やかなネットワークを今後作っていくのか?という事を、ちょっとお聞きしたいんですけれど。

★荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

緩やかなネットワークと言うとある意味で言うと、現在の救う会全国協議会の動きに対するアンチテーゼみたいなものでございまして、私も、事務局長をやっているときとは今と全然違いますから比較のしようもないですが。
救う会に限らず政党活動をやってきたものとして言えば、あんな高圧的なやり方をしなくったって運動は十分出来る。
いうふうに思います。
あんな事をやったら逆に運動自体が先細りにならざるを得ない。
どんどんどんどんいなくなっていく。
皆さんご存知のようにあの救う会を立ち上げた時にいたメンバーと言うのは、大部分が今残っていないわけでございます。

この運動はどんな事を言ったって、始めたのは新潟の小島さんが始めた運動です。
その後大阪が出来てその後東京が出来てというのが動きでございまして、あの時小島さんがかなりのむちゃくちゃな無理をしてやらなければ出来なかったことでもあり。
あるいはもちろん、しかし、そのときは馬場先生とか一緒にやっていたわけですが、その辺の方々が皆一緒に動いてきたから動いてきた運動でもありですね。
それをだからつまらない機関決定だとか、そういう事を楯にとって排除していくというやり方は、私はやればやるほど運動がですね。
廃れていくとそういうふうに思います。

で、これは私は自信があるんですが、しっかりと物を見て、ちゃんとした我々が責任をもって物を言っていけば、上下関係頭がなくたって組織は作れるし動かすことが出来る。
これは絶対断言してみせます。
それは私が政党活動、そしてこの救出運動をやってきた中で思っていることでございまして、それが出来ないほど、この国はあほな国では在りません。
それは十分に私は出来る。

ただ、それをやっていくためには、その取りまとめ役になっている人間は、それなりの覚悟をしてやらなければいけないと思いますが、それさえあればともかく情報を交換して、そして自分は自分なりにこういうふうにすべきだという事を明確に示していくことによってですね。
動ける人は動く。
その時にあるテーマで動けなかったとしても、また別のテーマで協力していただけるという事だと思いますので。
これは緩やかと言うのは単にごまかしと言う意味ではなくて、それをすること自体が組織を強くする事が実質上はですね。
組織を強くする事が出来るという、私の確信に基づいた言葉だとご理解いただければ幸いです。

そうすると今度は逆にですね。
それに対して誤解があるかもしれませんけども、しかし今回はそれを乗り越えなければ事態は前に進みませんので、そこの責任はやはり言い出した私にある。
いう事でですね、そういういう一つの実験をやっていきたいという事でございます。

08.5.14 三浦小太郎氏 調査会主催緊急集会より UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『三浦小太郎氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)』

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★司会 真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

ご質問・ご意見なければこちらからどんどん指名をしますけど、宜しいですか?(笑い声)
三浦小太郎さんお願いいたします。

★三浦小太郎氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)

これは、可能ならばと思うんですけど、今日本に来ている脱北者の方たちの体系的な聞き取りと言うのは、日本政府はやっていないです。
外務省が日本に入国させる前に大使館で一応聞きますけども、北朝鮮における情報の体系的な聞き取りと言うのは、私の知っている限りほとんどやられていない。
これは政府が悪いと言うだけじゃなくて、ノウハウが無いんんだと思うんですね。
脱北者の方の情報は9割くらいは個人的な体験とか思い込みが強いから、そのまま聞いても情報になりません。

ただ、せっかく李明博政権に変わったこともあるし、この点だけはね。
何とか韓国、韓国の批判をするのも結構なんですけども、脱北者の方をゆっくり聞いて、そこから北の情報をとるという事は韓国のほうがはるかに日本よりノウハウを持っているので、このところを、これは民間では難しいかも分からないけれど、例えば日本にやってきている脱北者を、韓国の方々と連動して整理していくとか。
とにかくハングルでやった方が彼らはちゃんと出来ますからね。

それとあるいは出来れば、これは希望ですけれどね。
自衛隊の中に情報の専門局があれば、情報省を造れと言うのが無理なら、自衛隊の中に情報省のようなものがあれば、私は知っている限りの脱北者をそこに紹介することができますし、秘密を保持してくださいという誓約さえすればですね。
マスコミに出るのは向こうに家族がいて出来ない方でも、政府の公的機関で情報を外に一切出さないといえば、協力する人は一杯います。

ですからそういった連携、韓国と自衛隊の軍事的(連携)、僕、軍事は分かりませんけどね。
いろいろ連携はあるんでしょうから、脱北者からの聞き取りのノウハウを日本政府日本の機関、できれば民間も学ぶこと。
それに基づいて、体系的な脱北者の聞き取りをして、拉致の情報はほとんどないです、はっきり言うと。
ただ北朝鮮の現状を分析することに役立てるという事が、もしこれから具体的に出来れば、かなり長期的には効果が上がるんじゃないか?と思います。
こういう提言をもし自衛隊の方々か政府に、もしくは私たちに協力できることがあればやりたいと思います。

★司会 真鍋氏

はい、ありがとうございます。

08.5.14 青木直人氏 調査会主催緊急集会より UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『青木直人氏』

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★司会 真鍋貞樹 特定失踪者問題調査会専務理事

はい、ありがとうございました。
じゃあ残り30分程度、参加者の皆様方からご意見・ご質問をいただきたいと思います。
どうぞお手を上げてください。
もしお手を上げて頂かなければ私の方から指名をさせていただきますが宜しいですか?
では、いきなり増元さんでは気の毒なので、青木直人さん、ちょっと一言ご意見等お願いいたします。

★青木直人氏

いきなりちょっと振られたので、何を?という感じがするんですけど。
ただ私ちょっとチャンネル桜と言う番組の中でもお話したんですけども、先ほど言われた佐藤さんとやっぱり言ってしまえば自民党との距離の取り方ですよね?
それた当初から荒木さんが言われた、要するに最終的にあの体制を温存したままだと、やっぱり条件闘争にしかならない。
残念なことですけれど、昨年の米中の協議以来ですね。
アメリカと中国は明らかにとりあえず今の政権を延命させるという方向に動いて行ってますので。

皆さんお気づきになったかどうか知りませんけど、この間の胡錦濤が来日したときにですね。
福田首相との共同声明、及び記者会見の内容を見ますとですね。
「日朝正常化」という文言がきちっと明確に入っているんですね。
あれはこの間、ライスが来たときにですね。
要するに日朝関係ですね。
出口論で、とりあえず話し合いを先行してくれと言うのがアメリカの国務省の意向なので、福田政権と言うのはおそらくそれに連動した動きであろうと。
そういう中で相対として拉致問題を適当なところで手打ちにしてですね。
というか政治力学が働くということで。

今回実は意見があったときに意外感はなかったんですけど、これに対して私たちの側がどういうふうに運動を整理していくのか?と言う事が早急に問われているのではないか?と思います。
ですから私個人は荒木さんのこの間の声明というのを基本的に支持しておりまして、中途半端な形で運動をやるのではなくて対立点は対立点として明確にした上でですね。
具体的な事実を・・・(聞き取れず)した上で運動をもう一遍再構築していくべきだろうという事で、要はこれからに全てがかかっていると思いますので、
私は私なりに努力はしていきたいと思っています。
簡単では有りますが、そんなところです。

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※参考リンク 「青木直人BLOG」より

「調査会の旗」
http://aoki.trycomp.com/2008/05/post-32.html

2008年05月18日

08.5.14 質疑応答 調査会主催緊急集会より UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

『質疑応答』

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★司会 真鍋貞樹 調査会専務理事

(荒木氏の基調講演を受けて)ありがとうございました。
先ほど申しましたように、司会者の特権として荒木にこれから厳しい質問をしたいと思っています。
そういえば皆さんも何となくお感じになっていると思います、もやもや感。
荒木一体どうするのよ?と、もっとハッキリ言えと、現状をもっと把握してよと、どうするんだ?と・・・いうふうに行きたいんですがまぁ、私が逆の立場だったらそんなの聞くなよという世界なんですけど、ただ事は緊急と言いますか重大なことですから、せっかくお集まりになって、私たちとしてはこれを機会にですね。
この拉致救出活動の根本から考え直して行こうという機会に、今日したいと思っていますので、あえて荒木に対して厳しい質問と言うか答えにくい質問をしてみたいと思います。

私が聞くのは、私がそういう考え方を持っているというふうに皆さん誤解しないでください。
誤解しないでくださいね。
より問題点を明確にするために、あえて荒木に質問をぶつけるというふうに理解をしていただきたいと思います。
私の質問で足りない事は後で皆さんご自由にご意見・ご質問等お願いしたいと思います。
宜しいですか?
一括がいいですか?それともひとつひとつがいいですか?(荒木氏「一つづつやりましょう」の声)

じゃあ、ひとつづつ。
今までのお話の中で5点という事で整理をしたいと思います。
いくつか用意したんですけど、またまとめました。
1点目ですけど、今回の荒木代表が問題提起をするきっかけになった富山県における政府主催の集会。
これから荒木代表を排除した理由、これについてはご自身はどのようにお考えでしょうか?

★荒木和博 調査会代表

はい。
まぁ、あの、言われていますのは、金正日体制に対する考え方が違うという理由で私は聞いております。
つまり我々は「体制崩壊も視野に入れて活動する」という事ですけども、「体制崩壊は視野には入れない」という事が理由と聞いておりますが、しかし政府主催、まぁもっと全国救う会との共催の集会であればですね。
その中で政府の批判をいつもしている私が喋るという事がよろしくないという事・・・なんだろうと・・・言うふうに思います。

★真鍋専務理事

もやもや感も残りますけども、また皆さんも後でご質問をしていただきたいと思います。
2点目ですが、この政府と一体化路線についてお伺いしたいと思います。
政府と一体となって運動を行う事は間違いというように先ほど代表はご指摘をしていましたが、逆にこうした重大問題を今後の運動で政府と一緒になって頑張ると。
一体と一緒って微妙ですけど、とにかく一緒に頑張る事というのは拉致問題について必要ではないか?というふうに考えるのはどうか?

そして皆さんもお感じになっていると思いますけども、拉致救出運動団体が事実上分裂するわけですね。
事実上。
この事実上分裂状態を最も喜ぶのは誰か?
それは北朝鮮と日本にいる北朝鮮融和派のメンバーであり、最も悲しむのは誰か?
それは拉致された被害者の皆さん、という事でありますから多少意見の違いや方法論の違いがあってもですね。
やはり一致団結して取り組む事が大切ではないか?と言う意見に対してはどのようにお考えでしょうか?

★荒木代表

はい。
これは実は私の意見に賛成してくださる方でも、やはりそういう懸念を表明される方は少なくないです。
それは私も非常にひしひしと感じておりますし、これは中々舵取りが難しい問題だというように思っております。
実は私も真鍋も前、全国協議会の幹事をやっておりました。
私は事務局長を降りた後、幹事と言う形になりまして参加していたんですが、あれはいつ辞めたんだっけ?(となりの真鍋氏に聞く)
二人で辞めたわけなんですけども、なんで辞めたか?と言うと、正直言って見ていられなかったと。
いうのが、正直なところでございます。

しかし我々別組織の代表のような形で入っておりますから、そこでですね。
全国協議会の運営に口を出すのは如何なものか?という思いがあり、そして、そしてしかし、その一方で全国協議会の幹事であれば、決まったことに対する責任を負わなければいけない。
非常にその板ばさみになりまして、その中で何とかするためにはどうしようか?
で、とりあえずやった事は、幹事を降りてそれによって自分でですね。
お互い干渉しないような形で出来る事をやっていこうという事でございました。

その状態でしばらく来たわけですけども、救う会の方ではいろいろな形で除名された方が出て、その方々の中には我々の役員になっている方もいますし、そしていろんな不満を持った声も聞こえてくると。
で、本当にこのままでいいんだろうか?と。
救う会がこの運動体の中心である事は間違いないと思うんですが、そういう状態で方向性が間違ってしまったならば、これはもう取り返しがつかないというふうに思います。
分裂しているというふうに見られるのと、そしてどうしなければいけないのか?という事を天秤にかけて、やはりこれは荒木がある程度ハッキリと物を言っていくしかないんではないだろうか?というふうに思った次第でございます。

★真鍋専務理事

じゃあ、続きます。
3点目ですけれども、これは私も非常に質問し難いんですけども、是非私として聞いてみたいことでございます。
私も現代コリアの愛読者とまでは行きませんですけども、20年くらい前から読んでおりました。
11年前にこの現代コリアのメンバー、佐藤所長をはじめとしてメンバーと一緒に(救出活動を)やり始めました。
その時の現代コリアのメンバーは非常に鉄の団結と言うか、あるいはファミリーと言うか。
非常に団結力があって、小さいながらも大きな影響力を果たしたメンバーが揃っておられました。
しかし、残念ながらかつての現代コリアのメンバーは散り散りバラバラになりました。
一体何故なんですか?・・・という事でございます。

★荒木代表

え〜、まぁ、これも、私も結果的にそういう事になったという事なんですね。
どうして?という事は、私も中々私自身も答えられない。
答えないというのは喋れないんじゃなくて、何と答えて良いか分からないということでございます。
ご存知もない方もおられると思いますが、私民社党本部にいたときから現代コリアの読者でありまして、途中から現代コリアの編集員という事にして頂いてました。
民社党が解党になった1974年から、現代コリアの方を直接お手伝いするようになっていったわけでございます。

現在私は大学の教員と言う肩書きを持つに至っておりますが、朝鮮半島研究の研究者と言うことになっておりますけども、私がそういうふうになる事が出来たのは、間違いなく現代コリア研究所があり、そして佐藤勝巳所長がいて、そして西岡編集長がいてということがあったからでございます。
これは、この先どんなことがあっても私は否定をするつもりはありませんし、いくら私が否定をしても現実はそれ以外の何物でもない、と言うふうに思います。
で、尚且つ私の家内は西岡さんの大学院の後輩でありますし、結婚式の仲人は佐藤会長ご夫妻ですから、そういう意味ではですね。
それに対してある意味反旗を翻すような事を言うというのは、非常に自分としては何ともやりきれない思いが致しております。

しかしやはりこの現代コリア自体がですね。
いろんな形で分裂をしていったというのは、まぁ、私も奥の奥は自分でも良く分からないんですね。
やっていて何となく、結局自分はよそ者なんじゃないか?と思った事が何回かありますし、本当のところは分かりませんがこれもある意味で言うと、権力に対する距離の問題なのかな?という感じが致します。
それによって分かれてしまったという事なのではないだろうか?と言う感じが致します。

★真鍋専務理事

はい。
後2点お伺いしたいと思います。
救う会の現状についてお伺いをしたいと思います。
有体に言って一言で言えば、救う会は内部はごたごた状態であるという事は、もう皆さんご承知のことでございますので、包み隠さず私も指摘し質問させて頂きたいと思います。
この救う会全国協議会の内部のごたごたの問題は、個人的な問題によるものなのか?それとも政治力学上の問題なのか?
そして現在の救う会の内部のごたごたと言うのは、どうすれば解決出来るものか?出来るか?とお考えでしょうか?

★荒木代表

これも非常に答えるのが難しいです。
表に向かって一度も言った事はないんですが、何人かの人にはお話をした事はありますが、今まで一度もお話していなかった特定失踪者問題調査会が出来るときの事がございます。
なんで調査会ができたのか?いう事なんですが、あの時、実は平成14年の12月の末にですね。
一番最後の記者会見のときに特定失踪者リストを出す予定になっていたんです。
そのときは特定失踪者という名称はなかったですが、その可能性のある失踪者のリストを、あの年の年末に発表することになっていました。

で、それが、私今でもどういう理由か良く分かりません、分かりませんが、ブレーキがかけられました。
佐藤会長から。
非常に強硬なブレーキのかけ方でした。
その時の話は、これは大変な話だから表に出せばですね。
かなりの大騒ぎになる。
だから救う会として方針を決めていなければ、それは出来ない、という事だったんですね。
だからその方針が決まるまで待てと、いう話でございました。

私は当時事務局長でですね。
失踪者の方のご家族の声を直接聞く立場にございまして、あの頃本当に、特に曽我さんの話が分ってからはですね。
次から次へと「うちの子供もそうじゃないか?」とか、そういうご家族からの声がありまして、それが基本的にはほとんど私が受けていた。
これは一刻も早くどうにかしなければいけないという思いもあり、救う会で出そうというふうに思っていたわけですが、それがですね。
12月の中旬までは特に何の異論もなかったんですけども、どういうわけだかそれを過ぎてから急にブレーキがかかりました。
で、ブレーキがかかった後で、まぁしかし三役会での決定ですので仕方が無いと。

しかし、こういう重大な問題があるという事は何とかして知らさなければいけないというふうに思いまして、内閣府、当時の支援室、現在新潟県の副知事をやっている小熊さんのところへですね。
そのリストを持ってまいりました。
で、リストを持っていったらば、あの、それがですね、NHKのニュースに出たんですね。
逆に担当した記者さんは気を利かしたつもりだったんでしょうが、内閣府の建物に入っていく私の絵がですね。
ニュースに出ちゃった。

実はそれはその時の絵じゃなくて、前の、何か別の時に撮ったのを出しちゃったらしいんですが、それを見た別のマスコミの方が佐藤会長に「どうも荒木が内閣府にそれを持っていったみたいだ」というふうに言ったことでですね。
会長が激怒しまして、「首だ」ということになったんです。
それが元々調査会が出来る発端でございます。
丁度年末で、年末年始、丁度休みに入るものですから、おそらくあの当時気付いた人は誰もいなかったと思います。
もう6年も経っていますので、時効だという事でお話をしていますが、そういう事でですね。
これはもう救う会の中にいる事は無理だというふうに考えまして、ともかくじゃあ、自分のやっていた失踪者の問題だけ切り離してやらしてもらいたいという事で、それは了解を得て、で立ち上げたのが特定失踪者問題調査会でございました。
最初の1月10日に発足、そして記者会見をやったときはまだ事務所も決まっていなかったときdございます。

その年末も大慌てでですね、その発表の作業をやっているときにメールが来たのが司会者(=真鍋氏)でございまして、丁度小平市の市会議員でしたが4ヶ月後に改選が迫っていまして、「もうこれで議員を辞めたい」というふうに言っていたんですね。
で、ずっとですね、「馬鹿な事をするなと、議員を続けろ」というふうに言っていたんですが、そしたら「何か手伝う事はないか?」というメールが来たものでですね。
「これは辞めさせた方が良い」と(笑い声)言うふうに思いまして、それじゃ一緒にやってくれないか?と。
それから5年間こういう事になりまして、まぁ、いう事でございます。
その、だから全く分らないです。
私の邪心かもしれませんが、その時点で何らかのものがあって んじゃないか?という感じがします。

同様の事を感じたのはそれ以外にも何回かあるんですが、もうひとつ非常に印象が強かったのは増元さんが参議院選挙に出たときです。
最初、自民党の比例区と言う話がちょっとありまして、そのときには何でもなかったんですが、その後で無所属で東京選挙区となったときのブレーキのかけ方はですね。
ちょっと異常だと思えるくらいのかけ方をされました。
それでも結果的にやり通したのは候補者の信念があったからだと私は思うんですが、そういう事もございまして、何かその時その時でですね。
全部説明しているわけにも行かないんですが、一体何でこんなに拘るんだろう?と言うときがいくつもございました。

それはさっきの現代コリアの話とも近いんですが、あるいは何らかの権力との距離感によるものではないだろうか?という感じが致しまして、現在もいろんな問題をですね。
私は結局そこから来ちゃっているんじゃないだろうか?と私は言う感じがしてなりません。
最初からそういう一定の距離感を持ってやっている運動であれば、そういう事にはならないんじゃないだろうか?と。
まぁ私は中にいて、渦中にいるわけではないですから、こうだと断言は出来ないんですけども、見ていて感じるものはそういうものだと、そういうと政治力学上の問題だというふうに言えることもあるのかもしれない。


★真鍋専務理事

はい、有難うございます。
皆さん、気をつけてください。
1本のメールが人生を大きく変えることもありますので(笑い声)気をつけましょう。

じゃあ、最後の質問ですが、今の拉致被害者救出の運動の一言で言うと、ごたごた状態を解決した、上手くできた。
いろんな意味でですね。
その後の運動の全体像をどのように今描いておられるのか?
具体的には行方不明の上の方に「新たな緩やかなネットワーク」という事を提言されているわけですが、もっと具体的にですね。
このネットワークの運動の進め方と言うもので、どんな戦略を描いておられるでしょうか?

★荒木代表

はい。
我々の活動も含めて全体で一番抜けているのは、社会運動で言うとやっぱり草の根の部分が抜けてしまっているのではないか?と。
特に9.17以降やはり目立つところに皆行くようになってしまったので、地道な活動が、もちろん皆さんがそれぞれやってくださっているんですけども、そこに対する視点が欠けて来ているのではないか?と言う気が、私は致しております。
だからまぁ、そういう意味で言うと集会も出来るだけ細かい集会をやって、今まで来たこともなかった人、あるいは関心がなかった人、場合によっては敵対的だった人に対してもですね。
少しでも説明が出来るような場を作る努力をしていく事が必要ではないか?と。

それから我々調査会という立場で、調査機関と言うことでは我々がもっと努力をしてもっと情報を出して、そして情報をマスコミの方を通じて知って頂くという事によってそれが関心を呼ぶことになる。
そういうものが相乗効果を起こすことだと思います。

それから政府の中と言う意味で言えば、政府のともかく総合的な方針を「変えさせる」と。
「変えてもらう」じゃなくて、「変えさせる」と。
これは私は絶対に必要なことであって、そこが出来ればですね。
おそらく全体が動いてくると思います。
この国の官僚機構はそんなにアホではありませんから、優秀な人はたくさんいるわけでそれが動けばですね。
非常に効果が上がる。

で、今政府がやっている広報活動・啓発活動、それはそれでいいけれども、しかしやはり優先順位から言えば、もっとやらなければいけない事が当然あるはずでございまして、そちらの一般的な啓発活動なんかはですね。
もっと、これは民間がやったって十分出来るわけでありまして、この間戦略情報研究所の講演会で話していただいた稲川さんが作れば十分、それで政府よりいいものが出来るわけでございますから、それで済むんじゃないか?と。

政府はやはり政府じゃなければ出来ない事をやってもらうべきである。
政府でなければ出来ないことと言うのは、一体何か?といえば、やはり国家主権の侵害と言うものに対してですね。
国家の機関が正当に立ち向かうという事でございまして、これは私は第一の視野に入るべきは自衛隊でございます。
拉致問題から第一段階から自衛隊・防衛省というのは、やはり本当に徹底して外されて来ています。
今、何人か入っていますけど、ほとんど脇役の役目しかしておりません。
普通だったら絶対にありえない話でございまして、それをさせるということが必要でございます。
で、私自身も予備役でございますので、そのときは召集をしてもらってですね、働かしてしてもらうと。
まぁこういうのは自作自演という奴でございますけども、やはりそういう事で政府は政府でしか出来ない事を、民間は民間でしか出来ない事を、そして出来るだけ細かい、地に足の着いた事をやっていくと。

それから我々自身がともすれば忘れがちでございますけども、社会運動と言うのは基本的にはですね。
皆がやるときにやるものじゃなくて、やらないときにやるものでございまして、皆がその気になって動く時であれば別に動かなくったっていいんですね。
皆が動かない時に動くものであって、ですからつまり全体から言えば、出来るだけ日の当たっていないところにですね。
日を当てるという努力をする事がやはり必要ではないだろうか?と。
ちょっと抽象的な言い方かもしれませんけども、結局そこに尽きるのではないだろうか?と言うふうに思います。

08.5.14 荒木和博氏 調査会主催緊急集会より UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

荒木和博 特定失踪者問題調査会代表
 
基調講演「拉致事件の本質と解決への道」


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★司会:真鍋専務理事

みなさんこんばんは。
緊急の集会にこのように多数集まり頂きまして誠にありがとうございます。
本日は、戦略情報研究所の集会ではなく特定失踪者問題調査会の主催の講演と、皆さんとの議論の場にしたいと思っておりますので御協力願い申しします。
本日のテーマは、お手元の紙(資料)にありますように書いてあるとおり、「今後の拉致被害者救出運動に関して」のと題して、特定失踪者問題調査会の荒木より報告、提言をさせていただきたいと思っています。

司会者から今日の主旨を簡単に、申し上げます。
みなさんもお気づきのように、今日拉致被害者救出運動は、明らかに暗礁に暗礁に乗り上げていると思います。
この要因というのは大きく二つあると思います。ひとつは、あの北朝鮮のあのしぶとい政権の存在でございます。二つめは、我々自身の問題、日本の国内の問題だろうと思っております。

本日の集会は、この二点目、「我々日本国内の運動の問題について」荒木より提言をさせていただきたいと思います。この講演の目的は、拉致被害者救出運動の目的、方法論というものを明確にして、この拉致被害者救出運動が暗礁の状態を脱却したいという強い想いから、こうしたテーマで報告させていただきたいと思います。

本日の進め方ですけれども、最初に三十分荒木より報告・提言をさせていただきたいと思います。
そのあと30分ほど司会者の特権として、私の方から厳しい質問を荒木にぶつけていきたいと思います。
残りの30分程度を、どうかご自由に参加者の皆さんから、質問、ご意見を頂きたいと思っております。
限られた時間ですけれども、フルに活用していただいて、今後の新たなる救出運動皆様方の御協力を宜しくお願いしたいと思います。

それでは、早速ですけれども、荒木より報告をさせていただきます。


★荒木和博特定失踪者問題調査会代表


恐縮でございますが、坐ったまま報告をさせていただきます。

今日はお忙しい中皆様多数お集まりいただきまして、ありがとうございます。またインターネットを通じまして全国の皆様方、ご覧頂いていると思いますが、大変ありがとうございます。今日、こないだのしおかぜの集いを別にすれば、こういった形の調査会として集会をやるのは、初めてのことでございます。それも急に呼びかけを致しまして大変お忙しい中、ご迷惑をおかけしました。

今回、事の発端は、五月六日に出しました調査会ニュースに私が書いたものからスタートになりますが、調査会ができましてから五年、五年半ちかく私ども、やって参りまして、まぁともかく、運動が分裂したという事にになってはもともこもないというふうに思って参りました。ですから少なくとも他の組織に対して内政干渉的なことをすることは慎もうということでやって参りましたし、基本的にはこれからもそのことは、変わることはないんですけれど、今救出運動全体が、大きな曲がり角にきているのではないかと、危機感を最近富みに感じております。

今方向性、(細かいこと、多少の間違いはあとでどうにでもなると思いますが)大きな方向性が違ってしまえば、行き着くところは違うところに着いてしまうわけでございまして我々としては、それは、絶対に止めなければいけない。

もちろん我々にも間違いはたくさんあると思いますが、方向性を少しでも正しい方向に持っていく努力をしていかなければいけないとの思いで、考えました次第でございます。
お手元にお配りしました私のレジメ「今後の拉致被害者救出運動に関して」をご説明しながら話をさせていただきたいと思います。インターネットでご覧になっている方は、このレジメをお渡しできないのですが、先ほど私のブログにこのレジメをそのまま掲載してありますので、ネットでご覧の方は、こちらのブロクと合わせてご覧いただければ幸いでございます。

  ※荒木和博BLOG 「本日の集会レジメ」
  http://araki.way-nifty.com/araki/2008/05/post_3f34.html

これからお話することは、現在救う会全国協議会で方針として出しているものと、ずばり違う部分がかなりございます。我々は、基本的に私達の考え方に全て合わせてくれと言うつもりは、全くございませんで、様々な意見が当然あって良いだろうと。そして最終的に、到達点が同じであれば良いであろうというのが前提でございますが、いくつか問題となるところはあるかもしれません。それも含めてお話しをさせていただきます。

書いてあるとおり、この見解自体は特定失踪者問題調査会荒木の個人的な意見という、非常に中途半端な言い方になりますが、組織的な問題等々に関しましては、30日に我々の理事会をやる予定にしておりますので、それまでに整理をして進めていきたいと思います。

目標日本人拉致被害者の救出ということが究極的な目標であることは間違いありません。ただし、それに至るためには、必要不可欠であるのは、北朝鮮が民主化、自由化されると言うこと無くして日本人拉致被害者全ての救出というのは、絶対になし得ないと思っております。

後ほどお話しを致しますが、やはり我々の特定失踪者リスト470名以外にも、拉致をされている全く身寄りのない方で連れて行かれている方、これは北朝鮮の体制が変わらない限り救出すことはできない方々でございまして、そこまで、我々はもちろん責任を持っているわけですから、それは、北朝鮮の自由化、民主化と表裏一体と言うことでございます。

もう一つ、拉致事件の本質というものですが、拉致事件は、私は二つの側面があると思っております。ひとつは、言うまでもなく国家主権の侵害であり、これは言葉を換えれば、北朝鮮から仕掛けられている戦争でございまして、それに我々が如何に対処するかという問題がひとつ。そしてもう一つは、独裁国家北朝鮮の中で起きている重大な様々な人権侵害その中の一つでもあると言うことであります。
この二つであるという認識を、政府、国会、そして国民が共有しなければならないと私は思います。

「拉致はテロだ」というスローガンでこの間、やって参りました。それが間違いだとは思いません。
それは、テロと言うことを軸にして、9.11以降、テロに対する戦いとして、アメリカと共に歩調を合わせてやっていくためには、そのことばというのは、効果を表したものだと思っておりますが、しかし、この問題の本質的な部分というのは、やはり主権侵害と人権侵害、この二つであろうと、私は思っております。

そして政府に対する姿勢の問題、これが一番重要な問題でございまして、そこにも書いておりますが、政府と一体化するという方針は、私は間違いだと思います。

社会運動が、国家権力と一体化するというのはあり得ない。あってはならない事であって、それをやってしまえば、御用団体以外のなにものでもないというふうに思います。

ただし、私は別に反政府団体をやっているわけでございませんで−−政府に方はそう見られるかもしれませんが−−自分でそういうことをやっているつもりはありませんので、実際、我々様々な政府機関の方々と現実の救出に関わる問題でいろんな形で、協力をとってやっております。それは、こういう場でお話しできないこことも含めて、それはやっております。

勿論政府の中で、この問題を何とかしようと思っている人が何人もいることは私もよく存じておりますし、メールのやり取りですけれども、「私は命をかけて拉致被害者を救出する」と言ってくれた政府の方もおられます。そう言う思いの方は、事実少なくないと思っていますが、唯やはりこの問題が何十年もの間解決されてこなかった理由の一番大きなものというのは、何と言っても、<国家権力が、これを隠蔽してきた>と言うことにあります。

そこをひっくり返さない限り、この問題の最終的解決はございません。

今私は、薄々、まだ具体的にこういう事があると申し上げるところまでいかないのですが、あくまでそうじゃないかと思っているというレベルなんですけれども、この問題は戦後体制だけでなく、戦前の問題が必ず何か入っています。
そのひとつは、おそらく、敗戦後の<残留日本人>の問題があるんではないかと思います。いろんな形で北朝鮮残った残留した日本人が相当の数いると言われています。平壌だけで1000人ぐらいの方が残ったと言われておりまして、これは中国残留孤児と同じような形で残った子供もいたでしょうし、大人でたとえば配偶者が朝鮮出身の方でそのまま残ったとか、いろんなケースがあったと思います。その人たちが、何らかの形で(拉致)に関わった可能性があると思います。拉致をした人を管理する仕事とか、あるいは、そう言う方々が「ここにこういう人間がいるよ」と教える役割をしたかもしれません。

こないだ蓮池透さんが書いたものをみましたら、その中に蓮池薫さんが、北朝鮮に連れて行かれてから日本に帰るのを諦めるまで、どのくらいかかったかということが書いてありましたが、「1年」と書いてありました。帰ってくるまで24年のうちの最初の「1年」で諦めてしまったと書いてありました。
蓮池透さんが書いたものには、全く同意できない部分も結構あるんですが、あれは本当のことだろうと思います。

おそらく精神状態からいって、あのように無理矢理連れて行かれて、そこでとんでもない状況のおかれるわけですから、その時もし、自分の精神の平静を保とうと思ったらば、自分がそこにいることを合理化する以外に方法はないだろうと思います。私もおそらく北朝鮮に連れて行かれても同じだったのではないかと思います。

そうすると、そこで北朝鮮側は「日本は戦前とんでもないひどいことをしたんだ。だからおまえたちはその罪の償いをするんだ」というふうに教育したはずです。それは八尾恵さんなどの本の中にも似たようなことが出て参ります。

そしてそう言う中で、拉致された人たちが、どう言う風に考えたかといえば、いつまで経っても日本から取り返しに来てくれるわけでもなんでもない、そしてその一方で北朝鮮側から『日本は昔ひどいことをしたんだ』と教えられる。その国の中で生きのびていくためには、やはりそれを認めるしか方法がない。実際日本から助けに来ないわけですから、結局日本に対する憎しみ、祖国に対する憎しみを持った状態でいる。そうしたらその人たちが、やがて何をするかという事は、ある程度想像できるのではないかと思います。

やがて拉致問題が全てわかったとき、こういう話が全部出てくるだろうと思います。我々はその時一体どのように相対しなければいけないのか?その人たちに「一体今まで何をしてくれたんだ?助けに来てくれたのか?」と言われて、我々一体どう答えるのでしょう?
「憲法の制約があったから、行けなかった」と答えるのか、「戦争を起こしてはいけないと思ったから行けなかった」と、答えるのか?どういうことばを使ってもおそらくそれを繕うことはできないだろうと思います。

そう言う状態だった事を、ある程度は少なくともこの国の中枢にいた方は、何十年も前からわかっていたはずです。
1970年代後半からの久米さんから始まる政府認定者の拉致より遥か以前から北朝鮮が拉致をしていたと言うことは、おそらく警察官僚とか、もっと上の人たちは知っていたはずでございまして、それを表に出してこなかった。表には出してこなかった事で一つものを隠してしまったなら、次の事も又隠さなければならない。現場で一生懸命動いている警察の方が「これはおかしい」と思っても、それを「いやそれは、自分でいなくなったんだよ」といって隠してしまう。そう言うことが続いてきて、いつのまにかそういう隠蔽のキャリーオーバーが起きてしまったのではないかと言うことでございます。

昭和17年の6月、ミッドウエイの戦いで日本海軍は、壊滅的な打撃を受けるわけでございますが、あの時それは、全て隠されてしまった。陸軍も知らなかったし、天皇陛下にも伝えなかったというような状態の中で、次の作戦は全部間違っていくわけです。そしてそれまでは、比較的戦果の報告というのは、比較的もちろん損害も含めて正確にやっていたそうですが、そのあとは、全部いわゆる大本営発表と言われるものになってしまって、結果的には、ああ言う敗戦をむかえるわけでございまして。
今このこと(隠蔽された拉致問題)をこじ開けるのは大変なことでもあり、そしてまた恐ろしいことなんですが、今やってしまわなければ、もっともっとまたコチコチになってしまうと言うことでございます。

それを今やってるのが政府であれば、その政府と一体化するということは、これを完全に蓋をしてしまう事に手を貸すことになります。絶対にそれは、許してはならないと思います。

そういうことで、やっていくためには、我々は『建設的な緊張関係』というものを持って行く必要があるだろうと。
(一部聞き取れず)・・・になります。

そして私何回も言っておりますが「北朝鮮自身が、拉致問題の解決にむけて具体的な行動を取るように求めていく」というこの方針は、これはもうおそらく日本国民の大多数の方は、まさかこんなことは政府が考えていないだろうと思っていると思いますが、これが残念ながら現実です。ここをとにかく変えさせなければいけません。
(北朝鮮が自主的に拉致か解決への行動を取るようなことはあり得ない。話し合いで北朝鮮の態度を変えさせることはできないということ)

政府の責任として国民を救出すると、これを断言してもらわなければ、この問題絶対解決をしない。

そしてそれをやるということは、実際に使うかどうかは別として、いざとなれば武力を使ってでもという覚悟を持つということです。覚悟だけ持って使わなくて済むというのが一番良いのですが。その覚悟は少なくともしなければならない。

少なくとも、情報の収集ですとかそう言うことに対して、自衛隊がその役割を果たすという事は、国家として当たり前の話でありまして、こんなこと憲法以前の問題でございます。

保守派の方々で日本の憲法が変わらない限り何もできないと言う方がありますが、だったら憲法改正まで拉致被害者に待ていてくれというのか?
この国の憲法は拉致被害者を取り返してはいけないと書いてあるのか?
そんなことはないです。
明日かあさって、それはできる問題であって、そういうふうにしなけれいけないと思います。
そしてこれはお役所の段階では絶対にできません。
これは、政治の決断の問題です。決断さえしてくれれば、今の福田総理だって十分にそれはできます。
安倍さんは決断できなかったと私は思っております。
みんな多くの人が期待したわけですけれど、時間的に間に合わなかったのかどうかわかりませんが、時間的に間に合わなかったのかどうかわかりませんが、少なくとも任期中にその決断はできなかったということであろうと、私は思っております。

政治がその決断をしなければならないということを思っております。

『救出運動の姿』と言うことでありますが、9.17の前、つまり今から5年半前ですね、北朝鮮が拉致を認める前は、これは、まだ北朝鮮は拉致していないと言っている人が、朝鮮総連だけではなくて、日本国内、日本人でもいました。今日本で実は北朝鮮は拉致をしていなかったと言う人は一人もいないわけでございまして、それは、あとはどうやって取り返すかという問題です。取り返さなくて良いと言っている人もいないわけでありまして、本音はどうかわかりませんが、ともかくヤマタクさんだって誰だって、拉致被害者を救出するためには(北朝鮮と)話し合いが必要だと言い方をしているわけで、そこは、国民的コンセンサスができているのではないかと。あとは、基本的な方法論の違いの問題だと言うようなことでございます。

ですから、そう言う中で、一体我々がなんで9.17で拉致被害者を5人を取り返すことができたのか?
あの時、私が救う会の事務局長の立場で、ともかく北朝鮮に圧力をかけて、そして政府を動かして、取り返させるという方針でございました。だから、田中均さん、そして現在の福田総理、あるいは小泉総理のやっていた日朝国交正常化優先の動きには反対だったわけですけれども、しかし、じゃぁ、我々がそういうふうにしようとしていた<強行一辺倒>のやり方でやっていて、拉致被害者が帰ってきたか、北朝鮮が拉致を認めたかというと、そうではなかったと思います。

これはもう正直にやはりあの時に、一方に【絶対に拉致は許さないという意思】があり、そしてその一方で、【まぁ多少棚上げしても、国交正常化をやりたい。しかし、国交正常化をやるためには、拉致問題のなんだかの進展がなければいけない】というふうに思っていた人たちが平行して−−全く結果的ですが−−平行して動いたからこそ、あの9.17で金正日が拉致を認めることになった。

我々の動きがなければ、もう拉致を認めずに国交正常化が進んでいったでしょう。
そして逆にあの田中均さんたちの動きがなければ、今でも北朝鮮は拉致を認めていなかったかもしれないと思います。

ですから、これから先、今方向性が少なくとも、<拉致はどうでもいい、被害者は死んでいてもかまわない>と言うものでない限り、我々は、できるだけ多用な方法をやっていくと言うことが必要だろうと思います。

この拉致問題に関心を持っている人でも、保守系の人もいれば、左派的な方々もおられる。法律家の会の先生方でも、九条の会とかですね、そう言う種類のどちらかと言えば左よりの団体に所属している方もおられますし、しかし、そう言うものは、最終的方向では同じであると言うことで、それぞれの立場でやっていくことによって、大きな果実が得られるのではないかと思っています。また一つの考え方だけでやっていけば、その間違いを何も修正することはできません。
やはり私を含めて様々な間違い、試行錯誤を、繰り返さざるを得ない。その中でやっていくわけでございまして、だからいろんな立場の人が、いろんな意見を自由に意見が言えると言うこと我々は最大限活用していく必要があるのではないかと思います。

そして、人権問題の視点から言いますと、日本人の拉致被害者だけを取り返すと言うことは、絶対に無理な話です。
こないだみたいに極一部だけを取り返すと言うことであれば、場合によっては、金で買い取るということもあるでしょう。そういうことも全くないとは言えません。

全ての拉致被害者、日本人だけ取り返してくると言うことはできないわけでありまして、逆に言えば、日本人の拉致被害者全てを取り戻すことができるという事は、他の国の拉致被害者も帰ってこれるようになるわけですし、そして強制収容所の中で苦しんでいる人も解放することができるようになる時であると私は、思う次第でございます。

だから拉致問題というのは、今北朝鮮の人権問題に取り組んでいる様々なNGOと協力しながらその実現を図っていく。我々自身もそう言う問題に関心を持っていく必要があろうと思ています。

今後のこと。実は5/6のメールを出した後、いろんな事を感じられた方があったようですが、正直言って現在の救う会に不満を持っている方も、少なくない。そう言う方からすれば、新たな組織を作るべきという気持ちを持っている方もいることは、事実でございます。しかし、さっき申し上げたとおり、運動を敢えて分裂させる必要はないと思っております。第二救う会的組織とか調査会の支部というのは作るべきではないと思います。

唯、5/6のニュースでも書きましたが、政府と共催でやる大集会−−今、私は嫌われていて呼ばれる事はないようでございますし−−しかしその集会をやる場所は、特定失踪者のご家族もたくさんいる地域もあるわけでございまして、このままでいくと、未認定被害者、特定失踪者の問題が運動の中から消されてしまう可能性があると思います。

そう言う事が無いようにするために、緩やかなネットワークを作って行くべきではないかとと思います。
それは、趣旨に賛同する団体、各地の全国協議会に入ってる救う会でも、ブルーリボンの会でも何でも、そういう拉致問題に取り組んでいる団体同士で、お互いに情報の共有、意見交換等々をするための組織を作っていけないだろうかと思っています。

これは、上下関係もなく、我々が例えば、『こうしなさい』と言うわけでもなく上下関係はなく、横の繋がりで情報の共有を、少なくとも認識が異なるというのはできるだけ避けるための組織ができないだろうかと思います。
もちろん調査会のやっていることに『我々反対だ』と言ってもらって全くかまわない。

集会につきましては、我々は、基本的に今まで、ほとんどやって参りませんで「しおかぜの集い」ぐらいだったんですけれど、これから先、調査活動支障がない範囲ということになりますが、敢えて小規模な集会を各地で開けないだろうかと思っています。今まで集会を開いたことがないような場所で、それについて知っている方が少ないようなところで、人数も少なくても、場合によっては、ほんとうにやってみたら数人しかこなかったということでも、それでもかまわないと思います。少しでも多くの方に知っていただく、そしてその方々から、直接「自分はこう思っているんだ」と言うご意見を聞きながら、こちらもお答えしていく、あるいは、それのよって我々のやっていることも直していくというような集会ができないだろうかと考えています。

我々今まで各地で『特定失踪者のご家族との懇談会』をやって参りましたけれど、それと合わせるような形で、できないだろうかと考えています。

それから1年ちょっと前、我々政府から出る予定であった600万の予算をけっ飛ばしてしまったわけですが、政府と一体化しないと言うためには、やはり自力で持久戦ができるだけの力をなんとか作らなければいけないと思っておりまして、これも、新たな財政機関、その強化をしていかなければならないと思っております。

最後のまとめの所の話を致しますけれど、これまで、横田めぐみさんの事件が明らかになってから11年の間、運動に携わって参りました。最初は本当にささやかな運動でございました。そもそも、やるときに、私は、決して積極的な立場でやっていたわけではない。
やはり、今司会をやっている真鍋もそうですが、私ども政治活動を職としていたものでして、社会運動をやるのはどこれだけ大変かということは、多少は身にしみてわかっているつもりでございます。
やるとなれば、お金の問題、人の問題というのがでてくる。どれくらいの支持を受けられるだろうかということが、当然あるわけでして、それを、本当に越えられるのかという思いでこの運動に関わりました。

私自身の感想から言いますと、この運動ほど、やりやすい運動はなかった。
これは、増元さん家族の方もおられるので、こういう言い方をすると大変、非常に失礼な言い方になるかもしれませんが、これだけ多くの方々が、関心を持ってくださるとは正直最初は思っていませんでした。

やはり、これは日本という国は、捨てたものではないというのが私の感想でございまして、それが次第に大きくなったことによってで、9。17を迎えることができたんだと思っております。
唯、これは、誰が悪いという話でもなくて、私自身の反省を込めて申し上げれば、あの時、9.17に5人が帰ってきた、それがある意味自分取っても、甘えとか、おごりとかそういうものが出てしまったのではないかということでございます。
運動がほっぱらかしにしていても動いていくものだというような気持ちが無かったかと言うことでございます。

そのあと、特定失踪者問題調査会を作ったわけでですが、ご家族の皆さんには−−今日も何人もお見えでいらっしゃいますけれど−−大変いろいろ御協力を頂いて参りました。そして「よくやってくださる」というふうに、ご家族の皆さんは言ってくださるんですけれど、我々自身が、そのことに甘えているのではないか。現実問題として、その中でだだひとりとして取り返すことができないような状況でいるわけでございまして、私どもは、やはりそれに対して痛切にその責任を感じなければいけないのではないかというふうに思います。

私自身、<平成18年中に拉致問題を解決する>と言いました。これはもちろん私一人で解決すると言う意味ではなくて、解決するのは、みんなの力でで解決するものですが、しかし、それに携わっているものとして、それが実現できなければ、その責任を取ると言いました。結果的にそれは、実現できなかったわけでございまして、その責任を必ず取らなければいけないと思いますが、現在敵前逃亡するわけにいきませんので、その道筋(拉致解決の道筋)を最低限付けるところまでしてからと思っておりますが、ともかく、今、改めて我々はこの運動がなんなのか、何のためにやっているのかというのを、そしてどうしなければいけないのかということを、本当に考えなければならない時に来てると思います。

5/6のメールニュースを流すまで、私自身も、いろんな事を考えまして、いろんな事を悩んで参りました。
しかしここでやらざるをえないだろうと。これから先、どういうような動きになってくるかわかりませんが、やはりこれから先、様々な動きをしていかなければいけないだろうと思っている次第でございます。
この「いくつかの試み」と書いてあるのは、それ自体はそれほど大きな事ではないのですが、それは、現実問題として事態を動かすための動きを更に本格的にやっていく必要があると確信を致しております。

最近あちこちで、言っていることなんですが、この国というのは、これまで何千年もの間、あるいは何万年もの間になるかもしれませんが、今生きている一億二千万より遥かに多くの方々が、生まれて死んで、生まれて死んでと言うことを、続けて参りました。この地には、又これから先、我々の子孫が生まれて死んで、又生まれて死んでというのを繰り返していくのだろうと思います。
だから、今、生きている我々は、日本人の中では、そのほんの一部にしかすぎない。
でも、我々の先輩も、次の世代も、何一つも、ことばを発することはできません。
選挙でもちろん投票することもできないし、「昔から見れば、こういう風に思っている」だとか「未来の人間からすれば、こうしてもらいたい」とかそんなことを言うことは、一切できないわけでありまして、ならば、今生きている我々がしなければならないことと言うのは、少なくとも、過去この国を作ってきてくれた先人に対して、恥ずかしくない国作りをして、そして次の世代に恥ずかしくない国を渡していくと言うことであろうと思います。

そのために我々は、何らかの犠牲を払わざるを得ない。

これまで何十年もの間、隠し続けられてきた拉致問題をこじ開けるということは、我々自身が、場合によっては、我々は見なければよかったというものを見ることになるかもしれません。
ほったらかしておいて、いやそんなもの中々問題難しい 憲法改正しないと無理ですとか そういうことを言って、そして時が過ぎてしまう。みんなご家族も、被害者も死んでしまってから、盛大な慰霊祭でもやって、そしてその後(北朝鮮人権問題)啓発週間は続くんでしょうから、「こんなこと、繰り返さないようにしましょう」とか、美辞麗句を並べたてるのは簡単ではあります。でも、それは、我々には、許されないと思います。

これから先、私も、もっと、そう言う意味では、あちこち、ぶつかることを言いながら、やって参りたいと思います。ともかく帰ってくれば・・何とかなるという思いでございまして御協力を御願いしまして私の話を終わります。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

2008年05月15日

音声速報 調査会主催緊急集会 08.5.14 UIゼンセン会館にて

08.5.14 調査会主催緊急集会
UIゼンセン会館2階会議室にて

★荒木和博氏 講演「拉致事件の本質と解決への道」

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★質疑応答

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★青木直人氏

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★三浦小太郎氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)

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★山本さん(電脳補完録・管理人)



★増元照明さん

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★増元俊子さん



★竹下珠路さん(特定失踪者・古川了子さんの姉)

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★小林七郎さん(特定失踪者・小林栄さんの弟)

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★木村洋二さん(特定失踪者・木村かほるさんの弟)

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★一般参加者の声



★荒木和博氏 「質問への回答・総括他」



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参考リンク

★荒木和博BLOG 「本日の集会レジメ」
http://araki.way-nifty.com/araki/2008/05/post_3f34.html

★青木直人BLOG 「調査会の旗」
http://aoki.trycomp.com/2008/05/post-32.html
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2008年05月07日

救出運動は政府と一体化してはならない・・・調査会ニュースより

[調査会NEWS 625](20.5.6)

■救出運動は政府と一体化してはならない

荒木和博

 「車窓越しや徒歩移動中、見聞きしたことで主席に不安や不快感を抱かせること自体、外交問題化する可能性がある。(胡錦濤主席に)抗議行為や音を一切、見せず、聞かせずの警備が行われる」

 今回の胡主席訪日に対する警察の警備方針はこのようなものだそうです。

 確かに、警察という官庁の整合性から言えば警備の目標はそういうことでしょう。しかし、それが多くの国民の思いと一致しているかといえば、否とせざるを得ません。

 毒餃子、チベット、長野での騒乱…。それらを目の当たりにして、胡錦濤総書記が来日するなら抗議の意志を表したいというのがごく普通の常識ではないでしょうか。しかし、警備の担当者からすれば、至上命題は「何も問題が起きないこと」でしかありません。それが官僚機構というものです。だからこそ長野でも暴行をはたらいた中国人は一切検挙されず、日本人やチベット人だけが制圧されるのです。警察の整合性は保たれても、自由民主主義国家日本としての整合性は損なわれるということです。

 さて、現在救う会全国協議会では各地で政府・拉致議連と共催の大規模集会を計画しています。たびたび「政府・議連と救う会が一体となって」という言葉も聞こえます。しかし、この「政府と一体」というのは本当に望ましいことなのか、逆に救出運動を停滞させ、拉致問題の棚上げを促進するのではないでしょうか。

 ある地域で計画されている大集会で、開催日を決める時点から私に出席が要請されていた集会がありました。しかし、最近になって地元から荒木の出席を取り消したい旨連絡がありました。中山恭子・首相補佐官及び佐藤勝巳・救う会全国協議会会長の意向とのことでした。私が行けば政府の批判をするので政府と共催の集会にはふさわしくないからということでしょう。その一方で中山補佐官は集会に参加した折、その地域の特定失踪者の家族と懇談の場を持ちたいとの意向を示しています。悪意で解釈すれば、これは政府批判を封じ、調査会と失踪者家族を分断し、家族をなだめることを目的としているともとれないことはありません。

 この問題が長い間解決しない責任のかなりの部分は日本政府にあります。長期に渡り(そして今も)政府が拉致事件の本質を隠蔽し、本当の意味での救出への努力を怠ってきたからこそ拉致問題は今に至っても解決していないのです。それについて、日本政府は只の一度も反省したことも、謝罪したこともありません。政府首脳であれ官僚であれ口を開けば「全力を尽くしてやっている」と言いますが、それが虚言であることは火を見るよりも明らかです。日本政府が本当に全力を尽くしてやれば、この国の底力からして、北朝鮮から情報を得て拉致被害者を特定し少なくとも何人かを取り返して来ることはさほど難しいことではありません。

 しかし昨年10月末、調査会の出した要請文書の中にあるように、政府の方針は「北朝鮮自身が拉致問題の解決に向けて具体的な行動を取るよう求めていく」ことだけであり、「政府の責任として拉致被害者を取り返す」とは一言も言っていません。それが拉致問題の現状です。それどころか、古川了子さん拉致認定訴訟を通じて政府は「政府認定者と未認定者に差別をつけてはいない」と言いながら、実際にはたとえば政府の北朝鮮向け短波放送「ふるさとの風」でも、こちらからの要請にもかかわらず特定失踪者についてはメッセージの放送どころか名前の読み上げさえしていません。すべての拉致被害者を救出するつもりなどないことは明白です。

 もちろん、政府の中にも、拉致問題の解決のため努力している人が何人もいます。しかし、民間の救出運動が政府と一体化したとき、運動は官僚機構、権力機構の中での整合性に合わせたものになり、内部にいる志ある人々が動くのにはマイナスにしか働きません。民間の運動は政府と一定の距離を保ち、建設的緊張関係の中で、協力すべきことは協力する、批判すべきことは批判するということが必要なのではないかと思います。

 大集会をやるべきでないとは言いません。開催するために各地の救う会では大変な努力をして参加者の動員するわけで、確かに運動を活性化させることにつながるとは思います。その意味で開催地の救う会の皆さんの努力には敬意を表しますが、「政府と一体」という全国協議会の方針は、それ自体がこれまで11年間積み上げてきた運動を後退させるものであり、特に私たちにとっては特定失踪者、未認定拉致被害者の問題を棚上げしてしまうものとして容認できるものではありません。もちろん、そのような流れは政府認定拉致被害者の救出にも明らかにマイナスです。

 4月27日の国民大集会でも申しましたが、拉致問題は官僚には絶対に解決できません。官僚機構というのは多かれ少なかれ冒頭に書いた胡錦濤訪日時の警備の方針のように、根本的な方向性、真理とか道理というものと全くと言っていいほど関係しないからです。逆に言えば政治が明確な決断をすれば、官僚機構はそれに従って動くのです。そのときの官僚機構の能力はもちろん民間では追随できるものではありません。

 政治を動かすのは世論であり、運動体の目的はその世論を形成していくことにあります。実際に、それがあったからこそ、この11年間に政府の対応は少しずつ変化してきたのです。重ねて言いますが、救出運動が政府との一体化をすべきではありません。一体化したい人は官僚になれば良いのであって、今は政府に対して叱咤していくべきときです。日本国の国家としての整合性を保つために、ご協力とご理解をよろしくお願い申し上げます。
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2008年05月06日

青木直人の仁義なき大放談 4月15日号 チャンネル桜より

◆青木直人の仁義なき大放談 4月15日号 

※映像は下記よりご覧ください。
http://jp.youtube.com/watch?v=nlEp9mNvIGk



こんばんは。
桜プロジェクトの火曜日のキャスターを務めております、青木直人と申します。
私今回初めてと言うことで、ふらふらとお話しをさせていただければと思っております。

最近実は、北朝鮮の日本人拉致問題について、国民の間の関心が比較的非常に冷えている。運動が中々盛り上がらないというような現象がございまして。

それだけではなくて、アメリカと北朝鮮の関係改善の動きが加速することによって、日本でも福田内閣を中心に周辺のヤマタクさんとか加藤紘一さんとか、明らかに北朝鮮との正常化をもう一度模索していこうという動きが出てきていると。
蓮池さんのお兄さんの蓮池透さんも、<自分は北朝鮮に行って、要するに北朝鮮の関係者と話し合いたい>と言うような発言が出ておりまして、あきらかにこれまでの北朝鮮に対する制裁という方向ではなくて、話し合い−−実際話し合いと言っても非常に効果、可能性がないんですけれども−−、そうしたある種の欺瞞的な形の関係改善の動きが出てきている。

大きな流れの中で、アメリカと北朝鮮との関係改善、それと六者協議に参加している韓国・ロシア・中国という関係各国のデタントというか、話し合いの方向に日本が引きずり込まれていくという大きな流れが実は出てきているのではないかと。

そう言う中で気になっていますのは、日本の拉致問題についてこれまで熱心にやっておられた救う会の関係者の中から、特定失踪者問題調査会、荒木さんたちがやっておられる、いわゆる政府から認定されていない、北朝鮮に拉致された可能性の高い方々と、距離を置こうと、共闘を拒否するような動きが残念ながら出ているという現実がございます。

拉致問題というのは、政府が認定した家族の方だけの問題ではなくて、今現在認定されいなけれども北朝鮮に拉致された可能性の高い方、そういう人を含めて、全て日本人犠牲者なんですけれども、現実の運動の中で、そういう原点が忘れられて、福田政権のある種の前のめりに対して、救援団体が引っ張られていくという残念な動きがあるように思います。

私が何故この事を言うかと言いますと、支援団体がこういう形で個別に分断されていくと言うことは、確実に運動にとってプラスにならないばかりか、非常に大きく運動の中に災いをもたらすだろうと考えているからです。

これまで拉致問題が日本人の琴線=心の中にある何事かに触れたのは、家族会を中心とした方々の国民に対する訴え、それも単に自分の家族が帰ってくればいいと言う肉親エゴの運動ではなく、拉致されたあらゆる人たちを取り戻すんだと、解放していくというおおやけなるものに対するメッセージ、これがあったからこそ家族会の運動は国民的支援を受けてきたんだろうと私は思います。

そうしたこれまで11年間の家族会が手にしてきた国民との確かな信頼がここに来て再び揺らぎはじめているというのか、外から見るとみえにくくなってきているという気がしています。

こういう形の動きは、残念ですけれども、今後も確実に強まるであろうと、私は見ています。
それは、結局のところ、北朝鮮の政権を倒さないかぎり、あらゆる日本以外の世界各国の拉致された、あるいは、北朝鮮の抑圧された人たちを解放することはできないんですけれども、現実にあの政権がアメリカや中国という国によってバックアップされている以上は、条件闘争として、とりあえず何人かの日本人でも取り返すべきだという、括弧付きの現実的運動方針が出る可能性が、極めて高いというのが今の拉致問題を巡る日本の状況ではないでしょうか?

しかしながら、日本人にとってですね拉致問題というのは、この10年間の日本の社会の変化を生み出した最大の要因の一つであろうと思います。
よく言われるように日本が保守化したというのは、実はそうではない。
むしろ我々に戦後の日本のあり方を根底的に問うたのは、横田早紀江さんたちを中心とした人たちが、何故平和な日本で娘さんが拉致されなければならなかったのか?彼女が拉致されたと言うことを警察はじめ関係機関が知っていたにもかかわらず、これを封印してきた。更にマスコミも、この事実を勇気を持って報道せずに北朝鮮を正式名称で呼ぶと、あるいは、朝鮮総連の無法に対して沈黙するという、そういった戦後の構造があった。
更に、政治家も北朝鮮に対して勇気を持って何かを語るというよりも、常に利権がらみで北朝鮮外交が語られてきた。外務省の無責任さ。自国民を救済しようという外務省のそう言う姿勢も拉致問題においてはみられなかった。
そういう戦後の日本が抱えたさまざまな問題を家族会の皆さんが私達に突きつけて、私達もそこで何事かに気づいて、このままの日本ではいけないという、自己認識に達したと。

そういう、戦後の日本の世直しというか、日本再生の最先端にたって、問題を告発し続けてきた家族会の方が、ここに来て周辺の政治環境の変化にどう正しく対応するのか?
つまり自分たちの家族だけよければいいのか、あるいはいまだ認定されない特定失踪者のご家族と連帯を広げて、国民にアピールしていくのか、非常にぎりぎりの段階に来ているのではないかと私は思います。

結論的に言えば、諸外国の不当な日本に対する圧迫、不正義の強要、これに対して反撃するためには、やはり明治維新の主導者たちが、攘夷のために倒幕戦を闘ったという原点にかえって、私たち自信も世直しをすることによって新しい対外政策、外向的な展開を図っていくべきではないだろうかというようなことを、最近の米朝関係改善の流れの中で、私は感じています。

これからこの問題は確実に現実的にテーマになってくると思いますので・・桜も含めておおいに関心を持って行っていただきたいと思います。

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

2008年05月05日

08.4.27 飯塚耕一郎さん 国民大集会 日比谷公会堂にて

国民大集会
08.4.27 日比谷公会堂にて 

飯塚耕一郎さん(拉致被害者・田口八重子さんの長男)の訴え

みなさんこんにちは。
田口八重子の息子である飯塚耕一郎ございます。

本日は、お休みの日にも関わらずみなさん来ていただきまして、誠にありがとうございました。

わたしからお伝えしたいのは、二点ほどありまして、先ほど議員の方たちの話を聞いていたんですが、去年の集会とおっしゃっていることは、変わらないのではないかと思うんですね。というのは、去年に比べて、確かに政府のモジベーションという部分では確かに大きくなったのかもしれませんが、本質的には、変わっていないというふうに正直感じてしまった部分は、否めないと思います。
この1年で何が変わったかと言えば、ここにいる家族のみなさん全員が一つ年を取った、年月、これが過ぎたわけです。

先ほど櫻井さんからテロは継続中であり・・とおっしゃっていましたが、

テロというのは、犯罪ではないんですか?
犯罪が現在進行形で続いているんじゃないんですか?
それに対して、日本政府として、その犯行に対して、「経済制裁」ということだけでいいのか、それだけをすることが果たして、正しいんでしょうか?
【追加の制裁】というのをちゃんと考えて実行していただかないといけないと私は思っています。(拍手)

単純に犯行が続いているというだけで、北朝鮮という国の中で又1年を我々の家族が過ごしています。そのことを受け止めて「追加の経済制裁」というのを本気で考えていただきたいと思います。

いつも、この問題に対して御協力、ご理解いただきまして、ありがとうございます。
ただ、やはり残念ながら若い世代の方々には、届いていない部分があるかと思います。
先日私よりちょっと下の年の方に、この問題についてお話しをする機会がありました。
その時に、その方か言った反応は、「あ、拉致の人ね」という軽い一言だったんですよね。
それは誰が悪いと言うことではないんですけど、ただ、拉致という犯罪が、行われていて基本的人権が損なわれていると、そこをちゃんと考えていただきたいというふうに私は思っています。
ですので、皆さんに置かれましても、若い方とかにお伝えしていただけれな〜と思っています
どうもありがとうございます。(拍手)

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5月4日靖国へ、特攻の大叔父の御霊に逢いに行く

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5月4日の命日にあわせて、特攻の大叔父の御霊に逢うべく、両親と共に靖国神社を訪ねてきました。

実は今年3月20日の神雷部隊戦友会の方と共に昇殿参拝をした折、私たち母子と共に同行した叔母(母の妹)が、先月4月に急逝してしまいました。
遊就館に大叔父の遺影を納め、戦友会の方と共に参拝を済ませた事をとても喜んでいた叔母が、私がBlogを通じて大叔父の事を世に伝えている事を喜んでくれた叔母が、靖国で共に参拝をしてひと月も経たない内に、あの世へと旅立ってしまったのです。

3月20日は折悪しく雨。
心臓の具合が悪く体調を崩していた叔母は、本当は千葉から九段の靖国まではるばる足を運ぶほどの体力はなかったものと、いまなら分かります。
当日も道中休み休みしながら、やっとの思いで靖国まで辿り着いたであろう叔母。
独身のまま亡くなった大叔父には供養をしてくれる子供がいません。
大叔父の両親ははるか昔になくなり、大叔父のきょうだいもすでに亡くなり、生前の大叔父を直接に知るのは後は甥姪しかいません。

大叔父戦死時、5歳だった叔母。
大叔父を知る肉親がだんだんと少なくなる中、時を経て代替わりをすれば、悲しいけれど大叔父の存在は少しずつ忘却のかなたへ葬り去られてしまう。
「大叔父の事を直接に知る私たちが元気な内に、できる供養をしておきたい」ということで、私の母と共に大叔父の写真を遊就館に納めるために奔走した叔母。
その写真が無事に遊就館に奉納されたかどうかを自分の目で確かめるべく、無理をして靖国まで出向いてきたであろう叔母。
大叔父の写真が遊就館の展示室に無事奉納されたのを確認し、叔母はホッと安心をしてしまったのかもしれません。

叔母は一足先に大叔父のいるあちらの世界へ逝ってしまいました。
自分より年下の妹に突然先立たれる、というのは母にとっても衝撃だったようです。
そんなこともあったので、今年は叔母の写真も鞄の中に携え、亡き叔母の大叔父への思いも胸に靖国を訪ねてまいりました。

今年の参拝には、3月20日の神雷部隊戦友会参拝の折、叔母と共に写した写真を持参しました。
3月20日に叔母に会ったとき「姉は私より靖国に近いところに住んでいるからこれからも何度でも来られるだろうけど、私は遠いからもう滅多には来られないだろう」と口にしていた叔母。
いつもなら勝気で強気な叔母がやけに弱気な事を言うなと思いつつ、歳を重ねると遠出はしんどくなるのかな?と、そのときは軽く聞き流してしまった私。
けれど本当は体調の悪さから、この参拝がもしかして最期の参拝になるかもしれないと言う予感が、あのときの叔母の心中にはあったのかもしれません。

神雷の桜は、5月の新緑。
母は妹の分まで大叔父さんの桜に抱きつきました。
妹の分まで心をこめて昇殿参拝をしました。
遊就館を訪ねて、大叔父の遺影をもう一度確かめてきました。

自画自賛ではありませんが、私の特攻の大叔父は、何度見ても良い男なのです。
亡き叔母も、遊就館に納められた大叔父の写真を見るなり「わぁ、叔父さんいい男!」と喜びの声を上げましたっけ。
時間の流れは残酷です。
当時を知るものはどんどんといなくなる。
先人の思いをどうにかして後世につながなくては、どんな思いも忘却の彼方に消えてしまいます。

遊就館にたった一枚の写真を納めるにしても、そこには遺族の溢れんばかりの思いがある。
生前の大叔父を知る私たちが動かなければ、大叔父の存在も消え去ってしまう。
そんな思いが、あそこに納められた膨大な写真一枚一枚にまとわり付いているのだと思います。
どうか遊就館をお訪ねの際は、膨大な写真の裏にある遺族の悲痛な思いなり、遺族それぞれのストーリーなりも汲み取って頂けたら、と願っております。

尚、私の特攻の大叔父・石渡正義の遺影は、『御遺影86 5列目 上から2段目』に掲げられています。
遊就館の最後の方、感想ノートが置いてあるお部屋の中で来館者を見つめています。
海軍の白い制服姿ですので、割合に目立つと思います。
遊就館をお訪ねの際は、是非大叔父の美男子ぶり?をご覧になってくださいませ。
posted by ぴろん at 09:56| Comment(5) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月04日

08.4.27 市川龍子さん 国民大集会 日比谷公会堂にて

国民大集会
08.4.27 日比谷公会堂にて 

市川龍子さん(拉致被害者・市川修一さんの義姉)の訴え

みなさん、こんにちは。市川修一の義理の姉の市川龍子です。
桜も、葉桜になりました。我が家にも国道沿いに一本の桜の木があります。見事な桜を毎年毎年見せてくれますが、その桜を見ながらですね・・歌が好きなので、ちょっと聞いてください。

   風に舞う 花の吹雪に君思う 我が家の桜も待ちに待ちたり 

毎年毎年我が家の桜も、待っております。葉桜になりました。
何年待てばいいんでしょうか?

日本の綺麗な桜を見せずして、北朝鮮で死なせてなるものかと思っております。(拍手)
どうしても、日本に・・・
(一部拍手で聞き取れず)

親も92才になりまして、何時旅立つのかと思うと、胸が張り裂けるようです。
なんとしても、両親の胸に修一を抱かせてやりたいと・・いろんな話をさせてやりたいと思っております。

どうぞ・・国会議員の先生−−−もういらっしゃいませんが−−−、(会場苦笑と拍手)
私達の代表です。本当に、国家主権が侵されていることに、腹を、もっともっと立てていただきたいと思います。

(拍手で、聞き取れず)

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このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。

2008年05月03日

08.4.27 有本嘉代子さん 国民大集会 日比谷公会堂にて

国民大集会
08.4.27 日比谷公会堂にて 

有本嘉代子さん(拉致被害者・有本恵子さんの母)の訴え

・・・・・(最初聞き取れず)本当に、長いことかかっていますが、娘が拉致されてからちょうど25年になります。そしてこの運動を始めたのが20年前です。
本当にこんなに長くかかるとは、その時は思いませんでしたけれども、それから、どなたかが・・おっしゃったように、10回以上の会を持って、そのつどみなさまが私達のために足を運んでくださる、これがいっつも、この力で私達が動けたんだなと言う気持ちをいつも持っています。
だから、この問題は、日本の国の問題なんですね。だから、めぐみさんとか、有本恵子という一人一人の個人の問題ではなく、国がどうしてもこれは、解決しなければならないという問題ですので、(拍手)・・・・
応援してくださる方がね、「これは、あなた方たまたまに連れて行かれたんですよ、それが私の娘だったかわかりません」 とおっしゃってくださる方があるんです。私達、本当に、そう言う問題なんです、本当に支援してください って(一部不明)

やはりこれは日本人だからそういうこと言ってくださるのだと、私など古い人間ですから、いつもそう思って、日本人は素晴らしいといつも思っておりますので、この皆様方に助けいただいて、いつまで続けられるかわかりませんが、年齢的には(一部聞き取れず)。今後頑張っていって、全部の人を取り返すように、皆様にお願いします。(拍手)

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08.4.27 中川昭一氏 国民大集会 日比谷公会堂にて

国民大集会
08.4.27 日比谷公会堂にて 

自民党拉致問題対策特命委員長中川昭一氏挨拶

【櫻井よしこさん 司会】
次ぎに自民党拉致問題対策特命委員長としてこの拉致問題に長く関わってくださいました、拉致議連会長代行でもいらっしゃいます、中川昭一さんをご紹介したいと思います。
昨年、中川会長代行はこの場で、日本版テロ国家指定法を、作ることを約束してくださいました。
その後、民主党側と話を続けまして、北朝鮮人権法の改正案を通してくださいました。
この改正案が成立したことによりまして、国際社会が例えば、北朝鮮をテロ支援国家からはずすようなことをしたとしても、日本では、まだ拉致が解決されていないないということをきちんとした理由として、法律に基づいて、北朝鮮対する制裁、そして拉致問題解決の要求を突きつけ続けることができるような、法的基盤ができました。

中川昭一さん、お願いいたします。(拍手)

【中川昭一氏挨拶】
本当に日曜日の午後にも関わりませず、大勢の皆様方、そしてお一人お一人が大変真剣にこの会に参加していただいておりますことを、私も心から力強く、また改めて強い責任を政治家として感じているところでございます。

今年もこういう大会を開かなければならないと言うことは、大変残念なことであります。
しかし、こうやって大勢の皆様、国民の皆様の支援があってこそ、この問題の解決があるという事も事実でございます。

家族会のお一人お一人は、毎日大変、大変・・一日千秋の想いで、家族との日本での生活の回復を望み、そのために毎日大変な・・全国を飛び回っているわけでございます。
昨日もテレビで拝見いたしましたけれども、アメリカに対しての要求の署名活動、みなさんが真剣にやっておられます。

さて、「最初の5人が帰ってきて、もう五年も六年も経ったんだから、それよりも、日朝の交渉を早くやったほうが先ではないか」とか、「六カ国協議の中で日本だけが、この問題を最優先にしているとバスに乗り遅れるぞ」というような議論がありますが、これは文字通り、相手の望むところになるわけですから、絶対にこれは阻止をして行かなくては、(拍手)

戦前、日本が、ドイツイタリアと三国軍事同盟を結びました。その時に、米内光政という海軍のトップが、「バスに乗り遅れるな」(というような)やっぱり、七十数年前、同じような議論があったわけですが、米内光正は、「おんぼろバスならば、乗り遅れた方が良い、乗らない方が良い」(拍手)と主張しました。
我々も、間違った方向に行くとんでもないバスには、私どもはこの拉致問題解決という目標がなくしては、何も乗り遅れる方が、乗らなくても、私は、日本のため、国民のためにはそう言う選択の方が、正しいのではないかと思います。(拍手)

さきほど民主党代表がおっしゃいましたけれども、よく「対話と圧力」と言うことばを使いますが、私は、このことばは嫌いであります。
「圧力と交渉」、いや「圧力と要求」、それなくしては、(拍手)・・・・(聞き取れず)

今、町村官房長官もご出席いただき、制裁法の延長を、我々自民党からも要求をして延長していただきましたけれど、効果があります。
でも事態は進展しておりませんから、更に効果をお上げるためにはやはり、制裁の強化、貿易の全面的、実質的な禁止、あるいは、このことを、諸外国同じようにしようと働きかける、こんなようなことが必要なのではないかと、思います。

国民の皆様の良識とそしてそれに、答えるべく、国家の主権を守る、国民の生命と安全を守るという国家の役割を果たしていくために我々与党も、政府と一体となって、また与党だけでなくて今日は各党きておりますけれど、全力を挙げて、議会の場で努力することを改めて本日お誓いを申し上げて、私の挨拶とさせていただきます。

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2008年05月01日

08.4.27 荒木和博調査会代表 国民大集会 日比谷公会堂にて

国民大集会
08.4.27 日比谷公会堂にて 


【櫻井よしこさん 司会】  
熱血漢の荒木和博さんにご登場いただきましょう。(拍手)
調査会の代表である荒木さん、どうぞ新しい情報、そして新しい戦略をお聞かせいただきたいと思います。ありがとうございます。(拍手)


【荒木和博特定失踪者問題調査会代表】
ご紹介いただきました荒木でございます。
最近北朝鮮政府のみならず、日本政府にも嫌われてしまっているようでございますけれど・・ (笑)
今、官房長官が退席されたのは、べつに私がしゃべるからでは、ないとは思いますが、(笑い)普段から、嫌われることばかり言っていますので、急に変えても、おかしくなるんではないかということで、多少は、辛口の話もしなければいけないと思います。

先ほど、官房長官の話を聞いていて、様々なことをやっておられると言うことについては、もちろん十分に私も、理解をいたしております。

フランスの新聞に拉致の問題が出たというのが出ておりましたけれど、これもまぁ、政府が努力をされて、そして救う会、家族会の方々がバックアップされたからできたことで、このようなことを進められると言うことは、私ももちろん、大変評価をさせていただくことでございます。

ただ、やはりお話を聞いていて、一番ど真ん中が、欠けているのではないかということを、感じざるを得ない。(拍手)

今、この外にですね、外のロビーを出て、階段を降りたところに、北朝鮮の工作員が侵入するための水中スクーターの1/1の模型をを展示してございます。去年の12月の我々が自衛隊の広報センターでやりました「しおかぜの集い」にあわせて、作成したものでございますけれども、お帰りの際に、是非これをご覧になっていただきたいと思います。

相手が、こういうものを使って上陸してきて、そして日本国内で好き勝手なことをやっていく連中でございます。こういう相手に対して、戦い無くして、話し合いで拉致が解決できると、そういうふうに思うのであれば、  それは、ある意味、国民に対する、裏切りであるとしか私は、思えない。 (拍手)

私ども、政府の関係各機関のかたとは、必要なところでは−−正直言ってあまり表には言えませんが−−それはもう、解決できれば、我々なんでもやります。我々の嫌いな人の所に行って、靴をなめたって、土下座でも何でもします。それで解決できるならばいいのですが、大変こういう場で、失礼な事を申し上げますが、運動というのは、全部丸ごと、同じようにしたら、運動の力というものは、無くなるものだと申し上げざるを得ない。
これは拉致の運動を始める前から、私自身が、政治活動を15年間やってまいりまして感じたことでございます。

我々調査会の中だって、意見は様々別れております。私と専務理事の真鍋だって、もう30年ぐらい、ケンカばかりしております。でも、それをやることによって、お互いがチェックされ、そして間違っているところは直すことができるんです。

それぞれ、違う運動家がやらなければいけないのは、お互いに足らないところを補い、もちろん協力するところは協力するという、是々非々の姿勢を貫くことではないだろうかと思います。

それがなければ、逆に我々今やっていて思いますけれど、単に、「ご一緒にやっていこう」ということだけであれば、それは政府の中で、本当に一生懸命やりたいと思っている人たちの動きを逆に、止めることになるのではないかという、懸念でございます。

前の安倍政権の時が、正にそうでございました。安倍さんになったからいいだろうと、もう大丈夫だろう、安倍さんと一緒にやればいいと思ったことで、一年間、−−それが、全てがもちろんムダとは言いませんけれど−−時間を費やしてしまったこともあったのではないかと・・

必要なことは、先ほど、○○さんがおっしゃいましたけれど、 「決断」でございます。
その決断というのは、政治と、ここにいる各党の先生方による決断で、政治が決めなくてはいけない。

官僚機構が、どんなことをやったって、この問題の解決は、絶対にできません。(拍手)
全ては、政治決断。
そして、その政治を動かすのは、今日、こうやってゴールデンウィークの最中、お越し頂きましたみなさんの声です。
その声によって政治家を動かしてきたからこそ、この11年間、ともかく他の国に比べれば、他の国、韓国に比べても、この拉致問題は、日本に於いては大きくなり進展はしてきたと言うことであろうと思います。これからも必要なのは、そういう事であろうと思います。

そして、やはりどんな手を使っても取り返すという努力を我々は、していかなくてはいけません。

我々、今北朝鮮に向けて短波放送を出しております。
周波数にあわせて、むこう側から妨害電波をだしてる。妨害電波が出てくるまでのスパンがだいたい5日間か6日間です。その妨害電波が出たら、こちらは(妨害電波にあわせて)周波数を変える。変えるとまた5日ぐらいして、むこうからそれにあわせて妨害電波を送ってくる。これをずっと今続けています。
しかしそれをやっていくことによって、相手の力量が、どのくらいあるのか、相手の状況が、どういうことなのか、それがわかってきます。

少なくても、むこうが妨害してくると言うことは、それだけ、むこうが嫌がってると言うことでございまして、ともかく何でも良いから、できることを、しかも相手の中につっこんで引っかき回すようなことをですね、やっていかなければいけない。

最終的には、どんなことをやったところで、あの体制を変えない限りは、この問題は、絶対に解決しない。 (大きな拍手)

(そうなったときには)、日本人の拉致被害者だけでなく、今日お見えの韓国人の拉致被害者、あるいは、強制収容所の中で今にも死にそうになっている方々、そして一般の国民を含めて、救うことができるというふうに確信を致します。

そう言うふうに政府をもっていくのは、・・・今日ここにお見えの皆様の、お力でございます。

私どもも、ともかく最後まで全力を尽くして参ります。
御協力を御願いしてご挨拶とさせて頂きます。
(拍手)

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