2008年05月05日

08.4.27 飯塚耕一郎さん 国民大集会 日比谷公会堂にて

国民大集会
08.4.27 日比谷公会堂にて 

飯塚耕一郎さん(拉致被害者・田口八重子さんの長男)の訴え

みなさんこんにちは。
田口八重子の息子である飯塚耕一郎ございます。

本日は、お休みの日にも関わらずみなさん来ていただきまして、誠にありがとうございました。

わたしからお伝えしたいのは、二点ほどありまして、先ほど議員の方たちの話を聞いていたんですが、去年の集会とおっしゃっていることは、変わらないのではないかと思うんですね。というのは、去年に比べて、確かに政府のモジベーションという部分では確かに大きくなったのかもしれませんが、本質的には、変わっていないというふうに正直感じてしまった部分は、否めないと思います。
この1年で何が変わったかと言えば、ここにいる家族のみなさん全員が一つ年を取った、年月、これが過ぎたわけです。

先ほど櫻井さんからテロは継続中であり・・とおっしゃっていましたが、

テロというのは、犯罪ではないんですか?
犯罪が現在進行形で続いているんじゃないんですか?
それに対して、日本政府として、その犯行に対して、「経済制裁」ということだけでいいのか、それだけをすることが果たして、正しいんでしょうか?
【追加の制裁】というのをちゃんと考えて実行していただかないといけないと私は思っています。(拍手)

単純に犯行が続いているというだけで、北朝鮮という国の中で又1年を我々の家族が過ごしています。そのことを受け止めて「追加の経済制裁」というのを本気で考えていただきたいと思います。

いつも、この問題に対して御協力、ご理解いただきまして、ありがとうございます。
ただ、やはり残念ながら若い世代の方々には、届いていない部分があるかと思います。
先日私よりちょっと下の年の方に、この問題についてお話しをする機会がありました。
その時に、その方か言った反応は、「あ、拉致の人ね」という軽い一言だったんですよね。
それは誰が悪いと言うことではないんですけど、ただ、拉致という犯罪が、行われていて基本的人権が損なわれていると、そこをちゃんと考えていただきたいというふうに私は思っています。
ですので、皆さんに置かれましても、若い方とかにお伝えしていただけれな〜と思っています
どうもありがとうございます。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。


5月4日靖国へ、特攻の大叔父の御霊に逢いに行く

Img_4578.jpg

Img_4570.jpg

Img_4580.jpg

5月4日の命日にあわせて、特攻の大叔父の御霊に逢うべく、両親と共に靖国神社を訪ねてきました。

実は今年3月20日の神雷部隊戦友会の方と共に昇殿参拝をした折、私たち母子と共に同行した叔母(母の妹)が、先月4月に急逝してしまいました。
遊就館に大叔父の遺影を納め、戦友会の方と共に参拝を済ませた事をとても喜んでいた叔母が、私がBlogを通じて大叔父の事を世に伝えている事を喜んでくれた叔母が、靖国で共に参拝をしてひと月も経たない内に、あの世へと旅立ってしまったのです。

3月20日は折悪しく雨。
心臓の具合が悪く体調を崩していた叔母は、本当は千葉から九段の靖国まではるばる足を運ぶほどの体力はなかったものと、いまなら分かります。
当日も道中休み休みしながら、やっとの思いで靖国まで辿り着いたであろう叔母。
独身のまま亡くなった大叔父には供養をしてくれる子供がいません。
大叔父の両親ははるか昔になくなり、大叔父のきょうだいもすでに亡くなり、生前の大叔父を直接に知るのは後は甥姪しかいません。

大叔父戦死時、5歳だった叔母。
大叔父を知る肉親がだんだんと少なくなる中、時を経て代替わりをすれば、悲しいけれど大叔父の存在は少しずつ忘却のかなたへ葬り去られてしまう。
「大叔父の事を直接に知る私たちが元気な内に、できる供養をしておきたい」ということで、私の母と共に大叔父の写真を遊就館に納めるために奔走した叔母。
その写真が無事に遊就館に奉納されたかどうかを自分の目で確かめるべく、無理をして靖国まで出向いてきたであろう叔母。
大叔父の写真が遊就館の展示室に無事奉納されたのを確認し、叔母はホッと安心をしてしまったのかもしれません。

叔母は一足先に大叔父のいるあちらの世界へ逝ってしまいました。
自分より年下の妹に突然先立たれる、というのは母にとっても衝撃だったようです。
そんなこともあったので、今年は叔母の写真も鞄の中に携え、亡き叔母の大叔父への思いも胸に靖国を訪ねてまいりました。

今年の参拝には、3月20日の神雷部隊戦友会参拝の折、叔母と共に写した写真を持参しました。
3月20日に叔母に会ったとき「姉は私より靖国に近いところに住んでいるからこれからも何度でも来られるだろうけど、私は遠いからもう滅多には来られないだろう」と口にしていた叔母。
いつもなら勝気で強気な叔母がやけに弱気な事を言うなと思いつつ、歳を重ねると遠出はしんどくなるのかな?と、そのときは軽く聞き流してしまった私。
けれど本当は体調の悪さから、この参拝がもしかして最期の参拝になるかもしれないと言う予感が、あのときの叔母の心中にはあったのかもしれません。

神雷の桜は、5月の新緑。
母は妹の分まで大叔父さんの桜に抱きつきました。
妹の分まで心をこめて昇殿参拝をしました。
遊就館を訪ねて、大叔父の遺影をもう一度確かめてきました。

自画自賛ではありませんが、私の特攻の大叔父は、何度見ても良い男なのです。
亡き叔母も、遊就館に納められた大叔父の写真を見るなり「わぁ、叔父さんいい男!」と喜びの声を上げましたっけ。
時間の流れは残酷です。
当時を知るものはどんどんといなくなる。
先人の思いをどうにかして後世につながなくては、どんな思いも忘却の彼方に消えてしまいます。

遊就館にたった一枚の写真を納めるにしても、そこには遺族の溢れんばかりの思いがある。
生前の大叔父を知る私たちが動かなければ、大叔父の存在も消え去ってしまう。
そんな思いが、あそこに納められた膨大な写真一枚一枚にまとわり付いているのだと思います。
どうか遊就館をお訪ねの際は、膨大な写真の裏にある遺族の悲痛な思いなり、遺族それぞれのストーリーなりも汲み取って頂けたら、と願っております。

尚、私の特攻の大叔父・石渡正義の遺影は、『御遺影86 5列目 上から2段目』に掲げられています。
遊就館の最後の方、感想ノートが置いてあるお部屋の中で来館者を見つめています。
海軍の白い制服姿ですので、割合に目立つと思います。
遊就館をお訪ねの際は、是非大叔父の美男子ぶり?をご覧になってくださいませ。
posted by ぴろん at 09:56| Comment(5) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。