2008年12月29日

宋允復氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

 司会:川島高峰明治大准教授
 次に守る会から宋允復さん、おそらく世界で一番脱北者の話しを聞いている、それを通訳してきた方じゃないかな(宋氏照れ笑い)、と

★宋允復氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会・NO FENCE)

 余りにも大げさな紹介で恐縮です。私もあまり忍耐力のあるほうでありませんで、時間も長引いておりまして頭も雑なもんですから、はしょった話しになると思います。

 この場に集われている皆様は、懐かしい面々で一杯なんですね。基本的に自動的に情報を聞いて帰ろうという方々じゃなくて、能動的な、実践的な関心からわざわざ日曜日に、雨の降る中こうした場に集われる貴重な皆様でございます。近くに野球場(東京ドームのこと)がありまして、野球のシーズンになるとまあよくも飽きもせず、毎日のように詰めかけますけど、これだけの私としては主観的には貴重な場にはこの教室が埋まるか、埋まらないかの皆様でございまして、その意味で尊い皆様とこうしてお話しできるのは、大変幸栄です。

 今回の集いが、6団体共催という形が取れたということ、これは既に壇上で話された方々のお話しを伺えば、一体誰の働きでこういう形になったのかということは、皆さんお感じになると思うのですね。特に特定失踪者問題調査会は日本的にも、国民の認知を受けた団体でありまして、伝え聞くところによりますと、何で(調査会の)単独で集会をやらないんだ? というようなお話しもあったようですけども、単独の集会というのは常々やっていることであるから、こうした場で体系的に北朝鮮の内部の問題を知るということは大事な機会ということだというご判断を、代表の荒木さんがされまして、こういう形で実現したということがかなり大きかったようです。その意味で大変ありがたい機会です。

 で、わたし、紹介のありました守る会でも一応事務局長ということになっております。で、先ほど代表の砂川がごあいさつをしましたNO FENCEでも事務局長です。実態は、言葉もできる(朝鮮語を解する)し、定職もないから折り良くあっち行け、こっち行けと使われているのが実態なんです。

 そのぶんアメリカに行ったり、韓国に行ったりいろいろな機会がありまして、その中で北朝鮮の人権問題を通して、日本が国際社会においていかなるプレゼンスを持っているかを、折々肌身で感じる機会がありましたので、近々数ヶ月の経験を交えてお話しさせていただきたいです。

 韓国で弁護士協会みたいなものがありまして、どうしても左巻きみたいな方が多かったみたいです。学生時代に主体思想とか、マルクス・レーニン主義やって弁護士になった方が主流であって、だから脱北者の問題とか北朝鮮の人権問題には非常に消極的なんですね。

 それではいけない、という反省の声が強くなってようやく去年、北朝鮮人権白書というのが、大韓弁護士協会主催(日本の日弁連に相当)で編纂されました。それを日本の弁護士の先生方が日本でも翻訳したいということで、私もお手伝いして、弁護士の方と韓国に話しに行ったんです。

 そしたら大変なんですよ。ちょうどその時が慰安婦問題で強制性があったか、なかったかで新聞で意見広告を出したか、出さないかでアメリカの上院で決議を通るか、通らないかで、ちょうど折悪しくといいますか、私が日本から行きまして、私がこうやってコリアンネームで、コリアンだとやってるにも関わらず、日本の団体から来た人間だということで、途端に議論を吹っかけられまして、「北朝鮮の問題もいいけれど、日本の過去の問題はどうなんだ?」という話しになるんですね。

 それがボランティアでやってる学生ならまだしも、少なくとも緻密にいろいろなことを下調べして、裏取りをして文書を作るプロのはずの弁護士のセンセェが頭に血を昇らせて、そういう形で食ってかかるわけでありまして、大変難儀で、なぜか私がそれを弁明しなければならない立場に韓国で追い込まれまして、大変難儀だなあと。

 その時私が言いましたのは、「貴方方がマスコミレベルの情報だけでね、判断できるつもりになってはいけないよ」と。「どれだけ多くの人たちが表に出ない形で、北朝鮮の人たちの苦しみに思いを寄せて、汗を流しているか知らないだろう、君たちは。その知らないということに対する自覚さえ持てないね。それを何というか言うと、独善っていうんだ」そういう言い方までしたんです、わたくしね。韓国人は独善に陥りがちであると言いましたら、まあ判ったのか、判からないのか、まあそんな感じでした。

 それから後ちょっとありまして、今年5月でしたか、アメリカに行きました。行ったきっかけというのが、申東赫(シン・ドンヒョク)という(北朝鮮の政治犯強制)収容所で生まれ育った人間で、日本で本も出版(「収容所に生まれた僕は愛を知らない」ベストセラーズ)されましたけど、アメリカのリンクという在米コリアン中心にやっている団体が彼を招きまして、彼(申氏)は、知らない所へ行くのは心もとないから一緒に行ってくれと言いまして、私もお金もないし、ニューヨークなど全米の主要な都市を回る日程だったんですよ。それを全部回る時間も(金銭的)余裕もないからニューヨークだけご一緒しましょうということで行きました。

 向こうの団体の人たちといろいろ話しました。在米コリアンで、海外で一世たちが苦労して教育つけて、ガリ勉してるのが多くて、それなりに優秀なルートを歩んでいるのが多くて…。彼らと話しても、何か若干の壁というか、何かあるんです。何でかというと、日本から来た人間で日本の団体である、と。何故なんだと聞いたら、率直に言って「日本の人は、拉致問題しか関心ないんですよね」こういう言い方をポロっとするんです、しばらくするとね。

(宋氏は答えて)「そうじゃんないんだと、申東赫に聞いてみろ」と。彼がこの間何回日本に行って、多くの人たちと話してきたかと、多くの人たちが涙を流しながら、彼の話しを聞いているのかと。しかも韓国語の翻訳書籍が日本で一番最初に出てきて、1万部も出てるんだと。韓国で印刷されたのは3000部で、実際に売れたのは…、まあわずかなもんです、1000も出てないと思いますけど(500部程度らしい)。日本じゃ1万部出版社が刷りましてね。

 これで私が思ったのは、アメリカの連中もやっぱりわからないんだなと思いましたね。アメリカの人たちが言うのは何かというと、彼らと一緒に活動で回ったんですけど、彼らがもっぱらどこを回ったかというと、国連、ニューヨークにあります国連本部と、あとその周囲にあります在外公館、ヨーロッパ諸国の、そこを回って申東赫を連れて話しをして、ビデオを見せて活動しているんです。

 アメリカの国内でもっとやる所あるんじゃない? と言ったら、彼らが何を言うかというと、「いやあ、アメリカがイラクでああいう戦争を起こした」と。「ある意味で大義名分のない戦争を起こして、アメリカの信用は非常に傷ついている。そのアメリカが北朝鮮の問題で突出して動くと、また何を動機にしてるんだ? という疑いの目を向けられがちである」と。「だからヨーロッパの国にもっと動いていただきたいんだ」と、こういうことを言ってるんですね。

 私は驚きまして、予算規模を聞きましたら専従が10人くらいいて、私たちの団体からすると羨ましい限りなんですね、予算規模が二桁くらい違いましてね。その連中でさえこの程度かと、ちょっとラフな言い方になりますけど、後で編集してください、出すときは(笑)。や〜、これは難儀だなあと思ってまた(日本に)戻ってきました。

 今回日本で私たち、先ほど来話しが出ている国際会議やったんですよ。そこにアムネスティ・インターナショナルロンドン本部の東アジア担当のディレクター(調査員)、ラジブ・ナラヤンというインド人を招きました。今彼は、サバットといって1年間休職をして韓国の大学で教授をしています。これが終わったら、また来年2月、ロンドン本部に戻ってまたアムネスティの東アジア担当者として活動するそうです。

 その彼と話していまして私がぶつけたのは、「アムネスティというと、90年代半ばに北朝鮮の収容所に、平壌の郊外に勝湖里(スンホリ)という1級の政治犯を入れる収容所がありまして、その(収容者の)名簿をアムネスティが入手したんですよ。これを全世界に発信したんですね。そしたらもう北朝鮮が慌てふためいてしまって、慌ててその収容所を閉鎖して、その建物を一般の刑務所であるかのようにしつらえて、アムネスティの視察を入れるという、そういう実績のある団体でもあるんです。

 その団体が、私の目で見ると2000年以降どうも北朝鮮問題で消極的なように見えるんだが、どうなんだ? という話しをしたんです。で、その隣に日本のアムネスティの副理事長を長年なさっていた日本の女性もいらっしゃっていて、その方は、私たちの国際会議を日本のアムネスティの会員からのFaxで知ったんですね。そのFaxの文面を見せていただいたんです。

(文面は)こういう北朝鮮の収容所問題に焦点を当てた国際会議があるから、ぜひ行って欲しい。それに加えて日本のアムネスティは、何で北朝鮮の人権問題でもっとやらないのかと。日本のアムネスティの会員として非常にジレンマがある、じれったい。どうなってるんですか? という文面だったんです。

 私が、その方の問題意識と一致したもんですから、ロンドン本部から来た人に話しを聞いたんですよ。そうしたら言ったことはこうです。国際的には、北朝鮮の問題に関して人権上のトピックになってるのは、日本人の拉致問題だと。今国際社会では、日本人拉致問題でのイメージが大きくなっていて、しかも日本が過去の慰安婦ですとかその他諸々の強制問題に対して、そうしたことはなかったという否定するような動きを取り、そして北朝鮮内の人道支援に消極的である。

 そういうあり方に対して、アムネスティの各国ヨーロッパを含めた各支部において疑問を持つ一定の認識があって、それを収斂した結果、アムネスティとしては北朝鮮の人権問題間に関しては慎重にアプローチすべきであるという判断が立ち、それを日本のアムネスティも支持したんだ、と。

 私は、これは大変な話しだと思いまして、雑な言い方になりますが、無知もありますし、無理解もありますし、一体その程度の判断でそういう態度をとるのはどうなんだ? という一点でそれはそれとしてあります。
 非常にびっくりして、「あなた今言ったこと公に喋ってていいか?」と聞きました。(話しをした)その時は、国際会議の懇親の場でしたから、今各国からも、アメリカからも人が来ているよ、と。この場でアムネスティが、そのような認識で北朝鮮の人権問題に消極的であった、というあなたの言葉をそのまま伝えていいか?」と言いましたら「いい」と言いました。で、伝えました。今の私の伝え方でミスリーディングなところはないか? 誤解を招くところはないか? と確認して「OKである。その通りである」ということでした。

 そのインド人ナラヤンという人が私に言いましたのは「どうかこうした(北朝鮮の)収容所の問題、脱北者の問題で、日本がもっと国際社会でプレゼンス(存在感)を持って欲しい」と。「そして私がこういう国際会議に参加して、各国アムネスティから上がってきた意見に誤解がある、認識の過ちがあることは認識したから、それを持ち帰って来年2月からロンドンに戻った時に、北朝鮮の問題を積極的にやろうと思う」と。

「それにつけても日本からはもっと国際社会に日本国民が本当に北朝鮮の人権問題に憂慮し、その改善のために努力しようとしているあり方を、意図的にプレゼンスして欲しい」ということを重ねて言って、彼は帰っていったわけです。

 私は、韓国、中国がそういう意味である種日本に対するレッテル貼りをして見ているのはわかるという話しもあるし、何とか誤解を解かないといけないと思っておりましたが、アメリカ、ヨーロッパでもそうかということを知って、これはちょっとあまり無頓着に放っておいてはいけないなということを思いましたね。

 それにさらに追い撃ちをかけるように、最近イギリスの下院の外交委員会が、何か報告書をまとめたということを電脳補完録で上げていまして(http://nyt.trycomp.com/modules/news/article.php?storyid=7770
)、その内容を見ると、重点は何があるかというと、「日本と朝鮮半島」というテーマなんですね。

 要するに日本と朝鮮半島は、日本と韓国がしっくりいってないが故に、北朝鮮問題でアジアの大きな民主主義国、自由主義国としては双璧であるところの日本と韓国が、共同歩調を必ずしもしっかり取れていないが故に、北朝鮮の問題を進展させるのにマイナスになっている、と、何とかならないか、という趣旨なんです。それなんか見ても、やっぱりそういう図式で描いているわけです。

 で、日本人にとって拉致問題が感情的な問題であるということは、国際社会において理解されるべきである」と言うんだよね。感情的な問題なんでしょうか? 単に、そうじゃないですよね、単なる感情的な問題じゃありません。しかもそれがメインじゃないんですね。メインとして扱われているのは何かというと、この従軍慰安婦問題というのが、国際社会においてなかんずく朝鮮半島において、非常に、未だに大変センシティブで感情的な問題であるということを、日本を含め国際社会が認識すべきである。こういうことなんです。

 先ほど来言っているような国際社会のある種レッテル貼りというのを、イギリスという下院の外交委員会という公的な人たちの報告書で、そういう位置づけをしてるわけなんですね。あ、これはますますいかんね、と思いますね。

 今、外の見かたの話しをしました。で、今度は、日本国内ではどうだったかというここ1、2ヶ月月の経験を話したいです。(人権団体の)ヒューマンライツウォッチの土井香苗さんという弁護士さんがいらっしゃいます。この方が、11初の初旬でしたかね、申東赫(シン・ドンヒョク)を日本の弁護士協会が招きまして、講演をしたんですね、弁護士会館で。

 で、日程が空いているのでもったいないので、ヒューマンライツウォッチ代表の土井さんがアレンジをしまして、外務省の複数の部署とあとはどこでしたかねぇ、麻布高校ですね、麻布高校で、本来は彼女単独で講演をする機会があったんですけど、せっかく収容所の体験者が来たというので、話しをしました。

 外務省の複数の内、一つは北東アジア課で、もう一つは別の部署です。別の部署というのが、11月の下旬に国連の人権理事会で北朝鮮人権状況決議が可決されましたけれども、その人権決議を通すために、日本政府を代表してロビーをやる、だから日本政府の実務的には最高の責任者、課長さんなんです。それがニューヨークに出張する忙しい合間を縫って、収容所の体験者が来たということで、直々に話しをしてくれたんです、忙しい合間を縫って。

 その方の話しを聞いて、私は驚いたんです。「いや、こういう収容所体験者の手記が、日本で出版されていることを、私、知りませんでした。土井香苗さんが、面談の直前に送っていたものだから読んでビックリして、今課内で回しています」って言うんです。局内で回してます、と。それはまあ新刊です。

 ところが、日本では既に10数年前、1990年代半ば以降、姜哲煥(カン・チョルファン)、安赫(アン・ヒョク)の「北朝鮮脱出」(文春文庫上・下巻)ですとか、あるいは収容所の警備兵をやっていた安明哲(アン・ミョンチョル)の「北朝鮮絶望収容所」(ベストセラーズ、ワニ文庫もあり)とかそういう本が90年代にいっぱい出ているんですね。そういう物が出ていることも知りませんとおっしゃいました。

 その(収容所の)中に日本から渡っていった人間がどんどん入れられていて、こういう類の扱い(虐待)をされてどんどん死んでますよ、という具体的な個人名がいっぱい載っているとう事実も知りませんとおっしゃいました。

 私はそれを聞いて、これはしまったなと思ったんです。私こういうものに関わっていますから、どうしてもテレビも盛んにやった、特に2002年以降集中豪雨的にやりましたんで、もうとっくにそういうことは知られていて、まして優秀な外務省の官僚の方々ですから、もう組織的に基礎的な情報というのは消化した前提の上に立って、国連などでどういう活動をするかという組み立てをなさっていると思ったところが、その基礎の部分が必ずしも共有されていない、組織として…。

 これと外の見かたというのが、ある意味で噛み合った所があったんです。拉致しか言わない。そうじゃないですね実態は。実態はそうじゃない。日本側が拉致問題に力を注いだ結果として、横田めぐみさんの夫であられる金英男(キム・ヨンナム)、彼のDNA鑑定なんかも、日本の動きがきっかけになって明らかになって、韓国内でその時大変韓国政府に対して批判しました。

 日本がわずか拉致問題で何年動いただけでこれだけ情報が出てきて、事実が判明したじゃないか、韓国政府は一体何をやってるんだと。何十年韓国人拉致被害者を抱えている問題を知っていながら、何もしないという意味で、韓国内でも自国政府に対して批判があって、その間で日本政府の仕事というのも大きかったわけですけれども、国際社会においては、必ずしもそういう認識は得られてない。

 日本の国際社会のプレゼンスというのは、非常に粗雑なまとめ方をすると、自国民の拉致問題しか関心がなくて騒ぎ立て、自分たちの過去の問題には頬かむりし、北朝鮮人民の窮状については基本的には関心がない。こういう事実とはかけ離れたレッテル貼りがされ、それがあたかも事実であるが如く一人歩きし、それが一定の効果を現に現れていたということなんですね。

 私が、話しが長くなってあれですから申し上げたいのは、やっぱりね、急ぎます。基礎的な作業を。もう既に本で出版されてるくらいの、全部集めて収容所の体験者の手記というのは、4〜5冊ですから全部まとめても5000円にもならない話しですよ。これをできるならオバマ政権が正式に発足する前までに、在外公館に勤務している人々すべて含めて全外務省職員は読むべきである。それをしっかり自分に消化して、落とし込んで、その憤りも併せて海外でロビーなり、働きかけをすべきである、と。

 あと、先ほど政治家の議員の方がごあいさつしていただきましたけど、日本の議員さんは全部合わせても千人ならないですよね、衆参合わせて八百数十人ですから、この方々にも漏れなく読んでいただきたいんです、なるべく速やかに。一人当たり5000円くらいですからお役人さんからすると、深夜のタクシーでの帰宅を一回止めれば、浮くくらいの、たいした額じゃないですよね。

 せめて日本語で出版されている本は読んで、その上で、今海外で、英語で出版されているのはどれかといったら、姜哲煥の「平壌の水槽」(ポプラ社)一冊くらいなんです。それ以外は女子刑務所の体験者の手記で李順玉(イ・スンオク、「北朝鮮泣いている女たち」ベストセラーズ、ワニ文庫もありの著者)さんの「ジ・アイ・オブ・テイルレス・アニマルズ」といって尻尾のない獣のような手記、せいぜいこの二冊ですから、この二冊を漏れなく携えて働きかけをしていただきたい、と。

 まあ、あまりまとまらない話しをして、あともう一つは、先ほど外の世界の見かたに誤解や独善があるという話をしましたけど、そこにもう一つ、もう一つ厳しさがあるなと感じてて、それは何かというと、一つにはそれはキリスト教なんです、キリスト教。世界の中でこういう問題に関心を持って活動する人たちというのは基本的にキリスト教徒なんです、クリスチャンの人たち、キリスト教ベースで動いている。

 その人たちは、一定のマナーというのを身に付けてますから、不躾に他の文明圏、日本国民、日本人と接した時に、敢えて宗教レベルの話しは持ち出さないんです。ただ持ち出さないが故にある意味彼らがある種独善に陥ってるところもあって、結局、信仰とか本質的なところでは、日本の人たちはわからないかもしれないな、わからないから自国民の拉致問題には関心を持つかもしれないけども、その枠を超えたところでは意識が行かないかもしれないという、大変な誤解というか錯覚というか、それを持っていながら、それを言わずに自分たちの内で抱え込んでいると、こういう実情があるのです。

 これは欧米圏だけでなく韓国もそうです。こういう問題で活動する多くの人たちがキリスト教徒であって、キリスト教団体ですから。そういう人たちとしばらく一緒にいて話すと、そういう話しがポツポツ出てくるんです。日本はあれだけ人口がいるのに、先進国なのにクリスチャンの人口比は、0点0何%らしいね、そう言うんです。そういうところがあるんです。

 その意味で、横田めぐみさんのお母さん、横田早紀江さんがよくご自分の信仰ということを土台にして、拉致問題だけではない、北朝鮮の苦しんでいる人たちにも目を向けて、もっとその問題についての意見発信をしたいということを様々な折にお話しになさっているのを承知しています。これは欧米の人たちに理解を増す上で、大変大きな切り口なんですよ。

 ですから今後私が考えますのは、こうした物をどんどんYouTube等に翻訳を付けまして載せてって、日本人は自国民のことしか関心のないエゴイズムの人たちじゃないんだ、と。本当に心の底から苦しんでいる北朝鮮人のありかたに胸を痛めて、何とかしたい、と心の底から願って多くの人たちが汗を流してんるだと、このプレゼンスを意図的に国際社会に発信していきたいということなんです。

 その意味で、この場に座られた非常に貴重な方々です。皆さんはそういう視点を一つ置いて、能動的に海外に向けて情報を発信されますことを祈念しまして、私の話しとさせていただきます。(拍手)

 以 上、
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※このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 http://hrnk.trycomp.net/
※NO FENCE http://nofence.netlive.ne.jp/

※このエントリーのテキストは原良一さんの手によるものです。
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2008年12月28日

加藤博氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★加藤博氏(北朝鮮難民救援基金)

加藤でございます。
私たちは、名前が示すとおり北朝鮮から脱出して謂わば難民になっている、そういう人を助けるのが仕事です。で、私たちが、今まで強制収容所から逃げてきた人たちを保護した例はないんですけれどども、そういういくつもある(収容所の)近くに住んでいた人たちが逃げてくる、ということはもちろんありまして、そういう人たちを助けております。

 基本的には衣食住ですね。今日私たちの展示の所にも置いてきましたけれど、こんなひどい靴を履いているというのがありましたと思いますね。で、こんなひどい教科書(かつてのわら半紙にも劣るような紙質でした)を使っているというのがありましたね。

 ですから、北朝鮮の一般の国民のレベルがどんな生活をしているか、というのはあれでよくわかるんですね。私たちも保護してるといいましたけれども、保護するためには、保護する場所がなければいけないんですけれども、これはどこにあるということは言うことはできないんですけどね、国境に5つほどあります。そこに私たちの必要な援助物資、それからそれは、北朝鮮の国内に届けるルート(注1)でもあります。

 ということは、そこを通じて食糧も行くし、それからそこのルートを伝わって人もやってくる(遣って来る)、という関係になっています。ですから、そこのルートを伝わってやってくるのは、人がやってくるということは、その人がもたらす情報もあるということですね。

 私たちは、できる限りその情報については、オープンにしていますけれども、我々のニュース(北朝鮮難民救援基金NEWS)ですとか、インターネットでオープンにはしてますけども、これは絶対に言えないということもたくさんありましてですね、そういう状況であるために、なかなか実態を知らせきれないという、そういう歯痒さもあるんですね。

 しかしこれは我々が、北朝鮮から逃げてくる人たちを助け、北朝鮮の国内の状況をよく知り、北朝鮮の国内の状況をよりマシな方向にするためには必要なことなんですね。ですから、そういう意味では若干食い足りない、物足りないというところはあるかもしれない、と思うんです。

 今最近、一番何を感じるかというとですね、やっぱりは金正日の健康状態だと思うんですね。私たちのメンバーの中にも医者がいますけども、いろいろな医者のところから話しを聞くと、(金正日が倒れた)あの病気は、5ヶ月以内に再発するともう次がないという、そういう病気だそうですね。

 ですから、もうあの体制、金正日の独裁体制というのは、もう終わりに近づいている、と。そういう段階で我々が、今いろいろな運動をやってるんだということを、まず理解する必要があると思うんですね。

 で、何でこれがそんなに重要か、彼一人が死んだら、何でそんな重要かということなんですけども、北朝鮮の独裁体制というのは、唯一指導体系といって、北朝鮮を支えるすべての指令は金正日から出ていると。それ以外の正統性を認めない、そこに関わる他の人間の正統性を認めないというところにあるわけですね。

 彼が、自分で後継をきちんと定めない内にこういう病気になって倒れている、ということはですね、彼の統治能力それ自体に疑問符がついて、統治に緩みが出てくると、そういうことを意味します。

 これは政治的な統制、つまり軍の統制ができなくなる、という意味でもありますね。それに伴って、北朝鮮は今、大変な食糧(不足の)問題を抱えています。それから外貨の不足、それから工場が稼動できない、そのためにですね、普通はどんなに悪くても単純再生産、社会的な富を生産するために単純再生産というのがあるんですけれども、単純再生産ができないんですね。

 あそこは今、縮小再生産なんです。まあそれもできないかもしれないが、そういう状況になってきているという経済上の問題がありますね。政治的危機と経済的危機が同時に進行している、というふうに私は思うんです。

 で、私たちのシェルターに清津(チョンジン)から来た人がいます。その人は、清津にある1級事業所、これは2000人以上の労働者がいる、そういう事業所ですけども、そこから私たちのシェルターに来て、米を10トン応援してほしいというふうに言ってきました。

 それ(1級事業所)は石油精製工場ですね。石油精製工場がなぜ米か? という話しになるんですけども、話しを聞いたら、もう1年も前から石油精製をするための原油が入ってこない。2000人いた労働者は、今200人しかいなくて、施設を運営するためだけに今いる、と。何の生産もできていない。

 そこで工場のトップの経営陣たちが困ってですね、従業員の中で中国と関係のある人間がいたら、何をやってもいいから中国から外貨の種になるものを持ってこい、とそういう指示を受けて何人かが行ったんですが、その人が米10トンを持ってこい、というそういう指示を受けたわけですね。

 米10トン買うためには、何らかのお金が要るんですけども、その人は一銭も持ってこないんですね。一銭も持ってこないで米10トンを手に入れようっていうんですから、まあこれだけもし成功したら大変なことですけどもね。中国でそんなことができるわけがないんですけども、そういうふうになっているわけです。

 ですからそのような状況に我々がいて、今一方で非常に厳しい統制がありますね。で、その統制を犯すとどういうことになるかというと、いろいろな例がありましたけども、それは今政治的危機が進んでいる、経済的困窮が進んでいる、縮小再生産でどんどんダメになっていく、というそういう状況が見ているんですけども、それと同時にそういうひどい人権侵害もまた、同時並行的に進んでいるわけですね。

 ですから、これを何とか止めなければいけないということなんですが、それをどのようにしてやったらできるかということなんですね。

 私は、一つは北朝鮮が経済的に豊かになっていく、そういう道が一つは必要じゃないかというふうに思うんですね。それが一口に言えば市場経済化、という問題ですけども、市場経済化をするということは、インフラを含め、流通、それから交通手段、通信手段、それからそういう情報の交換、そういうものをすべて自由化していかないとそういうものは発展することはできないんですね。

 そういうものが発展するに従って制限付きではあっても、そういう自由が段々生まれてきます。ですから、そういうことは私は必要だと思いますね。

 しかし、北朝鮮はまだ腰が据わっていないんですね。市場経済化で、2002年の4月1日に経済管理改善措置(注2)というのが発表されて、その方向に行きかけたんですけども、また途中で止まってしまうと。

北朝鮮国内の改革解放を支持するグループと、それでは困るというグループとの間でですね。
悶着があって出来ない。
つまりそういう経済方面からの自由な権利を行使するというような、そういう情勢がまとまってしまうと。
そういう状況が今あります。
ですからそれは私たちが、黙ってその経済状況が上手く行って、それでそれに伴ってある程度の自由や権利が認められるようになってくる。
人権が若干改善されるという事を、いつまでも待っているわけには行かないわけですね。

私達は今北朝鮮が政治的にも経済的にも非常に危機にあるといいましたけど、人権もやはり同じように危機にあるわけです。
この人権の危機をどのようにして好転させるか?と言うことなんですけども、それまで今までですね。
国際的な問題としてみた場合、北朝鮮の人権の問題に対してですね。
人権理事会と言うのがありますが、そこで集められた数々の聞き取り調査による人権侵害の実例の、UNHCRのですね。
国連高等弁務官に所属する国連特別報告官が毎年それを収拾しています。
その問題は同時に国連の場でも社会分科委員会、あるいは国連総会で出されて3回も決議をされていますね。
これは、まだ3回ですね。
ですから、こういう国際的な関心を呼ぶようになってまだ3度目です。
これは今までそういう事が無かった故に、国際的な包囲網がだんだん出来上がっている事を意味します。

私はそれで思うんですが、今砂川(昌順)さんが仰ったですね。
国際刑事裁判所に提訴するというのは、我々が出来る、現在出来る有効な戦い方ではないか?と。
人権を守っていく上でですね。
それは国際刑事裁判所に提訴するためには、それに耐え得る必要な証拠を集めなければいけないんですね。
証拠を集めるためには、それぞれ色々な所から聞き取り調査をして、その報告書をまとめて、これが北朝鮮人権侵害のゆるぎない証拠であるという事を提示する。
そういうものが必要です。

私は、今まで私達は、皆さんの中でご覧になったかもしれませんけれども、「Are They Telling Us the Truth」という、「彼らは本当のことを語っているか?」と言う、英語版の脱北者の証言をまとめた本があります。
これは今まで国連人権特別報告官が色々な活動をする上でですね。
非常に役に立った本です。
でも、これは2000年までの本です。
証拠を集めてありましたけど。

でも2002年以降、つまり国際刑事裁判所が出来上がってから、ローマ規定に基づいてやれる。
そういう所に有効に使える文書をやはり作らなきゃいけない。
そのための活動がやっぱり我々が出来る、また私たちの団体はやれるのではないかな?と。
皆さんの協力を得てですね。
これは必ずやりたいというふうに思っています。

このためにはですね。
韓国語が堪能、朝鮮語が堪能と言う方が多く必要です。
それから全体のプログラムを統括する人間も必要です。
ですから、このプログラムをやっていくためにはお金も必要なんですね。
ですから、これはこういう事が必要だと、単に言っているだけでは全然力にならなくて、一つ一つの証言を集めてそれを文書化して、それをネットワークとしてですね。
共有できるような体制になっていかないと、これは役に立たない。

ですから政治犯収容所から出て来た人も、それから強制堕胎をさせられたケースも、あるいは強制堕胎をやった当人も、そういう人たちを含めてですね。
すべて記録していく。
そういう地道な、ある意味では非常に時間がかかって、かったるい。
そういう仕事をやはりやっていく必要がある。
それも何年もかけてやるんではなくてですね。
短い間に集中して分担して集める。
そういう事が必要だと思います。

今まで色々な人権侵害の実例を言われましたので、私はあえてどういう人権侵害があるかという事については触れませんが、そういう具体的に集めた証拠を文書化して、ゆるぎない証拠として国際的に耐え得る、そういう報告書の作成に皆さんと協力してやっていきたいと、そのように思います。

この、そういう形で集めた証拠はやはり、北朝鮮国内だけの問題ではなくてですね。
より普遍的に見たならば、その関係としては必ず中国が存在していてですね。
中国の人権問題とこれはまた、密接に関係してます。
その関係では中国の人権侵害についても、また我々は関心を寄せ収録していくということがあると思います。

ですから北朝鮮の人権問題は、地域的には中国との関係を切り離してはありえないわけで、その他にいろいろな国が、周辺国のですね。
ミャンマーであるとか、ベトナム・タイ・ラオス・カンボジア、そういう所にも多くの脱北難民が行っているわけですから、それぞれの国の人権意識とその対応というものも、地域研究の問題としてですね。
きちんとやらなければいけないと。

その意味では今度の人権人道学会が機能していけばですね。
されに良くなると私は思います。
ですから皆さんの協力を得て国際刑事裁判所に出して耐え得る、北朝鮮の人権状況を回復する、有無を言わせぬそういう証拠を作り上げたいと、いうふうに思います。
以上です。



(注1)真正の人道支援
 難民基金北朝鮮難民救援基金(難民基金)は、脱北者の脱出・保護ルートを遡(さかのぼ)る形で、食料や生活必需品など様々な物資を北朝鮮国内に送っています。

(注2)絵に描いた餅「経済管理改善措置」
「経済管理改善措置」でやふる(Yahooで検索する)と、トップに総連系の在日本朝鮮社会科学協会(社協)の報告が蟠踞しているので紹介します。
朝鮮民主主義人民共和国の経済管理改善措置と経済の現況
www.peace-forum.com/korea/050329kwon-redume.pdf

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※ このエントリーのテキスト前半部分は原良一氏の手によるものです。

※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※ 北朝鮮難民救援基金 http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/
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2008年12月26日

砂川昌順氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★砂川昌順氏(NO FENCE)

NO FENCE共同代表を務めさせていただいております、砂川と申します。
よろしくお願いいたします。
最初に川島先生、それから私を除いて5団体の方々、この場でNO FENCEがお話をさせて頂くという事に対して深く感謝申し上げたいと思います。
大変光栄に存じます。
ありがとうございます。

NO FENCEの運動団体の目的はですね。
北朝鮮にある強制収容所廃絶にあります。
その一点に絞って運動を展開しております。
時間も限られておりますので、この拉致・収容所・脱北・アジアの人権に関して、どういう関わり合いがあるのか、お話させていただきたいと思います。

拉致、これと私の関係は1978年11月29日大韓航空機爆破事件の犯人、金賢姫を拘束したときからの直接的な関係にあります。
それから直接北朝鮮問題に関わってきて、実際に工作員との接触、北朝鮮大使館側との接触。
あとはやはり情報を得るためには北朝鮮側に入らないといけないという事で、亡命と言う形を取れるかどうかと言うことで、北朝鮮側との交渉、これは決裂しましたけども、そういう形の中で拉致と関わってきました。

横田ご夫妻がですね。
私は沖縄出身なんですけもど、一度も、一度もと言うか沖縄と青森を除いてですね。
2県だけ、まだ全国で行っていないと聞いたときに、横田ご夫妻にただただ謝ってですね。
すぐ沖縄に来てくださいということで、最南端の石垣島に来ていただいて、講演をお願いした経緯がありますけれども。
拉致問題、これは私の1978年からの直接的な関わり合いにおいて、自分の人生における命題として取り組んで解決していきたいと思っております。

収容所との関わり合い、これはですね。
川嶋先生が今日集会の冒頭でちょっと名前をあげておられましたけれども、小川(晴久)先生、東大の名誉教授で二松学舎の教授ですけど、小川先生に触発されましてですね。
私も強制収容所問題に、関心を強く持つようになって来ました。
これは北の帰国事業、あるいは拉致された方々が、強制収容所に入れられている。

収容所と言う言葉の使い方なんですけど、12月7日先週、東京で小さな国際会議を開きました。
韓国からも何名か招聘しまして、証言などもしていただきましたけども、その中で「自分は収容所と言う言葉は嫌いだ」という証言者がおられまして「管理所と言って欲しい」と言っていましたので、言葉使いどうか?と私も悩んでおりますけど、収容所の問題。
これはNO FENCEが一番力を入れてといいますか、この一点に絞って活動を展開しております。

20万30万、いろいろな統計資料がございます。
15万、北朝鮮にある収容所5つ、6つ、7つ、いろんな統計資料がありますけれども、これは衛星写真でほぼ所在は解明されておりますが、その収容所に収容されている、そこで管理されている人たちをどうしても救い出したいという思いで設立して活動しております。

脱北者。
これは過去10年間でおそらく中国から北朝鮮に送還されている人たちは、これは正確な統計資料が出てないです。
おそらく15万とか20万とか出ておりますけど、過去10年間で送還されております。
これも正確な数字は出ておりませんけども、おそらくその半数は死に至っているのではないか?とも言われております。
それは栄養失調なのか、強制労働による死に至らしめられる労働なのか、あるいは処刑なのか。
いずれにしろ半数が、あるいは半数以上と言う統計資料もありますけど、そういうふうな多くの人たちが死に至らしめられているという現状があります。

アジアの人権。
先週小さな東京国際会議を開かせて頂きました。
元国連弁務官デービッド・ホークさんを呼び、それと元アムネスティーインターナショナルの極東調査員であったラジヤ・ナラヤンさんに来ていただき、タイの方からは活動されておられる海老原(智治)さんに来て頂き、韓国からは証言者を呼んで人権に関する問題について国際会議を開きましたけれども、その中でまず具体的な提言が出ました。

どういう提言か?と言うと国際刑事裁判所に提訴していく。
これに確実に提訴して確実に結果を収めていくという、その手段を確実に取るという事です。
具体的にはローマ規定というのがありますけども、その第7条に抵触しております。
人道に対する犯罪。
この中を検証すると、今の北朝鮮の強制収容所に収容されている人たちに対する扱い、あるいは北朝鮮国民に対する扱い、いろんな面から全て抵触している部分があります。
それを国際刑事裁判所にまず提訴するという、第一ステップを踏むべきだろうという具体的な提言がされております。

また、今回韓国からデータベースセンターを代表されております金尚憲(サンホォン)さんが来られておりましたけど、その方の提言では、これは川嶋先生の提言と非常に類似している点があると思いますけど、データの体系的なデータベース化です。
これをいろんな所で情報を共有して発進するための材料にするという考え方なんですけども、まずデータが体系化されてデータベース化されていないために確実な統計資料がなく、訴求力が落ちているという。
そこを確実なデータベース化していく。
それを実際にビジュアル的に国際世論に訴えるためのステップを踏むべきだ、という提言がありました。

具体的な方策いくつかありましたけど、我々が出来ることと言うのはおそらくそのデータのデータベース化、これは学術的に使うという面もありますし、活動していく方のためにもそのデータを提供するという事も出来ます。
当然国際刑事裁判所に提訴するための確実な証拠、累積をしていくという事にもつながります。
いろんな面において、そのデータベースがかなりのウェイトを占めて使えるようになるかと思いますので、そのデータベース化のための、学界のほんの少しでも助けになるのではないか、と思います。

 川島先生が、今日提言されておられるチラシにもありますけれども、この中にある理念、方法としての二つの学際、理念としての二つの学際とありますけれども、非常にその提言に対して、賛同する面があります。これを具体的に、今お集まりのみんなで協力しあって、その理念に向かって、ステップ・バイ・ステップで歩むことが、具体的な位置、方策ではないかと考えております。

 今日は、話しは時間の関係で飛んでおりますけれども、チェロの演奏がありました。その時思いました。申東赫(シン・ドンヒョク)さんという、収容所で生まれて、そこで育って証言をされておられる方がおりますけれども、その方の書かれた「収容所で生まれた僕は愛を知らない」(ベストセラーズ)という本があります。

 その中で、収容所の「学校」では、音楽の授業がない。従って(申東赫氏は)歌の歌い方を知らないんです。音楽を聞いた時に、チェロの演奏をいつか収容所で育った子供たち、人たちに聞かせてあげたい、と思いました。

 また、川島先生の生徒、ゼミの生徒さんが作られた、先ほどのまとめられたファイルというか、先ほどの証言(脱北中に妊娠して北朝鮮に強制送還された女性への強制堕胎の模様を語る、身の毛もよだつ証言)の紹介ビデオがありましたけれども、その方(証言者)と先週、国際会議の後に、お疲れさんということでちょっと慰労をやりましたけれども、やはり衝撃的という感想だけではすまされない、深刻な人権侵害が実際に起きている。

 その時に、私もその方と話しをしていて、やはり言葉を失くして、その方の手を取って泣くしか、私自身反応することができませんでした。

 難しい学術的な面で、まだまだ体系化されてない面もありますけれども、やはり感じる、人として、人間として感じる部分は、みんな同じだと思います。その部分でも、隣の人に語りかけて、訴えていくということが、
たぶんステップ・バイ・ステップの中で、いずれ大きな力になるのではないかな、と思っています。

 今年の4月、我々NO FENCEを設立いたしました。その時にわたくし、設立のあいさつでひと言、申し上げたことがあります。野望ですけど、いつか南北の、あの境界線をデモ行進として渡りたい、と。

 その時にリュック・サックに米の1キロでも入れて、みんなと一緒にデモ行進の数が、一万なのか、十万なのか、百万なのかわかりませんけれども、かつて東西ドイツが統一された時に、私も9月に、当時ドイツに行きましたけれども、あの雰囲気の再現はきっとできる。

 一緒にあの境界線を渡ることができるのではないかな、と願いながら、今はNO FENCEという本当に小さな団体で、まだまだ力が足りませんけれども、先生方、先輩方に教えられながら、活動を続けて行きたい、と思います。ありがとうございます(拍手)。

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※ このエントリーの後半部分のテキストは原良一さんの手によるものです

※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※ NO FENCE  http://nofence.netlive.ne.jp/
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2008年12月21日

荒木和博氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★荒木和博特定失踪者問題調査会代表

どうも、荒木でございます。
今日は長時間皆さん本当に有難うございます。

空中戦、あのバルーンプロジェクトは今、今日増元さんご夫妻もお見えですが家族会と今は一緒と言う形で、要は資金的にご支援を頂いて、そしてこちらでいろんな事をやりながら飛ばしております。
ただ、最近いろいろニュースが出ておりますように、北朝鮮が物凄く敏感になっておりまして、韓国政府ももう「やらないでくれ、やらないでくれ」という事をずいぶん各NGOに言っております。
現在バルーンは3つくらいのNGOがやっておりまして、我々が一緒にやっておりますキリスト北韓人連合と言う団体は、普段テレビに出ているのとは違う団体です。

あれはパフォーマンスでやってしまうとですね。
実際には風船上げたけれど飛んでいかないという事もありまして、キリスト北韓人連合の方々は余り見えないところで飛ばしております。
この間、西海岸でビラが落っこってですね。
軍隊を大慌てで動員したというのは、我々と一緒にやっている方の団体のビラでございまして、ちょっと前に北朝鮮にすぐ近いハクリョウ島まで行って、ビラを飛ばしてもらっています。
今後もこれは協力をして一緒にやっていこうというふうに思っている次第でございます。

我々のビラは10センチ角くらいの小さなビラなんですが、向こうのビラは大きなA3くらいのビラで両面刷りのビニールのものを飛ばしておりまして、この中にも拉致被害者あるいは帰国者などの問題が一緒に書いてございます。
調査会の連絡先なども書いて頂いております。
これを何とか効果が上がるようにしていきたいと。

「しおかぜ」は隣の部屋でずっと収録も続けておりましたが、一時期報道でですね。
金が無くて時間が短縮になりそうだとか、そういうのが流れまして、そのお陰でいろいろ助けていただいてですね。
何とか当分の間は1時間の放送は続けられるという事でやっております。
現在朝鮮語・英語・中国語・日本語という事でですね。
隣の部屋にありますメッセージとか、あるいはその時その時の拉致問題のニュースを流しているという事でございます。

この放送とビラに併せまして、北朝鮮からの内部情報の収集の活動をひとまとめにして「しおかぜプロジェクト」というふうに言っておりますが、この活動を更に我々としては強力にやってまいりたいと。
ただ、情報収集は中々表に出せる部分が少ないんですけども、これはまさに今日ご一緒にやっているほかの団体の皆さんにもご協力頂いていることでございまして、これは連携をとりながらですね。
今後ともやってまいりたいと思っているところでございます。

実は空中戦と言う意味で言いますと、もうひとつプランがあるんですが、これはまだ申し上げられる状態になっておりませんけども、更にドギツイ奴がもう一つありまして、上手く行けば来年くらいに実現できるかもしれないと。
ただ、これはちょっと金がかかることで、うちの財務大臣であります真鍋副代表がいると怒られますから、いないときにチラチラとそういう事があるとだけ、ちょっとお伝えしておきたいと思います。

それからもう一つ、先ほどの高さんの話とも関係するんですが、やはりですね。
向こうに対してともかくアクションを起こしていくと、いう事が一番大事であると思います。
現在は先ほど松原議員の話にもありましたが、日本政府はずっと経済制裁は続けていくと。
これは世論によってですね。
引き下がらないという形で続けておりますので、これはそのままやって更に強力にやってもらいたいと思います。
その上でバックの下にですね。
今度は北の中にどういうふうに手を突っ込んでいくか?と言う事が問題であろうと思います。

私は去る11月の26日に開城(ケソン)に行ってまいりました。
今は28日で遮断されてしまいましたけども、ソウルからの日帰りの開城観光ツアーがですね。
28日まで行われておりまして、そのツアーで26日、丁度もう終わる間際だったんですが、運よく行って来ることが出来ました。
加藤さん(加藤博氏=北朝鮮難民基金)だと北朝鮮の中で指名手配でお尋ね者なので、おそらく入った途端に捕まってですね。
しめた!と向こうは思うと思うんですけども、私はそれ程大物では無い者でですね。
入っても誰も相手にしてくれませんでした。

入る前にですね。
北朝鮮に入ったら俺は、だから入ろうと思っても入れてくれないか、それとも喜び組みでも動員してですね。
大歓迎してくれるかと思っていたらどっちもございませんでして、入るのも簡単に入れたし喜び組みもおりませんでした。
ガイドやってる女の子で可愛い子はいたんですが、まったくこっちに目も向けてくれなかったということでですね。
本当に私は大物ではなかったんだという事を実感したんですが、その時にですね。
いくつかなるほどな、と思った事がいくつかございます。

これは開城の観光で私が行ったときなんですけど、大型の観光バス8台連ねて行くんですが、途中開城の市内をですね。
市内にいくつも観光地がありますので、そこを通ります。
で、観光バスの通る横のところをですね。
自転車とか歩行者もいるんですが、市民があまり関心なさそうに歩くんです。
これはおそらく「やらせ」の要因で、確かに韓国人と同じようないい物を着ていますので、いい物を着せて歩かせているみたいなんです。
その「やらせ」だと思われる人たちの向こう側にいる人たちは、こっちをじ〜〜っと見ています。

開城の町並みと言うのはですね。
私が韓国に最初に行ったのは1977年なんですが、あのときの韓国よりももっと酷い状態です。
今の日本だったらほとんど廃墟に近い15階建てくらいのアパートとか、そんなのもありましたけども、おそらくエレベーターも何も当然動かないでしょうし窓ガラスも入ってないとかですね。
そんな物もざらにございました。

そういうところの状態の町なんですけども、それでも「韓国からの旅行者を入れてもいい」というふうに北朝鮮が判断したのがそういう町です。
おそらく平壌を別にすれば、かなりいい状態の町なんでしょうけども、それがそれくらいの状態でした。
開城百貨店と言うのがありましたけど、これも全く電気が点いておりません。
人が入っている様子が無かったんです。

ですからそういうようなところに韓国の豪華な観光バスが8台も列を連ねて走って来る。
そこから降りてくる人間は北朝鮮の一般の市民と話は出来ませんけども、遠巻きにすれば見えるんですね。
いい物を着てですね、顔色も良い訳です。
こういう人たちが降りてきて、接触するのは北朝鮮のガイド、それから売店のお姉ちゃんとかですね。
そういう人たちですけども、1週間に1ドルあれば一家族が食える北朝鮮で、ミネラルウォーターが1ドルです。
それを平気でバンバン買っていく。
お土産でも何でも、高いものをものすごく買っていきます。

丁度行ったところに朝鮮語の大辞典と言うのが売ってる本屋がありまして、2冊で112ドルで買ってきたんですね。
それをバスの中に持っていったらばですね。
隣に座っていた北朝鮮のガイドが「これはいくらするんですか?」と聞いてきました。
「2冊で112ドル」と言ってですね。
その次冗談のつもりで「いやぁ、こんな高いものを買っちゃったから、東京に帰ってもう飯が食えませんよ」と言ったらですね。
向こうは全然顔が笑ってなくて引きつってました。
向こうからすれば112ドルのものを平気でポンと買ってきて持ってくるという事自体が、やはり相当にですね。
ショックだったんじゃないだろうか?と。

こういうものをですね、開城観光と言うのは実は去年の11月5日から始めまして、約1年間続きました。
11万7千人行ったそうです。
こういうのを毎日見せ続けられたらどうなるだろうか?と。
いくら「北朝鮮がいい国だ」と言っても、そこに「あのバスに乗ってきたのは一部のブルジョアだけだ」って言ったって、ブルジョアが11万7千人も来ちゃったらですね。
さすがに「それはないだろう」とおそらく思うだろうと。
あるいは「南朝鮮の人民は飯も食えなくて苦しんでいる」と言ってもですね。
みんないい物を着て出てくるわけですから、これはいくらごまかしたってどうしようもない。
おそらくそういうものを直接見た人のところにビラが届き、あるいは放送が聴こえると。
いう事が行われているという事で、おそらく向こうの中も励まして行く事が出来るのではないだろうか?というふうに思いました。

ですから可能な限りですね。
私は向こうに行ける人間は向こうに行ってですね。
それは加藤紘一さんでも山拓さんでも和田春樹さんでも何でも良いですから、ともかく行ってですね。
可能ならば行く中に誰かこちらの人間もまぜこぜに入ってですね、来ると。
開城でほんの少しの観光ツアーでしたけど、軍事施設じゃないか?と思われるようなものとか、そういうものくらいは多少は分かることもありました。

だから行って見て、こちらも話をして、こちらのいう事を言ってという事をやっていけばですね。
向こう側にも変化はありますし、向こう側の情報がともかく取れる。
こう言ったら向こうがどう反応するか?とかですね。
そういう事を分かってくると、あるいは町を流してこういうところにこういうものがあると分かってくるとですね。
それがやはり次のための情報につながってくるというふうに思います。

非常に面白かったのはですね。
その北朝鮮へのバスに2台ずつ男が乗っかりまして、そういう人たちと色々話をしたんですけども、こっちは朝鮮語で話をしますから、むこうも答える。
一応日本人には何か、経済制裁がどうとか何とか、そういう事を言えと言われているらしいんですね。
ところが向こうがいい加減で、ちょこちょこっと言うだけで、あとはこっちから話を聞きたいという事が結構あった。

で、ひとり若いガイドでですね。
ある観光地で降りて歩いている時にパッと目が合ったんで、何が日本の経済制裁はどうかとか、聞いて来たんですね。
うるせ〜なと思いながら、適当に受け答えをしていたら、私の横をこの開城観光をやっている現代アサンのスタッフの、可愛い女の子が横を通っていったんです。
顔見知りらしくてですね。
突然この女の子に声をかけて、後は私に見向きもしない。
こっちもですね。
何か放り出された感じでですね。
言ったら何か文句を言うかな?と思ったら、ずっとその女の子と話をしていると。
なるほど、これくらいの感じなんだなというのが非常に良く分かりました。

それ以外にも色々あったんですけども、やはり行ってみてですね。
いろいろ話を聞くとそういうものが情報がたくさん、それこそ石丸さんの得てくる情報とかいろんなものを併せてですね。
大体の事が分かってくる。
そんなに大きな国ではありませんから、12万平方キロの国なので、決して情報を集めて集められない事はないわけでございます。
それをやっていくことがやはり必要なのではないか?と。
今までどうも我々受身になり過ぎてですね。
専守防衛で何となく北朝鮮がやってくることに対して、それをどうするか?という事が多かったと思うんですが、そうじゃなくて今度はですね。
こちらから手を突っ込んでいく時であると、いうふうに私は思っております。

それでですね、丁度今回こういうふうに行けて私としては非常に幸運でしたし、この次は平壌に乗り込みたいと。
本当であれば私は迷彩服を来て乗り込みたいと思っているんですが、背広でも何でも良いですからともかくですね。
乗り込ませて頂きたいと、いう事でございまして、そういう事も含めてこれやっていく中で我々自身が、もちろん特定失踪者問題調査会は拉致問題を解決するための団体でございますが、そのためにもですね。
この北朝鮮の人権問題全体をやっていくということは、我々の活動自身にとって必要不可欠だというふうに考えております。

これは日本人の拉致の問題だけを取り上げて、この問題だけ解決するなんて、これは絶対に出来ないので、全ての拉致被害者を取り戻すという時は、北朝鮮の中で誰でも自由に物の言える、自分の考え方を表現できるという状態になっていなければ、拉致被害者全員の救出は出来ませんから。
我々は今後共ですね。
各団体の皆さんとご協力をしながらこの問題に取り組んでまいりたいと思いますので、ご支援の程宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※ 特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/index.html
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川島高峰氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

◆開会にあたって
     川島高峰氏 明治大学情報コミュニケーション学部准教授   


みなさんごきげんよう。
本日はお休みの中、お越し頂きまして誠にありがとうございました。
ただ今より、【アジアの人権 拉致・収容所・脱北 収容所問題を考える】北朝鮮テロ全体主義国家の実状を訴える6団体共同集会を開催いたします。

私本日の会の事務局をしております明治大学の情報コミュニケーション学部の川島と申します

僭越ながら、はじめに、私のほうからですね今日こうした催しを開催するに至った経緯、そして「アジア人権人道学会」というのを作ろうではないかといういうことを−−去年の今頃ですが−−六団体の皆さんにお話をしまして、それから1年、今日の日を迎えることができました。

そして、一体何を考えているのかというのを、簡単にお話をさせていただきたいと思います。基本として考えていることは、私はレジメに書ききったと私は思っております。

一つはですね、アジアと申しておりますが、私はここで、21世紀の東アジア、東南アジアを中心にしたアジアということを考えております。

人の移動ををめぐる人権人道問題、これがどんどん、どんどんアジア全域に拡大していく時代になってきました。ボーダレスということが、非常に良い響きをもって語られた時代がありましたが、実際にボーダレスがどんどんどんどん拡大していくと、人の移動に伴う、様々な人権人道問題というものが出てきております。

そうした中で、先進成熟社会に位置する日本が、人権人道について、リーダーシップをとることが必要なのではないかということを考えております。

学会というと、非常に非常大げさな響きだな、と正直思っております。
今日来ていただいている6団体のみなさんは、本当に人権人道を巡って、本当に心を裂き、身を割き、現場で支援の活動をなさっている方ばかりです。

ですから、私自身は、学会というと非常に高遠な理念を目指すように、みなさま想像するかもしれませんが、学会ということで、私が考えたいと思っているのは、学問のあり方を根底から考えなければダメだと言うことを、それを強く思っているからです。

そのきっかけを話させていただきたいと思います。
これは、今から、11年前になりますが、青山で、北朝鮮の人道支援を巡る集会がございました。私も何とかして北朝鮮の飢餓の問題に何か貢献することができないのかと、あの飢餓に苦しむ民衆に何とかして一粒でも米を届けることはできないのか、そういうことに非常に頭を悩ませていた時期がございます。それは94年ですか、その比較的大きなNGO団体による人道援助に関わる勉強会というのがございました。その時のことです。その集会の中である一人の男性が、『人道援助というのはわかるが、あの北朝鮮という国の実状を、皆さんはよくわかっていないのではないか』と言うことを非常に強く訴えました。私は、そういった大きな集会の場で訴えるのに非常に驚きました。その日にその本を手にしたわけです。それが、アンミョンチルの『北朝鮮絶望収容所』という本です。私はそれを読んで驚きました。
という本です。二つのことに驚きました。ひとつは、そこで行われている事に驚いた、二つめは、自分はそれを知らなかったと言うことです。知らなかったと言うことにもの凄く驚いたんですね。

そしてそれがですね、日本の社会科学のあり方とは、どうなんだろうかと。それを知らないで済んできてしまう知識情報の環境とはどういう事なんだろうかと、非常に強く考えるようになりました。その時の訴えた男性は、今日も来ていらっしゃいますが、小川晴久先生です。

そこから、様々な転機がございました。ここに来ている方は、みなさんよくご存知だと思いますが、2002年もの凄く大きな転機だったと思います。拉致を北朝鮮の側が公に認めるということがありました。あともうひとつは、これは非常に大きな出来事です。日本の領事館に脱北者が逃げ込むと。それを中国の官憲当局がブロックすると。そういう非常に衝撃的な事件がございました。

そういう2002年の出来事の中で、いよいよ持って自分は何も知らないんだなと。こういう事が起こらないと、何か事件が起こらないと知ることができないんだなと。
私自身は、アカデミズム、大学、学問という場にいて、そう言った情報を、既存のアカデミズムの中で、残念ながら、十分に知ることができないでいる。
そこに、新しく「アジアの人道と人権を考える学会」、そしてそう言った地域に蓄積されている、人権問題、人道問題、これはですね、実のところは、学実の場ではなく、現場で活動されている、非常に重要な情報が蓄積されているわけです。そうした現場に対して、私は、もっと謙虚に学んでいかなければならないと、知らないわけですから。
ですから、そういうことが、私が、こういう学会を作ってみませんかということを、昨年、六団体のみなさんによびかけたきっかけございます。

さて、そうした中で、私が自信が強く思うところはですね、私も、学者の端くれでございますから、学問の形成とか、理念、学問的真理とは何かとそう言うことを考えたいという『欲求』を持っています。しかし、実はそれが『欲求』なのだということに非常に強く気づかされたわけでございます。

どういうことかと申し上げますと、残念ながら、私たちは、すぐに国家観と歴史観他者と相容れなくなってしまうことがございます。
何でも直ぐに、国家観と歴史観に原因があるのではないかというふうに考えてしまうところがあります。

そして更にですね、何がより正しい歴史観なのか、何がより正しい国家観なのか、そういうことを、過分に競い合ってしまうところがあります。
そういう『知の卓越性をめぐる競い合い』それがですね、それが、ふと、考え直してみるとこういうことに思い当たったのです。
人が幸福であるためには、必ずしも、壮大な国家観や深遠な歴史観は必要ではありません。必ずしも、そう言った物は、必要ではないんですね。
むしろ、そういった、壮大な国家観、深遠な歴史観というようなものが、どれほど多くの人たちの幸福、祈り、絆を踏みにじってきたかことだろうか、このことを痛切に感じる10年でありました。
そして、それを最も痛切に感じたのは、正に冷戦後のアジアなんですね。
冷戦後のアジアでは、まだ冷戦が続いているわけです。その続いてしまっている冷戦、心の中の冷戦が、多くの人権人道問題を作り出してきている。いや、作り出しているだけではない、みえないようなベールになってしまっている。これを何とかしなければならない。これが、私がこの学会を作ろうと考えた、私の気持ち、考えでございます。

つまり、学問を形成するとかそういうことではないです。人道、人権を学問的に形成するということではなくて、まず、アジアの人権人道の現場から、学問のあり方を、根本から考え直さなければならない。そう言う時代に生きているのだということを私は考えて呼びかけをしました。

そうした中でですね、ただ呼びかけるだけではなく、もう少し具体的なことで、四つのことを私はここで提案したいと思います。

四つの学際というものを私は考えております。
やはり学問が、どんどん、どんどんビューロコラタイゼイションされていく、官僚化されてしまう。そういった中で、自分の分野だけ守っていれば良いんだと、自分の分野だけで業績さえあげていれば良いんだと、そうしたことが、こういった問題を作ってきたひとつの原因ではないかと考えています。

ですから学際的にやっていく。その場合に重要な4つの学際。

一つは、東アジア、東南アジアの人権人道をめぐる比較分析を行ってみようということです。
どうしてもこれは、口で言うほど容易なことではございません。

多言語、他宗教です。ですから一つの地域の専門というところにどうしても限界があると思うんですが、そこに踏み込んでいって、比較分析をしていかなければいけないと言うことです。

二番目は、第二の学際、これは、メディアとしての学問、媒体としての学術です。
こういった場をですね、学術という所から設けていくと言うこと、これは、大学やアカデミズムの一つの使命ではないかと思います。私は、この10何年か、多くの人権人道、NGOの方の活動の一端を−−本当に私が見たのは一端に過ぎません−−(見てきました。)
本当に皆さん大変なんですね。時間も、経費も、心も、多くのことが現場のサポートに費やされているわけです。ですから現場のサポートがあって、それを世に理解してもらうためには、レポートが必要ですね。でも、レポートの為には、レコードしなければいけない。
サポート、レコード、レポート、3つのことが必要なんですが、じゃぁ、レコードするというのは、何処が一番できるんだろうか?やはりそれは学術なんじゃないかなと。学術が、レコードの支援をする。そして場を作って、レポートをいろいろな現場の方にしてもらうということですね。学術はやはり、一歩さがる。レポートではなく、一歩さがる、そういった基盤を作っていこう、これがメディアとしての学問、媒体としての学問です。

さて残りふたつの学際。
理念としての学際です。
ひとつは、21世紀の内地雑居、そう言う状況になろうとしている。
日本は18組に一組が国際結婚なんですね。18組に一組ですよ。そして、1700万人 毎年毎年海外に行かれる日本人は1700万人です。日本に入国してくる海外の方は、毎年毎年、700万人以上です。すごい数の出入国が日本では起きているわけです。

私たちの社会は、どちらかというと民族の多様性を(認める意識は)余り低い(高くない)、そういうところで共同体の規範というものを考えてきました。ところが現実はそう言う状況ではなくなってきつつあるんですね。ですから、そういう状況に対して、今までの私たち日本の良いところを踏まえながら、新しい規範を考えていく必要があると考えています。


そして、これを人権問題という観点から考えれば、国際人権が、国内化するということ。
あともうひとつは、国内人権の国際化ということですね。国際人権と国内人権のふたつ、これが今どんどんクロスオーバーしていっているわけです。ですから(このふたつが)かさなりあったところで、私たちが新しい価値=その中で人が幸福になるための新しい価値というものを懸命に考えていく、そのきっかけを考えていく、そのための学際、それがですね、21世紀の内地雑居を考えるということ。
日本で起きていることが、アジアの多くの地域でも、おきているわけです。その起こって言うことを、レコードして、レポートしていく、その経済的な余裕があるのは、日本においてほかないと私は考えております。

そして最後にですね、人権人道のガバナンスという事を考えていかなければ、いけないなと思っております。一般に人間の安全保障という言葉、それから国家の安全保障という概念、この二つは、相対立するものと言うかたちとして使われることが多いと思います。
しかし私はこの二つを、相互補完的に考えざるを得ない状況になっていると思っております。

その限界状況で、様々な問題が起きているわけですね。
ですから、その中での相互補完的な状況=つまり双方にとってよりよいかたちを捜すと言うこと。これは、口で言うのは簡単ですが、現場で考えていくと、もういろんなものがぶつかっているわけです。国家の安全保障と、人間の安全保障というのは、様々なところで、もの凄く多くの争点がぶつかっております。
その争点を、どこかで、誰かがレコードして、そしてレポートして、そのための解決策を、みんなで頭を寄せ合って考えていくことが、絶対に必要なことであると、私は考えております。


今、申し上げました『4つの学際』というのは、私のほうからの提案でございまして、これから多くの方と意見を交えながら、よりよい方向へ行くように考えていきたいと思っております。

こうしたことに至った契機は、そもそも何なんだろうかと。これをもって最後のお話、結びにしたいと思います。そのことを北朝鮮の人権侵害問題なんですね。どうして、北朝鮮の人権侵害問題がアジアの問題へ発展するのか?発展せざるを得ないのか?

それはですね、強制収容所の問題、あるいは、今回集まった6つの団体、これは帰国事業の問題に取り組んでいる団体、脱北者の問題、拉致問題、そして強制収容所の問題、北朝鮮の民主化問題に取り組んでいる団体。こうしたすべての団体が共通して行き着いている、取り組んでいる、関わっていることがあるんです。
それは、あの北の国で何が起きているかを知るためには、脱北者の声、これがすごく重要な情報源なんですね。

何故、脱北と言う問題が起きるのか、脱北と言う問題は、何故脱北者難民になれないのかと言うことですね。そこが周辺国との関わりの問題になるわけです。今日来ている方々は、よくご存知だと思いますが、タイのバンコックに、北朝鮮からの脱北者、これは、1000人以上もいるわけですね。5000キロですよ、5000キロも逃げていくわけです。私たちがバンコックに行こうと思えば、往復でもわずか数万です。往復で10時間か12時間で済んでしまう。その距離を5000キロも越えてですね、何年もかけて、そして最初はたくさんいたのに、その僅かな生き残りの方がたどりついて、それで1000人いるわけですね。

ですから、北朝鮮の人権の問題は、東アジア、東南アジア全体の人権の問題として考えて行かざるを得ないのだということを、この6つの団体の方は、私が気づくよりずっとはやく気づかれていたわけです。

これが、本日、この『北朝鮮全体主義国家の実状を訴える六団体共同集会』、そしてそれを『アジア人権人道学会設立準備期盛会』として実施させていただいた理由でございます。

どうも高いところから僭越ながら失礼いたしました。
ご静聴いただきまして、ありがとうございます。

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※このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。
※このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
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2008年12月18日

高英起氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★高英起氏(RENK)

どうもこんにちは。
「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」の高英起と申します。
ちょっと座らせてお話させていただきます。

本来なら今回の集会にも、RENKの代表である関西大学の李英和代表が来なければならないんですけども、大阪に在住で多忙という事もあって、今回は私が東京事務局を代表してこの場でお話させていただきます。
それでまず、RENKといいましても中々組織としてそんなに有名な組織ではないと思いますので、若干我々が何をしているか?と言う事について説明させて頂きたいと思います。

結成したのは1993年です。
今から15年前です。
私は結成以前から関わっているんですけども、結成した時は本当に来年にでも倒れるかと思ったんですけども、残念なことにもう15年間続いてしまって、毎年毎年今年こそはと思い続けているんですけども、残念ながら北朝鮮は中々民主化が達成できずに、現状多くの北朝鮮の人民、そして拉致された方々苦しんでいるというような状況でございます。

我々は「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」という名前なんですけども、我々が訴えているのはとにかく北朝鮮の民主化です。
それが全てです。
人権と民主主義です。
今の北朝鮮を民主化して人権が保障されるような国になるように働き掛けるというのが、我々の基本的なスタンスです。

とはいっても、日本でそれを訴えようにもどうしようもないですよね?
よく我々が言うのは、リングの外から石を投げているだけかもしれない。
ただ、それでもリングの中で戦っている人にとっては、それは非常に強い力になるんじゃないかと言うところで、まず我々が始めたのはですね。
当時は北朝鮮の要人が来ていたんですよね。
結構公な形で来ていて、日本を訪れていて朝鮮総連を中心にですね。
いろんな工作を含めてなんですけども、話をしたりとか、いろいろな献金を募ったりとかそういう事をしていたわけですよね。

で、我々が考えたのは彼らに対する抗議行動。
つまり北朝鮮の幹部たちに北朝鮮の民主化を求めるような人たち、もしくはそういう声が日本にはあるんだという事を、(アピール)する事が大切なんだと思うようになりました。
そこで始めたのが、例えば彼らがJRの大阪駅に着いたらIRの大阪駅に乗り込んで、プラカードを持って北朝鮮の民主化を叫んだりとかですね。
そういう事を続けておりました。

時にはですね。
神戸港に入った、多分海は万景峰号ではなかったと思うんですけども、船に対してですね。
船をチャーターしてですね。
海上デモと言う形で、船の横に北朝鮮の民主化と言う大きな横断幕を着けてですね。
都合10分くらい北朝鮮の船に対してアピールすると、おそらくこれは史上初だと僕は思っているんですけれど、そういった事をしていました。

そこで事でですね。
駅とかホテルとかでの陸上戦ですよね。
陸上戦はこちらでの大勝利で終わったと。
海上戦も大勝利で終わったと。
という事でみんなの中からは次は空中戦やという話もあったんですけども、残念ながら空中からの抗議戦というのは実現に至っていないんですけども、最近、北朝鮮を非常に悩ませているのは風船爆弾ですよね?
風船爆弾じゃない?(笑)

僕らは風船爆弾と呼んでますけども、あれこそ爆弾だなと思っているんですけども、爆弾ではないんですけども、あそこにビラをやって荒木さんの調査会の方からそれをやったと思うんですけど、アレがかなり効果的で北朝鮮がかなり嫌がっていると。
中には一ドル札と言うのを出渡してやっているんですけども、あのアイデアは非常に秀逸でどんどんどんどんやるべきだと思っているんですけども、そういった形で我々は北朝鮮に対してアクションを起こしてまいりました。

ただやっぱり最初に言いましたように、外からのアクションにしか過ぎないという事で、虎穴に入らずば虎児を得ずということで、何とか敵地に乗り込む事は出来ないか?と方法論を模索するようになったんですけども、残念ながら敵地に入ってする事は中々出来ないと。
いうところで目に付けたのが中国東北地方の延吉だったんです。
98年から99年、私はその前の仕事を辞めましてですね。
単身で98年から99年まで延吉ですよね。
そちらに乗り込んで延辺大学というところで1年間、表向きは留学生という形なんですけども、1年間滞在して脱北者の現状とか調査をしてきました。

でも、一番の目的は何かといえば、やはりそれは北朝鮮民主化を求める、もしくは民主化を訴える北朝鮮の人間を何とか支援したいというそういう思いがあったんですよね。
当時は今と比べて本当に脱北者の数は多かったです。
皆さんもいろいろな映像でみられていると思うんですけども、町の中央の市場に行ったら本当にボロボロの(服)を着た栄養失調の子供がお金をくださいという感じで言う子がたくさんいて、一日多いときは何十人と見て、僕自身子供も大人も含めて100人くらいは会ったんじゃないか?と思っています。

彼らに共通しているのは食べられないことによる無気力なんですよね、やっぱり。
気力が無くなっていると。
目が全然気力が無いんですよね。
最初に行ったときに実は笑われるかもしれないんですけども、私自身は北朝鮮の延吉辺りに行けばですね。
フィデル・カストロやチェ・ゲバラのように十二人で・・・に乗ってゲリラ戦を戦ってね。
革命を勝ち取ったような、そういう骨のある奴がいるんじゃないか?と思っていたんですが、残念ながらそういう奴はいなくてですね。
せいぜい酒に飲んだくれて愚痴を言っているくらいの、そういう脱北者がいなかったという悲しい現状があるんですけども、それはそれで彼らが如何に北朝鮮で食べられないことで、人間破壊を進められているかというような現状だったと思います。

そうは言いながらも地道な活動が実ってですね。
丁度10年前の今頃ですよね。
インサイド・ノースコリアといって北朝鮮の映像が公開されました。
あの映像を撮ったアンチョルと言う人間も私も北朝鮮の延吉に行って直後からずっと付き合っていて、何回も失敗を重ねたんですけども、やっと彼の努力が実って彼は北朝鮮に帰ってあの映像を撮って帰ってきて、初めて僕らに見せた時に、さすがに僕たちもここまでひどいのか?と言うのはその時に想像も出来なかったです。
それくらい頭の中では分かっているつもりだったんですけどショックだったです。

機会があったらDVDとかもあるのでみて欲しいと思うんですけども、このインサイド・ノースコリアと言う映像がですね。
僕は非常に手前味噌になっちゃうんですが、価値があると思うのは、これは北朝鮮の民主化を求める青年が撮影したい映像だという事なんですよね。
次の話につながっていくんですけども、それ以降たくさんの映像もしくは写真、情報と言うものが日本のメディアで紹介されるようになりました。
特に最初に川嶋先生の話にもあったように2002年の拉致以降は何でもあり状態で、北朝鮮に関するものは何でもありで映像から情報から話から含めていろいろ出ました。

でもその中に本当に北朝鮮の何か未来、もしくは将来、社会変革、そういったものにつながるような情報と言うのは本当に数少なかったんですよね。
やっぱり。
そういった中にインサイド・ノースコリアというのは、北朝鮮の変革・民主化を求める青年が撮影したというところで、これは非常に価値があるものじゃないか?と言うところで、今でも思っております。

最近はですね。
北朝鮮のジャーナリストとしては日本では第一人者と言えると思うんですけども、石丸次郎さんがですね。
リムジン河という雑誌にですね。
今の北朝鮮の情報を余すところなく、詳細なレポートを本と言う形に書いているんですけども、彼が日本の放送局で出す映像やその本を通じて分かるのは、やはり北朝鮮の人間の意識と言うものが劇的に変化してきていると。
もちろんそれが北朝鮮の民主化や変革につながるようなそこまでは行っていないです。

ただ、一時期僕がいた98年99年は何も知らなかったんですよね。
世間の事は、世の中の事は、外の事は。
ところが最近は、例えば金正日の健康状態が悪化していると、これはかなりの人間が情報を把握しているらしいです。
金正男、正男ちゃんですよね。
正男君が北京へ行ったという話があればそういう話も流れるというような。

基本的に北朝鮮と言うのは口コミ社会なんですよね。
メディアと言うものが無いんです。
ただ、口コミの影響と言うのは絶大で、一つ伝わるとどんどんどんどん伝わっていくと。
以前ほど言論に対する統制もなくなっていく中で、我々もこれをどんどん利用すべきじゃないかと思うんですけど、そういう意味でも先ほど言った風船ビラ作戦と言うのは非常に効果的なんじゃないかというふうに、私は思っております。

北朝鮮の人間が劇的に意識が変わっているかと言うのを我々が伝えたいか?と言うのはですね。
残念ながら我々の中でもそうですけども、一般の中でも、まだ北朝鮮の人間と言うものが洗脳されていて何も出来ない人間なんじゃないか?と言うことを考えている方がまだたくさんおられると思います。
それは仕方が無いです。
実際彼らの意識というのは、中々伝わってこないんですけど、でも先ほど言いましたように確実に彼らの意識と言うものは変わってきて、必ずそれが北朝鮮の社会変革・民主化につながるようなものであると、私は思っておりますし、そういうふうにアクションを起こす事が必要なんじゃないかと思います。

あと一方ですね。
北朝鮮の人間は思想を洗脳されていて何も知らない。
それと同時に北朝鮮の人間はけしからんと、そういう事を言うような方も中にはおられるようです。
これは我々の人権運動をやっている中でもそういう事を公に語る方も含まれますけども、あくまでも我々の敵と言うのは、北朝鮮当局金正日政権であり、北朝鮮当局であるというのを間違えないと、実はこうやって北朝鮮の人間はけしからんと。
それだけではなくて在日コリアンや在日朝鮮人や、朝鮮総連はしょうがないとしても、韓国も含めてけしからんと言う方も中にいるですけども、そういうのを聞いて一番喜ぶのは実は北朝鮮なんですよね。

ああいう独裁国家と言うのは、外から攻撃される事が一番喜ぶことなんですよね。
中を引き締めるために。
私自身3年間大阪の朝鮮総連系の学校に通っていた経験から言わせてもらうと、あそこの思想統制のやり方は一貫してそうです。
外部から我々は攻められているんだと。
そのために我々は一致団結して外部の敵と戦わなければダメなんだと。
今の北朝鮮がそうです。
北朝鮮に対してそれをいう事は、本当に北朝鮮が喜ぶことでほら見たことかと。
そうやって日本の差別的な人間が我々に対して言っているんだと。
非常に喜んでいます。
本当に手を叩いて喜んでいると思います。
そういう意味でもそういうところを乗り越えて、今後運動をしていくことが大事だと思っております。

今回ですね、一応北朝鮮の人権と言う題材なんですけども、川嶋先生の賢明な判断というか主催者の判断により、北朝鮮という事だけではなくてですね。
チベットの問題や様々な問題に対して取り組みました。
こういったいろんな人権問題に限らず、社会問題に幅を広げるとですね。
得てして自分たちの問題が埋没してしまうんじゃないかと言うような、僕は運動エゴと呼んでいるんですけど、そういう事を言う方とか、そういう考えを持つ方がおられるみたいなんですけど、やはりそうじゃなくて広い観点で自分たちの問題を捉えることによって、それで進めていくことが他者に対する思いやりだし。
他者に対する思いやりが僕は人権だと思っています。

もしそれで埋没するようでしたら、それはその程度の問題だったんです。
もしくはその運動を進めている方々の努力不足です。
はっきり言って。
そんなこと恐れていて運動なんか出来ません。
はっきり言って。

私のRENKというのは李英和さんが非常に頑張ってメディアに出ることによって名前だけは知られているようになったんですが、残念ながら体力的な不足で、ゲリラ的な活動しか出来ないんですけど、今後もですね。
とにかく我々が訴えたいのは、北朝鮮の民主化と北朝鮮の人権です。
そのためにはその事に賛同されている方なら、どんな方でも手を組むし、どんな方でも手を組んで一緒にやろうという意識はございます。
そこで我々みたいな小さな組織が埋没しようが、そんな事は別にどうでもいいことです。

そうじゃなくて、それによって運動が問題が一歩でも二歩でも前に進むなら、それはそれで喜んで埋没しようじゃないかと言う、そういう思いでやっております。
今後こういう機会がまたございましたらですね。
本当にもう、本当に本当にこれは謙遜ではなくて、我々微力なんですけども何らかの形で関わって行きたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。
有難うございます。

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※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※ RENK http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/
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2008年12月14日

荒木和博氏 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

平和と人権と自由を守る戦い

                      特定失踪者問題調査会
                           代表 荒木和博

 大阪ブルーリボン5周年講演会に参加された皆様、平素のご尽力に対し心より敬意を表します。
 拉致被害者の救出運動が始まってまもなく12年になろうとしています。その最初の時点から運動にかかわってきた者として、あらためて時間の経過を考えたとき、複雑な思いにとらわれずにはいられません。
前に横田早紀江さんが言っておられましたが、平成9年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことが分かったとき、早紀江さんはこれで遠からずめぐみさんに会えると思ったそうです。でもそれからが大変だった、これは偽らざる心境でしょう。
 現在家族会にいる方々の大部分も、いつになったら再会できるという確信はなかったにせよ12年もかかるとは思わなかったでしょう。言い方をかえれば12年経って現在のような状況だと分かっていたら運動を続ける気力は起きなかったのではないかと思います。
 私自身どれくらいかかるのかと考えたことはありませんでした。というより、この問題はやればやるほどその闇の深さに驚き、戦慄することばかりなのです。底なし沼に足を突っ込んでいく感覚というべきでしょうか。
 拉致問題は絶対ハッピーエンドには終わりません。個々には救出された方々がご家族と再会を果たすという場面に感激することはあるでしょうが、拉致問題全体はある意味日本の闇の裏返しでもあります。
 政府は「生存しているすべての拉致被害者の帰国」というだけで、絶対に「救出」とは言いません。しかし、たとえ幸運にして現在の政府認定被害者や、特定失踪者が全員無事であったとしても、その人たちの失われた時間は戻ってきません。横田めぐみさんの原状回復は、昭和52年11月15日の寄居中学校1年生に戻すということです。したがって生存者の帰国でマイナスをゼロにすることはできないのです。また、拉致される過程で殺害されたり、北朝鮮で望郷の念を抱いたまま亡くなった方々は(もちろん何も言えないわけですが)「生存者の全員帰国」という言葉を聞いたらどう思うでしょうか。
 仮に政府の今の目標どおりに「生存者の全員帰国」が果たされたとして、その「生存者」は果たして大喜びで日本に戻るのでしょうか。彼らがこれまで何十年も放置されてきたことに対する怒りを持っていないと、誰が言い切れるでしょうか。私たちは事件を防ぎ得ず、解決にあまりにも長期間を要してしまった悔恨とともにその痛みの一部を分かち合わなければなりません。
 それだけではありません。田口八重子さんが大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫の教育係をさせられていたように、拉致被害者が北朝鮮の工作活動に協力させられていた場合や、場合によっては直接の工作員になっていた場合すらあっても不思議ではないのです。協力しなければ自分はおろか家族も極刑に処せられる、目の前で公開銃殺を見せられた拉致被害者が、たとえば別の日本人を拉致するのに協力していた場合、私たちがそれを非難することができないのは当然です。
 また、自分の意思で北朝鮮に入って出られなくなった場合、完全な偽計による有本恵子さんのケースはともかく、ある程度思想に共鳴していた。しかし数週間で戻るつもりで北朝鮮に入って出られなくなった場合などはどうなるのか、朝鮮総連に騙されて北朝鮮に帰国した在日やそれに従って渡った日本人家族とどう違うのか、おそらく誰にも明確な答えは出せないと思います。そして答えが出せなくても私たちは遠からずその現実に向き合わなければなりません。

 ところで、私たちはつい拉致事件を過去の問題と思いがちです。12年前近く前に横田めぐみさんの拉致が分かり、拉致が社会問題となってから、いくらなんでも北朝鮮の工作活動にブレーキがかかっているはずだと考えても確かに不思議ではありません。
 しかし、富山県、黒部川河口で北朝鮮工作員の水中スクーターが発見されたのは平成11年、救出運動の始まった2年後です。周囲の状況から推定すると埋められたのは平成10年の11月から11年4月頃と推定されています。まだ記憶に新しい奄美沖で沈没した工作船の事件は小泉訪朝の前年、平成11年12月のことでした。
 どこでも結構です、田舎の海岸に夜立って、自分が自衛官や警察官として海からやってくる工作員を制圧あるいは逮捕する立場だったらどうなるか、想像してみてください。何月何日の何時にここにやってくるということがわかっていなければ、それに対処することは絶対にできないことは軍事に疎い人でもすぐにわかります。
 日本の海岸線は34000キロ、米国の倍の長さであり、国土面積あたりの海岸線の長さで言えば日本は世界一の国です。敵対する勢力が侵入するのを海岸で防ぐことは絶対にできません。
 私は小泉訪朝で金正日が拉致を認め、5人が帰国した後、日本国内の工作員や協力者のうち何人かは自らのやってきたことを一部でも語るだろうと思っていました。しかし現実にはそれはほとんどありませんでした。なぜなのか、長い間分からなかったのですが、その理由は考えてみれば簡単です。今も工作活動が続いているからなのです。憲法がどうだとか、マスコミがどうだとか、政府がどうだとか野党がどうだとか、文句を言って何もしないのは簡単です。昔のことであればそれで済むでしょう。しかし、この問題は「今、ここ」の問題なのです
 戦後の日本は自分の頭で安全保障を考えることを避けてきました。それは占領した米国に無理やりさせられたことですが、逆に占領中に自らの安全を人に任せることの心地よさを知ってしまったのがこの白昼夢のような半世紀だったと思います。
 日本には軍隊はない。日本には核兵器は存在しない。平和憲法があるから平和が守られる…。そのすべてがまったくの虚構であったことは明らかです。日本には自衛隊という名前の軍隊があり、米軍の核兵器を積んだ艦船は積んだままで入港しています。そして日本は米国の核の傘と日米安保、そして何より日本「軍」によって守られているのです。日本国憲法は一部勢力に日本が当然の国防力を持つことを阻害するために利用されてきました。ある意味では「国家の平和と国民の安全を阻害する憲法」だったと言えるかもしれません。
 私は現行憲法のままでも国家として当然なすべきことはできると思っており、憲法を変えなければ何もできないとは思いません。それは政治に携わるものの決断によって十分可能です。

 皆さん、拉致被害者の救出は私たちの安全を守るための戦いです。決して被害者や家族が可哀想だからやるものではありません。北朝鮮は東アジアにおける安全保障上の脅威であり、拉致問題のみならず政治犯収容所や公開処刑、脱北者問題などさまざまな人権問題を抱えた独裁体制のもとにあります。日本よりはるかに寒い彼の地では、今も罪もない子供たちが飢えと寒さの中で短い生を終えています。
 この地から金正日の独裁体制を消滅させ、拉致被害者はそれぞれの家族のもとへ返し、北朝鮮の人々は恐怖から解放されなければなりません。そしてそれを実現できるのは米国でも中国でも韓国でもありません。私たちが、日本がしなければならないことだと確信します。これまでのご尽力に御礼申し上げ、本集会を契機に再度この平和と人権と自由を守る戦いに皆様が立ち上がってくださいますようお願い申し上げる次第です。
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三浦小太郎氏 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

脱北女性とその孤児たち

                  三浦小太郎(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)

北朝鮮問題を考える上で、私達が常に失ってはいけないのは、拉致問題と共に、現在の金正日独裁政権とそれに協調する中国の体制下で苦しむ北朝鮮民衆や脱北者の悲劇である。
飢餓と抑圧の北朝鮮から中国に逃れてきても、そこで仕事を見つけるのは難しい。男性の場合、農作業の手伝いなどをしても、中国にとっては不法就労者に過ぎない彼らは、当初約束のはずの賃金すらもらえないこともしばしばである。そして、女性は様々な人身売買や強制結婚などの運命を辿る事が多い。以下に紹介するのは、韓国の救援団体が紹介するある脱北女性の証言だ。
中国・黒竜江省の牧丹江に住んでいる朴さんは、6年前、餓死した父親を葬った後、母親と一緒に豆満江を渡った。彼女は今年で21歳となる。現在同居している中国人男性との間には息子が一人。息子は臨時戸籍に名前を載せられたが、朴さんには国籍がない。
「売られることは、脱北女性の宿命です。耳障りよく「結婚」と言われますが、事実は売られるのです。確かに、中国へ来たらお腹をすかす心配はありません。その代わりに自分の体は守れない。女性達がこうして売られていくのは、中国の農村部では嫁不足に悩んでいるからです。私たちは不法入国者なので、運命に任せるしかないのです。」
「中国に来て初めの内は、母と一緒に汪青の方にある山里で17歳まで暮らしました。朝鮮族の家主は、私が 17歳になると、私たち親子二人が一緒にいたらつかまりやすい、私を別のところに移動させねばならないと言いました。その数日後、ある中国人が尋ねて来て、母に「中国の内陸地方に娘の働き口を探しておいた」と私を連れて行こうとしました。私は「私がまず先にそこで落ち着いてから母を迎えにきます」といい、母と別れました。」
「その中国人について、ハルビンを経て、黒竜江省に行きました。三日三晩、汽車とバスを乗り換えながら到着した所は、真っ黒なひげをはやした三十歳を過ぎた漢族の男性の家でした。漢族男性とその案内人は、中国語で何か言葉を取り交わし、案内人はその日にそこを立ち去っていきました。その漢族の男性は三十歳になるのに結婚していない男やもめでした。その日、私は言葉も分からず、恐怖に震えていました。仕事ではなく、この男性に売られてきた事が分かったのです」
「その漢族の男性は、一日中私のそばを離れませんでしたし、私も一銭のお金もなく、家の外は私の伸長よりも高い垣根で囲まれていましたし、逃げることも諦めました。鶏のかごのように閉じこめられた村で、あさましく暮らしました。後に、私は中国元で1万元で、この男性に売られたということがわかりました。」
「翌日、隣りに住んでいる朝鮮族のおばさんが訪れて来ました。男性が、言葉が通じないから、隣りの朝鮮族を通訳として連れて来たのです。朝鮮族のおばさんは、可哀相にという目で私をみつめて “こんな子供が売られてきたんだね”といいました。」
「私が自由になる為には、私が売られた分の1万元を用立てるしかありません。しかし、どうしたらそんなお金を作ることができるでしょうか。」
「その後、何度か機会を見て逃げようとしましたが、結局それも出来ず、今もその男性と隠れるように暮らしています。そして、去年、息子を生みました。」
 朴さんは、今も母との再会を望んでいるが、すでにその行方も分からない。このような人身売買は脱北女性にとっては日常茶飯事であり、悲惨なケースでは売春宿などに売られることも、また、精神に障害を来した男性の下で暴力的な扱いを受けているケースすら報告されている。
 北朝鮮からの脱北女性たちは、黒竜江・山東・湖南省など内陸地方はもちろん、遠くは南側の広東省まで売られて行くため、中朝国境だけの調査では脱北者の数を推定できない。さらに問題なのはこのような脱北女性と朝鮮族との間に、戸籍のない子供たちを次々と生まれている現実だ。例えば母親が中国当局に逮捕、北朝鮮に強制送還され、父親が子供の養育を放棄するケースもしばしばある。事実上の孤児である。残された子供たちが生きていこうとすれば、現実的には泥棒や浮浪児としての生活以外残されていない。日韓のNGOが、現地の協力者と連携して、善意の人々の力を合わせて里親制度などに取り組んでいるが、残念ながら救済できるのはごく僅かの少年だけだ。
 私はこのような少年たちに中国であったことがある。彼らは支援団体の協力の元、中国朝鮮族の家で保護されていたが、4歳の少年と少女が、おそらく日本や韓国の子供ならば見向きもしないかもしれない玩具を宝物のように抱き、時には取り合っていた。
彼らは私にもすぐになつき、同時に愛情を強く求める傾向があった。ほんの少し、ボールやおもちゃで遊んであげただけでも嬉しくてたまらない表情を浮かべる。生まれてから殆ど両親の愛に無縁で育ったこの子供たちを思えば、これは可愛いしぐさと言うより、必死で愛情を求める痛ましい心と思うべきかも知れない。元気そうには見えるが、接してみると肌はかさかさに乾いており、骨格も痛々しい。また、4人と共に街中のショッピングセンター内の室内遊園地などに行ったのだが、4歳の少年は特に疲れやすく、帰り道では階段の乗り降りに苦労していた。この4人は既に医師の診察を受けてはいるが、抱きしめてみると骨が体の上からはっきり分かる。幼少時の栄養不良は中々回復しないようだ。この子どもたちの母親は、既に中国公安に逮捕され、北朝鮮に強制送還されている。また、韓国に亡命したにもかかわらず、その後何の連絡もない母親もいる。その子どもは、「母に見捨てられた」と自分の母親を恨んですらいた。
 中国政府がこの少年達を人道的に保護する対象と認め、戸籍の取得による身分の安定、義務教育、将来的には中国での定着などを認める方向に向うことが一つの解決策と思われるが、現在の中国政府にその様な姿勢を求めるのは殆ど不可能だ。
そして、韓国への亡命にこの少年達が成功したとしても、両親のいない状態に代わりはなく、里親を含む保護体制は充分に確立されているとはいえない。両親に見捨てられた事によって傷ついた心を癒すのも長い時間と教育が必要だ。しかし、日頃女性や児童の人権救済を叫ぶ論者も、この脱北女性や孤児の救済には手を差し伸べること極めて少ないのが実情だ。東アジアはいつまで、この様な弱き人々の犠牲の上に「平和と安定」を貪っていくのだろうか。
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海老原智治氏 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

拉致問題解決メッセージ

北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ
代表 海老原 智治

 私は、タイのチェンマイを拠点に、拉致と脱北を支援するタイで唯一のNGO「北朝鮮に拉致された人々を救援する会チェンマイ」の活動を行っています。
 北朝鮮の拉致被害は、現在少なくとも世界12カ国に渡っていることが、「救う会」の調べて明らかになっています。そこにはタイも含まれています。チェンマイ出身女性のタイ人女性 アノーチャー・パンチョイさんが1978年にマカオから拉致されたことが、2005年のチャールズ・ジェンキンスさんの証言から明らかになりました。
 タイは同時に、現在北朝鮮から中国を経て脱出する北朝鮮難民(脱北者)の、最大の脱出先の一つとなっています。2006年には約1000人の北朝鮮難民がタイ領内に逃げ込みました。2007年には少なくとも1500人が入ったものと見られます。2008年は北京オリンピックが終了する8月末までの流入は著しく減少した者の、9月に入りまた多くの流入が恥じました。
 タイはこのように、北朝鮮政府による外国人に対する人権侵害としての「拉致問題」の被害国であり、自国民に対する人権侵害の結果としての「北朝鮮難民問題」の最大の逃げ場所であることで、北朝鮮人権問題の最大の当事国の一つとなっています。
 さらにタイは、北朝鮮の対外貿易高では、1位中国、2位韓国に次いで第3位であるなど、
北朝鮮とはさまざまに関わりを持っています。
 タイと北朝鮮のこのような状況は、日本ではあまり語られることがありませんが、ひとつ私が指摘したいことは、拉致を含む北朝鮮の人権問題は、決して日本と北朝鮮の2国間問題ではなく、より国際的普遍性を持った問題であるということです。
 このような拉致問題の「解決」とは何かを考えたとき、以前よりうわさされるような、一部の日本人拉致被害者を返すことによって問題を手打ちにし、拉致問題すべてを幕引きするような動きが、「拉致問題全体」の解決では決してないことが明らかです。
 世界で最も拉致問題解決を訴えている日本には、拉致の「解決」がなんであるかを考えた時、世界的な広がりをもった拉致被害をどのように解決にしていくかという視点とアプローチをぜひ強化していただきたいと考えています。
 また、北朝鮮難民(脱北者)の問題は、失政に起因する飢餓を含めて、北朝鮮政府による自国民に対する人権侵害の結果であり、拉致と同じく、このような人権侵害を平気で引き起こす北朝鮮の政治体制が問われる問題です。
 拉致や北朝鮮難民の問題を、人権侵害をいかに解決してゆくかというアプローチからとらえ、国際的な連携により国際世論を動かしながら解決への圧力をかけて行くことが、今強く求められていると考えています。
 私は上記のような立場からこの問題の解決運動をタイを拠点に行っています。
 ぜひ心を同じくする日本の皆様と共に、一刻も早い解決を実現したいと思います。
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萩原遼氏 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

半世紀ぶりの朝鮮半島の変化、この機会を逃すな

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会名誉代表、大宅賞作家、元赤旗平壌特派員    
                                             萩原 遼


半世紀以上も変わらなかった朝鮮半島の状況に動きが出てきた。この機会を逃さず、日本は独自外交を進めるときである。運動する側もこの機会を生かさねばならない。
私のいう変化とは次のことである。
1.北朝鮮の独裁者の死期が近づいた。
2.アメリカが北朝鮮に貼りつけていた「テロ支援国家」の指定を解除した。その結果、米朝国交正常化の動きが見えてきた。
3.日本の独自の役割がいっそう大きくなった。
以下、私の考えをのべたい。

   金正日独裁者の終焉

独裁者金正日が重態との報道が9月ごろから流れ始めた。9月9日の国家創建60周年記念日にはじめて金正日が出席しなかった。10月10日の朝鮮労働党創立63周年記念日にも出てこない。これらが重態説を裏付けている。
かりに重態でなくとも、金正日もすでに67歳。そろそろ寿命は尽きるころである。若いころからの放埓の生活、つまり酒と乱脈な女性関係などで健康をむしばんでいることは各専門家が指摘している。
 金正日の後継者を決めるときである。彼がいままで後継者を決めなかったのは、もはや彼の権力基盤はなかったからである。ということは、中国の支配力が浸透していて北朝鮮独自では重要なことが決められなくなった。
中国の支配力とは次のことがあげられる。@北朝鮮は軍事と食糧をほぼ全面的に中国に依存している。Aレアメタル獲得競争の中で、中国がそれを豊富に持つ北朝鮮を地下資源供給地としてしっかり握ろうとしている。B日常生活品の90%以上が中国製品であり、中国は商品市場としても北朝鮮を有益とみている。
以上のように中国抜きでは重要政策を決定できないほど大きな影響力を持っている。後継者問題もしかり。かつて金正日は、自分の妻高英姫を持ち上げることで二男正哲、三男正雲を後継者に担ごうとしてキャンペーンを始めた。ほどなく金正日の妻が急死し、キャンペーンは中止されるという奇怪な動きがあった。正哲、正雲を喜ばない勢力がいる、としか考えられない。  
中国の考える北朝鮮の後継者像はこうだ。改革開放を大胆に進める人物であること。いつまでたっても閉鎖的な社会主義的集団農場制度にしがみついていて、農業の失敗ですぐ食糧をくれと泣きついてくる北朝鮮。中国の農業改革をみならって食糧ぐらい自給せよと中国のはらわたは煮えくり返っている。
こうした体制を変えて中国の考えに沿った人物を後継者にと考えるのは自然の流れである。金正日の二男、三男の芽が摘まれたら残るのは長男の正男しかない。彼は1990年代から中国に拠点を置き、中国に庇護され、各国を渡り歩いて事情に明るく、英語フランス語も多少話せて、コンピュータもよくできる。
彼を少年時代からよく知る黄長Y氏(1997年に韓国に亡命した北朝鮮高官)は金正男が後継者になると断言している。
金正日の後継者が中国主導で進むなら建国以来はじめて、北朝鮮も中国式の改革開放路線に変わる可能性が出てきた。
そうなると拉致被害者の奪還にも有利となる。なぜならば、中国は日本人拉致には関心がない。中国は拉致にこだわって日本と対立する何の理由もない。拉致者を全員日本に返し、国交正常化をやらせて3兆円とも6兆円ともいわれる日本からの賠償金(経済協力資金)をとることが大事だと中国は見ている 。その金を北朝鮮のインフラ整備や農業改革にあてれば、北朝鮮の地下資源がほしい中国にも大きなメリットである。鉱山を採掘したくても電気が来ない北朝鮮ではどうしようもない。鉄鉱石を中国に運びたくても道路も港も日本の植民地時代のものを使っている北朝鮮である。
中国の考える北朝鮮の改革開放体制は、これまでの鎖国状態を解体させるであろう。これはわれわれ日本国民にとっても新たな展望を開く。
日本はこの機会を逃すべきではない。北朝鮮が改革開放に進むなら、そして拉致問題、在日朝鮮人帰国者(1960年代に地上の楽園に帰ろうという虚偽宣伝で北朝鮮に移住した在日朝鮮人と日本人妻10万人)問題を解決するなら国交正常化も経済支援もすると約束し彼らをその早期解決に誘導することだ。

   究極のカードを切るアメリカ

アメリカは今年(2008年)10月に北朝鮮の「テロ支援国」指定を解除した。それ自体が目的ではない。米朝国交正常化が目的なのだ。「テロ支援国」の烙印があると国交ができない。「テロ支援国」のままでは国交どころか世界銀行への加盟など国際社会の仲間として迎えることもできない。解除は国交正常化へのステップなのだ。
 ではなぜアメリカは北朝鮮と国交を結ぶのか。朝鮮半島でアメリカの権益を失いたくないからである。このまま何もしないでいると北朝鮮は中国の事実上の属国となる。アメリカの入り込む余地はなくなる。
北朝鮮も中国なしでは生きられないが、中国が嫌いである。そのためアメリカを引き寄せて中国を牽制しようとアメリカに秋波を送り続けてきた。北朝鮮は朝鮮半島の分断の元凶は米軍の韓国駐留にあると叫んできたが金正日になって親米に変わったとこれまでも言われてきた。たとえば『南北首脳会談への道――林東源回顧録』(岩波書店 27〜28ページ)には次の記述がある。金正日は1992年に腹心の幹部をアメリカに派遣して、在韓米軍は朝鮮半島の平和維持部隊として容認するとの見解を伝えたという。アメリカにとってもこれは悪い話ではない。中国を牽制するためにアメリカは米朝国交正常化をして平壌に大使館を置きたい。
だが米朝国交正常化には、もう一つの壁を乗り越えねばならない。朝鮮戦争の終結が必要だ。いまなお朝鮮戦争は一時休戦中で、完全な終戦ではないからだ。終戦するには休戦協定の署名国である米、中、北朝鮮の合意が必要。北朝鮮は以前から終戦にしたいと主張してきた。中国も問題ない。米がその気になれば解決する。これらの壁を乗り越えてようやく米朝国交正常化となる。米朝の思惑が一致して半世紀以上続いた双方の敵対関係は清算の方向へと動き出した。アメリカがもつ朝鮮戦争終結カードを切り始めたわけだ。究極のカードである。
 朝鮮半島が平和的な環境になれば金日成・金正日親子の独裁体制は大きく変質する。これは拉致解決と帰国者問題解決にも良い展望を開く。
朝鮮半島が平和的な環境になれば金日成・金正日親子の独裁体制は大きく変質する。これは拉致解決と帰国者問題解決にも良い展望を開く。
 多数の拉致被害者を抱えた日本が、アメリカによる「テロ支援国」指定解除や米朝国交正常化を歓迎するのは矛盾ではないかとの声もある。われわれ日本人としてはアメリ 
カがもっと頑張って北朝鮮を追いつめてほしいとの願望がある。北朝鮮からの脱北者は
アメリカが北朝鮮を爆撃してほしいという人も少なくない。だがアメリカは自分の国益のために動くのであって、正義や人道や他国の頼みで動くのでは決してない。それを冷厳に受け止めて日本は日本の国益のために動くべきだ。アメリカの裏切りと中国の支配力の増大という変化した環境で日本の役割も増大しているし、いっそうの独自色を出さねばならない時にきた。

   日本の役割の増大

日本は北朝鮮の「テロ国家」指定解除を受け入れることはできない。拉致はテロそのものだ。拉致犠牲者は政府認定で20人近い。特定失踪者調査会の調べでは拉致可能性が濃厚な人を68人と発表している。一説には500人前後という数字もある。私はこの方が実際に近いとみる。これら日本人同胞が北朝鮮で奴隷の立場に置かれていて何がテロ国家ではないといえるのか。
アメリカがこれまでの約束を投げ捨て、国益にそって指定解除するのは勝手だが、日本は断固としてテロ国家北朝鮮と認定しなければならない。独自でテロ国家の指定をすること、さらなる制裁を加えることである。アメリカ頼み、よその国頼みではなく、独自外交に進むことだ。拉致と在日朝鮮人帰国者問題を解決するなら、国交正常化も経済支援もすると主張しながら、北朝鮮に解決を促すことである。
 中国主導の改革開放や、米朝国交正常化で有利な条件が生まれるといって、日本がただ外国頼みでは取れるものも取れない。
自国の立場を主張するだけではバスに乗り遅れるとか、日本だけがカヤの外に置かれるという意見がある。こういう主体性のない小賢しい意見が、拉致問題の解決を遅らせてきたのだ。バスに乗り遅れることも、カヤの外も心配いらない。なぜならば、中国主導の改革開放も米朝国交正常化も、金なしには進まない。その金の出所は日本である。3兆円とも6兆円ともいわれる金を中国も米国も出すつもりはないし、出す力もない。日本しか負担できない。
 であるなら日本は大手を振ってこの問題を推進すべきである。アメリカが日本を裏切って北朝鮮と友好を楽しむのも良い。だが、日本はいまの段階ではそれはできない。6カ国協議はアメリカと中国の思惑による仲よしクラブであり、核問題も拉致問題も解決するものではなかった。こんなものに加わっていて何がいったい進展したのか。北京五輪成功のために朝鮮半島の平安を願う中国が一番熱心だった。
いま、核にしがみつくしかない金正日の終焉が迫るなか、中国にとって6カ国協議の有用性も薄まってくる。日本が独自外交を展開できる領域が広まったといえる。
 中国による北朝鮮の体制変化と、米朝国交正常化の推移を見つめつつも日本は北朝鮮の独裁体制と断固として対決し、拉致犠牲者を取り戻し、拘禁されている在日朝鮮人帰国者・日本人妻を取り戻さなければならない。

   政府は頼りになるか

 拉致は国家犯罪である以上国家が前面に出て動かねばならない 。しかしその国家が見て見ぬふりをし続けてきた以上、国民の力で推進するしかない。かつて小泉元首相が2002年9月に平壌に飛んで金正日と会見し5人の被害者を取り返し、その家族を日本に連れ戻したことをあげて、あたかも政府の役割の大きさをいう人もいる。まったくの錯覚である。それは列車が走ると外の景色、山や建物が動いているかに見える。目の錯覚にすぎない。それと似ている。
 小泉元首相が平壌に行ったのは、2001年1月に北朝鮮からの密使が当時の森首相のところにきて、拉致をすべて解決するから森首相に平壌に来てほしいと要請があったからである。森氏は“神の国“発言など失言多発で失脚したため次の小泉首相にお鉢が回ってきたにすぎない。金正日が拉致を自白したのは、ブッシュ政権登場に怯えた北朝鮮が日本にすり寄ってきたのである。拉致をえさにすれば日本は食いついてくると金正日はみた。日本と国交正常化すればアメリカの攻撃からも逃れられる。多額の経済協力資金が取れ窮地を脱せられるとみたのである。
当時日本は拉致が国民的課題となっていた。そうした状況をだれがつくったのか。拉致被害者家族会の努力をはじめ国民の立ち上がりである。日本政府が主導したのではない。まして小泉氏の力ではさらさらない。
 政治はこの国民の高まりを利用しただけである。運動があって政治が動くのである。この因果関係をよく理解して運動を進めることが大事だ。政治家には立派な人もいるが有象無象も少なくない。 国民の運動こそが政治を動かしてきたことを拉致関係者はじめすべての運動参加者は肝に銘じてもう一度原点に戻り、新しい状況を乗りこえていこうではないか。
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野口孝行氏 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

大阪ブルーリボンの会結成5周年講演会に寄せて
 北朝鮮難民救援基金  野口孝行

 北朝鮮をめぐる状況をどうにか変えていきたい――。多くの人たちが抱いている思いではないでしょうか。私たち北朝鮮難民救援基金も、同じような思いを感じながらこれまで活動を続けてきました。
 日本人を含む外国人拉致被害者の人権だけでなく、自国民の人権さえも認めないのが現在の北朝鮮です。北朝鮮が元凶となっている問題については、すでに多くの人が見聞きしている通りです。そして、それらたくさんの問題の中でも、特に私たちが懸念しているのが、北朝鮮難民をターゲットにした人身売買の問題です。そこで以下のスペースでは、この問題に焦点を絞って述べていきたいと思います。
人身売買の犠牲者の数は、中国において正式な調査をすることができないためもあり、正確な数は分かっていません。しかしその数は、脱北者の70%に及ぶと私たちは推定しています。ちなみに、基金のシェルターが存在する中国東北部の各村で調査したところ、村民の10〜20%が北朝鮮人女性であり、彼女たちはこれらの村々の男たちに売られてきた人たちであることが分かっています。
女性脱北者のうち、少なくとも半分は出産適齢期の女性です。また、漢民族と朝鮮民族との間に生まれた子供たちの数は3万〜3万5000人におよぶと推定され、その殆どの子供たちは戸籍を持っていません。
 私たちが出会った人身売買の犠牲者のなかには、8歳という幼さで人身売買の標的にされたという少女もいました。吉林省和龍市の朝鮮族の家庭に買われた彼女は、14歳になると1500元で漢族の男に売られたそうです。その後、19歳の時に子供を産むと、再びブローカーを介して別の男に売られていきました。
残念ながら、現在、彼女の行方は分かっていません。このように、一度売られた少女たちが、出産後に再び売られるケースが多発しているのです。
 女性たちの値段は様々です。通常20歳までなら5000〜1万元(約7万5000〜15万円)が相場です。30歳までなら3000〜5000元、子持ちの40歳までなら2000〜2500元、そして、子供たちは500〜1000元で売られていきます。
買い手のなかには、安値で少女たちの仕入れ≠し、その後年ごろになると高値で売り払うといった商売≠している人間が存在します。彼らは北朝鮮の女たちを家畜同然に扱い、右から左に売りさばくことで金儲けをしているのです。
今年は事情が変化しました。女性の値段が上がり、20代の女性が2万元で売買されるようになったのです。その理由は、脱北女性の減少にあります。8月の北京オリンピックのために取締りが厳しくなったことに加え、生命の危険をもたらす強制送還を恐れ、北朝鮮人女性たちが脱北をためらう傾向が出てきたことが脱北女性の数の減少につながりました。
 そもそも、北朝鮮人女性の取引が始まったのは1985年ころのことです。当時はまだ組織的な人身売買は行われていませんでした。通常の方法では結婚できない農村部の中国男性とのお見合いという形で、ブローカーたちが取り仕切り、中国政府もこれを歓迎したため、逮捕および強制送還ということはありませんでした。
ところが、中国の開放経済政策から取り残された中国北東部の3省からは、若い女性たちが中国南部の経済圏、日本、および韓国へと出稼ぎに出て行くようになりました。こうして農村部の女性人口が減少したため、北朝鮮の女性に対する需要が増大したのです。中国人女性の代役として、若い北朝鮮女性の役割が増し、ブローカーたちがこの状況を利用しようと組織的に商売をするようになっていきました。
 2000年ごろからは、北朝鮮人女性の人身売買はさらに深刻なものになります。より多くの女性が命がけで中国に脱出し、ブローカーの手に落ちていったのです。それを裏付けるように、当時、私どものシェルターの担当者たちは、人身売買の犠牲になった脱北女性たちに関するレポートを数多く送ってくるようになりました。
 時間の経過と共に、中国の警察は北朝鮮国家安全保衛部と密かに連絡を取り合い、農村部の中国人男性と違法に結婚しているこれらの女性を逮捕し、北朝鮮へ強制送還し始めます。中国では、北朝鮮女性との間に生まれた子供には戸籍が与えられないため、女性が北朝鮮に送り返された場合、子供は孤児になります。こうした子供たちは、通常、部屋と食事のかわりに牛の世話をしたり、耕作の手助けをして生き残っていくしか道がありません。
北朝鮮人女性が産み、中国人に売られていった子供たちの将来は寒々しいものです。自分の国も親も選ぶこともできません。子供たちは無国籍であり、北朝鮮人でも中国人でもありません。教育を受ける権利もその他の権利もありません。彼らの人権は認められず、ただの不法滞在者と見なされます。こうして彼らは、極度の貧困の中で徐々に弱っていくのです。
 昨年の初頭のことになりますが、5歳になるキム・ヨンソンという女の子の母親が逮捕され、北朝鮮に強制送還されてしまいました。母親の罪は、北朝鮮国内での飢餓から脱出し、生存する術を求めて中国に来たということのみでした。
 キム・ヨンソンの母親は、6年前に北朝鮮を脱出すると中国人の男性に売られ、強制結婚の後、すぐに妊娠させられました。こうして生まれてきたのがキム・ヨンソンです。この子は現在、基金の里親制度の保護下で生活を送っています。
ヨンソンの母親が北朝鮮に送還されるのはこれで3回目でした。母親は自分の祖国によって、これまで以上の厳罰に処せられたはずです。私たちは、ヨンソンの母親が再び北朝鮮から中国に逃げてくることはないだろうと思っています。
こうした悲劇は、日本海のすぐ向こう側である中国と北朝鮮の国境地帯で頻繁に起きています。私たちは、このような悲劇を一つでも減らしたいという思いから活動を続けていますが、残念ながら劇的に減らすことはできていません。ですが、今後もあきらめることなく活動を続けていくつもりです。
拉致の問題も北朝鮮難民の問題も、それを生じさせたものは北朝鮮の金政権です。この政権が、他国の一般市民の人権を踏みにじっているだけでなく、自国民の人権さえも蹂躙しています。
では、金政権によるこうした悪辣な行為を一刻も早く止めさせるために、私たちには何ができるのでしょうか。それは、一人ひとりが想像力を働かし、自分たちの強い意志を北朝鮮に示すことではないでしょうか。
自分の息子や娘がある日突然外国に拉致されてしまったら……。自分の妻や妹が人身売買の対象となり、家畜のように扱われたら……。こうしたことを今一度みんなが真剣に考え、その残酷さを改めて想像してみる必要があると思います。そうした上で、朝鮮をめぐる状況を変えるのだという強い意志を再び示すのです。
肝心なことは、外国に頼ることを考えるのではなく、これらの問題は自分たちの問題であると実感し、自らの強い意志を北朝鮮に突きつけることです。私たち自身の信念に基づいた行動があってこそ、結果的に北朝鮮が犯している誤りを正していくことになると信じます。すべての私たちの力を結集し、必ずや問題を解決していきましょう。
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2008年12月13日

加藤タキさん 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

ブルーリボンに心を寄せて
               コーディネーター  加藤 タキ
                       2008年11月3日

   今、私は夢を見ているようです。
   人々の心、山、川、谷、
   みんな温かく  美しく見えます。
   空も  土地も  木も  私にささやく。
   『お帰りなさい、頑張ってきたね』。
   『お帰りなさい、頑張ってきたね』。
   だから、私もうれしそうに
   『帰ってきました。ありがとう』と、元気で話します。

 2002年10月、曽我ひとみさんが、蓮池さん夫妻や地村さん夫妻と一緒に北朝鮮から帰国されたとき、故郷の新潟にもどる列車の中でこの詩を書かれました。新聞に載っていたひとみさんの素直なこの気持ちを読んだとき、私はふるえました。涙がとまりませんでした。
 そして、小泉首相訪朝の報道にふれるまで、拉致という北朝鮮による国家犯罪の被害にあい、私たちの想像をはるかに超えた理不尽極まりない苦しい人生を何十年と歩まされている方々、そのご家族が日本をはじめ12カ国にもおよび大勢いらっしゃるという現実を、私はほとんど何も知らなかったことに対して、本当に申し訳なかったと心の中でお詫びしました。
 以来、拉致問題に関する新聞記事を切り抜いてはできるかぎりファイルしていますが、蓮池さん、地村さん、曽我さんのご家族が無事に帰って来られた以外は、何ひとつ進展がないまま年月だけが過ぎ去っている……。
 どんなにかつらい毎日でしょう、苦しいでしょう。悔しいでしょう。
 拉致問題が全面解決するまで国交正常化はあり得ないし、一切の経済援助はしないという日本政府の方針を堅持するのは当然です。
  政府も努力はしているのでしょうが、“何がなんでも、被害にあわれている方々を早期に無事取り戻す、元気な姿で返しなさい”という強い信念、行動の姿が伝わってこないので、真にイライラします。
 それなのに、私は非力で何にもできない。ただただ毎朝、両親の位牌に手を合わせるとき、毎晩寝る前に神さま、仏さまにご挨拶をするとき、被害にあわれている皆さま方の一日も早いご無事の帰国とお幸せを祈るばかりです。
 今日も、横田ご夫妻の1800人を前にした講演模様とめぐみさんが生まれ育った場所を訪ね歩いていらっしゃるお姿が報道されました。さけびたいだろうその気持ちを心の奥底にぐっと押さえこみ、きっと近い将来めぐみさんが必ず元気に戻っていらっしゃることを信じているからこその毅然としたご夫妻でした。
 家族会の皆さま、どうかどうか頑張ってください。私も、ブルーリボンに託して、皆さまに心を寄せる大勢の仲間たちの願いが必ず叶うことを信じています。祈り続けます。
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2008年12月12日

飯塚繁雄さん 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

「人権とは何ですか」
北朝鮮に拉致された被害者家族連絡会 代表 飯塚繁雄

私達はこの「人権」という言葉の意味と認識について、はっきりした定義が持てない状況下におかれています。
私などの素人の考えでは、ごく平凡な家庭にあって「安全な環境に暮らせる権利」と理解をしています、多くの国民はこのことをあまり意識せず生活を営んでいると思います、その権利は当たり前でごく自然な形で浸透しているからでしょう、いまやこの人権が取りざたされているのは、国の内外ともあらゆる事件、犯罪がはびこり、自らの安全を自らが守るしかない状況下になっているかもしれません。
しかしこれは実際には難しいことでしょう、人権が強制的に侵される場合は、やはり国として、そうならない対策を強力に打ち出し、またそうなった場合は現状回復を早期にはかるべきです。
ここで難しい問題は、国家犯罪による人権の剥奪です、解決には国と国の交渉、闘いになるからです、まさに北朝鮮による日本人拉致が最たるものです、この北朝鮮による拉致は、全く罪もない一般の人々を強引に誘拐してしまうという、まさに人権蹂躙そのものです。
この拉致問題は30数年前から実存し、すでに数百人の被害者がいるといわれています、私たちその被害者家族は1997年3月25日に愛しい家族の奪還のため被害者家族連絡会を立ち上げ、救出活動を始めました。
活動を始めてすでに11年余になってしまいました、この間に5人の被害者が帰ってこられましたが、残る被害者の帰国が全く果たせず、今に至りました。
どうしてこんなに長い間かかっても解決出来ないのでしょう、日本国家として自国の国民の危機に、取り返す意欲とその対応がなかったからでしょう。

ここで北朝鮮による拉致の実態と、これまでの被害者救出の活動の経過について述べておきます、それぞれの拉致被害者家族の状況はさまざまですが、私の妹「田口八重子」は1978年6月に、1歳と2歳の幼子を残し東京の池袋から、北の工作員にだまされ連れ出され、そのまま拉致されてしまったのです、当時妹は22歳で二人の子を育てるために、一生懸命頑張っていたのです、罪もない母子家庭を無残にも引き裂いてしまったのです。
妹は当時22歳、今では52歳になっているはずです、人生の一番大切な期間を北朝鮮に略奪され、過酷な生活を強いられています、そして残された二人の子供たちは、実の母親の愛情にふれられず、私たち兄姉の養子として育てられることになってしまったのです。
幸いにもその子らは養子であること、母親が北朝鮮に拉致されていることも知らず、立派な成人に育ちました。長男の耕一郎には成人してから、これらの事をすべてうちあけましたが、その二つもの大きな事実を知らされ、大変なショックと、どうしょうもない苦悩がのしかかりました、彼はもう31歳にもなり分別がつけられる歳になっておりますが、それでも未だに母親の実感がつかめず、心からお母さんと呼べない心境です。
妹が拉致されてからもう30年、この間帰国を待ちわびていた八重子の母親、そして八重子の長女を育てた義父、さらにいつも気遣っていた私の義母も、八重子に会えることもなくこの世を去りました。
おそらく他の被害者家族も、いろいろな悲劇がこの長い間に現実として起こっていると思います。
北朝鮮はこういった非人間的な犯罪行為を何の罪悪感もなく、当たり前のようにおこなっています、私たちはこの人道を無視し冷酷な犯罪行為に対し、強い憤りを表しています。
これら日本人拉致の実態は、相当前から日本政府、警察も認識していたはずです、その当時の状況から被害者を無視した表向きの外交が重視され、まさに国民の暮らしと安全を守る、基本的な取り組みが軽視されていたと思われます、おおくの被害者とその家族にとって、ほんとうに残念極まりないことです。
この拉致問題は私達被害者家族と、これをサポートする団体の救出活動により、6〜7年前からようやく国民の理解と支援も高まり、国の最重要課題と位置づけられるようになってきました。しかしながら今日現在具体的な進展が見られず、先が不透明な状況が続いております。
この問題をとりまく状況はめまぐるしく変化をしております、あらゆる情報から一喜一憂する場面もありますが、不利な状況が目立ちます、それは北朝鮮にとって有利な環境下になりうる状況です。米国が北のテロ支援国家指定を解除する、そしてブッシュ政権が終わりになる、対北融和政権になる、日本でも総理大臣がちょくちょく変わる、また総選挙にでもなれば政権が代わるかもしれない、ある期間拉致問題が隅に追いやられることが懸念される。
救いは安倍前総理が打ち出した対北政策が今も踏襲され、麻生総理もそれに則った政策を出していることです、不誠実な北の対応に対し追加制裁をの声も出始めました。
私はこの問題の解決は日本政府がしっかりしたイニシアチブをとり、北朝鮮に当たることが必須手段と考えます、他国の支援はあれば少しは有利でしょうが主力は日本政府です。
その日本政府がまた腰砕けにならないよう、各種対応については一体的に協力していく場面とともに、或るときには強い要請、お願いをしていきます。
私達被害者家族はもとより、全国の国民の皆様、救う会と他のボランテア団体そして中央、地方の拉致議連の先生方、さらには各自治体の皆様と共に早期解決に向け更なる活動を展開してゆきたいと思います。
あまりにも永い間人権を略奪されている多くの被害者が、人権回復を待ち望んでいます。そして、それを待っている私たち家族はタラップの下で、愛しい家族が抱き合う姿が脳裏に焼き付いています。
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2008年12月11日

小川晴久氏 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

人権に対する彼らの態度の矛盾をつかみ、それをつきつけていくこと   
             二松学舎大学教授 北朝鮮人権活動家 小川 晴久


 私は、今から45年前の学生時代に北朝鮮(北朝鮮民主主義人民共和国)を支援し、学恩を受けた世代の一人です。1970年代前半に主体(チュチェ)思想に幻滅して北朝鮮に対する関心を失くし、1978年一年韓国に留学しました。1993年8月なって帰国者家族の証言を聞いて、始めて北朝鮮の山の中に恐ろしい強制収容所がある事を知って、ショックを受け、1994年2月から「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」で、今年の4月からはNO FENCE(北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会)で、主に北朝鮮の山の中の強制収容所をなくすための人権活動をしてまいりました。この実践に立って「拉致問題解決のために」以下の事を申し上げたいと思います。

一、北朝鮮は自国民をも大量に山の中の強制収容所に拉致していること

  このことは9歳から19歳まで強制収容所に入れられていた姜哲煥氏が、日本での講演で述べたことで、とても印象に残りました。
 北朝鮮には教化所という名の刑務所があります。北朝鮮の刑法には犯罪が明記され、それを犯した者は裁判をへて教化所に入れられることが記されています。しかし、北朝鮮の山の中には管理所(農場)という名の巨大な強制収容所が6ヶ所ありますが、北朝鮮当局は一貫してそれを否認しています。金正日はそれが外部に漏れると父親金日成の権威が落ちるとして、徹底して隠し続けてきました。
 ここは反革命分子とみなされたものが、その家族を含めて、裁判もなしにある日突然放り込まれる所です。家族ぐるみと言うのは反革命分子は三代にわたってその血を絶やせという金日成の教示に基づくものです。ある日突然ある一家が消えるのです。つまり一般社会から山の中の強制収容所へ拉致されるのです。今まで15万〜20万人と推定されてきましたが、最近では20万〜30万人と推定されています。収容所の中には誰がいるのか外部からは全くわかりません。文通も面会も一切許されていません。完全に外部から遮断されています。これを拉致と言わずして何というのでしょうか。
 北朝鮮という国は外国人のみならず、自国民の1%を拉致して強制労働(奴隷労働)させている国(しかも全く秘密裏に)であることを知る必要があります。

二、北朝鮮当局は人権を無視している

 姜哲煥氏と一緒に北朝鮮を脱出した、同じく収容所体験者である安赫氏(共著『北朝鮮脱出』文春文庫上下)は、日本での講演の際、北では人権(インクォン)という言葉を聞いたことがなかったと言って私たちを驚かせました。人券(インクォン)のことで食券のことかと思ったというのです。私は不思議に思いました。北朝鮮の現憲法にも第67条には言論、出版、集会、示威、結社の自由が明記されています。第79条には「人身及び住宅の不可侵、信書の秘密は保障される」とあります。また現行の刑事訴訟法の第5条にも「国家は刑事事件の取扱処理では人権を徹底して保障するようにする」と明記されています。
 1981年9月には世界人権宣言を具体化した二つの国際人権規約(A社会権規約とB自由権規約)に韓国よりも早く加盟しているのです。
 しかるに人権という言葉を聞いたことがないと脱北亡命者たちが一様に言うのはなぜでしょうか。答は一つ。憲法教育、人権教育が全く行われていないという以外ありません。これま全く驚くべきことですが、金日成が1990年5月24日、「帝国主義者たちは民主主義と人権擁護を、我が社会主義を瓦解させる戦略としている」と演説していたことを知るとき、この問題は氷解します。金日成のこの考え方は最近出た『我が党の先軍政治』(朝鮮労働党中央委員会党歴史研究所篇、2006年平壌)の次の指摘にも受けつがれています。「米国は国連と現存国際法のような国際機構と国際法規も、米国の利益のためにのみ必要だと考えていて、世界を思うままにする手段として利用している。」(28頁)
 ここにいう国際法規のなかに北朝鮮が自ら批准している国際人権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約)も入っています。 
 金日成が「人権擁護」の主張を自国の体制を瓦解させる西側の戦略だと指摘した以上、人権を敵視してきたことは明白です。憲法に明記してありながら、それを守る意思がないのは、このような敵視観が根底にあるためです。拉致問題に取り組む人たちは、ここをしっかり認識することです。ここが北朝鮮当局の最大の弱点、弱みでもある所です。
 国連という国際社会の中では、また対外的に国際基準である人権を一応は尊重する態度を示す、しかし、内部に向かっては人権敵視を公然と表明し、およそ人権というものを守ろうとしない。この矛盾を国際社会は、日本政府は、拉致問題に取り組む人々は、絶えず追及していく必要があります。あなたたちにとって憲法が国内の最高法規ではないのかと。憲法教育はどのように行われているのかと。国民は憲法や自国が批准している国際人権規約にアクセスする権利、知る権利があるのかと。1999年12月25日付で北朝鮮が国連人権委員会に提出した前記自由権規約の第二回報告書に、国際人権法規が朝鮮語に翻訳し、各級機関に置いてあると述べていますが、その査察が必要です。本当に実行しているか否かの。

三、人間のクズという考えを批判すべき

 上に見たように北朝鮮当局が人権を守る姿勢にないことは、悲しいことです。否、悲しがっているのではなく、怒らなければならない態度です。北朝鮮当局が人権というものをまったく理解していないのは、「社会政治的生命体」論(チュチェ思想の根幹)に基づいて、社会政治的生命を失った者は人間のクズである、彼らの人権は適用されないと言っている所に見てとれます。金日成や金正日の指導を認めなかったり、それを批判した者は社会政治生命を失った者とみなされ、彼とその家族は裁判もなしに山の中の収容所に送られ、一切の人権が剥奪される扱いを受けます。人間のクズだから人権は保障されないと言うのが彼らの言い分です。
 「社会主義社会では、反革命分子達について言えば、その者達は徹頭徹尾人民の利益に反した反逆者、売国奴達であり、人権を蹂躙した人間のクズどもだ。こんな者に人権という言葉は当たらない」「社会主義人権は社会主義に反対する敵対分子達と、人民の利益を侵害する不純分子達にまで自由と権利を与える超階級的な人権ではない。」(「真の人権を擁護して」署名入り論文、1995年6月24日労働新聞、『生命と人権』第5号1997年秋号所載)
 「人権を蹂躙した人間のクズども」という指摘は、全く奇妙な、人権というものの無理解を示すものです。「人間のクズ」といういい方自体が人間の否定であり、人権の否定です。人間のクズだから人権を適用しなくてよいという収容所の中での非人間的扱いは、外に出したら金日成の威信が失墜するほどのひどい扱いになるわけです。
 しかし、北朝鮮が1981年9月に加盟した市民的および政治的権利に関する国際規約(前記B契約)は、第10条で、自由を奪われた者(つまり囚人)も人間の尊厳は保障されなければならないと言っています。上記の考えは完全にこれに反しています。考えてみると、この10条はとても重要な規定です。これでこそ人権の思想です。もし囚人なのだから、人間の尊厳は守られなくてよいと言うことになったら、刑務所や強制収容所での人の取扱いは何をしてもよいことになります。金日成や金正日が強制収容所を秘密にしておかなければならないと考えたのは人権に反することをやっていることを自覚しているからです。
 ここまで来てはっきりするのは、北朝鮮の為政者にとって一番の弱みは、強制収容所の中身が知られることです。その中身が知られると、彼らの人権に対する態度の矛盾が白日の下に明らかになります。いかに彼らが人権は超階級的な概念でないと言いはろうと、金日成の威信が落ちると考えていること自体、人権が超階級的なものであることを立証しています。自分がやられたら悲鳴を上げる収容所でのひどい取扱いを白日の下に引き出し、あなたたちやあなたたちの家族が同じような扱いを受けることを本当に認めるのかと迫っていく必要があります。

四、拉致問題の解決の方法

 拉致問題の解決もこのような方法で迫っていくしかないと思います。まず彼らの人権に対する態度の矛盾をしっかりつかむことです。憲法にも刑事訴訟法にも人権の既定があります。国際人権規約や子供の権利条約や女性差別反対の国際条約に北は加入しています。これらをまず確認し、人間のクズという考えを彼らが撤回しなくても「人間のクズ」にも人権があり、適用されると考えることが人権の思想であることを彼らに公然と主張し、それでも態度を改めないときは、強制収容所の実態を暴露し、彼らにつきつけることです。この実態は今や百%に近い所まで体験者の証言で明らかにされています。拉致の解決を望む人たちは体験者の手記を一種類でも読んでおかないと、残念ながら解決を早めることが出来ないと思います。
 以上のことを提言いたします。

なお、NO FENNCEのホームページをみて頂けると幸甚です。
http://nofence.netlive.ne.jp
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2008年12月06日

平松邦夫大阪市長 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

メッセージ    大阪市長 平松 邦夫

 大阪ブルーリボンの会結成5周年講演会の開催にあたり、ご挨拶申し上げます。
 皆様ご承知のとおり、平成14年9月、平壌で行われた日朝首脳会議で、北朝鮮側が長年否定していた日本人の拉致を初めて認め、謝罪し、再発の防止を約束しました。現在、日本政府は17名の日本人を北朝鮮による拉致被害者と認定しており、そのうち5名の方々については、同年10月に24年ぶりの帰国が実現しました。しかしながら、他の安否不明の方々については、北朝鮮側が、直ちに真相究明のための徹底した調査を再開する旨、明言したにもかかわらず、納得の行く説明がない状態が続きました。
 本年6月の日朝実務者協議において、ようやく、北朝鮮側から、拉致問題の再調査を行う旨が表明され、8月の同協議では調査目的と具体的な態様について合意がなされましたが、その後具体的な進捗はなく、拉致問題の解決は依然として厳しい状況であります。
 この間の家族会の皆様のご心痛やご苦労に思いを馳せますと、まさに胸をしめつけられる思いがいたします。
 言うまでもなく、拉致問題は国家主権及び国民の生命と安全に関わる重大な問題であり、その解決なくして北朝鮮との国交正常化はあり得ません。
 こうした中、国際問題と安全保障問題の専門家である青山繁晴氏が、北朝鮮による拉致問題について、最新の情勢を含めてご講演されるとともに、横田早紀江さん有本嘉代子さんをゲストにお迎えしてご家族の思いを共有する機会を設け、広く市民にメッセージを発信されますことは誠に意義深く、開催に力を尽くされました大阪ブルーリボンの会の皆様方に深く敬意を表します。
 大阪市におきましても、国際社会の平和と発展への貢献を誓い、世界の多くの都市と相互の交流を深め、国際的な友好親善の進展に努めるとともに、拉致問題に対する市民の理解が一層深められるよう、市政だよりやホームページなどを通じて情報発信を行っております。また、12月10日から16日の北朝鮮人権侵害問題啓発週間に予定されている全国的な啓発活動など、北朝鮮による拉致問題の早期解決に向けた政府の取り組みにも協力してまいりますので、本日ご参加の皆様方におかれましても、引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。
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橋下徹大阪府知事 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

メッセージ  大阪府知事 橋下 徹

 大阪ブルーリボンの会結成5周年講演会「青山繁晴氏が語る拉致問題」の開催にあたりご挨拶申し上げます。
 平成14年9月の平壌での日朝首脳会談から早くも6年余りが経過いたしました。
この間、ご家族や関係団体の皆様の熱心な活動にもかかわらず、未だ北朝鮮からは、拉致問題について納得できるような説明はありません。
 また、本年6月には、日朝実務者協議において、北朝鮮側より拉致問題の再調査を行う旨の表明があり、同年8月の合意に基づき、 今後、北朝鮮側が拉致問題の解決に向け生存者を発見し帰国させるための全面的な調査を行うこととなりましたが、先行きは不透明な状況です。
 数十年に及ぶ北朝鮮での生活を余儀なくされている拉致被害者の方々の苦しみや憤り、そして、そのかけがえのない人と逢える日を一日千秋の思いで待ち、寝食を忘れ日夜、救出活動に尽力されている御家族のご苦労やご心痛を察しますとき、胸が締め付けられる思いがいたします。
 拉致問題は、人間の尊厳、人権及び基本的自由の重大かつ明白な侵害であり、国連人権委員会においても、平成15年から3年連続で採択された「北朝鮮の人権状況」決議において、外国人の拉致に関する未解決の問題の緊急な解決を求めています。また、平成17年12月には、初めて国連総会本会議で北朝鮮による拉致を重大な人権侵害として深刻な懸念を表明する決議が採択されました。同決議は、その後3年連続で賛成多数により採択され、拉致被害者の即時帰国を含め、問題を早急に解決する事を強く要求する内容も盛り込まれるなど、世界の多くの国々においてこの問題についての理解は深まっています。
 本府においても、こうした動きに呼応して、毎年12月の「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」を中心に、拉致問題について府民に周知・広報を行うとともに、大阪法務局ととも連携し啓発活動などを実施しているところです。
 拉致問題の解決が国際社会を挙げて取り組むべき課題とされる中、この問題を一人でも多くの府民に正確に知ってもらうことが重要であり、本講演会を通じて多くの方々に関心と認識を深めていただくことは大変意義深いことです。
 皆様の熱い思いが一つとなり、拉致問題の解決と、全ての被害者の方々が、ご家族とともに安心して過ごせる日が一日も早く実現することを心から願い、メッセージとさせていただきます。
posted by ぴろん at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする