2008年12月21日

荒木和博氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★荒木和博特定失踪者問題調査会代表

どうも、荒木でございます。
今日は長時間皆さん本当に有難うございます。

空中戦、あのバルーンプロジェクトは今、今日増元さんご夫妻もお見えですが家族会と今は一緒と言う形で、要は資金的にご支援を頂いて、そしてこちらでいろんな事をやりながら飛ばしております。
ただ、最近いろいろニュースが出ておりますように、北朝鮮が物凄く敏感になっておりまして、韓国政府ももう「やらないでくれ、やらないでくれ」という事をずいぶん各NGOに言っております。
現在バルーンは3つくらいのNGOがやっておりまして、我々が一緒にやっておりますキリスト北韓人連合と言う団体は、普段テレビに出ているのとは違う団体です。

あれはパフォーマンスでやってしまうとですね。
実際には風船上げたけれど飛んでいかないという事もありまして、キリスト北韓人連合の方々は余り見えないところで飛ばしております。
この間、西海岸でビラが落っこってですね。
軍隊を大慌てで動員したというのは、我々と一緒にやっている方の団体のビラでございまして、ちょっと前に北朝鮮にすぐ近いハクリョウ島まで行って、ビラを飛ばしてもらっています。
今後もこれは協力をして一緒にやっていこうというふうに思っている次第でございます。

我々のビラは10センチ角くらいの小さなビラなんですが、向こうのビラは大きなA3くらいのビラで両面刷りのビニールのものを飛ばしておりまして、この中にも拉致被害者あるいは帰国者などの問題が一緒に書いてございます。
調査会の連絡先なども書いて頂いております。
これを何とか効果が上がるようにしていきたいと。

「しおかぜ」は隣の部屋でずっと収録も続けておりましたが、一時期報道でですね。
金が無くて時間が短縮になりそうだとか、そういうのが流れまして、そのお陰でいろいろ助けていただいてですね。
何とか当分の間は1時間の放送は続けられるという事でやっております。
現在朝鮮語・英語・中国語・日本語という事でですね。
隣の部屋にありますメッセージとか、あるいはその時その時の拉致問題のニュースを流しているという事でございます。

この放送とビラに併せまして、北朝鮮からの内部情報の収集の活動をひとまとめにして「しおかぜプロジェクト」というふうに言っておりますが、この活動を更に我々としては強力にやってまいりたいと。
ただ、情報収集は中々表に出せる部分が少ないんですけども、これはまさに今日ご一緒にやっているほかの団体の皆さんにもご協力頂いていることでございまして、これは連携をとりながらですね。
今後ともやってまいりたいと思っているところでございます。

実は空中戦と言う意味で言いますと、もうひとつプランがあるんですが、これはまだ申し上げられる状態になっておりませんけども、更にドギツイ奴がもう一つありまして、上手く行けば来年くらいに実現できるかもしれないと。
ただ、これはちょっと金がかかることで、うちの財務大臣であります真鍋副代表がいると怒られますから、いないときにチラチラとそういう事があるとだけ、ちょっとお伝えしておきたいと思います。

それからもう一つ、先ほどの高さんの話とも関係するんですが、やはりですね。
向こうに対してともかくアクションを起こしていくと、いう事が一番大事であると思います。
現在は先ほど松原議員の話にもありましたが、日本政府はずっと経済制裁は続けていくと。
これは世論によってですね。
引き下がらないという形で続けておりますので、これはそのままやって更に強力にやってもらいたいと思います。
その上でバックの下にですね。
今度は北の中にどういうふうに手を突っ込んでいくか?と言う事が問題であろうと思います。

私は去る11月の26日に開城(ケソン)に行ってまいりました。
今は28日で遮断されてしまいましたけども、ソウルからの日帰りの開城観光ツアーがですね。
28日まで行われておりまして、そのツアーで26日、丁度もう終わる間際だったんですが、運よく行って来ることが出来ました。
加藤さん(加藤博氏=北朝鮮難民基金)だと北朝鮮の中で指名手配でお尋ね者なので、おそらく入った途端に捕まってですね。
しめた!と向こうは思うと思うんですけども、私はそれ程大物では無い者でですね。
入っても誰も相手にしてくれませんでした。

入る前にですね。
北朝鮮に入ったら俺は、だから入ろうと思っても入れてくれないか、それとも喜び組みでも動員してですね。
大歓迎してくれるかと思っていたらどっちもございませんでして、入るのも簡単に入れたし喜び組みもおりませんでした。
ガイドやってる女の子で可愛い子はいたんですが、まったくこっちに目も向けてくれなかったということでですね。
本当に私は大物ではなかったんだという事を実感したんですが、その時にですね。
いくつかなるほどな、と思った事がいくつかございます。

これは開城の観光で私が行ったときなんですけど、大型の観光バス8台連ねて行くんですが、途中開城の市内をですね。
市内にいくつも観光地がありますので、そこを通ります。
で、観光バスの通る横のところをですね。
自転車とか歩行者もいるんですが、市民があまり関心なさそうに歩くんです。
これはおそらく「やらせ」の要因で、確かに韓国人と同じようないい物を着ていますので、いい物を着せて歩かせているみたいなんです。
その「やらせ」だと思われる人たちの向こう側にいる人たちは、こっちをじ〜〜っと見ています。

開城の町並みと言うのはですね。
私が韓国に最初に行ったのは1977年なんですが、あのときの韓国よりももっと酷い状態です。
今の日本だったらほとんど廃墟に近い15階建てくらいのアパートとか、そんなのもありましたけども、おそらくエレベーターも何も当然動かないでしょうし窓ガラスも入ってないとかですね。
そんな物もざらにございました。

そういうところの状態の町なんですけども、それでも「韓国からの旅行者を入れてもいい」というふうに北朝鮮が判断したのがそういう町です。
おそらく平壌を別にすれば、かなりいい状態の町なんでしょうけども、それがそれくらいの状態でした。
開城百貨店と言うのがありましたけど、これも全く電気が点いておりません。
人が入っている様子が無かったんです。

ですからそういうようなところに韓国の豪華な観光バスが8台も列を連ねて走って来る。
そこから降りてくる人間は北朝鮮の一般の市民と話は出来ませんけども、遠巻きにすれば見えるんですね。
いい物を着てですね、顔色も良い訳です。
こういう人たちが降りてきて、接触するのは北朝鮮のガイド、それから売店のお姉ちゃんとかですね。
そういう人たちですけども、1週間に1ドルあれば一家族が食える北朝鮮で、ミネラルウォーターが1ドルです。
それを平気でバンバン買っていく。
お土産でも何でも、高いものをものすごく買っていきます。

丁度行ったところに朝鮮語の大辞典と言うのが売ってる本屋がありまして、2冊で112ドルで買ってきたんですね。
それをバスの中に持っていったらばですね。
隣に座っていた北朝鮮のガイドが「これはいくらするんですか?」と聞いてきました。
「2冊で112ドル」と言ってですね。
その次冗談のつもりで「いやぁ、こんな高いものを買っちゃったから、東京に帰ってもう飯が食えませんよ」と言ったらですね。
向こうは全然顔が笑ってなくて引きつってました。
向こうからすれば112ドルのものを平気でポンと買ってきて持ってくるという事自体が、やはり相当にですね。
ショックだったんじゃないだろうか?と。

こういうものをですね、開城観光と言うのは実は去年の11月5日から始めまして、約1年間続きました。
11万7千人行ったそうです。
こういうのを毎日見せ続けられたらどうなるだろうか?と。
いくら「北朝鮮がいい国だ」と言っても、そこに「あのバスに乗ってきたのは一部のブルジョアだけだ」って言ったって、ブルジョアが11万7千人も来ちゃったらですね。
さすがに「それはないだろう」とおそらく思うだろうと。
あるいは「南朝鮮の人民は飯も食えなくて苦しんでいる」と言ってもですね。
みんないい物を着て出てくるわけですから、これはいくらごまかしたってどうしようもない。
おそらくそういうものを直接見た人のところにビラが届き、あるいは放送が聴こえると。
いう事が行われているという事で、おそらく向こうの中も励まして行く事が出来るのではないだろうか?というふうに思いました。

ですから可能な限りですね。
私は向こうに行ける人間は向こうに行ってですね。
それは加藤紘一さんでも山拓さんでも和田春樹さんでも何でも良いですから、ともかく行ってですね。
可能ならば行く中に誰かこちらの人間もまぜこぜに入ってですね、来ると。
開城でほんの少しの観光ツアーでしたけど、軍事施設じゃないか?と思われるようなものとか、そういうものくらいは多少は分かることもありました。

だから行って見て、こちらも話をして、こちらのいう事を言ってという事をやっていけばですね。
向こう側にも変化はありますし、向こう側の情報がともかく取れる。
こう言ったら向こうがどう反応するか?とかですね。
そういう事を分かってくると、あるいは町を流してこういうところにこういうものがあると分かってくるとですね。
それがやはり次のための情報につながってくるというふうに思います。

非常に面白かったのはですね。
その北朝鮮へのバスに2台ずつ男が乗っかりまして、そういう人たちと色々話をしたんですけども、こっちは朝鮮語で話をしますから、むこうも答える。
一応日本人には何か、経済制裁がどうとか何とか、そういう事を言えと言われているらしいんですね。
ところが向こうがいい加減で、ちょこちょこっと言うだけで、あとはこっちから話を聞きたいという事が結構あった。

で、ひとり若いガイドでですね。
ある観光地で降りて歩いている時にパッと目が合ったんで、何が日本の経済制裁はどうかとか、聞いて来たんですね。
うるせ〜なと思いながら、適当に受け答えをしていたら、私の横をこの開城観光をやっている現代アサンのスタッフの、可愛い女の子が横を通っていったんです。
顔見知りらしくてですね。
突然この女の子に声をかけて、後は私に見向きもしない。
こっちもですね。
何か放り出された感じでですね。
言ったら何か文句を言うかな?と思ったら、ずっとその女の子と話をしていると。
なるほど、これくらいの感じなんだなというのが非常に良く分かりました。

それ以外にも色々あったんですけども、やはり行ってみてですね。
いろいろ話を聞くとそういうものが情報がたくさん、それこそ石丸さんの得てくる情報とかいろんなものを併せてですね。
大体の事が分かってくる。
そんなに大きな国ではありませんから、12万平方キロの国なので、決して情報を集めて集められない事はないわけでございます。
それをやっていくことがやはり必要なのではないか?と。
今までどうも我々受身になり過ぎてですね。
専守防衛で何となく北朝鮮がやってくることに対して、それをどうするか?という事が多かったと思うんですが、そうじゃなくて今度はですね。
こちらから手を突っ込んでいく時であると、いうふうに私は思っております。

それでですね、丁度今回こういうふうに行けて私としては非常に幸運でしたし、この次は平壌に乗り込みたいと。
本当であれば私は迷彩服を来て乗り込みたいと思っているんですが、背広でも何でも良いですからともかくですね。
乗り込ませて頂きたいと、いう事でございまして、そういう事も含めてこれやっていく中で我々自身が、もちろん特定失踪者問題調査会は拉致問題を解決するための団体でございますが、そのためにもですね。
この北朝鮮の人権問題全体をやっていくということは、我々の活動自身にとって必要不可欠だというふうに考えております。

これは日本人の拉致の問題だけを取り上げて、この問題だけ解決するなんて、これは絶対に出来ないので、全ての拉致被害者を取り戻すという時は、北朝鮮の中で誰でも自由に物の言える、自分の考え方を表現できるという状態になっていなければ、拉致被害者全員の救出は出来ませんから。
我々は今後共ですね。
各団体の皆さんとご協力をしながらこの問題に取り組んでまいりたいと思いますので、ご支援の程宜しくお願いいたします。
ありがとうございました。

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※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※ 特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/index.html


posted by ぴろん at 18:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

川島高峰氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

◆開会にあたって
     川島高峰氏 明治大学情報コミュニケーション学部准教授   


みなさんごきげんよう。
本日はお休みの中、お越し頂きまして誠にありがとうございました。
ただ今より、【アジアの人権 拉致・収容所・脱北 収容所問題を考える】北朝鮮テロ全体主義国家の実状を訴える6団体共同集会を開催いたします。

私本日の会の事務局をしております明治大学の情報コミュニケーション学部の川島と申します

僭越ながら、はじめに、私のほうからですね今日こうした催しを開催するに至った経緯、そして「アジア人権人道学会」というのを作ろうではないかといういうことを−−去年の今頃ですが−−六団体の皆さんにお話をしまして、それから1年、今日の日を迎えることができました。

そして、一体何を考えているのかというのを、簡単にお話をさせていただきたいと思います。基本として考えていることは、私はレジメに書ききったと私は思っております。

一つはですね、アジアと申しておりますが、私はここで、21世紀の東アジア、東南アジアを中心にしたアジアということを考えております。

人の移動ををめぐる人権人道問題、これがどんどん、どんどんアジア全域に拡大していく時代になってきました。ボーダレスということが、非常に良い響きをもって語られた時代がありましたが、実際にボーダレスがどんどんどんどん拡大していくと、人の移動に伴う、様々な人権人道問題というものが出てきております。

そうした中で、先進成熟社会に位置する日本が、人権人道について、リーダーシップをとることが必要なのではないかということを考えております。

学会というと、非常に非常大げさな響きだな、と正直思っております。
今日来ていただいている6団体のみなさんは、本当に人権人道を巡って、本当に心を裂き、身を割き、現場で支援の活動をなさっている方ばかりです。

ですから、私自身は、学会というと非常に高遠な理念を目指すように、みなさま想像するかもしれませんが、学会ということで、私が考えたいと思っているのは、学問のあり方を根底から考えなければダメだと言うことを、それを強く思っているからです。

そのきっかけを話させていただきたいと思います。
これは、今から、11年前になりますが、青山で、北朝鮮の人道支援を巡る集会がございました。私も何とかして北朝鮮の飢餓の問題に何か貢献することができないのかと、あの飢餓に苦しむ民衆に何とかして一粒でも米を届けることはできないのか、そういうことに非常に頭を悩ませていた時期がございます。それは94年ですか、その比較的大きなNGO団体による人道援助に関わる勉強会というのがございました。その時のことです。その集会の中である一人の男性が、『人道援助というのはわかるが、あの北朝鮮という国の実状を、皆さんはよくわかっていないのではないか』と言うことを非常に強く訴えました。私は、そういった大きな集会の場で訴えるのに非常に驚きました。その日にその本を手にしたわけです。それが、アンミョンチルの『北朝鮮絶望収容所』という本です。私はそれを読んで驚きました。
という本です。二つのことに驚きました。ひとつは、そこで行われている事に驚いた、二つめは、自分はそれを知らなかったと言うことです。知らなかったと言うことにもの凄く驚いたんですね。

そしてそれがですね、日本の社会科学のあり方とは、どうなんだろうかと。それを知らないで済んできてしまう知識情報の環境とはどういう事なんだろうかと、非常に強く考えるようになりました。その時の訴えた男性は、今日も来ていらっしゃいますが、小川晴久先生です。

そこから、様々な転機がございました。ここに来ている方は、みなさんよくご存知だと思いますが、2002年もの凄く大きな転機だったと思います。拉致を北朝鮮の側が公に認めるということがありました。あともうひとつは、これは非常に大きな出来事です。日本の領事館に脱北者が逃げ込むと。それを中国の官憲当局がブロックすると。そういう非常に衝撃的な事件がございました。

そういう2002年の出来事の中で、いよいよ持って自分は何も知らないんだなと。こういう事が起こらないと、何か事件が起こらないと知ることができないんだなと。
私自身は、アカデミズム、大学、学問という場にいて、そう言った情報を、既存のアカデミズムの中で、残念ながら、十分に知ることができないでいる。
そこに、新しく「アジアの人道と人権を考える学会」、そしてそう言った地域に蓄積されている、人権問題、人道問題、これはですね、実のところは、学実の場ではなく、現場で活動されている、非常に重要な情報が蓄積されているわけです。そうした現場に対して、私は、もっと謙虚に学んでいかなければならないと、知らないわけですから。
ですから、そういうことが、私が、こういう学会を作ってみませんかということを、昨年、六団体のみなさんによびかけたきっかけございます。

さて、そうした中で、私が自信が強く思うところはですね、私も、学者の端くれでございますから、学問の形成とか、理念、学問的真理とは何かとそう言うことを考えたいという『欲求』を持っています。しかし、実はそれが『欲求』なのだということに非常に強く気づかされたわけでございます。

どういうことかと申し上げますと、残念ながら、私たちは、すぐに国家観と歴史観他者と相容れなくなってしまうことがございます。
何でも直ぐに、国家観と歴史観に原因があるのではないかというふうに考えてしまうところがあります。

そして更にですね、何がより正しい歴史観なのか、何がより正しい国家観なのか、そういうことを、過分に競い合ってしまうところがあります。
そういう『知の卓越性をめぐる競い合い』それがですね、それが、ふと、考え直してみるとこういうことに思い当たったのです。
人が幸福であるためには、必ずしも、壮大な国家観や深遠な歴史観は必要ではありません。必ずしも、そう言った物は、必要ではないんですね。
むしろ、そういった、壮大な国家観、深遠な歴史観というようなものが、どれほど多くの人たちの幸福、祈り、絆を踏みにじってきたかことだろうか、このことを痛切に感じる10年でありました。
そして、それを最も痛切に感じたのは、正に冷戦後のアジアなんですね。
冷戦後のアジアでは、まだ冷戦が続いているわけです。その続いてしまっている冷戦、心の中の冷戦が、多くの人権人道問題を作り出してきている。いや、作り出しているだけではない、みえないようなベールになってしまっている。これを何とかしなければならない。これが、私がこの学会を作ろうと考えた、私の気持ち、考えでございます。

つまり、学問を形成するとかそういうことではないです。人道、人権を学問的に形成するということではなくて、まず、アジアの人権人道の現場から、学問のあり方を、根本から考え直さなければならない。そう言う時代に生きているのだということを私は考えて呼びかけをしました。

そうした中でですね、ただ呼びかけるだけではなく、もう少し具体的なことで、四つのことを私はここで提案したいと思います。

四つの学際というものを私は考えております。
やはり学問が、どんどん、どんどんビューロコラタイゼイションされていく、官僚化されてしまう。そういった中で、自分の分野だけ守っていれば良いんだと、自分の分野だけで業績さえあげていれば良いんだと、そうしたことが、こういった問題を作ってきたひとつの原因ではないかと考えています。

ですから学際的にやっていく。その場合に重要な4つの学際。

一つは、東アジア、東南アジアの人権人道をめぐる比較分析を行ってみようということです。
どうしてもこれは、口で言うほど容易なことではございません。

多言語、他宗教です。ですから一つの地域の専門というところにどうしても限界があると思うんですが、そこに踏み込んでいって、比較分析をしていかなければいけないと言うことです。

二番目は、第二の学際、これは、メディアとしての学問、媒体としての学術です。
こういった場をですね、学術という所から設けていくと言うこと、これは、大学やアカデミズムの一つの使命ではないかと思います。私は、この10何年か、多くの人権人道、NGOの方の活動の一端を−−本当に私が見たのは一端に過ぎません−−(見てきました。)
本当に皆さん大変なんですね。時間も、経費も、心も、多くのことが現場のサポートに費やされているわけです。ですから現場のサポートがあって、それを世に理解してもらうためには、レポートが必要ですね。でも、レポートの為には、レコードしなければいけない。
サポート、レコード、レポート、3つのことが必要なんですが、じゃぁ、レコードするというのは、何処が一番できるんだろうか?やはりそれは学術なんじゃないかなと。学術が、レコードの支援をする。そして場を作って、レポートをいろいろな現場の方にしてもらうということですね。学術はやはり、一歩さがる。レポートではなく、一歩さがる、そういった基盤を作っていこう、これがメディアとしての学問、媒体としての学問です。

さて残りふたつの学際。
理念としての学際です。
ひとつは、21世紀の内地雑居、そう言う状況になろうとしている。
日本は18組に一組が国際結婚なんですね。18組に一組ですよ。そして、1700万人 毎年毎年海外に行かれる日本人は1700万人です。日本に入国してくる海外の方は、毎年毎年、700万人以上です。すごい数の出入国が日本では起きているわけです。

私たちの社会は、どちらかというと民族の多様性を(認める意識は)余り低い(高くない)、そういうところで共同体の規範というものを考えてきました。ところが現実はそう言う状況ではなくなってきつつあるんですね。ですから、そういう状況に対して、今までの私たち日本の良いところを踏まえながら、新しい規範を考えていく必要があると考えています。


そして、これを人権問題という観点から考えれば、国際人権が、国内化するということ。
あともうひとつは、国内人権の国際化ということですね。国際人権と国内人権のふたつ、これが今どんどんクロスオーバーしていっているわけです。ですから(このふたつが)かさなりあったところで、私たちが新しい価値=その中で人が幸福になるための新しい価値というものを懸命に考えていく、そのきっかけを考えていく、そのための学際、それがですね、21世紀の内地雑居を考えるということ。
日本で起きていることが、アジアの多くの地域でも、おきているわけです。その起こって言うことを、レコードして、レポートしていく、その経済的な余裕があるのは、日本においてほかないと私は考えております。

そして最後にですね、人権人道のガバナンスという事を考えていかなければ、いけないなと思っております。一般に人間の安全保障という言葉、それから国家の安全保障という概念、この二つは、相対立するものと言うかたちとして使われることが多いと思います。
しかし私はこの二つを、相互補完的に考えざるを得ない状況になっていると思っております。

その限界状況で、様々な問題が起きているわけですね。
ですから、その中での相互補完的な状況=つまり双方にとってよりよいかたちを捜すと言うこと。これは、口で言うのは簡単ですが、現場で考えていくと、もういろんなものがぶつかっているわけです。国家の安全保障と、人間の安全保障というのは、様々なところで、もの凄く多くの争点がぶつかっております。
その争点を、どこかで、誰かがレコードして、そしてレポートして、そのための解決策を、みんなで頭を寄せ合って考えていくことが、絶対に必要なことであると、私は考えております。


今、申し上げました『4つの学際』というのは、私のほうからの提案でございまして、これから多くの方と意見を交えながら、よりよい方向へ行くように考えていきたいと思っております。

こうしたことに至った契機は、そもそも何なんだろうかと。これをもって最後のお話、結びにしたいと思います。そのことを北朝鮮の人権侵害問題なんですね。どうして、北朝鮮の人権侵害問題がアジアの問題へ発展するのか?発展せざるを得ないのか?

それはですね、強制収容所の問題、あるいは、今回集まった6つの団体、これは帰国事業の問題に取り組んでいる団体、脱北者の問題、拉致問題、そして強制収容所の問題、北朝鮮の民主化問題に取り組んでいる団体。こうしたすべての団体が共通して行き着いている、取り組んでいる、関わっていることがあるんです。
それは、あの北の国で何が起きているかを知るためには、脱北者の声、これがすごく重要な情報源なんですね。

何故、脱北と言う問題が起きるのか、脱北と言う問題は、何故脱北者難民になれないのかと言うことですね。そこが周辺国との関わりの問題になるわけです。今日来ている方々は、よくご存知だと思いますが、タイのバンコックに、北朝鮮からの脱北者、これは、1000人以上もいるわけですね。5000キロですよ、5000キロも逃げていくわけです。私たちがバンコックに行こうと思えば、往復でもわずか数万です。往復で10時間か12時間で済んでしまう。その距離を5000キロも越えてですね、何年もかけて、そして最初はたくさんいたのに、その僅かな生き残りの方がたどりついて、それで1000人いるわけですね。

ですから、北朝鮮の人権の問題は、東アジア、東南アジア全体の人権の問題として考えて行かざるを得ないのだということを、この6つの団体の方は、私が気づくよりずっとはやく気づかれていたわけです。

これが、本日、この『北朝鮮全体主義国家の実状を訴える六団体共同集会』、そしてそれを『アジア人権人道学会設立準備期盛会』として実施させていただいた理由でございます。

どうも高いところから僭越ながら失礼いたしました。
ご静聴いただきまして、ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※このエントリーのテキストはblue-jewelさんの手によるものです。
※このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
posted by ぴろん at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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