2009年01月21日

千人針とブルーリボン

千人針と言うのは説明の必要もないでしょうが、出征する兵士の無事を祈って、銃後を守る女性たちが白い布に赤い糸で一針ずつ縫って結び目をつくるものです。
それを腹に巻いて弾除けとし、無事の帰還を願うのが千人針でありました。

一人一針縫うのが決まりの千人針ですが一つだけ例外があって、寅年生まれの女性は歳の数だけ縫う事が出来たのだそうです。
その理由は、「虎は千里往って千里還る」という諺に由来します。
虎は1日の間に千里の道を行き、また戻ってくることができる。
その故事にあやかるために、寅年生まれの女性の手を借りて「必ず無事で生きて帰ってきて欲しい」と言う願いを更に込めようとしたのでしょうね。

私の母は昭和13年の寅年生まれ。
終戦時国民学校2年生の満7歳ですから、戦争真っ只中の時代はまだ針も持てない幼子でした。
それでも「○○家の○子ちゃんは寅年生まれだから、千人針を縫って欲しい」と近所や親戚から頼まれて、ずいぶん千人針を縫ったんだそうです。
もちろん学齢前の幼稚園児ですから、一人で針を持って千人針を縫うなんて出来ませんので、祖母や母の手を借りて、わずかな歳の数だけ千人針を縫ったのだとか。
例え幼子の手を借りてでも、その数がわずかであっても寅年生まれの縁起を担ぐのは、出征する兵士の無事を願う心に他なりませんよね、きっと。

千人針の一針を縫う手間なんて、考えてみたらいくらのものでもありません。
それでも一人の出征兵士のために、千人もの女性の手間を集めるというのは大変な作業です。
私は千人針の一針を縫う手間よりも、その千人の手を集める過程そのものに深い意味があるんじゃないか?と思います。
親類縁者を辿り、どこそこに寅年生まれの女性がいると聞けば、はるばるたずねて行き、千人針の一手間をお願いする。
千人の手間が込められた千人針には、きっと願いを叶える力がある、と当時の人たちは考えたに違いありません。
願いを込めて針を持つ、その気持ちが何より大事なのだと思います。


私はこれでも一応お裁縫のプロですから、1時間あればおよそ50個のリボンを量産できます。
でも、ぶきっちょさんが1時間かけて作った2〜3個のリボンであっても、出来上がったリボンの価値はどちらも同じだと思っています。
むしろ考えようによっては、ぶきっちょさんが必死の思いで作った2〜3個のリボンのほうが、私が量産するリボンより強い願いがこもっているかもしれませんよね。
針仕事の苦手な人が針を持って何かを作るには、相当の動機・熱意がなければ出来ることではありませんから。

そうした強い願いのこもったリボンを全国のボランティアから提供してもらう。
そうして集まったリボンに被害者救出の願いを込めて、心を込めて街頭でお配りするから、リボンには力があるのだと思います。
某都議会議員の先生は、いつもブルーリボンの事を「蒼い弾丸」と呼んでいますが、一つ一つのリボンに心を込めるからこそ、私たちの作るリボンは敵を討つ弾丸になり得るのだと思います。

大事なのは心、です。

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◆このBlogをご覧の皆様へお願い◆

拉致被害者救出の願いを込めたあなたのブルーリボンをご提供いただけませんか?
東京ブルーリボンの会が予定している次回街頭活動(2月14日・渋谷ハチ公前広場)で、ボランティアの皆さんのお力を借りて、心を込めて配布したいと思います。
数の多少、上手下手は一切問いません。
ご協力いただける方がいらっしゃいましたら、下記のアドレスまでご一報ください。
お待ちしております。

★東京ブルーリボンの会連絡先アドレス jewel@blue-stars.org
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2009年01月19日

第二回巣鴨街頭活動レポート

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チラシの準備やポスターなどの掲示をしている最中にも手が悴んで、指先の自由が利かなくなるほどの冷たさの中、本日の巣鴨街頭活動にはおよそ35名のボランティアの皆さんにお集まりいただきました。

掲示物の展示には今回はボランティアの方の力強いご協力を頂き、写真速報でご紹介したように、道行く人の関心を一目で集める展示が出来たと思います。
紐とガムテープ、クリップなどの簡単な用具だけで、これだけ見栄えのある展示が出来るとは、私は正直予想しておりませんでした。
展示の創意工夫を一手に引き受けてくださったお仲間のボランティアの方に、改めてお礼申し上げたいと思います。

チラシ、リボンも前回街頭活動の終盤に無くなってしまった反省を生かし、多目に準備して持ち込みましたが、これも終盤にはほとんど配布し終えることが出来ました。
巣鴨では自らチラシやリボンに手を伸ばしてくださる方が多いのが特徴、自ら署名に応じてくださる方が多いのも特徴です。
年配の方から小さな子供を連れた家族連れ、若いカップルに外国人観光客と思しき方まで、快く署名に応じてくださったのは心強い限りでした。
「麻生総理宛の蒼のはがきに協力したいからもっと欲しい」と言って下さる方、「政府作成のパンフが欲しい」と仰る方もいましたので、次回街頭の際は検討課題としたいと思います。

また、今回の街頭にはご家族の方にも大勢ご参加いただきました。
拉致被害者・田口八重子さんの義理のお姉さま、東京の特定失踪者・宮本直樹さんのご両親と二人のごきょうだい、特定失踪者・佐々木悦子さんのお母様、川口の特定失踪者・藤田進さんと東京の特定失踪者・藤田慎さんのご親戚3名様、特定失踪者・鈴木賢さんのお兄様の合計10名のご家族がお集まり頂き、それぞれに家族の救出を訴えて頂きました。
この度の活動がご縁で家族同士の横のつながりが出来たことも、成果の一つであろうかと思います。
孤立しがちなご家族のために、少しでもこの度の活動がお役に立てば、大変嬉しくありがたく思います。

署名に応じてくださる方から、署名やカンパと共に家族への励ましの言葉を頂くのも、街頭活動のもう一つの成果かもしれません。
今回初めて巣鴨街頭活動に参加していただいた家族の方々は、道行く方々からの励ましの言葉に感激されていました。
巣鴨に集う人の心の温かさが、少しでも家族の心の支えになればこれも大変嬉しいことです。
この熱気が世論を動かし、政治を動かす契機となれば、との思いを強く致しました。

今回の街頭にも前回に引き続き有田芳生氏が来てくださり、一般の方に向けて署名を呼びかけるべくマイクを握ってくださいました。
有田さんの訴えに足を止めて聞き入る方、それを聞いて署名に応じてくださる方もいて、大変心強い限りでした。
活動終盤には、今の季節、新年のあいさつ回りで大変お忙しい古賀俊昭東京都議会議員も駆けつけてくださり、力強く拉致被害者救出を訴えて頂きました。

反省点も多々ありますが、大きなトラブルも無く活動を終えることが出来たのは、参加してくださったボランティアの皆さんと署名・カンパに応じてくださった一般の方々の賜物と思います。
全国からリボンを作って送ってくださった方、皆さんからいただいたリボンもそのほとんどを巣鴨街頭で配布することができました。
商店街への迷惑を考慮し、マイクは極力控えめにしたことで、署名活動をしている事が分かり難い状況であったにもかかわらず、おかげさまで、およそ900筆に上る署名を集めることも出来、大変ありがたく感謝しております。
日々経済状況の悪化が伝えられる中、およそ6万円のカンパを頂きましたことも、心よりありがたく思います。

ご協力を頂いた全ての皆様に、この場をお借りして改めて御礼を申し上げます。
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2009年01月09日

第2回巣鴨街頭活動のお知らせ

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◆第二回巣鴨街頭活動のおしらせ  

   今年こそ絶対解決へ!!
 取り戻すために総力を挙げて 

巣鴨地蔵通り商店街の御協力を得て、第二回巣鴨街頭活動を行います。
アメリカの大統領就任後をにらんで動きが鈍い北朝鮮問題ですが、拉致被害者も、家族も、これ以上待ないのです。長すぎる時を取り戻すために、私たちが北朝鮮を、政治を、この手で動かさなければなりません。
2009年年明け、寒の最中ですが、おばあちゃんの原宿で拉致解決を訴えます。
たくさんの皆さんのご参加をお待ちしています。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
日時:平成21年 1月18日(日)
 午後12時〜2時
  ※ボランティア集合 11時半
  ※掲示に御協力いただける方は11時頃まで集合
場所:巣鴨地蔵通り商店街入口付近公園
  (JR山手線 巣鴨駅 正面口より約270m(徒歩約5分)
内容:ブルーリボン配布 ビラ配布 署名調査会用紙 訴え
   拉致問題解説パネル展示 英文他チラシ配布
カンパは、短波放送しおかぜ支援のものになります。
※ 当日配布するブルーリボンの提供を募っています。

主催:東京ブルーリボンの会 (BLUE RIBBON TOKYO)
  連絡先:jewel@blue-stars.org 携帯:090-52157752 かわむら

共催:北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会
  :北朝鮮による日本人拉致問題完全解決を図る東京都議会議員連盟

賛同団体:特定失踪者問題調査会
    :拉致問題を考える川口の会

※ご家族、北朝鮮関係の団体、議員、識者にも参加要請をしています。
※街頭活動に使用する大型メガホン、青いネッカチーフを用意。

◆お手元にある拉致関連グッズ(ポスター、のぼりなど)お持ちください。
◆若い力で、人生の先輩の方々に思いを告げる街頭活動にしましょう。積極的参加をお願いします。

尚、東京ブルーリボンの会平成21年の次回街頭活動は、2月14日(土)渋谷 にて行います。時間など詳細は追って告知します。


みなさん、御協力ください。
人数が多ければ、多いほど、多くの人に訴えられます!

警察、商店街への調整済み

募集
1.輸送チーム
2.印刷チーム
3.掲示、レイアウトチーム
4.配付用ブルーリボン募集中
  ━━━BLUE RIBBON TOKYO━━━
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2009年01月07日

松原仁衆議院議員 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人道学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★松原仁 民主党衆議院議員


・司会 荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

色々段取りが悪くて申し訳ございません。
まず、机を並べる前にですね。
先に松原仁議員が見えてますので、ちょっと次の日程がありますので、すぐに退席されますので、ちょっと一言ご挨拶をして頂いてからと思いますのでよろしくお願いします。

・松原仁 民主党衆議院議員

皆さん、こんばんは。
ただ今荒木さんからご紹介を頂きました、衆議院議員の松原仁です。
今日はこの拉致問題を含め、北朝鮮全体主義国家における人権問題という事で、皆様にお集まりいただいております。
我々は日本国民、多くの仲間が拉致された。
その総数の実際はどれくらいなのか?という事は分からない。
特定失踪者という事で荒木さんもこのことを戦っておられるわけですが、「しおかぜ」の放送も行われているわけです。

しかし、もっと極めつけの表現を使うのならば、北朝鮮の公民は全員ですね。
今の北朝鮮の政府・政治によって拉致をされていると、こういうふうに我々言い換える事が出来るのではないか?というふうに思っております。
従って我々の拉致問題は、もちろん人権と言うこの概念が普遍的な概念であることを考えれば、我々日本人を取り返すという第一義的な部分、そしてその向こうには北朝鮮の一人一人の国民の人権を回復すると。
これは当然ですね。
日本と言う国家のひとつの使命でなければいけないと、いうふうに思っているわけでございます。

多くの証言があります。
北朝鮮から脱北して来た方の証言を聞けば、如何に卑劣なそして如何に人権を無視した事が行われているのか。
彼らの発想の中では、従って日本人を拉致する事も、北朝鮮の一人一人の国民をあのように実際に拉致をする環境以下に押し込めることも、全く同じような議論の中のことだろうと思うんです。
そういった認識を持つ執行部が失脚をしない限り、本当に拉致の解決は私はやって来ないんだろうと思っております。

そのために一体何をすればいいのか?という事で、我々民主党もまた自民党も同じような案を出してきましたけど、要するに追加制裁を言うものをもっと徹底してやっていこうではないか。
人の出入りの部分において、これを更に徹底してやっていこうではないか。
そういった法案も法制局と詰めて、ほとんど成案化して、これから我が党は党内審議に入っていくわけです。
自民党も入っていくわけでしょう。
そういった事を通して、とにかくあの国は圧力を加えない限り、本当の事は言わないしまた解放もされないという事で、戦っていかなければならないと思っております。
 
アメリカではオバマ政権が発足をしました。
若干気がかりが無いわけではありません。
オバマ政権の副大統領、バイデンさん。
そのバイデンさんの外務委員会のいわゆる政策スタッフのジャムージさんというのは、極めてある意味において宥和政策・太陽政策が必要だという事を、私はこの5月にアメリカを訪問した時にも言っていたわけであって、非常にそこが気がかりであります。
しかしながら日本の国家がきちんとした、そこに姿勢を示す事が私は大事だろうと思っております。
少なくとも福田政権があのような交渉で北朝鮮に対して、日本があたかも宥和政策に転換したような印象を世界に与えたような外交上のああいう大きな間違いを二度と繰り返さないという事を日本政府は心がけるべきであるし、私もその事を含めて頑張っていきたいと思っております。

しかし一番心配な事は、それ以上にこの問題に対する日本国民の怒り、日本国民のいわゆる真剣なこの思いと言うものが、一時は非常に高くなっていたものが、最近はどうなんだろうか?と。
これに私は大きな不安を抱いております。
どうかですね。
今日お集まりの皆さんは、私も国会で仲間と共に戦いますが、どうか皆さんも多くの仲間と共にですね。
この問題について訴え続けて頂きたい。
そのことしかとりあえず今の道はありません。

その後、例えば韓国・アメリカと組んでですね。
もっと具体的な戦略が出てくるまでは、アメリカはですね、もうちょっと時間がかかるかもしれない。
こんなふうにも思っております。
とにかくこういうときに我々は団結して、そして戦い続ける姿勢をずっ〜と維持する事が大事であります。
共に戦いましょう。
以上で終わります。
ありがとうございました。

・司会 荒木和博 特定失踪者問題調査会代表

どうもありがとうございました。
松原議員これで次の予定があるので退席されます。
どうもありがとうございました。

・司会 三浦小太郎 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会代表

松原議員をはじめ中井洽議員、そしてもうお一方民主党の渡辺周議院、この3人の方は、北朝鮮を日本が独自にテロ認定せよという方針を今打ち出しておられます。
これも政党とか、そういうのは関係なく北朝鮮と戦おうという意思を持っている方々は、私達は共に仲間だと思って戦っていきたいと思います。

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※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
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2009年01月06日

飯塚繁雄さん 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第1部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人道学会の設立準備期成会>
第一部 家族会挨拶
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★飯塚繁雄 家族会代表

・司会 川島高峰 明治大学准教授

本日は家族会の飯塚代表に来ていただいてます。
一言、お言葉をいただきたいと思います。
どうぞ、前へお越しください。

・飯塚繁雄さん

どうも皆さん、こんにちは。
今ご紹介がありましたように、いわゆる家族会の代表の飯塚と申します。

この時期、全国的に人権週間という事で啓発週間という事で、全国的にいろんな催しをやっていますけど、私も出来る限り全部出席したいなと思って今日も参りました。
いつもながら考えるんですけども、人権と言うのは何なのか?という事については、私ら単純にですね。
ごく平凡な生活が出来る、安全に暮らせる権利と、いうふうに単純に考えています。

我々の被害者はそれが出来ない。
まさに人権問題の一番根底になる人権蹂躙を、まさに国家犯罪による人権蹂躙だという事がハッキリしているわけです。
その他、人権に関するいろんなパターン、ケースはありますが、私たちにとってはそれが強制的にですね。
しかも他国による犯罪で、少なくとも百数十人の日本人が北朝鮮に連れて行かれているというこの実態を、目の当たりに、もちろん家族ですから感じているわけです。
ですから人権と言うのは、それなりの環境によって色々援助してあげなければならない場合がたくさんあります。
しかしながら、その援助だけではなくて、その援助しなければならない原因をですね。
原因を正さなければ、この問題は永久に片付かないと、いうふうに考えております。

今回、特に拉致問題につきましては、皆さんに非常にご支援いただきまして、国民の世論は高まりました。
いろんな面で高まっています。
それを受けて政府がどれだけ具体的に、この問題を自ら政府の責任として「取り返すぞ」という意気込みをつけていただいて、また、もう12月ですから、また「来年こそは」になってしまうんですが、来年になったら「今年こそは」と、解決の実現につながるように私たちも頑張ってまいりますので、いろんな方面から皆さんのご支援をよろしくお願いします。
そして安心して暮らせる日本にしようではありませんか。
どうも、ありがとうございました。

・司会 川島高峰 明治大学准教授

長い時間ですね、ご静聴いただきましてありがとうございました。
プログラムに従いまして、この後「めぐみ」の上映をこの教室では行います。

皆さんのお手元にございます、一枚のチラシの裏の方にですね。
今日は全部で8つの部屋でですね。
様々な団体が催しをしています。
映画についてはですね、1105と1106でちょっとなかなか観る機会が無いかもしれないですね。
1105の方では北朝鮮帰国事業を評価した、あるいは北朝鮮をどちらかというと礼賛しているようなものをですね。
上映しております。
1106では、人権抑圧の実情に関わるドキュメンタリー映像、これを流しております。
1107の方、ミャンマーの人権団体の方々、今日来ていただいております。
1108の方、こちらはチベット・モンゴルですね。
中国の民主化、あるいは中国の人権問題に取り組んでいる団体の方々に来ていただいております。

あとはご覧になったとおりで、1101、北朝鮮難民救援基金の展示をしております。
02が帰国事業に取り組むですね、(北朝鮮)帰国者の生命と人権を守る会の部屋。
そして1104、もうご覧になったかもしれませんが、特定失踪者のパネル展示、拉致被害者並びに特定失踪者のパネル展示をしてあります。
これだけの方が連れて行かれているんだという事をですね。
そのパネル、写真を見て実感して頂ければと考えております。

一応、これを持ちまして、この紹介を持ちましてただ今から上映会の方に入らさせていただきたいと思います。
今日はどうもありがとうございました。
引き続き各会場の方に足を運んでください。

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※このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
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川島高峰氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人道学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★川島高峰 明治大学准教授

各団体の代表者の皆さん、本当にありがとうございました。
どのようにまとめたらいいのか、とてもまとめ切れるような、しかし、一つ一つ非常に深い、広がりのある話だったと思います。
金正日後の北朝鮮の人権人道を考えるという、私一応依頼をしたんですね。
各団体の方にそれぞれお話をしていただければと思いました。

私自身、「じゃあ金正日後の北朝鮮はどうなるんだろう?」と、「あなたそもそもどう思うんですか?」と聞かれたら答える事は出来ないし、予測はつかないんですね。
つきません。
北朝鮮の人も予測はつかないと思います。
分からないと思います。
どうなるかを考えた者が未来を決めていくんです。
ですから日本はあんなに、史上最悪だと思います、北朝鮮の人権侵害状況と言うのは。

それに対してですね。
金正日後ではなくて、その先に来る未来にですね。
私たちが「こうなるんだよ」と、「こうしたらいいじゃないか」と、「もっと良くなるんだ」というふうにですね。
私たちの方から彼らにそういうメッセージを送っていいのではないか?と、いうことをですね、密かに思っています。
これをこれからですね、皆さん共にですね、考えていく。
やはり希望と未来ですね。
これを私たちがクリエイトして、そして発信していく。
これがですね、今皆さんの話を聞いて、つながっていくところはそういうことではないかと思います。

来年、年末でございますから、いよいよ来年ですね。
このアジア人権人道学会、様々な宿題・課題、私自身がこれが出来たら良いなと思った事、特にレコード、そしてレポート、それをサポートするところが無い。
いや、無いわけじゃないですよ、みんな自分でやってるわけですね。
物凄いそれは大変だと思うんです。
ですからその形をどういうふうに具体的に構築してやっていくのか。
これが来年の課題ですが、来年の今日ですね。
来年の今日、それを皆さんにご報告できるようにする、これが私の約束です。

今日は長い時間本当にご静聴いただきましてありがとうございました。
関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
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2009年01月03日

三浦小太郎氏 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第3部「共催6団体他、北朝鮮の人権改善を目指す人々による大発言会」より
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

★三浦小太郎氏(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)

・司会 川嶋高峰明治大学准教授

次ですね、守る会の代表を務めておられます。
私、よく相談する方なんですね。
三浦小太郎さんです。
お話をお願いします。

・三浦小太郎氏

一番紹介が軽いのはどういう事かな?とちょっと思いながら、ただ、守る会はルールを破って二人も喋っていますので、多少そうなるのも致し方ない事であろうと分かっております。
私は、大した問題ではないと思っているんですけど、0.07%の一人かもしれないクリスチャンであるかも分からないんですが、ただこのことについては私は今日、もう皆さんも長い集会お疲れでしょう。
私は宋さんとはちょっと違うポイントからお願いしたいことがあります。

まず皆様に、今日帰ったら明日でもいいんです。
して欲しい事は、見るだけでいいんです、僕たち守る会のHP見てください。
今日の私のメッセージ自体は配布された資料の中にありますからね、HP見てください。
そしてHP見たらですね、そこには金正日宛のはがきが出せるコーナーがあります。
それをもし宜しい方は、そのはがきを70円切手だったかな?貼って投函してください。
もちろん皆さんの住所は書いて頂かざるをえませんが、書かなくていいかな?まぁいいや、私は常に書いて1週間に1枚は出すという事を必ずやっています。
日本語はどうせ向こうの人間は分からないかなと思って最初は「早く死ね」とか書いて、あ、これネットライブやっているのか。
それはともかくとして、それをやっております。
これは金正日の写真が貼ってありますから、簡単に向こうは捨てません。

そして何で僕がこんな事を言うかと言うと、嫌がらせでやりたいわけではなくて、それもありますが、日本人がね。
拉致のこと、人権のこと、収容所のこと、これ救う会でも僕やったら良いんじゃないかと思う。
家族会でもやったらいいと思う。
もちろん全員であるべきですが、めぐみさんの写真の入ったはがきのその下に、「この人の事を日本人はみんな助けたいと思っています。この人は北にいるんですと、攫われたんです」という意味のはがきを、日本から1万枚2万枚と行ったらね。
それは向こうの人は何も分からないかもしれない。
なんだ?これは?とは思うんですよ。
そして金正日にはそれは行かないでしょうが、少なくとも日本国民は、一部の政治家がどのような馬鹿げた事を言おうとですね。
国民ひとりひとりは拉致について怒っていると、少なくともこういう問題があるらしいと、その手紙を整理する人間には伝わるんです。

前、荒木先生はFAXでやってたんですね。
とにかく平壌の電話にあてずっぽうでFAXをひたすらやると。
僕も一時やったんですけど、金が結構かかるんでね、途中から止めましたけど。
僕一回だけね、途中でブチッと切れたことがあるんですよ。
だから、ああ、なるほどなという気がしました。
そして皆さん、もちろん僕もハングル出来ませんけどハングル堪能ではない方いらっしゃると思いますけど、そのときは宋さんとか在日の人にちょっと声をかければ、自分の言いたい事をハングルで書いてくれます。
それがまず皆さんにやって欲しいことです。

それから僕はやってないんですけど、ブログとかやっておられる方、今日の集会で印象に残ったこと、一言書いてください。
一言書いてください。
ブログと言うものはですね、僕は良く分かりませんけど、こういう集会に人が来て、そして何か感想を書いてもらうというのは非常にちりも積もれば山となる。
あなたの、ここに来られなかった友達がそれを読むんですから。
それは非常に意味のあること。

そしてまた、もう一つお願いしたい事があります。
これはですね、無理には勧め難いことなんですけども、今日本には百数十人の脱北者が住んでいます。
その気持ちのある方はこの方々と友達になってください。
北朝鮮へ、荒木さんのように勇気を持ってどんどん行ける人は中々難しい。
しかし、北朝鮮民衆に直接会おうと思ったら、日本にいる脱北者に会うことで、会うことは出来るんです。
私は基本的に、こういう集会に来るような方を紹介する事は全く拒みません。

ただ、ロクな人たちではないので、その事は注意した方がいい。
ロクな人たちでないというのはどういう事か?と言うと、40年間共産主義・全体主義で生きて来てですね。
どれだけ精神が傷つくか、皆さん本当に良く分かります。
そしてその中でどれだけ、やっぱりね、精神を守る人は守る。
両方が分かります。

今日、ここで二人の脱北者の方が話しましたね?
特に若い、お二人とも若いんですが、日本に在住の李さん。
一部ではね。
脱北者なんか日本に入れるべきじゃない、危険なだけだと。
ああいう方がいてね、それが何で危険なんですか?
朝鮮総連が続いてある事がよっぽど危険じゃないですか?

そして大阪の守る会では高政美さん、千葉優美子さんと言う脱北者が朝鮮総連を訴える裁判をやっております。
これもHPに載っております。
日本から騙されて北に行って、北から日本に戻ってきた。
逃げてきたんではありません。
戻ってきた人が、この団体は詐欺師の団体であると訴えるという事はですね。
どれだけ深い意味があって、しかも本人がどれだけ勇気がいることだったか。
この事を考えて頂ければですね。
私は少しでも皆様のご理解が広がるのではないか?と思っております。

何よりも今必要な事は、先ほど宋さんも言ったように、広い次元での政府や外務省や役人にしかできない事をやるべきです。
日本のイメージが今宋さんの言ったとおりのものであるならば、それは外務省の怠慢です。
日本のイメージを良くする宣伝をし、それが外務省の仕事でしょう?基本は。
日本人の私達はね、十、人にしてもらった事を、十、人に言うのは恥ずかしいものなんだ、という感覚が皆さんあるんですよ。
しかし、外においてはね。
十した事は、二十言わなければ、一くらいしか信じてくれないんです。
そこはやっぱり中国は上手いところなんです。
これは実は僕はさっき宋さんからアドバイスを受けたときに、やっぱり日本人は宣伝が下手なんだよと。
ひとりひとりの国民はいいけど、外務省がそれではダメじゃないですか?
そのとおりですね。

・宋允復氏

あのちょっとよろしいですか?
私その外務省から例を挙げましたけど、決してその方を批判するためじゃなくて、これだけ意欲を持って熱心になさっている方でも、そういう状況だという事は、要するに組織的対応がやはり不十分だから頑張ってくださいという、サポートのつもりですからね。
NGOの人間と接触したのがきっかけでそういうバッシングを受けると困りますから、これはいけませんからね。
そういうことではありません。
やはりサポート、民間から私たちもこういう問題長年やってきたつもりですけども、要するに基礎的な仕事が出来ていなかったと。
痛切な自己反省の下に言っていることであって、外務省の職員や外務省を批判するためではないんですよ。
家族会の方が批判するのは結構なんですけど、私のような者が余り下手に批判するとあまり後々がよろしくないので、私どもは応援するつもりですから。
その辺、誤解の無いようにお願いします。
ブログに上げられる方も、その辺はちょっと語弊が無い様に。

・三浦小太郎氏

あの今の問題は、守る会の中でもずいぶん意見は違うようだと上げてもらえるといいと思います。

そして金正日が死ぬという事は、事態が大きく変わります。
私はどう変わるかという事は分かりません。
あるいはね、全体主義のシステムは指導者が死んだからと言って急に大きく変わるかどうかも、確信はありません。
これだけはいえるのは、必ず権力内部で混乱と内ゲバは生じるんです。
そのときにですね。
おそらくかなり重要な情報が、場合によっては亡命者とともに外に漏れる可能性は極めてあります。
それを私たちはですね。
全部外国にキャッチされていいんでしょうか?
やはり日本は日本独自の形で、脱北者の方たちとのルートを作っておく事は決して日本の国益にも無駄ではない。

私はね、最後に言っておきますが、私の言ったことで誤解があるかもしれませんが、私は脱北者の方が可哀想だから助けているんじゃないんですよ。
可哀想だから日本に受け入れるべきだと言ってるんじゃないんです。
じゃあ、この人たちを助けなかったらどこが一番喜びますか?
金正日でしょう?
この人たちの情報が日本に来なかったら、韓国に来なかったら、あるいはこういう人たちが来て朝鮮総連を訴えて、困るのは総連と金正日でしょう?
ですから、脱北者の受け入れにはいろんな矛盾があり、私も悩む事が本当に毎日あります。
しかしですね。
私はこれは必ず人権、人道、そして国益にも役立つことだと信じて行動しております。
これからもよろしくお願いします。

・宋允復氏

すみません、三浦とは代表で、一応(私は)名目事務局長で気安くてまぜっかえす事なんですけど、今日も収容所体験者のお話をお聞きいただきました。
やっぱりすぐ出てくるんですよね。
彼自身の経歴が「清津連絡所で仕事をしていました」

日本人拉致の実行部隊が出入りする前線基地のそこで仕事をしていた人間だと、最初僕あれあれあれ?と。
おそらく国の方、来てらっしゃるかどうか分かりませんけど、関係団体の方にお聞き取りなさればかなりのそれに関する情報が出てくるんです。
それを言っておきたいのと、ただそれはメリットがあるからやるという話でした。
それは意図的に組み立てをしてお話しているんです。
具体的にその経験をつぶさにお聞きになれば、いやいくらなんでもこれは酷いなとお思いになると思うんです。
何人と言う枠を超えて、いくらなんでもこれは酷いだろうと。
こういう事は一刻も早く止めさせたいと、皆さんも共通でお思いになると思うんです。

おそらく、先ほど東高校と言って話すのを忘れちゃったんですけど、簡単に話しますと、学生が60人くらい集まってくるんです。
高校1年2年生、感想文を全部出してもらいました。
そしたら、その内容ってすごいんですよ。
シン・ソンドクさん、テレビでもかなりやったらしいんですけど、テレビで見て知っているというのは一人だけでした。
50数名は、この間、「北朝鮮が酷い国であると言うのはいろんな形でテレビと新聞で通じて漠然と知っていて、漠然としたイメージは持っていたけれど、ここまで酷い事をやっているというのは知らなかった」と、「びっくりした」と。
「日本人としてこれだけ日本を享受している人間として、日本にいる人間として何ができるかという事を考えたい」という感想を異口同音に書いてきてくれた。
子供たちがね。
決して鈍い子供たちではありません。

要するに受験勉強で忙しくてテレビ見ている暇が無いだけかもしれませんけど、ただ彼らが中学校高校と育ってきた時は、北朝鮮問題日本で一番盛んにやってきた時期です。
その時期に育ってきた子供たちでさえ、漠然としたイメージは残るけど具体的にどんな行為が行われているか?と言うのは印象に残らないと、改めて知りました。
これはやっぱり改めて迂遠なように思えるかもしれないけれど、読んで頂くという作業がどうしても必要だと思います。
先ほど外務省のお役人や政治家の方と言う話が出ましたけど、教育の現場でも読んで頂きたいし、皆さんもいろんな形で検討していただきたいけれども、将来的にはそういうものを日本のソフトの力で、例えば漫画にするとか、そういう形で世界に大量に、数十カ国に印刷してばら撒くなんて出来ればいいんですけれど、それも手持ちの材料を大事にして頂いて、活用して頂きたいなと思っています。

最後に本当に一言です。
収容所の体験者の話を聞きましたら30万人くらいいて、実は有事の際はみんな殺すことになっているんだそうです。
衛星写真を見せて頂きました。
ある収容所では3ヶ所くらい大規模なダムがしつらえてあって、いざ何か有事が発生して北朝鮮国内に混乱が発生した時は、ダムを放って決壊させて収容所の人間を水没させて殺すことになっていると。
それ以外の収容所でも毎年2月には訓練をやって、いざ何か勃発したときには銃殺することになっていると。

今後懸念されるのは、北朝鮮で金正日に何かあってガタガタしたときに、証拠隠滅のために収容所で30万人にも上る人が殺されるという事が、かなりの蓋然性であって、それに対して日本に呼んだ収容所体験者は異口同音にこの点、「非常に切迫しているのでしっかり国際社会、主要国に根回ししてゆめゆめそういう事をするな」と。
「そういう事をした場合徹底的に責任を追及して、その手を緩めないというプレッシャーを金正日に、あの体制に伝えて欲しい」ということを言っておりました。
日本も膨大な資料を握っている国ですから、上手く活用して頂いて、圧力を加えて欲しいということです。

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2009年01月02日

脱北者の証言5 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第2部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第2部 「収容所体験者・脱北者による証言」
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

・・・・・・・・・・

(承前)
(投稿者より)
「北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 第2部 脱北者の証言」
 本項は、妊娠して強制送還された脱北者女性に対して、北朝鮮の保衛部が行っている強制堕胎の恐るべき実態の証言を紹介します。

 本来、第二部は3人の脱北者による証言が予定されていましたが、以前紹介した事情で、トヨタ・アキコさんが来れなくなり時間が余ったことで、急遽公開されたものです。

 なお、今回の項目は、内容の性格上性的な表現や記述が多数含まれています。さらに極めて残酷で猟奇的な内容も含まれており、未成年者らへの閲覧には問題が生じる恐れもあります。

 今回、投稿者としては、北朝鮮当局による極悪非道の人権侵害の実態を知ってもらうべく、敢えて当日の証言や発言をそのまま起こしています。読者の皆様には、諸事情ご理解の上で読み進めるか否か、誰に見せるかの判断をお願いします。
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 司会:三浦小太郎守る会代表
(前 略)
 急にトヨタ・アキコさんが来れなくなったことから、あるビデオを流そうと思っております。
(後 略)

 宋允復氏(守る会・NO FENCE事務局長)の解説
 私のほうから、簡単にご説明しますと、実は今回この場を作る上で、大変中心になって動いていただいた川島高峰准教授の門下生たち、ゼミ生たちが、学内でゼミコンクールというのがあったそうなんですね。

 そこでゼミの学生たちが、北朝鮮の人権問題をテーマにしまして、実は先週日曜日、私どもがお呼びしたある北朝鮮出身の女性の方に、個別に学生たちがインタビューしたものがありまして、それをほんとにごく(短い)5分ですけども、北朝鮮から中国に逃れて、中国で捕まって送り返された女性たちが、北朝鮮国内でどういう仕打ちを受けるのか、その部分に重点を置いた編集をしておりますので、その部分だけご覧いただこうと思います。

 私のほうからちょっと事前にご説明しますと、お話しいただいているこれからお見せする映像などでお話ししていた女性は、元々平壌生まれで幼い頃は平壌で育って、父親が軍でそこそこのポジションにいた家の娘さんです。本人自身も、軍の畑を歩んだ人なんですけど、軍に勤務していた間に看護将校といって、看護士ですね、医療部門の仕事をしていた人なんです。

 ただその人が、いざ軍を除隊して地方に嫁いでみたところ、地方の生活の状況が、大変悲惨な状況になっていることに初めて気付いて、それで何とか幼い、3歳と4歳の子供を食べさせないということで、苦労して各地を放浪した末何とか中国に逃れ出たんですけども、中国ですぐに捕まってしまって強制送還されました。

 その強制送還された先の恵山(ヘサン)という都市の取調べの施設ですね、保衛部の監獄といってました。そこで本人自身取調べの対象でありましたけれども、元々軍で看護士をやっていたという経歴を買われて、強制送還された妊婦たちの強制堕胎の手伝いをさせられたんです。具体的に強制堕胎とはどういう形で行われていたのかを話していただきます。その内容を簡単に紹介しました。

(ビデオが流れる)
凡 例
ナレ:ナレーション
字幕:脱北者の証言の日本語字幕
解説:川島ゼミの学生による解説
宋氏:ビデオの中の宋允復氏の解説

ナレ:中国との国境を越えることを決意する。
字幕:下の子供をリュックに、上の子供の手を引いて中国との国境の川を渡りました。
   しかし越えてわずか7時間で、中国の国境警備隊に捕まってしまった。

解説:保衛部とは体制に反対する人を取調べる機関です。収容所の管理も兼ねています。
   保衛部によって祖国への反逆行為が認められた人が、収容所へと連行されます。
   女性は保衛部による取調べの様子を、細やかに語ってくれた。

字幕:保衛官による取調べは男女完全に分離で、女性を一列に並ばせ、棒で叩いて拷問します。
   監房がそれぞれあって、両脇に素っ裸にした女性を立たせるんです。
宋氏:ここに素っ裸にした女性たちを立たせてるんです、両脇に。
字幕:中国から持ち込み体内に隠しているものをすべて出させるために
   女性は屈伸運動やジャンプをさせるのです。

解説:妊婦に対する拷問はさらに厳しい。医学の知識を持つ彼女は、強制堕胎の補助をさせられていた。
字幕:妊婦は廊下の真ん中に並ばせて、保衛官は、劇薬を入れた注射針を胎内の赤ちゃんの
   頭めがけて打って、強制堕胎させる。そして妊婦の髪の毛を掴んで引きずり下ろし、
  「中国の種をはらんできやがって」と罵り、コンクリートの壁に頭を叩きつけるのです。

解説:保衛部での拷問、生命の危機を感じた彼女は、
   栄養失調に陥った我が子を病院に連れ出した隙に、再び脱北を試みた。
字幕:ところがその時中国のブローカーたちが川辺で待ち構えていて、
   私も子供も売られてしまった。それが2000年初頭の冬、
   生き別れになった子供たちはどこに行ったのかわからない。
   でも北朝鮮に送り返されるよりは、親子散り散りばらばらになっても、
   ご飯の食べられる所に行ったほうがマシだと思った。

解説:子供の行方がわからない今、彼らの身の危険を恐れ、
   彼女は脱北した今も実名を明かすことはできません。
(ビデオ終了)

 宋允復氏の解説の続き
 ご苦労さまでした。この内容の詳細に関しましては、私どもNO FENCEで取材した内容が、ホームページに動画でUPしてありますので、ご関心のある方、NO FENCEといって入っていただければ、彼女が話したファイルも出てきますから。

 で、私が補足で話したほうがいいでしょうかねぇ。
要するにリバノール溶液という強制堕胎させるために(妊娠)月数の違う女性の収容者をそれぞれ全裸にして、冬でも(冷たい)コンクリートの床に寝そべらせて、そこにリバノール溶液という、本来外傷の(治療時に使う消毒液)0.25%に希釈して使う溶液を、70%(!)の濃度で、注射器で20cc、妊婦のお腹の胎児の頭めがけて打ち込むんだそうです。

 午前中にその措置をすると、何故か月数の違う妊婦たちが、だいたい同じ、夕方から夜にかけて同じ時間帯に陣痛が来て流産するんですけども、元々医療知識を持ってる方でしたから、それだけの劇薬を注入すれば、基本的に赤ちゃんは死んで出てくると思ってたそうなんですね。

 ところが死んで出てくる赤ちゃんは稀で、たいてい生きて出てくるんだそうです。生きて出た赤ん坊は、新聞紙でくるんでバケツに入れて2〜3時間置いておくと死ぬもんですから、それをまとめて掃除する担当のものがいて、裏の野原のほうに埋めると。

 女性たちは、そのような形で強制堕胎されて後処理も何もしません。出血を拭うための紙とかトイレットペーパーなども一切与えないので、中国から着てきた服の肌着などを使って下血した物等を拭って、廊下での措置が終わって、強制堕胎が終わるとそれぞれ監房に入れるんだそうです。

 監房に入れますと、それぞれ板張りになっているんですけど、非常に不衛生で、板張りの隙間がノミとかダニとかの巣窟になってるんですね。その虫たちが、下血の臭いに誘われて、どんどん妊婦の陰部等に噛み付いて血を吸うわけです。それが痒いものですから、まったく不衛生な体も洗っていない手で掻くもんですからまたそれが膿んで、破けててなことで、しかも女性たちが、陣痛の苦しみに耐えかねて声を漏らすと、角材で思いっきり叩くんだそうです。

 やっぱり女性も母性本能ありますから、自分の身ごもった子供が、そういう形で流れたいうことでかなり悲しんだり、泣いたりしますと、
>中国の種が流れたのがそんなに悲しいか
と言って、髪の毛を掴んでコンクリートの壁に叩きつけるということを盛んにやった、と。そういう処置をされる中で、死んでいく女性も数多く見た、とそういう話しでした。

(第二部 脱北者の証言はこれで終了です)

 投稿者による追補
 通常の出産であっても、母体にかかる負担や感染症などの危険は相応に高いのに、北朝鮮保衛部による措置がどれほど危険で、野蛮で非人道的であるかは、いうまでもありません。

 また、保衛部の取調べ官の
>中国の種をはらんできやがって
>中国の種が流れたのがそんなに悲しいか
の発言は、「血統の純粋性」に異様に固執する北朝鮮支配層の思考の後進性、ナチスまがいの反動性を如実に示すものです。

 悲惨な映像・証言を紹介した直後に、あまり打算的なことを言ってはいけないのですが、北朝鮮当局による堕胎の強要、横行は、宗教上、また女性の権利意識の向上から人工妊娠中絶とその強要に強い拒否感情を示す欧米世論への訴求力が強く、もっともっとこの点は国際社会に提起されるべきだと感じました。

 そして、国際社会の監視と圧力が強まることが、このような蛮行を食い止め、根絶は難しくても、悲劇を少しでも減らす手立てにはなると思うのです。

 参考資料
消毒のリバノールとは
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310744533

アクリノール液(リバノール)
http://www1.ocn.ne.jp/~kamase/akurino-ru.htm


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2009年01月01日

脱北者の証言4 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第2部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第2部 「収容所体験者・脱北者による証言」
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

・・・・・・・・・・

(承前)
(投稿者より)
「北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 第2部 脱北者の証言」
日本在住の脱北者、リ・ウチョル氏の証言を紹介します。
 以下に記されている理由で、顔や人物が特定できるような情報はお知らせできませんが、非常に好感の持てる人士でした。日本語で証言していますが、ファイルを聞いた方はその流暢さに驚かれると思います。

 司会:三浦小太郎守る会代表
(前 略)
(証言者は)リ・ウチョル(李宇哲、漢字名は推定)さんに変更になりました。
 この方は、親族がまだ北朝鮮で危険な立場に置かれております。
 リ・ウチョルさんに関してはですね、顔は撮影しないでください。本当に申し訳ないことでありますが、これはお願い致します。リ・ウチョルさんに関しては、声の録音や放送は結構です。しかし顔は撮影しないでください。以上のことは主催者の方からお願い致します。
(中 略)
 それでは次にですね、リ・ウチョルさんは日本語で…。じゃあ、脱北者のリ・ウチョルさんのお話しをいただきます。よろしくお願いします。くどいようでございますが、お顔の撮影はお止めくださいませ。

(拍手の中、リ・ウチョル氏登壇)

★リ・ウチョル氏(脱北者、元在日朝鮮人帰国者の家族)

 こんにちは!リ・ウチョルと申します。(原稿に目を向けながらの語り)私は、中国で北朝鮮から脱北してきた人たちが、どのような困難に遭遇しているか、人権侵害に泣いているかのお話しをしようと思っています。私もその一人だったからです。

 私は2002年に北朝鮮から脱北して、脱出して中国に渡りました。中国で初めての仕事は、海鮮中国料理店の従業員として、調理師以外の仕事はすべて経験しました。仕事中注文を聴き間違えたり、配膳を間違えたり、皿を割ってしまったりした場合は、従業員の責任として、給料の中から差し引かれてます。

 3〜4ヶ月分の給料は未払いで、後2ヶ月分は貰えた後辞めました。その時私は、1日に13〜14時間働いていました。その月給は400元で、日本円にすると5000円くらいですよね。それも何ヶ月間か続いて貰えなくて、4ヶ月間働いて600元貰って辞めました。

 それでも他の脱北者と比べると、彼らの受けている苦しさと比べると僕のことは、何でもないです。ほとんどの脱北者たちは、中国人が貰える最低の給料の半分にも足りないくらいを貰いながら働いています。人柄がいいオーナーさんに会ったら、中国人が貰える最低の半分くらいですね、その分を貰いながら働くことができるんですけど、そうではないオーナーさんに遭ったらですね、何ヶ月分の給料を貰えることできないし、そのまま働いている場合も少なくありません。

 それでも脱北者たちは、どこに行って、訴えることもできないです。それは何故かといえば、中国政府は、脱北者たちを難民として認めず、不法越境者として扱っています。だから来た脱北者たちが、中国政府に捕まえられたら、北朝鮮に強制送還されます。こういう点を悪用して良くないオーナーさんは、自分の気に入らなかったり、もしくは給料が少ないとか未払い分について不満を少しでも現わすと、後ろで公安といえば、中国の警察なんです。公安に密告する場合があるから、脱北者たちは、しょうがなく辛抱するしかないです。

 これは、わたくしが中国でよく聞いた話しなんですけど、脱北者が中国に渡ってですね、最初に脱北者を発見した人は、その脱北者の持ち主になる場合があります。持ち主になったら、持ち主になった人が、どこかに売りたくなったらそこに売ります。特に女性ですね、脱北者の女性たちは、中国で売られたり、買われたりしています。

 中国の田舎では女性たち、ほとんどの女性たちが、都会に出稼ぎに出てるので、家の中で農作業をやっている男性と、特に障害を持っている男性は結婚しにくいです。だから、脱北者の女性たちは、田舎の男に売られています。もちろん、売られていった家が優しければ、普通の生活ができる女性もいます。

 でも、そうでない人間に売られたらそれは大変なことになります。お金を払って買ったから、人間として見られず、物として取り扱われている場合がほとんどです。性売買(売春)のために売られている女性もけっこういます。

 これは、私がラジオで聞いたことなんですが、中国からモンゴル、タイ、ベトナムなど第三国を経由して韓国を初めとして、脱北者を受け入れている国に行きます。脱北者数人が、中国かモンゴルに行っていました。中国とモンゴルの国境は、ほとんど砂漠になっています。人の住んでいない、木もない、水もない、草もない砂漠を歩いて越えていました。方角もはっきりわからないし、持っていた食べ物もなくなって、疲れやひもじさで途中で死んだ人もいます。あの中で、ある母親の息子が死にました。息子が自分の懐で死んでいくのを見て、何もできなかった母親の心の辛さは、どんな辛さだったか、これは言葉では形容できないです。

 日本ではありえない、考えられないことが中国では起きています。しかし、私は、他の脱北者に比べたら比較的問題なく住んでいました。それは何故かといえば、一つには言葉でした。わたくしは、脱北して中国に行くために、北朝鮮にいる時も中国語の勉強を始めて一生懸命勉強したんですけど、もちろん中国人と同じではないですけどある程度できたので、私が少数民族の朝鮮族と言うと誰も私が脱北者と気付いてなかったです。

 朝鮮族といえば、日本にも在日韓国人、在日朝鮮人がいると同じように、中国にも在中国コリアンがいます。中国には50ほどの少数民族が住んでいます。中国は広い国ですから、少数民族の中には中国語が上手にできない人もけっこういます。私は中国のコリアン、朝鮮族であると言ったら、みんながそれを信じていました。

 私が、中国滞在中安全だった二番目の理由は、本物に限りなく近い偽物の身分証明書があったからです。中国で私が、事故や問題を起こさない限り捕まる確率は非常に少ないです。でも私は、母のことですね、家の家族、母のことを心配しながら暮らしてたです。

 母は、韓国人が経営している韓国料理店で働いていましたが、母は中国語もできないし、偽物の身分証も持っていなかったので、それが一番心配でした。韓国料理店で働いている脱北者もけっこういます、中国で。それを知った中国の警察が、韓国料理店で働いている脱北者を捕まえたこともあります。それなので、母はいつも心配しながら働いていました。

 警察の制服を似た制服を着て店に入った人たちを見て、店の裏門から逃げたことも度々でした。警察の制服を似た制服を着た人たちは、例えば、警備員、建物の警備員とか、税務署の係員、衛生管理局の係員です。

 中国国内での移動は、脱北者にとってかなり難しいです。普通脱北者は、中国語ができないから、汽車の中で切符の検査で捕まる場合も多いです。脱北者たちは、中国のどこに行っても危険はついて回ります。私の家族が日本大使館で保護を受けるためには、日本大使館のある北京まで行かなければなりませんでした。

 私の家族が住んでいた所から北京まで、汽車で8時間くらいかかります。その時、あいにく北京では、人民代表大会が開かれています。人民代表大会といえば、国会議員たちが集まって開く大会のことと中国では同じなんです。そのため北京の駅では、外部から来た人の身分証明書を徹底的に調査していました。

 私が、汽車で行こうとした最初の計画を変えて、バスで北京へ行きました。私たちが出発する2日前から大雪が降って、乗客(は定員)の半分にも満たなかったので北京高速道路の入口での検査は、運良く避けられました。こうした難関を越えて、ようやく日本大使館に保護されました。

 今、この瞬間にも中国の警察に捕まえられて、北朝鮮に強制送還されたり、あちこちに避難していたりする脱北者は、数知れないほど多いです。脱北者が、何の罪もなくて肉体的に、精神的に苦しんでいます。罪があるとすれば、北朝鮮で生まれたことが罪ですよね。これが、大変辛いことなんです。

 ここにいらっしゃっている皆さんは、日本で生まれて、自由な国で生まれて本当に良かった、本当に幸せだったということを絶対忘れないでください。北朝鮮や中国で味わった苦しさや非合理的なこと、反人道的なことをすべてお話しすることはできません。もし聞きたいことがありましたら、聞いてもかまいません。(司会の三浦氏はダメと合図を送っている)可能な限り質問にお答え致します(拍手)。

 司会:三浦小太郎守る会代表
 あ、すいません。本当は、本人も言っているように質問の時間も取りたいのですが、急にトヨタ・アキコさんが来れなくなったことから、あるビデオを流そうと思っております。また、やはり立場にいろいろ危険があります。質問に全部答えることはなかなかできないと思うので、今日のところは、中国での苦しさということだけをご理解ください。では、リさんありがとうございました(拍手)。

 記録者の所感
 リ・ウチョル氏の日本語は、「だから」が「たから」、脱北者を「たっぽくしゃ」など濁音ができない朝鮮語話者特有の訛りが一部あるものの、それ以外は完璧に近く、起こしも楽でした(もっと聞き取りにくい日本人はいくらもいる)。
 どうやって日本語を習得したかを集会後聞きましたが、本人特定につながる恐れがあるので詳細は控えますが、大変な努力家であることが窺えました。日本での定住と成功を祈って止みません。

(脱北者への強制堕胎の実態に続く)


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脱北者の証言3 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第2部 「収容所体験者・脱北者による証言」
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

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(承前)
 チョン・グァンイル氏(政治犯収容所体験のある脱北者)
 通訳:宋允復NO FENCE事務局長

 チョン・グァンイル氏が記憶している収容者の個人情報
 そして、ここは日本であるということで、日本に縁(ゆかり)のある人について言いますと、私がいる間に5名の在日朝鮮人出身者がおりました。その内の一人は、運良く耀徳の革命化区域から出されて、その後韓国(北朝鮮の言い間違いか)から第三国に逃げ出したシン・ジョンエという方、一人おりますけれど、それ以外の4名については生きているのか、死んでいるのか、私には定かな情報はありません。

 先ほど申し上げましたように、私は収容所の中では班長という立場でしたので、自分の班に配置される収容所の身柄の情報については与えられていました。韓国に入った後、(自分の班の)収容者四百数十名すべてを思い起こすことはできずに、何とか少しづつ思い出して、何とか187人の身上情報については、私なりに簡略にまとめて、今日資料としてお持ちしました。これを今頭から、お話ししたいと思います。

 187人すべてをこの場でお話しするわけにもいきませんので、その中で北朝鮮でそこそこ高位のポジションにいた人たちに関して、その人たちも様々な波風の中で収容所に送り込まれますけれども、その人たちがどういう理由で耀徳に送り込まれて、どういう死に方をしたのかということをお伝えします。

(1)シム・チョルホ氏(42歳、元逓信省副大臣、保衛部批判の失言の罪)
 シム・チョルホという人です。収容所に送り込まれた時42歳で、前はどういう職にあったかというと、逓信省といいますから日本でいえば郵政大臣の副大臣のポジションにいた人が、送り込まれてきました。2001年の9月です。

 この人が何故送り込まれたかというと、保衛部はスパイを捕まえるという目的で盗聴をするんですけれども、盗聴を実施するに当たっては、逓信省、郵政局に一々許可をというか、対応を求めるわけですね。
 この人(シム氏)は煩わしくなったものですから「大してスパイを捕まえられもしないくせに、何で盗聴ばっかりするんだ、保衛部の連中は」ということを口に漏らしたのが罪になって、国家、党の名誉を毀損したという罪で収容所に送り込まれてしまいました。

(2)ユン・ヤンゴン氏(54歳、元在仏貿易参事、韓国人と交流&韓国製品の大量購入の罪)
 次がユン・ヤンゴンという男、54歳です。収容所に送り込まれる前は、フランス駐在の貿易参事という肩書きで大使館に勤務していた人です。この人が送り込まれた理由は、フランス駐在時に韓国製品をたくさん使っていた、韓国人と接触していた、これが罪とされて送り込まれました。

(3)キム・ソンゴン(元ドイツ留学生、仲間との談笑が反政府陰謀と見做されて)
 キム・ソンゴンという男性です。この人はドイツに留学していたのですが、留学生仲間7人で集まって、ドイツでの留学を終えたら、今後将来どういうことをしようかということを話し合ったらしいのです。それが何故か反政府陰謀ということになって、その話し合った人全員が、この耀徳に送り込まれてしまった。

(4)ソン・グンイル(元人民警備隊旅団長、外貨稼ぎの着服の罪)
 ソン・グンイルという男、元々は朝鮮人民警備隊(国境警備隊に相当)第七職務(?良く聞き取れず)の旅団長といって、しかも「労力英雄」という北朝鮮で(二番目の高位の)英雄称号も貰っている男ですから、大変な立場の人間なんですが、その人間が中国で外貨稼ぎをやった際に、その一部を自分の懐に入れた(着服した)罪に問われて送り込まれました。

(5)ヨン・ジョンジュ(52歳、元平壌牡丹峰区域検察所長、保衛部との内部抗争で讒言さる)
 あともう一人、平壌牡丹峰(モランボン)区域の検察所長をやったというヨン・ジョンジュという男、52歳で送り込まれたんですけども、きっかけは何かというと、北朝鮮で大変な事件になった平壌平川(ピョンチョン)区域保衛部長事件(注2)というのがあるんですね。これは何かというと「忠誠の外貨稼ぎ」といって金正日にそれぞれの国家機関が外貨稼ぎをして、金(外貨)を差し出すという運動を盛んに行っていた時に、その保衛部長が不正なことをやったらしいのです。

 その時に、(容疑が)保衛部ですからその捜査を保衛部にさせないで、検察にさせた、と。その検察の捜査に対して、保衛部が復讐のためにあらぬ事件をでっち上げて、検察所長が不正を働いたというでっち上げが報告されて、その波風の中で検察所長という人間まで収容所送りにされてしまったということです。
(注2)平壌平川(ピョンチョン)区域保衛部長事件
かるめぎ68(守る会機関紙、過去ログより)
http://hrnk.trycomp.net/archive/karu68.htm
○フリーダムハウス主催国際会議資料 1
 耀徳 (ヨドック) 収容所ソリム川区域の収監者達
2)平壌ピョンチョン区域保衛部長事件 (1997年)を参照

(チョン氏・宋氏、資料に目を通しながら打ち合わせ後)
 余りにも人数が多いものですから、後は区切って在日に関する話しをしたいと思うのですが、私が見ただけでも入れられた人というのは、

(6)氏名不承氏(元在日朝鮮人、元在チェコのテコンドーコーチ、体制批判の罪)
40歳で入れられたチェコでテコンドーを教えていたのに、チェコと北朝鮮を比較して体制批判をしたという罪で送還されて収容所に送り込まれたとか、まあ次から次へ、いずれ皆さんに公開する時があると思いますけれども、ここまでにします。

(7)カン・ソンチョル(元在日朝鮮人帰国者、拉致問題で失言を密告さる)
 この資料の中に在日朝鮮人で、コードネームで130号連絡所と言いますが、連絡所も外貨稼ぎのために貿易部門を持っていて、日本との間を何回も行き来したんだそうです。その時に拉致問題に絡んで何か発言したことが、他の監視している人間から当局のほうに通報(密告)されて、北朝鮮に帰った時に捕まってそのまま耀徳に送り込まれてしまった、と。

 その人は、元々外貨稼ぎをしている間にだいぶお金を党に差し出したので、ここ(耀徳)に何年かお勤めすれば出してもらえるだろうと思っていたのですが、結局出してはもらえませんでした。その名前がカン・ソンチョルという人です。

 それ以外でも日本との絡みで、一気に8人まとめて送り込まれた人がいたのですけれども、その人たちは35号室という金正日の秘密資金を作る場所の工作員として日本に出入りしていて、日本名も持っている人たちだったそうです。日本名も持っている人たちだったのですが、これもまた情報漏洩か何かの罪に問われて、8人まとめて耀徳収容所の革命化区域に送り込まれました。

(8)ユン・ヨンチョル
(56歳、元在日朝鮮人帰国者、元ペヤン貿易会社大連支社長
 韓国人との接触がスパイ容疑に、母の手編みのセーターを着て憤死)
 このように外の世界では罪にもならないような罪で、次から次へと人が送り込まれてくるというのが、北朝鮮の収容所でありまして、ここでもう一人、在日朝鮮人だったユン・ヨンチョルという男、当時2000年に耀徳に送り込まれたのですけど、56歳でした。この人も自分が何の罪で送り込まれたのか、まったく知りませんでした。

 送り込まれる前に何をしていたのかというと、軍隊が持っている貿易会社、びゃくよう、ペヤン(柏陽または白陽?)貿易会社というのがありまして、それの大連の支社長をやっていたのですね。その商売をやる中で、韓国人と取引きしていたのが、これもまたスパイ容疑ということになって送り込まれたのですけれども、この人は、送り込まれる前の取調べの生活が長かったものですから、送り込まれた時は、ほとんどまともに身も体も動かせない状況でした。

 しかも彼が特徴的だったのは、彼の話しによると自分の母親は、日本でまだ生きているんだと。その母親が手編みで編んでくれたセーターをずっと着ていたこと。真夏でも着ていたんです。何でこのクソ暑いのにそんなものを着ているんだ? と言ったら、いやこれは、母が編んでくれたセーターだからと泣いていたのです。そしてとうとうこの人(ユン・ヨンチョル)は、収容所の中で栄養失調で死んでしまいました。

(9)シン・ジョンエ氏(元在日朝鮮人の収監者で唯一釈放が確認されている人)
 先ほど、私が知っている在日朝鮮人の中で、運良く生きて出ることができたシン・ジョンエさんですけれども、この人も1年収監されて出て行く時は、運良く革命化が終わって出されたんですけど、その時には自分で歩けない状況で、担架に乗せて出されました。

 耀徳の中で人が死にますと、棺桶に入れるということは一切ありません。墓の形さえ作らせないのです。とにかく埋めて、平たにしてしまう、土に返してしまう。

(以下の段落のみ、宋氏個人の発言です)
 これは別の機会に、彼(チョン氏)から聞きましたけれども、要するに一旦こういう所に送り込まれた人間は人間ではない、土くれなんだ、だから土に戻すんだ(注3)、という言い方を(耀徳では)良くしていたそうです。
(注3)「死後も人民に踏まれろ」で平土(ピョンド)に
 姜哲煥・安赫共著の「北朝鮮脱出」(文春文庫上下巻)でも言及されていますが、耀徳収容所では、囚人が死ぬと墓を作ることは許されず、死体は特に道の下に埋められ、その上も墓や盛り土にせず平らな平土(ピョンドと読む)にされます。これには「政治犯は死後も人民に踏まれろ」という意味があり、祖先崇拝や墳墓の整備に固執する朝鮮文化圏の人々にとっては、極めて侮辱的な仕打ちになるのです。

(再びチョン氏の証言)
 収容所も12月になるととても冷たくて、土がカチカチに固まるので、死んだ人間を埋めるという作業がなかなかできないのです。ですから死体は、12月以降は倉庫の中に収めておきまして、その倉庫の中でカチカチに(凍って)固まるそうです。そして2月頃、土が掘りやすくなったらまとめて埋めるという作業をしていました。

 収容所の中には、名前ばかりの病院というのがありまして、そこでどういう処置をするかというと、例えば歯が痛いので抜歯をするとなると、歯科の抜歯用ではなくて、普通の工具のペンチで歯を抜きます。

 また盲腸の手術もするんですが、どういうふうにするかというと、メスなどはもちろんありませんので普通のナイフを(消毒のため)火で炙りまして、麻酔などなく(意識が)生きたまま人間を縛って、ナイフを入れる、と。そのナイフを入れる人間も医師免許があるわけではなくて、収容所では獣医の免許さえあればそういう行為をさせる、ある種実験台にもなっているんです。

(チョン氏、宋氏に何事か訴えて、以後は宋氏の解説)
 彼自身は、昨日も話したのですが、本来こういうことは思い出したくなくて、韓国に来てもうだいぶ経ちますけれど、それでも寝るとき悪夢が甦ってよく眠れないものですから、寝る前に酒が欠かせないそうで、こういうこともなるべく思い出したくないということで、意識下に押し込めようとしてきたんですけれども、私どものこういう要請で、とにかく苦しいかもしれないけど、(収容された)その人たちのためだからとお願いして今回来まして、彼は(これ以上)話すのは辛い、と今言っております。
(司会の三浦代表に)どうしましょう? 時間はどうですか?

 司会:三浦代表(この発言部分は、公式ファイルでは編集されて削除されています)
 もし、宋さんのほうで、既に聞いたことがあるのであれば、少し話していただけますか? どうしても本人がイヤだというなら…。

(チョン氏気を取り直して、再び語り始める)
 革命化区域の他に完全統制区域というのがあって、この世に生きて出さない区域のほうが9割以上あって、30万以上と推定される政治犯収容者の中で、ごく一部、1割弱が、革命化区域という所で辛うじて生きている可能性が残されているというところです。

 ただ、革命化区域の人間であってもここまでの扱いをされていて、バタバタ撲殺され、餓死し、冬には凍死しております。

 今この方は、韓国で北朝鮮政治犯収容所解体運動本部の組織部長という仰々しい名前ですけども、こういう運動体で活動しておりますので、今後皆様も、こういった収容者の問題に関心を傾けていただいて、皆様のご協力の下に早くこういった非人道的な行為に終止符が打てるように世論を、国際世論を盛り上げていきたいと思っています、ということです(拍手)。

 司会:三浦小太郎守る会代表
 おそらく今後資料のほうも翻訳がされれば、様々なことがまた明らかになると思います。

 本日この会場に民主党の末松衆議院議員が、いらしておられます。末松先生、ひと言お話しをいただけないでしょうか? 末松先生に拍手よろしくお願いいたします。

 末松義規(すえまつ・よしのり、民主党衆議院議員、東京19区)
どうも皆さん今晩は、今のお話しを聞いていてまた背筋が寒くなって、本当に非人間的な扱いをそこまでやれるのかというショックを受けているところでございます。

 私は、民主党の衆議院議員で末松義規と申しまして、今拉致特別委員会の民主党の筆頭理事をさせていただいております。そこでいろいろな委員会の質疑等をやって、今月(12月)も17日にまたやることになっているわけでありますが、北朝鮮の金正日が…(呼び捨てはまずいと思ったのか、国防)委員長が、病気を患っているので、ほとんど再調査をしてしっかりやれという話しが決まったかと思ったら、全然決まらずに、私ども委員会としても今いろんな活動を、手紙を委員会として正式に出して北朝鮮に送ったりしても、何ら梨の礫(つぶて)になっていまして、ちょっとどういう形で進めていけばいいのか、本当に政府の尻を叩くのは、ずっと叩いているのですが、国会議員としてどういう形で進めていけばいいか、非常に苦渋、難渋しているところというのが、現実でございます。

 別途私は、ミャンマーの民主化運動の民主化議連という議員連盟がございまして、そこの事務局長もしております。これも75名くらい超党派で集まって、ミャンマーのアウンサン・スー・チーあるいは、そういった政治犯を何とか助けていこうという話しをしているんですけども、これもですね、独裁体制の軍事専制の体制をなかなか崩せないというかですね、国連のガンバリ特使なんかも頑張ったり、あるいは潘基文(バン・キムン)事務総長も頑張ったりしていますけど、なかなか達成できないという話しで、本当にここでいろいろお話しがなされると思うんですけれども、ちょっとこちらのほうも手詰まり感で、結局体制を崩してひっくり返すしかないというのが、大方の結論だろうと思うんですけども、なかなかそれは外からはやれないというような状況でございます。

 そういった意味で、ただ粘り強く日本としてやらなければいけないことなんで、最後の一人がきちんと救出されるまで、政治家として責任を取ってゆく、そういう形で臨みたいと思います。今日もまたよろしく追い願い申し上げます(一礼、拍手)。

 司会:三浦小太郎守る会代表
 私たち、もちろん超党派の運動といいますか、基本的にどの政党を支持するのか、そういうのは6団体いずれにも無いと思います。ただ、自由民主党であれ、また民主党であれ、どの政党であれですね、今の話しをお聞きになればね、このような体制は許せないというのは、自由や民主主義を価値とする政治家ならばすべての方々が共有していただけるのではないかと考えております。

※チョン・グァンイル氏の持参した収容者リストの翻訳・文書化は時間がかかると予想されるので、今回掲示した資料からでも、特に元在日関連の被収容者で情報をお持ちの方がいたら、守る会、NO FENCEにご一報ください。

(リ・ウチョル氏の証言に続く)


(注2の参考資料)
 平壌ピョンチョン区域保衛部長事件 (1997年)
 国家保衛部海外情報課所属ロシア駐在のある職員が、イエメンにミサイルを売却して多額の利益を得た。それで一部は個人的に横領し、残りは金正日に献上してその功績を認められて共和国英雄の称号を授与され、平壌市平川 ピョンチョン)区域保衛部長という肩書きを得た。
 その後最高検察所海外チームが不審を抱いて調査したところ、海外口座に個人の資金が入金されていることが発覚し、これを金正日に報告した。金正日は彼を公開処刑した。このことで、保衛部側では検察所側に恨みを持ち、関連検察所を対象として報復したこともあった。


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※北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 http://hrnk.trycomp.net/
 NO FENCE http://nofence.netlive.ne.jp/
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脱北者の証言2 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第2部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第2部 「収容所体験者・脱北者による証言」
08.12.14 明治大学リバティータワーにて


(承前)
(投稿者より)
「北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 第2部 脱北者の証言」
耀徳政治犯収容所の体験者チョン・グァンイル氏の証言を、長文のため二分割にて紹介します。

 文字起こしにあたって、通訳の宋允復氏の特有のクセで、語りが「私が」の一人称と「彼が」の二人称が混在している部分がありますが、読みやすさを優先させて、明らかに宋氏の解説である部分を除いて、私の文責で「私が」の一人称に再構成しています。

 また通訳を介す場合、どんなに優秀な通訳でも一定程度の誤訳や漏れが生じることが避けられず、これに記録者の主観が再構成時に加わるので、メディアや学界関係等で正確さを要する場合は、オリジナルの公式ファイルの画像と音声との参照をお願いします。

 なお証言内容には、極めて悲惨で、尾篭な汚い部分も多く出てきますのでご承知の上でお読みください。
いつも通り、発言内の( )は原則投稿者の補注です。

・・・・・・・・・・

 司会:三浦小太郎守る会代表
 ご存知の方も多いと思いますが、基金は、結成以来もう1000人くらいになるのかな、とにかく数百人以上の人名を何らかの形で助けております。

 そしてこのような脱北者の方が、日本にも多く在住し、韓国にもたくさんいらっしゃる。今日お二人が来ておられますけれども、最初にどうしても断っておかなければならないことがあります。

 皆さん、お手元に資料があると思いますが、チョン・グァンイルさん、こちらの方は、カメラを撮影される方々、自由に撮影されていただいてかまいません。もう一人ですね、ワン・ヘソンさん、日本在住の脱北者、そして中国で非常に悲惨な目に遭った人をお呼びする予定でしたが、ちょっとこの方は変更になりまして、リ・ウチョルさんという同じような立場の方です。メモをされてください、リ・ウチョルさん、発音は下手だと思いますがカタカナです。リ・ウチョル(李宇哲、漢字名は推定)さんに変更になりました。

 そしてこの方は、親族がまだ北朝鮮で危険な立場に置かれております。リ・ウチョルさんに関してはですね、顔は撮影しないでください。本当に申し訳ないことでありますが、これはお願い致します。リ・ウチョルさんに関しては、声の録音や放送は結構です。しかし顔は撮影しないでください。以上のことは主催者の方からお願い致します。

 それでは最初に北朝鮮政治犯収容所の体験者であるチョン・グァンイルさんの証言を、NO FENCEという最近収容所の解体を目指す団体が結成されましたが、そこの事務局長、宋允復氏の通訳でお届けします。じゃ、よろしくお願いします(拍手)。

★チョン・グァンイル氏(政治犯収容所体験のある脱北者)
 通訳:宋允復NO FENCE事務局長

 アンニョンハセヨ、チョン・グァンイルニダ。
 こんにちは、チョン・グァンイルです。私は元々1963年に中国で生まれて、68年に北朝鮮に「帰国」という形で(北朝鮮に)入った人間なんですね。北朝鮮に入った後に会寧(フェリョン)という中朝との国境の町で、小学校、中学校を過ごしまして、79年に軍に入隊し、87年に除隊しました。

 その後、92年までは、一労働者として生活していたんですけれども、92年になって824部隊、これは皆さん、日本人拉致の前進基地のある清津(チョンジン)連絡所ってお名前お聞きになったことがあると思うんです。実は彼は、その清津連絡所のある分駐所と言っていますけれども、そこで勤務をしていました。

 私は98年まで、先ほど申しましたコードネーム824連絡所である清津連絡所、ここで要するに拉致工作等で出入りする、戻ってくる工作員を、偽装漁船(=「不審船」)で引き揚げたりということに関わっていまして、98年の10月からは、今度は連絡所絡みの貿易会社がありまして、「朝鮮貿易会社」といいますが、そこで貿易の事業に携わっておりました。

 その貿易会社は、中国の延吉(えんきつ、ヨンギル、注1)に支社を持っておりまして、99年の5月までそこの支社長としていたんですけれども、99年7月にスパイ容疑、何ゆえにかといいますと、水産物貿易その他で韓国人ビジネスマンと接触したんですね、それがスパイ容疑になりまして、保衛部の取調べを12ヶ月間受けた後に、2000年の4月に耀徳(ヨドク)収容所、皆さんお聞きになった方が多いと思いますけれども、15号耀徳収容所の革命化区域に送り込まれました。
(注1)延吉の読み方
 宋氏は、「えんきち」と発音していますが、漢字登録や各種検索では「えんきつ」と入力しないと、上手く出てきません(「えんきち」の読みも誤りではないようですが)。チョン氏は朝鮮読みで「ヨンギル」、中国語では「イェンジー」となります。

 2000年に(耀徳に)入れられまして、その後2003年の3月まで収容所生活をし、釈放されたのは4月11日です。その後2週間ほどで4月25日に中国に脱出しました。中国では5ヶ月ほど滞在しまして、第三国を経由して2004年の4月に韓国入りを果たし、現在ソウル在住です。

 先ほどのスパイ容疑を受けた経緯について、簡単にお話ししたいと思います。私が以前勤めていた824連絡所というのは、大変機密に関わる部署であって、私自身がその機密を知り得る人間であった訳ですから、貿易を扱う部署に移された後も、実は監視付きだったのです。私本人は自覚していなかったのですが、監視されておりました。

 当初、中国で中国人相手に貿易をやっていたんですけれども、商売として上手くいかなかったのです。それで私は、他の意図はまったく無く、商売の目的だけで韓国人のビジネスマンと接触をしました。

 相手をしていた韓国人ビジネスマンに、特に親しくしていた人がいたのですけれども、私が承知している限り、その人は韓国の情報機関と繋がっている人でも何でもないわけですが、保衛部はそれに目を付けました。彼は、韓国の情報機関の手先であるということになって、個人的な付き合いの中でプレゼントを貰ったりした、それも情報機関からの工作資金を受け取ったという罪名にされまして、スパイという扱いだった訳です。

 取調べというのは、大変厳しい拷問が続いたわけです。私自身は、当初はそんなことはしていない、秘密を漏洩した覚えもないし、意図的にしたこともないと頑強に否定して、頑張ったですけれども、やはり拷問には耐え難くて、いっそこのまま認めて、後は殺されてもいいやと諦めまして、「確かに工作の任務は受けたけれども、遂行はしなかった」とのこの線を守って、虚偽の自白をしたわけです。それが認められて収容所送りが確定しました。

 こうしたスパイとの疑いがかかって取調べを受けますと、一般の司法の手続きとはまったく別体系です。公開の裁判があるわけでもなく、正式な取調べがあったわけでもないのですけれども、拷問を受けて本人が自白したということで、そのまま15号の耀徳収容所に送り込まれました。

(耀徳に)送り込まれてみますと、本当に人間として生きられる所ではないというのが、切実な実感です。私が送り込まれた革命化区域というのは、生きて出られる可能性が残されている所なんですね。ただそこでの扱いも過酷でありまして、送り込まれる前の段階で拷問を伴った過酷な取調べを受けて数ヶ月とか1年過ごしているわけです。

 それで充分に衰弱するだけ衰弱している人間を送り込んで、かなりの強度の強制労働を課すものですから、当然(ノルマ)は達成できません。そうなると食事を減らすという、ただでさえ収容所の最低限の、命を永らえる最低限の食事をさえも削るということで、栄養失調で死ぬ、殴られて死ぬ、そうした人間を夥(おびただ)しく見ました。

 私は運良く生き延びまして、収容者の班長という囚人の中で一定程度監督する立場に付けられたのですけれども、私がいる間、私の班で延べ人数で400人余りの人間が送り込まれましたが、収容された3年の間に200人が死にました。400人送り込まれた中で、200人が3年間の内にどんどん、どんどん死んでいきました。

(耀徳では)収容者たちの労働意欲をかき立てるために食糧が使われるんですね。具体的に申しますと、伐採した木材、直系30センチ以上、長さ4メートル以上の木材を山で伐採し、それを片道2キロの区間を一日4往復させるのです。その木材を引きずって運ぶという運搬作業です。

 その4往復を仕上げると、トウモロコシ餅を一つあげるのです。すると、そのトウモロコシ餅一つを欲しいがために、その達成のために夢中になるのです。虚弱な体を引きずってやるんです。ただもっと弱い人を、例えば押しのけて、で、押しのけられた人は体力がないものですから、斜面をゴロゴロ転がってそのまま木材の下敷きになって足が折れるとか、死ぬとかが頻発するくらい過酷な状況の中で、働かされます。

 しかもそれを冬季にやらせるんです、寒い時にです。そういう形で4往復を仕上げられなかった人たちは、食事が与えられないものですから、それでまた餓死するとこういう形でバタバタ人が死んでいきました。

 春先になりますと、今度は種蒔きの季節になります。蒔く種は何かというとトウモロコシが主なんですけれども、囚人たちが、監視の目を盗んで種を口に入れようとしますね、どうしても。ですからそれができないように人糞を撒くのです。種蒔きの作業をする前に、トウモロコシの種を人糞まみれにしたものを収容者たちに(渡して種蒔きの)作業をさせるのですけれども、それでも口に入れてしまう者がいる、ひもじさの余りに、です。

 もちろん口に入れる時は、服などで拭って入れるのですが、それでも病原菌が残っていまして、それで大腸炎に罹って死ぬ人間が、けっこうな数で出てきます。毎年、春先の種蒔きの時期になりますと、そういう形で死ぬ人間、人糞まみれのトウモロコシを口に入れて死ぬ人間が、だいたい20人か、30人はコンスタントに出てきます。

 夏になりますと、今度は草むしりをしなければならないのです。草むしりも大変な面積をやらせるものですから、しかも暑い夏です。乏しい食事で働かされて、やっぱり課題(ノルマ)を遂行できない人が出てきます。そうするとまた無条件に食事を削ってしまうということで、栄養失調で死ぬ人が、夏にも20人から30人出てくる。

 秋口になると、今度は草を刈って堆肥を作る作業というのがありまして、これも大変な分量です。一人当たりの堆肥を作る課題の量というのが、800キロです、一人当たり…。800キロの堆肥を作れないと、これまた食事を削られて飢え死にする。

 収穫の秋、実りの秋になりますと、囚人たちが作ったトウモロコシを盗み食いするチャンスができるわけです。ただこれが発覚しますと、一房以上盗み食いしたことがバレますと、独監房(トクカンバン)といいまして一人だけを押し込める小さなスペースがあって、そこに送り込まれます。

 独監房といいますと、高さが1.5メートル、幅が1.5メートルということで横になれません。足を伸ばせないというスペースに押し込んで、一日三食与えられますけど、一食あたりスプーン一杯の豆ご飯、(宋氏:たぶん大豆を煮た物と思いますが)と、コップ一杯ぶん位の(実の無い)塩水、一応塩漬けの白菜を煮た汁(スープ)ではあるのですけれども、コップ一杯の汁、それが一日当たり、一日三回与えられる。

 私が3年間いた間、独監房送りになった人間はかなりの人数に登りますが、生きて戻った人間は、一人もいませんでした。私が3年間いる間に、直接見ただけで20人くらい送り込まれましたが、一人も生きては出てこられませんでした。

 後、公開処刑についてお話ししますと、収容所にいる間に直接見た公開処刑は2件です。一件目は、労働の最中に余りにお腹が空いたものですから、ちょっと持ち場を離れて山苺の類を摘まんで食べようとしたところ、点呼が入ったのでびっくりして隠れていたところを、逃走を試みたと見做されてその場で射殺されてしまった人間が一人います。

 もう一人は、これもジャガイモを盗み食いしようとして持ち場を離れたところを点呼が入って、びっくりして隠れていて見つかってしまって、その場でこれも射殺されました。その人が射殺されたのは、私が出所する直前の2003年3月5日でした。

(その2に続く)


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脱北者の証言1 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第2部より

◆管理人よりご訪問の皆様へ

支援仲間の原良一氏より、先日の6団体共同集会における第2部「収容所体験者・脱北者による証言」のテキストを提供して頂きました。
第3部のテキストはまだ紹介し終わっておらず順不同になりますが、テキストの速報性を考慮して一足先にアップいたします。
かなりの長文ですので、分割の上ご紹介したいと思います。
北朝鮮の人権状況を知る上で貴重な証言を是非、ご一読いただければと思います。


・・・以下、テキストを転載・・・

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第2部 「収容所体験者・脱北者による証言」
08.12.14 明治大学リバティータワーにて


(投稿者より)
 身辺未整備ですが、とりあえず年賀状を出し終えたので、
「北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 第2部 脱北者の証言」
に取りかかります。ご高覧いただければ幸いです。

 最初に、プログラムで事前告知されていた脱北者で元帰国者のトヨタ・アキコ氏が直前で韓国当局より出国許可が下りず、不参加になった経緯が発表されました。脱北者の現況を知る上で重要と思うので、独立した投稿として案内します。ご了承ください。
いつも通り、発言内の( )は原則投稿者の補注です。
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 司会:三浦小太郎(守る会代表)
 これから脱北者の証言を行います。
 わたくしはですね、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会(守る会)という団体の代表を務めさせていただいております三浦と申します。急遽、この場だけ司会をさせていただきます。

 最初に北朝鮮難民救援基金の加藤博さんから、本日証言予定のトヨタ・アキコさん(仮名)という脱北者の方が来られなくなってしまいました。そのお詫びと経緯を説明さていただきます。

 加藤博氏(北朝鮮難民救援基金事務局長)
 今ご紹介いただきました北朝鮮難民救援基金の加藤です。
 本来証言集会は、3名でやることになっておりまして、それぞれ充分な時間を取ってお話しさせていただくという趣旨でありました。今ご紹介のありましたトヨタ・アキコさんという方は、お母さんが北海道出身の人で、お父さんももちろん北海道出身ですが、お母さんは日本人妻、それで在日朝鮮人のお父さんと結婚して北朝鮮に行かれた方なんですけども…。

 この方は、そもそもは平壌に住んでおられた方です。ですけれども、日本から北朝鮮に帰る時に「3年経てば、日本に戻してあげる」という約束で行ったのに、約束が守れないということで「提議書」(意見書)というものを出したそうですね。

 そのためにその家族は、(北朝鮮最北端の)咸鏡北道(ハムギョンプクド)の茂山(ムサン)、「茂る山」という所に追放されました。その追放される時に「今後一切、日本語を使ってはいけない」と。「もし使うようなことがあれば、一家全滅になると思え」と脅されて茂山に追放されたために、お母さんは自分が第何次船で来たとか、兄弟がどうであるとか、そういう一切のことを子供に話さなかったそうです。

 本人は、去年北朝鮮を脱出して日本に帰りたいと言ったので、私たちも鋭意努力して探したんですけれども、結局本人が日本から行ったということを証明することができなくてですね、結局日本に来ることはできませんでした。

 本人は仕方なく、自分が行ける所の次の選択肢として韓国を選んだんですが、本人は(北朝鮮時代)茂山の社会安全部、警察ですね、戸籍を担当する部署で働くことができたそうです。そういう(北朝鮮の権力機構である)社会安全部にいたという関係で、韓国に来てからもいろいろと取り調べが厳しかったようです。

 本人は、既にパスポートも取得していまして、自由に出国できる体勢にはありましたけども、いざ、この会議に出席する時になって、担当の警察、刑事がいるんですが、「日本に行くことはできない。行ってはならない。行った場合には、パスポートも没収するし、罰金は300万ウォンだ」と、そういう話しがありました。

 私は、この事情がよくわからないので、在東京の韓国大使館の領事に尋ねてみましたら、本人が韓国で保護観察中という場合は、パスポートを持っていても出国できない場合がある」という説明でした。

 本人は、担当の刑事からそう言われて出国できないということで、「今回は申し訳ありませんが出席できません」と、そういう話しがありました。

 ですから、韓国に着いたからといって必ずしもすぐに自由になれるという訳ではなくて、そういう保護観察という身分である場合もあります。そういうような結果で、今回は皆さんに非常にドラマチックな話しでもあり、北朝鮮の現実をわかってもらう上で、非常にいい話しだと思いましたので紹介しようと思っていまいたけれども、今お話ししたような事情で、来れなくなってしまいました。皆さんには、期待していただいたのに充分にそういう機会を設けることができなくて、本当に残念です。申し訳ありませんでした(一礼)。以上です。

 司会:三浦小太郎守る会代表
 今お話しになられました北朝鮮難民救援基金のホームページに、トヨタ・アキコさんの書いた手記が載っております。それなどお読みいただければありがたいと思います。

 ご存知の方も多いと思いますが、基金は、結成以来もう1000人くらいになるのかな、とにかく数百人以上の人名を何らかの形で助けております。

 実はわたくし、この服は脱北者の方から貰いまして、実はこの服も貰いまして、ズボンは間に合わなかったんですが(笑)、わたくしは、いつもほとんどホームレスそのものような格好をして、皆さんと会うことがあるんですけれど、今日は脱北者のお陰で、支援を受けて(笑)ちょっとまともな服を着て、ズボンは丈を短くするのが間に合わなかったので、残念なことであります。


 以下、投稿者の補注

 三浦代表も紹介していましたが、トヨタ・アキコさんに関しては、北朝鮮難民救援基金のホームページで本人の手記を含む詳しい紹介があるので、参照ください。

■北朝鮮難民救援基金NEWS58号 2008/08/28(08.7・8月合併号)
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/news58.htm

日本に行けなかった日本人妻と娘 トヨタ・アキコ
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/news58.htm#
(一部抜粋)
>私は大人になるまで、生まれた北朝鮮が世界中で一番良い国だと信じていた。
>北朝鮮の安全部住民登録課で勤務していた時、(中 略)経済監察課が押収したラジオで
>日本のNHK放送と韓国KBS放送を聴いたのが発覚した。

>調査が始まるとセメントの床にひざまずかされ、椅子、角材を使って、
>頭、胸などを無差別に殴打、暴行され、拷問を受けた。
>私は日本に行きたかった。2004年から2005年にわたって瀋陽の日本総領事館に
>5度ほど連絡をしたが、返事はいつも「待て」で何の進展も期待できなかった。

(脱北者チョン・グァンイル氏の証言起こしへ続く)

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※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※ 北朝鮮難民救援基金 http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/
http://hrnk.trycomp.net/

※このエントリーのテキストは、原良一氏の手によるものです。
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