神雷部隊の慰霊祭を終えて、無事帰宅しました。
いつも靖国を訪ねて思うことは、あそこは無の境地になるところ、ということでしょうか?
何も考えず御霊に頭を垂れて、無心にただひたすら静かに祈る。
それが靖国に詣でるときの一番ふさわしい祈りの形のような気がしています。
世俗の垢もイデオロギーの色も、あの地には似合わない。
ただただ静かに、御霊が安らかであることを祈る。
それが靖国に一番ふさわしい景色のような、そんな気がしています。
靖国参拝のあとのなおらいの会で、今日は元神雷部隊の隊員の方のお話を伺う機会を得ました。
その方のお話によれば、母機の一式陸攻と桜花の間はおよそ1m50cmの距離があるのだそうです。
桜花搭乗員は母機から桜花に乗り移る際、その1m50cmの距離を梯子を伝って下りていく。
その1m50pのことを隊員の方々は“三途の川”と呼んでいたのだそうです。
桜花は一度切り離されたら、後は死に向かうしかない特攻専用機。
「三途の川を渡ったら、それはもう神様なんですよ」と元隊員の方は私に静かに淡々と教えてくださいました。
“三途の川”渡って母機から切り離された桜花が、敵艦に突撃して大破するまでの時間は数秒程度。
「その数秒の間、桜花搭乗員が何を思ったかは、誰にも分からないんです」とも。
“三途の川”とは言いえて妙。
確かに特攻専用機桜花は、一度乗り込んで母機から切り離されたら後は敵艦めがけて突撃するしかない、桜花隊員にとっての棺桶ですから。
私の特攻の大叔父が桜花に乗り込んだあと、母機からの切り離しを受けて敵艦に突撃するまでの本当に短い時間、彼が何を思ったかはあまりにも壮絶すぎて全く想像の余地がありません。
それを知ることが出来るとしたら、私がいつか三途の川を渡ってあの世で大叔父に逢ったときしかないのでしょうね。
願わくば、三途の川の向こう岸で大叔父の最期の思いを聞くその瞬間、大叔父の思いを聞くにふさわしい自分でありたいと思っています。
大叔父が自分の命をかけただけの価値があった、と思ってもらえるような、そんな自分でありたいと思います。
川の向こう岸で大叔父に逢ったとき、「こんな情けない子孫のためにおれは命を捨てたのか?」とがっかりさせたくはありません。
私が死んだあと、あの世で逢うであろう大叔父の前で、胸を張って大叔父の壮絶な決意に対し、毅然と感謝の言葉が言える自分であること。
それが、この国と家族を護るために命をささげた多くの英霊たちに対する最高の恩返しのように感じて、靖国を後に帰宅の途についた私です。