2009年05月04日

64年目の5月4日、その2

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正義大叔父の命日の今日、靖国を訪ねてきました。

いつも思うことですがここは大叔父の魂のいるところ、戦友たちとの再会を誓った約束の地だということです。
神門を入って右2番目の神雷桜を見るたびに、ここに叔父さんの魂は宿っているのだな、と強く感じます。
若葉で覆われた神雷桜が風に吹かれてたてるさわさわという音は、亡き特攻隊員の息遣いのようにも思えます。
神雷桜は、やはりいつ見ても私にとっては特別な桜ですね。


靖国ついていろいろ意見があるのは承知済み。
特攻について様々な理解があるのも承知済み。

でも、私は思うのです。
彼らはどこにでもいるごく普通の人間だったのだ、と。
愛する家族がいるからこそ、自分の命を賭けてでも守ってみせる!と彼らは決意することが出来たのではないか?と。

自分の命をかけるだけの価値のある家族がなくて、どうやって人は決死の特攻を決意できるというのでしょう?
靖国にいらっしゃる英霊たちは、壮絶すぎるほどの愛情を持って後に残る家族たちの未来を守ってくれたのだと思います。
英霊の思いは、後に残る家族へ向ける愛以外に、何があるというのでしょうか?

靖国について特攻について、いろいろ意見はあってもいいと思います。
でも、その議論をする前に、靖国の御霊に対して、一度は深く首を垂れて感謝の意を示すのが、人間としての最低限の礼節ではないか?と私は思っています。

私は後世に生きる一部の人たちが、自分たちのイデオロギー的主張を通すために、特攻隊員を狂信者扱いしたり、逆に軍神扱いする風潮には強い違和感を感じています。
そういう意見に触れるたび、彼らは狂信者や軍神などではなく、ごくごく普通の人間ではありませんか?と私は言いたい。
愛する家族や友人のいるごく普通の人間だから、悩み苦んだ末に、彼らは命を差し出す覚悟が出来たのではないのですか?と言いたいのです。
今の感覚から考えれば正気の沙汰ではない特攻作戦を決行するまでには、彼らにも逡巡の時があり、苦しみの末に悟りの境地に辿り着いた、と考えるのが普通ではないでしょうか?
その過程を忘れて自分の主義主張の裏付けに使うがために、都合のいいところだけを切り取るようにして特攻を語る向きには、違和感と不遜の念しか感じない私です。

世は戦争真っただ中の非常時。
国家存亡の危機に立たされた時、特攻の大叔父は故郷の家族を守るために、自分の命を差し出す覚悟を決めてくれました。
弱冠二十歳の青年の決意の重さを思えば思うほど、私は大叔父の大きな愛情に圧倒されます。
当たり前の話ですが、戦後生まれの私にとって、特攻の大叔父は写真と祖父母や母からの伝聞でしか知らない存在です。
この世で一度も逢ったことのない特攻の大叔父の、あまりにも大きくて重すぎるほどの愛情を感じる場所が、私にとっては靖国なのです。

いつか私が三途の川を渡ってあの世へ逝ったとき、胸を張って正義叔父さんに逢える自分でありたい。
それが、大叔父の命がけの愛に守られた、後世に生きる私の果たすべき最低限の務めと考えています。


posted by ぴろん at 22:17| Comment(1) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

64年目の5月4日

昭和20年5月4日、私の特攻の大叔父は午前5時鹿児島県鹿屋基地を飛び立ち、沖縄を目指しました。
現在時刻は午前8時を過ぎました。
大叔父の特攻時刻は午前8時55分、まもなくその時を迎えます。
64年前の今頃、正義叔父は沖縄を目指す一式陸攻機の中。
どんな気持ちで今この時間を過ごしたのだろう?と思うと、胸が痛みます。

大叔父の乗る桜花の発射ボタンを押した一式陸攻搭乗員だった室原さんは、毎年この日が近づくと、大叔父の桜花発進に立ち会った記憶や桜花発進ボタンを押した感触がよみがえり、血が騒いでどうしようもなかったのだと聞いています。
その気持ちがあればこそ、生前の室原さんは、毎年毎年命日が近づくと千葉の生家に住む遺族に宛てて、手紙と供物を送り続けてきたのだろうと思います。

今日は大叔父の御霊に逢うために、靖国を訪ねてきます。
自ら決死の特攻を覚悟した大叔父の思い、命令に従い桜花発進ボタンを押す役目を担った室原さんの思いを、理屈抜きに感じて来ようと思います。
posted by ぴろん at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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