麻布十番のアトリエ・フォンティーヌまで、過日の日記で紹介したお芝居を見に行ってきました。
出かける前にほんの少しだけ、不安だったこと。
舞台に限らず戦争ものを作品にする過程で、特定のイデオロギーの色に染まり、特定の主張をするがために、都合のいいところを切り張りするような作品であって欲しくはないな、という点でした。
しかし、2時間にも及ぶ作品を拝見して、その心配は全くの杞憂であったことにまずは安堵しました。
特攻を世に知らしめるために、史実に忠実であることは大事なのですが、それだけでは堅苦しくて一般の方にはとっつきが悪いという問題もあります。
事実は事実として忠実であると同時に、歴史的事実の裏側には生身の人間のドラマがあり、それを伝えるには多少のフィクションもまた必要、というのが私の考えでもありますので。
その意味で、この「蒼空(そうくう) 空どこまでも蒼く」は、特攻を過剰に美化するでもなく、逆に卑下するでもなく、淡々と特攻隊員のありのままを描いて、素直に鑑賞できる作品であると感じました。
まずは、その点に深い感動を覚えました。
ここをご覧の皆様には、多少なりとも特攻についての関心・知識がおありでしょうから、改めて説明は致しません。
ただ、私が思うのは、特攻隊員はどこにでもいるごく普通の人間だったということ。
彼らは常人離れした軍神でもなく、洗脳された狂信者でもない。
特攻というあまりにも過酷な状況の中にその身を投げ出すには、彼らにも逡巡の時間があったのであり、恐怖に震え眠れぬ夜を過ごしたはずの、ごくごく普通の人間だったと思います。
逡巡の末に命を差し出す覚悟を決めても、与えられた特攻機は飛ぶのもやっとのオンボロ飛行機であったりするわけです。
己の命の代償が、果たして特攻の瞬間まで持つかどうかも分からない機体であったとき、彼らの複雑な心中を考えざるを得ません。
もっとも、まともに飛べる飛行機が有り余るほどあるならば、特攻という愚策を講じる必要もなかったはず。
敗戦色が日々濃くなる中、少しでも戦況を好転させるには、無理は百も承知でどんなにボロイ飛行機でも、足の遅い練習機であっても、訓練半ばの未熟な搭乗員でも、次々と特攻に送り出さざるを得なかった、ということでしょうか。
特攻自体が正気の沙汰ではないことは、当の特攻隊員自体が、他の誰よりも承知していたはず。
そんな中で、彼らはいったいどうやって、自分の心を納得させたのか?
何よりもその点を思いやるのが、現在の私たちが特攻について考える原点ではないのか?と思います。
そもそもが、特攻自体が、およそ正気の沙汰を超えた愚策中の愚策。
圧倒的な戦力の差を人の命が埋めるという、その大いなる矛盾の渦中で、彼らが自分の死の意味を真剣に求めたとき、たどりつく答えは、愛する家族や友人をわが身に変えても守って見せる、というその心ひとつだったのではないかと、改めて思われてなりません。
だからこそ、彼らが死に向かうその姿は、人間のそれを超えて神仏の域に達するのだと思います。
彼らは出撃を覚悟したその瞬間から、生きて神様になる・・・私にはそう思えてならないのです。
特攻隊員の多くには護りたい人がいた。
だから彼らは特攻出来たのだと思います。
自分の命をかけても護る価値のある人がいる。
そうでなければ、正気の沙汰ではない特攻作戦に、どうして人はその身を投じることができるのか?
私の特攻の大叔父は、出撃の折、当時国民学校2年生だった私の母が叔父宛てに書いたつたない文字のハガキを胸に出撃しています。
母親の手鏡を抱いて行った特攻隊員、見も知らぬ若い女性の写真を胸に出撃した特攻隊員もいたと聞いています。
私は改めて思います。
彼ら特攻隊員は本当にごく普通の優しい人たちだったのだ、と。
優しい普通の人だからこそ、幼い姪のハガキや、母の手鏡や、赤の他人の女性の写真を胸に抱かねば、とてもとても特攻などと言う極限の出撃など出来なかったのではなかろうか?と。
彼らが、戦争という非常時の中で、どうにもならない矛盾の中で、己の命の意味を問うた時、故郷の家族や友人の命を守ることにその意義を置いたのは自然の事と思います。
それは逆を言えば、彼らの決意の背中を押したのは、護ってもらった側の家族の存在ということ。
我が家の場合でいえば、私の母が書いたつたない文字のハガキが、大叔父の最期の決意の後押しをしている、という事実です。
その事実は、重い。
とてつもなく、重いです。
いまの感覚でいえば、そんな過酷な状況に向き合うことなんてやめて、さっさと逃げればいいじゃん、と思うかも知れません。
でも、戦争の非常時に、自分が逃げるということは、他の誰かが死ぬことを意味します。
死ぬであろう誰かが、自分の愛する家族だったら?恋人だったら?
それでもあなたは逃げますか?
彼らに、そんな卑怯な選択をする余地はない。
七転八倒の苦難の末に、彼らは命を投げ出す覚悟をした。
それが特攻の真実なのだと思っています。
私の大叔父はその命をかけて、故郷に住む幼い姪を護ってくれました。
彼女が戦争を生き延びて無事成人したから、今の私があるのです。
大叔父の愛は、あまりにも大きく重すぎる。
大叔父の決意はあまりにも壮大すぎて、私はその足元にひれ伏すよりほか、ないのです。
彼らの苦悩から目をそむけてはいけないのだと、改めて思っています。
特攻隊員を真の意味で犬死させるのは、彼らの苦悩を忘れること。
彼らの存在を忘れ去ってしまうことです。
等身大の彼らの姿を、生身の息遣いを、苦悩を、私たちは少しでも想像し近付く努力をするべきではないでしょうか?
それが特攻隊員に対する何よりの供養、花向けであると私は信じます。
特攻は愚策中の愚策、けれど、そこに身を投じた若者の心はあくまでも気高く美しいのだと思います。
極限の死に直面した彼らの心中に邪心のはいりこむ余地はない、とも思います。
歴史の教訓に学ぶというのなら、二度と特攻などという愚策を講じることのないように、国のかじ取りを誤ることのないようにして欲しい。
平凡な日常がごく普通に守られる国、特攻などという正気の沙汰ではない作戦を講じずとも、国の安泰を図れる国であって欲しい。
それが、犠牲となった数多くの特攻隊員に対する唯一の恩返しではないか?とも感じています。
所詮戦後生まれの私にとっても、特攻は、どこか遠い世界の物語。
あまりにも凄すぎて、大叔父の決意の程を実感をもって想像することは不可能なのです。
きれいごとでなく、貶められたものでもない、等身大の特攻のありのままを、知ること。
彼らの苦悩を知り、決意の大きさを知り、死の意味を知ること。
それが特攻の果てに命を散らした多くの若者に対する、供養なのだとも感じています。
今日、私は大叔父の遺影を胸に抱いて、この作品を拝見しました。
劇中のセリフの一つ一つが、大叔父のエピソードと重なり、舞台の最初から最後まで、私は流れる涙をこらえることができませんでした。
大叔父は出撃にあたり、次のような辞世を残しています。
「身はたとへ南の海に散らうとも 残しおきたし我が心かな」
大叔父さんがこの世に残したかったであろう思いを受け継いでくださった方が、この舞台上にはこんなにも大勢いらっしゃる。
そのことが嬉しくて、上演後、事前に頂いていたアンケート用紙に私は下記の言葉を書き記しました。
「ありがとう、この言葉以外に何もありません」
と。
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