山本一太(12月16日付)Blogより
「回天のキューピーちゃんは問題」
http://ichita.blog.so-net.ne.jp/2009-12-16#favorite 今、各地でご当地キューピーだとかご当地キティちゃんとかが流行っているのは知っていますが、これはやり過ぎだと思います。
言うまでもなく、「回天」も「桜花」も、旧海軍が開発した『生還不能の特攻専用機』です。
この特攻機に乗って若い命を散らした特攻隊員がどんな思いで出撃していったのか?
その覚悟をする過程で、どれだけの苦悩し、どれだけ逡巡したのか?
そこに思いをはせる想像力があるならば、「回天」や「桜花」のご当地キューピーを作る事自体が、犠牲になった特攻隊員に対して失礼であることくらい、気がつきそうなもの。
私の母方の大叔父は、桜花特攻隊員の戦死者です。
彼は特攻に志願した後、当時7歳だった、叔父にとっては姪にあたる私の母に宛てて一枚のハガキを寄こしました。
そのハガキの文面には、「オテガミチョウダイネ」の一文があり、その求めに応じて母は拙い文字で一枚のハガキを書き送りました。
叔父は、幼い姪っ子のハガキを胸に抱いて、沖縄に出撃、戦死しています。
この事実が何を示すか?想像してください。
彼は、たった7歳の姪っ子からのハガキをお守り代わりに胸に抱かねば、出撃することが出来なかったのです。
特攻というのは、それくらい極限状況の覚悟を隊員に強いるもの。
遺族にとって、叔父の乗った「桜花」は、あの世に旅立つための「棺」以外の何物でもありません。
それをご当地キューピーなどというグッズに仕立て上げる感性がそもそも私には理解できないし、仮にも日本の保守を代表する?小池百合子国会議員が「あのね、他にも零戦のキューピーちゃんとか、回天のキューピーちゃんもあるのよ!」とは、いただけない。
そもそも自衛隊の売店とやらで、そんな代物が売られている事自体が、私には信じられません。
靖国神社の遊就館に展示されている桜花のレプリカを見るたびに、声をあげて「叔父さん!叔父さん!」と号泣する私の母の気持など、関係者には遠く及ばないのでしょうか?
特攻隊員の苦悩を少しも理解しようとしないのが、今の日本の現状だというのなら、決死の特攻を覚悟した特攻隊員は浮かばれない、と私は感じてしまいます。
★追記
私の特攻の大叔父だけでなく、多くの特攻隊員が何を思って死んでいったか、考えたことはありますか?
彼らは自分の愛する家族を守るため、国を守るために逡巡の上、自分の命を差し出す覚悟をしたのです。
現代日本に生きる私たちは、彼らの犠牲に守られたからこそ、今安穏に命をつないでいるという事実に、私たちは気がつくべきではないのでしょうか?
特攻隊員の死は遺族だけの問題ではなく、彼らの命の重みは、現代を生きる日本人全体が、等しくわが身に引き受けるべき類のものであるはず、と私は思っています。
それが犠牲になった特攻隊員に対する、せめてもの供養ではないのでしょうか?
彼らの苦悩に思いを馳せ、彼らの覚悟の重さを引き継ぐことは、今を生きる私たちの果たすべき最低限の務めではないのでしょうか?
特攻出撃する多くの隊員は「後を頼む」と言い残して出撃したと聞きます。
「後を頼まれた」私たちは、彼らの命がけの願いに対し、回天や桜花のキューピー人形を作って応じるんですか?