2010年03月27日

伝える

先日の神雷部隊戦友会の慰霊祭でご一緒した、あるご遺族の方は、お兄様を特攻で亡くされています。
特攻兵は普通次男以下が志願し選抜されるのですが、お兄様は長男であるにも関わらず特攻兵に志願されました。
しかもその事実を両親には隠しての志願だったのだそうです。

彼の母親はある日、面会のために茨城の訓練地を訪ねたそうです。
その時上空を訓練で飛ぶ飛行機(多分、桜花の訓練機のこと)をみて、旅館の仲居さんに「あれは何ですか?」と聞きました。
仲居さんは「ああ、あれは神様です」と一言答えたとのこと。

飛行機を見てそれを即「神様」と呼べば、それは特攻の訓練であることは当時の日本人には常識です。
いくら息子が何も言わずに黙ってても、母親には長男が特攻に志願したことはすぐに分かります。

面会の席で母親は息子に「おまえは特攻に志願したのか?長男なのになぜ志願したのか?」と問い詰めましたが、息子は最後まで頑として口を割らなかったとか。
その席に戦友として同席した前述の元桜花特攻隊員も、お母様に厳しく問い詰められ往生したとか。
あの日の母親の様子は今も忘れられない・・・そうです。


私のマイミクさんが、最近「神雷部隊始末記」という本を出版されました。
その本を見て、最近になって神雷部隊で戦死した特攻隊員の遺族の方が、自分の肉親がどういう人だったのかを知りたいという問い合わせが、戦友会の関係者の方のもとにもたくさん届いている、というお話が直会の席で披露されました。
問い合わせを受けて、「その人のことなら北海道のどこそこに住んでいる○○さんが同期だから彼に聞くといい」と連絡先を教えることもあるそうです。
教えられた連絡先に電話を入れて早速話を聞きました、とお礼の電話を頂くこともあるそうで。

そのお話を伺い、改めて私は自分の幸運を思わずにはいられない、と感じています。
自分の息子が、兄貴が、夫が戦場でどんな死に方をしたのか?を知りたい・・・と思うのは人情だと思います。
けれど特攻の場合、その攻撃の性格上、多くのケースが実際の戦闘の様子を知るすべはないのです。
それどころか、前述のご遺族の方のように、自分の息子が特攻に志願したことそのものを知らされていないケース、戦後占領期に世間の批判を恐れて、名簿などの関係書類が破棄されたり紛失したりで、誰がいつどこで特攻したのかという基本情報すらうやむやになっているケースなどが、たくさんあると聞いています。

そして多くの特攻隊員はそのほどんとが未婚のまま戦死していますので、今遺族としてある人たちも、親・兄弟・妻という立場の人はごく少数。
肉親であっても私の母のように姪であったり、私のように姪の娘であったりと、どんどん縁が遠くなるわけです。
縁が遠くなり時間がたてば、肉親といえども、特攻隊員として死んだ身内の人となりが分からない・・・というのは有り得ることです。
それでも、肉親の死に少しでも関心を持てば、その人がどういう人であったのか?
わずかでもいいから知りたい、知って供養をしたい・・・と思う気持ちは、私にも痛いほどよくわかります。

幸運にも母機の一式陸攻が無事生還して、搭乗員の室原さんが手記を書き残し実家に手紙を送り続けてくれたことで、我が家の場合は正義大叔父の人となりも特攻の様子も、戦死の地も全てが分かっています。
だからこそ、終焉の地である沖縄の本部を訪ねて行くことも出来る。
その幸運に感謝し、肉親が訪ねることさえ出来ないであろう、多くの特攻隊員の御霊を思って、本部湾に頭を垂れたい・・・との思いを強くしています。



慰霊祭でご一緒した元桜花特攻隊員のAさん。
彼は今も戦友のご母堂とやり取りをされているのだそうです。
戦後65年経って、まだ健在のお母様がいらっしゃることに驚きつつ。(御歳100歳を超えていらっしゃるそうです)
戦友の死を忘れたくないとAさんは毎年の命日に靖国参拝を欠かさず、鎌倉の建長寺の慰霊碑を訪ねては、お母様の分までお参りしましたと、鎌倉銘菓の鳩サブレをお母様の手元に送り続けているのだそうです。

お母様からは、「今年も鎌倉から鳩が飛んできた」とお礼の言葉を頂き、同時に次のような言葉を仰るのだ、と私に語ってくださいました。


「Aさん、人間には二つの死があります。ひとつは医学的に、生物学的に死ぬこと。もうひとつは、その人の存在が忘れ去られて人の心から消えてしまうこと。忘れ去られての死はとても辛いことです。私は生きている限り息子を忘れたくはありません」


Aさんは直会の席で、今私が話したことをどうか次の世代に伝えてください、と懇願されました。
生きている限り、私が知っていることは何でもお話します。
そのために膝と腰の痛みをこらえて、今日私はここに来ました。
来年も元気で再びここに来たいと思いますが、私は80を超えてあと何年生きられるか分かりません。
聞きたいことは何でも聞いてください、その代わり、私から聞いたことをどうか一人でも多くの方に伝えてください・・・と。

私は特攻から逃げて生き残ったわけではありません。
死ぬ覚悟をしたのに、結果として生き残ってしまった。
そのことだけは、どうかわかってください。
Aさんは目にうっすらと涙を浮かべながら、そういう言葉も仰りました。

死ぬよりも生きる方が辛い。
言葉にすればたったそれだけですが、大変な重い荷物を背負われて戦後を必死に生きてきた大先輩の思いが、そこにありました。
思いを託された者の一人として、その重い荷物のいくばくかでも、代わりに背負う責任が、私にもあると思っています。
戦友の死を思って、戦友のお母様に鳩サブレを送り続けるAさんの姿は、今は亡き、室原さんの姿と重なります。
生き残った特攻隊員も、また苦しい時間を必死に生きてきたのだと。


忘却は罪です。
戦争についていろいろ意見はあろうとも、国を守り家族を守ろうとして命をかけた人たちがいたこと。
そして生き残った苦しみを背負い、戦死した戦友の分までもと、戦後の復興期を必死に働いてきた元特攻隊員がいたこと。

彼らの思いを決して忘れてはいけない。
日本の今は、彼らのような大恩人・大先輩の苦難の上にあることを、忘れてはいけないと改めて心に刻んでいます。
posted by ぴろん at 09:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

関行雄大尉のお母様

特攻に多少なりとも関心のある方なら、関行男大尉のお名前はご存じのことと思います。

(残念ながら知らない、知っているが詳しくは分からないという方はこちら↓をご参照ください)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A1%8C%E7%94%B7

関大尉はフィリピン・レイテ沖海戦において、初の特攻作戦を決行、戦死したその人です。


先日参加させていただいた、神雷部隊戦友会慰霊祭の席でご一緒した元桜花特攻隊員の、ここでは仮にAさんとしておきます。
Aさんからお伺いした関大尉のお母様のお話を、ここに書きつづりたいと思います。



関大尉のお母様は息子と夫を戦争で失い、戦後は実家からわずかな米を分けてもらいながら命をつなぐという極貧生活を送っていたそうです。
Aさんは関大尉と同じ兵学校の出身。

「戦争中、特攻隊員は神様だった。けれど8月16日以降、我々は特攻崩れとされてしまった。それが戦後日本の処世術だったのです」

というAさんの言葉に象徴されるように、戦争中は神と崇められた特攻兵のお母様が、戦後は手のひらを返したような冷たい扱いを受けることとなりました。

(関大尉のお母様は、戦争中は軍神の母と崇められたのが、戦後は一転して「軍国主義」の批判の矢面にたたされたそうです。特攻隊員に対する世間の扱いが戦争中のそれに比べて如何に冷淡だったかを、私たちは心に留めておく必要はあると思います。)

戦死者の遺族に対し、遺族年金が支給されるようになるのは昭和28年のこと。
それまで国は、国のために命をささげ、一家の働き手を失った遺族を8年間も放置したままだったのですよ、と。

戦後の生活に困っているのを見かねた兵学校時代の仲間が奔走して、お母様を学校の用務員として働けるよう手配をされました。
そして28年の遺族年金支給開始が決定し、これで安心して生活できると喜んだのもつかの間、学校からの帰り道に転んで怪我をし、そのまま関大尉のお母様は亡き人となってしまわれたのだとか。

「息子と夫が戦死し、戦後の極貧生活をしのいだ関大尉のお母様は、結局一円たりともお国のお世話になることもなく、亡くなったのですよ。」

「戦争で一家の働き手である父親や夫や息子を奪われた多くのお母さんや奥さんは、大変な苦労をして遺された子供たちを必死で育てました。その人たちを国は8年間も放置して何もしなかったのです。あの時代、お母さんや奥さんたちはどれだけ苦しい生活をしたか、あなた、分かりますか?」

「終戦当時は大変な就職難の時代。特攻隊員という経歴があるだけで、その就職口がさらに狭められたのがあの時代です。今の時代も就職難というが、私のような元特攻隊員の就職難はその比ではありませんでした。」


「これは私の個人的な意見ですけれど、子供手当とか高校無償化とか、戦後苦労されたお母さんや奥さんのことを思ったら、今の人たちは少し甘えすぎではないですか?」



戦争時代の苦労と今の時代をそのまま比較することはできません。
戦中戦後の生活苦を思えば、どんな時代の苦労もその比ではありません。

ただ、命がけの戦争を戦い、戦後の復興期をがむしゃらに働いて現在日本の礎を作ってくれた大先輩の言葉には、やはり重みがあると思います。
元桜花特攻隊員のこの言葉を、皆さんはどのように受け止められますでしょうか?
posted by ぴろん at 10:21| Comment(5) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

家族会結成13年の日

どうしてこの国は、被害者を救うために毅然として行動できないのか?
被害者を救うという意思表示すら出来ないのだろう?


拉致問題の解決が長引く原因のひとつは、もちろん北朝鮮の不誠実さ加減にもあるけれど、日本の腰抜け具合も、原因の相当数を占めていると思われ。


これだけの被害者が人知れず拉致されるには、周知の通り、国内にかなりの協力者がいる。
同じ学校から複数の被害者が出ているケースでは、日教組の関与も疑われているし、同じ地域から被害者が多発しているのも、地域に根差した協力者の存在を伺わせます。

彼らはおそらく、自分が拉致にかかわった事実を墓場まで持っていく覚悟で口を噤んでいるんだろう。
その口をこじ開けて、証言なり被害者救出への協力なりを引き出そうと思ったら、ちょっとやそっとのお願いでは動くはずもなく。


拉致関係の集会を追いかけて首都圏各地を巡っていたころ、地元の地方議員や市長さんなどの訴えには、本当に心に迫るものがありました。
被害者と家族の苦しみを思い、何とかして一刻も早く救出したいという「熱」を感じることが出来ました。

でも、国会議員の先生方のお話からは、そういう熱を感じたことがありません。
口では誰しも「一刻も早い救出を」と声をそろえて聴衆に訴えます。
けれど、2002年9月17日から数えて今年の9月には丸8年の月日が経とうとしているのに、事が一向に進まないのは何故なのだろう?


北朝鮮の工作は政界にも及んでいたという。
旧社会党の面々は言うに及ばず、自民党の実力者の中にも、北朝鮮とつるんで甘い汁を吸った輩がおそらく多数いることでしょう。
彼らは決して、拉致問題の全面解決は望まない。
被害者救出を願うそぶりをしつつ、家族や支援者に期待を持たせてはある種のガス抜きをしつつ、被害者とその家族が死んでいなくなるのを待っているのではあるまいか?とさえ、この頃は思う。

私たちが戦う相手は、あの強かな北朝鮮です。
そしてもうひとつ戦うべき相手は、国内にいる北朝鮮の協力者。
彼らが築いている「拉致問題解決を阻む強固な壁」を打ち破るには、敵と刺し違えるくらいの覚悟を持たねば、突破口は開けないのでは?とも思う。

例え敵と刺し違えても、という強い熱を持った政治家が、国政の場で見当たらない。
拉致問題を最終的に解決できるのは国しかないのに、国政を預かる政治家が、のほほんと時間ばかりをやり過ごしていたのでは、いつまで経っても救える者も救えない。


国民を拉致され、領土を奪われ、資源を取られても、何も言わず何もしない国。
相手の言う無理難題に、唯々諾々と従って、国民も領土も資源も差し出す国。
友好とは、相手の機嫌を損ねないことと信じている国。

そんな腑抜けな国だから、被害者を返せ!の一言すらいえない。
日本は本当に平和で安全な国なのでしょうか?


もしも私が被害者だったら、日本国は万難を排しても私を救いに来て欲しいと思う。
もしも拉致されたのが、私の家族や友人だったら、国は何としても私の愛する人を助けに行って欲しいと思う。
たったそれだけの、でも国の根幹をなすものとして一番大切なものが、どういうわけか日本という国の屋台骨から欠落しています。

このままでは座して拉致被害者が死ぬのを待つだけになってしまいます。
このままでは日本という国は、拉致被害者を見殺しにする国になってしまいます。

そんな日本という国に対して、私はどう誇りを持てばいいのでしょう?
子や孫の世代に向けて、どの面下げて私たちの祖国日本を誇りに思え、といえば良いのでしょうか?

今日、家族会結成13年の日。
干支一回りしても、いまだ拉致被害者を救えない国、日本。
posted by ぴろん at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

神雷部隊戦友会と共に靖国へ

21日、神雷部隊戦友会の皆さんと共に、靖国神社へ昇殿参拝をしてきました。

ここに参るとき、私はどうも何か願い事をするという気分にはなれません。
国のため、家族のために自分の命を捧げるという大きな犠牲を払った英霊の皆様に、これ以上のお願い事をするのは何か申し訳がないような気がして。

祈りの言葉は、ただひとつ「安らかに」
その一言を念じるだけで、涙があふれて困ります。

遺族と言っても、私は直接大叔父を知る立場でもなく、遺族として参列させていただくことには、いくばくかのこそばゆさもあるのですが。
主催者の方に求められ昇殿参拝の際は、参拝者を代表し玉ぐしを奉るお役目を務めさせていただきました。
ただ、無心に御霊の安らかなことを、お祈り致しました。



参拝の後の直会では、元桜花特攻兵だった方と、席をご一緒し、元特攻隊員としての思いをいろいろとお伺いしました。


少しだけ、お話をした中で、特に印象に残った元桜花隊員の言葉を紹介いたします。


自分はもう80を越えてこの先何年生きるか分からない。
(神雷部隊の元隊員の中で、桜花隊員の生存者は現在は4〜5名ほどしかいない、とのお話も伺いました)
自分の知っていることは何でも話すから、何でも聞いて欲しい。
腰や膝を痛めていて、本当なら打ってはいけない鎮痛剤を医者に無理を言って注射してもらい、今日、ようやく靖国まで来た。
特攻の話をして、心から分かってくれる人は、この席に集まる人くらいしかいない。
だから、多少無理をしても、どうしても私は今日この席に来たかったのです・・・と。





「戦争中、特攻隊員は神様だった。けれど8月16日以降、我々は特攻崩れとされてしまった。それが戦後日本の処世術だったのです」

目にうっすら涙を浮かべて、悔しそうに話された元桜花特攻隊員のこの言葉に、私は今返す言葉がないのです。




心に残る言葉はまだありますが、明日以降、ぼちぼちとご紹介をさせていただきたく。
元桜花隊員の言葉は、重く心に沁みわたり、自分の言葉でそれをつづるのは、おそらく無理かと思われ。
伺ったお話を、可能な限りそのまま再現して明日以降、書き綴ります。
宜しければお付き合いください。
posted by ぴろん at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

4.3第二回浅草街頭活動のお知らせ

桜咲く春の隅田川河畔で
鳩山政権に対し、拉致解決を訴える
4.3第二回浅草街頭活動

日本人の力を結集して拉致問題の解決を!
“Let's do it together.”

季節は春。隅田川河畔では桜が今を盛りと咲き誇り、花見を楽しむ行楽客であふれていることと思います。
けれど、桜は日本をイメージする花ということで、北朝鮮には桜の木が1本もない、と聞きました。
桜見物というささやかな楽しみさえ長い間奪われたまま、北朝鮮にいる拉致被害者の皆さんは、今も救いを待っています。
故郷の桜を家族や友人と楽しむ・・・そんなごく普通のささやかな幸せを取り戻すためには、一刻も早い被害者の救出を実現させなくてはなりません。
そのためには、鳩山政権に対して、もっともっと力強く拉致問題の解決を訴える必要があります。
私たち東京ブルーリボンの会(BLUE RIBBON TOKYO)と共に、春の浅草から訴えましょう。




日時:平成22年 4月3日(土)
   午後12時〜14時(ボランティア集合 11時半)
   ※事前準備に御協力いただける方は11時頃まで集合
場所:浅草吾妻橋付近(浅草水上バス乗り場前の広場)
最寄駅:東京メトロ銀座線浅草駅・東武伊勢崎線浅草駅・都営浅草線浅草駅
内容:東京拉致問題解説パネル展示・英文他チラシ配布・署名活動・ブルーリボン・北朝鮮宛てはがき配付・プレゼン他

※ 当日配布するブルーリボンの提供を募っています。
※ 今回の署名の提出先は「民主党鳩山代表」の予定です。


主催:東京ブルーリボンの会 (BLUE RIBBON TOKYO)
   連絡先:blue-jewel-7@mail.goo.ne.jp
 携帯:090-5215-7752 かわむら
共催:北朝鮮による日本人拉致問題完全解決を図る東京都議会議員連盟
拉致問題を考える川口の会
賛同団体:特定失踪者問題調査会
※ご家族、北朝鮮関係の団体、議員、識者にも呼びかけをしています。

◆ お手元にある拉致関連グッズ(ポスター、のぼりなど)お持ちください。
◆ 拉致問題の解決を願う方、どなたでも参加できます。初めてでもお気軽にどうぞ!
posted by ぴろん at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

松戸街頭活動のお知らせ

千葉県在住の岩堀さんが、このたび千葉県松戸市内での拉致被害者救出を訴える街頭活動を行うことになりました。
首都圏の一角千葉県でも救出の声を上げて、少しでも世論を盛り上げようという意思の下、まずは少人数での活動スタートとなります。

街頭主催者の岩堀さんは、松戸市内の主要駅で月一度程度の街頭活動を、今後継続的に行いたいという意向もお持ちと伺っています。
4月の活動予定のご連絡も頂きましたので、併せて告知いたします。

千葉県松戸市付近にお住まいの方で、お時間の許す方がいらっしゃいましたら、街頭活動へのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。




日時: 3月21日(日)、14時〜15時半位
場所: JR武蔵野線 新八柱駅改札出口付近

※雨天の場合は中止といたします



★4月の松戸街頭活動の予定

日時: 4月25日(日) JR新松戸駅 14時〜16時


◆3月18日追記

松戸街頭活動の問い合わせなどはこちらのアドレスへお願いします。
blue@iwahorikenshi.com(岩堀)
posted by ぴろん at 08:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ご挨拶&お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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