2010年04月17日

沖縄の旅・・・本編

沖縄二日間の移動には、奮発して観光タクシーをお願いしました。

理由はいろいろ・・・そもそも免許を持ってない、というのもありますが、極度の方向音痴の私は初めての場所は必ず迷子になる、というリスクがあり、これを考慮しないわけにはいかない・・・(^^ゞ

それに糸満市にある平和の礎は、誰にも知られた観光地でもありますが、本部湾の方は、何か記念碑や慰霊碑があるわけでもなく、とにかく海を一望できて可能であれば浜に降りられる所・・・と、目的地が非常にアバウトですから。
これはある程度地元の地理に詳しい方に連れて行ってもらわないと、どうにもならん、と思っての決断でした。

結果的には、これが非常に良かった・・・と思っています。


観光タクシーを生業にされている方ですから、運転手さんは沖縄のあらゆることを勉強されているわけです。
もちろん、沖縄の地上戦についても非常に詳しい。

特攻に関してなら、私もそれなりに資料を読み漁りある程度の知識を持っていますけど、沖縄戦についてそれほど詳細な知識があるわけじゃありません。
もちろん沖縄戦に関しても多少は勉強してますけれども・・・

逆に運転手さん側は地上戦には詳しくても、特攻に関してはアバウトな知識しかお持ちではないのです。
で、私の持つ特攻の情報と、運転手さんの持つ地上戦の知識をすり合わせると、相乗的に沖縄戦の地上と海上の戦況の様子が、大変なリアリティーを持って浮かび上がってくるわけです。
車が走るのは、まさしく沖縄戦の現地そのもの。
これほど有益な歴史の勉強も他にない、と感じました。

沖縄には、室原さんが書き遺してくださった、叔父の最期の様子を記した手記のコピーを持参しました。
それを改めて現地で読み返しながら、本部湾では叔父の桜花の投下状況を目の前の景色に重ねて再現しました。
地図の上で辿るだけでは分からない、当時の様子が、目の前に浮かびあがりまして、これが現地を訪ねる一番の良さ、と実感しました。


本部では、車一台がやっと通れるような、おそらく地元の人しか知らないような細い道を抜けて、本部湾を一望できる場所を案内して頂きました。
これ、いくらナビ付きのレンタカーを借りても、自力でこの場所にたどりつくのは難しかったかも?
それに本部湾には私たち以外には人の影も無く、記念の写真を撮るにも風がとても強くて、仮に三脚を持参しても役には立たなかったと思われます。

観光案内付き・カメラマン付き・道案内付き・・・と思えば、タクシー代は決して高くはなかったと、親切にしていただいた運転手さんには心より感謝しております。




空港で運転手さんとお別れする際、「私たちの慰霊の旅に同行して、私もとても勉強になった」と仰ってくださいました。

私からも、
「これも何かのご縁、手記のコピーを差し上げますので、よろしければ読んでみてください」
と、持参した室原さんの手記の写しを、運転手さんにお渡しいたしました。

亡き大叔父の思いや室原さんの思いが、こういう形で少しでも広がれば、それも供養になるのでは?と思っています。


posted by ぴろん at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅を終えて

※2010年04月16日17:51 mixi日記に投稿

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念願の鹿屋&本部の旅を無事終えました。
母の足腰が立つうちに、という願いがかなえられてホッとしています。

旅を終えて今一番思うのは、やっとこれで気持ちが一区切りついたなぁ、ということ。
良くテレビなどで「ようやく私の戦後が終わった」というセリフを耳にしますが、あれに近い感情が今私の中にはあります。



特攻の死は、遺骨の一片も拾えない死です。
うちの正義叔父の場合は奇跡的に、最期の地を知る手がかりがありましたが、多くの遺族にとっては、肉親の終焉の地を知ることすらできない。
分からなければ、最期の場所を訪ねて行くことも出来ないわけです。

でも、私たちは本部を訪ね、叔父の最期の突撃の様子を目の前に再現することが出来る。
それが、どんなに心の区切りをつけるのに役立っているのか?ということを、深く実感しています。
その意味で、逆に最期の様子が分からないご遺族は、いつまでも苦しい思いを引きずって辛い思いをされるのだろうな、との思いも強くしました。
区切りがつかなければ、多くの遺族にとって戦後は終わりたくとも終わらないのだ、と実感を持って受け止めています。


本部の浜で花束を捧げた後、浜辺で石と砂を少し拾い集めました。
叔父の遺骨を拾うことは出来ないけれど、この浜辺にはもしかしたら、叔父の骨片が一部なりとも打ち寄せられていたかもしれない。
そう思いながら、砂と石を拾い集めた後、本部を立ち去るとき、後ろ髪を引かれる思い、というのは不思議とありませんでした。

本部の海に向かって「叔父さん!私が叔父さんを背負って千葉に帰るよ!長い間待たせてごめんなさい!」と母が叫んだ通り、叔父の魂を一緒に連れて帰って来たような気がしているのです。

物理的には、今も叔父の肉体は本部の海の底にあります。
魂は靖国の社にいるもの、と信じて参拝も続けてきました。
戦死の公報をいただいて、空っぽの白木の骨箱ももらっていますし、千葉の実家には叔父の爪と髪を納めて作った墓もある。

でも、何かが足りない。
長い間、心のどこかで漠然とそんな思いを抱えて過ごしてきました。
その足りなかったものが、今度の旅で埋められたような、そんな満足感・充足感があります。


鹿屋も本部も、遠い。
飛行機に乗れば半日で行ける距離だけど、日常に追われていれば、そんなに簡単に行ける距離でもありません。
その遠い遠い鹿屋と本部に行って、叔父が人生最後の時間を過ごした場所と、肉体の沈んでいる場所を訪ねて、ようやく、心の隙間が埋まったような・・・そんな感じ、と言ったらいいでしょうか。

自分たちの手で、鹿屋、平和の礎、そして本部湾から叔父の魂を故郷に連れ帰り、これでようやく叔父さんもひとりぼっちで寂しい思いをしなくて済むと思うと、心から本当にホッとしています。
posted by ぴろん at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ただいま

午前様ジャスト!!の時間に無事帰宅しました。
※2010年04月16日01:21 mixi日記に投稿

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おかげさまで、正義叔父慰霊の旅は無事終了しました。

3日目の朝は、ザーザー振りの雨。
あれま、これからこの旅一番のイベント、本部に行くというのに困ったな〜〜と思っていたら、途中宜野湾市あたりで雨も上がりまして。
本部では風こそ強かったものの、無事に大叔父終焉の地を訪ねることが出来ました。

で、本部を離れた直後に再びの雨。
これは、叔父の涙雨に違いない、と・・・


無事慰霊の旅を終えて、心が急に軽くなったような気がしています。
ここ数年胸につかえていたものが、スッと落ちたというか。

3日間、本当に良い旅が出来ました。
明日以降、詳しく旅の思い出を書き綴ります。
取りあえず無事に千葉まで帰れて、「皆様ただいま〜〜!!」ということで、取り急ぎ休みます。
明日から早速、私の日常再開ですので・・・(笑)
posted by ぴろん at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

沖縄・平和の礎

※2010年04月14日19:02 mixi日記に投稿

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20100414-2.jpg

正義叔父さんの名前を見つけました。
一度も会ったことのない人なのに、どうして涙が止まらないんだろう?

半紙に名前を写し取って、せめて名前だけでも千葉に連れ帰ります。
65年、待たせてごめんなさい・・・
posted by ぴろん at 09:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鹿屋、朝

※2010年04月14日07:35 mixi日記に投稿

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20100414-1.jpg

午前6時の朝日をホテルから母と共に見ました。
丁度、大叔父が鹿屋から飛び立った時刻。
この時刻、この朝日の中を沖縄目指して、飛び立ったのか・・・と思ったら、涙がこぼれました。

これから鹿児島空港に移動して那覇へ飛びます。
65年前と同じ空を飛んで、叔父のいる沖縄の地に降り立ちます。
posted by ぴろん at 09:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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