印象に残った旅の出来ごとはすでに書き綴りましたけど、一つだけ忘れていたことがあったので追加で書き記します。
備忘録を兼ねて・・・
まずは旅の二日目、平和の礎を訪ねた時の思い出です。
ここを訪ねた方はご存じだと思いますが、平和の礎に入るとすぐのところに数ヶ所タッチパネル式の検索ガイドがあり、探したい人の名前を入れると、碑の所在地を教えてくれます。
まずはそこで大叔父の名前を入れて、碑のあるところを探し出し、所在地をプリントアウト。
それを手に広い公園内を探すのですが、そこはガイド役も兼ねた観光タクシーのドライバーさん。
平和の礎は案内し慣れていると見えて迷うことなく、千葉県出身者の礎まで連れて行ってくださいました。
碑文に刻まれた名前は50音順に並んでいます。
石渡のいの字は、50音の初めの方と見当をつけて、石井や石田など石の文字から始まるあたりを探し始めた時でした。
「あ!いた!叔父さん、ここにいた!」
母の大きな声でした。
普通、碑文に刻まれた名前を探し当てたらば、ふつうは「あった!」と言うでしょう。
でも、母は「いた!」と叫んだのです。
碑文に刻まれた多くの名前は、縁もゆかりもない人から見れば、ただの名前の羅列です。
でも母にとっては、石碑に刻まれた叔父の名前は、命の温もりを持った叔父の存在そのもの、だったのだと思います。
だから大叔父の名前を見つけた瞬間、本能的に「あった」ではなく「いた!」と叫んだのではないか?と。
そして叔父の名前に取りすがって、後は涙、涙。
「長い間、寂しい思いをさせてごめんなさい、叔父さんやっと逢いに来たよ」と。
沖縄は千葉からは遠い所、そう滅多に行けるところではありません。
石碑の名前を写し取って持ち帰ろうと考えて、事前に半紙を準備していったのですが、石碑に半紙を当てて鉛筆でこすって叔父の名前を写し取るその瞬間、自分の口から出た言葉が、
「せめて名前だけでも千葉に連れて帰る」
でした。
持って帰るのではなく、連れて帰る。
石碑に刻まれた名前を目にしたその瞬間から、私にとっても、叔父の名前が刻まれた石碑はただの碑文ではなくなったのだと思います。
旅の3日目、本部湾にて。
本部の海をどうしても訪ねたかったのは、叔父は特攻で戦死し遺骨のひとかけらも故郷には帰れなかったので、叔父に逢いたいと思ったら、叔父の肉体の沈む海に、こちらから訪ねていかなければ逢えないと思ったから。
叔父もきっと海の底で寂しい思いをしながら、肉親の訪れを心待ちに待っているのでは?と思ったからです。
で、苦心惨憺ようやく訪ねた本部の海で、「叔父さん逢いに来たよ〜!」と母子共々声を限りに叫んで。
花と線香を供えて、遺骨代わりに本部の浜の石と砂を拾い集め、小一時間も過ごしてさて、そろそろ帰ろうとなった時、母の口から思わずこぼれた言葉が、
「叔父さん一緒に帰ろう!和子が叔父さんを背負って帰るから、一緒に千葉まで帰ろう!」
でした。
はるばる千葉から逢いに来ても、叔父の遺骨を連れ帰ることは出来ない。
身代りに浜辺の石と砂を拾っても、やはり叔父の体は、目の前の本部湾の底にいるわけで、置いて帰るのはどうにも忍びない。
さて、困ったどうしよう、と思ったその瞬間に、母が叫んだわけです。
「一緒に帰ろう!」と。
その瞬間、私も思いました。
そうだ、一緒に連れて帰ろう、このまま一人ぼっちで叔父さんの魂を置き去りには出来ない。
連れて一緒に千葉まで帰ればいいんだ、と。
そう思った瞬間から、後ろ髪引かれる思いがす〜っと心の中から消え去る感じがしました。
物理的には叔父の骨を拾ってはいないので、叔父の体は今も本部の海の底にいるわけですが、それでも魂だけは一緒に沖縄から空路千葉まで連れ帰ってきたと感じております。
南方で、シベリアで、無念の死を遂げた日本兵の遺骨が、まだ収拾されずに現地に残されています。
きっと彼らは祖国日本に帰りたいに違いない。
家族のもとへ、故郷へ、帰りたいはずだと思います。
いつだったかアルピニストの野口建さんが、縁あって南方のあるところへ元日本兵の遺骨の調査に同行したとき、多くの遺骨を見つけながら、様々な理由でその御遺骨を持ち帰ることが出来ず、現地に置いたまま日本へ戻らねばならなくなったことがあったそうです。
その時、野口さんは「必ず皆さんを迎えに来るから、もうしばらく待っていて欲しい」と涙し、後ろ髪引かれる思いで現地を離れた・・・という記事を読んだことがあります。
そのお気持、今の私には分かるような気がします。
目の前に、御遺骨があって、無念の魂の存在を目にした時、人はそのままその場を立ち去るなんて、出来ないことだと思いますから。
何気ない一言ではあるのですが、母の発した「叔父さんいた!」と「叔父さん一緒に帰ろう!」の言葉に、肉親ならではの思いを感じて頂ければ幸いです。
知らない人が見れば、ただの石碑、ただのサンゴ礁の海です。
でも、ゆかりの者には、それは単なる物体でも風景でもなく、魂の宿る寄りしろであることを、ご理解いただければ嬉しく思っております。