でも、それは本当でしょうか?
確かに、9.17直後のような烈火のような怒りや悲しみの感情は、今は大衆の中には見て取れないかもしれません。
けれど、被害者救済を訴えて街頭に立つ時、自ら歩みよって署名に応じてくださる方、リボンを受け取ってくださる方の様子を拝見して、拉致は決して風化はしていない、と私は確信しています。
日々の生活に追われ、大衆の第一の関心は経済問題であったり、雇用や医療、年金の問題であったりするのかも知れません。
でも、人々の心の奥に、熾火のように拉致被害者に対する関心は、熱く燃えている・・・それが日本人の本当の心だと、私は確信します。
「親御さんが可哀そうで見ていられない」「拉致されたのが我が子だったらと思うと耐えられない」等々。
街頭で聞く言葉はそれぞれです。
天下国家を論じる声から政治の無力を嘆く声、家族に対する同情。
もちろん、中には「署名なんかやったって被害者を救えるのか?もう被害者は死んでるよ!」と吐き捨てるようにして通り過ぎる方もいらっしゃいます。
確かにこれだけ解決が長引けば、諦めることでこの問題を忘れようと思う方がいても不思議ではありません。
それでも、街頭に立って一つだけ、間違いなく確信できることがあります。
それは人により多少の温度差はあれ、「多くの日本人は拉致問題に対する関心を失っていない」ということ。
この度の内閣改造では、拉致問題に非常に関心の薄い担当大臣が就任した模様。
そもそも内閣のトップが、拉致に対して全く関心の無い?と思える菅直人総理ですから、推して知るべし、なのかもしれませんが。
拉致問題の解決は世代をつないでやるものではありません。
被害者の命にも、家族の命にも限りはあります。
私たちはそんなには、待てない。
どんな状況であれ、国を動かすのは世論の声です。
一刻も早く助けよう!!という世論のうねりを、今こそ国に示さねば、拉致問題はいつまで経っても解決の兆しさえ見えません。
あらゆる方法を試みて、国を動かす。
署名、写真展、リボンの配布、家族愛の配布などなど。
ひとりでも多くの方が、拉致被害者を救いたいという心からの願いを素直に表わせるような、そんな運動が展開できたら・・・と願ってやみません。
家族の悲しみを、被害者の苦しみを・・・もうこれ以上長引かせてはいけないのですから。