朗子さんは大正5年のお生まれ。
「“私の名前は朗らかな子と書くのよ”と日頃から仰っていた通りに、母は明るく朗らかな性格で、周囲の人に愛され大切にされた人生であった」と喪主の珠路さんは告別式の最後でご挨拶になりました。
94歳、普通ならば大往生。
むろんこの度の朗子さんのご逝去も、大往生には違いないのですが、「最期の最期に心残りであったのは、了子のことだったろうと思います」と珠路さんは続けてお話になりました。
また「母は声を大きくして了子の事を話す人ではなかった」と亡きお母様の人となりもご紹介になりました。
了子さんとの再会を待ち望みながらも、朗子さんはあくまでも控えめに、
晩年の日々を過ごされたとのこと。
でも、私は思います。
どんなに控えめであっても、声高に救出を叫ばなかったとしても、親が我が子に会いたくないはずはないのです。
他の誰よりも誰よりも誰よりも、朗子さんは娘の了子さんとの再会を待ち望んだはず。
94歳まで一日千秋の思いで命をつなぎながら、ついに愛娘との今生での再会を果たせないまま、最期を迎えてしまった・・・
これほどの不条理が他にあるでしょうか?
飛行機で飛べば半日で辿りつく北朝鮮にいるのに、子が親の死に目にも会えず、親の葬儀にも出られない。
平和な日本で暮していれば誰でも当たり前に出来るはずのことが、当たり前にならない・・・
この哀しい現状が、私は悔しくて悔しくてなりません。
「朗子さんの魂は今、一足飛びに北朝鮮に渡って了子さんに寄り添い、日本で待っている人が大勢いるのだから、しっかり頑張るようにと了子を励ましているに違いないと思っています・・・」
と珠路さんは涙をこらえてお話になりました。
「生きているうちに母に会わせることは出来なかったけれど、元気で日本に連れ帰ってきて必ず母の墓に参らせたい、それが私の目標です」
とも。
拉致問題を解決するには、国が、政府が動かなければ、どうにもならないのです。
一体いつになったら、国は政治は、本気を出して動いてくれるのか?
行動をしてくれるのでしょうか?
待って待って待ち切れずに、あの世に旅立つ親御さんを、私たちはあと何人見送ればいいのでしょうか?
親が我が子に会いたいと願う・・・そんな普通の望みさえ叶えることも出来ないこの国は、いったいどういう国なのでしょうか?
隣人が人知れず流す無念の涙を、私たち一般の国民は、知らんふりをしていて良いのでしょうか?
朗子さんの安らかなお顔に手を合わせながら、もう一度、私は誓いを立てました。
お母様がお元気なうちに了子さんを取り戻せなくてごめんなさい、と。
その代わり、私は、世論を動かし国を動かし政治を動かして、被害者を取り戻すために必要なものを追い求めて、微力ながら今後も支援活動を続けます。
必ず了子さんを助け出して、お母さんの元に連れてきますから、それまでもうしばらく待って下さい、と。
故・古川朗子さんのご冥福を心よりお祈り致します。
それと共に、必ず了子さんを救出してお母様の墓参りが出来るよう、今後も微力ながら力を尽くすことをお約束しますので、どうか安らかにお眠りください。