番組タイトルは「なぜ遺書は集められたのか〜特攻 謎の遺族調査〜」http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3237.html
本当に久しぶりにブログを更新したのは、この番組に関連して思い出した事を忘れないように、そして多くの方に歴史の事実の一端を知っておいて貰いたく思ったので。
戦争が終わって数年後、私の母がまだ小学生位の頃、ある日巡礼のような格好をした見知らぬ人が、千葉の家を訪ねて来て、特攻の大叔父の遺書を見せて欲しいと懇願したんだそうだ。
私の祖父は、その巡礼風の男の方としばらく話をしたあと、「是非この遺書を預かって供養をしたい」と言うその方の申し出を受けて、特攻の大叔父の遺した遺書の類を沢山渡して帰したのだとか。
遺書は、遺された家族にとってかけがえのない物。
どうしてそれを祖父は見知らぬ他人に渡してしまったのか?
それが私には長年の謎でした。
千葉の生家には大叔父の遺書が二通残っていて、一通は自分の毛髪を縫いとめたハンカチで、もう一通は両親に宛てた遺書だったため、さすがに祖父もこれだけは渡さずに手元に遺したものと思われます。
特攻の大叔父は筆まめな人だったので、手紙の類とか、書き残した物がもっとたくさんあったと母の記憶にはあると言う。
それらがあれば、大叔父の人となりを知るにしても、特攻へ臨む思いにしても、もっともっと遺族には知りうる事がたくさんあったはずなのに、どうして祖父はそれを他人に預けてしまったのか?
いくら人が良いにしたって何故?
たった一人で全国を回り、遺書を集めて回ったと言う近江氏。
その写真が巡礼風の風体だったのをみて、ピンときた。
おそらくこの人は、千葉の家にも立ち寄り、大叔父の遺書を持ち帰っているはず。
近江氏が特攻隊員の遺書を集めて回ったのには、旧海軍上層部の意向があったと言う。
特攻は、それを命じた側にも複雑な思いを遺したのは確か。
そして終戦後の一時期、世間の風が特攻に対して冷ややかだったのも確か。
戦争中、軍神と崇め奉った彼ら特攻隊員を、戦後の日本は手のひらを返し、生きる為の方便として特攻を否定した。
そういう歴史の事実は、知られているのかいないのか…
もし、大叔父の遺書を持ち帰ったのが、番組で取り上げた近江氏ならば、そして大叔父の遺書が今も保存されているなら、是非読みたい。
大叔父が特攻に出撃する前、何を考え何を言い遺したのかを、遺族としてはどうしても知りたいから。
そして集められた遺書は、是非誰でも見られるように可能な限り公開して欲しい。
闇から闇へと葬らないで欲しい。
苦悩の中で若い命を散らした彼らの思いを、どうか後世の私たちにも読めるようにして欲しい。