2005年12月01日

第3回拉致問題を考える埼玉県民の集い(5)05.11.19 埼玉会館小ホールにて

『田島敏包(としかね) 埼玉県議会議員の挨拶』
(※北朝鮮による日本人拉致問題の早期解決を図る埼玉県議会議員連盟・幹事長)

ただ今紹介を頂きました北朝鮮による拉致問題の早期解決を図る埼玉県の議員連盟という、非常にお題目が長くて言い辛いですが。
我々は拉致議連と通称で埼玉県拉致議連と言う事で皆様方に訴えています。
ただ今紹介を頂きました、田島でございます。

私も拉致と言う言葉を知ったのは、平成3年県議会に当選いたしまして4〜5年経ってから、平成7〜8年の頃だと思います。
そのとき一番、日本の国は何をやっているのかな?と。
日本の民族が、日本の国権の中で守らなければならないのに、昨日まで居た人がいなくなった。
しかも北朝鮮で、働かされている。
そのような時に日本の国は何も言わないのか?吼えないのか?と。
そんな感じを受けました。

私自身、平成3年から議員になりまして今4期目でございますけども、日本民族と言う根幹は、政治をしながら絶対に持っていなければならない。
それを揺るがせてはいけないという気持ちで政治活動をやってまいりました。
たまたま先の参議院選挙の前にですか、補欠選挙がございました。
自民党の関口昌一先生が当選させていただきました。
その前、現在拉致議連の会長であります、深井会長の方から「田島何とか、拉致議連をつくろうよ」と。
「その方が良いぞ」と言う話になりました。
作らせて頂きました。
たまたま作り、何とか藤田進さんの弟さんを県議会の方で呼んで講演してもらったり、色々やってまいりました。

たまたま自民党で横田ご夫妻の講演をしていただき、また9月の5日には私の講演会の所、これは遠い児玉町なんですよ私、実は。
そこで会場一杯児玉の町の人に集まっていただいて、横田ご夫妻のお話を聞かせていただきました。
お父さんの方が語る、とつとつと語る、誠実に語る、その言葉の中に娘を思う気持ち。
またお母さんのあの新潟での事件、一言一言全てビデオテープで撮ってあるように、自分の産んだ子の生活。
何とか助けてあげたい。
その気持ちをひしひしと感じさせていただきました。

9月の20日、我々議連は47名おります。
その中で13名が新潟へ行きまして、新潟の拉致議連と協議及び、憎っくき万景峰号の入港阻止に向けて我々は埠頭まで行き「帰れ!北朝鮮へ帰れ!」大きく我々は船に向って叫んでまいりました。
同日に船は岸壁に着き、我々がいなくなった後、乗客が降りたそうですよ。
そんな話の中で、今から十数年前は新潟港の入国審査すら、北朝鮮が全てやってた。
それが現実だったと聞かされたとき、日本の国の港で、何で外国の北朝鮮が、そこまで日本の国はやらせていた。
そんな日本の国に対して私はやり切れない気持ちになりました。
悲しい気持ちになりました。

何が何でも、小さな地方自治体の議員です。
でも日本人である以上、日本人の心を持っている以上、早く拉致被害者を日本の国に返してやりたい。
そんな気持ちでおります。
しかも新潟へ行ったときに新潟県の県議会議長の方から、全国議長会で「拉致議連を作ってくれと言っても相手にされないんだよ」と、悲しい言葉がありました。
たまたま埼玉から行った13人の中に蓮見昭一現議長がおりました。
「じゃあ私も協力しましょう」
そういう話の中で、今全国を調べましたら47都道府県の中で11、拉致議連があるそうです。
無い所を何とか作ろうといって、今月末か来月半ば、一応幹事会を開きます。
全国47都道府県、拉致議連を作り、我々地方議員から国を動かすような運動を進めたいと思います。(拍手)

そのためには皆様方のご不断のご協力・ご支援をお願いしたいと思います。
我々も家族会と共に拉致被害者の家族と共に、一歩一歩解決のために前進して参ります。
本日は皆様にこれだけを確約して、私の挨拶に代えさせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)


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