2008年07月24日

「ごめんなさい」を言いたくて

先日、拉致問題の支援活動には全く無縁のごく普通の生活をしている方とお話をする機会がありました。


「私は政治的な事は良く分からないが、今の福田さんにはやる気があるように見えない。」

と言う趣旨の話をしてくださいました。

拉致問題についてそれ程マニアックな人でなくても、福田総理にやる気が無いことは明白に見えています。
一人も被害者が救えていないのに、制裁解除に動く理由が分からない、と。

私は一般国民のこういった素朴な声を今こそ拾ってつなぎ合わせる事が、この救出運動を真の国民運動に昇華させるためにも必要だと思っています。

デモもいい、集会もいい。
けれど従来型のそういうアピール方法に抵抗感を持つ一般国民が少なからずいるのも、偽らざる一つの事実ではないんでしょうか?

救う会主催の国民大集会がジリ貧の一途を辿る中で、映画や写真展が各地で相当数の動員を集めたのは何故なのか?
この活動を支援する者は、もっと頭を柔らかくして、国民の素朴な感情を拾い集めることに力を入れるべきだったのではないでしょうか?

いわゆる「活動家」「運動家」を自負する人は、どうしても一般国民を事の次第が分からない無知な人々として、下に見下す傾向がある事が否めないような気がします。

確かに大衆は無知な側面があるかもしれない。
愚民の集団かもしれない。

でも彼らは彼らなりに、直感的・感覚的に、いつまで経っても被害者を救い出せないこの国はおかしいと感じています。
福田総理に、被害者救出をやる気が無いことくらい見抜いています。

そういう素直な国民の声を拾い集める事。
そのためには、支援する側も様々なアピールの方法を考え行使し、それを許容できるような救出活動であって欲しいと思います。

「運動家」「活動家」を自負する方にありがちな、プロ意識あるいはプライドが邪魔をしてしまい、一般大衆の救いたいと願う素朴な声を結果として遠ざけてしまう・・・と言う皮肉な場面を何度も見てきました。

9.17からもうすぐ丸6年。
この救出運動を国民運動に出来なかった責任は大きいと思います。
無駄に過ごしてしまった時間は取り戻せない。

とはいえ、過ぎた事をぐちゃぐちゃ言っても始まらない。
被害者を何としても救い出すためにも、今はあらゆる方法を試みて、世論の喚起を図るより他ありません。

つまらぬ足の引っ張りあい、勢力争い、誹謗中傷その他もろもろ・・・
救出と言う願いからは程遠い無駄なエネルギーの消耗戦など、私は全く興味がありません。

私の願いは、ただ救いたい。
引き裂かれた家族を元の姿に戻して差し上げたい。
長年この問題を放置し、辛い思いをさせてしまった被害者とその家族に対し、一人の人間として心からの「ごめんなさい」を言いたいのです。


posted by ぴろん at 08:27| Comment(1) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の願いは、ただ救いたい。
Posted by eedig at 2008年09月16日 16:05
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