2008年12月14日

荒木和博氏 大阪ブルーリボンの会結成5周年記念講演会寄稿誌より

平和と人権と自由を守る戦い

                      特定失踪者問題調査会
                           代表 荒木和博

 大阪ブルーリボン5周年講演会に参加された皆様、平素のご尽力に対し心より敬意を表します。
 拉致被害者の救出運動が始まってまもなく12年になろうとしています。その最初の時点から運動にかかわってきた者として、あらためて時間の経過を考えたとき、複雑な思いにとらわれずにはいられません。
前に横田早紀江さんが言っておられましたが、平成9年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことが分かったとき、早紀江さんはこれで遠からずめぐみさんに会えると思ったそうです。でもそれからが大変だった、これは偽らざる心境でしょう。
 現在家族会にいる方々の大部分も、いつになったら再会できるという確信はなかったにせよ12年もかかるとは思わなかったでしょう。言い方をかえれば12年経って現在のような状況だと分かっていたら運動を続ける気力は起きなかったのではないかと思います。
 私自身どれくらいかかるのかと考えたことはありませんでした。というより、この問題はやればやるほどその闇の深さに驚き、戦慄することばかりなのです。底なし沼に足を突っ込んでいく感覚というべきでしょうか。
 拉致問題は絶対ハッピーエンドには終わりません。個々には救出された方々がご家族と再会を果たすという場面に感激することはあるでしょうが、拉致問題全体はある意味日本の闇の裏返しでもあります。
 政府は「生存しているすべての拉致被害者の帰国」というだけで、絶対に「救出」とは言いません。しかし、たとえ幸運にして現在の政府認定被害者や、特定失踪者が全員無事であったとしても、その人たちの失われた時間は戻ってきません。横田めぐみさんの原状回復は、昭和52年11月15日の寄居中学校1年生に戻すということです。したがって生存者の帰国でマイナスをゼロにすることはできないのです。また、拉致される過程で殺害されたり、北朝鮮で望郷の念を抱いたまま亡くなった方々は(もちろん何も言えないわけですが)「生存者の全員帰国」という言葉を聞いたらどう思うでしょうか。
 仮に政府の今の目標どおりに「生存者の全員帰国」が果たされたとして、その「生存者」は果たして大喜びで日本に戻るのでしょうか。彼らがこれまで何十年も放置されてきたことに対する怒りを持っていないと、誰が言い切れるでしょうか。私たちは事件を防ぎ得ず、解決にあまりにも長期間を要してしまった悔恨とともにその痛みの一部を分かち合わなければなりません。
 それだけではありません。田口八重子さんが大韓航空機爆破事件の犯人金賢姫の教育係をさせられていたように、拉致被害者が北朝鮮の工作活動に協力させられていた場合や、場合によっては直接の工作員になっていた場合すらあっても不思議ではないのです。協力しなければ自分はおろか家族も極刑に処せられる、目の前で公開銃殺を見せられた拉致被害者が、たとえば別の日本人を拉致するのに協力していた場合、私たちがそれを非難することができないのは当然です。
 また、自分の意思で北朝鮮に入って出られなくなった場合、完全な偽計による有本恵子さんのケースはともかく、ある程度思想に共鳴していた。しかし数週間で戻るつもりで北朝鮮に入って出られなくなった場合などはどうなるのか、朝鮮総連に騙されて北朝鮮に帰国した在日やそれに従って渡った日本人家族とどう違うのか、おそらく誰にも明確な答えは出せないと思います。そして答えが出せなくても私たちは遠からずその現実に向き合わなければなりません。

 ところで、私たちはつい拉致事件を過去の問題と思いがちです。12年前近く前に横田めぐみさんの拉致が分かり、拉致が社会問題となってから、いくらなんでも北朝鮮の工作活動にブレーキがかかっているはずだと考えても確かに不思議ではありません。
 しかし、富山県、黒部川河口で北朝鮮工作員の水中スクーターが発見されたのは平成11年、救出運動の始まった2年後です。周囲の状況から推定すると埋められたのは平成10年の11月から11年4月頃と推定されています。まだ記憶に新しい奄美沖で沈没した工作船の事件は小泉訪朝の前年、平成11年12月のことでした。
 どこでも結構です、田舎の海岸に夜立って、自分が自衛官や警察官として海からやってくる工作員を制圧あるいは逮捕する立場だったらどうなるか、想像してみてください。何月何日の何時にここにやってくるということがわかっていなければ、それに対処することは絶対にできないことは軍事に疎い人でもすぐにわかります。
 日本の海岸線は34000キロ、米国の倍の長さであり、国土面積あたりの海岸線の長さで言えば日本は世界一の国です。敵対する勢力が侵入するのを海岸で防ぐことは絶対にできません。
 私は小泉訪朝で金正日が拉致を認め、5人が帰国した後、日本国内の工作員や協力者のうち何人かは自らのやってきたことを一部でも語るだろうと思っていました。しかし現実にはそれはほとんどありませんでした。なぜなのか、長い間分からなかったのですが、その理由は考えてみれば簡単です。今も工作活動が続いているからなのです。憲法がどうだとか、マスコミがどうだとか、政府がどうだとか野党がどうだとか、文句を言って何もしないのは簡単です。昔のことであればそれで済むでしょう。しかし、この問題は「今、ここ」の問題なのです
 戦後の日本は自分の頭で安全保障を考えることを避けてきました。それは占領した米国に無理やりさせられたことですが、逆に占領中に自らの安全を人に任せることの心地よさを知ってしまったのがこの白昼夢のような半世紀だったと思います。
 日本には軍隊はない。日本には核兵器は存在しない。平和憲法があるから平和が守られる…。そのすべてがまったくの虚構であったことは明らかです。日本には自衛隊という名前の軍隊があり、米軍の核兵器を積んだ艦船は積んだままで入港しています。そして日本は米国の核の傘と日米安保、そして何より日本「軍」によって守られているのです。日本国憲法は一部勢力に日本が当然の国防力を持つことを阻害するために利用されてきました。ある意味では「国家の平和と国民の安全を阻害する憲法」だったと言えるかもしれません。
 私は現行憲法のままでも国家として当然なすべきことはできると思っており、憲法を変えなければ何もできないとは思いません。それは政治に携わるものの決断によって十分可能です。

 皆さん、拉致被害者の救出は私たちの安全を守るための戦いです。決して被害者や家族が可哀想だからやるものではありません。北朝鮮は東アジアにおける安全保障上の脅威であり、拉致問題のみならず政治犯収容所や公開処刑、脱北者問題などさまざまな人権問題を抱えた独裁体制のもとにあります。日本よりはるかに寒い彼の地では、今も罪もない子供たちが飢えと寒さの中で短い生を終えています。
 この地から金正日の独裁体制を消滅させ、拉致被害者はそれぞれの家族のもとへ返し、北朝鮮の人々は恐怖から解放されなければなりません。そしてそれを実現できるのは米国でも中国でも韓国でもありません。私たちが、日本がしなければならないことだと確信します。これまでのご尽力に御礼申し上げ、本集会を契機に再度この平和と人権と自由を守る戦いに皆様が立ち上がってくださいますようお願い申し上げる次第です。


posted by ぴろん at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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