2009年01月01日

脱北者の証言1 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第2部より

◆管理人よりご訪問の皆様へ

支援仲間の原良一氏より、先日の6団体共同集会における第2部「収容所体験者・脱北者による証言」のテキストを提供して頂きました。
第3部のテキストはまだ紹介し終わっておらず順不同になりますが、テキストの速報性を考慮して一足先にアップいたします。
かなりの長文ですので、分割の上ご紹介したいと思います。
北朝鮮の人権状況を知る上で貴重な証言を是非、ご一読いただければと思います。


・・・以下、テキストを転載・・・

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第2部 「収容所体験者・脱北者による証言」
08.12.14 明治大学リバティータワーにて


(投稿者より)
 身辺未整備ですが、とりあえず年賀状を出し終えたので、
「北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 第2部 脱北者の証言」
に取りかかります。ご高覧いただければ幸いです。

 最初に、プログラムで事前告知されていた脱北者で元帰国者のトヨタ・アキコ氏が直前で韓国当局より出国許可が下りず、不参加になった経緯が発表されました。脱北者の現況を知る上で重要と思うので、独立した投稿として案内します。ご了承ください。
いつも通り、発言内の( )は原則投稿者の補注です。
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 司会:三浦小太郎(守る会代表)
 これから脱北者の証言を行います。
 わたくしはですね、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会(守る会)という団体の代表を務めさせていただいております三浦と申します。急遽、この場だけ司会をさせていただきます。

 最初に北朝鮮難民救援基金の加藤博さんから、本日証言予定のトヨタ・アキコさん(仮名)という脱北者の方が来られなくなってしまいました。そのお詫びと経緯を説明さていただきます。

 加藤博氏(北朝鮮難民救援基金事務局長)
 今ご紹介いただきました北朝鮮難民救援基金の加藤です。
 本来証言集会は、3名でやることになっておりまして、それぞれ充分な時間を取ってお話しさせていただくという趣旨でありました。今ご紹介のありましたトヨタ・アキコさんという方は、お母さんが北海道出身の人で、お父さんももちろん北海道出身ですが、お母さんは日本人妻、それで在日朝鮮人のお父さんと結婚して北朝鮮に行かれた方なんですけども…。

 この方は、そもそもは平壌に住んでおられた方です。ですけれども、日本から北朝鮮に帰る時に「3年経てば、日本に戻してあげる」という約束で行ったのに、約束が守れないということで「提議書」(意見書)というものを出したそうですね。

 そのためにその家族は、(北朝鮮最北端の)咸鏡北道(ハムギョンプクド)の茂山(ムサン)、「茂る山」という所に追放されました。その追放される時に「今後一切、日本語を使ってはいけない」と。「もし使うようなことがあれば、一家全滅になると思え」と脅されて茂山に追放されたために、お母さんは自分が第何次船で来たとか、兄弟がどうであるとか、そういう一切のことを子供に話さなかったそうです。

 本人は、去年北朝鮮を脱出して日本に帰りたいと言ったので、私たちも鋭意努力して探したんですけれども、結局本人が日本から行ったということを証明することができなくてですね、結局日本に来ることはできませんでした。

 本人は仕方なく、自分が行ける所の次の選択肢として韓国を選んだんですが、本人は(北朝鮮時代)茂山の社会安全部、警察ですね、戸籍を担当する部署で働くことができたそうです。そういう(北朝鮮の権力機構である)社会安全部にいたという関係で、韓国に来てからもいろいろと取り調べが厳しかったようです。

 本人は、既にパスポートも取得していまして、自由に出国できる体勢にはありましたけども、いざ、この会議に出席する時になって、担当の警察、刑事がいるんですが、「日本に行くことはできない。行ってはならない。行った場合には、パスポートも没収するし、罰金は300万ウォンだ」と、そういう話しがありました。

 私は、この事情がよくわからないので、在東京の韓国大使館の領事に尋ねてみましたら、本人が韓国で保護観察中という場合は、パスポートを持っていても出国できない場合がある」という説明でした。

 本人は、担当の刑事からそう言われて出国できないということで、「今回は申し訳ありませんが出席できません」と、そういう話しがありました。

 ですから、韓国に着いたからといって必ずしもすぐに自由になれるという訳ではなくて、そういう保護観察という身分である場合もあります。そういうような結果で、今回は皆さんに非常にドラマチックな話しでもあり、北朝鮮の現実をわかってもらう上で、非常にいい話しだと思いましたので紹介しようと思っていまいたけれども、今お話ししたような事情で、来れなくなってしまいました。皆さんには、期待していただいたのに充分にそういう機会を設けることができなくて、本当に残念です。申し訳ありませんでした(一礼)。以上です。

 司会:三浦小太郎守る会代表
 今お話しになられました北朝鮮難民救援基金のホームページに、トヨタ・アキコさんの書いた手記が載っております。それなどお読みいただければありがたいと思います。

 ご存知の方も多いと思いますが、基金は、結成以来もう1000人くらいになるのかな、とにかく数百人以上の人名を何らかの形で助けております。

 実はわたくし、この服は脱北者の方から貰いまして、実はこの服も貰いまして、ズボンは間に合わなかったんですが(笑)、わたくしは、いつもほとんどホームレスそのものような格好をして、皆さんと会うことがあるんですけれど、今日は脱北者のお陰で、支援を受けて(笑)ちょっとまともな服を着て、ズボンは丈を短くするのが間に合わなかったので、残念なことであります。


 以下、投稿者の補注

 三浦代表も紹介していましたが、トヨタ・アキコさんに関しては、北朝鮮難民救援基金のホームページで本人の手記を含む詳しい紹介があるので、参照ください。

■北朝鮮難民救援基金NEWS58号 2008/08/28(08.7・8月合併号)
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/news58.htm

日本に行けなかった日本人妻と娘 トヨタ・アキコ
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/news58.htm#
(一部抜粋)
>私は大人になるまで、生まれた北朝鮮が世界中で一番良い国だと信じていた。
>北朝鮮の安全部住民登録課で勤務していた時、(中 略)経済監察課が押収したラジオで
>日本のNHK放送と韓国KBS放送を聴いたのが発覚した。

>調査が始まるとセメントの床にひざまずかされ、椅子、角材を使って、
>頭、胸などを無差別に殴打、暴行され、拷問を受けた。
>私は日本に行きたかった。2004年から2005年にわたって瀋陽の日本総領事館に
>5度ほど連絡をしたが、返事はいつも「待て」で何の進展も期待できなかった。

(脱北者チョン・グァンイル氏の証言起こしへ続く)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※ 北朝鮮難民救援基金 http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/
http://hrnk.trycomp.net/

※このエントリーのテキストは、原良一氏の手によるものです。
posted by ぴろん at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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