2009年01月01日

脱北者の証言3 北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会第3部より

北朝鮮テロ全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会 <アジア人権人同学会の設立準備期成会>
第2部 「収容所体験者・脱北者による証言」
08.12.14 明治大学リバティータワーにて

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(承前)
 チョン・グァンイル氏(政治犯収容所体験のある脱北者)
 通訳:宋允復NO FENCE事務局長

 チョン・グァンイル氏が記憶している収容者の個人情報
 そして、ここは日本であるということで、日本に縁(ゆかり)のある人について言いますと、私がいる間に5名の在日朝鮮人出身者がおりました。その内の一人は、運良く耀徳の革命化区域から出されて、その後韓国(北朝鮮の言い間違いか)から第三国に逃げ出したシン・ジョンエという方、一人おりますけれど、それ以外の4名については生きているのか、死んでいるのか、私には定かな情報はありません。

 先ほど申し上げましたように、私は収容所の中では班長という立場でしたので、自分の班に配置される収容所の身柄の情報については与えられていました。韓国に入った後、(自分の班の)収容者四百数十名すべてを思い起こすことはできずに、何とか少しづつ思い出して、何とか187人の身上情報については、私なりに簡略にまとめて、今日資料としてお持ちしました。これを今頭から、お話ししたいと思います。

 187人すべてをこの場でお話しするわけにもいきませんので、その中で北朝鮮でそこそこ高位のポジションにいた人たちに関して、その人たちも様々な波風の中で収容所に送り込まれますけれども、その人たちがどういう理由で耀徳に送り込まれて、どういう死に方をしたのかということをお伝えします。

(1)シム・チョルホ氏(42歳、元逓信省副大臣、保衛部批判の失言の罪)
 シム・チョルホという人です。収容所に送り込まれた時42歳で、前はどういう職にあったかというと、逓信省といいますから日本でいえば郵政大臣の副大臣のポジションにいた人が、送り込まれてきました。2001年の9月です。

 この人が何故送り込まれたかというと、保衛部はスパイを捕まえるという目的で盗聴をするんですけれども、盗聴を実施するに当たっては、逓信省、郵政局に一々許可をというか、対応を求めるわけですね。
 この人(シム氏)は煩わしくなったものですから「大してスパイを捕まえられもしないくせに、何で盗聴ばっかりするんだ、保衛部の連中は」ということを口に漏らしたのが罪になって、国家、党の名誉を毀損したという罪で収容所に送り込まれてしまいました。

(2)ユン・ヤンゴン氏(54歳、元在仏貿易参事、韓国人と交流&韓国製品の大量購入の罪)
 次がユン・ヤンゴンという男、54歳です。収容所に送り込まれる前は、フランス駐在の貿易参事という肩書きで大使館に勤務していた人です。この人が送り込まれた理由は、フランス駐在時に韓国製品をたくさん使っていた、韓国人と接触していた、これが罪とされて送り込まれました。

(3)キム・ソンゴン(元ドイツ留学生、仲間との談笑が反政府陰謀と見做されて)
 キム・ソンゴンという男性です。この人はドイツに留学していたのですが、留学生仲間7人で集まって、ドイツでの留学を終えたら、今後将来どういうことをしようかということを話し合ったらしいのです。それが何故か反政府陰謀ということになって、その話し合った人全員が、この耀徳に送り込まれてしまった。

(4)ソン・グンイル(元人民警備隊旅団長、外貨稼ぎの着服の罪)
 ソン・グンイルという男、元々は朝鮮人民警備隊(国境警備隊に相当)第七職務(?良く聞き取れず)の旅団長といって、しかも「労力英雄」という北朝鮮で(二番目の高位の)英雄称号も貰っている男ですから、大変な立場の人間なんですが、その人間が中国で外貨稼ぎをやった際に、その一部を自分の懐に入れた(着服した)罪に問われて送り込まれました。

(5)ヨン・ジョンジュ(52歳、元平壌牡丹峰区域検察所長、保衛部との内部抗争で讒言さる)
 あともう一人、平壌牡丹峰(モランボン)区域の検察所長をやったというヨン・ジョンジュという男、52歳で送り込まれたんですけども、きっかけは何かというと、北朝鮮で大変な事件になった平壌平川(ピョンチョン)区域保衛部長事件(注2)というのがあるんですね。これは何かというと「忠誠の外貨稼ぎ」といって金正日にそれぞれの国家機関が外貨稼ぎをして、金(外貨)を差し出すという運動を盛んに行っていた時に、その保衛部長が不正なことをやったらしいのです。

 その時に、(容疑が)保衛部ですからその捜査を保衛部にさせないで、検察にさせた、と。その検察の捜査に対して、保衛部が復讐のためにあらぬ事件をでっち上げて、検察所長が不正を働いたというでっち上げが報告されて、その波風の中で検察所長という人間まで収容所送りにされてしまったということです。
(注2)平壌平川(ピョンチョン)区域保衛部長事件
かるめぎ68(守る会機関紙、過去ログより)
http://hrnk.trycomp.net/archive/karu68.htm
○フリーダムハウス主催国際会議資料 1
 耀徳 (ヨドック) 収容所ソリム川区域の収監者達
2)平壌ピョンチョン区域保衛部長事件 (1997年)を参照

(チョン氏・宋氏、資料に目を通しながら打ち合わせ後)
 余りにも人数が多いものですから、後は区切って在日に関する話しをしたいと思うのですが、私が見ただけでも入れられた人というのは、

(6)氏名不承氏(元在日朝鮮人、元在チェコのテコンドーコーチ、体制批判の罪)
40歳で入れられたチェコでテコンドーを教えていたのに、チェコと北朝鮮を比較して体制批判をしたという罪で送還されて収容所に送り込まれたとか、まあ次から次へ、いずれ皆さんに公開する時があると思いますけれども、ここまでにします。

(7)カン・ソンチョル(元在日朝鮮人帰国者、拉致問題で失言を密告さる)
 この資料の中に在日朝鮮人で、コードネームで130号連絡所と言いますが、連絡所も外貨稼ぎのために貿易部門を持っていて、日本との間を何回も行き来したんだそうです。その時に拉致問題に絡んで何か発言したことが、他の監視している人間から当局のほうに通報(密告)されて、北朝鮮に帰った時に捕まってそのまま耀徳に送り込まれてしまった、と。

 その人は、元々外貨稼ぎをしている間にだいぶお金を党に差し出したので、ここ(耀徳)に何年かお勤めすれば出してもらえるだろうと思っていたのですが、結局出してはもらえませんでした。その名前がカン・ソンチョルという人です。

 それ以外でも日本との絡みで、一気に8人まとめて送り込まれた人がいたのですけれども、その人たちは35号室という金正日の秘密資金を作る場所の工作員として日本に出入りしていて、日本名も持っている人たちだったそうです。日本名も持っている人たちだったのですが、これもまた情報漏洩か何かの罪に問われて、8人まとめて耀徳収容所の革命化区域に送り込まれました。

(8)ユン・ヨンチョル
(56歳、元在日朝鮮人帰国者、元ペヤン貿易会社大連支社長
 韓国人との接触がスパイ容疑に、母の手編みのセーターを着て憤死)
 このように外の世界では罪にもならないような罪で、次から次へと人が送り込まれてくるというのが、北朝鮮の収容所でありまして、ここでもう一人、在日朝鮮人だったユン・ヨンチョルという男、当時2000年に耀徳に送り込まれたのですけど、56歳でした。この人も自分が何の罪で送り込まれたのか、まったく知りませんでした。

 送り込まれる前に何をしていたのかというと、軍隊が持っている貿易会社、びゃくよう、ペヤン(柏陽または白陽?)貿易会社というのがありまして、それの大連の支社長をやっていたのですね。その商売をやる中で、韓国人と取引きしていたのが、これもまたスパイ容疑ということになって送り込まれたのですけれども、この人は、送り込まれる前の取調べの生活が長かったものですから、送り込まれた時は、ほとんどまともに身も体も動かせない状況でした。

 しかも彼が特徴的だったのは、彼の話しによると自分の母親は、日本でまだ生きているんだと。その母親が手編みで編んでくれたセーターをずっと着ていたこと。真夏でも着ていたんです。何でこのクソ暑いのにそんなものを着ているんだ? と言ったら、いやこれは、母が編んでくれたセーターだからと泣いていたのです。そしてとうとうこの人(ユン・ヨンチョル)は、収容所の中で栄養失調で死んでしまいました。

(9)シン・ジョンエ氏(元在日朝鮮人の収監者で唯一釈放が確認されている人)
 先ほど、私が知っている在日朝鮮人の中で、運良く生きて出ることができたシン・ジョンエさんですけれども、この人も1年収監されて出て行く時は、運良く革命化が終わって出されたんですけど、その時には自分で歩けない状況で、担架に乗せて出されました。

 耀徳の中で人が死にますと、棺桶に入れるということは一切ありません。墓の形さえ作らせないのです。とにかく埋めて、平たにしてしまう、土に返してしまう。

(以下の段落のみ、宋氏個人の発言です)
 これは別の機会に、彼(チョン氏)から聞きましたけれども、要するに一旦こういう所に送り込まれた人間は人間ではない、土くれなんだ、だから土に戻すんだ(注3)、という言い方を(耀徳では)良くしていたそうです。
(注3)「死後も人民に踏まれろ」で平土(ピョンド)に
 姜哲煥・安赫共著の「北朝鮮脱出」(文春文庫上下巻)でも言及されていますが、耀徳収容所では、囚人が死ぬと墓を作ることは許されず、死体は特に道の下に埋められ、その上も墓や盛り土にせず平らな平土(ピョンドと読む)にされます。これには「政治犯は死後も人民に踏まれろ」という意味があり、祖先崇拝や墳墓の整備に固執する朝鮮文化圏の人々にとっては、極めて侮辱的な仕打ちになるのです。

(再びチョン氏の証言)
 収容所も12月になるととても冷たくて、土がカチカチに固まるので、死んだ人間を埋めるという作業がなかなかできないのです。ですから死体は、12月以降は倉庫の中に収めておきまして、その倉庫の中でカチカチに(凍って)固まるそうです。そして2月頃、土が掘りやすくなったらまとめて埋めるという作業をしていました。

 収容所の中には、名前ばかりの病院というのがありまして、そこでどういう処置をするかというと、例えば歯が痛いので抜歯をするとなると、歯科の抜歯用ではなくて、普通の工具のペンチで歯を抜きます。

 また盲腸の手術もするんですが、どういうふうにするかというと、メスなどはもちろんありませんので普通のナイフを(消毒のため)火で炙りまして、麻酔などなく(意識が)生きたまま人間を縛って、ナイフを入れる、と。そのナイフを入れる人間も医師免許があるわけではなくて、収容所では獣医の免許さえあればそういう行為をさせる、ある種実験台にもなっているんです。

(チョン氏、宋氏に何事か訴えて、以後は宋氏の解説)
 彼自身は、昨日も話したのですが、本来こういうことは思い出したくなくて、韓国に来てもうだいぶ経ちますけれど、それでも寝るとき悪夢が甦ってよく眠れないものですから、寝る前に酒が欠かせないそうで、こういうこともなるべく思い出したくないということで、意識下に押し込めようとしてきたんですけれども、私どものこういう要請で、とにかく苦しいかもしれないけど、(収容された)その人たちのためだからとお願いして今回来まして、彼は(これ以上)話すのは辛い、と今言っております。
(司会の三浦代表に)どうしましょう? 時間はどうですか?

 司会:三浦代表(この発言部分は、公式ファイルでは編集されて削除されています)
 もし、宋さんのほうで、既に聞いたことがあるのであれば、少し話していただけますか? どうしても本人がイヤだというなら…。

(チョン氏気を取り直して、再び語り始める)
 革命化区域の他に完全統制区域というのがあって、この世に生きて出さない区域のほうが9割以上あって、30万以上と推定される政治犯収容者の中で、ごく一部、1割弱が、革命化区域という所で辛うじて生きている可能性が残されているというところです。

 ただ、革命化区域の人間であってもここまでの扱いをされていて、バタバタ撲殺され、餓死し、冬には凍死しております。

 今この方は、韓国で北朝鮮政治犯収容所解体運動本部の組織部長という仰々しい名前ですけども、こういう運動体で活動しておりますので、今後皆様も、こういった収容者の問題に関心を傾けていただいて、皆様のご協力の下に早くこういった非人道的な行為に終止符が打てるように世論を、国際世論を盛り上げていきたいと思っています、ということです(拍手)。

 司会:三浦小太郎守る会代表
 おそらく今後資料のほうも翻訳がされれば、様々なことがまた明らかになると思います。

 本日この会場に民主党の末松衆議院議員が、いらしておられます。末松先生、ひと言お話しをいただけないでしょうか? 末松先生に拍手よろしくお願いいたします。

 末松義規(すえまつ・よしのり、民主党衆議院議員、東京19区)
どうも皆さん今晩は、今のお話しを聞いていてまた背筋が寒くなって、本当に非人間的な扱いをそこまでやれるのかというショックを受けているところでございます。

 私は、民主党の衆議院議員で末松義規と申しまして、今拉致特別委員会の民主党の筆頭理事をさせていただいております。そこでいろいろな委員会の質疑等をやって、今月(12月)も17日にまたやることになっているわけでありますが、北朝鮮の金正日が…(呼び捨てはまずいと思ったのか、国防)委員長が、病気を患っているので、ほとんど再調査をしてしっかりやれという話しが決まったかと思ったら、全然決まらずに、私ども委員会としても今いろんな活動を、手紙を委員会として正式に出して北朝鮮に送ったりしても、何ら梨の礫(つぶて)になっていまして、ちょっとどういう形で進めていけばいいのか、本当に政府の尻を叩くのは、ずっと叩いているのですが、国会議員としてどういう形で進めていけばいいか、非常に苦渋、難渋しているところというのが、現実でございます。

 別途私は、ミャンマーの民主化運動の民主化議連という議員連盟がございまして、そこの事務局長もしております。これも75名くらい超党派で集まって、ミャンマーのアウンサン・スー・チーあるいは、そういった政治犯を何とか助けていこうという話しをしているんですけども、これもですね、独裁体制の軍事専制の体制をなかなか崩せないというかですね、国連のガンバリ特使なんかも頑張ったり、あるいは潘基文(バン・キムン)事務総長も頑張ったりしていますけど、なかなか達成できないという話しで、本当にここでいろいろお話しがなされると思うんですけれども、ちょっとこちらのほうも手詰まり感で、結局体制を崩してひっくり返すしかないというのが、大方の結論だろうと思うんですけども、なかなかそれは外からはやれないというような状況でございます。

 そういった意味で、ただ粘り強く日本としてやらなければいけないことなんで、最後の一人がきちんと救出されるまで、政治家として責任を取ってゆく、そういう形で臨みたいと思います。今日もまたよろしく追い願い申し上げます(一礼、拍手)。

 司会:三浦小太郎守る会代表
 私たち、もちろん超党派の運動といいますか、基本的にどの政党を支持するのか、そういうのは6団体いずれにも無いと思います。ただ、自由民主党であれ、また民主党であれ、どの政党であれですね、今の話しをお聞きになればね、このような体制は許せないというのは、自由や民主主義を価値とする政治家ならばすべての方々が共有していただけるのではないかと考えております。

※チョン・グァンイル氏の持参した収容者リストの翻訳・文書化は時間がかかると予想されるので、今回掲示した資料からでも、特に元在日関連の被収容者で情報をお持ちの方がいたら、守る会、NO FENCEにご一報ください。

(リ・ウチョル氏の証言に続く)


(注2の参考資料)
 平壌ピョンチョン区域保衛部長事件 (1997年)
 国家保衛部海外情報課所属ロシア駐在のある職員が、イエメンにミサイルを売却して多額の利益を得た。それで一部は個人的に横領し、残りは金正日に献上してその功績を認められて共和国英雄の称号を授与され、平壌市平川 ピョンチョン)区域保衛部長という肩書きを得た。
 その後最高検察所海外チームが不審を抱いて調査したところ、海外口座に個人の資金が入金されていることが発覚し、これを金正日に報告した。金正日は彼を公開処刑した。このことで、保衛部側では検察所側に恨みを持ち、関連検察所を対象として報復したこともあった。


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※このテキストの音声ファイルはこちらから http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
※北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 http://hrnk.trycomp.net/
 NO FENCE http://nofence.netlive.ne.jp/
http://hrnk.trycomp.net/

※このエントリーのテキストは原良一氏の手によるものです。


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