2006年01月23日

よど号犯人と拉致問題 東京集会(2)06.1.19 友愛会館にて(有本嘉代子さん音声あり)

『有本嘉代子さんのお話』

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皆さんこんばんは。(「こんばんは」の声)
よど号乗っ取り犯の妻たちによって、ヨーロッパの方から拉致されました有本恵子の母でございます。

皆様もご存知の通り、2002年の3月12日に、八尾恵さんて方が法廷で証言して初めて分かったんですね。
だから1988年に手紙が来た時点ではどのように(拉致)されて行ったかと言うのが分からなかったんです。
とにかく行方不明になって5年目に手紙が来たのが1988年でした。
その時に北朝鮮にいると言うことの内容だったんですね。
だからその様にして北朝鮮に入ったか、誰かが連れて入ったのは間違いが無いんだけれども、本当に誰が連れて入ったんだろうな?と言う思いで、それ以降9年間。
とにかく家族会が出来るまでは殆ど主人が動いたんですけども、二人でいろんな所へ弁護士会にも、一番最初は安倍先生の事務所にも行きまして、その前にも社会党の土井(たか子)さんの事務所にも行きました。
いろいろした結果、何の進展も無かったんですね。

それでやっと2002年の3月12日に、八尾さんが証言した事によって、ほんならよど号の奥さんたちによって北朝鮮に連れて行かれたんだな、と言うことが初めて分かりました。
それよりちょっと前に聞いておりましたんですけども、田宮高麿さんいうて、そのよど号乗っ取り犯のリーダーの人が「宿命」と言う本を書いた高沢(皓司)さんと言う人に、話をしてたんですけれども。
その高沢さんと言う人は非常に田宮さんと懇意にしていて何度か平壌に行かれたそうです。
一番最後に会った時に「私たちの手によって、20人くらいの人はヨーロッパの方から連れて入っている」という事を聞かれたそうです。

20人連れて入ったという事を丁度震災の、まだ本当に真夏ですから。
まだ暑い時分に訪ねて来られてそういう話をしていきました。
だからそれで初めてよど号犯によってそれだけの人を連れて入ってるんだなと言うことが分かったんですね。
その時点では田宮さんは「私たちの手で連れて入った人たちは、とにかく私がここにおる間に日本の国に帰れるようにしなければいけない」と言う事は言っておられましたよと言う事は聞きました。
今分かっておりますのは3人ですけども、後17人くらいの人はまだ向こうにいると思います。

で、八尾さんは自分は証言したんですけれども、誰と一緒にしたとか、そういうことは全然言われませんでした。
だけどひとりで行動はしていないと思うんです。
だから今次々と帰って来ている奥さんたちも、きっと誰かは手を貸していると思うんですね。
だけど、八尾さんは一応言いましたけど、他の人は誰も言いません。

だた帰ってきて、私も裁判に2度傍聴に行きましたけども、非常に態度を見てね。
本当に腹が立つというか、はらわたが煮えくり返るくらいの思いをしました。
本当に堂々としているんですね。
自分が裁かれる身でありながら、笑みを浮かべているんです。
それで八尾さんの方を睨みつけているんです。
あの人がいろいろ言いますからね。

2度目に行った時は、ただその裁判官の方ですね。
検事さんの方は非常に小さな声で、私たちが聞いとっても分からないような声でぼそぼそぼそと言われるんです。
それで犯人の方が、ちゃんとこう書いてきましたから、それをすらすらっと、立て板に水と言ったらこの事です。
すらすらすらっと本当に大きな声でハッキリと読み上げるんですね。
そんなん見てて本当に情けないなと思いました。
この国はどないになってるんかな?という感じで、二辺目の裁判を見ましたのでね。
だからこの日本の国として、帰って来た者をどのようにするか?
警察もいろいろ事情があってだろうと思いますけれども、今のところは一応旅券法の違反だけで、皆短い間向こうに止められたら出てきて、本当に普通の生活をしているんですね。

私神戸なんですけど、すぐ近くに高槻と言うところがあるんですけども、そこのある病院が病院こぞってよど号の人たちに支援しているそうです。
だからその土地の人たちは皆知ってらっしゃるそうですね。
その人たちが資金を出して帰って来た子どもたちの住む所、マンションを買って与えてるみたいです。(「え〜?」っと言う声)
支援している人たちはどういう気持ちでしているか分からないし。
そうですね、やはり同じような気持ちで運動を今までしていた人たちの仲間なのかどうなのか分かりませんけれども、警察はそんなんですぐ離してしまう。
そしたらそれをちゃんと受け入れて支援して、その日から困らないように住む所を与える人もいる。

そんな感じで帰ってくるもんですから、帰ってくる人が堂々としているんです。
皆さんもテレビで御覧になったと思いますけど、八尾さんの娘さんなんかは本当に何と言ったら良いのかね。
本当に激しい口調で物を言ってました。
小さい時分、5歳と8歳と仰ったと思うんですけど、「その時分に向こうに置いたまま、自分は一度もあってないんです」と言う事は言ってました。
その間によど号の人が二人を大きくしたんだろうと思います。
今長女の方はまだ向こうに残っておられるそうですけど、下の方が帰ってきて、皆さんテレビ番組で見られたような状態ですので、あの人は母親としては全然相手にして貰えないんですね。

だから八尾さんも全部喋ったとは思っておりませんけども、私はあそこで会う前に半年ほど前から八尾さんの事は聞いていたんです。
私が一度テレビの画面で本当に「私たちの子どもを誰かが連れて行ってるんだ」と、「誰か分からないけれどもその人は連れて行くときに何も思わないで連れて行ったのかな?」と言った事があるんですよ。
「この子を連れて行ってそれからずっと日本の国に帰れなかった場合、親がどんな気持ちで暮らしていると言う事を、その連れて行った犯人には分からないんでしょうかね?」と、私が結局マスコミの方と話をしているところをあの人は画面で見たらしいです。
そうしましたらその日は一日、本当にしょげてしまって、本当に何も物を言わなかったと言う事をマスコミの方から聞いてます。
だからその方が長い間、八尾さんと接触して何とか法廷の場で証言をするという形に持って言ったそうです。

それも聞いておりましたので、いろいろ私も言われました。
あの時に何でもっと強い態度で、「私だったら本当に八尾さんを蹴ってたかも分からないよ」と言われた人もありました。
だけどね。
主人は助けの神だと言うたんです。
何でそういう事を言ったかと言いますと、この9年間、本当にどこへ行っても相手にして貰えなかったんです。
国も、家族会として私は運動をしておりましたけども、最後まで拉致と認めておりませんでした。
そういう思いもいろいろありまして、この八尾さんが証言する事によってきっとこれは動くだろうな。
マスコミも動いてくれるだろうな。
政府もきっと動いてくれると言う思いがあったもんですから、そこまで言ってしまったんですね。
(私は)そこまでは言わなかったですけども八尾さんも同じだなぁと。

恵子が丁度この間誕生日迎えたところですのでね。
北朝鮮で23年日本で23年、丁度同じだけ北朝鮮で暮らしてきました。(涙ぐみながら)
だから本当に親としては一日も早く、子供の手を取って抱いてやりたいと思いますけども。

でも私は今年は何か動くような気がするんです。
北朝鮮も今非常に厳しい状態にあると聞いていますし、だから政府の方も、今日お目にかかった鈴木官房副長官も一生懸命官庁も省庁は力を合わせてひとつの組織を作ってするって言う事はしっかり言って下さいましたし。
警察庁の方に参りましても、その方もこれはしっかりやっていくと言うことを仰ってくださいましたので、私はそれは本当だろうと思っています。
何とか今年は動くだろうと言う気持ちで今おりますので。
何とか私たちが元気な間に本当に全部の人たちが帰って来れたらなぁ、という思いで運動を続けております。

ここのよど号だけじゃなくて、特定失踪者の人も合わせて400人以上の方が同じ思いで、親たちは暮らしてきたんですよ、親たちは。
だから交渉に当たる人たちは「全部返しなさい、全ての人を返しなさい」と言う事をしっかり言って、なかなか話し合いでは無理だと思いますので。
今日も申し上げたんですけども、今月の末に一度交渉があるそうですけども、「これを最後にして下さいね」と言ったんです。
本当にいっくらしても、話し合いでは私はまず無理だと思いますので、国としてきちっとした態度で北朝鮮に臨んで欲しいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)


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