2006年01月29日

よど号犯人と拉致事件 東京集会(9)06.1.19 友愛会館にて(恵谷治氏その1 音声有り)

『恵谷治氏の講演 その1』

★西岡力 副会長


ありがとうございます。
それでは今日の講師をご紹介したいと思います。
今日はジャーナリストの恵谷治さんに来て頂きまして、拉致の実行犯は誰なのか?
当初はよど号事件を中心にしてお話をして頂こうと思っていたんですが、辛光洙・朴の話が出て来ましたので、よど号に限らずですね。
拉致の実行犯は誰なのか?
拉致事件と言うのはどういう犯罪だったのか?
という事について、実は私もいろんなことを教えてもらっている専門家中の専門家でありまして、恵谷さんのこういうすごい本も書いていらっしゃって、「対日謀略白書」というなかに、朴とかたくさん入っています。
恵谷さんの今の時点での分析を、そうですね、8時10分くらいまでの間お話をしていただいて、その後私が少し補足をして質疑を行おうと思います。
では恵谷さんお願いします。

★恵谷治氏

Img_1743.jpg



どうもはじめまして、恵谷です。
当初、今日よど号関連の集会なんでその話をするつもりだったんですが、それで私も丁度去年の暮れにお話が出まして、丁度いい機会でもう一度よど号事件、洗い直しをやろうと。
そしてこの場に臨もうと思ってたんですが、辛光洙の件が出て来たり、あるいはご存知の金正日が訪中いたしました。
それはフォローで、結果的によど号関連のお話が出来ない状態だったんですけども、それよりも辛光洙を含めて拉致の実行犯、あるいは拉致と言う物はどういうふうに行われるか、と言う方に重点を置いてお話をすれば良いと言う事だったもんですから、ちょっと気は楽なんですが。

Img_1748.jpg

お話をする前に個人的な事をちょっと話したいと思います。
これは私が大学4年のときに、よど号事件が起こりました。
そのときのスクラップです。(大きなスクラップブックを掲げてみせる)
私にとってよど号と言うのは全く自分の歴史と一緒でありまして、当然ながら私と同級生に当たるのが安部公博あるいは田中義三です。
ですからその連中がこういう犯罪をやっていると聞いたのは正直80年代に入ってからで、この当時の日本中に衝撃を与えた事件と言うのは痛いほど私は分かっております。
で、連中らがどういうふうに考えてきたのか?それなりに個人的にはずっとフォローしてきましたが。

私が一番最初に北朝鮮に行きましたのは1987年です。
その時は初めて北朝鮮で観光が解禁されまして、それ以前は社会党友好実施訪問団とか、そういう形でしか行けなかったのが金さえ払えば誰でも良いという事で、初めて行きました。
で、その時もおそらく、ツアーだったんですがその中にはよど号の新聞記者もいたと言う雰囲気もあります。
というのもホテル、高麗ホテルに泊まっていたんですが、夜そのホテルの地下のバーで私が全く一人で飲んでいたんですが、その一員が話をしているのを聞いていると、よど号の誰々と、名前は当時覚えていたんですが今思い出せないんですが。
よど号のメンバーの名前を言いながら今ここに来ると、言う話をしてました。

私はその時点では、よど号(犯人たち)は(日本に)帰って来れない犯罪を犯している。
個人的にはそれを差して拉致問題を起してるとは知りませんから、なぜ帰ってこないのか?
言葉で言う微罪ですんで娑婆に出てくると、それがおかしいおかしいと言うのが、結果的にはとんでもない犯罪を犯していたと。
非常に納得できたわけです。
それ以降、もう一度よど号事件と言うのを洗い直しをしながら、私が初めて北朝鮮へ行った翌年に有本さんの事件がハッキリしました。
あの3人の方の手紙が来て、当然それもフォローしながら、どういう形でよど号は犯罪と言うか拉致をするようになったのか?と。
気にはなっていたんですが、もちろん具体的な証拠は有りません。
そうした中で先ほどから話の出ています、高沢皓司氏の「宿命」を読み、当然ながら納得しましたし。
それに至るまで様々な情報が入っていました。
ですからだいたいこんな物かなと言う状況は分かるようになりました。

よど号については後でお話をするとして、まず辛光洙についてお話したいと思います。
私は今言った87年の翌年に初めて北朝鮮の本を書きました。
その中でも辛光洙の事件を書いておるんですが、当時はですね。
いわゆる工作員の動きと言うものに興味がありまして、とにかく彼は日本に潜入して合法的身分を取った後、パスポートでヨーロッパ経由北朝鮮と言う判明しているだけでも6回往復しています。

当然韓国での、85年に逮捕されて以降の判決文を検討して時系列的に考えました。
今回、最初に地村さんの件がありまして、それからめぐみちゃんの件が出てきたと。
皆さんご存知だと思いますが、判決文の中にはですね。
判決文の中ではその時期は北朝鮮にいたと言う事になっています。
先ほど西岡さんが紹介してくれたこの本にもですね。
私は裁判記録を盲目的に信用し、無批判に信用しましてそんなはずはないと思ってましたし。

もう一点78年の3つのカップル誘拐、拉致事件の時のですね。
もう一つ未遂があります。
その未遂事件の時にそのカップルの女性の方が、警察から辛光洙の顔写真を見せられて、この人に似ていると証言していたのですが、裁判記録によれば北朝鮮にいるんで、見間違い・記憶違いだろうというふうに私はこの本の中で書いてます。
その事については反省をしているんですが。

辛光洙が少なくとも地村さんとめぐみちゃんを拉致したかどうかは別としましても、まず彼の簡単な生い立ちと言いますが、皆さんも新聞で読まれたかと思いますが、お話します。
彼は在日、日本で生まれまして愛知県だったと思いますがハッキリしません。
(会場より「静岡です」の声)そうです、静岡です、失礼をしました。
彼は北に戻ってですね。
韓国経由で戻ったんですが、1971年、この年号を覚えてください。
71年に工作員になる、リクルートされます。

後でも申し上げますが、工作員と言うか謀略活動をする人間の名称についていろいろ問題があるんですが、ここに来られている方は皆さん意識が高いので、頭に入れて頂きたいんですが。
新聞等では工作員と言う言い方をします。
しかしこれが落とし穴でありまして、北朝鮮においてはですね。
そういう謀略活動をする人間を北の用語で4種類あります。
「工作員」と、それから「偵察員」、それから「戦闘員」、それから「案内員」、これが彼らの呼称です。

辛光洙はですね。
1971年に「偵察員」としてリクルートされました。
「偵察員」と言うのはですね。
軍の工作員と言いますか、もっと正確に言いますと朝鮮人民軍偵察局の工作員です。
工作活動をする人間です。
彼はまず軍にリクルートされて、約2年半教育・訓練を受けます。
それで1973年7月2日に元山から石川県の海岸に、皆さんご存知のような形で潜入し日本に再入国します。
日本語は非常に上手くて、おそらく数字は覚えていませんが大体30歳過ぎてたと思いますが、辛光洙がまず入ってきて日本人の日本語と変わりませんから日本社会に溶け込むのは楽。

ただ法的な身分がありませんから、北朝鮮に帰国した人間の手紙を持って日本に住んでる家族に渡す。
これはあらゆる工作員が最初に日本に上陸すると潜入すると、そういう作業をします。
言わば脅しですね。
自分に協力しろと、協力しなければこの手紙の人物の待遇が悪くなると言う事であります。
ポイントは何か?と言うと先ほど言ったように、彼は偵察員です。
これは軍の所属ですが、71年にリクルートされました。

もう一人の朴と言う、朴某、朴なにがしという男は、これは党の工作員です。
辛光洙よりも先に日本に潜入しますが、北朝鮮においては日本に対して様々な機関が工作員を派遣するという時代でした。
それが1971年です。
もちろんその後も続くんですが、ポイントはですね。
1975年にご存知だと思いますが、金正日が73〜4年にかけて党の書記、政治局員というふうに中枢部に躍り出ます。
彼はそれまでに演劇部門、音楽部門、つまり文化芸術部門は権力中枢部でも一目置かれるような活躍をします。

しかし現実権力として、もっと言いますと権力執行機関、あるいは自分の力の基盤と言うものが全くありません。
女優を騙して好き勝手をするということは出来ても、権力、自分の力が無いと。
それは例えば警察、例えば軍、いろんな所のトップになれば、それなりの権力基盤が作れるわけですが、そうした中で金正日はこの秘密機関、謀略機関に目を付けます。
この謀略機関がこの辛光洙が、あるいは様々な工作員が活躍する場で、皆さんご存知の現在では3号庁舎と言うふうに呼ばれる部署ですが。

この3号庁舎、正確に言いますと1975年当時はですね。
連絡部、調査部、文化部、この3つしかありませんでした。
それ以外に軍の偵察局があって、辛光洙は軍の方にいたわけです。
ところが1975年金正日が3号庁舎を検閲する。
つまりお前たちの仕事を再チェックすると、言う事があってですね。
それまでの活動のあらゆる物を全てチェックしました。

で、これはもう世界中どこの機関もそうなんですが、この秘密機関と言うのは言わば機密費で賄っているような機関ですから、工作費そういう費用、これを受け取っても工作に使わずポケットに入れる人間もたくさんいるわけです。
これは世界の常識です。
CIAの工作員でも同じだし、我が国の大使館員の外交機密費で自分の絵を買っているとか言う事もあります。
これはどこの、つまり領収書が明確に要求されませんから皆ポケットに入れると。
まぁ皆じゃありませんが、そういう事が往々にしてあります。

ですからその大検閲によって、全員すねに傷がある。
で、そのポケットに入れる以上に工作活動を成功させていれば、問題は無い。
とにかく金正日はですね。
半年に亘って全ての工作をチェックしました。
それで75年の11月から全体会議を開きまして、全員の自己批判をやらせます。
そしてとにかく全員すねに傷がありますから、「自分はこういうことをしました、今後反省します」と、とにかく締め上げて、当然部長クラスは全員首を挿げ替えて。

プラス、当時はですね。
75年当時まだ北朝鮮は、まだと言うか今と変わらないというか、外貨がほとんどありませんでした。
外貨は中国政府から恵んで貰っていた貴重な外貨でした。
その貴重な外貨を工作活動に与えて、それを勝手に工作員がポケットに入れると言う状況だったわけで、それを厳しく叱責した上で、今後一度たりともですね。
自分のサインが無いとしてはいかんと、これで金正日は3号庁舎を押さえたわけです。
当然もちろん人事も含めて。

・・・その2に続く・・・


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