2006年02月16日

靖国神社の桜 こぼれ話

久々に、特攻の叔父さんの話を綴ります。
うちのBlogは拉致問題と特攻の話しか、最近取り上げてません。(笑)
拉致問題もそうですが、特攻のネタも話が話だけに、うちのBlogは相対的にかなりヘビーな内容になりがちなんですが、皆様、読んでいてお辛くはありませんかねぇ?
それでも飽きずにご訪問くださる皆様のご見識と熱意には、いつも感謝の思いで一杯です。
ありがとうございます。

特攻ネタは、最近でも毎日10名前後のアクセスが有ります。
それもどこかでリンクを貼って紹介されたと言うのではなく、「桜花」「特攻」「神風」などという言葉を検索にかけて、ご自分で訪ねてくるケースがほとんどです。
特攻について、歴史的事実を紹介したり兵器としての性能などを解説したりするサイトはあるのですが、直接の遺族がその真情を綴ったサイトはありません。
その意味でも当Blogの存在は、ちょっと珍しい物なのかもしれませんが。
小学生の作文程度のエントリーでお恥ずかしい限りですが、特攻と言うものが私の書く文章で少しでも伝わり、戦争について、あるいは靖国神社について考えるきっかけになって頂けたらありがたいかな、と思っております。

前置きが長くなりました。
今日の本題に入ります。
靖国神社の境内にある桜が、東京のソメイヨシノの開花予想の標準木だと言うのは良く知られた話です。
その内の一本、我が特攻の大叔父の魂の宿りし「神雷桜」がその標準木のひとつであると言うことを、皆様ご存知でいらっしゃいましたでしょうか?

靖国神社に詣でた事のある方ならご存知でしょうが、あそこの境内に植えられた桜の木は、そのほとんどが戦後を生き延びたそれぞれの戦友会の手によって奉納された記念樹です。
私の叔父が所属した神雷部隊は特攻の専門部隊として組織された部隊でした。
ここに所属した隊員たちは、靖国神社の神門を入った右2番目の桜の木の下で会おうと約束をしてそれぞれ出撃をしていったのです。
そして戦後生き残った神雷部隊の戦友たちは、亡き友との約束を果たす為、力を合わせて靖国神社に一本の桜の木を奉納したのですね。
その通称「神雷桜」と呼ばれるその桜の木が、叔父の魂の集う桜の木が、東京のソメイヨシノの開花予想を観測する為の標準木のひとつである事を、亡き叔父の足跡を調べている過程で偶然私は知り得たのです。

有名な軍歌、「同期の桜」の歌詞にはこういう一説があります。

   離れ離れに散ろうとも
   花の都の靖国神社
   春の梢(こずえ)に咲いて会おう

「同期の桜」は神雷部隊の隊員の愛唱歌でもあった歌。
桜花隊の宿舎となった鹿屋基地近くの野里小学校の校舎の中で、元気に賑やかに隊員たちはこの歌を歌っていたそうです。
私の叔父もきっとこの同期の桜を大きな声で戦友たちと歌ったはず・・・

特攻に何の縁もゆかりもない人には単なる歌の歌詞でしかないのでしょう。
しかしこの歌の通りに命を散らし、靖国神社の境内の桜の木の下での再会を約束して出撃して行った多くの特攻隊員たちの事を思うと、この「同期の桜」と言う歌詞、なにやら因縁めいていて涙無しにはとても聴けない。
叔父はいったいどんな思いでこの歌を戦友たちと共に歌ったのでしょうか?

同じ部隊の隊員とは言え、出撃はバラバラ、死ぬときもバラバラです。
靖国神社の神門を入った右2番目の桜の木の下と、再会の場所を細かく定めて出撃に臨んだ隊員たち。
彼らはどんな思いで、この場所を約束したのか?
先に逝く者、後から逝く者。
靖国での再会を約束する事で、俺は決して一人ではないと自分に言い聞かせ、死の恐怖と戦う縁としたのでしょうか?
再会の約束までをも心のよりどころのひとつとして、出撃して行った彼らの心中を思うと胸が痛みます。

昭和20年8月15日の終戦を迎え、神雷部隊桜花隊員の生き残りの人たちは復員を前にひとつの約束を交わしました。
3年後の3月21日午前10時、靖国神社で再会しよう、と。
そしてそれぞれが自分の故郷へと復員を開始したのだそうです。

3月21日と言うのは、人間爆弾桜花による最初の特攻作戦が行われた日です。
この作戦は敵の攻撃により出撃者全員全滅と言う、悲惨な結果に終わりました。
この日を彼らは記念の日と定め、再会の約束の日としたのです。
そして3年後の3月21日。
果たして多くの元桜花隊員は靖国神社に参集し、みな打ち揃って参拝をしました。
その後、無事の再会を夜通し語り合い、更に3年後の3月21日の再会を約束して別れました。

その3年後の3月21日も多くの元桜花隊員が集まり、靖国を参拝。
その後は毎年この3月21日を再会と参拝の日と定めて、靖国参拝を続けました。
その後神雷部隊の他の隊員とも合同で参拝をするようになり、戦友会も結成。
そして彼らは力を合わせて亡き戦友との約束を果たす為、一本の桜の木を再会の約束の場所、神門右の2番目の場所に奉納、植樹をしたのだそうです。

高齢化と共に平成8年を最後にこの参拝は終止符を打ち、戦友会も解散したそうですが、命の極限状況を共有した人たちのつながりの深さと言うのは、平和ボケした戦後生まれの私などには到底想像力の及ぶ所ではないのだろうな、とも思います。
もっと早くに特攻の叔父についての関心を深めていれば、知り得る事はもっともっとたくさんあったのだろうな、と思うと今更ながら気付くのが遅すぎた我が身の不明を恥じるばかりなのですが・・・

生き残った神雷部隊の元隊員たちがどんな思いでこの桜の木を靖国神社に奉納したのか?
どうか想像力を働かせて欲しいと思う。
特攻で死んでいった若者たち、奇しくも生き残ってしまった元特攻隊員たちの心の絆の強さを感じて欲しいと切に願う。
靖国の境内にある桜の木にはそういった関係者の深い思いが、それぞれの木にまとわり付いているのだという事実を知っておいて欲しいと思う。

戦争について特攻について、そして靖国について人それぞれ思う事はあるでしょう。
けれども20歳そこそこの多くの若者が特攻と言う決死の出撃に身を投じたのは、紛れもない事実。
そこに至るまでは、生への執着を振り切る為の彼らなりの身を切られるような苦悩があったはず。
その事に思いを致し事実は事実として受け止めて、彼らの魂を供養してやらねば死んだ者は浮かばれないと思うのです。
靖国にはそういう魂がたくさん集っています。
靖国に参るのなら、彼らに対して最低限の礼節を尽くして欲しいと私は思う。

春になり、東京の桜の開花予想が始まったら、あるいは開花宣言が出たらですね。
その桜の木には沖縄の海に特攻して命を散らしたたくさんの神雷部隊の若者達の魂が集っている事を、心の隅にでも思い浮かべていただけたらありがたいと思っております。
東京の桜が咲いた時、多くの神雷部隊の隊員たちが、この神雷桜の枝に花と咲いて再会を喜び合っている事をご想像いただけたらと願っております。

今年の春、東京の桜の開花宣言が出たら、靖国神社を訪ねてみようかと思っています。
春の梢に花と咲いた叔父の魂に会うために・・・


posted by ぴろん at 11:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 特攻の叔父の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ぴろんさん、こんにちは。

初めて知りました。
桜の木には、魂が宿るという言葉の意味を。

私が靖国に出向いたのは夏の暑い日。
終戦記念の、たくさんの人波にもまれながらでした。
神門をくぐり、あまりの暑さに、少し休んで涼もうと見上げると、桜の木はたくさんの葉が茂り、心地よい木陰をつくっていたのを覚えています。

ああ、あの木々に、私達のにほんを守って下さった方々のいのちが、宿っていたのですね・・・。

私も今度お参りする時は、桜の季節に伺おうと思います。たくさんの桜の、いのちの花を、いつくしみ感謝する為に。

ぴろんさん、いつも特攻のおじさまのお話、読ませて頂いておりました。いつも貴重なお話をありがとうございます。
Posted by hikaru at 2006年02月17日 01:00
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