2006年02月22日

小田原評定はもう終わりにしませんか?

一昨日のエントリーの続きです。

救出運動は議論の段階ではなく、行動の段階に来ていると私は思っています。
でも相も変わらず批判の為の批判、議論の為の議論に終始している人たちの存在は少なくないように感じています。
イデオロギーがらみの論議に、救出策を巡っての軋轢。
具体的には制裁発動に賛成か反対か、あるいは小泉さんを支持するのかしないのか?
そういう議論を未だに延々と繰り返しているのを見ると、最近の私はどんどん気分がしらけていくのです。
その手の議論をお見かけするたびに思う事は、

「あなたの意見は大変良〜く分かりました。
で、あなたは現実の世の中で一体どのように被害者救出に結びつく策を講じているのですか?
どんな支援をしているんですか?」

と言う素朴な疑問なのですね。

救出活動が政治運動化すること、家族会・救う会が圧力団体化していくことへの懸念の声は常にあります。
確かに、この運動を広く国民運動にするには政治色は無いに越した事はない。
でも現実問題今のこの日本の国というのは、被害者が大人しく黙っていたら声の大きい一部の不届き者の都合の良い方へ都合の良い方へと流されていく国なんですよ。
家族がしおらしく待っていても、政府や世論が自ら動いて被害者救出のために正義を実行してくれる国ではない。
非常に残念な事ですが、これがこの国の実情なのです。
家族会や救う会が世論の反発も覚悟で、時に踏み込んだ政治色の強い発言・行動に打って出るのは、この国の不甲斐なさの裏返しでもあると思う。

繰り返しますが、家族会・救う会が圧力団体のように見えてしまうのは、物事の一面を狭い視野でしか見ていないのでは?と私は感じています。
本当の圧力団体というのはですね。
決して表に出しゃばる事無く、私たちの気が付かない所で、水面下でですね。
ひっそりとこっそりと、己の私利私欲と言う下心たっぷりの腹黒い心で政府を誘導しようとする勢力の事ではないんでしょうか?
拉致問題で言うならば、この件で圧力団体と化しているのは、北朝鮮の下部組織である総連とか、中国や北朝鮮の利権に敏感な財界の方でしょう。
彼らの方が救う会や家族会などよりも、はるかに下心たっぷりで巨大で悪質な圧力団体ではないのか?と私は思う。

救う会の右傾化を嫌って救う会批判に徹する人たち、あるいは熱狂的な小泉支持派の人たちは、ここの所の実情を見ていないと感じます。
救う会を「巣食う会」などと揶揄して溜飲を下げている人たちを見ると、あなた方はいったい日本の国が抱える闇についてどこまでの認識があるんだろう?と首を傾げざるを得ないのです。

まあ、そうは言ってもですね。
救う会の方も全く問題の無い組織であるとは言い難い面も多々有ります。
金銭関係に人事の問題、その他いろいろ・・・私は決して救う会が清廉潔白な組織であるとは申しません。
そこを嫌って、批判や懸念の声が上がるのは仕方の無い事だと私も認識しております。
救う会のあり方についていけず、支援の輪から引いてしまった人も少なからずいると漏れ聞いてもおります。

ですが現実問題、救う会以外に拉致被害者救出のために、動いてくれる組織はあるのでしょうか?
日に日に疲労の色を濃くしていく家族を、いつも目の当たりにしている草の根の一支援者として感じる事はですね。
文句ばかり講釈ばかりで何もしない人よりも、汗をかいて動いてくれるいわゆる右派・保守派の人がはるかにましではないの?と言うことなのです。

救う会批判も結構、小泉支持でも結構。
その立場を変えなくてもいいから、被害者救出の為に自分に出来る何かをしてください、と私は言いたい。
救う会の主張する制裁発動にどうしても反対ならば、その主張に添った形での救出運動なり署名活動なりがあっても良いじゃないですか。
でも、少なくとも私は今までそういう形の救出運動を耳目にしたことはありません。
自分は何もしないのに、人のやる事ばかり批判するのはたやすい事。
そして卑怯な事でもあると思います。

誤解をして欲しくはないのですが、私は救う会への批判自体を何が何でもやめるべき、などと節操のない事を言うつもりはありません。
ただ、救う会批判をするくらい拉致問題に関心があるのならばですね。
もう一歩踏み込んで家族と被害者の為に、どんなにささやかな事でも良いからあなたに出来る何かをしていただけないでしょうか?とお願いをしたいのです。

例えば、仮に制裁発動に反対の立場でも「全ての被害者を返せ!」と言う基本姿勢ならば、お互いの共通理解事項として共に手を取り合い行動出来るのではありませんか?
ならば政府に対し、「全ての被害者を返せ!」とメールやハガキで声を上げて欲しい。
「一人残さず被害者を返すまで、拉致問題は終わらないんだぞ!」と声を上げて欲しい。
それだけでも家族には心強い支援になるし、政府にも北朝鮮にもこの問題を棚上げにさせないための圧力になるはずです。
北朝鮮は日本の世論を気にしています。
拉致問題の関心を今一度高める事も立派な支援策だと思うのです。
意見の違いを乗り越えて、なんとかここの部分だけでも共闘する事は出来ないものでしょうか?

世の中に完璧な組織も完璧な人間もいません。
ですから私は救う会をよりよい組織にするための建設的な批判はこれからもあるべきであると思うし、救う会の側にも己の問題点を改める謙虚さを持って欲しいと願っています。
被害者救出と言う大望を実現する為にも、救う会には広く世論の声を掬い取り、心を一つにまとめ上げる為の国民組織である事を望みたいと思う。

私はただただ救う会を信奉し、ひたすら盲従する事に徹するのを良しとはしません。
逆に、ただ救う会を「巣食う会」などと揶揄したり罵倒したりして、溜飲を下げて満足しているだけの人も論外だと思っています。
建設的な意見交換や批判は救う会をより良い組織へと成長させる力となりますし、それが被害者救出に近付く一歩に成り得ます。
が、単なる盲従や単なる罵倒の繰り返しは結局の所、支援の輪の内側に石を投げ込むばかりで、支援の盛り上がりにはつながらないのです。
いつまで経っても肝心要の敵・金正日に怒りの矛先が向かないのです。

家族の疲労はとっくに限界値を越えています。
日を追うごとに憔悴していく家族を前にして、政府も世論もそれから私たち支援者も、いったいいつまで小田原評定をしているつもりなのでしょう?
私たちはいつまで決断を先延ばしにするつもりなのでしょうか?
いつになったら被害者救出の為の具体的行動に打って出るんでしょうか?
小田原評定に時間を取られている間にも、被害者の命は失われていく。
家族の命も失われていく。
家族の窮状を私たちはいつまで見逃し続けるんでしょうか?
救いを待つ被害者をいつまで放ったらかしにし続けるんでしょうか?

お疲れの家族に代わってお願いいたします。
主義主張の違いを超えて、自分に出来る何かを行動で表していただけませんでしょうか。
「全ての被害者を救う」という意思表示を声に出し、もう一度世論を盛り上げて欲しいのです。


posted by ぴろん at 03:12| Comment(0) | TrackBack(2) | 拉致問題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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