それを読んでの感想を、今日は少し書き綴りたいと思います。
ネタばれになると困るので、内容についての詳細は省きます。
大雑把に説明すると、26歳の一人の青年が、沖縄特攻で戦死した祖父の生前の生き様を求めて、全国各地の戦友を訪ね歩く、という内容の小説です。
改めて言うまでもなく、私の肉親にも沖縄特攻で戦死した大叔父がおり、彼の生前の足跡を辿って、つい先日鹿児島県鹿屋市と沖縄県本部湾を訪ねてきたばかりの私には、小説の設定に親近感を持ちました。
小説の形はとっていますが、その内容は、実際の特攻の現状に極めて限りなく肉薄するものと思います。
関心のある方は一度ご一読頂くとして、私が特に興味を引かれたのは、小説の第9章「カミカゼアタック」に出てくる、元海軍中尉の武田という老人が、主人公の健太郎に語る証言の部分です。
その中から、特に、私の心を惹きつけて止まない一文を、ここに引用してご紹介をさせてください。
・・・引用開始・・・
「特攻の父」と言われる大西瀧治郎中将は終戦の日に切腹して死んだ。この死を「責任を取って死んだ」立派な死と受け取る者も少なくないが、私は少しも立派とは思わない。多くの前途ある若者の命を奪っておいて、老人一人が自殺したくらいで責任が取れるのか。
百歩譲って、レイテの戦いでは、やむをえない決死の作戦であったのかもしれない。しかし沖縄戦以降の特攻はまるで無意味だった。死ぬ勇気があるなら、なぜ「自分の命と引き換えても、特攻に反対する」と言って腹を切らなかったのだ。
・・・引用終了・・・
この言葉を読んで、私ははっとしました。
長年、心の中でもやもやした思いを抱えつつ、上手く言葉に出来なかった私の率直な感情。
それがこの一文には見事に表現しつくされている、と強く感じたからです。
特攻は外道の統率、とは巷間良く言われる言葉。
そして、私がここで改めて説明するまでもなく、特攻隊員に選抜された若者の多くは優秀な人材でした。
生きていれば、日本の発展のためにどんなに役に立ったかわからない人たちでした。
その未来ある優れた若者を、勝ち目の無い絶望的な特攻作戦の渦中に、虫けら同然に投入して死なせた責任は、一体誰が取ってくれたというのだろう???
それが大叔父の足跡を追う一方で、いつも感じる素朴な感情でした。
特攻の責任問題を語る時、大西瀧治郎中将の割腹自殺の話は、必ずと言っていいほど出てきます。
特攻に少しでも関心なり知識なりをお持ちの方で、大西瀧治郎中将の名前とその壮絶な最期を知らない方はいないでしょう。
戦争中「君たちだけを往かせはしない、俺も必ず後を追う」と言いながら、その言葉と裏腹に姑息に戦後を生き延びた人もいる中、自ら自決した大西中将。
部下の介錯を拒み、数時間も七転八倒の末に絶命した・・・壮絶な最期を遂げた、大西中将の死は軍人として天晴れだと。
確かにそういう見方も出来ると思いますし、そういった類の意見に異を唱えるつもりは私にはありません。
大西中将は終戦の日、彼なりに責任を取って自決したという、その心情は私も理解します。
ただ現実問題として、特攻でリアルに肉親を失った遺族の立場から見れば、何か釈然としないもやもやした感情が、ずっと私の心の奥底でうごめいていたのも、また事実です。
大西中将が如何に壮絶な最期を遂げようと、特攻で死んだ多くの若者の命は一人も返ってこない。
それは、遺族としての偽らざる率直な思いです。
特攻そのものが無謀な作戦と分かっていたなら、終戦後に腹を切るのではなく、戦争中に命を掛けて、特攻作戦を止めてはくれなかったのか?
それは何も大西中将でなくても構わない。
誰か一人でも、特攻作戦を強行しようとする上層部に対し、自らの体を張ってでも特攻作戦を阻止してくれる人がいたなら、三千人とも四千人ともいわれる多くの特攻隊員の命は、あるいは救われたかもしれない。
そう思ってはいけないでしょうか?
本当に国を憂えるならば、責任ある立場にいた人たちは、日本の未来を担うはずの多くの優秀な若者の命を、どうにかして生かす策を講じて欲しかった・・・とも思うのです。
歴史にif、もしも、という仮定の話をしても仕方がありません。
あの戦争の時代を必死に生きた人たちに、そこまでの覚悟を求めるのは筋違いかもしれない。
私の戯言は、所詮は戦後生まれの平和ボケの極みかもしれません。
でも。
歴史の教訓に学ばなければ、人は同じ過ちを繰り返す。
なぜ誰も、この無謀な特攻作戦を止められなかったのか。
多くの優秀な若者を無意味に死なせてしまったのか。
・・・という本当の意味での反省を今こそしなくては、多くの特攻隊員の死はいつまでも報われない・・・とも思うのです。
特攻は愚策中の愚策。
決して繰り返してはいけない歴史の悲劇、です。
その悲劇を繰り返さないためにも、大西中将の割腹自殺を美談として感じ入った所で思考を止めてはいけないのではないでしょうか。
四千人もの若者を死なせた後で、後追いで一人腹を切った所で、正直どうにもならない。
それが桜花特攻での大叔父の壮絶な死の重みを両肩に背負っている、肉親としての私の率直な感情です。
命を捨てる覚悟が大西中将にあったのならば、死んで責任を取る覚悟があったのならば・・・
多くの前途ある若者の命を救うために、終戦後ではなく特攻作戦を開始する前に、特攻実施を強硬に唱える上層部と例え刺し違えてでも、無謀なこの作戦を阻止して欲しかった・・・
・・・と言ったら、言い過ぎでしょうか?
私の特攻の大叔父は、自分の運命をどう受け入れ、十死零生の特攻作戦の渦中にどう身を置いていたのか?
出撃の地・鹿屋を訪ね、終焉の地・本部を訪ね、いまだ一片の骨すら故郷に帰れないまま、本部湾の底に沈んている叔父の肉体を目の前にして、どうしてだれ一人として、このあまりにも不条理な作戦を止められなかったのか?と思わずにはいられないのです。
予科練の試験を一番で通ったほど、優秀だったという正義大叔父。
その彼を虫けら同様に死に追いやり、その作戦遂行の責任を誰も取らないとしたら、遺族としてはとても納得できるものではありません。
大西中将が如何に壮絶な自決を遂げようとも、特攻という余りにも残酷な死に直面せざるを得なかった若者の無念と、後に残る遺族の悲しみは、どんなに年月が過ぎようともそう簡単に消えるものではない、と私は感じております。
いつも興味深く読んでおります。
大叔父様への深い思いお察しいたします。
私の身内のもので妻子を残し
南方で“戦死”をしたものがいます。
“戦死”とカギ括弧付きなのは詳細不明だからです。
戦死ではなく餓死、病死だったのかもしれません。
遺骨も勿論戻っていません。
ほとんどの戦死者はこのような状況、
敵兵と相まみえることなく逝った者も多かったのではないかと思っています。
優秀な意思の強い若者の死だけが悲劇で
意味のあるもののように取れる文章に
少し違和感を覚えました。
ごめんなさい。
コメントありがとうございます。
初めに、私は特攻だけを特別視しているつもりはありません。
ただ、そのように読み取れる部分があったとしたら、文章力の至らなさをお詫び申し上げます。
戦争中、時の指導者の頭に前線で戦う兵士の命の重みを感じる余地は、おそらく微塵もなかったのでしょうね。
人命は鴻毛よりも軽し、という言葉もあったように、兵士など赤紙一枚でいくらでも招集できる、兵力の足らざるところは人命で補えば良い、という安易な発想は開戦の最初からあったものと思われます。
冒頭に紹介した「永遠の0(ゼロ)」の中には、主人公が訪ねた祖父の元戦友の一人が、
「零戦の開発者は、ゼロに搭乗する搭乗員のことは何も考えずに設計開発をしたのだろう」
と証言するくだりが出てきます。
飛行継続時間が8時間という零戦の性能は戦闘機としては確かに優秀である。
だが、どんなに優れた搭乗員であっても、飛行中の集中力が8時間も続くはずもない。
しかし設計者が8時間という跳びぬけた飛行性能を持つ零戦を作ったが故に、上層部はその性能をフルに生かせる無茶な作戦を計画実行してしまう。
という内容の記述が出てきます。
兵器オタクでもない私には、零戦に対するそういう評価そのものが新しい発見でしたが、零戦開発にすら内包されている海軍の人命軽視の思想は、その後の桜花や回天と言った特攻専用機の開発にも通じるものがあるのだな・・・と改めて考えてしまいました。
世界広しといえど、特攻のための専用機までを作ってしまったのは当時の日本だけ、ですから。
兵士の命を消耗品のように扱う思想があったのは、当時の日本軍の一つの特徴だったと思っています。
戦争の是非を論じるとき、日本軍という組織が内包していた人命軽視の思想を、意識しておく必要はあると思っています。
その象徴の最たるものの一つが特攻である、と私は思っていますし、特攻を身近に感じて育ったものとして、その事実は世に伝えたいと思っています。
優秀な若者による死だけが悲劇で意味のあるもの、という言い方をしたつもりはありません。
ただ、もしも彼らが特攻で死なずに生きていたとしたら、研究者、教育者、政治家、官僚、実業家などなど、各界のリーダー的人材になったであろうことも間違いのない事実でもある、と思います。
優れたリーダー無しに、社会の発展がありえないのは、今も昔も変わらないひとつの真理です。
それなのに各界のリーダーになりうる人材を、特攻と言う無茶な作戦で何千人も死なせておいて、当時の指導者たちは戦後の日本をどうするつもりだったのでしょうか?
戦争末期、時の指導層は「一億玉砕」といって国民を鼓舞しました。
でも本当に一億玉砕して日本人が絶滅しまったら、日本と言う国は世界の歴史の舞台から消えて終わりです。
戦争をどう終わらせて、その後の日本をどう発展させるつもりなのか?
調べれば調べるほど、その視点がまるで欠落していることに、怒りと落胆を覚えます。
そんな中でそれでも前線で必死に戦って、あるいは飢えや病に苦しんで、あるいは自決して亡くなった多くの御霊には、心より哀悼の意を表したいと思っています。
失礼を承知の上でのレスに丁寧なご返信ありがとうございます。
返信が遅れまして申し訳ございません。
今、『特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ』
というドキュメンタリーを読んでいます。
プロローグの中に 「橋の上のホラティウス」
という一編の詩が出てきます。
私は、これを読んだ時、硫黄島の栗林中将の
「ここでの我々の戦いは本土への空襲を一分一秒でも遅らせるため」という言葉と
あの死闘を思い出しました。
国のために自らの命をささげたすべての人に
捧げられる詩なのだろうと思います。
勿論国籍も関係なく。
学徒兵として応召された若者は確かに優秀な人材だったと思います。
彼らが生きていたら・・・は、よく言われる言葉です。
NHKのドラマの中にも似たような台詞がありました。
「彼らは飛行機に乗って死ぬより
生きて、今より素晴らしい技術で飛行機を
作れる人になるはずだ」
事実なのかもしれませんが
功利主義的な言葉だなと、反応してしまいました。
人にはそれぞれに与えられた役目があり、
その使命を果たし終えた時、
命は神に帰ると私は思っているので
もし if は考えません。
亡くなった人は役目を終えた後も
私達に語り続け、
真摯にそれを受け止め、
残った者は自らの果たすべき役目をなす。
それが、その時の最上になるのだろうと思います。
あの戦争末期の日本の指導者たちには
彼らの生きている“その時”しか見えていなかったのだろうと思います。
そのようなすべてにおいて
狭量な視野しか持たない、
理念のない指導者であったことは
最大の悲劇であり、罪であったと思います。
戦争の真実は、結局のところ個人の意思です。戦う意思を持つかそれとも逃げるかです。守るべきものがあるので、それを守るために自分の命を使うだけの事です。
ここでコメントされる方は結局第三者の戯言をもてあそんでいる方が多いですね。実際の戦争を見た事も感じた事も無い方ばかりに思えます。私は近代戦、特にイラクにおける大国のエゴのぶつかり合いによる戦争を体験しています。
戦争は悲劇ですが、上層部とは無関係な処で起きている大国のエゴが生み出している事実を見ようともしません。自国の政府を詰るのであれば、それは自分をも詰る事になるのです。
特攻と言う手段を講じざるを得なかった状態にまで日本を追い込んだ原因を探ろうともせず、直近の出来ごとだけで判断するのは愚かな事です。
日本と言う国の成り立ちから周辺国家が勝手に引き起こしている軋轢の原因を探ることなく大東亜戦争を否定する事自体が愚かな事です。
そもそもの原因に『人種差別』と言う物があります。この人種差別を生みだしたシステムが何時から存在しているか、そしてそれがヨーロッパ世界の進展と発展の基盤を成り立たせてきたという背景があるのです。社会主義、民主主義、どれをとっても『市民』と『奴隷』に分かれているという事を知らなさすぎます。共産主義ですら実際は社会主義と封建制の合体である事が分る筈です。
日本と言う国家が世界でもまれな存在です。所謂西洋社会的な奴隷は存在しません。奴婢と言う考え方は縄文文化には存在しません。大陸から侵攻してきた弥生族の侵略によって発生した制度です。
中世に至っては領主同士が戦ってもその住民には危害を加えて居ません。捕虜はとっても奴隷にしないのが日本人です。
西洋人的発想によるプロパガンダが今の日本に悪影響を及ぼしています。日本人は古来から他人を尊ぶ民族です。決して禽獣のような周辺国家と同一線上に語るべきではないのです。
話を戻しますが、西洋文化と日本文化を同一線上に語る事は愚かな事です。
「あの戦争末期の日本の指導者たちには
彼らの生きている“その時”しか見えていなかったのだろうと思います。
そのようなすべてにおいて
狭量な視野しか持たない、
理念のない指導者であったことは
最大の悲劇であり、罪であったと思います。」
この言葉を語られた方に敢えて申し上げる。あなたこそ『今』しか見えない愚かものであると。
あの当時の終戦間際の指導者たちの苦悩を知る事も感じようと思う事もしないで、実に侮蔑の限りを尽くした大変失礼な言だとしか思えません。
「橋の上のホラティウス」を読めば特攻兵たちの気持ちが判る筈です。それが理解出来ないのであれば語る資格はないのです。
親が思う子への気持ち、子の思う親への恩、恋人を思う人の気持ち、誰かの為に自らの命を捧げられるかどうかです。
批判は誰にでも出来ますが、命に換えてでも守りたい人が居るかどうかです。
貴重なご意見、ありがとうございました。
>日本と言う国の成り立ちから周辺国家が勝手に引き起こしている軋轢の原因を探ることなく大東亜戦争を否定する事自体が愚かな事
というご意見はごもっともです。
私は戦争そのものを全否定する、絶対的な平和主義者ではありません。
大事な人を国を護るには、時に大きな犠牲を払うこともある・・・それが人間の本質であり歴史でもあると思っています。
人間が人間である限り、争いは消えてなくならない。
これも人間の真理のひとつだとも思っています。
いくら戦争を忌み嫌っても、世界から争いが消えることはない。
そう遠くない将来、日本も再び戦乱に巻き込まれる日が、来るかも知れません。
いや、間違いなく戦争の時代は再びやって来るでしょう。
それが現世を生きる私たちの存命中に起こるかどうかまでは、分かりませんけれど・・・
再び争いの時代に突入したその時、できるだけ犠牲を少なくするために、まずはできるだけ正確な情報収拾を行い、それを正確に分析して、戦略を持って事に当たる姿勢が、時の指導者には求められると思います。
その意味において、私の知る限り、その努力が足りていたとは思えない部分も多々散見されるのが、大東亜戦争の一つの側面ではないでしょうか?
場当たり的と思えるような、あるいは希望的観測に基づく淡い期待によって、時の指導者が判断を間違えれば、犠牲にならずに済む国民の命まで奪うことになる。
歴史に学ぶという言葉の本当の意味は、単に戦争を毛嫌いすることではなく、大東亜戦争過程で、いつ、どこで、誰が、どんな判断を間違えたのか?と検証すること・・・でもあると思います。
将来の安全保障を担保するためには、戦争の歴史を検証して、改めて学ぶべきことはたくさんあるはずです。
戦後65年を経た今だからこそ、その作業をするべき、とも思っています。
靖国の多くの御霊は、一億玉砕の果てに、日本が歴史の表舞台から消え去るの事だけは、これっぽっちも望んでいないはず、とも思いますから。
当時の日本人が若い命を使い捨てのもの程度にしか考えていなかったのだとしたら、全てが終わった後に切腹などしなかったのではないでしょうか?
特攻隊の生みの親は、特攻が有効な戦法だなんて思っていませんでした。
特攻が下の下の最低の作戦であることはわかっていました。
若い命を投げ捨ててまで頑なに特攻をし続けたのには若い命よりも重い理由があったんです。
特攻という戦法を取らなければならなかった頃には、既に日本軍が負けることはわかっていたのです。
当時の日本人は、戦争に負ければ、日本はアメリカに支配され、日本という国がなくなってしまうと思っていました。
大切な家族が、恋人が、友人が、殺されてしまうかもしれない。
それでも日本が負けることはほぼ確定していました。
それでも特攻が行われたのは、たくさんの次世代を担う若い青年たちが、国を守るために命を投げ捨ててまで戦ったんだという事実が残る限り、日本という国がなくなっても、日本を守ろうとした魂は千年二千年経っても残り続ける。
戦争には負けても、その先の未来のために命を懸けて特攻してまで日本を守ろうとした魂を後世に残したのです。
その大義を知って、当時の特攻隊員達はみな自ら特攻隊に志願したそうです。
上の命令で死ぬしかなかったのではなく、彼らは自らの意志で特攻を選んだのです。
最低最悪の作戦である特攻は、そのような日本の未来を思う崇高な志の上に行われたものであって、決して愚かではなかったと私は思っています。