2006年04月11日

NHK「ドキュメント北朝鮮 第二集」〜隠された世襲〜(1) 06.4.3放送

━━━━━━━━━━━━
第二集「隠された世襲」
━━━━━━━━━━━━

〜導入〜
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。


  ◆映像:2006年2月13日祝賀行事の模様
 ―――――――――――――――――――――――――
  金正日将軍祝賀を受けたまえ、 栄光をうけたまえ
 ―――――――――――――――――――――――――
今年2月、金正日総書記の誕生日を祝う式典です。

64才を迎えた最高指導者は今年も姿を現しませんでした。

金正日総書記は父キム・イルソン(金日成)の後継者として早くから権力の階段を登ってきました。
しかしどのように台頭してきたか、その課程は一切明らかにされていません。

その肉声が長く西側に伝えられることはなく、謎の指導者とされてきました。

今回私たちは北朝鮮の権力継承の課程を記録した新たな資料を発見しました。
1500ページにのぼる旧東ドイツの秘密文書です。
平壌に駐在していた外交官達が独自に情報を収集し、その動向を追い続けていたのです。
  ◆映像:東ドイツ関係者の写真

沈黙を続けてきた旧東ドイツの関係者達が今回初めて証言しました。

<元東ドイツ 党国際関係部の関係者の声>
『私たちは社会主義国の中で親子で権力を継承することは
           あるまじきことだと考えていました。』


<ナレーション>
ドキュメント北朝鮮第二集
社会主義国としては前例のない世襲をいかにして成し遂げたのかに迫ります。

タイトル
第二集「隠された世襲」

1970年代、社会主義国の指導者が平壌を訪れたときの映像です。
北朝鮮は社会主義陣営の一員として東側の国々と友好関係を結んでいました。

北朝鮮の建国後、いち早く国交を結んだ東ドイツ。
最高指導者、ホーネッカーはキム・イルソン(金日成)と兄弟と呼びあう仲でした。

平壌にあった東ドイツ大使館です。(大使館の映像)
東ドイツは、同じ分断国家として北朝鮮の行く末を注視してきました。

ピョンヤンに駐在していた外交官の多くが旧東ベルリンで暮らしています。
当時の名簿が残されていなかったため、私たちはおよそ一年かけて彼らを捜しあてました。

クラウス・バーテル(元東ドイツ 副大使)73才です。
1963年から計10年間平壌に駐在し副大使も務めました。、
これまで自ら収集した北朝鮮の情報について一切明らかにしてきませんでしたが、今回初めて取材に応じました。
バーテルは国費留学生として、金正日総合大学で学んだ最初のドイツ人です
大使館では朝鮮労働党の権力構造を分析していました。
しかし友好国の外交官であっても、情報収集は困難を極めたといいます。

――バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――――――
全てが秘密でした。
北朝鮮では国家の方針で外国人には情報を明らかにしない、秘密主義をとっていました。
そうした彼らの態度を私たちは腹立たしく思っていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:旧社会主義国の平壌駐在外交官の写真

<ナレーション>
ソビエトやルーマニアなど、平壌に駐在していた社会主義国の外交官です。
バーテルは互いに得た少ない情報を交換しあうことで、北朝鮮の動向を把握していました。

60才を迎えたキム・イルソン(金日成)です。
憲法を改正し、最高指導者である首領としての地位を確立しました。
その絶対的な権力を誰が引き継ぐのか、バーテルは強い関心を持っていました。
キム・イルソン(金日成)が親族を重要な役職に就けていたことに、バーテルは注目しました。

当時作成した秘密報告書です。

◆バーテルの報告書―――――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)の弟にキム・ヨンジュがいる。
彼は党の政治委員会の委員、中央委員会書記、組織指導部長などの要職をを歴任している。
彼の序列は六位である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
バーテルはキム・ヨンジュをキム・イルソン(金日成)の最も有力な後継者と見ていたのです。


◆バーテルの証言――――――――――――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)は北朝鮮という国を自分の作品とみていました。
死んだ後に自分の作品がどうなるのかと、自問自答していたのでしょう。
そして自分の作品を継ぐ人物は信頼できる家族以外ありえないという結論に達したのです。
私たちはそう考えていました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
報告書はキム・イルソン(金日成)の息子については短く触れているだけです。

◆報告書――――――――――――――――――――――
キム・イルソン(金日成)に息子がいる。
彼はキム・イルソン(金日成)の秘書であり、
同時にキム・イルソンを警護する部隊の部隊長である。
――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
その名前すら記されていませんでした。

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――
金正日が後継者になるとはまさか想像もしていませんでした。
彼の方法は少なく後継者として議論にも登りませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

報告書は東ドイツをひきいるドイツ社会主義統一党の本部に送られました。
ベルリンでこの報告書を受け取ったのが、国際関係部のホルスト・ジーベックでした。
ジーベックは北朝鮮との外交を19年にわたって担当し、朝鮮労働党と太いパイプを持っていました。

  ◆映像:ドイツ社会主義統一党の建物

◆ホルスト・ジーベックの証言――――――――――――――――――――――
私たち社会主義国では、親子の権力継承はあるまじき行為と考えていました。
社会主義者における後継者とは、国家にとって、
政治的に最も能力のある人物が選ばれるべきだと考えていたからです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
前例のない権力の世襲。
その準備は、すでに始まっていました。
60年代前半軍を視察する親子です。(視察する親子の写真)
キム・イルソン(金日成)は息子が20代の頃から、軍や党の視察に頻繁に同行させていましたが、常に秘密にしていました。


アメリカ

当時の金正日総書記を知る人物がアメリカに住んでいることがわかりました。
キム・イルソン(金日成)一家の家庭教師を務めていた、キム・ヒョンシク(キム・イルソン家族の元家庭教師)です。
亡命後2003年、アメリカに移り住みました。
平壌の大学教授だったキムヒョンスクはキム・イルソン(金日成)の家族にロシア語を教えていました。
若き金正日総書記を直接言葉を交わした貴重な証言者です。

◆キム・ヒョンシクの証言―――――――――――――――――――――――――――――――
彼は大学に入学したときから、キム・イルソンの後継者は自分だと考えにに熱心に尽くしていました。
キム・イルソンが朝出勤するときは、靴を履かせて車に乗せ、夜帰宅するときは、必ず出迎えました。
外国に行くときも同行し、随行員が十分に父を世話していないと強くしかっていました。
キム・イルソン(金日成)もそうした息子に満足していました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆映像:キム・イルソン(金日成)インドネシア訪問の時の写真、※金正日が同行し共に写っている

<ナレーション>
ソウルにも若いときの金正日を知る人物がいます。
キム・イルソン総合大学の総長を務めたファン・ジャンヨブです。
97年韓国に亡命しました。
後に国際担当の書記となったファン・ジャンヨブは亡命した幹部の中で最も地位の高い人物です。

◆ファン・ジャンヨブの証言―――――――――――――――――――――――――――――
彼は大学に入る前から、『自分は政治家になる。政治は父、キム・イルソンから教えてもらう』
とはっきり言っていました。
金正日が少しでも権力を握ると、叔父のキム・ヨンジュを追い出すかもしれないと考えました。
しかし、権力の世襲をするとは、まさか想像もしていませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
キム・イルソン(金日成)の家族に関する報告書を書いた翌年、バーテルはキム・ジョンイル(金正日)という名前を特定し、その台頭についてはじめて報告します。
ハンガリー大使館からもたらされた情報でした。


◆バーテルの報告書(1973年10月1日作成)――――――――――――――――――――
労働党の総会で人事が議論され、金正日の昇格が取り上げられたとの未確認情報がある。
その情報によれば、金正日は党中央委員会の要職に付き、更に、宣伝扇動部の責任者になった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◆バーテルの証言―――――――――――――――――――――――――――――――――――
この情報で、はじめて金正日が党内でその地位を高め始めていると認識しました。
彼が次第に影響力の大きい役職に就いていくと考えました。
後継者として作られていくかもしれないと、我々は予測したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
73年9月、キム・イルソン(金日成)は息子を党の宣伝扇動部の責任者に就任させました。
三〇代前半の姿です
当時彼の活動は外部に一切伏せられていました。
宣伝扇動部は国民の思想統制を担う重要な部署でした。


 ◆映像:1970年代に傍受された北朝鮮の映像

70年代韓国で傍受された北朝鮮の映像です。
宣伝扇動部が進めた思想教育が記録されています。
忠誠心を養うために少年達は、10日以上かけてキム・イルソン(金日成)が少年時代歩んだとされる道を辿らなければなりません。

  ――◆思想教育映像のこどものことば―――――
     敬愛するお父さん
     キム・イルソン様を敬い
     私たちは忠誠の心を込めて
     最大の栄光と感謝をささげます。
  ――――――――――――――――――――――

  ◆映像:マスゲームの記録

<ナレーション>
強化されたのがマスゲームです。
これは1958年のマスゲームです。ソビエトのカメラマンが撮影しました。
キム・イルソン(金日成)が北朝鮮に採り入れたマスゲーム。
当時子供達の動きは、単純で、機敏な動作もありません。
全体の統制も取られていませんでした。

しかし70年代、大きな変化がみられます。
マスゲームはキム・イルソンへの忠誠の証と位置づけられ、数万人の子供が、一糸乱れず動くよう命じられました。



当時マスゲームに参加した人の証言です。
2000年韓国に亡命しました。

◆マスゲーム参加者の証言―――――――――――――――

当時のマスゲームの訓練は本当に厳しいものでした。
私は背景版を担当していました。
訓練中はトイレに一切行けません。
ビンに用を
足さねばなりませんでした。
半年間 勉強は全くできませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――

◆キムヒョンスクの証言―――――――――――――――――――――――――

背景版で最も難しいのが、キム・イルソン(金日成)の顔の部分です。
担当する子供達は死ぬ思いで練習します。
失敗してキム・イルソン(金日成)の顔を汚すと家族全員が処罰されるからです。

金正日が思想統制を担当してから、
国家全体、人民の全てがキム・イルソンに対する崇拝を強化しました。

国家体制はこのようにして作られていったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このエントリーはblue-jewelさんの手による物です。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。