2006年04月12日

NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(1) 06.4.4放送

〜導入〜
<ナレーション>
厚いベールに閉ざされた国、北朝鮮。
個人崇拝による独裁体制は何故今も維持されているのか?
拉致やテロは誰が指示し、何故繰り返されたのか?
そして、核兵器開発はどこまで進んでいるのか?
世界を脅し続けている多くの謎に迫ります。

  ◆映像:朝鮮中央テレビ去年2月
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   我々は自衛のため 核兵器をつくった
  ―――――――――――――――――――

  ◆映像:衛星からの核開発施設の映像

<ナレーション>
核兵器の保有を去年宣言した北朝鮮。
その開発の拠点、ニョンビョン核研究センターです。

衛生がとらえた核施設の数々。
煙突から吹き出る煙。
アメリカは今も原子炉が稼働していると見ています。
北朝鮮はすでに核兵器を1,2個保有し、更にプルトニウムを製造したと考えられています。

  ◆映像:六カ国協議の模様

核の放棄を迫る国際社会。
北朝鮮は強く反発しています。
事態打開の見通しは立っていません。

  ◆映像:キム・イルソン(金日成)金正日の映像

北朝鮮は国際社会と渡り合うために、核兵器開発を密かに進めてきました。

時には核開発のカードを利用し、譲歩を引き出してきました。

アーミテージ元国務次官のことば
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対話をしては、ことばで危機をあおる。
これは、北朝鮮のいつも手口です。
(TOLK、TOLK、、fight、fight)
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ロバート・ガルーチ元国務長官――――――――――
同じ事を繰り返しさせられている気がします。
北朝鮮は同じ交渉を求め、同じ見返りを迫ってきます。
(デジャブ・・)
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  ◆映像:取材した米ソ、大統領、高官、外交官の映像
   (ゴルバチョフ・カーターも含む)

北朝鮮と直接向き合ってきたアメリカ、ロシアの元大統領60人あまりを取材、その証言から核兵器開発に迫ります。

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第三集「核開発を巡る戦慄」
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<ナレーション>
朝10時、空襲警報が鳴り響く平壌。
アメリカの攻撃を想定した防空訓練です。
平壌にある地下鉄です。
深さおよそ150メートル。
核戦争に備えたシェルターとして作られたと言われています。
北朝鮮にはこうした核シェルターが数多くあると見られています。
一方で、自らも核兵器を手にしようと開発を進めてきました。

これまで北朝鮮が何時から核兵器開発を始めたかは謎でした。
キム・イルソンの側近だったファン・ジャンヨブです。
1997年に、韓国に亡命しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言―――――――――――
 核兵器開発については話すつもりはなかったのですがー、
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核兵器についてはあまり語ってきませんでしたが、今回初めて詳細に証言しました。

―――ファン・ジャンヨブ氏の証言――――――――――――――――――
我々はかなり前から、核兵器の開発を始めていました。
1958年に地下にある軍事工場を訪れたとき、
キム・イルソン(金日成)は『核戦争に備えるべきだ』と繰り返し話していました。
すでにその時から計画はあったのです。
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  ◆映像:アメリカ核実験の模様、在韓米軍の動き
<ナレーション>
50年代、ソビエトと核兵器開発を競っていたアメリカ。
韓国にも、大量の核兵器を配備します。
60年代の末、その数は、およそ1000発にのぼったと見られています。

キム・イルソン(金日成)にとって、アメリカの驚異に対抗するためには核兵器は無くてはならないものでした。

  ―――ファン・ジャンヨブ氏――――――――――――――
   核を持っていれば、まず韓国を脅かすことができます。
   更に、朝鮮半島を武力で統一する上で、
   何よりもアメリカの介入を抑止する手段となるのです。
  ―――――――――――――――――――――――――――

  〜モスクワ〜

<ナレーション>
50年代、北朝鮮にとって重要な援助国であったソビエト。
核開発は、そのソビエトさえも欺きながら始められました。

当時の貴重な映像がロシアに残されていました。

  ◆映像:1956年7月訪ソ時、キム・イルソンの映像
  (ロシア国立映像アーカイブ)
1956年モスクワ郊外の原子力発電所を訪れたときのものです。
このとき、ソビエトとは平和目的の核開発で支援を受ける協定を結んでいました。

しかしすでに、キム・イルソン(金日成)は核兵器開発の野心を抱いていたとファン・ジャンヨブは証言しています。

  ◆映像:合同核研究所(ソビエト ドゥブナ)

合同各研究所。
ソビエトは社会主義の国々と共に原子力発電や、放射線医療など、最先端の研究をしていました。
キム・イルソン(金日成)は、核兵器開発に必用な知識や技術を手に入れるため、多くの研究者を送り込みました。

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

7年後の63年、北朝鮮北部の町にソビエトの技術者が招かれました。
山間の土地に平和目的の核施設を建設するためとされました。
ここが現在の核兵器開発の拠点、ニョンビョン核兵器センターです。

  ◆映像:コトロフの写真

建設責任者だったセルゲイ・コトロフ。
原子炉の設計を手がけました。
コトロフ(各研究センター建設責任者)たちがまとめた報告書です。

   ◆映像:報告書

技術を提供した原子炉はIRT2000。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出しにくい軽水炉型の原子炉です。
北朝鮮の強い要請で核研究センターは<家具工場>と呼ぶことにしていました。

―――コトロフの証言―――――――――――――――――――――――
核研究センターの存在は北朝鮮でも、極秘とされていました。
外部に一切情報を漏らさないよう、厳重に注意が払われていました。
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<ナレーション>
コトロフによるとニョンビョンには100人を超える北朝鮮の研究者が集められていました。
ほとんどはソビエトの大学などで物理学を学んだ若者でした。

   ◆映像:北朝鮮の若い研究者たちの写真

――――コトロフの証言―――――――――――――――――――――――
私たちは原子炉に関して必用な技術や知識を北朝鮮の研究者たちに教えました。
彼らの水準は驚くほど高いものでした。
最高レベルの教育を受けた、優秀な研究者だったのです。
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65年原子炉の建設を終えて、ニョンビョンを去ったソビエトの技術者達。
ここが核兵器開発の拠点になろうとは想像もしていませんでした。

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このエントリーはblue-jewelさんの手によるものです。


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