2006年04月12日

NHK「ドキュメント北朝鮮 第三集」〜核開発を巡る戦慄〜(2) 06.4.4放送

◆映像:衛星写真(提供アメリカ地質調査所)

アメリカは60年代からニョンビョン核研究センターを監視してきました。
このころ、偵察衛星がとらえた画像です。
65年の画像には、コトロフ達が建設していた原子炉がとらえられています。
年を追うごとに、新しい施設が、次々に増えていきます。
しかし、アメリカは原子力発電所を建設しているだけだと考えました。

  ◆映像:ドナルド・グレッグ

CIAや政権の中枢で40年にわたって北朝鮮を監視していたドナルド・グレッグ(元CIA−中央情報局−アジア担当)です。

――ドナルド・グレッグの証言―――――――――――――
北朝鮮に関する諜報活動は、うまくいっていませんでした。
北朝鮮が何を考えどんな能力を持っているのか、
私たちは危険なまでに無知でした。
―――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:CIAの報告書

<ナレーション>
CIAが作成した北朝鮮の核開発に関する350ページの秘密文書です。
はじめてアメリカが懸念を抱いたのは、84年でした。
核兵器の製造に必用なプルトニウムを抽出できる黒煙炉型の原子炉を建設していることに気づいたのです。
一方で更に高度な技術開発が必用だと記しています。
北朝鮮には核兵器開発を進めるだけの能力は、まだ無いと見ていました。
アメリカはソビエトを動かし、北朝鮮を国際機関の監視下におこうとします。

――ドナルド・グレックの証言―――――――――――――――――
私たちはソビエトが原子炉の建設に必用なノウハウを
北朝鮮に教えたことを知っていました。
そこで、NPTに加盟させるよう、ソビエトをけしかけたのです。
アメリカが北朝鮮と直接話し合うほどの問題ではありませんでした。
―――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
当時、核兵器開発の指揮はキム・イルソンから長男ジョンイルに移りつつあったと見られています。
このときすでにソビエトから警告を受けていました。

――ファンジャンヨブの証言―――――――――――――――――――――
84年に私が国際担当書記になったとき、ソビエトの大使がたびたびやってきて、
『核兵器を大量つくろうとしているようだが、止めた方が良い』と忠告されました。
しかし、金正日にそのことを伝えると、『そんなの無視しなさい』と言われました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮は85年にNPT(核拡散防止条約)に加盟しますが、義務である核査察は受けようとしませんでした。

  ◆映像:世界青年学生祭典(スポーツ大会)の入場行進

ソウルオリンピックの翌年、北朝鮮は世界170国から選手を招き、スポーツ大会を開きました。
この直後冷戦が終結。北朝鮮を支えてきたソビエトは韓国との国交樹立に動きます。

  ◆映像:盧泰愚、ゴルバチョフの握手

その、国交樹立を伝えるためにソビエトのシュワルナゼがピョンヤンを訪れたときのことです。
北朝鮮の外相から衝撃的発言があびせられました。

  ◆映像:ソビエト外相(シュワアルナゼ)訪朝(1990年 9月)

――セルゲイ・タラセンコ ソビエト外相補佐官――――――――――――
我々は核兵器開発を急ピッチで進めている。
何が何でも核兵器を完成させてみせる。
ソビエトが韓国と国交樹立するならば、我々もしかるべき行動を取ると彼らは言いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
しかしソビエトは動かず、アメリカにも伝えませんでした。

――ミハイル・ゴルバチョフの証言――――――――――――
北朝鮮の発言を真剣には受け止めませんでした。
なぜなら、あれは我々が外交姿勢を変え始めたことに対する、
単なる感情的な反発だと思ったからです。
それ以外の何物でもありませんでした。
――――――――――――――――――――――――――――

―ワシム・トカチェンコ ソビエト共産党中央委員会 ―――――――――
私たちは、北朝鮮の脅しを無視しました。
彼らは我々を攻撃するために核兵器を製造しているわけではなかったからです
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:ソビエト連邦 崩壊(1991年 12月)

翌1991年12月、ソビエト連邦の崩壊で核の傘を失った北朝鮮。
自らの核兵器開発を急ぎました。

――ファン・ジャンヨブの証言 ―――――――――――――――――――
小国がどうしたら独立を守り、生きながらえていけるか、真剣に考えていました。
社会主義国が改革開放に向かう中で、金正日は体制を維持するために、
どうしても核兵器が必用だったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
核査察を受けようとしない北朝鮮に対し、アメリカは次第に懸念を深め始めます。
89年、CIAの資料には、北朝鮮が核開発を急速に拡大させていると記されています。

  ◆映像:91年当時のニョンビョン衛星画像 軽水炉、再処理施設

同じ年ニョンビョンをとらえた衛星画像です。
かつてソビエトから技術提供された<軽水炉>の南に北朝鮮が独自に建設した<黒煙炉>が写っています。
川を隔てた南側には、新たな施設の建設が更に進んでいました。
最も大きな建物は、再処理施設。
黒煙炉で燃やした燃料棒からプルトニウムを抽出するための施設と見られていました。

  ◆映像:ジェームス・ベーカー

当時のブッシュ政権で国務長官を務めたジェームス・ベーカー。
北朝鮮に核査察を受けさせるため、ベーカーとブッシュは思い切った手を打ちます。


――ブッシュ大統領の演説 ――――――――――――――――
アメリカは世界に配備した、全ての戦術核兵器を撤去します。
―――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは韓国に配備した核兵器も撤去することにしました。

――ジェームス・ベーカーの証言 ――――――――――――――――――
私たちが韓国から核兵器を撤去すれば、
北朝鮮はNPTに違反して核査察を受ける義務を放棄していると訴えやすくなります。
更に、北朝鮮に核兵器開発を進める口実を与えない狙いもありました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:朝鮮中央テレビ
  タイトル画像〜我が国に創設された“自立的な原子力工業基地”〜

  ――核研究者の説明――――――――
  我が国の原子力工業は平和目的です
  人民経済の発展に利用されています
  ―――――――――――――――――
<ナレーション>
翌年、核査察の受け入れに合意した北朝鮮。
ニョンビョンの核センターの映像をはじめて公開しました。

IAEA(国際原子力機関)査察 1992年 5月

  ◆映像:ニョンビョン核開発センター

<ナレーション>
92年5月IAEA(国際原子力機関)による査察が始まりました。
黒煙炉ではプルトニウムを抽出できる燃料棒が、すでに取り出されていたことが確認されました。
疑惑の焦点は再処理施設と見られる建物に移りました。

  ◆映像:IAEA報告書

北朝鮮は過去に一度だけ燃料棒から微量のプルトニウムを試験的に抽出したと説明。
しかし、IAEAは北朝鮮の説明が査察の結果と大きく矛盾すると報告します。
プルトニウムをたびたび抽出していた疑いが強まりました。

――◆ジェームス・ベーカーの証言――――――――――――――
北朝鮮がプルトニウムを抽出していることは明らかでした。
彼らが核兵器を開発しようとしていることを確信しました。
――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
アメリカは直ちに核廃棄物貯蔵所の査察することをIAEAに要求めます。
ここを調べれば、過去に何回プルトニウムを抽出したかを確認することができるからです。

当時ファン・ジャンヨブは核兵器開発を担当する軍需工業担当の書記があわてる様子を見ていました。

―ファン・ジョンヨブの証言―――――――――――――――――――――
強制査察を受けなくてはならなくなりそうだと、心配していました。
プルトニウムを抽出した痕跡を何とか消そうと核開発廃棄物貯蔵所に土を盛って、植物を植えた
のですが、全て枯れてしまったのです。
更に人工衛星に写らないように、運動場ぐらいの大きな倉庫を建てて隠しました。
そして『ここは軍事施設だから核査察の対象にはならない』と言い張ったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

〜ワシントン〜

北朝鮮を追いつめたかに見えたアメリカ。
しかしこの後、北朝鮮が仕掛ける駆け引きに翻弄されます。
93年1月、核疑惑が深まる中、クリントン政権が対応を引き継ぎました。
北朝鮮との交渉に直接当たった、国務次官補(当時)ロバート・ガルーチ。
そして国務省朝鮮担当部長(当時)チャック・カートマン。

  ◆映像:チームスピリット(1993年 3月)の模様

アメリカは韓国との合同軍事演習=チームスピリットで圧力をかけ、強制査察を受け入れさせようと考えました。
ところが北朝鮮は査察を義務づけたNPT=核拡散防止条約からの脱退を、突然宣言します。

  ◆映像:チャック・カートマン 米国務省 朝鮮担当部長
      ロバート・ガルーチ  米国務省 朝鮮担当部長

――ピョンヤン放送―――――――――――――――
我が国の最高利益を守るために、
やむをえず、NPTから脱会することを宣言する。
――――――――――――――――――――――――

――チャック・カートマン ―――――――――――――――――――――
チームスピリットは北朝鮮を狙った核攻撃の演習だと彼らは以前から主張していました。
私たちは、NPT脱退を正当化する口実を彼らに与えてしまったのです。
――――――――――――――――――――――――――――――――――


―――ロバート・ガルーチ――――――――――――――――――――――
北朝鮮は、脱会の際は3ヶ月前に告知するというNPTの規定を利用し時計をセットしたのです。
残り3ヶ月、私たちは脱退を取り下げさせるため、関与せざるを得なくなりました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ◆映像:米朝高官協議(1993年 6月)

<ナレーション>
アメリカと北朝鮮、初めての二国間の高官協議が始まりました。
ガルーチの交渉相手はカン・ソクジュ第一外務次官。
現在も北朝鮮外交のキーパーソンです。
ガルーチはNPT脱会宣言の取り下げと、強制査察の受け入れを求めました。
しかし強い反発を受けます。

 ◆映像:交渉時の写真

――ロバート・ガルーチ―――――――――――――――――――――――
彼は言いました。あなた達はIAEAを背後から操っている。
我々を絞め殺そうとしている。
そして、逆に補償を要求してきました。
『アメリカがまず我々に対して安全を保障し、攻撃を計画しないと約束しろ』と。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
協議は暗礁に乗り上げます。

NPT脱退の日が目前に迫る中、カンソクジュ外務次官が動いてきました。

――ガルーチの証言―――――――――――――――――――――――――
私はこういわれました。過去を棚上げにすれば、未来については協力しても良い。
あなた達にとって、過去と未来とどちらが大切か?
――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ナレーション>
過去のプルトニウム抽出の疑惑に目をつぶればNPT脱退は取りやめる。
北朝鮮の仕掛けた駆け引きでした。



――ロバート・ガルーチ―――――――――――――――――――――――
過去も大切ですが、差し迫った危険はなかったので、こだわり続けるのは止めました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――


――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長――――――――――
私たちはすでに北朝鮮の核兵器開発を確信していました。
もし彼らが、NPTから脱会すれば開発を推し進めるに違いないと思いました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
NPT脱会は避けられましたが、強制査察は先送りとなりました。

――チャック・カートマン米 国務省 朝鮮担当部長――――――――――

彼らは賢く計算高く、利害関係をはっきり理解していました。
北朝鮮は危機のはしごを相手に登らせることができれば
自分たちが強い姿勢に出られることを知っていました。
危機のはしごを降りるタイミングは、常に自分たちが握っていると考えていたのです。
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このエントリーはblue-jewelさんの手によるものです。


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