

昨日18日、実家の母のお伴で靖国神社秋季例大祭に参加して参りました。
18日は例大祭の初日、当日祭ということで、この日は皇室から勅使がつかわされ、本殿で拝礼をされます。
勅使1名と御幣物をささげ持った従者2名が宮司の先導により、本殿正面の階段より昇殿をされ、拝礼をされます。
その様子を拝見しながら、心の中によぎった感情は、皇室から勅使の方が来て下さって非常にありがたいと思うのと同時に、どうしてこの場に陛下ご本人がいらして頂けないのだろう?という寂しさでした。
靖国参拝は、国のために命をささげた多くの英霊をお慰めする慰霊行為。
そこに政治のあれやこれやを持ち込んで、陛下も総理大臣も公式参拝出来ないなんて、どこかおかしい。
悔しさやら情けなさやら、様々な感情がない交ぜとなり、勅使参拝の間、私は涙が流れて止めることが出来ませんでした。
靖国参拝という慰霊行為を政治問題にすり替えた張本人は、かつての自民党。
現民主党政権はそれに輪を掛けて、靖国をないがしろにしています。
京極宮司は例大祭最後の挨拶の中で、今年の8月15日には一人の閣僚も参拝しなかったことに触れ、その一方で一般参拝者は昨年より一万人も多かったことをお話になりました。
政治は腑抜けでも、多くの国民には良識と危機感がある。
それが唯一の救いというか、希望であるのかもしれませんね。
死んだ人より生きてる人間の方が大事、とは中国の顔色を伺う人たちの常套句。
死んだ人と生きてる人の間にある絆を断ち切ることは、つまりは現世を生きている人同士の絆も断ち切ることになりはしないか?
現代日本ではびこる家族の崩壊や猟奇的殺人事件などの横行も、根源には死者との絆を安易に捨てて、利己主義に走った結果の表れ、という気もしてなりません。
多くの英霊は、「後は頼むぞ」という想いを遺して死んでいきました。
命掛けの彼らの想いに背くことは、人として許される行為ではない、とも感じます。
現世は過去の積み重ねの上にある。
未来は現世の積み重ねの先にある。
今を生きる私たちだけが、好き勝手に我が身の生を謳歌してもいいのでしょうかねぇ?
そんなこともふと思った一日でもありました。
例大祭には、遺族会会長の古賀誠氏、崇敬会会長の扇千景氏も参列。
「たけしのTVタックル」というテレビ番組でおなじみの、三宅久之氏のお姿もお見かけいたしました。
晴天に恵まれ、例大祭初日はつつがなく終了。
最後は、私たち一般の参加者も昇殿参拝をさせて頂き、帰り際には神社より一人一人に神饌を頂戴いたしました。
遊就館の無料招待券も頂きましたので、有難く入場させてもらい、特攻の大叔父の遺影にも対面して来ました。
穏やかに厳かに一心に御霊をお慰めする、その空気の荘厳で清浄なことに感激をいたし、感謝をいたしました。
身はまだ沖縄の海の底にあっても、魂は靖国の社におわす特攻の大叔父も、さぞかし心を慰められたことと思います。
来年も元気でまた来るぞ!と張り切る母と共に、靖国を後にいたし、帰宅の途につきました。
充実した良き一日であったと心より感謝申し上げております。
★写真上より
昨日の神雷桜
頂いた神饌(大きな月餅と例大祭式次第)
なんか最近ザ 〜 メ ン飲むの流行ってるみたいだなwww
昨日も3発出したけど、残らず全部飲まれちまったし!!
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